プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



新潟市西区内野町431-2
TEL 025-261-3188

平日12:00~19:00
土曜 7:00~21:00
日祝10:00~19:00
*火・水曜定休





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2018年04月20日

「教育の奇跡」のある場

鹿児島2DAYS。

1日目の4月18日は、ハマツプロデュース。
桜島のようなそばを食べて、
(つゆが激甘でびっくりした)
霧島市の「ひより保育園」の白水くんを訪ね、
桜島の見えるところで写真を撮り、イベント会場へ。







そしたら、やっぱ、これ。
屋根付きで雨の時も、灰の時も安心。
うん。たしかに安心。
(灰の時、けっこうあるんだろうなあ)



で、
イベント会場のGOJYOゼミへ。

https://lapsia.net/gojyuzemi/

「郷中教育には2つの特徴があります。
一つ目は「教師なき教育」。上が下に教える。
教える側はリーダーシップと責任感が身につき、
教わる側は憧れて努力をするという相乗効果が生まれます。

2つ目が「詮議」。答えがない問題について話し合う、
今でいうワークショップのようなものです。」
(GOJYUゼミwebより)

きましたね!
吉田松陰門下生の僕と通じるものがあります。
ともに学ぼう、です。
畠中さん、会場提供ありがとうございます!

イベントはこんな感じ。









質疑応答がめっちゃ盛り上がったな、と。
なんか集まる人がスゲーって。

「西田さん来るから」
っていう理由で人を集められるハマツがすごい。

なんか、鹿児島での僕の人気を冷静に考えると、
さくら(コメタク吉野さくら)とハマツのブランド力の
上に乗っかってる気がするんだよね。

「2人がわざわざ呼びたい」っていうくらいだから、
「きっとすごい人に違いない。」
みんなが思い込むんだよね。

で、実際にイベントをやると、
質問や感想がめちゃ本質的で、
ぐさぐさと突き刺さる。

それにインスパイアされて、
僕も自分が掘られていくような感じがして、
すごくいい時間になった。

キーワードとなったのは、
やはり「評価」と「承認」だ。

学校教育は
「承認欲求」を巧みに
「他者評価欲求」へとすり替えてくる。

「承認」とは、フラットに認めてもらうことだ。

そこにあるのは「共感」であり、「仲間感」だ。
「評価」とは、上位者に、あるいは集団、社会に認めてもらうことだ。

そういう意味では、
「認められたいの正体」(山竹伸二 講談社現代新書)で言う、

1 親和的承認:ありのままの自分を承認される



2 集団的承認:集団の中で役割を果たすことで承認される
3 一般的承認:社会一般が認めるいいことをすることで承認される

にあいだには、「評価」(他者からの評価)という
ニュアンスの違いがあるのかもしれない。

1 親和的承認とは、いわゆる存在承認。
「自分がそこに存在していてもいいんだ」
というニュアンスが含まれる。

しかし、2 集団的承認と3 一般的承認には、
他者からの「評価」という要素が入ってくる余地がある。

そしてそれを、
学校教育は、社会の効率化、
そして学校教育自体の効率化のために、

「承認欲求」を「他者評価欲求」へとすり替え、
「評価を得るために頑張る」子どもたちを育て、輩出してきた。

だからこそ。
大学生が自らに問うべきは、
自分がほしいの本当に(他者)評価なのだろうか?
ということ。

そして、それを求めているのは、なぜなのか?
と問いかけなければならない。

今回のイベントのテーマは、
「他者評価の檻から自分を脱出させる方法」
だったのだけど。

最後にこんな質問が。
「脱出するとき、自分は檻の中にいるのか、外にいるのか?」

うわ。
それそれ。
それですよ。今回のポイント。

「檻から(自分が)脱出する方法」でなくて
「檻から自分を脱出させる方法」なんですよ。
その時に、自分は檻の外と中の両方にいる。

まず精神的に檻から脱出をして、
次に身体的に自分を脱出させる。

檻の中に入っている自分を、
上から俯瞰して眺めてみる。

そのために本を読んだり、人にあったり、
新しいものを見に行く旅をしたり、
インターンシップをしたりすることが
必要なのだろうと思う。

そのプラットフォームとなるような本屋さん(ライブラリー)
をつくりたいのだ、と締めくくった。

二次会の「大安」では、
鹿児島大学の近くに本屋をつくっちゃおう
っていう談義でめちゃ盛り上がった。
僕はちょっと見えたので面白いなと思った。

鹿児島は今夜も熱かった。
「教育の奇跡」がまた起こった。

「あのハマツがわざわざ呼ぶんだから、
すごい人に違いない。」

と思い込んだ人たちとのセッションによって、
僕のインプット以上のアウトプットがそこに出てくる。
それを「教育の奇跡」と呼ぶ。


「地域プロデュースはじめの一歩」(山納洋 河出書房新社)

を飛行機の中で読みながら来たのだけど、
その中のワンフレーズを思い出した。

「あそこは今行かないとヤバい。」
と思われるような場所をつくること。

そう。
それが場づくりの極意だと思った。

それはイベントであっても、本屋であっても同じだ。

今鹿児島のあの本屋行かないとヤバい。
あの本屋の今日のイベント行かないとヤバい。

そう思わせるような本屋が、イベントが、
今日も「教育の奇跡」を生み出していく。

あの場所に行くと、何か生まれる。何か始まる。
あのイベント行くと、人生を変える出会いがある。

そんな場をこれからもつくっていこう。
ハマツ、ホントに素敵な機会をありがとうございました。

志、また新たになりました。

またくるね!  

Posted by ニシダタクジ at 08:22Comments(0)学び

2018年04月18日

あなたは、なに係なんですか?

昨日は日立市大みかの「コクリエ」にて
「コクリエドリンクススピンオフ~
パラレルプロジェクトを企画しよう」

でした。
「パラレルプロジェクト」とは、
若松佑樹さんの株式会社えぽっくが
進めているプロジェクトで

20代~30代の若手社会人が
地域企業と一緒に仕事をつくるプロセスを
経験できるものです。

今回題材となったのは
常陸太田市にある里山ホテル。

事例発表をしてくれたのは
藤岡みのりさん。



藤岡さんは
三重県出身で茨城県農学部に進学。
大学在学中に食農教育プロジェクトの立ち上げなどを行う。
卒論のテーマは「園芸療法」についてだった。

就職活動の時に、
まわりを見ていると公務員だったり大企業だったりの
いわゆる「安定志向」の人たちを見ていて、

「安定って何?」
という問いが生まれた。

そして、安定とは、大企業に入ることではなく、
どこでも生きていける力をつけることだと思うようになる。

「理念を事業化している企業」というテーマで
企業探しをするのだけどうまくいかず。

その後、4年生の8月から長期インターンをしていた
里山ホテルに入社する。

それは、こんな理念に共感したからだった。
「里山ホテル ときわ路は、里山にある自然の恵みを編集して
常陸太田から世界へ里山の魅力を伝えるライフスタイルホテルです。」
参考:
http://satoyama-hotel.com/whats/

そこで、当時の代表から素敵な質問をもらう。
「あなたはなに係なんですか?」

契約している有機農家さんにいったとき、
「野菜が胸を張っているように感じた」と
藤岡さんは言った。

それを私はとどけたいんだ、と
「とどける係」になった。

この春、就職してから3年が経った。
はたして自分は、「生きていける力」を身につけたのだろうか?
そして何をとどけてきたのだろうか?
そんな問いの中にいる。

・・・ここまでプレゼン内容

そんなプレゼンを受けて、
実際に、とどける係になったつもりで、

「誰に」「何を」届けたいのか?
というワークショップを行った。

その「誰に」や「何を」は、
単なるアイデア出しではなく、
自分の過去を掘り下げた時の
強烈な体験をベースにして考えること。







そんなテーマでワークショップを行い、発表してもらった。







出てきたプレゼンテーションに
心を動かされていた。

自分の実家が肉牛を育てていて、
それを初めて生まれてから出荷までの3年間を
体験した話をベースに、
長期の体験プログラムを考えたチームや、

中学時代に心を開く場がなくて苦しかった経験をもとに、
それを屋外での演劇ワークショップのプログラムに落とし込んで、
宿泊者同士のつながりをつくることを企画したチームなど、
心動かされるプレゼンだった。

こんな風に新規プランを考え、
実行するまでを「パラレルプロジェクト」として
取り組めると面白いなと思った。

「顧客は、過去にしかいない」
と僕は思っているし、

その「過去」を積み重ねるために、
何かをやってみることが大切で、
やってみるだけではなく、
それを振り返ることはもっと大切で。

小さなプロジェクトチームに入って、
結果が出るまでやってみる、という経験が
藤岡さんのいう
「どこでも生きていける力」につながっていくと思った。

「パラレルプロジェクト」は、
若手社会人にとっても、学生にとっても、
小さな、しかし真剣なプロジェクトを立ち上げ、
それを実行するためのプラットフォームになるだろうと思った。

そして、最後の締めで言おうと思っていたこと。
(言うの忘れた。)

今回のワークショップでは
みんなに「とどける係」をやってもらったけど、

プロジェクトにおいても
人生においても、
「あなたは、なに係なんですか?」
っていう問いが大切だなあと思った。

僕はなに係なんだろう?  

Posted by ニシダタクジ at 08:18Comments(0)学び

2018年03月30日

「問いを共有する」というチームづくり

鳥取から萩を目指す。

移動中に、ブログを更新し、facebookへ
シェアしていると、

僕にとって、学びの場づくりの同志、
濱ちゃんが島根県益田市へ
転居したとの情報をキャッチ。

えっ。
いま、益田に向かっているし。
ということで、運命的な再会。
大阪にいるときには会えなかったので、
3年近くぶりかなあ。

http://hero.niiblo.jp/e463632.html
「正しさ」より「対話」を(15.2.22)

http://hero.niiblo.jp/e466292.html
宣言すれば学校はできる(15.4.5)

http://hero.niiblo.jp/e466522.html
自立してはいけない(15.4.10)

ブログ検索で「濱ちゃん」って打つと
たくさんのブログがヒットする。
3年前、大きな衝撃を受けたことがわかる。

久しぶりの再会。
益田で食べるのは、
もちろん「ローメン」だ。(笑)


益田駅に程近い「豊味軒」


ローメン発見


これがローメンだ!


そして濱ちゃん

オランダ3か月修行の話をしてくれたし、
僕は水戸留学3年間の話をしていた。

そう。
子どもにとって「価値」は何か?
問い続けること。
それが学校の先生にずっと課せられ続ける課題である。

そしてその問いを共有すること。
それが学校がチームになるということであると思う。

「問いを共有すること」
それが出発点になる。

そんなランチを終えて、
いざ、萩・松陰神社へ。








いい感じの桜が咲いていた。

そして、吉田松陰先生の墓参り。


管理者のおじさんの掃除のタイミングにぶつかる。
門下生がこの墓を建てたのだと
自分たちはそれを伝えるためその17名の説明書きを
つけたのだと熱く説明してくれた。
そして、街中まで車に乗せてくれた。
いまでも、街の人の誇りになっているなあと。

伝説のゲストハウスrucoでひと休みした後、野山獄へ。
(ウチノ食堂の野呂くんが来たって言ってた。津屋崎に続きここにも!笑)









やっぱりここが僕にとっての聖地だ。
2004年春。

「小説・吉田松陰」(童門冬二 集英社文庫)
の野山獄エピソードに驚愕した。

「学びあいの仕組み作りによって、
たとえ獄中であっても希望を生むことができる」

「これだ!」と思った僕は、新潟から萩を目指した。

4月の頭。
朝、墓参りの帰り道、松陰神社の脇の道で、
ランドセルを背負った小学生の集団登校に出くわした。

その小学生たちに誓ったのだった。
「安心して大きくなっていい。
君たちが中学生高校生になるころには、
学びあいの場をつくり、希望は次々に生まれているだろう。

あれから14年が過ぎた。
萩にはまた桜が咲いていた。

松陰神社内、「至誠館」には、
留魂録が展示されている。

その中の四季の部分に胸が熱くなる
(深谷さんに借りた「松下村塾」を読みながら来ました)

~~~
以下引用
http://www.yoshida-shoin.com/torajirou/ryukonroku.html
より

一、今日、私が死を目前にして、平穏な心境でいるのは、
春夏秋冬の四季の循環という事を考えたからである。
つまり、農事で言うと、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈り取り、冬にそれを貯蔵する。
秋、冬になると農民たちはその年の労働による収穫を喜び、酒をつくり、甘酒をつくって、
村々に歓声が満ち溢れるのだ。この収穫期を迎えて、
その年の労働が終わったのを悲しむ者がいるというのを聞いた事がない。

私は三十歳で生を終わろうとしている。

未だ一つも事を成し遂げることなく、このままで死ぬというのは、
これまでの働きによって育てた穀物が花を咲かせず、
実をつけなかったことに似ているから、惜しむべきことなのかもしれない。

だが、私自身について考えれば、やはり花咲き実りを迎えたときなのであろう。
なぜなら、人の寿命には定まりがない。
農事が四季を巡って営まれるようなものではないのだ。

人間にもそれに相応しい春夏秋冬があると言えるだろう。
十歳にして死ぬものには、その十歳の中に自ずから四季がある。
二十歳には自ずから二十歳の四季が、
三十歳には自ずから三十歳の四季が、五十、百歳にも自ずから四季がある。

十歳をもって短いというのは、夏蝉を長生の霊木にしようと願うことだ。
百歳をもって長いというのは、霊椿を蝉にしようとするような事で、いずれも天寿に達することにはならない。

私は三十歳、四季はすでに備わっており、花を咲かせ、実をつけているはずである。
それが単なる籾殻なのか、成熟した栗の実なのかは私の知るところではない。

もし同志の諸君の中に、私のささやかな真心を憐れみ、
それを受け継いでやろうという人がいるなら、それはまかれた種子が絶えずに、
穀物が年々実っていくのと同じで、収穫のあった年に恥じないことになるであろう。

同志諸君よ、このことをよく考えて欲しい。
(参考文献:古川薫著「吉田松陰 留魂録」)

~~~ここまで引用

四季のように人生を生き、そして死ぬ。
吉田松陰先生の死生観があらわされた一節だ。
死を覚悟した松陰先生が
門下生たちに伝えたかったメッセージ。

そういえば、
「至誠館」っていうのは、「死生観」と同じ音だ。

生きるっていうのは本来は、
誠を尽くすということなのだろうな。

あらためて、
松下村塾の基本スタイル「共に学ぼう」について考えた。

それは、
「問いを共有する」ということなのではないか。

それはもしかしたら「いかに生きるか」かという問いなのかもしれないし、
「価値は何か?」ということなのかもしれない。

それは決して
「幕府を倒し、外国に対抗しうる日本をつくる」
という目標だけではななかったのだろう。

松下村塾というチームには、
問いが共有されていた。

問いの共有、
それこそがパートナーシップの
出発点だと思った。
まさに「共に学ぼう」だ。

目標の共有では、
役割分担を生むだけだ。

問いの共有こそが、
互いにリスペクトし、パートナーシップを組み、
それぞれの力を発揮して、前に進んでいく力になるのではないか。

チームづくり、学びの場づくりにもっとも必要なのは、
それなのではないか。

松陰先生は問いかけた。
そして行動した。
いかに生きるか。
日本にとって何が価値か。

その「問いの共有」
こそが松下村塾を最強の学びの場にしたのではないか。

現代社会において、それをどう再現するのか。
ひとつの仮説は、それは本屋というプラットフォームによって
可能になるのかもしれないということだ。

「問いを共有」するための本、そして人。
地域資源を活用したプロジェクト。
地域企業と行うプロジェクト型のインターンシップ。

その入口に、本屋はなり得るのではないか。
僕がやりたいのは、そんな本屋だ。

14年も経ってしまいましたが、
またそんな場づくりにチャレンジします。

松陰先生、熱い風をありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 07:16Comments(0)学び

2018年03月23日

ノーファシリテーション!~「まわしよみ新聞」の魅力

開発者の陸奥賢さん直伝!
茨城新聞でまわしよみ新聞!
@コミュニティスペースcocoon@常陸多賀
でした。


こんな感じ。


18歳の高校生からおじさんまでが集まりました。


陸奥さん直伝中


かっこいいムツサトシ/観光家・コモンズデザイナー


陸奥さんが書いたまわしよみ新聞の見本

まわしよみ新聞について詳しくはこちらから
http://www.mawashiyomishinbun.info/

作り方はこちらから。
http://www.mawashiyomishinbun.info/manual/

今回は、陸奥さんが茨城県に来られるということで、
僕も直伝されにいってきました。

準備するもの:新聞、はさみ、四つ切画用紙、のり、プロッキー(色ペン)

1 新聞(茨城新聞1か月分)を用意する
2 新聞を読み、「気になる」「おもろい」「なんだこれ」を切り抜く
3 1人1記事ずつ、記事の概要となぜその記事を選んだのか語る、そして雑談する
4 4つ切り画用紙に張り付けて、コメントを書き込む。

できあがった新聞を見て、
陸奥さんもいっていたけど、
「あたたかみがある」って。

そうそう。たしかに、色とりどりのコメントを読んでいる
だけで楽しくなってくる。

あと、最後に編集して1枚の新聞にするときに
編集力とパラレル思考が鍛えられるなと

今回主催した
「ローカル・パラレルキャリア・ラボ」的にも
なかなかありだなと。

「まわりよみ新聞」は
総合コミュニケーションツールになっているなと
あらためて思う。

そしてすごいなあと思ったのは、
ワークショップでありながら、
「ノーテーマで、ノーファシリテーション」であるということ。

通常のワークショップには、テーマがあり、
ファシリテーター(役)が配置されることが多い。

ところが、
まわしよみ新聞は、全員が同じだけ新聞を読み、
1人1人順番に1記事ずつプレゼンしていくことによって
1人が同じだけしゃべれる。

そしてこれは陸奥さんが解説してくれたんだけど、
後半の編集して、1つの新聞をつくるというのは、
同じ作業(手を動かす)を同時に行うという
ノンバーバル(非言語)コミュニケーションが
行われているのだ。

これ、やっぱすごいことだなと。

短時間で「チューニング」するツールとしては、
とってもいい時間になるなと思う。

25日に青森・八戸で「デーリー東北新聞社」さんと
やってみるのだけど、これは何度もやっていくと、
とてもいいチームができていくような気がする。

何よりも、
僕が「キャリアドリフト」文脈で言っている、
(今回のパラレルキャリアプロジェクトもそう)

「オープンマインド」(心を開く)
「価値観をチューニングする」
「偶然をつかむ」

が「まわしよみ新聞」には
要素として含まれているんだなと。

これを教育現場などでやったら、
子どもたちは気づかずに、
「キャリアドリフト」という手法を体験することに
なっているのかもしれない。

そういう意味では、
まわしよみ新聞のインパクトはとても大きいなと思った。

地域のまちづくりのミーティングみたいなやつとか、
まずは「まわしよみ新聞」でチューニングしたほうがいいと思う。

大学生の地域づくりの入り口としても
めちゃめちゃいいなと。

おそるべきはノーファシリテーション。
つまり、誰も場をホールドしなくてもできるということ。

そんな自由な空間から、生まれてくる何かがある、
そんな風に強く思った夜だった。  

Posted by ニシダタクジ at 07:53Comments(0)学び

2018年03月08日

「信念」よりも「迷い」があるほうが価値


Tsukuba Place Labの「Lab対談 vol.11 場を編み、場を育む」
に行ってきました。

藤本遼さん、江本珠理さんを招いての
堀下さんのトーク炸裂。
みんな1990年生まれ。
時代の最先端だわ~、とシビれてました。

~~~ここからメモ

藤本さんの原点。
小2の図工の授業で先生から
「これは人の顔の色じゃない。やり直し」
と言われた時の憤り。

正しさは何によって正当化されるのか?
という問いが生まれた。
1つの方向に収斂されていくのなら
少数派はどうやって生きていくのか。
小さき声は無視されるのか。

1問いかけ
2編集・組み合わせ
3遊び
4余白

問いかけることで主体性が生まれる。
問うことで皆が当事者になる。

ゴールを達成するより
プロセスを楽しむほうが価値があるんじゃないか。

完璧を求めない。
ひとりで背負わない。
委ねること。

完璧じゃないことを見せること。
委ねると想定外が起こる。それを楽しむこと。

余白=委ねるデザイン

イベントでも顧客にどう思いを伝えるか?
を考えつくすから人が集まる。
人を集めることそのものは価値ではない。

ワークショップ型で作り上げていくイベントは、
企画書で書いたよりも面白くなる。
ワークショップでアイデアが出て、
企画が次々生まれていくから。

主体性の演出、それはそのままプロセスまるごと価値にすることだ。

ひとりでできるなら関われない。
できないことがあるから協働できる。
かかわる中でお互いが変わっていく。

~~~ここまでメモ

なんというかね。
「ワークショップマインド」というか、
「参加のデザイン」というか、
そういうのを見せてもらったなあと。

藤本さんのプロジェクトには、

1問いかけ
2編集・組み合わせ
3遊び
4余白

これが全部あるんだよね。
いちばん面白いと言っていた、
「ミーツ・ザ・福祉」
http://meetsthefukushi.strikingly.com/

の話とか特にそうだったなと。

行政が定期的にやっていた
いわゆる「福祉まつり」的なやつを
事業提案して、ワークショップスタイルに
するのだけど、

その時のプレゼンも、
「この企画書に書いてあるより面白くなります。」
って言い切っているとか面白い。

いや、ワークショップってそういうことだよなと。
「出力が予想できない」ということ。
入力以上の出力が出るということ。

ひとりひとりの思いや悩みを引き出し、
「ミーツ・ザ・福祉」にそれぞれにとっての「価値」を
埋め込んでいく。

だからこそ。
かかわった人が、周りの人にオススメして、
たくさんの人が来場する。

行政がやっていた時の祭りは、「お客」も「価値」も不在だ。
(いるのかもしれないけど、少なくともチラシには明記されていない)

イベントひとつとっても、「価値」を埋め込んでいく。
「この人に来てほしい」という人に声をかける。
そうやって、イベント自身が
どんな「価値」を生んだのか、振り返る。
そうやって、自分自身の価値をつくっていくのだろうなと。

ていねいに、価値を紡いでいくことで、
真の意味で「人と人がつながる」っていうことになっていくんだなと思った。

そして、昨日の一番のハイライトは、
おかみこと江本珠理さんが言っていた、

おかみの旅。

おかみになる前に、自腹で旅をしていた時のこと。

ゲストハウスでおかみをやることを話しながら
こういうのいいと思うんですが、どう思いますか?
と対話を続けていた。

むしろそれが「参加のデザイン」だったのかも。
自分のやっていることを信じきれなくてもいい。
それを素直に出せばいい。

信念が人を集める時代は終わったのだ。
「迷い」こそが人を参加者、当事者にする。


「ファンベース」(佐藤尚之 ちくま新書)
を今読んでいるのだけど、

顧客をファンにし、
信頼を得ていくための最初の部分って

「正直であること」
なのかもしれないなと。

http://hero.niiblo.jp/e484384.html
「市場の倫理、統治の倫理」(18.3.27)

一番大切なのは、
信念を持つこと。
目標を明確にすること。

ではないのだ。

正直であること。
不安を抱えていると認めること。

お客さんと向き合うのではなく、
横に座って、どう思いますか?と
話しかけること。

これからの価値は、
「パートナーシップ」を結ぶこと
「ワークショップマインド」を持ちながら、
当事者意識を高め、
インプットをはるかに凌ぐアウトプットを出していくこと。

ひとりひとりが自ら問い、考え、
自分の役を演じること。
そのプロセスそのものを楽しむこと。

そんな社会をつくっていくため必要なのは、

「信念を持つこと」ではなくて
「迷いがあること」、そしてそれを語ること
なのではないだろうか。

とても素敵な気づきをもらいました。
ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 08:05Comments(0)学び

2017年12月02日

世界一のタオル屋

矢沢永吉。
日本を代表するロックミュージシャン。

矢沢永吉の
キャッシュポイントはどこか。

そんな話。
学校は「お金」のことを教えてくれない。
なぜなら、みんなが素人だから。



キングコング西野さんの講演を聞き、
「革命のファンファーレ」を読みました。
おもしろかった。

一番シビれたのが冒頭の矢沢の話。

ヤザワ=世界一のタオル屋説

矢沢永吉はライブのたびにオリジナルタオルをつくり、
そのタオルをライブのとあるタイミングで、全員で宙に放り投げる。

そこで、投げ捨てるから、
その瞬間に消耗品になり、
3000円のタオルが10000枚また売れる。

そこがキャッシュポイントとなって、
質の高いライブをつくることができる。

その結果、CDを(数多く)売れなくてもよい。
→売れ線の曲を作らなくてもよい。
→矢沢はロックンローラーであり続けられる。

そこで、衝撃的な一言。
「天才になるには、本業でお金をとっちゃだめだ。」

うわー。マジか。
それ、新しいな。
要は、お金をとる場所をズラす。」ってこと

そのズラすっていう感覚が面白かった。
たとえば、西野さんの書いた「えんとつ町のプペル」は、

原画展を各地で開催してもらい、
その出口で絵本を売っている。

つまり、
「えんとつ町のプペル」を「おみやげ化」するんだと。

それは、西野さんの長年のリサーチの結果。
せっかく作ったのだから、売りたいと。

いいもの作っても売れるわけじゃない。
つくってもお客に届かなかったらつくったことにカウントされない。
お客さんに届くまでの導線をデザインする。
つくるだけつくって終わりではダメ。

クリエイティブにおける育児放棄をしないこと。
つくることはお客さんまで導線をデザインすること。
買う側から考えてみる。
人は何を買って何を買っていないのか?

「作品」は買わなくなっている。
「生活に必要なもの」は買っている。

しかし、売れている「作品」がある。
それは何か?たとえば、演劇パンフレット。
そう、売れている作品は「おみやげ」として売れている。

「おみやげ」は「思い出」を思い出す装置=生きるために必要なもの

ディズニーランドの出口に、巨大なおみやげ屋さんが
鎮座しているように、
自分の作品がおみやげになるとしたら、その前に体験が必要。
作品がおみやげになるような体験。
絵本の原画を無料で貸し出して原画展をやってもらうことで、絵本がおみやげになる。
各地で開催され続けることで売り上げがとまることのない仕組みを作った。

絵本を売っているのは本屋ではなく、展示場。
体験をデザインすること。
展示場が楽しかったからお土産として本を買う。
体験の出口としておみやげ=本を売る。

なるほどな~。

これ、聞いていて、いと本と編み出した、
著者でもないのに本にサインする本屋っていうのを思い出した。
http://hero.niiblo.jp/e274363.html
本こそ「あなたから買いたい」(2013.7.21)

この日以来、
僕は、著者でもないのに、
購入された日付を書き、そこに一言添えて、
本を売ってきた。

ああ、あれって、ツルハシブックスという体験のお土産だったんだと
あらためて思い出した。

昨日も岐阜のさかだちブックスでの
トークライブ後、

「本の処方箋」を少しやったのだけど、
トークライブで、サインの話したら、
サイン入れてくれっていう人が続出して、
サインを書いていた。

ああ。
これか。

「おみやげ化する」ってこういうことか。と

やってたんだね。
少しだけ。
それを言語化できてなかったってこと。

たぶんこれからの僕のテーマは2つだ。

ひとつは、矢沢永吉バリに、
本屋のキャッシュポイントをズラすこと。

もうひとつは、
そうはいっても、本を売るために本屋をやっているのだから、
本がおみやげ化するような体験をお店の中でつくること。

暗やみ本屋ハックツも、
総合的にそういうことが提供できたらいいなと思った。

まだまだ、考えたいので、明日のブログに続きます。  

Posted by ニシダタクジ at 17:24Comments(0)学び

2017年11月23日

このまちに大切な人を呼びたいと思いますか?


MICHIKARA 官民協働フォーラムに行ってきました。

なんか、くやしかったです。
プレイヤーはどんどん前に進んでいるんだなって。
敗北感でいっぱいでした。

印象的だったキーワードを少し紹介。

渋谷区長の長谷部さんへの
フューチャーセッションズ野村さんのコメント。
「1つ1つのアイデアに、区長がすべてコメントしていてすごい」
って。

いい組織とは、トップがアイデアに興味がある組織。
結果だけに興味がある組織はいい組織とは言えない。

なるほど。
リクルートはそうやって、人を育成してきたのだなと。
あなたの組織のトップは、アイデアに興味があるか?
ってこと。

そして何より、今回もっとも響いたのは、
タイトルにもなっている岩手県釜石市の石井さんと日立製作所の話。

さまざまな取り組みをして、
全国的に注目されている釜石市。

そのKPI(重要目標達成指標)は、
「釜石に大切な人を呼びたいと思いますか?」
という住民アンケートだという。

なんということだろう。
「誇り」そのものがKPIだなんて。

日立製作所の写真プロボノを通じた
釜石市の取り組みの話も素敵だった。

CSR担当部長の増田さんの話。
まず、半年、ひたすら通った。
「釜石の現状を教えてください」
と副市長に話を聞いた

そのあいだ、多数の連携の話が
さまざまな企業から来たという。

半年後、副市長から、
「今夜どうですか?」と飲みに誘われた。
そこで初めて出た課題の話。
半年かかって築き上げた何か。

僕たちの「連携」は、
お見合いじゃなくて恋愛結婚ですから
なんて言っていたけど、ホントそうだなと。

ていねいなヒアリング、地域調査。
そこからどんなアウトプットを出していくか。
そこをやらなきゃ、本当に必要とされるものは
出ないのだろうな。

ミニワークショップは、話題の
あいそうな4人で組んで話をする。

自分たちの問いは、
「地域を好きになるような学びの場、仕組みづくりとは?」
官民協働でやりたいこと。
やっぱりこれかな、と。

それを僕は本屋を通してやりたいと改めて思った。
官民協働フォーラムが日常化しているような、そんな場所。

最後に、イノベーションが起こる方法として、
以下のまとめがあった。

・顧客の声を異常なくらい聞く
・原体験を起点に
・熱狂的アーリーアダプターを10人探す

そういう意味では、
僕は、かなり聞いてきたほうだと思う。
起点にする原体験もある。
あとは熱狂的アーリーアダプターを10人。

そこかな。
大切な人を呼びたくなるまちを協働してつくっていく。

まだ、それがなぜ本屋なのか?
って明確に言えないけど、
僕は本屋がその拠点になりうると思う。

・フラットな関係性
・アイデアを聞く場所
・チームができる場

「集まる」場と「始まる」場としての本屋

うーん。
まだ興奮して、うまく書けないけど、
また明日、山田さんに聞いてみます。  

Posted by ニシダタクジ at 08:22Comments(0)学び

2017年11月13日

その「問い」であってます?

「学校化社会」では、
思考停止の罠がいろんなところに潜んでいる。

・偉い人がいる
・他者評価が前提となっている
・答えがある

「13歳のハローワーク」以来、
もっとも大きな問いは、

自分のやりたいことはなんだろう?

ツルハシブックスに立っているときも、
大学生の悩みの圧倒的1位は、

「やりたいことがわからない」
そして
「自分に自信がない」
だった。

「答え」が見つからないと悩む。
しかし、もしかしたら、それは問いが間違っているのかもしれない。


「なめらかなお金がめぐる社会。
あるいは、なぜあなたは小さな経済圏で生きるべきなのか、ということ。」
(家入一真 ディスカヴァー・トゥエンティワン)

読み始めました。
いきなり本質ついてくるなと。

~~~以下一部引用

働き方論はテクニックにすぎない。
大切なのはどんな生き方をしたいかであり、
それは自分にとっての幸せはどこにあるのかを探るということだ。

地域活性化の本質とは、その土地での暮らしの集積であるべきで、
それを大切に育てて、発信して、人を魅了していくことにあると思う。

ここでしか食べられないもの
ここでしか見られない景色
ここでしか出会えない人たち
ここでしか味わえない時間の流れ方

地域の魅力とは、そういうところにあるわけで、
東京には負けないぞとか、東京にはないこんな良さがあるとか、
物差しとして東京を引き合いに出している段階で
じつは東京に負けていることを多くの人は忘れがちだ。

「地方創生」という言葉には、国のシステムありきで、
それぞれの土地の本来のあり方を型にはめ、
阻害していくイメージがある。
要は、言葉から「におい」を感じないのだ。

実際、成功例の本質を理解せず、
ただ単純に模倣するばかりの自治体が増え、
「地方創生のイメージ」がコピペされた町が増えている気がする。

人は希望を持つから絶望する
夢を持つから夢に敗れる
他人との比較ばかりをするから自信を失う
完璧を目指すから失敗を恐れ、最初の一歩を踏み出せない。
過度に欲しがるから、心の穴が埋まらない。

~~~以上一部引用

そうそう。
ほんと、そう。
こういう本を届けないとな、やっぱ。

って、偉そうなことを言っているけど、

僕自身が20代のとき、
「自分のやりたいことは何か?」
そんな問いというかむしろ呪縛のまっただ中にいた。

大学院在学中の24歳春に、「まきどき村」を発足。
いわゆる「就職」はしなかった。

イベント企画会社、地ビール製造会社、
知り合いのお店の店番、出版社の地方書店営業

などをしながら、
地元の肉屋のメンチカツとコロッケを食べながら、生きていた。

まわりから見れば、
「好きなことをして生きている」ように見えただろう。
いや、実際そうだったのだけど。

友人の結婚式に行くたびに、
「俺にも、土日休みの人生があったんじゃないか。」
とか思って、凹んでた。

それって、
常に、
「自分の本当にやりたいことは何か?」
みたいな問いの呪縛だったように思う。

やりたいことをやっているはずなのに、
どうもしっくりこない。

それは単に他者評価(収入含む)が得られないという理由だけではなく、
その問いの呪縛だったんじゃないか。

その呪縛は、28歳くらいの時に、いつのまにか消えていたし、

それはひとつに、27歳の冬の
不登校の中学3年生、シンタロウとの出会いがあったし、
29歳の春に、「小説・吉田松陰」(童門冬二 集英社文庫)


を読んだときに、

野山獄のエピソード
(獄中で、それぞれが自分の特技である
書道教室や俳句教室、本の解説を行い、
みるみる獄中の雰囲気が明るくなっていったという話)

に心が震えて、
「獄中でさえ、学びあいで希望の灯が燃える」

それなら、この獄中のような(言い過ぎ)世の中も
学びあいの仕組みをつくれば、
希望が生まれるのではないかと思った。

それで、すぐに山口県萩に飛び、
吉田松陰先生の墓前に、誓いを立てた。

僕にとってのWHYの出発点はあそこにあると思うし、
ツルハシブックスだけでなく、
ほかの地域でやっているプロジェクトの
思想の根っこはそこにある。

だから、結局、
「やりたいことは何か?」
という問いを問い続けるのではなくて、

やってみる。
ふりかえる。
本を読む。
旅に出る。
人に会う。

そうやって、なぜ、自分はこれをやっているのか?
っていう問いに向かうこと。

あるいは仲間たちと相互に
ヒアリングしたり振り返りをすること。

そうして、
なぜ?

というか、

なぜ?を構成する

「顧客は誰か?」
「顧客にとって価値は何か?」
という問いを回し続けること。

僕自身の顧客は、
・ふるさとのない自分自身(「まきどき村」)
・中学生・高校生(自宅での学習塾「寺子屋途輝)
・居場所が学校しかない小学生(遊び場づくり「虹のひろば」)
・就職を考える大学生と地域企業(インターン事業「起業家留学」)
・普通の大学生(ツルハシブックス)

と変化して、いまは、自分に自信の持てない
始めたくても、始められない、なんとなくもやもやしている
大学生や20代が顧客だ。

そこに向かって、サービスを提供していく。

「やりたいことは何か?」という問いは本当にあっているのか?
と問いかけたい。

そんな場所になるであろう、
日立の海のような本屋「うみまちブックス」プロジェクト、応援しています。
https://camp-fire.jp/projects/view/51775  

Posted by ニシダタクジ at 08:16Comments(0)学び

2017年10月20日

活動そのものより振り返り

地域活動そのものにも、
インターンシップそのものにも、
たいした価値はない。

それを「経験」と呼べるのは、
振り返りをしているからだと思う。

ふりかえりという「自己評価」
ができて初めて、それが学びになる。

そして自己評価によってのみ、
「自信」が生まれる。

http://hero.niiblo.jp/e485809.html
「ふりかえり」と「自己評価」(2017.9.12)

僕が本屋をやったのは、
昨日も書いたけど、「機会提供」のためだった。

作品的に言えば、「偶然」だった。
https://www.youtube.com/watch?v=bYq8iDb_ei4
(2015.12.10)

バスケ部を辞めたばかりの中学2年生に、
「屋台をやってみない?」と誘い、
本屋の中でお菓子屋さんをやってもらった。

就活どうしよう?って悩みはじめていた大学生に、
新潟の社長、面白い人ばかりだよ、って
「夜景企画会議」に誘ったりした。

それぞれ、僕は機会を提供していたのだけど、
「ふりかえり」をやっていただろうか。

僕が「ふりかえりの文化」を身につけたのは、
2007年にインターンシップ事業を一緒に立ち上げた
ナカムラさんのおかげだ。

あの、執拗なほどの(笑)
「西田さん、ふりかえりしましょう」
によって、身体的に身についたのだった。
(打ち上げの飲み会の後とかはマジかんべんしてくれって思ってた。)

10年経って、
ようやくその偉大さがわかる。
「ふりかえりの文化」の大切さがわかる。

「機会提供」と「ふりかえり」
そうやって「学び」をドライブしていく。
「学び」がドライブするから、本を読む。
行動したくなる。

そういう個人としての学びのスパイラルと、
チームとしての学びあいのトライブをつくっていくのだろうと思う。

トライブについては、こちら。
http://hero.niiblo.jp/e485916.html
(2017.9.29)

うんうん。
そのベースキャンプになるような本屋さんが
必要ですね。  

Posted by ニシダタクジ at 07:53Comments(0)学び

2017年10月16日

whyから始める

「アップルはwhyから始まっている。」

県北ビジネス創出支援事業@大子町
の2日目。

ビジネスプランを膨らませるワークを
行った。

今回の手法はプロアクションカフェ。
https://www.ourfutures.net/session_methods/proactioncafe
(ちなみにこのサイト、めちゃエッセンス詰まってる)

~~~以下メモ

アイデアに価値はない。
アクションあるのみ。
ファーストペンギンになれ。

1 想いの深掘り
2 課題の提案
3 次の一歩

プロアクションカフェ=
ワールドカフェ+オープンスペーステクノロジー

提案者は種を蒔く人。花を咲かせる人。
支援者はミツバチ。質の高い質問をする。

ROUND1 想いの深掘り
・想いを持つにいたった背景は?
・本当に大切なことは?
・その人のやりたいことの深い意味合いは?
・根っこの想いはなんだろう。

数分間の休憩時に提案者は整理する。ココがポイント。

ROUND2 課題の探索
・想いを実現する上で不足していることは?
・目に見えない壁はどこにあるんだろう?
・やりたいことを実現するためにどんな手助けが必要だろうか?
・聞き役が助けられることは何かないだろうか?

ROUND3 次の一歩
・次の一歩は何ですか?
・何があると追い風になるか?
・やりたいことに近づくのに最初の一歩は何がふさわしいだろうか。
・どんな最初の一歩が周囲の共感を得て応援したいと思ってもらえるものになるだろうか。

タイトル(24文字以内)
なぜ?why
何を?what
誰に?who
どこで?where
どのように?how
いつ?when
いくらで?how much

なぜ、なぜ?が大事なんだろう?
→共感することが大切。

アップルはwhyから始まっている。
whyが共感を生む。
共感がお金を生む。
共感するのはストーリー、コト。

クラウドファンディングはテストマーケティング。
得られるものは、資金と顔の見える応援者、認知度。

伝わるために必要なこと。
顧客視点が大事。
相手の立場に立って考えてみること。

WHYから始まるクラウドファンディング
WHY
HOW
WHAT
の順につくる。

~~~以上メモ

なるほどな~。
って。
WHYに人は共感するんだなあと。

僕が思ったのは、
WHYの背景には
具体的な人(WHO)がいるんじゃないか
ってこと。

前日のワークでの
根っこの思い、種火
みたいなやつは、自分自身の経験
なのだろうけど、

そこに他者が存在している場合は、
その人がWHO、いわゆる顧客に
なる可能性が高い。

あるいは過去の自分自身が
顧客になるのかもしれない。

フローレンスの駒崎さんだって、
お母さんが電話で話していた知人の女性の
エピソードがきっかけになっているからね。

そこを明確にしたほうが
WHYの共感性が高まるんじゃないかなあと。

ということで、
僕も自分自身のWHYを掘らなきゃ、って。

今は、
18歳の他者評価依存の解消っていうのは
結構ミッションとして大きいなと。
そういう人に何人も出会っているし、

数年前までの、
「自信がない大学生」っていうのより、
クリアに顧客像が見えてきている。

他者評価の外に出てみる。
自己評価のピラミッドを確立する。

「やってみる」と同時並行して、
自分の中で「自己評価」のシステムを
作り上げること。

きっとこれを本屋がやらなきゃいけないのだろうなと
思いました。

まずは、whyから始めてみよう。  

Posted by ニシダタクジ at 07:57Comments(0)学び

2017年10月15日

ツルハシが掘るもの

茨城県が主催する
県北地域ビジネス創出支援事業
講座の第2回、大子町でのフィールドワークと
ワークショップ1日目。

大子町は
茨城県有数の観光地。

名勝・袋田の滝


をはじめ、温泉や名物の食べ物など、
たくさんの魅力に詰まったまち。

プログラムは、
常陸大子駅前のまち歩き
りんご園でのりんご狩り
ロケ地としても使われる旧上岡小学校
そして袋田の滝、と展開。

これでオープンになった参加者たちは
インタビューワークへ。
という流れになった。




印象に残ったのは
仲野りんご園
http://www.apple-nakano.com/index.html

仲野のオトウさんの
トークも実直で素晴らしい。

なんと、年間(といってもシーズンは9月~11月)
2000人ものりんご狩り客が来るのだという。
そしてそのほとんどがリピーター。
家族で毎年、来てくれるのだという。

役場の人が言うには、
りんご園それぞれにファンがついているのだという。

それって、リンゴ売ってないな、って思った。
また仲野さんに1年に一度会いたくて、来るんだろうな。

ということは、来る人同士で
仲良くなったらもっといいだろうな。

僕だったら、たとえば、
アップルパイづくり体験とかを企画して、
1500円とかで手摘み手作りアップルパイを
つくるとかいう企画したいかも、って思った。

そして、そんな企画を本屋がしてもいいんだなと。
そんなふうに考えていました。

夜、宿に帰ってから、
講師のコクリ!プロジェクト三田さんの講座とインタビューワーク。

これも学び多い時間となりました。

~~~ここからメモ

「種火」。
誰もが心の奥に持っている種火。
そこに気づいて、火を広げる。

ひとりひとりはgiftをもって生まれてくる。
ひとりひとりが本領発揮していく世の中をつくる。

1 ひとりひとりの可能性・ギフトを信じている。
2 境界を超えた共創によって世界に進化を。
3 100年後から見て、世界が変わったと言えるような社会実験を。

境界を超える。
越境する。

変革はS字カーブ。ある時から急激に変革は始まる。
ティッピングポイント。

コクリ!エコシステム
種火が生まれ続ける仕組み

ビジネスパートナーではなく、人としてつながる。
安心・安全な土壌で種火に気づき、育てる。
会う機会のない人に会えたという偶然性。
必ず実現するという思いをサポートする。

give&takeからgive&giveへ
協働から運命共同体へ
議題・課題からではなく人・想いから出発する。

1 根っこの思いを自覚する
2 境界を超えてつながる土壌
3 感性に従ってやってみる
安心・安全な土壌にワクワクの種火が蒔かれ、情熱と感性でやってみる。
3+1(ありたい未来という北極星)

関係の質モデル。
関係の質→思考の質→行動の質→結果の質→

根っこの思いを確認するストーリーテリング。
自分とつながり、仲間とつながる。
自分の根っこに気づく。
相手の根っこに気づく。
インタビューワーク。
インタビュー役はレベル2の傾聴を。語り役はイメージを思い浮かべながら語る。

1 自分の住んでいるまちを好きだなと思った時。
2 人生で誇りに思うこと。本領発揮したシーン
3 根っこの想いは何か?

インタビューワークのゴールは、想いの源泉に触れる。
というか、掘り当てること。
そうすれば、温泉が湧いてくるように、やればやるほど力が出てくる。

インタビューワークは、源泉探し。
源泉は原点。源泉のほうがいいな。
いま、源泉掛け流し中です、とか。
熱すぎて少し水でうめてます、みたいな。

~~~ここまでメモ

なんか、思い出した。

ツルハシブックスの正式名称は、
「ジブン発掘本屋 ツルハシブックス」

発掘するジブンっていうのは、
きっとその「源泉」みたいなものなのだろうなって。

ツルハシブックスは、
コクリ!プロジェクトを、場として
実現しようとしているのかもしれないなって。

会えない人に会える偶然性。
想いの源泉に気づく本や人とのつながり。
とにかくやってみるための屋台。
それを支える安心空間。

そう言えば、いろんな人に、

「ジブン発掘」ってなんですか?
とか
ツルハシブックスのツルハシってなんですか?
とか
どうしてツルハシなんですか?
とか

よく聞かれたけど、
「まきどき村のときにツルハシで畑耕していたんです。
その原点を忘れないように。」

って言っていたんだけど、
言っている僕自身もよく分かってなかった。

6年半の時を超えて、今なら答えられる。

ツルハシブックスのツルハシは、
自分を掘る、仲間の心を掘るための道具です。
それは本であるかもしれないし、
本屋で出会った人かもしれない。

本屋で行われるワークショップかもしれないし、
本屋で出会った人に誘われた畑の場かもしれない。

自分の源泉に気づくこと。
仲間の源泉に気づくこと。
掘って、掘って、たどり着くこと。

掘り当てた源泉を、
ちゃんと温泉まで引いていくこと。

宿を整備すること。
無料の足湯をつくって、コミュニケーションすること。
客からフィードバックをもらい、改善していくこと。
客と一緒にいい宿をつくっていくこと。

これからの仕事づくりは、
そんな「温泉宿づくり」、になるのかもしれない。

まずは、その「源泉」を見つけよう。

そのためのツルハシ、売っています。
そのためのツルハシ、お貸しします。
そのためのツルハシ、一緒に作りませんか?

ツルハシブックスはそんな本屋です。  

Posted by ニシダタクジ at 08:06Comments(0)学び

2017年10月10日

18歳を他者評価の檻から脱出させる

他者評価。

「近代」というシステムが
「効率化」のために生み出した
「評価」システム。

それは「学校」に根強く内包されている。

新潟大学の卒業生に話を聞いたのだけど、
18歳。
大学入学のとき。
劇的な変化が訪れるのだという。

突如として
「評価」してくれる「他者」を失うのだ。

高校まで、学校の先生や親の「求めるもの」を
察知して、それに「応えること」で
他者評価を獲得することに価値があると
思い込んでいたし、その社会に「適応」してきた。

結果、そこそこの偏差値の
地方国立大学に入学することができた。

そこで突如として
評価してくれる他者を失うのである。
不安になるだろうと思う。

特に大学受験で第1志望ではなかった場合は
敗北者として、他者評価を得られずに入学する。

そこで、不安になって、もっとレベル(偏差値)の高い
大学の大学院を受験しようとしたり、
TOEIC高得点や資格取得を目指したり、
公務員試験の勉強やハードなインターンをやったり、してしまう。
つまり、「他者評価を得られるような何か」をしてしまう。

しかし、18歳。大学1年生。ひとり暮らし。
それは「他者評価の檻」から脱出する大きなチャンスだ。

もしかしたらそれは「ラストチャンス」、かもしれない。

他者評価のピラミッドを内包した
自己評価のピラミッドに気づくこと。

「他者評価」は、
自分のミッション、自分の人生のための
部分的な価値にすぎないだと気づくこと。

そのためには、視野を広げること。
横ではなく、タテに、時空を超えて、広げること。

空から、地中から、未来から、過去から、
今の世の中を見てみること。

てっとり早いのは本を読むこと。(効率的です。笑)
そして、アクションすること。
旅に出ること、人に会うこと。

アルバイトすること。
インターンに行くこと。
就職すること。

すべては、
リベラルアーツ(人を自由にする学問=教養)
につながっている。

逆に言えば、
すべては、
リベラルアーツに過ぎないっていうこと。

「自由にする」ってどういうことかと思ったけど、
18歳の大学1年生にとっては、
「他者評価の檻を脱出する」自由、っていうことなんだと思う。

本を読む。
旅に出る。
人に会う。
インターンに行ってみる。
プロジェクトをやってみる。
就職してみる。

そして、ふりかえる。
自己評価する。
他者評価をもらうだけではなく、
自分なりの意味づけをつける。

やったこと。
考えたこと。
感じたこと/思ったこと。

この3つを重ねていく。
特に3つ目の「感じたこと/考えたこと」
ここを書くようにしていくこと。
それが檻からの脱出の力になる。

僕は、そんな本屋さんになろうと思う。
それは見た目「本屋さん」ではなないかもしれない。

「偶然性」を入り口にするために、
「本屋さん」というカタチにはこだわらない。

また、場所も、1か所ではなくて、
いろんな場所に同時に行っていき、
違う場所で出会った人たちが出会い、
学びあえるような、そんな空間をつくりたい。

そんなミッションのある本屋、やります。

18歳を他者評価の檻から脱出させる。

それは「させる」ものではなくて、
「自ら脱出する」ための、
ヘリコプターや潜水艦や、船づくりのための
材料や工具を貸し出すということなのだけど。

そして、
就職もリベラルアーツのひとつだという
価値観で就職に臨んでいけるような。
そんな「学び」をつくっていく。

人生は、
他者(就職した会社含む)との協働プロジェクトであり、
そこにあるのは「「パートナーシップ」であること。
そんな感覚を身に付けること。

「チューニング」と「ふりかえり」で
それを実現するような「場」を僕はつくります。

  

Posted by ニシダタクジ at 08:15Comments(0)学び

2017年09月11日

「就活」の違和感

「就職」はしたいけど
「就活」はしたくない。

「就活」しないで「就職」
する方法はないのだろうか?

そんな大学生は
きっと潜在的に多いのだろうと思う。

「就活」への違和感。

それは、自分をモノ化、あるいは数字化すること
とイコールであるのかもしれない。

企業に就職するとは、
交換可能な部品になるということ。

いや、そうじゃない企業もたくさんあるのだろうけど、
原則としては、企業が存続するために、
ひとりに依存しないシステムをつくることが大事だ。

しかし、仕事はチーム戦である。
誰とやるか、も大切だ。

もっとドライに、プロフェッショナルに、と言われても、
このチームでは、、、っていうことも起こってくるだろう。

それでも、
社長の描いている方向性に共感できるなら
やれるのかもしれないが。

「就活」の違和感。

なんというか、新卒というラベルを貼られて、
ベルトコンベアーで運ばれていって、選別されるような感じ。

A品、B品、規格外と選別されて、
めでたくA品として出荷されるようになり、

今度は、工場の中の人になって、
たくさんのベルトコンベアーからものすごい勢いで
お客さんという数字が運ばれてくる。

それをひと手間加工して、
またベルトコンベアーに載せる。

「もっとこうしたらよくなると思うのだけどな~」
と一瞬思った心の声を無視して、
ひたすらに商品を送り続ける。

そこでは、自分は「ひとり」という
数えられる名詞になっている。
それが「就職」の違和感なのかもしれない。

実際は工場ではなくて、デスクワークをして、
お客さんと打ち合わせをして
商品・サービスをつくっていくことも多いのだろうけど、
構造的にはあまり変わらない。

その点、カフェや個人が経営するちいさな古本屋さんは
目の前の「ひとり」に何ができるか、考え、
それを表現していくことができる。

大学生が抱えている
「就活」の違和感を受け止め、
そこから学びを深めていくような本屋さんをやりたい、
というか、必要でしょ、それ。
誰かがやらないと。  

Posted by ニシダタクジ at 08:17Comments(0)学び

2017年08月21日

クラウドファンディングというメディア

昨日は、クラウドファンディングの
つくり方講座に参加してきました。

めっちゃ面白かった。
2時間でつくるっていう
コピー通りに、ガンガン書いていけば
骨格となる文章ばかりではなく
リターンの内容まで書けました。

講師の岡田さんは、宮崎県出身。
大学時代にいた高知県で
限界集落と呼ばれている地域が
可能性がいっぱいだってことに気づく。
なぜなら、やろうっていったことがすぐできるから。

いま、地域に欠けているのは、
情報発信力とお金。

クラウドファンディングはビジネスプラン。
これを売りたい。
これを作りたい。

そんなモノ・コト・サービスを世に出してみる。
やってみないとわからないからね。
つまり、テストマーケティングってこと。
「まずやる」までを最速ではじめるんだ。

なぜ、クラウドファンディングか?
っていうのを考えてみると、

クラウドファンディングならではっていうのがある。

まず、いいね!をもらったり、シェアしてもらったり、
多くの人に見てもらえる。
つまり、応援の輪が広がるんだ。

注目すべきは、応援コメント。
これが埋もれている意見を見える化してくれる。

たとえば、
1 もともと知っている、大好きだ
2 初めて知ったけど、興味がある
3 趣旨に賛同して応援するよ
そんなふうに応援コメント=宝なんだ。

ここで、クラウドファンディングをする時の
注意することは、
クラウドファンディングは道具にすぎないってこと。

お金を集めることと
お金が集まることを混同しないこと。

そのためには、「なぜ?」
に立ち戻れるような軸をつくることが必要。

そして、フェイスブックなどで、毎日情報発信する。
さらに、それを検証して、アクセスの数によって
取り上げる角度や、文章の順番などを変えていくこと。
それによって精度が上がっていくんだな。

そして何より知り合いに直接お願いすること。
そのためには顧客視点が大切で、
相手の立場になって考えてみることなんだ。

「誰もあなたのことを知らない」
っていう前提から出発すること。
「ひとに伝えていく」から伝わっていくんだ。

お客様は誰なんだろう?

たとえば伝統食材の復活プロジェクトの場合。
1 地域の食に興味がある人
2 地域のプロジェクトを応援する人
3 自分を応援してくれる人

その人を見つけるのは、
フェイスブックというツールは非常に有効で。
その人がどんな投稿をしていて、
どんなイベントに参加していて、
いつもいいね!くれる人だったりすれば

そこに直接メッセージをして支援者・応援者を
増やしていくこと。

シェアが多いということは
多くの人に見てもらえるということなので
応援の輪が広がっていく。

クラウドファンディングをひとりのプロジェクトから
みんなのプロジェクトに作り上げていくこと。

アクションとしては、
本質的な目的を外さないようなアプローチ
(販路拡大であれば、飲食店に提案するなど)

クラウドファンディングは公開情報だから
ほかのリアクションも期待できる。

具体的に投稿をどうするかって?

記事の中の本文を分解していくこと。

見出しがあって、
その中の要素を小出しにさらに分解して
文章化していくこと。

効果的に伝えるには、次の5つに気を付ける
1 切り口をみつける
2 並びかえる
3 肉付けする
4 削る
5 声に出してよんでみる

この5の声に出してよんでみる
が結構ポイントだと思った。

お返しのつくりかた
4種類

1 ライト層 1,000円~3,000円 メッセージ送る
2 ミドル層 5,000円~10.000円 できあがった製品を返す
3 コア層  10.000円 コミュニティ価値 プロセスの見える化
4 大口層 100,000円 企業ブランドの向上

で、実際に僕もやってみたのだけど、
それはまた次回書きます。  

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2017年08月19日

まちゼミという問い



「第4回首都圏まちゼミ交流会」に参加してきました。
ミスターまちゼミの松井洋一郎さんと
ツルハシブックスもご紹介いただいた「商業界」
の笹井清範さんに会いたくて行ってきました。

「商店街はなぜ滅びるのか?」著者の新さんと
中小企業基盤整備機構の長坂さんと
豪華メンバーのパネルも熱かったっす。


まちゼミについては、コチラの本を。
まちゼミ(松井洋一郎 商業界)

現在全国300地域以上で行われているまちゼミ。
「まちゼミ」とは、店主やスタッフたちが講師となって、
店内で少数の受講者を相手に行う無料講座です。
(「まちゼミ」より)

僕が松井さんの話を初めて聞いたのは、
2012年の12月、村上市だった。
「モノを売るのは、こんなにも美しい」
http://hero.niiblo.jp/e220280.html
(2012.12.14)

その後、2月に内野の商工会でも講演をお願いした。
2年前からあなたの店で買おうと決めていた
http://hero.niiblo.jp/e235086.html
(2013.2.7)

内野町でもまちゼミをやりたい!
と思いましたが、なかなか各商店主さんを
巻き込んでやるのは難しかったので、
2014年3月に、大学生だった野島さんを中心とした実行委員会で
「うちのまち なじみのお店 ものがたり」として
10店舗10講座を実施した。

味噌を買いに商店へ(2014.3.16)
http://hero.niiblo.jp/e380403.html
「ものがたり」のものがたり(2014.3.17)
http://hero.niiblo.jp/e381128.html

いま思うと、
この講座から、飯塚商店さんや大口屋さんとの
関係性を深まって、コメタクやいろんなコラボが
生まれたんだなあと。

そんな原点を思い出させてくれる松井さんの講演でした。


「まちゼミ」をやるとどうなるか?
・新規顧客との出会い
受講生の約2割がお客になってくれる。
・離店客の防止
新規よりも5分の1の労力で来店してくれる。
・マーケティング・経営革新
お客様の声を聴き続けることで必要とされる店になる。

・自身の学び、自己実現
お客さんに教えること、得意なことを考えることで新しい自分になる。
・よい店としてのチラシでPR
チラシに講座が載るだけでもPRになる。
・連携・仲間づくり・コラボ
個店同士が連携してお客さんを紹介しあうなど。

印象に残った事例がとあるピアノ教室の話。

はじめてまちゼミに取り組む店主から、
まちゼミって興味はあるけど、何をやったらいいの?
って質問されるときが多いのだという。

そんなとき、
「何が得意なの?好きなの?」

って問いかける。
そのピアノ教室の先生は、
「ピアノ教えてるけど、実は歌を歌うのが好きなの」
って。

それで、歌の講座を開くことになった。
受講したのはおもに60代の女性。
たいへん好評で、
なんと、週1回歌の教室も開くことになったのだという。

松井さんは、講演でも著書の中でも言います。

~~~ここから「まちゼミ」より引用

店をなんとかしたい、なんとかできると信じ、
行動し続けることが「店の活性化」です。
昨日よりも今日一つだけでも新しい売り方を
試してみた、わずかだけれど、経営革新を試みてみた。
-それをやり続けることが「店の活性化」です。

なんとかしたいと前に進み続ける店が集まったとき、
本当に求められる商店街ができあがります。

「自分には地域のためにまだまだやれることがある」
と信じる店が数多くできて蓄積したとき、商店街活性化は
現実のものとなります。
そして、まだまだやれることがあると思える人たちが
まち全体に増えれば、それが「まちの活性化」になるはずです。

地域の人たちに必要とされ、
新しい価値をつくり続けられる店を運営していくことが
「店の活性化」です。
必要とされる店が集まったとき、「商店街の活性化」が実現します。

そして、一つひとつの店が地域全体に思いをはせ、
地域の人たち一人ひとりがお互いの幸せを
心から願うようになれば「地域の活性化」が実現するでしょう。
人が意欲を持ち続けることこそが「活性化」なのです。

~~~ここまで「まちゼミ」より引用

そうそう。
そうそうって。

まだまだやれることがある。
その通りだなあって。

まちゼミは、
ひとつの問いなんだなって。

活性化って何?
商店街って何?

お客さんが求めていることは?
商店主としてできることは?

ほかの店と連携できることは?
活性化のその先に、何があるの?

パネルディスカッションで笹井さんが言っていた。
業績がいい店に共通するのは、
「何のために商売をするのか?」という問いを
考え続け、答え続けていることなのだという。

店の価値は安い、便利といった「生活必需の店」から
付加価値、個性、コミュニケーションといった「人生充足の店」
へとシフトしている。
まちゼミとは、その「人生充足の店」の何かを作るのだと。

そして、それを
自分ひとりではなく、仲間と一緒に学びあい、
高めあいながら探していくこと。
「連携」というのは、「共に学ぶ」ことなのだと感じた。

そのミッション。

「学びあいで希望は生まれる」

僕が29歳の時に吉田松陰の「野山獄」のエピソード
でもっとも衝撃を受けたこと。

松井さんは、
まちゼミというツールを使って、
そんな「場」を全国に作っていっているのだろう。

交流会で
「商店街はなぜ滅びるのか」(光文社新書)の
新雅史さんが松井さんと話しながらこんなことを言っていた。

「模倣」じゃなくて、「感染」。
松井さんには感染力がある、と。

そうそう。
僕もそれに感染されたひとり。

まちゼミは、答えじゃなくて、モデルじゃなくて、
「問い」そのもの。

商店街って必要ですか?
あなたのお店のお客さんにとって価値はなんですか?

活性化ってなんですか?
どうやってそれを実現しますか?
そんな問いだらけの事業、それがきっとまちゼミなんだな。

やっぱ、カッコよかったっす。
いってよかった。

ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 09:08Comments(0)学び

2017年07月11日

本屋とは、世界に放たれた手紙

なぜ本屋なのか?
とよく聞かれる。




さわや書店フェザン店。
大好きな本屋さん。
本屋はどこまで本屋になれるのか。

どうやら「文庫X」という企画が
書店界隈では話題となっていたようだ。

表紙を伏せて、
メッセージを載せて、
すべてを隠して文庫本を売るというもの。

それにどんな思いを込めたのか。
なにがどうつながると、そうなるのか。


「書店員X」(長江貴士 中公新書ラクレ)

それがこの本に書いてあって、
いま読み途中。
文庫Xは、あっという間に読み終えた。

たしかに、普段なら手に取らないだろうな
と思う本。

しかし、グイグイ引き込まれていく。
そして熱い。

生きるとは?
働くとは?
仕事とは?
価値とは?

そんな根源的な問いにあふれている1冊だった。

そんな本に出会ったからこそ
文庫Xという企画が生まれた。

その売り方には、
小阪裕司さんの方法論も
取り入れられていて、とっても楽しかった。

そう。
一緒につくりたいんだよね、何かを。

そんなことが本屋さんでできるんだって
そんな風に思った。

誰かに届けたい
そんな思いが連鎖していく。

本1冊1冊も手紙であるのだけど、
本屋そのものが、手紙なんだって。

そんな本屋さんをつくろうと思う。
コアなお客は、コミュニティ難民な女子たちかもな、と思っている。
うまくコミュニティと同調できない人。

そこに感性の高い男子(イケトとか唐澤くんとか)が入ってきて、
学びあいながら、新しい仕事というかプロジェクトというか、
そういうのを作っていけるような
本屋さんをつくりたいと思う。

やっぱり本屋なんだよね。
そう思った。

さわや書店さん、田口さん、長江さん、
ありがとう。  

Posted by ニシダタクジ at 08:54Comments(0)学び

2017年05月19日

「予測できない」というモチベーション・デザイン


「つながるカレー」(フィルムアート社)の加藤文俊さんに初めてお話を伺った。


Clip日本橋で開催されたこの企画は法政大学の長岡先生のゼミの一つ。「カフェゼミ」


30人を超える人がいたような。

「脱・合目的的」な実験の場、つまり
偶然を起こすことを目的としているカフェゼミ。
大学生のゼミ生が20人くらいと
一般参加者が15名くらいかな。

直感と好奇心で動く・フットワーク&ネットワークを基本スタイルとして、
創造的なコラボレーションのデザインを目指す長岡研究室は、

古い価値観や慣習に囚われず、
自由闊達に個性を発揮しながら、
一人ひとりの多様性を受け入れる、
プレイフルな協働の姿を模索する。
詳しくはこちらから。
http://www.tnlab.net/



さてさて。
つながるカレーのお話。

現在までに60回を数えている
加藤さんらが手掛ける「カレーキャラバン」
http://curry-caravan.net/

はじまりは、
アートプロジェクトの一環として
墨田区でカレーをつくった。

そのとき、小学生が野菜を切ってくれたり、
近所のおっちゃんがジョッキ生ビールを
差し入れしてくれたりした。

これは!
と思い、活動をスタート。
以降、全国各地を含め、
60回にわたるカレーキャラバンを実行。

そんな話を聞きながら、
カレーキャラバンという
参加のデザイン、コミュニケーションのデザイン、
あるいは非営利活動のモチベーション・デザインに
ただただ驚いていた。

そして「アマチュアリズム」について
考えさせられた。

長岡先生のレジメに載っていた。
脱・専門主義=アマチュアリズムを引用する。

「アマチュアリズムとは、専門家のように利益や褒章に
よって動かされるのではなく、愛好精神と抑えがたい興味に
よって衝き動かされ、

より大きな俯瞰図を手に入れたり、境界や障害を乗り越え
さまざまなつながりをつけたり、

また、特定の専門分野にしばられずに、専門職という
制限から自由になって観念や価値を追求することをいう」
(E.サイード 『知識人とは何か』)

なるほど。
いいね、アマチュアであること。

~~~以下、イベントメモ

売りものじゃないところがポイント。
無料だからプロではない。
お金を取り始めると味を追求しちゃう。

お金をもらうつもりでやんないといいものできないだろう、という呪縛。

いい大人になって、
使い道のわからない月5000円くらいあるでしょう?と言われ、
いいんじゃないか、と思えた。

赤字モデルは、ビジネスモデルを意識している。
まだあの当時は若かった。
ビジネスモデル?眼中にないよ。
つながるカレーは、欠かせない出費なんだ。

まちかどでカレーをやると、気質が見える。
一時的・即興的に人びとの交流の場が生まれる。

方法としてのカレーキャラバン。

プロジェクトはたとえひとりぼっちになってもやる、
意味があってもなくてもやる。そういうもん。

公パブリックと私プライベートのあいだの共コモンズを取り戻す。
いまや公か私しかなくなった。共の領域の消失。空き地がなくなった。

カレー食べてるときは境界線があいまいになる。
1時間だけコモンズができる。カレーによって境界線に揺さぶりをかける。

もともとこの図があってカレーをやったわけじゃない。
コモンズを取り戻すために始めたわけじゃない。
やってみて、振り返ってみたら、共の復活だった。

ご当地カレーという名前にとらわれず、現地で買うだけでいい。

何が起こるかわからない。これがカレーキャラバンの最大の価値だ。
カレーをつくるまで、何ができるか、誰と出会うかわからない。
何カレーができるかわからないのだ。

カレーはみんなでつくるのにちょうどよかった。嫌いな人が少ない、
みんなが一言ある、ツッコミを入れられる、
敷居が低く、参加しやすい。身分を問われない。

月に一回だからやり方を忘れる、
上達しない、常に初心を保つ構造になっている。

参加のデザインを生むには、常に下手でいることが大事。
プロにならない、アマチュアであること。
上手くならない。プロへの誘惑を断ち切る。

帰りの車の中での振り返りが1番楽しい。
それは、予想しなかったことがたくさん起こるから。
予想しなかったことが起こることこそがレジャー。

~~~ここまでメモ(講演録・自分の感じたこと)

まあ、こんな感じ。
一言でいえば、痛快な時間でした。
なんだかスカッとした。

つながるカレーのアマチュアであり続ける仕組みに感銘した。
結果論なんでしょうけど。

一番印象に残っているのは、
「帰りの車の中で振り返りをしているときが一番楽しい。」

そうそう。
それだ!って。
振り返りが楽しくなるような活動をしなくちゃいけないよね。

そして、
カレーキャラバンの最大の素晴らしさは
「アマチュア」であることであり、
「アマチュア」であり続ける仕組みである。
(これは完全に結果論というか振り返ってわかったことだと思うけど)

ご当地カレーという名前にとらわれずに
現地で食材を調達する、ということだけが決まっている。
それは、何カレーができるか、わからないということ。

じっくりと時間をかけてつくる。
それは、だれが参加するかわからないということ。

そしてなにより、カレーであるということ。
そこには、だれもが、一言言いたかったり、
後から隠し味を付け足したかったりする。
つまり、途中からでも参加ができる。

参加のデザイン。
フラットな関係性のデザイン。

そしてなにより、
「予測不可能」という、モチベーション・デザイン
ができているのではないかと感じた。

加藤さんたちをカレーキャラバンに掻き立てるのは、
その「予測不可能な何か」との出会いであり、

アマチュアであり続けることにより、
その現場には、「失敗」という概念がそもそも
存在しないのだ。

カレーがおいしかったりおいしくなかったりということばかりではなく、
人が思ったより来なくて、カレーが大量に余って、ジップロックに入れて
持ち帰ったことでさえも、「予測不可能な何か」である。
それが楽しくて、やめられないのだろうと思った。

ツルハシブックスで店員サムライをしていた
ノジマモエコがかつて言っていた。
「ツルハシブックスに行くと、誰かに会えるから。」

6次元のナカムラクニオさんも言っていた。

「場づくりにおいて大切なことは
『もしかして次に来た時には、もうここはないんじゃないか』
と感じさせるような『一期一会の空間』をつくることだと思っています。
それこそが、どこでも買えない価値のあることなんだと、
みんなすでに気が付いているのではないでしょうか?」

カレーキャラバンは、
文字通り、1回だけの、一期一会の「場」がそこに出現する。
それは本の中でも書かれているが、まさに即興劇のようだ。

何が起こるかわからない。
それがカレーキャラバンだった。

「目的があり、目標があって、
シュミレーションして、計画通りに実施すること。
「想定外」が起こらないように、万全の準備をすること。
そうやって描いていたとおりの目標を達成する。」

「振り返りとは、次回の開催に向けて、
改善点を洗い出し、つぶしていくこと。」

そうやって得られるものとは、
いったい、お金と何なのだろうか?

予測不可能で、何が起こるかわからない。
その場に居合わせたメンバーで、何かをつくっていく。

そこで起こる出来事すべてが、
次の活動へのモチベーションになっていく。
そんなカレーキャラバンから大いなる問いをもらった。

その問いが何か、まだよくわからないのだけど(笑)、
「もやもや」してるけど、痛快な時間でした。  

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2017年05月15日

「なぜ?」は未来ではなく、過去に対しての問い

何かを始める人に、
「なぜ?」と聞いてはいけない。

たいていの場合は答えられないし、
答えられるプロジェクトは、あんまりおもしろくない。
「なぜかわからない」のは聞く人の世界観が狭いのと、
やる人の中で直感で進んでいて言語化がまだであるということに過ぎない。

おじさんは、
自分が生きてきた枠組みの中で、世界を理解しようとする。
(逆に言えば、そういう人を「おじさん」と呼ぶ)
だから、つい、目の前の理解不能なプロジェクトや若者を否定したり、
「なぜやるの?」「それでどうやって稼ぐんだ?」という質問をしてしまう。

その質問が若者から機会を奪っている、と思う。

なぜ?
という質問は、過去に対してされる質問であると思った。

僕の20代は、「まきどき村」という畑のプロジェクトと
共にあった。

24歳の春。1999年。
大学院の2年目に入るときに、
まきどき村は発足。

朝ごはんを畑で食べる「人生最高の朝ごはん」を始める


2004年からは
近所の住民が管理する旧庄屋佐藤家で
囲炉裏を囲んで食べるようになる。


やりながら、
僕は、なぜ?という質問にいつも困っていた。

「畑をやっている」と言っても、
農業、つまり野菜を販売しているわけでもない。
「それで収入を得ているか?」と言われても、
会員費と朝ごはん参加費で
運営するだけで収入などもらっていない。

なぜか、新潟地域ニュービジネス協議会に誘われて、
ビジネスメッセに出展したりしていたのだけど、
来場者は僕の展示を見て、
「これでどうやってビジネスにするんですか?」
と首をかしげるばかりだった。

実際は、家庭教師をしたり、
パソコンを教えたり、たのまれて店番をしたり、
学習塾を自宅で始めたり、モグリで民宿を始めたり、
サンクチュアリ出版の営業をしたり、
ライターの仕事をして、なんとか「食べて」いっていたのだけど。

そんなふうに20代を過ごしていた。

それを「なぜ?」と今問われれば、
ある程度は答えられる。

僕は、人が集まる場をつくりたかったのだし、
「コミュニケーション・デザイン」を研究していたのだと。

日曜日、朝6時集合で
農作業のあと、朝ごはんを作って食べる
というシンプルな構造の朝ごはんは、

・朝早く集まることでの寝ぼけていたり
メイクができなかったりして心のバリアが少ない。
・200年以上の古民家で囲炉裏を囲むことによって、
地域と歴史に包まれたり、火を見ることで話やすくなる
・農作業や調理を通じての、非言語コミュニケーションが
交わされる。

なによりも
・ご飯をともに食べる、文字通り「同じカマの飯を食べる」
は人と人がつながるもっとも有効な方法である。

まきどき村は、今年19年目を迎えて、
村長と唐澤夫妻を中心に、活動を続けている。

ツルハシブックスのいわゆる「サムライ」制度だって、
始めるときは、なにそれ?って感じなわけで。

黒澤監督の「七人の侍」から、
思いついたのだけど、
(店員サムライだけでなく掃除サムライや贈本サムライなどがあった)

その中でも、もっとも偉大なコミュニケーション革命は
「寄付サムライ」であろう。

コミュニティデザインとは、当事者意識のスイッチを押す場のデザインのこと
http://hero.niiblo.jp/e371609.html
(2014.3.5)

店員サムライであるということ
http://hero.niiblo.jp/e477457.html
(2016.3.3)

~~~以下、ブログから引用

日本のファンドレイジング界に一石を投じた
(と思っているのは僕だけなのかもしれないが)

「寄付侍」と呼び方を変えるだけで、
寄付する人とされる人の関係性が変わった。

「寄付したいんですけど」
「あ、ありがとうございます。」
とどちらかと言えば寄付者が上位にあった関係性が

「寄付サムライになりたいんですけど。」
「え。君にその覚悟があるのか?まだ早い。」
「そこをなんとかお願いします。寄付サムライになりたいんです。」

といったん断ることができるようになった。
(実際はそんなことないのだけど)

ツルハシブックスにとって、
「サムライ」とは、フラットであること
なのかもしれない。
共に学ぼう、ということなのかもしれない。

~~~以上引用

そんな「コミュニケーション・デザイン」研究を行ってきたのではないかと僕は思う。

「暗やみ本屋ハックツ」もある見方から見れば、
「本を介した、まちづくりへの参加のデザイン」と呼べるだろう。

ハックツのコンセプトは、
10代に向けて本を通じて手紙を届ける。

それをなぜか?と問われれば、
2002年に不登校の中学生に出会ったときに、
地域の様々な大人との出会いを届ける仕組みをつくりたい
と思ったからである。

このように今となってみれば、
「なぜ?」にこたえることができる。

しかし、その当時は、なぜやっているか、
まったく言語化できなかった。
1年ほど過ぎてメディアに取り上げられ、その質問をされて
初めて答えられるようになったのである。

13日の新城劇場での取材もそんな感じだった。

これは、自分自身でも同じことが言えるだろう。

始めるときに、
「なぜ、自分はこれをやるのだろう?」
と深く考えてはいけない。

しかし、
やり始めて、様々な出会いや変化があったとき、
あらためて、
「なぜ、これを始めたのだろう?」と問いかけることは
とても大事なことだと思う。

金曜日のブログに書いた
「顧客はだれか?」という問い。

僕は、顧客はその人の過去にしか居ないと思っている。
過去に出会った人、あるいは過去の自分自身。
テレビを通じて出会ったけど、大きく憤り、
自分がなんとかしなきゃ、って当事者意識を持った出来事。

もしかしたら、なにかを始めた後で、
そのプロジェクトに参加してくれた誰か、かもしれない。

顧客に出会うためには、
始めたあとで自ら「なぜ?」を問うことだと思う。

世の大人たちは、
若者が何かを始めようとするとき、
「なぜ?」と聞いてはいけない。
「おもしろそうだね、それ」と言っておこう。

そして、ある程度プロジェクトが進んできたら
「なぜ始めたんだっけ?」と聞いてあげたらいいと思う。

始めるのに理由は要らない。
続けるのには理由がいる。
そしてその理由は、
続けていく中で出会った人なのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 08:14Comments(0)学び

2017年04月25日

「紙芝居屋」というおまけ付きメディア


「だがしや楽校」(松田道雄 新評論)

第1章3 「みせ」は学び屋
いよいよ、という感じ。

「店」のはじまりは「市」であり、
中世の定期市は、回数が増えて
やがて常設となり、商品を見せる
「見世棚」は「見世」と呼ばれて、
それが「店」になりました。

そして
おじいさんは、物売りに、
おばあさんは、店番をしていました。

物売りの文化を受け継いで、
わが国独自の「子どもメディア」を作り上げたのが
紙芝居です。

山形市内のタクシー運転手のおじさん(1944年まれ)
の話によると、

「群れで遊んでいる場に拍子木の音が聞こえると、
子どもたちはワッとたかったよ。
「黄金バッド」が一番人気だったね。
今のテレビゲームと違うのは、
人といっしょに見て、人の話を聞くということだったと思うよ。

ばくだん(あられ)、水あめ。
水あめは、五円。
ルールがあったよ、買った子が前で、買わない子が後ろ。
でも、買わない子が見れないんじゃなかったよ。
この境界のあいまいさ重要だったと思うなあ。」

ここから松田さんの鋭い考察。

~~~ここから引用

話を聞きながら、この「境界のあいまいさ」こそ、
許容性のある仲間集団ができる秘訣だったのではないかとふと思いました。

「紙芝居屋」と言いますが、
思い起こしてみると、紙芝居は飴売りの「おまけ」です。

「おまけ」にこれほどのエネルギーを注ぐ商売も
めずらしいのではないでしょうか。
その努力が「紙芝居文化」を生んだ要因かもしれません。

おまけの文化やおまけの教育は、
駄菓子屋の副業文化や副業教育にも
通じるものがありそうです。

自由空間の中で飴をなめながら紙芝居を楽しむ
自然な光景に比べれば、
「遊び」と「飴」と「自由」を取り去った学びは、あまりにも空虚です。

一人一人が仕事や生活の「おまけ」として
子どもに関わる社会教育の原点を、
駄菓子屋や紙芝居屋に見ることができるのではないでしょうか。

紙芝居は、ほどなくテレビの登場によって消滅しますが、
紙芝居は、一方的な情報の垂れ流しのメディアと異なり、
話し手が子どもの反応を見ながら臨機応変に語る
「人対人のおまけ付きメディア」だったのです。

~~~ここまで引用

「境界のあいまいさ」
が居心地の良さを生むのではないか。
しかもそこには少しの緊張感もあり。

たしかに、そうかも。

ツルハシブックスも、
サムライ制度をつくって、運用していたけど、
誰が店員で誰が客なのか、わからなかったし、

「劇場のような本屋」
「本屋のような劇場」

っていうのも、
そこに居合わせた人たちが見ることができる、
という意味でも境界のあいまいさを示す。

そして何よりも
紙芝居は、おまけであって、
商品ではないということ。

そんなふうに、商品とおまけの
境界線もあいまいであるということも
魅力や居心地のよさにつながっていくのではないか。

なるほど。
だんだん、近づいてきてる、
そんな気がする読書って楽しい。  

Posted by ニシダタクジ at 08:07Comments(0)学び

2017年04月24日

サードプレイスは「提供」できない


サードプレイスとしての本屋を考える@新城劇場 17.4.23

なんだか。
面白かった。

一番おもしろかったのは、
「サードプレイスは提供できない」
っていうこと。

特に中学生高校生にとってはそうなのかもしれない。
スターバックスのように、「サードプレイス」という商品に
お金を出して買う、というようなものではないのかもしれない。

なぜなら、
中高生のころを思い出してもらえば、
「サードプレイス」とは、
自ら発見し、つくっていくものであった。

ある人にとっては、
レコード屋のおやじがいる空間であり、
ある人にとっては、
仲間と話した部室だったりする。
家庭、学校(職場)ではない、第3の場所。

それはもしかしたら提供できないのだ
と思っていたら、タイミングよく、
10年以上ぶりに飛び込んでくる本がある。

これが最近の読書運の良さ。


駄菓子屋楽校(松田道雄 新評論)

著者は「駄菓子屋の教育的意義」を研究テーマとして、
ひたすら研究し尽くした。

そして、山形市内で
「だがしや楽校」という、
大人が子どもに様々な遊びを披露する場を始める。

僕は2004年にこの本を読み、
いたく感動して、2005年から「だがしや楽校」を
新潟市の巻と、中越地震後の旧川口町で取り組む。

この本では、
加藤理氏の「駄菓子屋・読み物と子どもの近代」という本の
「子どもが作り出した駄菓子屋」の項を取り上げ、「駄菓子屋」の定義を
「子どもが駄菓子屋だと認知した店が駄菓子屋なのだ」と結論している。

~~~ここから一部引用

「羽田郷土誌」(昭和29年)によれば、
資料によって「子供用小菓子店」の数が
9店だったり、20店だったり資料によって大きく異なるのです。

その謎を、
加藤氏は、9店とは、自分の店が駄菓子屋だと自覚して
自己申告した数で、20店とは、客である子どもや
第三者の調査者がその店を駄菓子屋だと認知した数だと
説明しています。

そしてこの事実から
「駄菓子屋という概念は、店の経営者たちが
作ったものではなく、じつは顧客である子どもたちが
作り出した概念だった」と述べて、次のようにまとめています。

「つまり駄菓子屋とは、店の経営者である大人が、
子どもたちを顧客とした子どもたちの店を開こうと
思って開いた店ではないのである。

需要に応じて品揃えをしていった結果、子どもたちに駄菓子屋
と認知されるようになっていった店をさしていたのである。
もう少し別の表現をすると、大人たちが、駄菓子屋とはこういう店、
これが子どものためにふさわしい店、と考えて用意し子どもたちに
提供したのではなく、数ある店の中から、
子どもたちが自分たちの店、として認識した店が駄菓子屋になっていったのである。

その意味ではたとえ本来は八百屋だったとしても、
子どもたちが駄菓子屋だと認めればそこは子どもたちにとって
駄菓子屋になるし、認めなければ、たとえ品揃えが駄菓子屋的
であっても駄菓子屋にはならなかった、とも言えよう。

~~~ここまで一部引用

実際に松田さんも
子どもたちに聞いた「駄菓子屋」をたずねてみたら、
そこは八百屋だったり、小鳥屋だったりという
思い描いていたオーソドックスな駄菓子屋像とは大きく違ったのだという。

そしてそれは「大人世界」と「子ども世界」
の違いであり、

駄菓子屋は、子ども世界の主観的現実の中に存在し、
それは空き地につくる「秘密基地」と同じようなものだったのだ。

なるほど。
この後、話は、「市の教育学」という
「屋台のある本屋」の本質に迫っていく。

なんていう読書運なんだろう。
明日が楽しみ。

ということで、
イベントの話に戻ると、
中高生に「サードプレイス」を提供することはできないのだということ。

大人社会から見た「サードプレイス」像を
彼らがそのように認知するかどうかは
別の問題なのだ。

ということは、やはり、つくる段階から、
大人社会ではない、向こう側から見た
サードプレイスをつくっていくことが必要である。

それはかつて読んだ、
坂口恭平さんが「独立国家のつくり方」で言っている
「無数の放課後社会」のひとつとなるのだろう。

自由とはタテの世界を行き来すること(13.1.19)
http://hero.niiblo.jp/e229119.html

だとしたら、
おっさんの出番ではなく、
大学生や20代の出番なのだろう。

いや、「子どものような大人」なら、
なんとかなるかもしれない。

現在の中学生や高校生の話を聞き、
彼らを想像しながら、ともに創っていくもの。

そんな「場」や「空間」づくりをこれからやっていく。  

Posted by ニシダタクジ at 08:01Comments(0)学び