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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2024年07月20日

「目指すものと在り方」と、「目的と手段」と「あたまとこころとからだ」

社会教育主事講習初のオンラインゼミ。
本気部屋は今日もマジです。笑

課題として出ていた「社会教育士像」シートを
題材にした対話。

最初に
WHY⇒HOW⇒WHATのいわゆる「ゴールデンサークル」の話。
大きな方向性⇒大切にすること⇒具体的にやることの順番で考えること。
言い換えれば「その活動の目的は何か?」と考えること。

以下の3つの円の重なりを考えていく。

【個人として】
どう社会と関わりたいか?
どんな生き方をしたいか?

【社会として】
どんな社会を目指すのか?
どんな社会にしたいか?

【社会教育士として】
あなたが目指す理想の
社会教育士とは?その理由は?

どんな社会を目指すのか?に対しての僕の仮の答え
・「つくる」ために人と人がフラットにコミュニケーションしている社会
・「つくる」ために互いに違いを認め、活かしている社会
・誰もが「ひとりじゃない」と感じられる社会
・誰もが未来はいま、自らがつくっていると感じられる社会

ここで問われたのは、
「つくる」と「フラットなコミュニケーション」の関係。

表現では
「つくる」ために「フラットなコミュニケーション」があるようになっているが、僕が何よりもつらいのは「フラットじゃないコミュニケーション」だから、もしかしたら「フラットなコミュニケーション」をするための方法論として「つくる」があるのかもしれない、と。

どぢらかが目的でどちらかが手段ではなく、「つくる」と「フラットなコミュニケーション」が動的平衡を保っている状態なのかも、と。

「つくる」というのは目に見える世界(頭脳的・意義あり⇔意義なし)の話で「フラットなコミュニケーション」というのは目に見えない世界(個人的・身体的 快⇔不快)の話なのかもな、と。

そもそも、ゴールデンサークルってスピーチ術、つまり、相手にどのように伝えたら伝わるのか?っていう話だったから、ビジョンづくりの時には必ずしも適していないのかもしれないなあと。

「理想の社会教育士とは?」と問われたときに、目に見える状態の話と在り方とというか、存在の話と2つの観点が必要だし、「存在」の話には、身体性(こころとからだ)の話はすごく大切だし、「目指すものは?」と問われたときに、もう少しそれをブレイクダウンしていく必要があるのだろうなと思った。

あとは、在り方⇒存在⇒身体性⇒快・不快みたいな図式もあるよなあと。

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Posted by ニシダタクジ at 07:36│Comments(0)日記学び
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