プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



新潟市西区内野町431-2
TEL 025-261-3188

平日12:00~19:00
土曜 7:00~21:00
日祝10:00~19:00
*火・水曜定休





QRコード
QRCODE
※カテゴリー別のRSSです
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 7人
オーナーへメッセージ

2017年11月23日

このまちに大切な人を呼びたいと思いますか?


MICHIKARA 官民協働フォーラムに行ってきました。

なんか、くやしかったです。
プレイヤーはどんどん前に進んでいるんだなって。
敗北感でいっぱいでした。

印象的だったキーワードを少し紹介。

渋谷区長の長谷部さんへの
フューチャーセッションズ野村さんのコメント。
「1つ1つのアイデアに、区長がすべてコメントしていてすごい」
って。

いい組織とは、トップがアイデアに興味がある組織。
結果だけに興味がある組織はいい組織とは言えない。

なるほど。
リクルートはそうやって、人を育成してきたのだなと。
あなたの組織のトップは、アイデアに興味があるか?
ってこと。

そして何より、今回もっとも響いたのは、
タイトルにもなっている岩手県釜石市の石井さんと日立製作所の話。

さまざまな取り組みをして、
全国的に注目されている釜石市。

そのKPI(重要目標達成指標)は、
「釜石に大切な人を呼びたいと思いますか?」
という住民アンケートだという。

なんということだろう。
「誇り」そのものがKPIだなんて。

日立製作所の写真プロボノを通じた
釜石市の取り組みの話も素敵だった。

CSR担当部長の増田さんの話。
まず、半年、ひたすら通った。
「釜石の現状を教えてください」
と副市長に話を聞いた

そのあいだ、多数の連携の話が
さまざまな企業から来たという。

半年後、副市長から、
「今夜どうですか?」と飲みに誘われた。
そこで初めて出た課題の話。
半年かかって築き上げた何か。

僕たちの「連携」は、
お見合いじゃなくて恋愛結婚ですから
なんて言っていたけど、ホントそうだなと。

ていねいなヒアリング、地域調査。
そこからどんなアウトプットを出していくか。
そこをやらなきゃ、本当に必要とされるものは
出ないのだろうな。

ミニワークショップは、話題の
あいそうな4人で組んで話をする。

自分たちの問いは、
「地域を好きになるような学びの場、仕組みづくりとは?」
官民協働でやりたいこと。
やっぱりこれかな、と。

それを僕は本屋を通してやりたいと改めて思った。
官民協働フォーラムが日常化しているような、そんな場所。

最後に、イノベーションが起こる方法として、
以下のまとめがあった。

・顧客の声を異常なくらい聞く
・原体験を起点に
・熱狂的アーリーアダプターを10人探す

そういう意味では、
僕は、かなり聞いてきたほうだと思う。
起点にする原体験もある。
あとは熱狂的アーリーアダプターを10人。

そこかな。
大切な人を呼びたくなるまちを協働してつくっていく。

まだ、それがなぜ本屋なのか?
って明確に言えないけど、
僕は本屋がその拠点になりうると思う。

・フラットな関係性
・アイデアを聞く場所
・チームができる場

「集まる」場と「始まる」場としての本屋

うーん。
まだ興奮して、うまく書けないけど、
また明日、山田さんに聞いてみます。  

Posted by ニシダタクジ at 08:22Comments(0)学び

2017年11月13日

その「問い」であってます?

「学校化社会」では、
思考停止の罠がいろんなところに潜んでいる。

・偉い人がいる
・他者評価が前提となっている
・答えがある

「13歳のハローワーク」以来、
もっとも大きな問いは、

自分のやりたいことはなんだろう?

ツルハシブックスに立っているときも、
大学生の悩みの圧倒的1位は、

「やりたいことがわからない」
そして
「自分に自信がない」
だった。

「答え」が見つからないと悩む。
しかし、もしかしたら、それは問いが間違っているのかもしれない。


「なめらかなお金がめぐる社会。
あるいは、なぜあなたは小さな経済圏で生きるべきなのか、ということ。」
(家入一真 ディスカヴァー・トゥエンティワン)

読み始めました。
いきなり本質ついてくるなと。

~~~以下一部引用

働き方論はテクニックにすぎない。
大切なのはどんな生き方をしたいかであり、
それは自分にとっての幸せはどこにあるのかを探るということだ。

地域活性化の本質とは、その土地での暮らしの集積であるべきで、
それを大切に育てて、発信して、人を魅了していくことにあると思う。

ここでしか食べられないもの
ここでしか見られない景色
ここでしか出会えない人たち
ここでしか味わえない時間の流れ方

地域の魅力とは、そういうところにあるわけで、
東京には負けないぞとか、東京にはないこんな良さがあるとか、
物差しとして東京を引き合いに出している段階で
じつは東京に負けていることを多くの人は忘れがちだ。

「地方創生」という言葉には、国のシステムありきで、
それぞれの土地の本来のあり方を型にはめ、
阻害していくイメージがある。
要は、言葉から「におい」を感じないのだ。

実際、成功例の本質を理解せず、
ただ単純に模倣するばかりの自治体が増え、
「地方創生のイメージ」がコピペされた町が増えている気がする。

人は希望を持つから絶望する
夢を持つから夢に敗れる
他人との比較ばかりをするから自信を失う
完璧を目指すから失敗を恐れ、最初の一歩を踏み出せない。
過度に欲しがるから、心の穴が埋まらない。

~~~以上一部引用

そうそう。
ほんと、そう。
こういう本を届けないとな、やっぱ。

って、偉そうなことを言っているけど、

僕自身が20代のとき、
「自分のやりたいことは何か?」
そんな問いというかむしろ呪縛のまっただ中にいた。

大学院在学中の24歳春に、「まきどき村」を発足。
いわゆる「就職」はしなかった。

イベント企画会社、地ビール製造会社、
知り合いのお店の店番、出版社の地方書店営業

などをしながら、
地元の肉屋のメンチカツとコロッケを食べながら、生きていた。

まわりから見れば、
「好きなことをして生きている」ように見えただろう。
いや、実際そうだったのだけど。

友人の結婚式に行くたびに、
「俺にも、土日休みの人生があったんじゃないか。」
とか思って、凹んでた。

それって、
常に、
「自分の本当にやりたいことは何か?」
みたいな問いの呪縛だったように思う。

やりたいことをやっているはずなのに、
どうもしっくりこない。

それは単に他者評価(収入含む)が得られないという理由だけではなく、
その問いの呪縛だったんじゃないか。

その呪縛は、28歳くらいの時に、いつのまにか消えていたし、

それはひとつに、27歳の冬の
不登校の中学3年生、シンタロウとの出会いがあったし、
29歳の春に、「小説・吉田松陰」(童門冬二 集英社文庫)


を読んだときに、

野山獄のエピソード
(獄中で、それぞれが自分の特技である
書道教室や俳句教室、本の解説を行い、
みるみる獄中の雰囲気が明るくなっていったという話)

に心が震えて、
「獄中でさえ、学びあいで希望の灯が燃える」

それなら、この獄中のような(言い過ぎ)世の中も
学びあいの仕組みをつくれば、
希望が生まれるのではないかと思った。

それで、すぐに山口県萩に飛び、
吉田松陰先生の墓前に、誓いを立てた。

僕にとってのWHYの出発点はあそこにあると思うし、
ツルハシブックスだけでなく、
ほかの地域でやっているプロジェクトの
思想の根っこはそこにある。

だから、結局、
「やりたいことは何か?」
という問いを問い続けるのではなくて、

やってみる。
ふりかえる。
本を読む。
旅に出る。
人に会う。

そうやって、なぜ、自分はこれをやっているのか?
っていう問いに向かうこと。

あるいは仲間たちと相互に
ヒアリングしたり振り返りをすること。

そうして、
なぜ?

というか、

なぜ?を構成する

「顧客は誰か?」
「顧客にとって価値は何か?」
という問いを回し続けること。

僕自身の顧客は、
・ふるさとのない自分自身(「まきどき村」)
・中学生・高校生(自宅での学習塾「寺子屋途輝)
・居場所が学校しかない小学生(遊び場づくり「虹のひろば」)
・就職を考える大学生と地域企業(インターン事業「起業家留学」)
・普通の大学生(ツルハシブックス)

と変化して、いまは、自分に自信の持てない
始めたくても、始められない、なんとなくもやもやしている
大学生や20代が顧客だ。

そこに向かって、サービスを提供していく。

「やりたいことは何か?」という問いは本当にあっているのか?
と問いかけたい。

そんな場所になるであろう、
日立の海のような本屋「うみまちブックス」プロジェクト、応援しています。
https://camp-fire.jp/projects/view/51775  

Posted by ニシダタクジ at 08:16Comments(0)学び

2017年10月20日

活動そのものより振り返り

地域活動そのものにも、
インターンシップそのものにも、
たいした価値はない。

それを「経験」と呼べるのは、
振り返りをしているからだと思う。

ふりかえりという「自己評価」
ができて初めて、それが学びになる。

そして自己評価によってのみ、
「自信」が生まれる。

http://hero.niiblo.jp/e485809.html
「ふりかえり」と「自己評価」(2017.9.12)

僕が本屋をやったのは、
昨日も書いたけど、「機会提供」のためだった。

作品的に言えば、「偶然」だった。
https://www.youtube.com/watch?v=bYq8iDb_ei4
(2015.12.10)

バスケ部を辞めたばかりの中学2年生に、
「屋台をやってみない?」と誘い、
本屋の中でお菓子屋さんをやってもらった。

就活どうしよう?って悩みはじめていた大学生に、
新潟の社長、面白い人ばかりだよ、って
「夜景企画会議」に誘ったりした。

それぞれ、僕は機会を提供していたのだけど、
「ふりかえり」をやっていただろうか。

僕が「ふりかえりの文化」を身につけたのは、
2007年にインターンシップ事業を一緒に立ち上げた
ナカムラさんのおかげだ。

あの、執拗なほどの(笑)
「西田さん、ふりかえりしましょう」
によって、身体的に身についたのだった。
(打ち上げの飲み会の後とかはマジかんべんしてくれって思ってた。)

10年経って、
ようやくその偉大さがわかる。
「ふりかえりの文化」の大切さがわかる。

「機会提供」と「ふりかえり」
そうやって「学び」をドライブしていく。
「学び」がドライブするから、本を読む。
行動したくなる。

そういう個人としての学びのスパイラルと、
チームとしての学びあいのトライブをつくっていくのだろうと思う。

トライブについては、こちら。
http://hero.niiblo.jp/e485916.html
(2017.9.29)

うんうん。
そのベースキャンプになるような本屋さんが
必要ですね。  

Posted by ニシダタクジ at 07:53Comments(0)学び

2017年10月16日

whyから始める

「アップルはwhyから始まっている。」

県北ビジネス創出支援事業@大子町
の2日目。

ビジネスプランを膨らませるワークを
行った。

今回の手法はプロアクションカフェ。
https://www.ourfutures.net/session_methods/proactioncafe
(ちなみにこのサイト、めちゃエッセンス詰まってる)

~~~以下メモ

アイデアに価値はない。
アクションあるのみ。
ファーストペンギンになれ。

1 想いの深掘り
2 課題の提案
3 次の一歩

プロアクションカフェ=
ワールドカフェ+オープンスペーステクノロジー

提案者は種を蒔く人。花を咲かせる人。
支援者はミツバチ。質の高い質問をする。

ROUND1 想いの深掘り
・想いを持つにいたった背景は?
・本当に大切なことは?
・その人のやりたいことの深い意味合いは?
・根っこの想いはなんだろう。

数分間の休憩時に提案者は整理する。ココがポイント。

ROUND2 課題の探索
・想いを実現する上で不足していることは?
・目に見えない壁はどこにあるんだろう?
・やりたいことを実現するためにどんな手助けが必要だろうか?
・聞き役が助けられることは何かないだろうか?

ROUND3 次の一歩
・次の一歩は何ですか?
・何があると追い風になるか?
・やりたいことに近づくのに最初の一歩は何がふさわしいだろうか。
・どんな最初の一歩が周囲の共感を得て応援したいと思ってもらえるものになるだろうか。

タイトル(24文字以内)
なぜ?why
何を?what
誰に?who
どこで?where
どのように?how
いつ?when
いくらで?how much

なぜ、なぜ?が大事なんだろう?
→共感することが大切。

アップルはwhyから始まっている。
whyが共感を生む。
共感がお金を生む。
共感するのはストーリー、コト。

クラウドファンディングはテストマーケティング。
得られるものは、資金と顔の見える応援者、認知度。

伝わるために必要なこと。
顧客視点が大事。
相手の立場に立って考えてみること。

WHYから始まるクラウドファンディング
WHY
HOW
WHAT
の順につくる。

~~~以上メモ

なるほどな~。
って。
WHYに人は共感するんだなあと。

僕が思ったのは、
WHYの背景には
具体的な人(WHO)がいるんじゃないか
ってこと。

前日のワークでの
根っこの思い、種火
みたいなやつは、自分自身の経験
なのだろうけど、

そこに他者が存在している場合は、
その人がWHO、いわゆる顧客に
なる可能性が高い。

あるいは過去の自分自身が
顧客になるのかもしれない。

フローレンスの駒崎さんだって、
お母さんが電話で話していた知人の女性の
エピソードがきっかけになっているからね。

そこを明確にしたほうが
WHYの共感性が高まるんじゃないかなあと。

ということで、
僕も自分自身のWHYを掘らなきゃ、って。

今は、
18歳の他者評価依存の解消っていうのは
結構ミッションとして大きいなと。
そういう人に何人も出会っているし、

数年前までの、
「自信がない大学生」っていうのより、
クリアに顧客像が見えてきている。

他者評価の外に出てみる。
自己評価のピラミッドを確立する。

「やってみる」と同時並行して、
自分の中で「自己評価」のシステムを
作り上げること。

きっとこれを本屋がやらなきゃいけないのだろうなと
思いました。

まずは、whyから始めてみよう。  

Posted by ニシダタクジ at 07:57Comments(0)学び

2017年10月15日

ツルハシが掘るもの

茨城県が主催する
県北地域ビジネス創出支援事業
講座の第2回、大子町でのフィールドワークと
ワークショップ1日目。

大子町は
茨城県有数の観光地。

名勝・袋田の滝


をはじめ、温泉や名物の食べ物など、
たくさんの魅力に詰まったまち。

プログラムは、
常陸大子駅前のまち歩き
りんご園でのりんご狩り
ロケ地としても使われる旧上岡小学校
そして袋田の滝、と展開。

これでオープンになった参加者たちは
インタビューワークへ。
という流れになった。




印象に残ったのは
仲野りんご園
http://www.apple-nakano.com/index.html

仲野のオトウさんの
トークも実直で素晴らしい。

なんと、年間(といってもシーズンは9月~11月)
2000人ものりんご狩り客が来るのだという。
そしてそのほとんどがリピーター。
家族で毎年、来てくれるのだという。

役場の人が言うには、
りんご園それぞれにファンがついているのだという。

それって、リンゴ売ってないな、って思った。
また仲野さんに1年に一度会いたくて、来るんだろうな。

ということは、来る人同士で
仲良くなったらもっといいだろうな。

僕だったら、たとえば、
アップルパイづくり体験とかを企画して、
1500円とかで手摘み手作りアップルパイを
つくるとかいう企画したいかも、って思った。

そして、そんな企画を本屋がしてもいいんだなと。
そんなふうに考えていました。

夜、宿に帰ってから、
講師のコクリ!プロジェクト三田さんの講座とインタビューワーク。

これも学び多い時間となりました。

~~~ここからメモ

「種火」。
誰もが心の奥に持っている種火。
そこに気づいて、火を広げる。

ひとりひとりはgiftをもって生まれてくる。
ひとりひとりが本領発揮していく世の中をつくる。

1 ひとりひとりの可能性・ギフトを信じている。
2 境界を超えた共創によって世界に進化を。
3 100年後から見て、世界が変わったと言えるような社会実験を。

境界を超える。
越境する。

変革はS字カーブ。ある時から急激に変革は始まる。
ティッピングポイント。

コクリ!エコシステム
種火が生まれ続ける仕組み

ビジネスパートナーではなく、人としてつながる。
安心・安全な土壌で種火に気づき、育てる。
会う機会のない人に会えたという偶然性。
必ず実現するという思いをサポートする。

give&takeからgive&giveへ
協働から運命共同体へ
議題・課題からではなく人・想いから出発する。

1 根っこの思いを自覚する
2 境界を超えてつながる土壌
3 感性に従ってやってみる
安心・安全な土壌にワクワクの種火が蒔かれ、情熱と感性でやってみる。
3+1(ありたい未来という北極星)

関係の質モデル。
関係の質→思考の質→行動の質→結果の質→

根っこの思いを確認するストーリーテリング。
自分とつながり、仲間とつながる。
自分の根っこに気づく。
相手の根っこに気づく。
インタビューワーク。
インタビュー役はレベル2の傾聴を。語り役はイメージを思い浮かべながら語る。

1 自分の住んでいるまちを好きだなと思った時。
2 人生で誇りに思うこと。本領発揮したシーン
3 根っこの想いは何か?

インタビューワークのゴールは、想いの源泉に触れる。
というか、掘り当てること。
そうすれば、温泉が湧いてくるように、やればやるほど力が出てくる。

インタビューワークは、源泉探し。
源泉は原点。源泉のほうがいいな。
いま、源泉掛け流し中です、とか。
熱すぎて少し水でうめてます、みたいな。

~~~ここまでメモ

なんか、思い出した。

ツルハシブックスの正式名称は、
「ジブン発掘本屋 ツルハシブックス」

発掘するジブンっていうのは、
きっとその「源泉」みたいなものなのだろうなって。

ツルハシブックスは、
コクリ!プロジェクトを、場として
実現しようとしているのかもしれないなって。

会えない人に会える偶然性。
想いの源泉に気づく本や人とのつながり。
とにかくやってみるための屋台。
それを支える安心空間。

そう言えば、いろんな人に、

「ジブン発掘」ってなんですか?
とか
ツルハシブックスのツルハシってなんですか?
とか
どうしてツルハシなんですか?
とか

よく聞かれたけど、
「まきどき村のときにツルハシで畑耕していたんです。
その原点を忘れないように。」

って言っていたんだけど、
言っている僕自身もよく分かってなかった。

6年半の時を超えて、今なら答えられる。

ツルハシブックスのツルハシは、
自分を掘る、仲間の心を掘るための道具です。
それは本であるかもしれないし、
本屋で出会った人かもしれない。

本屋で行われるワークショップかもしれないし、
本屋で出会った人に誘われた畑の場かもしれない。

自分の源泉に気づくこと。
仲間の源泉に気づくこと。
掘って、掘って、たどり着くこと。

掘り当てた源泉を、
ちゃんと温泉まで引いていくこと。

宿を整備すること。
無料の足湯をつくって、コミュニケーションすること。
客からフィードバックをもらい、改善していくこと。
客と一緒にいい宿をつくっていくこと。

これからの仕事づくりは、
そんな「温泉宿づくり」、になるのかもしれない。

まずは、その「源泉」を見つけよう。

そのためのツルハシ、売っています。
そのためのツルハシ、お貸しします。
そのためのツルハシ、一緒に作りませんか?

ツルハシブックスはそんな本屋です。  

Posted by ニシダタクジ at 08:06Comments(0)学び

2017年10月10日

18歳を他者評価の檻から脱出させる

他者評価。

「近代」というシステムが
「効率化」のために生み出した
「評価」システム。

それは「学校」に根強く内包されている。

新潟大学の卒業生に話を聞いたのだけど、
18歳。
大学入学のとき。
劇的な変化が訪れるのだという。

突如として
「評価」してくれる「他者」を失うのだ。

高校まで、学校の先生や親の「求めるもの」を
察知して、それに「応えること」で
他者評価を獲得することに価値があると
思い込んでいたし、その社会に「適応」してきた。

結果、そこそこの偏差値の
地方国立大学に入学することができた。

そこで突如として
評価してくれる他者を失うのである。
不安になるだろうと思う。

特に大学受験で第1志望ではなかった場合は
敗北者として、他者評価を得られずに入学する。

そこで、不安になって、もっとレベル(偏差値)の高い
大学の大学院を受験しようとしたり、
TOEIC高得点や資格取得を目指したり、
公務員試験の勉強やハードなインターンをやったり、してしまう。
つまり、「他者評価を得られるような何か」をしてしまう。

しかし、18歳。大学1年生。ひとり暮らし。
それは「他者評価の檻」から脱出する大きなチャンスだ。

もしかしたらそれは「ラストチャンス」、かもしれない。

他者評価のピラミッドを内包した
自己評価のピラミッドに気づくこと。

「他者評価」は、
自分のミッション、自分の人生のための
部分的な価値にすぎないだと気づくこと。

そのためには、視野を広げること。
横ではなく、タテに、時空を超えて、広げること。

空から、地中から、未来から、過去から、
今の世の中を見てみること。

てっとり早いのは本を読むこと。(効率的です。笑)
そして、アクションすること。
旅に出ること、人に会うこと。

アルバイトすること。
インターンに行くこと。
就職すること。

すべては、
リベラルアーツ(人を自由にする学問=教養)
につながっている。

逆に言えば、
すべては、
リベラルアーツに過ぎないっていうこと。

「自由にする」ってどういうことかと思ったけど、
18歳の大学1年生にとっては、
「他者評価の檻を脱出する」自由、っていうことなんだと思う。

本を読む。
旅に出る。
人に会う。
インターンに行ってみる。
プロジェクトをやってみる。
就職してみる。

そして、ふりかえる。
自己評価する。
他者評価をもらうだけではなく、
自分なりの意味づけをつける。

やったこと。
考えたこと。
感じたこと/思ったこと。

この3つを重ねていく。
特に3つ目の「感じたこと/考えたこと」
ここを書くようにしていくこと。
それが檻からの脱出の力になる。

僕は、そんな本屋さんになろうと思う。
それは見た目「本屋さん」ではなないかもしれない。

「偶然性」を入り口にするために、
「本屋さん」というカタチにはこだわらない。

また、場所も、1か所ではなくて、
いろんな場所に同時に行っていき、
違う場所で出会った人たちが出会い、
学びあえるような、そんな空間をつくりたい。

そんなミッションのある本屋、やります。

18歳を他者評価の檻から脱出させる。

それは「させる」ものではなくて、
「自ら脱出する」ための、
ヘリコプターや潜水艦や、船づくりのための
材料や工具を貸し出すということなのだけど。

そして、
就職もリベラルアーツのひとつだという
価値観で就職に臨んでいけるような。
そんな「学び」をつくっていく。

人生は、
他者(就職した会社含む)との協働プロジェクトであり、
そこにあるのは「「パートナーシップ」であること。
そんな感覚を身に付けること。

「チューニング」と「ふりかえり」で
それを実現するような「場」を僕はつくります。

  

Posted by ニシダタクジ at 08:15Comments(0)学び

2017年09月11日

「就活」の違和感

「就職」はしたいけど
「就活」はしたくない。

「就活」しないで「就職」
する方法はないのだろうか?

そんな大学生は
きっと潜在的に多いのだろうと思う。

「就活」への違和感。

それは、自分をモノ化、あるいは数字化すること
とイコールであるのかもしれない。

企業に就職するとは、
交換可能な部品になるということ。

いや、そうじゃない企業もたくさんあるのだろうけど、
原則としては、企業が存続するために、
ひとりに依存しないシステムをつくることが大事だ。

しかし、仕事はチーム戦である。
誰とやるか、も大切だ。

もっとドライに、プロフェッショナルに、と言われても、
このチームでは、、、っていうことも起こってくるだろう。

それでも、
社長の描いている方向性に共感できるなら
やれるのかもしれないが。

「就活」の違和感。

なんというか、新卒というラベルを貼られて、
ベルトコンベアーで運ばれていって、選別されるような感じ。

A品、B品、規格外と選別されて、
めでたくA品として出荷されるようになり、

今度は、工場の中の人になって、
たくさんのベルトコンベアーからものすごい勢いで
お客さんという数字が運ばれてくる。

それをひと手間加工して、
またベルトコンベアーに載せる。

「もっとこうしたらよくなると思うのだけどな~」
と一瞬思った心の声を無視して、
ひたすらに商品を送り続ける。

そこでは、自分は「ひとり」という
数えられる名詞になっている。
それが「就職」の違和感なのかもしれない。

実際は工場ではなくて、デスクワークをして、
お客さんと打ち合わせをして
商品・サービスをつくっていくことも多いのだろうけど、
構造的にはあまり変わらない。

その点、カフェや個人が経営するちいさな古本屋さんは
目の前の「ひとり」に何ができるか、考え、
それを表現していくことができる。

大学生が抱えている
「就活」の違和感を受け止め、
そこから学びを深めていくような本屋さんをやりたい、
というか、必要でしょ、それ。
誰かがやらないと。  

Posted by ニシダタクジ at 08:17Comments(0)学び

2017年08月21日

クラウドファンディングというメディア

昨日は、クラウドファンディングの
つくり方講座に参加してきました。

めっちゃ面白かった。
2時間でつくるっていう
コピー通りに、ガンガン書いていけば
骨格となる文章ばかりではなく
リターンの内容まで書けました。

講師の岡田さんは、宮崎県出身。
大学時代にいた高知県で
限界集落と呼ばれている地域が
可能性がいっぱいだってことに気づく。
なぜなら、やろうっていったことがすぐできるから。

いま、地域に欠けているのは、
情報発信力とお金。

クラウドファンディングはビジネスプラン。
これを売りたい。
これを作りたい。

そんなモノ・コト・サービスを世に出してみる。
やってみないとわからないからね。
つまり、テストマーケティングってこと。
「まずやる」までを最速ではじめるんだ。

なぜ、クラウドファンディングか?
っていうのを考えてみると、

クラウドファンディングならではっていうのがある。

まず、いいね!をもらったり、シェアしてもらったり、
多くの人に見てもらえる。
つまり、応援の輪が広がるんだ。

注目すべきは、応援コメント。
これが埋もれている意見を見える化してくれる。

たとえば、
1 もともと知っている、大好きだ
2 初めて知ったけど、興味がある
3 趣旨に賛同して応援するよ
そんなふうに応援コメント=宝なんだ。

ここで、クラウドファンディングをする時の
注意することは、
クラウドファンディングは道具にすぎないってこと。

お金を集めることと
お金が集まることを混同しないこと。

そのためには、「なぜ?」
に立ち戻れるような軸をつくることが必要。

そして、フェイスブックなどで、毎日情報発信する。
さらに、それを検証して、アクセスの数によって
取り上げる角度や、文章の順番などを変えていくこと。
それによって精度が上がっていくんだな。

そして何より知り合いに直接お願いすること。
そのためには顧客視点が大切で、
相手の立場になって考えてみることなんだ。

「誰もあなたのことを知らない」
っていう前提から出発すること。
「ひとに伝えていく」から伝わっていくんだ。

お客様は誰なんだろう?

たとえば伝統食材の復活プロジェクトの場合。
1 地域の食に興味がある人
2 地域のプロジェクトを応援する人
3 自分を応援してくれる人

その人を見つけるのは、
フェイスブックというツールは非常に有効で。
その人がどんな投稿をしていて、
どんなイベントに参加していて、
いつもいいね!くれる人だったりすれば

そこに直接メッセージをして支援者・応援者を
増やしていくこと。

シェアが多いということは
多くの人に見てもらえるということなので
応援の輪が広がっていく。

クラウドファンディングをひとりのプロジェクトから
みんなのプロジェクトに作り上げていくこと。

アクションとしては、
本質的な目的を外さないようなアプローチ
(販路拡大であれば、飲食店に提案するなど)

クラウドファンディングは公開情報だから
ほかのリアクションも期待できる。

具体的に投稿をどうするかって?

記事の中の本文を分解していくこと。

見出しがあって、
その中の要素を小出しにさらに分解して
文章化していくこと。

効果的に伝えるには、次の5つに気を付ける
1 切り口をみつける
2 並びかえる
3 肉付けする
4 削る
5 声に出してよんでみる

この5の声に出してよんでみる
が結構ポイントだと思った。

お返しのつくりかた
4種類

1 ライト層 1,000円~3,000円 メッセージ送る
2 ミドル層 5,000円~10.000円 できあがった製品を返す
3 コア層  10.000円 コミュニティ価値 プロセスの見える化
4 大口層 100,000円 企業ブランドの向上

で、実際に僕もやってみたのだけど、
それはまた次回書きます。  

Posted by ニシダタクジ at 18:26Comments(0)学び

2017年08月19日

まちゼミという問い



「第4回首都圏まちゼミ交流会」に参加してきました。
ミスターまちゼミの松井洋一郎さんと
ツルハシブックスもご紹介いただいた「商業界」
の笹井清範さんに会いたくて行ってきました。

「商店街はなぜ滅びるのか?」著者の新さんと
中小企業基盤整備機構の長坂さんと
豪華メンバーのパネルも熱かったっす。


まちゼミについては、コチラの本を。
まちゼミ(松井洋一郎 商業界)

現在全国300地域以上で行われているまちゼミ。
「まちゼミ」とは、店主やスタッフたちが講師となって、
店内で少数の受講者を相手に行う無料講座です。
(「まちゼミ」より)

僕が松井さんの話を初めて聞いたのは、
2012年の12月、村上市だった。
「モノを売るのは、こんなにも美しい」
http://hero.niiblo.jp/e220280.html
(2012.12.14)

その後、2月に内野の商工会でも講演をお願いした。
2年前からあなたの店で買おうと決めていた
http://hero.niiblo.jp/e235086.html
(2013.2.7)

内野町でもまちゼミをやりたい!
と思いましたが、なかなか各商店主さんを
巻き込んでやるのは難しかったので、
2014年3月に、大学生だった野島さんを中心とした実行委員会で
「うちのまち なじみのお店 ものがたり」として
10店舗10講座を実施した。

味噌を買いに商店へ(2014.3.16)
http://hero.niiblo.jp/e380403.html
「ものがたり」のものがたり(2014.3.17)
http://hero.niiblo.jp/e381128.html

いま思うと、
この講座から、飯塚商店さんや大口屋さんとの
関係性を深まって、コメタクやいろんなコラボが
生まれたんだなあと。

そんな原点を思い出させてくれる松井さんの講演でした。


「まちゼミ」をやるとどうなるか?
・新規顧客との出会い
受講生の約2割がお客になってくれる。
・離店客の防止
新規よりも5分の1の労力で来店してくれる。
・マーケティング・経営革新
お客様の声を聴き続けることで必要とされる店になる。

・自身の学び、自己実現
お客さんに教えること、得意なことを考えることで新しい自分になる。
・よい店としてのチラシでPR
チラシに講座が載るだけでもPRになる。
・連携・仲間づくり・コラボ
個店同士が連携してお客さんを紹介しあうなど。

印象に残った事例がとあるピアノ教室の話。

はじめてまちゼミに取り組む店主から、
まちゼミって興味はあるけど、何をやったらいいの?
って質問されるときが多いのだという。

そんなとき、
「何が得意なの?好きなの?」

って問いかける。
そのピアノ教室の先生は、
「ピアノ教えてるけど、実は歌を歌うのが好きなの」
って。

それで、歌の講座を開くことになった。
受講したのはおもに60代の女性。
たいへん好評で、
なんと、週1回歌の教室も開くことになったのだという。

松井さんは、講演でも著書の中でも言います。

~~~ここから「まちゼミ」より引用

店をなんとかしたい、なんとかできると信じ、
行動し続けることが「店の活性化」です。
昨日よりも今日一つだけでも新しい売り方を
試してみた、わずかだけれど、経営革新を試みてみた。
-それをやり続けることが「店の活性化」です。

なんとかしたいと前に進み続ける店が集まったとき、
本当に求められる商店街ができあがります。

「自分には地域のためにまだまだやれることがある」
と信じる店が数多くできて蓄積したとき、商店街活性化は
現実のものとなります。
そして、まだまだやれることがあると思える人たちが
まち全体に増えれば、それが「まちの活性化」になるはずです。

地域の人たちに必要とされ、
新しい価値をつくり続けられる店を運営していくことが
「店の活性化」です。
必要とされる店が集まったとき、「商店街の活性化」が実現します。

そして、一つひとつの店が地域全体に思いをはせ、
地域の人たち一人ひとりがお互いの幸せを
心から願うようになれば「地域の活性化」が実現するでしょう。
人が意欲を持ち続けることこそが「活性化」なのです。

~~~ここまで「まちゼミ」より引用

そうそう。
そうそうって。

まだまだやれることがある。
その通りだなあって。

まちゼミは、
ひとつの問いなんだなって。

活性化って何?
商店街って何?

お客さんが求めていることは?
商店主としてできることは?

ほかの店と連携できることは?
活性化のその先に、何があるの?

パネルディスカッションで笹井さんが言っていた。
業績がいい店に共通するのは、
「何のために商売をするのか?」という問いを
考え続け、答え続けていることなのだという。

店の価値は安い、便利といった「生活必需の店」から
付加価値、個性、コミュニケーションといった「人生充足の店」
へとシフトしている。
まちゼミとは、その「人生充足の店」の何かを作るのだと。

そして、それを
自分ひとりではなく、仲間と一緒に学びあい、
高めあいながら探していくこと。
「連携」というのは、「共に学ぶ」ことなのだと感じた。

そのミッション。

「学びあいで希望は生まれる」

僕が29歳の時に吉田松陰の「野山獄」のエピソード
でもっとも衝撃を受けたこと。

松井さんは、
まちゼミというツールを使って、
そんな「場」を全国に作っていっているのだろう。

交流会で
「商店街はなぜ滅びるのか」(光文社新書)の
新雅史さんが松井さんと話しながらこんなことを言っていた。

「模倣」じゃなくて、「感染」。
松井さんには感染力がある、と。

そうそう。
僕もそれに感染されたひとり。

まちゼミは、答えじゃなくて、モデルじゃなくて、
「問い」そのもの。

商店街って必要ですか?
あなたのお店のお客さんにとって価値はなんですか?

活性化ってなんですか?
どうやってそれを実現しますか?
そんな問いだらけの事業、それがきっとまちゼミなんだな。

やっぱ、カッコよかったっす。
いってよかった。

ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 09:08Comments(0)学び

2017年07月11日

本屋とは、世界に放たれた手紙

なぜ本屋なのか?
とよく聞かれる。




さわや書店フェザン店。
大好きな本屋さん。
本屋はどこまで本屋になれるのか。

どうやら「文庫X」という企画が
書店界隈では話題となっていたようだ。

表紙を伏せて、
メッセージを載せて、
すべてを隠して文庫本を売るというもの。

それにどんな思いを込めたのか。
なにがどうつながると、そうなるのか。


「書店員X」(長江貴士 中公新書ラクレ)

それがこの本に書いてあって、
いま読み途中。
文庫Xは、あっという間に読み終えた。

たしかに、普段なら手に取らないだろうな
と思う本。

しかし、グイグイ引き込まれていく。
そして熱い。

生きるとは?
働くとは?
仕事とは?
価値とは?

そんな根源的な問いにあふれている1冊だった。

そんな本に出会ったからこそ
文庫Xという企画が生まれた。

その売り方には、
小阪裕司さんの方法論も
取り入れられていて、とっても楽しかった。

そう。
一緒につくりたいんだよね、何かを。

そんなことが本屋さんでできるんだって
そんな風に思った。

誰かに届けたい
そんな思いが連鎖していく。

本1冊1冊も手紙であるのだけど、
本屋そのものが、手紙なんだって。

そんな本屋さんをつくろうと思う。
コアなお客は、コミュニティ難民な女子たちかもな、と思っている。
うまくコミュニティと同調できない人。

そこに感性の高い男子(イケトとか唐澤くんとか)が入ってきて、
学びあいながら、新しい仕事というかプロジェクトというか、
そういうのを作っていけるような
本屋さんをつくりたいと思う。

やっぱり本屋なんだよね。
そう思った。

さわや書店さん、田口さん、長江さん、
ありがとう。  

Posted by ニシダタクジ at 08:54Comments(0)学び

2017年05月19日

「予測できない」というモチベーション・デザイン


「つながるカレー」(フィルムアート社)の加藤文俊さんに初めてお話を伺った。


Clip日本橋で開催されたこの企画は法政大学の長岡先生のゼミの一つ。「カフェゼミ」


30人を超える人がいたような。

「脱・合目的的」な実験の場、つまり
偶然を起こすことを目的としているカフェゼミ。
大学生のゼミ生が20人くらいと
一般参加者が15名くらいかな。

直感と好奇心で動く・フットワーク&ネットワークを基本スタイルとして、
創造的なコラボレーションのデザインを目指す長岡研究室は、

古い価値観や慣習に囚われず、
自由闊達に個性を発揮しながら、
一人ひとりの多様性を受け入れる、
プレイフルな協働の姿を模索する。
詳しくはこちらから。
http://www.tnlab.net/



さてさて。
つながるカレーのお話。

現在までに60回を数えている
加藤さんらが手掛ける「カレーキャラバン」
http://curry-caravan.net/

はじまりは、
アートプロジェクトの一環として
墨田区でカレーをつくった。

そのとき、小学生が野菜を切ってくれたり、
近所のおっちゃんがジョッキ生ビールを
差し入れしてくれたりした。

これは!
と思い、活動をスタート。
以降、全国各地を含め、
60回にわたるカレーキャラバンを実行。

そんな話を聞きながら、
カレーキャラバンという
参加のデザイン、コミュニケーションのデザイン、
あるいは非営利活動のモチベーション・デザインに
ただただ驚いていた。

そして「アマチュアリズム」について
考えさせられた。

長岡先生のレジメに載っていた。
脱・専門主義=アマチュアリズムを引用する。

「アマチュアリズムとは、専門家のように利益や褒章に
よって動かされるのではなく、愛好精神と抑えがたい興味に
よって衝き動かされ、

より大きな俯瞰図を手に入れたり、境界や障害を乗り越え
さまざまなつながりをつけたり、

また、特定の専門分野にしばられずに、専門職という
制限から自由になって観念や価値を追求することをいう」
(E.サイード 『知識人とは何か』)

なるほど。
いいね、アマチュアであること。

~~~以下、イベントメモ

売りものじゃないところがポイント。
無料だからプロではない。
お金を取り始めると味を追求しちゃう。

お金をもらうつもりでやんないといいものできないだろう、という呪縛。

いい大人になって、
使い道のわからない月5000円くらいあるでしょう?と言われ、
いいんじゃないか、と思えた。

赤字モデルは、ビジネスモデルを意識している。
まだあの当時は若かった。
ビジネスモデル?眼中にないよ。
つながるカレーは、欠かせない出費なんだ。

まちかどでカレーをやると、気質が見える。
一時的・即興的に人びとの交流の場が生まれる。

方法としてのカレーキャラバン。

プロジェクトはたとえひとりぼっちになってもやる、
意味があってもなくてもやる。そういうもん。

公パブリックと私プライベートのあいだの共コモンズを取り戻す。
いまや公か私しかなくなった。共の領域の消失。空き地がなくなった。

カレー食べてるときは境界線があいまいになる。
1時間だけコモンズができる。カレーによって境界線に揺さぶりをかける。

もともとこの図があってカレーをやったわけじゃない。
コモンズを取り戻すために始めたわけじゃない。
やってみて、振り返ってみたら、共の復活だった。

ご当地カレーという名前にとらわれず、現地で買うだけでいい。

何が起こるかわからない。これがカレーキャラバンの最大の価値だ。
カレーをつくるまで、何ができるか、誰と出会うかわからない。
何カレーができるかわからないのだ。

カレーはみんなでつくるのにちょうどよかった。嫌いな人が少ない、
みんなが一言ある、ツッコミを入れられる、
敷居が低く、参加しやすい。身分を問われない。

月に一回だからやり方を忘れる、
上達しない、常に初心を保つ構造になっている。

参加のデザインを生むには、常に下手でいることが大事。
プロにならない、アマチュアであること。
上手くならない。プロへの誘惑を断ち切る。

帰りの車の中での振り返りが1番楽しい。
それは、予想しなかったことがたくさん起こるから。
予想しなかったことが起こることこそがレジャー。

~~~ここまでメモ(講演録・自分の感じたこと)

まあ、こんな感じ。
一言でいえば、痛快な時間でした。
なんだかスカッとした。

つながるカレーのアマチュアであり続ける仕組みに感銘した。
結果論なんでしょうけど。

一番印象に残っているのは、
「帰りの車の中で振り返りをしているときが一番楽しい。」

そうそう。
それだ!って。
振り返りが楽しくなるような活動をしなくちゃいけないよね。

そして、
カレーキャラバンの最大の素晴らしさは
「アマチュア」であることであり、
「アマチュア」であり続ける仕組みである。
(これは完全に結果論というか振り返ってわかったことだと思うけど)

ご当地カレーという名前にとらわれずに
現地で食材を調達する、ということだけが決まっている。
それは、何カレーができるか、わからないということ。

じっくりと時間をかけてつくる。
それは、だれが参加するかわからないということ。

そしてなにより、カレーであるということ。
そこには、だれもが、一言言いたかったり、
後から隠し味を付け足したかったりする。
つまり、途中からでも参加ができる。

参加のデザイン。
フラットな関係性のデザイン。

そしてなにより、
「予測不可能」という、モチベーション・デザイン
ができているのではないかと感じた。

加藤さんたちをカレーキャラバンに掻き立てるのは、
その「予測不可能な何か」との出会いであり、

アマチュアであり続けることにより、
その現場には、「失敗」という概念がそもそも
存在しないのだ。

カレーがおいしかったりおいしくなかったりということばかりではなく、
人が思ったより来なくて、カレーが大量に余って、ジップロックに入れて
持ち帰ったことでさえも、「予測不可能な何か」である。
それが楽しくて、やめられないのだろうと思った。

ツルハシブックスで店員サムライをしていた
ノジマモエコがかつて言っていた。
「ツルハシブックスに行くと、誰かに会えるから。」

6次元のナカムラクニオさんも言っていた。

「場づくりにおいて大切なことは
『もしかして次に来た時には、もうここはないんじゃないか』
と感じさせるような『一期一会の空間』をつくることだと思っています。
それこそが、どこでも買えない価値のあることなんだと、
みんなすでに気が付いているのではないでしょうか?」

カレーキャラバンは、
文字通り、1回だけの、一期一会の「場」がそこに出現する。
それは本の中でも書かれているが、まさに即興劇のようだ。

何が起こるかわからない。
それがカレーキャラバンだった。

「目的があり、目標があって、
シュミレーションして、計画通りに実施すること。
「想定外」が起こらないように、万全の準備をすること。
そうやって描いていたとおりの目標を達成する。」

「振り返りとは、次回の開催に向けて、
改善点を洗い出し、つぶしていくこと。」

そうやって得られるものとは、
いったい、お金と何なのだろうか?

予測不可能で、何が起こるかわからない。
その場に居合わせたメンバーで、何かをつくっていく。

そこで起こる出来事すべてが、
次の活動へのモチベーションになっていく。
そんなカレーキャラバンから大いなる問いをもらった。

その問いが何か、まだよくわからないのだけど(笑)、
「もやもや」してるけど、痛快な時間でした。  

Posted by ニシダタクジ at 08:12Comments(0)学び

2017年05月15日

「なぜ?」は未来ではなく、過去に対しての問い

何かを始める人に、
「なぜ?」と聞いてはいけない。

たいていの場合は答えられないし、
答えられるプロジェクトは、あんまりおもしろくない。
「なぜかわからない」のは聞く人の世界観が狭いのと、
やる人の中で直感で進んでいて言語化がまだであるということに過ぎない。

おじさんは、
自分が生きてきた枠組みの中で、世界を理解しようとする。
(逆に言えば、そういう人を「おじさん」と呼ぶ)
だから、つい、目の前の理解不能なプロジェクトや若者を否定したり、
「なぜやるの?」「それでどうやって稼ぐんだ?」という質問をしてしまう。

その質問が若者から機会を奪っている、と思う。

なぜ?
という質問は、過去に対してされる質問であると思った。

僕の20代は、「まきどき村」という畑のプロジェクトと
共にあった。

24歳の春。1999年。
大学院の2年目に入るときに、
まきどき村は発足。

朝ごはんを畑で食べる「人生最高の朝ごはん」を始める


2004年からは
近所の住民が管理する旧庄屋佐藤家で
囲炉裏を囲んで食べるようになる。


やりながら、
僕は、なぜ?という質問にいつも困っていた。

「畑をやっている」と言っても、
農業、つまり野菜を販売しているわけでもない。
「それで収入を得ているか?」と言われても、
会員費と朝ごはん参加費で
運営するだけで収入などもらっていない。

なぜか、新潟地域ニュービジネス協議会に誘われて、
ビジネスメッセに出展したりしていたのだけど、
来場者は僕の展示を見て、
「これでどうやってビジネスにするんですか?」
と首をかしげるばかりだった。

実際は、家庭教師をしたり、
パソコンを教えたり、たのまれて店番をしたり、
学習塾を自宅で始めたり、モグリで民宿を始めたり、
サンクチュアリ出版の営業をしたり、
ライターの仕事をして、なんとか「食べて」いっていたのだけど。

そんなふうに20代を過ごしていた。

それを「なぜ?」と今問われれば、
ある程度は答えられる。

僕は、人が集まる場をつくりたかったのだし、
「コミュニケーション・デザイン」を研究していたのだと。

日曜日、朝6時集合で
農作業のあと、朝ごはんを作って食べる
というシンプルな構造の朝ごはんは、

・朝早く集まることでの寝ぼけていたり
メイクができなかったりして心のバリアが少ない。
・200年以上の古民家で囲炉裏を囲むことによって、
地域と歴史に包まれたり、火を見ることで話やすくなる
・農作業や調理を通じての、非言語コミュニケーションが
交わされる。

なによりも
・ご飯をともに食べる、文字通り「同じカマの飯を食べる」
は人と人がつながるもっとも有効な方法である。

まきどき村は、今年19年目を迎えて、
村長と唐澤夫妻を中心に、活動を続けている。

ツルハシブックスのいわゆる「サムライ」制度だって、
始めるときは、なにそれ?って感じなわけで。

黒澤監督の「七人の侍」から、
思いついたのだけど、
(店員サムライだけでなく掃除サムライや贈本サムライなどがあった)

その中でも、もっとも偉大なコミュニケーション革命は
「寄付サムライ」であろう。

コミュニティデザインとは、当事者意識のスイッチを押す場のデザインのこと
http://hero.niiblo.jp/e371609.html
(2014.3.5)

店員サムライであるということ
http://hero.niiblo.jp/e477457.html
(2016.3.3)

~~~以下、ブログから引用

日本のファンドレイジング界に一石を投じた
(と思っているのは僕だけなのかもしれないが)

「寄付侍」と呼び方を変えるだけで、
寄付する人とされる人の関係性が変わった。

「寄付したいんですけど」
「あ、ありがとうございます。」
とどちらかと言えば寄付者が上位にあった関係性が

「寄付サムライになりたいんですけど。」
「え。君にその覚悟があるのか?まだ早い。」
「そこをなんとかお願いします。寄付サムライになりたいんです。」

といったん断ることができるようになった。
(実際はそんなことないのだけど)

ツルハシブックスにとって、
「サムライ」とは、フラットであること
なのかもしれない。
共に学ぼう、ということなのかもしれない。

~~~以上引用

そんな「コミュニケーション・デザイン」研究を行ってきたのではないかと僕は思う。

「暗やみ本屋ハックツ」もある見方から見れば、
「本を介した、まちづくりへの参加のデザイン」と呼べるだろう。

ハックツのコンセプトは、
10代に向けて本を通じて手紙を届ける。

それをなぜか?と問われれば、
2002年に不登校の中学生に出会ったときに、
地域の様々な大人との出会いを届ける仕組みをつくりたい
と思ったからである。

このように今となってみれば、
「なぜ?」にこたえることができる。

しかし、その当時は、なぜやっているか、
まったく言語化できなかった。
1年ほど過ぎてメディアに取り上げられ、その質問をされて
初めて答えられるようになったのである。

13日の新城劇場での取材もそんな感じだった。

これは、自分自身でも同じことが言えるだろう。

始めるときに、
「なぜ、自分はこれをやるのだろう?」
と深く考えてはいけない。

しかし、
やり始めて、様々な出会いや変化があったとき、
あらためて、
「なぜ、これを始めたのだろう?」と問いかけることは
とても大事なことだと思う。

金曜日のブログに書いた
「顧客はだれか?」という問い。

僕は、顧客はその人の過去にしか居ないと思っている。
過去に出会った人、あるいは過去の自分自身。
テレビを通じて出会ったけど、大きく憤り、
自分がなんとかしなきゃ、って当事者意識を持った出来事。

もしかしたら、なにかを始めた後で、
そのプロジェクトに参加してくれた誰か、かもしれない。

顧客に出会うためには、
始めたあとで自ら「なぜ?」を問うことだと思う。

世の大人たちは、
若者が何かを始めようとするとき、
「なぜ?」と聞いてはいけない。
「おもしろそうだね、それ」と言っておこう。

そして、ある程度プロジェクトが進んできたら
「なぜ始めたんだっけ?」と聞いてあげたらいいと思う。

始めるのに理由は要らない。
続けるのには理由がいる。
そしてその理由は、
続けていく中で出会った人なのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 08:14Comments(0)学び

2017年04月25日

「紙芝居屋」というおまけ付きメディア


「だがしや楽校」(松田道雄 新評論)

第1章3 「みせ」は学び屋
いよいよ、という感じ。

「店」のはじまりは「市」であり、
中世の定期市は、回数が増えて
やがて常設となり、商品を見せる
「見世棚」は「見世」と呼ばれて、
それが「店」になりました。

そして
おじいさんは、物売りに、
おばあさんは、店番をしていました。

物売りの文化を受け継いで、
わが国独自の「子どもメディア」を作り上げたのが
紙芝居です。

山形市内のタクシー運転手のおじさん(1944年まれ)
の話によると、

「群れで遊んでいる場に拍子木の音が聞こえると、
子どもたちはワッとたかったよ。
「黄金バッド」が一番人気だったね。
今のテレビゲームと違うのは、
人といっしょに見て、人の話を聞くということだったと思うよ。

ばくだん(あられ)、水あめ。
水あめは、五円。
ルールがあったよ、買った子が前で、買わない子が後ろ。
でも、買わない子が見れないんじゃなかったよ。
この境界のあいまいさ重要だったと思うなあ。」

ここから松田さんの鋭い考察。

~~~ここから引用

話を聞きながら、この「境界のあいまいさ」こそ、
許容性のある仲間集団ができる秘訣だったのではないかとふと思いました。

「紙芝居屋」と言いますが、
思い起こしてみると、紙芝居は飴売りの「おまけ」です。

「おまけ」にこれほどのエネルギーを注ぐ商売も
めずらしいのではないでしょうか。
その努力が「紙芝居文化」を生んだ要因かもしれません。

おまけの文化やおまけの教育は、
駄菓子屋の副業文化や副業教育にも
通じるものがありそうです。

自由空間の中で飴をなめながら紙芝居を楽しむ
自然な光景に比べれば、
「遊び」と「飴」と「自由」を取り去った学びは、あまりにも空虚です。

一人一人が仕事や生活の「おまけ」として
子どもに関わる社会教育の原点を、
駄菓子屋や紙芝居屋に見ることができるのではないでしょうか。

紙芝居は、ほどなくテレビの登場によって消滅しますが、
紙芝居は、一方的な情報の垂れ流しのメディアと異なり、
話し手が子どもの反応を見ながら臨機応変に語る
「人対人のおまけ付きメディア」だったのです。

~~~ここまで引用

「境界のあいまいさ」
が居心地の良さを生むのではないか。
しかもそこには少しの緊張感もあり。

たしかに、そうかも。

ツルハシブックスも、
サムライ制度をつくって、運用していたけど、
誰が店員で誰が客なのか、わからなかったし、

「劇場のような本屋」
「本屋のような劇場」

っていうのも、
そこに居合わせた人たちが見ることができる、
という意味でも境界のあいまいさを示す。

そして何よりも
紙芝居は、おまけであって、
商品ではないということ。

そんなふうに、商品とおまけの
境界線もあいまいであるということも
魅力や居心地のよさにつながっていくのではないか。

なるほど。
だんだん、近づいてきてる、
そんな気がする読書って楽しい。  

Posted by ニシダタクジ at 08:07Comments(0)学び

2017年04月24日

サードプレイスは「提供」できない


サードプレイスとしての本屋を考える@新城劇場 17.4.23

なんだか。
面白かった。

一番おもしろかったのは、
「サードプレイスは提供できない」
っていうこと。

特に中学生高校生にとってはそうなのかもしれない。
スターバックスのように、「サードプレイス」という商品に
お金を出して買う、というようなものではないのかもしれない。

なぜなら、
中高生のころを思い出してもらえば、
「サードプレイス」とは、
自ら発見し、つくっていくものであった。

ある人にとっては、
レコード屋のおやじがいる空間であり、
ある人にとっては、
仲間と話した部室だったりする。
家庭、学校(職場)ではない、第3の場所。

それはもしかしたら提供できないのだ
と思っていたら、タイミングよく、
10年以上ぶりに飛び込んでくる本がある。

これが最近の読書運の良さ。


駄菓子屋楽校(松田道雄 新評論)

著者は「駄菓子屋の教育的意義」を研究テーマとして、
ひたすら研究し尽くした。

そして、山形市内で
「だがしや楽校」という、
大人が子どもに様々な遊びを披露する場を始める。

僕は2004年にこの本を読み、
いたく感動して、2005年から「だがしや楽校」を
新潟市の巻と、中越地震後の旧川口町で取り組む。

この本では、
加藤理氏の「駄菓子屋・読み物と子どもの近代」という本の
「子どもが作り出した駄菓子屋」の項を取り上げ、「駄菓子屋」の定義を
「子どもが駄菓子屋だと認知した店が駄菓子屋なのだ」と結論している。

~~~ここから一部引用

「羽田郷土誌」(昭和29年)によれば、
資料によって「子供用小菓子店」の数が
9店だったり、20店だったり資料によって大きく異なるのです。

その謎を、
加藤氏は、9店とは、自分の店が駄菓子屋だと自覚して
自己申告した数で、20店とは、客である子どもや
第三者の調査者がその店を駄菓子屋だと認知した数だと
説明しています。

そしてこの事実から
「駄菓子屋という概念は、店の経営者たちが
作ったものではなく、じつは顧客である子どもたちが
作り出した概念だった」と述べて、次のようにまとめています。

「つまり駄菓子屋とは、店の経営者である大人が、
子どもたちを顧客とした子どもたちの店を開こうと
思って開いた店ではないのである。

需要に応じて品揃えをしていった結果、子どもたちに駄菓子屋
と認知されるようになっていった店をさしていたのである。
もう少し別の表現をすると、大人たちが、駄菓子屋とはこういう店、
これが子どものためにふさわしい店、と考えて用意し子どもたちに
提供したのではなく、数ある店の中から、
子どもたちが自分たちの店、として認識した店が駄菓子屋になっていったのである。

その意味ではたとえ本来は八百屋だったとしても、
子どもたちが駄菓子屋だと認めればそこは子どもたちにとって
駄菓子屋になるし、認めなければ、たとえ品揃えが駄菓子屋的
であっても駄菓子屋にはならなかった、とも言えよう。

~~~ここまで一部引用

実際に松田さんも
子どもたちに聞いた「駄菓子屋」をたずねてみたら、
そこは八百屋だったり、小鳥屋だったりという
思い描いていたオーソドックスな駄菓子屋像とは大きく違ったのだという。

そしてそれは「大人世界」と「子ども世界」
の違いであり、

駄菓子屋は、子ども世界の主観的現実の中に存在し、
それは空き地につくる「秘密基地」と同じようなものだったのだ。

なるほど。
この後、話は、「市の教育学」という
「屋台のある本屋」の本質に迫っていく。

なんていう読書運なんだろう。
明日が楽しみ。

ということで、
イベントの話に戻ると、
中高生に「サードプレイス」を提供することはできないのだということ。

大人社会から見た「サードプレイス」像を
彼らがそのように認知するかどうかは
別の問題なのだ。

ということは、やはり、つくる段階から、
大人社会ではない、向こう側から見た
サードプレイスをつくっていくことが必要である。

それはかつて読んだ、
坂口恭平さんが「独立国家のつくり方」で言っている
「無数の放課後社会」のひとつとなるのだろう。

自由とはタテの世界を行き来すること(13.1.19)
http://hero.niiblo.jp/e229119.html

だとしたら、
おっさんの出番ではなく、
大学生や20代の出番なのだろう。

いや、「子どものような大人」なら、
なんとかなるかもしれない。

現在の中学生や高校生の話を聞き、
彼らを想像しながら、ともに創っていくもの。

そんな「場」や「空間」づくりをこれからやっていく。  

Posted by ニシダタクジ at 08:01Comments(0)学び

2017年03月25日

The great teacher inspires.

日本経済新聞社主催の
大学改革シンポジウム
改革はどこまで進んだか?

ノーベル生理学・医学賞の大隅良典・東京工業大学栄誉教授に
聞き手、池上彰さん(同じく東工大特命教授という豪華な対談から始まり、

関西学院大学の村田学長
芝浦工業大学の村上学長
(株)ワークスアプリケーションズの牧野CEO
のパネルディスカッション。

あんなに熱いシンポジウムは
ここ10年記憶がないくらいの熱気。
パネルディスカッションがディスカッションになってたし。

ということで、少しメモを。

~~~以下対談メモ

新しい学問には権威がないから、自由な発想が受け入れられやすい

1人の研究より共同研究。
違う方法論でアプローチしてくれる人がいるという価値

異質な存在があってこその発見。

役に立つとは何か?
2.3年後に企業で役に立つことか?
20.30年後に役に立つ、かもしれないか?

28年前にはガンの研究の役に立つなんて思っていなかった。

役に立つという概念を社会がもうちょっと考える。
短期的に役に立つか立たないかの二軸で判断していいのか?

科学は文化になってほしい。
役に立つか立たないかという視点で評価しないでほしい。

サイエンスを文化として楽しもう

~~~以上対談メモ

いいですね。
まずは大隅先生から「役に立つ」ということへの問いがなげかけられる。

役に立つか立たないか?
という視点を短期的なものとしてとらえすぎていないか?

そうそう。
「効率的」なことを重視しすぎていないか?

昨日のブログで書いた没頭する、っていう
堀江さんの言葉を思い出した。

そして、さらにシビれたのは、パネルディスカッション。

▽▽▽ここからパネルのメモ

何を教えたか、ではなく、何を学んだか。

卒論は最高のアクティブラーニングだ

The great teacher inspires.
偉大な教師は学びの心に火を灯す。

知識ではなく、行動力、態度、価値観。

大学が単なるラベルであった時代には遊んでいてもよかった。
しかしこれからは主体性と多様性とコラボレーションの時代だから、
大学名に関わらず、やらないと。

高校までは文科省の検定済の教科書で学んできた。
それはだいたい正しいことが書いてある。
しかし、大学で研究されていることは最先端だから、
間違っているかもしれない。
だから、鵜呑みにせずにクリティカルシンキングしないと。

って言ったら、池上彰先生に苦情
クリティカルシンキングが大事だ、を
あまりに素直に受け取りすぎだよ。(笑)

コミットメントするということ。
期限を決めて、全力でやるということ。

教育と研究の関係。
研究で知った喜びを、熱を伝達していく。
それがインスパイアを呼ぶ。

よい研究者は、よい教育者だ。熱を伝えられるから。
研究してなければ、教育はできない。

△△△ここまでパネルメモ

うんうん。
特に芝浦工業大学の村上学長の言った
The great teacher inspires.

教員も職員も学生もgreat teacher
を目指していくというのが芝浦イズムだという。

気になったので、検索した。
この言葉は、
ウイリアム・アーサー・ワード(William Arthur Ward, 1921-1994)が言った

The mediocre teacher tells.
The good teacher explains.
The superior teacher demonstrates.
The great teacher inspires.

凡庸な教師はただしゃべる
よい教師は説明する
すぐれた教師は自らやってみせる
偉大な教師は心に火を灯す

だったことを知る。
なるほど。

インスパイア。

それかもな。
堀江さんの言う「没頭する」の
前段階にある、「衝動」を起こさせる何か。

それをgreat teacher と呼ぶのだろうと。

だとすると、
それは「誰か」じゃなくて、
「何か」であるかもしれないなと。

2008年、ナカムラノリカズくんと一緒にやっていた
起業家留学プログラムの研修を思い出した。

心に火を灯す。

彼の司会や、ほかの研修生とつくる場のチカラが
宮澤くんたちの心に火を灯すのを目の前で見た。

インターンシップに必要なのは、
きっとそういうことなのだろう。
インスパイア。
それこそが必須の条件だ。

それは、受け入れ先の企業の人、
プログラムの設計、そして場のチカラ。
この3つが必要なのだろうと思った。

インスパイアなきインターンは今すぐに
やめたほうがいいと思った。

そして、インターンをはじめ、
学校外で、地域で、あるいは外国で何かやってみるというのは、
「インスパイア」を得るための機会なのかもしれないと思った。

いや、そもそも。
The great teacher inspires.

を逆から読んでみると、
インスパイアさせるものが偉大な教師である、
とするならば、

「機会」そのものが偉大な教師なのではないか。
という仮説ができる。

それだ、と思った。

僕が本屋をやったのも、
地下にハックツをつくったのも、
劇団員というシステムをつくったのも、
そこに「インスパイア」の機会が生まれるからなのではないか。
「心に火が灯る」瞬間が生まれるからではないか。

great teacher とは、機会であり、場であり、コミュニティなのではないか。

きっとこれからも、
それをやっていくのだろう。

たった一言で「インスパイア」は起こる。

僕にとって、昨日のシンポジウムの場はそんな機会となりました。
ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 08:11Comments(0)学び

2017年03月20日

作品と文化のあいだ

アーティストと作品の関係。のつづき。
「作品」と「文化」の関係。

まきどき村も
ツルハシブックスも
コメタクも

共通しているのは、
「効率化」そのものに抗っているということかな。
それは、結果論なのだけど。

まきどき村は
「豊かさとは何か?」という問いへのひとつのアプローチだった。
ツルハシブックスは、
「若者地域拠点としての本屋」という方法論だった。
そしてコメタクは、
「米を炊く」という具体的方法による世の中に好きと隙を増やす活動だった。

その中に共通して流れているもの。
それは、「効率化に抗う」ということ。
なのかもしれないな、と思った。

そして、それは、
クルミドコーヒーやカキモリやタルマーリーみたいな、
経済社会そのものへの問いよりは
少し小さいのかもしれないけど、
結構共感度の高いプロジェクトなのかもしれない。

目標を決めず、セッションを楽しむ。

「目的」は究極、今日を楽しむということ。
本日この時間を楽しむということ。

そこでは周りを見渡して、
みんながどんな楽器を手に持っているかを見ながら、
新しい演者が向こうからやってくるかもしれないと思いながら、
自分の楽器を打ち鳴らすか、あるいはそこで踊るのだ。

そうして、できていくもの。
それが、作品であり文化であり、自らのキャリアであるのかもしれない。

昨日、かなちゃんが言った言葉に、ドキっとした。

「日本語がYes Noを最初に言わないのは、
結論を急がなくてもいいからだ。」

まず理由を述べて、最後に結論を述べる。
聞いているほうは、「結論はどっちなんだろう」
と想像しなければならない。

それは、話を聞くということ、
相手を理解するということなのかもしれない。
もっとセッションを楽しむ。
温暖な我が国では、そんな余裕があったのかもしれない。

セッションを繰り返し、
プロジェクトが生まれ、
作品が生まれる。
その作品がいつしか文化に変わっていく。

さくらちゃんも言っていた。
「個人に依存しているうちは、まだ文化になっていない。」

なるほど。
「この文化の期限には、諸説ありますが、」
と言われて初めてそれが「文化」になっているのだと。
面白いなあ。

しかし、
さくらちゃんがやっている「聞き書き」は、
個人が大切なのだという。

ライブなのだと。
誰と誰が聞き書きという場を共有したのか、
というのが大切で、そこからどんな言葉が出てきたのか。
そんな関係性が大切なのだと。

僕たちは、周りを見渡して、ライブを生きながら、
一方でそれをいろんな人が始められるように、
「文化」をつくっていくようなことを望む。
ひとつのプロジェクトが共感の連鎖でつながり、広がっていく。

きっと、そうやって、
作品と文化のあいだを、
ぐるぐるしながら、
未来と自分ができていく。

そんなことを感じた、いい夜でした。  

Posted by ニシダタクジ at 07:07Comments(0)学び

2017年02月17日

「発酵」しながら生きる


西村佳哲さん。

初めてお会いしました。
2017年の初めから、
「自分の仕事をつくる」「自分をいかして生きる」を読み直し、

そして今も「かかわり方の学び方」を
読み進めていたので、非常にタイムリーでした。
素敵な人だった。

さらに、進行していた、津屋崎ブランチ
http://1000gen.com/
の山口さんの冒頭のトークが熱くって。
一気にテンションあがった。
コメタクのコンセプトに非常にシンクロしている気がして。

なんか自分の方向性に自信が持てた1日となりました。

~~~以下メモ

注意事項
・否定しないで耳を澄ます。
・自分だけが正しいと思わない。断定しない。新しい気づきを大切に。
・沈黙を歓迎する。言葉が出てこないのは生まれる前兆。
・落書き・メモを取る。

感じをデザインする。感じを交わし合う。
自然物のカラーパレット。

自分は何をするか、から、周りにいる人と何ができるか?
という問い。
出会いをカタチにする。

15分プレゼン→シェア
を繰り返すと様子がわかってくる感じになる。
「思い浮かぶ人」を増やすことが地域に活動を増やす。

つなぐ公社のロゴはこぐま座。
北極星を見失わずにつなぎ直して価値をつくる。

名刺交換でその人を見てない。
肩書きとメリットしか見てなかった。

肩書きじゃなく、まずその人とつながること。
そこから始まる。

どこで、だれと、なにを、して生きていくか。
「なにを」から、「だれと」になり、「どこで」というのも大切になってきた。

暮らしをつくる。風景をつくる。
本当の暮らし、働き方、つながり。
暮らし→家族、地域
働き方→専業なのか?
つながり→人として見る
風景→人の営みがにじみ出る

まちづくりとは、このまちにあった
営みの哲学を新しい形でとりもどすことだ。

風景=情景をつくる。いい映画を見たとき、シーンが残る。空気感。
シーンを生み出していくこと。
シーンには、暮らす人の価値観がにじみ出る。

いいアウトプットを出す人は、方法論が違うだろう。

違和感を大切にする。
違和感こそ衝動のタネ。
やり方を変えられる。

仕事だから、っていう言い訳は、
仕事と自分が分離している。

仕事は、
はたらき→生業→事業→産業と拡大していく。
地方創生とかで、仕事をつくる、って言う時の仕事ってどれ?

はたらき、は、いるだけで作動する機能。ほっとする、とか。
生業は、機能+技能。個人に依存している。その人がいなくなったら無くなる。
事業は、個人に依存していない。仕組みができている。システムに依存する。
このあいだにカベがある。
産業は事業の集積。

その場合の仕事は、どの位相の仕事のことを言ってるの?

生業のデメリットは、本人が本人の奴隷になることがあること。
事業になるとそれがなくなる。
そのあいだに家業がある。

最近は家業っぽい事業が増えつつある。
ニュー家業的会社が増えている。個人が大事にされている。

移住して仕事をつくる、のときの仕事は「生業」であることが多い。
それをどうニュー「家業」に発展させていけるか。

日本は産業(工業)がダメになっている。
カンフル剤としての多機能化やエコ家電があったが、すでに限界。
次の産業をつくらなければいけないが、いきなり産業はつくれず、
生業から始めて、家業、事業と発展させなければならない。

まずは生業を集めて、組み合わせること。星座のように。
ねんど細工のような、やりながら考えるような。
⇒「発酵」みたいな。
温度や湿度が整えば勝手に生まれてくるような。
コンディションが大事。

都会のアスファルトでは芽吹かないが、
津屋崎ではミミズがいっぱいいるので、種があれば芽吹く。

「はたらき」に気づくには他者が必要。

自分で見つけるのは難しい
→あきもせずに繰り返しできること
→たいしたことないと思っている
→実は才能かも。

「生業」も自分だけでは考えないこと。

世界に一つだけの花という強迫。
出会いを仕事にする、というような感覚。

個人にウェイトを置くキャリア教育=西洋的
「個人」という縛りから外れること。発酵=環境

自分の思惑通りの人生は意外に面白くない。
「気がついたらここに来ちゃった。」と言っている人で
つらそうな人はあまり見たことがない。楽しそう。

自分が開かれていることが大事。

「費用対効果」「原因と結果」という幻。
1対1の対応関係であるはずがない。
小さな「原因」をたくさんつくっていくようなまちづくり。

イベントをやる(非日常)
→日々、今日を幸せに生きる。(日常)
→平凡なことしかやってない。
→営みの中にシーン(風景・情景)が生まれる。

結果としてしか起こらないことを目的にしているのではないか?

~~~ここまでメモ

これが、また今朝読んでいた
「かかわり方の学び方」の内容とリンクする。

カール・ロジャースの
「パーソン・センタード・アプローチ」。

共感、無条件の肯定的尊重、自己一致。
これらの条件が揃うと、その気があろうとなかろうと
より一致する方向へ向かう。

たとえ相手がどんな人であろうと、生き物であるなら、
聴き手の条件が揃うと語り手の中に自然に発動する動きがある

なるほど。
これがつまり、「発酵」ってことか。

環境を整えることで
おのずから、芽が出る。
そんな場をつくっていくこと。

昨日の話を聞いて、
「豊かさ」や「キャリア」について、
僕が考えてきたこと、考えていることが、
非常にいい線いってるなあと実感した。

そして、いま自分がここに立っている意味を。

大学時代、自然農に学び
まきどき村で農を核としたコミュニティをつくり、
大学生のインターンプログラムをつくり、
キャリアのことに関心を持ち、

もっと自信のない子にアプローチしたいと
ツルハシブックスをつくり、
そして、茨城に来て、岡倉天心という生き方に出会った。

これがもし、偶然ではないとすると。

西村さんが
「かかわり方の学び方」のあとがきで

「やり方」の奥には、「あり方」があったわけです。
そこがなによりも違うんだなと。
働き方方面から掘っていた穴と、
かかわり方(ワークショップとかそのファシリテーション)方面から
掘っていた穴がそこで貫通します。

そうそう。
そういう「貫通」した感じ、昨日はありました。

大学時代に環境問題をテーマにしたことで出会った
「豊かさと何か?」という問いと
若者のキャリア形成というシーンで出会った、
「地域とキャリアの関係」という問いが貫通したように思えます。

そして、
それは「発酵」のように「自然農」のように、
環境をつくるということ。

パーソン・センタード・アプローチのように、
ひとりひとりの中にあるものを信じるということ。

「未来」という「自然」と、ともにあるということ。

キャリアデザインもキャリアドリフトも
個をベースにしてつくられているけど、もしかしたら
日本では、もっと、主客一体とか一座建立とか
そういう精神でキャリアをつくっていくことが可能なのではないか。

いや、二者択一ではなくて、
それらをミックスしながら、
岡倉天心的な第3の道を歩んでいくことが可能なのではないか。

鴻上尚史さんのいう、
同調圧力についても理解し、
俯瞰して世の中を見ること。

それと同時に、
地域や世の中という環境に委ね、
感じ、行動していくこと。

そこから対話しながら、キャリアを構築していくこと。
そこに僕の使命があるんじゃないか。

まずは僕自身も発酵しながら生きたいと
強く思った1日になりました。

西村さん、山口さん、本当にありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 08:15Comments(0)学び

2017年02月12日

「少数派」を好きになるということ

福島に来ています。

朝7時から、大学生4人とミーティング


おとといの農家ヒアリングで大学生が聞いた一言。

「農業は可能性だらけだ。」

ホント、僕もそう思う。

「顔が見える」っていうのは
つくっている人の顔が見えるだけでなく、
食べている人の顔が見えるということでもある。

とか。
いろいろ学びが多かった。

そして今回、
僕がもっとも痛切に感じたのは、

「食」や「農」というテーマは、
若者のアイデンティティ問題にとっては、
解決策のひとつとなるのではないか?
という仮説だ。

若者のアイデンティティ問題。

たとえば、
「自信がない」とか
「やりたいことがわからない」とか

その大きな原因は
満たされていない承認欲求、
とくにベースとなる「親和的承認」の機会の少なさにあると
僕は考えている。

参考:「評価」ではなく、「承認」を必要としている。
http://hero.niiblo.jp/e470668.html
(2015.7.16)

その解決策は、商店街や離島に行くことだと思った。
そこで存在そのものを受け入れてもらうことが大切ではないかと。

もうひとつ、方法があるのではないか。
それが「食」や「農」なのかもしれないと思った。

有機農家やオーガニックレストランの
運営者に話を聞くこと。
価値観を揺さぶられること。
そして好きになること。

そのプロセスの中で、
大学生は「好き」という関係性を築いていく。

その「好き」の関係性を増やしていくこと。

結局、個人のアイデンティティは
その人の中にあるのではなくて、関係性の中にある。
フェイスブックは関係性の可視化ツールで
あるからこそ、ときに喜びや出会いを、
ときに悲しみや嫉妬を運んでしまうのではないか。

しかし、ネットの中ではなく、
リアルな社会に、「好き」という関係性をつくっていけるか、
それがアイデンティティにつながっていく。

「恋愛したいけどできない。」
と思っている女子には、自信が足りないのだと大人はいう。

「人を好きになる前にまず自分を好きにならなきゃ」
という謎のアドバイスをするおじさんもいる。

しかし、
簡単に言っても、「自分を好きになる」っていうのは
そんなに簡単なものではない。

だから、まず、恋愛ではなく、人を好きになる。
それは、お気に入りのお店でもいいし、住みたいまちでもいい。

その「好き」を好きだと自信を持って言えるとき
(それは決して好きである理由を述べられるという意味ではない)
人は小さな自信の階段を登るのではないか。

今回、大学生たちがヒアリングした農家はしきりに、
自分たちが「少数派」であることを語っていたという。

僕は、そこにまた違った希望を見た。

つまり、「少数派」である人たちを
かっこいい、とか、尊敬できる、とか
好きになった時点で、
自分の感性への自信が少し増しているのではないか。

その他大勢ではなく、
自分が感じる「好き」を集めていくこと。
その入り口を食べることにすること。

今回のミーティングは、
若者のアイデンティティ問題を
「食」「農」というフィールドで、アプローチできるのでは、
という仮説を得た、僕にとっても収穫の多いものとなった。

もうひとつ。
つけ加えると、「伝え方」のこと。

「伝えよう」とすると、伝わらないのではないかと思った。
今回はひとりの大学生の言葉に胸を打たれた。

それは、彼女自身が、
農業者の話を聞いて、価値観を揺さぶられたのを
素直に表現していたからだ。

こんなことは今まで考えてなかった。
世界が広がった。

そんなことを自分の言葉で紡いでいた。
実はそれこそが「伝わる」言葉なのかもしれない。

僕たちはいま、
新しいメディアをつくろうとしている。

大学生や高校生が「食」「農」をテーマに取材し、
学んだことをアウトプットするプロセスの中で、
価値観に揺さぶりをかけ、生き方を探っていく、
その探っていく過程そのものに、
実はメディアとしての価値もあるのかもしれない。

感じたことを素直に書いていくこと。
それをアウトプットしていくこと。

それを繰り返すことで、
小さなメディアができていくのかもしれない。

「食」「農」の可能性を感じた1日でした。
ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 05:23Comments(0)学び

2017年02月09日

「正しさ」への違和感

最近のトピック。

「正しさ」への違和感。

「バブル以前」と「バブル以降」と
世代をぶったぎるわけではないけれど、
そこに大きな隔たりがあるような気がしている。

僕が啓発系の環境NGOから手を引いたのも、
まさに「正しさ」への違和感だった。

自分たちは正しく、世の中は間違っている、あるいは狂っている。

その価値観。
それが多数派であれば、
それ以外の人たちは少数派「アウトロー」として外に追いやる。

http://hero.niiblo.jp/e483155.html
(20代の宿題 16.12.10)

の佐々木さんも言っているように、
上へ、でも、外へでもない
第3の道を探れ、と言っている。

これがおそらくはこれからの時代の
スタンダードになっていくのだろう。

「正しさ」など存在しない。

ミスチルの歌ではないけれど、
白と黒のあいだに無限のグレーが広がっているのだ。

その「正しさ」とは、
経済至上主義であり、学歴社会であり、
そこから紡がれてきた「社会の常識」だ。

「正しさ」への違和感を抱えながら、生きていく。
これはもはや必要不可欠なのだろうと思う。

「価値観の多様化」とはそういうことなのだろうと。

信念を持つことは素晴らしいと思う。
しかし、世の中は変わってしまったのだ。
いつまでも過去の「正しさ」を引きずってはならない。

その「正しさ」を捨て去ることができるか。
「もしかしたら」と他の要素が入ってくる余裕を持てるか。

それがないと、
これからの時代は非常に生きづらくなっていくのかもしれないな、と思った。

「シーナと一平」が言っていたけど
境界のデザインを意識して、コミュニケーションのきっかけになる
パブリックマインドを持ち得たとき、輪が広がる。

まさにそういうこと。
そんな境界をデザインして、
そこの生まれるコミュニケーションによって
生成される何か。

きっとそれこそが「場」の目的なのではないだろうか。  

Posted by ニシダタクジ at 06:14Comments(0)学び

2017年01月18日

誰もが受け入れられ、誰もがふさわしい場所を作ること


「未来食堂ができるまで」(小林せかい 小学館)

なんか。
最近また読む本のタイミングがいいなあ。
1月7日に未来食堂買った1冊。

このあとに出た「ただめしを食べさせる食堂が今日も黒字の理由」
もシビれまくったけど。

こちらの「未来食堂ができるまで」
もリアルで素敵です。

驚いたのは、コミュニティへの言及。

~~~以下引用

ただし、自分としては、まかないは
「お店のファンクラブ」や「会社を超えた第3コミュニティ」
みたいな今流行のコンテキストとしてはまったく捉えていません。

あくまでも、一文無しになったり、そんなどうしようもないときに
未来食堂のことを思い出してほしいという想いから来ています。

少なくとも一度は訪れてくれた人との縁は切りたくない。
たとえ、もしその人が一文無しになったとしても、
どうにかつながる方法は残しておきたかったんです。
未来食堂は誰かのセーフティーネットでありたいのです。

なのでひっそりとやっていきたいなと思っています。
コミュニティとなった瞬間に、コミュニティの中と外というように
二分化されてしまうので、それは望む姿ではありません。

今の流行はコミュニティのコンテキストに流れていきがちだと思うので
極力注意してやっていきたいのです。
ただのセーフティーネットだし、意識高い何かでもないのです。

どこまでも「わたし」と「あなた」がいる、
そのあり方が未来食堂なんだと思います。

~~~ここまで引用

このあと読み進めていくと、
さらに熱い表現があるのだけど、
それは読んでみてのお楽しみ。

未来食堂のコンセプトは、
「誰もが受け入れられ、誰もがふさわしい場所を作ること」

未来食堂の存在価値は、
常に新しいこと、常識を再構築すること。

そうそう。
ツルハシブックスもそうだったのかもしれないなと。

だからこそ、
「劇場」であり、「畑のある本屋」に向かっているのだと思っています。

誰もが受け入れられる。
それは本屋単体では難しかったです。

誰もがふさわしい。
それは、舞台を用意して、
「演じられる」役が生まれることであるかもしれません。

同志というかなんというか。

僕もそんな場を目指していきたいなあと思います。

「コミュニティ」ではなく
どこまでも、「わたし」と「あなた」がいる。

そんな本屋さんになりたい。  

Posted by ニシダタクジ at 07:56Comments(0)学び