2024年04月10日
ベクトルの始点を合わせるというチューニング

ぼくの師匠、佐藤恒平さんに会いに山形県朝日町へ
話題のメインは、おとなり、西会津で撮った映画の話。
つぎの民話
https://minwa.listpage.jp/
昨年12月10日に西会津の奥川地区でやった上映会の様子(映画の予告編もあります)
https://mayoiga-k.jp/news/1589.html
滞在時間は2時間。
まずは、知る人ぞ知る地元人気食堂でモツ煮定食を頂きながら(モツ、大盛り過ぎる。笑)

その後朝日中学校内にある佐藤さんの会社「まよひが企画」オフィスにお邪魔し、恒平くんがウサヒに化けて中学校の授業に行くところの30分で映画を見せてもらって、その後、話をしました。

~~~以下メモ
1 中学校内のオフィスについて
・コミュニティスクール委員をやっているときに提案
・先生方が地域を題材にした、あるいは地域と連携した授業をしたいときに相談に行ける
・結果、働き方改革(先生の勤務超過を防ぐ)につながっている
⇒「地域連携」と「働き方改革」の文脈でNHKウイークエンド東北に
⇒次の先生にも映像で伝えられる
2 中学生の「総合的な学習の時間」について
・1年生の授業で、地元を題材にしたカルタをやる
・地元の集落ごとのジグソーパズルをつくってやってみる
⇒地理的な俯瞰をすることから始める。「地理」から始まる好奇心が歴史や人文や、理科や経済などにもつながっていく。
3 映画について
これについては、Xの投稿を貼っておきます。
地図は物理的、地理的に町を俯瞰し、ドキュメンタリー映画は、感情的、時間的に人生や関係性を俯瞰するのかもしれない。そこにナレーションというガイドは不要なのかもしれない。目的や意図を持つけど、解釈や感情の余白を残しておくこと。アートの領域だよなあ、と。
ワークショップの下ごしらえとしての30分のドキュメンタリー映画。リアルを見て、感情を動かして、自分だったら、と感じて考えて、同じ地平に立つ。仕組まれたアイスブレイクではなく、同じ地平に立つためにできることは何か?
マスに届けようとすると、背景説明を丁寧にしなければならない。その射程の半径を小さくすれば、コンテクストをある程度共有しているので、背景は説明せず、ナレーションというガイドも不要になる。結果、ダイレクトに登場人物の感情が心に響く。
映画上映会場という暗い空間の中で、俳優の一言一言との対話が起こる。それは話に応じるという意味では応話と呼べるのかも知れないし、近い暮らしを共有しているからこその共話でもあるのかもしれない。
~~~
と、こんな感じ。
僕の研究領域である、コミュニケーション・デザインとチューニング・ファシリテーションの観点からも、非常にインスパイアされるお話でした。
映画の中に、「未来型結(みらいがたゆい)」の話が出てくるのだけど
参考:未来型結について:http://kyodoshi.com/article/13015
未来型「結」にとって必要なのは、まず、同じ「座」に座り、ごはんを食べたり、農作業をしたりすることが大切なのだろう。同じ映像を見る、という方法もあるのだな、と。それもチューニング・ファシリテーションか。ベクトルの方向を合わせるのではなく、ベクトルの始点を合わせること
その「座」を共有していること。それが最大のチューニング、なのかもしれない。
たとえば、高校の授業の冒頭に、地域の人との4マス自己紹介で、出身と、最近あったよかったことを話すのも、地理的な俯瞰と、時間的な俯瞰、さらには(身近な)価値観をチューニングしているのだな、と。
ドキュメンタリー映画(映像)を見ること、あるいは探究的な文脈で言えば、生徒自身のリアルな声を聞くこと。評価をするのではなく、そこから自分は何を感じ、どんなことを思ったのか。それをシェアし、さらに深めていくこと。自分を自覚すること。
「機会として学ぶ」ってそういうことなのかもしれないなと思いました。そこでは「学ぼう」としなくても、勝手に「学び」という現象が立ち上がっていくのだと。
そういう「デザイン」をやってみたいのかもしれません。
恒平師匠、たくさんのヒントをありがとうございました。
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