プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



QRコード
QRCODE
※カテゴリー別のRSSです
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 8人
オーナーへメッセージ

2019年07月06日

「手段」としての学びから「機会」としての学びへ

「挑戦」という言葉に対する違和感。
それは前からあったのだけど。

かつて僕は、
「地域に挑戦の連鎖を」とかって言っていたんだけどね。

「地域」「挑戦」というキーワードに
20代がヒットしなくなっているという現実も肌で感じる。

「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」(19.4.18)
http://hero.niiblo.jp/e489179.html


スピノザ「エチカ」の解説をする
国分功一郎さんの言葉。
「思考のOSを入れ替える。」

近代社会で培われてきた思考。
それは一言でいえば、「目的・目標は何か?」
「どうやってそれを最短距離・時間で達成するか?」
という思考だった。

それはおそらく、国民国家というシステムと工業社会の宿命だったのだろう。
それを支えたのがデカルト的哲学だったと國分先生は解説する。

だとしたら、
工業社会から次の社会へとシフトしている中で、
国民国家という仕組みそのものがグローバル企業の登場などによって
揺らいでいる中で、
「思考のOSを入れ替える」必要があるのではないか。

西洋的近代とは、
二元論であり、わかりやすさであり、目標逆算型システムであり、、、

しかし、スピノザは、
本質は自分自身がらしくあろうとする力「コナトゥス」のことであり、

「自由であるとは能動的であることであり、能動的であることはとは自らが原因であるような行為を作り出すことであり、そのような行為とは自らの力が表現されている行為を言います。ですから、どうすれば自らの力がうまく表現される行為をつくり出せるのかが、自由であるために一番大切なことになります。」(100分de名著 スピノザ「エチカ」より)

もうひとつブログ読み直し

「やりたいことは何か?」「何になりたいのか?」への違和感(18.8.20)
http://hero.niiblo.jp/e487965.html

「やりたいことは何か?」「何になりたいのか?」この二つはまさに「意志」と「未来」を問う質問なのではないか。

あたりまえだけど、「言葉」と「世界」は相互に作用している。「言葉」が「世界」を規定し、「世界」が「言葉」を規定している。

だから、「やりたいことは何か?」と問われれば、「やりたいことは何だろう?」と考え、それに答えようとしてしまう。

でもさ、そもそも、「意志」や「未来」が存在しないとしたら。能動態と受動態の対立の世界に生きていなかったとしたら。

~~~ここまでブログから引用

もし、「意志」も「未来」も存在しないとしたら。
そんな仮定。

アホらしいと思うだろうか。
僕はそこにこそ、「挑戦」という言葉への違和感の原因がある、と思っている。

(戦争に強かった)国民国家と(世界を貨幣経済という色に染めてしまった)工業社会は、「学校」という効率的な人材育成システムを生み出した。それによって、「いま」は将来という目的のための手段となった。たぶん、その思想の転換が必要だったのだろう。

そして、「意志」という概念も合わせて導入された。
目的・目標を決めて、「挑戦」する個人が素晴らしい、とされた。

いま、ぼくたちの生活は、「手段」にあふれている。
いや、「手段」にあふれてなければならない、とさえ思っているのではないか。

〇〇のために勉強する。
〇〇のために資格を取る。
インスタ映えする写真を撮るためにタピオカミルクティーを買う。(ちょっと違うか)

「学校」は、その特質上、「手段」しか提供できない。
教育目標があり、それを達成することがそもそもの設置の意義だからだ。

この前の「意味」と「意義」の話じゃないけど、
「意義」と「意味」
http://hero.niiblo.jp/e489514.html (19.7.2)
で言えば、「意義」だらけの空間だ。

僕は2005年に玉川大学の通信教育課程に編入し、中学社会の教員免許取得を目指した。
2007年に新潟県内の中学校に教育実習に2週間いった。
僕のポジションは学校ではないんじゃないか。
って思った。

2011年、僕は本屋になった。
地下に古本コーナーHAKKUTSUを作り、暗やみで本を探せるようにした。
ハックツのコンセプトは「偶然」であり、ツルハシブックスのコンセプトは「劇場」である。
一言でいえば、「機会」提供である。

ハックツは数々のメディアに掲載されたが、そのたびに答えられなかった質問がある。
「本をハックツした子どもたちに、どうなってほしいですか?」

どうなってほしくもない。
僕の役割は本を提供した時点で、すでに終わっているのだ。
ただ、機会を提供することには価値がある、と僕は思っているのだ。

いま。
2019年現在。

「手段」としての学びから「機会」としての学びへのシフトが起こっている、
と僕は思っている。

2020年の大学入試改革を含む
文部科学省「高大接続システム改革」で説明されている、学力の3要素は
①知識・技能の確実な習得(狭義の学力)
②(①を基に)思考力、判断力、表現力
③主体性を持ち、多様な人々と協働し学修する態度(主体性、多様性、協働性)
であり、それらは、「探究」学習によって可能になると言っている。

では「探究」はどのように駆動するのだろうか?

「機会」提供からこそ始まるのではないか。

人は「機会」を目前にして、心が反応する。
「共感」や「違和感」、様々な感情が起こる。
特にその「違和感」こそが、「探究」の出発点になるのではないか。

では、だれが機会を提供するのだろうか。

それは学校外の機関、多くの場合つまり地域(民間企業・NPOなどを含む)
だろうと思う。

「機会」の提供。
それによってどう心が動いたのか?動かなかったのか?

そういう意味で言えば、
「目標達成」も「機会」のひとつだ。

大切なのは、達成したかしなかったか、ではなくて、
達成しようとしているあいだに心がどのように動いたか。
どんな「違和感」を感じたのか。

その「機会」をつかみ、自分なりに仮説を立てることから
「探究」が始まっていくのだろうと思う。
ひとたび「探究」が始まってしまえば、あとは自走していく。
内発的動機付けによって駆動していく。

なんらかの成果、結果が出る。
それを外から見ている人は「挑戦」だと思う。

でも、本人は挑戦なんてしていない。
機会から得た違和感を好奇心から探究したかったのだ。

「挑戦しろ」という人は、
意志という神話を信じているかのように見える。
「意志なんて存在しない。」
僕はスピノザの考え方を支持する。

「挑戦」しなくていい。
厳しい言い方をすれば、「意志」の弱さのせいにするな。
「環境」を抜け出し、「機会」をつかみ、「違和感」をキャッチする。

そこから湧き上がる好奇心を大切に、「探究」を始めよう。
そこにこそ、本当の「遊び」が待っている。  

Posted by ニシダタクジ at 09:04Comments(0)学び

2019年07月03日

人生も熱中して遊ぶべきだ



「地域みらい留学」フェスタ 東京会場に行ってきました。
すごい熱気。

「地域みらい留学」とは、
都道府県の枠を越えて、地域の学校に入学し、充実した高校3年間をおくること。
公式ウェブより
https://c-mirai.jp/about.html

ということで、東京会場(渋谷)にも、
北海道から沖縄までのたくさんの高校が
カリキュラムの特徴や寮制度、公営塾の魅力などを
説明するイベントでした。

僕がいちばん印象に残っているのは、
広島県立大崎海星高校。



手作り感あふれるブースで、
高校生がたくさんいて、とにかく活気がありました。



ポストの着ぐるみ?を着ていた高校生は
「みりょくゆうびんきょく」というサークル的な活動の生徒たち。
その一環で東京にPRに来ているということでした。

楽しそうだったので、
きっと、説明をきいた中学生は「一度、見学いってみようかな」と
思った人も多かったのではないでしょうか。

大崎海星は、デザインもすごくて、
総合学習も
1年:羅針盤学=自分を知る
2年:潮目学=社会を知る
3年:航界学=マイプロジェクト
みたいな。

「時代の航界士になろう」っていいコンセプトだなあと。

ということで、イベントメモを以下に。

~~~ここからメモ

オリエンテーション
「どこで」「誰と」「何を」学ぶか?

「どこで」:地域という実社会で学ぶ。手触りのある実物未来社会の箱庭で学ぶ
「誰と」:多様な人々と学ぶ。地域の子ども、都会からきた子ども、外国から来た子ども、地域で挑戦する人、都会から来た大人と学ぶ
「何を」:社会の縮図体験としての3年間を過ごす。自ら見つけたテーマに対し、自ら動き、失敗し、支援から学ぶ
未来の社会をつくる意志ある若者を育む「地域みらい留学」

津和野高校の取り組み
新しい進路実現
・探究や実践の場が溢れている。
・問題意識の醸成や学問分野への接続が容易にできる。
・個別化したサポートができる環境である。
多様な人による多様な寄りそいのカタチがある。

「私の島は・・・」と語るばあちゃんの衝撃。

いろんな人に会えるっていうか、かかわる大人の数と種類が多いっていうか、当事者に会えるんだね、地方では。思いを持った大人、本気な大人に。もちろん、東京にもいるんだろうけど、出会えないんすよ、高校生っていう同質性集団の中では。

なりたい職業じゃなくて、どうありたいか?
→人によりそう暮らし、働き方がしたい
→鍼灸の専門学校へ。

細川さんは、ネットで「公立高校 寮」で検索して地域みらい留学にたどり着いているんだよね。
だとしたらトガッたコンセプトでウェブつくるって大事だな、と。

「どこの高校がいいのか?」
から
「どんな高校生活をしたいのか?」
っていう問いへ。

いろんな考えの人、特にタイプの違う人に話を聞けるかどうか。
⇒同質性集団から抜け出せるかどうか?

白馬高校のプレゼン。
こんな人におすすめ
・白馬でやりたいことがある
・多様な価値基準を受け入れられる
・人と協働することが好き
・新しいことにチャレンジできる

反対に、3つの誤解
1 白馬にいけば変われる⇒本人が変わらないと
2 個人の希望を優先できる⇒全日制の公立高校
3 平日でもスキーやスノボいける⇒いけない

メッセージ
1 何を学びたいのか?
2 広く学ぶ覚悟はありますか?
3 白馬で生活する覚悟はありますか?

少人数であるから多様な人に出会い、話をすることができる。地方こそ多様。

高校は生徒に正解を提示してあげることはできない。
「経験」という機会を提供することしかできない。

「職員室」は「センセイオフィス」へ。

隠岐島前高校のプレゼンもシンプルでよかった。

主体的に課題を見つけ、他者と協働して、解決まで粘りづよく取り組むこと。
それができるなら、どこの高校でも同じ。

気づく→考える→話し合う→実践する・巻き込む→ふりかえる。

「困った」って言ってくるまで助けない。
何もしゃべらないチームがあってもすぐに助けない。
困ったときに困ったと言えること。

答えのない課題は現場にあふれている。現場が近いという価値。

「正解」を探す力はネットやAIに敵わない。

「問い」を立てる力を育むこと。
どうしたら解決できるんだろう
何が本当の原因なんだろう
誰が困っているんだろう
私たちにできることは何だろう

10は1000よりはるかに小さいが、10分の1は1000分の1よりはるかに大きい。

1番の学びは寮生活の中にある。暮らしの中っていうことか。

挑戦のカタチは何通りあってもいい。
ひたすら寮で靴を揃えていくという挑戦もある。

「社会課題を解決する!」よりも、
(具体的な)誰かの課題を(当事者として)解決する!
ってことが大事だ。

ダイヤモンドはダイヤモンドでしか磨けないように人は出逢う人によって磨かれる。

高校時代に地域の高校へ進学することが新しい選択肢になる。
日本の課題に触れること。多様な人につながること。
地域がまるごと教育資源になる。

プロジェクトにとって大切なのは、真正性、つまりリアルであるということ。
地方にはリアルが詰まっている。

県外生徒がもたらしたもの。

低意欲の生徒襲来→意欲格差→挑戦格差
そこからじわじわとよくなっていく。
自地域肯定感が自己肯定感につながっていく。
誇りが必要なんだよね。生きていくには。

県外生徒募集をきっかけに教育の魅力化について大人自らが探求すること。
「高校魅力化」それこそが社会インパクトを生み出すと信じて覚悟を決めた人たちの集まりだった。
覚悟のようなものが必要。結局、誰がやるんだ?っていう。

高校存続プロジェクトから高校魅力化プロジェクトへ。
存続を目指しても存続しない。魅力がないと行かない。
高校魅力化って問いなんだと。自らが探求し続けないといけない。

キーコンセプトを決めること。
大崎海星の航界人、みたいな。
それをこういう地域の素材を使って学ぶことができます、と紹介すること。

魅力は地域の中にすでにある。
それを引き出していくプロセスにも魅力が生まれる。
キーコンセプトを人々との多様なプロセスによってつくっていく。

そして常にキーコンセプトを刷新し続けること。

課題は地域の現場にあるがソリューションは世界中にある。

都会では学べないことがウチの地域では学べます。
一緒に探求しよう、と言える人がどれだけいるか?

地域みらい留学を新しいキャリア教育の営みにしていく。
偏差値じゃない価値、自分軸で決める価値で自分の枠と地域の枠を超えていく。
地域の子どもにも外を見せることができる。

他者、つまり多様な大人と、多様なプロジェクトを行うことの意義。
プロジェクトの中で、一緒に活動した誰かが「オマエには才能がある」って言う瞬間をつくること。テクニックではなく、リアルで。
その一瞬で、生きていくモチベーションは数倍になる。そしてそれは早ければ早いほど効果が高い。

隠岐島前高校の豊田さんのプレゼン。

プロジェクトをデザインする際に重要な要素
・Authenticity(真正性、信頼性)
つまり、リアルであること。

超人口減少、超少子高齢化、財政難
日本の重要課題の最前線
しかも「人、物、金がない」
ここでの挑戦が日本の未来を切り開く。

「教育魅力化を阻む免疫のようなもの」
・学校教育を考える際の「地域文脈」へのアレルギー
→「教育文脈」と「地域文脈の2項対立構造
・新しい学びのあり方(新学力観)へのアレルギー
→「従来の教育観」から「新しい教育観」への転換
・多忙化へのアレルギー
→「業務改革・働き方改革」と「教育改革」は車の両輪
・異文化、異質なものを受け入れることへのアレルギー
→自分たちを肯定してくれない人たち、よくわからない人たち

自分たちにとっての学校や地域にとってのいい教育を
関係者の中で対話しながら探究・実践しつづけること。

・県外生徒募集に高校が関わるのは大変
※その先に何があるのかはあとの話
・教員が疲弊するのではないか
・自校は特徴がないのではないか
・外に開いたところでやる価値はあるのだろうか

〇多様性がもたらすもの
・新しい価値観との出会い
→最初は戸惑地
・自身や自地域のよさの言語化
→自己肯定感、自地域肯定感
・視点、視座が増える

自分とは違った環境で育った友人がいる
隠岐島前高校63%
島根県内 41%
島根県外 28%

~~~ここまでメモ

とまあ、こんな感じ。

結論的には「地域みらい留学」には
・特徴的なカリキュラム
・寮の支援体制
・公営塾の充実
の3つが必要なのだなと。

高知県の嶺北高校や広島県の大崎海星高校のように
初年度から生徒を集まられる高校があるということ。

キーコンセプトを明確にして
そこに向かって上記の3つを組み立てていくこと。
そういうことが必要なのだと実感した。

そしてもうひとつ、
いいタイミングで手にしていた本。


「仕事なんか生きがいにするな~生きる意味を再び考える」
(泉谷閑示 幻冬舎新書)

この本の終盤を読んだら、
なぜ、僕がここにいるのか、少しわかった気がした。

詳しくはまた別のブログに書くこととして、
今日は一番ヒットした一節を書き出す。

「芸術家は人生についての考え方を世界に教えている。金だけが大事だと信じている人は自分を欺いている。芸術家が教えているのは、小さな子供が無心で遊ぶように、人生も熱中して遊ぶべきだということである。ただし、それは成熟した遊びである。人の頭脳を駆使した遊びである。それが芸術であり、革新である。」(ロバート・ヘンライ)

たぶん。
高校魅力化とか、
地域と協働とか
マイプロジェクトとかって
結局ここに集約されていくのではないかな。

「人生も熱中して遊ぶべきだ」

伝えたいメッセージってそういうことなのだと思う。
最高の遊びとしての学びを、高校時代に経験しておくこと。
それって、めちゃめちゃ大きいと、僕は思うんですよ。  

Posted by ニシダタクジ at 14:52Comments(0)学び

2019年06月21日

「問い」=「切り口」+「ミッション」

6月18日早朝のラジオ深夜便。
睡眠のことを研究している
生物学者の柳沢先生のコメントが
タイムリーだった。

ラストの2つのメッセージ。

よい問いを見つけることはよい解き方を見つけることより難しい。

真実は仮説より奇なり。

生物(自然界)の法則と
実際社会で起こっていることって
リンクしているよなあと思うのだけど、
この2つはまさにそうだなあ、と。

学校教育は、
解き方ばかりを教えてきたのではないか。

目指すゴールがあった。
その前提として「効率化」という絶対的価値があった。
「工業社会」とは、おそらくはそういう世界だったのだろうと。

もちろん、今でも「効率化」は価値でないことはないのだけど、
「効率化」だけでは価値を産めなくなっているというのが事実だ。

柳沢先生は、研究者にとって一番重要なのは、
自分が面白いと思う問いを立てるということ。

そういえば、内田樹さんが、
フランス文学の世界が面白くなくなったのは
「どのような研究をしたら評価されて、大学教員・研究者への道が開けるか?」
という視点で、研究領域を選んでいるからだと言っていた。

「問い」っていうのは、「切り口」(テーマ)と「ミッション(使命)」を合わせたもの、
ではないか。

没頭できる問いに出会うこと。そんな問いを生み出すこと。

僕の場合は、
2002年の中学3年生シンタロウとの出会いだった。

「15歳が自分と住んでいる地域を好きになり、自分と社会の未来創造へ向けて歩き出している地域社会を実現します。」

これは今でもツイッターのプロフィールに書いている言葉だけど、
こういう解き方のわからない問いを立ててみるってことですよね。

「どうやって?」

って聞かれちゃうやつ。
いいんです。
だからそれを「探求」するんですよ。

思えば、2002年にその問いに出会って、
「シンタロウはなぜ心を開いたのか?」っていうサブの問いが出てきて、
それを追いかけて本屋になったのかもしれない。

サルトル風に言えば、
「実存は本質に先立つ」って感じなのだけど。

「問い」を立て、未来に向かって自らを「投企」し、
それを振り返って検証し、次の仮説をつくる。

「問い」というのは「切り口(テーマ)」と「使命(ミッション)・目的」
の合わせ技である。

だからこそ、「探求」のモチベーションが維持される。

切り口(テーマ)に必要なのは、
ワクワクというか、「面白さ」そのもの。
「好奇心」。

ミッション(使命)に必要なのは、
強烈な体験、違和感・共感、そこから来る衝動、勘違い。

それらはひとりひとり異なる。
過去の記憶が突然蘇ってくることもある。
僕だったら、高校生のときに通ってた、たこ焼き屋のおばちゃんの物語のように。

たぶんその問いを持って、生きていくということ。

そして、柳沢先生の言うように、
「真実は、仮説より奇なり」と
仮説(問い)に依存しすぎずに、
フラットに世の中の現象を見て、仮説を再構築していくこと。

その繰り返し。
そこには終わりがない。

たぶんそれが「探究する」ってことなんだと思う。

そういう意味では、
「高校魅力化プロジェクト」っていう題材は、
ものすごく多くの切り口(テーマ)で切ることができる。

「教育」「地域」「観光」「マーケティング」「まちづくり」
「小商い」「キャリア」「動画つくりたい」「リノベ・DIYしたい」

などなど。
さまざまな切り口で切ることができる。
その切り口(テーマ)に、仮説を立てる。
それを実証、検証していくのだ。

「インターン」ってそういうことなのかもしれない。

そして、さまざまな切り口で切った人たちが
同じ場所、同じ時間を共有することで、
ブレイクスルーというか「創造」が生まれるのではないか。

イナカレッジで、
観光学部の学生が言っていた
「地域の宝さがし」

っていう「宝」は、もしかしたら
その仮説の先にあるのかもしれない。

「教育」の魔法。

それはあらゆるものを「(教育)資源」に
変えてしまうという魔法。

すべての地域資源は、地域課題を含めて、教育資源になり得る。

それは子どもたちだけじゃなくて、大人たちにとっても同じだ。
学びのための題材でしかない。

「高校魅力化プロジェクト」をさまざまな切り口(テーマ)で切っていく。
フィールドワークを通じて「共感・違和感・衝動」を経て、問いが生まれる。
それを探求し続けることで「創造」が生まれる。

「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせである」と
ジェームス・W・ヤングは言ったが、

「創造」っていうのは、
そうやって起こるのではないか。

ひとつの題材をいろんな角度から切り、光を照射し、
関係性を構築しながら対話し、「共感・違和感・衝動」を
エネルギーに問いを立て、検証していく。

それが同時に起こる「場」。
そこに「創造」があるのではないか、っていう仮説。

現代美術家(リレーショナル・アート)
としての次の作品がだんだんと見えてきました。

  

Posted by ニシダタクジ at 08:08Comments(0)学び

2019年06月10日

参加・参画社会への「シェア」


「シェアライフ」(石山アンジュ クロスメディアパブリッシング)
の話を聞いて、熱くなった日曜の昼。

せっかくなのでまとめておきます。
高校生にこそ聞いてほしい話だった。
未来の話。

~~~ここからメモ

英語を学ぶのは、グローバル人材になるためじゃなく、シェアの時代に生きるため。

個人の意思<会社・組織の意思への違和感。本当の幸せって何?問いをあたためた。
シェアリングエコノミーは、定義がない。たとえば江戸時代の長屋暮らしのこと。

東洋の思想からくるシェア。ニューエコノミーとしてのシェア。
「世界中の1000人とお醤油の貸し借りができるようになった。」

TABICA:みんなの当たり前が誰かの旅になる。
https://tabica.jp/

近所で、会って、助け合い
https://www.any-times.com/

持っているあらゆるものをシェアすることができる。シェアすることでコミュニケーションが生まれる。

個人が供給者になれる。⇒個人の社会参画革命

組織から個人へ。つながりの希薄化、孤独、貨幣価値に支配される価値観

「教える」をライフスタイルに。教育に正解はない。テクノロジーの助けによってあらゆるものが教育資源になる。

つながりシェア保育園
http://seiwagakuen.ed.jp/tyo/

あるものを組み合わせる。ブリコラージュ。
地縁・血縁・所属組織でつながる⇒消費・趣味・価値観でつながる

「シェアで居場所ができる」居場所っていうのが場所のことじゃなくなる。

シェアは「信頼」で成り立つ。

「信頼」の移り変わり
1ローカルな信頼
2制度に預ける信頼
3テクノロジーによる信頼

ピアツーピアでの「信頼」の構築。それは食べログみたいに「数字」なのか?っていう疑問。
レビューを含め、信頼の構築シーンにも自ら「参加」すること。

日本のシェア=共助と共創
人・企業・行政がともに創造する社会
「シェア」っていうのは壁を超えるためのツール。参加・参画社会へのもっとも簡単なテイクオフ

教育シェア宣言:秋田県
https://unleashmag.com/2017/10/03/edu-share/

教育をシェアするという社会実験
https://unleashmag.com/2017/09/22/social-experiment-edu-share/

~~~ここまでメモ

「シェア」

気軽に使っていたけど、
大きな大きな「ワールドシフト」
がその先にあるように感じた。

参加型社会。
最大のケアは、「参加」ではないか?

って去年の今頃は思っていたけど。

参加へのもっとも簡単な方法が
「シェア」なんじゃないかって思った。

コミュニケーションツールとしても最強だなと。

個人として、つながりのある個人として、
シェアの時代を生きていくというリアル。
それをものすごく感じた時間となった。

「シェア」へのシフトは止まらないだろう。

それはおそらくは
それ以前のシェアじゃない時代のほうが
もはや特殊だったのだ。

資源が無限にあり、
モノは無限にあふれて、
それを消費する人たちも次から次への生まれて、
経済を回していく。

ふと思ったのだけど、
「経済を回す」っていうのは、
「使い捨てをする」っていう事とはまったく違うニュアンスがある。

回すのだ。
シェアするのだ。

ということは、
経済が「経世済民」という本来の意味で使われるとするならば、
あきらかに「シェア」のほうが理にかなっている。

それにしても、僕がいちばんヒットしたのは、
参加・参画社会への「シェア」だった。

「シェア」することで、人は「参加」できる。
そのコミュニケーションの入り口に「シェア」がなるんだ。
そこに可能性を感じた。

そしてそれは、
田舎であればあるほどインパクトがあるのだろうと思った。
田舎こそ、テクノロジーを活用したシェアをやっていこうと。

その先を見てみたい。
そんなふうに思ったお話でした。

これから本読みます。  

Posted by ニシダタクジ at 19:20Comments(0)学び

2019年06月07日

高校生×地域が必要な理由

みらいずworksへ行ってきました。
角野仁美さんとお話。
問いが近い人と話すのは楽しい。

~~~以下メモ

昭和の学び VS 令和の学び

ネットが普及したことによって
知識伝達 速
知識の価値低下 速
持っている知識⇒知識生産力(課題解決力・価値創造力)
若い時だけの学習⇒一生・生涯学習社会
依存・受け身・丸暗記⇒自立・能動型の学びへ

「三人寄れば文殊の知恵」⇒対話
主体的対話的で深い学び

似た者どうしの集団から知恵は生まれない
お互い思いきり尖っているほうがベター

高校改革と地域魅力化の統合
1 高校のための地域:教育活動のために地域資源を活用する
2 地域のための高校:地域活動のために高校生を消費する
⇒3 人づくりと地域づくりの統合
高校生・教師・地域の大人が関わりあい、高校生・教師・大人がそろって変容する。

高大接続システム改革
アドミッションポリシーに明記すべき三要素
1 知識・技能
・何を理解しているか、何をできるか
2 思考力・判断力・表現力
・理解していること・できることをどう使うか
3 (唯一解のない問題に)主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度
・どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか

「主体性・多様性・協働性」「ふりかえり」を含む。

高校改革と地域魅力化を統合する道

「地域を残す」
→若者に「地元で生きていける力」をつける
→若者に「どこでも生きていける力」をつける
(その結果、地元でも・・・)
→次世代の能力を最大限に高める
→身近な地域で最大限の体験を積ませる
→世界(地域)に当事者性をもてるようにする
→若者の興味が地域とつながる支援をする
→若者が大人に信頼感を持てるようにする
→大人が若者に誠実に関わる

昭和(工業社会)の教育 VS 令和(ネット社会)の教育

定型作業に需要⇒価値創造に需要
人も規格品が有利⇒尖った人が有利
生徒は学校に従属⇒学校が個性を開花
管理強制⇒伴走
人や社会から遮断⇒人や社会と繋げる
学校で完結可能⇒学校で完結不可能

平成は世界の潮流に逆行して衰退した。

「コンソーシアム」設立の必要性

1 学校教育への支援
高校の教育課程に対する地域資源の供給
地域資源供給源としての「コンソーシアム」

★学校の特性
〇思考プロセスの指導力を持つ教師がいる
△多種多様な関心には対応が難しい

★地域の特性
〇小規模なら個別多様な関心に対応できる
△場は提供できるが思考法の指導は難しい

⇒学校で共通の題材で思考法を鍛えた上で
個の関心に応じた課題に地域で取り組む

2 社会教育への支援
高校生が学ぶ受け皿としてのコンソーシアム

令和の教育⇒芸術作品
・大人も若者も地域で一緒に挑戦する
・若者(高校生)ひとりひとりの「学びたい」「やってみたい」「成長したい」を教師・地域の大人が伴走しながら応援する。

「まち・ひと・しごと創生基本方針2018」より

◎地方創生に資する高等学校改革の推進

・高等学校は、地域人材の育成において極めて重要な役割を担うとともに、高等学校段階で地域の産業や文化等への理解を深めることは、その後の地元定着やUターン等にも資する。

・このため、高等学校が、地元市町村・企業等と連携しながら、高校生に地域課題の解決策等を通じた探究的な学びを提供するカリキュラムの構築等を行う取組を推進するとともに、進路決定後の期間を利用したインターンシップの充実等を通じて地元の魅力に触れられる取組等を推進し、地元に根ざした人材の育成を強化する。

・また、これらの取組を充実させるためには、高等学校と地元市町村等の地域の関係者の間で継続的に緊密な連携を行い、地域一丸となって取り組んでいくことが必要である。そのため、地域の関係者により構築するコンソーシアムの設置など、高等学校を活用した地方創生を進めるための地域の基盤構築について、事例等の紹介も行いながら推進する

◎浦崎先生の提言

高校生が「社会に参画する態度や能力」を高めていくために必要な「地域との関わり」は、地方の高校生のみならず、都市部の高校生にとっても必要な学習活動と言える。しかし、数年のスパンで考えれば、都市部の高校が社会の要請に対して十分な規模やスピードで変革を遂げる期待は持てない。すなわち、国の未来を切り拓いていく態度や能力を備えた次世代を育成するうえで、当面、地方の小規模校がもつ優位性は揺るがないと考えられる。

近年、「大学教育は学生の社会人基礎力を高める教育力を十分に備えていない」という調査結果が示された。この知見は「社会人基礎力が高校生時代にまでに決まることを意味し、企業等にとって、「偏差値の高い大学の出身者よりも社会人基礎力を確実に高める高校の出身者を採用したほうが有利である可能性を示唆し、新卒採用事情を一変させる潜在性を備えている。

ここで、社会人基礎力の向上度は、地域で大人と豊かな関わりをもつ経験を重ねた高校生のほうが大きいと考えられることから、「地元からの支援が手厚い小規模な高校ほど、国の経済再興に必須の教育機関として、経済界からの評価が高まる」将来も予見される。

また、当面、都市部の大規模な高校を変革する労力に比べて、都市部の中学生を地方の小規模な高校へ移転する労力のほうが圧倒的に小さいのは明らかである。よって、地方の小規模な高校に対する改革支援や、都市部の中学生を地方の小規模な高校へと誘う事業は、従来の「高校や地方自治体の存続」という文脈を超え、「国の将来を切り拓いていく次世代を、より速やかに、より大規模に育成していく上で、国策として推進する価値がある。と考えられる。

「社会人基礎力は大学入学後にはほぼ変わらない」(大学生白書2018 溝上慎一・京都大学)

従来の新卒採用
【前提】
社会人基礎力と学歴(偏差値)は相関する
【傾向】
社会人基礎力は出身高校による差はない
【仕組み】
偏差値の高い学生を採用したほうが有利

これからの新卒採用
【前提】
社会人基礎力と学歴(偏差値)は相関しない
【実態・可能性】
社会人基礎力は出身高校による差が大きい
【ありうる仕組み】
社会人基礎力を育成する力の高い高校の卒業生を採用したほういい

ありうる未来
【動向】
社会人基礎力をしっかり育成できる高校が
地方の小規模校を中心に増えている
【就職に対する優位性】
地方の地域連携に熱心な高校のほうが有利
【起こしうる流れ】
企業等が出身高校に注目して採用する
就職のためあえて地方の高校に進学させる

地域・高校魅力化コンソーシアムの設置

改革しない普通科高校が淘汰される危機

一人ひとりが個性・持ち味を最大限に開花するためには
学びの個別化が必要で、
「探究」:一人ひとりの興味や関心に対応
「教科」:一人ひとりのペースやプロセスに対応「N高等学校」など

「自分自身の成長」を実現できない高校へ
時間や金銭をかけて通学し、一日ガマンして過ごす価値は何か?
に答えられるか?

変革が困難⇒変革が容易

都市部⇒周辺部
危機感なし⇒危機感あり
感覚や情報が古い⇒感覚や情報が新しい
内向き・閉鎖的⇒外向き・開放的
全員一律指向⇒個別最適化指向
高校も地域も大規模⇒高校も地域も小規模

AI時代に必要な力

人間には容易だがAIには困難なこと
1 現場で「感じる」こと
2 問いを立てること
3 意味を味わうこと
⇒そのために「対話」が必要

若者を輩出する高校・地域の共通点
「どんな地域にするためにどんな人物を育てていけばよいのか」
「そのために、どのように役割を果たし合っていけばいいのか。」
に焦点を当てて徹底的に対話し、ゴールとストーリーのイメージを共有できている。

★次世代の成長度は大人の対話度を超えない。

高大接続改革
・大学には文科省から「選抜改革圧力」
・大学は高校の改革状況に応じて理由書等に充てる配点や定員を拡大
・高校の地域協働は後戻りしない段階
⇒従来型の学習だけでは合格は難しくなる
合格しても10年下の世代に職を奪われる

なぜ、「地域で探究」なのか?

★社会に出たときに求められる力
・よりよいアイデア・プランを生み出す力
・仮説:(Aをする)と(Bという結果が出る)はずだ。

仮説が正しければ、結果を出せるが、
仮説が間違っていれば、結果は出せない。

⇒より正しい仮説を生み出す力が必要

★より正しい仮説を生み出すためには?
・見立てにつながるヒント(気づき)を得る。
・自分の見立てが本当に正しいかどうか、事実に照らして検証する。
⇒現場で情報を収集することが必要
⇒地域に出て学ぶことが必要

「仮説が成立するか否かは、「前提条件が成立」するか否かによって決まる。
⇒各々の前提条件が成立しているかどうかを検証(=事実に照らして確認)することが重要
⇒現場で情報を収集して、仮説や前提条件を検証・修正することが重要・・・地域で学ぶ意味。

地域課題研究をどこまで究めるか?

1 思いつきレベルの提案
地域課題の講話・見学等
解決プラン(仮説)を形成(思いつき)
(思考プロセスに再現性・応用性なし)
⇒解決プラン(仮説)の提案(実効性なし)

2 妥当性がある提案
地域課題の講話・見学等
解決プラン(仮説)を形成
・前提条件の洗い出し
・仮説(前提条件)の吟味
探究プロセス:課題設定・情報収集・整理・分析・まとめ・表現
⇒解決プラン(仮説)の提案(実効性あり)

3 実践して仮説を検証

2⇒解決プランの実践(仮説の検証)
⇒解決プラン(仮説)の修正
一連の思考経緯を発表

「高校・大学・地域」連携事業
飛騨市・吉城高校での調査

採用等に関する地元企業への調査
・元気で提案力のある若手がほしい
・人柄や能力がよく分かった人物を採用したい
・多様な年齢層の社員と関われる力がほしい
★吉城高生の地域活動がさらに活発化すると
飛騨市(岐阜県)の企業が抱えている人材の育成や
採用に関する以下の問題が一体的に解決する可能性が高まる。

1吉城高生と地域行事等を活用して人間関係を上手に形成し、思いを共有することにより、
2大学等へ進学した後に「帰郷して貢献したくなる気持ち」が自然に高まるようにし
3帰省時に交流を重ねて、インターンシップ等へとつなげ、
4その延長線上で採用が実現する仕組みをみんなでつくっていけないか?

YCKプロジェクト(吉城高校)

YCKプロジェクトが成長の機会として
生徒・教師・家庭・地域から認められている。

よりよい未来につながる
学びを自ら作り出した経験

ふりかえりによる「成長過程の自覚・言語化」

ふりかえりの例
1 before after
Q何がきっかけでどのように変わったか?
「変わる前」と「変わった後」を対比しよう!

before
・大人は別世界の人で話すのは億劫
・自分に世界を変える力はない
・考えるのは無駄だし面倒くさい

勇気をもって自分の考えを発表したら、
大人の人たちがしっかり耳を傾けてくれて、
自分の考えが全体の企画に反映されて、とてもうれしかった。

after
・大人も同じ世界の人で普通に話せる
・自分は地域を変えられる
・アイデアを考えるのが楽しい

2 文章化
今回のプログラムに参加する前、私は、「大人は別世界の人」と思っていて、話すのはとても億劫でした。また、自分に地域を変える力はないと思い、地域をよくするアイデアを考えるのは無駄なことだし、面倒くさいと思っていました。

そんな自分が変わるきっかけとなったのは、2回目の企画会議でした。そのとき私は勇気を持って「スタンプラリーをする」という自分の考えを発表してみたのですが、大人の人達は私の提案にしっかり耳を傾けてくれて、しかも、私の考えは企画に反映されることになりました。「三寺まいり」の本番でも喜ばれ、とてもうれしかったです。

この体験を通して、私は、「大人も同じ世界の人」という感覚を持てるようになり、実際、普通に話せるようになりました。また「自分は地域を変えられる」という気持ちをもつことができ、以後、地域をよくするためのアイデアを考えるのが楽しくなりました。

問:科学基礎で学習する以下の内容についてツッコミを入れなさい
様々な物質の中には、ダイヤモンドのように「硬く、沸点や融点が高く、常温では固体のグループもあれば、ドライアイスのように「やわらかく、沸点や融点が低く、常温では液体や気体のグループもある。

ツッコミ例
「硬い物質の沸点や融点は必ず高いのか?」
「硬い(軟らかい)グループの共通点は何か?」
「なぜ「硬さ」や「沸点・融点」が違うのか?」

Q物質をつくる粒子どうしが引き合う結合の強さが異なると
物質の性質にどんな違いとなって現れるか?

・結合力が強い「共有結合」の物質は一般的に
1沸点・融点 2常温では固体が多く 3硬い という共有点がある。
2結合力が弱い「分子間力」ではその逆
3以上、結合の強弱は1沸点・融点の高低2三態3硬軟の差として現れる

「ふりかえり」によって見方が深まる例
物質の「沸点・融点」「常温での状態」「硬軟」の三者には
互いに関係などなく、各物質の特徴は暗記するしかない。


粒子を結合する力の強弱は、
1沸点・融点の高低2三態3硬軟の差として現れることがわかった。

「普通科目の学び方」を変えるかも

たとえば「よりよい仮説を生み出す力」は
・普通科目で習得する
「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」等と
かけ離れて存在するものではない。
・むしろ普通科目ならではの力を十分に習得した先にこそ存在する
⇒「各々の授業科目でつけるべき力は何か?」を高い視点から見て学んでいく必要がある。

昭和の教育:工業製品をつくる
学校で先生が教え、生徒は「教えてもらう」硬い組織に従属する規格化された者を量産
⇒保護者の関心は「わが子」だけ(地域に無関心)

令和の教育:芸術作品をつくる
・保護者、地域の大人も若者も地域で一緒に挑戦する
・若者(高校生)一人ひとりの「学びたい」「やってみたい」「成長したい」を
教師・地域の大人が伴走しながら応援する

大人の対話性 VS 生徒の価値創造力

★大人の対話姿勢なし
⇒学びの場が学校に閉じたまま&校内もバラバラ
⇒授業で興味喚起に時間を消費&教科間で相乗効果発揮できず

⇒探究(知識生産法)を授業に導入する余地なし
⇒知識注入以外に手立てなし→知識注入に躍起
⇒「待ってれば先生から知識が貰える」習慣定着
⇒&自ら対話的に知識を生み出す力は育たず
⇒貰った知識で大学に進学できても職場で生産性を発揮できず
⇒教え子は低賃金&長時間労働(教師も)
⇒生活に余裕なし→大人に対話姿勢なし→・・・

★大人の対話姿勢あり
⇒学びの場が生活・地域に拡張&教師が協調
⇒授業に余地拡大&教科間で相応効果発揮可能
⇒探究(知識生産法)を授業に導入する時間充足
⇒考えた帰結として知識を獲得できる授業が可能に
⇒探究的な学びが拡大
⇒生徒に「主体的に考える」習慣定着
&「自分達で対話的に知識を生み出す」力が向上
⇒大学入試時に知識量で負けていても追い越し可能
&職場でも生産性を発揮
⇒高賃金&短時間労働
⇒豊かで文化的な生活⇒大人に対話姿勢あり

立派な若者が群出する高校・地域の共通点

「どんな地域を実現するためにどんな人物を育てていけばいいのか」
「そのために、どのような役割を果たしあっていけばいいのか」
に焦点を当てて徹底的に対話し、ゴールとストーリーの
イメージを共有できている。
次世代の成長度は大人の対話度を越えない

「社会に開かれた教育課程」
「主体的・対話的で深い学び」
「探究活動」
「大学入学者選抜改革への対応」
「カリキュラム・マネジメント」
「人口減少対策」
⇒種々の問題に対しては一体的な対処が可能。

協働的・本質的に対処すれば多忙化は解消
バラバラで表層的に対処するから多忙化する。

H27.8.26 中教審教育課程企画特別部会

【新たな学校文化の形成】

予測できない未来に対応するためには、社会の変化に受け身で対応するのではなく、主体的に向き合って関わり合い、その過程を通して、一人一人が自らの可能性を最大限に発揮し、よりよい社会と幸福な人生を自ら創り出していくことが重要である。

H27年に高校と地域の協働が加速

・教育再生実行会議 第6次提言(H27.3.4)
「地方創生を実現する教育の在り方について」
・中教審に「学校地域協働部会」設置(H27.4.14)
・18歳選挙権衆議院通過(H27.6.4)
・中教審「高大接続システム改革会議」中間まとめ(H27.9.15)
「思考力・判断力・表現力」「協調性」
・中教審3答申(H27.12.21)
「地域と学校の連携・協働/チーム学校/教員養成」
・「次世代の学校・地域」創生プラン(H28.1.25)

益田市・「新・職場体験」
対話を重視したプログラム

平成は公助肥大:画一化の時代
⇒共助再生で共助×公助の実現を

明治~昭和の興隆
・「工場労働者」→人も「規格性追求」
学校と地域(多様性)にバランスあり
大規模校・40人一斉授業に合理性あり

平成の失速
・「知恵の創出」が必要になったが人は「規格性追求」
個性や持ち味の徹底的な開花が必要
学校依存→個性を伸ばせる場なし
大規模校・40人一斉授業は弊害

★高校が地域と連携する際の留意点
地域課題研究の「傾向」
研究のゴールが「思いつきレベルの提案」になっている
「地域への関心を高める」ことは一応可だが、
「地域への貢献能力を高める」ことは不可

⇒学校としてとるべき「対策」
「貢献能力の向上」を第一義に打ち出す。
次の課題に応用できる再現性を育成する。

可児高校地域医療IPE

参加前:日々の勉強は、本当に、自分の将来につながっているのだろうか?」
参加後:「現場の厳しさを感じて、覚悟が固まった。」
「現職の方の思いや優しさを知り、心が温まった。」
「現職の方や大学生の言動から、今の勉強が、将来につながっているとはっきり分かり、不安や迷いが解消した」

★教育に対する立場の相違
1 高校教育の充実 授業内
高校の教育課程に対する地域資源の供給
(社会に開かれた教育課程)
2 社会教育の充実 授業外
児童・生徒が地域で学ぶ受け皿の創出
(地域学校協働活動)
3 児童福祉の充実

★学校の立場 VS 地域の立場

高校(学校教育) 機関 行政(地域振興)

人づくり  意識  地域づくり
地域で学ぶ 学習への期待 地域を学ぶ
学校(地域は協力者) 企画・運営責任者 地域(学校は協力者)
授業時間内 使える時間 授業時間外
当然あり(職務) 教職員の関与 最低限(校長の裁量) 

マイプロジェクト・アワード

身近な地域の課題に当事者意識をもった高校生が発揮する底力を知る貴重な機会
⇒学校の「囲い込み指向」と相反
教育課程外で、興味・関心の多様性に対応できる受け皿の提示が必要
⇒コンソーシアムとセットでマイプロを語る必要

~~~ひとまずここまでメモ。

ボリュームすごいな。
ちょっとここから分析していきます。  

Posted by ニシダタクジ at 09:18Comments(0)学び

2019年04月21日

「理由」はまだ、ない。

茨城県日立市・
株式会社えぽっくの「旅する冊子」プロジェクト
https://a-port.asahi.com/projects/tabisuru_sassi/

作戦会議という名の
参加学生の振り返りをやっていました。

1週間の合宿をしながら4つの企業の取材をした
取材型インターン「チームひきだし」。


写真は北茨城市・まるみつ旅館にて。

ひきだしの特徴は、
・毎日企業を取材してワークショップをしながら紹介記事を作成する。
・あらかじめ取材する企業が決まっておらず、企業を知らないまま学生はエントリーする。

学生の参加動機もさまざま。
「いろんな企業を知りたい」っていう前向きな理由(?)から

「インターンって行ったことないな、そういえば」
っていうちょっと気軽な理由。

「1週間で完結するインターン」
っていう時間ない系の理由。

「1週間実家から離れて暮らせる」
とか自由なのか不純なのかわからない理由。

うんうん。
これ、おもしろいな。
マーケティングに使える。

実家から1週間はなれて暮らす!みたいな。
1週間で完結するインターンシップ!みたいな。

逆にインターンシップを、
「ボランティア」するくらいゆるくしちゃうっていうか、
入口のハードルを下げるいう効果もありますね。

で、おもしろかったのが、やってみてどうだったか?の話。

ビフォアアフターで言えば、アフターは
・行って初めてわかることが大きかった。
・企業が直前まで知らされないのがおもしろい。
・楽しかった。自分が思っていたインターンシップと違った。
・マナー講座とかも学べてよかった。
・社長インタビューは最終面接みたいなもの。

っていうこと。
これ、いわゆる「得られる経験」みたいなところに書いてあるところ。

新たな気づきは、
・気づかないうちに、ホワイトカラー(オフィスワーク)志向になっている自分に気づいた。
・地元企業で就職先があるのか知りたかった。
・企業がわからないからこそ、「どうしてこの企業に?」と聞かれない安心感がある。
・スピード感と熱意と経験
・言葉にして伝えるのはむずかしい

僕が着目したのは、ここ。

企業がわからないからこそ、「どうしてこの企業に?」と聞かれない安心感がある。

それかも!
それ、大きいかも、って思った。

「どこの企業に行くのかわかりませんが、4社の企業の取材をします」

って言われたほうが予測不可能性が高まるし、

一番は、
どうしてこの企業に見学に来たのですか?
って聞かれない。

行動には理由があると、僕たちは教わってきた。

しかし、その理由は、
行動する前には、きちんとわからないのではないか。

「なぜ、その行動をするのか?」

っていう問いに答えられるのは、やってみた後になってから
なのではないか?

就職活動中の大学生も言っていた。
「志望動機」が明確に答えられないと。

「志望動機は?」
「それは入社した後に分かります。いまはまだ分かりません。」

そんな面接ができる会社があったらいいのに。

「理由」はまだ、ない。
でも、事後になって理由はわかるのかもしれない。

人はまだ、自分を知らない。
だから、「やってみる」んだ。
実験してみるんだ。

ひとまずは心のセンサーが
「やってみようかな」をキャッチして、
理由はわからずにやってみるんだ。

そして、後から理由がついていく。

株式会社えぽっくの提供する
「チームひきだし」プロジェクトは、

明確な目的・目標を決めずに、ひとまずはじめてみる、という、
「オルタナティブ就活」そのものな感じがしました。

2019年度も行いたいので、みなさまからの応援よろしくお願いします!  

Posted by ニシダタクジ at 05:48Comments(0)学び

2019年03月09日

未来を見たい人のための本





3月4日、愛知県のとある高校で講義。
最近はワークショップスタイルのものしかやっていなかったので、
講演スタイルは久しぶり。
2000年代生まれの高校生に、
余白おじさんは通用するのかドキドキしてました。

予告で先生が
「コミュニケーションのプロが新潟から来ています」
みたいなことを言っていたのでドキっとする。

ああ、たしかにプロフィール読んで、
なんのプロなのか?って問われたらそうなりますかね。(笑)

2時間(50分×2)続きの授業の時間をもらいました。

前半
ハックツの紹介ビデオからのその企画に至った経緯としての家庭教師の話、
お客は誰か?価値は何か?っていう話。

現代美術家とは問いを投げかけること、
余白デザイナーというフラットな関係性をつくるコミュニケーションのデザインの話。

コミュニケーション力とは、会話のスキルやテクニックではなく、コミュニケーション・デザインが重要だという話。

そもそもどうしてコミュニケーション力を高めないといけないのか?

第二次、第三次産業の比率のシフトと
「日本でいちばん大切にしたい会社」の話。
第三次産業へのシフトによって働ける人の輪が縮小した

後半
後半はツルハシ黄金期のビデオを見た後で閉店に向かうストーリーを話す。

予測不可能性と挑戦するな実験しようのコンセプト。
自信とは、やったことがある、っていうこと。

これからやりたいことの話。

本屋の話。
カメラマンデビューの話。
絵本出版の話。

「あいたくて」の詩の朗読。

ラストメッセージは「自分の感性を信じてほしい。」ってこと。大人よりずっと上回ってるはず。
そして、感性を実行し、それを振り返ること。

~~~とまあこんな感じ。

出てきた質問はコミュニケーションに関するもの多数。

・どうやったら友達ができますか?
・普段あまり話しませんが、せめて「おはよう」や「ありがとう」などのあいさつはしたいのですが、緊張して言えません。どうすればいいですか?
・話の話題が上手く決められない。どうすれば話題が出てくるでしょうか。
・話題に困ったときはどうしたらいいですか。
・コミュニケーションを上手にできるコツはありますか?
・コミュニケーションがとても苦手です。人と話したりすると言葉がつまります。どうしたらいいですか。
・人見知りを直す方法を教えてください。
・毎日のようにあう相手とのコミュニケーション方法について
・コミュニケーションで自分の意思を尊重することと他者の意思を理解することとどちらがより重要ですか?
・話すことが必要だと思わないので必要性を教えてください。
・相手に興味がない場合も必要ですか?
・相手のお気に召す話は人によりまずが、大抵これならダイジョウブとかありますか?
・年の離れた人や地位の離れた人とのコミュニケーションの方法
・コミュニケーションをするにあたって、いろんな気遣いをすると思うのですが、小さな子どもやお年寄りにはそれぞれどんな気遣いに気を付ければいいですか?
・なんで本屋さんなのにコミュニケーションするのか?

なるほど。
これ、僕が「回答」を答えるよりもみんなでこれを題材に話し合ったらいいかも。

「正解」じゃなくて、「仮説」と「実験」があるだけから。
そういうワークショップ型の授業をやりたいですね。

さらに、講演内容(と僕)に関する質問。
これ、答えていきます。

・閉店するとき、自分のやりたいことをみつけてあらたな自分の考えやアイデアでつぎやっていくことをきめていくのですか?
⇒「やりたいこと」というより、「お客」にフォーカスしているので、
「お客を幸せにする方法」としての「やりたいこと」は無限に出てくる。

・お店が閉店した場合、在庫や土地はどうなるのか?
⇒在庫は生産します。お店は賃貸だったので返します。
契約時に「原状復帰条項」を削除していたので、
閉店したときはそのまま返しました。

・一番困ったことは何か、どう解決したか?
⇒やはり運営費・改装費などの確保ですかね。
「寄付サムライ」などの制度を生み出して、
寄付によってカバーしました。

・なにをしている時がいちばん楽しいですか?
⇒新しいプロジェクトを考えているとき。わくわくしているとき。

・お金のやりくりは大丈夫か?
⇒あんまり大丈夫じゃないです。(笑)

・現代美術家とはなにか
⇒これは授業中に説明しましたが、
「問いを投げかける人」のことです。

・余白デザイナーというのは空間デザイナーと似ていますか?
⇒似ているかもしれませんね。
人がかかわれる余地というか余白を増やすという意味です。
空間的にも、精神的にも。

・働きたくないと思ってしまうのですが、どうしたらいいですか?
⇒いいですね~。
「やりたくないこと」を探すっていうのが、まずは大切みたいです。
働かないで稼ぐには?っていう問いを次にいきますか。
あるいは、なぜ、働きたくないんだろう?
っていうことかなあ。

~~~ここまで。
いちばん下のやつもみんなで話したいネタではあります。
上の質問には回答書を送ろうかなと思います。

そして、講義後の感想

▽▽▽ここから
見てて楽しそうに思える人だなと思う。

コミュニケーション「力」ではなく、コミュニケーション「デザイン」と聞いて、自分なりのコミュニケーションをすることが大事なんだなと思った。

デザインやアートにもいろんな解釈があって、こういうの新鮮だなあと思いました。コミュニケーションにも大事なやり方とかあって、「やってみよう」って思うことが多々ありました。とても奥深くて面白い2時間でした。ありがとうございました。応援してます!

コミュニケーションを必要と言わない人は初めてでした。お話聞けてよかったです。ありがとうございました。

たくさんコミュニケーションについて知れて、途中に言ってた言葉がいい言葉すぎてすごく心に響きました。一番最後の詩も感動しました。

コミュニケーションと言ってもただ言葉のコミュニケーションだけじゃないというのがより分かったと思います。大学へ上がるうえで不安な気持ちがあったけど、もう少し軽く考えても良いんじゃないかと感じました。

短い時間でしたが、「なるほど」「うんうん」といろいろと感じるものがありました。本屋さんもステキな場所で、もっと身近にたくさんあればいいのにと思いました。本屋さんじゃなくても、私自身が友達にとってあの本屋さんのような存在になれたらいいなと思います。人間関係で悩んだり、私ってなんだろう、って思うこともあるけど、それでも人が好きって言えるような人間になりたいです。

コミュニケーションをとる方法を少し変える(座る向きとか?)だけで変わってくることに驚きました。でも確かに変わってくるなあと思いました。

最後の詩、すごくよかったです。本屋もすごく行きたいと思いました。話もすごく良かったです。

不思議に思ったことは、すぐに声を出して発言したほうがいいとわかりました。失敗をおそれて挑戦しないよりも実験してみるほうがいいとわかった。よかったことなどの感想を書いたほうがいいと知りました。

本屋さんはコミュニケーションをつかわず本を買うというのがふつうですが、西田さんの本屋さんは本をハックツとかできるようにコミュニケーションを大事にしている本屋さんだと感じました。私が思ったのは本の発掘からコミュニケーションがとれているんだなあとビデオを見ているときに思いました。

ほかの本屋さんだとシーンとするような感じのイメージがあるのですが、西田さんの本屋さんはコミュニケーションを大事にしているん本屋さんだなあと思いました。閉店してしまったのは残念ですがビデオみていってみたかったと心の中で思っていました。

~~~ここまで感想

最後にいちばん、心に響いたもの

本屋さんのビデオを見てとても行ってみたいなと思いました。自分は小説が好きなのでとても気になりました。自分は生きることがいやになって死ぬことを考えた時がありました。なんで頑張って生きなくちゃいけないんだろうってすごく考えました。今でも考える時があります。そうなった時にヒントがもらえる本がすごくほしいです。かこを忘れたいです。未来を見たいです。それを教えてくれる本が欲しいと思いました。

ありがとうございます。
そんなに心を開いてもらって。

僕自身も、生きることが嫌になった時があります。
大学2年生、21歳のときでした。

僕は「環境」というキーワードで
1年浪人して、農学部に進学しました。

当時、深刻化している(と言われていた)
地球温暖化等の環境問題に対し、
自分が何かできることはないか?
と考えていました。

ところが。
学べば学ぶほど。
本を読めば読むほど。

そこには絶望しかありませんでした。

「20年遅かった。」
そんなふうに思っていました。

僕は大学に進学した意味を失った、
つまり「未来」を失ったのです。

なんのために生きているんだろう?
という問いへの回答を失った僕は、
日々を生きることがつらかったです。

そんなとき、
僕を救ってくれたのは1冊の本でした。
微生物技術を活用した農業に関する本。

これに賭けてみよう。

その農法で畑をやっている
新潟県内の農家さんに連絡をして、
会いに行き、話を聞きました。

大学の裏の空き地を勝手に開墾して、
畑サークル「有機農業研究会STEP」をつくりました。
サツマイモを育て、それにあまりに感動して、
みんなで畑をやりたいと思うようになりました。

1冊の本から、僕の人生は大きく動きました。

いま、書いていて思ったのですが、

僕がやりたい本屋は、そういう本屋なのかもしれません。
たまたま目の前に来た1冊の本に出会える本屋。

目的をもって、本を探しに行くのではなく、
ふと、本棚を目にして、手に取ったら、
その1冊から人生が動いていく。

そんな本屋のイメージが湧いてきました。
いい問いをありがとうございました。

さて。
そんなあなたに贈る1冊。

やっぱり
ポール・フライシュマンの「種をまく人」(あすなろ書房)
にします。



僕が「畑こそ人が集まる場になる」と直感した1冊。
京都の半農半X研究所の塩見直紀さんに贈ってもらった本。

舞台はアメリカ。
ゴミ捨て場になっていた空き地に
ベトナム人の少女が3粒のマメの種をまきました。
そして、毎日、様子を見にいきました。

それをアパートから見ていたおばさんは
「あの子は何か悪いもの(麻薬か拳銃か)を隠しているんじゃないか?」
と疑い、

少女がいない隙に、土を掘り起こします。
ところが、何も出てきません。
おばさんはハッと気づきます。
そこには芽が出たばかりのマメの種が3粒あったのです。

なんということをしてしまったのだ、
とおばさんは後悔し、
種を元に戻し、土をかぶせました。

そこからおばさんはマメのことが気になって仕方ありません。
日照りなのに少女が水やりに来ないとき、
自分がこっそり水をやったりしていました。

と。
こんな感じで物語が展開していきます。

ベトナム人の少女がまいた、3粒の種。
それはマメだけではなく、いろんなものが展開していく
「未来の種」だったのかもしれません。

そんなふうに、
いつ芽を出すか出さないか分からないけど、
いま、種をまいていくこと。
僕にとってはそんな気持ちになれる本です。

高校生とのライブは、
僕にとってはとても刺激的でした。

またいい問いをたくさんもらって、
僕自身もめちゃめちゃ学びと気づきがありました。
自己開示を引き出されました。

またお会いできたらうれしいです。
ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 11:14Comments(0)学び

2019年02月01日

「人を手段化しない」場のチカラ

2月3日の日曜日の胡桃堂喫茶店でのトークに向けて、
本の読みなおしと、過去ブログの整理。

健全な負債感を持つという豊かさ
http://hero.niiblo.jp/e472045.html
(15.8.24)

2700円のシュトーレンを買うということ
http://hero.niiblo.jp/e474894.html
(15.12.1)

第四次元の芸術
http://hero.niiblo.jp/e488654.html
(19.1.2)

「顧客」から入るか、「価値」から入るか
http://hero.niiblo.jp/e488667.html
(19.1.4)

「構想力」と「場のチカラ」
http://hero.niiblo.jp/e488729.html
(19.1.15)

このあたり。
もう一度読みつつ、本も読み返して行きます。

一番話したいのは
「支援の話法」だったり「場のチカラ」だったり、
「人を手段化しない」だったり、
「顧客」から入るか、「価値」から入るか、とかかなあ。

1人の「顧客」から入って、
それが多くの人にとっての価値になっていく
っていうのがビジネスの重要なことなのだろうけど。
まさに手紙を届けるっていうことなのだろうけど。

そこの継続とモチベーションとひとりひとりを大切にする、
と場のチカラみたいなやつがリンクしているように僕は思うのです。

そんな話をもやもやしたいなあ。  

Posted by ニシダタクジ at 09:47Comments(0)学び

2019年01月31日

クラウドファンディングそのものが「作品」になり得るのか

1月1日から30日間に渡ったクラウドファンディング
「バンド組もうぜ」みたいに「本屋やろうぜ」と言おう。
かえるライブラリー始めます。
が昨日の23:59に終了しました。

目標達成率は45%、参加(支援)した人は118名。
年代別では20代が46人30代が43人。
最終日のPV(ページビュー)は2710を記録。

たくさんのみなさんにシェア、応援、記事を書いてもらいました。
そして、今回のクラウドファンディングの目的は、
「本屋やろうぜ」って思ってくれる人を増やす、ということ。

なので、ツルハシブックスや暗やみ本屋ハックツなど、
本屋をやってみた人に寄稿してもらいました。

9名が寄稿してくれて、
だんだんと「場」が温まってくるのを感じました。

1月27日に投稿した
「ツイッター空間のような本屋」
https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/72057#main

まさにそういう「場」が生まれていきました。

その前日、26日には、
ツルハシブックスの店員サムライを長期にわたってやってくれた
増川葉月さん、妹で長野の伊那市でカリカリブックス(仮)を立ち上げた増川千晶さん。

その投稿を促したのは、
それまでに寄稿してくれた

暗やみ本屋ハックツの宮本さん、原さん、海津さん
ツルハシのお客さんだった笠原早希さん、
2015年の黄金期をつくった井上有紀さん
の原稿だったと思います。

今回のクラウドファンディングを
「本屋をやりたくなるようなメディア」にしたい
と思っていました。
そういう実験をやってみたいなと。

東京では会う人会う人に、
「かえるライブラリーの仕組みが分かりづらい。」と言われました。
ハックツの宮本さんのアドバイスを受けて本文を並び替えました。

たくさんの人が原稿を寄せてくれて、
それに対して僕が返信したり、
ウチノ食堂藤蔵というリアルな場で
「かえるライブラリー」について話したり、

そうやってだんだんクラウドファンディング上に
「場」ができていった。
そんな感じがします。

そして、1月27日夜。
「わたしも書いてもいいですか」と
野島さんからメッセージが来て、
28日朝、原稿を確認して、震えました。

1月28日10時16分更新
「19歳で焦っていた自分、24歳でうつ病になった自分へ」
https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/72112#main

ここから、一気に何かが始まったような、
そんな実感があります。
つられて僕も自己開示してしまったり、
たくさんの人が共感シェアしてくれたり、
一気に広がったように思います。

クラウドファンディング上に「場」は作れる。
もっと言えば、クラウドファンディングそのものが「作品」になり得るのかもしれない。
そんなことを思った最終日でした。

「作品」とは、「創造」が起こること。
誰かの心が揺さぶられること。
心に刺さる問いが生まれること。

そして、手紙が届くこと。
手紙を届けること。
手紙が届くことを願って、文字を差し出すこと。

そんなことがクラウドファンディング上に起こっていたのではないかと僕は思います。

「かえるライブラリー」はそれをリアルの場でもやろうという取り組みです。

「なぜ、本屋なのか?」
「だれに届けたいのか?」
「自分は何者なのか?」

そんな問いを抱えながら、船出をしていきたいと思います。
寄稿してくれた方、支援していただいた方、シェアしていただいた方、読んでいただいた方
大きなチカラをありがとうございました。

これからです。  

Posted by ニシダタクジ at 11:32Comments(0)学びかえるライブラリー

2019年01月30日

「何者かにならなくてもいい」

2000年代の初め、「プロジェクトX」というテレビ番組があった。

子どものころ大好きだったラグビー青春学園ドラマ「スクールウォーズ」のモデル、
伏見工業高校ラグビー部、山口良治さんも題材となり、
僕はおそらく10回以上見て、セリフを暗唱できるようになった。
(ツッパリ生徒と泣き虫教師)

「あのシンゴが、弥栄のシンゴが、伏工を受ける、伏工入ったらどないすんねーん。っていうシンゴが、いま学校の教師をしてくれてる・・・号泣」みたいな。(笑)

いま、新潟市図書館で借りることができるので、
たまに家族で見ているのだけど、
やっぱ「プロジェクトX」めっちゃいいね。

何作も見ていて思ったのは、
伏見工業・山口先生のような、
1人のリーダーをメインに取り上げた番組は
極めて少ないということだった。

たしかに、プロジェクトリーダーはいたのだけど、
ほとんどは、名もなきサラリーマン、技術者を
メインに取り上げている。

そして、その人たちのことは、
いまの僕たちはほとんど何も知らない。

昨日見たのは、
「通勤ラッシュを退治せよ世界初・自動改札機誕生」。

日本初めての自動改札機の導入。
阪急・北千里駅。
開発したのは、立石電機(現オムロン)。
弱小メーカーだった。

そんなこと知らなかったけど、
まあ、テレビだからある程度大袈裟につくっているのだろうけど、
でも、いいんだよ。

困難に挑んだ、名もなきサラリーマンたちがいた。

それだけは、よく分かる。

今回の「かえるライブラリー」のクラウドファンディングで寄稿してもらった文。
この8つを眺めてみると、あるキーワードがたくさん出てくることに気付く。

宮本明里さん:
「何者かになるための戦い」を続けるのではなく、自分の感覚を大切に、「何者でもないわたし」を受け入れる。 そんな空間を「本屋」でなら実現できるのではないか。 そんな「本屋」で出会った「何者でもないわたし」と一緒に、新しいことを始めてみよう。
~大好きなバンドが、解散した~
https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/70335#main

海津紗弥香さん:
他者より違う、人に褒められるような「何者か」になりたくて、「何者か」にならないといけないのではと、もがいているように見えました。
~何者かになりたいし、何者でもない自分も認めたい~
https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/71278#main

増川葉月さん:
だから、大学生になって突然、大勢の自分と同じくらいの学力の人たちの中に入れられたとき、「わたしはだあれ?」という謎が生まれ、
現代よく聞く大学生の悩みでもある、「自分のやりたいことが分からない」という悩みがわたしの中にも存在していました。
~「問い」が始まる本屋~
https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/72004#main

野島萌子さん:
ツルハシブックスで出会ったみんなになら会えるかもと思ったのを覚えています。不思議だけど、きっとそれは自分のことを「何者でもない人」として捉えてもらえると思ったから。「勉強ができる」野島、「活動的な」野島、「何事も諦めない」野島、ではなく、「何者でもない」野島として見てもらえそうな気がしたから。
~19歳で焦っていた自分、24歳でうつ病になった自分へ~
https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/72112#main

そして僕自身も昨日、書いてた。
いつのまにか僕は、「ツルハシブックスの西田」になっていた。気持ち悪かった。初対面の人に、「あ、あの西田さんですか?」と言われた。
~何者でもない大人に出会える場、何者でもない自分でいられる場~
https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/72205#main

「自分は何者か?」という問い。
「何者でもない自分」という不安。
それってどこから来るんだろうって思った。

この夏、「にいがたイナカレッジ」で思ったこと。
ひとりの個人としてプロジェクトに参加するのではなく、
場に溶けてしまえばいいって思った。
場のチカラこそがアウトプットを出すんだと思った。

「プロジェクトX」で表現されているのは、
「あきらめないこと」だったり、「リーダーシップ」だったり、
「チームワーク」だったりするのだけど、
僕がいま見れば、それは「場のチカラ」を高めたことによって
成果が出ているのではないか、と思った。
名もなきサラリーマンや技術者が、場に溶けていたのではないか。

おそらくは日本型の企業社会ってそういう社会だった。
仕事が終わっても上司と飲みに行き、
休みの日まで会社の人と一緒にレジャーを楽しんだ。
それは「場のチカラ」にとって重要だった。(結果論でもあるが)

「プロジェクトX」は2005年に放送を終了し、
2006年からは新番組「プロフェッショナル」が始まった。
プロジェクトではなく、「個人」に注目した。

2002年には、学習指導要領が改訂され、「生きる力」を重視するようになった。
いわゆる「ゆとり教育」である。
「総合的学習の時間」が始まり、先生たちの裁量に任された。
やれ、と言われるだけで何をやったらいいかわからない。
現場は混乱した。

「総合的学習の時間」とタイミングを同じくして始まったのが
いわゆる「キャリア教育」である。
(1999年の中教審答申に初めて登場)

そんな空気の中で世に出たのが、
「13歳のハローワーク」(村上龍 幻冬舎2003年12月発売)である。
その前の2003年3月にはSMAPの
「せかいに一つだけの花」が発売。紅白歌合戦のラストを飾った。

よく言われていることだが、
「13歳のハローワーク」には、「サラリーマン」という仕事が出てこない。
つまり、サラリーマンという大勢ではなく、
何らかの「プロフェッショナル」であれ、というメッセージを含んでいるようにも感じる。

いつの間にか、「キャリア教育」の名の下、全国の学校に「職場体験」、
あるいは「インターンシップ」が普及していくことになる。

この、職場体験の先進事例と言われる、
兵庫県の「トライやるウィーク」
(中学校2年生の5日間の職場体験)を調べていて、驚くことがあった。

1998年から始まったこの取り組みの5年目の検証に以下のようなまえがきが記されていた。

~~以下引用

兵庫県では、阪神・淡路大震災および須磨区における小学生殺傷事件以来、教育の基調を「教える」教育から「育む」教育へと大きく転換し「心の教育」の充実を図るため、体験を通して子どもたちが自ら体得する場や機会を提供し、児童生徒一人一人が自分の生き方を見つけるよう支援することを目的とした地域に学ぶ「トライやる・ウィーク」推進事業を平成10年度(1998年度)から全県下公立中学校2年生を対象に実施してきた。
 この事業は、学習の場を学校から地域社会へと移し、学校・家庭・地域社会の三者の密接な連携のもとに、生きる力の育成を図るものとして、兵庫県独自の取組として、文部科学白書にも取り上げられるなど、全国的にも高い評価を受けている。

~~~以上、平成15年(2003年)3月「トライやる・ウィーク」評価検証委員会 委員長 横山利弘(西暦は後付け)

・「教える」教育から「育む」教育へ。
・体験を通して、子どもたちが自ら体得する場や機会の提供
・児童生徒一人一人が自分の生き方を見つけるように支援すること
・学校・家庭・地域社会の三者の密接な連携のもとに、生きる力の育成

とあり、どこにも、職業観・就業観の醸成などというコンセプトは出てこない。
「職場」という題材を通して生きる力を育むための学びの機会の提供
がコンセプトである。

ところが、全国は「トライやるウィーク」をモデルに、
「キャリア教育」としての職場体験をするようになった。
目的は、職業観・就業観の醸成であり、端的に言えば、
「やりたいこと、なりたいものを見つける」ために行う職場体験である。

学級文庫には、「13歳のハローワーク」が置かれ、
カラオケでは「世界にひとつだけの花」が日本一歌われた。

そうやって子どもたちは呪われた。

プロフェッショナル、つまり何者かにならなければならない
という呪縛だ。

プロジェクトやチームワークにスポットを当てる「プロジェクトX」が放送を終え、
個人や技術にスポットを当てる「プロフェッショナル」にシフトしたのは、
時代の要請であるのかもしれない。

それでいったい誰が幸せになるのだろう?
って思う。

キャリア教育が突きつけるのは、
「プロフェッショナル」になるか、「奴隷」になるか
という究極の二択だ。

奴隷という言葉が乱暴すぎるなら、
「ゆっくり、いそげ」(影山知明・大和書房)の言葉を借りて、
操作者(オペレーター)と言おうか。
その職場に、「あなた」という「個人」はいない。
交換可能な「人材」としての自分がいるだけだ。

それは苦しい。

僕も2017年度は、そんな状況だった。
交換可能であることを前提に、
授業オペレーションのマニュアルを作っていた。

それだけが人生であると、とてもつらい。

ここ数年で出会った大学生を含む若者たちは、
僕の心が動くキーワードを持っていた。

・やりたいことがわからない
・自分に自信がない
・リーダーシップ・主体性がない
・「就職したい」けど「就活」したくない。
・「働きたい」より「暮らしたい」

その違和感のすべてを肯定したいと僕は思う。

・「場」のチカラを高める
・ひとりひとりを大切にする
・複数の自分を演じる

この3つを意識することで、
もっと楽に生きられると僕は思う。

やりたいことなんてなくても困らないし、
自信もリーダーシップも主体性も不要だし、
ただ、自分が溶け出せる「場」があればいい。

自分という「ひとり」を大切にしてほしいし、
それには「暮らし」という要素はめちゃめちゃ大切だし、
本当の自分なんて、一つじゃなくていいと思う。

「何者かにならなくてもいい」

もちろん、何者かになってもいいんだけどね。
それはあなたの一部の顔であって、
本当のあなたの全てではないことを、
僕たちは知っているから。

そんな手紙が届くような本屋を、ライブラリーを、
僕たちはつくりたい。

クラウドファンディング30日目。
素敵な思考の場と機会をありがとうございました。

最後まで、よろしくお願いします。

  

Posted by ニシダタクジ at 10:00Comments(0)学びかえるライブラリー

2019年01月29日

何者でもない大人に出会える場所、何者でもない自分でいられる場所

「かえるライブラリー」クラウドファンディング残り2日。
昨日の野島さんの寄稿は衝撃だった。
「本屋、やりたい」って僕も思った。

「読んだ人が本屋をやってみたくなるような原稿」
というテーマで、8人の人が原稿を寄せてくれた。



暗やみ本屋ハックツを2015年に東京・上石神井で一緒に立ち上げた
宮本さん、原さん、海津さん。

宮本さん「大好きなバンドが、解散した」
https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/70335#main

原さん「気づいたら本屋になっていた」
https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/70679#main

海津さん「何者かになりたいし、何者でもない自分も認めたい」
https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/71278#main



ツルハシブックスのお客さんで、テレビの特集に出てくれた笠原早希ちゃん。
「自分の世界が広がるサードプレイス」
https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/70932#main





ツルハシブックスの店員サムライで一緒だった有紀ちゃん、葉月ちゃん。

有紀ちゃん「口から出る言葉以上のものを本に乗せて届ける」
https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/71646#main

葉月ちゃん「問いが始まる本屋」
https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/72004#main



葉月ちゃんの妹で、2016年に長野県伊那市にカリカリブックス(仮)をつくった千晶ちゃん。
「なぜ大学に行くんだろう?」
https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/72038#main

そして野島萌子。(なぜか野島だけフルネーム敬称略。笑)



「19歳で焦っていた自分、24歳でうつ病になった自分へ」
https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/72112#main

この8つのレポートが全部心に刺さる感じ。
最後にトドメ刺されたって。

クラウドファンディングも「場」になるんだって思った。
「場」によって引き出された「私も書きたい」っていう気持ち。

それは、「参加のデザイン」であるかもしれない。

ツルハシブックスのコンセプトは、
「気がついたら私も 本屋という舞台の共演者になっていました」

劇場のような本屋ではなく本屋のような劇場を目指した。
その瞬間瞬間に即興演劇が起こるような、そんな本屋さん。

その本屋がピークを迎えたのが2015年12月だった。
その映像がこちら。

https://www.youtube.com/watch?v=bYq8iDb_ei4

山田店長のラストの言葉、
「これがツルハシブックスの日常です」に、シビれる。

野島の言葉を借りれば、
何者でもない大人に出会い、話をする中で、
何者でもない自分にも出会える場所。

でも、何者でもないからこそ、
その場に与えられた状況に応じて
店員を演じ、お客さんを演じ。
師匠を演じ、また弟子を演じ。
通りすがりのおじさんを演じてきたのだろうと思う。

その一瞬一瞬がかけがえのない瞬間だった。

僕は2014年に
ツルハシブックスがソトコトの本屋特集を飾り、
地下古本コーナーHAKKUTSUがNHK全国放送
になったとき、なんとも言えない違和感を感じていた。

いつのまにか僕は、
「ツルハシブックスの西田」になっていた。
気持ち悪かった。
初対面の人に、「あ、あの西田さんですか?」と言われた。

いや、僕は、「あの西田」ではない。
目の前にたしかにいる普通のおじさんである。

その頃読んでいた本。
「40歳のためのこれから術~幸せな人生をていねいに歩むために」(松浦弥太郎 PHP研究所)

「40歳はリセットすべし」って書いてあった。
おお。マジか。って思った。
僕は茨城に行って、40歳のただのおじさんになってみることにした。



大学という場で自分が通用するのか不安だった。
でも、実際は、通用した。(自称)

それと同時に、東京に出ていく機会が増えて、
素敵な同世代の活躍ぶりを見た。
クルミドコーヒーの影山さんもそのひとり。
ちょうど2015年に「ゆっくり、いそげ」(大和書房)が発売されて、
震えながら一気に読んだ。

そんな人に何人も会い、
何者でもない自分に気づかされた。
「何者でもない自分」を受け入れるには時間がかかった。

そして僕は、
大学で返り討ちにあってしまい、新潟に戻ることになった。

新潟にいても仕事がないので、
茨城や東京で少しずつ活動して、あとは旅に出ていた。



6月には新潟から車で九州まで行くという2週間の旅に出ていた。
「かえるライブラリー」システムをつくっていた、
と言えば聞こえがいいのだが、

野島萌子がわかりやすくうつ病になったように、
僕は、わかりにくく依存症になった。

旅依存症だった。

退職し、無職となったサラリーマンがなると言われる
「自分は世の中に必要とされてないんじゃないか?」と思うアレに
僕自身もなっていた。
たったの3年しかやってないのに。

成果を残したともいえず、
たくさんの周りの人に不義理をして茨城にいったのに、
お客だと想定していた大学生にもたいしたこともできず、
僕は新潟に戻った。
「ツルハシブックス」は、2016年11月に閉店していた。

昨年12月。
僕はようやく元気になった。
実は、旅依存症であることに、自覚症状はほとんどなかった。
脱して初めて、自分が依存症だったことを知った。

きっかけは、「まきどき村の米作り」の発売記念トークイベント。
20年前に人生を賭けて始めた畑サークル「まきどき村」。
それをいま、豊かさだと感じる人たちがいることを実感した。
かつての自分の感性を肯定できた。

ツルハシブックスは、最初から不採算事業だった。
大学生を地域企業に送り込む長期のインターンシップへ
学生を呼び込む方法論のひとつだった。

インターンシップ参加企業からの会員費や、
大学へのプログラム提供、新潟市とのコラボ事業等によって、
本屋の赤字をフォローするような運営だった。

早朝にデスクワーク、午前中に外回り、
午後からは本屋に立っている、そんな日々だった。

本屋に立っているとき、
一緒にインターン事業をやっていた高澤くんに言われたことがある。

「本屋やっている時が一番楽しそうでいい顔してますね。」

そうなんだ。
僕は、本屋に立つのが好きなんだ。
って今、思い出した。

電車の空き時間に、
はじめてお店にやって来るお客さんにとって、
僕は「本屋のおじさん」に過ぎない。

きっとそれが楽しかったんだ。

「本の処方箋」だって、
カウンセラーでもない本屋のおじさんが、ただ、本を選んでくれる。
そんなことで悩みが解決するはずがない。だからこそ、本当の悩みが話せるんだ。
そういうコミュニケーションを作るのが、ただ、好きなんだ。

「みんな本屋をやりたくなるような」クラウドファンディング。
誰もが、「どうして自分は本屋をやりたいんだっけ?」と考えるようなクラウドファンディング。
そんな「場」が作れないだろうか?っていう実験。

僕はただ、
本屋のおじさんでいられる場を必要としているのだなあと思った。

あなたも本屋、やりませんか?  

Posted by ニシダタクジ at 11:32Comments(0)学びかえるライブラリー

2019年01月27日

ファースト・アルバム

「フラットな関係性をつくるコミュニケーション・デザインが得意。」

とある応募書類書いてて出てきた言葉。
ああ、これをひたすら追求してきたのかもしれない。と自分の言葉に驚く。

だいぶ抽象的だから補足するなら、
「ひとりにフォーカスした場のデザインとチューニング・ファシリテーション」

これが最近やっていること。
ワークショップとかではそういう役割。

「西田さんはどこへ向かっていくんですか?」
「次は何をするんですか?」
と松本でツルハシブックスで一緒だった加藤さんに聞かれる。

アーティストだとしたら、
「ファーストアルバム」はなんですか?

それはもちろん、1999年にリリースした「まきどき村」というプロジェクト。


そこに込めた思い。

大学時代に
「野菜が育つ」という奇跡を体験したことによって、
農作業という自然との「つながり」を感じる行為
としての「まきどき村」を始めた。

そこから「人生最高の朝ごはん」が生まれた。
朝6時集合、農作業のあとに朝ごはんをつくって食べる。
当時は地元のおばちゃんがやっている朝市もあったので、
「地域」にも触れることができた。

そこから一貫して、僕は、
「フラットな関係性をつくるコミュニケーションデザイン」をやってきた。
というと、一貫性あるなと思うけど、

見た目上は、
インターン事業やったり、
本屋やったり、
大学に就職してみたり、

と、継続していないように見えるけどね。

それがやっと言語化できた
「フラットな関係性をつくるコミュニケーション・デザイン」
だった。

それを
「農」とか「本」とか「場」とか「ワークショップ」とかの
切り口で行っている、っていうのが今のカタチなのだろう。

「場」とか「ワークショップ」にフォーカスすると
「ひとりにフォーカスした場のデザインとチューニング・ファシリテーション」
っていうことが大切になるのだろうと。

たぶん、「かえるライブラリー」も、
その中のコンテンツである「新・OB訪問」も、

フラットじゃないコミュニケーションが
僕は苦手なんだ。
っていうか、耐えられないんだ。
って思った。

だから、畑やったり、本屋やったり、本の処方箋やったり、
ワークショップのファシリテーターやったり。
そういうことをやってきただなあと。

さて。
次の作品が「かえるライブラリー」。

本を通じて、フラットな関係性をつくるコミュニケーションデザイン。

いや、見えてきた。  

Posted by ニシダタクジ at 10:22Comments(0)学びかえるライブラリー

2019年01月24日

「一期一会」を演出するチューニング・ファシリテーション

茨城大学・iopラボのための「場づくりラボ」vol.4(18年度最終回)でした。

水戸駅から茨城大学行きのバスが貸切。
水戸駅からひとりも乗らず、下りず、終点につきました。
チャーター便感覚でタクシーより贅沢でした。笑







瞬間最大で14名くらい、延べ人数で22名がインフォメーションラウンジにやってきました




ヘビーユーザーな1,2年生に
いろいろ感想をもらったのだけど、
それはまた明日にでも書くとして。

昨日のまとめを。

前半はお茶を飲みながら、「キーワード・カフェ」
(明秀日立の永井さんの差し入れ)
vol.3から始めたワークショップ手法。

今回は、
前の時間に別件の打ち合わせをしていた2年生を巻き込み、
キーワードで話をする。

やり方は
1 付箋に個人が気になるキーワードを書き出す(3~5個くらい)
2 いったん無言で全員の付箋を見渡す。(3分くらい)
3 ひとりずつが気になるキーワードを選び、その人に説明してもらう
4 フリートーク

これが初対面には有効だなあとあらためて。
参加学生の感想。

・初対面の人同士でこんなに長く話し合えるツールがあるのがすごいと思った。
残ってるキーワードについてももっと話したいと思いました。

・しゃべらないとわからない人の内側にある興味を知ることができた。
知らない人との共通点をすぐに見つけることができる。
自らの知識や視野が広がる。くだらない話もできて楽しい。

・一見、どうでもよさそうなキーワードでも、その人にとっては興味のあるもので、話を聞いてみると、結構面白いものだった。
新しい発見ができた。

・自由なテーマだったので、色々なことを話せて、初対面の人とも楽しくお話しできたのでよかった
もっと規模を大きくしたいと思いました。

・自分の中で何が気になるのか考えることで自分の興味の移り変わりを客観視することができたと思う。
目を引くような書き方をするのも大切だと思う。一般的に見えるものでも話を聞いてみると面白いと思えた。
予測不可能性が場をつくる。

と。
なかなかいい時間になったようで。



前半終わりに、「解説」の時間を入れた。
場づくりラボ、今回のテーマは「チューニング」。

場のチカラを定義して
1 誰と
2 いつ
3 どこで
4 なぜ
5 誰のために
6 何を
7 どのように

の1~3が場のチカラを構成していて、
1~7が合わさるとプロジェクトになる。

その説明をして、
いかに1~3の場のチカラを高めるか、
ということで、「チューニング」の話をする。

「チューニング」とは、音合わせのこと。
今日この人が、あるいは自分がどんな音を出しているのか?
に注意を配るということ。

「チューニング」の前に、「心を開く」が必要で、
「心を開く」ためには「予測不可能性」というキーワードが重要になる。

たとえば、最初に、
「最近あったよかったこと」を言うのもそうだ。
そんなこと考えてなかったので、即興で考える。
その時にフワッと心が開く。

「キーワード・カフェ」は、
そのちょっと時間をかけるバージョンだと。
知らない人と仲良くなれる手法として、有効だなあと思った。

自分の書いた付箋が指名されると、
ちょっとうれし恥ずかしいみたいな微妙な感情になる。
あれもまたいいなと。

後半は、茨城新聞を使ったまわしよみ新聞をやってみた。

こちらは開発者の陸奥賢さんに直伝されたのだけど、
こんな感じでいいのかなと。

あらためてやってみると、
キーワード・カフェに近いものがあるなあと思った。

自分の関心のある新聞を切り抜き、
それをなぜ切り抜いたか、プレゼンテーションする。

まわしよみ新聞が優れているのは、
新聞がネタを提供してくれるということと
話題の予測不可能性はさらに高まるということだろうか。

「キーワードカフェ」がいいのは、
個人が話したいけど、話す機会があまりないことを
キーワードによって表現して、
それを指名してもらうことで、話ができるということ。



そして、振り返り。
全4回の場づくりラボを振り返る。
藤川くんが言っていた言葉が印象的だった。

場づくりにおいて、自分は場所(空間)が一番大事だと思ってきたけど、
それは安心感という意味で非常に重要で、
その上に、誰とやるか、いつやるか、というのが
毎回変わっていくので、それによって、場が変化していく。
そのあいだに、創造性があるのではないか、というような趣旨だったと思う。

たしかに、場所の安心感は重要だと思う。
椅子とかもめちゃめちゃ大事だ。
それは安定して高めておいて、
その上で「チューニング」によって、

1 誰と
2 いつ

というのを合わせて(高めて)いくのかもしれないと思った。

誰と、いつ
こそがその空間の「一期一会」性を高めていく。

そういうことを演出する
「チューニング・ファシリテーション」なのだと
あらためて思った。

さて、「チューニング・ファシリテーター」として、
次はどのように展開しようかな。

場づくりラボのまとめはまた次回に。  

Posted by ニシダタクジ at 08:55Comments(0)学び

2018年12月28日

未来に対して「フラット」であること

とある書類を書いていて、
「得意なことは?」って聞かれた。
ああ、なかなか最近そういう質問されないな。

こういう予想してなかった質問というか
不意な質問っていうので自分の中から
何か出てくることがある。

すっと出てきたのが、
「フラットな関係性をつくるコミュニケーション・デザイン。」

つくりたいのは、
・新しいことが生まれる
・ひとりひとりがケアされる
そんな「場」だ。

そんなことを思っていたら、
図書館で2冊の本に出会う。


「トライブ~新しい組織の未来形」(セス・ゴーティン・勝間和代訳 講談社)


「新・幸福論~近現代の次に来るもの」(内山節 新潮選書)

「トライブ」によると、
「工場」(的な働く場所)の2つの要素として、
1 「製品やサービスをできるだけ低いコストで量産する」場所。
2 「安定を求める人々」の存在。
が挙げられ、それらが機能しなくなっているという。

その理由は、
1 自分の信じる仕事に取り組むほうが充実感を味わえることに気付き始めた
2 「工場(ファクトリー)」中心のビジネスモデルが以前よりも利益を生まなくなった。
3 「製品」でないものにお金を使う消費者が増え、画一的なアイデアに時間を費やさなくなった。

そして「トライブ」の条件とは、
「共有する興味」と「コミュニケーションの手段」があること。
そして、リーダーがいること。
「つながり」と「成長」と「新しいもの」を求めていること。

これが組織の未来形なのだという。
なるほど。

そして内山さんの本は、まだ途中なのだけど、
「人々」という概念を生んだのが
国民国家の成立と資本主義社会の台頭なのだという。

個人はひとりの人間としてではなくて、
集合としての「人々」あるいは「国民」として生きている。
そのような虚無的な関係が、近現代の特徴なのだという。

そうそう。
それそれ。

おそらくは大学生が抱えている「違和感」の正体は
そこにあるのではないかなと。

「工場」(ファクトリー)的な働き方では、
もはや価値を生み出せないのだということ。
大企業の社員という「人々」でなくて、
ひとりの固有の自分として生きていきたいということ。

たぶんそこなんだ。

その社会に対して
「就活」の「自己分析」っていう手法では、
働き方というか「はたらく」が見えてこない。
そういうことなんだと思う。

僕が得意とするのは、
フラットな関係性をつくるコミュニケーションデザインだ。

たとえば、農作業。
草とりをしているとき。

たとえば、ミーティングのときのチューニング。
「最近あったよかったこと」は?

そのとき。
人はフラットになる。
農作業であれば自然に対して、
ミーティングであれば、予想外のことに対して。

そっか。
フラットっていうのは、
「何かに対して」、フラットになるっていうことなんだと思った。

これまでは「フラットな関係」っていうのは、
いわゆる「上下関係」のことを指していた。
それは、もしかしたら、時間軸が安定していたから、
つまり、未来が想定できたから、ではないだろうか。

先が見えない時代。
未来がわからない時代。

そんなとき、人は時間軸において、フラットになる。

たとえば、Windows95が発売され、パソコンが一気に普及したとき。
あるいは、ADSLが一般化し、インターネットの世界が一気に広がったとき。
twitter やfacebookが登場し、人と人がさらにつながりやすくなったとき。

そこには時間軸的な「フラット」があった。
誰もが「初心者」だったから。

「インターネットは世界をフラット化する」
と言われているけど、
それは同一労働同一賃金みたいな話だけじゃなくて、
未来に対して、時間軸的にフラットなのではないか。

そしてたぶん、それはこれからのスタンダードというか当たり前になる。

未来に対して、
熱海で本屋を始める19歳のとっくんと
44歳のおっさんである僕は、間違いなくフラットである。
たぶん、そういうコミュニケーションのデザインをしたいし、それが得意なんだと思った。

「まきどき村」
「人生最高の朝ごはん」
「ツルハシブックス」
「ハックツ」
「店員サムライ」
「寄付サムライ」
「ミーティングのチューニング」

ぜんぶ、そこに向かっている。

「フラットな関係性をつくるコミュニケーション・デザイン」

ああ、なんかひとつ宿題解けました。  

Posted by ニシダタクジ at 08:15Comments(0)学び

2018年11月26日

「ラボ」というゆるさと強さ

湯島・ソラでのミーティング。
http://solur.jp/


この場所をどんな場にしていこうか、っていう話。

1ヶ月半前、
10月4日に「NPO・NGO草莽の集い2018」
がこの場所であり、
10月5日に茨城大学で「iopラボのための場づくりラボ」
が開催された。

そのときのブログ。
http://hero.niiblo.jp/e488221.html
目的を持って始めないこと(18.10.6)

「暗やみ本屋ハックツ」活動に
20代や中高生が集まってくるのはなぜか?

という問い。

それに対して、
口をついて出た言葉が
前出のブログのタイトルでもある

・目的をもって始めないこと
・課題を解決しないこと

だった。

「つながるカレー」の加藤さんに出会い、

・「アマチュアリズム」には失敗は存在しない。
・「予測不可能性」こそがエンターテイメントの本質。
・「一期一会」を生み出し、感じてもらうことが場のチカラを高める。

ことを知った。

そしてそれは、
「挑戦」ではなくて、
「実験」なのだと最近分かった。

http://hero.niiblo.jp/e488367.html
挑戦するな実験せよ(18.11.7)

「挑戦」には「目的」「目標」があり、成功と失敗があるが、
「実験」には「目的」「目標」がなく、結果があるだけだ。
っていうこと。

で、
茨城大学・iopラボ2days

1日目の「場づくりラボ」では、少人数だったので、
つくりたい「場」の言語化が行われた。

2日目の「チームひきだし」報告会では、
企業の経営者多数、他大学の学生も交えて、
「場」のチカラのリアルを体感した。

ラボ、なんだって。
ラボに過ぎないんだって。
実験しているんだって。

そんなことを思いながら、
本屋に行くと、目の前に飛び込んでくる本があるから不思議だ。


「創造的脱力~かたい社会に変化をつくる、ゆるいコミュニケーション論」(若新雄純 光文社新書)

あの「鯖江市JK課」の若新さんの本。
過去に一度、ETIC.ギャザリングでお会いしたような。

このまえがきがまさにそのような
話が書いていて、
めちゃめちゃ共感したので抜粋します。

~~~ここから引用

そもそも、既得権にいる人たち全てをバランスよく納得させつつ、直面した問題を根本的に解決できるような都合のいい「差し替えプラン」など、あるはずがないのです。

経済学者のヨーゼフ・シュンペーターは、「創造的破壊」を唱えましたが、それは結果の話であって、現実には、その新しい活動や政策をつくりだすために既存のシステムや古い文化を正面対決で破壊しようとしても、なかなかうまくいきません。

古くなった社会システムが、ただの理論的な「システム」ならそれでいいかもしれません。しかし実際には、現実は生々しい「人間」の集合体です。

複雑な感情や思惑がうずまいていて、簡単には変化を受け入れてはくれないし、席を譲ってくれたりもしません。

僕は本当に変革が必要なのであれば、なんでも白黒つけようとする「勝負」や「答え探し」はもうやめた方がいいと思っています。

それよりも硬直化したシステムや複雑な人間関係を「ゆるめる」という脱力的なアプローチが大切なのです。

~~~ここまで引用

という前提で、
鯖江市のJK課の話へとつながっていく

▽▽▽ここからさらに引用

「JK課は、あくまで実験的なプロジェクトで、政策の本流じゃないですから」といった調子で、「ゆるいプラン」であることを強調しました。その結果多くの人が気軽に参加できる環境ができ、活動に広がりが生まれています。

「とりあえず楽しもう」「やりながらちょっとずつ良くしていけばいいじゃないか」という適度な脱力感が、「白か黒か」「成功か失敗か」という過度な緊張感を遠ざけ、すぐには結果の見えない実験的なプロジェクトに粘り強さをもたらしています。

「脱力」は「無力」ではありません。そして、それは「不真面目」でもありません。

「こういうのもあっていいんじゃないですか?」とか、「まずは実験してみよう」といって、本流ではないところで、周辺からアクションしてみる。既存のシステムや勢力を直接には攻撃してしまわない離れたところから、でも、ちゃんと見えるところから、それをやりたいという当事者たちが集まって、真面目に考え、小さくてもいいから、何かが変化するような振り切った実験を、真剣にやってみるのです。

失敗したならやり直せばいいし、もしうまくいったらなら、どんどん増やしたりひろげたりすればいい。

すると、そこに人や情報がどんどん流れてきて、いつかは本流にすり替わったりするかもしれません。

もちろん、新しい支流や一つの文化になるだけでもいい。これが僕の考える、「創造的破壊」ならぬ「創造的脱力」です。

△△△ここまでさらに引用

いいね、創造的脱力
さらに、その方法について
以下のようにイントロダクションしています。

↓↓↓ここからまた引用

目的やゴール、到達点が明確で、勝ち負けや白黒をはっきりさせたいプロジェクトやチームには、それにふさわしいまとめ方やまとめ役というのが必要なのだと思います。正しく状況を判断し、的確に情報を収集、分析し、権限を使って指示や命令をおこないながら、ときには破壊的な攻めにでることも必要なのでしょう。

一方で、すすんでみなければゴールがわからず、偶然の出来事や変化を受け入れながら学んでいくような実験的な取り組みにおいては、成果や正解を焦って求めすぎない脱力感と、そのプロセスを楽しめる柔軟性が必要です。

でも、ただ力を抜いてやわらかくしているだけでは、「まとまり」ができずバラバラになってしまいます。脱力しながらもうまくまとめていくためには、その場にいる一人ひとりの欲や好奇心、その場から得られる体験や感動をみんなで共有し、ときにはぶつかり合いながらもお互いを必要とするような、人間関係にみちあふれた「関わり合い」が必要です。

僕はこれを「ゆるいコミュニケーション」と呼んでいます。「ゆるい」というのは、「いい加減」ということではありません。

きっちりとは固定されていないのに、つながっている。
強制されているわけではないのに、参加している。
必要に迫られているわけでもないのに、欲している。
細かいことは決まっていないのに、全体としては成り立っている。

一見もろそうに見えて、実は「かたいつながり」以上の「ネバネバ感」があり、「まとまり」があるのです。

さらに「ゆるい」だけあって、平均からのズレや偏りを排除してしまわず、むしろその差や違いを吸収できる余白や「ゆらぎ」をもっています。つまり、「ゆるいコミュニケーション」は、一人ひとりの異なる価値観やライフスタイルをお互いに認め合い、それぞれの個性的なパーソナリティを引き出し合うことができる「成長の機会」なのです。

↑↑↑ここまでまだ引用

そうそう。
引用しまくってしまったけど、
なんか、これって「場のチカラ」のことじゃないかなと。

「ラボ」っていう場は、
そういうことを目指しているのではないかと。

「にいがたイナカレッジ」が生み出すプロジェクトも
そういう「ゆるいプロジェクト」なのではないか。
そしてそんな場を大学生たちは
切実に必要としているのではないか。

必要なのは、ラボ、なのではないか。
安心安全と偶然性のグラデーションの中にある
実験としての場。

場のチカラの構成要素である
・誰とやるか
・いつやるか
・どこでやるか
それを大切にしていくこと。

課題認識・目的・目標を共有して始めようとするから、
そこに参加する大学生は自分である必要がないと感じてしまうのではないか。

あなたとしかできない、この時しかできない、この場所でしかできない。
そういうプロジェクト、つまりラボに参加したいのではないか。

ラボ的なプロジェクトにおいて、
大学生は実験素材であり、
フィールド(地域、企業、プロジェクト)は実験器具である。

だから、募集の段階でも、
「このプロジェクトの目的・ゴール」や「得られる経験」
を明確にするのではなくて、

このプロジェクトのキーワードは、
「食」「本」「農業」「贈与経済」「コミュニケーション」です。
フィールドはこんな場所、住むところはこういう感じです。

あなた自身が持っている気になるキーワードと
なぜそれが気になるか?
を教えてください。

そうやって、
面談の段階でプロジェクトを組み上げていくような、
そういうラボを東京にも作っていくこと、なのかな
と思いました。

それはイナカレッジに限らず、
地域資源×都市の若者っていうキーワードの
プロジェクトにはすごい必要な場となるように思う。

半農半X研究所の塩見直紀さんが
「ひとり一研究所」の時代だと言っていたけど、

若者が地域で「実験」するための「場」をつくること。
それが僕なりの「学びあいの仕組みづくり」かもしれないなあと
思ってきました。

さて、年内に動きますよ~。  

Posted by ニシダタクジ at 11:08Comments(0)学び

2018年11月09日

いま、始めること

信州大学「地域ブランド実践ゼミ」
塩尻市‐信州大学包括連携協定
地域ブランド共同研究連携授業
の第7回授業に出てきました。


まずは山田さんから地域ベンチャー留学の説明。


今日のゲストは、「家族留学」など、
家族をキーワードに活躍する起業家、新居日南恵さん。

大学1年生の時に
「manma」をスタートした日南恵さんの
一言一言にスピードと臨場感があったなあ、と。

仕事の情報はこんなにたくさんあるのに
結婚の情報がない。
キャリアを考えるように、結婚を選択できるんじゃないか。

ということで立ち上げた。
当時19歳。
サービスは思いついたが、
始められる自信がない。

そんな彼女へのアドバイスが、
「いま(19歳で)始めなさい。」
だった。

「失敗しても大学生という肩書は消えないから
普通に就活すればいい。
もし10年続いたら、そのときは
ぜったいにあなたの右に並ぶものはいない。」

そして、もうひとつ、
自分はリーダー向きじゃなく
サポート向きだと思って尻込みしていると、

「やってないのに、なんでわかるの?
1年やって、失敗してから言えば?」
と言われた。

そしてやることを決め、
次に仲間を集めるフェーズ。

渋谷のカフェで3人で話して、
なんとなくmanmaという名前を決めた。

そして、一番おもしろかったのは、
彼女が「家族」というキーワードにいたった経緯。

彼女の大学1年生の時のキーワード。
「自己肯定」「スクールカウンセラー」「言葉の力」
など。
その中で「自己肯定」にフォーカスして、深めていった。

「自己肯定」

「ライフキャリアプランニング」

「家族のマネジメント」

というように掘り下げていったのだという。

そして、何より、行動してきた、ということ。
AorBで迷っていないこと。

「最後のメッセージ」



「どっちでもいいから、とりあえず決める」

彼女にとって怖いのは、「選んでいない状態」で進んでいくこと。
中途半端にやること。
途中でやめること。
「あれいけたかもな~」って思い続けること。

なるほど。
始めてみるっていうこと大事だ。

始められる人って、
「挑戦」じゃなく、「実験」だと思える人なのではないか。

失敗ではなくて、
結果が出るだけだと思える人なのではないかな。

キャロル・ドゥエック博士の
マインドセットの話にも通じる。
http://hero.niiblo.jp/e262963.html
(挑戦するのに自信は要らない2013.5.11)

自分の能力は変わらないという
固定的知能観と
やればやるほど自分は成長できるという
成長的知能観。

それは中学1年を境に、
どんどん固定的知能観へとシフトするのだという。

それは、「実験」することをやめてしまうから
ではないのか。
「挑戦」の呪縛にとらわれているからではないのか。

「実験」として始める。
そこなのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 18:25Comments(0)学び

2018年11月05日

「関係人口」で「地方」と「若者」が学びあう


「関係人口をつくる」(田中輝美 木楽舎)
の輝美さんにお会いすることができました!

「関係人口は定住者増のための手段ではない」

うん。
たぶんこれ、かなりの自治体の人が誤解している気がします。

いきなり響きあったのは、出版物のリレーの話。
出版物は以下の駅伝を走っている。

0走者:題材者・テーマ
1走者:著者
2走者:編集者
3走者:営業
4走者:書店員(書店)
5走者:読者

輝美さんは、第1,2走者を、僕は第3,4走者を
走りたいということ。
「存在を誰かに伝えたい」(作り方の編集)っていうのと、
「メディアをつくりたい」(売り方の編集)っていうのとは違うんだっていうこと。

第3、第4走者を肌感覚を伴った「リアルメディア」に
したいんだなあと。

それは大きな気づきだった。
僕はどちらかというと、第3走者以下を読者に寄りながら
作っていきたいのだと。
「駅伝を走りたい」という意味では同じなのだけど、
その走るポジションが違うんだなあと。

そんなことを思いました。
ほかにも話していて様々な学びがあったのでメモ。

~~~ここからメモと自分の感じたこと(ツイートメモ)

若者に「好きなことは何か?」と
聞きすぎるのはきついのではないか?

中身が空っぽなのに「アウトプットしろ」って言われ続けるのはつらいと思う。
「君は何をやりたいのか?」という問いの暴力。

「やりたいこと」じゃなくて、過去に「心動いたこと」があって、
それを起点にプロジェクトをつくっていくほうが
当事者意識とモチベーションが高くなると思う。

その「心動いたこと」をつくるために、
学校外の「場」が存在しているような地域社会。
その場に参加する機会を提供するための本屋。

「地域再生」っていう大テーマに向かっている。
「教育改革」も「風の人」も「関係人口」もそのための手法。

「思考停止」こそが絶望。「考え続けること」でしか希望は生まれない。

「他者」と出会うと揺さぶられるが、「他人」を目の前にしても揺さぶられない。
都会では「他人」が多すぎて「他者」に出会えないので揺さぶられない、心が動かない。

「イナカレッジ」と「アイデンティティ」。このテーマは深めたい。
都市は「機能」に分化していて、田舎は未分化である。
田舎では「機能」としてではなく、ひとりの「存在」として承認される。

「関係人口」とは、
「地方」と「若者」が共に学びあう関係である。

「関係人口」⇒「課題解決」
「地方」と「若者」双方の課題を同時に解決する

「交流」⇒「定住」
   ↑
ココのプロセスに関係人口があるわけではなくて、
そのあいだの概念というだけ。

住む、住まないではなく、
地域(と都市部の若者)の課題を解決する手法として
「関係人口」があるのではないか。

「定住」に向かっていくのは人口減少時代には無理筋。
⇒他市町村との競争を激化させることに未来はあるのか?

「誇りの空洞化」をどうするか?

「地域を維持」することより、
ひとりひとりが「誇り」を持って死んでいくこと。

「大人のアドバイス」には
「なんでですか?」と問いかける。
⇒たいていがお金だったりくだらない理由でアドバイスしている。

~~~以上メモ

キーワードだらけ。
いろいろ気づいた。

「地方」と「若者」。
どちらかというと、「若者」視点から
この10年、自分は考えてきたのだなあと。

その上で、
「なぜ、本屋なのか?」
という問い。

そうそう。
本屋は手段であって、目的ではないからね。

現時点で整理すると、

エンターテイメントの本質は「予測不可能性」で、
「予測不可能性」がもっとも得られるのは学ぶこと本を読むことで、
「学びあいのデザイン」と「学びの機会提供」をして、
日々を考え続けるエンターテイメント化すること。

その「学び」のフロンティアが「地域課題」であり、
「学び」のパートナーが「地域住民」と「関係人口」(都市住民)となる。

またその根っこには、
若者自身の「アイデンティティ」の課題があり、
「ふるさと難民」などはそこにあたる。

「アイデンティティ」の課題を解決するには、
「未分化」な地方に身を置いて、存在承認の機会を得ること、
「場のチカラ」を感じることと、
「チューニング」によって、思ったことを言えるデザインをし、
場に自分を溶かしていくこと。
そして場のチカラでアウトプットするという繰り返しをすること。

そうやって、「アイデンティティ」そのものを
相対化、他者化していくことが可能なのではないかと感じた。

輝美さんに言われた宿題。
「それを一言でいうと何なのか?」
次回、お会いする時まで、出しておきます。

素敵な時間をありがとうございました!







宍道湖の夕日がこの後朱鷺色に変わって、
初めて蛍を見たとき以来の感動を経験しました。

島根・松江、住みたい。  

Posted by ニシダタクジ at 09:39Comments(0)学び

2018年11月04日

「対話」から始まる「学びあい」

しまね教育の日フォーラム。





霧がすごい松江・くにびきメッセで聞いてきました。

一番すごかったのは、
益田市の取り組み。





「益田版カタリ場」と「新・職業体験」。
この2つの取り組みにはトリハダが立ちました。

~~~以下メモ

島根県益田市:「人が育つまち」

「益田版カタリ場」
事前アンケート:約半数の中高生が気軽に話をする大人が1人もいない。
約半数の中・高生が益田には「魅力的な大人がいない」と思っている。
⇒ロールモデルとの出会い不足。

人との繋がりが希薄化しつつある時代だからこそ、対話を軸に、人を繋ぐ
働き方のロールモデルから、生き方、在り方のロールモデルへ。

「ワークキャリア」教育から「ライフキャリア」教育へ。
ライフキャリア教育で、未来をつくる。
学校と家庭任せではなく、地域住民全体の力で。

中学生×地域の担い手
公民館との連携でその地区の大人と子どもの対話の場をつくる。
中学生×産業の担い手
新・産業体験
体験中心から、対話重視の職場体験へ。「やりがい」や「想い」に触れる
高校生×働く大人でカタリ場⇒高校生×小学生へ
最後は自分が語り手になる。

結果、約8割の中高生が益田には魅力的な大人がいる、と思うように。
益田出身の大学生が益田で活動するように。
職場体験で行った公民館へ、次は大学生として。
母校でのカタリ場を企画・地域の大人との出会い直し。

「益田版カタリ場」:地域の大人と子どもが本音の対話で繋がる。
これまでのキャリア教育:一方的な講演スタイル
カタリ場:双方向

「評価しない大人」に出会うこと。

中学校カタリ場は公民館連携で、高校カタリ場は企業連携で。

「新・職場体験」:対象は中学生
1 求人票の発行・ポリシー・大切にしていることが記載されている
2 中学生へ面接(市役所職員による)
3 事業所研修会:ねらいとノウハウ共有
4 体験⇒対話:価値観・生き様を聞く
大切なのは教育を支える風土を醸成すること。

「新・職場体験」の結果、その会社に入りたいといって実業系の高校に入学した人が3名出た。

生き抜いていく力を地域の人と一緒につくっていくこと。

事業所研修会で地域の人同士がつながる。

「求人票」のデザイン
A5サイズの枠だけがあり、PRしたいこと、大切にしたいこと、ポリシーなどがあればお書きください。
これって、受け入れ事業所に対する壮大な問い。
そして、「求人票」そのものが地域の人から子どもたちへの「手紙」であり、「メディア」そのものになっている。

「ふりかえり」のデザイン。
事業所を自分の言葉で紹介するレポート(写真付き)と自分の感想を書く。
⇒礼状の代わりに出す。
たしかに、型どおりの礼状もらうよりよっぽどうれしいな。

「対話」を促すデザイン
・名刺をつくる
・質問を考えていく
・忙しくても昼食時等には対話をしてほしいと頼む。

「対話ができた」と思った子の意識が変わっていく。

~~~ここまでメモ。

他にも「高校魅力化」についての話もあったのだけど、
ひとまずは一番シビれた益田市のことを。

「自己を探求するとはいったいなんだろうか?」
「学びあいってなんだ?」
「地域の大人が参画する学びとは?」

ツルハシブックスや暗やみ本屋ハックツが言っていた
「第3の大人」のコンセプトを思い出した。

それは「評価しない」大人。
教えてくれるのではなく、あり方が伝わってくるような大人。

そして、何より、
「共に学ぼう」と思っている大人。

ヒーローズファーム時代に中村くんと実現しようと構想していた
経営者と学生が共に学ぶモデルを思い出した。

圧巻だったのは、
「新・職業体験」のデザイン。
特に求人票そのものだけでメディアになっているところ。
思いを出発点に人と出会うこと。

高校魅力化も、職場体験そのものも、
ツールに過ぎないんだっていうこと。

問いを共有し、「ともに学びあう」っていうこと
それをデザインしていくことなのだろうと思った。

僕が「本屋」で実現しようとしている世界観が
益田市ではすでに動き出しつつあった。
心地よい敗北感。

そして同時に、
僕は地域側にそんなプラットフォームをつくろうと思った。
その舞台はもちろん本屋さんだ。

「カタリ場」や「新・職業体験」のようなプログラムで
出会った大人たちにまた出会える場。
偶然、居合わせる場。
何かがうっかり始まってしまうような場。

そんな「場としての本屋」をつくりたいという思いを強くしました。
素敵な機会をありがとうございました。


松江の夜景がとてもキレイでした。  

Posted by ニシダタクジ at 10:42Comments(0)学び

2018年10月23日

「無知」と「感性」と「行動力」

大正大学「地域実習」35日目。
柏崎市での成果報告会。



19名もの人が来てくれました。
その期待に応えていたか、
というと、いまひとつかなと。

講評の時に水戸部さんが言っていた。

現場の声、リアルな声を聴いて、
何を思い、感じたのか。
それが伝わってこないと。

その通りだなと思った。
聴いている人が期待しているのは、そういうこと。
課題に対する解決策そのものを期待しているわけではない。

課題だと感じ、それを解決する方法を考える
プロセスの中で、大学生自身が感じたこと。
心が動いたこと、それを聞きたいのだ。

そんなリアルな声を言語化すること。
それが期待されているのだとあらためて思った。

19歳の大学生には、知識もスキルもない。
もし、仮に大人よりも勝っているものがあるとすれば、

「無知」と「感性」と「行動力」
でしかない。

「無知」な状態で話を聞くことによって、フラットに見て、
「感性」を発動させ、そこで何かを感じる。
それを「行動力」によって、実証、言語化していくこと。

それが期待されているのだと
あらためて思った。



9月30日までお世話になった
柏崎の海に挨拶して、南魚沼に帰ります。

さてさて。
修正していきましょうかね。  

Posted by ニシダタクジ at 06:42Comments(0)学び

2018年10月17日

地域を「編集」するリアルメディアとしての宿

大正大学地域実習29日目。



南魚沼・里山十帖へ。
http://www.satoyama-jujo.com/about/

冒頭より
「2014年5月、私たちは新しい宿をオープンさせました。
でも旅館を始めたかったわけではありません。
レストランを始めたかったわけでもありません。
始めたかったのは、新たなインタラクティブ・メディアの枠組みをつくること。」

※この里山十帖とは?のページだけでも、応用できることが
たくさんあります。すごい。

雑誌「自遊人」を作っていた岩佐さんが
2004年に「米をつくいたい」と会社を移転。
農業法人を立ち上げ、地元の農家のお米を
生産者の名前入りで販売したりした(当時としては珍しい)
出版、農業、物品販売を行ってきた。

2013年。
山の中の温泉旅館が廃業するタイミングで
そこを買い取り、リノベーションの末「里山十帖」をオープンした。

「さとやまから始まる10の物語」
十帖とは、10ページのこと。

「真に豊かな暮らし」を提案・発信することを目的に、オーガニック魚沼産コシヒカリを育てる農作業体験「農」、美術大学との産学協同でリノベーションに取り組む「芸」、料理人とのコラボレーションで地産地消の郷土食文化に新たな彩りを加える「食」など、10のコンセプトから成っている(上記webより)

里山料理。
ここにあるものを楽しんでもらうこと。

そして何より、
ここでしかできない「体験」を重視していること。

「米一粒がメディア」。
「椅子はそのフォルムだけではなく、座り心地がメディア」。
「そこにある風景そのものがメディア」。
人と人の対話だけでなく、モノが、建物が、風景が語り出す……、
そんなメディアをつくっていきたいと考えています。(上記webより)

夏は星空を眺め、秋には稲刈りをして
冬にはかまくらの中でホットワインを楽しむ。

そんな里山十帖に来ないと体験できないことを
体験してもらうこと。

そしてスタッフではなくプレゼンターであり、
宿のコンセプト、食材の物語、自然について説明し
お客様に里山十帖を楽しんでもらうこと。
里山十帖そのものがメディアであるということ。

~~~以下メモ

雑誌が売れなくなってきている
→ホテル経営:次のステップへ

地域の人々に参加してもらう
料理部門:地域の食材を使って。

お客:ペルソナ設定
一番来てもらいたいお客にどうやってきてもらうか。

体験する:散歩ツアー
「あのお米が夜でますから」

そもそも美味しい上にプレゼンテーションするさらにおいしくなる。
150年前の北前船の物語:ネオ里山料理

宿:リアルメディア
その場所でしか味わえない。
1つ1つの体験がリアルメディア

薪ストーブ:暖かさが循環するように。

「地域おこし」をいかにカッコよくやるか。
「編集」によって地域の価値を高めていくこと。

バリアフリーではないこと
⇒ページに表示している。
お客さんの想定がある。

ハコは変わらない⇒季節によって「体験」を売ること
・たき火
・かまくら
・山菜

リピーターがくる。
⇒違う季節の里山体験をしたいから。

お土産を持ってくる。
「あなたに会いに来た」と言ってもらえる。

~~~ここまでメモ

美学。
言葉にうまくできないけど、そんな感じ。

美しさとは何か?
カッコよさって何か?
雑誌「自遊人」が編集していたものとは?
里山十帖が提供する「価値」とは?
そんな問いが次々に生まれていく。

「里山十帖」はお客さんの中に、
問いを残しているんじゃないか。

「豊かさ」って?
「季節」って?
「日本」って?
「地域」って?

その謎が解けなくて、
お客さんはまた里山十帖にやってくる。
与えられるだけの体験ではなく、そこに「参加」できること。

「編集者」とか「アーティスト」ってなんだろう?
って思った。

目の前にあるもの。
目の前になく、心や頭の中にあるもの。
人と人のあいだにあるもの。
季節と季節のあいだにあるもの。

それらを編集し、「価値」を生み出していく。

その「価値」っていうのは、
実は、自分の中に問いが生まれること、なのかもしれないなと思った。

それって、宿じゃなくて本屋でもできると思った。
いや、本屋こそがそういう空間になるんじゃないかと思った。

ツルハシブックスは
まさに「双方向メディア」だったんじゃないか。
そしてお客と店員の境をあいまいにすることで
お客が「参加」できる仕組みだったじゃないか。

デザイナーの役割は課題を解決すること
アーティストの役割は問いを投げかけること。

「編集者」っていうのは
その両方を同時に、しかもあいまいに行うこと、
なのかもしれないって思った。

さて、ぼくは本屋というフィールドで、
どんな編集をしますかね。  

Posted by ニシダタクジ at 07:35Comments(0)学び