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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2016年06月30日

未来はカフェで生まれている

未来はカフェで生まれている。

きっとそうなんじゃないか。

だから人はカフェに行き、
人と話し、本を読むのではないか。

そんな場をつくりたいし、つくっていきたい。
そんな仕事を「作品」と呼ぶのだろう。



岡倉天心の生き様や書物からほとばしる
「teaism」

東洋と西洋、争ってないで、
まあ茶でも飲もうではないか。
そんな精神をどう体現するか?というプロジェクト。

こんな楽しい仕事があっていいのか。
と思えるようなワクワクする仕事。

今こそ、岡倉天心だと僕は思っている。
パラダイムシフトの時代に、
ひとりひとりが自らのコンパスを持たなければ
いけない時代に、僕たちはいま、茨城にいる。

この奇跡。

teaismとは、場のチカラのことだという。

五感を研ぎ澄まし、
主役であるお客様をおもてなしする。

ツルハシブックスの「劇団員」というコンセプトにも通じるなあと思った。

共演者たちとつくる時間と空間。
そのなかに未来が生まれている。

未来はカフェの中、カフェ的空間の中で
いま、この瞬間に生まれているのだなあと。

きっとこのプロジェクトは
「作品」と呼べるようなものに、きっとなる。  

Posted by ニシダタクジ at 07:35Comments(0)思い

2016年06月29日

未来は「会議室」の中で生まれている

成人する、大人になる、
とはなんだろうか?

世のハタチの中で、
「成人式」に出たことで
大人になったなあと実感する人は
何人いるのだろうか。

自治体が主導する「成人式」はもはや
同窓会の口実に過ぎないのではないか。

大人になるとはなんだろうか?

そもそも、
それがひとりひとり同じであるはずでもないし、
同時に起こるはずはもっとない。

自立とはなんだろうか?
安定とはなんだろうか?

仕事とは、はたらくとはなんだろうか?
生きるとはいったいなんだろうか?

そんな問いに対して、
自分なりの方向性を定めていくこと。
それこそが「成人式」なのではないか。

だとすると、
本屋や図書館が果たす役割は極めて大きい。
問いの宝庫だからだ。

そしておそらく、
その方向性に至る道筋も、もはや個人戦ではない。

多数の人が本を読み、それを語り、深め、
ふたたび本を読み、自分の中に落とし込んでいくこと。

きっとその繰り返しで
個人の生き方働き方は決まってくる。
そう、未来は「対話」の中に生まれていくのだ。

織田裕二が「踊る大捜査線」の中で

事件は会議室で起きてるんじゃない。
現場で起きてんだ。
と叫んでいたけど、

未来は「対話」の中にあると僕は思っている。

だから、その対話が会議室の中で起こっているのであれば、
(多くの場合、それは環境に左右されるので、会議室よりはカフェのほうがいいのだけど)
未来は会議室の中で生まれていると言えるだろう。

この前、
ネット上の集合知の中に未来がある、という話を聞いたけど、
僕はネットだけでは生まれないと思う。
ネットはリアルの補完でしかない。

リアルな集合知をつくっていくこと。
それは大学の現場こそが
もっともつくりやすいだろうと思う。

大学の中に「カフェ的空間」をつくり、
そこに「対話」を生んでいくこと。

そこに未来が生まれ続ける場をつくっていくこと。

きっとそれが僕のミッションなのだろうと思う。
これからの成人式をつくる。

それは「式」というよりは「機会」であると思うけど、
そんな機会がハタチには必要だと、心から思う。  

Posted by ニシダタクジ at 06:28Comments(0)アイデア

2016年06月28日

だとしたら、西田くん、まだ手紙は届いてねえよ

「だとしたら、西田くん、まだ手紙は届いてねえよ。」

暗やみ本屋ハックツを一緒にやっている
金子さんからの一言。


(1年前の今日、暗やみ本屋ハックツ@ブックスタマ工事中の金子さんの勇姿)

サンクチュアリ出版営業時代は
彼の一言に救われてきた。

今も変わらぬ挑戦者としての
彼が目の前にいた。
すごい人と一緒にやっているんだな、と。

「すごい人」っていうのは、
世間的に評価が高い人のことではなくて、
目の前の瞬間に、自分を集中できる人のこと。

仕事であれ、食事であれ。
そこに注ぎ込める人のこと。

昨日の時間は楽しかった。
時間にして2時間。
お互いの近況とこれからのハックツや
ツルハシブックスの話なんかをした。

昨年9月。
ハックツオープン記念で福岡と大阪のツアーをした。
2人のトークセッション。

金子さんの手がけた話題作「遺書」の話に、
心ふるえた。

手紙だ。

と思った。
出版に限らず、すべての仕事は手紙なんだって思った。
売上げとは、本質的には、手紙が届いたことを示すしるしだと。

そんなことを改めて思い出していた。
ハックツは1周年。
そして大阪ハックツが動き出す。

そのタイミングで、冒頭の言葉。

「だとしたら、西田くん、手紙はまだ届いてねえよ。」

そうそう。
僕は売上げを上げてないからね。

そういう意味では、
僕は、まだ手紙を届けていないのかもしれない。

ひとりひとり、手紙の届け方があるような気もするし。
手紙を届ける相手がいるのだと思う。

金子さんのおかげで、
人生がリセットされました。
ありがとう。

まだまだ、僕の手紙は届いていない。  

Posted by ニシダタクジ at 08:44Comments(0)

2016年06月27日

寂しさに耐えながら、表現しようともがく



茨城県北茨城市五浦・六角堂。
思想家・岡倉天心が住んだ場所。
なんとも言えぬパワーを感じる場所。

今朝。
平田オリザ著「下り坂をそろそろと下る」を読了。

終章から少し抜粋する。

~~~ここから引用

おそらく、いまの日本と日本人にとって、
もっとも大事なことは、「卑屈なほどのリアリズム」
をもって現実を認識し、ここから長く続く後退戦を
「勝てないまでも負けない」ようにもっていくことだろう。

実際に、もがき苦しみながらも改革に取り組み、
希望が見え始めている自治体はいずれも、
現実を見据え、短期的、場当たり的な対策ではなく、
確かな理念をもった長期的な取り組みを行っている所ばかりだ。

それは一見奇策に見えながら、
「ここでいいのだ」という自己肯定感を伴った、
実は堅実な街作りである。

~~~ここまで引用

本書に出てきた小豆島や城崎温泉、
四国学院大学や女川の事例は、
まさにそのような気概にあふれたものだった。

「地方創生」とは、
本質的にはそのようなものであるはずだ。

昨日はふたたび
岡倉天心の生涯に触れ、
あらためてこの時代に、この国で、茨城にいるという喜びを感じた。

パラダイムシフト。
価値観の転換。

そんな時代を生きているといわれる。
おそらくはそうなのだろう。

僕たちは、
産業革命以来のパラダイムシフトの
時代を生きているのだろう。

天心は、この地で、何を思い、何を祈り、
世界とどのように対話したのだろうか?

そして、僕たちは、この茨城で、
何を思い、何を祈り、何を語り、
どう表現していくのだろうか?

下り坂を下りていく
寂しさに耐えながら、
表現しようともがいていこう。  

Posted by ニシダタクジ at 08:00Comments(0)

2016年06月26日

しんがりのリーダーシップ


「下り坂をそろそろと下る」(平田オリザ 講談社現代新書)

1章ずつ全部面白い。
ゆっくりとかみしめながら読み進めたい1冊。

第4章 復興への道

宮澤賢治の雨ニモ負ケズを引用して

日照リノ時ハ涙ヲ流シ、寒サノ夏ハオロオロ歩キ
のほうが大切なのではないか、と説く。
あれだけの事故が起こった以上、
オロオロするというのが大切なのではないかと。

そして、
鷲田清一さんの言葉を借りて、
「しんがりのリーダーシップ」を説明する。

~~~ここから一部引用

これからの日本と日本社会は、下り坂を、
心を引き締めながら下りていかなければならない。
そのときに必要なのは、
人をぐいぐいと引っ張っていくリーダーシップだけではなく、

「けが人はいないか」
「逃げ遅れたものはいないか」
あるいは
「忘れ物はないか」と見て回ってくれる、
そのようなリーダーも求められるのではあるまいか。

滑りやすい下り坂を下りて行くのに
絶対的な安心はない。
オロオロと、不安の時を共に過ごしてくれるリーダーシップが
必要なのではないか。

~~~ここまで一部引用

なるほどなあ。

もしかしたら、コーディネーターって
そういう人のことなのかもしれないなと思った。

「しんがりのリーダーシップ」をとれる人。
リーダーに万が一のときは、
リーダーに代わって、指揮を執る。

鷲田さんは震災後の大阪大学卒業式で
以下のように述べた

請われれば 一差し舞える 人物になれ  

Posted by ニシダタクジ at 07:37Comments(0)

2016年06月25日

当事者意識と未来思考

当事者意識と未来思考。

その間に、未来があるのだろう。
いや、それを合わせたところに未来があると思う。

半分目の前の顧客に
軸足を置きながら、
一方で、未来からの視点を持って、
現在を見る。

当事者意識が高すぎると、現状から出発してしまう。
かといって未来思考だけだと、実現しない企画ができてしまう。

理想的には、
当事者意識を備えた人たちが
未来思考で考えること。

それをワークショップ内で実現できたらいいのかも。

地域の人と大学生が混ざり合い、
当事者意識と未来思考を持ち寄って、
これからの話ができるようになったら
いいのだろうな。

僕の課題は、
「当事者意識」と「未来思考」が
同時に育っていくような「ふりかえり」をつくること。
かもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 08:09Comments(0)日記

2016年06月24日

共に学ぶ仲間を探す


「下り坂をそろそろと下る」(平田オリザ 講談社現代新書)
1章ずつ読み進めるのにちょうどよいなあ。

僕としては
やっぱり芸術×教育に未来があると
思っているし、その中でも「演劇」というのは
未来を切り開くツールだと実感している。

第3章「学びの広場を創る」
香川県の四国学院大学の話。

演劇を大学の授業に取り入れ、
「アメリカでは演劇をやっていたことで就職が有利になる」
などと言いながら、やりつづけたことが
だんだんと真実味を帯びてくる。

平田オリザ氏の
入試新制度の実施にあたって、
高校生向けに書いた呼び掛け文が熱い。

~~~ここから一部抜粋

四国学院大学は、新しい大学の在り方と、
それに伴う新しい大学入試を提言します。

これまで、日本の大学入試は、
受験生がその時点で持っている
「知識や情報の量」を問うものでした。

四国学院大学は、全国の大学に先駆けて、
皆さんが大学にはいってからどれだけ才能を伸ばせるか、
多くの教員や友人と出会う中で、どれだけ人間として
成長できるか、その潜在的な能力を見る試験へと大きく舵を切りたいと思います。

(中略)

人が生きる共同体には、様々な個性が必要です。
「独創的なアイデアで組織を引っ張っていく人」
「豊富な知識を持ち、何でも相談に乗ってくれる人」
「組織が危機に瀕した時にユーモアで人々を鼓舞できる人」
「地道な作業をいとわず組織に貢献できる人」
「バランスよく、人と人とをつないでいける人」
・・・。

私たちは、この新しい入試制度を通じて、
皆さんひとりひとりの長所を発見し、
4年間、共に学ぶ仲間を集めていきたいと願っています。

~~~ここまで一部引用

なんか、ドラクエみたいですね。
ホント、そうなんだろうな、と。

しかし僕は、
この「個性」は18歳時点では、
まだ出現していないと考えています。

なぜなら、高校までがそのように
個性を発揮するような仕組みになっていないから。

大学に入ってから、
「演劇」ならぬ「地域活動」を通じて、
さまざまな「役」ならぬ「役割」を演じていく中で、

「個性」がひとつひとつ開花していく。

だからこそ、地域活動が必要であり、
ツルハシブックスがそこにあるのだろうと思っています。

ツルハシブックスが1枚の絵だとすると、

そのタイトルは「偶然」だろうと思っています。
もしかしたら「舞台」なのかもしれません。

しかし、大学生たちが本当に求めているのは、
いや、私たちだって、一生を賭けて求めているのは、
「共に学ぶ仲間」であろうと思います。

18歳のみんなが、
素敵な仲間に出会えますように。

素敵なキャンパスライフと地域ライフを。  

Posted by ニシダタクジ at 08:01Comments(0)

2016年06月22日

ふりかえりの師匠

「ふりかえりの文化をつくる」

明治学院大学市川先生の一言が
僕の最近のテーマになった。

目指すのは「ふりかえりの魔術師」
どんな活動をしても、ふりかえりをすることで、
ああいい活動したなあと思えるような
ふりかえりをすること。

僕には、ふりかえりの師匠がいる。

ナカムラノリカズさん。

長期実践型インターンシップを新潟で
立ち上げるとき、彼の存在無くしては、
到底立ち上がらなかった。
(実際の立ち上げには僕はあまり何もしていない)

当時新潟大学経済学部の学生だった星野くんとその仲間たち
そのあとを引き継いだ瀬沼さんたちのおかげで新潟の
「起業家留学」は2008年サービスインした。

大阪のNPO法人JAEで
インターンシップコーディネーターをしていた
中村さんに出会ったのは2007年の春。

ETIC.が主催する研修会でのことだ。
憧れの田坂広志先生の講演があった。

シビれた。
心ふるえた。

ふと横を見ると、
な、泣いてる・・・
ナカムラノリカズさんが泣いていた。

「いい人いるじゃん」
みたいな。

星野くんに、「大阪にいい人いるから研修いってきたらいい」
と大阪に行ってもらった。
8月1日から4日間。

その研修の前日。
7月31日に僕はJAEに電話した。
「明日から星野がお世話になります」

「あー、西田さん。すんません。僕今日で辞めるんです。」

普通ならここで

「えええ!!!」
となるだろう。

しかし。
そのときの僕の感情は
「キターーー!!!」
だった。

織田裕二バリの「キターーー!!!」だった。(古い)

中村さんが新潟に来て、星野くんと3人、
一緒にインターン事業を立ち上げる絵が浮かんだ。

「お盆に佐渡を走らないか?」
とまずは8月に新潟に来てもらい、

「ビジョンセッションをしよう」
と9月には村上で合宿をした。

そして10月。
中村さんは新潟に移住。
巻のおんぼろ一軒家で事業立ち上げに向けて動き出す。

法人名称を「ヒーローズファーム」に改称し、
長期インターンシップ「起業家留学」をスタートさせる。

「起業家留学」は、僕にとって研修だった。

「代表」と呼ばれ、イザというときに熱いことを言う存在だった。
彼は僕をうまくプロデュースしてくれた。

そして何より、彼に教わったのは、
「ふりかえりの文化」だった。

口癖は「ふりかえりしましょうか?」
もともと教育に関心を持っていた彼の真骨頂だった。

感性で生きてきた僕は、ふりかえりが苦手だった。

いつ、いかなる場合でも、
イベントの打ち上げの飲み会が終わった後でも、
「ふりかえりしましょうか。」

東京の研修での懇親会で散々飲んだ後でも、
「ふりかえりしましょうか。」

いつしか、ふりかえりは全国の他団体からも認められる
ヒーローズファーム名物となった。

研修途中で「また、あいつら、ふりかえりやっているな」という
目で見られるのも悪くなかった。

僕は中村さんと過ごす時間で、
「ふりかえりの文化」を手に入れた。

「ふりかえりの文化」は、
僕のかけがえのない資産となった。
中村さんのおかげです。

いま。
「ふりかえりの魔術師」を目指して、
(決して貴公子ではない。笑)

日々経験とふりかえりを続けていこうと思う。
中村さん、ホントにありがとう。  

Posted by ニシダタクジ at 06:25Comments(0)

2016年06月21日

コミュニケーション力とは、コミュニケーションデザイン力なのかもしれない

コミュニケーション・デザイン。

「コミュニケーション力」
ではないのかもしれない。

いや、
コミュニケーション力とは、
話したり聞いたりすること、そのものではなく、
コミュニケーションをデザインすること、なのかもしれない。

初デートで、
パスタ屋さんに行かないことかもしれない。

地域とのコミュニケーションもそうだ。
恰好から入っていく。

何者か、見た目ではっきりとわかるようにして、
話しかけることが大切なのかもしれない。
もちろん、「若い」ということは
とっても貴重なサインなのだけど。

座る位置を90度で座るとか
カウンターに並んで座るとか。
そういうことって小さいことのようで結構大事だ。

アパレルでカリスマと呼ばれる販売員たちは、
向かい合って服を勧めることはことは決してないのだという。

気づかれないうちに、(というのは大げさかもしれないが)
隣に入り込んで、「これ、いいですよね」とささやくのだという。
なるほど。

コミュニケーション力から
コミュニケーションデザイン力へ。  

Posted by ニシダタクジ at 07:43Comments(0)日記

2016年06月20日

複数の役割を演じるということ


「下り坂をそろそろと下りる」(平田オリザ 講談社現代新書)

「わかりあえないことから」
につづく、平田オリザさんの1冊。

まだ第1章しか読んでいないのだけど、
やっぱり鋭いところついてるなあと。

小豆島の事例。
子育て層が移住してきて、
活気がある小豆島。

離島でありながら人口3万人という、
その中で産業構造が成り立つようになっていることも大きい。

平田さんは演劇を取り入れた
コミュニケーション力の授業を展開している。

印象に残ったのは、
小豆島高校の野球部の話。

参考:
http://geinou-resistance.info/1325.html

今年の春のセンバツ高校野球に
21世紀枠で選ばれた小豆島高校。

その強さの秘密を
平田さんは、少人数がゆえの
複数ポジションをこなすところにあるのではないか、と言う。

複数の役割をこなす。
そのことが人々の自主性、主体性を伸ばす。

それによって関係性もよくなるのではないか?

参考先URLを見ても、
フェリーでの練習試合にいくときも
行き帰りの船の中が
よいミーティングの場になっているのだという。

なるほどな。
ふりかえり、がちゃんとできているのだなあと。

これkらが楽しみな1冊です。  

Posted by ニシダタクジ at 07:29Comments(0)

2016年06月17日

そのプロジェクトで地域はどう変わるのか?

デザインの力で解決する。

世の中の地域課題社会課題の多くは、
単体では解決しない。

地方創生と言いながら、
補助金や地域おこし協力隊を突っ込んで、
地域資源を生かした商品開発を、
と言っている場合ではない。

そもそも、地域課題は、
仕事不足、若者不足だけなのだろうか?

ヒット商品をつくり、地域産業を育て、雇用を生み出す
ことだけが価値あることなのか?

デザインの力。

そのためにはまず、構造的に見ることが
不可欠だと思う。

自分というリアル、
それをとりまく環境、
そして過去と未来。

この3つを構造的に見ることが
デザインには必要だ。

困っている人同士を組み合わせる。

たとえば、
ひとり暮らしの高齢者に、
保育園児の見守りをやってもらう。

たとえば、
保育士資格を持っていて引退しているお母さんに
病気の子どもを預かる病児保育サービスを展開してもらう。

そんなふうに仕組みをつくること。
それがデザインの力だ。

大学生のうちに、
そんなプロジェクトを考えること。

そのときの問いは、
やはりこれだなと思う。

そのプロジェクトで地域はどう変わるのか?

これは、四万十の迫田さんの
「その商品で社会はどう変わるのか?」
という問いかけから引用した。

http://hero.niiblo.jp/e476755.html
「その商品で、社会はどう変わるのか?」
(2016.2.4 20代の宿題より)

大学生が始めた小さなプロジェクトが
地域を変えていくかもしれない。

いつも、この問いを胸に。

そのプロジェクトで地域はどう変わるのか?  

Posted by ニシダタクジ at 08:05Comments(0)日記

2016年06月16日

「インターンシップ」と「アントレプレナーシップ」

「インターンシップ」を「就業体験」
と訳すのをもうやめたほうがいいと思う。

2008年。
長期実践型インターンシップを
事業化するとき。

「インターンシップ」と呼ばない名称を、と
中村くんと星野くんと考えたネーミング。

それは「起業家留学」だった。
(たぶんこれ、新潟が一番最初に使っているはず)

外国に留学するつもりで、企業に入って学ぶ、
ライバルは「海外留学」だった。

得られるものは、スキルではなく、
起業家精神(アントレプレナーシップ)。


「起業家精神」(福島正伸 ダイヤモンド社)

1995年12月刊行の1冊。

当時、僕の悩みの80%は環境問題だった。

環境問題の本質とは何か?
ひたすら深めていっていた。
新潟・紀伊國屋の環境・農業コーナーに入り浸っていた。

当時は、人口爆発からくる飢餓にどう対応するか?
南北の経済格差による飢餓と飽食の同居をどうするか?
がトレンドだった。

そんなときに、レジに本を持っていく途中に
飛び込んできたのが、
福島さんの「起業家に必要なたったひとつの行動原則」(同じくダイヤモンド社)
こちらは1998年6月刊行。おそらく新刊台にならんでいた。

サブタイトルに、心を奪われた。
「成功者は5分ごとに思いを確認する」

5分ごとか~!
と衝撃を受けて、即購入。
その次に買ったのが「起業家精神」だった。

環境問題の本当の原因が判明した。
それは、起業家精神の欠如だと思った。

誰もが「みんながやっているから」と判断を他人に預け、
消費社会をひた走ってきた。

たしかにモノは豊かになった。
しかし、誰もモノによって幸せにはなっていなかった。


自分で考えること。
行動すること。
行動に責任を持つこと。
他人のせいにしないこと。

これだ、と。

起業家精神の欠如が環境問題を引き起こし、
さらにそれによって誰も幸せになっていないことを実感した。
環境問題とは、それに気づかせてくれるチャンスなのではないか、
と思った。

幸せになるために必要なのは、
「起業家精神」そのものだと思った。

その日からちょうど10年後の2008年に、
「起業家留学」をサービスイン。

コンセプトは起業家精神の醸成である。

中小企業の経営者とプロジェクトチームを組み、
半年間、共に取り組むというプログラム。

「起業家精神」を肌で感じることが重要だと思った。

「経営者」は目の前の事象に対して、人のせいにはしない。
自ら考え、自ら解決しようとする。

それを体感すること。
それがインターンシップの意味だと思う。

この夏、
インターンシップを考えている人に、
アドバイスできるとすれば、

大企業ではなく、中小企業。
短期ではなく、社長と一緒に
経営にとって重要なプロジェクトに取り組む、

そんな機会を得ることだと思う。
ピンチの時に最後に自分を助けてくれるのは、
「起業家精神」しかないと僕は思う。

「アントレプレナーシップ」(起業家精神)を育むことのできる
「インターンシップ」を選択したほうがいい。  

Posted by ニシダタクジ at 06:31Comments(0)就職

2016年06月15日

「ふりかえり」というエンターテイメント

究極のエンターテイメントは「学び」であると思う。

新しいことを知る。
何かができるようになる。
過去の点と点がつながる。

その学びを
もっとも得られる機会、
それが「ふりかえり」ということになるのかもしれない。

「機会」を感知し、
「行動」が起こり、
「ふりかえり」で学ぶ。

おそらくはこの繰り返しによって、
人は学び、感性と価値観を磨いていくのだろう。

昨日のふりかえりの時間はとっても楽しいものとなった。

「ふりかえりの文化をつくる」
最近のテーマ。

ふりかえりの3つの視点
「自分視点」:自分が感じたこと、考えたことをふりかえる。
「構造視点」:関係性から構造的にふりかえる。
「未来視点」:時間軸で過去と未来の視点からふりかえる。

ジュニエコであれば、
「自分視点」で考えれば、小学生と接する中で感じたこと
考えたことをまずふりかえる。

「構造視点」では、小学生、親、青年部と自分たちなどの
関係性から、構造上の課題や利点などをふりかえる。

「未来視点」では、自らのキャリアを展望したり、
イベント自体の将来的な展開について考え、ふりかえる。

そして何より、
ふりかえりそのものを楽しくやらなければならない。

イベント後の「反省会」(いわゆる飲み会)
があるのに「ふりかえり」をしないなんてもったいない、
と思うくらいの「ふりかえりの文化」をつくりたい。

僕が中村さんに教わった振り返りの初歩的手法。

予想できたこと、できなかったこと
よかったこと、悪かったこと
という2軸でのマトリクスをつくり、ふりかえるという手法

左上:予想できたよかったこと
左下:予想できた悪かったこと
右下:予想できなかった悪かったこと
右上:予想できなかったよかったこと

右上よりも右下のほうを先に表記しているのは、
個人振り返りのあとのグループ、あるいは全体ふりかえり
の際に、この順番でやっていくと、ふりかえりが
楽しくなるのだということ。

ふりかえりが「反省会」(この場合は本当の反省会)
になってしまわないように。

「反省会」は、
「反省」しなければいけないから、

改善点がひたすら出てくる。
もっとこうしたほうがよかった、
ここは失敗だったから次はこうしよう。
いや、もちろんそれも大切なんだけど。
このマトリクスで言えば下の部分。

そこももちろんちゃんと議論するのだけど、
まずはよかったことから話をはじめ、
中盤でじっくりと反省・改善をして
ラストで「予想できなかったよかったこと」で終わる。

なにか、「行動」すれば、
「予想できなかったよかったこと」に出会える。
それをチームで共有すること。
それが一番楽しいのかもしれない。

「ふりかえりの文化」をつくる

そのためには、
ふりかえりのエンターテイメント性を
高めていくことが必要であるなあと感じた
ふりかえりでした。

以上、ふりかえりのふりかえり、終わり。(笑)  

Posted by ニシダタクジ at 06:32Comments(0)学び

2016年06月14日

「自由」と「承認」


「認められたいの正体~承認不安の時代」(山竹伸二 講談社現代新書)

あらためて読み直す。
「自由」と「承認」について、考える。

中世から近代になり、
人々は「自由」を手に入れた。
宗教的な縛りから解放され、
好きなように生きていけるようになった。

実はそれはいいことばかりではなかった。
それと同時に危機に瀕したものがあった。

それは、「承認」である。

特に、この本の定義である3種類の「承認」
1 親和的承認:ありのままの自分を承認される
2 集団的承認:集団の中で役割を果たすことで承認される
3 一般的承認:社会一般が認めるいいことをすることで承認される

「承認」とは、周りが求めるものに対して
応えてこそ得られるので、
キリスト教的価値観の中では、
ある意味、それはわかりやすかった。

ところが、産業革命が進行し、
個人の自由が拡大していくと同時に、
価値観は多様化していく。

しかし、まだそこまでは、
日本の高度経済成長のように、
国民全体が共有する「大きな物語」が存在した。

おそらくは、日本という集団の中での
集団的承認を果たしていく喜びがあったのだろうと思う。
会社(仕事)のために自分を犠牲にする行為は、
承認欲求を大いに満たしてくれたのだろうと思う。

いま。
平成の世の中になって、「大きな物語」は失われた。
「承認不安」の原因のひとつはそこにあると思う。

世間一般に通用する価値観がなくなったいま、
がんばってもがんばっても、承認されない世の中になってしまった。
「働かない若者」の原因の一端もそこにあるのかもしれない。

価値観の多様化、という自由は
同時に、どうすれば承認されるか?という不安を引き起こす。

おそらくは
それが「コミュニティ」へと向かわせているのかもしれない。

僕は大学生や20代たちの誕生日サプライズ合戦は
ある意味異常な姿だと思うのだけど、
あれは親和的承認を満たすための
自己防衛の方法なのかもしれない。

「承認」という観点から自分と世の中をとらえなおす。
それも大切なプロセスかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 08:21Comments(0)

2016年06月13日

「なんとなく」シフト

イナカレッジ・学生インターンの
現地視察と東京・渋谷での説明会


新潟県長岡市・木沢からの風景

「イナカレッジ・学生インターン」の舞台。
百姓百貨店の現場にお邪魔し、一泊した。
https://inacollege.jp/

1泊2日の滞在で感じたこと。

「なんとなく」シフトが始まっている。
そう感じた。
言語化できない何かを信じられるように
なっていっている。

「何のために?」
と問われて、明確に理由を答える必要など、
本当はないのかもしれない。

「なんとなく」
でスルーしておけばいいのだ。
自分にも、それはわからない。
でもやってみたい、という自分の感性が
たしかにある。

きっとそういうことで
始められる人が増えてきているのだろうなあと思う。

「なんとなく」シフトと同時に、
おそらくは、「継続至上主義」とか
「石の上にも3年」とかいう価値観も、
きっと崩れつつあるのだろう。

ナカムラケンタさんとリトルトーキョーが
虎ノ門から清澄白河に移ったように、
渡辺格さんが
人気絶頂のタルマーリーを真庭から智頭に移したように

いま、この瞬間、自らの感性を信じて、行動すること。

その瞬間。
きっと人生はそういう一瞬一瞬なんだろうな、と。

僕は24歳で自然農に出会ったときに、
こんな生き方がしたい、と思った。

「その草を残すべきか刈るべきか、畑に立つと自然と分かるようになる」
「自然とは、そうなるしかなかった、ということ」

いま、目の前のこの瞬間に本気で全力であること。
「人生を賭けて」って別に大げさなことじゃなくて、
日々、人生を賭けているんだってこと。

昨日の参加者は、
まだ迷っているが、興味があるという人が多かった。

企業インターンと田舎インターンで迷っている、
と親に相談したとしたら、
「田舎インターン?それ、なんのためにやるの?
そこに就職するわけじゃないんでしょ?」

と言われてしまうだろうと思う。

その質問に対して、正面から答える必要は
ないのだろうと僕は思う。

「なんとなく」と答えておけばいい。

企業と結婚する「就職」の時代は終わりつつある。

企業が一生面倒を見てくれる保証はない。
それを不幸な時代だと思わないことだ。

企業が一生面倒を見てくれて、
そのかわり、「専業」であることをひとりひとりに求めた
「会社員時代」が果たして幸せだったのだろうか?

「工業の時代」、しかも初期にしか通用しない、
あるいは人口が増え続け、消費が続いていく
という時代においてのみ、そのような人生設計が可能だったのではないか。

これからは企業と、いや仕事と恋愛する時代だ。
恋愛において、大切なのは、なんだろうか?

感性と「ときめき」と行動することではないか。

自らの感性のセンサーを信じて、行動してみる。
理由は「なんとなく」だ。

そんな世の中が始まっているのだと
田舎インターンの経験者のトークを聞いていて
強く感じた。

感性と価値観をみがく「田舎インターン」、
この夏も行っています。

「なんとなく」面白そうだから、という理由で
やってみませんか?

朝4時、こんな景色を見ることができますよ。
  

Posted by ニシダタクジ at 07:11Comments(0)日記

2016年06月09日

点と点がつながる

「つながる米屋」コメタクの
クラウドファンディングがスタート。

https://faavo.jp/niigata/project/report/1381

ツルハシブックスのすぐ近くにある
「飯塚商店」というお米屋さんでの女子3人によるプロジェクト。

1年間の準備期間を通して、
商店街との人間関係をつくり、
いよいよ米屋の改装に向けて動き出す。

スタンフォード大学での
スティーブ・ジョブズの伝説のスピーチを思い出した。

Stay hungry, stay foolish.
で締めくくられるスピーチにこんな箇所がある。

You can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards.
So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.

未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけだ。
だから、バラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。

点と点がつながる。
あるいは、点と点はつながる、のかもしれない。

来月3日。
三重のわくわくスイッチの中村くんのところでの
トークイベントのために、プロフィールを書いていて、思い出した。

1993年。平成の大凶作と呼ばれ、
深刻な冷害と台風襲来のため、米の収穫高が激減。
主食用の米も足りなくなり、タイ米などを緊急輸入した。
12月にはガット・ウルグアイラウンドの交渉が決着し、
米の部分開放(輸入)が決定した。

当時、僕は19歳、浪人生だった。
満員電車のドアに挟まれながら、
津田沼の予備校の自習室に通っていた。

ニュースを見て、「日本の農業をなんとかしよう」
と新潟大学農学部に行ったら稲作を専攻しようと思った。
子どものころに途上国の様子を見て、
「国連に入りたい」と思うようなものだ。

あれから23年。
「つながる米屋コメタク」がデビュー。

点と点はつながるものだなあと、実感している。

「まきどき村」では
畑や食べることを中心に人と人がつながる、がテーマだった。
「ツルハシブックス」では、
本をツールとして、本屋を舞台として人と人がつながってきた。

「暗やみ本屋ハックツ」は、
本と10代をキーワードに、学びの場として機能している。

そして、
つながる米屋、コメタク。

届けたい人は19歳。
朝、米を炊くという暮らし。
暮らしの中に好きと隙を増やす。

彼女たちが紡ぎだすキーワードに、
心が動かされる。

3人ひとりひとりも、
過去のさまざまな点をつないで、
いま、コメタクという舞台にたっているのだろう。
そして、彼女たち自身もまた、ひとつの点に過ぎない。

人生には、きっと、「点と点がつながった!」
と思える瞬間がいっぱいあるのだろうなと思った。

ちいさな「点」を重ねていこう。
感性を信じて、「点」をつかんでいこう。

未来に先回りして点と点をつなぐことはできない。
いつか、つながった!と思える日が、来るかもしれないし、来ないかもしれない。

そんなかもしれない人生も素敵だなあと思いました。

つながる米屋、コメタクのクラウドファンディング、
あなたも参加しませんか?

https://faavo.jp/niigata/project/report/1381  

Posted by ニシダタクジ at 06:02Comments(0)日記

2016年06月08日

リンゴ、いりませんか?



つくば市のPEOPLEという素敵な古本屋さんで
買いました、spectato rvol36「コペ転」

冒頭のリンゴ屋さんの話がまさに
「コペ転」:
「天動説」から「地動説」へのような
コペルニクス的転回の略
1970年代に流行ったそうだ。

現代のコペルニクスたちを追いかけたこの特集。

表紙のリンゴの絵は、
ムカイ林檎店で
リンゴ売りをしている片山玲一郎さんの
リンゴ屋さんの話から。

この話だけでとっても熱い気持ちになれた。

住宅街のインターホンを押し、
「リンゴ、いりませんか?」
と声をかける。

リンゴは商品というより、
コミュニケーション・ツールだ。

リンゴ売りはサーフィンに似ている。
目に見えない「フロー」を掴める人ほど売れていく。

リンゴを買うのは、
リンゴがほしいからではない。
「君がマジメそうだったから」

「あなたたすすめるから」
といって、食べないりんごを買う人もいる。

ヤッチャバで聞いた菊地くんの
栗ご飯の話を思い出した。

リンゴがほしいわけでも、食べたいわけでもない。

でも、リンゴを買うんだよね。
それがなぜか、っていうのがとても大切だなあと
思った。

「評価経済社会」を読んだ後だったので、
なおさら頭に入ってきたエピソードでした。

ツルハシブックスでも取扱いします。  

Posted by ニシダタクジ at 08:15Comments(0)

2016年06月07日

「わかりやすさ」の価値

パラダイム・シフト。

これまで信じてきた価値観は
なんだったのだろう?

と多くの人が思いながら、
迷いながら生きている。

たとえば、
「わかりやすいこと」

鹿児島から新潟へ移住し、
米屋をやっている吉野さくらは言った。

「新潟に来た理由は、
いちばんよく分からなかったからです。」

「わからない」ことに
価値があったと、彼女は言った。

それこそが学びの醍醐味、つまり人生の醍醐味
なのではないかと僕は思った。

「わかりやすさ」に果たして価値はどれほどあるのだろうか?
いや、「わかりやすさ」は本当に価値なのだろうか?

いま、この瞬間においても。
言語化すること、されることに、どれほどの価値があるのだろうか?

わかりやすさに価値があったのは、
産業革命以降、工場で働く人が
大量に必要だった時代だけの話なのではないか?
効率的に、が何よりも優先された時代の話だったのではないか。

もはや、わかりやすさに大した価値はないのではないか。

「わかりやすさ」の最たるものが、
二元論である。

正しいか、間違っているか
損か、得か
善か、悪か

これらを明確にすることが必要だった。
その判断を他者に委ねることは効率的な行為とされた。

「わかりやすさ」にもう価値はあまりない。
ひとりひとりが自分で考えた仮説を試し、ふりかえる。

きっとその繰り返しでしか未来は始まらない。  

Posted by ニシダタクジ at 07:42Comments(0)日記

2016年06月06日

「ふりかえりの文化」をつくる


第37回 異文化間教育学会 公開シンポジウム
「サービス・ラーニングにおける異文化間教育の視点」@桜美林大学
に行ってきました。

「サービス・ラーニング」が最近のキーワードです。

桜美林大学の林先生の最初のダイジェストの説明が
めちゃわかりやすくてよかった。
今回のシンポジウムの目的から。

1 文化の多様性・複合性
2 価値観の問い直し・視点の転換
3 相互作用・相互変容
4 関係性の組み換えと構築

異文化間教育のこのような視点でサービスラーニング(以下SL)を
とらえなおすシンポジウム。

・サービスラーニングとは?
アメリカの
「National and Community Service Act of 1990
(国家およびコミュニティ・サービス法)」

目的:市民的責任の倫理の復活
定義:
・コミュニティのニーズに対応している
・学校教育をはじめとするさまざまな教育プログラムに
統合されている。
・市民的責任を育てることを目的としている
・学問的なカリキュラムに統合されている
・サービスをふりかえる時間が確保されている。

日本の大学では、
サービス(社会貢献活動:良き市民としての態度・行動)と
ラーニング(学び:学術的な経験・知識・技能)
を相互にやりとりすることによって、
実際に現場で起こっていることと学びを接続し、
学習意欲も活動意欲も上がっていくという取り組み。

桜美林大学牧田先生からは、「カンボジア・ボランティア研修」、
同じく桜美林大学林先生からは、「地域社会参加」、
明治学院大学市川先生からは「岩手県大槌町での震災復興プロジェクト」
筑波学院大学武田先生から「オフキャンパスプログラム(OCP)」の
事例紹介があり、そのあと、それぞれの先生から
異文化間教育の4つの視点から活動をとらえなおす、という時間だった。

~~~以下第1部メモ

(カンボジア・ボランティア研修)
私たちはこれまで世界の何を見て、
何を知っていたのだろう?

目的
・カンボジアという異なる文化や価値観の存在を知り、
そうした人たちと交流する。
・実態を知ることで「構造的暴力」の存在を知る
・NGO活動を通して、「子どもの権利」について学ぶ
・「意味のある支援」について理解する
・「持たない人と分け合う」精神を身につける

50名近く説明会に来たが、参加者は3名。
親の反対(危険である)により断念した例も。

12コマの事前学習と3コマの事後学習
現地では毎日夜に1~2時間振り返りの時間をもつ。

事後学習では帰国1週間後に
到達目標に関する質問や問いかけを行った。

とくに「自分たちに何ができるのか」、
という点について話し合い、「まわりに伝えること」という
結論に達し、報告書の作成と報告会の実施を行った。
30分間でパワーポイントを用いた報告会(参加者12名)を実施。

学生のコメント
・異文化を知ることで、自分たちの文化を知ることができた
・すべての問題が「構造的」にあり、子どもの権利が守られていない
・NGOは財源が不十分だったり、日本の場合はどこまでやるのか?という課題を抱えている。
・一時的なものではなく子どもが大人になるまでの長期的な支援が必要

SLでは、学生の学びの充実化(体験と知識の融合、自ら働きかける能動性)、
地域・現場への貢献、さらには市民教育という3点が重要視される。

(地域社会参加)
野宿者支援/生活保護世帯への学習支援
を選択して行う。

20時間のボランティア活動と
週1回の授業(講義、ディスカッション、シェアリング、活動記録)
⇒ふりかえる、つなぐ、深める
現場での気づき・学びと講義での気づき・学びをつなげる

「多様な」他者との関係性の構築
・状況から学ぶ力の育成
・学術的知識と思考方法の獲得
・市民意識の醸成

構造的に考えることによる「批判的思考」
支援者‐被支援者から人間‐人間へ

(大槌町での実践から)
サービスラーニングが目指していること、
「高等教育改革」「社会変革」「地域貢献」
の重なり合う部分にSLをつくる

デューイ・経験学習論
・「経験を省察し、再構成することで
より高度な創造的な知が生成される。
・経験と学習を連続的なものと捉える。

PDSA
Plan Do Study Action
を繰り返す。

あるとき「視点の転換」が起こった。
外部的視点⇒内部的視点。
震災後のヒーローではなく震災前の日常。

おばあちゃんに郷土芸能の話を聞いたら、
急に声のトーンが高くなった。

方言で吉里吉里カルタをつくる
精神の復興はアイデンティティの復活。

問いかけ
・サービスラーニングは
誰が問題を発見するか、
達成は誰が判断するか、
どこにむかっていくのか?

(OCP)
「社会力」の育成
多様な他者との相互行為により
様々な人と協力しながら、
より良い社会を創り上げる力

実践科目A(必修)「体験型」「ふれあい型」
地域でのイベントに「体験参加」し、
社会で必要な能力について知る
(1日体験~)

実践科目B(必修)「中長期型」「一定タスク達成型」
地域活動に市民の一員として「中長期的に参画」し、
社会で必要な能力を高める
(30時間以上)

実践科目C(選択必修)「プロジェクト型」「自己実現型」
自分の取り組みたいプロジェクトを「計画」し、
実際に「社会に飛び出して実践」する
(60時間以上)

・地域協働の実践
・地域リーダーの育成

OCPの役割
大学が培ってきた文化(大学資源)を「地域文化の発展に寄与」
を「大学と地域の協働による文化創造」によって
地域が培ってきた文化(地域資源)を「大学文化の発展に寄与」
すること

~~~ここまで第1部メモ

ここまでが事例発表。
このあと、質疑応答を挟んで、
異文化間教育の視点について、ディスカッション

~~~以下、質疑応答・ディスカッション時のメモ

・キャリアに乗る、というより、キャリアをつくる。
・「なぜ、そう思うのか?」を問い続ける。
⇒批判的思考を得る。
・遠近法で問う

・「ふりかえりの文化」をつくる
・気づき・学びの共有を行う

・どういう視点で振り返らなきゃいけないのか?
を関係者に問う。

・俯瞰的=構造的に見る
・長期的に見る
・価値観の問い直し、視点の転換

・「地域」「大学」「学生」3者の交流によって
発見されていく価値

・創造的リフレクション
・最終的に「文化」に着目した

・「地域活動」⇔「大学の学び」
すべてがサービスラーニング化できる。

・市民性の養成と学びのバランス
気づきから学問的知識を用いて、解決へつなげる。
協働するという働きかけ

・自己効力感が高まる。

まとめ
・リフレクション(ふりかえり)の大切さ
・協働で得られることを大切にする
・気づきのために、事前に知識を入れすぎない
・傾聴する
・永続的変容を目指す

~~~ここまで質疑応答以降のメモ。

いちばんヒットしたのは、
「ふりかえりの文化」をつくる
という明治学院大市川先生の言葉。

これ、サービスラーニングではもちろん、
すべての事業において必要なのだろうなと。

試作の時代を迎えているいま、
やってみて、振り返ること。
そこから始まっていくのだろうと。

やる前にばっちり計画と目的を立てて、
「これを学びにいく」と決めて、
そこから成果を測っていくのではなく、

「予想できなかった学び」を大切にして、
ふりかえり、仮説を立て、ふたたび次の試作へと
向かっていくことが、
これからの世の中の生き方であるのだろうと思う。

そのためにも、
まずは「ふりかえりの文化」をつくっていくこと。

それが一番カギになるのだなと感じた1日でした。
お誘い、ありがとうございます。  

Posted by ニシダタクジ at 07:46Comments(0)学び

2016年06月03日

「学びたい」「勉強したい」に答える


「評価経済社会」(岡田斗司夫 ダイヤモンド社)

本日もひとりゼミ。
評価経済社会です。
よろしくおねがいします。(笑)

いちばんおもしろかったのは
「ネット中世」という言葉。

つまり、本書によれば、
堺屋太一の
「やさしい情知の法則=どんな時代でも人間は、
豊かなものをたくさん使うことは格好よく、
不足しているものを大切にすることは美しいと感じる」

に基づき、
大きな時代の流れを次のように整理します。

1 古代(縄文):モノ不足・時間余り
今日生きるここと。

~~~農業革命

2 封建社会(弥生~鎌倉・室町・戦国):モノ余り・時間不足

3 中世(江戸):モノ不足・時間余り

~~~産業革命

4 近代(明治~昭和):モノ余り・時間不足

~~~情報(ネット)革命

5 これからの社会

となるわけですが、これを著者は「ネット中世」と表現したりします。
精神世界を大切にし、科学よりも抽象的な芸術を愛する。

これは、中世と違って、
自分は神の思し召しによって
生まれて死んでいくのではなく、
自我が確立していき、自ら選択し、生きていかなければ
いけないからです。

「モノ不足・情報余り」な時代に、
何をするか、といえば、いわゆる「アマチュア活動」です。

これらの特徴は3つあります
・お金儲けを度外視している。
・相手(お客)にとっても何の腹の足しにもならない。
・活動の動機は「好き」とか「おもしろい」という気持ちを大切にしたいから

つまり、同人誌やクラフトをつくって売るというのも、
自分の好きという気持ちを再確認するために描き、つくり
その気持ちに共感してくれる人の存在を確認するために
売買という形をとるのです。

またもうひとつ、
「教育」も大きく変化せざるを得ないでしょう。

教育の目的を胸を張って言えなくなった。
ちゃんと勉強すれば、都会で働ける。
勉強しなかったら、田舎で百姓だぞ。
と言われて、影響された時代は終わりました。

また学校で教えてくれるのは
「産業主義」に基づいたスキルです。

これでは「学びたい」の欲求にこたえられません。
だから若者は、大学を卒業して専門学校にいく、
あるいは在学中にインターンシップにいく、
ということが起こっているのではないでしょうか。

「勉強したい」という彼らの目的は
自分を豊かにすることです。
もちろん金銭的にだけでなく精神的にも。

ネット中世と現代はよく似ていますが、
以下の3点で違いがあります。
1つ目「ネットによる情報あまり現象」
2つ目「唯一無二の存在であるという自己認識」
3つ目「一生、お勉強」

なるほど。

学びたい、勉強したいというのは、
やっぱり本能なのではないかと思います。

それが学校や会社だけでは満たされない。
だから、ほかのところで学ぼうとしているのではないでしょうか。

それにこたえられる
非営利組織がこれからの主流になると
ドラッカー先生はいっているらしいのですが。

そういう意味では、なかなかいい線いってるきがします、ツルハシブックス。  

Posted by ニシダタクジ at 07:58Comments(0)