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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2020年01月21日

「地域の良さを伝えていないから子どもたちは出て行ってしまう」は本当か?



コミュニティスクール立ち上げに向け準備委員会開催。
昨日の議論メモ。

リアルな声とその対応について
・「少人数なのできめ細やかな指導ができる」はメリットではない。手をかけすぎて自立できないのではないか不安

たしかに一理ある。
きめ細やかな指導というより、探究などでのフォローができる、あるいは協働探究者としての先生を見せていくこと。

・小中学校の狭い人間関係が継続されるから外の高校へやりたい。

これもわかる。小中学校の狭い人間関係から脱したい。僕だってそうだった。
これには「地域」との人間関係がたくさんできます。

たとえば、FAQで、
「Q:中学校時代の人間関係が維持され、狭い世界を生きることになるのでは?」
「A:本校は地域に開かれており、地域の人と協働しながらプロジェクトを作っていくことで、教室以外で多世代との人間関係を構築することが可能です。」
って書くとか。同世代だけの人間関係でいいのか?っていう問いが必要。

・小学校の「総合的学習」ではかなり時間をとってやっているが中学校で切れてしまう。

高校1年次に同じ題材で「探究プロセス」を回すことができないか。
「未来フォーラム」で発表した阿賀町の小学生の「総合的学習」の発表は、
地域資源を最大限に生かし、地域住民を巻き込み、雪椿でお茶を作ったりしていた。
あのプロジェクトの延長上に高校でも何かできないだろうか。

そんなことを考えた。
どんな生徒を育てたいか?
については、まだこれから議論していくところであるが、みなさんのを聞いていて思ったこと。

「地域の良さを知らないから外へ出ていく。だから、小中高のときに、地域の良さを伝えなければいけない。」

っていうのは、もっともらしいけども、実際は、その視点で行けば、「もっと良いもの」が街中や東京にあるから(ありそうな気がするから)、やっぱり出て行ってしまうと思う。

「若者が残らないのは地域に雇用がないからだ」

っていうのも、同様にもっともらしいけれども、実際08年にDeNAが新潟市にカスタマーセンターを作って雇用創出したけど、それを理由に東京に出ていくのを辞めた人っているのだろうか。

しかもそれって、仕事=雇われることという「サラリーマンシップ」を前提にしているので、そういうマインドの人ではなくて、地域の当事者となり自ら創っていけるような人材に残ってほしいのではないか?

「ナリワイをつくる」(伊藤広志 東京書籍)に書いてあるけど、地方にはそもそも「雇われる」仕事はあまり存在せずに、ほとんどの人が(下級武士)を含めて季節ごとに様々な仕事をする百姓だった。役人か、上級武士か、豪商か、そのあたりが専業として仕事をしていた。

だから育てていくべきは、次の時代を生き抜いていく百姓マインドを持った若者なのではないか。
自ら価値を決め、自らの人生を創っていく人。そのプロセスの中で他者と協働しなければつくれない仕事やコミュニティがあるから、そこを協働していける人。そんな人の集まりに、地域の未来があると思う。

問うべきは
「どうすれば残ってくれるか?」
じゃなくて
「どんな人に残ってほしいか?」
ではないか。

関係人口も同じだ。
「どうやったら関係人口が増えるか?」
っていう問いの前に、
「その地域にはどんな関係人口が必要なのか?」
「どんな人に関係人口になってもらいたいのか?」
っていうのを決めないと。

そもそも「良さを伝える」って不可能じゃないか。
価値観そのものが揺らいでいるのだから。
良さは本人によって、見出してもらわないことには、「良さ」とはならない。

もっと言えば、「良さ」っていう概念がそもそも比較するということ。
だから、外に出てみないと地元の良さがわからないっていうのもその通りで。
そういう意味では、小中学生は比較対象がないのだから「良さを伝える」っていうのは原理的に不可能なのではないか。

こんな話の中で、育てたい人材像の僕の現時点の案。
要素はこんな感じかな、と。

激動する世の中においても、目の前にある地域資源や周りの人と協働する中で価値を自ら定め、地域と自らの未来を創っていくことができる探究型思考・行動ができる人材

そんな人材と一緒に地域の未来をつくりたいし、自分自身もそんな人材になりたい。

そんな風に共感できる目標がつくれたらいいなあと思う。  

Posted by ニシダタクジ at 08:40Comments(0)日記

2020年01月19日

「暮らし」とは、分けないこと



昨日は、新潟市×イナカレッジのトビラプロジェクトの発表会でした。
われらが「内野おうちのごはん」プロジェクトも発表しました。

その前の11時~
同じトビラプロジェクトのまきどき村チームがやっているインタビュー展の会場で
唐澤さんと風間さんとトークイベントがありました。

題して、「新しい時代へ向かう、私たちのコミュニティのつくりかた」
大きく出ました。笑

一週間を切った告知にも関わらず、15名を超える入場があって、立ち見が出てました。

トークのハイライトは唐澤さんが地元のじいちゃんに言われた
「まきどき村ってパッとしないよね。でもそれがいい。」

「パッとしない」ってなんだろう?
あるいは「パッとする」ってなんだろう?
っていう問い。

~~~以下トークでのメモ

トビラプロジェクトの大学生に「まきどき村の目的は?」
って聞かれて誰も答えられない。
目的や目標を持って、どこかに向かっていくわけではないから。
「存在価値」とか「有用性」ではなくて、ただ「営み」の中にある。
それがまきどき村の価値なのだと。

TANEMAKI2にも書いてあったけど、システムは自らを維持するため構成員に「有用であれ」そして「交換可能であれ」と迫る。
それって、人の幸せのためにシステムがあるのではなく、システムを維持するために人があるのではないか?

「パッとする」っていうのは、例えばソトコトに掲載されたり、地域外の人がめっちゃ集まっていたり、商品の売り上げが上がっていたり、SNSのフォロワーがたくさんいたり。「数値化」されそうな何かがあること。

「パッとしない」っていうのは、分かりにくいっていうこと。
考えてみれば、まきどき村の活動は、すごく曖昧だ。朝ごはんイベントと田んぼづくりと、日常とイベントが陸続きになっている。
でも、「暮らし」ってそういうことだろう。

「参加」の度合いにグラデーションがあり、それを許容できること。
遅刻歓迎、畑作業も朝ごはんも参加自由、農作業もそうだけど、手伝ってくれるととても助かる。
そんなあいまいさ。それを「ゆるさ」と呼ぶのか。

「パッとしない」は分かりにくい、ということ。
分かりにくい、っていうのは分けられないということ。
お客さんとスタッフを分けないこと。
「暮らし」とは、分けないことなのではないか。

~~~ここまでまきどきトークメモ

これが実にタイムリーに、
「内野おうちのごはんプロジェクト」ともリンクしてくる。

~~~以下、トビラプロジェクト発表会からのメモ

「働き方」を内包した「暮らし方」全体を考えるということ。
たぶん、移住定住とかってそういう発想が必要だし、暮らしは、1家族だけでは完結しないのだから、地域とのかかわりと、地域だけに閉じないように「まきどき村」のような外部との定期的接点・窓口も必要なのかもしれない。

「入口」であり「窓口」のような場所。それを必要としている。
たぶんそれがシステムとしての「大家さん」だ。
かつてツルハシブックスはそういう場所だったのかもしれない。

「内野おうちのごはんプロジェクト」
めっちゃ考察してたな。ふりかえり力がすごい。
「お母さん」タイプと「大家さん」タイプ。それはすごい発見。

「観察する」っていうのが大事だなと。
仮説を立てる前に、まずは地域に入って観察する。そこからだ。

純粋にプレゼンの面白さで言えば、
「葛藤があったかどうか」っていうのはとっても大切だなと。
大学生だからこそ感じる何かを聞きたいな、と。

居場所っていうのは、場所のことではなく、人(の集合)だったり、機能だったりするということ。

アンケートを取りながらも、アンケートって、ツール(手段)だよね、って思えること。
だから、そういう人が何名いて、何パーセントでした、みたいなことじゃなくて、リアルな声として、こういう人がいた、という事実が大事。

~~~ここまで「内野おうちのごはんプロジェクト」のメモ

トビラプロジェクトってなんだったのか?
生み出した価値ってなんだろう?
そんな問い。

「プロジェクトを遂行する人」を育てるんじゃなくて、自分にとっての「暮らし」を主体的に考えられる人をつくっていくこと。
そういう人を増やさないと、新潟市に住む人がいくら増えたって、豊かにはならないんじゃないのか?

今回のトビラプロジェクトで、受け入れ先と運営者にとっての最も大きな問いは、
「プロジェクト(のゴール)をどこまで設定・設計するのか?」という問い。
「価値」についてもっとブレイクダウンして議論したほうがいい。

イナカレッジが「暮らすことを大切にしたい。」って言った時に、
大切なのは「観察する」こと、そして「飛び込む」「中の人になる」ということ。
プロジェクト設計はそこから始める、くらいでいいのかもしれない。
「テーマ」があって、プロジェクトが決まってない、みたいな。

「観察する」っていうのは同時に「感じること」でもある。

きれいなプレゼンや目に見える成果物じゃなくて、
「感じたこと」をできるだけ言語化して、
「価値はなんだっけ?」みたいな問いをお互いにぶつけ合い、
その場、チームでしか生み出せない「何か」を見てみたい。

今回、2つのプロジェクトの発表と、唐澤さんとのトークを通じて、

「暮らし」っていうのは分けないことだと思った。

「まきどき村」は、暮らしそのものの中にある「朝ごはん」
を歴史ある古民家と、集落の人たちとの接点の中につくっていくもので、
「朝ごはん」であるからこそ、参加者と受け入れ側を分けない、というか
参加の度合いのグラデーションが個人に委ねられるデザインになっている。

それは、「営み」の中に入るということ。

それはおうちのごはんプロジェクトの「ごはん会」と「お茶会」の違いでもある。
彼女たちは、その場に行き、地域の人と自らのスタンスの違いを感じ、言語化してみせた。
そしてプロジェクトの目的・意義自体を問い直すというプロセスを踏んだ。
そこには大きな葛藤があった。

その中で出てきたアウトプット。「お母さん」と「大家さん」。
それは自ら(や参加学生)と地域の人を観察し、感じ続けた成果だったように思う。
今回、僕の最大の収穫は「システムとしての大家さん」が可能なのではないか?ということ。
それを作っていくことは楽しい。

「暮らし」をデザインする。

そんな問いこそが、トビラプロジェクトのベースにあるものなのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 08:01Comments(0)学び日記

2020年01月12日

夢が感染する学校

グローカルリーダーズサミット2日目。
あ、もしかしたら1日目かも。

押方校長の「夢感染」の話から始まる。
「夢」はウイルスのように感染する。
影響し合って、みんなが動き出す。
たしかにそんな風になってるなあ、飯野高校は。

先輩の姿を見て後輩が追いかける。
しかもそれは自発的だ。
うちの生徒こんなことやってたんだ、と新聞で知る。

「やってみる」へのハードルめちゃめちゃ低い。
バスで移動する、ってなったら、
わたしがバスガイドの代わりをしようって。
それはすごいことだと思った。

オープニングから、
自分のチームの面白い人を紹介していく高校生。

その中で紹介されたひとり、
飯南高校の1年生佐々木隆之介くん
お茶が名産なので、
そのお茶の良さを伝えるため、緑茶ラテアートを作っている。
https://tabi.chunichi.co.jp/odekake/190912odekake_1.html

それが飯南高校美術部の活動。
美術部っていうのがいい。

そのあとに「AI時代に大切なこと」をテーマに
ワールドカフェ方式のディスカッションをしていたのですが、
彼が来てくれた時のテーマが「感動」

ラテアートは
目の前のお客さんのために一生懸命に書く。
しかもそれは、無くなってしまう。
写真は撮られるかもしれないけど。

ああ。
そこに芸術性があるのではないか。


お正月に読んだバンクシーのような世界観があるのではないか。

一回性が高いこと、つまり再現性が低いこと。
そこに「感動」があるのではないか。
エンターテイメントとは、
「予測不可能性」とともに、「一回性」が高いということ。

ラテアートっていうのはそういうことだし、
その1杯は、自分自身のために描かれている、
しかもライブで、だ。

そういう意味では、
旅先の本屋(古本屋)で本を買う気持ちにさせるっていうのは
そういうことなのかもしれないと思った。
ああ、この本屋で本を買った、というのを残したい、みたいな。

今回の一番の出会いはそこでした。
そして何より、それこそが「創造的な遊び」だなあと。
探究っていうのは、「総合的な学習」ではなくて、
「創造的な遊び」の時間なのではないか、と。

AI時代になって、
仕事はアートに近づいていくと思う。
感性と志が必要になってくる。
それを「探求」するのが「探究の時間」なのではないかと。

以下メモ

★大崎海星高校「みりょくゆうびん局」

2018同好会
2019部活動に昇格

・県外での説明会/みらい留学フェスタなど
工夫したこと:大きな名札をつくる。
↑これ、意外にめちゃめちゃ大切。手作り感でるし。

・学校見学ツアー
みらい留学フェスタにきて、興味を持ってくれた中学生が島にきてくれるときに2日間ツアーを行う。
そのツアーはみりょくゆうびん局が企画実行する。
2日目は町内各地をまわったり、オリジナルハンバーガーをつくったりする。大崎上島学の体験もある。
寮生活のリアルを見せることが大切。
「生き物」「交流」「創る・発信」「校内」の4つのチームがあって、昼休みや放課後にミーティングしている。
11月にお邪魔した時にはランチミーティングを見せてもらった。

★兵庫県立生野高校「播但線プロジェクト」
「バンタリスト」「バンタる」の言葉をつくり、播但線を活性化する。
電車って高校生にとっては日常だから、リアルに社会とつながれる場所になる。
彼女らもお菓子食べながら「バンタリスト」を生んだように
高校生は「言葉」を生み出す力はあるように思う。
キャッチコピーの教室とかやったらいいのかも。

午後からは、大人の勉強会。


浦崎先生のプレゼンに釘付け。
日本が経済的に後れを取っているのは、バブルが崩壊したからではなく、
新しい社会に対応できていないから。
知識が瞬時に賞味期限切れとなるsociety4.0時代に、「学校」は何ができるのか?

今回の僕としてのポイントは、探究の課題設定のところ。
浦崎先生のスライドを写経。

課題設定8か条
1 自分が心底「これをやりたい!」と思える(ジブンゴト)
2 自分の特技や持ち味を活かし、これを伸ばして成長でき、自分の個性が社会で役立っているイメージが持てる(進路展望)
3 学校の諸科目と「より広く・より深く」つながっている。(学ぶモチベーションの向上)
4 仮説「~すると、~になるはず」があり、これを検証できる(探究プロセスが含まれる)
5 地元(個人・地域)に具体的なニーズがあり、快く支援が受けられる(多様な人々の共感的な参加を期待できればベスト)
6 先生や地元の方々が連絡・調整・経費面で負担感を覚えない(実現性)
7 評論家的な提案に終わらず、知恵を絞り、汗を流すことで、課題解決に貢献できる。(提案・計画は「仮説」、行動して「検証」)
8 決められた期間内に「一話完結」できる。(壮大な計画の尻切れトンボはダメ)

キーワードとして、
「カリキュラムマネジメントと個別最適化」
「地域課題解決と個別最適化」
というのが挙げられた。

たぶんここ。
各科目へつながっていくようなプロジェクト。
地域の課題解決につながっていくプロジェクト。
でもその出発点には個人の問い。
当事者性の高い問いがあってはじめて前へ進む。
昨日の子育て応援プロジェクトNOGIKUもまさにそうだ。

そこへ行くには最初は先生やコーディネーターの支援が必要なんだと。

浦崎先生が
学習行動を自動車の走行を例に出して
説明していたのが素晴らしく面白かった。

学習=走ること。
4サイクルエンジンを回すこと。
学力低下=パワーダウンだと。

そこで「学力向上」が叫ばれ、
教師は一生懸命車を押した。

押された車はどうなったか。
D(ドライブ)からN(ニュートラル)へと
ギアを変えてしまった。
つまり、思考停止。
何も考えずに知識を詰め込む子が増えた。

もういちどDへとギアを入れないといけない。
そして走行に必要な燃料を投入しないといけない、

かつて昭和の時代は、燃料として高収入というインセンティブがあった。
もはやその燃料は枯渇している。

「探究」の4サイクルエンジン
課題設定→情報収集→整理分析→まとめ表現

それを回すには、燃料をふたたび知的欲求にするしかない。
「知りたい学びたい実現したい。」をエネルギー源にしていくこと。

先生の「負担感」の問題。
地域に開かれた教育課程は必須。むしろ減らすなら教育課程外の部活動。
「産みの苦しみ」はもちろんあるけどね。

「学校」と「地域」お互いが困っていることを一気に解決するところにプロジェクトを作れないか。
なるほど、「探究」っていうのは、デザインプロジェクトなんだ。

自分ごとになる入口。
まずは地域に出て活動して「楽しい」と感じること。
地元が意外に楽しい、と思えること。

中学までにやってきた「ふるさと教育」をもう一度やってみること。
これ、ありだな。
高校1年次はまずこれかもしれない。
そのやり方を探究の4サイクルエンジンでやってみる。

~~~ここまで浦崎先生の講座と僕のメモ

昨日見た飯野高校の発表。青天井に上がる当事者意識とモチベーション。
それはひとえに、「知的欲求」をエネルギー源としているからだ。
そして、それをサポートする教員チームもそこから学んでいるからだ。

冒頭のあいさつで校長が言っていた「夢感染」する学校がここにあった。

今回、ラテアートをつくる三重県立飯南高校美術部佐々木くんとの出会いで
あらためて気づかされたことは「一回性」の価値だ。

「教育」にも歴史があり、歴史の分経験があり、メソッドがあるのだけど、
1つ1つの探究プロジェクトは、一回性の高いものとなる。

その時、その生徒の心の動きを大切にする
いま、この瞬間の地域の状況を大切にする
地域の人たちが抱えている課題も大切にする
学校で学んでいる教科との連携・連動も大切にする

「子育て応援プロジェクト」はこれからも探究活動として後輩や別の様々な地域でも行われるだろう。
でも、ふたりがやった、二人が感じたそのプロジェクトは、二度とない。

「学び」もアートに寄っていくだろう。
そして「学び」の前で人はフラットになる。

僕がつくりたいのは、たぶん、そんな「場」なのだろうと
なんとなく思えた宮崎遠征でした。  

Posted by ニシダタクジ at 08:59Comments(0)学び日記

2020年01月11日

「その人」は世界を変える人かもしれない



宮崎県立飯野高校のグローカル学習成果発表会。
冒頭の押方校長のあいさつから激アツ。

あなたの隣にいる「その人」は世界を変える人かもしれない。
「その人」はあなたかもしれない。

うわー。って
そんな気持ちで、目の前の生徒に接してたら、
隣人に、同僚に接していたら、いい場になるのだろうなと思った。





ローカルJR線「吉都線」に観光列車を走らせるプロジェクト。

ニュースを総なめにした企画。
観光列車からのえびのツアーで
酒造めぐりとかライブとかを企画して電車+バスツアー。
旅行業者との折衝、市役所との調整、プレスリリースと、ぜんぶ高校生がやるんだなあ、と。
まさに「プロジェクト」「ベースド」「ラーニング」だなと。

課題は
・交通:吉都線の大雨からの復活できるか?
・内容:人が集められるのか?
・お金:20万円どうするか?
いやあ、これがガチのプロジェクトだなあ。
こんなのやってたら大学の推薦入試うかりますよ、みたいな。







今回一番びっくりしたのは、チームNOGIKU(野菊)の2人のプレゼン。
もうそれは、NPO立ち上げのストーリーかと思いました。

子どもの虐待のニュースを見て心を痛め、まずはその実態を調査、だれが虐待をしているのか?なぜ、虐待が起こるのか?を取材とアンケート。

母親の「育児ストレス」が原因となっていることを知る。
1 ストレス発散の場がない
2 いろんな情報がありすぎて不安になる
3 産婦人科がなく相談場所が少ない。

そこで、子育て応援イベントを行う。

お母さんはアロママッサージ。
そのあいだ子供は高校生が預かる。
おひるね、おすわりアートかわいかったし、それで子どものさらなるかわいさに気づく。
なるほど、これはソーシャル・デザインプロジェクトだ。

ネクストアクションとしてカフェを開催したりする。

講演会に参加したり市外のさまざまな子育て施設を見に行ったり、、、
いやあ、これは、NPO設立の動機を聞いているようなプレゼンでした。

ポスターセッションには
SDGsの視点っていう項目もあり。


驚いたのは県教委の先生の講評。
これが熱いの。

手づくり感。みんなが「参加」していること。
学びは世界を豊かにするもの。机上の空論であってはならない。
今、飯野高校で学べてラッキーだ、と。
「飯野プライド」を持って、卒業してください。

シビれた。
そうそう。

「飯野プライド」

隠岐島前の岩本さんもテレビで言っていたけど、
誇らしさと感謝をもって卒業してもらえるような学校をつくる。
それは、先生だけではなく、生徒も、地域も一丸となってつくるということ。
それが飯野高校にはあったなあと。

あと、今回いちばん学んだのはチームNOGIKUのプレゼン。

「当事者意識」って地域の当事者に出会うことによって、青天井に上がっていくんだって。

小さなニュースに心を痛めたっていう出発点から、地域の人に話を聞けば聞くほど当事者意識が上がっていく。それと同時にモチベーションも上がっていく。

そしてそれが地域のモチベーションまで上げていく。
探究ってそういうことか、と。
「探究」はそういうことまでつながっているんだなって。

「探究」がつくりだすもの。
それを見てみたいなと僕は心底思った。

ラストに、もういちど、押方校長の言葉を。

あなたの隣にいる「その人」は世界を変える人かもしれない。

「その人」はあなたかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 07:17Comments(0)学び日記

2020年01月03日

「エンゲージメント」する


「編集思考」(佐々木紀彦 ニュースピックスパブリッシング)

頭いい人いるなぁって。
明解に説明している。
ほんとスゲーなと。

編集思考の4つのプロセス
「選ぶ」「つなぐ」「届ける」「深める」
について、詳細を読んだら、実践したくなった。

関係人口って何?
どんな人がそうなったらいい?
どうしたらその人たちが地元に資するようになるのか?
その人たちにとって価値とは?
そんな問い。


かつて6年ほど前に、
「ロングエンゲージメント」(京井良彦 あさ出版)
を読んだとき以来のキーワード「エンゲージメント」
http://hero.niiblo.jp/e377265.html

佐々木さんはシンプルにズバっと本質を突いてくる。

~~~以下一部引用

現在のビジネスの主流である
「サブスクリプションモデル」(利用期間に応じて定額料金を支払うモデル)
は、継続的取引を前提とするため、企業と顧客は互いに支援し合うパートナーのような存在となり
単発取引の時より長く深く付き合うようになります。
Amazonプライム、ネットフリックス、Apple musicなどが具体例です。

サブスクリプションはメディア業界に源流があります。
17世紀に英国の辞書が定期購読モデルを採用したのが始まりで、
出版や新聞などが採用しました。

米国では2000年に約25兆円だったサブスクリプションへの支出が、
2015年に約50兆円に倍増しています。
「サブスクリプションを制する者がビジネスを制す」
と言っても過言ではありません。

エンゲージには4つのポイントがあります。
コミュニケーション(communication)
コミュニティ(Community)
コンシステンシー(consistency)
カジュアル(casual)

まず顧客とのコミュニケーション。
あるいは顧客同士のコミュニケーション。

次にコミュニティ

佐渡島庸平さんの著作
「WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE」から
ファンコミュニティは「関係の深さ(親近感)」「質」「ファン数」
の3つの次元で定義され、この3つを丁寧に育んでいくことが
長く愛されるコミュニティを創るためのポイントで、

その関係性を深めるために有効なのが
「リアルな場を持つこと」だと佐々木さんは言います。
アップルの強さはまさにそこにある、と。

アップルがあれだけカルト的なファンを抱えているのは、
プロダクトの力はもちろん、アップルストアの存在と
無縁ではありません。

キリスト教に協会があり、仏教にお寺があり、イスラム教にモスクがあるように、
祝祭空間が信者には必要です。

そして何より大切だなと思ったのが、次のコンシステンシー(一貫性)。

時代は変化が激しいので、戦術や戦略は臨機応変にかえていかないといけません。しかし、変化が激しいからこそ、日々の行動の基準となる思想や哲学の一貫性がこれまで以上に問われます。意見は変えていいですが、思想や哲学は容易に変えてはいけません。

そして「カジュアル」。
「とにかく深く、密度濃く付き合うのがいい」のではなくて、
大切なのはつかず離れずの絶妙な距離をとるということ。

ここで著者は平野啓一郎さんの「私とは何か?」
の分人主義を取り上げ、

「たった一つの『本当の自分』など存在しない。裏返して言うならば、対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて『本当の自分』である」

と説明します。
これはその通りだなと思います。
もはや、会社だけが自らの「唯一の顔」を決める時代は終わりました。各人が3~5つのコミュニティに属し、それぞれのコミュニティで異なる顔を持つ時代です。ブランドも企業も、多彩な顔を持つのが普通になり、それがブランドや企業の魅力にもつながっていくでしょう。

~~~ここまで引用

そして、この後。
僕がいちばん響いた文章。

「こう言うと、先ほどの「コンシステンシーの話と矛盾するのではないか」と思われるかもしれませんが、複数の顔を持つことと、一貫性を持つことは必ずしも矛盾しません。単に複数の顔があるだけであれば、それはできの悪い福笑いのようになってしまいます。分裂した人格になってしまい、不信感を高めてしまいます。しかし、一見すると多才で多彩なのだけど、通底するThought(思想)やTruth(真実)が感じられる。表面上のコンシステンシーではなく、思想レベルのコンシステンシーがあるという状態が理想なのです。逆に思想レベルのコンシステンシーがあれば、表出する顔は多様でもいいのです。人間と同様に、それぞれ異なるターゲットに、異なる受け入れ方をするのは、企業やブランドとしても自然です。

いいっすね。

編集の4ステップの最初の「選ぶ」のところに出ていた
セレクトの法則1「いいところだけを見て惚れ抜く」っていうところにも通じるけど。
「編集思考」っていうのは、組織論やアイデンティティ構築についても使えるのではないかなと思った。
もっと言えば、まちづくり、地域づくりについても、同じことが言えるのではないかと。

地域間競争が始まっていると言われる。
熾烈な「ふるさと納税」争奪戦がすでに起こっている。
でもきっと、大切なのは、エンゲージメント。

長く続くファンとの関係。
いや、ファンというよりもパートナーと言えるような関係を気づけるかどうか。

佐々木さんの「編集思考」の1ステップ目は
「いいところだけを見て、惚れ抜く」

10点満点ですべてが7点のヒトやモノやコトより、たとえ欠点があってもどこかが飛び抜けた素材を選ぶこと。
他の人が気づいていない、本人すらも気づいていない「未開拓のいいところ」に気づけるとより価値は高まる。

佐々木さんは
編集思考で大切なことは、完璧なものを見つけようとせずに、デコボコな個性をくっつけて、
「組み合わせで完璧を創る」という発想に切り替えること

そして好きになったのめりこむこと、だと。
ニセコのスキー場のパウダースノーの魅力に最初に気付いたのは
オーストラリアの観光客だったと。
その「好き」のエネルギーたるや。

欠点をはるかに超える魅力を見つけ、それを磨いていくこと。
そこから始まり、一貫性のあるコンセプトを持ち、エンゲージメントを築いていくこと。

人も、組織も、会社も、地域も、
「編集思考」で再構築していくことが必要とされていると思った1冊でした。
まだ読み途中ですが。  

Posted by ニシダタクジ at 06:52Comments(0)

2020年01月02日

「多様性」と「編集」と「対話」と「価値観」と「アート」

新年の読書はこの5冊。


(ブレイディみかこ 新潮社)


「編集思考」(佐々木紀彦 ニュースピックスパブリッシング)


「他者と働く~わかりあえなさから始める組織論」(宇田川元一 ニュースピックスパブリッシング)


「かっこいいとは何か」(平野啓一郎 講談社現代新書)


「バンクシー アート・テロリスト」(毛利嘉孝 光文社新書)

すべてジュンク堂新潟店で購入。
新潟の本屋にいけてない。

「ぼくは・・・」をさきほど読み終わり。

元日の新聞2紙をコンビニで購入した際に選んだ朝日新聞にも、ブレイディみかこさんと福岡伸一さんの対談が掲載。「多様性」とビジネスについてのコメントにドキっとする。

福岡さんは生物において人間だけが「種」ではなくて「個体」に価値があると考えたほうがより豊かな社会を構築できると気づき、それを人類共通の価値にしようと約束した。それが基本的人権の起源だと。

それにたいしてブレイディさんは、日本では、グローバリズム競争を勝ち残るための手段として「多様性」を標語のように掲げている、と。

ブレイディ
「GAFAなどのグローバル企業も、多種多様で優秀な人材をかき集めながら、世界中でサービスの画一化をすすめていますよね。誰もがどこでも同じように情報発信や共有ができ、どの国でも同じ味のコーヒーを飲めるようになった。しかし結局は効率的に売り上げを最大化しているだけで、自分の利益のことしか考えていないんじゃないでしょうか。多様性とは真逆の方向に見えます。」

福岡
「私もそう思います。先端企業は、「多様な人材でイノベーションを」といいますが、真の多様性とは、違う者の共存を受け入れるという言わば利他的な概念です。本質的には自己の利益や結果を求めるものではない。多様性は、利己性よりも利他性になじみがあると思います。」

この新聞も、「ぼくは・・・」にもブレイディさんのアイデンティティの話がすごく響くのだけど、引用する。

「多様性っていうと人種や文化、LGBTや社会階層など、属性の多様性に目が向きがちですが、実はアイデンティティはひとつじゃない。いくつかの組み合わせで一人一人のユニークな「自分」ができている。その個人が尊重されること、これが多様性なんだと思います。」


ふと、この5冊を眺めていると、
つながっていないようで、つながっているような気がしてくる。

「編集思考」
まだ読み途中だけど、選んで、つなげて、届けて、深める。
たぶんこういうプロセスをふんでいくのだろう。

そのためには「他者と働く」に書いてあるような、
基本姿勢としての「対話」と「ナラティブ・アプローチ」が必要で。

そもそも、相手にとって、自分にとって、世の中にとって、
「かっこいい」を理解し、共通認識にしないといけないのだと。

それらを踏まえて、
バンクシーのように、とまではいかないにしても、
世の中に「問い」を投げかけていくようなプロジェクトをつくっていくこと。

なんだか深い本があまりないような気がして、
ミーハーな感じがするのだけど、読み進めるのが楽しみです。  

Posted by ニシダタクジ at 06:54Comments(0)

2019年12月24日

「高校魅力化」が問いかけるもの


山倉あゆみさんを招いて勉強会。

前から活動には注目したけど、
ちゃんと整理して話を聞くのは初めて。

昨日の新潟市のイベントでも
どんどん先に行っている感じに、
追いついていかなきゃって思った。

~~~以下講演メモ

パティシエとしてのキャリアスタート。
2000年代のカフェブームだったが、誰もお菓子作れる人がいなかった
→お店に合ったオーダーメイドスイーツの企画制作卸を中心にメニュー開発とイベント企画運営

「自分はパティシエだと思ってた。ところが自分は自分だった。」
朝、昼、晩と3つの仕事を同時に回してた。

2010年ケータリング&フードデザインラボ「DAIDOCO」を設立。
空間を食空間に変える。

★歴代ミッション
⇒後から考えてそういうミッションだったなとわかる。

2012年水と土の芸術祭:「食の仕事」を問題解決プロジェクトにする

青果氷店:「旬」の味を表現する
https://twitter.com/daidoco7c

古民家再生「KOKAJIYA」
https://kokajiya.com/

メディアに出るときも、こちらで編集していく
野菜のイラスト

西蒲区・巻・岩室エリア
ファームフラッグ:にしかんファーマーズ
http://farm-flag.com/topics/115/
★地域の旗を揚げる。
★地域の人はどうやったらカッコよく見せるか?
★カッコイイって言われるとやる気が出てくる。

・泊食分離
・交付金採択
・グリーンツーリズム
・移住希望者増加

にいがた郷土料理ワンダーランド
http://daidoco.net/niigatalocal/
★「食」の奥深さ

そら野テラス
http://sola-terra.jp/
空と野のおすそわけ。
10代から80代までの加工チームが惣菜をつくって売る。
★電線がない、この風景を守りたい

はちみつ草野
http://mitsukusa.com/about/
★「はちみつには使命があります」
★あなたにも使命があるんじゃないか?って問いかけてくる。

★「彼らをプロデュースすることで誰が幸せになるのか?」
★「誇りの空洞化」そのものに挑んでいるんだ。

三条スパイス研究所「にほんのくらしにスパイスを」
http://spicelabo.net/
ウコンをめちゃめちゃ研究してるおじいちゃんにフォーカスする「研究報告」
http://spicelabo.net/topics/
「スマートウェルネス」という出発点
朝市ごはん。
放課後の子供たちが「何かやることない?」って集まってくる。

★妄想プレスリリースをつくる

ただただすごいなと。
スパイス研究所ってネーミングの妙じゃないんだ。(ごめんなさい)
研究めっちゃしてるって。

山倉さんのプロダクトすべてに問いがある
しかもそれは切れ味がすごい問い。

あなたにも使命があるんじゃないか?
あなたにとってスパイスってなんだ?
新潟そのものの豊かさってなんだ?

そんな問いがあって、
事業を実践していくことで、
地域の「誇り」そのものが生まれていくような、
そんなプロジェクトばかりで、圧倒された。
そのプロセスを僕も体感したいと思った。

~~~ここから後半のディスカッションメモ

★足元100mのことを語れない人は世界に通用しない

地域の人との「関わりしろ」をつくる:温泉は最適
日常を見せること→「引退するとやることがない。」
地域系部活動、民泊(体験)、地域メディア

下田村「村長の家」
https://note.com/_cozucozu/n/n91f3137842c2

軸足を「進学」から「地域活動」に移す。
★地域で探究活動をすることで進学実績につながる。

「勉強」「学び」と「生活」「暮らし」のあいだに
「学び」プロジェクトを作っていくこと。
暮らしをどうデザインするか?

1番最初のパワーワードを見つける。
中学生にも届ける。

飛騨ジモト大学
http://www.hida-jimoto-daigaku.jp/

★大人が暮らしを見せていく
地域の人とのコミュニケーションが探究の種になる。

・暮らしがイメージできること
・中学生が魅力的に思えること

★同じ船に乗り、目的地を共有すること

~~~以上ディスカッションから。

今後の取り組み

「高校」「町(役場)」「地域の大人」「魅力化」の
やることのリスト化をする。
地域の人ともコミュニケーションして
刺さる言葉(パワーワード)を見つける。

「自分がどれだけワクワクできるか?」
「全体像が把握できる俯瞰図をつくる」
これをまずやっていこうと。

「高校魅力化」と「地域づくり」「観光振興」「生涯学習の推進」「健康増進」
すべて一体だと思った。
そしてそれはこの町でしかできないと思った。
この町でやる意味と意義と役割があると思った。

僕たちはこのプロジェクトを通して、世の中に何を問いかけるのだろう?
そんな問いが生まれた。

冬至を過ぎ、新しい1年が始まった。

この町に足を踏み入れるだけで、
中学生が魅力だと感じてしまうような、
地元の人たちの生きるモチベーションが上がるような、
地域と自らの誇りを取り戻していけるような、

そんなプロジェクトをつくる。  

Posted by ニシダタクジ at 08:20Comments(0)日記

2019年12月23日

新潟の現在



公民連携ミーティング
「公×民の可能性~新潟の現在」に参加。
柳都大橋から見る萬代橋はいつもきれい。
歩きじゃないと取れない写真。


新潟県庁の桝潟さんの基調講演から始まる。
Beyond the boundaryというメッセージに込められた思い。

~~~以下メモ

「地方の衰退」「自治体の経営破たん」「国単位の人口減少」
を一緒に考えてはいけない。

上り坂には上り坂の走り方
下り坂には下り坂の走り方がある。

税金だけを使って課題は解決できない
公とか民とか言ってる場合じゃない。
自分ごととして自治体経営をとられられるか。

・第3セクター:ガバナンスとファイナンスの欠如
・PFI:民間からのローン?
・指定管理者制度:管理者への補助金?

かつて道は行政ではなく地域住民の道普請によって整備された。
「公民連携」がマジックワード化している。

「学びと出会い」:公民連携ミーティング
「実践」:社会実験としてやってみる。県庁の森のフリマとか

事業の壁:黒字にしないと(オガール)
制度の壁:ミズベリング
組織の壁:敵は内部にあり
+意識の壁を超える。

クランボルツ/計画された偶発性理論

「公共空間を利活用する」:県が前例をつくる。
取材には必ず説明資料を渡す。
庁内の制度に位置づけることで横槍を防ぐ

公共空間はまちの日常的魅力となっているか?
公共空間≠行政管理地⇒公共はオープン

公共=包摂力→社会における心理的な安全性
公共は自分でもつくれる:マイパブリック
いろんなスケールの公共がある
→町内のもちつきに子どもが並ぶ

自殺の原因:逃げ場のない世界
→「開かれた世界」「コミュニケーション」「偶然を起こす」
→公共空間をひらく。それは家族・大切な人を守ること
→「まちづくり」じゃなくて俺の暮らしづくり、子どもの未来づくり
→ただ部活をしているだけ。

境界線を飛び越えて見たこともない世界を見たい。
Beyond the boundary

~~~ここまで基調講演

そして、高橋さん、山倉さん、小林さんの
公民両キャリアを経て現在思うこと。

高橋さん
現状維持=退行

山倉さん
新潟市はどうなっているんだろう?
→職員になってみた。芸術祭担当

三条スパイス研究所
ビジョンを考えること
なんでその料理なのか、そのプロジェクトなのか。

共通言語がもてない:話せなくなっていく。
「新潟いれない」
新潟のまちをよくしたいって言ってた人がいなくなっていく。

民間/お金をつくるところから始まる
経済活動をまわすことを考えているのか。

働き方の育て方
https://tarl.jp/library/output/2016/hatarakikata/

Climate change: 12 years to save the planet? Make that 18 months
地球を守るにはあと12年?いや18ヵ月だ

もうまにあわない。
今日ここから何をすべきか。

「もうまにあわない。だけどやる。だからやる。」

小林さん
「世の中につくられた虚構の境界線を探している」

~~~

そして、市役所の田口さん、稲葉さんからのコメント

田口さんの「役所のリアル」めっちゃよかった。
・公平性・公共性の縛り
・入札のドグマ
・予算・支出の硬直性

1 連携の正当性
2 機会の公平性
3 非入札でも大丈夫となる企画を官民で考える。
4 行政も民間も仲間である

対話の機会が均等にあること・排他性があるかどうか?が重要なポイント

稲葉さんもめっちゃ学んでいるなあ。すげえ。

「公民連携」なんのため?

・行政コストがヤバい:収入は減り、支出は増える
・サービス低下がヤバい:ランニングコストはイニシャルの4倍
・社会変化がヤバい:ライフシフトで寿命が延びている

前例踏襲→前人未到へとシフトしないといけない。
前例踏襲思考「面倒なことはしたくない」「仕事が増える」

人口減少プロジェクトチーム
1 エースを集め
2 データとロジカルシンキング
3 外部ファシリテーター
4 イシューから始めた:何が課題か自分で考えた
5 当事者関係者から話を聞く

結果
1 職員差が出る(インプットの差)
2 上司で止まる
3 動きがわるい。悩んで止まる
4 タテわり:人事のカベ

なんのためにやるのか?公民連携は手段

公共の領域と民間の続いていくものの真ん中に
社会課題の解決がある。

コミュニティの数が多い人ほど幸福度が高い。
幸福に必要なのは人間関係。

~~~ここまで

そしてパネルトーク

行政と民間の役割は違う
行政はプレイヤーじゃない。
ブレないように舵取りをする。

トランスローカル
足元どこ?視点の超え方

という感じでひとまずメモ
なんか、ジーンときちゃいましたね。

それぞれがそれぞれのポジションで頑張ってるなと。
  

Posted by ニシダタクジ at 07:45Comments(0)学び

2019年12月22日

「学びの生態系」をつくる

新潟日報の1面に登場しました。
うれしい。





記事は「むかごジェラート」の完成と、
12月21日、28日、1月5日に行われる温泉カフェのことでした。
(全日13:00~18:00 場所:津川温泉清川高原保養センター)

ということで、21日温泉カフェ本番。
真冬の温泉でかき氷販売です。





まずは杉崎さんからかき氷のレクチャー。

本人たちも「レガッタ大会より作業効率が上がった」と言っていたように、黙々とかき氷をつくります。



辻さんもコーヒー焙煎に挑戦!

そして、たくさんの人が買いに来てくれました!





かき氷は合計41杯の販売。
その他、むかごごはんやコーヒーを合わせて
売上合計は23,300円でした。
(むかごジェラートは別会計のため集計せず)

ふりかえりで出た「予想しなかったよかったこと」

・温泉で暖まった後ということもあり、冬にかき氷が好評だった。
・営業中に士気が下がらなかった。
・新聞見て電話してきてくれた人がいた。
・おばあちゃんがみかんくれた。
・facebook見てきてくれた人がいた。
・全員が仕事していた。
・コーヒー焙煎が楽しかった
・コミュニケーションすると買ってくれる
・しゃべるためにコーヒーを買ってくれたおじいちゃんがいた。
・コーヒーの香りもいい感じだった。
・実際にお客さんと話してみて、いいアイディア、意見をもらえた。

来週28日に向けて。

・休憩時間を設定する
・レジの場所を決める。
・お客さんともっと話したほうがいい。
・休憩室で休んでいる人に話をしにいく。
・ピーク時(14時くらい)の設定をする。夕方は減速した。
・テーブルに高校生1人ずつつけてみては?
・そろいのTシャツを着るとか?
をやっていきたいと思います。

~~~以上温泉かき氷ふりかえり

あらためて阿賀町の「資源」に気づいた1日となりました。
つくりたいのは「学びの生態系」。

まちの多様な人が複雑に関係して、
ともに「学び」の場、空間、環境をつくっていくような、
「機会から学ぶ」を体現するような、そんな生態系。

観光振興も、まちづくりも、生涯学習の推進も、
みんな一緒になってしまえばいいと思う。
その核に、高校生(中学生)はなりうると思う。
そしてそれが高校生(中学生)自身の探究的学びのスタートになるんじゃないか、と。

教師も、講師も、生徒も、大人も、子供も、
そんな区別が必要ないような、「学びの生態系」をつくる。

「人間も一本の織り糸に過ぎない」
若かりし頃、環境問題を学んでいたとき、衝撃を受けた言葉。
「自分もこの町の一本の織り糸にすぎない」
と思えるような機会をたくさん生んでいこう。

レガッタ、くるみ、むかご、雪椿、
れふぇり、目黒農園、久太郎、
そして見守り、応援してくれる地域のみなさん。

ともに学び、ともに創ろう。  

Posted by ニシダタクジ at 08:32Comments(0)学び日記

2019年12月19日

若者が地域から出て行ってしまう理由

南魚沼・六日町で
「Niigata高校生マイプロジェクトラボ」が開催。



歓迎されてます。笑

一番衝撃だったのは、高校生から地域の人への質問の時間。

~~~ここからメモ

「若者が都会に出て行ってしまうのは、地方には魅力ある仕事が少ないからだ。それについてどう考えるか?」

こんな質問だった。衝撃を受けた。それって本当に地方の大人たちのせいなのだろうか?と。それはある意味、そうなのかもしれないけど、地方、特に雪国にはそもそも「雇用される仕事」っていうのはなかなか少なかった。みんな百姓だったのだ。

そもそも、「やりたいことは何か?」という質問で、雇用される職業を説明してもらうというその質問がぜんぜん違うと思う。

副業、複業を前提としたキャリア教育が必要なのだと思う。就職する会社だって、1つの仕事(業種)で成り立っている会社より、様々なビジネスを組み合わせて成り立っている会社が経営は安定しているはずだ。

そもそも、その軸で考えると、東京にはもっと魅力的な仕事があるから、みんな出ていくよね。
「やりたいことは何か?」っていう問いは、当事者にならないまま、地方からの人材の流失を招いている。

必要なのは、地域でプロジェクトを行う(参加する)ことの先に、経営者体験、つまり利益を生み給与を払うことの難しさのリアルを感じる機会がどうしても必要になる。

高校生が「この地域には魅力的な仕事がない」って、対立構造で言うのではなく、高校生も大人も、「仕事」そのものを哲学し、この地域で生きていくにあたって、仕事はどうするか?みたいな問いにフラットな立場で向かわなければならない。

そういう意味では、大学生チーム「このめ」が語っていた。「何を仕事にするか?」よりも「誰と働きたいのか?」が大切だ、っていうメッセージは心に残った。そのためにコミュニケーションの機会、それもフラットな関係性で語れるコミュニケーションの機会を作っていくことが大切なのだと思う。

~~~とまあこんな感じ。

第1部の山本さんの講演メモ

~~~ここから

20年後の世界を想像する。
1 少子化と超高齢化
2 人生100年時代(生産性資産、活力資産、変身資産)
3 society5.0
4 仕事・働き方の変化(VUCAの時代)
5 グローバル化

・テストや入試ではなく社会に出ても一生使える学び(継続する学び)
・自分の興味関心から出発する学び(好きだから集中できる)
・答えが一つとは限らない問題に向き合う学び(社会課題の解はひとつではない)

探究的な学びはスパイラルで学ぶ。

1 少し高い目標「ストレッチゾーン」に挑戦する。
2 社会とつながることの大切さ。自転車に乗ることは目的じゃない。
3 自分のワクワクに詳しくなる。何に揺さぶられるか、そこから何を学んだか。

インナーワーズ。内なる声を脳が変換してタテマエが出てくる。

生徒にどう教えるか?何をやるか?っていうto doよりも、教師・関わる人のあり方to beが問われている。

インナーワーズ+5W1Hで問いを深める。
whyという魔法の質問。何度でも使える。

お客は誰か?という問いでチームを分ける。

伴走者として当事者を支援するのではなく、伴奏者として、その一曲をともに奏でたい。

「校風」=「伝統」って大事だな、と。
酒づくりも思ったようにならない。
杜氏さんの「いい酒を提供したい」という思いをみんなで共有できているか?
学校にとっての「校風」まちにとっての「文化」がとても大切だなあと。

若者がまちを出て行ってしまうのは、
仕事がないからではない。
そこに誇りや愛着がないから。
そこがふるさとになっていないから。

~~~ここまで

「学び」とは、いったいなんだろうか?
いまなぜ、探究的な学びなのか?
問いかけてくる。

そして、2日目のふりかえりセッション

~~~ふりかえりメモ

「ちょっと難しいこと、新しいこと、やったことがないことに挑戦する」→「挑戦したことを振り返る」(出来事+感情)→「経験の中から新しい考え方や次に活かせること(教訓)を引き出す。:自分なりのやりがい(エンジョイメント)が見つかる。→さらなる難しいことに挑戦する

そもそも楽しさは「予測不可能性」にあるのではないか。だから「挑戦」じゃなく「実験」してどんな結果が出るのか楽しみたい。探究は、再現不能なフィールド実験なのだ。ふりかえるのは、次に生かすためではなくて、予測不可能なことのふりかえりそのものがエンターテイメントなのだ。

KPLTふりかえり。
K=keep:上手くいったこと、今後も継続したいこと
P=problem:上手くいかなかったこと、課題だったこと
L=learn:このプロジェクトを通じて学んだこと
T=try:これからやってみたいこと
自分とチーム両方の視点で書いてみる。

この付箋に出てくるのは、自分の脳で編集した後のこと。その編集以前のキーワードを考えた方がいいのではないか。

Lは「場」で生み出してもいいのかもしれない。
よかった、悪かった
予想できた、できなかった
のマトリクスワークからの学びを深める手法も試してみたい。

「自分と仲間の変化」
挑戦する前の自分と比べて変わったことは?
「新たな気づき・発見」
活動を通して見つけた、自分や仲間の新たな面は?
「活動の価値」
マイプロに取り組んできた経験は、自分・チームにとってどんな価値や意義があったか?

~~~ここまで

僕としての1日目の第2ラウンドのアウトプットで出た。

個人を尊重しつつ場の「共感」からプロジェクトを始められないだろうか?

たぶんそこから。
講演すると、多くの人から質問が出る、「始められない」悩みは、どのように解決したらいいのだろう?
って思っていたし、それを意志のせいにするのは違うと思ってた。
共感から、場のチカラから始めるプロジェクトがあっていい。

そこに返っていくなあと。
「学び」も含めて、その場にゆだねてみることが
大切なのではないかなあと思う。

そうやって、その「場」が、場から始まったプロジェクトが
創造的なものを生んでいくこと。

それを積み重ねて、
高校生にとってその場所は「ふるさと」になっていく。  

Posted by ニシダタクジ at 18:16Comments(0)学び

2019年12月19日

学校教育と社会教育の潮目に浮かぶ船





福島県立ふたば未来学園高校訪問メモ

~~~ここから

ルーブリックで自己評価して、ルーブリック面談でルーブリックをコミュニケーションツールとして使う。行動の背景が理解できる。
ルーブリック面談は進路に直結している。ルーブリックをチームでやるっていうのもありかも。

生徒を立体的に見ること。数字だけでなく。

学校教育と社会教育の「潮目」に立っている。

電話でアポとって話を聞くだけで高校生は変わる。
社会へのドアを開ける。
「はじめてのおつかい」みたいなもんか。

ルーブリックをつくること、そのものよりも、ルーブリックをつくるプロセスを共有していること。それが教育目標に向かっていること。

高校との関わり合いの「帯」をつくる。「探究」などの授業カリキュラムに入り込んでいることの強さ。

カリキュラムもコンソーシアムもコミュニティスクールも、高校生の探究的学びに向かっていくこと。

まかせてもらう
→参画してもらう
→気づいたら先生自身がやっている
みたいなプロセス。

授業時間数がボトルネックになっている。
「未来創造探究」は毎週何か必ずある。

「地域系部活動」で重要なこと
・関係性:関係の質にこだわっていくこと
・ゴールの設定:ゴールが見えているか?
体育会系部活の一体感:ゴールを共有していること。

ふたば未来ラボ:公営塾のクリエイティブ版
コーディネーターの聖域
カリキュラムは企画研究開発部が担当。教務・進路ではない。

校内のどこにポジショニングするか?
1 教育目標
2 カリキュラム
3 校務分掌
をどう設計するか?

育てたい資質・能力は何か?
「対話」してそれをつくる。
→文字にして使いまくる。
コミュニティスクールのタイミングでそれをつくること。

「教育目標」と「教育課程」(カリキュラム)がつながらないと機能しない。

学校と地域の真ん中に教育目標をつくること。

~~~ここまでメモ

「高校魅力化」は、
学校教育と社会教育の潮目に浮かぶ船のようなもの。
この船はどこに向かっていくのか?
それを共有しなければ船は進めない。

まずは教育目標づくり、そこに行くための設計としての
カリキュラムづくり、そのカリキュラムを評価するためのルーブリック。
カリキュラムを補完・発展させるための地域系部活動。

それらのすべてが高校生自身の、
あるいは教員・関係者自身の探究的学びにつながっていくこと。

それが必要なのだろうとおもう。  

Posted by ニシダタクジ at 08:37Comments(0)学び

2019年12月19日

「学び」はこの直線上にない。

「学び」がこの直線上に、あるいは平面上に無い。
という仮定。

立体的な、3次元的な、あるいは4次元的な場に「学び」は創造される。
とする。

「先生」「教育」「成長」という言葉への違和感の正体が少しだけ見える。
川喜田二郎さんの発想法としての「KJ法」を学ぶと、
そこにこれからの「学び」の本質が見えてくるような気がする。

50年前の先見の明に驚く。

学びが「学校での学び」の直線上(延長上)に存在しないから、学べば学ぶほどゴールに近づいていく、という実感が得られない。
それが日々の虚しさにもつながっているのではないか。目標を設定し過ぎなのかも。
目標達成が喜びであるというのは、むしろレアケースなのではないか。
そういう人は成功すると思うのだけど、そこに「学ぶ喜び」はあるのだろうか。

エンターテイメントの本質が「予測不可能性」にあるとしたら、
「学び」とは、予定外、予想外のことを学んだときに喜びが生まれるのではないか。

大切なのは好奇心のスイッチをオンにすることなのだけど、
オンにさせることができるのは教師や講師ではなくて、環境というか、機会なのだと思う。
まあ、教師も講師も機会に過ぎないのだけど。

他者がそのスイッチをオンにさせることはできない。
あくまで自ら押さないと。

探究的な学びって、キャリアドリフト的に学ぶということ。
機会から学ぶ。つまり、学びが直線上にないってこと。
だから、「キャリアデザイン」とか「目標」とかと相性が悪い気がする。

川喜田さんは言う。

実験科学は仮説を検証するところに重要な性格があるのに対して、野外科学はむしろその仮説をどうして思いつけばよいのか、という、仮説を発想させる方法と結びついているのである。(「発想法」川喜田二郎)

仮説を生み出す。

昨今言われている「問題解決」能力というより、
「問題発見」能力っていうことなのかもしれない。

あるテーマに対して、「課題」と「仮説」を自ら設定することは、
川喜田さん的に言えば、「実験科学」から「野外科学」へのシフトなのだろうと。
そんなことを考えていたら、ある芸術家の発言にヒントをもらった。

そして思ったのが「道」という概念。

技術としての師匠と、姿勢としての師匠と。両方が必要なのだろうと。
その両方が重なるところに「道」ができるのだろう。

「道」には終わりがない。
「道」における師匠とは、到達点ではなく、ひたすら先に行ってしまう人のこと。

「学び」は「道」だけど、「教育」は「道」じゃないのかもしれないと思った。

「道」を生きる人っていうのは自分の人生よりはるか長いリレーのバトンを、駅伝のタスキを、今受け取って、次につなげないといけないと思って必死に走っている人のこと。

自分はいま中継者なのだという自覚。しかもその行き先は見えていないということ。それが「道」の強さ。

「校風」とか「文化」を大切にするっていうのは、自分が大いなる「営み」(プロセス)の一部であるっていう自覚を持つことができる。
「自我」や「意志」より、よっぽどそのほうが大切なのではないか。プロセスと切り離されてない自分に気づくこと。

師を通して「道」を学ぶ。
「道」っていうのは、目に見えては存在しないのだけど、たしかにそこにあるもの。

「学校」と「師弟関係」の違い。
学校を作るときにのコンセプトは「効率化」だと思う。

短期間で先進国に肩を並べる必要があった。
なにより「日本人」を作らなければならなかった。

学校での勉強は、明確なゴールを設定し、その達成度によって、生徒も、先生も評価された。

それは「学び」を根本的に変えてしまった。
「道」ではなくなってしまった。

師匠というのは、
この道をひとまず歩んでみようとすることのこと。
師匠の背中を追い求め、道を歩んでみること。
そこには本質的に到達点がない。
そして、「学び」は都度、創造される。

探究学習でテーマを決め、現場を観察し、
課題と仮説を生み出すこと。
その仮説を実践すること。
その繰り返し。

そこに予想できなかった「学び」が発生する。
それを喜びとして学びのエンジンを駆動させていくこと。
それがつくりたい「学び」の場なのだろう。  

Posted by ニシダタクジ at 08:10Comments(0)学び

2019年12月10日

最初にあるのは、「我」ではなく「混沌」である

12月13日の茨城大学iopラボ「場づくりラボ~付箋を使って、発想を生む!KJ法の使い方」
https://www.ibaraki.ac.jp/commit/ioplab/2019/11/271145.html

に向けて、
川喜田先生の著作を読みます。


「野性の復興」(祥伝社)


「創造と伝統」(祥伝社)


「発想法~創造性開発のために」(中公新書)

阿賀黎明高校魅力化プロジェクトのコンセプトは
「ふるさと創りびと」を育てる。
なのだけど。

その「ふるさと」の定義は、川喜田先生のものを採用している。

「ふるさと」とは、子どもから大人になる途中で、子どもながらに全力傾注で創造的行為を行い、それをいくつか達成した、そういう達成体験が累積した場所だから「ふるさと」になったということ。「ふるさと」は過ぎ去った時を懐かしく思っての「→過去」という矢印ではなく、創造的行為によって「→未来」が累積した場所のこと。

こんなことを復習していたら、
デカルト的パラダイムと、川喜田先生の考え方が大きく異なることが書いてあった。

そこでこの一言。

最初にあるのは「我」ではなくて「混沌」である。(「創造と伝統」川喜田二郎)

「われ思う、ゆえにわれ有り」に代表される物心二元論。
デカルトは「初めに我ありき」といい、川喜田先生は「初めに混沌ありき」という。

「混沌」→「出会い」→「矛盾葛藤」→「本然」
「混沌のなかから自己という主体の認識を持つ」
それはデカルトとはまったく異なる。

デカルトの考え方では「我」、自我意識の自己というものが支配的な主体の位置を占めているのに対して、私の考えている創造的行為にあっては、何を創造するかという対象となる客体との相互関係で「我」が存在する。

デカルト的パラダイム(範例、図式)は、近代科学の基礎になった。そこには「分析と推論」という方法しか用意されていない。しかし、環境問題や世界平和といった現実社会において今もっとも必要としているのは、問題解決のための「総合」であり、それには欠けているのである。

そして、今日イチの衝撃はこの図(「創造と伝統」P59より)



デカルト的パラダイムと川喜田的パラダイムの比較説明図。

デカルトは神が理性を与え、その人が「物体」を創造する。
しかし、川喜田先生は、混沌の中で主体と客体が相互に関係する場があり、
主体は客体を創造するかもしれないが、それにより、主体も脱皮・変容が起こる、と。
そしてそれは「伝統体」による影響を受けていること。

川喜田先生は、このように説く。

創造的行為は、まずその対象となるもの、つまり「客体」を創造するが、同時に、その創造を行うことによって自らをも脱皮変容させる。つまり「主体」も創造されるのであって、一方的に対象を作り出すだけというのは、本当の創造的行為ではないのである。そして、創造的であればあるほど、その主体である人間の脱皮変容には目を瞠るものがある。主体と客体が創造されるだけではなく、その創造が行われた「場」も、また新たな価値を付加されて生み出されるのである。

場をつくる。

っていうのは、きっとそういうことなのだろうと。
そしてそれはそのまま「学びの場」、あるいは「学びあいの場」づくりに
直結しているのだろうと。

場の価値。
それは創造が起こること。それにより自己が変容すること。

そして人は、場から学ぶ。
「混沌」を出発点にして、「場」から学ぶ。

いつのまにか、僕たちは、「我」を出発点にしてきた。
それは西洋のシステムをモデルにした学校制度の宿命だったのかもしれない。

あなたのやりたいことは何か?
そもそもあなたは何者なのか?

そんな問いが本当に重要なのだろうか?
「混沌」の中に身を委ね、場をつくり、客体と一体化して何かに没頭する。
そこに「創造」が生まれる、かもしれない。
その「創造」の縁に、「学び」が詰まっていると僕は思う。

そんな「場」をともにつくる。  

Posted by ニシダタクジ at 08:10Comments(0)

2019年12月09日

「判断」の余白をつくる

栃木・那須にある非電化工房に行ってきました。
行きの電車の中で読んでいたのはこの本。


「野性の復興」(川喜田二郎 祥伝社)

こちらのW型の問題解決図式。
これが面白かった。

P109のこの図

「ひと仕事」とは、このように動くのだと。

それは「実行」「実践」ではなく、「執行」に過ぎないのではないか?
と川喜田さんは問いかける。

何が違うのか?
そこに「判断」「決断」がないからである。「判断」することのなければ、実行、実践とは呼べず、単なる「執行」である。
これは厳しい一言だなあと。

A 探検 →B 野外観察 →C データをして語らしめる
→D 評価・決断・構想計画→E 具体策・手順化
→F 実施 →G吟味検証→H 結果を味わう
というW型で起こっていくのだと。

ああ、そうか。
「仕事」にモチベーションが上がらないのは、
F以降、むしろFのみのことしかやらせてもらってないからだ。

あ、それって「学習」も同じだ。
学校の授業にはFしかないんだ。
授業案もぜんぶ先生がつくっているから。

そして、非電化工房見学会へ。


予算50万円で建てた非電化カフェ。

中に入るとこんな感じ。




~~~ここから見学会メモ

「非電化工房」見学会に参加。
感想がうまくまとまりそうにないけど、一言で言えば、ジーンと来ちゃったなあ。静かな感動というか、そういうやつ。
高校~大学の僕のトピックは環境問題だった。その頃に出会っていたら、1年修行したかった。
環境問題は技術でなく、価値観の画一化と思考停止の問題だと思った。

生きる力。食べるもの、住む家、エネルギーを自分で何とかすること。
+生活に必要な資金を稼ぐこと。
特に住む家を自分で建てられるというときの安心感。50万円で家は建つ。

テスト弟子入りのポイント
1 体力
2 性格
3 志

杉皮の遮光性とか、もみ殻の断熱性とか、すげえなと。自給できるじゃんって。

「非電化」というのは、「電気を使わない」ということではなくて、「電気に依存しない」ということ。
「お金やエネルギーに依存しない」ということ。「生きていける」という実感。

「現代の縄文人」っていうか、そういう感じ。
テクノロジーさえも自然資源とするような。

「保温調理器」とか「圧力鍋」とか。
エネルギーを与え続ける必要はなくて、温度を保てばいいのだと。

白金カイロ「ひとりキャンペーン」。
いいなあ、藤村先生の遊び心。

土塗りワークショップの一番の利点は仲良くなること。

「非電化工房じゃないとできないワークショップ」
同じワークショップは2度とやらないという発明家の意地。
でも、あまりにもそれだと大変なので、やっぱり2,3回はやろうかという余白。笑。
その余裕が魅力だ。「しなければならない」「こうでなければならない」は一つもないのだから。

女2人で2日で1万円で井戸を掘るWS
http://hidenka.net/seminar/ws2018/ws5.htm
いきたい。

もはや上水道は維持できない。
だとすると、井戸を掘るしかないよね。
出るまで掘る。1人ではやらないこと。みんなでやること。

「発明家」とは何か?
困っている人がいたら何か発明して解決する人のこと。

汚い水が原因で子どもが毎日死んでいる。なぜそれを放っておくのか?という憤りから始まった井戸掘り。
お金を使わないで井戸を掘る方法はないか?女の人は子どものためなら動く。だから、女2人で、ってタイトルなのか。

ワークショップで簡単に水が出るのはあまりよくない。井戸掘りの技術そのものがすごいのではなくて、出るまでやっても1万円しかかからないこと。みんなでやれること。出るまでやり続けることができる、という価値。

「お金があることでチャレンジできる」のではなく、「お金がなくてもチャレンジできる」へ
出るまで掘れば井戸から水は出る。やればできる。

「非電化工房」全体の横たわる遊び心がすごいな、と。日々実験してる。

「時間が止められるか?」という問い。
「空間が狭くなるほど時間は長くなる」理論。面白かったな。

クレーの絵と谷川俊太郎の詩で感動できないはずがない。
→感動できないのは時間に追われているからだ。
→時間を止められる場所をつくれないか。
→ツリーハウス。

猪熊弦一郎×ホンマタカシも感動できないはずがない。
「時間の流れを変えられないか?」という問い。

「非電化」っていうのは技術じゃなくて思想や文化、なのだなあと。
そこに若い人が吸い込まれていくのはよくわかる。
それでいて思考停止させない余白だらけの空間がある。
常に判断、し続ける。

非日常空間をつくるには、太陽(光)を見せないこと。

「窓」とはいったい何か?
採光や風を通すという機能以外の何か、もっと大事なものが入ってくるのではないか?
それは未来や希望なのかもしれない。
想像力。

「機能」よりも大切なものがあるんじゃないか?という問い。

~~~ここまでメモ

どこまでも遊び心にあふれた発明家、藤村靖之さん。
「非電化」とは、「電気を使わない」ことではなく、「電気に依存しない」こと。

そして、「非電化工房」っていうのは、
巨大な実験場で、日常生活そのものを「自らつくる」という
プロセスそのものを楽しんでいるところ。
発明家の意地、誇りから始まった井戸掘りプロジェクト。
家を自ら作ることで得られる、圧倒的な安心感。

「時間を止めることができるか?」
「窓」ってそもそもなんだろう?
と実践を通して問われる哲学的な対話の時間。
ここには、川喜田さんの言う「仕事」が、たしかにある。

それは、探検(実験)し、野外観察し、評価と決断をして、
次の策を考えるという問題解決図式の本質がある。

「仕事」から「判断」を奪えば、それは「仕事」ではなく「執行」になる。(川喜田二郎「野性の復興」より)

この言葉は重い。
多くの人たちが「仕事」と呼んでいるものは、実は「執行」に過ぎないのではないか。
それは組織の問題でもあり、規模の問題でもあり、個人の問題でもある。

「学び」もきっとそうだ。
「授業」がそもそも「執行」に過ぎないのではないか?

そこに「判断」があるのか?
「構想計画」があるのか?

「課題が与えられ、解決策を提案する」
「観察」も「判断」も「執行」もない。
そんな授業でどんな力をつけようとするのか?

「判断」の余白をつくること。
そこに「主体性」と呼ばれるような何かが生まれるのだと思う。
それは「好奇心」だったり「探究心」だったりするのだろうけど。

たぶん、そこが一番大切なところだと。  

Posted by ニシダタクジ at 10:20Comments(0)学び日記

2019年12月01日

「学び」を「創造」する

フラットな関係性をつくるコミュニケーションのデザイン。
これが僕の現代美術家としてのポジションなのですが。



昨日は黎明学舎と「れふぇり」さんのコラボ
むかごジェラート(目黒農園提供)のイオン新潟南での販売でした。


目黒さん入りパッケージ。


むかごってタピオカに似てますよね。



信州大学の福住さん、平下さんが
1泊2日で阿賀町に来てくれて、最初のお客さんをやってくれました。

1日目の夜に、
すごい発見をもらいました。

「学び」を「創造」すること。

それだ、と思いました。
高知の嶺北で瀬戸さんたちがやっていること。

それは、
創造的な学びの場づくり、ではなくて
「学び」の「創造」だった。

嶺北探究の授業で誰よりも学んでいたのは
瀬戸さん自身だった。
しかもそれは、授業という「場」がなければ成立しない
学びだった。

そこに惹かれて、中学生は入学を決めていくのではないかという仮説。
嶺北には、「あこ」には、「学び」の「創造」がある。

学びを創造する。
創造的行為を積み重ねて「ふるさと」をつくる。

むかごジェラートっていうのは
たぶんそういうこと。
初めてのことをやることで「学びの場」が創造される。

高校生と講師の区別なく、
学びを創造していきたいと思った。

そして何よりも僕自身は
学びの創造の際に起こる
フラットなコミュニケーションを見たいのだと思った。

楽しくなってきた。  

Posted by ニシダタクジ at 06:53Comments(0)学び

2019年11月25日

二元論という禁断の実


「普通がいい」という病(泉谷閑示 講談社現代新書)

この春、衝撃を受けた
「仕事なんか生きがいにするな」(幻冬舎新書)の著者、泉谷さんの2006年の著作です。
http://hero.niiblo.jp/e489521.html
(貨幣経済が「質」を「量」に還元した 19.7.4)

今回取り上げるのは 第3講:失楽園です。
「頭」と「心」の話が分かりやすく解説されています。

人はなぜ思い悩むのか?
「頭」と「心」と「体」はどう関係しているのか?

そんな問い。

~~~ここから抜粋して引用


図3-1で「頭」と「心」と「身体」の関係が描かれています。

「頭」とは理性の場であり一方「心」は感情や欲求の場で、「身体」と一心同体につながっています。

「心」の上に「頭」がついていますが、そこにはフタがついていて、これは頭によって開閉されます。ですから、このフタが閉まっているときは、「頭」VS「心」=「身体」という内部対立というか、自己矛盾が起こります。しかし一心同体である「心」と「身体」は、決して食い違いを生じません。

「頭」は理性の場所で、理性とはコンピューターのような働きをするもので、1/0という二進法を基礎に動いています。

ここでは、計算や情報の蓄積、それを基にした情報処理つまり推測・分析・計画・反省などを行います。使う言葉としては、「頭」は「~すべき」「~してはいけない」といった言い方をする。英語で話すとmust やshouldという系列になります。論理的であること、因果関係を考える働きがありますので、必ず理由がくっついているという特徴もあります。

また、時間・空間の認識では、過去を分析し、未来やここ以外の場所をシュミレートするのが得意です。過去の「後悔」未来への「不安」などはここで生み出されます。逆に「今・ここ」については苦手で、正しくとらえることができません。

また重要な特性としては、「頭」は、とにかく何でもコントロールしたがるという傾向を持っています。自分の「心」や「身体」に対して、まはは降りかかる運命に対して、自然に対して、といった具合に、その対象は際限ありません。間違ってはならないのは、いわゆる「欲望」というものは、「欲求」と違って、「心」からではなく、この「頭」のコントロール志向から生じてくるものだということです。

一方、「心」は「~したい」「~したくない」「好き」「嫌い」等々の言葉を使います。英語で言えば、want toやlikeの系列です。理由や意味・意義などは一切くっついてきません。いきなり判断だけを言ってくるのです。

時間・空間の認識では、「頭」と違って、「今・ここ」に対して焦点を当て、シャープに反応します。ですから非常に即興的で、「前はこうだったから、今度もそうだろう」といったような過去の情報に基づいた反応はしません。それをするのは記憶やシュミレートをつかさどる「頭」の方です。

またオリジナルな感情、つまり喜怒哀楽は「心」から生まれますが、期待をかけて叶わなかった時に起こってくるような感情は「頭」から生まれます。なぜならば期待というものは、未来をシュミレートし、こうあって欲しいとコントロール志向を向ける「頭」由来のものだからです。

「身体」は「心」と直結していますので、密接に連動しています。欲求や感覚などは、この両者によって生み出されるものです。また「身体」と「心」は一心同体ですから、「心」に元気がなければ「身体」も元気がないということになります。

他の動物と人間が決定的に異なっているのが「頭」という部分であり、この「頭」が人間にまつわる様々な現象の鍵を握っているわけです。

「頭」は、二元論が基礎になっている理性の場ですが、これを仏教の言葉で言うと、分別ということになります。善/悪、正/誤などなど、この分別の働きが人間の文明をつくってくれてきたのですが、しかし、この働きが同時に人間の不幸を生み出す源にもなっているのだということを、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教共通の聖典である「旧約聖書」や、また仏典でも、口を揃えて言っているのです。

旧約聖書・創世記の中の「失楽園」の話では、アダムとイブが神の禁を破って禁断の果実を食べてしまいます。すると途端に、自分たちが男/女の違いがあることに気づき、恥ずかしくなってイチジクの葉で陰部を覆うことにしました。これが羞恥心の始まりというわけです。

一般的に考えて、人間が善悪の判断ができるようになることはむしろ望ましいことなのではないか、それなのに、なぜ神はこれほどまでに厳しく禁じたのか?

「善悪の智慧の実」は、つまり、物事を善/悪に判断する二元論の実であったのです。ですから二人とも同じ人間であったのに、男/女という区別が生まれた。そのために性差の象徴である陰部を覆わざるをえなくなったのです。

それでは、神はなぜ、二元論の獲得を人間に厳しく禁じたのでしょうか。二元論を獲得した後、アダムとイブは神に対して、責任転嫁という悪知恵を使って言い逃れしようとしましたが、これが神の怒りをかってしまいました。

キリスト教において、人間はあらかじめ「原罪」を負っているという考え方がありますが、その「原罪」とは、神の禁を破って「善悪の智慧の実」を食べてしまったことを指します。よくある解釈では「神の禁を破ったこと」に重点を置いたものが多いようですが、私はこの「二元論の獲得」にこそ、人間の「原罪」を見るべきではないかと考えるのです。

~~~ここまで抜粋して引用

「二元論の獲得」こそが「原罪」である。

これはなんか、すごいことです。
「頭」と「心」と「身体」の関係。

そう考えると、近現代は、「頭」が「心」と「身体」を支配しようとしてきた時代なのかもしれません。「宗教」は「科学」へと取って代わられ、そしていま「科学」の価値が揺らいでいます。

その認識を持つこと。

本書はこの後、「科学」と「頭」による支配について言及しています。

「二元論的理性に基づく科学は、形あるもの・数量化や計量ができるもの・再現可能なもの・必然性の明らかなものについて、しかも観察行為が対象に影響を与えない場合しか扱えないという大きな限界があります。しかし、その限界の外にあるような、形なきもの・質的なもの・一回性のもの・変化し続けるもの・偶然性に支配されているものなどの方が、私たちにとってはむしろ重要です。なぜなら、それらの性質とは、「生きているもの」や「大自然」の特性そのものだからです。」

「人間をひとつの国家にたとえてみると、現代人の多くは、「頭」が独裁者としてふるまう専制国家のようになっています。」「心」=「身体」は、常に「頭」に監視され奴隷のように統制されていて、ある程度のところまでは我慢して動いてはくれますけど、その我慢が限界に来ると、何がしかの反乱を起こしてきます。それがうつ状態や幻覚、妄想、そして摂食障害などです。いわば「心」=「身体」という先住民族の国に、「頭」という移民がやってきて、いつの間にか先住民を支配するようになった状態、これが現代人の状態です。別のたとえをすれば、社長である「心」=「身体」が、「頭」という簿記や計算の特異な秘書を雇ったのだけど、いつの間にかその秘書が社長を仕切り始めた、そんなイメージです。」

そして、こうまとめます。

本来、人間の中心は「心」=「身体」の方なのだということを「頭」はわきまえる必要があります。「心」=「身体」は「頭」などが及びもつかない深い知恵を備えているものです。しかし、それがあまりにも桁外れに凄い能力であるために、「頭」にはその凄さが分からない。単にきまぐれ、デタラメとしか理解できない。それで「頭」は、「心」=「身体」を劣ったものだと誤解している。その結果「頭」が思い上がってしまって、「心」=「身体」をコントロールすべきものだと考え、このような独裁状態になってしまったのです。」

という感じで引用しまくってしまいましたが、この「頭」と「心」=「身体」の関係は、知っておいたほうがいい話だなと思いました。

教師と生徒の関係にも似ているなと。「心」=「身体」とは、内なる自然である、と出てきます。

木曜日に高知・嶺北で見た瀬戸さんによる「嶺北探究」の授業。
そこには「自然」があった。「心」に耳を傾けていました。

「二元論の獲得」という原罪。
「頭」の限界。「心」=「身体」へのシフト。
これがいま、起こっていることなのではないかと思います。

ますます、ここ200年の近現代社会が特殊の状況にあったのだなあと思いました。  

Posted by ニシダタクジ at 08:47Comments(0)

2019年11月23日

「授業」や「場」というエコシステム(生態系)

高知県の嶺北地域、本山町に嶺北高校があり、
土佐町にNPO法人SOMAが運営する「あこ」がある。

嶺北高校の探究の授業と
フィールドの見学をさせていただきました。
大辻さん、本当にありがとうございました!

まずは四国の水がめ、早明浦ダム。


からの男子寮の見学


そして、高校で探究の授業を見学


事務所に戻って、説明を伺い、最後に公営塾の雰囲気を見て、帰ってきました。

NPO法人SOMAが展開する
地域の学びの場「あこ」が
本当に子どもから大人までが集っていて
すごい場所だった。

兵庫県の中学から入学した男子生徒は、
「最初に見たときに、ここだ、と思った。ひとめぼれに近いです」
と話してくれた。

その理由が、
大辻さんや瀬戸さんから話をきくたびに、
だんだんとわかってきた。

学びのエコシステム(=生態系)をつくる。

一言でいえば、そういうことなのだろうけど。

一番印象的だったこと。
嶺北探究の作られ方。
この日も直前のぎりぎりまで瀬戸さんは準備していた。

この日の授業は、
・「嶺北高校の魅力化は私の笑顔」→動画をつくる
・シネマトグラフィー。どのように時間を使うのか?
・中学3年生がどんな映像を見せられたら行きたくなるか?
・60秒で動画4シーンで表現する。1シーンずつにタイトル→どこで撮るか?
・絵コンテには忠実に撮る。現場で変えない。

前々回:絵コンテ
前回:動画撮る
今回:実際の動画を見てみる。

前回に撮った動画を見てみて、フィードバックをもらう、という授業。
動画のクオリティとしては、ぜんぜん完成されていない。
それを客観視する。

「観察する」→「デザインする」→「表現する」
このサイクルを回していくこと。

しかし、多くの場合、
「観察する」に重きを置いてしまう、
あるいは、「お手本」を見せてしまう。
最初からクオリティを重視してしまう。

モデルを示すと、その枠を超えていかない、と
瀬戸さんは言っていた。
いちど作ってみて、それを客観的に見ることで、自分たちに気づく。

そして、モチベーションも上がる。

今回、授業後に瀬戸さんのところに来て、
もっと動画編集の時間がほしい、と言ってきた生徒がいた。

これは、マニュアル通りにやって、
そこそこの動画ができていたら起こらないことなのではないか。
もしかしたら授業外にスマホもって、動画を撮りにいくのかもしれない。
自分で動画編集を研究するのかもしれない。

瀬戸さんも言っていた。
絵コンテに集中してた。前回と全然違う。
サブリーダーが生まれた。人数が多く感じた、と。

僕も授業を見ていて、
生徒たちがだんだんと身を乗り出していくのがわかった。

~~~以下メモ

「干渉」ではなく「保護」(見守り)

個人の興味関心を言葉(発言)から拾っていく。
マンガ、ラノベ、検索してあらすじだけを把握する

★そこしか拾えないならこちらが学ぶしかない
★「聞いてあげること」の大切さ

目線を合わせないコミュニケーション
「あなたはそこにいるよね」というメッセージ
「かかわりがある」⇔「促進する」とは違う
コンテンツじゃなくて「環境」(場)

★主語が出る
誰でもいい動画じゃない。自分が出ないと成り立たない。

「この授業の主役って誰?」→あなたですよね?
と毎回聞いている。だんだん浸透していく。

「主語を自分にしていく練習」としてのマンダラート。
できていないことのチェックとリマインドはやらない。
「変化した」⇔「変化させた」

週1時間でいい。主語を自分にしていく。そこから。
「あなたの人生の主役は誰ですか?」と問い続ける。

~~~ここまでメモ

いちばんビックリしたのはリフレクションシートのこと。
リフレクションシートは毎回違うものをつくっているのだという。

前とのつながりを確認したり、次へのつながりを確認したり、
その授業回によってリフレクションの機能が違うのだと。

ああ、この授業はライブなんだと。
いま、この瞬間瞬間に作られていくんだと。

瀬戸さんは
「次に会うときには別の人になっているという前提で授業をする」
それはおそらく瀬戸さんにとっても。

来週の授業に来ている生徒は、今週とはまったく別人なのだ。
その前提で、授業をつくる。ふりかえりをつくる。
ライブ。瞬間瞬間

この授業は、瀬戸さんにしか作れないと思った。
いや、本来はどの授業も、その人にしか作れないんだ。

瀬戸さんが言ってた。
「目の前で変化している人の変化を見逃さずに済む。」

それを見ているんだ。
ひとりひとりの「変化」そのものを。

「新しい学校をつくる」という言い方
→既存の学校を否定することになる。

スタッフとして二項対立で見る人はダメ。AもBもありだと。
環境とマインドセットで人は変わる。

あとは場づくりについてのこの一言。
(子どもたちの意欲を高めるために)
「そこでは、無能な大人を演じるしかなかった。」
これも深い。

「支援」だと思って、大人はつい教えてしまう。
それが子どもの意欲を摘んでいないだろうか。

月刊「社会教育」2019年8月号に、瀬戸さんが紹介されている。

~~~ここから引用

「なんでなんだろう」と誰かが思った時に、「なんでなんだろうね」ってみんなで考えられるかどうか、これが教育機会の確保だと思ってる。

教育の目的が人に置かれることに対する危機感。

ある活動を通してこういう人が育ってほしいというのは非常に危ないと思っていて。だから常に意識・作用点は環境に置く。人は環境から独立して生きていくことはできないし、常に環境依存だから。

エコシステム、すなわち個と環境との関わり合いに注目する仕組みづくりと言える。

ここで重要なことは、エコシステムのアプローチは、あくまで意識・作用の対象を環境に向けるが、そのため相手の存在をしっかりと認めることが必要とされる。

エコシステムのアプローチにおいては、個の存在を圧倒的に意識しながらも、学びのために一歩引くということがなされている。

「土佐町は貧困地域というよりも、本質的な学びができる地域だと思った。」

~~~ここまで引用

エコシステム(=生態系)とそこにいるひとり。

という視点。
個の存在を意識しながら、学びのために環境(場)にアプローチすること。
「承認欲求を満たす」というよりも「あなたを見ていますよ」というメッセージを言語外で伝えていくこと。
そういうかかわり。

授業も、場も、エコシステム(生態系)ではないのか?

そんな深く、重い問い。
再現性なんて、やってみないとわからないけど、誰がやっても同じ結果には絶対にならない。
そして、環境も、そこにいる人ひとりひとりも、常に変化し続けている。
それを感じながら、「学び」をつくっていくこと。「場」をつくっていくこと。

その「場」を見て、感じて。
中学校3年生が直感で「ここにしよう」って決められるような。
「ひとめぼれしました」って言ってもらえるような。

そんな「場」がつくれるか?
にかかっている。

地域外からの受け入れ初年度(H31年度)10名、二年目も10名(R2年度)
の申し込みがすでに来ている嶺北高校。

その魅力を一言では言えないのだけど、
そこにはたしかに「場」があった。

「変化」を見守る大人たちがたくさんいて、圧倒的にあったかくって、
日々、学びの機会があって、毎日、「変化」が楽しみになるような。

そんな「場」がたしかにあった。

さて、こんな場を作ることができるのか、まったく自信はないけれど、
エコシステムというサイクルを、僕らのまちでも、回しにかかろう。  

Posted by ニシダタクジ at 07:40Comments(0)学び

2019年11月20日

コーディネーターがつなぐのは

6月の地域みらい留学フェスタ@東京でめちゃめちゃ輝いていた
大崎海星高校におじゃましています。



1日目は
コーディネーターの取釜さんに話を聞き、
「みりょくゆうびん局」交流チームのランチミーティングの後、
1年生の大崎上島学「羅針盤学」の授業を見学し、
その後、公営塾「神峰学舎」へ。

公営塾は、夢☆ラボ。
1年生による「興味があるもの発表会」
「興味があるもの」についてプレゼン。
「ビートルズから学ぶ」の彼、面白かったな。

大好きなものがあって、
なぜ、自分は好きなのか?って問うのは
探究の入り口のような気がしたし、
最後にビートルズから学んだことを
自分の言葉で語ってくれた。
「自分は自分、好きなことをして、好きなように生きていい」
いいなあ、そういう入口。

モチベーションのスイッチを押すって
そういう機会の積み重ねなんだなあって。
黒ひげ危機一髪みたいに、
「機会」というナイフを刺しまくっていくことだなあと。

ランチーミーティングの進行をした石井先生もすごかった。

ほかの人の意見を聞きたい
→「それによってあなたはどう変わる?」
おどおどしたくない
→そういう経験があったの?

ひとりひとりのコメントに対して、それを掘り下げる質問力。
すごいなあって。
わずか30分の魔法を見せてもらったようだった。

プロジェクトの説明をしてくれたのは取釜宏行さん。

2011年にUターンして私塾をスタート。
学習支援とキャリア教育の2本柱で取り組む。
この私塾でのキャリア教育がすごかった。

6つの柱で「島キャリ」を行っていて、
生徒が主体となった「やりたいイベント実行委員会」など、
興味深いプログラムが詰まっている。

ここから始まったんだ。

そんな風に思った。
26年から準備して平成27年度に大崎海星高校の魅力化がスタート。

考えられることはすべてやった。
民泊を受け入れている大阪の中学校全校に校長先生と一緒に営業にいった。
東京での説明会を12回行ったが、参加者ゼロの会も数回あった。
寮の整備も予算のない中、様々な可能性を検討し、交渉した。

いま、コーディネーターとしてプロジェクトの設計や
地域の人たちとの橋渡しを行っている。

「関係者には、電話で済む話でも直接会いに行く」
と取釜さんは言っていた。

車に乗せてもらっているあいだも、
郵便局でも、道端でも、
取釜さんは知り合いを見つけては、
自分から話しかけていっていた。

取釜さんが言う。
「すごい人がいたわけじゃない。熱意ある人がいて、その熱意がつながっただけ。」

その通りなのだろうと思う。
はじまりはひとりかもしれない。
でも、その熱意が、熱意あるひとりを引き合わせる。
そこがつながると、何かが起こる。

コーディネーターがつなぐのは、
人と人ではなく、大人と高校生でもなく、地域と高校生でもなく、
熱意と熱意、なのだろうと。

熱意ある人がいて、その熱意がつながっただけ。

と振り返られるようなプロジェクトをつくっていこう。

夜明けは近い。


  

Posted by ニシダタクジ at 07:49Comments(0)学び

2019年11月18日

高校生がまちに魔法をかける

高校生による高校説明会@村松高校

村松高校
新津高校
阿賀黎明高校
新津工業高校
新津南高校
五泉高校
の6校がプレゼン。(発表順)


阿賀黎明高校は3番目。
自分たちの書いた原稿で主に行事紹介を行った。

こんな風にすればよかった。は、
・「個別最適化」を伝えるには個にフォーカスしたムービー
・「安心」を伝えるには黎明学舎のお兄さんお姉さん
・「黎明で探究」的な活動紹介、かな。

以下、他校の発表を聞いたりしてのふりかえりメモ

~~~

パターンとしては、
学校の特徴→学校案内(授業、行事など)→部活紹介
が多い。

半分くらいの高校は、
配布資料の各校の「学校案内」読めばわかるでしょ
みたいな説明をしていた。
それは別に高校生がしなくてもいいのではないか。

高校生が説明する意味。
それをもっと考えたほうがいいと思った。

主語は学校なのか?
ひとりひとりの生徒なのか?
でプレゼンは全然違ってくる。

聞きにきてる中学生(3年生だけではなかったようだ)も親も真剣そのものだった。

「就職希望する人はインターンシップとかキャリア教育が充実しているから来い」
「進学を希望する人には特進クラスがあって0限から授業があります」
みたいなターゲットに特化したメッセージも必要。

ある高校は最後に、いじめ対策のことを言ってた。
たしかにそれも心配。
動画で1日の流れを朝から放課後までおいかけた高校もあり。

なぜ今、私は3年間をその高校に投資しなければならないのか?
そこに行くと、自分の子どもは将来幸せになれる可能性は高まるのか?
この2つの問いに答えられるプレゼンを。

進路(進学)の実績を数字で語ることに意味があるのか?
→もっとひとりひとりの生徒にフォーカスしてみてもいいのではないか。

圧巻だったのは、
地域唯一の総合学科を持つ隣町の高校のプレゼン。
もうびっくりした。

まず冒頭から
「進学型総合学科」を名乗り(コンセプトの明確化)、
数英の習熟度別クラスを説明。ここまではよくある。

その次に
1 英語を特に頑張りたい生徒は、週13時間を英語に費やすことができる。
2 工学部を目指している生徒は、週17時間を数学と理科にすることができる。
3 就職を希望する生徒は、資格などに特化してカリキュラムを組むことができる
と3つの事例を紹介。

つまりこれはウチの高校に来ると「個別最適化」できますよ
というメッセージだ。

そのあとに、なんとクイズ。
創立の時代は明治か大正か昭和か?
双方向のコミュニケーションはなかったけど、
観客を楽しませようとしていた。

つまり、この高校のプレゼンテーションは、
「まず楽しくて、がんばれば進学もできますよ」
というメッセージを発していた。

学校紹介プレゼンのあと、
生徒が取り組んだプロジェクトの発表。

隣町はニット生産で有名なまちだが、
「ニットフェス」のイベントに合わせて、
さまざまな企画を立案、実行したプロセスの紹介があった。

ニットを使ったノベルティグッズを自分たちで制作し
イベントをPRする。

高校生プロジェクトとしてフォトコンテストを企画。
ハッシュタグを付けて投稿する方式でフォトコンテストを行った。
来場者は平年の2倍になったという。
アンケートを分析、対策している。

来年はバスツアーを企画。
ニットを完成させる合間に、まちのおいしいランチやスイーツが
食べられる女性向けのツアー。

その集客方法として、フォトコンテスト応募者にDMを送る
とかいうマーケティング方法を披露。
それは純粋にスゲーって思った。
フォトコンテストをインスタ上でやる意味、みたいなの。
あとはプレスリリースをする、とかも言ってた。

ほんと、大学生の経営学部の2年次のゼミのプレゼンかなと思った
PDCAとか、SWOT分析とか、STP設定とか、
誰か先生が教えてるんだろうなっていうマーケティング用語が
随所に出てきたのはかわいかった。
まあでも、「ビジネスごっこ」だとしてもすげーなと。

~~~ここまでメモ

高校生はそんなことまでできるんだ!
っていうのはたしかに思ったし、
会場にいた多くの中学生やその親は、

「個別最適化」してくれて、
「コミュニケーション」しようとする先輩がいて、
「地域の団体・企業と一緒に青天井にチャレンジできる」
っていうのは、伝わったのだろうと。

しかし。
最後のプロジェクトに関して、
ひとつだけ指摘すれば、
これはある程度設定・設計されたプロジェクトだ。

1 誰と
2 いつ
3 どこで
4 なぜ
5 誰のために
6 何を
7 どのように

の中で、4 なぜ の要素は、地域サイドから出てきている。
もちろん地域の課題をジブンゴトにする、という観点からすれば
それはそれでいいのかもしれないけど。

成果の測り方も、数字そのものだ。
来客が何人伸びた、フォトコンテストの参加人数は何人、だ。

もうひとつの別の「価値」があるのではないか?
そして、それを問うことこそ、高校時代に必要なのではないか?

地域課題解決(デザイン)と自らが心から感じた問い(アート)の
真ん中にプロジェクトが作っていけないだろうか?

数値化できる「学校化」された価値ではなくて、
自らが価値だと認識する価値へと向かっていけないだろうか?

「探究」するっていうのは、そういうことなのではないか。

さまざまな「機会」を得ることで「対話」が生まれ、
「実験」したくなる題材が見つかる。
そのサイクルの中で、

「おおお!これは。」
と感嘆符なしでは語れない出来事が生まれる。
あとはその題材を探究・探求していくこと。
たぶんそういうことなのだろうと

百姓3.0
自らの仕事の価値は自らが決める。

そんな人材が育っていくための題材が、
この町にはあふれているのだけど、まだ眠っているだけだ。

今回の学びの最大のところは、
高校生がまちに魔法をかける、ということ。
高校生ががんばっていると、まちの人は応援したくなる。

高校生が編集し、発信すると、
その面白さに、みんながワクワクする。

そんな魔法の中に、
いつしかプロジェクトをやる高校生自身が入ってしまう。

それが、「夢中になる」っていうことなのではないかって思った。
夢中になる瞬間を、もっともっと作っていきたい。  

Posted by ニシダタクジ at 07:53Comments(0)日記

2019年11月16日

アートとデザインのあいだ

長岡で大正大学浦崎先生の講演があるので電車で移動。
電車内読書はこの本。

学校の「当たり前」をやめた。(工藤勇一 時事通信社)

すごい。
改革がすごいというより、問いを立てる力というか、
常識を疑う力がすごい。

以下、ビビっときた語録

学校という存在自体も手段の一つにすぎず、目的ではありません。

「関心・意欲・態度」は、目に見えない尺度だけに、評価するのが難しいものです。
そのため、宿題の提出量や授業中の挙手回数などをカウントし、それを評価に活用していることは珍しくありません。

そもそも学力をある時点で切り取って評価することに、意味があるのでしょうか。

担任制はなんのためにあるのか?

これまでの学校教育では、「規律」や「団結」が尊ばれ、私自身も、チームが一丸となって何か達成するといったストーリーに感動してきました。

人が社会で生きていくスタイルそのものがアクティブラーニングだからです。

社会でよりよく生きていけるようにするという目的に対し、寺子屋が最適な手段だった

~~~

と、こんな感じ。「そもそも、何のためにあるのか?」
ってすごい根本的な思想だけど。

からの大正大学浦崎先生の講義「地元回帰の人材育成」。



講義のあとのアリバイ作り写真。(笑)
講義に興奮して赤くなってます。
いや、ホントに行ってよかったなと。

事例として出てきた飯野高校。
生徒たちが主体的にガンガンと地域で活動していて、
先生たちは新聞を見てそれを知る、みたいな。

「観光列車を走らせたい」って思ったら
本当に実現させてしまう先輩を見て、後輩は奮起する、みたいな。

恋愛のように、夢中になる地域での活動。
たしかに、部活や遊び、恋愛を超えるワクワクは
地域で作れると僕も思う。

~~~以下メモ

なぜ「地域で探究」なのか?
社会に出たときに求められる力:よりよい提案・アイデア・プランを生み出す力
=仮説:AをするとBという結果が出るはずだ
仮説が正しければ結果を出せるが、仮説が間違っていれば結果は出せない。
⇒より正しい仮説を生み出す力」が必要

1 思いつきレベルの提案:実効性なし
2 妥当性がある提案:仮説(前提条件)の吟味を行う⇒実効性あり
情報収集・整理分析・まとめ・表現
3 実践して仮説を検証:解決プランの実践⇒解決プランの修正
⇒現場(地域)での実践が必要

これからの新卒採用

・社会人基礎力と学歴(偏差値)は相関しない(高校卒業時までに決まる)
・社会人基礎力は出身高校による差が大きい
・社会人基礎力を育成する力の高い高校の卒業者を採用したほうがいい

地域が稼ぐ力/地域で稼ぐ力
→仮説形成能力がつく:地域が検証の現場になる
地元企業が採用したい若者像
→地域と豊かに関わってきた高校生が有望
・元気で提案力がある
・人柄や能力を熟知している
・幅広い年齢層と関われる
地元に回帰する可能性
→大人との一体感がカギ
採用の視点が激変する可能性
→高校に焦点、地域連携に誠実なほど有利

Society5.0
狩猟→農業→工業→情報→AI

人間には容易だがAIには困難なこと
1 現場で「感じる」こと
2 問いを立てること
3 意味を味わうこと
→探究(自問自答)によって

・課題発見(問い)には、現場(地域)で感じることが必要
・感性には個性→探究テーマは高い個別性

習得すべき知識量も以前よりさらに増加
→「与えた知識しか頭に入らない」:指示待ち人間を量産
→「放っておいても自ら吸収する力」が必要:探究する態度・能力の育成

Society5.0
人間にしかできないこと「探究」
Society4.0
「知識」は瞬時に賞味期限切れになる
・「知恵を生み出す」力が必要
・「三人寄れば文殊の知恵」
・「徹底的に個性を伸ばす」ことが必要

「対話」の重要性(三人寄れば文殊の知恵)
主体的・対話的で深い学び
お互い思い切りとがっているほうがよいものがでる。

若者が帰属意識を持つ集団・場所
1 親近感・一体感をもてる人がいる
2 自分をそこで表現できた
3 自分がそこで成長できた
若者は自分に無関心な地域には戻ってこない。
信頼を寄せる大人から誘われれば喜んで参加し、一緒に挑戦し、表現・成長できる。

Society5.0時代の教育
一人ひとりの感性・興味関心に応じた探究。
公正に「個別最適化」された学びが必要。

「個別最適化」された学び:問いに当事者性がある
地域課題解決(地域素材×探究能力)
その真ん中にふるさと教育(担い手育成)をつくっていく。

1 何を理解しているか、何ができるか
2 理解していること・できることをどう使うか
3 どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか

高校生が地域の多様な大人とともに、地域の課題発見・解決にあたる
⇒関わり合いを通して、大人も地域も揃って変容する。

行政プロセスと学校のプロセス:
「教授」から「探究」へ。

「教授」:一方向、正解を持っている
・対話性が乏しく全体最適案・深い理解ができない
・委員(生徒)の当事者性や創造性は高まらない

「探究」:委員(生徒)からの問いを誘発する
・自分たちで考える
・対話性が高く、納得感の高い解に至る
・委員(生徒)の当事者性や創造性が高まる。

~~~以上メモ

「地域の課題解決」と「問いの当事者性」の真ん中に
探究をつくっていくこと。
ここは非常にその通りだと思った。

僕は少し表現が違う。
アートとデザインのあいだ。
「課題解決」って、むずかしいし、マイナスをプラスにするようなエネルギーが必要

だから「デザイン」なんだ。
縦割り社会で予算が削られていたら、
課題をそれぞれ単独で解決することはさらに難しい。

「まちの保育園」で、高齢の方が幼児の見守りをする、など。
課題と課題を組み合わせると、一方の課題は一方に対して資源だったりする。
そういうことだ。

もうひとつは「アート」、自分の当事者性のある課題、テーマ。
「表現したいこと」に出会うこと。

それには、地域が必要。
「お客に出会うこと」が必要なのだと思う。
「この人のために頑張りたい」と思える何か。

デザインは社会を出発点にして、アートは主観を出発点にしている。
そのあいだ。そこに探究テーマをもってくること。

なんか、見えてきたよ、なんとなく。  

Posted by ニシダタクジ at 08:28Comments(0)日記