プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 107人
オーナーへメッセージ

2016年06月22日

ふりかえりの師匠

「ふりかえりの文化をつくる」

明治学院大学市川先生の一言が
僕の最近のテーマになった。

目指すのは「ふりかえりの魔術師」
どんな活動をしても、ふりかえりをすることで、
ああいい活動したなあと思えるような
ふりかえりをすること。

僕には、ふりかえりの師匠がいる。

ナカムラノリカズさん。

長期実践型インターンシップを新潟で
立ち上げるとき、彼の存在無くしては、
到底立ち上がらなかった。
(実際の立ち上げには僕はあまり何もしていない)

当時新潟大学経済学部の学生だった星野くんとその仲間たち
そのあとを引き継いだ瀬沼さんたちのおかげで新潟の
「起業家留学」は2008年サービスインした。

大阪のNPO法人JAEで
インターンシップコーディネーターをしていた
中村さんに出会ったのは2007年の春。

ETIC.が主催する研修会でのことだ。
憧れの田坂広志先生の講演があった。

シビれた。
心ふるえた。

ふと横を見ると、
な、泣いてる・・・
ナカムラノリカズさんが泣いていた。

「いい人いるじゃん」
みたいな。

星野くんに、「大阪にいい人いるから研修いってきたらいい」
と大阪に行ってもらった。
8月1日から4日間。

その研修の前日。
7月31日に僕はJAEに電話した。
「明日から星野がお世話になります」

「あー、西田さん。すんません。僕今日で辞めるんです。」

普通ならここで

「えええ!!!」
となるだろう。

しかし。
そのときの僕の感情は
「キターーー!!!」
だった。

織田裕二バリの「キターーー!!!」だった。(古い)

中村さんが新潟に来て、星野くんと3人、
一緒にインターン事業を立ち上げる絵が浮かんだ。

「お盆に佐渡を走らないか?」
とまずは8月に新潟に来てもらい、

「ビジョンセッションをしよう」
と9月には村上で合宿をした。

そして10月。
中村さんは新潟に移住。
巻のおんぼろ一軒家で事業立ち上げに向けて動き出す。

法人名称を「ヒーローズファーム」に改称し、
長期インターンシップ「起業家留学」をスタートさせる。

「起業家留学」は、僕にとって研修だった。

「代表」と呼ばれ、イザというときに熱いことを言う存在だった。
彼は僕をうまくプロデュースしてくれた。

そして何より、彼に教わったのは、
「ふりかえりの文化」だった。

口癖は「ふりかえりしましょうか?」
もともと教育に関心を持っていた彼の真骨頂だった。

感性で生きてきた僕は、ふりかえりが苦手だった。

いつ、いかなる場合でも、
イベントの打ち上げの飲み会が終わった後でも、
「ふりかえりしましょうか。」

東京の研修での懇親会で散々飲んだ後でも、
「ふりかえりしましょうか。」

いつしか、ふりかえりは全国の他団体からも認められる
ヒーローズファーム名物となった。

研修途中で「また、あいつら、ふりかえりやっているな」という
目で見られるのも悪くなかった。

僕は中村さんと過ごす時間で、
「ふりかえりの文化」を手に入れた。

「ふりかえりの文化」は、
僕のかけがえのない資産となった。
中村さんのおかげです。

いま。
「ふりかえりの魔術師」を目指して、
(決して貴公子ではない。笑)

日々経験とふりかえりを続けていこうと思う。
中村さん、ホントにありがとう。  

Posted by ニシダタクジ at 06:25Comments(0)