プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2019年11月20日

コーディネーターがつなぐのは

6月の地域みらい留学フェスタ@東京でめちゃめちゃ輝いていた
大崎海星高校におじゃましています。



1日目は
コーディネーターの取釜さんに話を聞き、
「みりょくゆうびん局」交流チームのランチミーティングの後、
1年生の大崎上島学「羅針盤学」の授業を見学し、
その後、公営塾「神峰学舎」へ。

公営塾は、夢☆ラボ。
1年生による「興味があるもの発表会」
「興味があるもの」についてプレゼン。
「ビートルズから学ぶ」の彼、面白かったな。

大好きなものがあって、
なぜ、自分は好きなのか?って問うのは
探究の入り口のような気がしたし、
最後にビートルズから学んだことを
自分の言葉で語ってくれた。
「自分は自分、好きなことをして、好きなように生きていい」
いいなあ、そういう入口。

モチベーションのスイッチを押すって
そういう機会の積み重ねなんだなあって。
黒ひげ危機一髪みたいに、
「機会」というナイフを刺しまくっていくことだなあと。

ランチーミーティングの進行をした石井先生もすごかった。

ほかの人の意見を聞きたい
→「それによってあなたはどう変わる?」
おどおどしたくない
→そういう経験があったの?

ひとりひとりのコメントに対して、それを掘り下げる質問力。
すごいなあって。
わずか30分の魔法を見せてもらったようだった。

プロジェクトの説明をしてくれたのは取釜宏行さん。

2011年にUターンして私塾をスタート。
学習支援とキャリア教育の2本柱で取り組む。
この私塾でのキャリア教育がすごかった。

6つの柱で「島キャリ」を行っていて、
生徒が主体となった「やりたいイベント実行委員会」など、
興味深いプログラムが詰まっている。

ここから始まったんだ。

そんな風に思った。
26年から準備して平成27年度に大崎海星高校の魅力化がスタート。

考えられることはすべてやった。
民泊を受け入れている大阪の中学校全校に校長先生と一緒に営業にいった。
東京での説明会を12回行ったが、参加者ゼロの会も数回あった。
寮の整備も予算のない中、様々な可能性を検討し、交渉した。

いま、コーディネーターとしてプロジェクトの設計や
地域の人たちとの橋渡しを行っている。

「関係者には、電話で済む話でも直接会いに行く」
と取釜さんは言っていた。

車に乗せてもらっているあいだも、
郵便局でも、道端でも、
取釜さんは知り合いを見つけては、
自分から話しかけていっていた。

取釜さんが言う。
「すごい人がいたわけじゃない。熱意ある人がいて、その熱意がつながっただけ。」

その通りなのだろうと思う。
はじまりはひとりかもしれない。
でも、その熱意が、熱意あるひとりを引き合わせる。
そこがつながると、何かが起こる。

コーディネーターがつなぐのは、
人と人ではなく、大人と高校生でもなく、地域と高校生でもなく、
熱意と熱意、なのだろうと。

熱意ある人がいて、その熱意がつながっただけ。

と振り返られるようなプロジェクトをつくっていこう。

夜明けは近い。


  

Posted by ニシダタクジ at 07:49Comments(0)学び

2019年11月11日

ガーデニングでスープカレーをつくる



昨日は教育ドキュメンタリー映画「Most Likely To Succeed」
の上映会でした。(眞也さん、写真もらいました!)

映画についてはこちらから。
http://www.futureedu.tokyo/education-news-blog/2016/6/8/most-likely-to-succeed-

僕のメモ。


一番印象的だったのは、
「教育はガーデニングに似ている。」
というもの。

それ!
と思った。
しかもそれは、あらかじめ何の種だかわからないんだ。

それを畑に蒔く。
日照りが続けば水をやらなければならない。
風向きが変わり、大雨が降るかもしれない。
時にカラスやタヌキが襲ってくるかもしれない。

隣に何の種を植えればいいのか?
肥料をどのくらいやればいいのか?
それは、1回1回の試行によって変わる。

それなのに、いままでは、
子どもたちは、トウモロコシの種だと信じ込まされ、
市場に出荷されるためには、色と形を均一になるように
施肥管理され、まわりと同じトウモロコシになることを強いられてきた。

ところが市場は、もう、トウモロコシばかり要らないという。
トルティーヤだけでは、食の世界にイノベーションが起こせないのだと。
もっと多様なメニューを開発し、新しいものを生み出し続けなければいけないのだと。
世界を驚かせないといけないのだと。

そもそも、みんなトウモロコシじゃなかったはずだ。

2003年、シングルカットされたSMAPの「世界にひとつだけの花」と
「13歳のハローワーク」(村上龍 幻冬舎)が発売された。
http://hero.niiblo.jp/e185845.html
オンリーワンとキャリア・デザイン(12.7.23)

槙原敬之はこう描いた。
~~~
そうさ 僕らも
世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい

小さい花や大きな花
一つとして同じものはないから
No.1にならなくてもいい
もともと特別な Only one
~~~

この種は決して1つではないのだろうと思う。
ひとりひとりが、別々の種を複数個、いや、30,40、300,400持っているはずだ。
その中で出現しているのがそのいくつかであるだけだと思う。

今年の6月に、
柏崎変態ツアーで感じた、「人間はもっと柔らかい」のではないか、という仮説。
http://hero.niiblo.jp/e489377.html
(人間はもっと柔らかい 19.6.2)

そう。
環境によって、一緒にいる相手によって、変化しうる存在であるのだと。

映画の後の対話会で「ガーデニング」という言葉について深めることができた。

これからやっていくことは?
と問われ、それは「庭づくり」だと思った。

その種が、何の種なのか、わからないのだ。
だから、まず、植えてみるしかない。
それが「プロジェクト」という小さな庭なのだと思った。

土壌によって、気象環境によって、また一緒に育つ相手によって、
その庭の出来は決まってくるし、
自分自身がどんな花を咲かせるのか、
また、咲かせようとワクワクするのか?が決まってくる。

みんなでいい庭をつくろうと、チームビルディングをする。

そんな庭をたくさん作ること、なのではないか。
そして、その子がどんな種を持っているのか、興味深く見守ること、なのではないか。
そしてそれを自らも庭の一部としてデザインすること、なのではないか。

これからやることは、「庭づくり」。

全員にキレイだねとは言ってもらえないかもしれないが
野菜も花も、皆それぞれが咲き誇っている庭を見ながら、
その庭で取れた野菜のたくさん載ったスープカレーを食べたいなと思った。  

Posted by ニシダタクジ at 08:42Comments(0)学び

2019年10月28日

PBLの意味と意義

10月22日
推薦・AO入試研修に続いて、
高大接続改革とPBLについて。

~~~まずはメモ

キャリア教育とは社会と学校の断絶を埋める教育内容・手法

社会の変化によって、教育機関と仕事社会のあいだの断絶が
企業内研修で埋められないほど大きくなっている現状

高校で学ぶこと、大学で学ぶこと、社会人で必要なことが
接続していない

大学生と高校生の違いって何?
高校に通っているのは「生徒」。「生徒」は「正しい答えを学んでいく」ことが役割
大学に通っているのは「学生」。「学生」は「物事を突き詰めて明らかにする」ことが役割
そのために、必要な教授や授業、研究会を選び、意見を交換し、アドバイスをもらい、自分の意見を考え続け、まとめていく。

学生として必要な力
・基礎学力・・・学習能力
・問題発見能力・・・研究テーマの発見
・主体性・・・授業、ゼミ、研究を選択する
・巻き込む力・・・授業・ゼミを活性化する
大学は、これらの能力が高い人間を求めている。

「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「主体性・協働性・多様性」
高校で学ぶこと、大学で学ぶこと、社会人で必要なことが接続する=高大接続改革の目的。

高大接続改革とは、高校と大学の学びをつなげること。高校で育む学力の共通言語(学力の3要素)を作ることで高校と大学の学びをつなげ一貫性を持たせる改革のこと。

大学入試改革。
高大接続で問われる学力の3要素を多様な視点で評価する入試形態。

入試改革後の問題に立ち向かうには
・相手にわかりやすく伝える力。(論理的思考・表現力)
・物事を多様に捉える視点。
・資料から目的に従って情報を取捨選択する力
・問題、課題を捉えて原因を追求し、解決策を考え抜く力
・自分独自の視点、視座から考える力
が必要

アクティブラーニングとは学びの手法
教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり学習者の能動的な学習への参加を教授・学習法の総称。(中略)発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループディスカッション、ディベート、グループワーク等も有効なアクティブラーニング法

アクティブラーニングの意味=指導者が一方的に説明し、生徒たちがそれを受け身で聞く授業から脱し、生徒が能動的に学習に取り組むよう指導者が支援すること。

アクティブラーニングの特徴
・生徒を学習内容に巻き込む
・読解、議論、筆記などのアクティビティに取り組ませる
・情報伝達より生徒のスキル開発を重視する
・生徒のモチベーションを高める
・生徒が指導者から即時フィードバックを受け取ることができる。
・生徒が分析、知識の統合、評価などより高次の思考に取り組む。
アクティブラーニング-教室で生徒の熱狂を生み出す方法(チャールズ・ボンウェル1991)
⇒意味が多義的で誤解が生まれそう

「主体的な学び」とは、
・学ぶことに関心を持つ
・学習内容を自分のキャリアの方向性と関連づける
・学習の見通しを持ち粘り強く取り組む

「対話的な学び」とは
・自分の考えを以下の3つの方法で広げ、深めること。
・子ども同士で協働(協力して学習を進める)
・先哲の考え方を手掛かりにする。

「深い学び」とは、
・知識を関連付ける
・問題を見つけ解決策を考える
・思いや考えを基に創造する
知識の習得→習得した知識の活用

「何を、なぜあなたが、どうして志望校で、学ぶのか?」

主体的・対話的で深い学びとは、学びの姿勢
生徒が主体的に、他者と対話しながら自身、他者、地域の課題について考えれば、結果的に自身の目的意識や将来像を深掘りしながら明確にする学びが可能になる。

PBL=problem based learning
問題が与えられた上で、問題について原因を追求・探究を行い、課題を設定、解決策を見出してプレゼンテーションをする。場合によっては実行する場合もある。
これに課題発見が加わったものがproject based learning

PBL=project based learning
プロジェクト学習とは学習方法
チームや個人が自ら一定のフィールドで問題やテーマを発見し、プロジェクト化して問題について原因の追求・探究を行い、課題を設定、解決策を見出してプレゼンテーションなどアウトプットを表現する。場合によっては実行する場合もある

研究とは、未知の問題に対して仮説を立てて証明、実証すること。

これが本当に原因か?論理が正しいのかを確かめる。
この施策が本当に有効か?を確かめる。

PBLは、
1 問題を発見し、原因を追求し課題を設定した上で解決策を考える。(研究)
2 解決策を行動に移す。(原因追求、課題設定でも行動してもよい。)※地域連携が必須
3 リフレクションをして、解決策の有効性の確認、課題設定までのロジックの確認を行う。(研究)
4 改善点などから、もう一度、原因を追求し、課題を設定し、解決策を考える。→2に戻る
このサイクルを通じて、「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「学びに向かう人間性(主体性・協働性・多様性)を身につけていく。評価はルーブリックを用いる。

経験学習サイクル(デイビッド・コルブ)
具体的な経験をする(行動)
自分の経験を言葉でふりかえる(振り返り)
教訓や持論、自論を引き出す(本質の気づき)
次の経験の際に自分が取る行動の目標を立てる(将来の目標設定)
具体から抽象へ。

プレスタ法。
STARとPREPね。
言語化し、他者に説明する、その手順の繰り返し。
状況→障害→行動→結果
結論→理由→具体的エピソード→経緯

PBL(プロジェクト学習)とは

探究・研究や問題発見・解決の方法論やロジック、実践、
振り返り、評価を通じて生徒の論理的推論、仮説検証、実行力チームワークなど
育む学び方のこと⇒学力の3要素を育むには最適

PBLの設計のまずさ。
1 リテラシーやコンピテンシーを育む前からPBLをやっている
2 PBLをすることが目的化している
3 PBLを進路に結びつけていない。

リテラシーとコンピテンシー
「思考力・判断力・表現力」=リテラシー
情報収集力→情報分析力→課題発見力→構想力→表現力→実行
※このプロセスをふまえながら、レポートやプレゼン、卒論などの成果物を作成することで育成される。
「主体性・多様性・協働性」=コンピテンシー
対人基礎力、対自己基礎力、対課題的スキル
※協働による実際の課題解決とふりかえり(リフレクション)で育成される。

「活動あって成果なし」にならないように。
PBL以外の方法もあるけど、PBLが最適だと現在は考えられている。

リテラシーとコンピテンシーは両輪でないといけない。

~~~ここまでメモ

なぜ、アクティブラーニングなのか、
なぜ。PBLなのか、
っていうのがコンパクトにまとまっていて、
いろいろ衝撃だった。
わかりやすっ、みたいな。

学力の3要素。
それを育むためのアクティブラーニング、PBL。

それを理解した上でやらないと、
文部科学省が「アクティブラーニングだ、次はPBLだ」
って言ってるから、右往左往している教育現場ではいけないのだ。

なんか、非常にすっきりした金沢研修でした。ありがたい。  

Posted by ニシダタクジ at 17:53Comments(0)学び

2019年10月24日

「大学での研究」というプロジェクト設計ができるか?







21日月曜日は、推薦・AO入試対策研修@金沢でした。
カギとなる「志望理由書」の書き方について。
「7つの観点」とか、エッセンスに詰まった研修でした。
このブログは、まとめというよりメモ起こしです。

そもそも大学って何だっけ?から始まりました。そういうの好き。
大学は教育と研究をやる機関で、研究とは、まだ分かってないことの答えを見つけるための活動のこと。
大学の学びとは、研究を通して学ぶということ。課題を設定し、自ら突きつめて明らかにすること。
そんなところから始まった研修。

~~~以下メモ

学生とは?
「研究=自ら物事を突き詰めて明らかにする」ために
自分で学ぶべき課題やテーマを発見・決定し、
その課題を解決するために、自分で動ける人が求められる。

だから、推薦・AO入試で評価されること。
=「学生」として求められる力を持つ高校生を選ぶ入学試験。

A基礎学力(基本的な学習能力)
B人物像(主体性)
☆自ら教授や授業、研究会、ゼミを選ぶことができる。
C大学で学ぶときに必要な力(周囲を巻き込む力・リーダーシップ・プレゼン力・コミュニケーション能力など)
☆研究会、ゼミを活性化することができる
D明確な問題意識(問題発見能力)
☆自ら課題・テーマを発見できる
一般入試と異なり、学力以外の観点も評価されます⇒総合的な評価で決まる。

入試方式
1 評定平均・学力
2 志望理由(志望理由書、自己推薦書、エントリーシート)
3 面接・プレゼンテーション
4 小論文
5 グループディスカッション

「志望理由書」→大学は何を見たいのか?
⇒大学に入学しても意欲的に勉強してくれるかどうか。大学を辞めないか。
必要なものは明確な問題意識・志望理由と、その内容を伝えるコツ!

合格しやすいテーマがあるわけではなく、
そのテーマや問題意識に取り組む必然性が
自身(今までの活動)にあるかどうか。

そのうえで評価されるテーマは
1 だれが書きそうなテーマでも、大人が知らないくらいまで深く言及している
2 誰も思いつかないテーマ設定か
3 価値観から一貫した熱い思い

※活動実績に注意。とにかく経験を積むのではなくて、
大切なことはどのような壁に対して、何を価値観や理念として、何を考えて、どのように行動したのか。

志望理由書が書けるということと、プロジェクトが設計できるというのはかなり近いなと。
そういえば、研究も就職もプロジェクトだもんね。

1 キャリアアンカー型(職業前提型)
2 問題発見・解決型
3 野心実現・創造型

【7つの観点】
1 経験(活動実績)
2 気づき・価値観
3 実現したい野望・問題意識
4 社会的意義
5 取り組むべき課題・実現方法(解決策)
6 志望大学が最適である理由
7 将来の夢・志

★プロジェクト・行動を貫く価値観が重要

価値観・信念が思考を生み、思考が行動を生む。
その集合体を個性という。
行動から逆算して思考と価値観・信条を引き出すこと。
それが振り返りに必要な要素。

テレビ「プロフェッショナル」で挿入される一言のような価値観・信条を見つけること、引き出すこと。
勉強だけでは、それは引き出せないよね。

価値観っていうのと問題意識っていうのも近いかも。
価値観の構成要素に問題意識があるのか。
「何に違和感を感じるか?」っていうことか。

活動だけを繰り返してもそれを振り返り、思考から価値観へとメタ化していかないと、いつまで経っても志望理由書は書けない。
大学生で言えばエントリーシートが書けない。
アクティブラーニングを批判した「活動あって、成果なし」の言葉は重いよ。
そういうのを作ってきたのかもなあ。

誰に対して、誰が、何を、なぜ、どのようにするのか。
それと活動実績を接続して書くこと。

「問題意識」:そのテーマに自分が取り組む必然性があるかどうか、つまり内発的動機があるかどうか?と客観的に問題だと説明できるか?つまりデータ、数値、権威の意見があるか、つまりその問題は本当に存在するのか?
を説明できる志望理由書。

「内発的動機」と「客観的事実」
why、for whomとwhat、howの真ん中につなぎてとして、who、when、whereがあり、プロジェクトはできるのかもしれない。

「社会的意義」:投資価値があるか、ということ。社会がその問題の追求と解決を求めているのか?その理由は何か?
解決されない場合の未来と解決された場合の未来を描く。

課題とは、問題(テーマ)の中で、手が出せて解決できるもののこと。
ロジック分析とかロジックツリーって高校生のうちにやってみてもいいよなあ。
whyを繰り返す、ということ。仮説とは、原因と結果のセット。
問題には必ず原因がある、今起こっている理由、未だに解決できない理由、
根本的な理由、問題の原因がわかれば有効な解決策や学ぶべき学問を考えることができる。

志望理由書の概要:
Who(誰に対して、誰が)、what(何をする)、why(なぜするのか)、how(どうやってするのか)の要素を入れて、30秒で説明できるもの。
☆アテンションゲット(はっとさせる、びっくりさせる、読んだ瞬間「何が起こるのか」「もっと読みたい」と思わせる短い文章。
「メロスは激怒した。必ず、かの邪知暴虐の王を除かねばならぬと決意した」

その大学である理由「オープンキャンパスが楽しかった」はNG

~~~ここまでAO推薦入試の話。

めっちゃ楽しい。
阿賀町でやってる「まちづくり会議」のフォーマットと
志望理由書のフォーマットがめちゃめちゃ似ていてビックリした。

推薦・AO入試って、個人の能力の有無、高低じゃなくて、研究者としての大学生になる
ためにプロジェクトを設計できるかっていうのが問われているんだと。

ひとまず、今回のブログはこちらで。
また考察いろいろ考えます。  

Posted by ニシダタクジ at 10:13Comments(0)学び日記

2019年10月02日

「人」は最大の資源ではあるのだけれど

東京の魅力は「人」なんだと思う。
もちろん文化があり、商売があり、創造があるのだけれど、
東京というまちの最大の魅力は「人」に尽きると思う。

もちろんそれは、組織や地域でも同じで、
最大の資源は「人」である。
だからこそ。
教育は国の要であるし、人材育成は企業や地域の要である。

加えて、ここ数十年の大きな雇用環境の変化によって、
組織が一生涯にわたって個人を守ってくれない状況となっている上に、
「キャリア教育」という名の下で、
自分は何者なのか?
自分はどこを目指しているのか?
とひたすら問い続けられる。

「人」つまり「自分」にフォーカスしすぎなのではないか、って思う。
そしてそれこそが生きづらさの根源なのではないかと。

参考:
何者かにならなくてもいい(19.1.30)
http://hero.niiblo.jp/e488809.html

こうして、極端に言えば、
「プロフェッショナルになれ、さもなくば奴隷になるぞ」と脅されて、
中学高校大学と不安の真っただ中にいる人を何人も見てきた。

自分に向き合う。
目標に向き合う。
他者と向き合う。

それって本当に必要なのだろうか?って思う。

つい最近。
イベントの企画を考えていて、ふと思ったこと。
「いま、高校生に伝えたいこと」ってなんだろう?って。
なかなか出てこなくて、ちょっと真剣に悩んだ。

高校生を目の前にしているのに、
「いちばん伝えたいこと」が出てこないなんて。
そもそも「伝えたいことは?」っていう問い自体が、
高校生と向き合っているから、違和感なのかも。

向き合わないこと、なのかもしれないと思った。

向き合わずに、一緒に同じ方向を見つめることなのかもしれないと。
僕がやってきたコミュニケーションのデザインってそういうことなのかも、と。

本屋さんで本をすすめるとき。
意識は本に向かっている。

そして本を読んだ先にある何か、
それは決してその時点でお互いに見えているわけではないけど、
何かがあるような気がするから、本をすすめる。

畑で草をとっているとき。
朝ごはんを一緒に食べているとき。
みんなで輪になってはいるけど、向き合ってはいない。
僕はたぶん、そういう場が心地いいのだ。

「人」から「場」へ。
「チームの力」から、「場のチカラ」へ。
「手段としての学び」から「機会としての学び」へ。

そんなことを発信していけたら、と思う。
だからこそ、僕は阿賀町で、黎明学舎で、
高校魅力化プロジェクトをやっているのだと。
ここには「人」もあるけど、「人」以外の資源もたくさんあるから。
「機会」にあふれているから。「ブリコラージュ」し放題だから。

「人」は最大の資源ではあるのだけれど、
人生は経営ではあるのだけれど、
それは決して個人戦ではない。


「読みたいことを、書けばいい」(田中泰延 ダイヤモンド社)

最近読んだ本の中でいちばんドキドキした1冊。
「痛快」という言葉がしっくりくる。

この中に書いてある一言。
「就活は、受かる落ちるの選別の場ではなく、単に企業の業務と人材の能力のマッチングの場にすぎない。」

そうなんだよ。
受かるか落ちるか、っていう視点で見てちゃダメなのよ。

ヘリコプターに乗ってみたら、
まさに上に書いてあるように見える。

企業というプレイヤーと就活生っていうプレイヤーがいて、
企業の業務内容と人材の能力のマッチングを行っているだけなの。
しかもその能力は、その人のすべてではなくて、
その「企業の業務」単位で必要な1部の能力なのよ。

自分とも企業とも上司とも向き合わないことだと思う。
その企業の業務限定で開花する能力を、一緒に同じ方向を見れる企業と、上司と、やればいい。  

Posted by ニシダタクジ at 07:22Comments(0)学び

2019年09月28日

パフォーミングアーツ

パフォーミングアーツ:
演劇・舞踊など、肉体の行為によって表現する芸術。公演芸術。舞台芸術。

ワークショップは「パフォーミングアーツ」(舞台芸術)
なのだと、あらためて知った。

脚本、監督、そしてキャストが
一体とならなければ、いい作品はできない。

そんなことを思った。
一線で活躍するファシリテーターすごいなって。
「場」のつくり方、つくられ方を学ぶいい時間になった。

~~~以下メモ

ワークショップ参加者の相互理解がなければ、プランを立てることはできない。
通常2H×4回くらいはかけたい。
参加者の
・知識のレベル
・動機のレベル
・活動するときのレイヤー
がみな違うのだから、それをチューニングしないといけない。
そこから「場」が育まれる。

ワークショップが失敗する理由を合理化していないか?
・参加者
・お金
・時間
のせいにしていないか?
「ワークショップの課題」と「運営上の課題」をごっちゃにして考えないこと。

「ワークショップがどんな場であったらいいのか?」をみんなで考える。
主体は誰なのか?
行政に頼らずに自走していく会議体を作れないだろうか?
行政は場とペンと付箋と模造紙だけ用意するような、そんな会議体が作れないだろうか?

そもそもひとりひとりがどんな思いでここにいるのか?
それを確かめながら進めていくこと。

「ファシリテート」はスキル、テクニックではなく、あり方、体質のこと。
ファリシテーターとしてどうあるか?が問われている。

その会議、集まり自体の存在を問いかけないといけない。
「何のためにここにいるのか?」っていうことが分かっている人たちが本質的な場を形成する。

コントロール不能になる状態を怖れすぎていないか?
「主催者自身がプログラムに迷いがあるんじゃないのか?」
その通りだった。
「場」と「参加者」と「自分」への信頼があるのか?
そこにエネルギーを注がなければ場をつくることはできない。

「地域に対しての当事者意識を上げていく」っていう前提条件は崩れているんじゃないのか?
集まっているメンバーの当事者意識は高い。

「成果を測る必要があるのか?」
という問い。
そして測るとしたら、その指標でいいのか?
っていう2段階の問いを考えないとね。

「場」に対する信頼を。
ファシリテーターはその意味で迷ってはいけない。
ファシリテートとは、「パフォーミングアート」なのだから。

来年度に向けて、会議そのものをリ・デザインしていく。それによってひとりひとりが当事者になっていく。

「正解がある」というOSでは、もう勝負できない。
「正解がない」という前提で、取り組んでいけるか。

「創造的混沌」を味わう。
「創造的混沌」というカオスの中から新しいものが生まれ出て、秩序化されることで新しい常識が生まれる。

要するに、そのワークショップには、「愛」がなかった。
それはうまくいかないわ。

~~~ここまでメモ

ワークショップとは、パフォーミングアーツ(舞台芸術)である。

その通りだと思った。

僕はワークショップから何かが生まれなければいけないと思っていた。
分類のためのKJ法ではいけないと思っていた。

「自らを場に溶かしていく」って言っていた。
でも、今回そんな設計にはなっていないことに気が付いた。
そもそも「信頼」がないんじゃないか。
「不信」から出発していたのではないかって。
一言で言えば、「愛が足りない。」んだよ。

こちらの「愛」が足りないから、
参加者同士の相互理解と場への信頼が重なっていかない。

結果、場に自分を溶かしきれない。
一体感が生まれない。
新しい何かが生まれない。
そういうメカニズムだったのか。

なんかスッキリした。
うまくいかない理由が分かるって楽しい。

「場」と「参加者」と「自分」への信頼を持って、
場に溶けていくこと。

それがきっと、
僕がやるパフォーミングアーツとしてのワークショップなのだろう。

いい舞台をつくりましょうぜ。  

Posted by ニシダタクジ at 06:13Comments(0)学び

2019年09月23日

「承認欲求」の自覚と学びあいのデザイン

ひろのアートキャンプ。
91名の方に本をハックツしてもらいました!
ふたば未来高校で活動しているカタリバのスタッフ内海さん加藤さんも、
「結のはじまり」の古谷さんも来てくれました。

ふたば未来高校の見学と発表会と
周りの方々のお話から、いろいろ感じたことをつぶやいているのだけど、
そのまとめ。

~~~ここからつぶやき

「学ぶ」とは、価値を問い続ける、ということ。

「承認欲求」の存在に気づくこと。
「地域」とか「探究」とかいう前に、そういう授業をやったほうがいいのかもしれない。

ふりかえり方法は3つ
「メタ化して学びにフォーカスすること」
「深掘りして個人の感情にフォーカスすること」
「地域にとっての価値にフォーカスすること」

答えを持っている大人からは、もう何も学べない時代に入ったのではないか。

承認を得られるのはプロジェクトの結果が出たときではなく、思ったことが言え、それを受け止めてもらった時。

親和的承認を得るためには評価を受けることではなく、愛を受けること。
向かい合うことではなく、同じ方向を見つめること。

ティーチングでもコーチングでもなく、チューニングという方法。

承認欲求が満たされないのは、第1に家庭環境と地域コミュニティの弱体化、第2に学校教育により承認欲求が評価欲求にズラされていること、第3に質的にではなく、量的な分かりやすさを志向する資本主義社会のため。

ふるさと創りびと。
で創造という同じ方向を見つめること。
自分たちが思う価値に向かって進むこと。
他者からの評価を超えて自ら評価すること。
それは同時に承認欲求を満たすのではないか。

なぜ、自分はこのプロジェクトを始めたのか?
それは事後的に分かる。
決して事前には全部分からない。
そのなぜ?に出会うためにプロジェクトがあると言ってもいい。
その予測不可能性がプロジェクトをやる意味なのだと思う。

~~~ここまでつぶやき

少し近づいた、そんな感じがした。
「答えを持っている大人」がそれを教える、
みたいなスタイルで、学びはもう成立しないんじゃないか。

高校生と同じ位置に立ち、
彼らの発する音に耳を集中させ、
共に価値を生んでいくような、
そんな時間をつくっていくこと。

「価値」はあらかじめ決まっていない、ということ。
地域や大人や先生からの「評価」は、価値ではあるけど、
価値のすべてではないということ。

「価値」はいま、この瞬間に生まれていて、
常に流動していること。

そのスタートラインに立つ前に、
あるいは、立ってからも、自らの承認欲求の存在に気づくこと。
「承認」欲求を「他者からの評価」欲求にすり替えないこと。

自ら価値を設計・設定すること。
価値をこの瞬間、一緒に探っていける大人とプロジェクトを組むこと。

「地域」で「探究」ってそういうことなんじゃないか。
答えのない時代に突入しているんですよね。

高校生がプロジェクトで何を学んだか?じゃない。
その活動のプロセスで、大人は何を感じたのか?
どんな価値を見出したのか?
関係者全員で、その価値を探し、見つけ、つかんでいくこと。

そんな設計をしなきゃいけない。

だから、チューニングなのかもしれない。
「場のチカラ」なのかもしれない。
ティーチングでもコーチングでもないチューニング。

みんなの音を合わせて、
ひとつの曲を生んでいくような、そんな設計。

それをデザインしたいと強く思った。  

Posted by ニシダタクジ at 07:08Comments(0)学び日記

2019年09月22日

「あきらめない理由」に出会うこと。



ひろのアートキャンプの準備を終えて、
ふたば未来学園高校の「未来創造研究」研究発表会の
午前中の分科会に少しだけ顔を出してきました。
3つのプロジェクトのまとめのセッションにもやもやしたので、整理してみます。

~~~ここからメモ

作業療法士を目指している高校生が地域のおばあちゃんと話す。
「こんなに笑ったのは震災の後初めてだ」と聞く。
内面の復興は進んでいないのではないかと感じる。
心が動いた。それがいつなのか?それを掘り下げていくこと。

「見学」→「計画」→「実践」
そんな流れ。そこに仮説を組み込むことで「見学」が生きてくる。
「仮説」→「見学」→「新仮説」→「計画」→「実践」→「ふりかえり」→「新・新仮説」
そのサイクルに入れたら、「探求」自体が楽しくなってくる。

やってみると、問題点が出てきた!
→それを解決するために、大人の力を借りる。
→学校に来てもらって料理を教えてもらう。
→おばあちゃんの得意料理である「酢豚」「煮物」を作ってもらう。
→地域の人が地域で料理教室をやる。
「食」でつながる。っていうのと高校生バリューっていうのがある

1~3年の混じった振り返りセッション。
ここのファシリテーションが大切だと思った。

「目的」と「手段」みたいな話に集約していくのはどうなのかなあと思った。
「進路にどう生かすか?」みたいな問いによって、学びが「手段」になってしまう。
「機会」としての学びのために地域があるんじゃないのか?

目的・目標を達成することじゃなくて、その手段を選び、そのプロセスにあることによる心の動きのほうが大切なんじゃないのか?
「手段」そのものの「瞬間」に価値があるのではないか。そしてそれは非常に個人的なもの、その人特有のものだ。

「交流」を深めるために大切なものは?
共通のテーマ(相手の立場にたっているか?)と相手はどんなことを大切にしているのか?それを感じ取れるかどうか?それって個人の能力や精神論じゃなくて、コミュニケーション・デザインの問題ではないか。
実際は、「相手の立場に立つ」ことが大切なのではなくて、相手が「この人は私のこと分かってくれてるな」と感じていることが大切なのだよね。それはテクニックやコミュニケーション力ではなくて、コミュニケーション・デザインの設計のような気がする。

「3つの発表の共通点は何か?」という問いは、過度にプロジェクトをメタ化してしまう。それはそれで重要な能力なのだろうと思うのだけど、ジャンルの違うプロジェクトでそれをやったら、精神論的なものだけが抽出されてしまうのではないか。メタ化する前にもっと解像度を上げることが大切だと思う。「共通点は何か?」っていうより「何に、どんな瞬間に一番シビれたのか?」っていう問いを投げかけたい。

「おわらせたくない」「あきらめたくない」「やめたくない」のはなぜか?
「志」があるから?
社会的意義があるから?
やりたいことと社会的価値が一致しているから?
そういう側面もあると思うけど、高校生でも大学生でも大人でも、学びのスイッチが入ってしまったから、だと思いますよ。

自分だけのため→やめちゃう
社会だけのため→やめちゃう
だから、「自分のやりたいこと」が社会のためにつながるか?が大事。うんうん。わかるけども。それって事前にわかります?
「自分のやりたいこと」だからやめない、あきらめない?「意志」ってそんなに強く、すごいのだろうか。

「強い動機」に出会うこと。それが人生にとって大きい。
心を揺さぶられるような実体験、人の言葉、笑顔、空気感。
地域をフィールドにした学びが、それを得る機会になればいい。
プロジェクトの成果(社会的評価を伴うような)は、重要度としては2番手以下だ。

自分の「テーマ」と「ジャンル」を違う言い方で呼べないだろうか。
やっぱお客(対象)と、事業領域か。ジャンルは後付けでもいいのだよな。

「意志」とか「なんとか力」とかを信じない。
それをデザインの力で乗り切っていくこと。
それがデザイナーの仕事なのではないか。

そのストーリーづくりに参画しているのか?
誰かが作ったストーリーに出演させられているだけなんじゃないのか?
もっと、ひとりひとりのストーリーに重さを置きたい。
あなたはいつそう思ったのか。
具体的にどんなシーンだったのか。
そう思ったのはどうしてなのか。
もっと聞きたい。

~~~ここまでメモ

僕がいた部屋がたまたまそうだったのだと思うけど、めちゃめちゃ違和感。

「地域」で「探究」の意味とか意義ってなんだろう?
ってあらためて思った。

3つのプロジェクトの共通点は何か?
→挫折にくじけずにプロジェクトを前に進めたこと
→「あきらめなかった」のはなぜか?
→自分のためと社会のためがクロスしていたから

みたいなまとめに意味があるのだろうか?って。

なるほど、意味は分かる。
「自分のため」だけでも「社会のため」だけでも
継続するモチベーションにはならない。それはその通りだと思う。
その合わさるところにプロジェクトを作っていく、っていう考え方も分かる。

だとしたらなんだろう、この違和感は。

それが、高校生の「地域」で「探究」で学ぶべき本丸なのだろうか?
っていう違和感。

「なぜ、自分はこのプロジェクトをやっているのか?」に答えられること。

そのほうが大切なのではないか。
それは決して事前にわかるのではなくて、
やってみた後でわかることも多い。

実際にやってみたことで、予想しなかった何かが起こる。
思いもよらない発見や誰かの一言、やってよかったと思える瞬間に出会う。
そのときに高校生は、
「ああ、だから自分はこのプロジェクトを始めたのだ」と実感する。

その実感はきっちりとふりかえりの時間を確保して
誰かが質問してあげないと出てこないのかもしれない。
だから、そのような設計をすること。
そして、それをプレゼンで表現すること。

聞き手は、特に1,2年生は、そこに至るプロセスを知りたいのではないか。
それによってモチベーションが上がるのではないか。

共通項は何か?
あきらめなかったことです。

って言われても、
ノートに「あきらめないことが大事」とか
「自分のためと社会のためが重なるところにプロジェクトをつくる」とか書いても、
それが自分の活動につながるのだろうか?

プロジェクトをやったことで、
こんなことを起こり、こんな人に出会い、こんな経験をして、こんな自分に気づいたんだと。
そんなストーリーを聞きたいのだ。
プロジェクトの成果なんかよりずっとずっとそれを聞きたい。
どんな感情の動きやどんな学びがあったのか?を知りたい。

「高校生」が「地域」で「探究」の意味は、
そこにあるのではないか、って思う。

「あきらめない理由」に出会うこと。

プロジェクトを始めることで、何かが起こり、誰かに出会う。
そこで何かを感じる自分がいる。
そこにフォーカスすること。

「気づいたこと、学んだこと」の前に
「印象に残ったこと」という心のふりかえりをすること。

「機会」から学ぶっていうこと。
そして、「あきらめない理由」を発見すること。
プロジェクトの評価を自分ですること。

そのために「地域」という題材がある。
そして「地域」そのものも、高校生と共に学ばないといけない。
もちろん教員やファシリテーターそのものも。

「学ぶ」とは「価値」を問い続けるということ。
そして、価値に気づく瞬間があり、顧客に出会う瞬間がある。
それをキャッチすること。
それこそが「あきらめない理由」になる。

「あきらめない理由」からふたたびプロジェクトが生まれる。
その2プロジェクト目をつくること。できれば授業外に。
そこが「探究」のゴールなのではないかと思う。

「震災復興で高校生が地域のために頑張っています」という
ストーリーに出演させられるのではなく、
自らが、自分たちや地域の誰かを主人公にしたストーリーづくりに参画し、
自らをキャストしたストーリーを始めていくこと。

そこからしか人生というストーリーは始まらないと僕は思う。  

Posted by ニシダタクジ at 07:40Comments(0)学び

2019年09月13日

地域活動を学びのモチベーションにつなげる

「黎明学舎」前塾長の川田さんが来てくれて2日間の研修。
1日目は現状と課題の確認。

~~~以下メモ

・親との関係について
勉強しているのか?不安⇒学習時間の見える化をする
⇒ニュースレターの発行(月謝袋にいれる)と学習時間、コメントの記入

「教科指導」
「学ぶ力」

信頼関係構築⇒計画サポート⇒遂行サポート

双方向性と存在の承認

ゲーミフィケーション:4つのタイプ


引用:雲の上に音符あり。
http://cloudscore.blog.jp/archives/10329753.html

コーチング:


引用:ArayZ アレイズ
https://arayz.com/columns/coaching_201811/

年間計画⇔週刊計画
必達目標と努力目標

問題≠課題:「課題」を明確にすること

★コーチングの時間、人、ツールを決めること。
・2人でやる面談もあり

ゴールに納得していること。
⇒ギャップの共有

「原体験」と「追体験」
知識+体験⇒価値観の形成⇒ゴールの設定

ロールモデル
↑(ギャップ)⇒危機感からのギャップ対策⇒目的意識⇒行動の変化、結果の変化⇒理想の自分
今の自分

問いかけ。
×足りないものは何か?
○何を武器にして近づけると思う?

英語が得意:外国人と接する仕事、たとえばホテルフロントとかになりたい。
⇒ホテルフロントになったら、何が必要になる?
「サムライってなに」とか「近所のお寺」のこととか聞かれる
⇒現代文と日本史も必要になるよね?

価値観と体験を結びつけること:追体験が必要

価値観・幸福感が
「判断基準」からくるのか?
「環境」からくるのか?
⇒自分の軸をつくっていく。

「感情」の解像度を上げていくこと。
⇒未来につながるまで深掘りしていく。

イベント後に対話の場を設定すること。
面談⇒作戦会議

「自分を知る」プロセスを入れることで、
地域活動を学びのモチベーションに変える。

~~~ここまでメモ

それそれ。
いまから取り組もうとしている
「学習指導からコーチングへ」と「地域活動からの学習への接続」
という2つの課題に対して、ヒントが多かった。

地域活動のふりかえりを
どのように本人たちにフィードバックするのか?
そのために、ふりかえりをひとりずつ真剣に聞く必要があるなと思った。
場合によっては、人を分担して見ていくことも考えないといけない。

多くの人は、「自分」を知らない。

まあ、「自分」を全部知る必要なんてない
というか、知ることは不可能だ。
その瞬間瞬間の分人を他者化して見ることなのかもしれない。
そうした集合体が自分なのだと。

その分人を深く掘り下げてみること。
それは他者の仕事、スタッフの役割なのかもしれない。
あるいは、それを生徒たちが相互にやれるようになったら素晴らしい。

いい感じ。
2日目は1期目3年の取り組みのふりかえりを
聞いて、今後の見通しを考えます。

よろしくお願いします!  

Posted by ニシダタクジ at 07:43Comments(0)学び日記

2019年09月07日

かき氷ふりかえり

黎明学舎「サンカク」第1弾。
レガッタ大会でのかき氷屋台出店。
のふりかえりでした。

当日、よかったことは振り返っていたのだけど、
準備から含めてふりかえり。

・シロップは思ったより簡単に作ることができた
・くろごまシロップを試作したとき、ぜんぶ自分たちで食べてしまった。
・シロップの味付けが大切だと思った。濃いめに作るのが難しい。
・雪椿シロップの珍しさがよかった。
・看板がもっと工夫できたんじゃないか。
・もっと時間があればシロップをたくさん作りたかった。

・シロップで試作したずんだ納豆がジェラートになった。
・前日準備に人が足りなかった。
・ポスター作りもっと早くできたのではないか
・ほかの店と比べてあまり目を引くものがなかった。
・POPの色をもっと見やすくすればよかった:遠くから見えるように工夫する
・エゴマ使いたかった。地元産の何か。
・ポスターを画像にして宣伝拡散すればよかった。
・何がオススメなのかもっと伝える方法があったのではないか。
・計画をもっとちゃんと立てること

★価格決定について★
ノーマル(定番):300円⇒ほかのお店と同じだったので妥当だった。

・かぼちゃミルク、梅ミルクの600円は高かった。
・全部に最初からハーフを作ったらよかった。
・試食をしてもらえばよかった。
・平皿だとたくさん盛っても溶けて少なく見えてしまう。

ちなみに販売個数
かぼちゃミルク 16(内ハーフ2)
梅ミルク 17(内ハーフ3)
かぼちゃと梅のハーフ&ハーフ 2
雪椿 26(内ハーフ8)
定番 47

★味について★
・ポスターをつくるときに味と価格が決まってないとかけないので決まっていてほしい
・ポスター制作に1週間かかり、宣伝に1週間かかるので、2週間前には味・値段を決定してほしい
・スケジュールの共有をしてほしい:LINEグループなど

価格や表示について、当日見直す時間をつくる。

で、当日ふりかえり

・晴れてよかった
・緊張してたけど慣れてきた
・たくま&しょうくんがずっとかき氷を作ってくれていた
・同じ子どもが3回も買いに来てくれた。
・練乳とかいろいろなトッピングつくるといいのかも。
・おじさんがたくさん買ってくれた。
・笑顔とコミュニケーション力が大切だと感じた
・たくさんのお客さんが同時に来た時にオーダーの通し方に工夫が必要だった。

・最初にしてはうまくいった。
・だんだんうまくなっていった。かき氷が美味しくなっていった。
・4歳の子がかぼちゃミルクおいしいって言ってくれた。
・本気だせばもっと美味しいかき氷ができた。

・人が来る時間帯と暇な時間帯がある。
・みんなで決めることはみんなで決めて、ひとりで決めて変えられるところはひとりで決めて変える。
・お客さんがやさしかった。
・こどもがおいしいって言ってくれるのがうれしかった。

最後に一言
・楽しかった
・裏方だったけど関われてよかった
・心があったかくなった。
・つかれた
・よかった
・みんなで真剣に話し合えてよかった

発表しなかった付箋より
・もっとおいしいの作れる。かき氷の可能性
・ふりかえりが本気でうれしい
・もっとこういう活動を仕掛けたい
・緊張するって成長だよ
・当日いろいろかわるのは当たり前。そこからどうするかが仕事

・年齢関係なく意見を言ったり、ものを作ったりできるってことがわかった
・自分の「できる」が発揮できる(見つけることができる)場いいなあと。

・みんなが真剣に売ってくれた
・お客さんたちがあたたかかった。
・「売ってみる」ことへのハードルが下がった
・あたふたしたおかげで工夫が生まれた

・2年生コンビが会計をずっとしてくれたこと
・及川さんが梅干しの種とりをずっと手伝ってくれたこと
・1年&3年コンビがかき氷づくりを最後までやってくれたこと。

~~~という感じ。

1年生2名、2年生2名、3年生2名というチームで、
今回のかき氷屋台にチャレンジした。
教えてくれたのは氷屋の杉崎さん。
強力なサポーターはシンヤさんだった。

3年生がリーダーだったのだけど、
料理上手の1年生のリーダーシップを感じることが多かったと
思っていたら、ふりかえりでも全体への感謝の言葉が出てきていて、
さすがリーダー、って思った。

僕も
Iくんの責任感
Hさんの笑顔
Tさんの集中力
Mさん絵描くのはやい
Eくんの職人魂
Sさんの仕切る力

って書いてたから、なおさらびっくりしました。
才能を見つけるって楽しい。

あとは、今回は雪椿に注目が集まったけど
「辻さんのおばあちゃんの梅干しでつくった梅ミルク」と
「区長のかぼちゃでつくったかぼちゃミルク」
っていう物語のあるシロップをちゃんと説明できるようなメニューが
今しかない感じを出せていいかなと思った。

ふりかえりの時間が1時間を超えて、
みんなが真剣に話していたのが印象的だった。

やっぱふりかえりって楽しいんだよ。
反省じゃなくてね。

「やってみた」だけだから。
実験して、結果が出て、その結果を楽しむこと。

そういうことなのだと思う。

僕自身のふりかえりはまた今度。  

Posted by ニシダタクジ at 07:19Comments(0)学び

2019年09月02日

かき氷屋台@レガッタ大会



黎明学舎かき氷チームが挑みました
かき氷屋台@レガッタ大会でした。

1~3年生の混合チームで
朝8時から準備しました。

僕はレガッタ大会出場のため、
販売場所の段取りした後にレガッタ大会出場
ぜんぜんうまく漕げなかったのですが、
高校の先生たちのおかげでなんとか完走?しました。
敗者復活でも最下位だったので、来年はちゃんと練習したいなあ。


かき氷ですが、前日に準備したPOPづくりを
途中で書き足しつつ、販売していました。

オリジナルシロップ「かぼちゃミルク」と「梅ミルク」は
ともに600円という強気の値段設定。
(途中でハーフサイズ300円っていうのを投入した)

意外に興味を引いたのが「雪椿の抽出エキス」で作ったシロップでした。

結果発表
かぼちゃミルク 16(内ハーフ2)
梅ミルク 17(内ハーフ3)
かぼちゃと梅のハーフ&ハーフ 2
雪椿 26(内ハーフ8)
定番 47

合計108杯でした~。
目標達成~。パチパチパチ~。


閉会式の後のお客さんを狙って作った、
残り6杯で100杯達成のボード。

ラストスパートで一体感が生まれことがよかったのか、
ここで奇跡が起こります。

「あと何杯だ?俺が買うよ」というおじさん登場。
1万円札を取り出して、周りの人たちにかき氷を振る舞うという事態に。
で、集まってきたのが町長さんとか議員さんとか。

いやあ、すごい絵でした。
あれはやってみないと味わえないこと。

そして。ふりかえり。

印象に残っていること
・子どもが少なかった
・定番が売れた
・雪椿のインパクトが強く、食いつきがよかった。
・最後のおじさん

予想しなかったよかったこと。
・晴れてよかった
・最後の男前のおじさん

やっぱ最後のおじさんの感想が多い。

で、スタッフも振り返り。
・おじさんが全員優しかった。
・ほとんど高校生だけでやれてた
・やらされるのではなくて自分ごととしてできていた。
・江川くんがだんだん職人のような顔になっていった。
・かき氷が思っていたより売れた
・愛されている環境を実感した。
・一緒にやれた楽しかった。また一緒にやりたい。(杉崎さん)

でラストに感想まわしました。

・高校生とまちの人とのつながりが見えて、阿賀町に来てよかったと思った。
・シロップづくりがんばった。おいしいと言ってくれてうれしかった。
・売り上げが落ちついてきて、このまま終わっちゃうのかなと思ったら最後に奇跡が起きた。
・小4以来のモノを売る活動をした。売る側になってみて、人の心が知りたくなった。人の気持ちがわからない。
・かき氷を作れてよかった。かぼちゃを塗り忘れたりしたけど、先輩とのコンビが楽しかった。
・「また来てね」とまちの人に言われた
・それぞれが集中するところに集中してチームができた
・晴れてよかった。シロップづくりでは後輩が来てくれて助かった。

僕としては、かき氷という題材を通して、
チームとしての一体感というか場のチカラみたいなやつを体感できた機会となった。

ラストのおじさんだって、
場のチカラの成果だと思うし、
残り6杯で目標達成っていうホワイトボードのたまものだし。

何より、黎明学舎にとって、
かき氷屋台が、リアルメディアとして機能したんだなあと思った。
もっと活動紹介とかをしてもいいのかもしれない。

僕自身としては、
「人生は経営である。ただし個人戦ではない」
っていうところが体感できるような機会になったような気がして、

まずは1歩踏み出しました、という感じです。
「ふるさと創りびと」というコンセプトで、
地域の方とコラボしたスモールビジネスをいろいろと
考え、実践していきたいなと思います。  

Posted by ニシダタクジ at 08:20Comments(0)学び日記

2019年08月31日

「ともに学ぶ」ためのチューニング・コミュニケーション

僕、西田卓司は、

現代美術家でジャンルはリレーショナル・アートで、
主なアウトプットは本屋さんや本のある空間で、
得意なのは、フラットな関係性をつくるコミュニケーションのデザインで、

基本信条は
吉田松陰先生の野山獄エピソードから学んだ「学びあいで希望は生まれる」っていう学びあいの場づくりと
宮沢賢治先生の農民芸術概論綱要の「誰もが芸術家であれ」っていう創作への意志と
岡倉天心先生の茶の本による「まあ、茶でも飲もうじゃないか?」っていう対話のデザイン。
の真ん中のプロジェクトを作っていくこと、なのだろう。

アートと、デザインと、ビジネスのあいだ。
そのあいだをゆらゆらと漂っている船のようなプロジェクトをつくっていくこと。
中途半端だとか言われながらも、そんな問いを放っていきたい。

時にはヘリに乗って、そんな海の様子を
上から眺めてみるような、そんな本を提供したい。

っていう自己紹介文の練習。
28日はイナカレッジ研修のふりかえり。

いくつかのチームで起こっている
大学生同士のコミュニケーションの問題。

ミーティングがうまくいかない。
すれ違う意思。

「コミュニケーション・デザイン」
の話を、プロジェクトが始まった段階で
力を入れてやらないといけないのかもしれない。

「今までしゃべったことのないタイプの人なので、言葉が通じない」
それって、「スクール・カースト」とか、
「陰キャ」とか「陽キャ」とかの話なのかも、って思った。


「桐島、部活やめるってよ」(朝井リョウ)

に描かれた世界。
この本を読んだときに、
うわー、こんなつらい世界を高校生(特に女子)は生きてるのか、と。

同質性集団だからこそ起こる序列化、そしてグループ化。
そしてそれがいじめにつながっていく。
いや、同質性集団だから、ではないのだ。

いじめが起こらない方法を聞いたことがある。
クラスが1つの目標(たとえば合唱コンクールで優勝するとか文化祭で1番を取るとか)
に向かっているときに、いじめは起こらないのだという。

そうか。
やっぱり「向き合わない」ってことが大切なのだと思った。

イナカレッジもそうなのかも、と。
3人が向き合いすぎているんだ。

お互いを理解しようとしてはいけないのかもしれない。

昨日、イナカレッジ井上さんと話していて気付いたこと。
コミュニケーションは、人間関係をよくするためにあるのではなくて、
「ともに学ぶ」っていうためにあるんだということ。

去年、感じたこと。
アウトプットを出すのは、個人のチカラでも、チームの力でもなく、
場のチカラであるっていうこと。

そのために場のチカラを高める必要があること。
場のチカラを高めるために「チューニング」っていう方法があること。

たとえば、柏崎矢田集落チームは、
毎朝、朝ごはんの時に、「昨日あったよかったこと」を話し出す子がいて、
それにつられて、みんながそれを話すのだという。
あ、それって「チューニング」だよねって。

ワークショップ用語で、「アイスブレイク」と呼ばれているものに、
少しだけ違和感があった。

「最近あったよかったこと」
これは、アイスブレイクの定番だと言われている。

それは、どんなネタよりも「準備ができない」からだ。
人は「準備できない」つまり「予測不可能」なことが起こった時に心が開く。

そして、「よかったこと」はその人がよかったと感じることなので、
そこにその人の価値観が現れることになる。
さらに、それは否定されることが決してない。
だって、その人がよかったと思ったことを言っているだけだから。

だから、心が開く、
だから、場が安心空間になる。
本当は毎日やってもいいくらいだ。
たぶんそれをもっとも短い時間でできるのが「最近あったよかったこと」なのだと思う。

僕がそれを「アイスブレイク」ではなく「チューニング」と呼ぶのは、
「ひとり」にフォーカスしているからだ。
この人は今日、どんな音が出ているのかなあ?って
そこに関心を持つことというか、感じることが必要だからだ。

ミーティングも同じなのかもしれない。
「場のチカラがアウトプットする」
という前提で考えると、

「KJ法」という付箋を使ったワークショップ手法は、
書いた人と意見を「分離する」という効果がある。
つまり、発言者の立場や地位や影響力に
左右されずに、付箋や、それによる場にアウトプットを委ねるということ。

たぶん、イナカレッジのプロジェクトも同じなのかもしれない。
必要なのは、「チューニング」だ。

その前提として、「ともに学ぶ」ひとりひとりが集まったのだと、

そしてそれは「場」から学ぶのだと。
「場」にそれぞれが感じること、思うことを
付箋を通して、出していくのだ。
そして付箋をひとりひとりから分離して、
「場のチカラ」でアウトプットをするんだ。

そもそも、その人を理解する必要なんてないんだ。
それは即興演奏をするジャズバンドと同じだ。
曲の途中だけど、客席から突然入ってくるサックスのお兄ちゃんがいたとして、
その人が演奏する「音」に合わせて、自分たちも音を出すんだ。

そのときに
「そもそもサックスってどんな楽器なんだっけ?」
みたいなことを考えない。

あるいは、そのお兄ちゃんの過去はどんなことがあって、
いまは普段の仕事は何をしている人で、なんでサックス始めたんだっけ?
みたいなことって聞かないでしょ。

相手を理解しようとしないで、相手が出す「音」に関心を向ける。
3人の「音」を合わせて、音楽(場)をつくる。

その音楽(場)から、自らが学ぶ。
新しい「音楽」を生み出す。
そうやってプロジェクトを前に進めていく。
そのために、付箋を使ったKJ法があるのかもしれない。

「ともに学ぶ」そして、「新しいものを生み出す」ために、
コミュニケーションがあり、ミーティングがある。
そのためには、チューニングというコミュニケーションが必要なのだ。

あー、研修もう一回やらせてください、ごめんなさい。  

Posted by ニシダタクジ at 08:06Comments(0)学び

2019年08月25日

人生は経営である。ただし個人戦ではない。


株式会社えぽっくのチーム「ひきだし」の事前研修でした。

朝8時からお昼ごはんのカレー作り。
辛口は食べられないっていう大学生が
発生したので急きょ甘口のルーを追加。
9時半から研修スタート。

まずはヒキダシのポーズ練習から。(笑)
体を一緒に動かすって大事だな、と。
からの自己紹介(名前、出身、参加のきっかけ、最近会ったよかったこと)

そして代表若松さんによる
ひきだし研修の概要説明と
参加意図(動機)の確認。

今回は教育学部の大学生が何人かいて、
印象的な参加動機があった。

「将来に迷っている。教員になるか民間で働くか。
いずれにしても企業のことを知ることが大事。」

ああ。
その通りだなと。

教員になったとしても、企業で働く、
とくに地方の中小企業で働くことのイメージができているか。
どんな思いで働いているのかっていうイメージをもっているかどうかって重要だよなと。
教員志望の人向けのチラシ(ウェブ)を作ってもいいのかもしれない。

あるいは直線的に教師に向かっていくことへの違和感とか。
そういうのもあるよね、と。

その後、だったら企業はどうしてこのインターンを受け入れるのか?
という視点の移動。

・企業を知ってほしいから
・若者の感性を知りたいから

そうそう。
この問い、めちゃめちゃ大切だなあと。
企業の立場に立ってみる、ということ。

数ある「インターンシップ」に大学生も参加しているだろうけど、
そういう視点の移動があるかどうか。

ということで僕のパート。

まずはライフチャートを書いて、8分間インタビューのあと、
ペアになった人の他己紹介2分。
これがなかなか難易度が高い。

2分というハードル。
まあこれはやってみて、でいいのかもな。

・フォーカス
・ワンフレーズ
・ストーリー
・結論ファースト
みたいなキーワードで、説明する。

まあ何度もやってみればいいと思う。

そして講座。

今回のテーマは「経営」。
ひきだしがインタビューするのは、中小企業の経営者。

じゃあ、経営者って何?
そもそも「経営」って何?

教育学部の学生がいるから、
「学級経営」ってなんだっけ?
みたいな。

先生は学級は経営するけど、自分の人生は経営しなくていいの?
って。

「ひとりひとりの人生も経営である」とする。

ひきだしという5日間のプログラムへの投資価値は?
何をリターンで得るのか?
みたいな話。

ドラッカーの5つの質問と田坂広志の仕事の5つの報酬
を説明

1 マネーリターン お金
2 ナレッジリターン 知識
3 リレーションリターン 関係
4 ブランドリターン 評判
5 グロースリターン 成長

このプロジェクト中の目標を決める、というより、
5つの報酬の意識を高めることのほうが重要なのかなと思った。

そして何より、ドラッカーの
2 お客はだれか?
3 お客にとって価値は何か?

という2つの質問に答えていくこと。
そして場のチカラ。

1 だれと
2 いつ
3 どこで
4 なぜ
5 誰のために
6 なにを
7 どのように

これを高めていくことでよいアウトプットが出る。
そして場に溶けていくこと。
場の構成員(原材料)になって溶け出すこと。

ラストに「魔法をかける編集」
いましか、あなたにしか、このチームにしか
書けない記事に価値がある。
届けたい相手に届けられるようになる。

っていうような話。
大学生の感想。

・慣れていないからこそ生み出せる価値があるのだと思った
・価値というのは自分の中からも出てくる。過去にお客がいる。
・過去を知ることの重要性
・何者なのだろう?って

ということで
最後に自分が最近感じている違和感をお話しした。

「適応」は必要だけど、そんなに強く生きられないんじゃないかって。
個人戦じゃなくて、場のチカラが価値が生む経験をしてみること。
それが僕が「ひきだし」に込めた思い。

東京へ移動中に水戸駅の川又書店で購入したこれ。

「ニュータイプの時代」(山口周)

これ、ほんと、読んだほうがいいわ。
大学生こそ読んだほうがいい。
時代は大きく変わっている。
「正解を出す力」に、もはや用はないのだ。

必要なのは、問いを、課題を発見する力。
そのために経験をすること。
多くの人に出会うこと。

そしてお客に出会うこと、見つけること。
そこから自分の人生経営が始まっていく。  

Posted by ニシダタクジ at 05:56Comments(0)学び

2019年08月13日

「ひとり」に出会うこと

9月から始まるプロジェクトの準備ミーティング。



その前に新川漁港の夕日。

大学生と一人暮らしのお年寄りのシェアハウス。
それを「食」をキーワードにしてつなげていくプロジェクト。

僕自身がプロジェクトの先にあるゴールを考えすぎてしまっていることに気がつく。

目の前のひとりと話をすること。
目の前のひとりに関心を持つこと。

そこからしか始まらないし、その方法でしか到達できない。

それは、「ひとり」に出会うこと。
ドラッカー風に言えば、「お客」に出会うことだ。

地域の人への調査。
「どんな食事のシーンなのか?」
それをまず、聞き出すこと。

その先に、ご飯を一緒に食べたり、
それが発展してシェアハウスになったりする。

でも、大切なことは、
「この人と一緒にご飯を食べたい」
「この人と一緒にシェアハウスつくりたい」
と思える「ひとり」に出会うことだ。

「キャリアデザイン」という思想は、
「価値」(特に数値化できる経済的価値)
に重きを置きすぎた。

「やりたいことは何か?」
「自分に向いてる仕事は何か?」
とか
「好きなことを仕事にする。」
とか。

プロジェクトの生まれ方には2通りあると思っている。
「価値」アプローチと「顧客」アプローチだ。

キャリアデザインは、
「価値」とは何か?を問い、そこで目標設定し、
そこに向かって進んでいくようなキャリア設計だ。

クランボルツ博士のいう、
「計画された偶発性理論=いわゆるキャリアドリフト(川流れ型キャリア)」
は、
「顧客は誰か?」という問いをコンパスに、
目の前にくる激流に対峙し、流れに乗っていくようなキャリア設計(設計と呼べないかもしれないが)だ。

その第1歩。
それは、「ひとり」に出会うこと。

ああ、この人のためにがんばりたい。
あるいは
この人と一緒に何かしたい。

感性をひらいて、その人を感じることだ。

そんな風に思った。
コーディネーターの有紀ちゃんすげーな、と。あらためて。

そんなタイミングで購入した1冊の本。


「アート・スピリット」(ロバート・ヘンライ 国書刊行会)

アメリカの伝説の美術教師、ロバートヘンライが語る。
もうね、前書きからシビれるんですよ。

~~~ちょっとだけ引用

ある人の内部に芸術家の魂が息づいているとき、創作のジャンルにかかわらず、その人はおのずと創意にあふれ、探究心をもち、大胆に自己表現しようとするはずだ。そして他人に興味をもつだろう。周囲に混乱をもたらし、悩ませ、啓蒙し、よりよい理解に向かって道を切り開く。

芸術家であるには、画家や彫刻家になる必要はない。どんな素材でも作品はできる。外の世界ではなく、作品そのもののなかに価値を見出せばよいのだ。

自分の正直な感情を大切にし、見過ごさないこと。

われわれがここにいるのは、誰かがすでになしとげたことをなぞるためではない。

芸術を学ぶ者は最初から巨匠であるべきだ。つまり、自分らしくあるという点で誰よりも抜きんでていなければならない。いま現在、自分らしさを保っていられれば、将来かならず巨匠になれるだろう。

~~~ここまで引用

うわーって。
宮澤賢治先生の「農民芸術概論綱要」(1926)のような
心揺さぶられるメッセージ。

つくりたいのは、こういう世界だし、こういうキャリア形成の方法だと思った。

誰もが芸術家であれ。

自分であれ。

そんな思いがあふれてくるような「ひとり」との出会い、
そこから始まるプロジェクトをまたひとつ始めたいと思った。

2009年、大学生アーティスト北川拓未が始め、
いまでは恒例行事となった、「新川ほたる」の光がまた綺麗だった。

  

Posted by ニシダタクジ at 08:27Comments(0)学び

2019年08月03日

「機会」としての「学び」をつくる



黎明学舎で、7月30日、8月1日と
中学2年生の職場体験の受け入れ。

8月2日、昨日は栃木県立図書館で、
高校生図書委員向けの
「読書コンシェルジュ」研修の最終日の
講座を担当しました。

講師紹介が、
「西田卓司さんは、現代美術家として・・・」
と始まる初の体験。
ああ、俺もついに現代美術家になったんだな、と。(笑)

冒頭で、
「デザイン」とは課題を解決することで
「アート」とは問いを投げかけることの説明。

前半、中盤、後半の3つに分けて、

前半は、ツルハシブックスやかえるライブラリー、
地下古本コーナーHAKKUTSUのビデオ紹介
を行い、感想シェア。

中盤は、暗やみ本屋ハックツについての紹介、
フローの紹介、この時にふりかえりのこと、
「予想しなかったよかったこと」の話をしました。

後半は、茅ケ崎市美術館と、明秀学園日立高等学校で行った
「ハックツ展示バージョン」が生んだ新たな価値の説明と、
「スターバックスはコーヒーを売っているのではない」
のつかみからのドラッカーの5つの質問、
「顧客はだれか?」「顧客にとって価値は何か?」
の説明を行いました。

全体を通して、やはり、僕がいまテーマにしている、
「機会」としての「学び」というテーマに収束していったのかもしれません。

学校教育ではない、社会教育の目的ってなんだっけ?
みたいなテーマにもつながるような話になったのではないかなと。

ということで、
僕が高校生図書委員に向けてお話しするという機会、
あるいは中学2年生に職場体験で黎明学舎の説明をするという機会から学んだ
「予想しなかったよかったこと」

高校生にも、中学生にも、
「機会」としての「学び」の話はかなり響くんだなと思いました。

みんな目的に向かっていくっていうのしかない教育への
違和感を持っているのではないかなと。

高校生に書いてもらった付箋を読み直していると、
・「誰に」「何を」提供するのか?っていうドラッカーの質問
・当日のふりかえりで「予想しなかったよかったこと」を話す
・直感で決める重要性
・「偶然」という「機会」を届けることは価値がある

☆これ、回収を前提に書いてもらっていないので、
リアルな感想がかけていいかも、と思いました。

「機会」としての「学び」。
たぶんそこに集約されていくのだろうなと思いました。

思い返せば、
2004年秋に教員になろうと思って、玉川大学の通信に編入し、
中学校社会の教員免許を目指していたとき、
2005年夏はスクーリングで町田に通っていました。
(サンクチュアリ出版の寮的なところに寝泊まりさせてもらった)

「教育の原理」っていう熱い授業があって、
何のために教育はあるのか?
って授業が終わってからも夜までずっと考えてました。

その時に直感したこと。
「あ、ぼくのポジションは学校じゃないじゃないか」

それは、直感でした。
それがなぜなのか言語化できていませんでした。

そして2007年の5月、2週間の教育実習に行きました。

いちばん驚いたのは、
教室にいるときと部活動をしているときの
音楽部と美術部の生徒の顔の違いでした。

それが決定的になったのは、
体育大会で運動部の生徒が全員不在だったときです。
教室にいる音楽部美術部の生徒たちが、
部活にいるときのような生き生きとした顔をしているのです。

ああ、こんな顔するんやって。
教室でもできるんやって。

あのとき。あの瞬間。
僕は学校の外に、そんな顔ができる場所をつくろうって思いました。

その直感と、「教育の原理」の授業での違和感の意味が、
14年の時を経て、いまなら少しだけ説明ができます。

「機会」としての「学び」をつくる。

たぶんそれです。

目的・目標を持って学ぶ。
これは、学校が始まった時からの原則です。
そもそも学校とは、
何かの目的のために作られた制度だからです。

2005年に
「遊びと学びの寺子屋 虹のひろば」を始めてから、
大学生の地域企業や商店街でのインターンシップを設計し、
ツルハシブックスで本屋という空間をつくり、
茨城大学では大学生の地域活動をフォローしてきました。

それは「機会」を提供することでした。

高校生も感想に書いてくれましたが、
「暗やみ本屋ハックツ」は「偶然」という「機会」を
提供する象徴のような活動です。

「機会」から学ぶ。
だからこそ、ふりかえりをデザインしなければならない。
まず、直感で動き、機会を得ること。

そんな「機会」を、これからも創っていくこと。
そして僕自身が機会から学んでいくこと。

そんなことを創っていきたいと思います。
よろしくお願いします。  

Posted by ニシダタクジ at 08:42Comments(0)学び

2019年07月24日

「計画できない」という前提で、直感と好奇心で動き続ける



法政大学長岡研究室にお邪魔してきました。
いま参画している「阿賀黎明高校魅力化プロジェクト」
のコンセプトを考えていて、長岡先生の取り組みと
親和性が高いなあと思ったからです。

もともと、塩尻で出会ったエミリーが長岡ゼミ生で
この春卒業したのだけど、カフェゼミに誘ってもらって、
そのカフェゼミのゲストが慶応大学の「つながるカレー」の
加藤先生で、「予測不可能性」の大切さを気づかせてもらった場でした。

ということで、
長岡研究室訪問メモ。

~~~ここからメモ

長岡ゼミの基本方針:「直感」と「好奇心」で動き続ける

好奇心:興味を広げる(⇔知識を深める・技術を高める)
直感:試行錯誤で学ぶ(⇔正解を教わる/受け入れる)

漢方薬⇒長期的な変化(⇔迅速な修正)
    &個別対応(⇔プログラム対応)

垂直的発達(積み上げ)⇔水平的発達

「越境」⇔「学習」(目的に向かう)
「経営学」⇔「教育工学」

「経営学」がささいな問題に厳密に回答するようになり、役に立たなくなった。

2004年パルサミーノ・レポート
https://tech.nikkeibp.co.jp/it/free/NC/TOKU2/20041228/1/
「工業的な新しいことは必ず追いつかれる」
「アメリカはイノベーションし続けないといけない」

経営学総論(2011)

プレイヤーは「企業」と「政府」と「家計」
仕組みは「交換(市場)」と「再分配(税金)」
それらを支える学問が「経営学」「経済学」「家政学」

営利性原理の脱構築:「再分配」⇔「交換」⇔「互酬」
企業とは「営利性原理」に基づく活動「利潤最大化」と「自己責任」
最小の費用(効率)で最大の成果(成長)を得ようとする合理性が求められる。

交換:等価かつ同時
互酬:仲間内だけを助ける

資本主義の基本概念モデル

(所有権の移動)
取引⇒交換:市場/企業&家計
徴収⇒再分配:国家/政府
贈与⇒互酬:共同体(コミュニティ)

「ワークシフト」(リンダ・グラットン)

精神的ゆとりの欠如
人間的つながりの欠如
経済的な格差(貧困)

協力する社会←競争する社会:「強さ」よりも「優しさ」や「思いやり」
社会の利益←個人の利益:私とみんなの幸せを考える「共」の意識
自立する個人←集団に頼る個人:所属や肩書きに頼らない幅広い「人脈」

第1のシフト:「教えられて、やらされる勉強」から
「新しいことを主体的に学び続ける」へ。
第2のシフト:「閉ざされた世界の中での孤独な競争」から
「開かれた世界の人々のネットワーク」へ
第3のシフト:「金銭欲・自己顕示欲・独占欲」から
「楽しいからやる、分かち合う歓び」へ

ワークシフト時代を生き抜くために必要な「仲間」とは、
精神的な安らぎをもたらす仲間
プロジェクトを共に進める仲間
世界を広げてくれる仲間

ソーシャルデザインの視点
「公」「共」「私」
パブリック、コモン、プライベート

未来にある世界とは?
先行きが見えない世界⇒想定外を生き抜く力
多様な価値観が交差する社会⇒葛藤と向き合い、乗り越える力

「釜石の奇跡」
・マニュアルに頼らない
・ミスを恐れず最善を尽くす
・指示を待たずに率先する

「直感」⇔「計画」

大学生の現状:
人の評価が気になる。
間違えることを恐れる。

「評価されない」前提ですすめる。
プロジェクトのゴールを作らない。
キレイな物語(目的地から再構成する)ではなく
プロセスを記述できるか?

トライ&エラーで学ぼう
(直感)⇔計画
直感で動くと間違える。
計画して動くと動けなくなる。

直感で動いたことをふりかえる「越境」学習

イノベーティブなプロジェクトほど失敗が許される。
イノベーティブじゃないプロジェクトほど計画を綿密に立てる。

プロジェクトごとの評価をしない。
3年間の自らの成長を見る。

「計画できない」という前提

~~~ここまでメモ

いちばん感じたのは、
「評価」ではなく、「ふりかえり」であるということ。
直感で動けば、間違いしかないということ。

時代がシフトするように、
考え方もそちらへシフトしないといけない。

あとは、「教育学」は「経営学」より20~30年遅れているということ。

たしかに、「人を育てる」という意味では、
経営学は絶えずトライ&エラーを繰り返してきたと言えるだろう。

その経営学が
「これからは合理性じゃないんじゃないすか?」
って15年も20年も前から言っているのに、
いまだに教育現場では目標を立てて達成するっていうのを
やっていて大丈夫なのか?と

「機会」を得て学び、それを振り返って学びに変えていく。

そんな「学び」の出発点、いや人生の出発点に立つのは、
大学生からでは遅すぎるくらいだ。早ければ早いほどいい。

Good Luck!  

Posted by ニシダタクジ at 09:39Comments(0)学び

2019年07月06日

「手段」としての学びから「機会」としての学びへ

「挑戦」という言葉に対する違和感。
それは前からあったのだけど。

かつて僕は、
「地域に挑戦の連鎖を」とかって言っていたんだけどね。

「地域」「挑戦」というキーワードに
20代がヒットしなくなっているという現実も肌で感じる。

「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」(19.4.18)
http://hero.niiblo.jp/e489179.html


スピノザ「エチカ」の解説をする
国分功一郎さんの言葉。
「思考のOSを入れ替える。」

近代社会で培われてきた思考。
それは一言でいえば、「目的・目標は何か?」
「どうやってそれを最短距離・時間で達成するか?」
という思考だった。

それはおそらく、国民国家というシステムと工業社会の宿命だったのだろう。
それを支えたのがデカルト的哲学だったと國分先生は解説する。

だとしたら、
工業社会から次の社会へとシフトしている中で、
国民国家という仕組みそのものがグローバル企業の登場などによって
揺らいでいる中で、
「思考のOSを入れ替える」必要があるのではないか。

西洋的近代とは、
二元論であり、わかりやすさであり、目標逆算型システムであり、、、

しかし、スピノザは、
本質は自分自身がらしくあろうとする力「コナトゥス」のことであり、

「自由であるとは能動的であることであり、能動的であることはとは自らが原因であるような行為を作り出すことであり、そのような行為とは自らの力が表現されている行為を言います。ですから、どうすれば自らの力がうまく表現される行為をつくり出せるのかが、自由であるために一番大切なことになります。」(100分de名著 スピノザ「エチカ」より)

もうひとつブログ読み直し

「やりたいことは何か?」「何になりたいのか?」への違和感(18.8.20)
http://hero.niiblo.jp/e487965.html

「やりたいことは何か?」「何になりたいのか?」この二つはまさに「意志」と「未来」を問う質問なのではないか。

あたりまえだけど、「言葉」と「世界」は相互に作用している。「言葉」が「世界」を規定し、「世界」が「言葉」を規定している。

だから、「やりたいことは何か?」と問われれば、「やりたいことは何だろう?」と考え、それに答えようとしてしまう。

でもさ、そもそも、「意志」や「未来」が存在しないとしたら。能動態と受動態の対立の世界に生きていなかったとしたら。

~~~ここまでブログから引用

もし、「意志」も「未来」も存在しないとしたら。
そんな仮定。

アホらしいと思うだろうか。
僕はそこにこそ、「挑戦」という言葉への違和感の原因がある、と思っている。

(戦争に強かった)国民国家と(世界を貨幣経済という色に染めてしまった)工業社会は、「学校」という効率的な人材育成システムを生み出した。それによって、「いま」は将来という目的のための手段となった。たぶん、その思想の転換が必要だったのだろう。

そして、「意志」という概念も合わせて導入された。
目的・目標を決めて、「挑戦」する個人が素晴らしい、とされた。

いま、ぼくたちの生活は、「手段」にあふれている。
いや、「手段」にあふれてなければならない、とさえ思っているのではないか。

〇〇のために勉強する。
〇〇のために資格を取る。
インスタ映えする写真を撮るためにタピオカミルクティーを買う。(ちょっと違うか)

「学校」は、その特質上、「手段」しか提供できない。
教育目標があり、それを達成することがそもそもの設置の意義だからだ。

この前の「意味」と「意義」の話じゃないけど、
「意義」と「意味」
http://hero.niiblo.jp/e489514.html (19.7.2)
で言えば、「意義」だらけの空間だ。

僕は2005年に玉川大学の通信教育課程に編入し、中学社会の教員免許取得を目指した。
2007年に新潟県内の中学校に教育実習に2週間いった。
僕のポジションは学校ではないんじゃないか。
って思った。

2011年、僕は本屋になった。
地下に古本コーナーHAKKUTSUを作り、暗やみで本を探せるようにした。
ハックツのコンセプトは「偶然」であり、ツルハシブックスのコンセプトは「劇場」である。
一言でいえば、「機会」提供である。

ハックツは数々のメディアに掲載されたが、そのたびに答えられなかった質問がある。
「本をハックツした子どもたちに、どうなってほしいですか?」

どうなってほしくもない。
僕の役割は本を提供した時点で、すでに終わっているのだ。
ただ、機会を提供することには価値がある、と僕は思っているのだ。

いま。
2019年現在。

「手段」としての学びから「機会」としての学びへのシフトが起こっている、
と僕は思っている。

2020年の大学入試改革を含む
文部科学省「高大接続システム改革」で説明されている、学力の3要素は
①知識・技能の確実な習得(狭義の学力)
②(①を基に)思考力、判断力、表現力
③主体性を持ち、多様な人々と協働し学修する態度(主体性、多様性、協働性)
であり、それらは、「探究」学習によって可能になると言っている。

では「探究」はどのように駆動するのだろうか?

「機会」提供からこそ始まるのではないか。

人は「機会」を目前にして、心が反応する。
「共感」や「違和感」、様々な感情が起こる。
特にその「違和感」こそが、「探究」の出発点になるのではないか。

では、だれが機会を提供するのだろうか。

それは学校外の機関、多くの場合つまり地域(民間企業・NPOなどを含む)
だろうと思う。

「機会」の提供。
それによってどう心が動いたのか?動かなかったのか?

そういう意味で言えば、
「目標達成」も「機会」のひとつだ。

大切なのは、達成したかしなかったか、ではなくて、
達成しようとしているあいだに心がどのように動いたか。
どんな「違和感」を感じたのか。

その「機会」をつかみ、自分なりに仮説を立てることから
「探究」が始まっていくのだろうと思う。
ひとたび「探究」が始まってしまえば、あとは自走していく。
内発的動機付けによって駆動していく。

なんらかの成果、結果が出る。
それを外から見ている人は「挑戦」だと思う。

でも、本人は挑戦なんてしていない。
機会から得た違和感を好奇心から探究したかったのだ。

「挑戦しろ」という人は、
意志という神話を信じているかのように見える。
「意志なんて存在しない。」
僕はスピノザの考え方を支持する。

「挑戦」しなくていい。
厳しい言い方をすれば、「意志」の弱さのせいにするな。
「環境」を抜け出し、「機会」をつかみ、「違和感」をキャッチする。

そこから湧き上がる好奇心を大切に、「探究」を始めよう。
そこにこそ、本当の「遊び」が待っている。  

Posted by ニシダタクジ at 09:04Comments(0)学び

2019年07月03日

人生も熱中して遊ぶべきだ



「地域みらい留学」フェスタ 東京会場に行ってきました。
すごい熱気。

「地域みらい留学」とは、
都道府県の枠を越えて、地域の学校に入学し、充実した高校3年間をおくること。
公式ウェブより
https://c-mirai.jp/about.html

ということで、東京会場(渋谷)にも、
北海道から沖縄までのたくさんの高校が
カリキュラムの特徴や寮制度、公営塾の魅力などを
説明するイベントでした。

僕がいちばん印象に残っているのは、
広島県立大崎海星高校。



手作り感あふれるブースで、
高校生がたくさんいて、とにかく活気がありました。



ポストの着ぐるみ?を着ていた高校生は
「みりょくゆうびんきょく」というサークル的な活動の生徒たち。
その一環で東京にPRに来ているということでした。

楽しそうだったので、
きっと、説明をきいた中学生は「一度、見学いってみようかな」と
思った人も多かったのではないでしょうか。

大崎海星は、デザインもすごくて、
総合学習も
1年:羅針盤学=自分を知る
2年:潮目学=社会を知る
3年:航界学=マイプロジェクト
みたいな。

「時代の航界士になろう」っていいコンセプトだなあと。

ということで、イベントメモを以下に。

~~~ここからメモ

オリエンテーション
「どこで」「誰と」「何を」学ぶか?

「どこで」:地域という実社会で学ぶ。手触りのある実物未来社会の箱庭で学ぶ
「誰と」:多様な人々と学ぶ。地域の子ども、都会からきた子ども、外国から来た子ども、地域で挑戦する人、都会から来た大人と学ぶ
「何を」:社会の縮図体験としての3年間を過ごす。自ら見つけたテーマに対し、自ら動き、失敗し、支援から学ぶ
未来の社会をつくる意志ある若者を育む「地域みらい留学」

津和野高校の取り組み
新しい進路実現
・探究や実践の場が溢れている。
・問題意識の醸成や学問分野への接続が容易にできる。
・個別化したサポートができる環境である。
多様な人による多様な寄りそいのカタチがある。

「私の島は・・・」と語るばあちゃんの衝撃。

いろんな人に会えるっていうか、かかわる大人の数と種類が多いっていうか、当事者に会えるんだね、地方では。思いを持った大人、本気な大人に。もちろん、東京にもいるんだろうけど、出会えないんすよ、高校生っていう同質性集団の中では。

なりたい職業じゃなくて、どうありたいか?
→人によりそう暮らし、働き方がしたい
→鍼灸の専門学校へ。

細川さんは、ネットで「公立高校 寮」で検索して地域みらい留学にたどり着いているんだよね。
だとしたらトガッたコンセプトでウェブつくるって大事だな、と。

「どこの高校がいいのか?」
から
「どんな高校生活をしたいのか?」
っていう問いへ。

いろんな考えの人、特にタイプの違う人に話を聞けるかどうか。
⇒同質性集団から抜け出せるかどうか?

白馬高校のプレゼン。
こんな人におすすめ
・白馬でやりたいことがある
・多様な価値基準を受け入れられる
・人と協働することが好き
・新しいことにチャレンジできる

反対に、3つの誤解
1 白馬にいけば変われる⇒本人が変わらないと
2 個人の希望を優先できる⇒全日制の公立高校
3 平日でもスキーやスノボいける⇒いけない

メッセージ
1 何を学びたいのか?
2 広く学ぶ覚悟はありますか?
3 白馬で生活する覚悟はありますか?

少人数であるから多様な人に出会い、話をすることができる。地方こそ多様。

高校は生徒に正解を提示してあげることはできない。
「経験」という機会を提供することしかできない。

「職員室」は「センセイオフィス」へ。

隠岐島前高校のプレゼンもシンプルでよかった。

主体的に課題を見つけ、他者と協働して、解決まで粘りづよく取り組むこと。
それができるなら、どこの高校でも同じ。

気づく→考える→話し合う→実践する・巻き込む→ふりかえる。

「困った」って言ってくるまで助けない。
何もしゃべらないチームがあってもすぐに助けない。
困ったときに困ったと言えること。

答えのない課題は現場にあふれている。現場が近いという価値。

「正解」を探す力はネットやAIに敵わない。

「問い」を立てる力を育むこと。
どうしたら解決できるんだろう
何が本当の原因なんだろう
誰が困っているんだろう
私たちにできることは何だろう

10は1000よりはるかに小さいが、10分の1は1000分の1よりはるかに大きい。

1番の学びは寮生活の中にある。暮らしの中っていうことか。

挑戦のカタチは何通りあってもいい。
ひたすら寮で靴を揃えていくという挑戦もある。

「社会課題を解決する!」よりも、
(具体的な)誰かの課題を(当事者として)解決する!
ってことが大事だ。

ダイヤモンドはダイヤモンドでしか磨けないように人は出逢う人によって磨かれる。

高校時代に地域の高校へ進学することが新しい選択肢になる。
日本の課題に触れること。多様な人につながること。
地域がまるごと教育資源になる。

プロジェクトにとって大切なのは、真正性、つまりリアルであるということ。
地方にはリアルが詰まっている。

県外生徒がもたらしたもの。

低意欲の生徒襲来→意欲格差→挑戦格差
そこからじわじわとよくなっていく。
自地域肯定感が自己肯定感につながっていく。
誇りが必要なんだよね。生きていくには。

県外生徒募集をきっかけに教育の魅力化について大人自らが探求すること。
「高校魅力化」それこそが社会インパクトを生み出すと信じて覚悟を決めた人たちの集まりだった。
覚悟のようなものが必要。結局、誰がやるんだ?っていう。

高校存続プロジェクトから高校魅力化プロジェクトへ。
存続を目指しても存続しない。魅力がないと行かない。
高校魅力化って問いなんだと。自らが探求し続けないといけない。

キーコンセプトを決めること。
大崎海星の航界人、みたいな。
それをこういう地域の素材を使って学ぶことができます、と紹介すること。

魅力は地域の中にすでにある。
それを引き出していくプロセスにも魅力が生まれる。
キーコンセプトを人々との多様なプロセスによってつくっていく。

そして常にキーコンセプトを刷新し続けること。

課題は地域の現場にあるがソリューションは世界中にある。

都会では学べないことがウチの地域では学べます。
一緒に探求しよう、と言える人がどれだけいるか?

地域みらい留学を新しいキャリア教育の営みにしていく。
偏差値じゃない価値、自分軸で決める価値で自分の枠と地域の枠を超えていく。
地域の子どもにも外を見せることができる。

他者、つまり多様な大人と、多様なプロジェクトを行うことの意義。
プロジェクトの中で、一緒に活動した誰かが「オマエには才能がある」って言う瞬間をつくること。テクニックではなく、リアルで。
その一瞬で、生きていくモチベーションは数倍になる。そしてそれは早ければ早いほど効果が高い。

隠岐島前高校の豊田さんのプレゼン。

プロジェクトをデザインする際に重要な要素
・Authenticity(真正性、信頼性)
つまり、リアルであること。

超人口減少、超少子高齢化、財政難
日本の重要課題の最前線
しかも「人、物、金がない」
ここでの挑戦が日本の未来を切り開く。

「教育魅力化を阻む免疫のようなもの」
・学校教育を考える際の「地域文脈」へのアレルギー
→「教育文脈」と「地域文脈の2項対立構造
・新しい学びのあり方(新学力観)へのアレルギー
→「従来の教育観」から「新しい教育観」への転換
・多忙化へのアレルギー
→「業務改革・働き方改革」と「教育改革」は車の両輪
・異文化、異質なものを受け入れることへのアレルギー
→自分たちを肯定してくれない人たち、よくわからない人たち

自分たちにとっての学校や地域にとってのいい教育を
関係者の中で対話しながら探究・実践しつづけること。

・県外生徒募集に高校が関わるのは大変
※その先に何があるのかはあとの話
・教員が疲弊するのではないか
・自校は特徴がないのではないか
・外に開いたところでやる価値はあるのだろうか

〇多様性がもたらすもの
・新しい価値観との出会い
→最初は戸惑地
・自身や自地域のよさの言語化
→自己肯定感、自地域肯定感
・視点、視座が増える

自分とは違った環境で育った友人がいる
隠岐島前高校63%
島根県内 41%
島根県外 28%

~~~ここまでメモ

とまあ、こんな感じ。

結論的には「地域みらい留学」には
・特徴的なカリキュラム
・寮の支援体制
・公営塾の充実
の3つが必要なのだなと。

高知県の嶺北高校や広島県の大崎海星高校のように
初年度から生徒を集まられる高校があるということ。

キーコンセプトを明確にして
そこに向かって上記の3つを組み立てていくこと。
そういうことが必要なのだと実感した。

そしてもうひとつ、
いいタイミングで手にしていた本。


「仕事なんか生きがいにするな~生きる意味を再び考える」
(泉谷閑示 幻冬舎新書)

この本の終盤を読んだら、
なぜ、僕がここにいるのか、少しわかった気がした。

詳しくはまた別のブログに書くこととして、
今日は一番ヒットした一節を書き出す。

「芸術家は人生についての考え方を世界に教えている。金だけが大事だと信じている人は自分を欺いている。芸術家が教えているのは、小さな子供が無心で遊ぶように、人生も熱中して遊ぶべきだということである。ただし、それは成熟した遊びである。人の頭脳を駆使した遊びである。それが芸術であり、革新である。」(ロバート・ヘンライ)

たぶん。
高校魅力化とか、
地域と協働とか
マイプロジェクトとかって
結局ここに集約されていくのではないかな。

「人生も熱中して遊ぶべきだ」

伝えたいメッセージってそういうことなのだと思う。
最高の遊びとしての学びを、高校時代に経験しておくこと。
それって、めちゃめちゃ大きいと、僕は思うんですよ。  

Posted by ニシダタクジ at 14:52Comments(0)学び

2019年06月21日

「問い」=「切り口」+「ミッション」

6月18日早朝のラジオ深夜便。
睡眠のことを研究している
生物学者の柳沢先生のコメントが
タイムリーだった。

ラストの2つのメッセージ。

よい問いを見つけることはよい解き方を見つけることより難しい。

真実は仮説より奇なり。

生物(自然界)の法則と
実際社会で起こっていることって
リンクしているよなあと思うのだけど、
この2つはまさにそうだなあ、と。

学校教育は、
解き方ばかりを教えてきたのではないか。

目指すゴールがあった。
その前提として「効率化」という絶対的価値があった。
「工業社会」とは、おそらくはそういう世界だったのだろうと。

もちろん、今でも「効率化」は価値でないことはないのだけど、
「効率化」だけでは価値を産めなくなっているというのが事実だ。

柳沢先生は、研究者にとって一番重要なのは、
自分が面白いと思う問いを立てるということ。

そういえば、内田樹さんが、
フランス文学の世界が面白くなくなったのは
「どのような研究をしたら評価されて、大学教員・研究者への道が開けるか?」
という視点で、研究領域を選んでいるからだと言っていた。

「問い」っていうのは、「切り口」(テーマ)と「ミッション(使命)」を合わせたもの、
ではないか。

没頭できる問いに出会うこと。そんな問いを生み出すこと。

僕の場合は、
2002年の中学3年生シンタロウとの出会いだった。

「15歳が自分と住んでいる地域を好きになり、自分と社会の未来創造へ向けて歩き出している地域社会を実現します。」

これは今でもツイッターのプロフィールに書いている言葉だけど、
こういう解き方のわからない問いを立ててみるってことですよね。

「どうやって?」

って聞かれちゃうやつ。
いいんです。
だからそれを「探求」するんですよ。

思えば、2002年にその問いに出会って、
「シンタロウはなぜ心を開いたのか?」っていうサブの問いが出てきて、
それを追いかけて本屋になったのかもしれない。

サルトル風に言えば、
「実存は本質に先立つ」って感じなのだけど。

「問い」を立て、未来に向かって自らを「投企」し、
それを振り返って検証し、次の仮説をつくる。

「問い」というのは「切り口(テーマ)」と「使命(ミッション)・目的」
の合わせ技である。

だからこそ、「探求」のモチベーションが維持される。

切り口(テーマ)に必要なのは、
ワクワクというか、「面白さ」そのもの。
「好奇心」。

ミッション(使命)に必要なのは、
強烈な体験、違和感・共感、そこから来る衝動、勘違い。

それらはひとりひとり異なる。
過去の記憶が突然蘇ってくることもある。
僕だったら、高校生のときに通ってた、たこ焼き屋のおばちゃんの物語のように。

たぶんその問いを持って、生きていくということ。

そして、柳沢先生の言うように、
「真実は、仮説より奇なり」と
仮説(問い)に依存しすぎずに、
フラットに世の中の現象を見て、仮説を再構築していくこと。

その繰り返し。
そこには終わりがない。

たぶんそれが「探究する」ってことなんだと思う。

そういう意味では、
「高校魅力化プロジェクト」っていう題材は、
ものすごく多くの切り口(テーマ)で切ることができる。

「教育」「地域」「観光」「マーケティング」「まちづくり」
「小商い」「キャリア」「動画つくりたい」「リノベ・DIYしたい」

などなど。
さまざまな切り口で切ることができる。
その切り口(テーマ)に、仮説を立てる。
それを実証、検証していくのだ。

「インターン」ってそういうことなのかもしれない。

そして、さまざまな切り口で切った人たちが
同じ場所、同じ時間を共有することで、
ブレイクスルーというか「創造」が生まれるのではないか。

イナカレッジで、
観光学部の学生が言っていた
「地域の宝さがし」

っていう「宝」は、もしかしたら
その仮説の先にあるのかもしれない。

「教育」の魔法。

それはあらゆるものを「(教育)資源」に
変えてしまうという魔法。

すべての地域資源は、地域課題を含めて、教育資源になり得る。

それは子どもたちだけじゃなくて、大人たちにとっても同じだ。
学びのための題材でしかない。

「高校魅力化プロジェクト」をさまざまな切り口(テーマ)で切っていく。
フィールドワークを通じて「共感・違和感・衝動」を経て、問いが生まれる。
それを探求し続けることで「創造」が生まれる。

「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせである」と
ジェームス・W・ヤングは言ったが、

「創造」っていうのは、
そうやって起こるのではないか。

ひとつの題材をいろんな角度から切り、光を照射し、
関係性を構築しながら対話し、「共感・違和感・衝動」を
エネルギーに問いを立て、検証していく。

それが同時に起こる「場」。
そこに「創造」があるのではないか、っていう仮説。

現代美術家(リレーショナル・アート)
としての次の作品がだんだんと見えてきました。

  

Posted by ニシダタクジ at 08:08Comments(0)学び

2019年06月10日

参加・参画社会への「シェア」


「シェアライフ」(石山アンジュ クロスメディアパブリッシング)
の話を聞いて、熱くなった日曜の昼。

せっかくなのでまとめておきます。
高校生にこそ聞いてほしい話だった。
未来の話。

~~~ここからメモ

英語を学ぶのは、グローバル人材になるためじゃなく、シェアの時代に生きるため。

個人の意思<会社・組織の意思への違和感。本当の幸せって何?問いをあたためた。
シェアリングエコノミーは、定義がない。たとえば江戸時代の長屋暮らしのこと。

東洋の思想からくるシェア。ニューエコノミーとしてのシェア。
「世界中の1000人とお醤油の貸し借りができるようになった。」

TABICA:みんなの当たり前が誰かの旅になる。
https://tabica.jp/

近所で、会って、助け合い
https://www.any-times.com/

持っているあらゆるものをシェアすることができる。シェアすることでコミュニケーションが生まれる。

個人が供給者になれる。⇒個人の社会参画革命

組織から個人へ。つながりの希薄化、孤独、貨幣価値に支配される価値観

「教える」をライフスタイルに。教育に正解はない。テクノロジーの助けによってあらゆるものが教育資源になる。

つながりシェア保育園
http://seiwagakuen.ed.jp/tyo/

あるものを組み合わせる。ブリコラージュ。
地縁・血縁・所属組織でつながる⇒消費・趣味・価値観でつながる

「シェアで居場所ができる」居場所っていうのが場所のことじゃなくなる。

シェアは「信頼」で成り立つ。

「信頼」の移り変わり
1ローカルな信頼
2制度に預ける信頼
3テクノロジーによる信頼

ピアツーピアでの「信頼」の構築。それは食べログみたいに「数字」なのか?っていう疑問。
レビューを含め、信頼の構築シーンにも自ら「参加」すること。

日本のシェア=共助と共創
人・企業・行政がともに創造する社会
「シェア」っていうのは壁を超えるためのツール。参加・参画社会へのもっとも簡単なテイクオフ

教育シェア宣言:秋田県
https://unleashmag.com/2017/10/03/edu-share/

教育をシェアするという社会実験
https://unleashmag.com/2017/09/22/social-experiment-edu-share/

~~~ここまでメモ

「シェア」

気軽に使っていたけど、
大きな大きな「ワールドシフト」
がその先にあるように感じた。

参加型社会。
最大のケアは、「参加」ではないか?

って去年の今頃は思っていたけど。

参加へのもっとも簡単な方法が
「シェア」なんじゃないかって思った。

コミュニケーションツールとしても最強だなと。

個人として、つながりのある個人として、
シェアの時代を生きていくというリアル。
それをものすごく感じた時間となった。

「シェア」へのシフトは止まらないだろう。

それはおそらくは
それ以前のシェアじゃない時代のほうが
もはや特殊だったのだ。

資源が無限にあり、
モノは無限にあふれて、
それを消費する人たちも次から次への生まれて、
経済を回していく。

ふと思ったのだけど、
「経済を回す」っていうのは、
「使い捨てをする」っていう事とはまったく違うニュアンスがある。

回すのだ。
シェアするのだ。

ということは、
経済が「経世済民」という本来の意味で使われるとするならば、
あきらかに「シェア」のほうが理にかなっている。

それにしても、僕がいちばんヒットしたのは、
参加・参画社会への「シェア」だった。

「シェア」することで、人は「参加」できる。
そのコミュニケーションの入り口に「シェア」がなるんだ。
そこに可能性を感じた。

そしてそれは、
田舎であればあるほどインパクトがあるのだろうと思った。
田舎こそ、テクノロジーを活用したシェアをやっていこうと。

その先を見てみたい。
そんなふうに思ったお話でした。

これから本読みます。  

Posted by ニシダタクジ at 19:20Comments(0)学び