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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2020年10月22日

「大学入試改革」と「地域で探究」



11月7日(土)9:30~11:15
「これからのまなび座談会」
@阿賀町公民館(鹿瀬)
対象:中学生、高校生のご家族の方

昨年くらいから記述式や民間試験導入などで
揺れている大学入試改革について。
その背景と、どのように対応したらよいのか、を対話します。

大学入試が推薦やAO(総合型選抜に名称統一)にシフトしているのは、
文部科学省のいう、新たな学力観のため。

1 何を理解しているか、何ができるか(知識・技能)
2 理解していること・できることをどう使うか(思考力・判断力・表現力)
3 どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか(学びに向かう力・人間性等)

これらを学ぶ柱になるのが「探究」(総合的探究の時間)である。

では、「探究的に学ぶ」とはなんだろうか?その背景は?

背景にあるのは、工業社会からのパラダイムシフトだ。
「効率化」や「選択と集中」みたいな価値観ではもはや価値は生み出せず、
「変革(イノベーション)」」や「課題の発見」がビジネスにもン必要になってくる
その時に必要なのは「リテラシー」(能力)ではなく「コンピテンシー」(思考・行動特性)だ。

研究機関としての大学が求めているのは、経営体としての会社と同じで、
自律的に研究(仕事)ができる人であり、言われたことを言われたとおりにやる人は残念ながら不要だ。

だからこそ「探究的な学び」という舞台で、
学びの主導権(コントローラー)を自ら握り、
仮説・検証のプロセスを回していく、という経験が
必要になるのだと思う。

仮説・検証プロセスを何度も回していく中で
文部科学省の説明する「自己の在り方生き方と一体的で不可分の課題」に出会い、
その後、自律的に学んでいくことができるようになる。
というシナリオだ。

その時「地域」という舞台が非常に大切になる。

1つ目が、地域という舞台が仮説検証の実践の場になるからだ。
リアルな生活、暮らしがそこにあるので、そこで課題に気づくことができるかもしれないからだ。

2つ目が、地域の大人が学校の先生でも同級生でもない「ナナメの関係」になれるからだ。
先生と生徒というタテの関係においては「評価」が、同級生同士においては「同調圧力」という
行動阻害要因がある。それらを取り除いてやることだ。

自ら学びの主導権を握り、地域を題材に、地域を舞台に、
地域の大人や異年齢の人といった「ナナメの関係」とのコラボレーションによって、
仮説検証プロセスを回していく先に、
「自分を知ること」と並行して、「自らの在り方生き方と一体的で不可分の課題」に出会える。

地域の役割は環境を用意するとともに、時に一緒にプレイヤーとなり行動し、時にそれを見守ること。

先端教育6月号にあったように、
「新しい学びの場における教師の役割は、いわば雑木林の成長を見守る里山の住人です。今までの教育は、一律に整えられた綺麗な杉林を作ることでしたが、これからの学びの集団は雑木林であるべきです。雑木林といっても、荒れた林ではありません。一つひとつの木の状態を見て手入れをするように、全体を見守りながらも一人ひとりの個性を伸ばしていくのです。個性は他者とぶつかり合うことで磨かれていきます。子どもたち同士の関わり合い、そして教師との関わり合いという豊かな関係性を構築していくことが大切です。」

推薦・AO(総合型選抜)の「志望理由書の書き方~7つの観点」はテクニック論ではなく、学びの本質的な要素をついていると思う。

【7つの観点】
1 経験(活動実績)
2 気づき・価値観
3 実現したい野望・問題意識・テーマ
4 3の社会的意義
5 3に向けて取り組むべき課題・実現方法(解決策)
6 志望大学が最適である理由
7 将来の夢・志

6のところを、会社や専門学校に替えても同じだ。

「進学する・しない」「学力選抜か推薦・AO(総合型選抜」かに関わらず、
自らの人生を「経営」するために、「地域で探究」が必要なのだと思う。

仮説・検証を繰り返し、ふりかえりを丁寧にやることで自分を知り、
「自らの在り方生き方と一体的で不可分の課題」に出会える。

本当の「まなびのはじまり」は、それからだ。  

Posted by ニシダタクジ at 06:51Comments(0)学び日記

2020年10月17日

ウチに天才はいない。だがウチが最強だ。


「海南(ウチ)に天才はいない。だが海南(ウチ)が最強だ」

スラムダンク、高頭監督の名台詞を思い出した、
第4回の探究学習コミュニティの勉強会。

講師は、福島県立ふたば未来学園中学校・高等学校の
学校支援統括コーディネーターの長谷川勇紀さん。

もう、絶句するくらい、すごかったなあ。

何度もお話は聞いているのだけど、
いま探究学習やマイプロジェクトを設計する状況になると
ふたば未来の実践のすごさがよく分かる。

そもそもマイプロって何?からスタート

~~~ここから勉強会メモ

岩手県大槌町の高校生が東日本大震災で被災した町で何かしたいという思いを
NPOカタリバがマイプロジェクトという手法を通じて2012年から始まった放課後活動

「高校生の被災したまちへの想い」×「マイプロジェクト」手法(SFC井上研究室2006年~)×カタリバ「コラボスクール大槌臨学舎」
=復興木碑プロジェクト、笑顔photoプロジェクト

マイプロジェクトの考え方:
高校生自らが「やりたい」と思えるテーマを設定し、リアルな社会と接する実践を繰り返すことで、
高校生が意欲と創造性を育む学びを得る。
「主体的な問い」×「実社会での実践」×「意欲と創造性を育む学び」

マイプロジェクトでの学び:
参画度の高いテーマで「主体性」を育み、実践の中で「協働性」を発揮し、それらを繰り返す中での問いの更新を通して「探究性」を養うことを重視する。

主体性(参画のはしご)・・・ロジャー・ハート:
参画の段階のより上段を目指すために、主体性を持てるテーマを発見する。課題と自分の繋がりが強ければ強いほど、取り組みは真剣になり、学びが深くなる。

協働性:
調べて終わりにせず、課題解決に向けた実践を行うことで、実社会における他者との協働を経験する。

探究性:
主体的な問い⇔実践
実践を繰り返す中で、問いを更新する。途中で問いが変わることを厭わない。

マイプロジェクトの進め方
1 プランニング・・・プロジェクトをつくる
自分を知る(興味関心・価値観を知る)、課題の設定、情報の収集、整理・分析
2 アクション・・・プロジェクトを実行する
行動(実践を試みる)
3 リフレクション・・・プロジェクトを振り返る
まとめ、考えの更新(振り返り)
「自分の関心をベースにプロジェクトを作る」⇒「実践と振り返りを繰り返し、学びを深める」

2012~2014年度:プログラム開発期
岩手県大槌町で高校生マイプロジェクト誕生
プランニング合宿を開催
2015~2017年度:放課後展開期
東北初のプランニング合宿
2018~2020年度:総探融合期
高校でマイプロ型の探究学習の実践が始まる

~~~

総合的な探究の時間とマイプロジェクトの共通点
従来の総合的な学習の時間では、「課題」と「自己」は別々であった。
自己の在り方生き方を考えながら、よりよく課題を発見解決していく
総合的な探究の時間は、マイプロジェクトの考え方と一致している。

主体性と実践を重視するとは?
・学びが大きい分、従来よりコストがかかる
・その覚悟と実践での工夫が必要
主体的⇔受動的 仮説検証・実践(アクション)⇔仮説提案

2017:大船渡高校船野さんのマイプロ
ふるさとの水にチャレンジの衝撃
主体的な問い⇔実践の繰り返しによって問いの更新が起こっていた。

年間の授業の流れモデル

1 自分を見つめよう
2 北極星を見つけよう
3 問いを出そう⇒調査してみよう⇒結果を整理・分析しよう(夏休み)
4 調査結果を発表してみよう
5 北極星に向けたアクションを決めよう⇒アクションしてみよう⇒振り返ろう(8~2月)
6 学びを発表してみよう

プロジェクト事例
テーマ設定の理由
課題の発見(夏季アクション)
具体的な課題と解決方法(仮説提示)
解決アクション
活動からの学び

高校3年間を通した総合的な探究の時間
地域をフィールドに、地域の課題を題材に、その解決の過程を通して、汎用的なスキルを身につけたり、自分自身の生き方あり方に繋げていく、地域課題解決型プロジェクト学習

1年次:複雑な地域課題を多面的に理解する(ふるさと創造学 2単位)
2年次:地域課題解決の探究と実践(未来創造探究 3単位)
3年次:探究成果発表と自らの進路実現

探究のプロセスに対応した「生徒の学びの姿勢」
テーマの設定⇒調査のための実践⇒振り返り⇒解決のための実践⇒発表⇒振り返り
学びの準備
⇒「守」:受容的な姿勢(問題状況の把握と課題設定、現状や事実を正確に知る)
⇒「破」:生成的な姿勢(現状を他の事例や考え方と繋げる、課題解決の仮説を立て、プロジェクトを実践する)
⇒「離」:持続的にプロジェクトに取り組む姿勢(プロジェクトの実践を振り返りフィードバックをかける、実践の課題から次なる独自の実践を創造する、実践の連鎖)

生徒の学びの姿勢と教員の関わり方
「学びの準備」⇔「モチベーター(探究心に火を灯す)
探究に対する学びの意欲を高める⇒意欲に火を灯すコミュニケーション、外部イベントへの参加
「守:受容的な姿勢」⇔インストラクター(現状を正しく捉えさせる)
正確に物事を知り探究の基礎を作る⇒知識のレクチャー、調査研究(書籍、WEB、インタビューなど)
「破:生成的な姿勢」⇔「ファシリテーター(問いを立てて引き出す)」
柔軟に他の問題と繋げたり想像力を働かせる⇒問いを通してテーマを深化させる、生徒自身が本当に取り組みたい実践を引き出す
「離:持続的に取り組む姿勢」⇔メンター(応援・勇気づけをする)
リスクを恐れずチャレンジし、実践を連鎖させる⇒実践への勇気づけ、実践後の振り返り(リフレクション)

この4つのパターンに生徒、プロジェクトの現状を把握する

意欲高め⇔低め(上下)
課題設定のセンス良⇔いまひとつ(右左)
で右上:メンター、左上:インストラクター、右下:ファシリテーター、左下:モチベーター
的なかかわりをする。

左下方向では、教材指定、グループで調べ学習、動画で発表や個別面談をして丁寧にテーマ設定をするが
右上方向ではアクションの計画サポートと振り返りに重点を置く

探究テーマを決める視点

地域・社会の理解を深める(地域・社会から解決を求められる課題(NEED)が明らかになる
自分について理解する(自分の取り組みたいこと(WILL)自分ができること(CAN)が見つかる
その真ん中に探究テーマをつくれるかどうか。
そのプロセスにおいての「ヒューマンライブラリー」(カタリバ型講義&対話)などの活用

成長をどう測るか?

半年に1度ルーブリックで資質・能力について自己評価する。
2期生アンケート
入社試験や入学試験に活用したか?→62%
社会とどう関わっていきたいかを見出すことに繋がったか→80%
自分の価値観を考えることに繋がったか?→87%
「探究学習」が進路選択やキャリア形成に影響を与える

「未来創造探究の全体像」
1 建学の精神・理念:新しい生き方・新しい社会の建設
2 教育目標:変革者たれ
3 資質・能力:自立・協働・創造
4 ルーブリック:知識・技能・人格・メタ認知
5 カリキュラム:未来創造探究・各教科学習
6 教員体制:企画研究開発部・6つのゼミ・教科チーム
7 各ゼミ計画:授業設計
8 教材:全体教材・各ゼミ教材
9 指導法:生徒への関わり方
10 外部活用:地域・講師・カタリバ・課外活動

「教員体制」
1 探究カリキュラム企画開発の校務分掌を設定
(教務部、進路指導部とも密に連携・協働)
2 教科担当横断の全教員体制で探究活動を指導
(毎週水曜日5・6限目に、1~3年生のそれぞれの授業が行われる)
3 教員間で悩みを共有し解決策を考えていく
(各学年で月1で全員参加会議を設定。生徒の伴走のあり方などを議論)

~~~ここまでメモ

圧倒された。
声が出ない。
すごすぎるわ、ふたば未来。

ポイントは、前日の浦崎先生の話でも出てきたけど
仮説・検証プロセスの楽しさをいつ知るか?というところ。
ふたば未来の場合は、1年生の夏休みの「調査」において
仮説検証プロセスを回しているということ。

まずはそういうような「探究プロセス」の面白さを知るということ
なのかもしれない。

質疑応答で、
探究的な学びの成功とはどこにあるのか?という問いかけがあり、

それに応える形で、
マイプロ2.0→船野さんの登場により、マイプロの評価基準に「探究性」が加わったこと
つまり、「実践による問いの更新」の重要性が加わったこと、
さらに言えば、マイプロ3.0は実際の「課題解決」なのだろうと。
しかし「課題解決」そのものを評価するのかどうか?は難しいところだと。

僕はそれを聞いて、
「北極星」とは、終わらない問いの方向性なのではないか?
その北極星に出会うことだ、と。

その北極星は、ミッションであり、ビジョンであり、好奇心の源であり、
そういう方向・方角のこと。

実践の中にある「違和感⇔問い」の積み重ねの中で、北極星は生まれてくる。

「北極星」に出会えたら、
あとは問いが無限に出てくる。終わらない問いの連鎖が起こる。
そうやって、問いの更新と自己変容、つまり自己の更新のサイクルが回る。

長谷川さんの言葉を借りれば、
マイプロはどこまでいってもキャリア学習で、
自分が自分であるために変容していくプロセスのことだと。
だから、いわゆる「マイ感」が必要なのだと。

ラストに、
「組織としてどうマイプロ・探究的学びを根付かせていくのか?」に対して、
「先生が全員関わる探究でないと、文化にはならない」と言っていた。
ふたば未来は、先生みんなでやってる、と。

長谷川さんはラストに言った。
「ふたば未来にはスゴイ先生いないじゃないですか。」

たしかにそうだ。
大船渡に梨子田先生あり、とか
飯野には梅北先生あり、とか
佐渡中等に宮崎先生あり、とか
じゃなくて、組織全体でやっているんだと。
だから「文化」になっていくんだ、って。

かっけー。
かっけーなと。

組織のチカラ、そして、地域を含めた場のチカラが探究的学びをつくっているんだ。

もちろん、ふたば未来の実践メソッドというか仕組みは、ものすごかったし、
真似できるところがたくさんあるなと思った。
でも、ふたば未来が本当にすごいのは、「学びの環境(場)」に働きかけている、ということ。
「文化」を作り始めている、ということ。
わが町でも必要なのは、きっとそういう実践なのだろうなと。

コーディネーターってそういうことか、と思った。

僕も数年後に言ってみたい。

「ウチにはスゴイ先生もスゴイ地域の人もスゴイ生徒もいない。だがウチが最強だ」と。  

Posted by ニシダタクジ at 09:56Comments(0)学び日記

2020年10月16日

地域を舞台にしたシミュレーションゲームとしての探究

シミュレーションゲーム。

シミュレーションゲーム (simulation game) とはその名の通り現実の事象・体験を仮想的に行うコンピュータゲームのジャンルの一つ。(Wikipedia)
ロール・プレイング・ゲーム(RPG)っていうのは、シミレーションゲームの1つに分類されたりするんですね。

「探究」っていうのは地域でやるリアルなシミレーションゲームなのではないかと。
そんな風に思ったのは、昨日の最上地域マイプロジェクト研修(オンライン)でした。

パイオニア中のパイオニアである大正大学浦崎太郎先生が講師。
昨日は分科会2つとも講師の先生と一緒という贅沢な時間となりました。

~~~というわけでいつものメモ起こし

越境と共学共創

育成を目指す「資質・能力」
1 何を理解しているか、何ができるか(知識・技能)
2 理解していること・できることをどう使うか(思考力・判断力・表現力)
3 どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか(学びに向かう力・人間性等)

自分らしく社会に参加するには?⇒高校生に届けるべき学びであり、問い
⇒高校教育改革の本流:単なる地域連携ではない

総合的な学習の時間:例えば「人口減少」など課題を設定し、解決していくことで、自己の生き方を考えていく。「一律的な課題」
総合的な探究の時間:自己の在り方生き方と一体的で不可分の課題を発見し、解決していく。「個に応じた課題」⇒個別最適化された学び

自分軸と社会軸の融合⇒マイプロジェクト
自己の在り方生き方と一体的で不可分の課題を「自ら」発見し、解決していく。

ジブンゴト・個別最適と地域課題の発見・解決の真ん中にふるさと学習をつくり、
自分らしく社会に参加する。

協働性・社会参画性・創造性
単に協力して事にあたるという意味ではなく、個人ではつくりだすことができない価値を生み出す。

諸科目との有機性
総合的探究において、生徒の関心や疑問を大切にし、それをよりどころとして学習活動を生み出すのは、その先で価値ある学習を実現するため。
⇒カリキュラムマネジメント:すべての科目がつながっていかないといけない。

普通科改革・スクール・ミッション
これからの高等学校教育においては、地元の自治体や産業界、社会教育機関、地域のNPO法人などの多様な主体と協働体制を構築するとともに、他の学校や高等教育機関等の関係機関とも連携を図ることで、各学校をとりまく課題や状況に対応し、20年後・30年後の社会を見据えた学びを提供することが求められている。
https://chikouken.org/report/11114/

飛騨市学園構想:共通言語をもつ⇒意味を共有する
https://www.city.hida.gifu.jp/soshiki/30/20111.html

高校でも大学的な知見で探究に取り組むことも大切。

普通科改革・スクールミッション
高校が生徒に縁のある地域の多様な人々とともに、
・20~30年後、どんな社会になるのか
・地域をどうしていけばいいのか
・どんな次世代を育てていけばいいのか
・どのように役割を果たし合っていけばいいのか
を探究した上で、自校が社会の未来に果たすべき使命を明確化し、各校が使命の達成に必要な教育課程を柔軟に編成できるよう弾力化したほうがいいのでは?



to do から to beへ(コナトゥスへ)

小さな事例をどうつくるか?
⇒具体的な1人をつくっていくこと

マイプロがなぜあそこまでやれるのか?
⇒自らの在り方生き方と一体的で不可分の課題を見つけたから。
現場を見た人は、エピソードを介して文科省の言葉がわかる。

先生方が本音で探究しようと思っているか。

オンラインでも探究の伴走はできる。
⇒卒業生コミュニティを活かせないだろうか。

地域探究:「文系」な課題を「理系的」にアプローチする
⇒「仮説・検証・ふりかえり」は文系も理系も同じ
不確実性が高いだけ。
「仮説・検証・ふりかえり」のサイクルを楽しめるかどうか?

「やってみる」の分母を増やすこと。
⇒「やってみる」を素直にできるのは小学生まで。
⇒小学校からの取り組みが大切

~~~以上メモ。

そっか。
探究って、地域を舞台にしたシミュにレーション・ゲームなのだ、と。
もちろん、生の人間たちがやっているから、痛みも伴うし、感情も動くのだけど。

でも、それこそが学びなんじゃないの?って。

そして、地域の人達は、
そのゲームのサポーターじゃなくて、そのゲームのプレイヤー(登場人物)なんだよね。
たぶん、そういう感覚。

20年後30年後の地域の未来と新潟や日本の未来を考えて、
いま、このチームで何ができるか。
そんな探究テーマを見つけること。
大人や先生こそが探究をはじめること。

それを楽しむこと。
ワクワクすること。
仮説検証を繰り返すこと。
分母を増やしていくこと。

その先に。
未来を創る1つのプロジェクトが生まれていく。

たぶんそれ。  

Posted by ニシダタクジ at 07:15Comments(0)学び日記

2020年10月15日

ベクトルとして存在を許されるカフェという場


「カフェから時代は創られる」(飯田美樹 クルミド出版)

来週10月24日(土)に
オンライン劇場ツルハシブックスに登壇いただきます飯田美樹さん。
実は20年前に、開村当初のまきどき村に遊びに来たことがあり。
彼女はその後の大学院時代にカフェの研究をすることになる。

その博士論文が書籍化され、当時も読んでいたのだけど、
今年、クルミド出版から再販。問いの刺さるリリースとなった。
このタイミングで読めることはなんとも言えない感慨がある。
いろいろ話してみたい、聞いてみたいことはあるのだけど。

読み直していて、
ツルハシブックスってやっぱりカフェなんじゃないか?
って思った。

「中学生高校生のための入場料無料のカフェ。」
まあ、それは本屋であり、劇場であったわけだけど。
中学生高校生に「カフェ」的な空間を提供したかったのだろう。

本書のラストに、クルミドコーヒー影山さんが解説をしているのだけど、
その中に、こんな一節が。

カフェは、飲食店であるとともに一つの「場」でもある。場とは、「参加者相互に影響を与え合う空間」と定義できる。
カフェが場としてその参加者と絶妙な相互作用を起こしたとき、それはきわめて大きな力を持つという。
そこから人が育ち、文化が生まれ、時代が創られる舞台になることがあるという。
偉大な人がカフェに集うのではなく、そこにカフェがあることで、そこに集う人々が後の時代に名を残すことになるというのだ。

おおお。
まさにそれがカフェ的空間の魅力だなあと。
僕的に言えば、「劇場のような本屋」「本屋のような劇場」なのだけど。
そういう「場」ですね。

では、そうした「場」がカフェではどのように形成されるのか?を本書から。

~~~第4章「カフェという避難所」から引用

第一にカフェにある自由、それは居続けられる自由である。
第二に挙げられるのは、思想の自由であり、
第三に、時間的束縛からの自由、
最後に、振る舞いの自由が挙げられる。

カフェは必ずしもコーヒーを飲みに行く場所ではない。
カフェという場は他の公共的な施設と異なり、合目的性がほとんど追求されない不思議な空間なのである。

飲み物を頼むというのはカフェという空間に入るためのルールであって、必ずしもそれを目的に客はカフェに来ているわけではない。

劇場やレストランに行くにはかなりのお金もかかれば、それなりのドレスコードや振る舞い方も要求される。それに対してカフェでは安い値段で誰でも入れるどころか、社会的地位も要求されない。

カフェという空間内ではカフェの主人に入場料であるドリンク代を支払うことで、社会的身分がなくても一人の客という立場を手に入れることが可能である。

通常、社会の中では属性が重視され、「自分がどこに所属する誰か」がものをいう。ところが属すべき場を失い、いまだに到達しえない「何者か」になろうとしている者には、その属性が存在しない。

特定の個人が開催する夕食会やサロンとカフェが違うのは、カフェでは誰もあえて「社会的地位を無視しましょう」と言ってはおらず、客たち全員がカフェの飲食代を支払うというこのシステム自体が自然に平等性をつくっているということである。

カフェでは主人という場所の所有者兼管理者に客が平等にお金を払うことで、空間に参与している客たちの平等性が保証されている。つまり、主人のもとで客は平等になるわけである。

~~~ここまで引用

まだまだ、時間的束縛からの自由とか振る舞いの自由とかに言及されていくわけですけど、今日はここまで。

僕は、「フラットな関係性をつくるコミュニケーションのデザイン」を志向し、

まきどき村という畑をやり、ツルハシブックスという本屋空間をやり。
場づくり(ワークショップ含む)を行ったりしてきて、

今年はオンライン上にも「場」をつくれるのではないか?と直感し、
取材型インターン「ひきだし」の完全オンラインでの実施や
にいがたイナカレッジの「イナカレッジ・ラボ」のオンライン化、
月1回の「オンライン劇場ツルハシブックス」をやっている。

本書を読んで、
ああ、それって「カフェ」をやりたかったのかもしれない、と思った。
しかもそれは、本書に登場する画家の藤田嗣治がかつてそうだったように
「何者でもない誰か」として、存在を許されるような場としてのカフェだ。

「何者でもない誰か」を言い換えれば、
名も無き「ベクトル」だけがそこにある状態としての人だろうか。
スピノザ的に言えば「コナトゥス」(自分らしくあろうとする力)だろうか。

実は、カフェ(的空間)の居心地の良さというのは、
「ベクトル多様性」を感じられるから、なのかもしれない。

東京で朝活をしようと、恵比寿駅にほど近いスタバに入ったら、
全員が一人残らず集中して勉強していて、
スマホをいじったり友達と談笑してる人はひとりもおらず、
私語さえ許されない状況に耐えられずに30分で脱出して
別のカフェに入ったことがある。

あのスタバには、「ベクトル多様性」が存在しなかったのだ。

「何者でもない自分」への不安。
朝井リョウの小説じゃないけど、10代や大学生の多くが持っているだろう不安。
いや、40代になってもあるけども。(笑)

その不安を否定しなくてもいいってことだ。
何者かになろうとしているベクトルとしての自分を楽しむことだ。

そのためには、ベクトルとしての存在を許される「場」が必要なのかもしれない。
飯田さんや影山さんによれば、それは「カフェ」として表現されているのだと。

僕がツルハシブックスをカフェだと思ったのは、
中学生高校生、大学生がベクトルとして存在できる場をつくりたかったからかもしれない。

そして、これから高校生やまちの人達と共に創る場も、
きっとそういうカフェ的な空間なのだろうとイメージ出来た、すてきな読書時間でした。  

Posted by ニシダタクジ at 06:21Comments(0)学び日記

2020年10月07日

なぜ、若者は「地域」を目指すのか?


「大学受験に強くなる教養講座」(横山雅彦 ちくまプリマー新書 2008年)

某大手古本屋さんで購入。
いい本あるなあ、ちくまプリマー新書。

ひとつ、謎が解けました。
いや、解けないけど。
謎にたどり着くドアのカギを手に入れた感じ。

なぜ、若者は「地域」を目指すのか?
「地域で」学ぶのか、「地域を」学ぶのか?
そんな問いに、一筋の光を射してくれる1冊です。
紹介するのは、冒頭と最後のところにします。

~~~ここから引用

英語と小論文、現代文の垣根はどんどんなくなっている。

フリッチョフ・カプラ「ターニングポイント」
reductionistic(還元主義的)=scientific(科学的)=rational(合理的)=analytic(分析的)=linear(線形)
還元主義の定義。「何かを知るということは、その物質的構成を知るということだ」

「抽象」と「捨象」は表裏一体です。事実、英語ではともにabstractionと言います。
「例外のない法則はない」と言うように、抽象するためには捨象しなければならず、捨象しなければ、抽象することはできません。

デカルトは、「科学」を抽象するために、仏教が「縁」と呼ぶ不可思議な現象、予測不能な事態を捨象したのです。これこそが、近代科学の出発点です。そして以後、そうした「非決定性」や「不確実性」は、「非科学」として括られていくことになります。

カプラによれば、西洋近代社会は、一貫して陽的(男性的、積極的、競合的、合理的、科学的、断片的)側面を好み、強調してきた。そして、陰的(女性的、反応的、協力的、直観的、神秘的、全体的)側面を排除し、軽視してきたことが、さまざまな危機を招いていると。

「陽」が「因果」、「陰」が「縁」
「因」と「果」をつなぐものとしての「縁」

陰陽思想では、あらゆるものが、陰と陽の動的なバランスの上に成り立っています。
不可知にとどまること。

「縁」の世界は、近代文明が少なくとも300年以上のあいだ、置き去りにしてきた世界です。

~~~ここまで第1章から引用

いいですねえ。
近代とは、科学とは、問い直されます。

そして、
さっき読み終わった第6章から。

~~~ここから引用

「discipline 学問分野」とは何か?

ディシプリンの違いは、その立脚点の違いにあります。一人の人間存在(being)には、様々な様態(mode)があります。他の動物と共通する様態もあれば、人間だけにしかない様態もあります。

およそ人間だけに備わった特殊な様態を扱うのが文系(人文・社会科学)、他の動物や自然にも共通する様態を扱うのが理系(自然科学)と言っていいと思います。

もともと古代ギリシャには「フィロソフィア」しかありませんでした。「哲学」です。古代ギリシャの哲学者たちは、一人で人間に関わるすべてのことを考えたのです。

「言葉」について考え、「貨幣」について考えた。言語学であり、経済学です。「自由」について考え、「死」について考えた。政治学であり、宗教学です。あるいは、「火の性質」、「水の性質」について考えました。これは自然科学です。

とはいえ、哲学者の個人的性質は、めいめいに異なります。人間存在のどの様態に一番強い関心があるかは、哲学者によって違う。そこで徐々に哲学からディシプリンが自立していくわけです。しかし、立脚点の違いはあっても、みな「人間とは何か」という根源的な問いに貫かれていました。

どのディシプリンにも、常にディシプリンに先立つ哲学的な問いがありました。人間存在やこの世界全体に向けられた広い関心です。

educationという言葉には、二つの意味があります。ひとつは、technical education(専門的知識)です。ディシプリンのことです。そしてもう一つがliberal educationです。すべてのディシプリンの根底にある広く深い「知恵」であり、「教養」です。これこそが、「リベラルアーツ」にほかなりません。

「価値相対主義:すべての価値は等価である。価値観に優劣はなく、それぞれに尊重すべきものだ」
たしかに、価値相対主義があって初めて言論の自由や思想の自由が保障されることになるね。
それって、「対話」を無くしていくことになるけどね。
価値絶対主義がいいわけではもちろんないけども。

「学際」さえも1つの専門分野(ディシプリン)になってしまうのか。

自分の全存在をあげての学問、「これじゃなければ自分じゃない」という学問をすること。そうすれば、放っておいてもリベラルアーツに向かっていくはずです。

経済学者が、たとえばアメリカ経済を研究しているとして、その人が心の底からアメリカ経済を理解したいと思うなら、経済学という狭いディシプリンにとどまっていることはできなくなるはずです。アメリカという存在は、単に経済的な存在だけではないからです。肩肘張って、「学際研究」などと構えなくてもいいのです。

既存のディシプリンに身を置いていていい。「実存的な学問」をすることです。研究対象に自分の全存在をあげての関心を持つこと。そうすればひとりでに学際研究になっていくはずです。つまり、「ひとり学際」です。それこを、僕たちが目指すべきものだと思います。

~~~ここまで第6章より引用

いやあ、いい本。
「まなびの最前線」だわ、これは。
書かれたの2008年だけれども。

なぜ、若者は「地域」を目指すのか?
「地域で」学ぶのか「地域を」学ぶのか?

それは、本来の意味で「学びたいから」なのではないか。
という仮説が生まれた。

「地域」っていうのは、

「歴史」であり、「社会(コミュニティ)」であり、
「農業」や「産業」であり、「教育」でもあり、
「コミュニケーション」であり、「政治」であり、、、

プロジェクトを遂行するためには、学際的(ジャンル横断的に)アプローチせざるを得ない。

高校生たちはそこにまなびの本質を見ているのではないか。
だから、学びのフィールドとして「地域」を目指すのではないか。
「ひとり学際」こそが「まなび」だと思っているんじゃないのか。

さらに言えば、その「ひとり学際」にそ、
アイデンティティ不安を乗り越えるカギがあるのではないか。

横山さんは言う。
「自分の全存在をあげての学問、「これじゃなければ自分じゃない」という学問をすること。そうすれば、放っておいてもリベラルアーツに向かっていくはずです。」

それって、文科省が「総合的探究の時間」の指導要領で言う、「自己の在り方生き方と一体的で不可分な課題」なのではないか。
それを探しに、ヒントを見つけに、「地域」に入り、仮説、実験、結果、検証を繰り返すのではないか。

いわゆる「キャリア教育」は、アイデンティティ(自分らしさ)は職業によって形成・実現されるという誤解を生み、
英語などのスキルを磨けば磨くほど、交換可能になるというダブルバインドの中に若者は生きている。

そんな状況の中、ますますアイデンティティ不安に陥っているように見える。

アイデンティティはどこにあるのか?
どうすれば安心できるのか?

もしかすると「地域」を目指す若者たちは、「自己の在り方生き方と一体的で不可分の課題」
の中にこそ、アイデンティティがあるのだと直感しているのかもしれない。
そしてそれを見つけるには。「地域」の中で学際的に学ぶことだと。

僕はそれを、
最初から「自己」という単位で動くのではなく、
「自己」と「場」(同級生や地域の環境や大人含む)の動的平衡な主体によるプロジェクトによって、
いくつかの仮説を実験・検証を繰り返す中で、

たどりつく「問い」こそが、アイデンティティを形成してくれるのではないかという仮説に至る、今日の読書日記でした。  

Posted by ニシダタクジ at 07:41Comments(0)学び日記

2020年10月04日

「好き」をベースに差異を理解し、チームのWHYをチューニングする。


「モチベーション革命」(尾原和啓 幻冬舎)
朝読書でスイスイ読みました。

面白い!
というか、高校生にも通じるところあるなあと。

「はじめに」のところにいきなり書いてある、
「ポジティブ心理学」の話が非常に本質的で。

ポジティブ心理学についてはTEDから。
https://www.ted.com/talks/martin_seligman_the_new_era_of_positive_psychology

文字はこれがいいかな
https://life-and-mind.com/positive-psychology-9816

尾原さんによれば、
5つの要素を端的に
「達成(アチーブメント)」
「快楽(ポジティブエモーション」
「意味合い(ミーニング)」
「良好な人間関係(リレーションシップ)」
「没頭(エンゲージメント)」
と表現していて、(ポジティブエモーションが「快楽」でいいのか、とは思いますが、快感とかそういうことですね)

団塊世代に代表されるかつての世代は、
「達成」と「快楽」を原動力として動いてきた。

しかし、いまの生まれた時から
「ないもの」がない、尾原さん(編集者の箕輪さん)の言う
「乾けない世代」は、うしろの3つ、
つまり「意味合い」「良好な人間関係」「没頭」を重視するのだと。

ああ、なんか、そうかもしれませんね。
会社の中の若者世代とオジサン世代のギャップってそこにあるのかもしれませんね。

「自分が頑張る意味が持てるもの」に「自分の好きな人たち」と
「とことんハマる」ことを重要視する。金銭や物理的報酬とは関係なく、自分の好きを追求する。

いやあ、ほんとそうだなあと。
というわけでいつもの読書メモ。

~~~ここからメモ

団塊の世代が幸福だったのは、何かを達成することが同時に社会貢献につながっていたからです。

「乾けない世代」は、何かを「達成」することにそれほど心を動かされません。なぜなら、「何もなかった時代」を知らないからです。

「世界一」や「21世紀を代表する」という「達成する大きさ」ではなく、「何を」「何のために」やるのか?を語らないと心が動かされない。

上の世代では、別にやりたいことなんてなくても、与えられたことをこなして、人よりよい結果を出せれば、それで十分成功できました。大きな目標は誰かが掲げてくれたので、必死に「達成」を追い求めれば幸せでした。

偏愛こそが人間の価値になる

ビジネスにおける優先事項が「決められたことをひたすらやる」ことから、「消費者の潜在的な欲求を発見し、提案する」へ変化したからです。
これが「働き方改革」や「ワークライフバランス」の本質なんだよなあ。休みの日に「インサイト」を探してますか?っていう。

1年中会社勤めをするのではなく、まずは自分が生活者として生きることで、世の中の潜在的なニーズを拾ってきなさいという意図が込められているのです。

時間をかけて課題を解決することよりも、課題自体を発見したり、新しく課題を定義したりすることに投資するべき時代なのです。

ワークがライフを内包し、またライフがワークを内包しているような働き方が可能なのではないか。

自分にとって、得意で好きで楽にできることで、他人(相手)にとって「有ることが難しいこと」を探し当て続けるか。
これ、キャリア教育の最初に教えた方がいいことだよ。

人工知能にも代替不可能なもの、それは「嗜好性」です。簡単に言えば、「私は誰になんと言われても、これが好きだ」という偏愛です。
だって、嗜好性とは、「非効率」の塊だから。これ、めちゃその通りだなあ。「釣り」とか合理的に考えたらやれないもんね。

価値とは、差異×理解

変化のスピードには「信頼」でしか追いつけない。

~~~ここまでメモ

ラストには、「ikigai」の図が紹介されてました。
https://note.com/gorolib/n/nc44358a800af

「やりたいこと」「できること」「役に立つこと」の3つの円は
よく使われますけどね。ここは4つの円なのか。

この場合、「天職」とは、稼げることと必要とされていることの真ん中になります。
まあ、確かに、職業で言えばそうですね。
この図は「天職」をも内包する「ikigai」について考えさせられます。

これ、見ていて。

「個人」と「場」を意識し、それらを行き来しながら、
4つの円を重ね合わせていく作業のことを
「組織で働く」というのかもしれないなあと。
この本で言えば組織全体のWHYと個人のWHYを合わせていくっていうこととか。

場のチカラの出番のような気がするんですよね。

あと、一番思ったのは、ビジネスの世界ではだいぶ昔に、「達成」から「(課題)発見」に価値がシフトしているのだなあと。
中学生高校生はいまだに「達成」ばかり訓練されてて大丈夫なのか、と。

~~~
人工知能にも代替不可能なもの、それは「嗜好性」です。簡単に言えば、「私は誰になんと言われても、これが好きだ」という偏愛です。
だって、嗜好性とは、「非効率」の塊だから。
~~~

ここもまさに!とぃう感じ。
非効率な説明不能なもの。それが偏愛だから、それを伸ばしていくこと。

それ、やってみようかなと。
「好き」をベースに差異を楽しむ対話をして、
相手(他者)との差異の中から発見を促す場をつくる。
それを、最初にやってみること。

チームメイトの差異を理解し、プロジェクトに活かすこと。
ひとりひとりのWHYとチームのWHYをチューニングすること。

そんな風にプロジェクトをつくっていく練習ができたら楽しいだろうなあと。  

Posted by ニシダタクジ at 08:27Comments(0)学び