プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



QRコード
QRCODE
※カテゴリー別のRSSです
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 8人
オーナーへメッセージ

2020年01月19日

「暮らし」とは、分けないこと



昨日は、新潟市×イナカレッジのトビラプロジェクトの発表会でした。
われらが「内野おうちのごはん」プロジェクトも発表しました。

その前の11時~
同じトビラプロジェクトのまきどき村チームがやっているインタビュー展の会場で
唐澤さんと風間さんとトークイベントがありました。

題して、「新しい時代へ向かう、私たちのコミュニティのつくりかた」
大きく出ました。笑

一週間を切った告知にも関わらず、15名を超える入場があって、立ち見が出てました。

トークのハイライトは唐澤さんが地元のじいちゃんに言われた
「まきどき村ってパッとしないよね。でもそれがいい。」

「パッとしない」ってなんだろう?
あるいは「パッとする」ってなんだろう?
っていう問い。

~~~以下トークでのメモ

トビラプロジェクトの大学生に「まきどき村の目的は?」
って聞かれて誰も答えられない。
目的や目標を持って、どこかに向かっていくわけではないから。
「存在価値」とか「有用性」ではなくて、ただ「営み」の中にある。
それがまきどき村の価値なのだと。

TANEMAKI2にも書いてあったけど、システムは自らを維持するため構成員に「有用であれ」そして「交換可能であれ」と迫る。
それって、人の幸せのためにシステムがあるのではなく、システムを維持するために人があるのではないか?

「パッとする」っていうのは、例えばソトコトに掲載されたり、地域外の人がめっちゃ集まっていたり、商品の売り上げが上がっていたり、SNSのフォロワーがたくさんいたり。「数値化」されそうな何かがあること。

「パッとしない」っていうのは、分かりにくいっていうこと。
考えてみれば、まきどき村の活動は、すごく曖昧だ。朝ごはんイベントと田んぼづくりと、日常とイベントが陸続きになっている。
でも、「暮らし」ってそういうことだろう。

「参加」の度合いにグラデーションがあり、それを許容できること。
遅刻歓迎、畑作業も朝ごはんも参加自由、農作業もそうだけど、手伝ってくれるととても助かる。
そんなあいまいさ。それを「ゆるさ」と呼ぶのか。

「パッとしない」は分かりにくい、ということ。
分かりにくい、っていうのは分けられないということ。
お客さんとスタッフを分けないこと。
「暮らし」とは、分けないことなのではないか。

~~~ここまでまきどきトークメモ

これが実にタイムリーに、
「内野おうちのごはんプロジェクト」ともリンクしてくる。

~~~以下、トビラプロジェクト発表会からのメモ

「働き方」を内包した「暮らし方」全体を考えるということ。
たぶん、移住定住とかってそういう発想が必要だし、暮らしは、1家族だけでは完結しないのだから、地域とのかかわりと、地域だけに閉じないように「まきどき村」のような外部との定期的接点・窓口も必要なのかもしれない。

「入口」であり「窓口」のような場所。それを必要としている。
たぶんそれがシステムとしての「大家さん」だ。
かつてツルハシブックスはそういう場所だったのかもしれない。

「内野おうちのごはんプロジェクト」
めっちゃ考察してたな。ふりかえり力がすごい。
「お母さん」タイプと「大家さん」タイプ。それはすごい発見。

「観察する」っていうのが大事だなと。
仮説を立てる前に、まずは地域に入って観察する。そこからだ。

純粋にプレゼンの面白さで言えば、
「葛藤があったかどうか」っていうのはとっても大切だなと。
大学生だからこそ感じる何かを聞きたいな、と。

居場所っていうのは、場所のことではなく、人(の集合)だったり、機能だったりするということ。

アンケートを取りながらも、アンケートって、ツール(手段)だよね、って思えること。
だから、そういう人が何名いて、何パーセントでした、みたいなことじゃなくて、リアルな声として、こういう人がいた、という事実が大事。

~~~ここまで「内野おうちのごはんプロジェクト」のメモ

トビラプロジェクトってなんだったのか?
生み出した価値ってなんだろう?
そんな問い。

「プロジェクトを遂行する人」を育てるんじゃなくて、自分にとっての「暮らし」を主体的に考えられる人をつくっていくこと。
そういう人を増やさないと、新潟市に住む人がいくら増えたって、豊かにはならないんじゃないのか?

今回のトビラプロジェクトで、受け入れ先と運営者にとっての最も大きな問いは、
「プロジェクト(のゴール)をどこまで設定・設計するのか?」という問い。
「価値」についてもっとブレイクダウンして議論したほうがいい。

イナカレッジが「暮らすことを大切にしたい。」って言った時に、
大切なのは「観察する」こと、そして「飛び込む」「中の人になる」ということ。
プロジェクト設計はそこから始める、くらいでいいのかもしれない。
「テーマ」があって、プロジェクトが決まってない、みたいな。

「観察する」っていうのは同時に「感じること」でもある。

きれいなプレゼンや目に見える成果物じゃなくて、
「感じたこと」をできるだけ言語化して、
「価値はなんだっけ?」みたいな問いをお互いにぶつけ合い、
その場、チームでしか生み出せない「何か」を見てみたい。

今回、2つのプロジェクトの発表と、唐澤さんとのトークを通じて、

「暮らし」っていうのは分けないことだと思った。

「まきどき村」は、暮らしそのものの中にある「朝ごはん」
を歴史ある古民家と、集落の人たちとの接点の中につくっていくもので、
「朝ごはん」であるからこそ、参加者と受け入れ側を分けない、というか
参加の度合いのグラデーションが個人に委ねられるデザインになっている。

それは、「営み」の中に入るということ。

それはおうちのごはんプロジェクトの「ごはん会」と「お茶会」の違いでもある。
彼女たちは、その場に行き、地域の人と自らのスタンスの違いを感じ、言語化してみせた。
そしてプロジェクトの目的・意義自体を問い直すというプロセスを踏んだ。
そこには大きな葛藤があった。

その中で出てきたアウトプット。「お母さん」と「大家さん」。
それは自ら(や参加学生)と地域の人を観察し、感じ続けた成果だったように思う。
今回、僕の最大の収穫は「システムとしての大家さん」が可能なのではないか?ということ。
それを作っていくことは楽しい。

「暮らし」をデザインする。

そんな問いこそが、トビラプロジェクトのベースにあるものなのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 08:01Comments(0)学び日記

2020年01月12日

夢が感染する学校

グローカルリーダーズサミット2日目。
あ、もしかしたら1日目かも。

押方校長の「夢感染」の話から始まる。
「夢」はウイルスのように感染する。
影響し合って、みんなが動き出す。
たしかにそんな風になってるなあ、飯野高校は。

先輩の姿を見て後輩が追いかける。
しかもそれは自発的だ。
うちの生徒こんなことやってたんだ、と新聞で知る。

「やってみる」へのハードルめちゃめちゃ低い。
バスで移動する、ってなったら、
わたしがバスガイドの代わりをしようって。
それはすごいことだと思った。

オープニングから、
自分のチームの面白い人を紹介していく高校生。

その中で紹介されたひとり、
飯南高校の1年生佐々木隆之介くん
お茶が名産なので、
そのお茶の良さを伝えるため、緑茶ラテアートを作っている。
https://tabi.chunichi.co.jp/odekake/190912odekake_1.html

それが飯南高校美術部の活動。
美術部っていうのがいい。

そのあとに「AI時代に大切なこと」をテーマに
ワールドカフェ方式のディスカッションをしていたのですが、
彼が来てくれた時のテーマが「感動」

ラテアートは
目の前のお客さんのために一生懸命に書く。
しかもそれは、無くなってしまう。
写真は撮られるかもしれないけど。

ああ。
そこに芸術性があるのではないか。


お正月に読んだバンクシーのような世界観があるのではないか。

一回性が高いこと、つまり再現性が低いこと。
そこに「感動」があるのではないか。
エンターテイメントとは、
「予測不可能性」とともに、「一回性」が高いということ。

ラテアートっていうのはそういうことだし、
その1杯は、自分自身のために描かれている、
しかもライブで、だ。

そういう意味では、
旅先の本屋(古本屋)で本を買う気持ちにさせるっていうのは
そういうことなのかもしれないと思った。
ああ、この本屋で本を買った、というのを残したい、みたいな。

今回の一番の出会いはそこでした。
そして何より、それこそが「創造的な遊び」だなあと。
探究っていうのは、「総合的な学習」ではなくて、
「創造的な遊び」の時間なのではないか、と。

AI時代になって、
仕事はアートに近づいていくと思う。
感性と志が必要になってくる。
それを「探求」するのが「探究の時間」なのではないかと。

以下メモ

★大崎海星高校「みりょくゆうびん局」

2018同好会
2019部活動に昇格

・県外での説明会/みらい留学フェスタなど
工夫したこと:大きな名札をつくる。
↑これ、意外にめちゃめちゃ大切。手作り感でるし。

・学校見学ツアー
みらい留学フェスタにきて、興味を持ってくれた中学生が島にきてくれるときに2日間ツアーを行う。
そのツアーはみりょくゆうびん局が企画実行する。
2日目は町内各地をまわったり、オリジナルハンバーガーをつくったりする。大崎上島学の体験もある。
寮生活のリアルを見せることが大切。
「生き物」「交流」「創る・発信」「校内」の4つのチームがあって、昼休みや放課後にミーティングしている。
11月にお邪魔した時にはランチミーティングを見せてもらった。

★兵庫県立生野高校「播但線プロジェクト」
「バンタリスト」「バンタる」の言葉をつくり、播但線を活性化する。
電車って高校生にとっては日常だから、リアルに社会とつながれる場所になる。
彼女らもお菓子食べながら「バンタリスト」を生んだように
高校生は「言葉」を生み出す力はあるように思う。
キャッチコピーの教室とかやったらいいのかも。

午後からは、大人の勉強会。


浦崎先生のプレゼンに釘付け。
日本が経済的に後れを取っているのは、バブルが崩壊したからではなく、
新しい社会に対応できていないから。
知識が瞬時に賞味期限切れとなるsociety4.0時代に、「学校」は何ができるのか?

今回の僕としてのポイントは、探究の課題設定のところ。
浦崎先生のスライドを写経。

課題設定8か条
1 自分が心底「これをやりたい!」と思える(ジブンゴト)
2 自分の特技や持ち味を活かし、これを伸ばして成長でき、自分の個性が社会で役立っているイメージが持てる(進路展望)
3 学校の諸科目と「より広く・より深く」つながっている。(学ぶモチベーションの向上)
4 仮説「~すると、~になるはず」があり、これを検証できる(探究プロセスが含まれる)
5 地元(個人・地域)に具体的なニーズがあり、快く支援が受けられる(多様な人々の共感的な参加を期待できればベスト)
6 先生や地元の方々が連絡・調整・経費面で負担感を覚えない(実現性)
7 評論家的な提案に終わらず、知恵を絞り、汗を流すことで、課題解決に貢献できる。(提案・計画は「仮説」、行動して「検証」)
8 決められた期間内に「一話完結」できる。(壮大な計画の尻切れトンボはダメ)

キーワードとして、
「カリキュラムマネジメントと個別最適化」
「地域課題解決と個別最適化」
というのが挙げられた。

たぶんここ。
各科目へつながっていくようなプロジェクト。
地域の課題解決につながっていくプロジェクト。
でもその出発点には個人の問い。
当事者性の高い問いがあってはじめて前へ進む。
昨日の子育て応援プロジェクトNOGIKUもまさにそうだ。

そこへ行くには最初は先生やコーディネーターの支援が必要なんだと。

浦崎先生が
学習行動を自動車の走行を例に出して
説明していたのが素晴らしく面白かった。

学習=走ること。
4サイクルエンジンを回すこと。
学力低下=パワーダウンだと。

そこで「学力向上」が叫ばれ、
教師は一生懸命車を押した。

押された車はどうなったか。
D(ドライブ)からN(ニュートラル)へと
ギアを変えてしまった。
つまり、思考停止。
何も考えずに知識を詰め込む子が増えた。

もういちどDへとギアを入れないといけない。
そして走行に必要な燃料を投入しないといけない、

かつて昭和の時代は、燃料として高収入というインセンティブがあった。
もはやその燃料は枯渇している。

「探究」の4サイクルエンジン
課題設定→情報収集→整理分析→まとめ表現

それを回すには、燃料をふたたび知的欲求にするしかない。
「知りたい学びたい実現したい。」をエネルギー源にしていくこと。

先生の「負担感」の問題。
地域に開かれた教育課程は必須。むしろ減らすなら教育課程外の部活動。
「産みの苦しみ」はもちろんあるけどね。

「学校」と「地域」お互いが困っていることを一気に解決するところにプロジェクトを作れないか。
なるほど、「探究」っていうのは、デザインプロジェクトなんだ。

自分ごとになる入口。
まずは地域に出て活動して「楽しい」と感じること。
地元が意外に楽しい、と思えること。

中学までにやってきた「ふるさと教育」をもう一度やってみること。
これ、ありだな。
高校1年次はまずこれかもしれない。
そのやり方を探究の4サイクルエンジンでやってみる。

~~~ここまで浦崎先生の講座と僕のメモ

昨日見た飯野高校の発表。青天井に上がる当事者意識とモチベーション。
それはひとえに、「知的欲求」をエネルギー源としているからだ。
そして、それをサポートする教員チームもそこから学んでいるからだ。

冒頭のあいさつで校長が言っていた「夢感染」する学校がここにあった。

今回、ラテアートをつくる三重県立飯南高校美術部佐々木くんとの出会いで
あらためて気づかされたことは「一回性」の価値だ。

「教育」にも歴史があり、歴史の分経験があり、メソッドがあるのだけど、
1つ1つの探究プロジェクトは、一回性の高いものとなる。

その時、その生徒の心の動きを大切にする
いま、この瞬間の地域の状況を大切にする
地域の人たちが抱えている課題も大切にする
学校で学んでいる教科との連携・連動も大切にする

「子育て応援プロジェクト」はこれからも探究活動として後輩や別の様々な地域でも行われるだろう。
でも、ふたりがやった、二人が感じたそのプロジェクトは、二度とない。

「学び」もアートに寄っていくだろう。
そして「学び」の前で人はフラットになる。

僕がつくりたいのは、たぶん、そんな「場」なのだろうと
なんとなく思えた宮崎遠征でした。  

Posted by ニシダタクジ at 08:59Comments(0)学び日記

2020年01月11日

「その人」は世界を変える人かもしれない



宮崎県立飯野高校のグローカル学習成果発表会。
冒頭の押方校長のあいさつから激アツ。

あなたの隣にいる「その人」は世界を変える人かもしれない。
「その人」はあなたかもしれない。

うわー。って
そんな気持ちで、目の前の生徒に接してたら、
隣人に、同僚に接していたら、いい場になるのだろうなと思った。





ローカルJR線「吉都線」に観光列車を走らせるプロジェクト。

ニュースを総なめにした企画。
観光列車からのえびのツアーで
酒造めぐりとかライブとかを企画して電車+バスツアー。
旅行業者との折衝、市役所との調整、プレスリリースと、ぜんぶ高校生がやるんだなあ、と。
まさに「プロジェクト」「ベースド」「ラーニング」だなと。

課題は
・交通:吉都線の大雨からの復活できるか?
・内容:人が集められるのか?
・お金:20万円どうするか?
いやあ、これがガチのプロジェクトだなあ。
こんなのやってたら大学の推薦入試うかりますよ、みたいな。







今回一番びっくりしたのは、チームNOGIKU(野菊)の2人のプレゼン。
もうそれは、NPO立ち上げのストーリーかと思いました。

子どもの虐待のニュースを見て心を痛め、まずはその実態を調査、だれが虐待をしているのか?なぜ、虐待が起こるのか?を取材とアンケート。

母親の「育児ストレス」が原因となっていることを知る。
1 ストレス発散の場がない
2 いろんな情報がありすぎて不安になる
3 産婦人科がなく相談場所が少ない。

そこで、子育て応援イベントを行う。

お母さんはアロママッサージ。
そのあいだ子供は高校生が預かる。
おひるね、おすわりアートかわいかったし、それで子どものさらなるかわいさに気づく。
なるほど、これはソーシャル・デザインプロジェクトだ。

ネクストアクションとしてカフェを開催したりする。

講演会に参加したり市外のさまざまな子育て施設を見に行ったり、、、
いやあ、これは、NPO設立の動機を聞いているようなプレゼンでした。

ポスターセッションには
SDGsの視点っていう項目もあり。


驚いたのは県教委の先生の講評。
これが熱いの。

手づくり感。みんなが「参加」していること。
学びは世界を豊かにするもの。机上の空論であってはならない。
今、飯野高校で学べてラッキーだ、と。
「飯野プライド」を持って、卒業してください。

シビれた。
そうそう。

「飯野プライド」

隠岐島前の岩本さんもテレビで言っていたけど、
誇らしさと感謝をもって卒業してもらえるような学校をつくる。
それは、先生だけではなく、生徒も、地域も一丸となってつくるということ。
それが飯野高校にはあったなあと。

あと、今回いちばん学んだのはチームNOGIKUのプレゼン。

「当事者意識」って地域の当事者に出会うことによって、青天井に上がっていくんだって。

小さなニュースに心を痛めたっていう出発点から、地域の人に話を聞けば聞くほど当事者意識が上がっていく。それと同時にモチベーションも上がっていく。

そしてそれが地域のモチベーションまで上げていく。
探究ってそういうことか、と。
「探究」はそういうことまでつながっているんだなって。

「探究」がつくりだすもの。
それを見てみたいなと僕は心底思った。

ラストに、もういちど、押方校長の言葉を。

あなたの隣にいる「その人」は世界を変える人かもしれない。

「その人」はあなたかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 07:17Comments(0)学び日記

2019年12月23日

新潟の現在



公民連携ミーティング
「公×民の可能性~新潟の現在」に参加。
柳都大橋から見る萬代橋はいつもきれい。
歩きじゃないと取れない写真。


新潟県庁の桝潟さんの基調講演から始まる。
Beyond the boundaryというメッセージに込められた思い。

~~~以下メモ

「地方の衰退」「自治体の経営破たん」「国単位の人口減少」
を一緒に考えてはいけない。

上り坂には上り坂の走り方
下り坂には下り坂の走り方がある。

税金だけを使って課題は解決できない
公とか民とか言ってる場合じゃない。
自分ごととして自治体経営をとられられるか。

・第3セクター:ガバナンスとファイナンスの欠如
・PFI:民間からのローン?
・指定管理者制度:管理者への補助金?

かつて道は行政ではなく地域住民の道普請によって整備された。
「公民連携」がマジックワード化している。

「学びと出会い」:公民連携ミーティング
「実践」:社会実験としてやってみる。県庁の森のフリマとか

事業の壁:黒字にしないと(オガール)
制度の壁:ミズベリング
組織の壁:敵は内部にあり
+意識の壁を超える。

クランボルツ/計画された偶発性理論

「公共空間を利活用する」:県が前例をつくる。
取材には必ず説明資料を渡す。
庁内の制度に位置づけることで横槍を防ぐ

公共空間はまちの日常的魅力となっているか?
公共空間≠行政管理地⇒公共はオープン

公共=包摂力→社会における心理的な安全性
公共は自分でもつくれる:マイパブリック
いろんなスケールの公共がある
→町内のもちつきに子どもが並ぶ

自殺の原因:逃げ場のない世界
→「開かれた世界」「コミュニケーション」「偶然を起こす」
→公共空間をひらく。それは家族・大切な人を守ること
→「まちづくり」じゃなくて俺の暮らしづくり、子どもの未来づくり
→ただ部活をしているだけ。

境界線を飛び越えて見たこともない世界を見たい。
Beyond the boundary

~~~ここまで基調講演

そして、高橋さん、山倉さん、小林さんの
公民両キャリアを経て現在思うこと。

高橋さん
現状維持=退行

山倉さん
新潟市はどうなっているんだろう?
→職員になってみた。芸術祭担当

三条スパイス研究所
ビジョンを考えること
なんでその料理なのか、そのプロジェクトなのか。

共通言語がもてない:話せなくなっていく。
「新潟いれない」
新潟のまちをよくしたいって言ってた人がいなくなっていく。

民間/お金をつくるところから始まる
経済活動をまわすことを考えているのか。

働き方の育て方
https://tarl.jp/library/output/2016/hatarakikata/

Climate change: 12 years to save the planet? Make that 18 months
地球を守るにはあと12年?いや18ヵ月だ

もうまにあわない。
今日ここから何をすべきか。

「もうまにあわない。だけどやる。だからやる。」

小林さん
「世の中につくられた虚構の境界線を探している」

~~~

そして、市役所の田口さん、稲葉さんからのコメント

田口さんの「役所のリアル」めっちゃよかった。
・公平性・公共性の縛り
・入札のドグマ
・予算・支出の硬直性

1 連携の正当性
2 機会の公平性
3 非入札でも大丈夫となる企画を官民で考える。
4 行政も民間も仲間である

対話の機会が均等にあること・排他性があるかどうか?が重要なポイント

稲葉さんもめっちゃ学んでいるなあ。すげえ。

「公民連携」なんのため?

・行政コストがヤバい:収入は減り、支出は増える
・サービス低下がヤバい:ランニングコストはイニシャルの4倍
・社会変化がヤバい:ライフシフトで寿命が延びている

前例踏襲→前人未到へとシフトしないといけない。
前例踏襲思考「面倒なことはしたくない」「仕事が増える」

人口減少プロジェクトチーム
1 エースを集め
2 データとロジカルシンキング
3 外部ファシリテーター
4 イシューから始めた:何が課題か自分で考えた
5 当事者関係者から話を聞く

結果
1 職員差が出る(インプットの差)
2 上司で止まる
3 動きがわるい。悩んで止まる
4 タテわり:人事のカベ

なんのためにやるのか?公民連携は手段

公共の領域と民間の続いていくものの真ん中に
社会課題の解決がある。

コミュニティの数が多い人ほど幸福度が高い。
幸福に必要なのは人間関係。

~~~ここまで

そしてパネルトーク

行政と民間の役割は違う
行政はプレイヤーじゃない。
ブレないように舵取りをする。

トランスローカル
足元どこ?視点の超え方

という感じでひとまずメモ
なんか、ジーンときちゃいましたね。

それぞれがそれぞれのポジションで頑張ってるなと。
  

Posted by ニシダタクジ at 07:45Comments(0)学び

2019年12月22日

「学びの生態系」をつくる

新潟日報の1面に登場しました。
うれしい。





記事は「むかごジェラート」の完成と、
12月21日、28日、1月5日に行われる温泉カフェのことでした。
(全日13:00~18:00 場所:津川温泉清川高原保養センター)

ということで、21日温泉カフェ本番。
真冬の温泉でかき氷販売です。





まずは杉崎さんからかき氷のレクチャー。

本人たちも「レガッタ大会より作業効率が上がった」と言っていたように、黙々とかき氷をつくります。



辻さんもコーヒー焙煎に挑戦!

そして、たくさんの人が買いに来てくれました!





かき氷は合計41杯の販売。
その他、むかごごはんやコーヒーを合わせて
売上合計は23,300円でした。
(むかごジェラートは別会計のため集計せず)

ふりかえりで出た「予想しなかったよかったこと」

・温泉で暖まった後ということもあり、冬にかき氷が好評だった。
・営業中に士気が下がらなかった。
・新聞見て電話してきてくれた人がいた。
・おばあちゃんがみかんくれた。
・facebook見てきてくれた人がいた。
・全員が仕事していた。
・コーヒー焙煎が楽しかった
・コミュニケーションすると買ってくれる
・しゃべるためにコーヒーを買ってくれたおじいちゃんがいた。
・コーヒーの香りもいい感じだった。
・実際にお客さんと話してみて、いいアイディア、意見をもらえた。

来週28日に向けて。

・休憩時間を設定する
・レジの場所を決める。
・お客さんともっと話したほうがいい。
・休憩室で休んでいる人に話をしにいく。
・ピーク時(14時くらい)の設定をする。夕方は減速した。
・テーブルに高校生1人ずつつけてみては?
・そろいのTシャツを着るとか?
をやっていきたいと思います。

~~~以上温泉かき氷ふりかえり

あらためて阿賀町の「資源」に気づいた1日となりました。
つくりたいのは「学びの生態系」。

まちの多様な人が複雑に関係して、
ともに「学び」の場、空間、環境をつくっていくような、
「機会から学ぶ」を体現するような、そんな生態系。

観光振興も、まちづくりも、生涯学習の推進も、
みんな一緒になってしまえばいいと思う。
その核に、高校生(中学生)はなりうると思う。
そしてそれが高校生(中学生)自身の探究的学びのスタートになるんじゃないか、と。

教師も、講師も、生徒も、大人も、子供も、
そんな区別が必要ないような、「学びの生態系」をつくる。

「人間も一本の織り糸に過ぎない」
若かりし頃、環境問題を学んでいたとき、衝撃を受けた言葉。
「自分もこの町の一本の織り糸にすぎない」
と思えるような機会をたくさん生んでいこう。

レガッタ、くるみ、むかご、雪椿、
れふぇり、目黒農園、久太郎、
そして見守り、応援してくれる地域のみなさん。

ともに学び、ともに創ろう。  

Posted by ニシダタクジ at 08:32Comments(0)学び日記

2019年12月19日

若者が地域から出て行ってしまう理由

南魚沼・六日町で
「Niigata高校生マイプロジェクトラボ」が開催。



歓迎されてます。笑

一番衝撃だったのは、高校生から地域の人への質問の時間。

~~~ここからメモ

「若者が都会に出て行ってしまうのは、地方には魅力ある仕事が少ないからだ。それについてどう考えるか?」

こんな質問だった。衝撃を受けた。それって本当に地方の大人たちのせいなのだろうか?と。それはある意味、そうなのかもしれないけど、地方、特に雪国にはそもそも「雇用される仕事」っていうのはなかなか少なかった。みんな百姓だったのだ。

そもそも、「やりたいことは何か?」という質問で、雇用される職業を説明してもらうというその質問がぜんぜん違うと思う。

副業、複業を前提としたキャリア教育が必要なのだと思う。就職する会社だって、1つの仕事(業種)で成り立っている会社より、様々なビジネスを組み合わせて成り立っている会社が経営は安定しているはずだ。

そもそも、その軸で考えると、東京にはもっと魅力的な仕事があるから、みんな出ていくよね。
「やりたいことは何か?」っていう問いは、当事者にならないまま、地方からの人材の流失を招いている。

必要なのは、地域でプロジェクトを行う(参加する)ことの先に、経営者体験、つまり利益を生み給与を払うことの難しさのリアルを感じる機会がどうしても必要になる。

高校生が「この地域には魅力的な仕事がない」って、対立構造で言うのではなく、高校生も大人も、「仕事」そのものを哲学し、この地域で生きていくにあたって、仕事はどうするか?みたいな問いにフラットな立場で向かわなければならない。

そういう意味では、大学生チーム「このめ」が語っていた。「何を仕事にするか?」よりも「誰と働きたいのか?」が大切だ、っていうメッセージは心に残った。そのためにコミュニケーションの機会、それもフラットな関係性で語れるコミュニケーションの機会を作っていくことが大切なのだと思う。

~~~とまあこんな感じ。

第1部の山本さんの講演メモ

~~~ここから

20年後の世界を想像する。
1 少子化と超高齢化
2 人生100年時代(生産性資産、活力資産、変身資産)
3 society5.0
4 仕事・働き方の変化(VUCAの時代)
5 グローバル化

・テストや入試ではなく社会に出ても一生使える学び(継続する学び)
・自分の興味関心から出発する学び(好きだから集中できる)
・答えが一つとは限らない問題に向き合う学び(社会課題の解はひとつではない)

探究的な学びはスパイラルで学ぶ。

1 少し高い目標「ストレッチゾーン」に挑戦する。
2 社会とつながることの大切さ。自転車に乗ることは目的じゃない。
3 自分のワクワクに詳しくなる。何に揺さぶられるか、そこから何を学んだか。

インナーワーズ。内なる声を脳が変換してタテマエが出てくる。

生徒にどう教えるか?何をやるか?っていうto doよりも、教師・関わる人のあり方to beが問われている。

インナーワーズ+5W1Hで問いを深める。
whyという魔法の質問。何度でも使える。

お客は誰か?という問いでチームを分ける。

伴走者として当事者を支援するのではなく、伴奏者として、その一曲をともに奏でたい。

「校風」=「伝統」って大事だな、と。
酒づくりも思ったようにならない。
杜氏さんの「いい酒を提供したい」という思いをみんなで共有できているか?
学校にとっての「校風」まちにとっての「文化」がとても大切だなあと。

若者がまちを出て行ってしまうのは、
仕事がないからではない。
そこに誇りや愛着がないから。
そこがふるさとになっていないから。

~~~ここまで

「学び」とは、いったいなんだろうか?
いまなぜ、探究的な学びなのか?
問いかけてくる。

そして、2日目のふりかえりセッション

~~~ふりかえりメモ

「ちょっと難しいこと、新しいこと、やったことがないことに挑戦する」→「挑戦したことを振り返る」(出来事+感情)→「経験の中から新しい考え方や次に活かせること(教訓)を引き出す。:自分なりのやりがい(エンジョイメント)が見つかる。→さらなる難しいことに挑戦する

そもそも楽しさは「予測不可能性」にあるのではないか。だから「挑戦」じゃなく「実験」してどんな結果が出るのか楽しみたい。探究は、再現不能なフィールド実験なのだ。ふりかえるのは、次に生かすためではなくて、予測不可能なことのふりかえりそのものがエンターテイメントなのだ。

KPLTふりかえり。
K=keep:上手くいったこと、今後も継続したいこと
P=problem:上手くいかなかったこと、課題だったこと
L=learn:このプロジェクトを通じて学んだこと
T=try:これからやってみたいこと
自分とチーム両方の視点で書いてみる。

この付箋に出てくるのは、自分の脳で編集した後のこと。その編集以前のキーワードを考えた方がいいのではないか。

Lは「場」で生み出してもいいのかもしれない。
よかった、悪かった
予想できた、できなかった
のマトリクスワークからの学びを深める手法も試してみたい。

「自分と仲間の変化」
挑戦する前の自分と比べて変わったことは?
「新たな気づき・発見」
活動を通して見つけた、自分や仲間の新たな面は?
「活動の価値」
マイプロに取り組んできた経験は、自分・チームにとってどんな価値や意義があったか?

~~~ここまで

僕としての1日目の第2ラウンドのアウトプットで出た。

個人を尊重しつつ場の「共感」からプロジェクトを始められないだろうか?

たぶんそこから。
講演すると、多くの人から質問が出る、「始められない」悩みは、どのように解決したらいいのだろう?
って思っていたし、それを意志のせいにするのは違うと思ってた。
共感から、場のチカラから始めるプロジェクトがあっていい。

そこに返っていくなあと。
「学び」も含めて、その場にゆだねてみることが
大切なのではないかなあと思う。

そうやって、その「場」が、場から始まったプロジェクトが
創造的なものを生んでいくこと。

それを積み重ねて、
高校生にとってその場所は「ふるさと」になっていく。  

Posted by ニシダタクジ at 18:16Comments(0)学び

2019年12月19日

学校教育と社会教育の潮目に浮かぶ船





福島県立ふたば未来学園高校訪問メモ

~~~ここから

ルーブリックで自己評価して、ルーブリック面談でルーブリックをコミュニケーションツールとして使う。行動の背景が理解できる。
ルーブリック面談は進路に直結している。ルーブリックをチームでやるっていうのもありかも。

生徒を立体的に見ること。数字だけでなく。

学校教育と社会教育の「潮目」に立っている。

電話でアポとって話を聞くだけで高校生は変わる。
社会へのドアを開ける。
「はじめてのおつかい」みたいなもんか。

ルーブリックをつくること、そのものよりも、ルーブリックをつくるプロセスを共有していること。それが教育目標に向かっていること。

高校との関わり合いの「帯」をつくる。「探究」などの授業カリキュラムに入り込んでいることの強さ。

カリキュラムもコンソーシアムもコミュニティスクールも、高校生の探究的学びに向かっていくこと。

まかせてもらう
→参画してもらう
→気づいたら先生自身がやっている
みたいなプロセス。

授業時間数がボトルネックになっている。
「未来創造探究」は毎週何か必ずある。

「地域系部活動」で重要なこと
・関係性:関係の質にこだわっていくこと
・ゴールの設定:ゴールが見えているか?
体育会系部活の一体感:ゴールを共有していること。

ふたば未来ラボ:公営塾のクリエイティブ版
コーディネーターの聖域
カリキュラムは企画研究開発部が担当。教務・進路ではない。

校内のどこにポジショニングするか?
1 教育目標
2 カリキュラム
3 校務分掌
をどう設計するか?

育てたい資質・能力は何か?
「対話」してそれをつくる。
→文字にして使いまくる。
コミュニティスクールのタイミングでそれをつくること。

「教育目標」と「教育課程」(カリキュラム)がつながらないと機能しない。

学校と地域の真ん中に教育目標をつくること。

~~~ここまでメモ

「高校魅力化」は、
学校教育と社会教育の潮目に浮かぶ船のようなもの。
この船はどこに向かっていくのか?
それを共有しなければ船は進めない。

まずは教育目標づくり、そこに行くための設計としての
カリキュラムづくり、そのカリキュラムを評価するためのルーブリック。
カリキュラムを補完・発展させるための地域系部活動。

それらのすべてが高校生自身の、
あるいは教員・関係者自身の探究的学びにつながっていくこと。

それが必要なのだろうとおもう。  

Posted by ニシダタクジ at 08:37Comments(0)学び

2019年12月19日

「学び」はこの直線上にない。

「学び」がこの直線上に、あるいは平面上に無い。
という仮定。

立体的な、3次元的な、あるいは4次元的な場に「学び」は創造される。
とする。

「先生」「教育」「成長」という言葉への違和感の正体が少しだけ見える。
川喜田二郎さんの発想法としての「KJ法」を学ぶと、
そこにこれからの「学び」の本質が見えてくるような気がする。

50年前の先見の明に驚く。

学びが「学校での学び」の直線上(延長上)に存在しないから、学べば学ぶほどゴールに近づいていく、という実感が得られない。
それが日々の虚しさにもつながっているのではないか。目標を設定し過ぎなのかも。
目標達成が喜びであるというのは、むしろレアケースなのではないか。
そういう人は成功すると思うのだけど、そこに「学ぶ喜び」はあるのだろうか。

エンターテイメントの本質が「予測不可能性」にあるとしたら、
「学び」とは、予定外、予想外のことを学んだときに喜びが生まれるのではないか。

大切なのは好奇心のスイッチをオンにすることなのだけど、
オンにさせることができるのは教師や講師ではなくて、環境というか、機会なのだと思う。
まあ、教師も講師も機会に過ぎないのだけど。

他者がそのスイッチをオンにさせることはできない。
あくまで自ら押さないと。

探究的な学びって、キャリアドリフト的に学ぶということ。
機会から学ぶ。つまり、学びが直線上にないってこと。
だから、「キャリアデザイン」とか「目標」とかと相性が悪い気がする。

川喜田さんは言う。

実験科学は仮説を検証するところに重要な性格があるのに対して、野外科学はむしろその仮説をどうして思いつけばよいのか、という、仮説を発想させる方法と結びついているのである。(「発想法」川喜田二郎)

仮説を生み出す。

昨今言われている「問題解決」能力というより、
「問題発見」能力っていうことなのかもしれない。

あるテーマに対して、「課題」と「仮説」を自ら設定することは、
川喜田さん的に言えば、「実験科学」から「野外科学」へのシフトなのだろうと。
そんなことを考えていたら、ある芸術家の発言にヒントをもらった。

そして思ったのが「道」という概念。

技術としての師匠と、姿勢としての師匠と。両方が必要なのだろうと。
その両方が重なるところに「道」ができるのだろう。

「道」には終わりがない。
「道」における師匠とは、到達点ではなく、ひたすら先に行ってしまう人のこと。

「学び」は「道」だけど、「教育」は「道」じゃないのかもしれないと思った。

「道」を生きる人っていうのは自分の人生よりはるか長いリレーのバトンを、駅伝のタスキを、今受け取って、次につなげないといけないと思って必死に走っている人のこと。

自分はいま中継者なのだという自覚。しかもその行き先は見えていないということ。それが「道」の強さ。

「校風」とか「文化」を大切にするっていうのは、自分が大いなる「営み」(プロセス)の一部であるっていう自覚を持つことができる。
「自我」や「意志」より、よっぽどそのほうが大切なのではないか。プロセスと切り離されてない自分に気づくこと。

師を通して「道」を学ぶ。
「道」っていうのは、目に見えては存在しないのだけど、たしかにそこにあるもの。

「学校」と「師弟関係」の違い。
学校を作るときにのコンセプトは「効率化」だと思う。

短期間で先進国に肩を並べる必要があった。
なにより「日本人」を作らなければならなかった。

学校での勉強は、明確なゴールを設定し、その達成度によって、生徒も、先生も評価された。

それは「学び」を根本的に変えてしまった。
「道」ではなくなってしまった。

師匠というのは、
この道をひとまず歩んでみようとすることのこと。
師匠の背中を追い求め、道を歩んでみること。
そこには本質的に到達点がない。
そして、「学び」は都度、創造される。

探究学習でテーマを決め、現場を観察し、
課題と仮説を生み出すこと。
その仮説を実践すること。
その繰り返し。

そこに予想できなかった「学び」が発生する。
それを喜びとして学びのエンジンを駆動させていくこと。
それがつくりたい「学び」の場なのだろう。  

Posted by ニシダタクジ at 08:10Comments(0)学び

2019年12月09日

「判断」の余白をつくる

栃木・那須にある非電化工房に行ってきました。
行きの電車の中で読んでいたのはこの本。


「野性の復興」(川喜田二郎 祥伝社)

こちらのW型の問題解決図式。
これが面白かった。

P109のこの図

「ひと仕事」とは、このように動くのだと。

それは「実行」「実践」ではなく、「執行」に過ぎないのではないか?
と川喜田さんは問いかける。

何が違うのか?
そこに「判断」「決断」がないからである。「判断」することのなければ、実行、実践とは呼べず、単なる「執行」である。
これは厳しい一言だなあと。

A 探検 →B 野外観察 →C データをして語らしめる
→D 評価・決断・構想計画→E 具体策・手順化
→F 実施 →G吟味検証→H 結果を味わう
というW型で起こっていくのだと。

ああ、そうか。
「仕事」にモチベーションが上がらないのは、
F以降、むしろFのみのことしかやらせてもらってないからだ。

あ、それって「学習」も同じだ。
学校の授業にはFしかないんだ。
授業案もぜんぶ先生がつくっているから。

そして、非電化工房見学会へ。


予算50万円で建てた非電化カフェ。

中に入るとこんな感じ。




~~~ここから見学会メモ

「非電化工房」見学会に参加。
感想がうまくまとまりそうにないけど、一言で言えば、ジーンと来ちゃったなあ。静かな感動というか、そういうやつ。
高校~大学の僕のトピックは環境問題だった。その頃に出会っていたら、1年修行したかった。
環境問題は技術でなく、価値観の画一化と思考停止の問題だと思った。

生きる力。食べるもの、住む家、エネルギーを自分で何とかすること。
+生活に必要な資金を稼ぐこと。
特に住む家を自分で建てられるというときの安心感。50万円で家は建つ。

テスト弟子入りのポイント
1 体力
2 性格
3 志

杉皮の遮光性とか、もみ殻の断熱性とか、すげえなと。自給できるじゃんって。

「非電化」というのは、「電気を使わない」ということではなくて、「電気に依存しない」ということ。
「お金やエネルギーに依存しない」ということ。「生きていける」という実感。

「現代の縄文人」っていうか、そういう感じ。
テクノロジーさえも自然資源とするような。

「保温調理器」とか「圧力鍋」とか。
エネルギーを与え続ける必要はなくて、温度を保てばいいのだと。

白金カイロ「ひとりキャンペーン」。
いいなあ、藤村先生の遊び心。

土塗りワークショップの一番の利点は仲良くなること。

「非電化工房じゃないとできないワークショップ」
同じワークショップは2度とやらないという発明家の意地。
でも、あまりにもそれだと大変なので、やっぱり2,3回はやろうかという余白。笑。
その余裕が魅力だ。「しなければならない」「こうでなければならない」は一つもないのだから。

女2人で2日で1万円で井戸を掘るWS
http://hidenka.net/seminar/ws2018/ws5.htm
いきたい。

もはや上水道は維持できない。
だとすると、井戸を掘るしかないよね。
出るまで掘る。1人ではやらないこと。みんなでやること。

「発明家」とは何か?
困っている人がいたら何か発明して解決する人のこと。

汚い水が原因で子どもが毎日死んでいる。なぜそれを放っておくのか?という憤りから始まった井戸掘り。
お金を使わないで井戸を掘る方法はないか?女の人は子どものためなら動く。だから、女2人で、ってタイトルなのか。

ワークショップで簡単に水が出るのはあまりよくない。井戸掘りの技術そのものがすごいのではなくて、出るまでやっても1万円しかかからないこと。みんなでやれること。出るまでやり続けることができる、という価値。

「お金があることでチャレンジできる」のではなく、「お金がなくてもチャレンジできる」へ
出るまで掘れば井戸から水は出る。やればできる。

「非電化工房」全体の横たわる遊び心がすごいな、と。日々実験してる。

「時間が止められるか?」という問い。
「空間が狭くなるほど時間は長くなる」理論。面白かったな。

クレーの絵と谷川俊太郎の詩で感動できないはずがない。
→感動できないのは時間に追われているからだ。
→時間を止められる場所をつくれないか。
→ツリーハウス。

猪熊弦一郎×ホンマタカシも感動できないはずがない。
「時間の流れを変えられないか?」という問い。

「非電化」っていうのは技術じゃなくて思想や文化、なのだなあと。
そこに若い人が吸い込まれていくのはよくわかる。
それでいて思考停止させない余白だらけの空間がある。
常に判断、し続ける。

非日常空間をつくるには、太陽(光)を見せないこと。

「窓」とはいったい何か?
採光や風を通すという機能以外の何か、もっと大事なものが入ってくるのではないか?
それは未来や希望なのかもしれない。
想像力。

「機能」よりも大切なものがあるんじゃないか?という問い。

~~~ここまでメモ

どこまでも遊び心にあふれた発明家、藤村靖之さん。
「非電化」とは、「電気を使わない」ことではなく、「電気に依存しない」こと。

そして、「非電化工房」っていうのは、
巨大な実験場で、日常生活そのものを「自らつくる」という
プロセスそのものを楽しんでいるところ。
発明家の意地、誇りから始まった井戸掘りプロジェクト。
家を自ら作ることで得られる、圧倒的な安心感。

「時間を止めることができるか?」
「窓」ってそもそもなんだろう?
と実践を通して問われる哲学的な対話の時間。
ここには、川喜田さんの言う「仕事」が、たしかにある。

それは、探検(実験)し、野外観察し、評価と決断をして、
次の策を考えるという問題解決図式の本質がある。

「仕事」から「判断」を奪えば、それは「仕事」ではなく「執行」になる。(川喜田二郎「野性の復興」より)

この言葉は重い。
多くの人たちが「仕事」と呼んでいるものは、実は「執行」に過ぎないのではないか。
それは組織の問題でもあり、規模の問題でもあり、個人の問題でもある。

「学び」もきっとそうだ。
「授業」がそもそも「執行」に過ぎないのではないか?

そこに「判断」があるのか?
「構想計画」があるのか?

「課題が与えられ、解決策を提案する」
「観察」も「判断」も「執行」もない。
そんな授業でどんな力をつけようとするのか?

「判断」の余白をつくること。
そこに「主体性」と呼ばれるような何かが生まれるのだと思う。
それは「好奇心」だったり「探究心」だったりするのだろうけど。

たぶん、そこが一番大切なところだと。  

Posted by ニシダタクジ at 10:20Comments(0)学び日記

2019年12月01日

「学び」を「創造」する

フラットな関係性をつくるコミュニケーションのデザイン。
これが僕の現代美術家としてのポジションなのですが。



昨日は黎明学舎と「れふぇり」さんのコラボ
むかごジェラート(目黒農園提供)のイオン新潟南での販売でした。


目黒さん入りパッケージ。


むかごってタピオカに似てますよね。



信州大学の福住さん、平下さんが
1泊2日で阿賀町に来てくれて、最初のお客さんをやってくれました。

1日目の夜に、
すごい発見をもらいました。

「学び」を「創造」すること。

それだ、と思いました。
高知の嶺北で瀬戸さんたちがやっていること。

それは、
創造的な学びの場づくり、ではなくて
「学び」の「創造」だった。

嶺北探究の授業で誰よりも学んでいたのは
瀬戸さん自身だった。
しかもそれは、授業という「場」がなければ成立しない
学びだった。

そこに惹かれて、中学生は入学を決めていくのではないかという仮説。
嶺北には、「あこ」には、「学び」の「創造」がある。

学びを創造する。
創造的行為を積み重ねて「ふるさと」をつくる。

むかごジェラートっていうのは
たぶんそういうこと。
初めてのことをやることで「学びの場」が創造される。

高校生と講師の区別なく、
学びを創造していきたいと思った。

そして何よりも僕自身は
学びの創造の際に起こる
フラットなコミュニケーションを見たいのだと思った。

楽しくなってきた。  

Posted by ニシダタクジ at 06:53Comments(0)学び

2019年11月23日

「授業」や「場」というエコシステム(生態系)

高知県の嶺北地域、本山町に嶺北高校があり、
土佐町にNPO法人SOMAが運営する「あこ」がある。

嶺北高校の探究の授業と
フィールドの見学をさせていただきました。
大辻さん、本当にありがとうございました!

まずは四国の水がめ、早明浦ダム。


からの男子寮の見学


そして、高校で探究の授業を見学


事務所に戻って、説明を伺い、最後に公営塾の雰囲気を見て、帰ってきました。

NPO法人SOMAが展開する
地域の学びの場「あこ」が
本当に子どもから大人までが集っていて
すごい場所だった。

兵庫県の中学から入学した男子生徒は、
「最初に見たときに、ここだ、と思った。ひとめぼれに近いです」
と話してくれた。

その理由が、
大辻さんや瀬戸さんから話をきくたびに、
だんだんとわかってきた。

学びのエコシステム(=生態系)をつくる。

一言でいえば、そういうことなのだろうけど。

一番印象的だったこと。
嶺北探究の作られ方。
この日も直前のぎりぎりまで瀬戸さんは準備していた。

この日の授業は、
・「嶺北高校の魅力化は私の笑顔」→動画をつくる
・シネマトグラフィー。どのように時間を使うのか?
・中学3年生がどんな映像を見せられたら行きたくなるか?
・60秒で動画4シーンで表現する。1シーンずつにタイトル→どこで撮るか?
・絵コンテには忠実に撮る。現場で変えない。

前々回:絵コンテ
前回:動画撮る
今回:実際の動画を見てみる。

前回に撮った動画を見てみて、フィードバックをもらう、という授業。
動画のクオリティとしては、ぜんぜん完成されていない。
それを客観視する。

「観察する」→「デザインする」→「表現する」
このサイクルを回していくこと。

しかし、多くの場合、
「観察する」に重きを置いてしまう、
あるいは、「お手本」を見せてしまう。
最初からクオリティを重視してしまう。

モデルを示すと、その枠を超えていかない、と
瀬戸さんは言っていた。
いちど作ってみて、それを客観的に見ることで、自分たちに気づく。

そして、モチベーションも上がる。

今回、授業後に瀬戸さんのところに来て、
もっと動画編集の時間がほしい、と言ってきた生徒がいた。

これは、マニュアル通りにやって、
そこそこの動画ができていたら起こらないことなのではないか。
もしかしたら授業外にスマホもって、動画を撮りにいくのかもしれない。
自分で動画編集を研究するのかもしれない。

瀬戸さんも言っていた。
絵コンテに集中してた。前回と全然違う。
サブリーダーが生まれた。人数が多く感じた、と。

僕も授業を見ていて、
生徒たちがだんだんと身を乗り出していくのがわかった。

~~~以下メモ

「干渉」ではなく「保護」(見守り)

個人の興味関心を言葉(発言)から拾っていく。
マンガ、ラノベ、検索してあらすじだけを把握する

★そこしか拾えないならこちらが学ぶしかない
★「聞いてあげること」の大切さ

目線を合わせないコミュニケーション
「あなたはそこにいるよね」というメッセージ
「かかわりがある」⇔「促進する」とは違う
コンテンツじゃなくて「環境」(場)

★主語が出る
誰でもいい動画じゃない。自分が出ないと成り立たない。

「この授業の主役って誰?」→あなたですよね?
と毎回聞いている。だんだん浸透していく。

「主語を自分にしていく練習」としてのマンダラート。
できていないことのチェックとリマインドはやらない。
「変化した」⇔「変化させた」

週1時間でいい。主語を自分にしていく。そこから。
「あなたの人生の主役は誰ですか?」と問い続ける。

~~~ここまでメモ

いちばんビックリしたのはリフレクションシートのこと。
リフレクションシートは毎回違うものをつくっているのだという。

前とのつながりを確認したり、次へのつながりを確認したり、
その授業回によってリフレクションの機能が違うのだと。

ああ、この授業はライブなんだと。
いま、この瞬間瞬間に作られていくんだと。

瀬戸さんは
「次に会うときには別の人になっているという前提で授業をする」
それはおそらく瀬戸さんにとっても。

来週の授業に来ている生徒は、今週とはまったく別人なのだ。
その前提で、授業をつくる。ふりかえりをつくる。
ライブ。瞬間瞬間

この授業は、瀬戸さんにしか作れないと思った。
いや、本来はどの授業も、その人にしか作れないんだ。

瀬戸さんが言ってた。
「目の前で変化している人の変化を見逃さずに済む。」

それを見ているんだ。
ひとりひとりの「変化」そのものを。

「新しい学校をつくる」という言い方
→既存の学校を否定することになる。

スタッフとして二項対立で見る人はダメ。AもBもありだと。
環境とマインドセットで人は変わる。

あとは場づくりについてのこの一言。
(子どもたちの意欲を高めるために)
「そこでは、無能な大人を演じるしかなかった。」
これも深い。

「支援」だと思って、大人はつい教えてしまう。
それが子どもの意欲を摘んでいないだろうか。

月刊「社会教育」2019年8月号に、瀬戸さんが紹介されている。

~~~ここから引用

「なんでなんだろう」と誰かが思った時に、「なんでなんだろうね」ってみんなで考えられるかどうか、これが教育機会の確保だと思ってる。

教育の目的が人に置かれることに対する危機感。

ある活動を通してこういう人が育ってほしいというのは非常に危ないと思っていて。だから常に意識・作用点は環境に置く。人は環境から独立して生きていくことはできないし、常に環境依存だから。

エコシステム、すなわち個と環境との関わり合いに注目する仕組みづくりと言える。

ここで重要なことは、エコシステムのアプローチは、あくまで意識・作用の対象を環境に向けるが、そのため相手の存在をしっかりと認めることが必要とされる。

エコシステムのアプローチにおいては、個の存在を圧倒的に意識しながらも、学びのために一歩引くということがなされている。

「土佐町は貧困地域というよりも、本質的な学びができる地域だと思った。」

~~~ここまで引用

エコシステム(=生態系)とそこにいるひとり。

という視点。
個の存在を意識しながら、学びのために環境(場)にアプローチすること。
「承認欲求を満たす」というよりも「あなたを見ていますよ」というメッセージを言語外で伝えていくこと。
そういうかかわり。

授業も、場も、エコシステム(生態系)ではないのか?

そんな深く、重い問い。
再現性なんて、やってみないとわからないけど、誰がやっても同じ結果には絶対にならない。
そして、環境も、そこにいる人ひとりひとりも、常に変化し続けている。
それを感じながら、「学び」をつくっていくこと。「場」をつくっていくこと。

その「場」を見て、感じて。
中学校3年生が直感で「ここにしよう」って決められるような。
「ひとめぼれしました」って言ってもらえるような。

そんな「場」がつくれるか?
にかかっている。

地域外からの受け入れ初年度(H31年度)10名、二年目も10名(R2年度)
の申し込みがすでに来ている嶺北高校。

その魅力を一言では言えないのだけど、
そこにはたしかに「場」があった。

「変化」を見守る大人たちがたくさんいて、圧倒的にあったかくって、
日々、学びの機会があって、毎日、「変化」が楽しみになるような。

そんな「場」がたしかにあった。

さて、こんな場を作ることができるのか、まったく自信はないけれど、
エコシステムというサイクルを、僕らのまちでも、回しにかかろう。  

Posted by ニシダタクジ at 07:40Comments(0)学び

2019年11月20日

コーディネーターがつなぐのは

6月の地域みらい留学フェスタ@東京でめちゃめちゃ輝いていた
大崎海星高校におじゃましています。



1日目は
コーディネーターの取釜さんに話を聞き、
「みりょくゆうびん局」交流チームのランチミーティングの後、
1年生の大崎上島学「羅針盤学」の授業を見学し、
その後、公営塾「神峰学舎」へ。

公営塾は、夢☆ラボ。
1年生による「興味があるもの発表会」
「興味があるもの」についてプレゼン。
「ビートルズから学ぶ」の彼、面白かったな。

大好きなものがあって、
なぜ、自分は好きなのか?って問うのは
探究の入り口のような気がしたし、
最後にビートルズから学んだことを
自分の言葉で語ってくれた。
「自分は自分、好きなことをして、好きなように生きていい」
いいなあ、そういう入口。

モチベーションのスイッチを押すって
そういう機会の積み重ねなんだなあって。
黒ひげ危機一髪みたいに、
「機会」というナイフを刺しまくっていくことだなあと。

ランチーミーティングの進行をした石井先生もすごかった。

ほかの人の意見を聞きたい
→「それによってあなたはどう変わる?」
おどおどしたくない
→そういう経験があったの?

ひとりひとりのコメントに対して、それを掘り下げる質問力。
すごいなあって。
わずか30分の魔法を見せてもらったようだった。

プロジェクトの説明をしてくれたのは取釜宏行さん。

2011年にUターンして私塾をスタート。
学習支援とキャリア教育の2本柱で取り組む。
この私塾でのキャリア教育がすごかった。

6つの柱で「島キャリ」を行っていて、
生徒が主体となった「やりたいイベント実行委員会」など、
興味深いプログラムが詰まっている。

ここから始まったんだ。

そんな風に思った。
26年から準備して平成27年度に大崎海星高校の魅力化がスタート。

考えられることはすべてやった。
民泊を受け入れている大阪の中学校全校に校長先生と一緒に営業にいった。
東京での説明会を12回行ったが、参加者ゼロの会も数回あった。
寮の整備も予算のない中、様々な可能性を検討し、交渉した。

いま、コーディネーターとしてプロジェクトの設計や
地域の人たちとの橋渡しを行っている。

「関係者には、電話で済む話でも直接会いに行く」
と取釜さんは言っていた。

車に乗せてもらっているあいだも、
郵便局でも、道端でも、
取釜さんは知り合いを見つけては、
自分から話しかけていっていた。

取釜さんが言う。
「すごい人がいたわけじゃない。熱意ある人がいて、その熱意がつながっただけ。」

その通りなのだろうと思う。
はじまりはひとりかもしれない。
でも、その熱意が、熱意あるひとりを引き合わせる。
そこがつながると、何かが起こる。

コーディネーターがつなぐのは、
人と人ではなく、大人と高校生でもなく、地域と高校生でもなく、
熱意と熱意、なのだろうと。

熱意ある人がいて、その熱意がつながっただけ。

と振り返られるようなプロジェクトをつくっていこう。

夜明けは近い。


  

Posted by ニシダタクジ at 07:49Comments(0)学び

2019年11月11日

ガーデニングでスープカレーをつくる



昨日は教育ドキュメンタリー映画「Most Likely To Succeed」
の上映会でした。(眞也さん、写真もらいました!)

映画についてはこちらから。
http://www.futureedu.tokyo/education-news-blog/2016/6/8/most-likely-to-succeed-

僕のメモ。


一番印象的だったのは、
「教育はガーデニングに似ている。」
というもの。

それ!
と思った。
しかもそれは、あらかじめ何の種だかわからないんだ。

それを畑に蒔く。
日照りが続けば水をやらなければならない。
風向きが変わり、大雨が降るかもしれない。
時にカラスやタヌキが襲ってくるかもしれない。

隣に何の種を植えればいいのか?
肥料をどのくらいやればいいのか?
それは、1回1回の試行によって変わる。

それなのに、いままでは、
子どもたちは、トウモロコシの種だと信じ込まされ、
市場に出荷されるためには、色と形を均一になるように
施肥管理され、まわりと同じトウモロコシになることを強いられてきた。

ところが市場は、もう、トウモロコシばかり要らないという。
トルティーヤだけでは、食の世界にイノベーションが起こせないのだと。
もっと多様なメニューを開発し、新しいものを生み出し続けなければいけないのだと。
世界を驚かせないといけないのだと。

そもそも、みんなトウモロコシじゃなかったはずだ。

2003年、シングルカットされたSMAPの「世界にひとつだけの花」と
「13歳のハローワーク」(村上龍 幻冬舎)が発売された。
http://hero.niiblo.jp/e185845.html
オンリーワンとキャリア・デザイン(12.7.23)

槙原敬之はこう描いた。
~~~
そうさ 僕らも
世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい

小さい花や大きな花
一つとして同じものはないから
No.1にならなくてもいい
もともと特別な Only one
~~~

この種は決して1つではないのだろうと思う。
ひとりひとりが、別々の種を複数個、いや、30,40、300,400持っているはずだ。
その中で出現しているのがそのいくつかであるだけだと思う。

今年の6月に、
柏崎変態ツアーで感じた、「人間はもっと柔らかい」のではないか、という仮説。
http://hero.niiblo.jp/e489377.html
(人間はもっと柔らかい 19.6.2)

そう。
環境によって、一緒にいる相手によって、変化しうる存在であるのだと。

映画の後の対話会で「ガーデニング」という言葉について深めることができた。

これからやっていくことは?
と問われ、それは「庭づくり」だと思った。

その種が、何の種なのか、わからないのだ。
だから、まず、植えてみるしかない。
それが「プロジェクト」という小さな庭なのだと思った。

土壌によって、気象環境によって、また一緒に育つ相手によって、
その庭の出来は決まってくるし、
自分自身がどんな花を咲かせるのか、
また、咲かせようとワクワクするのか?が決まってくる。

みんなでいい庭をつくろうと、チームビルディングをする。

そんな庭をたくさん作ること、なのではないか。
そして、その子がどんな種を持っているのか、興味深く見守ること、なのではないか。
そしてそれを自らも庭の一部としてデザインすること、なのではないか。

これからやることは、「庭づくり」。

全員にキレイだねとは言ってもらえないかもしれないが
野菜も花も、皆それぞれが咲き誇っている庭を見ながら、
その庭で取れた野菜のたくさん載ったスープカレーを食べたいなと思った。  

Posted by ニシダタクジ at 08:42Comments(0)学び

2019年10月28日

PBLの意味と意義

10月22日
推薦・AO入試研修に続いて、
高大接続改革とPBLについて。

~~~まずはメモ

キャリア教育とは社会と学校の断絶を埋める教育内容・手法

社会の変化によって、教育機関と仕事社会のあいだの断絶が
企業内研修で埋められないほど大きくなっている現状

高校で学ぶこと、大学で学ぶこと、社会人で必要なことが
接続していない

大学生と高校生の違いって何?
高校に通っているのは「生徒」。「生徒」は「正しい答えを学んでいく」ことが役割
大学に通っているのは「学生」。「学生」は「物事を突き詰めて明らかにする」ことが役割
そのために、必要な教授や授業、研究会を選び、意見を交換し、アドバイスをもらい、自分の意見を考え続け、まとめていく。

学生として必要な力
・基礎学力・・・学習能力
・問題発見能力・・・研究テーマの発見
・主体性・・・授業、ゼミ、研究を選択する
・巻き込む力・・・授業・ゼミを活性化する
大学は、これらの能力が高い人間を求めている。

「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「主体性・協働性・多様性」
高校で学ぶこと、大学で学ぶこと、社会人で必要なことが接続する=高大接続改革の目的。

高大接続改革とは、高校と大学の学びをつなげること。高校で育む学力の共通言語(学力の3要素)を作ることで高校と大学の学びをつなげ一貫性を持たせる改革のこと。

大学入試改革。
高大接続で問われる学力の3要素を多様な視点で評価する入試形態。

入試改革後の問題に立ち向かうには
・相手にわかりやすく伝える力。(論理的思考・表現力)
・物事を多様に捉える視点。
・資料から目的に従って情報を取捨選択する力
・問題、課題を捉えて原因を追求し、解決策を考え抜く力
・自分独自の視点、視座から考える力
が必要

アクティブラーニングとは学びの手法
教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり学習者の能動的な学習への参加を教授・学習法の総称。(中略)発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループディスカッション、ディベート、グループワーク等も有効なアクティブラーニング法

アクティブラーニングの意味=指導者が一方的に説明し、生徒たちがそれを受け身で聞く授業から脱し、生徒が能動的に学習に取り組むよう指導者が支援すること。

アクティブラーニングの特徴
・生徒を学習内容に巻き込む
・読解、議論、筆記などのアクティビティに取り組ませる
・情報伝達より生徒のスキル開発を重視する
・生徒のモチベーションを高める
・生徒が指導者から即時フィードバックを受け取ることができる。
・生徒が分析、知識の統合、評価などより高次の思考に取り組む。
アクティブラーニング-教室で生徒の熱狂を生み出す方法(チャールズ・ボンウェル1991)
⇒意味が多義的で誤解が生まれそう

「主体的な学び」とは、
・学ぶことに関心を持つ
・学習内容を自分のキャリアの方向性と関連づける
・学習の見通しを持ち粘り強く取り組む

「対話的な学び」とは
・自分の考えを以下の3つの方法で広げ、深めること。
・子ども同士で協働(協力して学習を進める)
・先哲の考え方を手掛かりにする。

「深い学び」とは、
・知識を関連付ける
・問題を見つけ解決策を考える
・思いや考えを基に創造する
知識の習得→習得した知識の活用

「何を、なぜあなたが、どうして志望校で、学ぶのか?」

主体的・対話的で深い学びとは、学びの姿勢
生徒が主体的に、他者と対話しながら自身、他者、地域の課題について考えれば、結果的に自身の目的意識や将来像を深掘りしながら明確にする学びが可能になる。

PBL=problem based learning
問題が与えられた上で、問題について原因を追求・探究を行い、課題を設定、解決策を見出してプレゼンテーションをする。場合によっては実行する場合もある。
これに課題発見が加わったものがproject based learning

PBL=project based learning
プロジェクト学習とは学習方法
チームや個人が自ら一定のフィールドで問題やテーマを発見し、プロジェクト化して問題について原因の追求・探究を行い、課題を設定、解決策を見出してプレゼンテーションなどアウトプットを表現する。場合によっては実行する場合もある

研究とは、未知の問題に対して仮説を立てて証明、実証すること。

これが本当に原因か?論理が正しいのかを確かめる。
この施策が本当に有効か?を確かめる。

PBLは、
1 問題を発見し、原因を追求し課題を設定した上で解決策を考える。(研究)
2 解決策を行動に移す。(原因追求、課題設定でも行動してもよい。)※地域連携が必須
3 リフレクションをして、解決策の有効性の確認、課題設定までのロジックの確認を行う。(研究)
4 改善点などから、もう一度、原因を追求し、課題を設定し、解決策を考える。→2に戻る
このサイクルを通じて、「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「学びに向かう人間性(主体性・協働性・多様性)を身につけていく。評価はルーブリックを用いる。

経験学習サイクル(デイビッド・コルブ)
具体的な経験をする(行動)
自分の経験を言葉でふりかえる(振り返り)
教訓や持論、自論を引き出す(本質の気づき)
次の経験の際に自分が取る行動の目標を立てる(将来の目標設定)
具体から抽象へ。

プレスタ法。
STARとPREPね。
言語化し、他者に説明する、その手順の繰り返し。
状況→障害→行動→結果
結論→理由→具体的エピソード→経緯

PBL(プロジェクト学習)とは

探究・研究や問題発見・解決の方法論やロジック、実践、
振り返り、評価を通じて生徒の論理的推論、仮説検証、実行力チームワークなど
育む学び方のこと⇒学力の3要素を育むには最適

PBLの設計のまずさ。
1 リテラシーやコンピテンシーを育む前からPBLをやっている
2 PBLをすることが目的化している
3 PBLを進路に結びつけていない。

リテラシーとコンピテンシー
「思考力・判断力・表現力」=リテラシー
情報収集力→情報分析力→課題発見力→構想力→表現力→実行
※このプロセスをふまえながら、レポートやプレゼン、卒論などの成果物を作成することで育成される。
「主体性・多様性・協働性」=コンピテンシー
対人基礎力、対自己基礎力、対課題的スキル
※協働による実際の課題解決とふりかえり(リフレクション)で育成される。

「活動あって成果なし」にならないように。
PBL以外の方法もあるけど、PBLが最適だと現在は考えられている。

リテラシーとコンピテンシーは両輪でないといけない。

~~~ここまでメモ

なぜ、アクティブラーニングなのか、
なぜ。PBLなのか、
っていうのがコンパクトにまとまっていて、
いろいろ衝撃だった。
わかりやすっ、みたいな。

学力の3要素。
それを育むためのアクティブラーニング、PBL。

それを理解した上でやらないと、
文部科学省が「アクティブラーニングだ、次はPBLだ」
って言ってるから、右往左往している教育現場ではいけないのだ。

なんか、非常にすっきりした金沢研修でした。ありがたい。  

Posted by ニシダタクジ at 17:53Comments(0)学び

2019年10月24日

「大学での研究」というプロジェクト設計ができるか?







21日月曜日は、推薦・AO入試対策研修@金沢でした。
カギとなる「志望理由書」の書き方について。
「7つの観点」とか、エッセンスに詰まった研修でした。
このブログは、まとめというよりメモ起こしです。

そもそも大学って何だっけ?から始まりました。そういうの好き。
大学は教育と研究をやる機関で、研究とは、まだ分かってないことの答えを見つけるための活動のこと。
大学の学びとは、研究を通して学ぶということ。課題を設定し、自ら突きつめて明らかにすること。
そんなところから始まった研修。

~~~以下メモ

学生とは?
「研究=自ら物事を突き詰めて明らかにする」ために
自分で学ぶべき課題やテーマを発見・決定し、
その課題を解決するために、自分で動ける人が求められる。

だから、推薦・AO入試で評価されること。
=「学生」として求められる力を持つ高校生を選ぶ入学試験。

A基礎学力(基本的な学習能力)
B人物像(主体性)
☆自ら教授や授業、研究会、ゼミを選ぶことができる。
C大学で学ぶときに必要な力(周囲を巻き込む力・リーダーシップ・プレゼン力・コミュニケーション能力など)
☆研究会、ゼミを活性化することができる
D明確な問題意識(問題発見能力)
☆自ら課題・テーマを発見できる
一般入試と異なり、学力以外の観点も評価されます⇒総合的な評価で決まる。

入試方式
1 評定平均・学力
2 志望理由(志望理由書、自己推薦書、エントリーシート)
3 面接・プレゼンテーション
4 小論文
5 グループディスカッション

「志望理由書」→大学は何を見たいのか?
⇒大学に入学しても意欲的に勉強してくれるかどうか。大学を辞めないか。
必要なものは明確な問題意識・志望理由と、その内容を伝えるコツ!

合格しやすいテーマがあるわけではなく、
そのテーマや問題意識に取り組む必然性が
自身(今までの活動)にあるかどうか。

そのうえで評価されるテーマは
1 だれが書きそうなテーマでも、大人が知らないくらいまで深く言及している
2 誰も思いつかないテーマ設定か
3 価値観から一貫した熱い思い

※活動実績に注意。とにかく経験を積むのではなくて、
大切なことはどのような壁に対して、何を価値観や理念として、何を考えて、どのように行動したのか。

志望理由書が書けるということと、プロジェクトが設計できるというのはかなり近いなと。
そういえば、研究も就職もプロジェクトだもんね。

1 キャリアアンカー型(職業前提型)
2 問題発見・解決型
3 野心実現・創造型

【7つの観点】
1 経験(活動実績)
2 気づき・価値観
3 実現したい野望・問題意識
4 社会的意義
5 取り組むべき課題・実現方法(解決策)
6 志望大学が最適である理由
7 将来の夢・志

★プロジェクト・行動を貫く価値観が重要

価値観・信念が思考を生み、思考が行動を生む。
その集合体を個性という。
行動から逆算して思考と価値観・信条を引き出すこと。
それが振り返りに必要な要素。

テレビ「プロフェッショナル」で挿入される一言のような価値観・信条を見つけること、引き出すこと。
勉強だけでは、それは引き出せないよね。

価値観っていうのと問題意識っていうのも近いかも。
価値観の構成要素に問題意識があるのか。
「何に違和感を感じるか?」っていうことか。

活動だけを繰り返してもそれを振り返り、思考から価値観へとメタ化していかないと、いつまで経っても志望理由書は書けない。
大学生で言えばエントリーシートが書けない。
アクティブラーニングを批判した「活動あって、成果なし」の言葉は重いよ。
そういうのを作ってきたのかもなあ。

誰に対して、誰が、何を、なぜ、どのようにするのか。
それと活動実績を接続して書くこと。

「問題意識」:そのテーマに自分が取り組む必然性があるかどうか、つまり内発的動機があるかどうか?と客観的に問題だと説明できるか?つまりデータ、数値、権威の意見があるか、つまりその問題は本当に存在するのか?
を説明できる志望理由書。

「内発的動機」と「客観的事実」
why、for whomとwhat、howの真ん中につなぎてとして、who、when、whereがあり、プロジェクトはできるのかもしれない。

「社会的意義」:投資価値があるか、ということ。社会がその問題の追求と解決を求めているのか?その理由は何か?
解決されない場合の未来と解決された場合の未来を描く。

課題とは、問題(テーマ)の中で、手が出せて解決できるもののこと。
ロジック分析とかロジックツリーって高校生のうちにやってみてもいいよなあ。
whyを繰り返す、ということ。仮説とは、原因と結果のセット。
問題には必ず原因がある、今起こっている理由、未だに解決できない理由、
根本的な理由、問題の原因がわかれば有効な解決策や学ぶべき学問を考えることができる。

志望理由書の概要:
Who(誰に対して、誰が)、what(何をする)、why(なぜするのか)、how(どうやってするのか)の要素を入れて、30秒で説明できるもの。
☆アテンションゲット(はっとさせる、びっくりさせる、読んだ瞬間「何が起こるのか」「もっと読みたい」と思わせる短い文章。
「メロスは激怒した。必ず、かの邪知暴虐の王を除かねばならぬと決意した」

その大学である理由「オープンキャンパスが楽しかった」はNG

~~~ここまでAO推薦入試の話。

めっちゃ楽しい。
阿賀町でやってる「まちづくり会議」のフォーマットと
志望理由書のフォーマットがめちゃめちゃ似ていてビックリした。

推薦・AO入試って、個人の能力の有無、高低じゃなくて、研究者としての大学生になる
ためにプロジェクトを設計できるかっていうのが問われているんだと。

ひとまず、今回のブログはこちらで。
また考察いろいろ考えます。  

Posted by ニシダタクジ at 10:13Comments(0)学び日記

2019年10月02日

「人」は最大の資源ではあるのだけれど

東京の魅力は「人」なんだと思う。
もちろん文化があり、商売があり、創造があるのだけれど、
東京というまちの最大の魅力は「人」に尽きると思う。

もちろんそれは、組織や地域でも同じで、
最大の資源は「人」である。
だからこそ。
教育は国の要であるし、人材育成は企業や地域の要である。

加えて、ここ数十年の大きな雇用環境の変化によって、
組織が一生涯にわたって個人を守ってくれない状況となっている上に、
「キャリア教育」という名の下で、
自分は何者なのか?
自分はどこを目指しているのか?
とひたすら問い続けられる。

「人」つまり「自分」にフォーカスしすぎなのではないか、って思う。
そしてそれこそが生きづらさの根源なのではないかと。

参考:
何者かにならなくてもいい(19.1.30)
http://hero.niiblo.jp/e488809.html

こうして、極端に言えば、
「プロフェッショナルになれ、さもなくば奴隷になるぞ」と脅されて、
中学高校大学と不安の真っただ中にいる人を何人も見てきた。

自分に向き合う。
目標に向き合う。
他者と向き合う。

それって本当に必要なのだろうか?って思う。

つい最近。
イベントの企画を考えていて、ふと思ったこと。
「いま、高校生に伝えたいこと」ってなんだろう?って。
なかなか出てこなくて、ちょっと真剣に悩んだ。

高校生を目の前にしているのに、
「いちばん伝えたいこと」が出てこないなんて。
そもそも「伝えたいことは?」っていう問い自体が、
高校生と向き合っているから、違和感なのかも。

向き合わないこと、なのかもしれないと思った。

向き合わずに、一緒に同じ方向を見つめることなのかもしれないと。
僕がやってきたコミュニケーションのデザインってそういうことなのかも、と。

本屋さんで本をすすめるとき。
意識は本に向かっている。

そして本を読んだ先にある何か、
それは決してその時点でお互いに見えているわけではないけど、
何かがあるような気がするから、本をすすめる。

畑で草をとっているとき。
朝ごはんを一緒に食べているとき。
みんなで輪になってはいるけど、向き合ってはいない。
僕はたぶん、そういう場が心地いいのだ。

「人」から「場」へ。
「チームの力」から、「場のチカラ」へ。
「手段としての学び」から「機会としての学び」へ。

そんなことを発信していけたら、と思う。
だからこそ、僕は阿賀町で、黎明学舎で、
高校魅力化プロジェクトをやっているのだと。
ここには「人」もあるけど、「人」以外の資源もたくさんあるから。
「機会」にあふれているから。「ブリコラージュ」し放題だから。

「人」は最大の資源ではあるのだけれど、
人生は経営ではあるのだけれど、
それは決して個人戦ではない。


「読みたいことを、書けばいい」(田中泰延 ダイヤモンド社)

最近読んだ本の中でいちばんドキドキした1冊。
「痛快」という言葉がしっくりくる。

この中に書いてある一言。
「就活は、受かる落ちるの選別の場ではなく、単に企業の業務と人材の能力のマッチングの場にすぎない。」

そうなんだよ。
受かるか落ちるか、っていう視点で見てちゃダメなのよ。

ヘリコプターに乗ってみたら、
まさに上に書いてあるように見える。

企業というプレイヤーと就活生っていうプレイヤーがいて、
企業の業務内容と人材の能力のマッチングを行っているだけなの。
しかもその能力は、その人のすべてではなくて、
その「企業の業務」単位で必要な1部の能力なのよ。

自分とも企業とも上司とも向き合わないことだと思う。
その企業の業務限定で開花する能力を、一緒に同じ方向を見れる企業と、上司と、やればいい。  

Posted by ニシダタクジ at 07:22Comments(0)学び

2019年09月28日

パフォーミングアーツ

パフォーミングアーツ:
演劇・舞踊など、肉体の行為によって表現する芸術。公演芸術。舞台芸術。

ワークショップは「パフォーミングアーツ」(舞台芸術)
なのだと、あらためて知った。

脚本、監督、そしてキャストが
一体とならなければ、いい作品はできない。

そんなことを思った。
一線で活躍するファシリテーターすごいなって。
「場」のつくり方、つくられ方を学ぶいい時間になった。

~~~以下メモ

ワークショップ参加者の相互理解がなければ、プランを立てることはできない。
通常2H×4回くらいはかけたい。
参加者の
・知識のレベル
・動機のレベル
・活動するときのレイヤー
がみな違うのだから、それをチューニングしないといけない。
そこから「場」が育まれる。

ワークショップが失敗する理由を合理化していないか?
・参加者
・お金
・時間
のせいにしていないか?
「ワークショップの課題」と「運営上の課題」をごっちゃにして考えないこと。

「ワークショップがどんな場であったらいいのか?」をみんなで考える。
主体は誰なのか?
行政に頼らずに自走していく会議体を作れないだろうか?
行政は場とペンと付箋と模造紙だけ用意するような、そんな会議体が作れないだろうか?

そもそもひとりひとりがどんな思いでここにいるのか?
それを確かめながら進めていくこと。

「ファシリテート」はスキル、テクニックではなく、あり方、体質のこと。
ファリシテーターとしてどうあるか?が問われている。

その会議、集まり自体の存在を問いかけないといけない。
「何のためにここにいるのか?」っていうことが分かっている人たちが本質的な場を形成する。

コントロール不能になる状態を怖れすぎていないか?
「主催者自身がプログラムに迷いがあるんじゃないのか?」
その通りだった。
「場」と「参加者」と「自分」への信頼があるのか?
そこにエネルギーを注がなければ場をつくることはできない。

「地域に対しての当事者意識を上げていく」っていう前提条件は崩れているんじゃないのか?
集まっているメンバーの当事者意識は高い。

「成果を測る必要があるのか?」
という問い。
そして測るとしたら、その指標でいいのか?
っていう2段階の問いを考えないとね。

「場」に対する信頼を。
ファシリテーターはその意味で迷ってはいけない。
ファシリテートとは、「パフォーミングアート」なのだから。

来年度に向けて、会議そのものをリ・デザインしていく。それによってひとりひとりが当事者になっていく。

「正解がある」というOSでは、もう勝負できない。
「正解がない」という前提で、取り組んでいけるか。

「創造的混沌」を味わう。
「創造的混沌」というカオスの中から新しいものが生まれ出て、秩序化されることで新しい常識が生まれる。

要するに、そのワークショップには、「愛」がなかった。
それはうまくいかないわ。

~~~ここまでメモ

ワークショップとは、パフォーミングアーツ(舞台芸術)である。

その通りだと思った。

僕はワークショップから何かが生まれなければいけないと思っていた。
分類のためのKJ法ではいけないと思っていた。

「自らを場に溶かしていく」って言っていた。
でも、今回そんな設計にはなっていないことに気が付いた。
そもそも「信頼」がないんじゃないか。
「不信」から出発していたのではないかって。
一言で言えば、「愛が足りない。」んだよ。

こちらの「愛」が足りないから、
参加者同士の相互理解と場への信頼が重なっていかない。

結果、場に自分を溶かしきれない。
一体感が生まれない。
新しい何かが生まれない。
そういうメカニズムだったのか。

なんかスッキリした。
うまくいかない理由が分かるって楽しい。

「場」と「参加者」と「自分」への信頼を持って、
場に溶けていくこと。

それがきっと、
僕がやるパフォーミングアーツとしてのワークショップなのだろう。

いい舞台をつくりましょうぜ。  

Posted by ニシダタクジ at 06:13Comments(0)学び

2019年09月23日

「承認欲求」の自覚と学びあいのデザイン

ひろのアートキャンプ。
91名の方に本をハックツしてもらいました!
ふたば未来高校で活動しているカタリバのスタッフ内海さん加藤さんも、
「結のはじまり」の古谷さんも来てくれました。

ふたば未来高校の見学と発表会と
周りの方々のお話から、いろいろ感じたことをつぶやいているのだけど、
そのまとめ。

~~~ここからつぶやき

「学ぶ」とは、価値を問い続ける、ということ。

「承認欲求」の存在に気づくこと。
「地域」とか「探究」とかいう前に、そういう授業をやったほうがいいのかもしれない。

ふりかえり方法は3つ
「メタ化して学びにフォーカスすること」
「深掘りして個人の感情にフォーカスすること」
「地域にとっての価値にフォーカスすること」

答えを持っている大人からは、もう何も学べない時代に入ったのではないか。

承認を得られるのはプロジェクトの結果が出たときではなく、思ったことが言え、それを受け止めてもらった時。

親和的承認を得るためには評価を受けることではなく、愛を受けること。
向かい合うことではなく、同じ方向を見つめること。

ティーチングでもコーチングでもなく、チューニングという方法。

承認欲求が満たされないのは、第1に家庭環境と地域コミュニティの弱体化、第2に学校教育により承認欲求が評価欲求にズラされていること、第3に質的にではなく、量的な分かりやすさを志向する資本主義社会のため。

ふるさと創りびと。
で創造という同じ方向を見つめること。
自分たちが思う価値に向かって進むこと。
他者からの評価を超えて自ら評価すること。
それは同時に承認欲求を満たすのではないか。

なぜ、自分はこのプロジェクトを始めたのか?
それは事後的に分かる。
決して事前には全部分からない。
そのなぜ?に出会うためにプロジェクトがあると言ってもいい。
その予測不可能性がプロジェクトをやる意味なのだと思う。

~~~ここまでつぶやき

少し近づいた、そんな感じがした。
「答えを持っている大人」がそれを教える、
みたいなスタイルで、学びはもう成立しないんじゃないか。

高校生と同じ位置に立ち、
彼らの発する音に耳を集中させ、
共に価値を生んでいくような、
そんな時間をつくっていくこと。

「価値」はあらかじめ決まっていない、ということ。
地域や大人や先生からの「評価」は、価値ではあるけど、
価値のすべてではないということ。

「価値」はいま、この瞬間に生まれていて、
常に流動していること。

そのスタートラインに立つ前に、
あるいは、立ってからも、自らの承認欲求の存在に気づくこと。
「承認」欲求を「他者からの評価」欲求にすり替えないこと。

自ら価値を設計・設定すること。
価値をこの瞬間、一緒に探っていける大人とプロジェクトを組むこと。

「地域」で「探究」ってそういうことなんじゃないか。
答えのない時代に突入しているんですよね。

高校生がプロジェクトで何を学んだか?じゃない。
その活動のプロセスで、大人は何を感じたのか?
どんな価値を見出したのか?
関係者全員で、その価値を探し、見つけ、つかんでいくこと。

そんな設計をしなきゃいけない。

だから、チューニングなのかもしれない。
「場のチカラ」なのかもしれない。
ティーチングでもコーチングでもないチューニング。

みんなの音を合わせて、
ひとつの曲を生んでいくような、そんな設計。

それをデザインしたいと強く思った。  

Posted by ニシダタクジ at 07:08Comments(0)学び日記

2019年09月22日

「あきらめない理由」に出会うこと。



ひろのアートキャンプの準備を終えて、
ふたば未来学園高校の「未来創造研究」研究発表会の
午前中の分科会に少しだけ顔を出してきました。
3つのプロジェクトのまとめのセッションにもやもやしたので、整理してみます。

~~~ここからメモ

作業療法士を目指している高校生が地域のおばあちゃんと話す。
「こんなに笑ったのは震災の後初めてだ」と聞く。
内面の復興は進んでいないのではないかと感じる。
心が動いた。それがいつなのか?それを掘り下げていくこと。

「見学」→「計画」→「実践」
そんな流れ。そこに仮説を組み込むことで「見学」が生きてくる。
「仮説」→「見学」→「新仮説」→「計画」→「実践」→「ふりかえり」→「新・新仮説」
そのサイクルに入れたら、「探求」自体が楽しくなってくる。

やってみると、問題点が出てきた!
→それを解決するために、大人の力を借りる。
→学校に来てもらって料理を教えてもらう。
→おばあちゃんの得意料理である「酢豚」「煮物」を作ってもらう。
→地域の人が地域で料理教室をやる。
「食」でつながる。っていうのと高校生バリューっていうのがある

1~3年の混じった振り返りセッション。
ここのファシリテーションが大切だと思った。

「目的」と「手段」みたいな話に集約していくのはどうなのかなあと思った。
「進路にどう生かすか?」みたいな問いによって、学びが「手段」になってしまう。
「機会」としての学びのために地域があるんじゃないのか?

目的・目標を達成することじゃなくて、その手段を選び、そのプロセスにあることによる心の動きのほうが大切なんじゃないのか?
「手段」そのものの「瞬間」に価値があるのではないか。そしてそれは非常に個人的なもの、その人特有のものだ。

「交流」を深めるために大切なものは?
共通のテーマ(相手の立場にたっているか?)と相手はどんなことを大切にしているのか?それを感じ取れるかどうか?それって個人の能力や精神論じゃなくて、コミュニケーション・デザインの問題ではないか。
実際は、「相手の立場に立つ」ことが大切なのではなくて、相手が「この人は私のこと分かってくれてるな」と感じていることが大切なのだよね。それはテクニックやコミュニケーション力ではなくて、コミュニケーション・デザインの設計のような気がする。

「3つの発表の共通点は何か?」という問いは、過度にプロジェクトをメタ化してしまう。それはそれで重要な能力なのだろうと思うのだけど、ジャンルの違うプロジェクトでそれをやったら、精神論的なものだけが抽出されてしまうのではないか。メタ化する前にもっと解像度を上げることが大切だと思う。「共通点は何か?」っていうより「何に、どんな瞬間に一番シビれたのか?」っていう問いを投げかけたい。

「おわらせたくない」「あきらめたくない」「やめたくない」のはなぜか?
「志」があるから?
社会的意義があるから?
やりたいことと社会的価値が一致しているから?
そういう側面もあると思うけど、高校生でも大学生でも大人でも、学びのスイッチが入ってしまったから、だと思いますよ。

自分だけのため→やめちゃう
社会だけのため→やめちゃう
だから、「自分のやりたいこと」が社会のためにつながるか?が大事。うんうん。わかるけども。それって事前にわかります?
「自分のやりたいこと」だからやめない、あきらめない?「意志」ってそんなに強く、すごいのだろうか。

「強い動機」に出会うこと。それが人生にとって大きい。
心を揺さぶられるような実体験、人の言葉、笑顔、空気感。
地域をフィールドにした学びが、それを得る機会になればいい。
プロジェクトの成果(社会的評価を伴うような)は、重要度としては2番手以下だ。

自分の「テーマ」と「ジャンル」を違う言い方で呼べないだろうか。
やっぱお客(対象)と、事業領域か。ジャンルは後付けでもいいのだよな。

「意志」とか「なんとか力」とかを信じない。
それをデザインの力で乗り切っていくこと。
それがデザイナーの仕事なのではないか。

そのストーリーづくりに参画しているのか?
誰かが作ったストーリーに出演させられているだけなんじゃないのか?
もっと、ひとりひとりのストーリーに重さを置きたい。
あなたはいつそう思ったのか。
具体的にどんなシーンだったのか。
そう思ったのはどうしてなのか。
もっと聞きたい。

~~~ここまでメモ

僕がいた部屋がたまたまそうだったのだと思うけど、めちゃめちゃ違和感。

「地域」で「探究」の意味とか意義ってなんだろう?
ってあらためて思った。

3つのプロジェクトの共通点は何か?
→挫折にくじけずにプロジェクトを前に進めたこと
→「あきらめなかった」のはなぜか?
→自分のためと社会のためがクロスしていたから

みたいなまとめに意味があるのだろうか?って。

なるほど、意味は分かる。
「自分のため」だけでも「社会のため」だけでも
継続するモチベーションにはならない。それはその通りだと思う。
その合わさるところにプロジェクトを作っていく、っていう考え方も分かる。

だとしたらなんだろう、この違和感は。

それが、高校生の「地域」で「探究」で学ぶべき本丸なのだろうか?
っていう違和感。

「なぜ、自分はこのプロジェクトをやっているのか?」に答えられること。

そのほうが大切なのではないか。
それは決して事前にわかるのではなくて、
やってみた後でわかることも多い。

実際にやってみたことで、予想しなかった何かが起こる。
思いもよらない発見や誰かの一言、やってよかったと思える瞬間に出会う。
そのときに高校生は、
「ああ、だから自分はこのプロジェクトを始めたのだ」と実感する。

その実感はきっちりとふりかえりの時間を確保して
誰かが質問してあげないと出てこないのかもしれない。
だから、そのような設計をすること。
そして、それをプレゼンで表現すること。

聞き手は、特に1,2年生は、そこに至るプロセスを知りたいのではないか。
それによってモチベーションが上がるのではないか。

共通項は何か?
あきらめなかったことです。

って言われても、
ノートに「あきらめないことが大事」とか
「自分のためと社会のためが重なるところにプロジェクトをつくる」とか書いても、
それが自分の活動につながるのだろうか?

プロジェクトをやったことで、
こんなことを起こり、こんな人に出会い、こんな経験をして、こんな自分に気づいたんだと。
そんなストーリーを聞きたいのだ。
プロジェクトの成果なんかよりずっとずっとそれを聞きたい。
どんな感情の動きやどんな学びがあったのか?を知りたい。

「高校生」が「地域」で「探究」の意味は、
そこにあるのではないか、って思う。

「あきらめない理由」に出会うこと。

プロジェクトを始めることで、何かが起こり、誰かに出会う。
そこで何かを感じる自分がいる。
そこにフォーカスすること。

「気づいたこと、学んだこと」の前に
「印象に残ったこと」という心のふりかえりをすること。

「機会」から学ぶっていうこと。
そして、「あきらめない理由」を発見すること。
プロジェクトの評価を自分ですること。

そのために「地域」という題材がある。
そして「地域」そのものも、高校生と共に学ばないといけない。
もちろん教員やファシリテーターそのものも。

「学ぶ」とは「価値」を問い続けるということ。
そして、価値に気づく瞬間があり、顧客に出会う瞬間がある。
それをキャッチすること。
それこそが「あきらめない理由」になる。

「あきらめない理由」からふたたびプロジェクトが生まれる。
その2プロジェクト目をつくること。できれば授業外に。
そこが「探究」のゴールなのではないかと思う。

「震災復興で高校生が地域のために頑張っています」という
ストーリーに出演させられるのではなく、
自らが、自分たちや地域の誰かを主人公にしたストーリーづくりに参画し、
自らをキャストしたストーリーを始めていくこと。

そこからしか人生というストーリーは始まらないと僕は思う。  

Posted by ニシダタクジ at 07:40Comments(0)学び

2019年09月13日

地域活動を学びのモチベーションにつなげる

「黎明学舎」前塾長の川田さんが来てくれて2日間の研修。
1日目は現状と課題の確認。

~~~以下メモ

・親との関係について
勉強しているのか?不安⇒学習時間の見える化をする
⇒ニュースレターの発行(月謝袋にいれる)と学習時間、コメントの記入

「教科指導」
「学ぶ力」

信頼関係構築⇒計画サポート⇒遂行サポート

双方向性と存在の承認

ゲーミフィケーション:4つのタイプ


引用:雲の上に音符あり。
http://cloudscore.blog.jp/archives/10329753.html

コーチング:


引用:ArayZ アレイズ
https://arayz.com/columns/coaching_201811/

年間計画⇔週刊計画
必達目標と努力目標

問題≠課題:「課題」を明確にすること

★コーチングの時間、人、ツールを決めること。
・2人でやる面談もあり

ゴールに納得していること。
⇒ギャップの共有

「原体験」と「追体験」
知識+体験⇒価値観の形成⇒ゴールの設定

ロールモデル
↑(ギャップ)⇒危機感からのギャップ対策⇒目的意識⇒行動の変化、結果の変化⇒理想の自分
今の自分

問いかけ。
×足りないものは何か?
○何を武器にして近づけると思う?

英語が得意:外国人と接する仕事、たとえばホテルフロントとかになりたい。
⇒ホテルフロントになったら、何が必要になる?
「サムライってなに」とか「近所のお寺」のこととか聞かれる
⇒現代文と日本史も必要になるよね?

価値観と体験を結びつけること:追体験が必要

価値観・幸福感が
「判断基準」からくるのか?
「環境」からくるのか?
⇒自分の軸をつくっていく。

「感情」の解像度を上げていくこと。
⇒未来につながるまで深掘りしていく。

イベント後に対話の場を設定すること。
面談⇒作戦会議

「自分を知る」プロセスを入れることで、
地域活動を学びのモチベーションに変える。

~~~ここまでメモ

それそれ。
いまから取り組もうとしている
「学習指導からコーチングへ」と「地域活動からの学習への接続」
という2つの課題に対して、ヒントが多かった。

地域活動のふりかえりを
どのように本人たちにフィードバックするのか?
そのために、ふりかえりをひとりずつ真剣に聞く必要があるなと思った。
場合によっては、人を分担して見ていくことも考えないといけない。

多くの人は、「自分」を知らない。

まあ、「自分」を全部知る必要なんてない
というか、知ることは不可能だ。
その瞬間瞬間の分人を他者化して見ることなのかもしれない。
そうした集合体が自分なのだと。

その分人を深く掘り下げてみること。
それは他者の仕事、スタッフの役割なのかもしれない。
あるいは、それを生徒たちが相互にやれるようになったら素晴らしい。

いい感じ。
2日目は1期目3年の取り組みのふりかえりを
聞いて、今後の見通しを考えます。

よろしくお願いします!  

Posted by ニシダタクジ at 07:43Comments(0)学び日記