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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2018年10月15日

地域プロジェクトへの参加がキャリア観に及ぼす影響(仮)~「やりたいことがわからない」の社会学

卒論相談のアイデアメモ。
タイトルとサブタイトル逆でもいいな。

1 はじめに
・自分自身の中学・高校時の経験
・大学生の地域プロジェクトの参加
・「にいがたイナカレッジ」などのいわゆるインターンではない地域プロジェクトへの参加
・「キャリア観」は時代・社会の変化に合わせて変わっていくのではないか

2 前提確認
・「やりたいことがわからない」という課題
・キャリアが激変している時代
・キャリアデザインとキャリアドリフト
・「アイデンティティ」不安と承認欲求

3 本論
・地域プロジェクトへの参加についてのアンケート調査
(イナカレッジや他の地域プロジェクト参加者へのアンケート)
・地域プロジェクト参加者へのヒアリング調査
・社会人2,3年目の人へのヒアリング調査

・「田舎」で得られる「親和的承認」(存在承認)
・「キャリアデザイン」以外のキャリア観の実例に出会う

・「やりたいことがわからない」という悩みは
アイデンティティの課題と直結している。

・解決策は「やりたいことを決める」ことではなくて、
自らの存在を承認し、キャリアドリフト的な、
「やりたいことがわからなくても前に進んでいける」状態に置くこと

・チーム作り~「場のチカラ」を高める

・「参加」のデザイン~ゴールづくりに参加・同意しているか

・ふりかえり~「予測不可能性」というエンターテイメント

4 結論

5 おわりに

という感じ。
まだ途中だけど。  

Posted by ニシダタクジ at 06:39Comments(0)アイデア

2018年10月13日

素材の声を聴く



大正大学「地域実習」24日目。

午前中は八海醸造「魚沼の里」で「雪国wa!shoku会議」に参加。
午後からは国際情報高校の授業「魚沼学」の中間プレゼンの見学
夜はこの期間の実習のコーディネートをしてもらっている
「愛・南魚沼未来塾」の倉田さんと魚沼学をスタートした茂木さんの講座。

盛りだくさんの1日でした。
まず午前中から。

あの「里山十帖」(来週お邪魔します)の
岩佐さんに初めてお会いしました。
さすが、最先端だなあと。

「美しさ」について考えさせられました。

~~~以下メモ

定住者ひとり当たりの消費額は年間124万円。
人口減少とは、1人あたり124万円減るということ。
外国人観光客10名(2組)、日本人宿泊客26名(13組)、日本人日帰り83名(50組)と同じ。

旅行の目的の変化
名所・旧跡⇒温泉⇒美味しい食べ物
現地でしか食べられないものが旅行の動機になる。

美食の定義が変わってきた。
豪華な食事ではなく食文化の豊かさを感じる食事。

おいしい食べものってなんですか?
ガストロノミー=美食学
食べ物を右脳と左脳両方使って楽しむ

美食の定義。
フランス=テロワール(土)、イタリア=スローフード
ローカル・ガストロノミー:地域の風土・文化・歴史を皿の上に表現したもの。
それぞれの立場(生産者、料理人、住人)でローカルガストロノミーを表現していくこと。

2019新潟・庄内DCコンセプト「日本海美食旅」
食を通じて、新潟・庄内の歴史・文化を味わう知的な旅。

ガストロノミーツーリズム:
その土地の気候風土が生んだ食材・習慣・伝統・歴史などによって育まれた職を楽しみ、
その土地の食文化に触れることを目的としたツーリズム

新潟のナス:日本一の作付面積→66%は自家消費
新潟の枝豆:日本一の作付面積→42%は自家消費
→こういうものの中にローカルガストロノミーはある。

京都・東京に次ぐ食文化圏へ:日本海美食旅

京都のすごさは住人が京都出身・在住に誇りを持っているから。
新潟もそうありたいね。新潟最高だよ、
観光客なんて来なくてもいいのに、くらいにならないと。
でも独り占めもあれだから、観光客さんもどうぞいらっしゃい。みたいな。

独自のコンテンツ(温泉・名所)+ローカルガストロノミー
→どの地域にもある。
コンテンツが人である場合もある。
柏崎ツアーもこれでいけるかも。

里山十帖:米づくりを学ぶために南魚沼へ。
3年、5年で軽井沢に引っ越すつもりだった。ところが軽井沢には
自然・文化が乏しいことに気がつき、南魚沼が味があるところだと感じてきたので、
いまのところ引っ越す予定はない。

世界の潮流:「衣食住」への原点回帰。
→一番大切なものは食なのではないか。

京都の野菜料理:下ゆでをする
⇒一度味を抜いてからダシで味を入れていく。ダシ(かつお+昆布)でつける。

新潟の野菜:味があるから昆布だけで味が出る。野菜の皮:うまみが凝縮している。
水の違い(硬水、軟水)もある。

京都の野菜:滋賀や福井、兵庫から運んできている。
技術を磨いて同じ味を再現することに価値がある。恵まれていない食材をどうするか?

京料理にとって大切なもの
1 見た目(ビジュアル)
2 味
3 素材
京料理を目指す必要はない。昔からある食文化を生かすこと。

山菜を生で食べたら甘かった。育っているシーン(場所や時期)で味が違う。
⇒食材とともに生きている。

山菜はアク抜きが必要、天ぷらにして苦みを飛ばす必要
→従来の常識

「旬」=一瞬で過ぎていくのが分かる
金沢・京都の旬と違う。
新潟では春が遅くくるし、秋は早くくる。

歳時記ではなくて、
目の前にあるものを料理する。
⇒土地そのものと対話

ダイナミック=自然とのコミュニケーション
ダイナミズム:東京・軽井沢にはない。
⇒季節に合わせた無理のない料理=家庭料理

東京:〇月の料理:家庭でつくれるのか?
1か月そろえられるのか?
七十二候を感じるのか?

砂糖を使うと塩が増える。
塩分をを控えるには砂糖を減らせばいい。

~~~以上メモ

京都の料理は
一度味を抜いて、そこから味をつける。
農家の料理は、そのままの味を活かす。
それがローカルガストロノミーか。

なんか、単純だけど、
とても深いように感じた。

午後からは国際情報高校へ。
2年生の「魚沼学」中間プレゼンテーションを見学

印象に残った2チーム

高校生のための新聞発行をするチーム
同じ事柄を異なる視点で描いた新聞をつくって、
「進路」の悩みを軽減できるのではないか。
不安を解消するのではなくやわらげることができるのではないか。

もうひとつが
スイカを使った商品開発チーム
名産の八色スイカ。

彼女たちが通学路を通るとき、八色スイカの畑を通る。
すると、規格外で捨てられているスイカを目にするのだという。

あれを何とかできないか。
ということで、石鹸、化粧水、種を使ったお菓子を作ってみた。

いいね。
そういうの。アクション起こってる。
それを夏休みにバイト代わりに売ったりしたら
楽しいだろうなあと。

プレゼン聞いていて思ったこと。
やっぱ切実なストーリーって大事だなと。
スイカ畑のスイカが捨てられてる絵って
何かつらいもんね。

茂木さんが最後に言っていたけど、
「共感から始まる。もし、自分の中に何かなかったら、
誰かの思いに心を寄せていく」
っていうのが印象に残った。
共感とか思いとか大事だなあと。

夜の部。
愛未来塾の倉田さん。

旅行代理店での様々な取りくみ、
地元の誇りを生み出している。

交換価値→使用価値へ
トキ(時)とエン(縁)が価値を持つ時代。
ナナメの関係を地域でつくっている。

学びが楽しいまちは暮らしが楽しいまち
まちづくり=最終的には教育に行き着く。

うんうん。

茂木さんの話を聞いていて、
ビビっときた。

子どもを育てるって、
京料理じゃなくて、新潟の農家料理をつくるような
ものなんじゃないかって。
素材の声を聴く。

京料理じゃなくて、
農家の家庭料理をつくるんだって。

今までの教育は京料理をみんなで目指してきたんじゃないか。
「最高」と設定した料理を分析し、マニュアル化し、それを目指してきた。

でもね、それってもう価値じゃなくなってきてるんすよ。
ガストロノミーの時代。

地域固有の食文化を、一瞬しかない「旬」を、
農家の家庭料理のように、
毎日食べられる方法で調理すること。
それを味わいに海外から観光客が来るんだ。

アイデンティティ。

新聞をつくるチームの
プレゼンにもあったけど、
それって食からも作られるなあって。

素材の声を聴く。
素材の旬を感じる。
素材そのままの力を活かす。

そういう場をつくっていくこと。

なんか1日がすべて編集されて、
とってもいい気分になりました。
ありがとうございました!  

Posted by ニシダタクジ at 09:27Comments(0)学び

2018年10月12日

にいがたイナカレッジという「問い」

この夏にかかわっていた
大学生向けプログラム
「にいがたイナカレッジ」の参加者レポート。

https://inacollege.jp/blog/2018/10/11/%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B8%E3%81%A7%E8%A6%8B%E3%81%A4%E3%81%91%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%90%E6%A2%B6%E8%B0%B7%E9%BA%BB%E8%B2%B4%E3%80%91/

「即決できなかったのは、1か月という期間の長さ。
夏休みはインターンもそこそこに遊びたかったのが本音です…。
でもこれだと今までの大学生活と何も変わらないような…。

そして、1か月知らない人と知らない土地で暮らすことへの不安。
しかし参加を決めたのも1か月という長さ。
参加してみれば何かを得られるのではないか。変わる自分がいるのではないかという期待。
とりあえず行ってみよう…。悩みに悩んで、自分にとっては大きな決断をしました。」

うんうん。
そうだよね、そうだよね。
1か月は長いもん。

この時間を投資して得られるものはなんだろう?
って考えちゃうよね。

そして、

「釜谷の人が望んでいた冊子(歴史)と自分たちが作りたい冊子が噛み合わなかったとき、要望に応えたい、でも伝えたいことを曲げたくないと迷った時があります。

他の地域で私たちより早く活動をしていたインターン生に、「私たちの地域も同じだった。大事なのは自分たちの伝えたいことを伝えることだと思う」とアドバイスをもらうことができたので、それから私たちは自信をもってときめきを伝える冊子を作ることができました。」

泣ける。
泣けたなあ。

実はこの後にくるラストが超泣けるし、
僕も関われてよかったなあと思うのだけど、
それは本文を読んでください。

にいがたイナカレッジは
きっとそういうプログラム。

コーディネーターの井上有紀さんは、
あの「誇りの空洞化」を叫んだ
明治大学農学部の小田切ゼミ卒業生であり、
ツルハシブックス黄金期の
2015年を作った店員サムライの中心メンバーでもあり、
米屋を通して「暮らし」を届けるコメタクの
立ち上げメンバーでもある。

その系譜がカタチになったような、
そんなレポートだなあと。
すべて、問いでしかないんだって、あらためて感じた。

通常の企業のインターンシップと
明らかに違うのは、「得られる経験」が
明らかではないこと。

1か月という長期間(大学生にとってはかなり貴重)を
田舎で暮らすという投資に対して、
リターンが明確ではないこと。

たぶん、それがいいんだなあと思う。
でも、それって伝えるのが難しい。

どうやって伝えるか、っていうのを考えて、
上記のインターンを大学4年生にレポートしてもらったのがこちら

https://inacollege.jp/blog/2018/10/01/%E3%80%8C%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%99%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E6%97%85%E3%81%AB%E5%87%BA%E3%82%8B%EF%BD%9E%E5%A4%A7%E5%AD%A64%E5%B9%B4%E7%94%9F%E5%B0%8F%E6%98%A5%E3%81%8C%E8%A1%8C%E3%81%A3/

「自分を知る」
それがイナカレッジの価値だと
彼女はレポートした。

そう。
「にいがたイナカレッジ」は問いなんだ。

内田樹さんの
「下流志向」(講談社文庫)と
「先生はえらい」(ちくまプリマー新書)
を読むと、学びとは何かについて考えさせられる。

現代社会において、教育が「お買いもの化」されている。
つまり、最小の投資(努力)で最大のリターン(成果)を得られるように、
というマインドに覆われている。

ところが本来、学びの本質は、
師匠が何をいったかに関わらず、
自分は何を学ぶか、学んだか、
というのが大切であり、それこそが学びの醍醐味なのだと。

これ、インターンシップにも同じことが言えるだろう。

インターンシップ募集サイトには
「得られる経験」が書いてある。
みな、目的をもってインターンをする。
(もちろん、同級生がしているから、みたいな理由もあるけど)

にいがたイナカレッジは、何が得られるのかよくわからない。
だって、田舎で暮らすだけなのだから。

そんなことに
就活前の大学3年生という貴重な時間を投じていいのだろうか?
と思う人も多いだろう。

何が得られるのか?
と不安になる人も多いだろう。
でも、それこそが、思考の呪縛だと僕は思う。

経験も状況も問いでしかないのだから。

昨日、「つなぎ道」の佐藤孝治さんに、
「ご紹介したい人がいます」と言われて、
1時間ほど、ウェブ上でインタビューを受けた。

「ご紹介したい西田卓司さんというすごい人がいます」
佐藤さんの紹介はだいたいこんな感じ。

聞いた人は、
詳細の情報がないから自分で聞き出すしかない。

「この人はすごい人だって佐藤さんが言っているから、
何か聞いて、そのすごさを吸収しよう」

って思っているから、実際に僕は「すごい人」になる。

実はその時、僕は「すごい人」である必要がないのだ。

相手が勝手に「すごい人」だと
思い込んでいてくれさえすればよい。

そう。
佐藤さんの「つなぎ道」も同じく
「問い」だったのだと。

「すごい人」だと紹介することによって、
紹介された人は、その人のすごさを
自分なりに解読しようとする。
それこそが学びの本質なんだ。

現在美術家の北澤潤さんが
デザイナーの仕事は課題を解決することで
アーティストの仕事は問いを投げかけることだと言っていた。

「問い」を投げかけること。

きっとそれが僕のやりたいことなのだろうな。
現代美術家だしね。


※写真はイナカレッジ中間研修(18.9.3)の本屋出店の図  

Posted by ニシダタクジ at 06:40Comments(0)日記

2018年10月10日

おそるおそる差し出してみる

「やりたいことがわからない」と「自分に自信がない」

僕が本屋さんに立っているときに、
大学生が話してくれた二大悩み。

「やりたいことがわからない」のほうは、
夢至上主義とも言えるキャリア教育に疑問を持ち、

山登り型の「キャリアデザイン」への違和感と
川下り型の「キャリアドリフト」への学びを得た。

そして、激動する世の中において、
どちらが機能するのか、という問いが生まれた。

今もその問いは続いていて、
「中動態の世界」(國分功一郎 医学書院)
とか
「先生はえらい」(内田樹 ちくまプリマー新書)

を読むと、
むしろやりたいことを決めないほうが、
変化に即座に対応できるし、
場のチカラを最大限に高められるのではないか、
と思った。

そこでもう一度、
「自分に自信がない」問題を考えてみる。

これについては、
上田信行さんの「プレイフルシンキング」(宣伝会議)を読んで、
キャロル・ドゥエックさんの「やればできるの研究」(草思社)
へとつながった。

「固定的知能観」と「成長的知能観」の違いだ。
「自分の能力は生まれつき決まっていて、変わらない」と思うのか
「自分の能力は常に開花の途上にあり、変わっていく」と思うのか

学校教育を受けていると、前者のほうに傾きやすくなる。
「自分は能力ないんだ」と思ってしまう。
だからチャレンジが始まらないのだと思った。

だから、そのハードルを下げるために、
「チャレンジだと思わないようにチャレンジする環境をつくる」
を本屋ツルハシブックスでは目指してきた。

昨日、来月のイベントの打ち合わせをしていて、
思い出したエピソードがあった。

2004年。
中越地震。

僕は地震後、川口町へボランティアに行った。
新潟大学ボランティアセンターと協力して、
「子どものケア」部門へ。

入ってすぐに、
自分たちの考えが甘かったことを知った。

「週1日で大学生8人なんてボランティアは要らない。」
「あなたが毎日来てくれ。」

その理由は、子どものマインドはきっと傷ついているから、
毎日新しいお兄さんお姉さんが来て遊ぶよりも
昨日と同じお兄さんお姉さんが来てくれたほうがいい。

子どものケア部門のボランティアをコーディネートしていた
ホールアース自然学校の方針だった。

日程を調整して、その週末から7日間連続で(通いで)
僕は川口町のある地域に入った。
現場ではただただ、無力だった。

学校が再開してなかったから、
朝から、小学生と遊んだ。
避難しているテントの中で。
親は日中は地震で散らかった
家の片づけをしていた。

弟がふたりいる小学生のおねえちゃんがつらそうだった。
甘えたいのに、甘えられない。
そんなことが伝わってきた。

午後4時。
ボランティア終了の時間。

ボランティアセンターに帰っていく車を
追いかけてくる子どもたち。

車の中でみな、黙り込んだ。

無力。
たたただ、無力だった。
こんなことを続けて、彼らのためになっているんだろうか。
苦しかった。

子どもは答えてくれないから。
評価をしてくれないから。

そもそも、毎日違う人が来るよりも、
同じお兄ちゃんお姉ちゃんが来たほうがいい
っていうのは、ホールアース自然学校の
経験則に基づくもので、
現場の子どもたちが発した「ニーズ」ではない。

「災害ボランティアセンター」は
「ニーズ」に対して「最高速で応える」ことを
ミッションとして運営されている。

そこでは、
「挙がってこないニーズ」は基本的に後回しにされる。

僕が中越地震の時、川口町で学んだこと。

ボランティアっていうのは、
「おそるおそる差し出すもの」だってこと。

おそるおそる差し出し、
相手の出方を観察し、
また改善して、
ふたたび差し出すこと。

そういうことなんだって。

なんか、それってさ、
ビジネスに似ているなって思った。

自信はないけど、仮説がちょっとだけあって、
それを検証するために、おそるおそる差し出してみる。

それって、
「自信を持っておススメします。」
って差し出されるよりも、
「コミュニケーションしよう」っていう意思が感じられるなあと思う。

だからさ。
「自分に自信がない」って、
顧客とコミュニケーションしようっていうビジネスにおいては
とても大切なことなのではないかと。

「やりたいことがわからない」
「自分に自信がない」

それはむしろ人生を送る上で必要なのではないか。
そんなふうに思ってきました。









大正大学地域実習21日目。
直江兼続ゆかりの坂戸城と八海山ロープウェーへ。

ちっぽけな自分をあらためて実感して、
次のステージに向かいます。  

Posted by ニシダタクジ at 08:49Comments(0)学び

2018年10月08日

「道」を歩むということ

「つなぎ道」を始めた佐藤孝治さんと
「道」について話して、感じたこと。

ああ、それは道なんだって。

そして、「道」ってなんだろう?って。

で、調べてみました。

https://wanodaigaku.com/genre03/know005/

~~~以下上記ブログから引用

「この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ。行けばわかるさ。」

古代中国で老子が語ったとされる「道(タオ)」以来、「道」という漢字は事物や世界、人生等の本質および本質に迫ろうとする生き方を意味するようになりました。

老子や荘子の思想を受け継ぐものを道家といい、その思想が宗教的に変遷したものが道教です。 この「道」という概念の影響を受けて、日本の古代宗教は「神道」となり、立花は「華道」に、茶の湯は「茶道」に変遷していきました。

「道」とはプロセス、過程のことをいいます。
例えば、お茶の道というものは、どこへ行く道なのかというと、茶というものを媒体にして、人生とか自然の悟りを得るための道なのです。
つまり、悟ろうとする努力の過程が「道」なのであって、悟ってしまったら、それはもう「道」ではなくなってしまいます。
したがって、日本における「道」の思想が、西洋の「術」と違うのは、未完の美に価値を置くところなのです。

(中略)

日本の「道」という発想から学ぶのは、技術ではなく、技術を通して、その裏にある「精神」、自然から学べる静かな心や精神状態、人間関係をスムーズに深くしていく心だと思います。
ですから、そこには発展や進歩という概念はありません。
西洋の芸術が、つねに新しいものを求めて発展進歩をよしとするのと、ここで根本的に異なっているのです。

~~~以上引用

「つなぎ道」が「道」だとすると、
それもまた技ではなくて「過程」のことであり、

「過程である」ということは、
「答えがない」と同義であり、

たどり着かないということであり、
人それぞれであるということ。
〇〇流っていうのが出てくるのかもしれない。

昨日は湯島のプログラミング教室「ソラ」
のプレゼンテーション大会にコメンテーターとして参加。



小学生、中学生が
自分が書いたプログラムを発表、実演する。
シューティングゲームや
植物育成ゲームを作ってみる。

ああ。
そうそう。

大切なことは、やってみることなんだなあって。
始める理由は「やったことがないから」でいいんだって。
そんな大切なことを思い出した。

そして、プログラミングもまた
「道」のようなものだなあって。
これでいいっていう終わりがない。

常にプロセスの中にいて、
その中で技術と自分を高めていくこと。
そういう繰り返し。

つなぎ道もそう。

佐藤孝治さんが目指すつなぎ道と
僕が目指すつなぎ道は違っていい。
僕は本屋で、「機会提供」をいちばん大切にするから。

「道」を歩む。
「未完の美」の中にいる。

多くの人がそんな生き方を欲しているのかもしれないなと思いました。

目指さないこと。
そもそもゴールなど無いのだから。

ただ、歩き始めればいい。
それだけなのかもしれないですね。  

Posted by ニシダタクジ at 06:42Comments(0)学び

2018年10月07日

「有用かどうか?」という思考の罠

コミュニティ(同質性集団)にいると、
居心地はいいけど、変化に対応できなくなる。

いや、そもそも
同質性集団にいることが心地よくない人もいる。

「やりたいこと」は何か?
「将来の夢や目標」は何か?
と問われ続けるけど。

やりたいことを仕事にして、
そんな人ばっかりの職場にいると
やっぱりそれは「同質性集団」の中に
いることになって居心地が悪い。

それはなぜなのだろう?
って思った。

中動態。
そして、内田樹さんが
「先生がえらい」(ちくまプリマー新書)
の中で書いていた、
武道では考えたほうが1歩遅れる分、必ず負ける。

だからブルースリーは、
考えるな、感じるんだ、と言ったのだ。

そう。
やりたいことや夢が明確ある場合。

目の前に来る情報や人、イベントを
「有用かどうか?」という視点で思考してしまう。
その分、飛び込めない。
結果、機会を失っている。

しかし、
「有用かどうか」っていう脳の判断より、
「おもしろそう」もしくは「違和感を感じる」
っていう心の動きのほうが大切なのではないか、と思う。

人はみな、状況の中に溶けている、
というのは、中動態的な思想なのだけど、

そういう状態に身を置き、
その場の判断で行動を起こすこと。
いや、体が勝手に動くこと。

それが大切なのではないか。
そうしないと、変化の時代の対応できないのではないか。

同質性集団であることは、
有事の際は全滅のリスクを負うということ。
「異質な他者」にどのように出会うか。
自分の判断や思考をどこまで信じないか。

場のチカラに委ねられるか。

「やりたいこと」や「夢」を明確にすることは
「機会」を失う大きなリスクを伴う。

そのリスクとは、
「これは自分にとって有用かどうか?」という
思考の罠なのではないか。  

Posted by ニシダタクジ at 11:02Comments(0)就職

2018年10月07日

なぜ本屋なのか?

「本屋である」ということ
http://hero.niiblo.jp/e487816.html
(18.7.24)

8月下旬に某ケーブルテレビのインタビューを受けた時。
そんな問いを問われた。

「西田さんはなぜ、本屋なのか?」
つまり、なぜ本屋という方法をとるのか?

http://hero.niiblo.jp/e485430.html
「本屋」という方法
(17.7.25)

http://hero.niiblo.jp/e455612.html
滞在時間を増やすとリピーターになる
(14.11.2)

とまあ、
なぜ本屋なのか?
っていう問いは終わりのない旅なのだけど。

今回の東京・茨城出張で感じたこと。



10月4日朝:佐藤孝治さんと「燕湯」→「つなぎ道」インタビュー
10月4日夜:NPO・NGO勉強会「草莽の集い」ゲスト
10月5日夜:茨城大学iOPラボ「場づくりラボ」開催
10月6日朝:上野公園スタバ朝活「とやまゆか学」
などなどから。

「目的を持って始めないこと」
「課題を解決しないこと」

これがとても大切なのだなあと思った。

そしてそれが表現できるのは、
本屋という空間が大切なのだと。

まずは「場」に参加してもらうこと。
心を開いてもらって、話を聞き出すこと。
気がついたら行動を起こしてしまっていたこと。
機会の提供であって、結果は気にしないこと。

たぶんそういうの。
そういうのがやりたいのだよ。

それが一番実現するのが本屋という方法なのだろうなと思った。

それは、キャリアデザインへの違和感。
「やりたいことがわからない」という悩みへの違和感。
「夢」や「目標」を問いかける学校社会への違和感。

そういう違和感を自分なりに表現したもの。

それがまきどき村という畑であり、
ツルハシブックスという本屋であり、
暗やみ本屋ハックツというプロジェクトなのだろう。

犯人が最初から分かっている推理小説を、
誰も読み始めたいとは思わないだろう。

最初は言語化できなかった違和感を追いかけて追いかけて、
いま、ここに来ました。

安西先生、おれ、本屋がしたいです。  

Posted by ニシダタクジ at 09:35Comments(0)

2018年10月06日

目的を持って始めないこと

10月4日木曜日は東京湯島・ソラで
「NPO・NGO草莽の集い2018」
で「暗やみ本屋ハックツ」の活動について、
現代表の原さんと話してきました。

10月5日金曜日は茨城水戸・茨城大学で
「iOPラボ」の初回イベント「場づくりラボ」を
(株)えぽっく若松さんと「場づくり」を
キーワードにしたワークショップを進行してきました。

「場づくり」のキーワードがよかったのか、20名を超える参加。
久しぶりに緊張するファシリテーションでした。
ああいうのが平然とできないとダメだなあと。

最初に用意していたシナリオは全部なしにして、
各自の「場づくり」についての
イメージを共有するワークショップにしました。

2次会に14人くらい来ていたので、
まあ、いい場だったのではないかなと。
発起人の川原涼太郎くん、ありがとうございます。
あなたが3月に開いたイベントが始まりです。

ということで。
僕の気づき。

「目的をもって始めないこと」
「課題を解決しないこと」

これがとても大切なんだっていうこと。

特に10代と何かやるとき。
あるいは単に話を聞くときであっても。
目的や課題解決をゴールにしてしまうと、
はじめられないし、フラットに聞けなくなってしまう。

「アマチュアリズム」に失敗はないことを
僕はつながるカレーの加藤先生から
学んだのだけど。

それは「経済価値を生む」という
大いなる(ほとんどの経済活動が持っている)
大義(目的)を消去しているのだ。

そしてそれこそが「つながるカレー」活動の
魅力である。

目的を持ってはじめないからこそ、
起こったことを楽しめる。
課題を解決しないからこそ、
フラットにメンバーの意思を確認できる。

「価値」を固定しないこと。
目標にとらわれないこと。

一期一会のいまこの瞬間を楽しむこと。
他者に出会い、尊重すること。

それっていうのが「場づくり」にいちばん大切なこと
なのだろうなあと僕はあらためて感じました。

関係者の皆さん、参加者の皆さん、
ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 06:15Comments(0)学び

2018年10月04日

人間も一本の織り糸に過ぎない

大正大学「地域実習」15日目。
十日町DAY3.
まずは博物館で火焔式土器のお話から。

僕、恥ずかしながら、
縄文式土器は全部火焔式土器だと思ってました。
ほんとすみません。

「火焔式土器」は
火焔の文様をした縄文時代の土器のこと。
ちなみにこの文様は、共同体の範囲の大きさを
示し、火焔式土器の文様は
比較的狭い分布域となっていて、
東北や関東の多くの土器と違い、
ほかの地域とまじりあっていないのが特徴で

雪が多かったので移動がしづらかったのではと言われている。
そして、火焔式土器はほかとはまじりあわずに突如消えてしまう。

そもそも土器が縦長になっているのは、
吊るせないので、横から火を当てたからである。

文様をつけるというのは、
仲間同士であるという印で、
共同体の一員であることを示している。

火焔式土器は、
岡本太郎氏によって見いだされ、有名になった。

現在でもヨーロッパをはじめ、
世界各国の美術館で展示されている。

その後、「つねるぺ」こと
野沢恒雄さんの話を聞く。

縄文人からのメッセージとして、
シアトル酋長のメッセージを久しぶりに聞く。

13000年もの間、
戦争も環境破壊もなかった縄文人の暮らし。

「すべての生命は一つの織物である。
それを織ったのは人間ではない。
人間も一本の織り糸に過ぎない。」

そうそう。
そうだったよな、って思い出させてくれた。

その後、野沢さん魂の

「縄文の踊り」を鑑賞。

ランチは、ラードごはん。

油すげー




午後からは、10月1日にオープンしたばかりのシェアアトリエ「ASTO」へ
代表の滝沢梢さんに話を聞く。


あー、ここで本屋さんやりたいわ。

着物産業の材料やとしてひいおじいちゃんが創業した滝沢家。
梢さんは四代目にあたる。

社員寮だった二階の場所を
シェアアトリエ&コワーキングスペースに改装。

きっかけは十日町のビジネスプランコンテストだった。
それに応募するために書類を書いていたら
どんどんやりたくなっていったという。

着物産業は最盛期は600億の経済規模があったが、
現在は30億までしぼんでいるという。
その中で当然道具・材料屋さんも厳しくなっている現状がある。

そんな中で、
着物の染めや織りの技術を生かした
あたらしいモノづくりやアートを生み出していきたいと
シェアアトリエをつくった。

なるほどな~。
こういうののベースに本屋さんがあってもいいかもって思った。
それこそかえるライブラリーの仕組みはいいのではないかなあと。

あと、すごいのはこの場所が十日町高校の目の前なんですよ。
そういう場所に本屋があったら楽しいなあと思った。

魚沼中条の縄文パワーと
ASTOのアートの力に出会って、
僕も十日町に住みたくなりました。

僕も1本の織り糸として何ができるかな。  

Posted by ニシダタクジ at 10:29Comments(0)

2018年10月03日

光を観る観光

大正大学「地域実習」14日目。



十日町市の株式会社 HOME away from HOME Niigata
(通称 Home Home https://homehome.jp/
の井比晃さん。

結婚情報誌の広告を売っていた会社員時代に、
魚沼十日町担当になった。

十日町の結婚するカップルは、
十日町ではなく周辺市町村で結婚式をするような傾向にあったという。

「十日町の結婚を盛り上げないと」と必死に考えていた
井比さんは、いつのまにか十日町そのものを盛り上げないと、
というふうになっていた。

そこに出会いがあり、
「地域おこし協力隊」という制度を知り、移住。
3年間の協力隊として勤務し、旅行会社を設立した。

~~~以下メモ

会社の特徴:お客さんを新潟に呼ぶだけの旅行業
顧客の半分は外国人観光客

事務所として使っている家:タダでもらった。
2年間かけて整備した。

まちのひとに話を聞いたら
1 新しい仕事が始まる場所
2 仕事の拠点となる場所
がほしいのだという。そんなふうに意見を集約してつくった。

せっかくやるなら自分たちでやる。
木を切るところから始めた→家具づくり
エアコン・水回り以外は素人が公示した。

「地域おこし」:まずお金の話をすること。
行政・市民活動・NPO
⇒お金を稼ごうと思っていない。

株式会社である理由
→もうけないといけないから

大地の芸術祭:54万人が来場した:本当なのか?
実数は測られてない。
1人1作品で1カウントされている。

実際の経済効果(いくらお金が落ちたか?)
をどのように測るか?

宿泊業のお客さんは9割が外国人
そのうち6割が中国、韓国、台湾その他アジア系

「大地の芸術祭」を目指してくる。
作家さんがアジアの人が多いから。
中国客はマナーがいい。

海外のエージェント:日本の有名観光地以外の地方がわからない
⇒地方の旅行会社のビジネスチャンス

イギリスの代理店:どうやったらその地域の観光が盛り上がるか、考えている
→大手(JTBとか)に頼むと地方はもうからないことを知っているし
→地方旅行会社はガイドブックに載っていないツアーができる。

例:人気ツアー
・地元のおばちゃんと一緒にご飯をつくろう
・棚田をベストなタイミングで見て、じいちゃんに解説してもらって、糠炊きのご飯を糠漬けをお供に食べるツアー
⇒大手にはできない。

自分で会社をやること、発信すること
→たまにすごい人が来る。
→「おかえり、ただいま」の関係をつくる

東京:関係性が低い。1時間歩いても知り合いに会わない。
田舎:関係性が高い。そこらじゅうに知り合いがいる。

2011年3月11日:帰宅難民になった⇒東京アカンかもって思って協力隊に来た。

大雪で1week封鎖される→マスコミが取材にいったら、
「大丈夫ですか?」「なにかあったん?」:地方のほうが生き延びることができる。

「働き方」よりも「生き方」「暮らし方」を大切にしたい。
「働き方」から「暮らし方」を設計するのでなく、
「暮らし方」から「働き方」を考える。
例:住む場所から先に決める。

地域おこし協力隊:モラトリアム(猶予期間):大学に行くようなもの

「雪を活かす」
東南アジア観光客は雪で喜ぶ:スキーやスノボをしない。
雪遊びがしたい。
たとえば平日のスキー場を貸し切りにして、
雪遊びを存分にするとか

「課題を挙げる」
「遊びに来る」よりも「学びに来る。」
雪国の暮らしを解説すること。
背景、歴史、知恵、日常の生活を語ること
課題を語ること。
「学び」こそが最強のエンターテイメント。

世界遺産的観光開発ではなく、
何度も来てもらうビジネスを

そもそも「観光」とは、
城主が領民の暮らしぶりを見せたところから始まる
それを体験を含めて見てもらうこと。

関係人口:かかわり続ける人を増やす。

~~~以上メモ

面白い人いるなあって。
「働き方」より「生き方」「暮らし方」
ってホントそうだななって。
そういうシフト起こっているよなって。

そして井比さんの面白いところは、

観光の名の通り、
地域の光にスポットを当てて、
それを最大限に活用しようというところ。

まさに「顧客」と「価値」を
考えながらツアーを作っていくところ。

そもそも観光は
城主が訪問者の他の城主に自分の領民たちの
生活・暮らしぶりを見せて、
「どうだ、おれの国づくりは」っていうのを
見せるところから始まったのだという。

わ~。
そうだよな、それそれ、って。

上に書いてあるような棚田ツアーとかって
やるほう(語るおじいちゃん)も
めっちゃ楽しいだろうなあって。

まずはツウの外国人に売り、
その後、日本人にも広まりそうだなあと。

いやあ、僕もそんな旅行つくり、したいなあ。  

Posted by ニシダタクジ at 19:22Comments(0)

2018年10月02日

「大切にしたいもの」に気づくこと

大正大学「地域実習」13日目。
十日町(旧松代)・竹所集落。

あの、カールベンクスさんの
古民家再生プロジェクトの村。







知ってはいたけど、初めて見に来ました。

日本の古民家に一目ぼれして、
それをドイツ建築の知恵と融合してつくる
古民家再生。

「リノベーション」とは何か?
山形・郁文堂書店プロジェクトと同じ問いが
突き刺さってくる。

これまでのストーリーと。
これからのストーリーと。

古民家(特に釘をつかわない工法)を活かしつつ、
ドイツ建築の石瓦やサッシなどが
ふんだんに使われていて、
中身はソファの似合う洋式なつくりとなっていた。

竹所は真冬には3m4mも積もる豪雪地域なのだが、
ベンクスさんの古民家再生では、雪下ろしは不要だ。
現在でもこの地域に住んで、長岡などに
通勤している人もいるという。

建築のチカラ。

この地域に住みたいといって、
移住していくる人たちがいる。

なんていうのだろう。
「コミュニケーション」だなって思った。

日本とドイツとの。
豪雪と自分の暮らしとの。

「暮らす」っていうのはなんだろうと
問いかけられているような気がした。

そんな中。
昨日、大学生こはるによる「イナカレッジ」レポートが
掲載された。

https://inacollege.jp/blog/2018/10/01/%E3%80%8C%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%99%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E6%97%85%E3%81%AB%E5%87%BA%E3%82%8B%EF%BD%9E%E5%A4%A7%E5%AD%A64%E5%B9%B4%E7%94%9F%E5%B0%8F%E6%98%A5%E3%81%8C%E8%A1%8C%E3%81%A3/

キーワードは「自分を知る」

「地域に暮らす」「ともに暮らす」なかで、
人は自分を知る。

「自分を知る」ことは、
簡単なようでいて、すごく難しい。

自分はすでにそこにあるのだけど、
それがなんなのか、よくわからない。

明確にわかるものなんてたぶんないのだけど。

「大切にしたいもの。」に気づくこと。

そこからかもしれないなあと思った。

「暮らし方」って実はそういうことなのかもね。  

Posted by ニシダタクジ at 06:19Comments(0)学び

2018年09月30日

ものづくりがやりたくて、この会社に入ったんだ

大正大学「地域実習」10日目
株式会社竹内電設の竹内一公社長より。
昼休みに見た柏崎の海も。





AKK(明るい柏崎計画)と
株式会社AKKプラス(AKKの事業団体)
の説明を受けた。

~~~以下メモ

地域の経済が成り立たないと、
自分たちも成り立たない。

竹内電設:電気設備業
ブルボン本社やテック長沢の
電気設備工事を担当
「お客様の生産性に貢献する」

AKKプラス
防災、観光、エネルギーをテーマに事業開発。

防災無線:60億円事業
⇒柏崎で作れないか?

柏崎:部品産業のまち:ラジオまで持っていけるのか。
付加価値をつけるにはラジオまで開発したい。

通信大手7社へ営業をかける
→ほとんどが門前払い
たった1社話を聞いてくれた。

「技術屋は誰かのために何かをつくりたいんだ」
「ものづくりがやりたくて、私はこの会社に入ったんだ。それを思い出させてくれた」

1 被災経験に基づいた本当に必要な情報を届ける「いのちつなぐラジオ」
2 製造業の集積を活かした革新的な地方創世の試み
AKKプラス:みんなで雇用をつくる

「地消地産」(地方で消費するものは地方でつくろう)
わくわくする方法でお金をもうけること。

~~~以上メモ

届く人には届くんだなあと。
AKKプラスが開発したラジオが
防災ラジオとして採用されることを
強く願う。

素敵な物語がうまれつつあります。  

Posted by ニシダタクジ at 19:52Comments(0)

2018年09月29日

工場は嘘つかないですから

大正大学「地域実習」10日目。

製造業のまち、柏崎。
伸びてる会社「テック長沢」さんへ。
いわゆる「まちの鉄工所」
代表取締役の長澤智信さん。

ていねいにも「柏崎の工業について」から
レクチャーしていただいた。

~~~以下メモ

明治前期:石油産業が盛ん
日本石油(現エネオス)創業の地。
精油所がたくさんできた。

明治中期:新潟鉄工所開業

昭和初期:理化学研究所柏崎工場
化学工業を開始。
リケン(ピストン製造)、リコー(コピー)、
協和発酵(医薬品)などが生まれる。
軍事産業に使われていく。

鉄道も石油を運ぶために早く敷かれた。
しかし、石油はすぐに枯渇していく。
⇒金属加工業へ転換
製造業のまち、機械金属系

テック長沢
部品・組み立てに強い
金属部品の総合メーカー
工場は24時間稼働

自動車部品(おもにガソリン車)をつくっている。
電気自動車:普及はまだ先。
1 電気を安定供給できる国は珍しい
2 電池の機能がまだ乏しい

新興国(中国など)は
電気自動車を開発する
トヨタにはガソリン車ではかなわないから

テレビCMしない
知っている会社=CMしてる会社=B to Cビジネスの会社

テレビCMしても自動車は売れるけど、
自動車部品は売れない。
⇒業界向けの展示会・商談会に出ている。

オモテに出てくる:華やかな仕事よりも
そうじゃない仕事のほうが多い。

鍛造(たたく)、鋳造(型に流し込む)、切削(除去)加工(きる)
を込み合わせてコストを下げる。

テック長沢の強み

1 異形ワークの中ロット(月間1,000~5,000)量産切削加工
  クランプ治具(モノを固定する)の設計製作を100%内製

2 世界最新鋭の工作機械と伝統の加工技術の融合
⇒いい機械つかってもいい人がいないといいものできない。

3 社員が若い/環境づくり
  ・失敗おめでとう
  ・答えは一つじゃない
  ・得意をいかそう
「失敗しない方法が1つだけある。それは何もしないことだ」

4 多様な人財による人間力
  ・働きやすい職場
  ・女性の比率高い(30%は女性社員)

5 下請けではないパートナー戦略
  ×お客様は神様
  ○お客様はモノづくりのパートナー
  ★品質、納期、価格

2007年リーマンショックで仕事が95%減少した。
⇒社員を減らさず、勉強会をした
現在、伸びまくり。
設備投資と人材育成が必要なので倍々ゲームでは伸びないが、
前年比130%を達成。

社員旅行を毎年やっている(自由参加)
→お互いの信頼関係構築のため

柏崎で感じるデメリット
・経験人材の不足
・市場が小さい
・物流に費用が掛かる

柏崎で感じるメリット
・労働力の確保が比較的容易
・生活コストが安い
・敷地が安い
・行政からの支援
・まちぐるみの一体感
・頑張る人がわかりやすい

「のっかる先がない」
のっかりたい人には生きづらい
⇒やりたいことがある人は応援してもらえる

地方で雇用を生み出すこと
⇒住むことができるということ
ものづくりは人を幸せにする道具

製造業と観光業だけがよさからお金を稼ぐことができる。

「工場を見てください」
「工場は嘘つかないですから」
「従業員の顔、5S、リアルで感じてみてください」

会社:条件じゃないはず。感じてほしい。

唯一の技術なんてもものはない。
適正な価格で売ること

~~~以上メモ

人柄。
にじみ出る。



工場見学のラストに言っていたこと。

「工場を見てください」
「工場は嘘つかないですから」
「従業員の顔、5S、リアルで感じてみてください」

会社:条件じゃないはず。感じてほしい。

お客様はパートナー。
唯一の技術なんてもものはない。
適正な価格で売ること

これ。
これだよなあって。

現場。
感じること。
お客様はパートナー。
そんな会社と取引したいよねえ。

テック長沢。
就職先としてもオススメします。
まずは長澤さんに会ってほしいなあ。  

Posted by ニシダタクジ at 18:18Comments(0)

2018年09月28日

「機会」を「ご縁」に変える

公益財団法人 ブルボン吉田記念財団が運営する
「ドナルドキーンセンター柏崎」
http://www.donaldkeenecenter.jp/




ドナルドキーン先生の書斎の再現



午前中はセンターの概要と内部見学
午後は財団の理事、吉田眞理さんに話を伺う。
27日に話を伺ったブルボンCSR担当の小保方さんの話も合わせてメモ。

~~~以下メモ

東日本大震災のあと
「ともに生きたい、ともに死にたい」
と日本への帰化を表明。

「百代の過客」
新聞連載は司馬遼太郎の一言から始まる

司馬は「戦友」である。

安いからという理由で買った「源氏物語」(英訳)
に戦争からの逃避もあって惹きこまれていった。

「縁」を大切にする。
「縁」:戦争、地震、出会いすべて

自己肯定する。

~~~以上メモ

「ドナルドキーンセンター」は
キーン先生との3年間のご縁が実を結び、
新潟・柏崎の地に誕生した。

それって、吉田さんと
会社としてのブルボンそのものの歩みだったんじゃないかと思った。

▽▽▽以下ブルボン本社メモ





ブルボン:関東大震災の翌年から
ビスケットで創業。
⇒災害時でも食べられる、保存が効くから

経営理念:
利害相反する人を含めて集団の生存性を高める

他社と比べて商品・営業所・従業員数が圧倒的に多い。
雇用を生んでいる。

CSR‐CSV ヨーロッパでは常識。

CSR:企業の社会的責任
企業が「持続的発展」をしていくために
「事業活動を通して」
「新しい価値」を生み出し
社会から「信頼」されること

本業を通じた持続的な社会課題の解決

CSRを通じた
新規顧客開拓、社員活性化、地域経済の活性化ができる。

CSV:共通価値の創造:社会価値と経済価値の同時実現

利潤と道徳を調和させる:
日本的経営「論語と算盤」(渋沢栄一)「三方よし」(近江商人)


ESG投資、SDGs


社会価値↑ CSR      CSV
     コンプライアンス PPP(経済価値に軸足)

        経済価値→

ブルボンのCSV
社会の諸問題を自社の収益機会獲得機会としても捉え、
自社の強みを活かしたそれらの社会的課題の解決に貢献。

△△△以上ブルボン本社メモ

なんていうか。
人、地域を大切にする会社なんだなって思った。

いま、調べたのだけど、
ブルボンの従業員数は
同業他社に比べて圧倒的に多い。
売上高は5位経常利益率は6位なのに、だ。
https://gyokai-search.com/4-kashi-jyugyo.html

それだけの人を雇用して、
利益を確保するのはすごい経営努力なんだなあと。

「人」そして「ご縁」を大切にするからこそ、
ドナルドキーン先生とつながり、
「ドナルドキーンセンター柏崎」ができた。

あれがブルボンそのもの
吉田財団そのものなのだろうなと。

キーン先生の新聞連載タイトル「百代の過客」は
松尾芭蕉の
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。」
からきている。

また旅人なり。
みんなが旅人だとしたら。

今この瞬間の「ご縁」を大切にする。
それぞれの「旅」(人生)を自己肯定すること。
たぶん、そういうことなんだなあと。

「やりたいことは何か?」
「何になりたいのか?」

という問いではなくて、
「何を大切にしていきたいのか?」
「どうありたいのか?」

が必要なのではないか。
そして、あなたはなぜ旅に出たのか?と

松尾芭蕉は、
自らの旅への欲求を抑えきれずに
「奥の細道」へと旅立っていく。

キーン先生はおそらく。
日本文学にそんな「美」を見た。

三島由紀夫や川端康成をつづって、
「美」という言葉をつかう。

「美しく生きる。」

この答えのないテーマに挑む人たちと出会い、
それを研究した。

キーン先生もまた旅人だった。
いや、僕たちひとりひとりも旅人なんだ。

だから、目の前の「機会」を「ご縁」に変えること。

大地震や戦争さえも、
キーン先生にとっては「機会」に過ぎず、
それを「試練」ではなく「ご縁」へと変えていった。

そんなことを感じられる柏崎の
「ドナルドキーンセンター柏崎」。
人生に迷った人におすすめです。

あなたもまた旅人なり。  

Posted by ニシダタクジ at 08:12Comments(0)

2018年09月27日

過去の「違和感」を掘り下げる

大正大学「地域実習」8日目。
午後は株式会社with you
小林俊介さん

午前も思ったけど、
うわあ、すげー人いるなあって。
衝撃だよね、もう。

これを大学1年生で授業で聞けるって
すごいなと。

4000円/1H
払っている価値あるわ、と。

このプログラムを
一般の人に売ったほうがいいと思いましたよ。

ということで
with youの小林さん。



「inclusion&innovation」
と会社に掲げてある。

そのテーマにまい進している会社。

~~~以下メモ※表記は「障がい者」に統一してあります。

父が脱サラして会社を設立
特別支援などなかったので
障がいがあることが当たり前だった。

少年期の違和感/途中で彼らと離れ離れになること。

18~25歳:ただのクズ
自分の好きなことだけをやっていた
25歳の2010年1月1日の交通事故
無になって人生リセットした。

死ぬんだと思ったとき、この人生でいいのかと思った。
少年期の「違和感」を思い出した。
あいつらいなくなったのはなんだろう?
障がいと向き合うことを生涯の仕事にすると決意
福祉はひとつのツール

問題意識と違和感
1 まちなかで障がい者見かけない
2 シャレにならない低賃金
3 福祉業界はビジネスのセンスがほぼゼロ
4 企業の人たちは福祉バリアの中が見えていない。
5 働きたくても仕事がない障がい者と人手不足企業と高齢化地域

持っていたリソース
1 幼少期からのダイバシティ経験
2 父の30年以上にわたる障がい者雇用
3 事故でもらった未来意志

必要としたもの
1 「福祉」をやるための最低限の知識
2 「福祉」をやるための清廉潔白さ

(主婦+障がい者)×(製造業+就労支援)
⇒社会課題の解決
道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である(二宮尊徳)

会社の収入
1 訓練等給付金
2 製造業の仕事

ちりばめた工夫
1 法人格:株式会社でスタート。他会社とコミュニケーションとるため
2 スタッフ:主婦だけ。福祉未経験
3 制服:カジュアル。そのまま買い物いける
4 看板:カッコよくデザイン
5 自力通勤:公共交通によるインパクト
6 勤務時間:14時半まで。まちに出られるように
7 アウトプット:メディア戦略、プレスリリース
8 イベント:地方じゃ誰も見たことないことを

結果
・障がい者を取り巻く環境の変化
・地域や企業の「福祉」に対するイメージの変化
・若手の福祉人材の活性化

「地方で働き、地方で生きる、イキって生きる」
課題の数だけビジネスチャンスがあり、「個」が際立つほどに同志が増える
困難を乗り越えるたびに心が躍る
⇒地方で働く醍醐味

信念に基づいてやってきたことが
実はSDGsだった!
インクルージョン&イノベーション

障がい者によりそうのではなく、
よりそわなくてもいい社会をつくる
信念に背かずに、カッコよく。

障がい者は感動の対象ではない。
自分たちがいなくなることがゴール
柏崎では、そんなこと(障がい者雇用とか)当たり前だよね、っていう社会

できないからやらせないのではなく、
どうやったらできるか考える。
自分たちで考えてもらう

個人に戻れる場をもっておくこと。
いま身にまとっているものを全て脱いで語れる場所を持つこと。

~~~ここまでメモ

美学。
というか、美しさとは何か?
って考えさせられる。

そしてそれには、
自らの過去の「違和感」を掘り下げること
が大切だなあと思った。

自分の過去の感情の揺れを解読すること。
そこから始まるなあと。

「障がい者に寄り添うのではなく、
寄り添わなくてもいい社会をつくる」

「柏崎ではそんなこと(障がい者雇用とか)
当たり前だよねっていう社会をつくる」
自分自身が考えるカッコよさに向かっていく。

そんなことを感じた。

柏崎4人衆
あいさの水戸部さん
小清水の矢島さん
la Luce e L’ombraの西村さん
with youの小林さん

彼らに共通するのは「発信力」だ。
自分の言葉で語り、メディアに出て、
応援者、ファンを増やす。

そうやって未来に向かって行くエネルギーを感じる。

この4人に会って現場見て話を聞ける旅。
名付けて「柏崎変態ツアー。」
(僕が言ったんじゃないですよ。矢島さん水戸部さんが言ったんです)

これ、来たい人いっぱいいるんじゃないかなあ。

ツアコンやりたい。  

Posted by ニシダタクジ at 08:52Comments(0)

2018年09月27日

「実験室」で始めてみる

大正大学地域実習8日目。

午前は、夢の森公園のカフェ
「I’m home」で。


西村遼平さん:
有限会社la Luce e L’ombra
カフェ:I’m home(夢の森公園内)
ケータリング:Boratorio
を展開している。

いやあ、すげー人いるな、って思った。

会社に勤めながら
ケータリングのサービスを仲間4人とスタートして
半年先まで予約で埋まってて、
それで独立してカフェ始めました。

みたいな。
4行で書けちゃうけど、
ホントすげーって。

~~~以下メモ。

会社につとめながらケータリングしてた。
ケータリング:半年先まで予約で埋まってた。
告知:口コミのみ

高校卒業して眼科に就職した。
医療=接客業:体に不安をもっている人がくる=それを接客する

22歳:父の手術
→地元帰ってきて転職:飲食店のホール。
→料理を学びたかったのでキッチンに入りたかったが接客が良すぎてホールへ。
→ウェディングプランナーへ。

28歳:このままだとお店もてない!
「Boratorio(実験室) La Luce L’ambra」をスタート
→実験室が取れて、会社になった。

休業中・営業後の飲食店を使用:家賃タダ
→facebook告知:広告費タダ
全員が素人でやった。
・料理人×2
・接客のプロ目指したい
・デザイナー
・写真とる人

思いはあるけどやってない人
お店をやるけど無リスクでやってみないか?
お金は払わないけど(当初)、ほかに得るものはあるよ。
お金じゃなくて思いのあるやつが集まった。

告知2日で58席予約/24席
コース料理を3回転させた

ケータリングチーム
・ユニフォームつくった
・家賃払わない
・人件費+材料費だけ
→利益率高い

・リスクを少なく、利益を出していくこと。
「まちのために」:数字がついてこないとひとりごと
「思い」と「ビジネス」を両立させていく。

「地産地消」:簡単じゃない。
トマトソースは夏しか出せない。
今あるもの=旬のものしか使えない

「今売りたい野菜、旬の野菜なんですか?」
→全部ください
→それからメニューを考える
主婦が冷蔵庫見ておかずつくる感覚
この食材で何ができるか?

「食べる人」「つくる人」「料理する人」が
みんなハッピーになる。

「地産地消」が目的となっていないか?
ゆがんだ地域愛:直売所で野菜買ってます、みたいな。
「地産地消」を目的にしない。
それをやることで「外」に売れるようになる。

B級グルメ:その場所に来たからついでに食べる
A級グルメ:それを目的に来る
地元に支持されていないものを外に出せるのか?

「めんどくさがらずにめんどくさいことをやるか?」
効率よくやらないこと

ぐるっとまわって自分の利益になる。
ケータリングサービス:料金表・メニュー表がない
→ウェディングプランナー経験が生きてくる

お金じゃなくて思いが真ん中にある。

【大学生へのメッセージ】
・悩んだり苦しんだほうがいい
⇒気づきは早いほうがいい、始めるのも早いほうがいい

座っているだけで4000円/1H払っている
眠いならやめたほうがいい。
させられているならあらためたほうがいい。

成長したい人:採用しない 会社は生産しなきゃいけない
成長→成熟

器の大きさ:時間かけてる長さじゃない
→出来事・瞬間に広がる

感じること:危機感・違和感を持てば、
何者かになれる

0を1にする力
とりあえずOKすること。
とりあえずやります。
「実験室」で始めてみる。

勘違い=重要

しっかり遊んだ
遊び=本気だった
どれだけうまくやるか?向上心を持った
⇒趣味の領域を超えてる、と言われた。
⇒言語化してきた

後天的天才:目の前のよさを言語化できること。
遊びで培われた。
人がお金をつかう理由を言語化する。
・特別感、非日常感
・自分をよりよくしていける

好きになる没頭できる。
トップを取ることができる

~~~以上メモ

柏崎80年代生まれ4人衆。
「あいさ」の水戸部さん
小清水の矢島さん
with youの小林さん
そして西村さん。

4人を分析して西村さんが言っていたのが、

どうやってそこに到達するか?のアプローチの違い。
なぎ倒していく:水戸部さん、小林さん
よけていく:矢島さん、西村さん

なるほど。
僕はよけていくほうかな、と。

あと、印象に残ったのは、
「実験室」で始めること。

「Boratorio(実験室)」と名付けて、
始めてしまうこと。

そこで試行錯誤、スキルを向上して、
次に進んでいくこと。
そうやって道は拓けていくんだな、と。

あとは「天才」の定義。
西村さんは「後天的天才」と言っていたけど、
目の前にあるものが
「なんでいいのか?」を言語化できることだと。

たしかに。
それが言語化できると、
次にカタチにできるもんね。

それを西村さんは
遊びを通して学んだのだという。
西村さんは遊びでも全力投球で真剣にやる。
ダーツでもボーリングでも研究して極めたくなるのだという。

ああ、そうやって、
自分の「好き」を言語化してきたんだろうなと。

ランチはこんな感じ。




野菜が歌を歌っているようでした。  

Posted by ニシダタクジ at 08:31Comments(0)

2018年09月26日

「好きなこと」という「点」をいっぱい打っておく

大正大学「地域実習」7日目。
柏崎市小清水集落でカフェなどを
手がける矢島衛さんに話を伺う。


矢島さんの守る神社で話を聞く。




矢島さんと奥様が運営するEALY CAFEの豆カレー。

~~~以下メモ

矢島衛さん:1984年生まれ。東京出身。
2007年大学卒業後、母の実家だった小清水へ孫ターン

百年後まで集落を残す。をミッションに
「ひゃくいちねんかい」を発足。

それが紹介してある柏崎まちづくりネットあいさのウェブもすごい。
http://npo-aisa.com/hero/hyakuichinenkai/

誇りが持てる暮らしをつくる。
集落を元気にする。

念仏を唱えてご飯を食べる、などの風習が
震災による建物の倒壊で中断。
⇒そういう場所必要じゃん

EALY CAFÉ(イーリーカフェ)をスタート
・集まれる、食べられる場所が必要
・情報発信の場として
・気軽に地域外の人が呼べる

※古民家風カフェにはしたくなかった。
この先に何があるのかわからない⇒期待値を超えたい
整えられた空間。
月300名の来店。(村2・市内4・市外4)
地元の人談「若い人ががんばっているのを見るのがうれしい。」

景観が荒れると心が荒れる。
里山:自然と人の営みが一緒になっている空間

田の多面的機能
冬の間は農業できないので酒造りをしている
コメ作りを今年から始めた。
→小清水の酒を造りたい:毎年味が変わる

ワイン:ブドウの出来で9割決まる
日本酒:米の出来では1割しか決まらない
人間によって味が設計できる
その年何があったか?の物語を日本酒で語れる
つらいことがあったら辛い酒
めでたいことがあったら華やかな酒

大学では民俗学を専攻。
小清水集落でフィールドワーク。
「小清水こそ私のふるさと」「孫まで伝えたい」
誇り=自分がやらなきゃ。就活やめて移住。

その年の7月に中越沖地震。
ロウソクの火を見ながら、腹を決める。「この道でいく」

ほかの地域なにやっているんだろう。と視察。
山奥でもお店できるんだ、と。

25歳でIT企業に就職、結婚。

企業では上へ上へひっぱり上げられる
→これが俺のやりたかったことかな?
→集落を元気にする、残す。
→「命削って会社員して、週末だけ地域活動するだけでいいのか?」

集落の田んぼがヤバいから農業法人へ転職。
奥さんとカフェをオープン。

矢島さんからのメッセージ。

好きなことを極めてほしい。
好きなこと=没頭する=努力必要ない
まわりにもいい影響を及ぼす。

「できること」「やりたいこと」「喜ばれること」の
三角形の真ん中につくっていく。

課題に真正面から向き合わない、背負いすぎない。
メインストリーム(主流)じゃない。
⇔亜流であるっていうこと。決まりきってはいけない
使命感でやらないこと。

ハードウェア:小清水
ソフトウェア:東京

物語をつむぐ
好きなこと=点
点と点がつながる。

イノベーション:点と点の組み合わせ
⇒点をいっぱい打っておいたほうがいい
⇒遠ければ遠いほどいい

ポートフォリオワーカー
変態:好きが行きすぎる人

編隊が育つと地方がおもしろくなる。
「あいさ」:変態製造所

変態ツアーをやる。
農家民宿:ツアーが組める
何を食べるかよりも人に会うツアー

ふるさとを複数個もつこと

プレスリリース:
ニュース性、社会性、話題性があれば取材きてくれる。

~~~以上メモ

いやあ、めちゃめちゃ面白かった。
日本酒づくりの話とか変態ツアーの話とか。
僕もやりたいわ、と思いました。

大学生の心に響いたのは、
「好きなことやれ」っていうこと。
好きなことは没頭できるから努力が必要ない。

そうやって「好きなこと」っていう
点をいっぱい打っておくこと。

ジェームズ・W・ヤングは、かつて言った。
「アイデアは既存の要素の組み合わせにすぎない」と。

プロジェクトも、イノベーションも、
いや、もしかしたら人生もそうなのかもしれないと思った。

「好きなこと」に「没頭」して、「点」を打っておく。

後から、スティーブジョブズが言うように
「点」と「点」がつながる(コネクティング・ドット)のだ。

すべての点がつながるわけではもちろんないと思うのだけど、

その「点」が遠ければ遠いほど、イノベーションは大きくなる。
「カケルナニカ」のナニカの距離が遠いっていうこと。

点をいっぱい打っておくこと。
それをあとから振り返って、つなげること。

そう考えると、やっぱり僕の次の一手は
「畑のある本屋」ですかねえ。  

Posted by ニシダタクジ at 08:11Comments(0)日記

2018年09月25日

「夢」や「目標」にアイデンティティを依存しないこと

「やりたいことがわからない」
ことがつらいのは(つらく感じるのは)、

心はやりたいことを決めるべきではない。
(価値を固定すべきではない)
キャリアデザインではなくキャリアドリフト的な
生き方がいいと直感ではわかっているのだけど。

教育によって、
「目標のある人生に価値がある。」
と思い込んでいる(思い込まされている)から、
そのギャップがつらいのと。

もうひとつは、
夢、目標に、自らのアイデンティティ(存在意義・存在承認)
を依存するしかないからだろうと思う。

ひとつに、
「地域」コミュニティの崩壊。
またひとつに、
「会社」コミュニティの崩壊。

それは同時に
「地域」アイデンティティの崩壊と「会社」アイデンティティの崩壊
を意味する。

いまだに町人総出の祭りのある地域の
出身の人たちには、何とも言えない自信がある。
それは「誇り」と呼べるようなものかもしれない。

その要因のひとつは、
「地域」アイデンティティが備わっている人たちだからだと思う。

かつてはどこの会社に勤めているか?
がその人のアイデンティティだった。
ほとんどの会社員が定年まで働くという
状況の中で、会社は家族であったし、会社と自分は一体だった。

2012年3月26日に書いたブログ
「アイデンティティ・クライシス」
http://hero.niiblo.jp/e162894.html

で、若者が直面する最大の危機は
アイデンティティの危機であり、
それは「役割の喪失」からくる、と書いている。

毎週日曜日(冬季のぞく)に
「人生最高の朝ごはん」が開催されている
新潟市西蒲区福井地区。


そこのじいちゃんたちに会い、
「誇り」そして「役割」こそがアイデンティティの源泉だと思った。
だから、「役割」を持たなければならない。と思っていた。

いま、そんな「誇り」や「役割」のあるコミュニティは
数えるほどしかない。

一方、学校社会は、「キャリア教育」の名の下、
早期のキャリア目標の設定を迫る。
親戚のおじさんは、正月に、甥っ子姪っ子に対して、
「将来何になりたいんだ?」と聞く。

いまなら、タカアンドトシばりに「昭和かっ!」
って額を叩いてやりたいところだけど。

まるで、「夢がなければ、人に非ず」
と言っているようなものだ。

そう。
「夢」や「目標」がアイデンティティに直結していること。
それが現代の若者の生きづらさの一つの要因となっていると思う。

その前提を疑うこと。

昨日、「常識を疑うことから始めよう」(ひすいこたろう・石井しおり サンクチュアリ出版)
を読み直していて、「前提を疑う」ことってとても大切だなと思った。


例:
「常識とは18歳までに培った偏見のコレクションである」(アインシュタイン)

教育の奥にあるものを考えること。
「夢」や「目標」にアイデンティティを依存しないこと。

かといって、アイデンティティを「役割」に求めるのは
少しズレてくるように思う。
「役割」には「承認」が必要だから。

6年前のブログにも書いているけど、
「人のためになる仕事がしたい」という大学生の欲求は
「役割を持つことで承認されたい」だと思う。

「承認されたい」という病(というか本能)に気づくこと。
場(プロジェクト)の一員となり、役を演じること。

「役割」ではなくて、「役を演じる」くらいの
軽やかさで、人生を生きていければいい。

「やりたいことがわからない」
とアイデンティティの問題は根深い。

僕はそれを場のチカラで超えていけると思っている。
「アイデンティティ」も「個人」も場に溶けてしまえばいいと思っている。

そういう意味では、「イナカレッジ」という地域と一体化する1か月の
プログラムは、そういう設計になっているのかもしれないと思った。
地域の「誇り」や「地域愛」に包まれる1か月。

そこから始まる何かがあるような気がする。
これ、イナカレッジ参加者に聞いてみたいなあ。




写真は出雲崎・海チーム(2018.9.22)  

Posted by ニシダタクジ at 08:21Comments(0)学び

2018年09月22日

個性を生み出す「場」の構成員となる

地域実習3日目。
今日は柏崎のまちづくりネットあいさの
水戸部さんに話を聞く。



2007年の中越沖地震のときに
大学3年生で建築を学んでいた水戸部さんは
中越沖復興支援ネットワークの
立ち上げにかかわる。

これがきっかけとなって、
現在の「柏崎まちづくりネットあいさ」
「市民活動センターまちから」につながっている。

~~~ここからメモ

町:AREA・・・区域のこと    柏崎市
街:HARD・・・建物のあつまり  中心市街地
まち:SOFT・・・人と人との関係、暮らし

ミッション:
自分たちの地域を
自分たちの手で
よくしていくこと

よくしていこうとしている人をバックアップする。
挑戦したいという志に火をつける。

朝鮮の循環によって躍動する地域
縮小の時代:地域に挑戦が必要
事業を通じて社会に貢献するプレイヤーを増殖させる。
都会:消費するものがコンテンツ化されている。

3段階のステップ
1 任意団体:中越沖復興支援ネットワーク
2 NPO法人柏崎まちづくりネットあいさ
3 市民活動センター「まちから」

家族以外の最小単位のコミュニティ

「ディス柏」:若者が集う場
「Okinet press」の発行
おもしろい人がいる
→取材にいけるし、深く知れる

話聞いてくれる人=向かい側
となりにたまにいる人
ピストルの弾=事業をどこに打ち込むか

※総合計画をちゃんと読む

やりたいことがやれて自己満足している状態

隣の友達を助けられる

やりたいことを応援していく

やりたいことをやっている

ハッピーになる

まわりをHappyにしていく

まちからはみんなと楽しめるまちを目指して、
あなたとやりたいことをカタチにします。

※会議体の役割を明確にする

主体性・高
A:立ち上げ・中心メンバー
B:参画メンバー
C:参加してみたい
D:関心がない
主体性・低

A~Bをあいさが支援
C~Dをまちから:応援する、つながる、つたわるで支援

東京にはないものがない
地方にはないものがある
地域にないことをやれれば仕事になる。
相談される。メシが食える。地方はパラダイス。

今正しいと思っていることが
明日正しいとは限らない

ビジネス=仮説の検証
あのころの自分(の直観)が正しかったかかどうかわかる。

金もうけの勉強していない
→22歳から金もうけが問われる

100点とれるやつ=みんなと同じことができる
みんなができないことがやれる
どっちに価値があるか?

~~~ここまでメモ

あいさ~市民活動センターの取り組み。
10年でここまでなるか、っていう驚き。
地震という強いインパクトがあって、
復旧、復興、そしてその先、どうするか。

そんな問いの中で、
参加型まちづくり、ひとりひとりが主役であるような、
そんな場を「よりそう支援」をしながらつくっていた。

市施設を活用した
市場のような市民団体がお金を稼げるような
取り組みも素晴らしかった。

「学校では金もうけをやり方を習わない。」
そんな、伝えたい思いがあふれていた。

僕が話を聞いていて思ったこと。
それは昨日の続きだ。

ひとりひとりが
個性を発揮する必要はないのではないか、
ということ。

「個性」とは、「役割」のことではないのではないか。
ましてや「能力」のことではないのではないか。
ということ。

個性(アイデンティティ)≠役割 ≠能力

水戸部さんが言っていたように、
「今正しいと思っていることが
明日正しいとは限らない」

そうそう。
正しさも、価値も、流動している。

だから。
もっと場に溶け出していいと思った。

昨日と一昨日のブログ
http://hero.niiblo.jp/e488131.html
地域の「個性」の構成員となる(18.9.19)

http://hero.niiblo.jp/e488136.html
「主客未分」で場に溶けていく(18.9.20)

これを合わせて、
個性(を生み出す「場」)の構成員になる

っていうのが可能なのではないか、


「日本人は何を考えてきたのか~日本の思想1300年を読み直す」(斉藤孝 洋伝社)

「中動態の世界」のあと、
読み直したくなった1冊。

これもまた、めちゃタイムリー。

昨日は西田幾多郎について書いたのだけど、
今日は「禅」を研究した鈴木大拙の言葉から。

「禅は科学、または科学の名によって行われる一切の事物とは反対である。禅は体験的であり、科学は非体験的である。非体験的なるものは抽象的であり、個人的経験に対してはあまり関心を持たぬ。体験的なるものはまったく個人に属し、その体験を背景としなくては意義を持たぬ。科学は系統化(システマゼーション)を意味し、禅はまさにその反対である。言葉は科学と哲学には要るが、禅の場合には妨げとなる。なぜであるか。言葉は代表するものであって、実体そのものではない。実体こそ、禅においてもっとも高く評価されるものなのである。」(禅と日本文化)

禅においては「体験」が重要であり、
「言葉」はむしろ妨げになる。

「日本人は、自分たちが最も激しい興奮の状態に置かれることがあっても、そこから自己を引き離す一瞬の余裕を見つけるように教えられ、また、鍛錬されてきた」

自分を囚われから引き離すことが大切である、ということ。
自己が囚われるということは、心が何かにとどまるということです。
そこから、「心をとどめぬが肝要」と言います。

心がとどまってしまうと人は反応できなくなります。
「あのとき、ああすればよかった」と思っていると
また失敗してしまいます。
また先のことを思って、
「こうすればほめられるだろう」と先回りすると、
やはりこれも失敗してしまいます。

「石火の機」というのは、まさに火花が飛ぶ瞬間のように、
いまその瞬間にきちんと反応する、ということですが、
反応するためには、常に心を無にしていなければいけません。

そして極めつけは
この2つあとに出てくる、
大森荘蔵の言葉。

「簡単に云えば、世界は感情的なのであり、天地有情なのである。其の天地に地続きの我々人間も又、其の微小な前景として、其の有情に参加する。それが我々が「心の中」にしまい込まれていると思い込んでいる感情に他ならない。」
(大森荘蔵セレクション・平凡社より)

感情というものは心の中にあるのではない、そもそも心の中というものはなくて、天地がすでに感情を持っていて、そこに自分は参加しているのだ、ということです。

大森は
「心の中」とか「意識」という言葉は危険なワードだと言います。
なぜなら、この「意識」という言葉が世界と人間を隔ててしまっているからです。

この後、斉藤孝さんはこのように解説します。

~~~ここからさらに引用

ドイツの哲学者ヘルマン・シュミッツは、
人の身体と感情はその人のいる空間と一体だと言います。

(中略)

このように考えていくと、「心の中」の感情とか、「私」みたいなものを
前提とするよりも、場の雰囲気といったものを
前提にしたほうが現実には即しているのではないかと思えてきます。

「私」というものがあって、
その私が世界を認識するという構図自体がもしかしたら
思い込みなのかもしれません。

「私」を外して考えることで、芭蕉も生きてくるし、
禅の伝統も生きてきます。

~~~ここまで引用

うわ~!って
日本の哲学スゲーって。
うなっちゃいました。

そして、僕のコンセプト「場に溶ける」なんて、
全然新しくないんだって。(笑)

「個性」とか「私」とか
そもそも幻想なんじゃないか。

もともと、「私」は世界に、というか場に溶けているんだ。
「場」から生み出される「価値」を「個性」と呼ぶのだと。

だからさ、個人が個性を発揮する必要なんて必要なくて、
「場」の構成員になればいい、というか、すでになっているんだって。

「やりたいこと」とか「夢」って「囚われ」のひとつだって思った。
自分なんてない。

水戸部さんは、長野市から柏崎市へ進学し、
3年次に震災が起こった。
その「場」に溶けていったのではないか。

震災復興から、まちづくりへ。
ひとりひとりがやりたいことを実現できるサポートを。
Happyの連鎖を。

そして、「あいさ」や「まちから」がそこにあることが
柏崎市の個性になっていく。

場に溶けていく。
そこから始まっていく。

それがいつのまにか「個性」となる。

私のやりたいことは何か?
私のビジョンは何で、いまどこのプロセスにあるのか?

そんなことを考えるよりも、
場に溶けていく。「場」に委ねてみる。

そんなほうが楽なんじゃないですかね。

楽に生きたい。ただそれだけなのかもしれないですが。  

Posted by ニシダタクジ at 10:31Comments(0)学び

2018年09月21日

「主客未分」で場に溶けていく

西田幾多郎。
「京都学派」の源流。

西洋の哲学・思想を踏まえた上で、
初めて本格的に日本の哲学、あるいは日本の思想
と言えるものを作った人物。

西田の根本的な思想に「純粋経験」がある。


斉藤孝「日本人は何を考えてきたのか」(洋伝社)
には、西田の言葉として以下が紹介されている。

「通常、経験といわれているものは、すでにその内に何らかの思想や反省を含んでいるので、厳密な意味では純粋な経験とはいえない。純粋経験とは、一切の思慮分別の加わる以前の経験そのままの状態、いいかえれば直接的経験の状態である。例えば、ある色を見たり、音を聞いたりするその瞬間、それがある物の作用であるとか、私がそれを感じているとかいった意識や、その色や音がなんであるかという判断の加わる以前の原初的な意識や経験の状態である。」

つまり、「古池や蛙飛び込む水の音」という俳句。ここに「私は聞いた」というのはない。「ボチャン」という水音だけ。そこに静かな沈黙が広がっている。これが純粋な経験だとすると、「そこに私がいて、池があって、池の淵にカエルがいて、そのカエルが飛び込む音を、私はそのとき聞いて逆に沈黙を感じました。」ということと同じことのようで全く違うのだと。

単純に「ボチャン」という音があった。私はたまたまそこにいたにすぎないのです。
つまり、意識的な私というものが先にいて、そういう経験が起こったわけではない。
そんな主客未分の純粋経験がこの世の基本であると西田は説く。

さらに「自覚」と「場所」というキーワードに行き着く。

「直観というのは主客の未だ分かれない、知るものと知られるものと一つである、現実そのままな、不断進行の意識である。反省というのは、この進行の外に立って、翻って之を見た意識である。・・・余は我々にこの二つのものの内面的関係を明らかにするものは
われわれの自覚であると思う。」

そして、「西田幾多郎の思想」(小坂国継 講談社学術文庫)の言葉によると、それは「場所」によって起こるという思想に行き着く。

「西田の考えでは、対象と対象が相互に関係するには、そのような関係が(そこに於いて)成立する「場所」というものがなければならない。例えば、物と物とは共通の空間においてはじめて関係するものである。」

斎藤孝さんは、この解説の中で、
「場所」は実体的な場所だけにとどまらず、「有の場所」「無の場所(意識の野)」、さらに有無を超越した「絶対無の場所」、それは禅でいうところの「空」に近いものであらゆるものが生まれ出る「場所」なのだと言っている。

~~~ここから引用
アリストテレス以来、西洋倫理学の基本は
「AはAである。(同一律)」
「Aであるか、またはAではない」(排中律)」
「Aかつ非Aであることはない。(矛盾律または無矛盾律)」

これらは一見、絶対的に正しいように思えます。
しかし、西田に言わせれば、Aと非Aを分けている点ですでにおかしいということになります。

色で考えるとよく分かります。赤と青はもちろん違う色です。
しかし、どこまでが赤でどこからが青なのかというと、はっきりしません。
色は七色のスペクトルにはっきりと分かれているのではなく、グラデーションになって無限に続いているからです。「ここから」と線引きすることができない以上、赤と非赤があるとは言えません。

(中略)

西田の言うように、主客の分かれていないところでこそ、純粋な経験が起こっている状態は何も特別なことではなく、私たちが折々に感じているものでもあります。

たとえばスポーツや音楽をしているときに「自分をなくす経験」をしたことがある人は多いと思います。意識せずに打っていたとか、思わず演奏していたとか、その行為に集中することで、音楽そのものになり切っていたという経験です。こうした経験は、音楽を聞くだけでも体験することがあります。

~~~ここまで引用(日本人は何を考えてきたのか)

主客未分。利休の茶の世界でも、そのように言われてきたし、岡倉天心も、東洋も西洋もないと表現してきた。

それって、この前読んだ「中動態の世界」そのものなのではないか。

アリストテレス以前に、「意志」も「未来」も存在しなかった。
これにも関連しているのではないか。

そして、それは最近僕がよく使う
「場に溶けている」状態のことをいうのではないのか。

目的という「主」に対して、手段は「客」である。
「主客未分」であるということは、目的と手段がごっちゃになっているという状態である。

よく、「目的と手段が逆転している」あるいは「手段が目的化している」というけど、それって起こりやすいのだろうなと思う。

「価値」は、常に流動している。

国民国家とか学校システム、会社システムなどは、
価値を固定した仕組みである。
だから、目的を固定化することができた。

ところが、価値が流動している時代においては、
目的と手段も流動しているし、
それは個人においても同じだと思う。

「ランナーズハイ」のように、自分を無くし、場に溶けている感覚。
その瞬間こそ、人は心地よさを感じるのではないだろうか。

主客のわかれていないところで、「純粋経験」をして、
そこから「自分(たち)なりの価値」を発見し、
松尾芭蕉が俳句を詠むように、
その「価値」を表現していくこと。

それをひとりではなくて、「場のチカラ」を通して、やっていくこと。
その繰り返しなのではないかなと思った。  

Posted by ニシダタクジ at 09:27Comments(0)学び