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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



新潟市西区内野町431-2
TEL 025-261-3188

平日12:00~19:00
土曜 7:00~21:00
日祝10:00~19:00
*火・水曜定休





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2017年12月13日

facebookの告知が「顧客」に届かない理由

昨年11月のツルハシブックス閉店から
学んだことはたくさんあるけども、

いまだに越えられないのが、
「居場所のジレンマ」だ。

http://hero.niiblo.jp/e482717.html
(2016.11.7 居場所のジレンマ)

この1年のあいだにも、
たくさんの「場」を運営している人たちに
話を聞いたけど、
共通する課題を持っているように思う。

それは、
居心地のよい「場」をつくり、継続して運営していくと、
そこを「居場所」として利用する人が増えてしまう。

「居場所」は内向きのエネルギーを持ち、
初めての参加者が入りにくい雰囲気を持ってしまう。

つまり、その「場」
初めての人にとっては居心地の悪い「場」になる。

そういう意味では、
「本」というのは、「諸刃の剣」であるのかもしれない。

「本」を通じて、人と人がつながるツールにもなるのだが、
一方で、そもそも「本」というのは内向きのツールであるから、
そういうキーワードで人を集めようとすると、
内向きの人が集まってしまうかもしれない。

「facebookを見てるのは、暇なおじさんだけだよ。」
って誰かが言っていた。

実際東京の本のイベントに来ている20代に
話を聞いてみると、友人経由ではない場合、
peatixの告知でっていう人が何人かいた。

一方で、
ツルハシブックスでも陥っていたのだけど、
facebookで公開イベントを告知すると、
若者向けのイベントなのだけど、
「暇なおじさん」が集まってしまう、
という現象が起こっていた。
いや、それが「面白いおじさん」であればいいのだけど。

イベントが「顧客」に届いていない。

それは、もしかしたら、
facebookという広報ツールがいけないのかもしれないなと思った。

https://hachi-style.com/take-a-chance/
チャンスを掴むのはチャンスを掴む準備をした人だけ
(8STYLEより)



イノベーター理論で行くと、
すでにfacebookというメディアのユーザーが
アーリーマジョリティ領域を超え、
レイトマジョリティ領域まで進んで行ってしまったのではないか、
ということが言えるかもしれない。

アクティブユーザー数が2800万人ということは、
ネット人口1億人のうちの30%に満たないのだけど、
(ネット人口にはメール送受信のみという人を含む)
そんな感じする。

そもそも「マジョリティ」とは、
「みんながやっているからやる」というメンタリティを
持っているからこそ「マジョリティ」なのである。
(これは別にいい悪いではない)
必然的にそのエネルギーは内に向かう。

マジョリティであることが心地よいのだ。

ところが、
アーリーアダプターは違う。少数であることを苦にせず、
新しいもの、外にあるものを積極的に取り入れようとする。

僕の中で日本最高のアーリーアダプターは、
長野・上田の柚木真くんなのだけど、
彼の活動は見ているだけで、
僕にとってはエンターテイメントで、うらやましくなる。

柚木くんの脳みそに、
僕のカラダというか、時間を含めて、
委ねてみたくなって、
「ゆのたく」という活動を開始してみようと思う。
(ゆのきのアタマとタクジのカラダ)

さて、
タイトルの課題について戻ると、

facebookでの告知をがんばればがんばるほど、
それは、レイトマジョリティを拾ってしまうのではないか。

そして、SNS上のレイトマジョリティには、
「暇なおじさん」「ちょっと面倒なおじさん」
が割合的に多いのかもしれない。

なぜなら、
「面白いおじさん」は、アンテナが高いので、
いろんなネットワークがあって、
他のイベントに出ているから。
(そのおじさんはそもそもアーリーアダプターである)

そして、その人たちは、
そのイベントそのものや、
あるいはその「場」に対して、
「居場所」感を抱いてしまう。

人間はおそらく本能的に、
「居場所」を欲しているから、
そこに行かないといけないようになる。

こうして「場」が「居場所」感に
支配されることで、「場」の力は急速にダウンしていくし、
初参加の人にとっての魅力を失っていく。

さて。
この仮説が合っているとすれば、

facebookでの公開イベントを打つことは
諸刃の剣であると言えるだろう。

「より多くの人を集めたい」というのと
「レイトマジョリティなおじさんが来てしまう。」
というのがセットになってしまうからだ。

しかし、この仮説には、地域によって違いがある。

茨城の水戸や日立、このあいだお邪魔した岐阜なんかでは、
まだ、facebookコミュニティの中のアーリーアダプターの割合が高いので
公開イベントを打つことが楽しい空間をつくることになる。
(ちなみにこれは、クラウドファンディングの地元支援率とも連動している気がする)

新潟でも、ツルハシブックスが始まった当初はまだ
mixiからfacebookへの移行期だったので、
そこに集まってきた人は面白い人が多かった。

しかし、4年目、5年目になると、
「居場所」問題が顕在化した。

つまり、facebookの普及率というか、浸透率というか、
あるいはそのコミュニティの拡大率というか、
そういうものによるのかもしれない。

東京などは母数が多いこともあって、
そういうことが起こりやすくなってしまうかも。

じゃあ、これからどうすればいいのか。

これが課題だ。

考えるべきことは2つだ。
1 「顧客」に届ける告知ツールを考える。
2 「場」を「居場所」化しないデザインを考える。

まず1は、
facebookという告知ツールを使わないというか、
たぶん「公開イベント」という形をとることは、
リスクが伴うので、ほかの告知ツールを選ぶか、
直接メールするとか、チラシにふたたび戻るとか。

あるいは、「場」そのものを固定せずに、
流動的なものにするか、
(塩尻の山田くんがやってるみたいな
何月何日汐留、みたいなイベントをやるとか)

または、そういう「レイトマジョリティ」なおじさんも
受け入れることができるデザイン
(たとえば、畑に隣接するとかで作業場をつくる)

「畑のある本屋」
っていうのは、そのひとつのソリューションなのかもしれない。

僕としては、どうせやるなら、
化学反応やイノベーションの起こる場にしたいと思っているので、

そのためには、
・多様性の許容(それは違和感の許容でもある)
・フラットな関係性
・掛け算の発想

それができるような「場」とは、なんだろうか。
そんな問いを考え続けていきたい。  

Posted by ニシダタクジ at 08:17Comments(0)日記

2017年12月12日

目標の先にあるもの

1964年東京オリンピック。
1970年大阪万博。

そして

2020年東京オリンピック・パラリンピック
2025年大阪万博

また、やってくる。
はたして、オリンピックや万博が
夢を与えてくれるのだろうか。

いや、そもそも、
夢は与えてもらうもんだろうか?
元気や勇気は人からもらうものだろうか?

そういう僕自身も
1985年のつくば科学万博に行ったことで、
白衣来て仕事する、みたいな
理系のカッコよさ的なものに目覚めた気がする。
(いまは人と人の化学反応を作るのが楽しくなっている)

オリンピックや万博そのものが
夢や希望を与えてくれたわけではないだろうと思う。

昨日、人生初・東京タワー。







1958年竣工。
映画「三丁目の夕日」には、
だんだんとタワーが完成していく様子が描かれている。

あのときは、
みんなが、「その先」を見ていた。
東京タワーがゴールではなかった。

そんな熱がまだ感じられる鉄骨だった。
シンプルな「機能美」があった。

いま、
オリンピックや万博の「その先」を
見せられるのだろうか。

いや、
おそらくは見せられるのだろう。

「その先」に共感できるかどうか別にして。

価値観は多様化した、というより
そもそも価値観は多様である。

戦後復興。
追いつけ、追い越せ。
今よりももっと豊かに。

そんなフレーズにみんなが乗れた時代は
幸せな時代だ。

いまは、もう一度ローカルはローカルで、
自らの「その先」を考えなければならない時代。

目標の「その先」を
語り合い、描いていけるような、
そんな場をつくりたいかな。  

Posted by ニシダタクジ at 07:58Comments(0)日記

2017年12月11日

瓶の中に紙切れを入れ、封をして海に流すことだけ

「暗やみ本屋ハックツ」の
2017年度振り返り+忘年会でした。

サンクチュアリ出版副社長の金子さんと
ブックスタマの社長の加藤さんと
トーハンの水井さんと僕の
おじさん4人ではじまったプロジェクト。

上石神井の本屋「ブックスタマ」(現在は閉店)
の会議室を拠点に、2015年3月に活動を開始。

4月にクラウドファンディング。
6月から工事を行い、9月にオープンした。



代表は宮本明里さん。
新潟・ツルハシブックスの地下にあった
「地下古本コーナーHAKKUTSU」の東京版。

プロジェクト名(店名)を
「暗やみ本屋ハックツ」とした。
月に1度だけオープンする古本屋さん。

いちばん議論したのは、
20代までにするか、思い切って10代限定にするか。

もともと、
ハックツには、
「10代(特に中高生)に本を読んでほしい」という思いが詰まっていた。

だから、
価格設定は20代300円、10代200円、中高生は100円だった
(つまり、小学生は200円)

思い切って10代に絞った。
コンセプトは、「10代に本を通じて、手紙を届ける」

手紙とは、手書きのメッセージと本そのもの。
10代に読んでほしい本をメッセージと共に、
暗やみ本屋に託す。

10代がやってきて、
懐中電灯を頼りに、1冊の本を探す。
目の前に飛び込んでくる手書きのメッセージ。

ピンと来た本を買う。
そういう仕組みだ。

そして、もうひとつ、
本の集め方。

通称「10代に贈りたい本」寄贈本読書会
っていうのを毎回営業後の空間で行い、
商店街で買い出ししてきたごはんをみんなで食べた。


この「10代に向けて」っていうのが、
普通の読書会(あまり出たことないけど)

オープンマインドを作るために
有効なツールであることを知った。

僕は、知らない本を説明されても、
あまり心が動かないのだけど
(特にファンタジーやSFはイメージが湧かない)

なぜ10代に贈りたいのか?

っていうテーマだと、
その人自身のストーリーが語られるので、
聞いていて面白いのだ。

そして昨日、
2017年のふりかえりと今後の展望ミーティング


2017年は「暗やみ本屋ハックツ」にとっては
大きな動きの年となった。

ブックスタマ上石神井店の閉店に伴い、
場所そのものが使えなくなったのだ。

移転先を探していた時に、
ハックツのチラシを置かせてもらっていた
cafe30の店主さんが、
「月に1度、使っていいですよ。」と言ってくれ、
春からそちらを会場に開催していた。

そして、代表の宮本さんが転勤となり、
2015年当初は大学生だった原さんにバトンタッチ。

そして、この秋、
cafe30がビルの建て替えのため、
使えなくなり。

先月は雑司ヶ谷イベントに出店、
来年3月には、関町図書館とコラボイベントをすることになっている。

そこで、
特に練馬区近郊に地縁のある方に、おたずねします。

・月に1度、「暗やみ本屋ハックツ」を開催させてくれる場所
(1回限りの開催でもありがたいです)
・ハックツ用の本やノボリなどを保管させてくれる場所

を探しています。

現在、中学生高校生スタッフが活躍しているので、
上石神井近辺より自転車でいける場所を探しています。

もし、心当たりのある方は、西田までご一報ください。

2017年度振り返りでは、

「固定の活動する場所がほしい」

っていう声が出た。
たしかにそうだ。

そこに行けば、という場所があることは、
活動にとってとても大切だ。

一方で、場所がないことで、
いろんな場に出ていくことができる。

スタッフにとっては、
ミーティングなどをしたりする場所が
心のよりどころになったりする。

また、寄贈本を集める時も、
その場所で読書会を開催できれば
その場所に置いておけるが、違う場所であれば
保管場所まで運ばなければならない。

一方お客である10代にとってはどうだろうか。

固定の場所に集まってくる中高生がいる。

同じ場所で開催することで
徐々に心を開き、中高生がスタッフと談笑する姿を
何度も見てきた。

しかし、本質的には、
「暗やみ本屋ハックツ」の活動は、
「機会提供」である。

その日、偶然にも、
暗やみで、本を見つけ、購入して、読んでみた。

その日、偶然にも、
店番をしていたスタッフのお兄さんと話をしてみた。

そんな機会の提供であり、
その結果、10代がどうなるか?は
第一義ではない。

「機会提供」そのものに価値があると僕は思っている。

だからいつも、取材のときは困った。
「ハックツした若者にどうなって欲しいですか?」

別にどうなってもほしくない。

ただ、本との出会い、人との出会いを提供したい。
それがすべてだ。
そんなことをミーティングで確認した。

話はその8時間前にさかのぼる。



僕はハックツの荷物の運び出し向かっている電車の中で、
1冊の本を読み終えようとしていた。


「断片的なものの社会学」(岸政彦 朝日出版社)

この一節がとっても素晴らしくタイムリーだったので、
少し引用したい。

~~~ここから引用

何も特別な価値のない自分というものと、
ずっと付き合って生きていかなければならないのである。

かけがえのない自分、というきれいごとを歌った歌よりも、
くだらない自分というものと何とか折り合いをつけなければならないよ、
それが人生だよ、という歌がもしあれば、ぜひ聞いてみたい。

ただ、私たちの人生がくだらないからこそ、できることがある

賭けに勝ったとき手に入れるのは、「何ものかになれた人生」である。
そして負けたときに差し出すのは、「何ものにもなれなかった人生」そのものである。

もしこのとき、人生そのものが、とてつもなく素晴らしい、
このうえなく価値のある、ほんとうにかけがえのないものだったら、どうなるだろう。
誰もそれを、自ら捨てようとはしないだろう。

さて、「天才」がたくさん生まれる社会とは、どのような社会だろうか。
それは、自らの人生を差し出すものがとてつもなく多い社会である。

神ではない私たちは、それぞれ、
狭く不完全な自分という檻に閉じ込められた
断片的な存在でしかない。

そして、私たちは小さな断片だからこそ、
自分が思う正しさを述べる「権利」がある。
それはどこか「祈り」にも似ている。

その正しさが届くかどうかは自分で決めることができない。

私たちにできることは、
瓶の中に紙切れをいれ、
封をして海に流すことだけだ。

それがどこの誰に届くか、
そもそも誰にも届かないのかを
自分ではどうすることもできない。

~~~ここまで引用

いいな、この本。

ハックツの活動に無理無理キレイにつなげようと
するならば、

「10代の誰かのために」
差し出された1冊の本は、

その人の人生の一端であり、
その人の祈りであり、「正しさ」でもある。
(僕は「正しさ」よりは「美しさ」っていう言葉を使いたいけど)

私たちにできることは、
瓶の中に紙切れをいれ、
封をして海に流すことだけだ。

そうそう。
ハックツっていうのは、そういう活動だし、
そこに共感した人たちが集まってきている。

実は、世の中という大海原には、
たくさんの紙切れの入った瓶が漂っている。

それにどう気づくか、
それをどのように拾うか。
どうやって開けるのか。

そんなことをデザインしていくこと。
ハックツに課せられた問いは、きっと、そういうことなのだろう。

暗やみ本屋ハックツのみなさん、
1年間、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。

  

Posted by ニシダタクジ at 08:33Comments(0)思い

2017年12月09日

正しいことをしたければ、偉くなれ。


「青島よ。正しいことをしたければ、偉くなれ」(「踊る大捜査線」より)


世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?
経営における「アート」と「サイエンス」 (山口周 光文社新書)
いよいよ最終章「どう美意識を鍛えるか?」

最後まで熱かったっす。

「なぜ、本屋なのか?」
ってよく聞かれるのだけど、
それに対してのひとつの仮説が書かれてるし、
そこには非常に大きな共感があった。

ひとつは、「哲学」についての話。

~~~ここから一部引用

海外のエリート養成では、まず「哲学」が土台にあり、
その上で功利的なテクニックを身につけさせるという
側面が強いのに対して、日本では、土台となる部分の
「哲学教育」がすっぽりと抜け落ちていて、
ひたすらにMBAで習うような功利的テクニックを学ばせている。

哲学からの得られる学びには大きく3種類ある。

1 コンテンツからの学び
2 プロセスからの学び
3 モードからの学び

コンテンツとは、その哲学者が主張した内容そのもの、
プロセスとはそのコンテンツを生み出すに至った気づきと思考の過程、
モードとは、その哲学者自身の世界や社会への向き合い方や姿勢

現代社会を生きるエリートが、
哲学を学ぶことの意味合いのほとんどが、
実は過去の哲学者たちの「1.コンテンツ」ではなく、
むしろ「2.プロセス」や「3.モード」にあるということです。

「真に重要なのは、その哲学者が生きた時代において支配的だった考え方について、
その哲学者がどのように疑いの目を差し向け、考えたかというプロセスや態度だからです。」

その時代に支配的だったモノの見方や考え方に対して、
批判的に疑いの目を差し向ける。
誤解を恐れずに言えば、これはつまりロックンロールだということです。

「哲学」と「ロック」というと、何か真逆のモノとして対置されるイメージがありますが、
「知的反逆」という点において、両者は地下で同じマグマを共有している。

哲学を学ぶことで、「無批判にシステムを受け入れる」という「悪」に、
人生を絡めとられることを防げるということです。

エリートというのは、自分が所属しているシステムに最適化することで
多くの便益を受け取っているわけですから、
システムを改変することのインセンティブがないわけです。

システムに最適化すること自体は、批判されるべきことではありません。
かつての歴史においても、現代においても、
システムに最適化すること自体を否定し、いわばシステムの外側から
遠吠えのようにシステム批判を繰り返している人はたくさんいます。

しかし、ではそういう人たちが、
実際にシステムを改変できるだけの権力や影響力を持てたかというと、
残念ながらそういうことはほとんどありません。

システムの内部にいて、これに最適化しながらも、
システムそのものへの懐疑は失わない。
そして、システムの有り様に対して発言力や影響力を
発揮できるだけの権力を獲得するためにしたたかに動き回りながら、
理想的な社会の実現に向けて、システムの改変を試みる。
これが現在のエリートに求められる戦略であり、
この戦略を実行するためには、「システムを懐疑的に批判するスキル」としての
哲学が欠かせない、ということです。

おれたちはみんなどぶの中を這っている。
しかし、そこから星を見上げている奴だっているんだ。(オスカー・ワイルド)

~~~ここまで引用

なんか、そうだなあって。

踊る大捜査線の名ゼリフ
「正しいことしたければ偉くなれ」
を思い出した。

そうなんだよ。
社会を変えるには、システムの内側にいて、
そのシステムを修正していける人が必要なんだ。

僕はそのプレイヤーにはなれないけど、
そういう人たちに、本という機会を提供することはできる。

エリートたちに、問いを生んでもらう本屋。
エリートの卵である大学生に、問いを育む本屋。

社会システムに対するロックンロールを
奏で、歌えるようなエリートを生んでいきたい。

僕の社会へのアプローチは、
今のところ、そういう感じです。  

Posted by ニシダタクジ at 08:29Comments(0)

2017年12月08日

美意識とクリティカル・シンキング


世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?
経営における「アート」と「サイエンス」 (山口周 光文社新書)

いやあ、ホント、いい本。
僕にとってめちゃめちゃ刺さる。
グサグサくる。
ドキドキするわ、ほんとに。

昨年の「コミュニティ難民のススメ」以来の衝撃。
タイムリーな本をありがとうスタンダードブックストア。

~~~今日のメモ

「イノベーションが競争の鍵だ」ということを誰もが言うようになったということは、
つまりすでにイノベーションは競争の鍵ではない、ということでもあります。

競争戦略というのは差別化を追求するわけですから、
皆が同じ目標を掲げて走っているという現在の状況の先に、
大きな見返りがあるとは考えられない。

問題になるのは「イノベーションのその先」に何を追求するか、ということです。
このパースペクティブを持たないままに、
「イノベーションの実現」だけをゴールに走るのは非常に危険だと思います

世界観とストーリーは決してコピーすることができない。

デザインとテクノロジーはコピーできるが、ストーリー性だけは、
コピーされてもオリジナル価値が揺るがない最後の価値である

アカウンタビリティとは要するに「言語化できる」ということであり、
言語化できることは全てコピーできるということです。

ノート型パソコンというイノベーションを生み出したのは東芝でした。
優れたイノベーションは、それが優れていればいるほど、即座にコピーされることになります。
デザインとテクノロジーはサイエンスの力によって容易、かつ徹底的にコピーすることが可能だからです。

人生を評価する自分なりのモノサシを持ちなさい

これからのビジネスリーダーの素養として、最も重要な要素は何か
それはセルフアウェアネス=自己認識である。
つまり、自分の状況認識、自分の強みや弱み、
自分の価値観や志向性など、自分の内側にあるものに気づく力のことです。

「システムに良く適応する」ということと、「より良い生を営む」というのは、全く違うことだからです。

「誠実性」というコンピテンシーを高い水準で発揮している人は、
外部から与えられたルールや規則ではなく、
自分の中にある基準に照らして、難しい判断をしています。

「悪とは、システムを無批判に受け入れることである。」ハンナ・アーレント

「悪」というものが、システムを受け入れ、それに実直に従おうとする「誠実さ」によって、
引き起こされるものだとすれば、私たちは、「悪」に手を染めないために、どうすればいいのか?

「システムを相対化すること」しかありません。

自分なりの「美意識」を持ち、その美意識に照らしてシステムを批判的に見ることでしか、
私たちは「悪」から遠ざかるすべはないのです。

一方でシステムから排除されてしまえば、社会的な成功を収めることは難しい。
ここに私たちが向き合っている大変難しい問題があります。

「システムを批判的に対象化する」ということは、
そのまま「システムを全否定する」ことを意味するわけではありません。

システムを修正できるのは、システムに適応している人だけです。
つまりエリートの役割なのです。

~~~ここまで今日のメモ

やっとタイトルの意味が分かった。
エリートこそがシステムを修正できる。
そしてそれに気づくのは美意識の力だ。

オウム真理教事件が引き起こされたのは、
システムへの過度の適応と美意識の欠如だった。

美しさを鍛えながら、
クリティカル・シンキングというか、
相対的にシステムを見ることが必要だ。

本を読み、美意識を磨き、
目の前のことをどう感じるのか、
表現していくこと。

それは本当ですか?
と問いかけること。

たとえば、
「自分に自信がない」っていうのは
ダメなことだと思えるけど、
それは本当にダメなことなのか?

ひとりでは何もできない。ということは、
言い方を変えれば、
必ず誰かと一緒にやるということ。

それっていま、むしろ求められてるんじゃないの?
そういう発想。
フラットな関係性の中でプラスを掛け合わせていく。

そういう中で「美しい」に出会うこと。
「美しくない」と思うことはやめること。

その繰り返しで、
自らの「美意識」を鍛えること。
それが一番、大学時代に必要なことなんじゃないのか?

本棚で世界観を表現しあい、
ときに本を売り、ときに人と出会う場となり、
ミーティングファシリテーションを学び、
さまざまなプロジェクトを生み出し、
美しいかどうか振り返り、
その繰り返しによって、
未来が創られていくような、

そんな本屋をつくりたい。  

Posted by ニシダタクジ at 08:38Comments(0)

2017年12月07日

「正しい手」よりも「美しい手」を指す


世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?
経営における「アート」と「サイエンス」 (山口周 光文社新書)

第1章読み終わりました。
いやあ、いいですね。
エッセンスだらけっす。

今日のテーマは「美しさ」です
エレガントな一手ってやつですね。

まずは
「デザインと経営には、本質的な共通点がある。」
ここから。

ユニクロが佐藤可士和氏を、
ソフトバンクが大貫卓也氏を起用して、
商品づくりの根幹にかかわることを決定しているのはなぜか?
ということ。

これを著者は次のように説明します。

~~~ここから引用

「エッセンスをすくいとって、後は切り捨てる」
そのエッセンスを視覚的に表現すればデザインになり、
そのエッセンスを文章で表現すればコピーになり、
そのエッセンスを経営の文脈で表現すればビジョンや戦略ということになります。

強い会社は選択が上手なのではなく、捨象、つまり捨てることに長けているのたわ、と指摘しています。

なにをしないかを決めるのは、なにをするのか決めるのと同じくらい大事だ。
会社についてもそうだし、製品についてもそうだ。
スティーブ・ジョブズ

コンプライアンス違反がどうやっておきるか。
なんら有効な経営戦略を打ち出せない経営陣が、
現場に無茶な目標を突きつけて達成し続けることを求めた結果、
やがてイカサマに手を染めざるを得なくなった、というストーリー。

そもそも、経営陣の最も重要な仕事は、
経営というゲームの戦略を考える、
あるいはゲームのルールを変えるということです。

昨今、労働問題や粉飾決算などのコンプライアンス違反を犯して
世間を仰天させるような企業には、一つの「共通項」があります。
それは既存事業の枠組みを前提にしてKPIを設定し、
ひたすらに現場の尻を叩くという、
いわゆる「科学的マネジメント」に傾斜していた、ということです。

大規模な「イカサマ」に手を染めて破滅する企業の多くは、
その直前まで「科学的経営管理」によって世間から称賛されているケースが少なくない。

サイエンスだけに立脚していたのでは、
事業構造の転換や新しい経営ビジョンの打ち出しはできません。

「そもそも何をしたいのか?」「この世界をどのように変えたいのか?」
というミッションやパッションに基づいて意思決定することが必要になり、
そのためには経営者の「直感」や「感性」、
言いかえれば美意識に基づいた大きな意思決定が必要になります。

このような局面で、サイエンスのみに軸足をおいて、
論理的に確度の高い案件ばかりに逃げ込み続ければ、
やがて現場は疲弊し、モラルの低下とイカサマの横行という
問題が起きるのは当たり前のことです。

「フワッ」と浮かんだアイデアが優れたものであるかどうかを判断するためには、
結局のところ、それが「美しいかどうか」という判断、つまり美意識が重要になるからです。

正しい手を指すためにどうするかではなく、
美しい手を指すことを目指せば、正しい手になるだろうと考えています。
このアプローチのほうが早い気がします。(羽生善治「捨てる力」)

高度で複雑で抽象的な問題を扱う際、「解」は、
論理的に導くものではなく、むしろ美意識に従って直感的に把握される。
そして、それは結果的に正しく、しかも効率的である。

大きな方向性や戦略について深く考察することは、
とりもなおさずこのスピードを毀損することになります。

~~~ここまで引用

なるほど。

科学的な正しい一手を指すということは、
とても大切なことなのだろうけど、
そこに傾斜しすぎることの危険を説いている。

そして、
日本企業の「成功体験」とは、
「スピード」という強みを最大限に活かしたこと。

そして、その「スピード」のために必要なのは、
「ゴール」であって、「ビジョン」ではなかった。

「思考停止」して動くことであって、
「なぜ、これが必要なのか?」と考えることではなかった。

そして何より、
年功序列型組織が悪いわけでは決してないけど
負の側面として、「失敗しないと出世する」
という思考に陥ってしまい、

そうなると打ち手はどんどん「サイエンス」的に
正しい一手となるが、それは次第にコモディティ化し、
さらなるスピード勝負、コストダウン勝負になる。

経営陣は経営戦略、つまり
経営的にどのように「戦い」を「省略して」いくか
を考えなければならないのに、

KPIを設定して、現場にがんばれ、と言い、
その数字を管理するだけである。
構造的に疲弊せざるを得ない。

足し算でイノベーションは起こらない。

まず引き算をして、
強みだけを取り出して、
掛け算していくこと。

あるいは、マイナスとマイナスを
掛け合わせて、一気にプラスにしていくこと。

そうやって、イノベーションは起こるのだと思う。

必要なのは、「ゴール」ではなく「ビジョン」であり「ミッション」である。
この世界をどうしたいのか?
この事業の先にどんな社会が広がっているのか?

そして、
「美しい」と思う一手を打つことである。

だから、感性を磨くこと。

「自信を持つ」っていうのは、
スキルではなく、むしろ感性のほうだ。

感性を信じて、
美しいと思う次の一手を打ち続けること。

プロフェッショナルとは、美しい一手が、
あとから考えると正しく、効率的だったとなることだ。

さて。

僕にとっての次の「美しい一手」とはなんだろうか?  

Posted by ニシダタクジ at 08:25Comments(0)

2017年12月06日

「やりたいことがわからない」は種として正常な状態


キンコン西野さんトークライブ。


「革命のファンファーレ」(西野亮廣 幻冬舎)

もうね。
1500円(税込)っていう価格設定からすごい。
講演会場での直売を前提としている。

食わず嫌いだったのだけど、
塩尻の山田くんが面白かったというので、
僕も興味があって、行ってきました、トークライブ。

いやあ、面白かった。
怒涛のマシンガントーク。

エッセンスは2日のブログ
http://hero.niiblo.jp/e486424.html
に書いたので、今日はその続き。

~~~以下トークライブおよび本文からメモ

クラウドファンディングはお金を集める装置ではない。
お金の正体が分からないとお金は集められない。
お金とは何か?という問い。
クラウドファンディングとは何か?という問い。

ホームレス小谷がお金の本質を語ってくれている。
1日を50円で売る。なんでもやる。
お金を受け取らないことで信用を稼いでいる。
クラウドファンディングで結婚式費用を集める。50円で買った人が入れている。
信用の両替機としてのクラウドファンディング

お金とは、信用の数値化であり、クラウドファンディングとは信用をお金に換える両替機。

テレビタレントのクラウドファンディングがうまくいかないのは、
テレビタレントは、意外に信用がないから。
テレビはスポンサーがお金をはらっているから。

料理番組では美味しいと言わないといけない。
好感度が重要だから。好感度を上げるためにウソをつく。
昔は確かめる術がなかったが、今はその真偽を確かめることができる。
情報操作ができなくなった。

テレビに出続けると、好感度、認知が上がる代わりに信用を失う。
好感度と信用はトレードオフ。
認知タレントと人気タレントの違い。
認知タレントはスキャンダルがあると詰んでしまう。

認知タレントのCDは売れないし、有料ライブも人は呼べない。
現代の通貨は信用。

ウソは感情がつくんじゃなくて、環境がつかせる。
ウソをつく環境に身を投じないこと。
つまりテレビのグルメ番組に出ないこと。

空気を読むと、信用が離れていく。
大切なのは大局観。

アイデアを提供してもらうにはどうしたらいいか?

徹底的に行動すること。
動かないやつは自分ひとりの脳みそでしか考えられない。
徹底して行動することで脳みそが集まってくる。

そして、旗を立てる。
人とアイデアが集まってくる。

~~~ここまで引用メモ

印象に残ったのは、
「飛行機はなぜ飛ぶのか?」
という往年の漫才コンビ紳助竜助のネタ。

「飛行機ってなぜ飛ぶか知ってるか?」

・何百人も載せている
・結構なお金を払ってもらっている
・目的地につくと思っている
・そのままいったら海に落ちる

「飛ばなしゃーないやろ。」

鳥も羽はやさなきゃしゃーないから羽が生えた
両生類も陸にあがらなしゃーないから上がった

天才のつくり方⇒極端な環境に身を置くしかない
サラリーマンからは天才は生まれない。みんながやっているから。

いいなあ、そういうの。
飛ばなしゃーない。だから飛ぶ。

そして、本で復習。
いきなりまえがきでシビれたよ。

~~~以下本からのメモ。

「やりたいことはわからない」は、種として、動物として、環境に即した、正常な状態である。

「いつの時代も、次の世代のほうが種として優秀である」という自然界の宿命。

最近の若者は・・・、というのは、「進化に乗り遅れてる」と自ら宣言するようなものだ。

親世代の常識は、「お金=ストレスの対価」だ

ところがストレスがかかる仕事から順にロボット化されていき、
ストレスがかかる仕事がみるみる世の中からなくなっていくではないか。

好きなことを仕事化するしか道は残されていない時代

批判のほとんどは、変化に対する恐れだ

学校の先生に一番必要のないスキルがお金だ。

哲学や教養のない炎上は商法として成立しない。

まもなく定年で、まとまった退職金も貰えるのに、
それまで我慢できずに会社を辞めて、喫茶店始めちゃうオヤジだとか、
そういった生き方をしている人を芸人と呼んでいる。
つまり芸人というのは、肩書きではなく、生き方の名称だ。

肩書きを変える程度のことで炎上してしまう、
肩書きは一つに絞れという世間の風潮が、
職業に寿命がやってくる、これからの時代を生きる上で極めて危険。

インターネットが何を生んで、何を破壊したのか。

過去の常識にしがみつくな。その船は、もう沈む。逃げろ。

感情に支配されず、常識に支配されず、お金に支配されず、
時代の変化を冷静に受け止め、常に半歩だけ先回りすることが大切だ。

船底に穴が空き、沈んでいく船の、まだマシな部屋を探してはいけない。
最後に水に浸かる部屋を奪い合ってはいけない。
今の状況を正確に捉え、生き延びることが大切だ。

クラウドファンディングは資金調達のツールではなく、
共犯者作りのツールである。

おみやげは生活必需品だったのだ。
おみやげは必ず体験の出口にある。

スマホがカバーできてない娯楽となると、あとは体験しか残らない。

体験を共有するべく、おみやげを買う。
商品は、体験に紐付ければ確実に売れる。

自分一人で広告してはいけない。広告させることが大切だ。

宣伝用アカウントに、宣伝効果があるはずがない。
大切なのはニュースを出すことではなくて、ニュースになることだ。
何の為の情報解禁日なのかを、もう一度考えろ。考えるんだ。

決定権は覚悟だ
未来は覚悟に比例する
キミに決定権はあるか?
成功者は必ず決定権を持っている。

~~~ここまで本文より引用。

僕の読書は、
線ひいたり折ったりしないで、
ツイッターでつぶやきながら読むスタイルなのだけど、
なんかめちゃメモしたなと。

本の一番のポイントは、
「やりたいことがわからない」は種として正常な状態であるということ。

種の生存戦略として、
時代や社会に合わせていくこと。

時代が社会、いやお金のシステムや意味づけさえ
変わろうとしている現代において、
やりたいことが決まっているというのは、
むしろ危険なことなんじゃないかと。

そして、思わず笑ってしまったのが、ここ。

宣伝用アカウントに、宣伝効果があるはずがない。
大切なのはニュースを出すことではなくて、ニュースになることだ。
何の為の情報解禁日なのかを、もう一度考えろ。考えるんだ。

「もう一度考えろ。考えるんだ。」

いいなあ。
この繰り返し。

常識や慣習をそのまま受け入れないこと。
思考停止しないこと。
考え続けること。
試作しつづけること。

僕がここ数年で読んでシビれたビジネス書のエッセンスというか
ポイントみたいなものが詰まっている1冊でした。

・ゆっくりいそげ(影山知明 大和書房)
・MEDIA MAKERS(田端信太郎 宣伝会議)
・魔法のマーケティング(川上徹也 フォレスト出版)
・心の時代にモノを売る方法(小阪裕司 角川新書)
・応援したくなる企業の時代(博報堂ブランドデザイン アスキー新書)

と併せて読みたい。

そして、この前紹介した、
「あなた」という商品を高く売る方法―キャリア戦略をマーケティングから考える(永井孝尚 NHK新書)
がこの「革命のファンファーレ」の解説になっているような気もする。

「考え続けるという希望」(2014.11.14)
http://hero.niiblo.jp/e457307.html

変化の時代に、
怖いのは、停止してしまうことだ。
動き続ける、考え続けるしかない。

そこには、「知るべき絶望」があるかもしれない。
しかし、そこからしか始まらない。

いま、自分が乗っている船
(学校や会社、プロジェクト、あるいは思想や考え方)
の船底に穴が空き、沈み始めているからもしれない。

そのときに、自らの船で漕ぎ出していけるか。
あるいは新しい船を造ることができるのか。
船を造るための資金を集めるほどの信用があるのか。

そして、なにより、その船の行き先を自分で決められるのか。

そんな問いが突き刺さる、トークライブと本でした。
ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 08:20Comments(0)

2017年12月05日

ミッションに基づく直感で決める



大阪心斎橋・スタンダードブックストア。
ツルハシブックスの本のラインナップは、
オープン当初から
この本屋さんを参考にしていました。

僕が買いたいな、と思った本を注文して、
お客さんに先に買われると、
「お客さん、お目が高いね。」(オメガトライブではない。)

と言いながら売っていた。
ツルハシブックスは1日1冊は必ず新刊を売る、
というルールになっていたので、
お客さんが来ないころは、自分で買っていた。
(まあ、自分が買いたい本をそろえているのだから、そうだよね)

今回は、わずか15分しかなかったけど、
のぞきに行ってきた。

そしたら、やっぱりあるんですよ。
この本の中身はこれ。


世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?
経営における「アート」と「サイエンス」 (山口周 光文社新書)

おもしろ~。
こういう本好き。
なんていうか、真実すぎて、笑えない。

「個人や組織のイノベーションがどう起こるか?」

っていうのは、僕と問いが近いので、
この本はめっちゃ響きます。

といっても、まだ第1章の途中なのですが、
ここらで少しアウトプットしておきます。

~~~以下本文より引用

正しく論理的・理性的に情報処理するということは、
「他人と同じ正解を出す」ということでもあるわけですから、
必然的に「差別化の消失」という問題を招くことになります。

「科学的に検証できない」ということは、
「真偽がはっきりしていない」ということを意味するだけで、
その命題が「偽」であることを意味しません。

コンサルティング会社が提供している価値を一言で言えば、
「経営にサイエンスを持ち込む」ということになります。
「サイエンス」に依拠する以上、その判断の立脚点はどうしても数値にならざるを得ません。

歴史を振り返ってみれば、過去の優れた意思決定の多くは、
意外なことに感性や直感に基づいてなされていることが多いということです。

フランスでは、文系、理系を問わず、
すべての高校生が哲学を必修として学び、
哲学試験はバカロレア(大学入学資格試験)
の第1日目の最初の科目として実施されます。

これまでの日本企業の多くは、
「人と同じ答え」を「より早く、より安く」
市場に提供することで勝ち残ってきたわけです。

経営における意思決定のクオリティは、
「アート」「サイエンス」「クラフト」の三つの要素の
バランスと組み合わせ方によって大きく変わる。

「アート」はアカウンタビリティ(説明責任)に耐えられないから
「アート」と「サイエンス」と「クラフト」
を戦わせると、「アート」は負ける。

イチロー
「僕は天才ではありません。
なぜかというと、自分が、どうしてヒットを打てるかを
説明できるからです。」

言語化できるかどうか、再現性があるかどうか、
「サイエンス」の世界では重要な案件。
天才・長嶋茂雄は説明できないから天才。

アカウンタビリティ(説明責任)は無責任の無限連鎖を呼び、
リーダーシップの放棄を引き起こす。
「あのときは、そのように判断することが合理的だったのです。」
という言い訳を生んでしまう。

しかし、考えてみれば、
もしセオリー通りに論理的にかつ理性的に経営するのであれば、
経営者やリーダーの仕事とはいったいなんなのでしょうか?

もし、経営における意思決定が徹頭徹尾、論理的かつ理性的に
行われるべきなのであれば、それこそ経営コンセプトと
ビジネスケースを大量に記憶した人工知能にやらせればいい。

トップに「アート」(系人材)を据え、
左右の両翼を「サイエンス」と「クラフト」
で固めてパワーバランスを均衡させる。

強い企業、類い稀な革新を成し遂げた
多くの企業がこのようなガバナンスの構造を持っていた。

ウォルトディズニーもホンダの創業期も、
80年代のアップルも、近年のソフトバンクも、

強烈なビジョンを掲げてアートで組織を
牽引するトップをサイエンスやクラフトの面で
強みを持つ側近たちが支えてきたという構造になっていた。

~~~ここまで本文より引用

なるほどな~~~。

めっちゃいいわ、これ。
問いが熱い。

アカウンタビリティ(説明責任)は無責任の無限連鎖を呼び、
リーダーシップの放棄を引き起こす。
「あのときは、そのように判断することが合理的だったのです。」
という言い訳を生んでしまう。

しかし、考えてみれば、
もしセオリー通りに論理的にかつ理性的に経営するのであれば、
経営者やリーダーの仕事とはいったいなんなのでしょうか?

もし、経営における意思決定が徹頭徹尾、論理的かつ理性的に
行われるべきなのであれば、それこそ経営コンセプトと
ビジネスケースを大量に記憶した人工知能にやらせればいい。

めちゃその通り過ぎる。
「アート」人材をリーダーに据えて、
直感で決める。
どちらが美しいか?で決める。

それはきっと最初のほうで出てくるけど、
「哲学」を学んでいるか、っていうことも重要なのだろう。

西村佳哲さんのいう、「あり方」がある人が、
直感で選ぶ道に行くこと。

そこに向かって進める個人や組織体こそが
イノベーションを起こせるのだと思う。

ミッションに基づく直感を発動させられるチームをつくる

それが一番大切なことじゃないかなと感じた1冊です。
まだ途中ですが。  

Posted by ニシダタクジ at 08:26Comments(0)

2017年12月03日

「本屋」やめます

「内野の駅前で本屋をやってます。」

2011年3月。
ツルハシブックスがオープンしたことにより
僕は初めて、一般的な職業名を手に入れた。

ちょっと、うれしかったのだった。
「本屋をやってます。」
って言えることが。

それまでの僕は
まきどき村という畑をやりつつ、
中学生向けの学習塾をやってみたり、
家の中にミニ本棚をつくったり、
神社の境内で小学生の遊び場をつくったり、
サンクチュアリ出版の営業をしたり、

長期実践型インターンシップ「起業家留学」で
企業課金でプログラムをつくったり、研修したりしていた。

だから、
「西田さんって何やってんですか?」
ってよく聞かれたし、
「本業はなんですか?」
って聞かれた。
(この質問をしてしまう時点で、その人の思考はおじさん確定なのだけど。笑)

昨日は
まちライブラリーの礒井さんと
大阪でビブリオバトルを立ち上げた池内くんと秘密の会合@なんば
(公開してるけど)




むちゃくちゃ面白かった。
さすが、一緒に飲みたい5人のおじさんの筆頭にくる礒井さん。
何もお題が無かったのだけど、盛り上がりまくり。

まず、
大阪人の礒井さんは、

「あいつ、おもろい」

これが最大の褒め言葉だ。

昨日、礒井さんと話せてよかった。

本屋、やめようって思った。

いや、ツルハシブックスをやめるわけでも、
本を売ることをやめるわけでもないけど、

「本屋」という肩書から自由になろうって。

本屋とか、図書館とか、言った時点で、
言われたほうは既存の(というかその人の頭の中にある)
本屋、図書館像を思い浮かべてしまう。

それでは、クリエイティブな場にならない。

たしかに、そうだ。
「この人は何屋さんなんだろう?」
っていうお互いが知り合ったほうが、
ワクワクするようなアウトプットが出るような気がする。

うんうん。
本屋の西田、やめよう。

そういう意味では、
「ツルハシブックス 劇団員」っていう肩書も
悪くないなと思った。

劇団員???
みたいな。
それが良い問いとなるのかもな。

これがいちばん思ったこと。

あとは、いろんなメモ

・本屋とか図書館とか言ってる奴は辛気くさいからモテない。(笑)
・それはなぜかというと、内面に意識が向きすぎているから。
・アイドルは逆に外面に意識が向きすぎているから、カッコよくない。
・内面と外面のバランスをとること。

・オリンピックとか万博を最初にやるっていうのは、夢がある。
・目標設定で前例があるっていうのは、どんどんつまらなくなる。

・本屋で知的な飲み会。座って3000円。みたいな。
・女子大生と経営者の飲み会。学びたい人向け。笑。

そんな楽しい未来の話をしました。

というわけで、僕は「本屋」やめます。

現代美術家/余白デザイナーで、
ツルハシブックス劇団員です。  

Posted by ニシダタクジ at 08:30Comments(0)

2017年12月02日

世界一のタオル屋

矢沢永吉。
日本を代表するロックミュージシャン。

矢沢永吉の
キャッシュポイントはどこか。

そんな話。
学校は「お金」のことを教えてくれない。
なぜなら、みんなが素人だから。



キングコング西野さんの講演を聞き、
「革命のファンファーレ」を読みました。
おもしろかった。

一番シビれたのが冒頭の矢沢の話。

ヤザワ=世界一のタオル屋説

矢沢永吉はライブのたびにオリジナルタオルをつくり、
そのタオルをライブのとあるタイミングで、全員で宙に放り投げる。

そこで、投げ捨てるから、
その瞬間に消耗品になり、
3000円のタオルが10000枚また売れる。

そこがキャッシュポイントとなって、
質の高いライブをつくることができる。

その結果、CDを(数多く)売れなくてもよい。
→売れ線の曲を作らなくてもよい。
→矢沢はロックンローラーであり続けられる。

そこで、衝撃的な一言。
「天才になるには、本業でお金をとっちゃだめだ。」

うわー。マジか。
それ、新しいな。
要は、お金をとる場所をズラす。」ってこと

そのズラすっていう感覚が面白かった。
たとえば、西野さんの書いた「えんとつ町のプペル」は、

原画展を各地で開催してもらい、
その出口で絵本を売っている。

つまり、
「えんとつ町のプペル」を「おみやげ化」するんだと。

それは、西野さんの長年のリサーチの結果。
せっかく作ったのだから、売りたいと。

いいもの作っても売れるわけじゃない。
つくってもお客に届かなかったらつくったことにカウントされない。
お客さんに届くまでの導線をデザインする。
つくるだけつくって終わりではダメ。

クリエイティブにおける育児放棄をしないこと。
つくることはお客さんまで導線をデザインすること。
買う側から考えてみる。
人は何を買って何を買っていないのか?

「作品」は買わなくなっている。
「生活に必要なもの」は買っている。

しかし、売れている「作品」がある。
それは何か?たとえば、演劇パンフレット。
そう、売れている作品は「おみやげ」として売れている。

「おみやげ」は「思い出」を思い出す装置=生きるために必要なもの

ディズニーランドの出口に、巨大なおみやげ屋さんが
鎮座しているように、
自分の作品がおみやげになるとしたら、その前に体験が必要。
作品がおみやげになるような体験。
絵本の原画を無料で貸し出して原画展をやってもらうことで、絵本がおみやげになる。
各地で開催され続けることで売り上げがとまることのない仕組みを作った。

絵本を売っているのは本屋ではなく、展示場。
体験をデザインすること。
展示場が楽しかったからお土産として本を買う。
体験の出口としておみやげ=本を売る。

なるほどな~。

これ、聞いていて、いと本と編み出した、
著者でもないのに本にサインする本屋っていうのを思い出した。
http://hero.niiblo.jp/e274363.html
本こそ「あなたから買いたい」(2013.7.21)

この日以来、
僕は、著者でもないのに、
購入された日付を書き、そこに一言添えて、
本を売ってきた。

ああ、あれって、ツルハシブックスという体験のお土産だったんだと
あらためて思い出した。

昨日も岐阜のさかだちブックスでの
トークライブ後、

「本の処方箋」を少しやったのだけど、
トークライブで、サインの話したら、
サイン入れてくれっていう人が続出して、
サインを書いていた。

ああ。
これか。

「おみやげ化する」ってこういうことか。と

やってたんだね。
少しだけ。
それを言語化できてなかったってこと。

たぶんこれからの僕のテーマは2つだ。

ひとつは、矢沢永吉バリに、
本屋のキャッシュポイントをズラすこと。

もうひとつは、
そうはいっても、本を売るために本屋をやっているのだから、
本がおみやげ化するような体験をお店の中でつくること。

暗やみ本屋ハックツも、
総合的にそういうことが提供できたらいいなと思った。

まだまだ、考えたいので、明日のブログに続きます。  

Posted by ニシダタクジ at 17:24Comments(0)学び

2017年11月30日

「マイノリティー」と「マジョリティー」を無くした「場」をつくる

福岡の大学生、井上洋菜のブログで、
イノベーションと言葉についての
記述があったので、そこにインスパイアされて
もやもやと考えている。

https://yona47.wordpress.com/2017/11/26/

キーワードは
・イノベーション
・言葉
・多様性
・マイノリティーとマジョリティー

などなど。
そんなことをもやもや考えながら
電車に乗って、本を開く。


「断片的なものの社会学」(岸政彦 朝日出版社)

最近は読書運がすごくいいので、
タイムリーに飛び込んでくる言葉たちがある。

110ページから引用する。

~~~ここから一部引用

幸せのイメージというものは、
私たちを縛る鎖のようになるときがある。
同性愛のひと、シングルのひと、子どもができないひとなど、
家族や結婚に関してだけでも、これだけいろいろな生き方がある。

それだけではなく、働き方や趣味のありかたなど、
生きていくうえで私たちがしているありとあらゆることについて、
なにか「良いもの」と「良くないもの」が決められ、区別されている。

ここから、考え方がいくつかに分かれる。
おそらく、そのなかでもっとも正しいのは、
極端に言えば「良い」と思うことをやめてしまうこと、
あるいは、そこまでいかなくても、それが「一般的に良いものである」
という語り方をやめてしまうことだろう。

ある人が良いと思っていることが、
また別のある人びとにとっては
暴力として働いてしまうのはなぜかというと、
それが語られるとき、徹底的に個人的な
「<私は>これがよいと思う」という語り方ではなく、
「それは良いものだ。なぜならば、<一般的に>良いとされているからだ」
という語り方になっているからだ。

完全に個人的な、私だけの「良いもの」は
誰も傷つけることもない。

そこにはもとから私以外の存在が
一切含まれていないので、誰も排除することもない。
しかし、「一般的に良いとされているもの」は、
そこに含まれる人びとと、そこに含まれない人びととの
区別を自動的につくり出してしまう。

「私は、この色の石が好きだ」という語りは、
そこに誰も含まれていないから、誰のことも排除しない。
しかし、「この色の石を持っているひとは、幸せだ。」
という語りは、その石を持っているひとと、
持っていないひととの区別を生み出す。
つまりそこには幸せなひとと、不幸せなひとが現れてしまう。

したがって、まず私たちがすべきことは、
良いものについてのすべての語りを、
「私は」という主語から始めるということになる。
あるいは、なにかの色の石を持っているかどうか、
ということと、幸せかどうか、ということを切り離して考えること

~~~ここまで引用

うわ~。
なるほどな。
めちゃその通り過ぎて震えた。

そもそも、
「マイノリティー(少数派)」とか
「マジョリティー(多数派)」とか
って言葉はあんまり意味がないんじゃないかと思った。

いや、意味がないんじゃなくて、
良いと悪いがないってことか。

多数派だから良いわけじゃない。

特に「イノベーション」の視点からは、そうかもしれないよね。
イノベーションは最初はだれも賛同しないって言うし。
多様性や異質から生み出されるって言うし。

「多数派」=「良い」っていうふうになったのは、
いつからだろうか。

っていう問いが浮かんだ。

いま、
長岡藩の河井継之助が描かれた
司馬遼太郎の「峠」を読んでるのだけど、

幕末も、関ヶ原の戦いのときも、
大切なことは「時勢を読むこと」、つまり「勝ち馬に乗る」ことだった。
だから、情報収集し、あるいは裏切りを画策し、
自らが多数派であろうとした。

KJ法というワークショップ手法がある。

これはラベル(付箋)にひとりひとりの意見を書き込んで、
「ラベルに語らせる」という手法だ。

そこにいる多様な人たちの意見をいったん紙に落とすことで
意見を出した個人の肩書や実績ではなく、
純粋にそのラベルを見て、アイデアを生んでいくということ。

そうそう。
あくまで、大切なのは「個」なのだ、と。

「個」が「個」として、場にコミットすること。
それが大切なのだと思う。

だからこそ、
「アイスブレイク」じゃなくて、「チューニング」が大切なんだ。

場にフォーカスするんじゃなくて、
個人にフォーカスして、
「今日、この人はどんな音を出す人なのだろう?」
を認識して、

ひとつの音楽・曲のような「場」を
生み出していくこと。

イノベーションは、マイノリティーが生み出す、
のではなくて、

「マイノリティー」や「マジョリティー」という言葉が無くなり、
「個」にフォーカスする「場」から生まれる。

そんな仮説ができました。

井上洋菜さん、ありがとうございます。  

Posted by ニシダタクジ at 08:27Comments(0)

2017年11月29日

「仮説検証」をエンターテイメント化する


「あなた」という商品を高く売る方法―キャリア戦略をマーケティングから考える (永井孝尚 NHK出版新書)

読み終わりました。
なんか、しっくりくるわ。
わかりやすい。

27日のブログにも書いたけど、
http://hero.niiblo.jp/e486383.html
「バリュープロポジション」という考え方。

「①どんな強み(自分の強み)」を生かして
「②だれの(ターゲット)」
「③どんな悩みに(ニーズ)」
「④いかに応えるか(自分の仕事)」

そして
「相手がほしいもの」
「自分が提供できるもの」
「ほかが提供できるもの」
の三角形の中の

「相手がほしいもので、
ほかが提供できなくて、
自分が提供できるもの」

を見つけていくことが
バリュープロポジションだと。
(ここまで再掲)

この本では、
阿智村の「星空エンターテイメント」の話で、
リーンスタートアップと振り返りの大切さが書いてある。

~~~以下本書より一部引用

2011年末、ヒト・モノ・カネものなく、
ホームページすらない状況で、
「日本一の星空ナイトツアー」プロジェクトが立ち上がった。

全員手弁当の持ち出しだったが、
翌年の3月には地元小学生を招いて
モニターツアーを行った。
満天の星に大興奮の子供たちを見て、
これはイケルといい感触をつかんだ。

8月1日、第1回目の「日本一の星空ナイトツアー」
参加者はたったの3名だったが、
これも大感動の様子でさらにイケルと思った。

そこで「スターガイド」を募集。
3人公募のところ3人が応募。
経験者はおらず、人前で話したこともなかった。

谷澤さんは、素晴らしい運営の仕組みを持っていた。
それは「翌日に持ち越さない」ことだ。

谷澤さんたちはナイトツアー終了後に、
毎晩反省会を行った。

「何がよかったか?」
「何が悪かったか?」
「悪かった点はどう直すか?」
を必ず話し合い、全員で共有した。

谷澤さんたちが行ったのが、
まさにリーンスタートアップによる「仮説検証」だ。

阿智村では2012年8月以来、この仮説検証を
毎日行い、試行錯誤から学んだ分厚い学びが蓄積されている。

~~~ここまで引用

「企画会議」

「リーンスタートアップ」(とりあえずやる)

「仮説検証」

「企画会議」

これをいかにグルグルするか。
きっとこれが地域での若者のチャレンジの場づくりの
カギになっていくだろうと思う。

そして、僕自身のバリュープロポジションが
そこにあるのかもしれないと思った。

「とりあえずやる」ためには、
それを「挑戦」だと自覚しないことが大切だと思う。

「企画会議」を「キカクカイギ」にして、
ワクワクしながら始める。

そして、今回の阿智村の事例で学んだのは、
「翌日に持ち越さない」ということ。

尊敬する友人が
毎日夜リセットするために1時間ほど散歩を
していると言っていたが、そういうことか。

ツルハシブックスも、
振り返り、したほうがよかったな。

魔法の4窓振り返りで
・予想できたよかったこと
・予想できた悪かったこと
・予想できなかった悪かったこと
・予想できなかったよかったこと
これ、毎日やったほうがよかったな。

そして、ヒーローズファーム時代にやっていた
スタッフ間のフィードバックセッションも
やるのがいいのかも。合宿時とかに。

〇〇さんへ
・印象的だったコト
・チームの中で担っていた役割
・こういうところはすごい
・このあたりはあと一歩・・・
・これから期待すること

これは相手をよく見ていないと書けないから
習慣化すると、チームがよくなるだろうなと思う。

そうやって、
はじまりの企画会議と
しめくくり・次につなげる仮説検証を
エンターテイメント化する。

そして、
「予測不可能性」というエンターテイメント性を
高めていくこと。

昨日、熱海からとっくんが遊びに来て、
話していたんだけど、

リクルートスーツ来て就活ってまだやってるんですか?

結果が決まっている会議なんてあるんですか?

って真顔で驚いていたので、
きっとそれが、本当なんだろうと思った。

外国人が日本人はちょんまげで刀を差して歩いてる、みたいな。
(いや、なんかちょっと逆か)

リクルートスーツとか
結果が決まっている会議とか、
アンビリーバブルだなあと思う。

多様性と予測不可能性
一緒にやってみる、そしてふりかえる。

それをエンターテイメント化すること。

そこにミッションがあるのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 08:24Comments(0)

2017年11月28日

「余白」と「委ねる」と「問い」と「学び」


松本の夜。


信州大学の授業「地域ブランド実践ゼミ」の講師飯田さんが
トイレに行っていて映っていないので講師風景を。

~~~講義メモ

料理道具専門店の飯田屋(合羽橋)
おろし器マニア「おろしニスト」飯田結太さんについてはこちら
http://konomi.me/I0004943

1000分の1の熱狂
認知されない→存在しないと一緒

研ぎ澄まされた何か。

実店舗の可能性
アマゾン・楽天で失敗した人が買いに来る。
もう失敗したくない。

・かぶる会社がないこと
・情熱を持ち続けること
・新カテゴリーをつくること

世界観がないと価格競争を強いられる。
やっていることを削ぎ落とす。
100%キッチン

料理をつくる人をいい道具で幸せにする。
→ひと手間増える。

料理は人のためにするもの。
その人を幸せにする。
世の中が幸せになる。

~~~ここまで講義メモ

いやあ、かっこいい。
「削ぎ落とす」ことが信頼を生み、ブランドになるって思った。
ダイコンおろし買いに行きたくなった。
いや、行きますけど。誰か一緒に行きませんか?

そして夜の部へ。
塩尻の山田くんとその仲間たちに混ぜてもらい、松本の夜。

奥義と型と構造化とか
9歳の男の子が始めたレモネードスタンドの話とか
初頭効果と終末効果の話とか
feel imagine do shareの話とか
ナンパとマーケティングとブランドの話とか
藤原印刷さんの話とか

しました。

~~~以下メモ

5秒間で浮かばなければ、存在しないと同じ
「ブランド」においてイス取りゲームのイスは2,3席しかない。
ブランドの最高位は「リレーションシップ」

リビセン本は10冊セットでbaseで売った
でファンが買って、買った人みんなが本屋になった。

ノウハウはだんだん0円になっていく。
連携じゃなくて、連繋。
為せば成るではなくて、為して成す。
プチプチみたいなもので全部つぶせばいい。

タメをつくると攻守交代する
詩は余白。読んだ人に委ねることができる。

答えは教えない。教科書2.0。

本は読むものではなく戦うもの。
本は抱くもの。買うもの。

~~~以上メモ

なんていうか、男6人、楽しい夜でした。

余白デザイナー僕としては、印象に残ったのは、
やはり、余白の話。

「余白」ってなんだろう?
ってあらためて考えた。

3年前の夏、新潟で四万十の迫田さんと
塩尻で三田の家の坂倉さんに出会った。
ふたりが同じようなことを言っているのではないかと思った。

「ツルハシブックスはもっと面白くできる」

そう思った。
そのための方法が、僕がいなくなることだった。

「余白」をつくる。
完成を未完成に戻す。
マサシとゆきもんが次のツルハシブックスをつくった。
昨日のブログでシェアした
「これがツルハシブックスの日常」です、だ。
「偶然」という名のアートがあの日もたしかに生まれてた。

「余白」というのは、「委ねる」ということ。
さっきの詩の話と同じだ。

たぶん。
昨年2月に、ワークショップ3.0
http://hero.niiblo.jp/e477213.html
で上田信行さんのワークショップスタイルを見てから、

~~~以下参考:ワークショップ3.0(西田メモ)

ワークショップ3.0
・参加者の興味や関心に応じて、
その場で何をするか決定し、比較的長時間をかけて目標の達成を図ろうとするもの
・ファシリテーターが予想以外の学びを得る場合が多い
・参加者とファシリテーター双方に即興性と創造性が重要視され求められる。

・その場で関心が出たことを話すことが可能
・何が起きるかわからないのでモノの準備が必要
・ある程度の前提知識が必要

~~~以上参考

僕のファシリテーションも「フォワード型」かつ「委ねる」型に変わった
それに伴って、参加者満足度が上がり、
さらに、なんといっても僕自身の学びが深くなった。
自分自身が学べる場となったのだ。
吉田松陰的に言えば、ワークショップが共に学ぶ場になった。

だから楽しいのかもしれない。

それを構造的に言えば、

「余白」をデザインすることで、
場に「委ねる」ことができるようになり、

それによって、
参加者にも「問い」と参加性が生まれ、
「学び」が大きくなるということなのではないか。

そのベースには、
青木将幸さんの言う「安心空間」づくりが必要で、
その方法としては昨日書いた「チューニング」が使える。

たとえば、昨日も書いたけど、
日曜日の多治見でオープニングで行った。
「10代に贈りたい本」の読書会は、

その人の内面や場にかける思いの深い部分を、
本を通じてさらけ出す効果を持っていた。

さらにその前の時間にやった
「本の処方箋」も悩みをさらけ出すことで、
「場」の空気が「ああ、本音を語ってもいいんだな」
となった。(たぶん)

そこに「余白」をつくり、「委ねる」こと。
「問い」を投げかけ、ひとりひとりが語り、
それによって「学び」を得ること。

たぶんそれこそが、楽しいミーティングの条件で、
そうやって企画は生み出されていくのではないだろうか。

手法に頼らず、「委ねる」こと。
そんなワークショップをこれからも作っていきたいと思った。  

Posted by ニシダタクジ at 09:09Comments(0)日記

2017年11月27日

「思い」のチューニングから始まるキカクカイギ

多治見まちづくり株式会社が主催する。
多治見駅に近い本町にある旧ワタナベ時計店をリニューアルして
本屋をベースにした「場」づくりのプロジェクトにお邪魔してきました。


世界時計


ワタナベ看板


メガネ、時計、貴金属を扱っていたみたいですね。


ランチを食べた喫茶K


卵を敷いたスパゲッティ「イタリアン」です。
ごはんとのセットがあるくらい、濃いめの味付け。多治見のソウルフード。

そのほか、多治見の図書館は
2015年度の「ライブラリーオブザイヤー」
(これ、横浜に見に行っていました)

そちらも見学に。
高校生がいっぱい勉強していました。

お題は、若者も立ち寄れるように、
いろんな人を巻き込みながらつくる本屋のある空間をつくる、という感じ。

13:00からは「本の処方箋」をやりました。
14:30からはトークライブというか企画会議的な。

本の処方箋は、いろんな悩みがありましたけど、
やっぱりこういうセッションが楽しんだなと。

もっとちゃんとやるには、
空間仕切るとか、時間をかけるとか方法があるけど、
それなりに人が来て盛り上がりました。

「オープンマインド」をつくる。
そういうデザインになっていたのかもしれません。

14:30からのトークでは、
まちづくり株式会社の小口さんの視察報告の後に、
自己紹介を兼ねた「10代に贈りたい本」の紹介。

それが終わって、
時計見たら、15:40で、
「あれ、予定終了時刻まであと20分しかないですけど。(笑)」
結局16:40くらいまでやってましたけどね。

僕の話は、
ツルハシブックスの本を通した取り組みを映像で紹介したあと、
プラットフォームとしての本屋の可能性について話す。
なぜ本屋なのか、そして本屋でできること、など。
https://www.youtube.com/watch?v=vWAlg7NSUUk

そのあと、3人1組になって感想を言った後で、
この場所でできることについて、思いを語り合った。

これが10分で終わらずに15分。
やっぱりみんな話したいんだな、と。
ゲストは話題提供者でいいんだなと。

話し合ったことを発表してもらうと、
どのチームも、大学生とか中高生とか、
そういう人たちに向けた企画が話されていた。

それが分かったのは、
発表が終わって、僕に返ってきたときに、

「顧客はだれか?」
「顧客にとっての価値は何か?」
っていう話をしたかったので、

4チームに、
「それって誰に向けてやりますか?」と問いかけた。
そしたら、大学生や中高生がもっとこの街を歩いてほしい
っていうことが分かった。

これは、もともとのイベントページにもそのような
「10代」「若者」っていうキーワードが出てきた
こともあるけど、

「10代に贈りたい本」を持ってきてもらい、
その上で、それを発表しているから、
それによって、その人の価値観や人間性が
見えてくるっていうのがある。

「10代に贈りたい本」という
コミュニケーションツールの凄さをあらためて感じた。

「私の好きな本」
「最近読んだ面白かった本」
よりも、「10代に贈りたい本」はパワフルだ。

それは本の話だけではなく、
「なぜ、この本を10代に贈りたいのか。」を
必然的に話さなければいけないからだ。

「コクリ!キャンプ」を主宰する三田愛さんの言葉を借りれば、「種火」。
誰もが心の奥に持っている種火。
そこに気づいて、火を広げること。

「思い」を語る、「種火」を語る。
それがチューニング(音合わせ)となり、
場の空気が温まる。
そんなことが起こっていたように思う。

そのあと、茅ヶ崎市美術館で行われた「ハックツ展」の話と
山田さんの名言「これがツルハシブックスの日常です」の動画
https://www.youtube.com/watch?v=bYq8iDb_ei4

顧客はだれか?
顧客にとっての価値は何か?
を問いかけた後で、その場の広がりについて、話をした。

そして、「居場所」になるリスクの話。
居心地のいい場所は、「居場所」になってしまうリスクを負うこと、

集まる場所(居場所)だけではなく、
始まる場所にならないといけないこと。

始まる場所になるために、企てる場所に
ならなければいけないということ。
そんな話をした。

これからも、まちの人が集まり、
「企画会議」を重ねていくことが大切なのではないかと思った。

最後にもう一度参加者からの
ふりかえりというか感想をもらう時間が取れたらいいなと
思ったけど、タイムオーバー。
まあ、残った人はそれなりに話していたので、それはそれでよかったけど。

帰り道。
大好きな書店「ちくさ正文館 本店」のある
千種駅で途中下車。


「あなた」という商品を高く売る方法―キャリア戦略をマーケティングから考える
(永井孝尚 NHK出版新書)

を買いました。
例の「100円のコーラを~」の著者の本。
「バリュープロポジション」という考え方。

「①どんな強み(自分の強み)」を生かして
「②だれの(ターゲット)」
「③どんな悩みに(ニーズ)」
「④いかに応えるか(自分の仕事)」

そして
「相手がほしいもの」
「自分が提供できるもの」
「ほかが提供できるもの」
の三角形の中の

「相手がほしいもので、
ほかが提供できなくて、
自分が提供できるもの」

を見つけていくことが
バリュープロポジションだと。

そんな風に考えると、僕自身は、
「若者を巻き込みたい」
「若者と一緒に何かしたい」
と考えている地域の人たちへ、

あるいは、
「地域で何か面白いことしたい」
「自分に自信がないので何かアクションしたい」
と思っている若者たちへ、

企画会議というよりも、
もっとゆるい「キカクカイギ」くらいの
「場」を提供することかもしれない。

そこから生まれる「企画」そのものに対しては、
みんなが目標設定やチーム作りを行って実現に向かっていくこと。
それは地域でやればいいのだと。

そっか。
そんな「キカクカイギのつくりかた」が
僕の提供できることかもしれないといま思いました。
意外にブルーオーシャンかもしれませんね。

僕ができることは、
「思い」のチューニングで、場のチカラを高めて、
キカクカイギそのものに「また来たい」と思えるようになるっていうこと。

具体的には、

冒頭に自己紹介をやる
・フルネーム(あるいはニックネーム)
・出身地とご当地自慢
・最近あった(あるいは24時間以内にあった)よかったこと
・参加動機
あたりを参加者全員で共有でいるとよい。

そして、ミーティング中にも
グループワークを入れて、
小さな「感想」と思ったことや思いついたことを共有する

そして終わり際に
・今日の感想
(印象的だった言葉、自分が感じたこと)
をランダムに言って終わるということ。

文字にすると、簡単な気がする。
すぐにできるかも。

まあ、いいや。(笑)
こうやって、企画が生まれる場をつくっていくこと。

ゆるいキカクカイギの場づくり。
そこに僕のミッションがあるのかもしれません。

そして
「10代に贈りたい本」という問いかけは、
まちの人々と、まちづくり会社やまちづくりに携わる人たちを
つなぐコミュニケーションツールになり得る、と思ったことが
一番の学びでした。

多治見のみなさん、ありがとうございました。
またお会いしたいです。  

Posted by ニシダタクジ at 08:23Comments(0)日記

2017年11月26日

ベルギービールを愛するということ



名古屋女子ビール部の復活イベント。
日本におけるベルギービールの第一人者である
三輪一記さんのトークからスタート
一般財団法人日本ベルギービールプロフェッショナル協会代表理事
ベルギーは九州と同じくらいの面積に1000万人が暮らしている。
なんと、1600種類のベルギービールがあるのだという。

ワイン以上の多様性があって、
熟成することでまた味わいが変わり、
開ける瞬間、飲む瞬間、楽しみが広がるのだという。

昨日は8名の参加者と
数年前まで活動していた名古屋女子ビール部についてと
2階にあるライブラリーの活用法について、話をしました。

いちばん盛り上がったのは、
ベルギービールの絵本をつくる、というもの。
三輪さんがベルギーで出会ってきた作り手の物語を
ちょっとずつ絵本にしていくこと。

ひとつは、
・酔った段階では、活字の本はなかなか読めない。
そして、
・作り手の物語を知りたい。
さらに、
・絵本であれば、みんなで読める。

そういうコミュニケーション・ツールとしての
本づくりをするのはいいかもしれない。


「ソムリエール」っていうマンガがある。
(著:城アラキ、イラスト:松井 勝法 集英社 2007年第1巻発売)

このマンガでは、作り手の物語がつづられている。
北海道で無農薬で作り続けている兄弟の話とか。
ラベルからは伝わってこない作り手の物語、思いに触れると、
そのワインを飲むときに、心が旅をするんだ。

そういえば、今回誘ってくれた
名古屋女子ビール部のプロデューサーの
本間さんが最初に言っていた。

「ベルギービールを飲むと、
ベルギーを旅しているような気持ちになる」
旅ができるビールなんだ、ベルギービールは。

で、今回のイベント企画がなぜ起こったのかというと、
新潟で本間さんと話していて、

ベルギービール屋さんの2Fに本棚があって、
そこでライブラリーをつくる、みたいな話で、
そのときにピンと来たのは。

ひとり飲みできる女子は、(男子もだけど)
精神的に自立した人が多いような気がする。(僕の統計上)

そういう人たちが、
ビールと本をきっかけに出会ったりしたら
楽しいのではないかなと思ったのです。

で、実際に昼間からビールを飲む、
名古屋女子ビール部っていう名称
に惹かれてやってきた女子が2名いたので、
それは意外に当たっていたのかもと。

そして、参加者のひとりが言っていたことで
印象的なことがひとつ。
「出会いが楽しいから1人で飲みに行く。」

なるほど。
酒場はお酒をみんなで飲むことで、
心が開いている状態をつくりやすい。
酔っ払いはみな、(精神的に)フラットになれる。
そういうことなのかもしれない。

「イノベーション」がどう起こるか。
これは、水曜日のフォーラム、
金曜日の信州大学の授業からのテーマでもあるのだけど。

多様性とフラットな関係性。
これがカギになるなと思った。

そういう意味では、
ベルギービールを飲みながら
語る場は、何かが起こりそうな気がする。

ひとつ詩が浮かんだ。

ベルギービールを愛するということ。
それは多様性を愛するということ。
作り手をリスペクトするということ。

酒場で飲む、を愛するということ。
それはフラットな関係性を愛するということ。
1回限りのいまこの瞬間を楽しむということ。
(2017.11.25 名古屋女子ビール部)

ベルギービールは、本に似ている。
そしてベルギービール屋は本屋に似ている、って思った。

本屋という空間は、
「人は多様でいいんだ」というメッセージを
本棚が発している空間だと僕は思う。

そしてそこで本と出会い、心が動かされる。
人と出会い、何か会話が生まれる。
そこから始まる物語がある。

本を通じると、人と人はフラットになる。
本屋での出会いは、その時限りの劇場のようになる。
それがツルハシブックスでやってきたことだった。

そうだとすると、ベルギービール×本って、
かなり面白いんじゃないか。

「集まる場」と「始まる場」
そんな場所になったらいいなと思いました。

僕にとっても素敵な気づきがありました。
またご一緒しましょう、本間ねーさん。  

Posted by ニシダタクジ at 08:27Comments(0)イベント

2017年11月23日

このまちに大切な人を呼びたいと思いますか?


MICHIKARA 官民協働フォーラムに行ってきました。

なんか、くやしかったです。
プレイヤーはどんどん前に進んでいるんだなって。
敗北感でいっぱいでした。

印象的だったキーワードを少し紹介。

渋谷区長の長谷部さんへの
フューチャーセッションズ野村さんのコメント。
「1つ1つのアイデアに、区長がすべてコメントしていてすごい」
って。

いい組織とは、トップがアイデアに興味がある組織。
結果だけに興味がある組織はいい組織とは言えない。

なるほど。
リクルートはそうやって、人を育成してきたのだなと。
あなたの組織のトップは、アイデアに興味があるか?
ってこと。

そして何より、今回もっとも響いたのは、
タイトルにもなっている岩手県釜石市の石井さんと日立製作所の話。

さまざまな取り組みをして、
全国的に注目されている釜石市。

そのKPI(重要目標達成指標)は、
「釜石に大切な人を呼びたいと思いますか?」
という住民アンケートだという。

なんということだろう。
「誇り」そのものがKPIだなんて。

日立製作所の写真プロボノを通じた
釜石市の取り組みの話も素敵だった。

CSR担当部長の増田さんの話。
まず、半年、ひたすら通った。
「釜石の現状を教えてください」
と副市長に話を聞いた

そのあいだ、多数の連携の話が
さまざまな企業から来たという。

半年後、副市長から、
「今夜どうですか?」と飲みに誘われた。
そこで初めて出た課題の話。
半年かかって築き上げた何か。

僕たちの「連携」は、
お見合いじゃなくて恋愛結婚ですから
なんて言っていたけど、ホントそうだなと。

ていねいなヒアリング、地域調査。
そこからどんなアウトプットを出していくか。
そこをやらなきゃ、本当に必要とされるものは
出ないのだろうな。

ミニワークショップは、話題の
あいそうな4人で組んで話をする。

自分たちの問いは、
「地域を好きになるような学びの場、仕組みづくりとは?」
官民協働でやりたいこと。
やっぱりこれかな、と。

それを僕は本屋を通してやりたいと改めて思った。
官民協働フォーラムが日常化しているような、そんな場所。

最後に、イノベーションが起こる方法として、
以下のまとめがあった。

・顧客の声を異常なくらい聞く
・原体験を起点に
・熱狂的アーリーアダプターを10人探す

そういう意味では、
僕は、かなり聞いてきたほうだと思う。
起点にする原体験もある。
あとは熱狂的アーリーアダプターを10人。

そこかな。
大切な人を呼びたくなるまちを協働してつくっていく。

まだ、それがなぜ本屋なのか?
って明確に言えないけど、
僕は本屋がその拠点になりうると思う。

・フラットな関係性
・アイデアを聞く場所
・チームができる場

「集まる」場と「始まる」場としての本屋

うーん。
まだ興奮して、うまく書けないけど、
また明日、山田さんに聞いてみます。  

Posted by ニシダタクジ at 08:22Comments(0)学び

2017年11月21日

越境する窓としての本と、ドアとしての本屋


「断片的なものの社会学」(岸政彦 朝日出版社)

11日に行われたイベント「DIVE IN BOOKS」内の
「はじめましての3冊」企画で「魔法をかける編集」と交換した本。
お借りしています。ようやく読み始めました。
現在91ページまで来ました。

素晴らしくタイムリーでした。

昨日の「秘密の作戦会議」のテーマは、
「越境」だったので、

「越境」というキーワードがぐるぐる
していたところだったので、
この80ページからの「出ていくことと帰ること」
がめっちゃよかった。

「なぜ本屋なのか?」っていう問いに対しての
僕自身の仮説がカタチを伴ってきたな、って。

アウェー感っていう言葉があるけど、
そういうのを感じる場所に身を置かないと、
「越境」とは言えないのだろうなと。

大学生が地域に出る意味、について。
それはひとえに「越境する学び」だろうと思う。

地域に出る。
なにか活動に参加する。
その意味がどこにあるのか、考える。
フィードバックをもらい、自己評価を行う。

「大学の外に出る」っていうのは、
物理的に出ることじゃなくて、精神的に、
つまり、以前書いた「他者評価の檻」
から脱出することなのだろうと思う。

「学び」は越境にある。
境の向こう側か、あるいは境目上にある。

その「学び」こそ、エンターテイメントだ。
最強のエンターテイメントとは、「学び」だと僕は思う。

だから人は本を読み、旅をして、人に会うのだろうと思う。

そんなことをぼんやりと考えながら電車に乗って、
この本を開いたところで、タイムリーに飛び込んできた言葉たちがあった。

~~~ここから引用

私たちはいつも、どこに行っても居場所がない。
だから、いつも今いるここを出てどこかへ行きたい。

居場所が問題になるときは、かならずそれが失われたか、
手に入れられないかのどちらかのときで、
だから居場所はつねに必ず、否定的なかたちでしか存在しない。

しかるべき居場所にいるときには、
居場所という問題は思い浮かべられさえしない。
居場所が問題になるときは、
必ず、それが「ない」ときに限られる。

誰にでも思わぬところに「そとに向かって開いている窓」があるのだ。
私の場合は本だった。同じような人は多いだろう。
四角い紙の本はそのまま、外にむかって開いている四角い窓だ。

だからみんな、本さえ読めば、実際には自分の家や街しか知らなくても、
ここではないどこかに「外」というものがあって、
私たちは自由に扉を開けてどこにでも行くことができるのだ、
という感覚を得ることができる。

そして私たちは、時がくれば本当に窓や扉を開けて、
自分の好きなところに出かけていくのである。

あるときには本が窓になったり、人が窓になったりする。
音楽というものも、多くの人々にとって、そうだろう。
それは時に、思いもしなかった場所へ、
なかば強引に私たちを連れ去っていく。

~~~ここまで引用

そうそう。
思わぬところに窓があって、そこから人は「越境」していく。
そこにエンターテイメントとしての「学び」があるのではないかと思うのだ。

そしてそれこそが、
「自由への扉」となる。

ローカル・リベラルアーツ・ラボラトリーと
しての本屋をやる上で、避けられない問い。

それは「自由」とは何か?である。
そして、自分はどのレベルの自由を欲するか、である。

会社員になる、というのは、
月曜日から金曜日の時間的制約を受ける代わりに
一定の給与によって、一定の金銭的自由が得られる。
そして、金銭的自由が精神的自由をもたらしてくれる。
多くの人がそうやって生きてきたし、生きているのだろう。

その「自由」を自分なりに定義をすることが大切だと僕は思うし、
それは大学生、いや高校生のときから問い始めても早くないと思う。

「自由」とはなにか?を問うためには、
越境してみることは非常に有効だろうと思う。

絵にすると、こういう感じ。


自分が生きている世界というか会社というか学校というか、
その価値観の外に出ること。
他者評価の檻を脱出すること。

そこでいろいろやってみて、
振り返って、自己評価を行うこと。
それを言語化し、人に伝え、
フィードバックをもらうこと。

その繰り返しでしか、「自由」の定義は得られないのではないか。
「自由」とは、嫌われる勇気であるってアドラーは言ったけど、

「自由」とは、他者評価オンリーの人生を生きないということなのだと
現時点では僕は思う。

だから、「自由」の獲得のためには、
自己評価の習慣をつけること。
その前に、他者評価の外へ出ること。
越境すること。

岸さんのいうように、そのための方法のひとつ、
窓のひとつが、本である。

越境する機会の提供。
本と本屋の役割があるはそこにあるのだと思う。

日立の海のような本屋「うみまちブックス」も
越境するためのドアのような本屋になったらいいなと思う。
https://camp-fire.jp/projects/view/51775

最後に、昨日、一番響いた言葉を。

「志があれば、生きること自体が学問になる」(吉田松陰)

熱いっす。  

Posted by ニシダタクジ at 08:18Comments(0)

2017年11月20日

本屋というメディアをつくる


「MEDIA MAKERS―社会が動く「影響力」の正体」(田端信太郎 宣伝会議)

この本があまりにもタイムリーだったので、
ダイジェストでもう一度振り返りメモ。
この本は買いです。

~~~以下本文よりちょっとずつ引用。

「メディア」と「ファイナンス」は似ている
⇒「対象への信頼」が鍵になっている。

何かを伝えたい、という発信者の思いがあるときに、
それを伝達する「媒体・媒質」となるものこそが
語源本来の意味でのメディアの定義。

メディアとは、そこに情報の送り手と受け手の
二者が存在し、その間を仲介し、両者間において、
コミュニケーションを成立させることを目的とするものである。

Media型:送信者1 VS 受信者N ヤフーニュース等
Tool型:送信者N VS 受信者1 G-mail等
Community型:送信者N VS 受信者N フェイスブック等

メディアの影響力の本質
メディアで語られる=生きた証が記憶されるということ
メディアの価値「予言の自己実現能力」

ストック⇔フロー
参加性⇔権威性
リニア⇔ノンリニア

ペルソナの設定と、それが動き出すような物語をつくる。
尊敬・信頼・畏怖されないメディアは叩き売りされる。

テクノロジーの進化によって、
メディア自身も変わらざるを得ない。

馬具メーカーをやめたエルメス。
自分たちは何屋さんなのか?という問いに対して、
「馬具メーカーである」と答えることをやめた。

「自分たちは何屋なのか?」
「自分たちだからこそ、社会や顧客に提供できる本質的価値とは何か?」
このことを常に自問自答しなければなりません。

新聞はすべてパッケージされていた。
いまはすべてがアンバンドリング(バラバラになる)されている

新聞社に突き付けられているのは、プラットフォーマーになるのか、
プレイヤーに徹するのか?という重い選択です。

これまでは、さまざまなビジネス上の
生態系をもとに産業の垣根ができていたわけですが、
クラウドのインフラ上では、あらゆる境界線が溶けてなくなりつつあります。
そんな状況では、メディア企業と事業会社や広告主の境界線も消滅しつつあります。

さらに、プロとアマチュアの境界線も、
例えば、大学と書店とコンサルティング会社とビジネス・カンファレンス業と、
専門出版社の境目すら消えつつあるわけです。
知識を売る、という意味では、大学も書店も、
コンサルティング会社も全てフラットに同一平面上に並ぶわけです。

そして、徹底的にアンバンドリングが進んだ後には、
これまでとは違ったメディア環境が広がり、
アンバンドルされたものがまた別の視点から
パッケージングされ、リワイヤリングされているのではないでしょうか?

その際の主役となるプレイヤーは誰でしょうか?
私の仮説では、それは個人です。

雑誌がオーケストラなら、メルマガはロックバンド。

雑誌は抱き合わせ販売されていて、
個人のファンならメルマガを購読したほうが
効果的で効率的。

「雑誌は編集長の王国」だった時代は終わり、
誰も王の名前も知らない。

いまや有料個人メルマガこそが
「王国型メディア」である。
それは、個人が「無限責任」を負うということ。

商業メディアは有限責任で
(記者の)匿名性の高いメディアである。
そこには、嘘というか、ネガティブな意図が入り込む
隙が生まれる。

有限責任である株式会社で発信する限り、
そこが限界になる。

誰でも発信者(メディア)になれる時代に
どちらが信頼に足りうるでしょうか。

~~~ここまで引用メモ

いいですね。
振り返っても、すごい学び多い1冊。
このメディアを「本屋」に替えてみる。
媒体を「クラウドファンディング」に替えてみる。

その先に、僕が29歳の時に「小説吉田松陰」を読んで
妄想した、「学びあいの仕組み作りで希望の灯を燃やす」

そんな本屋の形があるように思います。  

Posted by ニシダタクジ at 08:28Comments(0)

2017年11月18日

ドラクエ3のように地図が広がっていく

コクリエドリンクスvol.5でした。

菅原さんの話、おもしろかった~。
人と人をつなぎまくっているヒタチモン大學の
菅原さん。

人と人をつなぐときに、
考えていること。

1 個性(らしさ、スキル、客層)どうしがどうつながるか
2 個々の相性
3 各々の客層の相性

この、3の客層の相性っていう
発想はなかったので、面白いなあと。

そして、菅原さんのすごいところは、
マップに落とし込む、ということ。

コミュニティ生息域とかファン層の分布とか、
視覚的に理解しているところがすごいなと。

ヒタチモン大學は、
毎年、テーマを持ってやっている。

1年目は日立市内でイベントをする。
2年目は食のイベントに特化してやる。
⇒すると市外・県外の人が反応し、日立に来る。

3年目はひたすら外(日立市外)に出る
⇒ドラクエ3のように地図が広がっていく

4年目の今年は都内にターゲットを絞り、
茨城へ来てもらうように

きっかけは秋田のシェアビレッジ
http://sharevillage.jp/

ここに元日にいったら、
都内からかなりの人が来ていたということ、

これは茨城に必要な動きだ、
ということで都内から茨城への動きをつくろうとして、
これから「茨城移住計画」をスタート。

強調するテーマは、「スポーツ移住」
菅原さん自身がラグビーをやるために
水戸から日立へ転職・転居をしたこともあり、
そういうニーズがあるのではないかなと。

なるほど。
たしかに、スポーツコミュニティって
同じベクトルを共有しているから、仲良くなれる。

で、菅原さんの人脈の広げ方。

紙媒体(チラシ)配りは意味がない。
デジタルだけでも意味がない。

紙媒体であれば、渡す時の工夫を。
フェイスブックでもつながってから、
ハガキを書いて、メッセージを送る。

NGワードは「よろしくお願いします」
人はお願いされたくない。
考えなきゃいけないのは、何を与えるか。giveできるか。

ハガキに書くのは、
「とりわけ、この話が面白かったです」ということ。
そして「またお会いしたい」ということ。

そして、興味深かったのは、
ハガキというメディアの位置づけ。

ハガキというメディアを会社に送る
ということ。

メールでは、個人から個人への開いて、それで終わり。

ところが、ハガキだと、
何人かの手を介さないと届かない。

そして、もし、会社に送るとなると、
(もちろん家庭でも同じだけど)

そのほかの人にも目にとまる。
ハガキはオープンメディアだから、
この人からこの人へハガキ(しかもお礼状)が来たんだな
っていうのはみんなが認識する。

そこから始まる波がある。
たしかに。
そう思った。

菅原さんは、ハガキを書くのが好きなので、
ハガキというツールを使っている。
みんなも好きなツールを使ってやったらいいと。

そういう感じ。
リアルあってのデジタル。
ほんとそうだなと。

個性や才能の見つけ方は、
過去を掘っていくこと。
これはほんとその通りだと思った。

趣味は、スーパーやコンビニで
人が何をどう買うかを見ること。
「動線フェチ」なんだって言ってた。

その原点は
ゲームにあるのだという。

プレステ版の「ザ・コンビニ」
「シムシティー」のまちづくり
そしてドラゴンクエスト。

ドラクエ3では、
旅を進めると、だんだんと地図の範囲が
広がっていくのだという。

そして、
ドラクエにはもうひとつ大切な原則がある。

「会話しないと進めない」っていうこと。

誰かと話さないと先に進めないし。
みんなと話せば、誰かがヒントを持っている。
そうやって、菅原さんは人と人をつないできたのだ。

そんなリアルとデジタルのあいだ、
な本屋さんをつくりたいなあと思いました。  

Posted by ニシダタクジ at 07:48Comments(0)日記

2017年11月17日

メディアの力とは予言の自己実現能力のこと


「MEDIA MAKERS―社会が動く「影響力」の正体」(田端信太郎 宣伝会議)

個人がメディアになる時代に、読んでおきたい1冊

結論から。
「メディアの持つ影響力」について、明確に一言で。

~~~以下引用

メディアには、そこでなされた予言自体を
自己実現させてしまう傾向があり、
この「予言の自己実現能力」こそが、
メディアへの畏怖の念と影響力の源泉でもありました。

そしてメディアの信頼性・ブランド力・影響力とは、
「予言」実現能力対する価値のことである。

~~~以上引用

なるほど。
めちゃ本質的。

このあとコンテンツを3つの軸で読み解く。

1つめが
ストックとフロー

単行本からツイッター(SNS)まで
ストック性は大きいものから小さくなっていく。
ウェブメディアの中でも、ブログとフェイスブックでは
ストック性とフロー性が異なる。

これらはどちらがいいとかではなくて、
どちらもミックスする必要がある。
本とSNSっていうのはたしかにいい相性かも。

2つめが
参加性と権威性

食べログとミシュランなどを例に出して
参加性と権威性について語る。
こちらは現在は参加性に寄ってきている。

3つめが
リニアとノンリニア

リニアというのは線形のことで、
映画のように、一度見始めると、
最後まで見るというように、
リニア性の高いコンテンツであり、

他方、テレビやネットメディアは、
チャンネルを変えたり、リンクでほかのところへ飛べるので、
ノンリニアなコンテンツといえる。
特にデジタルメディアは宿命的にノンリニアなコンテンツとなる。

なるほどな~って。

で、僕の中でいちばんおもしろかったのは、次のペルソナのところ。
(まだ読み終わってないですが)

「メディア編集者は、対象読者の「イタコ」となれ!」
ではじまる項がナイスです。

~~~以下引用

成功している一流メディアでは、明示的か、暗黙的かは別にして、
その読者がどういう人なのか?を活き活きと独り語りするような、
いわゆる「ペルソナ」と呼ばれるものが、関係者の「脳内」に存在しています。

長編小説を書く作家や人気マンガの原作者が、作品完成後のインタビューなどで、
しばしば『頭の中に、登場人物の「キャラ設定」さえできてしまえば、
あとは勝手に登場人物たちが、ストーリーを前に引っ張っていくんですよ』
といった趣旨のことを話すのを聞いたことはないでしょうか。

ここで言われるキャラ設定と、
メディア編集の世界における読者「ペルソナ」の設定は
ほどんど同じものだと思います。

擬人化のパワーを利用し、想定読者にイタコのように憑依してみることで、
こうしたシチュエーションにおける編集ジャッジの速度と精度、一貫性は
飛躍的に高まるでしょう。

個人の想像力には、限界がありますから、
実際のペルソナ作りには、想像力を補完するために
対象ターゲットを集めて、いわゆる
グループインタビューをすることは極めて有用です。

~~~以上引用

なるほどな~。

ここで、
「クラウドファンディング」をひとつのメディアだとして見ると、
そこには、買う人=寄付者=お客=読者がいる。

その人の設定ができているか、
ってとても大切なことだなと。

そしてもうひとつ気づいたこと。

クラウドファンディングが成功したその先の未来日記を
書くことってとても大切だなと。

今の現状のシチュエーションの中で、
未来を描いていくこと。

半分事実で、半分フィクション。
そういう未来。

そして、それは、
自分自身じゃなくて、もしかしたら、
設定した上で、他者が書いたほうが、
ワクワクする文章になるのかもしれないなと思った。

クラウドファンディングというメディアは、
まさに予言を自己実現していくものだ。

描く未来に共感を集めるために、
物語の力が必要なのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 08:27Comments(0)