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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2018年08月20日

「やりたいことは何か?」「何になりたいのか?」への違和感


「中動態の世界」(國分功一郎 医学書院)

3月に西村佳哲さんに聞き、
4月にブックスキューブリック箱崎店で購入し、
4か月寝かせておりましたが、
お盆に読んだ「日本文化の論点」(宇野常寛 ちくま新書)
でも言及されていたので、読み始めました。

こんどの週末に行われる
陸奥賢さん、江口歩さんとのコラボに向けて、
この本は読んでおいたほうがいいのではないかと。

この本は、中動態(いま、単語登録しました)
をめぐる旅。
考古学的言語学?人類学的言語学?
とでも言うのだろうか。

國分さんの語り口が、まるで名探偵のように
的を射ていて、とてもワクワクしながら読める。
この週末で第6章まで読みました。

ここらで少しまとめておこうかなと。

まずこの本は
「能動態」(する)と「受動態」(される)という現在の区分のほかに
「中動態」があったとするところから始まる。

~~~以下シビれたところを本書より引用(自分のメモ含む)

実は多くの言語が能動態と受動態という区別を知らない。

責任を負うためには人は能動的でなければならない。

責任を負わせてよいと判断された瞬間に、意志の概念が突如出現する。

完了は、時制であるにもかかわらず、態の区分に干渉する、ということである。

能動と受動の対立においては、するかされるかが問題だった。それに対し、能動と中動の対立においては、主語が過程の外にあるか内にあるかが問題になる。

アリストテレスは意志の実在を認識する必要がなかった。つまりギリシア人は、われわれが「行動の原動力」だと考えているものについての「言葉さえもっていない」のだ。

ギリシア世界には「意志」はなかった。能動態が中動態に対立している世界に「意志」はない。

おそらく、いまに至るまでわれわれを支配している思考、ギリシアに始まった西洋の哲学によってある種の仕方で規定されてきたこの思考は、中動態の抑圧のもとに成立している。

実在する一切のものには、その原因の一つとしての可能態が先行しているはずだという見解は、暗々裏に、未来を真正な時制とすることを否定している。

アレントによれば、未来が未来として認められるためには、未来は過去からの帰結であってはならない。未来は過去からの切断された絶対的な始まりでなければならない。そのような真正な時制としての未来が認められたとき、はじめて、意志に場所が与えられる。始まりを司る能力の存在が認められる。

選択は過去の帰結としてあるが、意志は、過去を断ち切るものとして責任に付随している。

選択は無数の要素の影響を受けざるをえず、意識はそうした要素の一つに過ぎないとしたら、意識は決して万能ではない。しかし、それは無力でもない。

能動と受動を対立させる言語は、行為にかかわる複数の要素にとっての共有財産とでも言うべきこの過程を、もっぱら私の行為として、すなわち、私に帰属させるものとして記述する。出来事を私有化すると言ってもよい。

「する」か「される」かで考える言語、能動態と受動態を対立させる言語は、ただ、「この行為は誰のものか」と問う。

出来事を描写する言語から、行為を行為者へと帰属させる言語への移行。

意志とは行動や技術をある主体に所属させるのを可能にしている装置。

私は姿を現す。つまり、私は現れ、私の姿が現される。そのことについて現在の言語は、「お前の意志は?」と尋問してくるのだ。それは言わば、尋問する言語である。

~~~ここまで引用

どんどん先を読み進めたいところなのだけど。

ギリシア世界には、「意志」は存在しないし、
それに伴って「未来」も存在しない。
過去からつづく流れの中で、状態(状況)としての今がある。

能動態‐受動態という言語体系は、
「この行為は誰のものか?」と問うが、
その問いはそんなに大切なのか?

大切だとしたら、それが大切とされるようになったのはいつからなのか?
そんな問いが浮かぶ。

そこで。
僕の興味ジャンルに、このことを
応用しようとすると、

小学生~大学生が向き合っている(向き合わざるを得ない、強制的に向き合わされている)
次のふたつの問いが浮かんでくる。

「やりたいことは何か?」
「何になりたいのか?」
この二つはまさに「意志」と「未来」を問う
質問なのではないか。

あたりまえだけど、
「言葉」と「世界」は相互に作用している。
「言葉」が「世界」を規定し、
「世界」が「言葉」を規定している。

だから、「やりたいことは何か?」
と問われれば、「やりたいことは何だろう?」
と考え、それに答えようとしてしまう。

でもさ、
そもそも、「意志」や「未来」が存在しないとしたら。
能動態と受動態の対立の世界に生きていなかったとしたら。

もしかしたら、そんなところに
これらふたつの問いの
違和感の正体があるような、ないような気がする本です。
いやあ、これだから本は面白いなあと思いました。

で、この本がどう週末のイベントに関係しているかというと、

陸奥さんのテーマは「コモンズ(共有地)デザイン」
江口さんのテーマは「越境」

大きな意味でふたりは、
「分ける」ということに対して、
チャレンジしているのではないかなと思った。

僕は、そのヒントが「能動態」と「受動態」の対立、
「行為者」や「意志」を確定させようとする言語というか
言語の変遷にあるような気がして、
まあ、たぶん水曜日までに読み終わります。

お楽しみに。  

Posted by ニシダタクジ at 08:48Comments(0)

2018年08月16日

「人」にフォーカスする本屋


「日本文化の論点」(宇野常寛 ちくま新書)

お盆読書。
宇野さんの本。
スラスラ読めた。
「メディア」屋の人は必読だと思った。
本屋もそう。

インターネットとはなんだったのか?
AKB現象とは何なのか?
「文化」の役割とは何か?
そんな問いを持っている人に読んでほしい1冊。

キーワードは「想像力」かなあ。

~~~以下一部引用

かつては、宗教がこの想像力の増幅器として機能して、「個」と「公」、「一」と「多」を結びつけていました(祭政一致)。しかし時代が下り、人々が精神の自由を求めるようになると宗教という装置は機能しなくなった。

その代わりに台頭したのが物語(イデオロギー)です。民族や国家の歴史を、個人の人生を意味づける「物語」として機能させることで国民統合を計る、という社会的回路がやがてヨーロッパを中心に標準的になります(国民国家)。

「自分は~民族である/~国民である/~党員である」という物語で、個人の人生の価値を保証することで、「個」と「公」、「一」と「多」を結ぶわけです。このとき大きな役割を果たしたのが新聞やラジオといったマスメディアの存在です。

とくに、すべての国民が同時に同じ番組に耳を傾けることのできるラジオの登場は決定的でした。20世紀前半はこのラジオの威力を用いて、国民の熱狂的な支持を集めることで急進的な独裁政権がいくつか生まれています。ナチス・ドイツやイタリアのファシズム政権がその代表です。

言ってみれば20世紀前半はマスメディアの進化が災いして、それが政治利用されファシズムが台頭し、世界大戦が二度も起こって危うく人生が滅びかけた時代です。

その反省から、20世紀後半の西側諸国では、マスメディアがいかに政治から距離を取るか、政治からの独立性を保つか、が大きな課題になりました。しかしその結果、今度はマスメディアの力が大きくなりすぎて国によっては民主主義が立ち行かなくなっています。

ではどうするか。答えは明白です。
マスメディア「ではない」装置によって「個」と「公」、「一」と「多」を結ぶ以外にありません。ソーシャルメディアがその役割を果たすのです。

これまでのメディアについての議論では、情報化の進行は主に誰もが発信者にも受信者にもなれること、つまり双方向性に力点が置かれていた。

たとえば映画というのは、実際には非常に能動的な観客を対象にしているメディアです。(中略)それに対して、テレビはかなり受動的な視聴者を想定したメディアと言える。より正確に言えば、ダラダラ見たいと考えている視聴者に対応できる番組構成が要求されている。

では、能動性/受動性という観点から考えたとき、インターネットはいかなるメディアだと言えるのか。いや、いかなるユーザーを想定したメディアだといえるのか。それはずばり、その中間です。より正確には、インターネットは映画よりも能動的に扱えるし、テレビよりも受動的に消費できる。

「ここで重要なのは、人間というのはそもそも映画が想定するほど能動的でもなければ、テレビが想定するほど受動的な生き物でもないという点です。」

仮に映画が想定している人間の能動性を100、テレビが想定している能動性を0として考えた場合、人間は0から100のあいだを常に揺れ動いている(あるいは100以上や0以下にもなる)存在です。僕の考えでは、ここにインターネットというメディアの本質があります。

これまで(20世紀)のあいだは情報技術が未発達だったために、人間本来の姿、つまり常にその能動性が変化する主体としての性質に対応することができずに、(能動的な)「観客」や(受動的な)「視聴者」といった固定的な人間像を「想定するしかなかった」と考えるべきでしょう。

人間を二元論的に捉えることが困難になっている。20世紀後半の人間観というのは「能動的かつ理性的な主体=市民」と「受動的かつ感情的な主体=動物」というふたつの側面から人間を捉えようとするもので、前者に対しては規律訓練によって、後者に対しては環境管理によって対応しようとしてきた。

これまでは技術の問題で、人間を中動態として考えることが非常に困難だった。しかし、テクノロジーの発展によってインターネットが登場したことで、僕たちは中動態としての(本来の)人間を可視化することができるようになったわけです。

だからこそ、インターネットについて考えるということは、単にメディアの変化を考えるということに留まらず、「人間という存在をどのようなものとしてイメージしていくことが可能か」という非常に巨大な問いにつながっていくのです。

「若者の街」渋谷から「埼玉の首都」池袋、「サブカルの聖地」下北沢、「オタクの聖地」秋葉原、など特定の都市が若者文化を代表することがなくなり、それぞれのトライブごとに街々がすみ分けるようになってきた。

「秋葉原」という街は若者たちが自分たちの力でー「~が好き」という気持ちで、そこを自分たちの場所に変えていく空間として機能していたからです。

アニメの「聖地」。普通の人にはなんでもない場所が、そのアニメのファンにとっては特別な場所になる。ここではオタクたちがその想像力でなんでもない場所を「意味」と「歴史」を与えている。

かつては「地理」が「文化」を生んでいた。「この町には~な産業が発達した歴史があって、そのために・・・系な施設や商店が多い」云々、といった形式で地理が文化を規定していた。しかし、現代は逆です。文化が地理を規定している、と言えます。

今もオタクたちは郊外のショッピングモールや、ありふれた田舎の駅前の「風景」を自分たちの力で着々と「聖地」に変えていっているのです。

サブカルチャーの歴史とは、半ば創作者であり、半ば消費者である人簿とのコミュニティーたとえばインディーズ作家たちとそのファンたちのコミュニティから文化運動が発生していく、という現象の反復です。

情報化が進行するとコンテンツ(情報)自体でなく、それを媒介としたコミュニケーションこそが価値を帯びる。これはコンテンツビジネスのあり方を根本から書き換えかねない、極めて大きく本質的な変化ななずです。

ゲームというのは、究極的には手段と目的のバランスに介入して、イコールに近づけることで快楽を生むものです。つまり、ゲームを攻略することは手段であると同時に目的でもある。RPGをプレイするとき、レベル上げやアイテムの探索自体が面白くなければならない。

すべてが自己決定=実力で決定されてしまうゲームは攻略の方法が明確に存在するため、人はすぐ飽きてしまう。対してすべてが運で決定されてしまうゲームもまた、人は攻略(介入)の余地がなくおもしろみを感じないのです。

徹底してフェアでオープンな自己決定と、徹底して偶然性に左右される運命。このともに現代社会において信頼を失って久しいもの(そして一見相容れないもの)を奇跡的に両立させている。それが、AKB48の本質なのだと思います。

AKB48も若手芸人たちのM-1グランプリなどの番組も「ゲーミフィケーション」(ゲーム化)の流れの中で、「大きなゲーム」として機能している。
1 個性的なシステムを持つ番組(ゲーム)をプレイすることで魅力が引き出される
2 ゲームの中にいる複数のプレイヤーのうち誰を応援するかは自由

「政治と文学」つまり、「社会と文化」「世界と個人」「システムと内面」がうまく結びついていない。
近代的な(大きな)「物語」が機能しなくなったときの、その代替物としての大きな「ゲーム」の可能性。

<昼の世界>からは見向きもされない<夜の世界>で培われた思想と技術ーここにこの国を変えていく可能性が詰まっている。

<昼の世界>と<夜の世界>のパワーバランスは圧倒的に<昼の世界>。
<夜の世界>が勝っているのは、目に見えない力、つまり「想像力」。<昼の世界>の住人達が思いつかないアイデアやビジョンを見せることで彼らを魅惑して、ワクワクさせて、味方になってもらう、「推して」もらうしかない。

~~~ここまで一部引用

と、またしても引用しすぎ。
ホント、買ってください。笑

AKBとアマゾンが「ロングテール戦略」を取っているという点で
似ていること。

変革を起こすときは、
平氏的アプローチじゃなくて、源氏的アプローチで。

みたいな。
エッセンスの詰まった1冊でした。

序章を読むだけでも、
メディアの変化と歴史について、
なかなか大きな示唆があります。

僕が感じたのは、
「本屋」という「場」、
あるいは小売業という「場」がこれから
どうなっていくのか、っていうこと。

お店が「メディア」であるとすれば、
(僕はそう思っているのだけど)

「ここで重要なのは、人間というのはそもそも映画が想定するほど能動的でもなければ、テレビが想定するほど受動的な生き物でもないという点です。」

たぶんココ。
ここに対応できるツールがインターネットであると
宇野さんは言う。

だから、たぶん、ここの部分を
SNSなどのツールを使って、
本屋というか「お店」がデザインできればいいのだろうと。

おそらくはこれが
今流行っている「ファンクラブ」的なビジネス
になっていくのだ。

ツルハシブックスの「サムライ」制度は、
まさにそのあたりをついていたのだなあと。

この本を読んで、
AKB48的なビジネスの「仕組み」が
やっと読み解けた。
そう読めばいいのか、って思った。

だから、AKBを「総選挙」だと思って、
その手法だけ真似する「総選挙」的なものが世の中にあふれているのだけど。
それは、消費者という主体としてのあなた(の1票)に
フォーカスしているという点では同じだ。

AKBの神髄は、「会いに行けるアイドル」、つまり、
秋葉原の専用劇場に行けば、毎日公演をやっていて、
そこで見れるばかりか、CDについている「握手会参加権」を
行使すれば推しメンと握手ができることだ。

それは、AKBというゲームに自分自身が
「参加」「登場」し、かつゲームの行方に
影響を与えられる、ということである。

そこの意味を理解せず、
「総選挙」という手法だけを真似しても、
AKBほどのビジネスにはならない。

僕は、これからの小さな小売業は
「参加」だけではなく、「ケア」が必要になると思っている。

たとえば、古本屋さんにいて、
「この本はあの人が必要としそうだ」
と思い、購入して店頭に並べる、とか。

この商品は仕事で疲れて
1人暮らしの部屋に帰ってきたときの
こういうシーンで飲んでほしいとか。

それを参加者と一緒に考えていくような、
そんなビジネスになっていく。

そもそも「本屋」っていうのは
そういうビジネスだったのではないか。

本を見ていて、誰かの顔が浮かぶ。
誰かの生活シーンが浮かぶ。
その先の未来を想像する。

宇野さんが最後に

<夜の世界>が勝っているのは、目に見えない力、つまり「想像力」。<昼の世界>の住人達が思いつかないアイデアやビジョンを見せることで彼らを魅惑して、ワクワクさせて、味方になってもらう、「推して」もらうしかない。

こう書いているように、
キーワードは「想像力」だ。目に見えないものに思いを馳せること。

これからの本屋は、そんな想像力を持って、
「人」にフォーカスして、本を並べていくこと。
お客さんが「参加」できる仕組みをつくること。

たぶんそんな感じ。

サムライ制度とか
暗やみ本屋ハックツとか
いい線いってるわ、と改めて思った読書でした。

宇野さん、素敵な本をありがとうございます。  

Posted by ニシダタクジ at 08:01Comments(0)

2018年08月13日

17歳に贈りたいマンガ

茨城県日立市の高校で
「ジブンハックツ」という企画が進んでいる。

高校生自ら商店街を訪ねて、
高校生に贈りたい本を集めてくる。

この「高校生に贈りたい本を1冊」というテーマは、なかなか深い。
双方の想像力が問われる。

自らが高校生の時に読んで感銘を受けた本を
オススメする場合もあるし、
「もっと早く読んでおけばよかった」
という本もあるし、
いま、よく売れていて、
高校生に読んでほしいなあと思う本もあると思う。

昨日、
「覇王伝説タケル」というマンガを読み直していた。

久しぶりに読んだら感動しちゃったよ。

ストーリーはいたってワンパターン。(笑)

裏切り続けて、恐怖政治を敷く
人を人とも思わない悪役と戦い、
信と義によって、仲間を増やし、
最終的には天下を取るというストーリー。

当時週刊少年マガジンで連載。
毎週それが楽しみで、コンビニで立ち読みした。

今回読んでみてのハイライトは
19巻の葵四迷が、
自分はニセモノのインチキ軍師
だと告白するところ。

それに対して、タケルは言い放つ。
ニセモノか本物かはどうだっていいと。
おれ自身がニセモノかもしれない、と。

「目の前にやらなきゃいけないことがあった時、
それが王の子であろうとなかろうと関係ねえじゃんか」
と。

いい。
これいい。
17歳に送りたいマンガだわ。

僕は当時きっと、
このマンガを読んで、
「使命」とか「志」とかを学んだ気がする。

他にも
「SHOGUN」と「沈黙の艦隊」
はまさにそんな本だったなあ。

17歳に贈りたいマンガ展、やってみようかなと思った。

それぞれの世代に、それぞれの人生を動かしたマンガがある。
それを集めるのっていいかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 08:15Comments(0)

2018年08月10日

「若さ」という機能

「今の大学生っていろいろ考えててすごいなあと。
僕が大学生の時なんて、ただ遊んでいただけで何も考えてなかった。」

トークイベントなどをしていて、最近違和感を感じる発言。
そんなの当たり前じゃんって。

そして、その発言をした人は、
その大学生と同じ地平に降りてないっていうか、
安全地帯から発言してるっていうか、
僕と君は違うから、って予防線を張っているっていうか、そういう感じ。

昔の大学生よりも今の大学生のほうが優れている。
それは、携帯電話と同じだ。

今の大学1年生は、携帯で言えば、
iphone7みたいなもんだ。
最新の機能(顔認識とか)がついている。

そう考えれば、
今の20代半ばの人たちなんて、
iphone3みたいなもんだよ。
もはや化石だよ。笑。

40代な僕らなんて、
大学時代は携帯電話すらなかった時代
(その頃広末涼子がポケベル宣伝してた)

だから、
僕は、若いというだけでむしろリスペクトというか、
その話を注意深く聞いたほうがいいと思う。
今の最新の感性は何にヒットしているのか、
学んだほうがいいと思う。

高校生に至っては、iphone10みたいなもんだから
より鋭くなっているはずだ。
少し年下の世代を見つけて、
説教したくなるとおじさんになったというらしいのだけど、
(それは大学生でもなってしまうらしい)

「若さ」という機能(つまり感性)に
もっと耳を澄ませてみることが大切なのではないかと思う。  

Posted by ニシダタクジ at 09:02Comments(0)日記

2018年08月07日

創造力の翼

電車旅。
3冊同時読書。


「一緒に冒険をする」(西村佳哲 弘文堂)
つくばの江本珠理が絶賛していたので積ん読だったのを呼び出してきた。
(大阪・スタンダードブックストアで4月に購入)


「市場って何だろう」(松井彰彦 ちくまプリマー新書)
(甲府・春光堂書店で7月に購入)


「芸術論」(宮島達男 アートダイバー)
(先週、金沢21世紀美術館で購入)

の3冊を同時並行読み。
ちなみに、坂口恭平「隅田川のエジソン」(幻冬舎文庫)
もなぜかカバンに入ってたので読んだ

素敵なタイミングで、
素敵な本に会うなあと思った。

西村さんの本では、
本城慎之介さんの話が響いた。

楽天副社長から、
学校づくりへとシフトする中で
軽井沢の森のようちえんにたどり着き、
そのスタッフをしながら、学校を構想している。

「森のようちえん ぴっぴ」のエピソードがすごい。
子どもはみんな、知っているんだって。
どうやって決めていったらいいのか。
ケンカになったとき、
誰かが泣いているとき、どうしたらいいのか。

答えのない問いへの対応を知っているのだ。
まず、輪になって語る。
ひとりひとりの顔が見えるように。
ひとりひとりが当事者であり、
ひとりひとりが大切である、っていうこと。

そういうのって子どもは知っているんだなと。
いつの間に忘れちゃったのだろうか。

最後に登場する内野加奈子さんが言っている。

~~~ここから引用

私は日本の教育のネガティブな恩恵を直に受けていたなと思います。
「答えがある」という教育。正しい答えがあって、
ちゃんと調べて勉強してゆけばそこに辿り着ける、
という教育をずっと受けてきたと思うんです。

そこから離れるのに少し時間がかかった。
航海術を教わっていたとき、ナイノアに
「僕は君に情報は与えれるけど、知恵はあげることはできない。
機会はあげられるけど経験はあげることはできない。」
と何度も言われた。

「それは自分でやらなきゃいけない作業なんだよ」
ということを教えてもらった。

自分が知ったことを人に伝えることはできる。
けど「体験する」には、本人が自分で動いていかないと。
やっぱり身体を使って感じることが、すごく大切だと思います。

~~~ここまで引用

そうそう。
本当は「答え」などなくて、
「機会」のみが差し出すことができる。

そういうこと。
その機会を生み出すのが「市場」だ。

「市場はヒトとモノ、ヒトとヒトをつなげる場である。
作品(アート)にも市場が必要だ。
市場がなければ僕たちは素晴らしい作品(アート)に出会えない。
それまでお互いに知らなかった人同士が市場を介して
突然結びつく。そのこと自体が市場の力だ。」(「市場ってなんだろう」本文より)

そして、重要なのが自立と依存についての記述
依存先が十分に確保されて、特定の何か、誰かに依存している気がしない状態が自立だ。
たしかにそうだなあと。
特定の何かに依存していると不自由だもんね。

そして最後に、「芸術論」。
これには、シビれるフレーズがたくさん掲載されている。

~~~ここから引用

はっきり言って、「絵で飯は食えない」。誰もがわかっていることだが、
「プロのアーティスト=絵で飯を食う人」という幻想を持ち続ける者は意外に多い。

元来、アートは職業になじまない。職業とは誰かのニーズがあり、
それに応えて初めて成立するものだ。ところが、
アートには他者のニーズがなく、
自らの思いをカタチにするだけだから、そもそも職業とはなり得ない。

ピカソのように絵で食える人は、全体の1パーセントにも満たず、
宝くじを当てるより難しい。したがって、食える/食えないは、
まったくの偶然であると言っても過言ではないのだ。
アーティストはそんなギャンブルのような賭けに、
自分の人生やアートを翻弄されてもいいのだろうか。

私は、アーティストは自分の生活を自分で支え、
なお、自らの思いを納得するまでカタチにし、他者に伝える人間だと考えている。
こう考えていけば、アーティストとは職業ではなく、むしろ生き方になってくる。

アーティストという生き方を選べば、じつはもっと自由になる。

アーティストという「名詞」を目指すのではなく、
アーティストという「形容詞」の生き方を目指してほしい。

~~~ここまで引用

「アート」を「本棚」に「アーティスト」を「本屋」に替えても、同じだろうな、と。
本屋という「形容詞」の生き方を目指す。
たぶんそういうことだ。

この3冊は、まったく別々なようで、
僕が編集すると、
すべて、ひとつのところに向かっているように思う。

「答え」はないということ。
「場」をつくるということ。
「表現」するということ。
「問い」があるということ。
そして、「本屋」である、ということ。

そういうものとして、この3冊を読んだ。

本って素敵だ。

機会しかない。
ヒントしかない。

それをどう学びに変えるか、
力に変えるか、は読んだ人次第だ。

そんな、目的のあいまいな読書をしてしまうような、
興味関心の罠がたくさん仕掛けられているような、
次の世界への扉が無数に存在するような、

そんな本屋になりたいなあ。

最後に「芸術論」から一言。

絵が描けなくても、モノが作れなくても、創造力の翼で芸術家になれるのだ。  

Posted by ニシダタクジ at 08:32Comments(0)

2018年08月06日

「消費財化」という思考停止の罠

「働き方」から「暮らし方」へのシフトが起こっている。
大げさに言えば、「あり方」へのシフトが始まっている。

西村佳哲さんは著書「自分をいかして生きる」の中で
こう語っている。

以下参考ブログ
http://hero.niiblo.jp/e484009.html
(17.2.13東洋的キャリアのつくり方)
http://hero.niiblo.jp/e484019.html
(17.2.14対話型キャリア形成)
http://hero.niiblo.jp/e484047.html
(17.2.17発酵しながら生きる)

~~~あらためて引用

でも本人の実感以外のところから、まるで倫理や徳や常識のように語られる
「働くことは喜びである」といった言い切りには同意しきれない。

それが〈自分の仕事〉ならむろん働くことは喜びになると思うが、
そう思い込まされるようなファシリテーションが社会に施されているとしたら?

そもそもこの、働くことはよいことであるという考え方は、
人類史の途中から姿をあらわしたものだ。
その時々の為政者や権力によって人々に与えられてきた痕跡も見受けられる。
これは労働文化史の領域では決して斬新な視点ではない。

働くことをよしとする価値観は、近世のヨーロッパで生まれ、
キリスト教と産業革命を足がかりに世界へ広がった。

労働や働くことをよしとする考え方は、
共産主義においても資本主義においても機能した。
それは都市化・数量化・産業化の流れに沿って広がった
近代以降の価値観であって、それ以前の社会には、実はあまり見られないという。

人は、より生きているという実感に喜びをおぼえる。
仕事はその感覚を得やすい媒体のひとつである、というだけのことだ。

ただ働くことだけが、わたしたちの生を充足させるわけじゃない。
価値観の形成過程に誘導性も感じられるので、
このことについては、むしろ慎重でいたい。

~~~ここまで引用

そう。
仕事はその感覚を得やすい媒体のひとつである、
ということだけなのだ。

その上で西村さんは
目に見えている仕事を島にたとえ、
そこの目に見えない部分には、

それを支える知識・技術
さらにその下の考え方、価値観
さらにその下にあり方、存在があると説明した。

そう。
西村さんが言っていた「働き方」は
「あり方、存在」を問いかけるようなものだった。

今や、「働き方」が消費財となってしまった感がある。

というか、この社会は、
あらゆるものを消費財としてしまう。

ノマドワーカー。
コワーキング。
パラレルキャリア。

いまや、「働き方」そのものがビジネスとなっている。

そんな中。
イナカレッジインターンが問いかけるもの。
それは「暮らし」であり、「暮らし方」だ。

まあ、「暮らし方」に関しても、
うっかりしていると、「ていねいな暮らし」みたいな
キーワードで消費財化してしまう。

消費財化が別に悪いわけではないのだけど、
その答えを自分の中に求めずに、
他者の考えを取り入れたり、何かを購入することによって
達成できると思うような思考になってしまうことは、
長期的に見れば、本質的には不安なままである。

http://hero.niiblo.jp/e487798.html
「働き方」と「暮らし方」(18.7.23)

イナカレッジの説明会に来た大学生に響いた
キーワードは「暮らし方」だった。

そう、「働き方」は「暮らし方」に包括されている。
そして、暮らしをまず見つめたいということだった。

そういえば、「イナカレッジ」は、2004年10月
新潟県中越地震の復興を目的とした団体が母体だ。

団体がやってきたことは、
よそ者がデザインした計画を押し付けるのではなく、
中山間地の暮らしに寄り添いながら、
「復興」そして「地域の未来」そのものを共に考え、
共に汗を流すことだった。

そこに共通するような「答え」は存在しない。

対話を通して、活動実践を通して、
仮説をつくり、実践して、検証を行い、
また新たな仮説を立てる。
その繰り返ししかない。

たぶん「暮らし」ってそういうものだ。
そもそも不確定要素が多すぎるし。

おそらくは
「働き方」っていうのも同じなんだよね。

ところが、これまで、
というか西村さんも上に書いてあるように

「働くことは美徳である」的な価値観を、
教育によって植えつけられている自分たちは、
「働き方」にさえ「答え」があるような気がして、
「正解」を探してしまう。

それはたぶん思考停止の罠だ。

「暮らし」には正解がない。
「仮説」を立てるには、「感性」を発動させて、
自然の声、住民の声を聴かなければならない。
考え続けて、仮説を検証し続けなきゃならない。

それは終わりのない道だ。

でも、たぶん終わりなんてないんだ。
「価値」とは何か?を問い、
それを「誰に」届けるべきか?
それが仕事であり、
暮らしは「価値」を自分や家族にとどけることだ。

そんな答えのない旅への第1歩となるのが
「暮らし方」インターンなのかもしれない。
なんか、いいネーミングないかなあ。

http://hero.niiblo.jp/e487730.html
これまでの「物語」をつなぎ、これからの「物語」を始めていく(18.7.11)

「保田小魂」に匹敵するような
キーコンセプトを必要としている。  

Posted by ニシダタクジ at 08:35Comments(0)アイデア

2018年08月03日

「少数派である」ということ

少数派であるということ。
それは多数派ではないということ。
その意味でしかない。

少数派は、異常ではない。
多数派が正常ではないように。

でも、不安になるんだよ、少数派は。
多数派はなぜか自分たちが正しいと思っちゃうんだよ。

「学校」っていうシステムは、
「多数派」を作ってきたのではないか。
「少数派」もしくは「ひとり」にとっては
生きづらいシステムを作ってきたのではないか。

「社会」の中においていつも人は、
「アイデンティティ」(自分らしさ)不安にさらされている。

それを、
「多数派」が支配する社会は、

マズローの欲求5段階説が説明するように、
生理的欲求⇒安全欲求⇒所属と愛の欲求⇒承認欲求⇒自己実現欲求

「所属と愛」を会社と家庭で満たし、
(満たすようなシステムをつくり)
人を「多数派」にしてきた。

しかし、いま、その前提が崩れているのだ。

人口が増え続けること。
地方や他国から搾取し続けること。
そのような条件下にのみ、
そのシステムの維持は可能であったのではないか。

だから、
会社や地域といったコミュニティは溶解した今。
承認不安と同時に、所属の不安を感じている。

つまり、マズローの3段階目以降が溶け出している、
とも言えるだろう。
自己実現と、承認と所属が
それぞれを前提とせずに絡み合っている。

この春から自由の身となって、
自分とは何か?という問いを
大学生並みに問いかけている。
過去を振り返ったりしている。

昨日も金沢で20年ぶりに再会した谷内くんと
地域のプラットフォームについて話していて
なんか、1週間ぶりにあったかのような会話で
なんだかうれしかった。




僕は「畑は人と人をつなぐ」と直感して畑をやり、
不登校の中学生シンタロウに出会って問いをもらい、
小学生と神社で遊んだり、大学生の挑戦の舞台をつくったり、
試行錯誤の結果、本屋になった。

やってくる大学生の悩みを聞いて、
また問いをもらい、
その問いを解き明かしたいと大学職員をやってみた。

「やりたいことがわからない」の社会学
がテーマだ。

思想的には、
大学時代に出会った宮澤賢治先生の「芸術家であれ」
というメッセージと
自然農実践家の沖津一陽さんの
「ダイコンがダイコンを全うするように私は私を全うする」と
「小説吉田松陰」に書かれていた野山獄のエピソードでの
「学びあいで希望が生まれる」
が僕の中で大きい。





今回の旅は、
七尾で行われた高校生と大学生の座談会的なものの見学でした。

振り返りの時間も担当させてもらいました。

「予想できた」「予想できなかった」
「よかったこと」「わるかったこと」
マトリクスの振り返りをした。

大切なのは
「予想できなかったよかったこと」で
その人しか知らない(気づかない)具体的なエピソードが
出るということ。

参加者のこの人に、こんなことを言われた。
とか
あの時間にあの子、いい顔してた。
とか

そういうことが出てくること。
それこそがイベントの「価値」なのだ。
そしてそれを出すためには、
ひとりひとりの「顧客」にもっとフォーカスしなければならない。

僕は本屋(本を売っている)であり、
現代美術家として、「本屋のような劇場」をつくっていて、
高校生、大学生、20代社会人といったキーワードでの
場の設計者であったりファシリテーターであったりする。

キーワードは、
「少数派」であり、「ひとり」かもしれないと思った。

多くの人が「ひとり」であり、「少数派」である。
しかし社会システム、学校システムは「多数派」を要求してくる。
そのほうが効率的だからだ。

でもそれって、
「効率的」が価値を持つ時代、社会にのみ有効なのではないのか。
所属の欲求、承認の欲求、自己実現の欲求が溶け出しているいま、

僕は本屋として、現代美術家として、場の設計者・ファシリテーターとして、
「機会提供」を続けていこうと思った。

ある人に、「機会提供」の結果に責任を持たないのことは無責任じゃないのか?

という問われた。
それは少数派だから、そう言われるのではないか。

多数派な学校教育であれ、その機会提供の責任は同程度にある、つまりいずれも責任はあまりないのではないか。

と僕は思っている。

そんな誕生日の朝です。
新しい1年もよろしくお願いします。  

Posted by ニシダタクジ at 05:44Comments(0)日記

2018年07月28日

「越境」と「コモンズデザイン」と「オープンマインド」

新潟お笑い集団NAMARAの江口歩さんと再会。


8月25日(土)に開催する
「まわしよみ新聞」陸奥賢さんとの
スペシャルトークイベント@ほんぽーとの打ち合わせ。

イベント概要はこちら

「まわしよみ新聞をつくろう」出版記念クロストーク

8月25日(土)@ほんぽーと(新潟市中央図書館)多目的ホール
17:30 開場
17:45 開始
19:15 終了
出演:陸奥賢×江口歩×西田卓司
参加費:1500円

また、その日の昼間には
「開発者の陸奥賢直伝!まわしよみ新聞@新潟」
を開発します。

8月25日(土)@東地区公民館304講義室
13:30 開場
14:00 まわしよみ新聞開始
16:00 終了・ほんぽーとへ移動
直伝:陸奥賢
参加費:1,000円

※学生は500円引きです。
※昼夜の通し参加は2,000円です。
※「まわしよみ新聞をつくろう」をすでに持っている方、その場でご購入の方も500円引きです。

「新聞を活用した教育」(NIE)としても、
全国各地で開催されている「まわしよみ新聞」。

僕も茨城大学の課外活動として何度かやってました。
コミュニケーション・デザインのツールとして、非常に魅力的です。

さて。
昨日、江口さんに陸奥さんの活動を紹介していて思ったことを。

まず、江口歩さんは、
「お笑い」「エンターテイメント」という切り口で、
「越境」してきた人。

教育、福祉、医療といった分野の境界を飛び越えて、
心理的なバリアやこれまでの常識を揺るがしてきた人、
そして、その射程は広いというか、
学校で普通に授業したり、大きなイベント会場でトークしたり、
とその活動場所は、「誰でも来れる」ような場所だ。

つまり江口さんは、「越境」というか、
「境界を溶かして」きた人だと言えるのかもしれない。

それに対して、
「コモンズデザイン」を提唱する陸奥さん。


(應典院秋田さんと)

コモンズとは、江戸時代で言えば、「入会(いりあい)地」のこと
たとえば、里山。

A村もB村もそこに隣接していて、
薪や山菜やきのこを取りに行く。
決してとりすぎない。
そして旅人が来たら、少し渡す。
そんなあいまいな「コモンズ」があった。

明治以降、「国民国家」をつくるプロセスの中で、
だんだんとそのあいまいさが失われていった。
と同時に、地域コミュニティを解体していった。

これからは地域ではなく、日本という国が、
ひとりひとりが「生き延びる」ための
サービスを提供するから、と。

廃藩置県もそうだし、
平成に入ってからもあった市町村の合併もあった。
地域コミュニティから人々切り離され、頼れるものがなくなった。

そして、「コミュニティ」の再構築が叫ばれるようになった。
「コミュニティデザイン」という言葉も生まれた。

しかし、「コミュニティだけでいいのか?」
と陸奥さんは言う。

「コミュニティ」はもともとは、
生き延びるための方法論だったから、
構成員をいかにして食わせるか。
というベースに立っている。

したがって、だんだんと閉鎖的になり、
慣習ができ、そこに従わない人は排除されるようになる。

僕のような「コミュニティ難民」はだんだんと居場所がなくなる。
そんな時に、「コモンズ」の出番だ。
コミュニティ同士のあいだにある共有地としての「コモンズ」。

そこには、コミュニティにはない「恵み」がある。

おそらくそれは、昔でいえば、食べ物などの自然資源
現代でいえば、知恵などの知的資源、あるいはプロジェクトなどの活動資源
なのかもしれないなと。

えっ。
それって本屋こそがなり得るんじゃないの?

ってすぐに「本屋」教の信者な僕は考えてしまう。(笑)

まあ、それはおいといて。

「コモンズデザイナー」の陸奥賢さんは、
さまざまな「オープンソース」を開発して、
「コモンズデザイン」を試みてきた。

その代表作が「まわしよみ新聞」だ
http://www.mawashiyomishinbun.info/

その他にも
当事者研究スゴロク
https://tk-sugoroku.jimdo.com/


直観読みブックマーカー
http://tyokkannyomibookmarker.info/
などを新潟では開催してきた。

最近では銭湯で短歌を詠む合コン、歌垣風呂が話題だ。

僕は、陸奥さんの活動の魅力は、「オープンマインド」、
つまり、気がつかないうちに心を開いている、ということだと思う。
「心を開く」というのは、言葉でいうほど簡単ではない。

でも、「まわしよみ新聞」をやって人ならわかると思うけど、
新聞を切り抜いて、なぜその新聞を切り抜いたのか?
をみんなが語り、かつその記事をみんなで体を動かしながら
1枚の壁新聞につくり上げていくというアクティビティの中で
気がついたら「心が開いていく」のだ。

今回、著書「まわしよみ新聞をつくろう」(創元社)
https://www.sogensha.co.jp/productlist/detail?id=3876
の発売に合わせての出版記念キャラバンを新潟県内で行っている。
そのメインイベント@新潟市が8月25日の企画であり、
江口歩さんとのコラボだ。

「お笑い」「エンターテイメント」という切り口でさまざまな
ジャンルを越境してきた江口さん。

「コモンズデザイナー」として、
オープンソースなツールを作り続け、実践している陸奥さん。
それをコミュニティ難民な西田がクロストークでつないでいけたらいいなあと思います。

8月25日(土)、よろしくお願いします。
前日は内野で何かやっている、かも。  

Posted by ニシダタクジ at 06:06Comments(0)イベント

2018年07月26日

「本屋である」ということ

7月21日(土)
アルプスブックキャンプ@木崎湖




とっても素敵な空間が広がってました。
「本の処方箋」も大好評でした。

その前日、7月20日(金)
カリカリブックス(仮)@伊那市駅前のミライ会議。





現在大学4年生である
店長のちあきちゃん、副店長のひかりちゃんと、
この3月まで高校生ユーザーだった
大学1年生のゆうなちゃんと
おじさん3人の計6人でミーティング。

ついつい、来年以降の話となると、
「どうやって運営していこうか?」
っていうHOWの話になっていくので、
ここは、基本に返って、WHYから始めてみる。

なぜ、ちあきちゃんは本屋を始めたんだっけ?

おもに高校生に本を読んでもらうことで、
「こんな世界もあるんだ」って知ってもらいたかった。

なぜなら、自分自身が
大学生になってから本を読んで、
世界が広がったから。
世界の見え方が変わったから。

166%を達成したクラウドファンディング
https://camp-fire.jp/projects/view/12480
を実施し、2017年にオープン。
以来、たくさんの高校生が訪れ、
メディアにも掲載された。
そのWHYに立ち返る。

そして、カリカリブックス(仮)の名前に込めた思い。

~~~ここから

カリカリブックス(仮)をきっかけに、多様な本や商店街の人に出会った高校生が、
いろんな好奇心を持って「やってみたい!」って言ったら「やってみようよ。」そう言える、そんな場にしたい。
「やってみよう」から、たくさんのことが学べるし、考えるきっかけを生むことができると思うから。
カリカリブックス(仮)の由来もそこにあります。
仮でもいいから、「やってみよう」ができる場にしたい、そういう思いが込められています。
だから、(仮)も含めてこれが正式名称です。

~~~ここまで

それを実現していくために、どうしたらいいのか?
ひとつ出た案は、
「プロジェクト化する」というもの。

これはツルハシブックスもやった方法なのだけど、
本屋を継続して経営(運営)するのではなくて、
期限を決めた「本屋プロジェクト」として
プロジェクトチームをつくるというもの。

「ツルハシブックス」は
店員サムライという制度によって、
半年ごとの「本屋プロジェクト」として運営されていた。

プロジェクトとは、
「新たな価値を創出する有期的な(期限のある)業務」のこと。
つまり、プロジェクトを設定するとは、
「顧客」「価値」「期限」を決めること。

これからの一定期間(期限)、この本屋は
「誰に」(顧客)「何を」(価値)提供するのか。
それを決めて、
期限までそれを目指して取り組むこと。

まさに
それはカリカリブックス(仮)の名前のとおり、
「ひとまず決めて、やってみる」ということなのかもしれない。
「本屋」という実験を行うことなのかもしれない。

そんなふうにプロジェクト化するって、
特に大学生がかかわることには重要だと思った。

そしてもうひとつ。
ミーティングに参加していた土田さん。
土田さんは普段はデザインの仕事をしていて、
それをやりながら、数年前に
「ブックカフェ3日間」を立ち上げた。

駅前の喫茶店を金土日だけ借りて、
ブックカフェにするというもの。
喫茶店の看板を裏返すと
「ブックカフェ3日間」の看板になってた。

そんな土田さんは
今やデザインの仕事が忙しくなり、
3日間のブックカフェも難しくなった。

いまは、週1回のマルシェの日に、
小さく本を売っているという。
名付けて「ブックカフェ3時間」(笑)

それでも土田さんは
「本業は本屋なんです。」と語る。

そして、次の一言に衝撃を受けた。

「古本屋」っていうのは「本の一時預かり」のことだ。
誰かのためにこの本をキープしなきゃ、と思うから本を仕入れ、
誰かが買ってくれるのを待つ。
それがいつなのかわからないけど。

一時預かり、か。

確かにそうかもしれない。
いや、古本屋だけじゃなくて、新刊書店だって、
その本質は「一時預かり」なのかもしれないと。

そう思うと、自分が大切にしてきた宝物のような本にも、
値段をつけて、本棚に並べてみたくなった。

生き方としての「本屋」
「本屋であるということ」
それは、「本の一時預かり処」として生きる、
というコトなのかもしれない。

21日のアルプスブックキャンブでも
たくさんの人が「本の処方箋」に参加してくれ、
本を買って行ってくれた。

僕が大切にしていた本を
(惜しげもなく=表現おかしい)手に取って、
買おうとする人には、
「え、それ買っちゃいますか?」(でもお目が高いね)
と戸惑った。

でもそこは、
本屋は一時預かりだから、と言い聞かせて、
なんとか平常心を保った。(笑)

「本屋である」ということ。

月曜日、本屋応援サービス「リトルスタッフ」の管野さんと
熱海でトドブックスを展開する村松のとっくんとお茶した。


「リトルスタッフ」のサービスの話。
本屋というビジネスをどうやって成立させていくか。
「オンラインサロン」などの活用の仕方。
などなど。

「本屋」について話し合った。

帰り際にとっくんに
「トドブックス」の棚づくりの協力依頼を受けた。
えっ。僕でいいの?と思った。
指名がうれしいので、9月の前半に熱海に本棚つくりに行きます。

20日カリカリブックス(仮)ミライ会議
21日アルプスブックキャンプ
22日かえるライブラリー企画会議&よりみちブックス選書会議
23日「リトルスタッフ」作戦会議&バーヨソラ@かえるライブラリー

と4日間にわたり、本と本屋、ライブラリーのことを
考え、感じてきました。

僕も「本屋である」と自覚して、
歩いて行こうと思います。

「本の一時預かり」っていうコンセプトはよかったなあ。
まさに郵便屋さんだなと。

届けたい人に届ける。
ハックツとかかえるライブラリーとかを思い出した。

というわけで、
「リトルスタッフ」にツルハシブックスの
ページを作りました。
いまならお試し登録ができますので、
参加をお待ちしています!

https://www.littlestaff.jp/bookstores/41

※「本の処方箋(オンライン)」をサービスに加えてみました。  

Posted by ニシダタクジ at 16:01Comments(0)

2018年07月23日

「働き方」と「暮らし方」

「働き方」が変わりつつある、と言われている。

7月18日(水)
イナカレッジバー@東京・湯島

にいがたイナカレッジ
https://inacollege.jp/
の説明会を兼ねた座談会的なイベント。

大学生の感想コメントを読んでいて、

「暮らしのインターン」という
キーワードが響いたことがわかる。

1人だけ紹介しておくと、
・「暮らしのインターン」という言葉が印象に残りました。
仕事を中心に考えるのではなく、どうやったら自分の幸せを
感じられるのかという「幸せの基準」みたいなものを中心にして、
仕事や生き方を考えるというのが大切なのかなと思いました。

こんな感じ。

「働き方」と同じくらい「暮らし方」が
大切なんだなと思った。

イナカレッジのコンセプト
https://inacollege.jp/about/

「価値観」とか「地域の豊かさ」とか「よそ者」「若者」とか。
まあ、そうなんだけど。
もしかしたら、
「暮らし方」っていうキーワードなのかもしれないな、と。

「働き方」って、何かまだ、正解があるような気がするし、
「これからの働き方」って言われると、
何か今までと違う何かがあるのではないかという気になる。

でも、「暮らし方」って答えないもんね。
自分が何に「価値」を置いて、何を大切にしていくか、
っていうことだから。

言ってみれば、
「暮らし方」の中に「働き方」があるのだと思う。

にいがたイナカレッジが
「暮らしのインターン」だとすれば。
(たしかに、1か月の「暮らし」がそこにはある)

そこで得られるものは、
自分の暮らしの中で「大切にしたいもの」
について考える機会なのかもしれない。

糸井重里事務所の「はたらきたい。」という本で、
最終面接で聞かれる質問として、
「あなたは何を大切にして生きてきましたか?」
というものがある。

それってまさに
「価値観」そのものが問われていて、

その答えによって、
「この人と一緒に働きたいかどうか」が
問われているのだという。

っていうことはさ。

就職活動の前に、まずしたほうがいいのは、

「自分は何を大切にして生きてきたか」と
「自分はこれから何を大切にして生きていきたいか」
という問いに答えることなのではないか。

その一つの視点を、切り口を
「暮らし方」は提供してくれるのではないか。
にいがたイナカレッジは、
それについて考える機会を提供しているとも言える。

20代社会人にとってもそれは同じなのかもしれない。

副業とか複業とか
パラレルキャリアとかナリワイとか
ってさ、

「働き方」の多様化だと言われているけど。

本当に欲しいのは、
デュアルライフっていうか、
「暮らし方」の発見なのではないかな。

二拠点とかフルサトとか
サードプレイスとかって、
「暮らし方」の話で、
それは個人ひとりひとりの「価値観」の問題で、
かつ答えがないっていうこと。

「学びあう」場なのかもしれないっていう。

「二拠点」っていうのも、
東京と地方の学びあいというふうに思えば、
もっと魅力的になるのかもしれないと思った。

たぶん、
そういうのを「本屋」や「ライブラリー」を
参加型にすることによって、
コミュニケーションしていくのかもしれないなあと。

「働き方」から「暮らし方」へのシフトというか、
「暮らし」の中で「大切にしたいもの」をひとりひとりが考え、
そこに向かっていく時代で、
そこに「働き方」が付随してくるのかもしれないなと思った。

たぶん、今年の後半はこのテーマで
活動していくような気がします。  

Posted by ニシダタクジ at 07:59Comments(0)日記

2018年07月19日

接続するコミュニティ

宇多田ヒカルさんについて
書かれたこちらの記事
https://note.mu/wildriverpeace/n/n75dfc3e5212d

~~~以下引用

「コミュニティというものが所属によって成立し得なくなるからです。」
だから、無理に属さなくてもいい。属することでの安心というのは、
それと引き換えに、空気を読んだり、納得しないながらも同調するという行動を伴います。
所属とは、みんなと同じなら安心だ、という錯覚に陥ることですから。

今後ポイントになるのは、無理に属さなくても、
私が私じゃない誰かと一瞬接続することだけでも得られる、
そんな刹那の安心があると気付ける事だと思う。

僕は、それを「接続するコミュニティ」と表現しています。

(中略)

インサイドコミュニティとは、自分自身の中にコミュニティを作り出すということです。
所属するコミュニティは、あくまで自分の外側の枠に自分を置くことでした。
しかし、接続するコミュニティでは、逆に自分の内面に安心できるコミュニティを築くことになります。

なぜなら、たくさんの人とつながり、自分の中にたくさんの
多様な自分が生み出されるということは、
それは個人であっても唯一無二の個人ではなく、多様な個人、
言うなれば「やおよろずの個人」が存在するわけです。
だから自分の中にコミュニティは生み出せるのです。

~~~ここまで引用

たくさんの人とつながることで、
自分の中にたくさんの多様な自分が生み出される。
その人たちとコミュニティをつくっていく。

えっ。
そんなことが可能なんですか?
って思った。

そして以下の曲作りの話へとつづく。

☆☆☆ここから

宇多田ヒカルが曲作りや歌詞作りをするにあたっては、
私が「私ではない誰か」に伝えたいことを書くという話でした。
「私ではない誰か」とは特定の誰かではない。かといって架空でもない。
それは、「私ではない私」でもあり、「誰かによって生まれた私」なのだ。
だからこそ、彼女の歌は、多くの人の心の中にいる
「宇多田ヒカルによって生まれた私」が刺激されて心を打つのだろう。

★★★ここまで

そんな曲作り。

なるほど。
だから宇多田ヒカルの歌は心を打つのか。

たぶん、本屋も同じだと思った。
「誰かによって生まれた私」のために、
本を選び、並べること。
伝えたい思いを込めて、本棚をつくること。

本屋のあり方を考えると、
そういう機会となるような本棚をつくること。
たぶんそういう本棚を作っていくのだろうなあ。

そしてそこに「接続するコミュニティ」が
できていくのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 10:09Comments(0)学び

2018年07月18日

「かえるライブラリー」始めます



「かえるライブラリー」始めます。
noteも同時更新予定です。

「かえるライブラリー」は、

ツルハシブックス(2011.3~2016.11)の中で
2011年7月に始めた若者のための「地下古本コーナー HAKKUTSU」
と東京・練馬・上石神井で2015年から活動している
10代限定の「暗やみ本屋 ハックツ」の次のバージョンだと思ってます。

特徴は、
・本棚があれば始められる。
・有志の人がチームをつくり、本を寄贈する。
・1冊1冊に値段(古本としての価格)がついている。
・借りることができるが、買うこともできる。
「かえる」⇒「買える」ライブラリー

で、もっとも大きな特徴が、売れた時に発生します。

・1冊1冊の値段で本が売れたとき、半分がライブラリーに入り、
半分は寄贈者本人が受け取ることができる。
(1000円の本が売れた場合、500円がライブラリーに、500円は本人に)
・寄贈者は上記の権利を放棄することができる。
・放棄した場合、同額の(上記の場合500円分)かえる券が発行される。
・地域に住んでいる若者(たとえば高校生以下など)はかえる券を使って本を購入できる。
・こうして地域に本が循環していく
「かえる」⇒「還る」ライブラリー

そして描いている未来は、こんな感じ

・「かえる券」を使用して本を購入した高校生は、何か恩返しがしたくなる。
・掃除とか店番とか手伝うようになり、コミュニケーションが増える。
・その場を使って、高校生が何かプロジェクトを始める。
・地域で何か創造的なプロジェクトをした高校生は、そこが「ふるさと」化する。
・進学・就職で外に出て行っても、その場に戻ってくるようになる。
「かえる」⇒「帰る」ライブラリー

そんな場を「かえるライブラリー」が作っていけたらと思います。

まずは、東京・湯島の「ソラ」をベースキャンプに
企画会議を開催中です。

今度の議題はこちら。

■「かえるライブラリー」への寄贈方法■

1 本を用意する
2 価格を設定する
3 申込書に記入

申込書内容:
・日付
・本のタイトル
・寄贈者氏名
・寄贈者連絡先(メール)
・価格
・売れた場合の半額の権利を放棄する、しないに丸を付ける
※しない場合、「かえる券」が発生します)
・寄贈してから半年が経過した本の行先については管理者に一任する。にチェック

4 メッセージカードを記入⇒表紙に貼り付ける
5 本と一緒に寄贈

いま、しくみ作り中ですが、
こちらでも少しずつ公開していきます。

次回からは「かえるライブラリー」に至った
ストーリーを確認するためにもこちらに
書いていこうと思います。  

Posted by ニシダタクジ at 08:13Comments(0)かえるライブラリー

2018年07月14日

19歳に贈る50冊の本

選書しました!
マイナーチェンジはあるかもしれませんが、
ひとまず思い浮かぶ本を。
メモとして置いておきます。

「じぶん」を考える

1「認められたいの正体」(山竹伸二 講談社現代新書)
キーワード:承認欲求
2「孤独と不安のレッスン」(鴻上尚史 だいわ文庫)
キーワード:同調圧力
3「わかりあえないことから」(平田オリザ 講談社現代新書)
キーワード:自分と他者
4「私とは何か」(平野啓一郎 講談社現代新書)
キーワード:分人、本当の自分
5「レイヤー化する世界」(佐々木俊尚 NHK新書)
キーワード:国民国家、多層化
6・7「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」(岸見一郎、古賀史健 ダイヤモンド社)
キーワード:アドラー心理学、自由
8「教育の力」(苫野一徳 講談社現代新書)
キーワード:教育、学びの個別化、協同化、プロジェクト化
9「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」(橘玲 幻冬舎文庫)
キーワード:能力、開花
10「評価経済社会」(岡田斗司夫 ダイヤモンド社)
キーワード:シャドウカリキュラム、ネット中世

「まなび」を考える

1「サヨナラ、学校化社会」(上野千鶴子 太郎次郎社)
キーワード:学校化社会
2「すべての教育は洗脳である~21世紀の脱・学校論」(堀江貴文 光文社新書)
キーワード:常識、国民国家
3「日本人」という、うそ(山岸俊男 ちくま文庫)
キーワード:道徳、武士道、商人道
4「日本人は何を考えて生きてきたのか」(斎藤孝 洋伝社)
キーワード:神、宗教、東洋、西洋
5「プレイフル・シンキング」(上田信行 宣伝会議)
キーワード:マインドセット、固定的知能観、成長的知能観
6「先生はえらい」(内田樹・ちくまプリマー新書)
キーワード:師匠、学び
7「最終講義」(内田樹 文春文庫)
キーワード:ミッション
8「本を読む人だけが手にするもの」(藤原和博 日本実業出版社)
キーワード:宗教、幸福論
9「教養のススメ」(池上彰 日経BP)
キーワード:教養、大学
10「公教育をイチから考えよう」(リヒテルズ直子×苫野一徳 日本評論社)
キーワード:学校、近代化、効率化

「しごと」を考える
1「クランボルツに学ぶ夢のあきらめ方」(海老原嗣生 星海社新書)
キーワード:キャリアデザイン・キャリアドリフト
2「MEDIA MAKERS―社会が動く「影響力」の正体」(田端信太郎 宣伝会議)
キーワード:メディア、予言の自己実現
3「心の時代にモノを売る方法」(小阪裕司 角川新書)
キーワード:生産と分配の経済と贈与と交換の経済
4・5「天職の作法」「冒険の作法」(小阪裕司 大和書房)
キーワード:天職、冒険、旅立ち
6・7「自分の仕事をつくる」「自分をいかして生きる」(西村佳哲 ちくま文庫)
キーワード:氷山、仕事
8「ナリワイをつくる」(伊藤洋志・ちくま文庫)
キーワード:兼業、副業、暮らし
9「なめらかなお金がめぐる社会。あるいは、なぜあなたは小さな経済圏で生きるべきなのか、ということ。」(家入一真 ディスカヴァー・トゥエンティワン)
キーワード:お金
10「転換期を生きる君たちへ~中高生に伝えておきたいたいせつなこと」(内田樹編 晶文社)
キーワード:13歳のハローワークの呪い

「みらい」を考える
1「コミュニティ難民のススメ。」(アサダワタル 木楽舎)
キーワード:コミュニティ難民
2「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 (山口周 光文社新書)
キーワード:美意識、アート、サイエンス
3「わたしが芸術について語るなら」(千住博 ポプラ社)
キーワード:美しく生きる。
4「ホスピタルクラウン」(大棟耕介 サンクチュアリ出版)
キーワード:天職、顧客
5「14歳からの社会学」(宮台真司 世界文化社)
キーワード:学校、仕事
6「計画と無計画のあいだ」(三島邦弘・河出文庫)
キーワード:計画、目標
7・8「独立国家のつくり方」(坂口恭平 講談社現代新書)「隅田川のエジソン」(坂口恭平 幻冬舎文庫)
キーワード:世界はひとつではない。
9「種をまく人」(ポールフライシュマン あすなろ書房)
キーワード:種、畑、コミュニケーション・ツール
10「せかいでいちばんつよい国」(デビッド・マッキー 光村教育図書)
キーワード:世界の変え方

「こらぼ」を考える
1「かかわり方の学び方」(西村佳哲 ちくま文庫)
キーワード:場のデザイン
2「人が集まる「つなぎ場」のつくり方」 (ナカムラクニオ 阪急コミュニケーションズ)
キーワード:一期一会、場のチカラ
3「ただめしを食べさせる食堂が今日も黒字の理由」(小林せかい 太田出版)
キーワード:コミュニケーションデザイン
4「企画書のつくり方、見せ方の技術」(藤村正宏 あさ出版)
キーワード:企画、ラブレター
5「魔法をかける編集」(藤本智士 インプレス)
キーワード:編集、魔法
6「魔法のマーケティング」(川上徹也 フォレスト出版)
キーワード:好き、関係性
7「応援したくなる企業」の時代(博報堂ブランドデザイン アスキー新書)
キーワード:テーゼ(正)、アンチテーゼ(反)、ジンテーゼ(合)
8「ローマ法王に米を食べさせた男」(高野誠鮮 講談社+α新書)
キーワード:仕事づくり、体当たり
9「Communication Shift」(「モノを売る」から「社会をよくする」コミュニケーションへ 並河進 羽鳥書店)
キーワード:伝える
10「ロングエンゲージメント~なぜあの人は同じ会社のものばかり買い続けるのか?」(京井良彦 あさ出版)
キーワード:「共感」の時代、コンセプト、ストーリー、デザイン  

Posted by ニシダタクジ at 14:49Comments(0)

2018年07月13日

19歳に贈る50冊

ウチノ食堂に小さな本屋さん
「Apartment bookstore」ができるというので
古本を選書しようかなと。

「かえるライブラリー@ウチノ食堂」
にしようかな、と。

50冊程度しか入らないということなので、
渾身の50冊を選んでみようかと。

ということで、
過去のブログをさかのぼりながら、
50冊選んでみようかなと。

「19歳に贈る50冊。」ってテーマで選書。
主な対象者は、
高校生までいわゆる「優等生」で来て、
地方国立大学に合格した1年生。

真っ先に浮かぶのは、

「認められたいの正体」(山竹伸二 講談社現代新書)
「孤独と不安のレッスン」(鴻上尚史 だいわ文庫)
かな。

「じぶん」「せかい」「しごと」「みらい」「いきる」
の5テーマで選書してみようっと。

途中経過は以下。

19歳のための50冊

「じぶん」を考える
「認められたいの正体」(山竹伸二 講談社現代新書)
キーワード:承認欲求
「孤独と不安のレッスン」(鴻上尚史 だいわ文庫)
キーワード:同調圧力
「わかりあえないことから」(平田オリザ 講談社現代新書)
キーワード:自分と他者
「自分とは何か」(平野啓一郎 講談社現代新書)
キーワード:分人、本当の自分
「レイヤー化する世界」(佐々木俊尚 NHK新書)
キーワード:国民国家、多層化

「せかい」を考える
「サヨナラ、学校化社会」(上野千鶴子 太郎次郎社)
キーワード:学校化社会
「すべての教育は洗脳である~21世紀の脱・学校論」(堀江貴文 光文社新書)
キーワード:常識、国民国家
「日本人」という、うそ(山岸俊男 ちくま文庫)
キーワード:道徳、武士道、商人道
「日本人は何を考えて生きてきたのか(斎藤孝 洋伝社)
キーワード:神、宗教、東洋、西洋
「プレイフル・シンキング」(上田信行 宣伝会議)
キーワード:マインドセット、固定的知能観、成長的知能観

「しごと」を考える
「僕たちはこれからなにをつくっていくのだろう」(箭内道彦 宣伝会議)
キーワード:仕事、誇り、綺麗事上等
「MEDIA MAKERS―社会が動く「影響力」の正体」(田端信太郎 宣伝会議)
キーワード:メディア、予言の自己実現
「心の時代にモノを売る方法」(小阪裕司 角川新書)
キーワード:生産と分配の経済と贈与と交換の経済
「天職の作法」「冒険の作法」(小阪裕司 大和書房)
キーワード:天職、冒険、旅立ち
「自分の仕事をつくる」「自分をいかして生きる」「かかわり方の学び方」
(西村佳哲 ちくま文庫)
キーワード:氷山、仕事

「みらい」を考える
「コミュニティ難民のススメ。」(アサダワタル 木楽舎)
キーワード:コミュニティ難民
世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?
経営における「アート」と「サイエンス」 (山口周 光文社新書)
キーワード:美意識、アート、サイエンス
「ホスピタルクラウン」(大棟耕介 サンクチュアリ出版)
キーワード:天職、顧客
「14歳からの社会学」(宮台真司 世界文化社)
キーワード:学校、仕事

「いきる」を考える
「独立国家のつくり方」(坂口恭平 講談社現代新書)
「隅田川のエジソン」(坂口恭平 幻冬舎文庫)
キーワード:世界はひとつではない。
「種をまく人」(ポールフライシュマン あすなろ書房)
キーワード:種、畑、コミュニケーション・ツール
「せかいでいちばんつよい国」(デビッド・マッキー 光村教育図書)
キーワード:世界の変え方  

Posted by ニシダタクジ at 18:08Comments(0)

2018年07月13日

19歳に本という「機会」を届ける

プロジェクト「かえるライブラリー」
を準備している。

ツルハシブックスの正式名称は、
「ジブン発掘本屋ツルハシブックス」。

名前の由来は、
諸説あるのだけど、

まきどき村を始めるときに、
ツルハシを使って荒れ地を耕した、
あの初心を忘れないように、だ。

ちなみに
「本屋には新しい人生が転がっている」
(0.01坪のトランク本屋の名称)
「襷(たすき)書店」(箱根駅伝ブームだった)

は今井さん(ツルハシブックス設計・施工者)
によって却下された。

でもって、ツルハシブックスが2011年3月、
東日本大震災直後にひっそりとオープン。

6月の一箱古本市参加をきっかけに、
「地下古本コーナーHAKKUTSU」の
年齢制限アイデアが浮かび、7月にスタート。
30歳以上立ち入り禁止、がウケた。



万引き対策ということと、
古物商を持っていなかったので、
地域の人からメッセージを書いてもらい、
本を寄贈してもらった。

2014年1月発売のソトコト2月号、
同5月にはNHK新潟の特集
7月にはTBSの「知っトク」
8月ドキュメント20minNHK全国放送となり、話題となった。

「どうしてこんな企画を思いついたのか?」
とよく聞かれた。

1つ目は、地下室の有効活用を考えたときに
ドラクエ(ドラゴンクエスト)の地下に宝物があるような
イメージで宝探しをするように本探しをして欲しかったこと。

2つ目は、暗やみで「偶然」出会う本に出会ったほしかったこと。

3つ目は、中学生高校生に、地域の大人との出会いの機会
を作りたかったこと

「機会」を提供すること、
意図はたぶんそこにある。

「暗闇で本に出会った人に、どうなってほしいですか?」

よくインタビュー終盤に聞かれた質問。
答えられなかった。

「本に出会う」って機会の提供だから。
「機会」そのものが目的だから。

僕が(学校)教育とうまく合わないのはそこかもしれない。
教育の目的は、「教育目標の達成」である。
機会提供では断じてない。

先月、島根で「コミュニティナース」という活動に出会った。
「コミュニティナース」とは問いなのだと知った。
何をもってコミュニティナースとするか、
それはひとりひとりに委ねられている。

本屋もそうなんじゃないか、って思った。

最先端の知恵を提供する本屋
未来への希望が詰まった本屋
古き良き名作にである本屋
居心地の良い「居場所」としての本屋

「スターバックスはコーヒーを売っているわけではない。」
から始まった問いの旅は、まだ続いていたんだ。

あのとき。2014年1月。
秋田駅前のスターバックスで「劇場だ!」
と叫んだ。(心の中で)

ツルハシブックスは「劇場」を売る本屋だった。

「気がついたら私も
本屋という舞台の
共演者になっていました」
というコピーが生まれた。

じゃあ、僕はなんだろう?



2015年9月。
2014年のNHK放送をニューヨークで見た
サンクチュアリ出版の金子さんと
トーハンの水井さんが
東京でもやろうとブックスタマの加藤社長とつないでくれ、
「暗やみ本屋ハックツ@上石神井」がスタート。

初代代表の宮本さん、現代表の原さんを中心に、
10代に本という「機会」を提供している。
また、20代である自分たちに「学び」の機会を自らつくっている。
「暗やみ本屋ハックツ」は、そういう学びあいのデザインになっている。

僕自身の最終ミッションというか、コンセプトは、
「学びあいの場づくりで希望の灯を灯す」だ。
吉田松陰先生の野山獄エピソードがきっかけになっている。

そこに向かって、いま、何をするのか。
顧客は誰で、価値は何なのか?
そんな問い。

3年間大学にいて、
大学の外でも、対話をしてきて。
「他者から評価」「価値」「顧客」「就活」
について考えさせられた。

僕がこれからやること。
ひとまず、19歳に本という「機会」を届けること。

「本」の部分が、
にいがたイナカレッジインターンだったり、
米を炊くことだったり、
畑をすることだったりするのだろうけど。

ひとまずは、そこ、いってみようかな。

19歳に「機会」を届けること、始めてみます。  

Posted by ニシダタクジ at 09:28Comments(0)

2018年07月12日

「顧客」と「価値」の視点から過去を見つめなおす

「若松ミライ会議」ってなんだろう?

「過去をつなげる」と、「未来が見える」。(18.7.5)
http://hero.niiblo.jp/e487698.html

過去を振り返ること。

そしてそのひとつひとつのエピソードを
「顧客」「価値」の視点から見つめなおすこと。
たぶんそれがミライ会議。

ミライっていうのは、
ドラッカーじゃないけど、
「顧客」と「価値」に仮説を立てることから
始まっていくのだろうと思った。

子どものころに、夢中になったことはなんだろうか?
誰にも褒められず、報酬ももらえないにも関わらず、
没頭したことはなんだろうか。

「私」を外す、という美学(17.3.28)
http://hero.niiblo.jp/e484378.html

堀江さんは言っている。

~~~ここから

逆算をすればするほど、人の可能性は狭まっていくと思っている。
100点というゴールを最初に設定し、それに向かって突き進んでも、
あなたはどんなに頑張ったところで100点までしか取れない。
100点以上を取れる確率はゼロだ。

でも逆算をやめ、1点1点を楽しみながら積み上げていけば、
無我夢中で動いている間に、200点、300点と
その点が膨れ上がっていく可能性が開かれる。

この場合、取れる点数の上限はない。
目標からの逆算を思い切ってやめたほうが、
得られるものの可能性は大きく膨らむのである。

~~~ここまで

未来から逆算しないこと。
むしろ過去から夢中になったことを探すこと。
「顧客」と「価値」の視点から見つめなおすこと。

そういうわけで自分自身を振り返ってみる。

中学のとき、「青春18きっぷ」の存在を知り、
中1で栃木県の日光、中2で山梨県の身延
への旅行を計画し、それぞれ友人を誘って
日帰り旅行をしてきた。

中学生のときのマイブームはゴルフだったので、
近所の公園に18ホール(パー72)のコースを作って、
友人を誘ってやっていた。
硬質プラスチックの透明な下敷きを切って
スコアカードまで作っていた。

あとは放送委員会でクラス紹介ビデオづくりに
シナリオ書いて、作っていた。
ヤンキーのみんなも協力してくれた。

高校生のときは、「高校生クイズ」に
チャレンジしてたくらいかな。
3年のとき、図書館で「沙漠緑化に生命を賭けて」(遠山正英)
を読んで農学部を志望し、1浪して新潟大学農学部へ。

大学生の時は、農業サークルつくって、
環境啓蒙系のNGOの新潟支部つくって
川口由一さんの自然農の農家めぐりして、
幕内秀夫さんの「粗食のすすめ」キャラバンの新潟実行委員長やって、
そんで、24歳で「まきどき村」に至る。

夏に巻町に引っ越して、
ゲストハウス「拓庵」+本屋「本処くろすろうど」+学習塾「寺子屋途輝」をスタート。
旅人が来て、塾でしゃべってもらったりしてた。
思いのほか本が売れたので、サンクチュアリ出版の書店営業もすることになった。

2002年、27歳の時に不登校の中学3年生に出会って、
NPO法人虹のおとを設立。テーマはまちづくりと教育。
キーワードは「生きる力」。
地域のお年寄りと小学生の接点をつくる、
っていう活動をしていた。

2004年、29歳になる春、小説「吉田松陰」を読み、
野山獄でのエピソードに、
「学びあえば希望が生まれる」ことを知った。

同じ年、中越地震。
同時期に「だがしや楽校」というコンセプトに出会った。
「店」というものを通じたコミュニケーションに魅力を感じた。

2005年から「虹のひろば」を大学生たちと開始。
巻の神社で小学生と遊んでいた。

2006年「NEC社会起業塾」へ応募し、2時電話面接で落ちるが、
ETIC.から「チャレコミ」に誘われ、特別研究員へ。

大学生の地域企業インターンで地域を元気にする
というコンセプトに賛同して、
新潟でインターンシップの事業化へ向けて準備。

2008年、「起業家留学」としてサービス開始。
イベントを打って、大学生を集めて、
インターンシップ生として送り出すモデル。

優秀な学生が来て、成果を出すという仕組みに対して、
「自分に自信がない」「やりたいことがわからない」
という学生にはあまり有効な方法ではないことを知る。

2010年ころから大学からの依頼で、
企業ではなく温泉街や商店街、離島など「地域」を
テーマにしたプログラム作りに取り組む。

「地域」テーマであれば、
「自分に自信がない」「やりたいことがわからない」
という学生にも提供でき、効果が高い。

大学の近くに拠点(事務所)を設け、
企業インターンと地域インターン両方いけるような
モデルを目指して、2011年にツルハシブックスをつくる。

本屋をベースにして、
「シブヤ大学×まちゼミ」な感じで
大学生がコーディネートする商店街講座
「うちのまち なじみのお店 ものがたり」
を行ったり、

地域企業経営者と学生が夜景をみながら
語り合う「夜景企画会議」などを開催した。

「大学生」と「地域」がキーワードだった。
もっと大学の中でそれができたら、
高校生、中学生へと「地域」活動が広がっていくのではないかと
仮説を立てた。

2015年、茨城へ移住。
大学での地域プロジェクト立ち上げなどを
行うことに。
「価値」について考えることになった。

「学校的価値」に対しての疑問。
「価値観」という言葉への危うさなどを実感した。

2018年、ふたたびフリー(本屋)に。

「顧客」はだれか?
「価値」はなにか?

そんな問いの中にいる。
もう少し考えてみることにする。  

Posted by ニシダタクジ at 08:35Comments(0)足跡

2018年07月11日

これまでの「物語」をつなぎ、これからの「物語」を始めていく









千葉・小湊鉄道・養老渓谷駅。
「逆開発」の現場を見てきた。
駅前ロータリーのアスファルトを剥がし、
10年かけて、森をつくっていくのだという。

「今から5000年以上前、この辺りでは、縄文人が自然との共同生活を始めました。
(中略)われわれ現代人は進化したのでしょうか?」
から始まる説明文。

そして、同じく千葉・鋸南町・道の駅「保田小学校」。
人気・話題の道の駅


教室は宿泊棟に。


調理実習室


カフェ金次郎


おそろしいほどの「保田小」推し


スタッフが着ている「保田小魂」のTシャツも買えます。パンツもある。笑。

一番ビックリしたのが、スタッフが全員「保田小魂」を背負っていて、
(スタッフTシャツなのだろうけど)、
直売所のレジのおねえさんからトイレ掃除のおじいちゃんまでが「いらっしゃいませ」
と話しかけてくるところ。

パンフレットもレトロな雰囲気で、
「道の駅保田小学校だより」って書いてある。

詳しくはこちらから。
https://icotto.jp/presses/10031

コンセプトって大事だなと思った。
山形・郁文堂書店を思い出した。
「リノベーション」とは何か?
問いかけてくる。

保田小学校は、
創立126年の歴史を誇る小学校のリノベーションだ。
小学校が地域に対して果たしてきた役割。
地域をつないでいく何か。

過去=これまでの物語をつなぎ、
未来=これからの物語をはじめていく、
それが「リノベーション」の本質だろうと思っていたけど、

小湊鉄道・養老渓谷駅、
そして、道の駅・保田小学校は
「逆開発」の言葉を借りれば、
里山的な「懐かしい未来」をつくっていくのだろうと思う。

そして何より、このような物語が
職員・住民たちの「誇り」となる。

まあ、保田小学校はちょっとキレイすぎるかもしれないが、
それでも、これからの地域コミュニティの未来を見る上で、
とても学びが多い訪問となった。

「開発」とはなんだろうか?
そこにある「価値」とはなんだろうか。
そして、その先にある「未来」とは。

千葉で2つの物語が確かに始まっていた。  

Posted by ニシダタクジ at 09:44Comments(0)日記

2018年07月06日

未来像をハッシュタグで説明する

「そこってどんな場所?」
「一言でいうと何?」
「どんなプロジェクト?」

それを表現するのって難しい。

どちらかというと、
目的が多様であるほうがいいと思っているし、
未来が決まっていないほうがいいと思っている。

かえるライブラリーキカクカイギ@湯島「ヨソラ」。

どんな場にしていきたいのか?
そんなことを話し合う。

場の運営者の高橋さんの話で
印象的だった話。

この場所(ヨソラ)は、
主に子ども(小学生~高校生)向けのプログラミング教室
をやっているのだけど、
最初から「カフェ的な空間」を目指していたのだということ。

つまり、畳があって、ちゃぶ台があって、
そこで作業してもよいということだったり、
木の机を置いたり、
かなり自由度が高い空間を作ってきた。

つまり、カフェ的な空間である。

カフェ空間の居心地の良さは、
目的が多様であること。
「コーヒーを飲む」という
目的以外の利用が認められていること。

たぶんそういうところにあると思う。
それ以外にも店主さんの気づかいというか
こだわりというか、そういうのも居心地の良さに
かかわってくると思うが。
(椅子と照明が居心地の良さの本質らしいので)

じゃあ、そんな「ヨソラ」で
「かえるライブラリー」を展開しつつ、
この場所をどう運営・展開していくのか、そんな話。

たぶん、場所のミッションとしては、
この場所は、昨日のブログの話で言えば、

「コネクティングドット」の「ドット」をつくる、ということ。

その時はどうつながるか分からなかったけれど、
あとで振り返ると、
あ、そういえば、あそこで出会った人が、あそこで借りた本が、
いまここにつながってます。

そういう「ドット」(点)をつくること。

それが「ヨソラ」×かえるライブラリーの
ミッションだと思った。

だから、
顧客は誰か、
顧客にとって価値は何か、

っていう定番の質問を
あえて明確にしないことなのかもしれないな。

かといって、だれでもフリーに来てほしいわけじゃなくて、
キーワードにヒットする人に来てほしい。

つまり、ツイッターのハッシュタグのような、
いくつかのキーワードがあって、
そこにいくつかヒットする人が集まってきて、
集まった人たちで(もちろん全員ではなく)、
顧客と顧客価値を設定して、プロジェクトが生まれていくような、
そんな場になればいいと思った。

「本」「本屋」「手紙」「学び」「スキル交換」
「地域」「パラレルキャリア」「二拠点居住」
とかそういう感じ。

僕自身がやりたい方向性としては、
「かえるライブラリー」のネットワークを通じて、
各「地域」に本やライブラリーを通じた友人ができて、
そこで小さなプロジェクトを一緒にやったり、
東京にいながら関われたり、東京でモノを売ったり、
そういう場所になれたらいいなと思った。

これからの「学び」。
それは「予測不可能性」にあり、
「越境」にあり、「コモンズ」にある。

そのためには、
目的の多様性を許容する「場」があり、
もちろん本棚があり、「身体性」が
発揮できるようになっている。

そんな目的を明確にしない「学び」と
仲間との「出会い」を、
湯島天神の前でやるっていうのが
このプロジェクトの面白いところだと思う。

学びとは何か?
問いかけるようなプロジェクトをつくりたい。
  

Posted by ニシダタクジ at 07:31Comments(0)学び

2018年07月05日

「過去をつなげる」と、「未来が見える」。



昨日は、シリーズ「若松ミライ会議」@コクリエ。
なかなか素敵なコンテンツができたなあと。
昨日の話題提供は吉成美里さん。デザイナー。

現在のプロフィールから始まって、

小学校
中学校
高校
大学

と過去を振り返っていく。

小学校の時に参加したオペラの事業名が
「オペラによるまちづくり」だったので
「まちづくり」というキーワードが頭の中に入ってきたという。
すごいな。言葉の力。祈りだね。

ハイライトは
中学の時につくった部活動「わくわく倶楽部」かな。

体育会系至上主義的な学校の中で、
それをやっていない自分たちの「居場所」をつくろうと発足させた。

顧問の先生とのやりとりでの葛藤。

※注
「琴で大会出場」とかって言ってたらしい。
そういう「学校的価値観」に合わないからその
倶楽部があったのにね。

日立の「いいとこ探し」をやろうと決めて、
桜満開の下、日立の良いところを聞いて、付箋に書いてもらってはった。
圧倒的行動力。

そんな彼女のプレゼンを聞いて、
若松さんが一言。

「共感性が高いっすね」って言った。
そうそう共感力がある。

自分の周りにいる子たちの
話を聞いて、力になりたくなる。

なるほど。
ミライ会議ってそういうことか。

僕も思ったのは、
美里ちゃんは、自分と同世代の人が
「好きになる」ってことをやってるんだって思った。

自分の置かれている状況や環境、
あるいは自分自身や友達のこと、
それを「好きになる」「肯定する」ために
活動しているんじゃないかって思った。

そんな話をしていたら、
美里さんがだんだん元気になっていくような、
そんな雰囲気があった。

「コネクティングドット」と、
スティーブジョブズはかつて言った。
過去の出来事、点と点がつながると。

若松ミライ会議は、
その「点」と「点」をそこに参加している人たちが
メタ化というか、ちょっと上から俯瞰して見たり、
感じたことを話したりして、

点と点がつながる、
あるいはつながったような気がする、
そんな会議だ。

「過去をつなげる」と、「未来が見える」。
そんな感じ。

就活生は、
自己分析とか強みとか適性とか、
そういう統計学に身を委ねるのではなくて、

自らの「過去」を振り返り、
それを他者とディスカッションして、
「点」と「点」をつなげていくこと。

その先に未来があるのではないかと僕は思った。
「若松ミライ会議」、これ、なかなか楽しいコンテンツですよ。

若松さん、吉成さん、
昨日も楽しい時間をありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 07:50Comments(0)学び

2018年07月02日

「やりたいことがわからない」とアイデンティティ不安

「やりたいことがわからない」
ことがこんなにも苦しいのはなぜだろう。

それはひとえに、
個人のアイデンティティ問題とリンクしているからだと思う。

http://hero.niiblo.jp/e482630.html
「13歳のハローワーク」の呪い(16.11.1)

「職業」こそがあなたの
「あなたらしさ」つまりアイデンティティを規定する。

たぶんこの「呪い」が
「やりたいことがわからない」の苦しさの
源泉にあるのだろうと思う。

そしてそれは、
「コミュニティ」の結びつきの低下、
つまり、地域コミュニティや会社コミュニティ、あるいは部活コミュニティのような
安心感を伴った他者に説明できるアイデンティティを失いつつあることで、
いっそう不安な状態にある。

だからこそ、
「自分が何者であるか?」という問いに答えるために、
「やりたいことがわかる」「将来の夢・目標がある」
ことが必要だと感じているのだ。

つまり、アイデンティティの不安である。

しかし、アイデンティティとは、いったいなんだろうか?
http://hero.niiblo.jp/e485055.html
「アイデンティティ」という音(17.6.13)

アサダワタルさんは
それは、「音」のようなものだと言う。

自分自身の中にあるのではなく、
他者とのセッションによって、
自分の「音」が規定されていく。

ああ、自分が出している音は、
このセッションの中でこういう音なんだ、
って感じることができる。
それがアイデンティティだ。

だから、
個人の中を掘っていっても、
アイデンティティそのものは存在しないことになる。

さまざまな人とのセッションの中で、
さまざまな音を出しながら、
いい音楽をつくっていくこと。

そんな中で、
「音」が見つかっていく。

そしてその「音」はひとつではない。

http://hero.niiblo.jp/e405109.html
「本当の自分」という幻想(2014.4.15)

平野啓一郎さんのいう分人主義のように、
さまざまなシーンで、バンドで、オーケストラで、ジャズセッションで、
自分が奏でる音、求められる音は変化する。
ときにはその楽器だって変わるだろう。

その瞬間に、その音に、「アイデンティティ」が存在するとしたら、
その音を奏でる瞬間をたくさんつくっていくことでしか、
アイデンティティは見つからない。

だからやっぱり、
「やりたいことがわからない」という不安からくる
「自分のやりたいことはなんだろう?」という問いは、
その問い方が違っているのではないかと僕は思う。

いろんな人とセッションしていく中で、
その「音」にたどりついていくこと。
そういうことなのだろうなあと思った。





今日は福島・白河に来ています。

そんな音が生まれるセッションが
地域の中で生まれていくような仕組みとしての
ライブラリーを考えてみたいなと思います。  

Posted by ニシダタクジ at 07:50Comments(0)日記