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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2015年08月31日

人間であるということは環境を変えられるということ

帰りは上田まで長野チームの車に同乗。
公開審査の振り返り。
長期インターンの価値について、
チーム上田の松浦さん、吉澤さんと
改めて話をする機会。
あの車の中も熱かった。

今回のプロジェクトは、
ヒアリング調査や顧客との対話の機会など
「足で稼ぐ」プロジェクトが多かった。

僕自身は
地域や企業に入る大学生の価値として
もっとも大きいのが「行動力」と「イノセンス」(いい意味での無知)
だと思っているので、素晴らしいプロジェクトばかりだと思った。

そしてその「足で稼ぐ」プロセスの中で、
フィットネスガレージななおの富樫さんは
「60代以上の女性は、季節の草花の話をするのが好き」
ということに気づき、
ウォーキングのコースをそれらが多く見えるコースに変えた。

東郷堂の前川さんは、
子育てママさんたちの話を聞いていたら、
自分たちが取材しに行って、
ペーパーを作るほうがいいものができる、と思い、
ママ記者のアイデアにたどりついた。

こういう事例を目の前にして、社員が、そして企業が変わっていく。
そこにインターンの価値があるのではないか、と。

そして、
大学生が何より体感するべきは、
「環境は、変えられる」ということではないか?
と松浦さんは言う。

社会に出て行ったとき、
厳しい環境に自分が置かれることがある。

そのときに、
環境のせいにして、モチベーションを下げるのではなく、
かといって、環境に適応しすぎてと自分と未来を失ってしまうのでもなく、

適応しながらも、「環境は変えられる」と思って、
富樫くんの言葉を借りれば、
「自分にできることはなんだろう?」とひたすら問いかけ、
それを実践していくこと。

気がつくと環境が変わっている。
そんな体感がインターンシップで得られることが大切だと。

農家民宿こずえの事例もそう。
もう、この集落に未来はない、「こんな田舎に帰ってこなくていい」
と子どもたちに言っていた周りの人たちが、
ひとり、またひとりと動き出すようになること。

「環境は変えられる」
という体感。

これを大学時代に持っているかどうか。
これはその後の人生に大きく左右すると思った。

「環境は変えられる」
それは、人間が人間である理由だと、
この春の茨城大学の公開講座で学んだ。

生物は、環境に適応したものだけが生き残ってきた。
しかし、人間は自分たちが生き延びるために、
自分ではなく環境のほうを変えようとした唯一の生物である。

環境は変えられる。
その実感を持って社会に出ていくこと。
これはとても大切なことだと思った。



そしてまたここから公開審査についての振り返りを少しする。

公開審査はなんのためにやるのか?
審査員審査と何が違うのか?
ここから出発しなければならないだろうと思う。

・プレゼンターおよびコーディネーターの学び・気づきを深めるため。
・参加者(審査への参加者)の当事者性を高めるため。
・コンテンツとして「北信越ブロック予選」の魅力(エンターテイメント性)を高めるため。
以上のようになるのかなと思う。

今回のプログラムの反省でいえば、
各プロジェクトの多面的な魅力・価値が
十分に引き出されなかったこと。

審査基準の提示があいまい過ぎたので、
参加者の当事者性が十分に高まらなかったこと。

質疑応答というか、コーディネーター談義の方向感が定まらなかったことと
グループワークが少なく、参加者同士の対話の場が不十分だったことで
エンターテイメント性に欠けたこと。

以上のような反省を踏まえて、
改善プログラム案を作成してみる。

プロジェクトサマリー(要約)の配布から
評価ポイントについてグループワークで議論する。
ただそれがすべての評価ポイントではないことを示す。

プレゼンテーションを聞く。
投票する。
グループで感想・質問をシェアする。

休憩後にポスターセッションで別れる。
2タームくらいポスターセッションを行い、
多面的にプロジェクトの価値や今後の展開を考える。

ポスターセッション参加者による応援プレゼンを行う。
2回目の投票をする。

結果が出る。
全体で視点をシェアする。
感想シェア

このような流れでやったらどうだろうか?

もっとも違うのは、ポスターセッション。
そのときに参加者はそれぞれの視点で
質問し、そのプロジェクトの価値を語る。
それによって、プレゼンターやコーディネーターの学びが深まる。

結果。
参加者の当事者性も高まり、
公開審査というコンテンツ自体のエンターテイメント性も上がるのではないか。

内容の振り返りは以上。

そして、
今回やってみて一番感じたのは、
僕としてはやはり「コミュニケーション・デザイン」の視点
になってしまうのだけど、

「公開審査」をする最大の価値は、
若者のプロジェクトへの投票という
コミュニケーション・ツールを通して、
それぞれの価値観がぶつかり合う、ということ。

「あなたはどんな視点でこのプロジェクトを評価しますか?」
という問いは、
「地域づくり、まちづくりにとって大切なことはなんですか?」
と問われているのと同じだということ。

その問いに、答えはないだろう。
だからこそ、このような場で、実践者たちが、
価値とは何か?について真剣に向き合う場をつくるというのは、
実は最高の学びの機会になるのではないか。

学びという最強のエンターテイメントが
そこに生まれるのではないか。

いやあ、考えれば考えるほど、不完全燃焼です。
審査委員長の力量不足です。
もう一回やらせてください。

というか、
全国の舞台で、
「北信越ブロック予選」をもう一度やってもいいのではないか?
と本気で思っています。

5事例がすべて素晴らしい事例であり、
その価値を、多面的に考える機会は、
北信越の人ではなくても大きな学びがあると思うからです。
もう一度やらせてください。  

Posted by ニシダタクジ at 06:46Comments(0)日記

2015年08月30日

公開審査が生み出すもの




地域若者チャレンジ大賞2015
北信越ブロック予選でした。

今回は
地域づくり団体全国研修交流会石川大会
の中で実施。

全国から来られた主に自治体の方たちも
参加者に加わりました。

今回の北信越ブロック予選は
審査員室での審査員による審査ではなく、
会場のみんなで決めようという初の試み。
私は審査委員長と司会・進行を担当しました。

投票によって代表に選ばれたのは
長野・塩尻代表の三浦希枝さんの
酒井産業株式会社のプロジェクト。

木を使った森を感じる教育「木育」の普及
というところにスポットを当てたプレゼン。
保育士向けの木育講座など、
さまざまな仕組みを生み出していきました。

「自分の子どもは塩尻で育てたい」
という言葉も印象的でした。

「木育」というコンセプトで
仕事と同時に文化を生み出している、
そこに価値があると僕は感じました。

5プロジェクトの発表はとても刺激的で、
また感動的なものでありました。

価値とはなんだろうか?
という問いに正面から向き合ういい機会になりました。

七尾市のフィットネスクラブでインターンした富樫龍司さんのプロジェクト。
会員とのコミュニケーションをひたすら繰り返し、
自分には何ができるか?
と問い続ける姿勢に、胸を打たれました。

社員とのコミュニケーションもコツコツとやっていきました。
プロジェクトに反対する社員には、なぜ反対なのか?
と理由を聞きました。

そして会員さんとウォーキングを重ねて
気が付いたこと。
「60代以上の女性は季節の草花の話題で盛り上がる」
それからコースを草花がよく見えるコースに変えました。

観察し、ヒアリングし、実行する。
これからの仕事づくりにとても価値があるものになったかと思います。

志賀町の農家民宿こずえでインターンした
松山未来さん、斉藤真梨乃さんのプロジェクト。
プレゼン中に2度も泣いてしまいました。

ああ。
地域に学生が入るってきっとこういうことなんだなあと。
僕が実現したいプログラムはこれだなあと思いました。

高齢化が進んでいればいるほど、
若者が地域に溶け込むことで「承認」が得られます。

それは地域にとっても同じことで、
若者がヒアリングすることで、
地域のじいちゃんばあちゃんたちも
自分たちの存在を承認されます。
そこから「誇り」が始まっていくのだと思いました。

印象的だったのは、
受け入れ先の梢さんの
「よそ者、わか者、ばか者がまちづくりに必要だとしたら、
私がばか者になろう」と決意したところ。

周りのみんなの
「あそこのヨメが何かはじめよった」
という視線を超えて、よそ若者を受け入れ、
地域の人たちが少しずつ変わっていく体感。

そう。
地域はガラッと変わらない。
地域を構成する人たちの気持ちがだんだんと変わっていく。

プレゼンターの二人はそれを
「兆し」を表現していた。
「兆し」、素敵な言葉だと思った。

すべては兆しから始まる。
それは希望と呼べるほど、確信を持てるものではなく、
ちょっとした地域の人ひとりひとりの小さな変化。

すべては「兆し」から始まっていくのだろうなと思った。
そういう意味で、過疎地域に大学生が入るというのは、
双方にとって大きな価値があると実感したプロジェクトだった。

次に、前川有香さんの上田の新聞屋さん東郷堂のプロジェクト。
「新しいメディアをつくる」というお題を与えられ、
前川さんがひたすらヒアリング調査に行く。
300件を超えるヒアリング。
まさにインターン生こそができるプロジェクトだった。

インターン生の最大の価値を考えた。
それは「対話の機会の提供」なのではないだろうか。

効率化された世の中には
「対話」の機会はほとんどない。
そこにあるのは伝達としての会話や
決定するための討論の場だ。

こうして前川さんは
ママ記者の取材による子育て世代向けの情報誌の発行
というところにたどり着く。
実は記者をしたいという人って意外に多くいるのだろうって思った。
そこに機会を提供し続けることで、情報誌としての魅力もアップする。

僕はここに、
ビジネスの本質を見た気がした。

売り上げというのは、
もちろんモノを売ることによってできるのだけど、
その中身(動機づけ)は信頼なのだろうなあと思った。

とくに地方都市では、
信頼しているところから買いたいという人が多いだろう。
信頼というのが大袈裟だとしたら、
好きなところから買いたいと言い換えてもいいだろう。

自分の「好き」を表現するために、
その店で買いたい。
その商品を買いたい。

そのために、インターン生のヒアリングが
大きく影響するのだろうと思った。

話を聞いてもらう。
コミュニケーションの機会が増える。
七尾のフィットネスクラブの富樫くんのもそうだけど、
ヒアリングすることで、「信頼」が増していくのではないか?と感じた。

最後に、又木実信さんの取り組んだ「Nプロジェクト」。
これはインターンではないのだけど、
能登の休耕田を再び農地化してお米を作り、
地元の酒蔵と一緒に若者向けの日本酒をつくるというもの。

特に広報活動に学生がやったことが
大きく影響した。

これは学生自身がつなぎ手
となって地域の人たち、酒蔵の人たちをつないでいるなあと思った。

「学生」というバリューを活かして、
世の中の課題を解決する、という意味では、
非常に魅力的で新しいプロジェクトだったと思う。

このようなプロジェクトは、
日本酒に限らず、多くの商品でできるだろうと思った。

同時に、現在、大学等で行われている、
単なる商品開発にとどまる企業と大学のコラボレーション
に足りないものを実感させられた。

「商品開発」がゴールになっているプロジェクトは浅い。

地域の課題解決
地域の仕事づくり

そういったものを含めて、
大学生が自らの価値を生かせるプロジェクトを
生んでいくことが必要だなあと強く感じた。

非常に先駆的取り組みであり、
他地域のモデルとなりうるものだと感じた。

このように5プロジェクトすべてが
素晴らしいプレゼンであり、
感動しっぱなしであった。

反省すべきは自分たち運営側だった。

今回、公開審査という新しい取り組みにチャレンジして、大きな学びがあったし、
実際にこういう審査会自体をコンテンツ化して、
一般参加者ともプロジェクトの価値を語り合うという時間は
たいへん貴重な機会となった。

以下、自分の中での公開審査の振り返りをメモする。

~~~ここから公開審査ふりかえり

参加者からのコメントにもあったが、
審査基準を示してほしいというもの。

これは確かにもっともである。
公開審査といっておきながら、審査基準が事前には明確ではなく、
今回のイベントでは徐々にそれが出来上がっていくという方法をとった。

それはひとつに、観客を審査員化すると、
それ以外の純粋な感動や気づきが損なわれるのではないかと思ったからだ。

しかし、イベント後の振り返りを通して、
審査基準について、いくつかのヒントは
もっていたほうがプレゼン中に学びが増えるということだった。

現在、考えている改善後プランは、

1 事前にプロジェクトの要約を全員分配布する。
(共通フォーマットをつくる)

2 若者、受け入れ先、地域、モデル性など基本的な評価ポイントを示し、
それ以外の評価の視点をグループワークによって議論する。
※この際に、評価ポイントは絶対的なものではなく、プレゼンを聞きながら進化や
新しいポイントが生まれてくることを強調する

3 プレゼンテーション

4 第1回投票

5 感想シェア
新たな評価ポイントについてもういちど議論する。

6 ポスターセッション
もっと聞きたいと思うプロジェクトの元に行って、
ポスターセッションで質疑応答を行う。

7 全体でシェア

8 投票

9 代表決定・講評

~~~ここまでメモ。

こんな感じにすることで、
参加者には単なる事例を学ぶことではなく、
そこに審査員という当事者で参加し、
評価ポイントを自分なりに検討するということは、
自分にとって「まちづくりにとって価値」をとらえなおす
ことになるなあと思いました。

何よりも、発表したプレゼンターにとって、
学びとフィードバックがあり、
成長につながっていくのではと思いました。

素晴らしい機会をいただきました。
ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 07:17Comments(0)日記

2015年08月29日

まわしよみ新聞という入会地(コモンズ)をつくる

入会地。
かつて日本の集落に存在した
共有財産としての山や草刈り場のこと。

そこから人々は
薪用の木や屋根葺き用の萱を調達した。
共有財産、共有地としての場所。
誰の土地でもなかった。

しかしそれは、
明治6年の地租改正によって失われる。
国有地か私有地に分けられることになる。


「まわしよみ新聞のすゝめ」(陸奥賢 まわしよみ新聞実行委員会)

またしてもステキな本に出会ってしまった。

まわしよみ新聞についてはこちらから
http://www.mawashiyomishinbun.info/

本の購入はこちらから
http://www.mawashiyomishinbun.info/archives/2672/

まわしよみ新聞。
一言で説明するのが難しいのだけど
新聞を持ち寄って、
気になる記事を参加者各自が切り取って、
プレゼンして、いちばん面白かったものを
トップ記事として編集しなおして新たな新聞をつくる取り組み。

まあ、それは置いておいて、
僕は、まわしよみ新聞に参加したことはないのだけど、
この本にはシビれた。

まわしよみ新聞はコモンズ(入会地)であるということ。
つまり共有の森であり、対話の森であるということ。

などなど、キーワードにあふれている。
僕がビビっと来たのは以下。

・メディアとソーシャルメディアのあいだ。
・僕らの新聞をつくることでコモンズが生まれる。
・新聞を視読聴のメディアにする。
・・新聞は紙のメディアであるがゆえに、回読性、可搬性、可変性に非常に優れているメディアである。
・男性性の会議ではなく女性性のまわしよみ新聞
・学びの場というより遊びの場でむしろスキルは上がっていく
・露天商の秘訣は視界に入らないこと
・まわしよみ新聞はメディア体験の場でありながらアート体験の場でもある。

などなど。
キーワード満載。

特に第4章の寄稿のところが面白い。
まわしよみ新聞を客観的にとらえての各人のコメントには
うなるばかりだ。

さて。
冒頭の入会地に話を戻す。

地租改正により、
入会地と呼ばれていた共有土地は
私有地と国有地に分けられた。

「もはや現代の日本に入会地は見当たらない。
土地やモノは誰かの所有物であり、
誰のものでもないような、誰のものでもあるような、曖昧な存在は許されない。」

この言葉に凝縮されているように思う。
効率化や管理のために「曖昧な存在」を無くしていった
明治期の日本の姿が見える。

ところが、インターネット空間には
入会地が広がっているのだという。

そんな共有地=コモンズを現代にデザインしていく取り組みとして
まわしよみ新聞がある。

いいなあ。
入会地。
たぶんそれは本屋さんでも同じことなのだろうと思う。
墨田のシェアハウスの思想もそうだなあと。

僕たちはいま、コモンズを必要としている。

その方法のひとつとして、
まわしよみ新聞やツルハシブックスやシェアハウスが
存在しているのだろうと思った1冊でした。  

Posted by ニシダタクジ at 07:09Comments(0)学び

2015年08月28日

本というキャッチボール



影山知明さん。
西国分寺のカフェ「クルミドコーヒー」のオーナー。


「ゆっくり、いそげ」(大和書房)の著者。

昨日は、HABの松井さんと影山さんの
本の流通についてのお話が国立本店でありました。

元出版卸の取次にいて、
本屋をやりながら、本をつくって流通させている
松井さんの話を聞いていると、
本屋も出版社も今すぐにつくりたくなる。
そして作れる気がしてくる。

影山さんからは今回著書を商業出版して、
いろいろと感じるところがあったようで、
「本をもっとていねいに作れないのか?」
「作れないとしたらなぜなのか?」
「本屋にはなぜ同じような本しかないのか?」

などなど、いろんなことを話していた。

ひとつ、印象に残ったことは、
本というキャッチボールについて。

本というのは、コミュニケーションの1つのツールであり、
キャッチボールのようなものだ。

ここで大切なのは、とりやすいボール(わかりやすい本)
を届けることだけに価値があるわけではないということ。

少し取りにくかったり、
受け止められないくらい大きなボールだったり、剛速球だったり。
そういうのもたまには投げていくということで
お互いのリテラシーが上がっていくのではないかと。

そうそう。
本を出版するとか、本を売るとかって
結局そういうコミュニケーション機会なのだから、
そこでキャッチボールを楽しんでいくということだと思う。

たまには問いが生まれるような、
難しいボールを投げてみること。
そこから開けていく世界があるよなあって。

そうやって継続してキャッチボールできる人と
著者と読者の関係があり、
お店とお客の関係があるのだろうなあと。

そんなキャッチボールを楽しんでいこうぜ。  

Posted by ニシダタクジ at 10:31Comments(0)言葉

2015年08月27日

「わかりやすいこと」に価値はどの程度あるか?

「やりたいことがわからない。」
これが一般的な大学生の最大の課題であると思う。

就職活動が始まるまでに、
いや、せめて大学卒業するまでに。


「自由はいかに可能か」(苫野一徳 NHKブックス)

この本に挑戦しないといけないタイミングな気がした。
(この前の夏休みに長岡駅で購入したが読み進められていない)
冒頭、「自由であることの苦しみ」について記述されている。

~~~ここから一部引用

現代ドイツの哲学者アクセル・ホネットは
著作「自由であることの苦しみ」の中で、
19世紀の哲学者W・F・ヘーゲルが
すでにこの問題を先取りしていたと言及している。

わたしたちが政治的「自由」や
生き方の「自由」を得たとしても、
まさにそのためにこそ、
わたしたちは「無規定性の苦しみ」の中に
投げ込まれてしまうことになる。

それはまさに
「どのように生きればいいのかわからない」
という苦しみだ。

「自由」と言われながらも
実際は「自由競争社会」であるから、
「やりたいこと」がわかったとしても
それが現実に叶うかどうかはわからない

思想家は
自由ではなく、「他者に対する責任」こそが重要であると言ったりしてきたが
むしろそれは自由の一条件に過ぎないと苫野さんは言う。

序章では、
「自由であることの苦しみ」から逃れるために、
私たちが足を踏み入れてしまう道を3つ提示している。

1つめが「奴隷化」の道である。
あまりに厳しい自由競争社会から逃れるために、
自由を自ら放棄し、誰かの支配を求めるということである。
自由に仕事をすればいいなどと言われるよりも
決まりきった仕事を命じられるままに続けていたほうがよっぽど生きやすい、と。

2つめが「動物化」の道である。
そのつど短期的な欲求を満たしていくものを選び取り、
瞬間的にそのつどの欲求を満足させていく。
ゲームをしたり、ネットで何かしたり、
いまの世の中では過去に比べれば圧倒的に「動物化」が容易になった時代を生きている。

3つめが「新たな大義」の道である。
「他者」や「正義」といったようなものである。
フランスの思想家であるレヴィナスは、自由の上に他者を置く。
他者を尊重することが自らの自由よりも大切である、という主張である。

これらに対して、
苫野さんは、自由は、動物化や他者といった概念の中に位置づけられるのではなく、
それらこそが「自由」の一条件であると言う。

なるほど。
と序章まではこんな感じ。

~~~ここまで一部引用

なるほど。
いいね。
頑張って読もう。

冒頭の「やりたいことがわからない」問題も
根本的原因はおそらくはここ、「自由であることの苦しみ」の中にある。

そして、もうひとつは、
「わかりやすさ」の問題ではないだろうか。
その最大の要因はテレビと学校教育にあると思った。

テレビで重要視されるのは、
「わかりやすいこと」である。
映像を交えて、きっちり編集された動画を
短時間にまとめてみることができる。

これがテレビの価値である。

しかし。
その「わかりやすいこと」は同時に、
思考停止を生んでしまう。

端的に言えば、
テレビCMを見るとその商品がほしくなるのは、
「考えずに買え」と言われているようなものだ。

このテレビの持つ「わかりやすさ」至上主義と
目標設定・達成型のキャリア教育が
「やりたいことがわからない」という病を引き起こしているのではないかと思う。

テレビで放映されるのは、
目標設定⇒困難(挫折)⇒目標達成
というパターンが圧倒的に多い。
「わかりやすい」からだ。

夢を持って、困難に負けずに努力し、
いろんな仲間の支えがあって、最後には目標達成する。
うーん。感動。

きっとそういうストーリーを見せられ続けると、
自分も何か目標を持ってそこに向かっていかなくてはならない。
しかも他者からもわかりやすく説明しなければならない。

そういう思考になってしまうとしても無理はない。

ところがいざ実際に自分の将来を描いてみようとすると、
そこは霧の中で、ゴールが見えない。

でも先生や親は
「将来何になりたいのか?」と執拗に聞いてくる。

「学校の先生になる。子どものころに出会った先生に影響されたから」
「販売員になる。人と話をするのが好きだから。」
「公務員になる。地域の人の役に立ちたいから。」
「パティシエになる。お菓子作りが好きだから。」

いいね。
わかりやすい。
しかもなんか、将来が少し見える。
学校の先生も納得。

この目標設定がはっきりしている、わかりやすい。
というところにあまりにも価値を置きすぎなのではないか、と僕は思う。

目標があることを否定はしない。
とてもいいことであると思う。
生きるモチベーションも湧いてくるし、
困難に打ち勝つ力も出てくる。

しかし。
それが全てではない。

なぜなら。
10年後の世の中は誰にも予想がつかないからだ。

何より、
周りを見て「素敵だなあ」と自分が思う大人は、
20歳で人生の目標を定めてはいないからだ。

だから、現在、自分が「やりたいことがわからない」
状態だったとしても、まったく問題はない。

むしろ昨日のブログに書いたように、
オープンマインドでコーリングに耳を傾けるほうが
よっぽど大切である。

それを「わかりやすい」こと、
あるいは学校で言えば「管理しやすい」ことのために、
自分が不安に思うことは決してないと思う。

「自由であることの苦しさ」を受け止めて、
オープンマインドで、小さなチャンスをつかもう。  

Posted by ニシダタクジ at 07:33Comments(0)日記

2015年08月26日

就活システムではこれから生まれていく仕事にアクセスできない。


「仕事の作法」(内田樹 名越康文 橋口いくよ 角川書店)

久しぶりに内田節を聞きたくなって、ブックオフにて購入。
仕事についての雑誌連載をまとめたもの。

こちらからいきなり内田さんのコメントを引用

~~~

社会が変わると必ず新しい仕事が発生する。
いつの時代にもこれまで誰も従事したことがない
仕事が出現してくるはずなんだよ。

そういう新しい仕事を
今のリクルートシステムでは拾えない。
だから、仕事はあるけれど、人が来ないという状態になっている。

今まで誰もやったことがない仕事なんだけど、
誰かやってくれる人いない?
ってアナウンスが流れているんだけど、
パターン通りの就活をしている人たちには、
そのアナウンスメントが聞こえない。

就活している人たちは、
過去の求人情報をベースにして、
それが継続していくという前提で活動しているけれど、

社会ってどんどん変わっていくわけで、
一番面白い仕事って、変わってゆく社会状況の中で、
生まれたばかりの仕事なんだよ。

でもそれは新しい仕事だから
就活的なネットワークに登録されていない。

僕はそれを「コーリング」って呼んでいるの。
就職課の掲示板には出てない。
だから、今の就活システムにはまり込んでいる限り、
本当に新しい仕事、最先端の仕事には構造的にアクセスできない。

~~~ここまで引用

いいですね。
「構造的に」っていつもの内田節が炸裂してる。

そして続けて言います。

▽▽▽ここからさらに引用

自分が何をしたいかわかんないなら、「何か仕事ないかな」って
センサーの感度を上げて待っていればいい。
そういう仕事を探してぼおっとしている人間にだけ
コーリングが聞こえる。

「おまえ暇なんだろ」って。
そういうところからイノベーションが始まる。
オープンマインドでいることが
仕事と出会うためには一番大切なことなんじゃないかな。

△△△ここまで引用

このあとさらに新卒一括採用の弊害として、
多数の会社をおちることによる
自己評価の低下を挙げていた。
それによってひどい雇用条件でも黙って働く人を生んでいると。

まあ、それはともかくとして、
この引用したところは、非常に面白い話です。
こういうふうに「構造的」に見るって好きだなあ。

天職は英語にすると「コーリング(calling)」
つまり、「呼ばれること」だそうだ。
そのコーリングを察知できるかどうか。
それだけオープンマインドを持っているかどうか。

変わりつつある社会の中で、

それでも現在では、テクノロジーと高い感性の持ち主のおかげで、
日本仕事百貨とか、ETIC.のDriveとか、
そういう仕事にもアクセスできる機会も出てきている。

「日本仕事百貨」
http://shigoto100.com/

「Drive」(by ETIC.)
http://www.etic.or.jp/drive/

大切なのは、
オープンマインドと
面白い!を感知する感性。
きっとそれが天職につながっていくのだと思う。

天職とは、仕事の種類ではなく、
「これが私の天職だ」と思える瞬間のことだと僕は思う。

そういう意味では、
コメタクの3人はそれを持っているのではないかなあ。

「Drive」ブログより「お米を炊くことで暮らしの豊かさを伝えたい」
http://www.etic.or.jp/drive/labo/6281  

Posted by ニシダタクジ at 05:42Comments(0)

2015年08月25日

健全なる負債感が行動を起こさせる

「ゆっくり、いそげ」(影山知明 大和書房)
は数多くの示唆を与えてくれた。

「健全なる負債感」

きっとこれがキーワードになっていく。
あまりにも世の中が消費社会になってしまった。

田舎の煩わしい人間関係を
脱し、都会に出てきた人たちにとって、
それは当然の帰結だったのかもしれない。

影山さんはこの本の中で、
田舎を「共生しているが不自由な」場所だったと言い。
自由を求めて都会に旅立っていった。

そのとき。
「共生」を失いたくはなかった。

ところが実際は、企業体が機能していたころは、
「拡大家族」とも呼ぶべき関係性が企業の中であったが
次第にそれは失われ、気がつくと一人ひとりは孤立していた。
つまり「自由であるが孤立している」状態である。
本来は自由でかつ共生している状態を望んでいたはずだ。

「孤立」は、人々を「消費者化」した。
お金という言語でいろいろなものをやりとりするようになった。
1回だけの関係で精算するようになった。

内田樹さんが「下流志向」の中で、
子どもが学ばなくなったのは、「消費者化」したからだ
と言っていたがそこには非常に共感する。

「なんのために勉強するのか?」という問いは、
僕が差し出す苦痛(45分間椅子に黙って座っていること)
と得られる幸せ(経済的メリット)は等価なのか?
というところから発せられている。

そう。
そうやって、子どもの時から「消費者化」してしまっているのだ。
最小の努力で最大の価値を得る。
これが消費者としてもっとも賢い振る舞いであるから。

これを繰り返していると、
結果、行動しないほうがトクになる。
その都度、行動を精算するのはすごく大変なことだからだ。

きっとそうやって行動しない人は
完成していくのかもしれないな。

それを打破していくのは、
田舎のチカラなのではないかと僕は考える。
共生の中にあった「健全なる負債感」

まきどき村がある福井集落に存在しているのは、
まさにそれ。
子どもたちに「健全なる負債感」が(おそらく無意識に)ある。

祭りになれば、若い衆が体を動かし、
年寄りはただ酒を飲んでいる。
しかしそれは、かつて若いときに村に貸した借りがあるからだ。

しかし年寄も、
地域の子どものために魚を放流して、
つかみどりを企画したりしている。

それはきっと村に借りがあるからだ。
育ててもらった自然に借りがあるからだ。

きっと地域社会はそういう健全なる負債感で成り立っている。

まきどき村に行って、地域の人から無償の愛を受け、
何か元気になって帰ってくるのは、
きっとそこにある「健全なる負債感」なのだろうと思った。

人生で初めて味わう負債感なのかもしれない。

「行動できない」と思っている大学生は、
もしかしたらそういうプログラムを
必要としているのかもしれない。

「健全なる負債感」
素敵なキーワードをいただきました。  

Posted by ニシダタクジ at 05:55Comments(0)日記

2015年08月24日

健全な負債感を持つという豊かさ

今年1番の衝撃。
この圧倒的敗北感は、駒崎さんの「社会を変えるを仕事にする」以来かな。


「ゆっくりいそげ~カフェからはじめる人を手段化しない経済」(影山知明 大和書房)

西国分寺にあるカフェ「クルミドコーヒー」
コーヒー1杯650円。
オープン7年。
多くの人の支持を集めるこのお店の秘密に迫る。

読むほどに、うならずにはいられない。
まあ、僕の場合は読みながらつぶやくのだけど。

この言語化はすごいなあといたるところに感じた。
「豊かさとは何か?」という問いを持っている人には
非常に示唆に富んだ1冊です。

この本を買うなら、絶対にツルハシブックスです。
9月19日(土)に10冊用意してツルハシで待っていようかなと。
10冊じゃ足りないかな?
読みたい人、ご予約ください。

今日は少しだけ紹介。

~~~ここから一部引用

クルミドコーヒーには、ポイントカードがない。
それはひとこと言うなら、
お店に来てくださる方の「消費者的な人格」を
刺激したくないと考えたからだ。

「消費者的人格」とは、
「できるだけ少ないコストで、できるだけ多くのものを手に入れようとする」人格
つまりは「おトクな買い物」を求める人間の性向だ。

しかしそもそも
クルミドコーヒーの出店の理由は
「まちのお座敷をつくりたい」という思いだ。
お店に来る人が来た時よりもいい表情になってお店から出ていく。
そんなことを続けていきたいという思い。

そのためにはまず「ギブ」をすることだと影山さんは言う。
クルミドコーヒーでいえば、「クルミおはぎ」を
作るために、スタッフがひたすらにクルミを剥いていく。
この作業がハンパなく大変なのだという。

そんなクルミおはぎをお客さんが食べる。
人は、いい「贈り物」を受け取ったとき、
「ああ、いいものを受け取っちゃったな。
もらったもの以上のもので何かお返ししたいな」と
考える人格をも秘めている(と思う)

これを前述の「消費者的な人格」に対して
「受贈者(贈り物を受け取った人)的な人格」
と呼ぶことにする。

このクルミおはぎを食べた人が
「ああ、いいものを受け取っちゃったな」と
感じてもらえたら、レジで支払うとき、
「ああ、1000円なんて価値じゃないな。もっと払ってもいいな。」
とすら感じてもらえるかもしれない。

僕が新潟のラーメン「いっとうや」で感じていた感覚だ(笑)

そうするとそのお客さんの「受贈者的な人格」が喚起され、
またそのお店に来てくれたり、あるいは周りに
「いいお店があってね」と紹介してくれるかもしれない。

そして注目すべきはココの文だ。


もしくはお店に返ってこなかったとしても、
その「受け取った」ことによる「健全な負債感」は、
その人をして帰り道に路上のゴミを拾わせるかもしれないし、
電車ではおばあさんに席を譲る気持ちにさせるかもしれない。
つまり、「いいものを受け取る」ことは、その人を次の贈り主にすることなのだ。


うわあ!って。
「健全な負債感」ってスゲーなって。

ここでいう負債感は、
相手との関係の中で
「受け取っているもののほうが多いな」「返さなきゃな」
という気持ちを背負うこと。

だから、クルミドコーヒーはポイントカードをしない。
10%オフのクーポンを配らない。
フラットに出会いたいから。
そして、ぼくらからの「贈り物」を受け取ってもらいたいから。

そしてもうひとつ。
この章には、素敵なエピソードが存在する。
「音の葉コンサート」という音楽ライブの話。

始まった当初、
このコンサートは「投げ銭システム」を採用。

参加費を決めずに
「実際に聞いてみて、一人ひとりのお気持ちで払う金額を決めてください」
とお客さんに委ねた。
実際には目安となる金額を決めて、多くの人はそれ以上に払ってくれたという。

ところがこれが失敗だったと影山さんは言う。
繰り返しコンサートを開催しても、定員いっぱいにならない。

そこで気がついた。
「ああ、毎回毎回“精算”されてしまっているのだ」

コンサートで一定額を払い、
そこに定価以上の価値をお客さんが感じていれば、
それは帰り道の余韻につながり、前向きな「負債感」となって
次回の参加動機や口コミにつながる。

そこでたとえば毎回プラス500円を支払ってしまうとすれば、
そうした気持ちは都度、精算される。
つまり、お客さんはお店に対して負債ゼロという状態だ。
それではお客さんの次へと贈る気持ちは呼び起されない。

交換を「等価」にしてしまってはダメなのだ。
「不等価」な交換だからこそ、
より多くを受け取ったと感じる側(両方が感じる場合もきっとある)
がその負債感を解消すべく次なる「贈る」行為への動機を抱く。

こうした「健全な負債感」こそが財務諸表にのることのない看板の価値になる。
こうしてコンサートの参加費は定額になった。

アメリカやヨーロッパでは、
ホテルやレストランなどのサービスを受けると、チップを払う習慣がある。

それは、広大な土地の中で、二度と会わないかもしれない
サービスマンに対して、都度精算したい(自分は負債を負っていないと思いたい)
からではないだろうか、日本の狭い国土では、何度も会うので、
逆に精算しないからこそ継続していく関係が生まれるのではないか、と影山さんは言う。

~~~ここまで一部引用

繁盛するお店というのは、
お客さんとのあいだで、「健全な負債感」が連鎖しているお店のこと。

1回ずつで精算不可能な価値を
提供し続けているお店のこと。

その店は、まちに「贈り主」を生み続けている。
素敵だなあと思った。

ツルハシブックスも、世の中に、
「贈り主」を生み続けるお店になりたい。  

Posted by ニシダタクジ at 07:03Comments(0)

2015年08月23日

ハックツというこれからの時代のライブラリー

おととしの今頃。
マイクロライブラリーサミット2013に参加していた。
僕はお昼の時間に、放浪書房さんと対談。
爆笑の連続でした。

そのときの様子はこちらに。

※ ツルハシブックスでも販売しています。

全国の小さな民営の図書館の集まりに
なぜか呼ばれた私たち。
今なら、その意味が分かります。

8月21日金曜日
国立本店でトークライブに出てきました。

(楽しげな写真☆スタッフの皆様、たいへんありがとうございました)

「国立本店」という小さなライブラリー
http://kunitachihonten.info/

月額4000円を払って
メンバーになると、
月1回の店番ができます。

まずは本棚1つに、自分のおすすめしたい本を
置いておきます。
借りる人はその本の代わりに、
私が借りました印のノートを挟んでおきます。

そのノートには感想を書くことができます。
こうして、人と人がどんどんつながっていきます。

今回、お話をしていて、
国立本店とハックツの価値観がすごく似ていることに
気が付きました。

本を通じて、機会を提供している。

きっとそういうこと。
その「機会」に価値がある、と思っている人たちが
国立本店やハックツに集まっているのだなあと。

「機会提供」、言い換えれば「偶然」というアートを作っているアーティスト集団。
それが国立本店であり、暗やみ本屋ハックツであり、ツルハシブックスなんだろうと思う。

「お金払ってまで店番して、どうすんの?」
って聞いてしまう人には、なかなか伝わりにくいのかもしれないけど。

「まあ、アマチュアバンドをやっているようなもんだ。」
と言ってしまえばいい。

アマチュアバンドをやっている人は
楽器を買ったり、メンテナンスしたり、
ライブハウス借りたり、録音したり、チケット手売りしたりして、
楽しくバンドやっているでしょう。

それこそ50になっても60になっても、
ギター抱えてどこにでも行き、楽しそうだ。
きっと、そういう感覚。

本に話を戻すと、
暗やみ本屋ハックツというのは1冊100円で
10代の若者が購入することになっている。

しかし、その本にはメッセージが付いていて、
誰かの思いを受け取ることになる。

僕はこの「購入する」という所有権の移動そのものに、
新しいライブラリーの可能性を感じるのだ。

いや、正確に言うと、
この21日のトークライブを経て、
可能性を感じるようになった。

「お金は、コミュニティの、つまり価値観や人生を共有していない相手と
コミュニケーションするための摩擦のいらない言語だからね。」
と山口揚平さんの最新作に書いてあったけど、

国立本店のように、東京であっても、
価値観や人生を共有しつつある人たちと
コミュニケーションするには、お金は必要ない。

しかし。
地域の大人と中学生・高校生といった、
最初は他者である人たちが
コミュニケーションするのに、
まずは「お金」という言語が機能するのではないか。

小阪裕司さんは「心の時代にモノを売る方法」の中で、
モノを買う動機が「所有権の移転」から「体験の取引」に変わってきたと言っていた。

ハックツで起こっていくのは、
「所有権の移転」を通してこそ起こりうるコミュニケーション
という「機会提供」なのではないか。

図書館で本を借りる、ということではない。
誰かの所有物だった本に思い(メッセージ)を載せて、受け取る。

受け取ったら、次の人に渡したくなる。
なぜなら、価値は所有することではなく、
次につなぐことのほうにあるからだ。
人とつながり、機会を提供することにあるからだ。

これから始まる、暗やみ本屋ハックツは、
これからの時代のライブラリーなのではないか。

ライブラリーが生んでいく価値。
ライブラリーの可能性を、
特に中学生高校生にとっての可能性を
大きく拓いていくプロジェクトになっていく、と確信した金曜日の夜でした。  

Posted by ニシダタクジ at 09:45Comments(0)学び

2015年08月21日

アブダクション


「これからの思考の教科書」(酒井譲 ビジネス社)=現在は文庫化

いい本ですね。
思考を科学する。

考えるとは何か?
ここから出発しないといけないよなあと。

・ロジカルシンキング(論理的思考=垂直思考)
・ラテラルシンキング(水平思考)
の両方が必要になる。

そのうえで
・インテグレーティブシンキング(統合思考)
に高めていかないといけない。

そもそも、ロジカルシンキングとは、
誰がやっても同じ結論になるように、
事実から理論を組み立てていくこと。

有名な
空(事実)⇒雨(分析)⇒傘(対応策)
ってやつ。
その効用はだれがやっても同じ対応策になるということ。

きっとこれは、
工業時代には機能したんだろうと思う。
唯一絶対の神「効率化」がそこにいたから。

今は、神を失い、次々に新しいものを生み出していかなくてはならない。
その方法論のひとつがラテラルシンキングであり、
ラテラルシンキングの1つの発想法が「アブダクション」である。

~~~ここから一部引用

私たちが科学的に物事を考える(推論する)とき、
普通は「帰納法」と「演繹法」を使います。

帰納法とはデータから普遍的な法則を推測することで
演繹法とは普遍的な法則から個別のことを推測することです。
それぞれ、データ、あるいは法則が間違っている場合、
結論も自動的に間違ってしまうという弱点があります。

僕たちは2つの方法しか習いませんでしたが、
実は第3の方法というのが存在するのです。

それが「アブダクション」です。
アメリカの論理学者パースは、
「アブダクションこそ科学の諸概念や理論を生み出す唯一の
論理的操作であり、もっともすぐれた科学的発見の方法である。」
と述べています。

「アブダクション」は次のような形式をとります。

驚くべき事実Cが観察された。
しかし、もし説明仮説Hが真であれば、Cは当然の事柄であろう。
よって、説明仮説Hが真であると考えるべき理由がある。

まずは「驚くべき事実C」に出会うこと。

たとえば、海から遠く離れた内陸で
魚の化石が見つかったとき、この驚くべき事実Cには
かつてここは海だったのではないかという説明仮説Hが
あれば当然のことであり、あとはHが真であることを証明するというものです。

しかし、アブダクションには2つの大きな壁があります。
1 驚くべき事実を見つけるための十分な知識
驚けるということは、異常を察知できるということです。
そのためには何が正常かというのを知識として持っている必要があります。

2 説明仮説Hを立てる「ひらめき」力
異常に気がついてもその理由を考えることはロジカルなプロセスではありません。
これをどうつけていくか?は難しいことです。

パースは、人間には本来
「正しく推測する能力」が備わっていると唱えました。

人間には、異常を察知する能力と
その異常を正しく推察する能力が備わっているのだというのです。

~~~ここまで一部引用

著者自身、この「正しく推察する能力」という仮説に
鳥肌が立ったと本文中に書いています。

異常を察知し、
それに説明仮説を立てていく。
きっとこれからのビジネスのでき方はそうなっていくのではないかなと思う。

よくあるビジネスの話が
とある商品に大量注文が入って、
よく聞けば、それはもともと想定していたのと違う用途で使われていることが判明し、
それはもしかしたらそっちのほうに特化したら売れるのではないか?
と直感することもそれに近いなあと思う。

アブダクションを生んでいくこと、なんだなあ。
そのためには十分な知識と異常を察知する感性が必要。

僕自身の経験から行くと、
大学生を粟島に連れていったときの、あの変化かな。

みんな3日4日で
驚くほど成長するとの、
精神的に安定してくるのだよね。

あそこに「異常」を察知して、
説明仮説をつくった。

・田舎に行くと承認欲求が満たされることで精神的に安定する
・おじいちゃんおばあちゃんに愛されることによりモチベーションが上がる

そんなことをこれから実証していこうと思う。

アブダクションを生み出せる人になる。
きっとこれが社会で必要とされる人の条件なのかもしれない。

必要とされる人になるために、
異常を察知するために学び、街を歩き、人と話すべし。  

Posted by ニシダタクジ at 06:43Comments(0)

2015年08月20日

ミッション⇒ロジック⇒リアライズ


「ミッションからはじめよう」(並木裕太 ディスカバー・トゥエンティワン)

いいですね。
いいタイミングで読んだ。

この本と、

「これからの思考の教科書」(酒井譲 ビジネス社)=現在は文庫化

とを読んで、自分の理論を強化していこうと思う。

「ミッションからはじめよう」
の中で一番学んだのが、
「ミッションコーン」の話。

これは
「誰に」
「どんな価値」を提供し
「最終的にどんな状態」になっていえるか
がすべて入っていること。

いいですね。
人生における問いと同じ。
ドラッカーの経営者への問いに近いです。

まずベースにエビデンス。
想いを支える事実や根拠を書き入れる。
すでにサービスをしている実績や
自分が学んだことや実体験を挙げる。

二番目がベネフィット。
エビデンスに支えられて提供できる価値を
書き入れます。

そして一番上がミッション。
下に書いたことをもとに、文章化していく。

このような三角のコーン(本書参照)
を作っていくことでミッションが見えてくるのだと並木さんは言います。
これ、手法として面白いなあと。

僕も最近は
「お客は誰か?」
「お客にとっての価値は何か?」
と問いかけてきたけれど、
具体的な方法っていうのは、こうやって見えてくるのかも。

これ、大学生がやってみたらいいのかも。
「やりたいことを見つける」のではなくて、
「ミッションを探る」っていうワーク。

大学生じゃなくて、
20代でも30代でも40代でも、たぶん毎年、やってみたらいいのだと思う。

具体的は方法は、
1 エビデンスを洗い出す。
過去の実績、自分の経験を洗い出す。

2 ベネフィットを決める(ファンクショナル/エモーショナル)
ベネフィットは提供する価値のこと。
その商品やサービスによって、顧客にどんな価値を提供できるか?

このときに「誰に」とってのベネフィットなのか?
というターゲットを意識することが重要。

ベネフィットは2つに分けられます。
・機能的(ファンクショナル)ベネフィット
目に見えて直感的に得られる価値
・感情的(エモーショナル)ベネフィット
その価値を提供されたときにどんな気持ちになるか

これらを踏まえて

3 ミッションとして表現する

に行きます。
なるべくキャッチ-で伝わりやすい表現で、
ミッションを表現することが大切です。

なるほど。
これがミッションをロジカルに組み立てること。

ロジックとは、
ミッション(使命)をリアライズ(実現)
するための手法なのだ。

ロジックに流されるのではなく、
ミッションをベースに仕事をつくっていくこと。

ここが一番この本の熱いところだなあと。

そして、次の「これからの思考の教科書」の話につづきます。
また明日。  

Posted by ニシダタクジ at 07:32Comments(0)

2015年08月19日

企業は特定の価値観を持った共同体になっていく


「10年後世界が壊れても、君が生き残るために今、身につけるべきこと 答えのない不安を自信に変える賢者の方法」
(山口揚平 ソフトバンククリエイティブ)

いやあ。
いい本。
シビれる1冊。

山口揚平さん渾身の1冊。
薪を割るとき、手に持つ斧に力を込めて振り下ろしたときのような
渾身の1冊。

めっちゃ熱いです。
キーワードだらけ。
大学生、20代必読の1冊です。
ますます好きになっちゃいました、山口さん。

~~~ここからキーワード引用

単なるビジネスモデルや機能を販売するのは
事業とはいえるかもしれないが、企業とはいえない。
企業の位置づけはこれからどんどん
ある特定の価値観を持った共同体になっていくよ。
そこに共感する人がメンバーとなる。

明確なビジョンと価値観、理念、強い求心性と
遠心力を持った共同体的な企業はますます強くなる。

20世紀の3Cはキャッシュ(金)、コネクション(人脈)、
コンペティティブネス(競争力)だったが、
21世紀は、キュリオシティ(好奇心)、クリエイティビティ(創造力)、
クレディビリティ(信用力)となる。

21世紀の人間の仕事は、アートとデザインしかない。
なぜなら言語化されるあらゆる事柄が機械によって最適化されるからだ。

~~~ここまでキーワード引用

いやあ。
これだけで読んでも面白い。
きっと時代はそうなっていくよね。
そんな時に、どうするか?

感性と価値観を磨く以外に方法はないと思うんだよなあ。

そういうのを具体的にどうするか?
それをつくっていきたいなあと思う。

ツルハシブックスとハックツもきっとそういう場所なんだろうなあ。  

Posted by ニシダタクジ at 08:48Comments(0)学び

2015年08月18日

感性を磨き続けることと理不尽に耐えること

考え続けること、
そして
感性を磨き続けること。
きっとこれからはこれが大切になってくる。

なぜなら、
新しい価値を生み出し続けなければいけないからだ。

かつて、「効率化」が価値を生み出した時代があった。

もっと多く
もっと速く
最小限の力で

工業製品を生み出す。
そうやって日本株式会社は発達してきた。

残念ながら、
効率化の勝負でもはや勝負ができない。
最小限の力、つまりコスト、
人件費がかかるから。

アップルのように、
新しい価値を生み出さなければならない。

そのためには、
考え続けること、感性を磨き続けること。

それを個人個人が実践し、
それを組み合わせて新たな価値を生んでいくしかない。
問題はそれと「理不尽に耐えること」との関係性だと思う。

世の中はとても理不尽で、
それに対応するというのも大事なことだ。

この「理不尽に耐えること」と
「感性を磨くこと」が実はトレードオフ
(あちら立てればこちらが立たず)
になっているのではないか、という仮説。

「理不尽に耐える」には、
自らの感性の発動をストップしなければならない。

たとえば、満員電車。
電車が揺れてもまったく動かないほどの
満員電車で通勤をしている人。

僕は浪人生の時、
千葉駅から津田沼駅のわずか12分だったが、
そんな電車に乗っていた。

あのときに感性を発動していたら、
おそらくはすぐに体調を崩すだろう。

「理不尽」というのは、
自分ではどうしようもないことなので、
そこはある程度自らの感性をコントロールしなければならない。

松井祐輔さんがつくった


「HAB新潟」(エイチアンドエスカンパニー)

の対談部分にも書いてあるのだけど、
「感性は気づかずに死んでいく。」

この事実をもっと知ったほうがいいと思う。

感性は気づかずに死んでいく。

理不尽に耐えているうちに。
このままじゃ自分はダメなんじゃないか、と悩んでいるうちに。

だから、行動する。
感性を磨いていく道を探る。

映画を見る。
美術館に行く。
旅をする。
人に会う。

そういう機会を得ていくこと。
これが必要だよなあと思う。

理不尽に耐えながら、
感性を磨いていくことが可能であればそれが一番いいのだが、

理不尽に耐えてばかりだと
感性を失っていく。

しかし、これから価値を生み出すのは、
やはり、感性なのだ。  

Posted by ニシダタクジ at 07:07Comments(0)日記

2015年08月17日

一軒の愛のある花屋がまちを変える

お盆休み。
いい本にいっぱい出会いました。
その中でもこれは!
というのは3つくらいありますが。
まずはこちらから。


「世界一の庭師の仕事術」(石原和幸 WAVE出版)

いい本でした。
なんというか。
これからに通じる本。
問いが詰まっている本。

長崎で路上販売から花屋を始め、
すぐに30店舗に成長した石原さん。

「何もない。だけど僕はいる。じゃあ発想すればいいじゃないか」
「売れた秘訣はたったひとつ。目の前のお客さんを全力で喜ばせたこと」

3000円の花束を届けるために、
長崎から福岡に走ったことなどの
エピソードが熱い。

ツルハシブックスもこうありたいなあ。
劇団員本屋として。

印象的だったのは、
世界最大のガーデニングショー
「チェルシー・フラワーショー」に出展するときの話。

50項目にもわたる質問用紙が送られてくるのだそうです。

その中で問われてくるのは、
この庭が21世紀において、なぜ大切なのか?
自分のつくる庭が、世の中のためになぜ必要なのか?
そんなことだそうです。

いいなあ。
素敵な問い。

これからのビジネスというか仕事において、
もっとも熱い問いなような気がします。

「この庭」を自分の仕事に置き換えてみる。

ツルハシブックスが21世紀において、なぜ大切なのか?
ツルハシブックスが世の中のためになぜ必要なのか?

そういうことなんだろうなって。
「一軒の愛のある花屋がまちを変える」

そう。
あなたは何で世界を変えるのか?

と問われてくる1冊。
素敵な本に出会いました。ありがとう。  

Posted by ニシダタクジ at 07:05Comments(0)

2015年08月11日

地域資源×自分資源



京都府綾部市の塩見直紀さんが
取り組んでいる「ローカルビジネスデザインスクール」

独自な観点からの綾部の「地域資源」探索(フィールドワーク)、
そして、独自の観点からの「自分資源」を探索(ワークショップ)。
それらを組み合わせ、綾部でのローカルビジネスの創造をめざします。

きっとそういうことなんだろうと思う。

地域資源×自分資源。
地域課題×自分たち(お客さん)の課題
そうやって仕事が生まれていくのだろうと思う。

それをじっくりと考える1泊2日は、
地域と自分を見つめなおすいい時間になるのだろうと想像できる。

すべては、問いから始まっていく。

  

Posted by ニシダタクジ at 07:09Comments(0)日記

2015年08月10日

「効率化」と「ホスピタリティ」のあいだ

「効率化」という戦略が通用するのは、
未来が予測できるとき。

もっと速く、もっとたくさん。
作る工業製品が決まっているとき、
「効率化」戦略は機能した。

そんな工業時代からサービス業時代へと
時代は移った。
「付加価値の時代」だと言われた。
(今もかもしれないけど)

リッツカールトンやディズニーランドの
「伝説のサービス」が話題となった。

宿泊したお客様の忘れ物を東京まで新幹線で届けるなど、
「効率化」を度外視した
「ホスピタリティ」がそこにはあった。

あまりにも振れ幅が極端であるけども、
きっとそういうことだったのだと思う。

個人ひとりひとりがこれからの働き方・生き方を探っている。

それはきっと
「効率化」一辺倒でも、「ホスピタリティ」一辺倒でもない、
その中間くらいの働き方・生き方が必要となってくるだろうと思われる。
「答えのない時代。」というやつだ。

「効率化」と「ホスピタリティ」のあいだ。
僕はそれが「小さな偶然」なのではないかと感じている。

「効率化」はあまりにも、計画的すぎる。
「ホスピタリティ」が目立つのは突発的な事件が起こった時だ。
もちろん、それは日常的な「クレド」(リッツカールトンの信条)が
機能しているということなのだが。

そうではなく、日常に起こる「小さな偶然」。
そこに価値を見出していく時代になっていくのではないだろうか。
そしてそれは「今日もていねいに」というような、
少し非効率的な行動から生まれていくのではないか。

「小さな偶然」に気づくこと。
そんな心の余裕を持つこと。

「本屋に行くこと」「本を選ぶこと」「本を読むこと」
これらはすべて「非効率的な」時間だと思う。
いや、買う本がビジネス書であれば違うかもしれないが。

「小さな偶然」に気づくことができる日常的な心の余裕。
これを豊かさと呼ぶのではないだろうか。  

Posted by ニシダタクジ at 07:20Comments(0)日記

2015年08月09日

「移住」から「Mターン」へ

「地方創生」の流れだろうか。
「移住」というキーワードが盛んに出てくる。
「移住」の時代が来ているかのようだ。

都内には各県の行政が運営する
Uターン、Iターンセンターがある。

どの県も、
自らの県の人口減少を食い止めたいと
PRを行っている。

しかし。
いわゆる「移住」=Iターンは、
競争が激しい。

島根県の沖合に浮かぶ隠岐諸島の海士町に
たくさんの移住者が集まっている。

そのさきがけの人たちは、
「Mターン」だと言われている。
今年3月人材大手のパソナグループが
「Mターン(ミッションターン)」という言葉を使った。

つまり、やりがいのある仕事(ミッション)を
求めて、Iターンをする人たちのことだ。

海士町のキャッチフレーズは
「課題先進国日本の中でもさらに課題先進地である海士町」
である。
海士町には未来の日本があると訴えたのだ。


「僕たちは島で、未来を見ることにした」(阿部裕志 木楽社)

のタイトルにあるように、
阿部さんたちは、まさに海士町に未来を見て、
移住・起業したのだった。

単なる「移住」ではない。
ミッションを感じられる何か、が必要なのだろうと思う。

ということは、
その地域への「移住」を本気で促すためには、
そういう「ミッションの種」を見せていくこと、
体感してもらうことが大切なのではないかと思う。

新潟に移住させたいのなら、
from niigata japanと胸を張れる何かが
必要なんだろうと思う。

そういう移住サイト作ってみたいなあ。  

Posted by ニシダタクジ at 08:51Comments(0)日記

2015年08月08日

from japan


昨日は、茨城県主催の
「県北地域ビジネス創出支援事業キックオフセミナー2015」でした。

宮崎の「まちづくりGIFT」の
斎藤潤一さんの話にシビれる。

「いい敗北感」でした。
敗けてるなあって感じ。

「まちづくりGIFT」
http://giftstotheearth.com/
webにメッセージ詰まってます。

いちばん熱いのはココ
http://giftstotheearth.com/?page_id=2627

僕の心をとらえた一言は、
「obisugidesign」
https://sugi-ya.jp/obisugidesign/

この中の、
from japan
世界最大のギフトショーに出した時のロゴ。
from japanの文字が。

カッコイイ。

from japan。

杉を売っているのではなく
「日本」を売っているのだと。
歴史を、文化を、伝統を、地域を
すべてひっくるめて「日本」を売っているのだなあと。

熱いな。
コメタクも
「from niigata japan」ってロゴをつけたくなりました。
新潟のミッションを共に売っていきたいと。

明治時代。
廃藩置県が起こり、
人口がもっとも多かったのは新潟県。(明治28年まで人口1位)
それは、食べ物が豊富にあったからだと言われています。

自給自足が基本だった江戸時代。
食べ物が多く採れるところに人が集まるのは
当然です。

そんな新潟県から
たくさんの人材が各地(おもに東京)に輩出されていったのです。

そんな新潟から送る米に
どんな想いをこめていくのか?
(米にコメていくのか?笑)

そんくらいの絵が必要だなあと思いました。
創っていく「文化」とはなんだろう?
そんな問いからスタートしなければいけないですね。

さて。
まちづくりGIFTの話に戻ります。

経済なき道徳は寝言である。
という宮沢賢治の言葉から
経済なきまちづくりは戯言である。
という厳しい一言から始まります。
「稼ぐ」ということの大切さを語ります。

まちづくりGIFTがやっていることはシンプルに言うと
「発見」「磨く」「発信」です。
このすべてに手を抜かないこと。
これが基本です。

特に「発信」のところをやれる人が少ないので、
ここをやっていくことが重要です。

たしかに。
ウェブデザインとか、ウェブマーケティングの会社って
そういうことをやっているんだもんね。

シリコンバレーで働いていたときに斉藤さんが学んだこと。
当時はアップルはどうしようもないと思われていた会社のひとつだった。
ところが、そんな企業があっという間に歴史の主役になる。
これは地域に似ている、と思った。

そうそう。
未来は予測不可能だから、
すべての地域に「世界最先端」の可能性があるんだよね。

まちづくりGIFTのやっていることは、
地域資源を活かしたビジネス。

ドイツが終戦後、まったく同じ街並みを復元したような
「先代から引き継いだものを次世代につなげる」のが使命である
と言い切れるような地域社会は素敵だなあと思う。

ビジネス的には
「杉」にフォーカスして
世界最大のギフトショーに出て、注目されて、
視察がたくさんくることでものすごい経済効果が生まれている。

カッコいい。
こういうの、かっこいいなと思います。

ひとりで始める。
ビジョンを語る。
仲間を増やす。
ブームになる。
メディアが動く。
地域が動く。
地域がつながる。

そういうことなんだなあって。

なんというか、そういう原則みたいなものを
実感しました。

もうひとつ。
「テゲツー」(宮崎てげてげ通信)
http://visit.miyazaki.jp/

やっぱりメディアを持つって大事だと。
何を発信したいのか?
ってそういう原点に返って発信し続けること。

ツルハシブックスの話も、
コメタクの話も、
ここから広がっていくなあと感じています。

新しい「価値」を一緒に創っていきたいなあと
思える人たちと一緒に価値を創っていきたいと
強く強く思った時間となりました。

斉藤さん、ありがとうございます。
僕もビジョンを語っていきます。  

Posted by ニシダタクジ at 07:46Comments(0)

2015年08月07日

「本屋」と「田舎」と「小さなドミノ」

小さなチャレンジのドミノを倒す。
小さな成功体験を積み、
だんだんと大きなチャレンジをしていく。
それが自信につながっていく。

しかし、「自信がない」人は、
その最初のドミノが倒れない。
そこが課題だと思う。

その小さなドミノをどのように倒すか。
そこには「承認欲求」が
必要になってくるのではないか。

1つ目の方法は
「本屋」さん。
本がいっぱいあることで多様性を表現し、
その人を受け入れる体制ができる。

多様性の中で、
話を聞いてもらうことで、
小さな承認欲求が満たされる。

そのタイミングで、「偶然」、誰かに出会う。
その「誰か」というのは、
その日によって違う。
そこは相談センターではなく、「本屋」さんだから。

そんな偶然に心が動き、
「一緒にどこかに行ってみないか?」と誘われる。
するとさらにそこで素敵な大人に出会う。

こうして、「小さなドミノ」が自覚なく倒れる。
「気がついたら、倒れていた」というパターン。

2つ目の方法は、「田舎」に行くこと。
高齢化率の高い田舎に行くと、
歩いているだけで、地元の人から話しかけられる。

できれば、派手な格好をして歩いていたほうがいい。
新潟のとある私立大学の商店街インターンシップでは、
揃いのピンクのエプロンをして街を歩いてヒアリングをしてまわった。

地元の人にひたすら話しかけられる。
すると、自分の中でこんな勘違いが生まれる。
「自分は若いだけで価値があるのではないか。」

つまり、承認欲求がある程度満たされていく。
次に、起こることは何か、贈与経済である。

若者が街を歩き、何かしようとしているだけで、
年寄りは何か応援したくなってくる。
簡単なのは差し入れをあげることだ。

このときは、ご飯を持って来れば、
おかずは何も買わなくてもいいほど、
たくさんの差し入れをもらった。

そこで「返報性の原理」が顔を出す。
何か与えてもらったら、それをお返ししたくなるのが
人間の本能である。

その動機付けによって、「小さなドミノ」が倒れる。

現在のところ、その2つが
「小さなドミノの倒し方」である。

「偶然」と「返報性」の力で、小さなドミノを倒す。
そんな場をデザインしていきたいなあと思う。  

Posted by ニシダタクジ at 07:05Comments(0)アイデア

2015年08月06日

ウルトラマン農家



「青春畑 きくち農園」の菊地章雄さん。

人はきっと、彼を栗農家だというだろう。
栗を生産している。
メインの栗畑4.7ヘクタールを見せてもらった。

茨城高専を卒業後、
長岡技術科学大学に編入。
4年の秋から2年間休学した後に退学し、
茨城大学農学部3年時に編入していま4年生在学中。
だから、学年で言えば大学8年生だ。

いまは、大学生をやりながら、
毎週土曜日に墨田区の市場「ヤッチャバ」
に近隣の農家さんの野菜を集めて、
持って行っている。

「ヤッチャバ」は震災後に始まった取り組み。
震災後、東京都内の流通がストップし、
スーパーやコンビニに食べ物がない状態が続いていた。
墨田区も同じだった。
家にある缶詰などを食べてしのいだ。

そんな中で始まったのが
農家とつながる仕組み、ヤッチャバ。
ここに菊地くんは毎週出店している。

驚くべきは、そこのお客さんとの関係性だ。
前の週に売った栗が、翌週には栗ごはんになって差し入れられるのだ。
それは、もはや、栗を売っているのではない、と思った。

そう。
菊地くんは言う。
「野菜を売りたいわけではない。」

目指しているのは、ウルトラマン農家だ。

子どものころの夢、ウルトラマン。
しかし、それは、「ウルトラマン」という職業に
なりたかったわけではなかった。
世界の平和を守りたかったのだ。

いま。
菊池くんは、外見上は「農家」をしている。
卒業したら専業になる。

しかし、彼が育てているのは、栗ではない。
彼が売っているのは近隣の農家がつくった野菜ではない。

彼が墨田区まで売りに行くから、
隣のじいちゃんに
「おっちゃん、もうちょっと頑張ろうよ。売る野菜なくなると困るからさ~」
「年寄りをあんまり働かすんじゃねえ。(笑)」
と会話を交わし、農業が続いていくのだ。

菊地くんによると、
栗農家は高齢化のため、栗栽培を続けられなくなるケースが
最近増えているという。
耕作放棄地にしないためには誰かに委託に出すしかない。

菊地くんが作っている4.7ヘクタールも
そうやって借りたものだ。

ここで、新しい栗栽培のビジネスモデルをつくる。
そうすれば栗畑の耕作放棄地化を防ぐことができる。
現在も栗の収穫期には、
たくさんの大学生が手伝いに来てくれるのだそうだ。

ウルトラマン農家。
そんな言葉が浮かんだ。

菊地さんは言う。
「自分の周りの人たちがみんな笑顔になっていくこと、
それが僕にできる世界平和へのアプローチなんです。」

栗の栽培を通じて、
墨田区に野菜を売りに行くことを通じて、
周りに笑顔を増やしていく。

それは、もしかしたら、子どものころの夢を
叶えているのかもしれない。

カッコいい栗農家が石岡市にいました。  

Posted by ニシダタクジ at 05:53Comments(0)