プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



QRコード
QRCODE
※カテゴリー別のRSSです
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 8人
オーナーへメッセージ

2018年09月21日

「主客未分」で場に溶けていく

西田幾多郎。
「京都学派」の源流。

西洋の哲学・思想を踏まえた上で、
初めて本格的に日本の哲学、あるいは日本の思想
と言えるものを作った人物。

西田の根本的な思想に「純粋経験」がある。


斉藤孝「日本人は何を考えてきたのか」(洋伝社)
には、西田の言葉として以下が紹介されている。

「通常、経験といわれているものは、すでにその内に何らかの思想や反省を含んでいるので、厳密な意味では純粋な経験とはいえない。純粋経験とは、一切の思慮分別の加わる以前の経験そのままの状態、いいかえれば直接的経験の状態である。例えば、ある色を見たり、音を聞いたりするその瞬間、それがある物の作用であるとか、私がそれを感じているとかいった意識や、その色や音がなんであるかという判断の加わる以前の原初的な意識や経験の状態である。」

つまり、「古池や蛙飛び込む水の音」という俳句。ここに「私は聞いた」というのはない。「ボチャン」という水音だけ。そこに静かな沈黙が広がっている。これが純粋な経験だとすると、「そこに私がいて、池があって、池の淵にカエルがいて、そのカエルが飛び込む音を、私はそのとき聞いて逆に沈黙を感じました。」ということと同じことのようで全く違うのだと。

単純に「ボチャン」という音があった。私はたまたまそこにいたにすぎないのです。
つまり、意識的な私というものが先にいて、そういう経験が起こったわけではない。
そんな主客未分の純粋経験がこの世の基本であると西田は説く。

さらに「自覚」と「場所」というキーワードに行き着く。

「直観というのは主客の未だ分かれない、知るものと知られるものと一つである、現実そのままな、不断進行の意識である。反省というのは、この進行の外に立って、翻って之を見た意識である。・・・余は我々にこの二つのものの内面的関係を明らかにするものは
われわれの自覚であると思う。」

そして、「西田幾多郎の思想」(小坂国継 講談社学術文庫)の言葉によると、それは「場所」によって起こるという思想に行き着く。

「西田の考えでは、対象と対象が相互に関係するには、そのような関係が(そこに於いて)成立する「場所」というものがなければならない。例えば、物と物とは共通の空間においてはじめて関係するものである。」

斎藤孝さんは、この解説の中で、
「場所」は実体的な場所だけにとどまらず、「有の場所」「無の場所(意識の野)」、さらに有無を超越した「絶対無の場所」、それは禅でいうところの「空」に近いものであらゆるものが生まれ出る「場所」なのだと言っている。

~~~ここから引用
アリストテレス以来、西洋倫理学の基本は
「AはAである。(同一律)」
「Aであるか、またはAではない」(排中律)」
「Aかつ非Aであることはない。(矛盾律または無矛盾律)」

これらは一見、絶対的に正しいように思えます。
しかし、西田に言わせれば、Aと非Aを分けている点ですでにおかしいということになります。

色で考えるとよく分かります。赤と青はもちろん違う色です。
しかし、どこまでが赤でどこからが青なのかというと、はっきりしません。
色は七色のスペクトルにはっきりと分かれているのではなく、グラデーションになって無限に続いているからです。「ここから」と線引きすることができない以上、赤と非赤があるとは言えません。

(中略)

西田の言うように、主客の分かれていないところでこそ、純粋な経験が起こっている状態は何も特別なことではなく、私たちが折々に感じているものでもあります。

たとえばスポーツや音楽をしているときに「自分をなくす経験」をしたことがある人は多いと思います。意識せずに打っていたとか、思わず演奏していたとか、その行為に集中することで、音楽そのものになり切っていたという経験です。こうした経験は、音楽を聞くだけでも体験することがあります。

~~~ここまで引用(日本人は何を考えてきたのか)

主客未分。利休の茶の世界でも、そのように言われてきたし、岡倉天心も、東洋も西洋もないと表現してきた。

それって、この前読んだ「中動態の世界」そのものなのではないか。

アリストテレス以前に、「意志」も「未来」も存在しなかった。
これにも関連しているのではないか。

そして、それは最近僕がよく使う
「場に溶けている」状態のことをいうのではないのか。

目的という「主」に対して、手段は「客」である。
「主客未分」であるということは、目的と手段がごっちゃになっているという状態である。

よく、「目的と手段が逆転している」あるいは「手段が目的化している」というけど、それって起こりやすいのだろうなと思う。

「価値」は、常に流動している。

国民国家とか学校システム、会社システムなどは、
価値を固定した仕組みである。
だから、目的を固定化することができた。

ところが、価値が流動している時代においては、
目的と手段も流動しているし、
それは個人においても同じだと思う。

「ランナーズハイ」のように、自分を無くし、場に溶けている感覚。
その瞬間こそ、人は心地よさを感じるのではないだろうか。

主客のわかれていないところで、「純粋経験」をして、
そこから「自分(たち)なりの価値」を発見し、
松尾芭蕉が俳句を詠むように、
その「価値」を表現していくこと。

それをひとりではなくて、「場のチカラ」を通して、やっていくこと。
その繰り返しなのではないかなと思った。  

Posted by ニシダタクジ at 09:27Comments(0)学び

2018年09月20日

地域の「個性」の構成員になる





大正大学「地域実習~越後バージョン」
6週間にわたって、新潟県を縦断するプログラムの2日目。
柏崎市(旧高柳町)の荻ノ島集落。
かやぶきの里として知られる荻ノ島ではたくさんの取り組みが行われている。

代表の春日さんに話を伺う。
キーワードは「個性」。

以下、春日さんのトークのメモ

~~~ここから
金太郎飴のようなまちでは個性が無くなる
個性がなくなると自主性・主体性がなくなる。
地域づくりがマニュアル化して個性がなくなった。

「理屈・スローガン」ではなく、「共感」でつながる。
「共感」:意識しなくてもつながる、伝わる。

ポスターづくり:「来てください・お待ちしています」と言わない。
⇒地域のありようを伝える

自治組織と活動組織
守りの自治と攻めの自治

田植え:苗が活着してないと風景にならない。根を張ってこそ美しさ。
風景:村の人が暮らしている気持ちが表れたもの。⇒「誇り」こそ風景

経済社会と戦っていく道ではない。
→戦わないポジショニング。共感してくれる人たちとつながりを持とう。

収穫した米:横浜の社会福祉法人に売っている。
福祉法人がお米屋さんを持っている。

コシヒカリ7/こしいぶき3
⇒作業分散のため。
10,500円/30kgで売っている。
※コシヒカリとこしいぶきの価格は同じ
モノをつくる前に買ってくれる人を浮かべる。
=ピンホールマーケティング
収穫後、全量横浜の低温倉庫に保管し、社会福祉法人が管理する。

力があれば競争できる。
競争できないところはどうするか?

雪が降るということ:情報が減るということ。
⇒自分・自分に近い人と向き合える時間ができる。
人が生きていくには、インプットとアウトプットの時間が必要
アウトプット一辺倒はありえない。
自分の今のありようを確かめながらアウトプットしていく

あたたかみ:手間をかけること
⇒言葉のひとつひとつが感性に訴えている:共感する。

スローガンではなく、一緒に活動する。
橋本さん:京都府立大公共政策⇒イナカレッジ長期インターン⇒移住1年目
「人口減少」という課題に対して、地域がリアルにどういう対応をしていくのか。
地域移住して不安になる要素:お金、地域とうまくやっていけるか?など

「会社ではたらく」⇒「米、野菜を自分でつくって百姓的に生きる」ほうが安定しているのではないか?5つ以上の仕事をしている

集落単体で越えていけない:連携する。
他地域、福祉法人と連携すること。

「個性」がないと発信できないんじゃないか。
「誇り」と「アイデンティティ」
効率化⇒単純化⇒類友
田舎:複雑系⇒多様である。時間軸がたくさんある。

地域の個性の構成員であるということ。
「個性」=「能力」?
「価値観が変わってきてる」のではなく「価値が流動している」

便利=考えない⇒幸せにならない
ストックする幸せ=つながらない
「仮説にすぎない。検証してもらいたい」

東京に住み続ける:地方とのつながりが必要
関係性をもたないと生きていけない。

ムラの葬式:念仏を唱えることで呼吸を合わせた仕組み。

~~~ここまでメモ

共感。
個性。
アイデンティティ。
誇りの空洞化。
連携。

僕の中ではタイムリーなキーワードだった。
ひとつ、違和感があったのは、「個性」の話。

「地域は単体で生きていかなくてもいい」

そっか。
連携が「個性」を生むんだ。

横浜の社会福祉法人とコメの販売で連携している新潟の集落、荻ノ島。
それは「個性」だよね。

その「個性」は荻ノ島単体で成り立っているのではなくて、
横浜の社会福祉法人があって初めて「個性」になるんだ。

個人も同じなんじゃないか。
関係性の中で、「個性」やアイデンティティが生まれるんじゃないか。
地域の個性の構成員になる。

そこから始まるアイデンティティがあるのかもしれない。

だから、若者よ、地域に出よう。  

Posted by ニシダタクジ at 18:48Comments(0)学び

2018年09月15日

「なぜあなたは、その本を10代に届けたいのか?」

茨城県日立市・明秀学園日立高等学校。

今年春の甲子園にも出場した文武両道な高校。
9月15日(本日)午後、暗やみで本をハックツする
「ジブンハックツ」が学校の中の図書館で開催される。







昨日は本番に向けての最終打ち合わせにお邪魔してきました。



僕もインタビューを受けて、1冊寄贈してきました。







昨日まで4日間、図書館に展示されていた本。



これは8月から高校生自身が町を歩いて、
「10代に贈りたい本」をテーマに、
地域の人から集めてもらったもの。

2016年4月に神奈川県茅ケ崎市の
「茅ヶ崎市美術館」で行われた展示の
高校生バージョン。

http://hero.niiblo.jp/e478527.html
(アートとは「問い」を灯すことで、仕事とは「手紙」を届けること)
(2016.4.16)

この時、リベンデル熊沢さんに出会って、展示をして、
本のチカラというか思いを本に託す、ということの
パワーを改めて感じた。

そして、暗やみ本屋ハックツで
「寄贈本読書会」をやっていて、
「なぜ、この本を10代に届けたいのか?」
という話題で盛り上がるのだけど、

それを、高校生と地域の人が
直接やりあったら、面白いのではないかと思った。

そしてそれは、
いわゆる「キャリア教育」とは
ちょっと違った効果を生むのではないだろうか、と思った。
「職業観」ではない、何か。

たとえば、
「今の仕事のやりがいはなんですか?」
「仕事をしていてどんなときに一番よろこびを感じますか?」
みたいな質問。

それと、
「あなたが10代に贈りたい本はなんですか?」
「なぜその本を10代に届けたいのですか?」
という質問。

それを、高校生自身が問うということ。

それはきっと、
「あり方」が問われているのだと思った。

「あなたは今まで、何を大切に生きてきましたか?」
「人生を賭けて、10代に届けたいメッセージは何か?」
というのと本質的には同じ質問である。

高校生自身が取り組む
「10代に届けたい本」や10代限定本屋「ハックツ」は、
そんな「問いのデザイン」になっていると思った。

地域の大人から、
本というコミュニケーション・ツールを通じて、何かを学ぶこと。

大人自身も、高校生を目の前にして、
人生を見つめなおし、大切にしてきたものを確認すること。
そんなことを可能にする。

そこには、
「教えてもらう」
というよりも
「学びあう」という空間があると思う。

高校生は、大人の差し出す本と
大人自身が発する言葉から、
何らかの「誤解」をする。

昨日のブログ。
「個性」とは、どのように誤答するか?ということ(18.9.14)
http://hero.niiblo.jp/e488087.html

で言えば、
誤答の旅が始まる。

そんな空間や時間が起こること。

たぶん、それが
僕が「ジブンハックツ」的なものに望むことなのだろうと思った。

僕自身が寄贈した本に書いたメッセージで締めます。

「個性」「自分らしさ」は
美しい誤解の積み重ねの先にある。

現時点で僕が高校生に伝えたいメッセージはこれで、
本は内田樹「先生はえらい」(ちくまプリマー新書)です。

よき旅を。

  

Posted by ニシダタクジ at 08:22Comments(0)学び

2018年09月08日

「参加」と「ケア」のデザイン

「参加」と「ケア」。
これからはこの2つがテーマになってくると思う。

「場のチカラ」を高めるために、
個人が思っていることを話す。
そういう環境をつくることはとても大切だ。

それは「ケア」であると同時に「参加」になっている。
実は最大のケアは「参加」なのではないか、と思った。

それは決して、
「役割がある」ということではない、と思う。

「役を演じる」というか、
即興演劇に近いような、そういう感じ。

生きづらさの源泉は
「個人」という考え方にあるのではないかと
思う今日この頃。

学校は、「集団生活」を学ぶといいながら、
「個人戦」を強いる。
他者と比べることで、
アイデンティティを確立しようとする。

結果、いじめが起こる。

アウトプットを出すのは、
場のチカラであって、個人やチームの力ではない。

だから、そこにいるひとりひとりが
「参加」すること。「ケア」されること。

「ひとりひとり」と「個人」っていう概念は違うのではないか。
そう思っている。

場の構成員としての「ひとりひとり」であり、
それは一個の「個人」ではない。
決して切り離すことはできない。

それがたぶん「場」という考え方
だろうと思う。

「参加」と「ケア」のある場をデザインすること。

それって、ミーティングの時の「チューニング」とか
そういう話でもある。

多くの大学生がアイデンティティの不安を抱えている。
自分が何者であるか、わからない。

それはコミュニティが希薄化したことが
大きな要因であるといえるだろう。
また、学校社会が「夢」や「目標」を
アイデンティティの要素として聞いてくることも大きいような気がする。

「夢」がなければ人に非ず。

そんなことないんだよ。
常に場に溶け出していけばいいと思う。

「中動態の世界」(國分功一郎 医学書院)を読むと、
「意志」とか「未来」とか「個人」とか、幻想のような気もしてくる。

そんなあいまいな世界を生きる僕たちに、
「参加」と「ケア」のある場をデザインしていきたいなあと思う。

8月29日(水)から9月7日(金)まで、
10日間にわたり、そんなことを考えていました。

場を共有していただいた方、ありがとうございました。

  

Posted by ニシダタクジ at 07:03Comments(0)学び

2018年09月06日

「手紙」を届ける「プロジェクト」を支える「場のデザイン」





まりさんにヒアリングしてもらいました。
!!っていうことがたくさんありました。

いちばん驚いたのは、
「場のチカラ」とか「場をデザインすること」
を大切にしているのだけど、
その根本にあるコンセプト(大切にしたいもの)は、
「手紙」であるということ。

そのふたつがズレているということ。
そこかな。

自分がいちばん心地よいのは、
「場のデザイン」なのだなあと。

ツルハシブックスで階段から見た
いろんな場所に輪ができている景色。
武雄市図書館で感じた
違う目的の人が同じ空間を分け合っている景色。
ワークショップの個人振り返りをしているときのあの空気感。

僕自身は場のデザインをすることで、
何かが起こっていることを見るのが好きだ。
その「何か」とは、
「プロジェクト」のことではないかと。

場のチカラを高めること。
・誰とやるか
・いつやるか
・どこでやるか
それを大切にすること。
前提としてオープンマインドをつくること。

それは「参加のデザイン」にも通じるのだということ。
ツルハシブックスの店員サムライや
寄付サムライの仕組みのように、
境界をあいまいにすること。

流動する価値を
一緒にやるメンバーと一時的に固定して、プロジェクトをつくること。
その価値に同意して、勝ちに向かっている状態であること。
問いを共有し、学びあうこと。

学びの結果として、予測不可能な何かが起こること。
そもそも、場に溶け出して、アウトプットすること。
そういうことを目指してきたんだとわかった。

それと「手紙」。
その根底には、「手紙」というコンセプトがあるのだなあと。

誰もが手紙を預かってきて、
それを渡すのが誰なのかいつなのかわからない。
その手紙を渡すためのプロセスにいること。
それが「プロジェクト」なのではないかなと思った。

つながったね。

僕自身が渡したい手紙は、それなんだ。

人生は、仕事は、
手紙を届けるようなものだっていうこと。

その手紙は、
宛先=「誰に」=「顧客」があって
内容=「何を」=「価値」がある、
プロジェクトを通して届けられるんだっていうこと。

そのプロジェクトを生み出すような、
あるいは促進していくような、
もしくは、きっかけをつくるような、
そんな「場のデザイン」が僕のミッションなのではないかと。

なんか。
しっくりと来た。

まりさん、1時間のヒアリングありがとうございました。
やっと、つながりました。そんな感じ。

  

Posted by ニシダタクジ at 09:14Comments(0)学び

2018年09月05日

「好き」と「刺激」のあいだ

えぽっくのチームひきだしからイナカレッジ
の中間研修ハシゴで、

場のチカラについて考えて、
ぐるぐるしている。

場のチカラはチームの力とイコールではなく、

人(誰とやるか) with whom
タイミング(いつ) when
場所(どこで) where

が「場」であり、
人ひとりひとりは、その人の過去がつくっている。
研修でやったのは過去の感じたことを思い出すこと。
いましか書けないことを書くこと。

そこにプラスして
なぜやるか(ミッションは何か?) why
誰に対してやるか(お客はだれか?) for whom
何をやるか(価値は何か?)what
どのようにやるか how

という風に、展開していく。

大切なのは、
「個人」を場に溶かしていくことだと思った。

「場」がアプトプットを出す。
そのために、場に自らを溶かしていくこと。

そんなことを考えていたら、
出雲崎町釜谷集落のチームのコンセプトが
「トキメキ」だった。

「刺激」ではなく、「好き」でもなく、「トキメキ」

ああ。
なるほど、って思った。

刺激と好きのあいだ。

受動的に刺さる感じでもなく、能動的に好きになる感じでもなく、トキメキ。
「違和感」っていうのにも近いと思うのだけど、
自分の中からあふれてくる(こぼれてくる)何か。
それが「トキメキ」なのかもしれないと思った。
中動態っぽいなあと思った。

そんな「トキメキ」をアウトプットするには
どうしたらいいのか?
それは楽しみだなあと思った。
あと、柏崎市の岩の入集落の出来上がった暦を見た。

表紙からすでに泣きそうで、
「魔法がかかる編集」が詰まっていた。

イナカレッジ、素敵なプログラムを展開しているなあと思いました。
ありがとうございました!  

Posted by ニシダタクジ at 08:35Comments(0)学び

2018年09月02日

個人の「感情」を材料にして、「場」が冊子をつくる

茨城県日立市の(株)ユニキャストが運営する
地域貢献型シェアハウス「コクリエ」にて
株式会社えぽっく(僕の肩書は顧問!)が展開する
「チームひきだし」のワークショップに出てきました。

前日訪問した小美玉市の(株)ユーゴーさんでワークショップの様子




昨日のコクリエの様子


ヒキダシ、ヒキダシ!!


午前中は、僕自身のヒストリーを語りつつ、質疑応答。

僕が自分自身で語っていた気づきは、
本屋をやる理由でした。

1 本屋はまちを作ることができる「メディア」だから。
郡山のヴィレッジヴァンガードの「郡山にカフェをつくりたいんだ」発言から、僕は本屋になろうと思った。

2 本は、手紙であり、それを「一時預かり」したいから。
ハックツをやったときの金子さんとのトークと伊那市のブックカフェ3日間の土田さんのコメントから。

3 結果が目的ではなくて、本人や、社会環境や、時代に委ねられているから。
一連の「目的・目標」「キャリアデザイン」という教育への違和感に対する自分なりの表現。

これに気づきました。
昨日、話しているときは整理できてなかったけど。

大学生7人と対話していて思ったのは、
「学校教育と家庭環境が効いてるなあ」っていうこと。

「こうあるべき」
「こういうもんだ」
っていうのが強いなあと。

2社回っての一番の驚きは
「あんな楽しそうに仕事ってできるんだ」
「社員の幸せがまわり回って、お客様の幸せになるんだ」
「先輩後輩との関係性ってあんなにフラットなんだ」
っていうこと。

もちろん、そういう会社を選んでいるんですけどね。

でも、思ったよりも、みんな「仕事はつらいもんだ」とか
「耐えること」とかを教え込まれてきているんだなあと。

あとは、失敗してはいけない、とか。
みんなの和を乱してはいけない、とか。
結果責任を個人に負わせる、とか。

まあ、それが我が国の「サラリーマン養成教育」ですけども。

昨日のテーマは「魔法をかえる編集」
2社で聞いてきたことを編集して、冊子にしなきゃいけない。

その時に大切なのは、
「自分がどう感じたか?」であり、
それを文章に載せていくことで、
だからこそ、届けたい人に届くのだと思う。

だから、まずは個人の人生振り返り。
幼いころから今まで、どんな人生を歩んできたのか?

プレゼンを聞いていて感じたのは、
意外にみんな感情を出さないのだなあと。
安心空間を作れてないわけじゃないのだけど、
たぶん、ぼくが書く前に言えばよかったんだなあと。
臨場感あるトークをしていたのは数人だった。

大切なのは、出来事そのものではなくて、
その時に自分の感情がどう動いたか。
何を感じたか、っていうことなんだ。

だって、そこに自分が感じる
「価値」や「違和感」や「衝動」があるんだから。
たぶん、そういう導入にしなきゃいけないんだな、と思いました。
9月3日にまた新潟でやるので、考えようっと。

そのワークを踏まえて、
企業訪問の振り返り。

このときも、
「気づいたこと」「企業のいいところ」ではなくて、
「自分が驚いたこと」というところにフォーカスしたほうがいいなと思った。
「いいところ」だと、ちょっと抽象化されちゃうんだよね。

それは、もしかしたら、
「否定されたくない」という恐れの表れなのかもしれない。

もっと個人の感情を出していくこと。
どんどんオープンマインドになっていくこと。

だから、
「抽象度を下げて、というか解像度を上げて」という話をして、やり直し。
出てきた、共感度の高い意見。

そのあと。
「そもそも何のために冊子をつくるんだっけ?」

この冊子は誰のためにつくるのか?
という問いで息詰まる。
・会社のよさを紹介するのか
・チームひきだしの参加者を集めるのか
と目的が揺らぐ。

っていうところで、若松さん登場。
「チームひきだし」の理念というかミッションを語ってもらう。

大学生からは、
なぜ、初日にそれをやらなかったのか、
という素朴な質問が来る。

それをやっていたら、もっと違う視点で会社訪問ができたのに。

たしかに、そうだろうと思う。
しかし、それによって失われるものも確実にある。

目的を持たずに聞く。
それはチームひきだしのひとつの強みだと思う。
どこまでもライブで、
「場」のチカラを高めることに集中していくこと。

目的なんだっけ?
と立ち止まることも、よい機会であったと思う。

「オープンマインド」をつくり、
個人の感情を出し切り、
それを合わせて、新しい価値を生み出す。

そう。
冊子をつくる、というかアウトプットを出すのは、
「チーム」ではなく「場」なのだ。

そんなワークショップで生み出される冊子は
一回性の高いものになる。
二度と同じものは作れない。

だからこそ。
ひとりひとりのパーソナルな過去と、
心の動きがとても大切で、
それを「場」に出し合うこと。

そうやって「場」のチカラを高めて、「場」がアプトプットを出す。

たぶん、えぽっくと僕が作りたいのは、
そういう冊子で、そういうインターンだ。

W若松さん、いい学びの機会をありがとうございました!  

Posted by ニシダタクジ at 08:10Comments(0)学び

2018年08月27日

未知なるものとしての「他者」



陸奥賢さんの「まわしよみ新聞をつくろう」(創元社)発売記念!
まわしよみ新聞&トークライブ新潟ツアー3DAYS。
長岡・コモンリビングで最終日。



まわしよみ新聞をやったあとで、
池戸と陸奥さんとトーク。

「コモンズデザイン」とは、「他者と出会う」こと。

「コミュニティ」は同一性集団であり、だんだんと閉じていく。
自分たちが優先されるから、「ふるさと納税」など、取り合いが起こり、
他のコミュニティは「敵」となる。

インターネットは、
マイノリティがつながりやすくなった半面、
そこに「閉じていく」ことが可能になった。

自分とは主張が違う人たちと
接することなく、あるいは否定するだけで、
過ごせるようになった。
(少なくともネット上では)

それではどんどん世界が狭くなってしまうのではないか。
生きていく、には「他者」との出会いが必要なのでないか。
僕もそう思う。



「まわしよみ新聞をつくろう」(陸奥賢 創元社 2,160円)
には、そのエッセンスが余すところなく、書かれている。

しかも、参考文献はない。
陸奥さんがまわしよみ新聞実践の中で
感じ取って、考えてきたことがすべてだ。
これはすごいなと。

「まわしよみ新聞」の魅力を知るには、
第2章「まわしよみ新聞10のいいね!」を読むのがいいだろう。

この10個の中から、
僕がビビッときた3つを紹介する。

2 司会がいなくてもみんな平等に参加できる

「ノーテーマ」「ノーファシリテーション」だと陸奥さんは言う。
実際やってみると、まさにそんな感じだ。
陸奥さんはみんなが新聞を読み始めた瞬間に、
ソファに寝転んでいたりする。

ひとりひとりが3枚程度「おもしろい」と思う記事を切り抜き、
発表していく。
テーマは様々。ジャンルもいろいろ。
新聞広告を切り抜いてもいい。

これは、「ワークショップ」や「ファシリテーション」
を学んできた僕としては、非常にビックリしたことだ。

司会やテーマがなくても、
自己紹介さえなくても、
みんな楽しそうに新聞切り抜きを発表している。

7 世間を語りながら自分を語り、他者を知る。

まわしよみ新聞は、新聞を通して、
「自分語り」でありながら「世間語り」ができる。

新聞は世間のことが書かれていて、
「誰かに読ませようとして」書かれているメディアなので、
それを元にして話をすると共感が得られやすい。

そして、2枚、3枚と発表していくと、
「あ、この人はこういうことに興味があるんだ」
「こういう考え方するんだ」と他者を知ることになる。

「新聞」という記事を通して、
人を知る、ということだ。

8 「小さい共感」が「話す力」に繋がる。

昨日、長岡でやったまわしよみ新聞は、
1 新聞を読む→切り抜き 15分~20分
2 切り抜いた記事を発表 30分
3 壁新聞を作成 30分

ということでだいたい80分くらいで
「まわしよみ新聞」ができる。

意外に短いのが新聞を読む時間だ。
実はこれには理由があって、
「自分の興味関心にぴったり」な記事というのは、
なかなかない。

だから「強いていうなら関心がある」程度の記事を発表する。
その「好きの度合いが低い」からこそ、小さな共感が生まれるのだ。

怪獣映画好きな人が怪獣映画の記事を
発見して熱く語られても引いてしまって、むしろ共感度は低い。

でも、「こんなのも面白いですよね」
ってさし出されると、「へぇ、おもしろいね」と小さな共感が生まれる。
「他者」と話をするときは「小さな共感」がとても大切である。

これ、まさにそうだなと。

僕が、ミーティング進行の時に
「チューニング」をやっているけど、
それってまさに「小さな共感」のデザインをしているのだなと。

そして、「オープンマインド」をつくる
もっとも大切なことは、
「思ったことを言う」ってことだと思っているので、
「まわしよみ新聞」はそれが見事にデザインされているんだなと思った。

まあ、こんな感じで
エッセンスが詰まりまくっている「まわしよみ新聞をつくろう!」。

場づくりとか、ファシリテーションとか
そういうキーワードを持っている人には
特にオススメの1冊。
あと2冊、僕の手元にありますので、気になる方はお声がけください。

昨日のトークの僕なりの感想は、

僕は、「予測不可能性」こそがエンターテイメントの本質だと思っていて、
それをいかに楽しめるかが人生を楽しむことだと思っている。

では、その「予測不可能性」を誰が(何が)もたらすのか?
といったとき、それは「他者」であるのではないか、と思った。

「他者」とは、「未知なるもの(人)」の総称ではないか。

新聞とは、「新しく聞く」というメディア。
この本の中にも書いてあるけど、
ページを「めくる」ことでどんどん新しい世界、新しい価値観
と出会うことができる。

予測不可能なメディアであり、
かつ、「まわしよみ新聞」はそこに集まっている
「他者」が「おもしろい」と感じた記事が切り出されているので、
それによってもまた「未知なるもの」との出会いがある。

そんな「他者との出会い」
をつくる活動が「まわしよみ新聞」なんだなあと。

そして、陸奥さんは実践の後にこう繰り返す。
「誰か外の人に向けて、貼り出す前提でつくってください。そして貼り出してください」

新たなる他者との出会いを生むための
まわしよみ新聞をつくる、というのだ。

「まわしよみ新聞」3DAYS。

「まわしよみ新聞」というメディアは、「予測不可能性」と「小さな共感の機会」
と「小さな自己表現」を伴った、「他者」との出会いのデザインなのだなあと思った。

ちなみにこの本のタイトルは、
「まわしよみ新聞をつくろう!」であり、徹底した実践ガイトとなっている。
つまり、「やってみよう」っていうこと。

そして、陸奥さんが言うには、「ガイドブック」であって「ルールブック」ではないのだと。

オープンソースであるまわしよみ新聞を実践者が実践し、
そこの場から新たに気づき、新たに出会い、
自分たちなりの「まわしよみ新聞」を展開していくこと、だ。

陸奥さんが昨日の帰り際に言っていた。
「僕は中卒ですから、アクティビストでしかない」

大学の先生のような「アカデミスト」ではないし、
昨今の人文書ブームのような、
「読んだら少し頭がよくなった気がする」という本を書いたのでない。

あくまで実践者(アクティビスト)として、アクションを起こし、
他者と出会い、他者と小さな共感をし、新たな何かを生んでいくこと。

きっとそれが「まわしよみ新聞」から始まった、
陸奥さんのコモンズデザインなのだなあと思った。

さて、僕も実践はじめますか、ね。
「まわしよみ新聞」、一緒にやる人、求む。

★「まわしよみ新聞をつくろう」(陸奥賢 創元社 2,160円)は
僕の手元にあと2冊あります。希望される方はご一報ください  

Posted by ニシダタクジ at 09:12Comments(0)学び

2018年08月25日

「他者」に出会うコモンズ・デザイン

まわしよみ新聞開発者の陸奥賢さん、
内野に来ていただきました!
内野町の「又蔵ベース」で開催。
参加者は12名でした。



まずは直観読みブックマーカー。
これは、本の神様にワンフレーズを聞く、
本占いみたいなものです。

僕がやったのは、

6月に発売された陸奥さんの
「まわしよみ新聞をつくろう」(創元社)です。

愛とは何か。
「1回やれば誰でも簡単にできる」
うーん。
深い。(笑)

ブックマーカーで遊んだあとは、
まったく関係ない本にこっそり挟んでおき、
その本をうっかり手に取った人が
違う世界に興味を持てるきっかけになるような、
そんなデザイン。

そんなブックマーカーの実践をしてからのトーク。

陸奥さんのやっている
「まわしよみ新聞」などのコモンズデザイン。

「まわしよみ新聞をつくろう」には、
2012年からの6年間の実践を通して気づいた
エッセンスがたくさん詰まっている。

特に第4章の「もっと知りたい、まわしよみ新聞」では、
フロー型のテレビやインターネットとは違う、
ストック型メディアである新聞を使うことによる
さまざまな効果が書かれています。

この中にもある「他者に出会う」
というキーワードが、昨日のトークを通しても、
陸奥さんがやっていることの
大きな要素となっているように感じました。

本書では
「共同作業に慣れる」
「会話でもなく対話でもない共話のデザイン」
「ノンバーバルな共同体験」

など、まわしよみ新聞のエッセンスが書かれていて、
それによって、いかに「他者と出会う」ことが大切かと語ります。

大切なのは「他者に出会う」こと。

それを、「まわしよみ新聞」や「直観読みブックマーカー」や
「当事者研究すごろく」などを通じて実践しているのが
陸奥さんの強みだなあと思いました。

それは、僕がいう
「本、本屋をきっかけとした機会提供」
に近いものなのかもしれません。

昨日トークしていて思ったのは、
陸奥さんは
「機会提供」の対象者が、広くて深いんだなあと。

僕は冷たいんだなあというか、
対象者が狭いんだなあと。

僕はおそらく、対象者を限定している。
対象者というのは「お客」と同じことだ。

それは、僕の出発点が
15歳の不登校中学生、シンタロウに出会ったことだったから。
僕は「お客」から出発しているから。

だから、僕にとっては、
「コモンズデザイン」で出会う「他者」であり、その「出会い」を、
顧客である中学生高校生大学生にとって提供したいと思っている。

一方で、「対象者」を設定することは、
「他者」を限定することにつながるのかもしれないと昨日は思った。

陸奥さん的には、
他者っていうのは、想定していない人との出会いであり、
それを生み出すのがまわしよみ新聞などのツール。

だから、まわしよみ新聞をつくったら、
人が見えるところに張り出して、
そこからまた出会いにつなげていくこと。

そういうのを繰り返して行った先にあるもの。
それを見てみたいのだなあと思った。

さて、今日はいよいよまわしよみ新聞の実践と
お笑い集団NAMARAの江口歩代表とのトークです。

トークテーマは、
「越境~コミュニティデザインとコモンズデザイン」

今日もいろいろ学んできます。
参加者まだまだ募集しています。

直接会場へお越しください。  

Posted by ニシダタクジ at 06:05Comments(0)学び

2018年07月19日

接続するコミュニティ

宇多田ヒカルさんについて
書かれたこちらの記事
https://note.mu/wildriverpeace/n/n75dfc3e5212d

~~~以下引用

「コミュニティというものが所属によって成立し得なくなるからです。」
だから、無理に属さなくてもいい。属することでの安心というのは、
それと引き換えに、空気を読んだり、納得しないながらも同調するという行動を伴います。
所属とは、みんなと同じなら安心だ、という錯覚に陥ることですから。

今後ポイントになるのは、無理に属さなくても、
私が私じゃない誰かと一瞬接続することだけでも得られる、
そんな刹那の安心があると気付ける事だと思う。

僕は、それを「接続するコミュニティ」と表現しています。

(中略)

インサイドコミュニティとは、自分自身の中にコミュニティを作り出すということです。
所属するコミュニティは、あくまで自分の外側の枠に自分を置くことでした。
しかし、接続するコミュニティでは、逆に自分の内面に安心できるコミュニティを築くことになります。

なぜなら、たくさんの人とつながり、自分の中にたくさんの
多様な自分が生み出されるということは、
それは個人であっても唯一無二の個人ではなく、多様な個人、
言うなれば「やおよろずの個人」が存在するわけです。
だから自分の中にコミュニティは生み出せるのです。

~~~ここまで引用

たくさんの人とつながることで、
自分の中にたくさんの多様な自分が生み出される。
その人たちとコミュニティをつくっていく。

えっ。
そんなことが可能なんですか?
って思った。

そして以下の曲作りの話へとつづく。

☆☆☆ここから

宇多田ヒカルが曲作りや歌詞作りをするにあたっては、
私が「私ではない誰か」に伝えたいことを書くという話でした。
「私ではない誰か」とは特定の誰かではない。かといって架空でもない。
それは、「私ではない私」でもあり、「誰かによって生まれた私」なのだ。
だからこそ、彼女の歌は、多くの人の心の中にいる
「宇多田ヒカルによって生まれた私」が刺激されて心を打つのだろう。

★★★ここまで

そんな曲作り。

なるほど。
だから宇多田ヒカルの歌は心を打つのか。

たぶん、本屋も同じだと思った。
「誰かによって生まれた私」のために、
本を選び、並べること。
伝えたい思いを込めて、本棚をつくること。

本屋のあり方を考えると、
そういう機会となるような本棚をつくること。
たぶんそういう本棚を作っていくのだろうなあ。

そしてそこに「接続するコミュニティ」が
できていくのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 10:09Comments(0)学び

2018年07月06日

未来像をハッシュタグで説明する

「そこってどんな場所?」
「一言でいうと何?」
「どんなプロジェクト?」

それを表現するのって難しい。

どちらかというと、
目的が多様であるほうがいいと思っているし、
未来が決まっていないほうがいいと思っている。

かえるライブラリーキカクカイギ@湯島「ヨソラ」。

どんな場にしていきたいのか?
そんなことを話し合う。

場の運営者の高橋さんの話で
印象的だった話。

この場所(ヨソラ)は、
主に子ども(小学生~高校生)向けのプログラミング教室
をやっているのだけど、
最初から「カフェ的な空間」を目指していたのだということ。

つまり、畳があって、ちゃぶ台があって、
そこで作業してもよいということだったり、
木の机を置いたり、
かなり自由度が高い空間を作ってきた。

つまり、カフェ的な空間である。

カフェ空間の居心地の良さは、
目的が多様であること。
「コーヒーを飲む」という
目的以外の利用が認められていること。

たぶんそういうところにあると思う。
それ以外にも店主さんの気づかいというか
こだわりというか、そういうのも居心地の良さに
かかわってくると思うが。
(椅子と照明が居心地の良さの本質らしいので)

じゃあ、そんな「ヨソラ」で
「かえるライブラリー」を展開しつつ、
この場所をどう運営・展開していくのか、そんな話。

たぶん、場所のミッションとしては、
この場所は、昨日のブログの話で言えば、

「コネクティングドット」の「ドット」をつくる、ということ。

その時はどうつながるか分からなかったけれど、
あとで振り返ると、
あ、そういえば、あそこで出会った人が、あそこで借りた本が、
いまここにつながってます。

そういう「ドット」(点)をつくること。

それが「ヨソラ」×かえるライブラリーの
ミッションだと思った。

だから、
顧客は誰か、
顧客にとって価値は何か、

っていう定番の質問を
あえて明確にしないことなのかもしれないな。

かといって、だれでもフリーに来てほしいわけじゃなくて、
キーワードにヒットする人に来てほしい。

つまり、ツイッターのハッシュタグのような、
いくつかのキーワードがあって、
そこにいくつかヒットする人が集まってきて、
集まった人たちで(もちろん全員ではなく)、
顧客と顧客価値を設定して、プロジェクトが生まれていくような、
そんな場になればいいと思った。

「本」「本屋」「手紙」「学び」「スキル交換」
「地域」「パラレルキャリア」「二拠点居住」
とかそういう感じ。

僕自身がやりたい方向性としては、
「かえるライブラリー」のネットワークを通じて、
各「地域」に本やライブラリーを通じた友人ができて、
そこで小さなプロジェクトを一緒にやったり、
東京にいながら関われたり、東京でモノを売ったり、
そういう場所になれたらいいなと思った。

これからの「学び」。
それは「予測不可能性」にあり、
「越境」にあり、「コモンズ」にある。

そのためには、
目的の多様性を許容する「場」があり、
もちろん本棚があり、「身体性」が
発揮できるようになっている。

そんな目的を明確にしない「学び」と
仲間との「出会い」を、
湯島天神の前でやるっていうのが
このプロジェクトの面白いところだと思う。

学びとは何か?
問いかけるようなプロジェクトをつくりたい。
  

Posted by ニシダタクジ at 07:31Comments(0)学び

2018年07月05日

「過去をつなげる」と、「未来が見える」。



昨日は、シリーズ「若松ミライ会議」@コクリエ。
なかなか素敵なコンテンツができたなあと。
昨日の話題提供は吉成美里さん。デザイナー。

現在のプロフィールから始まって、

小学校
中学校
高校
大学

と過去を振り返っていく。

小学校の時に参加したオペラの事業名が
「オペラによるまちづくり」だったので
「まちづくり」というキーワードが頭の中に入ってきたという。
すごいな。言葉の力。祈りだね。

ハイライトは
中学の時につくった部活動「わくわく倶楽部」かな。

体育会系至上主義的な学校の中で、
それをやっていない自分たちの「居場所」をつくろうと発足させた。

顧問の先生とのやりとりでの葛藤。

※注
「琴で大会出場」とかって言ってたらしい。
そういう「学校的価値観」に合わないからその
倶楽部があったのにね。

日立の「いいとこ探し」をやろうと決めて、
桜満開の下、日立の良いところを聞いて、付箋に書いてもらってはった。
圧倒的行動力。

そんな彼女のプレゼンを聞いて、
若松さんが一言。

「共感性が高いっすね」って言った。
そうそう共感力がある。

自分の周りにいる子たちの
話を聞いて、力になりたくなる。

なるほど。
ミライ会議ってそういうことか。

僕も思ったのは、
美里ちゃんは、自分と同世代の人が
「好きになる」ってことをやってるんだって思った。

自分の置かれている状況や環境、
あるいは自分自身や友達のこと、
それを「好きになる」「肯定する」ために
活動しているんじゃないかって思った。

そんな話をしていたら、
美里さんがだんだん元気になっていくような、
そんな雰囲気があった。

「コネクティングドット」と、
スティーブジョブズはかつて言った。
過去の出来事、点と点がつながると。

若松ミライ会議は、
その「点」と「点」をそこに参加している人たちが
メタ化というか、ちょっと上から俯瞰して見たり、
感じたことを話したりして、

点と点がつながる、
あるいはつながったような気がする、
そんな会議だ。

「過去をつなげる」と、「未来が見える」。
そんな感じ。

就活生は、
自己分析とか強みとか適性とか、
そういう統計学に身を委ねるのではなくて、

自らの「過去」を振り返り、
それを他者とディスカッションして、
「点」と「点」をつなげていくこと。

その先に未来があるのではないかと僕は思った。
「若松ミライ会議」、これ、なかなか楽しいコンテンツですよ。

若松さん、吉成さん、
昨日も楽しい時間をありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 07:50Comments(0)学び

2018年06月30日

コモンズデザインと場のチカラ

昨日はまわしよみ新聞@長岡コモンリビングでした。







まわしよみ新聞についてはこちらから
http://www.mawashiyomishinbun.info/

僕も茨城大学で何度か実践したのですが
何度かやって、陸奥さんの話を聞いてみると奥が深い!

~~~以下メモ

まわしよみ新聞をつくったら、
通りすがりの人に見てもらうこと。
コメントが書いてあるので気になる。

コモンズ=コミュニティ外ということ
偶然目にする場所に貼ることが重要。

コミュニティ=同質性集団

コモン=常識
コモンズ=ふたつ以上の常識がある場
入会地(いりあいち)。

コモンズデザイン。
南極大陸はコモンズ
「クリエイティブコモンズ」

場のチカラ=居心地と創造性

たしかさとふたしかさ。
たしかさは同質性や宗教や信念、あり方。
ふたしかさは異質性、他者性、偶然性。

コミュニティは閉じていく。
ヒエラルキー(上下関係)が生まれる。

ふるさと納税=パイの奪い合い。
コミュニティ同士が奪い合う。

「めんたいこ」はオープンソース
原料採れないのに博多名物になった。

カラオケもオープンソース
「世界中に友達ができた。」

入会地=コモンズは地租改正でなくなった。

コミュニティを破壊し、分断しようとした国民国家。
それに対してコミュニティデザイン=コミュニティの復権を。

出島方式:誰でもウェルカム
参勤交代方式:半年間でバージョンアップして故郷に戻る。

藩は閉じている。
⇒派遣して、身内が他者になる。

~~~~ここまでメモ

なるほど。

僕が注目したのは、
国民国家による地域コミュニティの破壊
(つまり市町村合併)だ。

「国民国家」というフィクションを
成立させるために、地域コミュニティを破壊した。
いや、今も市町村合併ではそういうことが起こっている。

それでいてふるさと納税などで競い合わせる。
それって政治なのか、経営なのか。
国家運営なのか、営利会社運営なのか。

そして、コミュニティの破壊は同時に、
個人のアイデンティティも破壊する。

まあ、だからこそコミュニティデザインとか、
テーマコミュニティとか言っているんだけど。

それって、
破壊されたから復活させる、みたいな
同レベルの話になっちゃってるなあと。

陸奥さんのいう、コモンズデザイン。
それって、「場のチカラ」にも言えるなあと。

「場のチカラ」を生み出すには、
安心感と創造性を両立させる必要があって、
それには確かさと不確かさが同時に存在していることであり、

それって、コモンズ、つまり異質性のある他者の力、
共有財産である入会地のような場が必要なのだろうなと。
それをデザインする方法としてのまわしよみ新聞があるのだろうなと。

いやあ、場づくりとかコミュニティとか
言ってる人は陸奥賢さんに会ったほうがいいです。

コモンズデザイナー、陸奥賢さんと「まわしよみ新聞」は
今日30日も新潟市で開催されます。

お待ちしています!  

Posted by ニシダタクジ at 08:14Comments(0)学び

2018年06月21日

「サードプレイス」とは、「目的外使用」ができる場所のこと

昨日は、奥出雲の「かがりや」
でのトークイベントでした。

その前に立ち寄った「さくら文庫」。
場を提供している上田さんに
話を伺う。

この場所は昼寝のための場所だと。
だから本を厳選してあります。
でも、私は読んだことがありません。

この本棚には、
つまらない本は置いてありません。
かといって読む必要はありません。

昼寝をするためには、
どんな本が並んでいたらいいのか。
そんな風に本が並んでいる。
つまり、本が「家具化」している。

そんなライブラリー。

鍵もかかっておらず、
自由につかってほしいのだという。

電気は通ってないので、
暗くなったらお帰りください。

そうそう、ここは「昼寝」をするための場所なのだから。

さくら文庫の正式名称は
「午睡亭 さくら文庫」
そう、昼寝をするためのライブラリー。

夜のトークセッション。
本を誰に届けたいのか?
ハックツとは何か?
っていう話。

暗やみで本に出会う「偶然性」。
「偶然性」が開く心「オープンマインド」
そして、本を買った人のその後は気にならないという
「機会提供の美学」。
最近キーワードの「予測不可能性」

そして、目的多様性、あるいは目的外使用。

そうそう。
さくら文庫で本を読むのは、
「目的外使用」なわけです。
昼寝のためのライブラリーだから。(笑)

そんな場所が増えたらいいのに。

っていうか。
「サードプレイス」ってそういうことができる場所のことじゃないか?
っていま思った。

つながった。

「サードプレイス」とは、「目的外使用」ができる場所のことではないか。
その目的外がたくさんあればあるほど、居心地のよい場所になるのではないか。
居心地のよさは「目的多様性」から来るのではないか。

海士町中央図書館って、だからいいんじゃないか。



「何かつらいことがあった時、よくこの図書館に行って、癒されていた。」
と、元海士町民の友人に聞いた。

それって、図書館だからいいんだなって。
離島のような閉鎖空間では、
「ひとりになれる場所」が少ない。

何か壁にぶつかったとき。
スナックでヤケ酒することができない。
真っ暗な海に向かって、叫ぶことができない。(あ、これはできるか)

図書館に行く。
そこでは、多様な本が迎えてくれる。
本も人も多様でいいのだ、ってメッセージを発しながら。

そして誰も「癒されに来た」とは思われない。
「図書館で本を読みに来たのだ」と周りには見せておく。

そんな空間があること。
海士町中央図書館があることで、
どれだけの人が救われているだろうか、と思った。

僕は、佐賀県武雄市の武雄市図書館の雰囲気が好きだ。
あそこは日本最高のスタバだと思っている。

「スタバのついた図書館」ではなく、
「図書館のついたスタバ」だ。

アリーナ席(僕は読んでいる)に
コーヒーを片手に座れば、
見下ろした下には、
左から絵本を読み聞かせている親子、
図書館の本を選んでいる人、
蔦屋の雑誌コーナーで立ち読みしている人、
スターバックスで友人と談笑している人、
DVDコーナーを探している人

そして後ろを振り返れば、
たくさんの高校生が勉強をしている。
その「目的多様性」に、
僕は居心地の良さを感じるのだ。

エンターテイメントの本質は「予測不可能性」であり、
居心地の良さの本質は「目的多様性」である。

そしてサードプレイスとは、
それらを2つとも満たす「場」なのかもしれない。

かつて本屋は、そして図書館は、いや喫茶店だって、
「目的多様性」や「(本来の)目的外の使用」、
そして何が起こるかわからない、誰に出会うかわからない
という「予測不可能性」が

が「場の魅力」と「居心地の良さ」を作ってきたのではないか。

「ツルハシブックス」や「ハックツ」とは、
それをラディカルに表現した場だったのではないか。

なんだか。
見えてきましたね。

島根のみなさん、ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 06:50Comments(0)学び

2018年06月11日

「価値」は見つけるのではなく、磨くもの

大学生向け新潟・中山間地の暮らし体験プログラム
「にいがたイナカレッジ」の説明会2DAYSに行ってきました。
(「インターン」って言葉を使わないで、なんて言ったらいいのか)

結論から言うと、
井上有紀さんと一緒に何かやるのは楽しいな、と。
あらためて思いました。

6月8日(金)は初めての試みの「イナカレッジバー@浅草」でした。






6月10日(日)は、高田馬場10°カフェで説明会。






8日は新潟コシヒカリ付きでした。
こういう説明会あってもいいなと。
定期的にやったらいいなと思いました。

今週は、
5日に「他者評価の檻から自分を脱出させる方法@茨城大学前」
6日に「若松ミライ会議@日立・コクリエ」
7日に「かえるライブラリーキカクカイギ@湯島・ヨソラ」
8日に「イナカレッジバー@浅草」
9日に「グリーンバードリーダー会議@代官山」
10日に「イナカレッジ説明会@高田馬場」でした。

1週間を通して、
「価値」について考えました。

音楽性の違い(18.6.6)
http://hero.niiblo.jp/e487534.html

「価値観の多様化」ではなくて「価値」そのものが流動化している(18.6.8)
http://hero.niiblo.jp/e487544.html

「評価」と「承認」と「共感」と「表現」
みたいなキーワード。

「自由」と引き換えに
「自分」(アイデンティティ)を失った。

で。
昨日。

「にいがたイナカレッジ」を
「インターン」という言葉じゃなくどう表現するか?
みたいな話から始まった。

イナカレッジと通常の企業インターンでは、
「価値」基準が異なるのだから、
「インターン」という同じ言葉で表現しては、
届かないのではないか。

昨日の参加者では
「東京以外の場所で暮らしたい」とか
そういうニーズがあることが分かった。

僕は、「評価」と「承認」の話をして、
「価値」について話していたのだけど。

自分にとっての「価値」は自分で決めること。
それが「価値観」であり、
他者評価の檻から脱出するには
そのコンパスを手に入れるしかない。

だから、価値の異なる場、というか、
価値が明確ではない場所に自分を置いて、
「価値」について感じ、考えることが大切。

田舎に行っても、1,2週間程度では、
「お客さん」だからもてなされてしまう

ってある大学生が言っていたけど、
ああ、そうなんだな。
もてなされていては、
そこに「暮らし」はあるようでないのだなと。

金曜日にイナカレッジのプロデューサー、阿部巧さんが
言っていた言葉を思い出した。

「コンサルは立場を固定する。その立場の落差がお金になっているからだ。
でもイナカレッジの大学生は、
何者かわからないあいまいな状態でムラに入っていき生活を共にする。
そうすると大学生なのか地元の人なのか、
よく分からなくなってくる。そこからしか生まれてこないものがある。」

「価値」とはいったい何だろうか?
という問いが詰まっている。

立場の違い、知識、技術の差異によって
ビジネスを生み出すことが価値だろうか?
「先生、このムラはどうしたらいいのでしょうか?」
と教えを乞い、その通りにやってみるのが価値なのだろうか?

イナカレッジの「価値」は
地域の人と一緒に何かをつくっていくこと。
そもそもの「価値」を考え、その「価値」を生み出していくこと。

そういう関係性からくる学びが、
地域にとっても大学生にとっても価値ある学びになるのではないか、
と思う。

「4週間というプログラム期間が長い」
と多忙な大学生には言われる。

そういえば、2年前、
コメタクから大学に復帰した井上有紀さんも
イナカレッジプログラム@川口・木沢に参画した。
彼女こそ、典型的な多忙な大学生だっただろう。

そんな彼女が昨日言っていたこと。

おばあちゃんは今日もダイコンの種をいつ播くかって話をしていた。
昨日もそんな話をしていたのに。

そんな中に、「豊かさ」があるんじゃないか、
って感じられるようになるのは、2週間くらい経ってからだという。

田舎の「暮らし」と一体化する。
五感を開放し、体を使って感じる。

その先に、見えてくる「価値」があるのではないか。

他者評価の檻から脱出するために、
自分なりの「価値」を持つこと。
それはすぐには言葉にならないかもしれない。

でも、新潟の山奥で、
五感を開放し、まずは感じること。
それを受け止めること。
ふりかえること。

その繰り返しによって、
「価値」に気づく。

その価値は、発見するものではないのかもしれないと
昨日の参加者の大学生の話を聞いていて思った。

「価値」は磨くものなのかもしれない、と。

自分の中にすでにある「価値」を磨いていくこと。
そのためには、五感を解き放つ必要があって、
そして、暮らしの中にある「価値」を感じながら、
自分なりに考えていくこと。

その先に、人生があるのではないか。

だから、4週間のイナカレッジプログラムが
大学生でやっておいたほうがいいのかもしれない。

「異文化」に飛び込む。
「異」とは、「価値」が異なるということ。
そして地域と共に「価値」をつくっていくこと。

海外旅行1か月バックパックに
匹敵するような何かがそこにあるような気がします。

その「何か」はあなたが見つけてください。
自分の中にある「価値」を磨いてください。

イナカレッジプログラム2018年夏、
エントリーをお待ちしています。

https://inacollege.jp/  

Posted by ニシダタクジ at 10:24Comments(0)学び

2018年06月08日

「価値観の多様化」ではなくて「価値」そのものが流動化している











話題のスポット、墨田区「喫茶ランドリー」に行ってきました。
洗濯しながら時間を過ごすところ。
パソコンいじっている人多かった。
ジンジャーエール400円。場所代って感じで潔い。
おかわりは200円。
この400円をどう捉えるか?

「価値は何か?」
という問い。

かつてドラッカーは、
経営者への5つの質問として、

1 ミッションは何か
2 顧客は誰か
3 顧客にとって価値は何か
4 成果は何か
5 計画は何か
と挙げた。

一方近代工業社会は、徹底した「効率化」を求めた。
「効率化」こそが利潤の源泉だった。
だから、従業員レベルには、「なるべく考えないこと」が推奨された。

上記の質問であれば、
4と5に集中することで「効率化」された。

ところがいま、工業社会が成熟し、
もはや「効率化」では価値が生めなくなった。

就職活動においても、
「自分で考え、行動できる人」が求められるようになった。
「価値観の多様化」と叫ばれるようになった。

水曜日、毎月恒例の若松ミライ会議。
「価値」について大学生と話していた。

最後の感想で出てきたこと。
・今まで学ぶ立場だったのが家庭教師して教える立場に
なると、自分の「価値」が変わる
・今までと違うコミュニティに「越境」すると、
自らの「価値」が変わる

そうか!
って衝撃が走った。

「価値観の多様化」ではなくて、「価値」が流動化しているんだなって。
いや、そもそも、「価値」とは流動的なものだったんだなって。

それを、国家が、為政者が、システムが、
「価値の固定化」を行ったのだ。
「富国強兵」「経済成長」の名の下に。

テレビや新聞などのマスメディアは
「価値の固定化装置」として機能した。

「欧米に、追いつけ、追い越せ。」
「ほしがりません。勝つまでは。」
みたいな。
「価値」を固定化し、目標を共有しないことには、
戦争や経済戦争で一丸となって戦えない。

学校もそうだ。
固定化された「価値」に見合う人材を輩出することが
学校の使命だった。

ところが、価値は本来流動していて、
固定化されてきた「価値」、
つまり、「情報処理能力が高いほうがいい」
という「価値」が揺らいできた。
(「イノベーション」を起こすには?のような問いが出てきた)

「イノベーション人材を教育で生み出せるのか?」
というジレンマがある。

「イノベーション」とは、
既存の枠組みではない「価値」を創出すること
だとしたら、

「イノベーションが価値である」という共通認識のもとに
開発されたプログラムからは、
イノベーション人材は輩出しえない。
という矛盾につき当たるのではないかと思う。

そして、
「就活」の違和感の源泉がそこにもあるのだろうと思う。

固定化された価値を「強化」するための学校システムから、
価値が流動化しつつある経済社会システムへの移行が、
ジレンマに満ちているのではないかと思う。

価値は流動化している。
いや、価値は本来、流動的なものなのだ。

それを体感できる場に身を置くこと。

学校社会だけじゃなくて、地域社会。
東京だけじゃなくて、地方。
日本だけじゃなくて、世界。

流動化する「価値」の中で、
自分自身の価値を考え、問いかけ、仮説を立て、
実践してみること。
そして、自分で「価値」を感じること。
その繰り返ししかない。

それは団体やチームでも同じだ。

設立の時に設定した「価値」
今年の団体・チームにとっての「価値」で
あるかどうかは分からない。
確認しなければならない。

それは社会によっても、
そこに集うメンバーによっても変わる。
いや、ひとつひとつの事業、もっと言えばイベントによっても変わる。
だから、それを確認しなきゃいけないんだよ。

この事業の「価値」は何なのか?「顧客」は誰なのか?
そんな問いがあるミーティングをしないといけない。

このイベントの集客目標は200名です。
マッチング目標は30名です。
そのためには、まずリストを2000名分集めます。
アプローチは、メールが何通で、SNSは毎日更新します。

みたいなミーティングだけをやっていないだろうか。

流動化する「価値」をつかむため、
ひとりひとりが感じている「価値」を共有すること。
事業によって生み出された「価値」を認識すること。

「仕事」はいつも、その先にあるのではないか、と僕は思う。

「価値」を考え続け、その「価値」を生み出すために
プロジェクトをつくり、自らの「価値観」を
プロジェクトやチームメイトとの関係性の中から
流動的に形成していくこと。

たぶん、これが必要になってくるのだろうな。
そういうミーティングをつくっていくような仕事したいなと思った。

大学生が「やりたいことがわからない」と悩むのは、なぜだろう?

それは、「自分のやりたいことを決める」ということは
自分の「価値」をいったん固定するということとイコールだから、
価値が流動化する社会において、それをやっていいのだろうか?
と不安になるからではないだろうか。

「価値」は常に流動している。
その「やりたいこと」は仮決定に過ぎないのだ。

「価値」を決めすぎず、「行動」を決める。
「行動」しながら、「価値」を問い続ける。
「やりたいこと」は仮説にすぎない。

そんな感じで進んでいけばいいのではないかなと思いました。

若松ミライ会議、僕のほうが学びになっています。
ありがとうございます。  

Posted by ニシダタクジ at 08:31Comments(0)学び

2018年06月06日

音楽性の違い

「他者評価の檻から自分を脱出させる方法」@茨大前


なんか、やっぱり
タイトルが刺さる人には刺さるみたいですね。

要点から行くと、
~~~ここからメモ

・「評価」じゃなく「承認」が必要なんじゃないか。
・「親和的承認」⇒「集団的承認」⇒「一般的承認」のステップのうち
「親和的承認」、つまり存在承認の機会があまりにも減っている。
・「家族」「地域」の役割が低下したことが大きい

・職業的自由や地域的自由が少ないとき、
「承認」の機会は逆に大きくなる。
・本当に必要なのは「承認」なのではないか。
・「学校教育」は「承認」欲求を「評価」欲求にすり替える装置で
戦争と経済戦争での成功体験がある。

・「評価」は他者によって与えられ、見えやすいが、
「承認」は(特に親和的承認)は自分自身が感じるしかないから見えづらい。

・「音楽性の違い」。目指すべき音楽が違う。
・「チューニング」ではなく「音合わせ」。
・オーケストラを吹きたい人がいれば、
それを吹けばいい。ジャズを吹きたいなら吹けばいい。

・かつて会社は、ひとつのオーケストラのようだった。
目指すべき音楽があり、信頼する指揮者の元、
それぞれが自分のパートを全うし、ひとつの音楽を作り出していた。
「作品」と呼べるようなプロダクトやサービスがそこにはあった。
オーケストラの目指したい音楽が無くなり、
あるいはその音楽の共有が難しくなったのに、
「仕事だから」という理由で楽器を弾き、
吹き続ける奏者に「美しさ」はあるだろうか、それは「芸術家」と呼べるのか。

・俺はジャズで観客と一緒に音楽をつくりたい。
俺はロックでもっと深いところを世の中に問いかけたい。
だから、このオーケストラは抜けるぜ。
そんな感じで会社やめてるんじゃないかな。

・大きいホールで何十人ものチームメイトと何千人の観客と空間を共有し、
一体化したオーケストラの一員になりたい音楽家もいれば、
小さなカフェで3人の奏者とジャズを奏でたい音楽家もいる。

~~~ここまでメモ

こんな感じ。
「音楽性の違い」。

これ、めっちゃいいキーワードだなと。
若い人の気持ちを代弁している気がする。

会社って、そういうところだったんだ。
大きい会社はオーケストラを。
小さい会社はジャズを。

お客さんに届ける。
そういう仕事をしていたんじゃないか。
「芸術家」が「生活のために」音楽を奏でるようになっていいのか?
そんな問い。

それと、
「承認」の関係についてあらためて考えさせられた。  

Posted by ニシダタクジ at 11:51Comments(0)学び

2018年05月26日

行きたくなるミーティングのつくり方

昨年4月。
新城劇場のミーティングで降りてきた
「チューニング」という言葉。

http://hero.niiblo.jp/e484726.html
いまこの瞬間と、その先にある未来に共感していること(17.5.9)

その中に書いてる、プロジェクトで重要なこと

1 「人」:誰と一緒にやるか。
2 「コンセプト」:そのプロジェクトはだれを幸せにするか。
3 「未来予想図」:その幸せにするプロセスをぐるぐる回していくと何が起こるのか。

そうそう。
特に1の「人」が大切なのだ。
と思う。

そして「人」、つまりチームメンバー
のことを知ることが大切。
「行きたくなるミーティングのつくり方」
というお題で、大学生と対話する機会があった。

まずは長めのチューニング。

・名前
・出身/ご当地自慢
・最近あったよかったこと
(ルーツと価値観を知る、感じる)

の後に、4人1組で
「そもそも、なんでこの活動に参加したのか?」
ていう「きっかけ」と「参加動機」をグループで語る。
そしてそれをみんなで発表。

でもって、僕の活動紹介。
少し質疑応答。

そのあと、
イベント振り返りの手法。

「予想した」「予想しなかった」
「よかったこと」「悪かったこと」
マトリクス

による振り返りで、
「予測不可能性」について考える。
つながるカレーの話をする。

モチベーションをドライブするのは、
よかったことで始まり、よかったことで終わる
ふりかえり。

何より、「予想しなかったよかったこと」
の中に、そのイベントの「価値」が詰まっている。

そしてそれは個人個人が聞いた(あるいは感じた)
パーソナルな具体的な話だ。
数値化できないやつだ。
それをシェアせずに終わってしまってはいけない。

「今日来てくれたお客さんにこんなうれしいことを言われた」
「今日実際に自分がスタッフやってみて、こんな気づき、学びがあった」

それこそが価値だ。
特に非営利活動の場合、
売り上げの達成や動員数などの数だけでない価値を、
その「振り返り」によって考えなきゃいけない。

そして、振り返りに居合わせた人同士が
それぞれの振り返りによって、何かを学ぶこと。
それこそがモチベーションを上げていく。

エンターテイメントの本質は「予測不可能性」だと僕は思うけど、

もっとも「予測不可能性」の高いエンターテイメントは、
「学び」であると僕は思っている。

だって、それ学んだら、
自分が変わっちゃうのかもしれないのだ。
未来が変わっちゃうのかもしれないのだ。

だから人は学ぶ。
その学びのために活動がある。
活動を振り返る。そして学ぶ。
その繰り返し。

そんな振り返りについての話をしてから、
種明かしと、今日のミーティングに出てどうだったか?
っていうふりかえりを行った。

それをワークショップ用語では、
「チェックアウト」と呼ぶのだそうだ。

さらに言えば、
僕が「チューニング」と呼んでいるやつは、
「チェックイン」と「アイスブレイク」というのだそうだ。
そういえば、僕は体系的に
ワークショップを学んだことはないかもしれない。

でも。
ふと気が付いた。

僕は、「人」つまりミーティングに集まる「個人」に
フォーカスしているからだ。

プロジェクトをつくるとき、
「お客はだれか?」アプローチと
「価値はなにか?」アプローチがあると思うけど、
僕は、人が好き、っていうのもあるのだろうけど、

不登校の中学3年生という「顧客」に出会ってから、
彼を幸せにするためにどうしたらいいのか?
ってずっと思考してきた。

だから、僕にとって、
ワークショップは、プロジェクトを成功させるためや
地域を元気にするために、だけでなく、
参加した個人をエンパワーメントするためにある。

そして、特に大学生と接していて思うのは、
「自分に自信がない」「やりたことがわからない」という課題
がかなり大きいなと思うからだ。

このミーティングのあとの食事会で
メンバーの大学2年生が問いかけた2つのこと。

・「生きる意味」「生きる目的」って何か?
・将来を考えたうえで「持続可能」であることは絶対に重要なのは明らかなのだが、
社会を生きる上でファストフードやファストファッションを使っている自分たちはなんなのか?

まさに、自らのアイデンティティというか
存在承認というか、社会の矛盾というか、
そういうのから発せられる問い。

僕はそういうところにも
「承認」のプロセスが大切だと思っているし、
そういう場としてもミーティングが使えたらいいなと思う。

「チューニング」とは、「音合わせ」であり、
こいつ、今日、どんな音が出ているのかな?
って感じることだ。

「ふりかえり」も同じでこいつどう感じたのだろう?
自分はどう感じたのだろう?
って感じること。

そうやって継続していくと、
それが「承認」の機会にもなっているのではないかと思う。

そう。
「チェックイン」「アイスブレイク」「チェックアウト」は
「場」の状態と、「場」と「個人」の関係を表す言葉で、
「チューニング」は「個人」にフォーカスした言葉だ。

「場」をつくるのはそこを構成する個人であるから、
そして僕は個人のほうに関心があるから、
そういう言葉を使っているのかもしれない。

なるほどな。

いつも僕は顧客ファースト(何かの標語みたい)で来ていたんだなと
あらためて思い出した。

いい気づきをいただきました。
ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 07:36Comments(0)学び

2018年05月14日

主客一致と学びあいのデザイン

チャレンジコミュニティプロジェクトの
集合研修(ギャザリング)。
今回は株式会社えぽっくの
副業・兼業の事業構築のため、
そちらの分科会へ。

1日目の全体会と合わせてまとめます。

☆1日目全体会メモ

コーディネーター自らが
チャレンジすることなしに、
「お前、チャレンジしろよ」と
いうことはできない。

ひとりの成功事例ではなく、
「土壌がつくられていくこと」が大切。

「土を耕す」ことは見えにくい。

チャレコミを通じて、ETIC.は、地域から
「地域愛」と、「地域愛を持つ大人のカッコよさ」を学んできた

地域のほうが人が育つ。
それは地域だと学生は「ひとり」として見られるから。
東京だと人は「数字」でしかない。
それは売上という「評価」でしか測られないという意味に直結しているのかも。
「承認」されないのだよ、それでは。

違和感の正体を知ること。
言語化できること。感覚としてわかること。

そのためには、感性を磨くこと。
「違和感」を「ワクワク感」感じられること。

「チャレンジ」「挑戦」という言葉への違和感。
「みんながチャレンジしなくちゃいけない」という中での
チャレンジは、そもそもチャレンジなのか?

「チャレンジの連鎖」ではなくて、「学びの連鎖」

チャレンジに失敗はあるけど、
学びには失敗がない。
そもそも失敗こそが学びの種だ。

コーディネートスキルは属人的であるからこそ、
学びのコミュニティをつくっていくことが必要で、
そこでは、教える側と学ぶ側の区別はなく、
「主客一致」が起こっている。

★2日目分科会「兼業・副業」メモ



事例紹介
・スキルシフト
https://www.skill-shift.com/
・サンカク
https://sankak.jp/

共感によってマッチングする。

岐阜G-net「シェアプロ」の事例紹介

共感と熱意でマッチングする。
パラレルキャリアの一歩目。
期間:3か月

プロボノ(個人的なスキルを生かして参画)
⇔シェアプロ(個人的な熱意と共感で参画)

「学びたい」というモチベーションドライブさせていく。

経営革新/人材育成
というテーマでプロジェクトを組む

受け入れ企業は、ミーティングの効率化や
数字を追いかけていく姿勢を実感し、学ぶ
社員は、経営課題に対して、自分が意見してもいいのだと学ぶ

大手企業側は、地方中小企業へのリスペクトが生まれる。
社員がそれだけ経営に対する情報を知っていることに驚く。

ポイント
1 事業開発の実践
2 他流試合の現場
3 3か月の期間限定

中小企業の経営と大企業社員のモチベーションの親和性が高い。
地方企業のV字経営を大企業のリソースを通してやる。

大企業社員の感想
「中小企業こそ社会価値を意識し、体現している」
「事業に社会性があり、共感が得られる」

「企業研修型」と「一般公募型」の設計の差。

受け入れ企業のポイント
・仮説、共感ポイントがあること
・参画人材にやる気と経験がある分、導入企業の「本気度」が
敏感にモチベーションに反映されやすい

学生  経験はないが時間はある
社会人 時間はないが経験はある

・コーディネートは学生インターンより手間がかかる

ベストサポート(フォローアップ)
⇒ココの途中をどう設計するか。
ベストシナリオ(起こしたい変化)

シェアプロ:専門性を担保しているわけではない。
プロボノとの違い

対等な事業パートナーとして人材を入れる。
意欲と経験値で勝負。
スキルではなくスタンスで勝負。

20代後半~30代後半
3か月のうちに集まるのは5日
初回は合宿
毎週60分~90分のウェブミーティング

大ナゴヤ大学のような
若手「学びたい」人材のストック

学生インターンシップとの相性はプロジェクトによる
インターンに適したプロジェクトと
シェアプロに適したプロジェクトがある。

★午後 兼業副業のプロジェクトをつくってみよう

事例紹介
株式会社ナオライ
http://naorai.co/

CEOの三宅さんの親族は酒蔵を経営している。
そんな中、日本酒の蔵元は、ビジネス継続が厳しい状況下にあり、
それをなんとかしたいと起業。

現在は第1号案件として、
広島の三角島で無農薬栽培したレモンを使用し、
広島の酒造「三宅本店」で醸した
スパークリングレモン酒、「MIKADO LEMON」
を展開している。

三宅さん自らミカン栽培も、
ホテルなどへの販路開拓などを行う。

以下メモ

「時をためて人と社会を醸す」

その地にしかないDNAをくりぬき
唯一無二のものをつくる

「MIKADO LEMON」は
「シャンパン市場に売れる日本酒」を目指す。

酒蔵×離島

1906年の日本醸造協会の発足と
「きょうかい酵母」の頒布開始。
各蔵にあった酵母を使用しないようになる。

大企業×地域プロジェクトでアイデンティティ
を生み出す。

「どこがお金になるのか?」
=(ニーズはどこにあるのか?)

「価値を生み出すのはどこか?」
=(世の中インパクトはどこにあるのか?)

「パラレルキャリア」(副業・複業)という文脈と
「デュアルライフ」(ライフスタイル)という文脈。
「デュアルライフ」型はミッション共感が重要。

日本酒を売るという
「ゲームを変えないといけない」

ビジネスの流れ
経営相談⇒戦略立案⇒戦術検討⇒実行

学生インターンはどちらかというと
右(下流)のほうを担当してもらったが、
副業案件は左側もいけるのではないか。

~~~ここまでメモ

学びの多い2日間となりました。

1日目の全体会で感じた
「挑戦」っていう言葉への違和感も、
その後のワールドカフェで能登の奈美さんと話したことで
解消された。

「挑戦」という言葉が学生に響かないのは、
「挑戦」が唯一解ではなくなり、
学生が納得解を探すため、個に向かっているから。
もはや「自分経営」の視点がないと、生き延びることができない。

「自分経営」の視点を得るために有効な方法の一つが
「実践型インターン」である。そこには地域の社長がいる。
地域の社長は自らの会社を経営しているだけじゃなく、
地域を経営し、当然自分自身も経営しているのだ。

うんうん。納得。
「実践型インターンは挑戦じゃなくて、自分を知るプロセスなんだ」

2日目がめちゃめちゃよかった。
「シェアプロ」やってるG-netも、
「ナオライ」の三宅さんの話も、
心を打ち抜かれるような衝撃があった。

田坂広志さんが問う
「いかに生きるか」っていうのに対して、

事業を通じて、
世の中に表現しているのが素敵だなあと思った。

また、本業じゃなかったとしてもそこに参画したいと思う
20代・30代に向けて、そのような機会をつくるのは
価値があるなあと感じた。

G-net「シェアプロ」のキーワードである
「共感と熱意」っていう言葉に表されているように、

地域企業の経営陣と大企業の若手社員が
ひとつのプロジェクトを通じて、「共に学ぶ」関係性となる。

その相互作用が企業を、そして人材を
成長させていく原動力となる。

株式会社ナオライの
日本酒の酒蔵×地域っていう切り口も、
学びの場づくりとしても、非常に魅力的だなあと思った。

副業プロジェクトづくりグループワークで熊本・フミダスの濱本さんが言っていた
「酒づくりじゃなくて、地域文化づくりプロジェクトだ」
っていう一言にもシビれた。

日本酒の蔵元の再興、商品づくりを通して、
地域文化を再考し、魅力を見つめなおし、
商品づくりを通して誇りを持てるようになる。

日本人として、地域人としてのルーツを
探るようなプロジェクトだ。

「いかに生きるか?」という問いから始まる
「自分は何者なのか?」という問い。

それを考えるプロセスにも、
ナオライの地域プロジェクトは魅力的だなあと思った。

僕が感じたのは、大企業の全国転勤族の独身社員が
そのようなプロジェクトに向いているのではないか、ということ。

そういえば、
ツルハシブックスにも、何人か、そんな人がお客さんで来ていたっけ。
あとは朝活コミュニティにも何人かいたなあ。

彼ら、彼女らを見ていると、
「学びたい」というモチベーションが高い。
そして、もう二度と来ないかもしれない
「新潟」という地域に対して知りたいという欲求が強い。

もちろんもうひとつ「仲間がほしい」というニーズ。

「仲間」というのも、
単なる酒飲んで騒ぐ人たちではなくて、
「共に学べる仲間」。

昨日のブログで言えば、
「問いが近い仲間」
http://hero.niiblo.jp/e487412.html
(18.5.13 問い続けている人)

そんな人たちと一緒にやるプロジェクトは、
本業とか副業とかいうカテゴリーを超えて、
「生きる」のに必要なのではないだろうか。

そんな人たちにどうやってリーチするのか?
っていう課題。

「ツルハシブックス」は、
そんなプラットフォームになり得たと思う。
いや、おそらく「店員サムライ」たちにとっては、
そういう場だっただろうと思う。

僕のミッションは
「学びあいの仕組みづくりで希望の灯を灯す」なのだけど、

今回の兼業・副業のテーマでプロジェクトを検討する中で
あらためて、学びあいのプラットフォームの重要性を
知ることができたし、そこに対しての本屋という場の持つ可能性を感じた。

だから、全国の
チャレコミ的な場に、本屋プラットフォームを
つくっていくのは、僕のミッションになるかもしれないと思った。

1日目の全体会で一番印象に残ったこと。

コーディネートが属人的スキルだからこそ、
コミュニティをつくるのだ、ということ。

そこには、「教える人」は存在しない。
「ともに学ぶ人」がいるだけだ。

「シェアプロ」は都市の大企業社員と地方中小企業の経営者が
フラットに学びあえる場だし、

「ナオライ」がやろうとしていることも、
その先には、地域の人たちと、共に地域について考え、
地域の未来を創っていく場が見える。

「チャレコミ」っていうのは、そんなふうに、

「主客一致した学びあいのデザイン」
なのだなあと思った。

5年ぶりのチャレコミギャザリングは僕にとって
新たな1歩目となりそうです。

ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 08:48Comments(0)学び

2018年05月13日

問い続けている人

5月11日、12日と、NPO法人ETIC.が主催する
「チャレンジコミュニティプロジェクト」の
集合研修「ギャザリング」に5年ぶりに参加してきました。

午後からだったので午前中は、
いろいろ動きまず。

まずは「メトロ都区内1日パス」で自由を獲得。


まずは、いつもの「大和魂」回収へ。
吉田松陰先生終焉の地、小伝馬町十思公園で手を合わせる。

その後、中目黒・蔦屋書店へ。
すごい素敵なカフェでした。
梅田もそうだけど、
僕、蔦屋書店っていうカフェ好きです。

あの空間が302円(ドリップコーヒーショートサイズ)
で買えるのは信じられないなと思います。
朝7時、中目黒は、僕の定番になりそうです。

★元組織コンサルにいたYさんとの朝活メモ

「研修」は利益率がいいけど、
クライアントのモチベーションが高くない。
⇒やりがいがない。

クライアントワークはお客さんをモチベーションの
源泉にするしかないが、それが難しい
このままでは何者にもならないと思い、転職

大学生世代の就活における親とのコンフリクト
「勝ち組」「負け組」思想からくる、
大企業志向(知っている会社志向)

中小企業は、「新聞に載っている会社」っていうので
かなり親としては安心する
⇒うちと一緒にやると新聞に出れます、っていう営業ができる

「挑戦」じゃないんじゃないか。

就活応援カフェって面白いかもなあ、と。
新宿のスタバとかで。地方出身就活女子限定。

1人でいても違和感のない場所をつくる。
⇒話しかけてもいいカフェをつくる

会社名じゃなくて、個人名で就活する

コワーキングスペースが
個人事業主や社長が使う場所だとすると、

その前段階のスキルアップ、副業のタネさがし、
仲間をつくりたいニーズがあるんじゃないか。

★ここまでメモ

なるほど。
たしかに、コワーキングスペースとか
そんなに仕事仕事していない現場もあるといいなあと思う。

そして、中目黒から虎ノ門へ移動して、
「会いにいける玄洋さん」へ。
熱海で本屋をやる村松徳馬くんと参戦。



いやあ、とっくんスゲーわって。
衝撃受けまくりの玄洋さんのヒアリングでした。
なんかもうシビれた。

☆以下とっくんメモ

高校1年生のときに、1年で勉強をやりきって、
本を読みまくった(1年で400冊以上)

結果、2年の春に高校を中退。
(高橋歩さんの本に影響を受ける。
いつ死ぬかわからないなら、高校やめる、みたいな)

その後、札幌からフィリピンへ語学留学。
(海外での飛び級での大学進学をイメージしていた)

フィリピンでの衝撃。
「英語できたって意味なくねーか?」

グローバル人材、つまり、世界の人たちと
何かつくっていける人になるには、
もっと日本を知らないといけない。

海外じゃなくて、日本でやりたい。
好きだった「熱海」でやりたい。

「熱海」の魅力は、
透明感のある雑多なまちであること。
「気」がいい、だから熱海に住みたい。

実店舗を持てば、みんなが来てくれる。
試しにつくってみるか。

今自分が売れるものは本。
だから本屋。

☆ここまでメモ

なんか、かっこいいな、これは。
問い続けてる。

というか、僕の好きな人って
問い続けている人なんだなあって。

大切なのは英語という「スキル」そのものではなくて、
「学び」なんだよな。

これはおれがやらなくてもいいのでは?
っていう問い。

限られた時間を何に投資するのか?
っていう問い。

それは美しいのか?
っていう根源的問い。

そんなのを問い続けている人が
僕は好きなんだなあと思いました。

チャレコミギャザリングの話は次のブログに書くとして、
夜、ハックツの宮本と話していたのが、

評価と承認と表現と共感
っていうところ。

「評価」の呪縛を自覚し、
「承認」へとシフトするとき、

そこには表現の場が必要で、
そこに共感を感じる仲間がいるとき、
小さな承認を感じることができる。
そんなデザインが必要なのではないか。

たしかに、そうだな。

自己肯定を生む表現活動のデザイン。

もしかしたら
東京の「暗やみ本屋ハックツ」っていうのはそういう活動
なのかもしれないなと。

いや、それは、もしかしたら、
「まきどき村」もそうだし、ツルハシブックスのサムライの制度も
そうだし、これからやっていく、兼業・副業のプロジェクトも
そのひとつなのかもしれないなと思います。

大切なのは、問い続けること。

答えのない時代を生きていくために、
問い続けること。

問い続ける仲間に出会うこと。

仲間と問いを共有すること。

そんな「場」を
人は切実に必要としているのではないか。
そんな風に思えた5月11日でした。

「問い」仲間のみなさま、ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 07:36Comments(0)学び