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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2017年09月29日

就活を再定義する


「ミレニアル起業家の新モノづくり論」(仲暁子 光文社新書)

盛岡さわや書店で購入したうちの1冊。
ビジネスSNS「Wantedly」の設立者。

「コミュニティ」とはまた少し違う「トライブ」
という言葉を「共同体」のニュアンスで
つかっている。

これには、
ラーメン好き、や
iphoneユーザーみたいな
ものも含まれる。
もちろん複数のトライブに同時に属することができる。

佐々木俊尚さんのいう、「レイヤー」にも近い概念。

まだ読み途中だけど、エッセンスだけ引用

ここで言う「ミレニアル世代」とは、
1982年前後生まれの2000年に18歳だった
人たちのことを言っている。

~~~ここから引用

ミレニアル世代はスペックを消費しない。
では何を消費するのか?思想を、ストーリーを、whyを消費する。

トライブとはストーリーであり、美学であり、
ビジョンやバリューとも言い換えられる。
強い求心力を持ったトライブは製品としても、働く場所としても強いし、
そうでない製品はいくら安くても、どんなに高い給与でも、強いトライブに負ける。

もはやその世代にとって就職活動とは、「生活の糧を得る」のではなく、
納得のいく人生を送るために「どのトライブに所属するか決める」作業なのだ。

~~~ここまで引用

そうそう。
たしかにそうだわ、って。
いま売れているもの。
選ばれているもの。

秋田の蔵元「新政」の佐藤社長の
Dancyuで言っていた
「思想なき日本酒はつくらない」

http://hero.niiblo.jp/e412737.html
参考:メーカーの誇りはどこにいったのか
(2014.4.30)

あれですよ、あれ。
思想やストーリーや、whyを買っているんだ。
それがあるから、クラウドファンディングのプロジェクトに
投資するのだ。

「トライブ」という共同体は
「コミュニティ」より柔軟な印象がある。

すぐにつくれるし、すぐに壊れる。
すぐに入れるし、すぐに抜けられる。
縛りがあまりない。

「就職」はそういうふうに
変容しつつあるのだろう。

それはもちろん
Wantedlyのような会社があることによって。

会社は、「コミュニティ」から「トライブ」になっていく。

で、あるとするならば、
「就職」「就活」に対する見方も変わらざるを得ないだろう。

僕自身が思っているのは、

「就職」「就活」というのは、「学びの場」選びである
と思っている。
そしてそんな価値観を伝えたいと思う。

本を読むのも、旅に出るのも、
学校の授業を受けるのも、トークライブを聞きに行くのも、

インターンをするのも、就活をするのも、
もっといえば「就職」さえも、

どこで学ぶか
なにを学ぶか
だれと学ぶか

その選択に過ぎない。
「就職」というと、「それで人生決まってしまう」的な
恐怖があるけど、全然そんなことはなくなりつつあるのだ。

そうであるとすると、
「キャリアデザイン」的に、目標設定して達成を繰り返して
PDCAひたすら回していく、みたいな設計だけでは、
人生は進んでいけないのではないか。

「キャリアドリフト」的に、いろんな人に会い、
いろんな本を読み、さまざまなトライブに属してみて、
その中で取捨選択していく方法論も必要になってくる。

そんな中で大切になってくるのは
やっぱり自信というか、自己肯定感だ。

自信を失わせてきたのは、他者評価である。

http://hero.niiblo.jp/e412737.html
「他者評価」藩から脱藩する
(2017.6.5)

堀江貴文さん「本音で生きる」(ソフトバンク新書)
の言葉、「自信がないのは経験不足だからだ。」
を引用している。

そうそう。
自信がないのは経験不足だから。
だから、自信というのは「やったことがある」っていうこと。

やってみる。
ふりかえる。
そうやって、画一的な他者評価の呪縛を解いていく。

たくさんのトライブに属すことで、
多様な他者評価を得るのもいい。
そして最後は、自分自身を自己評価する。
それを繰り返して、自信がついていく。

そしてようやく、
就活のスタートラインに立てるのではないか。

自己分析して、自分に向いている仕事探して、
試験受けて、よくわからない評価にさらされて、
親やまわりが知っているような企業に無事、就職する。
そんな他者評価前提の人生でいいのか。

やってみる。
「顧客はだれか」「顧客にとって価値はなにか」と
ドラッカーの5つの質問に答えながら、
自分自身の人生を経営するとは何か問いかける。

そのためには、
大企業での1DAYインターンやってる場合じゃなくて
小さな会社で社長に触れながら3週間以上のインターンシップや
自ら立ち上げるプロジェクトを運営してみること。

その上で、就職、就活を考えていくこと。

僕はそんな機会を提供したい。

「就活」を再定義する。

「就活」も「就職」も学びの場選びに過ぎない。

だとしたら、誰と学びたいか?っていうのもすごく大切だよね。  

Posted by ニシダタクジ at 08:08Comments(0)就職

2017年09月28日

ハックツの「手紙」ブランディング

鮫ヶ浦水曜日郵便局
https://samegaura-wed-post.jp/

水曜日にだけ開局する郵便局。
というアートプロジェクト。

もともとは熊本の赤崎で行われていたプロジェクト
http://www.akasaki-wed-post.jp/
ここのロケーションもすごい。

アートとは、日常に問いを投げかけることだ。
と僕は北澤潤さんに教えてもらったのだけど。

まさに水曜日郵便局は、そんなプロジェクトだ。

水曜日という限定で
全国からやってきた手紙を交換して
誰かに届ける。

見知らぬ人の水曜日の手紙が届ける。

いままで1万通以上の
手紙がやりとりされたのだという。

なんか、ハックツは手紙だって
2年前に気づいたのだけど、
(いや、そもそも仕事が手紙だってことね)

そういう意味では、
もっとブランディングを手紙に寄せていっても
いいのかも、って思いました。

便箋とは言わないけど、
手紙っぽく、紙を選べるようにしたり。
寄贈されたときに消印押すとか。
そういうブランディングがあってもいいのかも。

水曜日郵便局は、
「生きてる感」のアートだと思った。
「いま生きてるぜ」っていう感覚を必要としているのだなと。

そういう意味では、
10代に本を通じて手紙を届ける「暗やみ本屋ハックツ」
もなかなかいい線いっていると思うんだよね。

仕事ってホントは手紙を届けるようなもんじゃないの?

そんな問いを世の中に発信しつつ、
世界はひとつじゃないことを10代に伝えたい。  

Posted by ニシダタクジ at 08:04Comments(0)アイデア

2017年09月27日

本屋ゼミ、始めます

八戸で出会った大学3年生に
盛岡のORIORIでおすすめ本を紹介した。

これから就活なので、読んでおいたほうがいい本。
浮かんだのは、クランボルツ博士のキャリアドリフトと
西村佳哲さんの「自分をいかして生きる」

そして、言われたのが
定期的に紹介してほしいのだという。
近くにいたら、いくらでもやるのだけど。
関西から来ていたので。

ちょっと待てよ。
定期的に本を紹介する?
大学生向けに?
それ、いますぐできるじゃん。
ブログ上でもできる。

ということで、本屋ゼミ、始めますよ。
サブタイトルは「本と人と旅から始まるリベラルアーツ」
とかにしようかな。
旅していくの、全国。
名付けて、「旅する本屋ゼミ」。

うん、いい。
川喜田二郎先生の「移動大学」の
めっちゃ小さいバージョン。

テーマを決めないとな。

「自由」
「学び」
「対話」
「世界」
「自分」

「はたらく」
「くらす」
「食べる」
「つくる」

とか。
10個目思い浮かばない。
誰か、いいテーマがありましたら、募集します。

って考えつつ、過去のブログの本の紹介見てたら、
http://hero.niiblo.jp/e485015.html
パスを受ける準備はできているか?
(2017.6.9)

~~~「せいめいのはなし」より引用

サッカーやラグビーのようなボールゲームには
太古的な起源があると思うんです。よくできている。
人間が営むべき基本的社会活動の原初的な構造を持っています。

与えられたものは次に渡さなければならず、
渡すときにできるだけ多様な形の、自由で、
ファンタスティックで、予想を裏切るようなパスを
しなくてはいけない。

ボールをもらったらワンタッチで次にパスしなければいけない。
だから、パスをもらってから、そこで「次、どうしようかな」
と考えていたら間に合わないのです。

ふだんからずっと考えていなくちゃいけない。
いつもいつも「いまパスをもらったら次にどうパスしようか」
を考えている。

贈り物の受け手がどこにいて、
どんなふうに自分を待っているか、
自分がもらったら遅滞なく次に渡す相手に
あざやかなパスを送ることだけを
日々、考えているような人こそが、
贈与経済の担い手になりうる人だと思うのです。

与える先は、ボールゲームと同じで、
「その人の前にスペースが空いている人」です。
次にパスする選択肢がいちばん多い人。
ボールゲームでは必ずそういう人に向けて、
パスが送られる。

もらったボールを退蔵する人や、
いつも同じコースにしかパスを出さない人の
ところにはボールは回ってこないんです。

そういう点で、
ボールゲームの意義は、人間の経済活動の、というよりも
社会を構成していくときの根本原理が
書き込まれているんじゃないかとぼくは思っているんです。

~~~ここまで引用

うんうん。
やっぱそうだな。
10個目は「おくる」だな。

「ラグビーはなぜ、後ろにしかパスを出せないのか。」
そんな問いを考えてみたい。

そんな感じで、「本屋ゼミ」、始めます  

Posted by ニシダタクジ at 08:18Comments(0)

2017年09月25日

商売はよ、ここ、ハートだがんな



山形市・郁文堂書店の原田伸子さん、81歳。
ソトコト2017年8月号の表紙を飾っている。

郁文堂書店のプロジェクトは
クラウドファンディングのサイトを通じて
知っていたので、一度行ってみたかった。

東北芸術工科大に進学した
「湯ミット」の川合くんと一緒に。
山形市内を歩くのは久しぶりだった。

いわゆる「エリア・リノベーション」
が進んでいる。
たくさんの古い建物が
手を入れられて、生まれ変わっていた。
ここ郁文堂書店もそのひとつ。

昨年のビエンナーレに合わせて、
東北芸術工科大学の大学生たちが
店を片付け、アート会場として使った。
その後、クラウドファンディングで
改装することになった。

改装の当事者たちには残念ながら
会えなかったのだけど、原田さんがそこにいた。

本屋のテーブル席では
読書会が行われていた。

僕と川合くんはいったん、元祖リノベーションと
言われる三沢旅館を改装したシェアハウス「ミサワクラス」
を見に行ってた。

そのとき、思い出した。
山形が誇る銘菓、ふうき豆の山田屋さんに
言って、ふうき豆を買いに行った。
読書会の人たちも食べられるし。

店にもどって、ふうき豆を見せると、
伸子さんはうれしそうな顔をした。
「みんなに食べてもらおう」と。

さっそく小皿を14枚もってきて、
僕と川合くんは盛り付けに専念。

そのあいだに、伸子さんは14枚のおしぼりを絞ってきた。
そしてお茶も14杯分入れ始めた。



そして、タイミングを見て、
読書会の人たちに差し入れ。
みんな、びっくりしてた。


僕たちは別テーブルで
川合くんと伸子さんと、話していた。



聞かせてくれた昔話。
昭和のころ、井上ひさしさんや司馬遼太郎さんも
やってきて、地方出版の本を買いに来たのだという。
ほかにも、営業の人たちが立ち寄っていった。

そんなとき、「お茶っこしようか」
と言って、お茶を出したのだという。

「あ、お茶っこって言えば」
と言って、奥に引っ込んだかと思うと
漬物を二つ、持ってきてくれた。

そして、みそ漬けのほうにグラニュー糖を
ふりかける。
「えっ!」と思ったけど、郷に入れば郷に従え。



おそるおそる、口にする。

こ、これは・・・

と美味しんぼ的な衝撃が・・・と思ったけど、
普通に味噌漬けで食べたほうがいいんじゃないかな、と。笑

でも、あったかい時間だった。
僕も自分の本屋さんの話を少しした。

この店でお茶を飲んで行ってもらう。
そんなことを伸子さんは何十年も続けてきたんだろうな。

電車の時間があって、
帰る時間になってしまった。

帰り際に、伸子さんが、僕の目を見て、言ってくれた。

「商売はよ、ここ、ハートだがんな」

なんだか、ジーンとして、泣きそうになった。

郁文堂書店のリノベーションは、
そんな精神はそのまま残しながら、
若者も入ってこれるような店づくり。
こういうのって大学生だからこそできるような気がした。

原田さん、
僕もハートの詰まった本屋になります。

「あなたは、なんのためにお店をやるの?」
そんな強烈な問いをもらった気がした。

  

Posted by ニシダタクジ at 08:11Comments(0)

2017年09月24日

これからの(僕の)本屋

これからの本屋。
って言っちゃうと、
本屋業界の人に怒られちゃうんで。

これからの(僕の)本屋
を考えてみようと。

原典となるのは、
宮澤賢治「農民芸術概論綱要」
農と芸術。
これを本屋という形で表現する。

「近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」
「われらはまことの幸福の道を索ねよう
求道すでに道である。」
「風とゆききし雲からエネルギーをとれ」

的な世界観を表現したい。
まあ、硬く言えば、人生を芸術にするような、
そんな本屋さん。

僕の師匠は20代の宮沢賢治から
30代の吉田松陰、
そして40代の岡倉天心まで、つながってきているのだけど。

やっぱり、プレイヤーである宮沢賢治を
ベースにしていきたいなと。
行動する人、宮沢賢治。
信じてまっすぐ進む人、吉田松陰。
インスパイアする人、岡倉天心。
そんな感じを併せ持った人になりたい。

これからの本屋。
大学生~20代にリベラルアーツ(人を自由にする学問=教養)の
機会を提供する本屋

思想としては、
本を読む、旅に出る、インターンシップをする、
などすべての活動は、リベラルアーツである、っていうこと。
「就職」や「就活」もそのひとつにすぎないっていうこと。
そんな感覚。

僕自身は、
インターンシップのプログラムづくり
からこの業界に入っていったのだけど、

最初の違和感は、優秀な学生たちと接し、成果を目指しているときに、
「この人たちは自分がいなくても、うまくやっていけるんじゃないか」
って思ったこと。

その反動もあって、本屋さんでは、
「やりたいことがわからない」「自信がない」
っていう人たちがたくさん来ていたように思う。

本や人との出会いを通じて、
「きっかけ」に出会い、「世界」が広がり、「行動」が起こる
そんな本屋さんを目指した。

その先に。
「うちのまち なじみのお店 ものがたり」
(まちゼミの大学生コーディネーターVer)
「夜景企画会議」
(経営者と学生が夜景を見ながら会社の事業を考える)
などをやっていたが。

でも実際は、自分で何かアクションを起こしていくこと。

八戸ブックセンターで
出版企画書を書いて思ったけど。

出版予定日の項目に日付を記入することで
がぜん、出版がリアルに感じられた。

「夢に日付を」っていうのは、唯一の方法じゃないけど、
やっぱりそれなりに有効なんだなと。

そして、僕がやってきたのは
モチベーションを高めるためのワークショップ
ミーティングやふりかえりの手法

そういうのを伝えていけるような本屋さん。

そうやって人は、
人生を生きていく。

大学で出会っているキャリアデザインだけじゃなく、
キャリア理論はたくさんあるのだっていうこと。

キャリアドリフト(計画された偶発性理論)
をベースにして、目標を立てるときは立てる。
それは自分だけじゃなくて、
チームでやってみるのがいいかもしれない。

キャリアデザインとキャリアドリフトの
「動的平衡」が成り立っているようなキャリア形成。

自分が小さな舟であることに気づき、
仲間に出会い、大きめの小さな舟を自らつくっていける、

そんな人が生まれていくような本屋さんをつくりたい。
もはやそれは本屋さんではないのかもしれないけどね。

そんな思いを込めた棚を、考えていこうっと。  

Posted by ニシダタクジ at 05:53Comments(0)思い

2017年09月22日

歌っているようなランチ

秋田県大仙市。
「樫食堂」という小さな食堂がある。
テーブル席が3つだけ。

今週の営業は20日、21日のみ。
12時~14時





すてきなロケーション。
僕が大学生の時やりたかった農家レストラン
ってこういうやつだったのかもなあと。
そして、昼定食。900円。

なんていうか。
ビックリした。

「ミナを着て旅に出よう」(皆川明 文春文庫)の帯に書いてある
辻村深月さんの言葉を思い出した。

「ミナペルホネンの服は、服それ自体が内側から歌っているようだ。」

そうそう。
そういう感じ。
野菜が、料理が、歌っているようだった。
音楽が聞こえるようだった。

たぶんそれは、
西村佳哲さんが「自分をいかして生きる」(ちくま文庫)
で言っているような、

生き方やあり方レベルでの共感というか
そういうやつ。

新潟で言えば、ラーメン「いっとうや」
に出会って以来の衝撃。

それって、理屈じゃないなと。
カラダっていうか、身体性なんだな。
肌感覚なんだなと。

樫食堂の料理の野菜たちが
楽しそうで、うれしそうで、歌っているようで、
なんとも言えない感情が残ったランチになりました。

僕もそこにある本たちが歌っているような本屋になります。
ありがとう。

  

Posted by ニシダタクジ at 18:10Comments(0)

2017年09月21日

「本屋」という芸術



9月21日。
宮沢賢治さんの命日。
すでに84年が過ぎた。

いや、84年しか立っていない
と言えばいいのか。

「農民芸術概論綱要」
僕の人生を、価値観を、大きく揺るがせた1冊。
1926年に農民芸術概論を講義・執筆した。

僕がその文に出会ったのは、
たしか1996年の冬だったように思う。
筑波大学の橘先生に出会った。

僕は「感染」してしまった。
学びの最大の動機である「感染動機」。
まさに人は「感染」する。

僕も感染してしまった。
2か月に1度行われる
橘先生の公開ゼミ「つくば有機農業ゼミ」
に新潟から通っていた。

宮沢賢治や宮崎駿を取り上げ、
現役の農家さんたちを含めて議論した。
農業のやり方ではなく、
根っこの部分のあり方、存在を話し合っていた。

僕が昨日気づいたこと。
「就職」という概念を変えるということ。

僕が大学4年生のときに決断したのは、
「就職しない」ってことじゃなかったこと。

宮沢賢治が「農民芸術概論綱要」で言ったような、
芸術を生きる。ということ。
あのとき、僕は
「畑がなければ生きられない」と心底思った。

「農民芸術の総合」より

おお朋だちよ 一緒に正しい力を併せ
われらのすべての田園とわれらのすべての生活を
一つの居きな第四次元の芸術に創りあげようではないか・・・

そうそう。
それです。

農業と芸術。
これがキーワード。
そういう意味で僕は芸術家になりたい。「芸術家の時代」をつくりたい。
心底そう思ったんだ。
いや、芸術家の時代が来るんだと。

もし、人生が芸術であるとするならば。
就職とはいったいなんだろうか。

「就職」を「結婚」と同じく人生の一大イベントであるかのように
みんなが信じ込んでいるのは、そこにビジネスが動くからではないのか。
労働者を生み出すための方便ではないのか。

石の上にも3年。
継続は力なり。

いや、それは嘘じゃない。
たしかに会社に3年いれば、一人前になる。
その会社にとって、ね。

でも、その先に幸せはあるのかい?
って問いかけたくなる。

かつて。
終身雇用制度がしっかりとしていたころ。

石の上にも3年。
ガマンが大切。
というのもある程度意義があっただろう。

それができれば定年まで勤められて、
郊外に小さな家を買えて、ローンを返せて、
年金でのんびりした老後を過ごせる。
そういうことができた。
でもそれってフィクションだよね。もう。

「就職」という概念を変える時が来ているのではないか。

「就職」は少し大きな船に乗る、ということ。
行き先が似ていそうだから、そこに乗ってみるよっていうこと。
この人と一緒に船旅をしてみたいから、乗ってみるよっていうこと。
乗るからには何か、お手伝いできることはありますか、っていうこと。

そんな感じ。

「起業」も同じ、「バンドやろうぜ」って仲間を誘うときみたいに、
「小さな船、つくってみない?」
っていうこと。
小さな船は波を受けやすいし、天候不順に弱い。

でも、こいつらとだったら、
そういうのも楽しそうだなって
思えるから船に乗るんだよね。
だから、いつでも降りていい。

そんな感覚をつくっていくこと。
これが僕のやる本屋の使命なのかもしれない。

世界を広げる。
横ではなく、縦に。
世界は何重にも複層になっているから。
そんな風に世界の断面図の見方を提供する本屋になりたい。

もし、人生が壮大なキャンパスだとしたら、
本を読むのも、旅に出るのも、インターンも、就職も
期間の長さは異なるが、単なる一科目にすぎない。
そんな風に見えたほうが、人生楽しくなる気がする。

僕も、そんな船に乗りたい人たちと、
本屋という芸術を、一緒につくりたい。

宮沢賢治先生、あとは僕に任せてください。
できるかできないかわかんないけど、やってみますわ。  

Posted by ニシダタクジ at 06:46Comments(0)足跡

2017年09月14日

自分を構造的に見つめなおす

ジョブウェブの佐藤孝治さんが
就職活動の前のステップ0
として、
以下の力を育むべきだと言っている。

1 コミュニケーション能力
2 ものごとに対する主体性
3 これが自分の強みと明言できる力
4 自分なりにこれだけは一生懸命頑張ったと言える経験

僕は、その前に、いや、それと並行して、
自分を構造的に見つめなおすことが
大切だと思う。

高校時代に感じてきた違和感を
文字化、構造化する。

僕がまず伝えたいのは、

「同調圧力」
「承認欲求」
「さまざまな自分」
という存在についてだ。

「孤独と不安のレッスン」(鴻上尚史 だいわ文庫)
「認められたいの正体」(山竹伸二 講談社現代新書)
「私とは何か」(平野啓一郎 講談社現代新書)

このあたりから、
日本社会と、そこに生きる自分たちを
相対化・構造化していく。
世の中と自分の関係性を知ること。

うんうん。
ちょっとした本屋ゼミができるくらいに
まとめてみようかな。

つづく。  

Posted by ニシダタクジ at 07:42Comments(0)就職

2017年09月12日

「ふりかえり」と「自己評価」

http://hero.niiblo.jp/e484636.html
「近代」という「旧パラダイム」
(2017.4.30)

4月に書いた
「サヨナラ学校化社会」(上野千鶴子)
ブログを読み直す。

~~~ここから引用

自分で自分の評価ができない、他人の目でしか自己評価できない
従属的な意識は、学校で叩きこまれてきた習い性のようなものです。
しかも、「だれかのために」「なにかのために」という
大義名分がないと、自分を肯定したり評価したりすることができない。

他人の価値を内面化せず、自分で自分を
受け入れることを「自尊感情」といいます。

(中略)

エリートたちが育った学校は、彼らの自尊感情を根こそぎにした
場所でもありました。
学校が自尊感情を奪うのは、劣位者だけとはかぎりません。
学校は優位者に対しても、彼らの人生を
なにかの目的のためのたんなる手段に変えることで、
条件つきでない自尊感情を育てることを不可能にする場所なのです。

~~~ここまで引用

ここ数年テーマだった「大学生の自信の無さ」について。
昨日、話していて、ひとつの気づきがあった。

学校というのは、
他者評価を前提とした生き方を強いる。

あなたはできないんだ。凡人なんだ。
だから、努力しなきゃいけない。
努力して、安定した仕事につかないといけない。

それを学校の先生からも、
親からも強いられる。

そうやって、「労働者」を生み続けるシステム。
それが学校であり、学校化社会なのだろうな。

昨日の気づき。

「自信の無さ」がどこから来るのか。
それは、「他者評価への依存」からではないか。

他者からどう見えるか?
先生からどうしたら認めてもらえるか?

そればかりを気にして、
「評価されるように」行動する。

ところが。
大学生になったとき。
そこに評価してくれる大人はいない。
そもそも評価軸がない。

「他者評価」からの解放。

されたはずだった。
ところが、学校化社会の呪縛は大きい。

来たるべき「就活」や「就職」のために
いま何をしなければならないか。
どうすれば評価されるのか。
そんな問いを始めてしまう。
「効率化」とともに大きな「他者評価」の呪縛。

そもそも、人生に「失敗」など存在しないのかもしれない。
他者評価の檻の中にのみ「失敗」は存在するのかもしれない。

そのリハビリを始めていくこと。
それが大学1,2年生でやらなければ
いけないことなのかもしれない。
具体的に何をすればいいのか。

「ふりかえり」である。

何かやってみて、「ふりかえり」をする。
ひとりではなくて、何人かで
イベントスタッフやプロジェクトをやってみて、
「ふりかえり」の時間を大切にする。

自分自身への自己評価と、
一緒にやった仲間からのフィードバックがある。
それを同時にやっていくこと。

大学生は、だからこそ
「やってみる」、そして「ふりかえる」が大切なのだ。

僕がツルハシブックスで目指してきたのは、
「チャレンジと自覚しないでチャレンジを始める」という
機会を提供することだった。

そしていまやっているのは、
「ミーティング」と「ふりかえり」をエンターテイメント化すること。

「つながるカレー」の話を聞いて、
「予想しなかったこと」はよかったことも悪かったことも
彼らにとってはエンターテイメントなのだと知った。

それは明確な(経済的な)目的・目標を決めていない
アマチュアリズムからくるということを知った。

「そんな甘い考えでは、この厳しい経済社会を
渡り歩いていけない。」
と大人たちは言うかもしれない。

しかし、その考え方そのものが、
資本主義・学校化社会の呪縛であるのではないか。

人はみな、人生のアマチュアである。
目標など明確に決めずに、感性を信じて、「やってみる」。

そして「ふりかえる」こと。フィードバックをもらうこと。
自己評価こそが自信の源泉である。

自己肯定感の低い若者問題をどうするか?
は、多くの人たちが問いかけ、僕自身も考えてきた。

決して「ほめること」ではない。
「ほめる」ことは「他者評価」であるから。

そうではなく、
「ふりかえり」の手法を伝えること。
「ふりかえり」のエンターテイメント性を伝えること。
自己評価の機会を増やしていくこと。
そして「自己評価で生きている大人たち」に出会うこと。

そんなリハビリが必要なのかもしれないな、と。

なんかだんだん、僕がこれからやりたいことがわかってきました。
時間かかりすぎだけどね。
いいんだ、人生劇場は巨大な実験室なのだから。

  

Posted by ニシダタクジ at 08:22Comments(0)日記

2017年09月11日

「就活」の違和感

「就職」はしたいけど
「就活」はしたくない。

「就活」しないで「就職」
する方法はないのだろうか?

そんな大学生は
きっと潜在的に多いのだろうと思う。

「就活」への違和感。

それは、自分をモノ化、あるいは数字化すること
とイコールであるのかもしれない。

企業に就職するとは、
交換可能な部品になるということ。

いや、そうじゃない企業もたくさんあるのだろうけど、
原則としては、企業が存続するために、
ひとりに依存しないシステムをつくることが大事だ。

しかし、仕事はチーム戦である。
誰とやるか、も大切だ。

もっとドライに、プロフェッショナルに、と言われても、
このチームでは、、、っていうことも起こってくるだろう。

それでも、
社長の描いている方向性に共感できるなら
やれるのかもしれないが。

「就活」の違和感。

なんというか、新卒というラベルを貼られて、
ベルトコンベアーで運ばれていって、選別されるような感じ。

A品、B品、規格外と選別されて、
めでたくA品として出荷されるようになり、

今度は、工場の中の人になって、
たくさんのベルトコンベアーからものすごい勢いで
お客さんという数字が運ばれてくる。

それをひと手間加工して、
またベルトコンベアーに載せる。

「もっとこうしたらよくなると思うのだけどな~」
と一瞬思った心の声を無視して、
ひたすらに商品を送り続ける。

そこでは、自分は「ひとり」という
数えられる名詞になっている。
それが「就職」の違和感なのかもしれない。

実際は工場ではなくて、デスクワークをして、
お客さんと打ち合わせをして
商品・サービスをつくっていくことも多いのだろうけど、
構造的にはあまり変わらない。

その点、カフェや個人が経営するちいさな古本屋さんは
目の前の「ひとり」に何ができるか、考え、
それを表現していくことができる。

大学生が抱えている
「就活」の違和感を受け止め、
そこから学びを深めていくような本屋さんをやりたい、
というか、必要でしょ、それ。
誰かがやらないと。  

Posted by ニシダタクジ at 08:17Comments(0)学び

2017年09月08日

「就職」という「間借り」

「就職」「就活」を変える
っていうのはどういうことなのだろう?

一方的に企業側が選ぶのではなくて
学生が自らPRして企業を選ぶ「逆求人」なんかを
仕掛けることだろうか。

あるいは、
地域の中小企業にアプローチできるように
インターンシップのプログラムを準備して
1,2年生のうちから実践的に実施することだろうか。

でも。
僕は本屋さんだ。
本屋さんができるアプローチはなんだろうか。

茨城が誇るサザコーヒーの話を聞いていて、
たくさんのエッセンスをもらった。

「自分の会社を一言で言うと、何ですか?」
「レッドオーシャンで生き残るには、トップで無ければならない。
トンがることに集中する。」
「お客さんがこの店を使ってる、っていう誇りを持つような店。」

などなど。

はたらくってなんだろう?
って問いをたくさんもらった。

本屋としてのアプローチは、「間借り」という
考え方を広めること。
すべて、間借りなのだと。

たとえるなら、船の一角に乗せてもらっているだけなんだ
っていうこと。

その船が大きければ、
1人への負荷は少ないし、
その船が小さければ、
1人の責任とやりがいも大きい。

いずれにしても、
その船に乗ることは、「間借り」なのだということ。

たまたま今、このタイミングで
同じ船に乗っているのだということ。

カタカナでいえば、「パートナーシップ」だ。

「行き先の方向性が近いので、
私も載ってもいいですか?
お役に立てるようにがんばります。」
ってそういう感じ。

船長が、「載せてやってるんだから」
とか偉い顔をして、命令口調で言われたら、
すぐに降りたほうがいい。

就職も3日間の小さなプロジェクトも、「間借り」にすぎない。

パートナーシップを組んで、
それぞれ独立しながら、個性や特技を生かした、
楽しい船旅をつくっていくことだと思う。

「就職」はいつでも降りられる船旅。
「就活」はその船えらび。

そんな感覚で、
就職するほうも、されるほうも考えられたらいいなと思う。

そんな船旅に出るとしたら、
あなたが誰と旅に出たいですか?  

Posted by ニシダタクジ at 07:55Comments(0)日記

2017年09月07日

好きがアートに変わるまで

サザコーヒー。
茨城が誇るコーヒーブランド。

「こだわり」
って言葉が安っぽく感じる。

内装。
装飾品。
そして庭。
もちろん従業員教育も。

あの空間の心地よさはどこから来るのだろうか。
「好き」の先にあるもの。

それはもはや「こだわり」ではなかった。

「哲学」だったし、「哲学」だった。
そう、アートだった。

それを感じるために
人はサザコーヒーに行くのだろうと。

印象的だったのは、
庭の木には黄色い花や赤色の花が咲くものはありません。
葉っぱは毎日掃き掃除をしています。
そこまでやるか、と。

神は細部に宿る。
これは、お店にこそ当てはまる。
そして、それを声高に語るわけじゃない。
そこに「美学」があるのだなあと。

その美学に共鳴した人
よくわからないけど、なんとなくいいなと思った人が
リピート客となるのだろう。

新潟のラーメンいっとうや
を思い出した。

西村佳哲さんの
「自分をいかして生きる」の島の図を
思い出した。

目に見える商品の下には
技術・知識があり
それを支える考え方・価値観があり
さらにそれをささえるあり方、存在があるのだという。

その深いところ。
そこに到達するにはどうしたらいいのか。

「好き」を追求することだ。
どこまでも追求すること。

深く深く掘り下げること。
それを掘っていくと、「哲学」や「芸術」に到達する。
アートになる。

スターバックスはコーヒーを売っているのではない
「サードプレイス(第3の場)」を打っているのだ。
はわかりやすく言葉化した成功例だけど。

わかりやすく説明することは
はたして美しいのだろうか?
という問いも一方である。

好きがアートに到達したとき。

おそらくそこに言葉は不要だ。
言葉にするとむしろ軽くなる。
その場所に来て、あなたの感性で感じてほしい。

そんな風に思った。
サザコーヒー本店は
常磐線勝田駅から徒歩10分ほどです。  

Posted by ニシダタクジ at 06:31Comments(0)日記

2017年09月06日

「ターゲット」と「お客」のあいだ



9月1日(金)
金沢・石引パブリックさんで
POPEYE「君の街から、本屋が消えたら大変だ!」
を購入。

どこかで買おうと思っていたのだけどね。
石引パブリックさんも掲載されています。
https://www.ishipub.com/

鳥取・定有堂書店の奈良さんのメッセージが
とっても素敵で。
心を打ち抜かれました。

「本屋の青空」か。

~~~ここから引用

目的を持って本屋に来たはずなのに、
徐々に緊張がほぐれ、
考える余地や次へのきっかけが生まれる。
この開放感を本屋の青空と呼びたい。

街の本屋の使命の一つは人を迷わせ、
探している本を諦めさせ、
意図せぬ本を手に取らせることなのです。

~~~ここまで

それそれ。
それだよ、本屋の使命は。
そんな青空を見せてやることだよ。

ニーズに応えるのでもなく、
ディズニーランドやリッツカールトンのように
ニーズをはるかに超えるのでもなく、
ニーズとは違った本を売ること。

それだよね。きっと。

僕の「本の処方箋」もそうありたいと思った。
いや、そこにこそ、ライブがあるのだと思った。

ネットで受け付けて、
1万円分の選書っていうのは、
僕には読んでいる本のジャンルが
狭すぎて無理だ。

でも、仕事やはたらく、に悩んでいる女子や
感性の高い男子には、話を聞いて、本を選ぶことができる。

そしてその本の
1冊目は、直球で答える本
2冊目は変化球で答える本

3冊目は話を聞いていて思い浮かんだ
まったく別の本。

その3冊目が
奈良さんのいう「青空」かもしれない。

いや、まだ曇り時々晴れくらいか。
そんな空間や場をつくっていきたいと思った素敵な1冊だった。

ニーズにまっすぐに答えないこと。
ターゲットを明確に設定しないこと。
中高生向けの店に中高生は行きたくないかもしれないのだ

そんなことを考えさせられた。
なんだか、いい問いもらったな。  

Posted by ニシダタクジ at 08:09Comments(0)日記

2017年09月02日

「精神の安定」と「思考の停止」

昨日は金沢の石引パブリックさんで
トークイベント「風の人と土の人のあいだ」
をやりました。

金沢大学の卒業生3名と
一般から参加3名
とにしでくんと僕。

あまりに盛り上がりすぎて
写真撮るの忘れました。

僕にとってハイライトは
宗教と会社の関係について。

会社が宗教の代わりをしていた、ということ。

宗教とは、精神の安定をもたらしてくれる。
会社は、終身雇用、福利厚生で
「精神の安定」を与えてくれた。

それはいまも同じかもしれない。
企業理念、仲間意識。

それは一部の人に精神の安定を
もたらしてくれるだろう。

しかし、いわゆる「コミュニティ難民」は違う。

属していること、中にいること
そのものに居心地の悪さを感じてしまう。

それは、精神の安定が苦手なのではなくて
精神の安定を得る方法が違うのだ。

複数のコミュニティに所属して、
それを渡り歩きながら、生きていくこと

福岡伸一先生的に言えば、
「動的平衡」がそこに成り立っていくのではないか。

そもそも、
「安定」は価値なのだろうか。
「安定」が価値になったのは、いつからか、
ひとまずは、弥生時代以降ではないか。

安定にはリスクがある。
それは「思考停止」リスクだ。

「安定」に包まれた中にいると、
その中に居続けることが価値となり、
(その外にいる自分を想像できなくなり)
思考が停止してしまうことはないだろうか。

それで、一生生きていければいいのだけど。

「そもそも、何が価値か?」
っていう問いかけを無くしてしまうと、
つらいのではないか。

特に、「コミュニティ難民」には
生きられないのではないか。

だから、過度に「精神の安定」を望まず、
「動的平衡」を生きていくのが、
これからの時代の歩き方なのではないか。

うーん。
楽しい気づきをもらった
金沢の夜でした。  

Posted by ニシダタクジ at 07:03Comments(0)イベント