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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2013年07月25日

粟島に「ある」もの

何もない島、粟島。
僕は22歳の時、1997年。
サークル「有機農業研究会STEP」の合宿で初めて粟島に行った。

目的は「塩づくり」

農業とか環境とか言っていた僕は、
塩専売のことを知り、
地産地消で塩を作らなければっ!
と思い立ったのである。

当時、販売用に塩を作ることは、
原則として禁じられていて、
(だから「笹川流れの塩」は存在しなかった。)

それに反発した僕は、
「塩、つくるべ」

ということで、サークルのみんなを引き連れて
1回目は笹川流れに行き、海水を煮詰めた。

そして
「もっときれいな海水は?」
ということで、粟島を見つけた。

鍋と炭を背負って、粟島に到着。
西側の釜谷に宿をとり、
早速塩づくり開始。

といっても、海水を組んで鍋に入れ、煮立たせる。
それだけ。
案の定、7人のメンバーはすぐ飽きてしまった。
そして、車でどこかに行ってしまった。

ただ一人、1年生で気の弱そうだった西山くんに、
「お前は、塩づくり、やるよな」
と言って、付き合わせた。

2泊3日ひたすら海水を煮詰めて、
手のひらいっぱいの、ちょっと黒っぽい塩ができた。

これが美味かったんだ。
この塩だけで、酒が飲めるくらいの。
僕は、のんびりとただ、海水を汲んで鍋に投入する3日間を過ごした。

その7年後、の2004年ふたたび「るるぶ新潟佐渡05年版」の取材で粟島へ。
(図書館にはもしかしたらあるかも)

粟島に「ある」もの

そしてさらに7年後の2011年、震災のニイダヤ水産復活プロジェクトで
粟島に行くことになる。
昨年は新潟青陵大学・新潟薬科大学の合同合宿を行う。

学生には劇的な効果がある。
お年寄りに優しくなって帰ってくる。
僕は粟島という「場」にチカラを感じる。
「なつかしい未来」というのは、粟島のような場のことを言うのではないかと思う。

何にもない。
だからこそ、できることがある。

しおかぜ留学の小学生を見ていると、その自信が深まっていく。

ステキな島です。
粟島。
考えるだけで胸がキュンとなります。

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