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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2014年10月31日

コミュニケーションする本屋

「コミュニケーションする〇〇」
これからはきっとそういう時代。

コンビニエンスストアが流通の主役となっている
経済至上主義の効率化最優先社会の中において、
コミュニケーションは非効率的(非経済的)行為である。

しかし。
だからこそ。
人は、コミュニケーションを求め、
お店に足を運ぶ。

コミュニケーションする〇〇
がこれからの時代のキーワードだ。

新潟三越の5Fに
(株)鈴木コーヒーが運営する
「新潟珈琲問屋」がある。

内装はいまどきのオシャレカフェのようにきれいで、
コーヒーもスタバと同じ302円から飲めるし、
スペシャリティコーヒーに至っては、
新潟が誇る鎚起銅器の玉川堂のケトルで
入れたコーヒーを出してくれる。

しかし。
この店の魅力はきっとそこではない。

午後になると、
この店は三越(あるいは古町周辺)に買い物に
来たであろうオバサマ型で賑わう。

いや、ホントに「賑わう」のだ。

友人とふたり連れのお客はもちろん。
おひとりさまで来たお客さんも
カウンターでバリスタと賑やかに談笑しているのだ。

スタバを使う時のように
何時間でもPCを開いて作業している
わけにはいかない。

そう。
新潟珈琲問屋は
「コミュニケーションできる喫茶店」である。

そのコミュニケーションに対して
(おそらくは無意識に)
お金を払う人が多いのである。

自動車や美容室など、単価の高いものやサービスを買うときは
コミュニケーション要素は非常に重要になってくる。

それがいま、
あらゆる商売に重要になってきているのではないか?

小阪裕司さんの
「ワクワク系マーケティング」や
川上徹也さんの
「ストーリーブランディング」とは、
まさに顧客とコミュニケーションするということではないか。

コミュニケーションする〇〇
だったらどうなるか?
どうするか?

という問いかけは非常にパワフルだなあと思った。

双方向コミュニケーションを顧客は求めているはずだから。  

Posted by ニシダタクジ at 08:26Comments(0)日記

2014年10月30日

本屋という機会提供装置

「教育の改善」とは、

目標を立てて、
手法を考え、
その達成度を測り、
手法を評価し、内容を改善する。

「目標」そして「評価」
と切り離せない関係にある。

これがあまりにも進むと、
学ぶ環境にとって、
あまりよくないことが起こる。

人文学部や美術科に
進学しようとすると、
「そんな学問を学んでも就職できない。」

という謎の指摘が生まれる。
たしかに、文学や美術が
現代経済社会において、
短期間のうちに評価される(=お金を生み出す)
ことはほとんどない。

しかし。そもそも。
大学進学は「学びたいことを学びたい」
からするのであって、
就職をにらんでするものでは決してないはずだ。

「機会を提供する」ことと「機会を得る」
ということに価値があると認識することがすごく大切だと思う。

クランボルツ博士の「計画された偶発性理論によれば、
「機会」の積み重ねによって、人は天職にたどり着くのだという。

だからこそ、本屋の出番だと思う。

本屋には
「機会」が詰まっている。

本との出会い、人との出会い。
それは偶然であり、貴重な機会である。

機会提供に徹していくということ。
それが、本屋に与えられた宿命なのだと思う。  

Posted by ニシダタクジ at 07:42Comments(0)思い

2014年10月29日

やらないことを決める

20代も捨て、
かもしれないけど
40代もそうなのかもしれない。


「自由であり続けるために20代で捨てるべき50のこと」(四角大輔 サンクチュアリ出版)

捨てること、やらないことを決める。

付き合いや
交友関係が広くなって、
頼まれごとが多くなっていく。

地域社会における役割を果たすことは大切だと思うのだけど、
優先すべきことのために、
捨てること、やらないことを決めなければならないと思う。

コミュニティビジネスの第一人者
片岡勝さんの本は
「すべては捨てることから始まる」だったなあ。

捨てること。
やらないこと。
そっから見えてくるものがきっとある。  

Posted by ニシダタクジ at 05:45Comments(0)日記

2014年10月28日

試作の時代にどう生きるか?

将来が不安だ。
未来が見えない。
そう思っているのは、あなただけではない。
どんな大人も、企業の経営者も、将来は不安だし、未来は見えない。

2011年にニューヨークタイムズ紙に掲載された
アメリカ・デューク大学・デビッドソン博士の言葉。
「2011年にアメリカの小学校に入学した生徒の65%は、
大学卒業時に今は存在していない仕事に就くだろう。」

16年後には、
世の中の仕事の65%は入れ替わっているだろうという予言だ。

グーグルという現在は世界屈指の人気企業が誕生したのは、1998年9月。
いまの社会人1年生(四大卒・現役合格)が小学校に入学したのは、1998年4月。
つまり、いまの社会人1年生が小学校の入学時には、
グーグルという会社は存在していなかった。
したがって、小学校入学時にはグーグルという会社に入ることを夢に設定することは不可能である。

そのくらい、世の中の流れは速い。

森田英一さんの「こんなに働いているのになぜ会社はよくならないのか」
によれば、
1 加速するスピード
2 高まる時間的・空間的複雑性
3 高まる社会的複雑性
によって、誰も答えを知らない時代へと突入している。

それでは、企業はどうしたらいいのか?

1 顧客を観察し、あるいはコミュニケーションをとって
2 新たな顧客ニーズを想像し、試作・試行して
3 フィードバックをもらい、振り返り、改善する。

これの繰り返ししかないだろうと思う。
そうなったときに必要とされる人材とは、

1 観察力・コミュニケーション力のある人
2 自分で考え、行動できる人
3 振り返り、改善する習慣がついている人

このときに最も大切なことであり、苦手にしている人が多いと思われるのは、
「行動できる」ということではないだろうか。

そこには「成長思考」(成長的知能観)が関係している。
中学・高校の時に受けた勉強での序列と
目標設定逆算型のキャリア設計は、
ひとりひとりの「成長思考」を急速に損なわせ、
「自分の能力は生まれつき決まっていて変化しない。」
という「才能思考」(固定的知能観)を手に入れさせてしまった。

高校までのいわゆる勉強で測られるのは、
暗記力と情報処理力にほぼ限られる。

それは、社会で必要とされる
1 観察力・コミュニケーション力のある人
2 自分で考え、行動できる人
3 振り返り、改善する習慣がついている人
とは、少し異なった能力ではないかと思う。

もちろん、暗記力と情報処理能力が不要であるとは言わないが、
それだけが優秀であったとしても、
社会で求められる人材像とはならないということである。

社会で求められる試作型人材をどう育てていくのか?

ここに、
「承認」⇒「機会」⇒「行動」というプロセスが
必要なように思う。

行動しろ、と言っても、行動する人は増えない。
行動するように育てられてきてはいないからだ。
失敗をするよりも行動しないほうがいい。
という文化の中で育ってきたからだ。

そのまま大学生になってしまうと、
行動できないというのは、もはや、リハビリが必要なレベルになる。

ひとりではチャレンジできなくなっているのだ。

これを改善するには
次の3つのステップが必要となると僕は思う。

1 承認
2 機会
3 行動

まずはありのままの自分を承認されるということ。
そして、機会を活かす、というマインドになること。
さらに、みんなの力も借りながら行動するということ。

そんなことを繰り返して
徐々に成長思考を取り戻していくこと。
そこがキャリアの出発点になるだろうと僕は思う。

大学生には、地域を舞台とした様々なチャレンジを通じて、
「キャリアドリフト」理論を実践すること。

中学生高校生にアプローチできるとしたら、
屋台での販売体験をおススメしたい。

屋台こそ、
1 観察力・コミュニケーション力のある人
2 自分で考え、行動できる人
3 振り返り、改善する習慣がついている人
の基礎になっていく経験だと思うから。

昨日は夏休みに行った野山塾のおにぎり屋台での売り上げでの
大学生チームVS中学・高校生チームの鍋対決でした。
高校3年のさりなさんの合格祝いを兼ねた鍋パーティー
予想を遥かに上回っておいしかったです。ごちそうさまでした。

鍋パーティーの様子


おにぎり屋台の様子


野山塾は毎週月曜・木曜日の16時~21時に
行っている自習支援型の学習塾です。
中学生高校生の入塾をお待ちしています。
月会費は8,000円です。  

Posted by ニシダタクジ at 10:40Comments(0)日記

2014年10月27日

手紙



土曜日の夜。
「偶然」が起こった。

大学生の穂月ちゃんが寄贈した本を
自分で地下に置いてきて、
そこに居合わせていた高校生男子が発掘した。

置きに行くのを見ていたので、
完全にその本を狙っていったのだけど。

土曜日の夜に本屋に居合わせたということは
まぎれもなく「偶然」である。

発掘された本は
「非属の才能」(山田玲司 光文社新書)

手紙。
ふと、そんな言葉が浮かんだ。

地下古本コーナー「HAKKUTSU」は
郵便屋さんのようなものだ。

本を通じて、
「何か」を届ける。

その「何か」が受け取られるかどうかわからないのだけど、
それを地下に託す。

「偶然にも」それを目にとめた若者がいて、
その人の心を動かし、
なんらかのきっかけになったらいいと思う。

2010年6月16日のブログ
http://hero.niiblo.jp/e73613.html

アンジェラ・アキの手紙の大ヒットに、
言いようのない憤りを感じた。

「いまはつらくても、年を取れば、
そのうち解決するから、なやんでいてもいい。」

そんなメッセージをテレビの中からしか
伝えられない社会に、
ただただ、憤っていた。

それから約1年後。
2011年6月の一箱古本市をきっかけに、
7月に地下古本コーナー「HAKKUTSU」
が始まった。

それから3年が過ぎて、
大学生の本を高校生が発掘するという現場に立ち会えた。

「手紙」
待っているかもしれない誰かのために、
あなたも本に手紙を託してみませんか?

☆ツルハシブックス第1期劇団員100名募集☆

ツルハシブックスでは、劇団員を募集しています。
第1期は2014年9月~2015年3月です。
募集締め切りは100名到達または10月31日(金)です。

月額 1,080円
支払方法 
・クレジットカード決済
・店頭6か月払い6,000円、1年払い10,000円
・銀行振り込み

申し込み方法
店頭で申込書を記入
または
メール tsuruhashibooks@gmail.com へ「劇団員申込み」として以下の情報をお送りください。

・氏名(ふりがな)
・住所
・生年月日
・連絡先電話、メールアドレス
・希望支払方法(クレジットカード引落し/半年6,000円振込/年間10,000円振込)
・劇団員名鑑&パスポート用プロフィール画像
・劇団員名鑑に載せるプロフィール(※名鑑に公開してよい情報をご記入ください)
 1 氏名(ニックネーム)
 2 キャッチフレーズ
 3 誕生日
 4 居住地
 5 好きな食べ物
 6 人生を変えたこの1冊
 7 出没スポット
 8 他の劇団員との連絡希望方法(メールアドレス・SNS・「ここに行くと会えます」など)

※サンクチュアリ出版副社長金子仁哉さん(ニューヨーク在住)も
先月、第1期第2期劇団員に申し込みました。


詳しくはこちらから。
http://tsuruhashi.skr.jp/boshu  

Posted by ニシダタクジ at 08:54Comments(0)日記

2014年10月26日

周りと社会にフォーカスすること

「やりたいことは何か?」
「将来の夢は何か?」

って聞くのはもう終わりにしないか?

そしてもし聞くとしたら、
まず自分が
「僕の将来の夢は・・・なんだけど、君の夢は何かあるかい?」
っていう聞き方をしないとダメなことにしたらどうか?

あるいは、もし、
中学高校大学生が
大人たちに「将来の夢はなんだい?」
と聞かれたら、「あなたの夢はなんですか?」と
聞き返すことを徹底して教え込んだほうがいい。

「やりたいことは何か?」
「将来の夢は何か?」

いまの日本社会で
中学高校大学と過ごしていると、
これらの問いが人生の最重要課題のように思えてくる。

そして、
「やりたいことを見つけ、将来の夢を持って、目標を見据えて、
いまはこれをやってます。学んでます。」
みたいな人生が理想的だと思っている。

本当ですか?

人生の最重要課題は
これらの問いに答えを出すことでしょうか?

僕は自信を持ってNOだと言いたい。

僕は大学の時に、
やりたいことは見つかりました。
「畑をやりたい」
「みんなが集まってくるような、コミュニティの中心となるような畑をやりたい。」

熱い想いで、
「まきどき村」を始めました。
「人生最高の朝ごはん」をスタートしました。

夢がかなっている。
やりたいことができている状態になりました。

しかし、僕の中は不安でいっぱいでした。
「これは本当に自分のやりたいことなのだろうか?」

僕も、学校教育の熱心な信者でした。

やりたいことを見つけたい。
人生を賭ける何かを探したい。

とずっと思っていました。
思っていたからこそ、不安だったのです。

これは本当に自分のやりたいことなのだろうか?

この問いに、答えはありません。
一生、考え続け、変化し続けるものだからです。

もしかしたら、
この問い自体がおかしいのではないか?
と強く思ったのは
「ホスピタルクラウン」(大棟耕介 サンクチュアリ出版)を読んだときでした。



病気で長期入院中の子どもたちに、
芸を見せて、笑顔になってもらう。
それがホスピタルクラウンです。

重病の子もいます。
次に病院に来るときには亡くなっている子もいるかもしれない。
そんな空間の中で、
笑顔を生み出していく。

それって、
「やりたいことを見つけたい」
「将来の夢を探したい」
という思考からはなかなか生まれてこないな、と思いました。

ただ、目の前のことに向き合い、
目の前にいるひとを笑顔にし続けることで
たどりつくもの、それが天職だと。

その仕事そのものの内容のことではなくて、
天職だと思える瞬間があるのだと。

だから、問いを変えていく必要があると強く思う。

「やりたいことは何か?」「将来の夢は何か?」ではなくて、
ドラッカーの5つの質問をしたほうがいいと僕は思う。

1 使命は何か?
2 顧客は誰か?
3 顧客にとって価値は何か?
4 成果をどのように測るのか?
5 計画は何か?

特に、2 顧客は誰か?
に答えていくことが何よりも必要であると思う。
誰のために仕事をしていきたいか?
それが仕事の、人生のモチベーションになっていくから。

「やりたいことは何か?」
「将来の夢は何か?」
ではあまりにも自分にフォーカスし過ぎている。

誰のために働きたいか?
そして、今、ここ、この瞬間、誰を笑顔にしたいのか?
と考え、そのためにできることを今していくこと。

「ホスピタルクラウン」が教えてくれることは、
とっても大切なことだと僕は思う。

「やりたいことは何か?」「将来の夢は何か?」
ではなく、
「顧客は誰か?」
と中学高校大学生にも、
いや、自分たち自身にも問いかけ続けていこう。


追伸:
昨日は、修学旅行に行っていた明日香さんが
生八つ橋のお土産を買ってきてくれました。

高校生がお土産を買ってくる本屋さん。
日本には10店くらいしかないんじゃないかな。

とってもうれしかったです。ありがとう。  

Posted by ニシダタクジ at 06:22Comments(0)日記

2014年10月25日

感じること、考えること、当事者意識を持つこと

「誰も幸せになってないじゃないか。」
大学3年生の僕はそうつぶやいた。

「どれだけ消費すれば満足なのか?」
(アランダーニング ダイヤモンド社)
を読んだときだった。

消費は2倍に増えた。
しかし、幸せだと感じる人の数は増えていなかった。

この衝撃は相当なものだった。
では、なんのために、働いていたのか?
幸せになるためではなかったのか?
と憤った。

その後、環境問題への対処法と
理想とする農業の探求に向かっていった僕は、
ひとつの結論に達した。

環境問題が「問題」なのではなかった。
いや、もちろん問題なのだけど、
僕が解決したい問題はそこではなかった。

環境問題の根本原因は、
大量生産・大量消費・大量廃棄という
社会全体のライフスタイルであり、

それを可能にしているのは、
ひとりひとりが
「環境」に対しての当事者意識を持たないこと。

極端な話、
自分の家の中や土地の周りは
キレイにするけど、
コンビニで買い物したり、輸入もののエビを食べたり、
っていうのはそんなに意識せずにやっている。

そう。
当事者意識を持たないことは、
自分のアタマで考えないことであり、
それ以前になにも感じないことである。

そして、
それって幸せなんだろうか?

テレビコマーシャルが言う幸せに自らの幸せを委ねた。
それが、高度経済成長ではなかったか。
そして、その結果、人々は幸せになったのだろうか?
いや、あまりなっていないんじゃないか。

幸せとは、
感じること、考えること、そして当事者意識を持つこと。

そこからしか始まらない。  

Posted by ニシダタクジ at 06:04Comments(0)日記

2014年10月24日

土台となる親和的承認


「コンサル1年目が学ぶこと」(大石哲之 ディスカバー21)

いいですね。
就職が決まった4年生は読んでおいていい1冊だと思います。
お買い求めはツルハシブックスにて、お願いします。

1 コンサル流話す技術
01 結論から話す
02 端的に話す
03 数字というファクトで語る
04 数字ロジックで語る
05 感情より論理を優先させる
06 相手に理解してもらえるように話す
07 相手のフォーマットに合わせる 

などなど。
デキる社会人なるのに役立つ基本中の基本が満載。
うっかり僕も買ってしまいました(笑)

さあ。
これを読んで、(まだ目次しか読んでませんが)
いってみましょう、昨日の続き。

まずは結論から。

成長思考(成長的知能観)
の土台になるのは、「親和的承認」である。

マズローの欲求5段階説によれば、

1 生理的欲求(食べたい、寝たいなどの本能的欲求)
2 安全欲求(安全・安心な暮らしがしたい)
3 社会的欲求(集団に属したい)
4 尊厳欲求(他者から認められたい)
5 自己実現欲求(自分の能力を引き出し、創造的活動をしたい)

となっていくのだが。

山竹伸二の「認められたいの正体」(講談社現代新書)によれば、

承認欲求には3段階あり、

1 親和的承認・・・ありのままの自分を無条件に承認してもらう
2 集団的承認・・・集団の中で役割を果たすことで承認してもらう
3 社会的承認・・・社会的に意義・価値があることをして受け入れてもらう

これらをマズローに当てはめてみると、

1 親和的承認は、どちらかというと「安全欲求」に近いだろうことが分かる。
2 集団的承認は、「社会的欲求」と対応している
3 社会的承認は、「尊厳欲求」と「自己実現欲求」の双方に関係してくるだろう。

この「承認欲求」の謎を解き明かさないと、
チャレンジする若者は生まれてこないのではないか、
僕は思う。

さあ。
ここで僕は「語れる数字」を残念ながら持っていない。
なので、論理ではなく、感情と感覚(実感値)で語るしかない。

昨日、2004年の中越地震の日から10年を迎えた。
僕はたまたまのご縁で、川口町(現・長岡市)で活動することになった。

川口町には、東京からボランティアがたくさんやってきていた。
(立地的に東京からのアクセスが近かった)
1か月が経ち、ライフラインが復旧してきた。

僕がかかわっていた
子どもと遊ぶボランティアは
静岡県のホールアース自然学校の仕切りで、
ていねいな支援を行っていた。

ボランティアリーダーは、
3日間以上連続して活動できる人に限られていた。

そこで活動していて不思議だったのが、
20代後半から30代と見られる男性が多く活動していたが、
彼らが東京に帰る気配がないことであった。

そう。
彼らは会社勤めをしていない、
いわゆるフリーターやニートと呼ばれる人たちであった。
彼らをそんなにも行動させた動機づけとは、
いったいなんだったのだろう?
とずっと疑問に思っていた。

それが、この「親和的承認」の話で、仮説を立てることができる。

その仮説とは、
「地震のボランティアとは、彼らにとって承認の場であった。」ということである。

社会的に意義や価値があるとされていることを行うことで、
あるいは純粋に、目の前の人が「ありがとう」と言ってくれることで、
子どもたちが楽しそうに遊んでいるサポートができることで、
承認されたような気がする(表現が不適切かも)、のである。

しかしながら、その日々は長くは続かない。
いつかは終わりが来る。
そして彼らは地元に戻っていく。

いまの世の中で、
「働いていない」(=就職していない)
のは、大人として承認されにくい。
つまり、親和的承認の機会はほとんど皆無であると言っていい。

だからこそ、彼らは、
承認欲求を満たそうとして、(意図せずとも)
「社会的承認」が得られるボランティアをしたのではないか。

いま、地域社会でも家庭でも学校でも、
子どものころから、
親和的承認の機会はほとんどない。

「勉強ができたら、ほめられた」
「テストでいい点をとったら、ほめられた」
「絵を描いて賞をとったら、ほめられた」
「友達を助けたら、ほめられた」

すべて条件付き承認である。

かつて、
商店街や地域コミュニティが機能していたころは、
近所のおじさんや八百屋のおっちゃんが声をかけた。
「おい、暗い顔してるけど、なんかあったか?」

実は大人が声をかけるだけで、
「親和的承認」がある程度満たされる
と思っている。

マザーテレサの名言は
「優しさの反対は無関心である」だが、
無関心ではないことは、優しさであり、
愛であり、承認欲求を満たす行為なのではないだろうか。

そのような親和的承認の機会を失ったことが
若者たちの漠然とした不安の原因となっているのではないか。
マズローの2段階目の欲求が満たされていないからではないのか。

だからこそ若者は、「社会的承認」が得られるであろう
「ボランティア」に惹かれ、「国際協力」に惹かれ、
「地域活性化」に惹かれるのではないだろうか。

実はその根っこに
「親和的承認」の機会が得られていないこと
があるのではないか。

若者たちに自信を持って、チャレンジさせようとするなら、
まずは土台となる「親和的承認」の機会をつくることが必要なのだと思う。

そう思ってつくったわけではないが、
「ツルハシブックス」という空間は、
「親和的承認」の機会にあふれている。

お店に入れば、声をかけられる。
古本を買えば、年齢がバレ、学校のことやプライベートなことを聞かれる。
お店で偶然居合わせたおっちゃんおばちゃんたちは、適当なアドバイスをしてくれる。
きっとそこは、若者にとって、親和的承認の場所なのだと思う。

若者が田舎や商店街に惹かれる理由のひとつが
そこにあるのではないかと思う。

親和的承認の機会のあるコミュニティをつくる。
これが何よりも大切なことなのではないだろうか。

あなたも劇団員になって、そんな場をつくりませんか?

ツルハシブックスでは第1期劇団員100名を募集しています。
10月31日(金)に締め切ります。
入団申込み、お待ちしています。

http://tsuruhashi.skr.jp/boshu  

Posted by ニシダタクジ at 08:18Comments(0)思い

2014年10月23日

成長思考と機会提供

「やればできる」とは思わないけど、
「やればできるかもしれない。」
と思えることは、すごく大切だと思う。

だから「やってみる」しかないのだ。

そんな試作型の人材をどう生んでいくか?
これがこれからの教育のカギとなるだろうと僕は思っている。

成長思考。
キャロル・ドゥエックさんによる
「成長的知能観」と「固定的知能観」の話は、
これまでやってきた「機会提供」に自信を持たせてくれた。

学校教育は
「目的」と「評価」を重視するがあまり、
結果の出せない子に対して、
どうせ自分はやってもできないんだという「固定的知能観」
を取得させることになった。

「結果」だけが「評価」されること。
「目的外の何か」を「無駄だ」と思わせること。

この繰り返しによって、
目的至上主義というべき思考とともに、
「自分の能力には生まれつき固定されていて限界がある。」
固定的知能観を取得する。

そうこれらは後天的に「取得」されたものだ。

子どものころは、野球やサッカー、プラレールなど、
どんな遊びをしていたとしても、
「その遊びはなんのためにやるのか?」や
「その遊びをやって将来どんな役に立つのか?」
と問われることはまずない。

そして、うまくいかなったことで、
「お前は何をやってもダメだな。運動神経ないんだよ。」と
親や他者から悪い評価されることはほとんどない。

ただひたすらに
「やってみる」だけだ。

ところが、時を経て、
中学高校と上がっていくと、
いつのまにか
「やってみる」ことに臆病になってしまう。

これは、
その期間に味わった、
「やってみたけどうまくいかなかった」
という経験の積み重ねによって取得したであろうと思われる。

そう。
ここで重要なのは、
「固定的知能観」は「後天的に獲得された」ものなのだということだ。
つまり、生まれつき自信のないわけではないということだ。

大学生がよく言う
「私はコミュニケーション力がなくて、初対面の人はニガテなんです。」

という発言は、完全に後天的に獲得されたニガテ意識だ。
初対面が苦手ならば、初対面の人と話す機会を作ればいいだけだ。
「やってみる」ということで、もしかしたらできるかもしれないのだ。

そして何より、
自分はできないというのは、学校の先生をはじめとする「他者評価」
によって形成されていると考えられる。

そして、評価されているのは、学校の勉強で学ぶこと、
つまり、暗記力と情報処理能力、あるいはスポーツくらいだ。

それらのほとんどは、
社会人になったときには不要であるとは言わないが、
それほど重要ではない。

特にこれからの時代。
超高齢化や人口減少の地域社会の中で、
求められているのは、
「ためしに何かをやってみる」という成長思考(成長的知能観)であると僕は思っている。

できるかできないかわからないけど、
とりあえずやってみよう。
そう思える人を増やせるかどうかに、
地域再生の道があると僕は思っている。

決断し、行動するプレイヤーを増やす。
行動するうちに、当事者意識が増し、
熱を持って取り組むようになる。

そのための機会提供を行うのが、
地域の大人たちの役割なのではないか?

高校生が屋台をやる。
大学生が本屋を運営してみる。

いや、それ以前に、本や人に出会うこと。

現在の学校中心の価値観な世の中だけが
唯一の価値観ではない、と
伝えてくれる本や人に出会うこと。

そんな機会を提供していく場として、
ツルハシブックスをつくっていきたいと思う。

人生が動く劇場を、
一緒に作っていきませんか?



ツルハシブックス第1期劇団員を募集しています。
※10月31日に締め切ります。次回の募集は2015年3月の予定です。
http://tsuruhashi.skr.jp/boshu  

Posted by ニシダタクジ at 07:46Comments(0)思い

2014年10月22日

small life with mission


「半農半Xという生き方(決定版)」(塩見直紀 ちくま文庫)
が待望の復刊。

半分は農のある暮らしをし、
半分はX(=自分の使命)を果たしていくような生き方を
描いた本だ。

私も「人生最高の朝ごはん」で
登場しているので、著者の塩見さんから
1冊送っていただいた。

帯を「里山資本主義」の藻谷浩介さんが
解説をコミュニティデザイナー山崎亮さんが書いているという
すごい1冊。
僕はこの本の中になんと3回も名前が出てきます。すごい。

塩見直紀さん
僕が出会ったのは1998年。
その直後に段ボール1箱の本を送ってもらった。

その中に入っていた2冊。

「種をまく人」(ポールフライシュマン)
「わくわくするビジネスに不況はない。」(小阪裕司)

が人生を変えた。
いや、今でも人生の基本になっている。

「種をまく人」を読んで僕は、
畑はコミュニティの拠点になる、
と確信した。

「ワクワクするビジネスに不況はない」を読んで僕は、
ビジネスとは壮大なコミュニケーション・アートだと思った。

だから僕は、
まきどき村で「人生最高の朝ごはん」を始め、
「虹のひろば」で小学生と遊び、
「起業家留学」で大学生とチャレンジをし、
「ツルハシブックス」でふたたび拠点づくりをしているのだろう。

そんなことを思い出させてくれる1冊。

あとがきに
「出版10年を振り返って」という項があるが、

そこには、
半農半Xをどう英訳するか?
というのがあった。

Half agriculture, Half X
とされることが多いという。

僕はやっぱり。
半農半Xを訳すなら、これしかない。

「small life with mission」
使命とともにある小さな暮らし

英語圏の人には伝わらないかな?  

Posted by ニシダタクジ at 07:27Comments(0)

2014年10月21日

タロット占いな月曜日



ツルハシブックス一口オーナー「ヒーローズ」の
佐藤惠子さんの1日店長。

書籍(古本も可)お買い上げの方に
タロット占いをサービスするという
夢のような企画でした。

僕もやってもらいました。
迷わずに今の思っている道に進んだほうがいい
とあなたも思っている。
迷いはありませんよね?という言葉をかけていただきました。

ちなみに僕が買った本は


やっぱり原点に返ると吉田松陰先生が目指した
学びあえる塾なのかもしれませんね。

そして昨日は
発掘解禁デーだったので、
30代以上の方も
たくさん発掘されていきました。

また1日店長お願いしたいですね。

次回の発掘解禁デーは、
11月20日(木)になります。  

Posted by ニシダタクジ at 05:55Comments(0)日記

2014年10月20日

芸術家の時代へ

名古屋で、
「ゲストハウスをつくりたい」
という3人に出会った。

20代前半の3人。
意気投合して集まったのだという。
これから1人の人の家に行って
寝袋で寝るのだと。

そういえば、僕は、
「芸術家の時代へ」というエッセイを
大学院1年のときに書いて、
それを冊子化して、旅をしながら配っていた。

「これをやらなければ生きていけない」
みたいなものが見つかった人は幸せである。
なぜなら、それがあれば生きていけるからだ。

僕にとってそれは、
みんなが集まる畑、まきどき村だった。

きっとそれは
一生モノの問いで、
「何がなければ生きていけないか?」
という問いに、そのとき、そのときに答えていくこと。

それが芸術家の時代で、
表現者として生きるということなのだろうと思う。

僕にとって、いまそれはツルハシブックスをより魅力的にする
ファンドレイジングなのかもしれない。

「ファンドレイジング」はアートだと思った。
人と人をつないでいく方法としてのお金を通じた仕組みづくり。
そしてそれによって、
たくさんの人が関わるプロジェクトができる。

みんな、かかわりたいんだと。
暮らしを豊かにするために、関わりたいのだと思う。

芸術家の時代。
それは宮沢賢治も言っていたように、
ひとりひとりが芸術家となる時代。

自分はどう表現して生きていくのか?
を問われる時代。

僕はツルハシブックスを
「劇団員」で運営する本屋という作品にしていきたいと思ってます。

あなたも劇団員になりませんか?
第1期劇団員は10月31日まで受け付けをしています。
http://tsuruhashi.skr.jp/boshu  

Posted by ニシダタクジ at 06:36Comments(0)言葉

2014年10月19日

「雑貨」としての本

「リトルプレスは本ではなくて雑貨です。」

松本のリトルプレスカフェ、栞日の
菊地さんが言っていた言葉が
今でも心に残っている。

本を買う感覚ではなくて、
雑貨を買う感覚に近いのだという。

では、
「雑貨」を買うとは、
どういうことだろう。

必需品ではないけれど、
暮らしを豊かにしてくれるもの。
そう。
雑貨とは、「日々の暮らしを豊かにするもの」だ。

弾丸ツアーでの
松江・鳥取、本のある空間ツアー。


松江・アルトスブックストア
http://www1.megaegg.ne.jp/~artos/menu.html


曽田篤一郎文庫ギャラリー
http://sotalibrary.will3in.jp/

そして、街の本屋の聖地、鳥取・定有堂書店。


http://homepage2.nifty.com/teiyu/

ミーハーなのでみなさんと
写真を撮りました。
本好きというよりは本屋好きな僕です。

15冊ほど抱えて、
帰路につくことになりました。

本は雑貨になっていく。
と思いました。

福岡のブックスキューブリックや
今回のアルトスブックストア、
東京・町田のソリッドアンドリキッドなどは、
おそらくはそのようなニーズに答えているのではないかと思います。

みんな、本がほしいのではなく、
「人生を豊かにしてくれるもの」がほしい。

それは冒頭に書いたリトルプレスなのかもしれないし、
本なのかもしれない。

定有堂書店の奈良さんが、
「カフェ」や「美術」に興味のある人が本を買っていくので
その関連のコーナーを大きくしている。
って言っていたけど、

それってまさに
「人生を豊かにしたい」っていう人たちの集まりなのではないか。

昔、ヴィレッジヴァンガード
がブームになったときに、
本屋業界の人たちは言っていた。

「あれは本屋じゃなくて、雑貨屋でしょ。」
そこには本屋としてのプライドがにじんでた。

しかし、若者は実際、
ヴィレッジヴァンガードで本を買うのだ。

それは、
本が「雑貨」として買われていることを意味するのではないか?

日々の暮らしを、人生を、ワクワクさせるために、
若者はヴィレッジヴァンガードに行く。

ツタヤも同じだ。
レンタルDVDのついでに本を買っていく。
そのとき、本は「雑貨」であるのかもしれない。

そうだ。
これからは本は雑貨になっていく。

いや。
ずっと紀伊國屋やジュンク堂に行って、
本の山に埋もれながら買う醍醐味を味わいたい
本好きの人は存在し続けるだろう。

しかし。
若者が必要としているのは、
「本」そのものではなく、
ワクワクする暮らしのための道具としての本、
豊かさを感じられる暮らしのための本が必要なのだ。

そんなことを実感した本のある空間ツアーでした。
ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 09:09Comments(0)

2014年10月18日

軽やかなる革命

小さく、静かに、
そして、軽やかに。

これからの革命のカタチを見た。

岡山県真庭市の小さなパン屋「タルマーリー」。
この夏に「田舎のパン屋が教える 腐る経済」
を読んでからずっと行きたかった場所。


玄関はこんな感じ。

中にはカフェスペースもあり、

いたるさんにサインを頂きました。


岡山から藤井くん、長野くんたちも合流してくれて、
新見まで送っていただきました。大感謝。

感想。
いたるさんは、とても軽やかでした。
人生を楽しんで生きる
ひとりの青春人でした。

軽やかなる革命が始まっている。

タルマーリーは、
そんなことを感じさせる空間でした。

小さく、
静かに、
そして軽やかに。

ツルハシブックスもそんな本屋になりたいなあ。  

Posted by ニシダタクジ at 09:49Comments(0)学び

2014年10月17日

マッチングモデルと固定的知能観

「大きくなったら何になりたいんだ?」
「将来の夢はなんだ?」
と子どもや学生に聞いたことがあるだろうか?


「一歩踏み出せば昨日と違う自分になれる!」(ライアン・バビノー、ジョン・クランボルツ 日本文芸社)

ふたたびこの本。

「仕事上での成功は、あらかじめ将来の職業を選びそれにひたすら打ち込むことにかかっている。」

という「キャリアマッチングモデル」
は日本でも多くの人が採用するところである。

イチローや石川遼、本田圭祐の
小学校のときの卒業論文を取り上げ、
「ひとつのことを熱心にやったら彼らは成功した」
というのは、決して間違ってはいないだろう。

しかし。
そのとき、事例はわずかに1つだ。
統計的な根拠は非常に弱い。

にもかかわらず、
このような「マッチングモデル」が採用され続けるのはなぜだろう?

この本によると、
それは1900年代はじめのフランク・パーソンズの研究にまでさかのぼる。
パーソンズは職業指導の父と呼ばれる人物で
人にはカギとなる才能、興味、性格があり、それらの特性は
特定のキャリアに結び付けることができると提唱しています。

この本の著者たちは、
これを以下の3つの理由で
「キャリアマッチングモデル」が合わなくなっていると言います。

~~~ここから一部引用

1つ目は、
マッチングモデルは、人は多面的で興味は絶えず変化することを
考慮に入れていないことです。
いま、刺激的でおもしろそうに思えることもひょっとすると
1年後には、もっと言えば明日にはもうそう思えなくなっているかもしれない。
それなのに、ひとりの人を変わらない特徴で定義できるというのは非常に馬鹿げています。

2つ目は、
職業が特定の性格タイプや興味と結びつくものと想定していることです。
論理的・内向的で数学が得意ならエンジニアに、
優しくて面倒見が良くて動物好きなら獣医に向いていると言えるでしょう。
しかし、論理的な獣医や優しくて動物好きな数学者になりたいと思ったら、
その職業につけないのでしょうか。

3つ目は、
社会は絶えず変化している事実を見落としていることです。
グーグル、アップル、アマゾン、フェイスブックなど、
世界でもっとも勢いのある企業を見れば、
数えきれない人が10年前には存在すらしなかった企業で
働いていることに気づくでしょう。

まだ名もない職業があなたに向いていると知らせてくれる、
カウンセラーや本や検査はどこにもありません。

これから歩んでいく人生の中で、
現時点では想像すらできないようなたくさんのチャンスに出会うはずなのです。

~~~ここまで一部引用

このマッチングモデルと、
中学・高校で培われる「自分の能力には限界がある」という固定的知能観が
キャリア教育・指導・支援の前提になっているとすると、

キャリアを選択するというのは、
なんと苦しいものなのだろうと思う。

自分は変化し続けているし社会も変化し続けている。

そして、
「経験すればするほど、自分は成長できる。」
という成長的知能観。

その前提に立ち、
マッチングモデルから脱却し、
「試作版」として生きる決意をすることこそ、

高校・大学時代にやるべきことなのではないか。

そのために、「地域」というフィールドは、
非常に魅力的な場所になる。

マッチングモデルと固定的知能観を超えて、
キャリアデザインとキャリアドリフトを組み合わせ、
成長的知能観を取り戻していくような
地域社会でのプログラムをつくること、が自分自身がいまやるべきことなのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 05:46Comments(0)日記

2014年10月16日

未来を予見する

未来は予測不可能だが
未来を予見することはできる。


知性を磨く~「スーパージェネラリスト」の時代(田坂広志 光文社新書)

久しぶりの田坂節は
熱かったなあ。

我々は未来の「具体的変化」を「予測」することはできない。
しかし、未来の「大局的変化」を「予見」することはできる。

砂浜で砂山をつくったとき、
その上から水を流して、
どのように流れるか?正確に予測することは不可能だが、
ひとつだけ確かに法則がある。
「水は低きに流れる。」

これをまさに「大局観」という。

そして、著者は未来を予見する法則として
ヘーゲルの弁証法を挙げている。

ひとつが
「事物の螺旋的発展の法則」である。

~~~ここから引用

物事の変化・発展、進歩・進化は、
あたかも「螺旋階段」を登るようにして起こる。
螺旋階段を登る人を横から見ていると、
上に登っていくが(進歩・発展)、

この人を上から見ていると、
階段を一周回って、元の位置に戻ってくる(復古・復活)
ただし、これは螺旋階段。必ず、一歩高い位置に登っている。

すなわち、物事の変化・発展、進歩・進化においては、
古く懐かしいものが、新たな価値を伴って復活してくる。
それが弁証法の「螺旋的発展の法則」である。

~~~ここまで引用

メールは、「手紙の文化」の復活。
電話で話すことによってコミュニケーションをとる文化が
再び文字を書くことによってコミュニケーションするようになった。

「古く懐かしいものが新たな価値を伴って復活する。」

だとしたら、
現代の本屋さんは、どうなっていくのだろうか?

アマゾンはかつて書店で行われていた
「目利き」や「おすすめ」をオートメーション化し、
参加型のメディアを作り上げた。

だとしたら、
まちの本屋はどうなっていくのだろうか。
それはきっと、私塾の復活。

吉田松陰先生がつくっていったような
学びあい、共に成長していくような、
教師も生徒もないような、
心の師を求め、集ってくるような、
そんな私塾のような空間になっていくのではないか。

私塾をどう運営するか?
という問いに向き合わなければならない。

きっと本屋は
江戸時代後期の私塾が
新たな価値を伴って復活したものになっていく。  

Posted by ニシダタクジ at 04:18Comments(0)

2014年10月15日

失敗とは、自分という市場の調査


「一歩踏み出せば昨日と違う自分になれる!」(ライアン・バビノー、ジョン・クランボルツ 日本文芸社)

ありがちな自己啓発本と装丁で
一瞬ビビってしまうが、
これは「計画された偶発性理論」の
クランボルツ博士の共著本。
大学生に超おすすめの1冊です。

精神論では決してなく、
長年の調査・研究に基づいた
ものを平易な言葉で書かれた本。

スタンフォード大学の全6回の超人気講義
「Doing It Anyway(とにかく、それ、やってみよう)」
に基づいて書かれています。

いきなり序盤で核心をついてきます。
失敗のすすめ。

陶芸の授業で、
学生を2つのグループに分けた。

グループAの評価は
「質」で行うことにし、学期中に何個か作ったうちの
最高の作品を評価することにした。

グループBの評価は、
「量」で行うことにし、学期中に使い切った粘土の量が
どのくらい多かったか?で評価することにした。

学期が終わり、評価の段階になって、
教師は興味深い発見をした。

技術と芸術性で判断した結果、
素晴らしい作品を作り上げたのはBのグループ、
つまり、「量」を重視したグループだった。

「量」のグループは試行錯誤を重ね、
ひとつ作るごとに技術が上達していった一方で
「質」のグループはひとつひとつを綿密に計画し、
完璧な作品をつくろうとするあまり、
学期中に完成された作品は数点だった。

つまり、
「成功している人は、たとえうまくいかない可能性があっても、
とにかくまずはアクションを起こしている。」
ということがわかる。

そのように、恐れや躊躇をどのように超えていくか、
がとても大切だという。

昨日、
「インターンシップ」をテーマにした座談会のようなもので、
インターンシップの価値、意義について、
悩んでいる大学生たちの素直な話を聞いた。

一番大切なのは、
「長期的視点で見ること」だと思う。

インターンシップをやることでの
学生のメリットは何か?
企業のメリットは何か?

という問いを発する人がいるとき、
そのメリットは半年や1年のスパンでの話ではないかと思う。

学生がインターンしたからといって、
事業成果があるかもしれないが、
それは本質的価値ではないと僕は思う。

学生インターンの価値は、
「社内文化の醸成」であると思う。

どんな社内文化か?と問われれば、

・失敗を恐れずにチャレンジする
・課題を抱えたときは、チームで解決する

ことだと思うし、
そのためには、
ミーティングや会議の場での

・ひとりひとりの意見の尊重
・「場のチカラ」の意識を持つ

ことなどが大切なのだと思う。

そんな企業文化を作るために、
大学生という触媒を使って、
組織の化学変化を起こしていくことが
インターンシップの価値なのではないか。

先の見えない、未来のわからない時代に、
まずは、試作版をつくって、世に出してみる。

そして顧客とコミュニケーションをとりながら、
いいものを生み出していくことが
どんな会社も必要だろうと思う。

学生の長期インターンシップは、
「挑戦できる企業文化をつくる」手法としては、
「費用対効果」の高いものだと僕は思っている。

大学生にとっては、
短期的視点で見ることなく、
自分の人生を長期的に見て、
インターンシップでの経験や出会いが
どうつながっていくのか?はわからないけど、
きっといいようにつながっていくことを信じて、進んでいってほしい。

失敗とは、自分という市場の調査なのだから。  

Posted by ニシダタクジ at 08:05Comments(0)

2014年10月14日

人生を賭けるということ



燕三条シェアスペース&ライブラリー(仮
改め
燕三条「トライク」
が昨日、グランドオープンしました。

小山雅由という
謎の男が燕三条にやってきて3年。

昼には国定市長がテープカット、
大家さん&自治会長も来てくれて、
夜のパーティーには
こんなにも大勢の人が集まってきた。

最高の空間だった。

大切なものを僕はまた、思い出させてもらった。

「人生を賭ける」ということ。

「仲間の力を借りる」ということ。

「ひとりでも始める」ということ。

そこからしか始まらない。

燕三条「トライク」という物語が2014年10月13日、始まりました。

そんな物語を僕も生きたいと思いました。  

Posted by ニシダタクジ at 07:18Comments(0)

2014年10月13日

「やってみる」という価値



10月10日ゾロ目の日。
「本の処方箋」@コスモツーリスト松本支店に
塩尻の山田さんと登場しました。

白衣を着せられて主治医役、
楽しかったですね~。

ああいう場所に来る人は
アクティブな人が多いのだけど、
アクティブな人はアクティブな人で
悩みを抱えていて。

印象に残ったお悩みが、
「いろいろ手を出しているのだけど、
どれも中途半端になっているような気がして。」

これ。
意外と多くの行動派大学生が持っている悩みのような
気がします。

昨日のブログに書いた
「機会提供に価値がある」
の話も同じことだけど。

「やってみる」
ことはすでに価値があるのです。

理由その1
未来がわからない「正解のない」時代に突入している。

理由その2
だから、すべてのアクションは「仮説」である。

理由その3
1人ではなく複数名の「知恵」の中から「納得解」を見つけていく必要がある。

仮説⇒行動⇒振り返り

あるいは

行動⇒振り返り⇒仮説⇒検証(行動)

の繰り返しでしか、
未来は創られていかないと僕は思っている。

そう考えると、
未来がわからない「正解のない」時代というのは、
むしろ希望なのではないか。

自らの1歩で未来が創られていくということではないか?
この手で未来を創っていける、そういうことなんじゃないか?

大学生には、
やる前にいろいろ考えて結局やらない人生よりも、
「やってみる」人生を選んでいってほしい。

中谷彰宏さんの言葉を贈ります。
「何も失敗しなかった1日は、何もチャレンジしなかった1日だ」

本日13日。
燕三条シェアスペース&ライブラリー
がオープンします。

ツルハシブックスオープンのときに手伝ってくれた
小山雅由さんが思いを込めた
作品の発表です。
ツルハシブックスもライブラリーに協力しています。



小山さん、
台風が近づく、最高の船出を、一緒に味わいましょう。

人生は試作版だ。  

Posted by ニシダタクジ at 06:18Comments(0)就職

2014年10月12日

「機会提供」に徹する

「機会提供」に徹する。
ここに美しさがあるのかもしれない。

ツルハシブックスの
地下古本コーナー「HAKKUTSU」
のコンセプトそのもの。

古本はほとんど、セレクトしていない。
メッセージカードがつけられるものなら、
ほとんどそのまま置かれている。

地下から古本を発掘して、
その人の人生がどう展開していくのかわからないけれど、
「HAKKUTSU」は、
その機会提供の瞬間にその役割を終えているのだ。

「機会を提供することそのものに価値がある」
と僕は思っている。
「何のためにそれをするのか?」
という問いかけに全部が全部答える必要はないと思う。
機会提供だけで、役割を終えてもいいのだ。

30歳の10月。
僕は玉川大学通信教育学部に編入学した。
中学校社会の教員免許を取るためだった。

翌年の8月。
東京・町田の大学でスクーリングに2週間。

そのときに
「ああ、学校ではないかもしれない」
と直感したのだけど、
せっかく入ったのだから、と介護体験、教育実習を体験。
指導案作りも行った。

学校の授業は、
「ねらい」から組み立てられている。
当たり前の話だ。

この時間の「ねらい」があって、
そのための「授業内容」があり、
成果をどのような「指標」で測り、
「評価」をどのようにするか?

というような文章をつくることだ。

教育には、
「ねらい」(目的)が必要なのだ。
そしてその「ねらい」(目的)に対して、
「評価」をすることが求められる。

単なる「機会提供」は教育ではないのだ。

そして、その「機会提供」は、
現代の社会では「価値」であるとは認識されない。

「なんのための機会提供?」
と聞かれてしまう。

いや。
そうじゃなくて、
機会提供そのものに価値があると僕は思っている。

そしてツルハシブックスのような地域の場は
機会提供に徹するべきだ、と思う。

「ねらい」や「評価」を前提にしたものとは、
ちょっと違った場のチカラを発揮できるために
それが必要なのかもしれない。

☆NHK総合(全国放送)再放送のお知らせ☆

8月20日に放送された
ツルハシブックス地下古本コーナー「HAKKUTSU」を
題材にした「地下から始まる物語」が
10月13日(月祝)4:40~再放送されます。

台風情報が周りを囲っている予感もしますが、
チェックしていただけると嬉しいです。


信州大学3人娘に再会してきました☆  

Posted by ニシダタクジ at 06:52Comments(0)思い