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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2020年10月22日

「大学入試改革」と「地域で探究」



11月7日(土)9:30~11:15
「これからのまなび座談会」
@阿賀町公民館(鹿瀬)
対象:中学生、高校生のご家族の方

昨年くらいから記述式や民間試験導入などで
揺れている大学入試改革について。
その背景と、どのように対応したらよいのか、を対話します。

大学入試が推薦やAO(総合型選抜に名称統一)にシフトしているのは、
文部科学省のいう、新たな学力観のため。

1 何を理解しているか、何ができるか(知識・技能)
2 理解していること・できることをどう使うか(思考力・判断力・表現力)
3 どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか(学びに向かう力・人間性等)

これらを学ぶ柱になるのが「探究」(総合的探究の時間)である。

では、「探究的に学ぶ」とはなんだろうか?その背景は?

背景にあるのは、工業社会からのパラダイムシフトだ。
「効率化」や「選択と集中」みたいな価値観ではもはや価値は生み出せず、
「変革(イノベーション)」」や「課題の発見」がビジネスにもン必要になってくる
その時に必要なのは「リテラシー」(能力)ではなく「コンピテンシー」(思考・行動特性)だ。

研究機関としての大学が求めているのは、経営体としての会社と同じで、
自律的に研究(仕事)ができる人であり、言われたことを言われたとおりにやる人は残念ながら不要だ。

だからこそ「探究的な学び」という舞台で、
学びの主導権(コントローラー)を自ら握り、
仮説・検証のプロセスを回していく、という経験が
必要になるのだと思う。

仮説・検証プロセスを何度も回していく中で
文部科学省の説明する「自己の在り方生き方と一体的で不可分の課題」に出会い、
その後、自律的に学んでいくことができるようになる。
というシナリオだ。

その時「地域」という舞台が非常に大切になる。

1つ目が、地域という舞台が仮説検証の実践の場になるからだ。
リアルな生活、暮らしがそこにあるので、そこで課題に気づくことができるかもしれないからだ。

2つ目が、地域の大人が学校の先生でも同級生でもない「ナナメの関係」になれるからだ。
先生と生徒というタテの関係においては「評価」が、同級生同士においては「同調圧力」という
行動阻害要因がある。それらを取り除いてやることだ。

自ら学びの主導権を握り、地域を題材に、地域を舞台に、
地域の大人や異年齢の人といった「ナナメの関係」とのコラボレーションによって、
仮説検証プロセスを回していく先に、
「自分を知ること」と並行して、「自らの在り方生き方と一体的で不可分の課題」に出会える。

地域の役割は環境を用意するとともに、時に一緒にプレイヤーとなり行動し、時にそれを見守ること。

先端教育6月号にあったように、
「新しい学びの場における教師の役割は、いわば雑木林の成長を見守る里山の住人です。今までの教育は、一律に整えられた綺麗な杉林を作ることでしたが、これからの学びの集団は雑木林であるべきです。雑木林といっても、荒れた林ではありません。一つひとつの木の状態を見て手入れをするように、全体を見守りながらも一人ひとりの個性を伸ばしていくのです。個性は他者とぶつかり合うことで磨かれていきます。子どもたち同士の関わり合い、そして教師との関わり合いという豊かな関係性を構築していくことが大切です。」

推薦・AO(総合型選抜)の「志望理由書の書き方~7つの観点」はテクニック論ではなく、学びの本質的な要素をついていると思う。

【7つの観点】
1 経験(活動実績)
2 気づき・価値観
3 実現したい野望・問題意識・テーマ
4 3の社会的意義
5 3に向けて取り組むべき課題・実現方法(解決策)
6 志望大学が最適である理由
7 将来の夢・志

6のところを、会社や専門学校に替えても同じだ。

「進学する・しない」「学力選抜か推薦・AO(総合型選抜」かに関わらず、
自らの人生を「経営」するために、「地域で探究」が必要なのだと思う。

仮説・検証を繰り返し、ふりかえりを丁寧にやることで自分を知り、
「自らの在り方生き方と一体的で不可分の課題」に出会える。

本当の「まなびのはじまり」は、それからだ。  

Posted by ニシダタクジ at 06:51Comments(0)学び日記

2020年10月17日

ウチに天才はいない。だがウチが最強だ。


「海南(ウチ)に天才はいない。だが海南(ウチ)が最強だ」

スラムダンク、高頭監督の名台詞を思い出した、
第4回の探究学習コミュニティの勉強会。

講師は、福島県立ふたば未来学園中学校・高等学校の
学校支援統括コーディネーターの長谷川勇紀さん。

もう、絶句するくらい、すごかったなあ。

何度もお話は聞いているのだけど、
いま探究学習やマイプロジェクトを設計する状況になると
ふたば未来の実践のすごさがよく分かる。

そもそもマイプロって何?からスタート

~~~ここから勉強会メモ

岩手県大槌町の高校生が東日本大震災で被災した町で何かしたいという思いを
NPOカタリバがマイプロジェクトという手法を通じて2012年から始まった放課後活動

「高校生の被災したまちへの想い」×「マイプロジェクト」手法(SFC井上研究室2006年~)×カタリバ「コラボスクール大槌臨学舎」
=復興木碑プロジェクト、笑顔photoプロジェクト

マイプロジェクトの考え方:
高校生自らが「やりたい」と思えるテーマを設定し、リアルな社会と接する実践を繰り返すことで、
高校生が意欲と創造性を育む学びを得る。
「主体的な問い」×「実社会での実践」×「意欲と創造性を育む学び」

マイプロジェクトでの学び:
参画度の高いテーマで「主体性」を育み、実践の中で「協働性」を発揮し、それらを繰り返す中での問いの更新を通して「探究性」を養うことを重視する。

主体性(参画のはしご)・・・ロジャー・ハート:
参画の段階のより上段を目指すために、主体性を持てるテーマを発見する。課題と自分の繋がりが強ければ強いほど、取り組みは真剣になり、学びが深くなる。

協働性:
調べて終わりにせず、課題解決に向けた実践を行うことで、実社会における他者との協働を経験する。

探究性:
主体的な問い⇔実践
実践を繰り返す中で、問いを更新する。途中で問いが変わることを厭わない。

マイプロジェクトの進め方
1 プランニング・・・プロジェクトをつくる
自分を知る(興味関心・価値観を知る)、課題の設定、情報の収集、整理・分析
2 アクション・・・プロジェクトを実行する
行動(実践を試みる)
3 リフレクション・・・プロジェクトを振り返る
まとめ、考えの更新(振り返り)
「自分の関心をベースにプロジェクトを作る」⇒「実践と振り返りを繰り返し、学びを深める」

2012~2014年度:プログラム開発期
岩手県大槌町で高校生マイプロジェクト誕生
プランニング合宿を開催
2015~2017年度:放課後展開期
東北初のプランニング合宿
2018~2020年度:総探融合期
高校でマイプロ型の探究学習の実践が始まる

~~~

総合的な探究の時間とマイプロジェクトの共通点
従来の総合的な学習の時間では、「課題」と「自己」は別々であった。
自己の在り方生き方を考えながら、よりよく課題を発見解決していく
総合的な探究の時間は、マイプロジェクトの考え方と一致している。

主体性と実践を重視するとは?
・学びが大きい分、従来よりコストがかかる
・その覚悟と実践での工夫が必要
主体的⇔受動的 仮説検証・実践(アクション)⇔仮説提案

2017:大船渡高校船野さんのマイプロ
ふるさとの水にチャレンジの衝撃
主体的な問い⇔実践の繰り返しによって問いの更新が起こっていた。

年間の授業の流れモデル

1 自分を見つめよう
2 北極星を見つけよう
3 問いを出そう⇒調査してみよう⇒結果を整理・分析しよう(夏休み)
4 調査結果を発表してみよう
5 北極星に向けたアクションを決めよう⇒アクションしてみよう⇒振り返ろう(8~2月)
6 学びを発表してみよう

プロジェクト事例
テーマ設定の理由
課題の発見(夏季アクション)
具体的な課題と解決方法(仮説提示)
解決アクション
活動からの学び

高校3年間を通した総合的な探究の時間
地域をフィールドに、地域の課題を題材に、その解決の過程を通して、汎用的なスキルを身につけたり、自分自身の生き方あり方に繋げていく、地域課題解決型プロジェクト学習

1年次:複雑な地域課題を多面的に理解する(ふるさと創造学 2単位)
2年次:地域課題解決の探究と実践(未来創造探究 3単位)
3年次:探究成果発表と自らの進路実現

探究のプロセスに対応した「生徒の学びの姿勢」
テーマの設定⇒調査のための実践⇒振り返り⇒解決のための実践⇒発表⇒振り返り
学びの準備
⇒「守」:受容的な姿勢(問題状況の把握と課題設定、現状や事実を正確に知る)
⇒「破」:生成的な姿勢(現状を他の事例や考え方と繋げる、課題解決の仮説を立て、プロジェクトを実践する)
⇒「離」:持続的にプロジェクトに取り組む姿勢(プロジェクトの実践を振り返りフィードバックをかける、実践の課題から次なる独自の実践を創造する、実践の連鎖)

生徒の学びの姿勢と教員の関わり方
「学びの準備」⇔「モチベーター(探究心に火を灯す)
探究に対する学びの意欲を高める⇒意欲に火を灯すコミュニケーション、外部イベントへの参加
「守:受容的な姿勢」⇔インストラクター(現状を正しく捉えさせる)
正確に物事を知り探究の基礎を作る⇒知識のレクチャー、調査研究(書籍、WEB、インタビューなど)
「破:生成的な姿勢」⇔「ファシリテーター(問いを立てて引き出す)」
柔軟に他の問題と繋げたり想像力を働かせる⇒問いを通してテーマを深化させる、生徒自身が本当に取り組みたい実践を引き出す
「離:持続的に取り組む姿勢」⇔メンター(応援・勇気づけをする)
リスクを恐れずチャレンジし、実践を連鎖させる⇒実践への勇気づけ、実践後の振り返り(リフレクション)

この4つのパターンに生徒、プロジェクトの現状を把握する

意欲高め⇔低め(上下)
課題設定のセンス良⇔いまひとつ(右左)
で右上:メンター、左上:インストラクター、右下:ファシリテーター、左下:モチベーター
的なかかわりをする。

左下方向では、教材指定、グループで調べ学習、動画で発表や個別面談をして丁寧にテーマ設定をするが
右上方向ではアクションの計画サポートと振り返りに重点を置く

探究テーマを決める視点

地域・社会の理解を深める(地域・社会から解決を求められる課題(NEED)が明らかになる
自分について理解する(自分の取り組みたいこと(WILL)自分ができること(CAN)が見つかる
その真ん中に探究テーマをつくれるかどうか。
そのプロセスにおいての「ヒューマンライブラリー」(カタリバ型講義&対話)などの活用

成長をどう測るか?

半年に1度ルーブリックで資質・能力について自己評価する。
2期生アンケート
入社試験や入学試験に活用したか?→62%
社会とどう関わっていきたいかを見出すことに繋がったか→80%
自分の価値観を考えることに繋がったか?→87%
「探究学習」が進路選択やキャリア形成に影響を与える

「未来創造探究の全体像」
1 建学の精神・理念:新しい生き方・新しい社会の建設
2 教育目標:変革者たれ
3 資質・能力:自立・協働・創造
4 ルーブリック:知識・技能・人格・メタ認知
5 カリキュラム:未来創造探究・各教科学習
6 教員体制:企画研究開発部・6つのゼミ・教科チーム
7 各ゼミ計画:授業設計
8 教材:全体教材・各ゼミ教材
9 指導法:生徒への関わり方
10 外部活用:地域・講師・カタリバ・課外活動

「教員体制」
1 探究カリキュラム企画開発の校務分掌を設定
(教務部、進路指導部とも密に連携・協働)
2 教科担当横断の全教員体制で探究活動を指導
(毎週水曜日5・6限目に、1~3年生のそれぞれの授業が行われる)
3 教員間で悩みを共有し解決策を考えていく
(各学年で月1で全員参加会議を設定。生徒の伴走のあり方などを議論)

~~~ここまでメモ

圧倒された。
声が出ない。
すごすぎるわ、ふたば未来。

ポイントは、前日の浦崎先生の話でも出てきたけど
仮説・検証プロセスの楽しさをいつ知るか?というところ。
ふたば未来の場合は、1年生の夏休みの「調査」において
仮説検証プロセスを回しているということ。

まずはそういうような「探究プロセス」の面白さを知るということ
なのかもしれない。

質疑応答で、
探究的な学びの成功とはどこにあるのか?という問いかけがあり、

それに応える形で、
マイプロ2.0→船野さんの登場により、マイプロの評価基準に「探究性」が加わったこと
つまり、「実践による問いの更新」の重要性が加わったこと、
さらに言えば、マイプロ3.0は実際の「課題解決」なのだろうと。
しかし「課題解決」そのものを評価するのかどうか?は難しいところだと。

僕はそれを聞いて、
「北極星」とは、終わらない問いの方向性なのではないか?
その北極星に出会うことだ、と。

その北極星は、ミッションであり、ビジョンであり、好奇心の源であり、
そういう方向・方角のこと。

実践の中にある「違和感⇔問い」の積み重ねの中で、北極星は生まれてくる。

「北極星」に出会えたら、
あとは問いが無限に出てくる。終わらない問いの連鎖が起こる。
そうやって、問いの更新と自己変容、つまり自己の更新のサイクルが回る。

長谷川さんの言葉を借りれば、
マイプロはどこまでいってもキャリア学習で、
自分が自分であるために変容していくプロセスのことだと。
だから、いわゆる「マイ感」が必要なのだと。

ラストに、
「組織としてどうマイプロ・探究的学びを根付かせていくのか?」に対して、
「先生が全員関わる探究でないと、文化にはならない」と言っていた。
ふたば未来は、先生みんなでやってる、と。

長谷川さんはラストに言った。
「ふたば未来にはスゴイ先生いないじゃないですか。」

たしかにそうだ。
大船渡に梨子田先生あり、とか
飯野には梅北先生あり、とか
佐渡中等に宮崎先生あり、とか
じゃなくて、組織全体でやっているんだと。
だから「文化」になっていくんだ、って。

かっけー。
かっけーなと。

組織のチカラ、そして、地域を含めた場のチカラが探究的学びをつくっているんだ。

もちろん、ふたば未来の実践メソッドというか仕組みは、ものすごかったし、
真似できるところがたくさんあるなと思った。
でも、ふたば未来が本当にすごいのは、「学びの環境(場)」に働きかけている、ということ。
「文化」を作り始めている、ということ。
わが町でも必要なのは、きっとそういう実践なのだろうなと。

コーディネーターってそういうことか、と思った。

僕も数年後に言ってみたい。

「ウチにはスゴイ先生もスゴイ地域の人もスゴイ生徒もいない。だがウチが最強だ」と。  

Posted by ニシダタクジ at 09:56Comments(0)学び日記

2020年10月16日

地域を舞台にしたシミュレーションゲームとしての探究

シミュレーションゲーム。

シミュレーションゲーム (simulation game) とはその名の通り現実の事象・体験を仮想的に行うコンピュータゲームのジャンルの一つ。(Wikipedia)
ロール・プレイング・ゲーム(RPG)っていうのは、シミレーションゲームの1つに分類されたりするんですね。

「探究」っていうのは地域でやるリアルなシミレーションゲームなのではないかと。
そんな風に思ったのは、昨日の最上地域マイプロジェクト研修(オンライン)でした。

パイオニア中のパイオニアである大正大学浦崎太郎先生が講師。
昨日は分科会2つとも講師の先生と一緒という贅沢な時間となりました。

~~~というわけでいつものメモ起こし

越境と共学共創

育成を目指す「資質・能力」
1 何を理解しているか、何ができるか(知識・技能)
2 理解していること・できることをどう使うか(思考力・判断力・表現力)
3 どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか(学びに向かう力・人間性等)

自分らしく社会に参加するには?⇒高校生に届けるべき学びであり、問い
⇒高校教育改革の本流:単なる地域連携ではない

総合的な学習の時間:例えば「人口減少」など課題を設定し、解決していくことで、自己の生き方を考えていく。「一律的な課題」
総合的な探究の時間:自己の在り方生き方と一体的で不可分の課題を発見し、解決していく。「個に応じた課題」⇒個別最適化された学び

自分軸と社会軸の融合⇒マイプロジェクト
自己の在り方生き方と一体的で不可分の課題を「自ら」発見し、解決していく。

ジブンゴト・個別最適と地域課題の発見・解決の真ん中にふるさと学習をつくり、
自分らしく社会に参加する。

協働性・社会参画性・創造性
単に協力して事にあたるという意味ではなく、個人ではつくりだすことができない価値を生み出す。

諸科目との有機性
総合的探究において、生徒の関心や疑問を大切にし、それをよりどころとして学習活動を生み出すのは、その先で価値ある学習を実現するため。
⇒カリキュラムマネジメント:すべての科目がつながっていかないといけない。

普通科改革・スクール・ミッション
これからの高等学校教育においては、地元の自治体や産業界、社会教育機関、地域のNPO法人などの多様な主体と協働体制を構築するとともに、他の学校や高等教育機関等の関係機関とも連携を図ることで、各学校をとりまく課題や状況に対応し、20年後・30年後の社会を見据えた学びを提供することが求められている。
https://chikouken.org/report/11114/

飛騨市学園構想:共通言語をもつ⇒意味を共有する
https://www.city.hida.gifu.jp/soshiki/30/20111.html

高校でも大学的な知見で探究に取り組むことも大切。

普通科改革・スクールミッション
高校が生徒に縁のある地域の多様な人々とともに、
・20~30年後、どんな社会になるのか
・地域をどうしていけばいいのか
・どんな次世代を育てていけばいいのか
・どのように役割を果たし合っていけばいいのか
を探究した上で、自校が社会の未来に果たすべき使命を明確化し、各校が使命の達成に必要な教育課程を柔軟に編成できるよう弾力化したほうがいいのでは?



to do から to beへ(コナトゥスへ)

小さな事例をどうつくるか?
⇒具体的な1人をつくっていくこと

マイプロがなぜあそこまでやれるのか?
⇒自らの在り方生き方と一体的で不可分の課題を見つけたから。
現場を見た人は、エピソードを介して文科省の言葉がわかる。

先生方が本音で探究しようと思っているか。

オンラインでも探究の伴走はできる。
⇒卒業生コミュニティを活かせないだろうか。

地域探究:「文系」な課題を「理系的」にアプローチする
⇒「仮説・検証・ふりかえり」は文系も理系も同じ
不確実性が高いだけ。
「仮説・検証・ふりかえり」のサイクルを楽しめるかどうか?

「やってみる」の分母を増やすこと。
⇒「やってみる」を素直にできるのは小学生まで。
⇒小学校からの取り組みが大切

~~~以上メモ。

そっか。
探究って、地域を舞台にしたシミュにレーション・ゲームなのだ、と。
もちろん、生の人間たちがやっているから、痛みも伴うし、感情も動くのだけど。

でも、それこそが学びなんじゃないの?って。

そして、地域の人達は、
そのゲームのサポーターじゃなくて、そのゲームのプレイヤー(登場人物)なんだよね。
たぶん、そういう感覚。

20年後30年後の地域の未来と新潟や日本の未来を考えて、
いま、このチームで何ができるか。
そんな探究テーマを見つけること。
大人や先生こそが探究をはじめること。

それを楽しむこと。
ワクワクすること。
仮説検証を繰り返すこと。
分母を増やしていくこと。

その先に。
未来を創る1つのプロジェクトが生まれていく。

たぶんそれ。  

Posted by ニシダタクジ at 07:15Comments(0)学び日記

2020年10月15日

ベクトルとして存在を許されるカフェという場


「カフェから時代は創られる」(飯田美樹 クルミド出版)

来週10月24日(土)に
オンライン劇場ツルハシブックスに登壇いただきます飯田美樹さん。
実は20年前に、開村当初のまきどき村に遊びに来たことがあり。
彼女はその後の大学院時代にカフェの研究をすることになる。

その博士論文が書籍化され、当時も読んでいたのだけど、
今年、クルミド出版から再販。問いの刺さるリリースとなった。
このタイミングで読めることはなんとも言えない感慨がある。
いろいろ話してみたい、聞いてみたいことはあるのだけど。

読み直していて、
ツルハシブックスってやっぱりカフェなんじゃないか?
って思った。

「中学生高校生のための入場料無料のカフェ。」
まあ、それは本屋であり、劇場であったわけだけど。
中学生高校生に「カフェ」的な空間を提供したかったのだろう。

本書のラストに、クルミドコーヒー影山さんが解説をしているのだけど、
その中に、こんな一節が。

カフェは、飲食店であるとともに一つの「場」でもある。場とは、「参加者相互に影響を与え合う空間」と定義できる。
カフェが場としてその参加者と絶妙な相互作用を起こしたとき、それはきわめて大きな力を持つという。
そこから人が育ち、文化が生まれ、時代が創られる舞台になることがあるという。
偉大な人がカフェに集うのではなく、そこにカフェがあることで、そこに集う人々が後の時代に名を残すことになるというのだ。

おおお。
まさにそれがカフェ的空間の魅力だなあと。
僕的に言えば、「劇場のような本屋」「本屋のような劇場」なのだけど。
そういう「場」ですね。

では、そうした「場」がカフェではどのように形成されるのか?を本書から。

~~~第4章「カフェという避難所」から引用

第一にカフェにある自由、それは居続けられる自由である。
第二に挙げられるのは、思想の自由であり、
第三に、時間的束縛からの自由、
最後に、振る舞いの自由が挙げられる。

カフェは必ずしもコーヒーを飲みに行く場所ではない。
カフェという場は他の公共的な施設と異なり、合目的性がほとんど追求されない不思議な空間なのである。

飲み物を頼むというのはカフェという空間に入るためのルールであって、必ずしもそれを目的に客はカフェに来ているわけではない。

劇場やレストランに行くにはかなりのお金もかかれば、それなりのドレスコードや振る舞い方も要求される。それに対してカフェでは安い値段で誰でも入れるどころか、社会的地位も要求されない。

カフェという空間内ではカフェの主人に入場料であるドリンク代を支払うことで、社会的身分がなくても一人の客という立場を手に入れることが可能である。

通常、社会の中では属性が重視され、「自分がどこに所属する誰か」がものをいう。ところが属すべき場を失い、いまだに到達しえない「何者か」になろうとしている者には、その属性が存在しない。

特定の個人が開催する夕食会やサロンとカフェが違うのは、カフェでは誰もあえて「社会的地位を無視しましょう」と言ってはおらず、客たち全員がカフェの飲食代を支払うというこのシステム自体が自然に平等性をつくっているということである。

カフェでは主人という場所の所有者兼管理者に客が平等にお金を払うことで、空間に参与している客たちの平等性が保証されている。つまり、主人のもとで客は平等になるわけである。

~~~ここまで引用

まだまだ、時間的束縛からの自由とか振る舞いの自由とかに言及されていくわけですけど、今日はここまで。

僕は、「フラットな関係性をつくるコミュニケーションのデザイン」を志向し、

まきどき村という畑をやり、ツルハシブックスという本屋空間をやり。
場づくり(ワークショップ含む)を行ったりしてきて、

今年はオンライン上にも「場」をつくれるのではないか?と直感し、
取材型インターン「ひきだし」の完全オンラインでの実施や
にいがたイナカレッジの「イナカレッジ・ラボ」のオンライン化、
月1回の「オンライン劇場ツルハシブックス」をやっている。

本書を読んで、
ああ、それって「カフェ」をやりたかったのかもしれない、と思った。
しかもそれは、本書に登場する画家の藤田嗣治がかつてそうだったように
「何者でもない誰か」として、存在を許されるような場としてのカフェだ。

「何者でもない誰か」を言い換えれば、
名も無き「ベクトル」だけがそこにある状態としての人だろうか。
スピノザ的に言えば「コナトゥス」(自分らしくあろうとする力)だろうか。

実は、カフェ(的空間)の居心地の良さというのは、
「ベクトル多様性」を感じられるから、なのかもしれない。

東京で朝活をしようと、恵比寿駅にほど近いスタバに入ったら、
全員が一人残らず集中して勉強していて、
スマホをいじったり友達と談笑してる人はひとりもおらず、
私語さえ許されない状況に耐えられずに30分で脱出して
別のカフェに入ったことがある。

あのスタバには、「ベクトル多様性」が存在しなかったのだ。

「何者でもない自分」への不安。
朝井リョウの小説じゃないけど、10代や大学生の多くが持っているだろう不安。
いや、40代になってもあるけども。(笑)

その不安を否定しなくてもいいってことだ。
何者かになろうとしているベクトルとしての自分を楽しむことだ。

そのためには、ベクトルとしての存在を許される「場」が必要なのかもしれない。
飯田さんや影山さんによれば、それは「カフェ」として表現されているのだと。

僕がツルハシブックスをカフェだと思ったのは、
中学生高校生、大学生がベクトルとして存在できる場をつくりたかったからかもしれない。

そして、これから高校生やまちの人達と共に創る場も、
きっとそういうカフェ的な空間なのだろうとイメージ出来た、すてきな読書時間でした。  

Posted by ニシダタクジ at 06:21Comments(0)学び日記

2020年10月07日

なぜ、若者は「地域」を目指すのか?


「大学受験に強くなる教養講座」(横山雅彦 ちくまプリマー新書 2008年)

某大手古本屋さんで購入。
いい本あるなあ、ちくまプリマー新書。

ひとつ、謎が解けました。
いや、解けないけど。
謎にたどり着くドアのカギを手に入れた感じ。

なぜ、若者は「地域」を目指すのか?
「地域で」学ぶのか、「地域を」学ぶのか?
そんな問いに、一筋の光を射してくれる1冊です。
紹介するのは、冒頭と最後のところにします。

~~~ここから引用

英語と小論文、現代文の垣根はどんどんなくなっている。

フリッチョフ・カプラ「ターニングポイント」
reductionistic(還元主義的)=scientific(科学的)=rational(合理的)=analytic(分析的)=linear(線形)
還元主義の定義。「何かを知るということは、その物質的構成を知るということだ」

「抽象」と「捨象」は表裏一体です。事実、英語ではともにabstractionと言います。
「例外のない法則はない」と言うように、抽象するためには捨象しなければならず、捨象しなければ、抽象することはできません。

デカルトは、「科学」を抽象するために、仏教が「縁」と呼ぶ不可思議な現象、予測不能な事態を捨象したのです。これこそが、近代科学の出発点です。そして以後、そうした「非決定性」や「不確実性」は、「非科学」として括られていくことになります。

カプラによれば、西洋近代社会は、一貫して陽的(男性的、積極的、競合的、合理的、科学的、断片的)側面を好み、強調してきた。そして、陰的(女性的、反応的、協力的、直観的、神秘的、全体的)側面を排除し、軽視してきたことが、さまざまな危機を招いていると。

「陽」が「因果」、「陰」が「縁」
「因」と「果」をつなぐものとしての「縁」

陰陽思想では、あらゆるものが、陰と陽の動的なバランスの上に成り立っています。
不可知にとどまること。

「縁」の世界は、近代文明が少なくとも300年以上のあいだ、置き去りにしてきた世界です。

~~~ここまで第1章から引用

いいですねえ。
近代とは、科学とは、問い直されます。

そして、
さっき読み終わった第6章から。

~~~ここから引用

「discipline 学問分野」とは何か?

ディシプリンの違いは、その立脚点の違いにあります。一人の人間存在(being)には、様々な様態(mode)があります。他の動物と共通する様態もあれば、人間だけにしかない様態もあります。

およそ人間だけに備わった特殊な様態を扱うのが文系(人文・社会科学)、他の動物や自然にも共通する様態を扱うのが理系(自然科学)と言っていいと思います。

もともと古代ギリシャには「フィロソフィア」しかありませんでした。「哲学」です。古代ギリシャの哲学者たちは、一人で人間に関わるすべてのことを考えたのです。

「言葉」について考え、「貨幣」について考えた。言語学であり、経済学です。「自由」について考え、「死」について考えた。政治学であり、宗教学です。あるいは、「火の性質」、「水の性質」について考えました。これは自然科学です。

とはいえ、哲学者の個人的性質は、めいめいに異なります。人間存在のどの様態に一番強い関心があるかは、哲学者によって違う。そこで徐々に哲学からディシプリンが自立していくわけです。しかし、立脚点の違いはあっても、みな「人間とは何か」という根源的な問いに貫かれていました。

どのディシプリンにも、常にディシプリンに先立つ哲学的な問いがありました。人間存在やこの世界全体に向けられた広い関心です。

educationという言葉には、二つの意味があります。ひとつは、technical education(専門的知識)です。ディシプリンのことです。そしてもう一つがliberal educationです。すべてのディシプリンの根底にある広く深い「知恵」であり、「教養」です。これこそが、「リベラルアーツ」にほかなりません。

「価値相対主義:すべての価値は等価である。価値観に優劣はなく、それぞれに尊重すべきものだ」
たしかに、価値相対主義があって初めて言論の自由や思想の自由が保障されることになるね。
それって、「対話」を無くしていくことになるけどね。
価値絶対主義がいいわけではもちろんないけども。

「学際」さえも1つの専門分野(ディシプリン)になってしまうのか。

自分の全存在をあげての学問、「これじゃなければ自分じゃない」という学問をすること。そうすれば、放っておいてもリベラルアーツに向かっていくはずです。

経済学者が、たとえばアメリカ経済を研究しているとして、その人が心の底からアメリカ経済を理解したいと思うなら、経済学という狭いディシプリンにとどまっていることはできなくなるはずです。アメリカという存在は、単に経済的な存在だけではないからです。肩肘張って、「学際研究」などと構えなくてもいいのです。

既存のディシプリンに身を置いていていい。「実存的な学問」をすることです。研究対象に自分の全存在をあげての関心を持つこと。そうすればひとりでに学際研究になっていくはずです。つまり、「ひとり学際」です。それこを、僕たちが目指すべきものだと思います。

~~~ここまで第6章より引用

いやあ、いい本。
「まなびの最前線」だわ、これは。
書かれたの2008年だけれども。

なぜ、若者は「地域」を目指すのか?
「地域で」学ぶのか「地域を」学ぶのか?

それは、本来の意味で「学びたいから」なのではないか。
という仮説が生まれた。

「地域」っていうのは、

「歴史」であり、「社会(コミュニティ)」であり、
「農業」や「産業」であり、「教育」でもあり、
「コミュニケーション」であり、「政治」であり、、、

プロジェクトを遂行するためには、学際的(ジャンル横断的に)アプローチせざるを得ない。

高校生たちはそこにまなびの本質を見ているのではないか。
だから、学びのフィールドとして「地域」を目指すのではないか。
「ひとり学際」こそが「まなび」だと思っているんじゃないのか。

さらに言えば、その「ひとり学際」にそ、
アイデンティティ不安を乗り越えるカギがあるのではないか。

横山さんは言う。
「自分の全存在をあげての学問、「これじゃなければ自分じゃない」という学問をすること。そうすれば、放っておいてもリベラルアーツに向かっていくはずです。」

それって、文科省が「総合的探究の時間」の指導要領で言う、「自己の在り方生き方と一体的で不可分な課題」なのではないか。
それを探しに、ヒントを見つけに、「地域」に入り、仮説、実験、結果、検証を繰り返すのではないか。

いわゆる「キャリア教育」は、アイデンティティ(自分らしさ)は職業によって形成・実現されるという誤解を生み、
英語などのスキルを磨けば磨くほど、交換可能になるというダブルバインドの中に若者は生きている。

そんな状況の中、ますますアイデンティティ不安に陥っているように見える。

アイデンティティはどこにあるのか?
どうすれば安心できるのか?

もしかすると「地域」を目指す若者たちは、「自己の在り方生き方と一体的で不可分の課題」
の中にこそ、アイデンティティがあるのだと直感しているのかもしれない。
そしてそれを見つけるには。「地域」の中で学際的に学ぶことだと。

僕はそれを、
最初から「自己」という単位で動くのではなく、
「自己」と「場」(同級生や地域の環境や大人含む)の動的平衡な主体によるプロジェクトによって、
いくつかの仮説を実験・検証を繰り返す中で、

たどりつく「問い」こそが、アイデンティティを形成してくれるのではないかという仮説に至る、今日の読書日記でした。  

Posted by ニシダタクジ at 07:41Comments(0)学び日記

2020年10月04日

「好き」をベースに差異を理解し、チームのWHYをチューニングする。


「モチベーション革命」(尾原和啓 幻冬舎)
朝読書でスイスイ読みました。

面白い!
というか、高校生にも通じるところあるなあと。

「はじめに」のところにいきなり書いてある、
「ポジティブ心理学」の話が非常に本質的で。

ポジティブ心理学についてはTEDから。
https://www.ted.com/talks/martin_seligman_the_new_era_of_positive_psychology

文字はこれがいいかな
https://life-and-mind.com/positive-psychology-9816

尾原さんによれば、
5つの要素を端的に
「達成(アチーブメント)」
「快楽(ポジティブエモーション」
「意味合い(ミーニング)」
「良好な人間関係(リレーションシップ)」
「没頭(エンゲージメント)」
と表現していて、(ポジティブエモーションが「快楽」でいいのか、とは思いますが、快感とかそういうことですね)

団塊世代に代表されるかつての世代は、
「達成」と「快楽」を原動力として動いてきた。

しかし、いまの生まれた時から
「ないもの」がない、尾原さん(編集者の箕輪さん)の言う
「乾けない世代」は、うしろの3つ、
つまり「意味合い」「良好な人間関係」「没頭」を重視するのだと。

ああ、なんか、そうかもしれませんね。
会社の中の若者世代とオジサン世代のギャップってそこにあるのかもしれませんね。

「自分が頑張る意味が持てるもの」に「自分の好きな人たち」と
「とことんハマる」ことを重要視する。金銭や物理的報酬とは関係なく、自分の好きを追求する。

いやあ、ほんとそうだなあと。
というわけでいつもの読書メモ。

~~~ここからメモ

団塊の世代が幸福だったのは、何かを達成することが同時に社会貢献につながっていたからです。

「乾けない世代」は、何かを「達成」することにそれほど心を動かされません。なぜなら、「何もなかった時代」を知らないからです。

「世界一」や「21世紀を代表する」という「達成する大きさ」ではなく、「何を」「何のために」やるのか?を語らないと心が動かされない。

上の世代では、別にやりたいことなんてなくても、与えられたことをこなして、人よりよい結果を出せれば、それで十分成功できました。大きな目標は誰かが掲げてくれたので、必死に「達成」を追い求めれば幸せでした。

偏愛こそが人間の価値になる

ビジネスにおける優先事項が「決められたことをひたすらやる」ことから、「消費者の潜在的な欲求を発見し、提案する」へ変化したからです。
これが「働き方改革」や「ワークライフバランス」の本質なんだよなあ。休みの日に「インサイト」を探してますか?っていう。

1年中会社勤めをするのではなく、まずは自分が生活者として生きることで、世の中の潜在的なニーズを拾ってきなさいという意図が込められているのです。

時間をかけて課題を解決することよりも、課題自体を発見したり、新しく課題を定義したりすることに投資するべき時代なのです。

ワークがライフを内包し、またライフがワークを内包しているような働き方が可能なのではないか。

自分にとって、得意で好きで楽にできることで、他人(相手)にとって「有ることが難しいこと」を探し当て続けるか。
これ、キャリア教育の最初に教えた方がいいことだよ。

人工知能にも代替不可能なもの、それは「嗜好性」です。簡単に言えば、「私は誰になんと言われても、これが好きだ」という偏愛です。
だって、嗜好性とは、「非効率」の塊だから。これ、めちゃその通りだなあ。「釣り」とか合理的に考えたらやれないもんね。

価値とは、差異×理解

変化のスピードには「信頼」でしか追いつけない。

~~~ここまでメモ

ラストには、「ikigai」の図が紹介されてました。
https://note.com/gorolib/n/nc44358a800af

「やりたいこと」「できること」「役に立つこと」の3つの円は
よく使われますけどね。ここは4つの円なのか。

この場合、「天職」とは、稼げることと必要とされていることの真ん中になります。
まあ、確かに、職業で言えばそうですね。
この図は「天職」をも内包する「ikigai」について考えさせられます。

これ、見ていて。

「個人」と「場」を意識し、それらを行き来しながら、
4つの円を重ね合わせていく作業のことを
「組織で働く」というのかもしれないなあと。
この本で言えば組織全体のWHYと個人のWHYを合わせていくっていうこととか。

場のチカラの出番のような気がするんですよね。

あと、一番思ったのは、ビジネスの世界ではだいぶ昔に、「達成」から「(課題)発見」に価値がシフトしているのだなあと。
中学生高校生はいまだに「達成」ばかり訓練されてて大丈夫なのか、と。

~~~
人工知能にも代替不可能なもの、それは「嗜好性」です。簡単に言えば、「私は誰になんと言われても、これが好きだ」という偏愛です。
だって、嗜好性とは、「非効率」の塊だから。
~~~

ここもまさに!とぃう感じ。
非効率な説明不能なもの。それが偏愛だから、それを伸ばしていくこと。

それ、やってみようかなと。
「好き」をベースに差異を楽しむ対話をして、
相手(他者)との差異の中から発見を促す場をつくる。
それを、最初にやってみること。

チームメイトの差異を理解し、プロジェクトに活かすこと。
ひとりひとりのWHYとチームのWHYをチューニングすること。

そんな風にプロジェクトをつくっていく練習ができたら楽しいだろうなあと。  

Posted by ニシダタクジ at 08:27Comments(0)学び

2020年09月29日

学びのスタートラインに立つ

阿賀黎明高校の学校運営協議会(コミュニティスクール)第2回でした。

地域団体「阿賀黎明探究パートナーズ」もオブザーブ参加して
「拡大熟議」をご一緒しました。

今回のお題は令和4年度からの教育課程(新カリキュラム)について。

校長先生の「求める生徒像」の話から。

1 地域を知ることを通じて、学ぶ姿勢を身につけ、自ら進路を切り開く生徒
2 教養を高め、人間性を磨くことを心がけ、人のために尽くす志をもつ生徒
3 学ぶことに意義を感じ、未知のものに勇気をもって向き合おうとする生徒

この特に2を強調して説明されていました。

・真摯に学ぶことに意義を見出すこと
・学ぶことは魅力的であると感じること
・学ぶ過程において教養を身に付ける

・人間性を磨くこと
・相手に対する配慮、いたわるやさしさ

・ノブレスオブリージュ(高貴なるものの義務)
・もっているものが贈与する

拡大熟議。
ここを工夫しました。
通常ですと、「育てたい生徒像」みたいな問いになってしまのだけど。
その問い方が違うなあと。

「育てたい生徒像」って問いかけた時に
・あいさつができる、服装がちゃんとしてる
みたいな具体的な話と
・好奇心を持って自ら学んでいく生徒
みたいな抽象的な話が混在しちゃって議論がかみ合わなくなるっていう。

だから、もうそれをお題にして議論するのはやめようと。
そもそも校長先生が提示した「求める生徒像」があるわけだから
それをどう達成していくかっていうのを考えた方が建設的だろうと。

というわけで考えたグループワーク。

求めたい生徒像を真ん中において
前半:そもそも学びとは何か?なんのために学ぶのか?
みたいにさらに抽象度を上げる質問。

後半:求めたい生徒像を実現するために、何をしたらいいのか?
という具体的な行動の話。

結果としては、前半がいわゆる「チューニング」みたいになっていた。

その時の冒頭の問いかけが、
「あなたの学びのスイッチが入った瞬間はいつですか?」
だった。

数学のM先生は、中学生の頃、数学で、「いろんな解き方があるんだ!」
と知ってから数学に目覚めていくプロセスを語ってくれた。
そうそう、そういうやつ。
「機会」があって、「好奇心」を刺激され、学びのスイッチが入る。
たぶんそういうことなのだろうなと。

まあでも、このワークいいなあと。
アイスブレイク不要になる。
ルーツと価値観の開示。
これができる問いが心を開くよね。

そのあと、ワークで、僕の入ったテーブルは、
進路指導部の先生だったので、進路の話になりました。

先生からは、
・「進路選択」というのは避けられない。
地域の方からは
・そもそも「就職・専門学校」と「大学進学」っていう分け方でいいのか?

「一生を通して学び続ける人」を輩出したいとするならば。
「学び」を再定義しないといけないな、と。
与えられて、教えられて、覚えて、テストを受ける「勉強」から
機会を得て、好奇心をくすぐられて、やってみて、発見する「学び」へとシフトしないといけない。

それを高校でやらないといけないのではないか。
言ってみれば「学びのスタートラインに立つ」ための準備期間。

就職も、専門学校進学も、大学進学も、
「学びのスタートラインに立つ」という意味ではまったく同じだ。

だって、人生は巨大な学び場なのだから。

「あなたは何を学びたいのか?」
という問いに答える高校3年間であってほしいし、
そのための機会として地域の人達と地域資源があるのだと思う。

あなた固有のその「学び」は就職によって深められるのか、
その舞台は、専門学校なのか、もしくは大学なのか?

そんな問いを地域と一緒に受けとめ、ともに育んでいくこと。
それは、実は地域の大人に向けられた問いでもある。

巨大な学び場としての人生を、地域社会をいかに生きるのか?
何を学びたいのか?探究したいのか?
その問いは大人にとっても、先生にとってもフラットに刺さってくる。

きっとそれが地域と連携した学びのスタートであり、ゴールになっていくのだろうなと。

生徒の「学びのスタートライン」(進路)を一緒に考え、ともにつくっていくこと。
地域の大人自身も学びのスタートラインに立つということ。

「学びとなんだろうか?」と問いかけるプロジェクトのスタート地点に立とうとしているのではないかと思うと、ワクワクしました。


  

Posted by ニシダタクジ at 08:13Comments(0)学び

2020年09月27日

2軸を行き来し、「余白」をつくる



「DOUBLE LOCAL ダブルローカル~複数の視点・なりわい・場をもつこと」
(gift_ 後藤寿和/池田史子 木楽舎)

の発刊記念イベントにお邪魔しに
新潟駅のニュースポット「MOYORe:」へ。







ステキな空間でステキな話を聞いたなあと。
一言一言に「美しさとは何か?」問い直される時間となりました。

いつものように、メモを。

~~~ここからメモ

90年代~00年代
東東京での様々なアート的プロジェクト
都市の空間を展示空間にする流れ
作家と作家を応援する人たちが東東京に集まってきた。

クリエイターたちがまちのレイヤーをつくっていった。
もともとあった町に新しい(複数の)レイヤーがかけられていった。
コトを起こすこと、ヨソモノ・ワカモンの目で再発見・再編集する。

そうやってできた新しいレイヤーと
もともとあったものが共鳴していく。

2011.3.11東日本大震災
「消費していくだけの大都会で住んでいるだけでいいのか?」
何かしないといけないんじゃないか?
2011.6「山ノ家」を借りる。

積極的なYesじゃなかった。
流されてプロジェクトの主語になっていった感。

十日町・松代・山ノ家:気兼ねなく泊まれてちょっとランチできる
1F:カフェ 2F:ドミトリー
なんとなく直感で都市とローカルを行き来する人が増えていく予感
⇒その活動拠点となるような場をつくる
★移住したいから場をつくったわけではないし、プランがあったわけでもない
何かできそうな物件があったから。

「消費するだけでいいのか?」という問いの中にいたときに
きっかけとしての山ノ家があった。
⇒2つの場を持つことを選択した「ダブルローカル」の誕生

ダブルローカル⇔二拠点居住

2つのジモトを持つこと。半分半分で暮らす。
どちらも「ただいま」「おかえり」と言える空間。
どちらにもなりわいがあって、住みかもある。近所の人もいる。

本業だと思っていたデザイン業としての自分と宿・カフェの店主としての自分。
2つの自分を行き来している⇒もうひとりの自分を手に入れる。
★もうひとりのわたし「アナザーセルフ」
都市圏にいるときの視点と、山ノ家にいるときの視点を得る。

~~~本ができるまで。

長野:瀧内さん(ダブルローカルの出版ディレクションをした)と一緒に、
2015「地域カフェのつくり方」を開催(山ノ家で開催)⇒対話を重ねていった。
地域にカフェをつくるというのはどういうことか?をみんなで考えた
gift_のふたりと何かやってみたいと持っていたのでとりあえずYesと言った。

いい話しているなあと。
使えるかもしれないから録画しておいた。
gift_のふたりとの関係性の中で普段と違う話が引き出されていた。

「対話」/明確にゴールがあるわけじゃなく。
もっと面白いことが見つかるかも。
結論を出すものではない。瞬間瞬間に思ったことを話していく。

2015年⇒2018年になって、今どうですか?
っていうのを清澄白河(gift_lab)でやった。
文字起こしした原稿を「公開赤入れ」した。
「対話」を本にした。
2019年プロローグとエピローグを録った。

内容があって、タイトル(ダブルローカル)があって、編集方針が決まった。

~~~ここまで出版の流れ

恵比寿の設計事務所を開かれたヒミツキチにしたかった。
山ノ家のカフェ⇒不特定の人が来るし、地元の人も気軽に来てくれる。

東京でヨコ文字の仕事をやっている人と
新潟の普通のおじちゃんおばちゃんが来るような開かれたカフェ
⇒東京ではできない

自分たちの活動拠点を人に使ってもらい、結節点とする。
場を開く。

もうひとりのわたしを持つこと。
今の私を、もうひとりのわたしが見ている。
現代の分身の術。

カフェだけの対話じゃないもうひとつのコミュニケーションスタイルとしての「小屋バー」

カフェと違い、必然的に放置される
⇒その時隣り合った人と自然と対話が始まる。
★無理に対話を生まなくてもいい。
なんとなくその場にいてもいい空気

「計画通りに成し遂げる」のではなく、
ハプニング・対話からきっかけを得て考えること。
結論を出さずに、「つづく」にすること。

場のつくり方:懐の深さとライブ感⇒余白・余地のデザイン。
「セッション」:即興の音楽をつくるように場をつくる
三味線とバイオリンでも角度を変えて聞くと音楽になる。

余白・余地の中に自分が存在する心地よさ
(可能性)
また話したいね、そうだね。⇒つづく

「ダブルローカル」もそういう本
読むときの状況によって残ることが違う。

⇒「現在地」をしゃべっているから。

ダブルローカル:2つじゃなくていいのか?
Having more than one perspective,life and home

身近なものの再発見・再構成・再編集。
(当たり前)

この本は「冒険の報告」です。

~~~ここまでメモ

「ダブルローカル」的な視点っていま、高校生・大学生にこそ必要なのではないかと強く思った。

僕の中で残ったキーワードは、
「対話」「余白(余地)」「現在地」かなあ。

「自分との対話」っていうけども、
その時に、「ダブルローカル」みたいに
ベースの違う「もうひとりの自分」と話せることって
とても大切かもしれないなあと。
なんか余裕とういうか「余白」が生まれるよね。

他者との対話だと、さらにワクワクする余白につながっている。
瀧内さんが言っていたけど、「懐の深さ」と「ライブ感」のあるような「場」で、対話することで、
発見があって、それがきっかけになって何か始まるのかもしれないと。
そんな「余白の中にいる」感覚っていうのがカフェの心地よさなのかもしれない。

「ダブルローカル」という
2つの視点を持つということ。

あ、視点っていうのは支点っていうことなのかもしれない。
考えるための軸足。
「自由」っていうのは、それをいくつも持つことなのかもしれないなあと。

最後に「現在地」。
こんなにも結論がない本もないかもしれない、と。
おじさんが読んだら「結局、何が言いたいの?」
ってレビューしちゃうかもしれない。

でもその「結局」とかっていう思想じゃない世界観で
書かれているんだなあと。

複数の視点であり、なりわいであり、場を行き来すること。
行き来し続けること。

そのある部分を切り取って言語化する。
それが今回の「ダブルローカル」。
話したとき、書かれたときの「現在地」に過ぎない。

そんな「現在地」を重ねていくような生き方。
たまたまそこに居合わせた人と「現在地」を共有していくような場。

うん、それ、やりたいです。

最高のタイミングでいい本に出会い、いい話を聞くことができました。
後藤さん、池田さん、MOYORe:のみなさん、ステキな企画をありがとうございました!

  

Posted by ニシダタクジ at 08:53Comments(0)学び日記

2020年09月26日

学びの主体を「個人」から「場」へ移行する

イナカレッジラボオンラインと探究学習コミュニティが2夜連続でした。
「つながっている!」かもしれないと思いました。

探究学習コミュニティのメモから。
(ゲストは米沢興譲館高校の廣瀬先生でした)

~~~ここからメモ

「進学指導」「学力向上」「キャリア教育」の真ん中に探究をつくっていく。

理念を共有しながらなぜその連携が必要なのか_を自分の言葉で語れる先生にならないと。

「始め方」:進学指導におけるわかりやすい課題を使うこと
・推薦・AOで志望理由が深まらない
・面接指導で本人が語るものが浅い
・小論文指導で、志望系統に関する知識が浅い
・これからも推薦・AO入試が減ることはないから、指導体制の構築が必要
○志望理由が明確な生徒が合格している、最後まで頑張りぬいている。
○今までの活動から志望理由書に書ききれないほど書きたいことがあった生徒がいる
⇒だから探究学習やったほうがいいよね。

困っていることを吐き出しやすい雰囲気づくり
研修:現在の実践をワールドカフェで共有する
職員研修でもふりかえりシートを各人が記入して終わる

コンピテンシーベースで教科・行事・探究を結びつける

ワンページポートフォリオ(OPP)

違いを認めてリスペクトし合う

ふりかえりでメタ認知させながら他教科につなげられるか?
⇒教員間もコンピテンシーベースで話ができるか。

~~~ここまでメモ。

そもそも「ふりかえり」とは何か?みたいな根源的な問い。
なぜふりかえるのか?
なぜ僕は、「感想は?」ではなく、「印象に残ったことは?」と投げかけるのか。

「ふりかえり」によって、「場」に出されたもの。
それは、自分とは切り離された「何か」だ。

そうして、少し離れたところから(上から)そのふりかえりを見てみる。
このことをいわゆる「メタ認知」と言うのかもしれないが。

それによって見えてくるものがある。
それは生徒だけではなく先生も含めて、だ。

ふりかえることでメタ認知が可能になり、
コンピテンシーベースで各教科をつなげることができ、
それが探究を核にした横断的カリキュラムの実践になる。

「学びの創造」がそこにある、と思った。

一方で、イナカレッジ・ラボ(オンライン開催)で思ったこと。

~~~ここからメモ

イナカレッジは、地方の暮らしという場に身を委ねる、という練習なのかもしれませんね。
ただ、ご飯食べて寝ているだけなのでは?という不安になるくらいの暮らしを経ることで得られること。

それは田舎のもっている共同体というか、自然や風土との一体感というか、そういう場を前提としているのかもなー。

ひきだしもイナカレッジもやっているのは場に一体化し、場のチカラを高めることで、新たな発見やアウトプットを出すこと。

ひきだしは、場にひとりひとりのベクトルを差し出すことで、その共通理解と共有によって、企業とともに価値の扉を開けていくような感覚があるし、イナカレッジは暮らしをする場そのものが地域の時間の愛に包まれるから、場に溶け出すことができる感覚がある。

「一緒に暮らすこと」と「(作ろうとしている冊子の)コンセプトさえも途中で変わる」
それって「場」に溶けだして、「場」と「心」がつながっているということなのかもしれない。

「感情を大切にして行動する」っていう行動原則の人は、「なんでするの?」っていうwhyの問いかけに対し、論理的に説明するのが難しく、葛藤することになるのかも。

~~~ここまでメモ

取材型インターンひきだしがオンラインになって、あらためて感じた「ベクトル性」というキーワード。

イナカレッジラボを繰り返す中で、体験者が感じている「場に溶けている」ような感覚。
それは共同体の「営み」のようなゆるやかなベクトルを前提としているのかもしれない。
そこに身を委ねてみるということ。

そして、「アウトプットをするのは場のチカラである」という前提で、
何かを場からアウトプットをしてみること。

それって、アイデンティティの問題にも有効なんじゃないかって。

若者たちが(いや、私たちもだ)抱える最大の課題は
アイデンティティの危機だと思うし、それを何とかする方法を探したいと思っている。
その危機をつくった大きな原因が適職思想を前提としたキャリア教育であり、
それによって、働く人たちの多くが、自らの誇りと他者へのリスペクトを失った。
当然、若者は仕事に対する希望を失うことになる。
あるいは、やりがいのある仕事という呪いにおびえることになる。

「学びの主体」を「場」にすることはできないだろうか?

個人戦でもチーム戦でもなく、瞬間瞬間の「場」の劇場なので、即興演劇のように役を演じることしかできない。そこでは登場人物に(人ではなくモノも含めて)意味がある、というか、意味を見出す人がいるかもしれない。そういう「場の即興性」に「学び」と「承認」を委ねてみたい。

「印象に残ったこと」を場に差し出し、その場にいる人たちが全員で、「なぜ、その人はそれが印象に残ったのだろう?」と振り返り、発見しあう場。
「場」を主体としてアウトプットをつくってみる実験の場。

思ったことを言ったり、あるいはその場に存在するだけで、場の構成員になり、それによって自分で自分を承認できるような積み重ね。

そんなことが可能なのではないか。

取材型インターン「ひきだし」とにいがたイナカレッジの田舎暮らしインターンの
「場」と「ベクトル感」を内包するような、学びの場をつくること。

たぶんそこ。
学びの主体を「個人」から「場」へ移行すること。
そんな実践ができると思うと、どんどん楽しくなってきます。

  

Posted by ニシダタクジ at 08:48Comments(0)学びイベント日記

2020年09月20日

二元論ではなく内包する


ティール組織(フレデリック・ラルー 英治出版)

2018年春、僕が茨城を出る時に、話題を席巻していたこの本。
ようやく読むタイミングが来たのかもしれません。
次は「インテグラル理論」かな。

まだ途中なのですが、
就活についてもやもやしている大学生に向けて、
部分的に抜粋してお伝えします。

本について、ざっと読みたい人はこちらのブログがよいかなあ。
https://nol-blog.com/what_is_teal_organization/

組織運営および経営は
「衝動型」(レッド):オオカミの群れ
「順応型」(アンバー):軍隊
「達成型」(オレンジ):機械
「多元型」(グリーン):家族
と進化してきたのだと。

その先に
「進化型」(ティール):生命体
があると。

そこでは、3つのブレイクスルーとして
・自主経営
・全体性
・存在目的(進化する目的)
が大切になるのだと。

まあ、まとめはそういう感じで、
今日は第1部第3章の「進化型(ティール)」の紹介から

~~~以下本文より抜粋&メモ

21世紀のもっとも輝かしい躍進は、テクノロジーではなく、人間とは何か、というコンセプトを拡大することによって成し遂げられるだろう。

私たちがエゴに埋没していると、外的な要因(ほかの人々は何を考えているのか、どのような結果が達成できるのか)によって判断が左右されがちになる。

衝動型(レッド)の観点では、自分の欲しい物を獲得できる判断こそが正しい。順応型(アンバー)では、判断を社会規範への順応度に照らして考える。家族、宗教、あるいは社会階層が正しいとみなす範囲を超える判断は、罪や恥になる。達成型(オレンジ)では、効果と成功が判断の基準だ。多元型(グリーン)の場合は(組織への)帰属意識と調和を基準に判断される。

進化型(ティール)では、意思決定の基準が外的なものから内的なものへと移行する。自分の内面に照らして正しいかどうか。「私は自分に正直になっているか」「自分がなりたいと思っている理想の人物は同じように考えるだろうか?」「私はこの世界の役に立っているのだろうか?」を重視する。エゴを失う恐れが少ないので、一見危険に見える意思決定ができる。どんな結果になるのかをすべて考慮しなくても、内面の奥底にある確信に沿っているからだ。

周囲からの反対に直面したり、成功しそうにないと思われたりしても、「誠実さ」や「自分らしさ」という感覚を出発点に、本当は正しいと思えない状況、自分が声を上げ、行動をおこさなければならない状況に対する感覚を養う。

進化型(ティール)では、他人から認められること、成功、富、帰属意識は快楽的な体験であり、エゴを充足させる甘酸っぱい「わな」だととらえられる。そのため、それ以前の段階(ステージ)とは対照的に、優先順位が入れ替わる。良い人生を送るためには他人からの評価や成功、富、帰属意識を求めず、充実した人生を送るよう努める。他人から認められることや成功、富、愛は結果に過ぎない。

これ以前の段階(ステージ)では、愛や名声や成功を追い求めていくと、ゆっくりと、しかし確実に、私たちが「他人の顔を身にまとう」ようになってしまう。進化型(ティール)パラダイムでは、内面の正しさを求める旅を続けると、自分が何者で、人生の目的は何か、という内省に駆り立てられる。

進化型(ティール)パラダイムでは、人生とは自分たちの本当の姿を明らかにしていく個人的・集団的行程と見られている。

「進化型(ティール)で行く」ことになると、人生の目標を設定して、どの方向に向かうべきかを決めるのではなく、人生を解放し、一体どのような人生を送りたいのかという内からの声に耳を傾けることを学ぶ。

パーカー・パーマーは著書「人生に語りかけてもらいなさい」で次のように言う。

「職業とは何かを突き詰めていくと、「エゴ」の本音を覗くことになる。それは、だれもが日々意識している「自分」ではなく、器としての「自分」を通して人生を送ろうとしている、という事実である。つまり私が「自分の人生」と呼ぶ、表面的な、職業の型(器)にはまった経験の下には、実はもっと深い、もっと真実の、本来なりたい自分が送るべき人生がある。この違いを感じ取るには、時間と過酷な経験が必要だ。」

進化型(ティール)パラダイムに従って活動している人は、「大志を抱いているが、野心的ではない」だ。自分の本質に迫り、自分の使命に向かって努力するというのが彼らの原動力で、同じ見方をできない他の人々にとってみると、進化型(ティール)パラダイムで行動する人は、自分の個人的な成長を邪魔する人を許せず、人生の目的と合わない状況を受け入れたくない人のように映るかもしれない。

人生を「自分の本当の姿を明らかにする行程」だととらえれば、自分の限界を現実のものとして冷静に見つめ、目に入るものを心穏やかにとらえることができる。人生とは、自分にもともと素養がないものに無理をしてなろうとすることではない。

私たちはまた、周囲の人々や状況には何が足りないか、あるいは何が間違っているか、といったことではなく、そこに存在するもの、美しいもの、可能性に注意を向けるようになる。決めつけよりも思いやりと感謝を優先する。

心理学者たちは、「欠点を見る」のではなく「長所を生かす」というパラダイム変化が起こっていると指摘する。これは経営から教育、心理学からヘルスケアなど、さまざまな分野でゆっくりと深く進行している。

その出発点は、自分は人として、他人や周囲から解決してもらうことを待っている「問題」なのではなく、本質が明らかになることを待っている「可能性」なのだ、という前提である。

人生を発見の行程だと考えれば、人生で出遭う挫折や失敗、さまざまな障害に潔く対処できる。「この世の中に失敗などは存在しない。ただ自分自身や世界の奥底にある本当の姿に近づくための経験にすぎない」という精神的な悟りへの入り口をつかむことができる。

進化型パラダイムでは、人生における障害物とは、自分自身とは何か、世界とは何かを学べるよい機会なのだ。

「AまたはB」から「AもBも」へ。
矛盾ではなく、互いに必要とする2つの要素ととらえる。

全体性(ホールネス)に対するあこがれと、職場の「分離」が対立する。

ほかの人々との関係性における全体性。

判断をしない世界では、他者との関係性は新たな形をとる。他者の話に耳を傾けるとき、それはもはやうまく説得し、状況を修正し、否定するための情報収集に限られるものではない。判断から解放された共有スペースを作り、相手の話にとことん耳を傾けることによって、ほかの人々が自分の声や真実を見つけられる手助けをする。もちろん、それはお互い様である。

達成型(オレンジ)パラダイムで、人々は順応型組織の抑圧された、規範に従うコミュニティーから解放された。今や、お互いに耳を傾けて自分らしさと全体性を得られるような、新しい下地の上にコミュニティを作りなおす機会を得たのだ。

人々は自己に誠実に向き合うほど、自分がもっと大きな何か、人生と意識がお互いに結びついた一つの織物ののようなものの一部、その一表現にすぎないことがわかってくる。

~~~ここまで本文より引用、メモ

これはすごい。
面白法人カヤックのブレストが「数を出す」と「乗っかる」しかない話とか、
ミーティングにおけるチューニングの重要性とか、
荻ノ島集落で感じた「地域の個性の構成員になる」というアイデンティティの形成方法とか。
全部進化型(ティール)で説明できるじゃないかと。

考えている人いるんだなあって。

そして今僕が直面している、
「まなびとは何か?」
という問いに対しても、

受験に向けての「5教科の学び」か、地域活動等による「探究的な学び」か?

という議論がされがちだけども、
そういう二元論の議論をしていてはいけないのだと。

学力試験か推薦・AO(総合型選抜)か、
っていうAかBか?の議論ではなくて、

AもBも必要で、
両方を内包する新たな学びを提示しないといけないのだと。

そしてそれには地域の人々の協力というより、
共に学ぶ同志としての地域の大人が必要不可欠なのだと。

地域の大人は外から支えるのではなく、
地域の大人を内包した学びの場をつくっていくこと。

たぶんそれだな、と。
経営学とか組織論って、人生に直結しているよなあって思う。

自らをティール組織のように経営していくこと。

むずかしいけど、おもしろそうだな、と。  

Posted by ニシダタクジ at 12:45Comments(0)

2020年09月18日

学校を変えるのではなく、演じるためのもうひとつの場をつくる

デンマークのフォルケホイスコーレ留学帰りの
大学生2名が阿賀町にやってきてました。
昨日はそのふりかえり。

公営塾スタッフやまちの人に
インタビューしてもらったので、
それがこれから記事になります。

なので、
取材型インターンひきだしの
フォーマットを使って振り返りました。

キーワードは
・場のチカラ
・魔法をかける編集
・予測不可能性
・解像度を上げる

などなど。

~~~以下ふりかえりメモ 
(フォルケホイスコーレ(ipc)留学経験の視点を入れつつ振り返りしました)

瞳の色が印象的。たどりついていない感じ。
まだ何かあるんじゃないか、と思わせる。

ipcも色で覚えている
コモンルームのオレンジ色の光と2つのソファー。
オンラインの画面では色が見えない。
リアルだと色が立体的に感じられる。

・関係性を鮮やかにしていくこと
ベクトル=問いの共有

その人が拡張されていく感じ。
面が増えていく。
人と一緒に旅をすることの醍醐味。

一緒に旅をする=自分を見つける/相手を見つける。
プロジェクト=小さな船旅

多様性を組み込んでいくコミュニティ。
年齢は数字でしかない。
その人のできないところ、ニガテなところもさらけ出して共有することでフラットになれる。
フラットに感じられる。
学びの場においてフラットであることが大切。

一緒に体を動かす。
「楽しさ」=身体性の共有

ipc:先生は「自分が分からないこと」も共有してくれるんだ!
一緒に考えてくれるんだ。

問いの共有

新型コロナウイルスの時の激動の2週間の後、
自分たちの気持ちを話し、また気持ちを聞いていく。
新型コロナウイルス=課題であると同時に機会でもある。

「感情」を出せる場が大切。
空間のデザインも重要。
共感・違和感をともにすることを大切にする。
リアルな不安も話せる場づくり。
「先生」でもあり、ひとりの市民でもある。

日本の「学校」=演じる場
ipc=さらけ出せる場。
学校をフィクションだと認識する。
先生の発言は仮説にすぎない。

他者と話す。紙に書くこと。
「体から切り離して」出してみる。
相手の言葉によって、自分を理解する。

~~~ここまでメモ

ああ、フォルケホイスコーレって
とっても素敵な「場」ができているんだな、と。
新型コロナウイルスでさえ、「機会として学ぶ」
に組み込まれているんだなと。

たぶん、高校における「探究」っていうのも、
大きな流れで言えば、そういうことなのだと思うのだけど。

僕の感想としては、
やっぱり「場」が大切なんだなと。

そして一気には変わらないし、
そもそもそういうエネルギーの使い方は
「創造的破壊」アプローチで、僕に向いてないなと。

フォルケホイスコーレ的な学びの場を日本にも作ろうって
動きが盛んだけれども、そしてそれはまたそれで理想的なのかもしれないけど、

僕のアプローチは、
「並行」「並列」「ハイブリッド」なのかもしれない。

と、打っていたら。
「へいこう」の変換が「平衡」になり。

!!!ってなった。

それだ!
「二元論」から「動的平衡」へ。
いま、僕の中でのキーワードなのだけど。

その「動的平衡」のためには、
2つの世界が必要で、

坂口恭平さん風に言えば(「独立国家のつくり方」より)、
「学校社会」と「放課後社会」なのだけど、
それを行き来すること、できることが大切なのだなと。

それはいわゆる「サードプレイス」とは少しニュアンスが違っていて、
「並列」なんだよね。

そしてそれはもしかすると、
高校生のための寮を併設しているからこそ、可能になるのかもしれないと思った。

生活とか暮らしの中で、経験し対話し、感性が磨かれて、
そして「感情」を「場」に出していくことで、相手を知り、また自分を知る。
学校にいる時間は学校にいる時間で、「学校にいる自分」を生きていく。

フォルケホイスコーレの先生たちは、ひとりの人間として、
感じたことを大切にして、時にそれをさらけ出して、学生たちと接していた。
それはそれで素晴らしいと思うのだけど。

僕は「並列する」っていう方法もあるのではないかと。
そしてその方法こそが、地域の力がより発揮できるのではないかと

「場」としてとらえるというか、
「学校」という場と並列する「場」をつくっていくこと。

もうひとつの「場」は学校とは違うシステムで動いていて、
関係性がフラットで、目標や評価が無く、機会から学んでいる。

両方を演じられたほうがいい。

いや、両方を動的平衡で行き来するのだ。

そういう世界をこれから実践・実現していくかと思うと、まあ、めちゃめちゃ楽しいですね。


写真は、大学生撮影のオラに力を分けてくれ、の図。  

Posted by ニシダタクジ at 06:41Comments(0)学び日記

2020年09月13日

ドリームチームのフリをしろ



「教育の島発 高校魅力化&島の仕事図鑑~地域とつくるこれからの高校教育」
(編著 大崎海星高校魅力化プロジェクト 文 松見敬彦 学事出版)

読み終わりました。
シビれまくりましたね。

僕は昨年11月に大崎海星高校におじゃましました。

「コーディネーターがつなぐのは」(19.11.20)
http://hero.niiblo.jp/e490014.html

今年2月に新潟で再会
「気が付くと地域と自らの人生の当事者になっている」(20.2.22)
http://hero.niiblo.jp/e490337.html

圧倒的な勝手な使命感、何度聞いてもアツいなあ。

ということで本を読んだメモを書きますが、
その前に、わかりやすく学校の現状がまとめられている部分を引用します

~~~

学びとは「日々の生活の中で生じる出来事や問題や課題を、家族や地域の人々と知恵を出し合い、話し合いを重ねることで(命をもかける)多くの失敗を繰り返しながら解決に向けて挑戦的に試行錯誤すること」でした。

では、そうした学びから学校教育への転換にあたり、最も重視されたことは何か。それは安全性と効率性でした。個々人による命をかけた挑戦的な試行錯誤ではなく、学術的な研究や探究の中から生まれた英知を領域ごとに区分けして、学科や教科という形で効率的に教え授ける機能や施設が近代的な学校の原点です。

このような学問的成果の効率的な伝達機能や施設が果たした来た役割はやはり絶大で、私たちはわずかな歴史的時間で、それまでの人類が長い年月かけても解決できなかったことさえも、学校の中でいとも簡単に学び取れるようになってきました。しかし、いまこのような学校の機能の限界性が突き付けられています。あまりにも学びの効率性を追い求めすぎた学校は人間が最も大切にするべき本能的な学びをも奪ってしまっている現状があります。

~~~広島大学大学院 永田忠道准教授より

まさにこれ。
こういう「本能的な学び」をつくっていくこと。
これが地方にある高校の使命だと思います。

じゃあ、どうしたらいいのか。
本書を読んでひとまずメモします。

~~~ここからメモ

「これってこうだよ」ではなく、「それってどうなの?」って訊いてくれるから。
よい教師は、生徒によい問いを発する。

校長から電話。でも、夜10時以降じゃないと時間が取れない。
校長は言った。「じゃあ、その時間で」
深夜に教頭を伴ってやってきた大林校長(当時)。

「ここまでやれる校長がおるんか!」
取釜さんのあの時の感動が、「直接会いに行く」という基本姿勢につながっているのだろうな。

「魅力化推進チーム」
ここから生まれてる。
取釜さんと先生方のチーム。
これ、大事かも。

「機会さえ与えてあげれば、自分たち大人がその環境を整えさえすれば、子どもたちは無限に伸びる。それを学校と地域が総力を結集してやっていくのが高校魅力化だ。」

「あれができない、これができない」という前に、機会を与えているのか?と問うこと。

「自分で自分を、『究極に承認』している人たちだと感じました」(新任教師 長門さん)

保護者(や地域の人々)が教育の当事者になればどうか。
「地域に暮らす全ての大人たちが先生になる」瞬間。

~~~ここまでメモ

エッセンスに詰まっているなあと。
魅力化3番手グループとしては、めちゃめちゃ響きます。

タイトルにもなっている「島の仕事図鑑」は
魅力化の初年度からスタートしたプロジェクト。
町と商工会との協力によりスタート。

地域の大人にインタビューをして冊子化する地域プロジェクト(有志の課外活動)

本書にコラムを寄せている東北芸術工科大学岡崎エミさんによれば、

「きく」という行為だけでも
1「じっくり聞く」 2「共感して聞く」 3「質問して聞く」 4「要約して聞く」
の4種類があり、依頼の時には自己との対話が不可欠だし
聞いた後に第三者に表現して伝えるアウトプットにもなる
コミュニケーション訓練のフルコースなのだという。

なるほど。
インタビュー冊子づくりやってみたいなと。

この冊子づくりが果たした役割はとてつもなく大きいと感じた。

1つめ、高校生の変化プロセスを可視化できたこと。

2つめ、高校魅力化、あるいは地域づくりの(地域、先生双方の)当事者を増やしたこと。

3つめ、根源的な問いを突き付けられることで、「承認」と「誇り」が生まれること。

特に、3つめの「承認」と「誇り」については、僕の長年のキーワードでもあるので、
ここに書いておきたい。

第4章「若手教員」
登場しているのは新任教員の長門先生。
仕事図鑑づくりに寄り添った。

~~~以下本文より引用

誰もが、いまの長門にないものを持っているような気がした。
きらきらと輝いてまぶしく映った。背景や想いは異なっても、
彼らはみな自分の意思で選択した「自分の人生」を生きていたのだ。

彼らの矜持は、生徒たちのインタビューに付き添って、
話を聞いていればすぐに分かった。

他者からの承認を求めたり、それを行動原理にしたりすることもない。
自分の中から突き上げる内なる声に正面から向き合い、その
野生が赴くまま正直に生きていた。

(中略)

「自分で自分を、『究極に承認』している人たちだと感じました」と長門。
羨ましかった。純粋に、心から憧れた。まさしく生徒たちに期待した
刺激や感動、変化を、長門も一緒に追体験していたのだ。
もしかすると、他でもない自分が最も強く影響を受けたかもしれないとさえ感じる。

~~~以上本文より引用

ふふふ。
すごいね。
笑ってしまう。

これが、デザインのチカラだと思った。
きっと、取釜さんは「結果的にそうなった」と言うだろう。
それが想いの力とふりかえりの成果なのだろう。

生徒も、先生も、地域の人たちも「機会」を起点にともに学ぶ。
大崎上島では「島の仕事図鑑」こそが「機会」だった。

そしてそれは同時に「承認」と「誇り」を生みだすプロジェクトとなった。

生徒たちにとっても、
地域の大人たちにとって、
いや、おそらく先生たちにとっても、
いま、必要なのは「承認」と「誇り」なのではないか。

「承認」も「誇り」も人から与えてもらうことはできない。
「機会」と「場」から、自らが感じ、つかむものだ。

そんな「機会」と「場」をつくること。
たぶんそれが、阿賀黎明高校魅力化プロジェクトに向けて、
もっとも大切になっていくのだろうと。

第6章で「島の仕事図鑑PJ」を立ち上げた
当時の商工会の総務企画課長、渡川さんは言う。

「すべてにおいてタイミングも良かったんじゃと思います」

自分が移住定住の担当者だった時に高校魅力化PJが始まったこと、
コーディネーターとなる取釜さんがいたこと、大林校長が赴任してきたこと。

「うまい時にうまいこと『変人』が三人集まったんですよ」と笑う。

そういう意味では、今の阿賀黎明高校魅力化チームも、
「ドリームチーム」ってのちに言われるくらいの人が集まってきているな、と。

Fake it till you make it
「実現するまでそのフリをしろ」
という言葉がある。

そうだ。
僕たちはドリームチームだ。

ドリームチームのフリをして、
本日も「まなび体験会」と「地域みらい留学フェスタ」でお待ちしています。


※写真は8月23日まなび体験会の様子です。  

Posted by ニシダタクジ at 07:46Comments(0)

2020年09月11日

もう出港しているんじゃけえ


「教育の島発! 高校魅力化&島の仕事図鑑」(大崎海星高校魅力化プロジェクト 学事出版)

やっと読み始めました。
最初から激アツな文章が続いて、朝からドキドキしています。
仕入れたいなあ、この本。

昨日の山形・新庄・最上ジモト大学を運営するとらいあさんが
主催する「学びの土壌づくり」のゲストにも登場していた
大崎海星高校魅力化推進コーディネーターの取釜さん。

取釜さんの一言一言に実践者としての重みを感じる。

ポイントは1~3年で取り組み「時代の航界士」となる「大崎上島学」と
島の大人たちを取材して冊子をつくる「島の仕事図鑑」だと。

~~~以下、イベントメモ

「地域と学校の連携」と、言葉で語るのはたやすいが、
それは1日1日の積み重ねの結果、ようやく実現するものだ。

「組織や行政はあとから付いてくる」

まずひとりが動き、そして地域が動く。
それから学校が変わり、行政が後追いしてくる。
「学校にとっての魅力化」と「地域にとっての魅力化」は
「生徒」「学校」「自分」「地域」の重要度が異なるが、重なる部分があり、
そこをやっていくこと。そのひとつが「島の仕事図鑑」だ、と。

そして、地域の人に対しては、
「(ゆくゆくは)地域にとってもプラスですよ」と語り続ける。
そして、目に見える成果物(印刷物など)を残していく。

始めるのはひとりの人だが、
続けていくには仕組みとかシステムにしていく必要がある。
⇒一般社団法人「まなびのみなと」設立

★どういう子を育てたいか?
⇒年々更新していってもいい。その更新システムがあることが大切。

高校生がプロジェクトに参加した時の
その日のリアルな声を積み重ねていく。

「協議会」⇔「分科会」
偉い人が入っている承認システムと役割ごとに動きが速い行動システムとの分業

★地域との接点:授業だけではなく授業外でも
・授業「大崎上島学」
・単発の「地域プロジェクト」(1~数か月)
・部活動「みりょくゆうびんきょく」
3パターンの地域との接点。

~~~ここまでメモ

取釜さんの話の後の参加者同士の対話の時間。

僕のキーワードは3つ

「講座」の終わり⇒誰かが何かを一方向的に教える「まなび方」は終わりに近づいている。

育てたい人物像⇒アップデートされ続ける。

「手段としての学び」から「機会としての学び」へ。

最後のはいつも言っていることだけども。
基本的には「対話」なんだなと。

ただひたすらに「対話」を積み重ねて、
今の大崎海星高校魅力化プロジェクトがある。

「対話」をするから、
異質な他者との協働の入り口が見えてくる。

「対話」によって「関係性の質」が高まり、「学びの質」も高まる。
だから、「ギャップ」は乗り越えるものではなく、活かすものなんだなと。
そのための対話。

話を聞いていて、
大崎海星高校のプロジェクトはよくデザインされているなと思った。

授業や授業外プロジェクト、部活動等との組み合わせによる
生徒たちの地域への「参画のハシゴ」のデザイン。

協議会と分科会といった「企画の実行」のデザイン。

島の仕事図鑑づくりという双方の「当事者意識の向上」のデザイン。

最後にそれを質問したのだけど、
取釜さんはそれを「結果」だという。

仕組み化のポイントは、
「目の前のことを大切にしながら先の話をすること」だと。

シンプルだなあと思った。
実は原則ってシンプルなのかもしれない。

目の前のこと、目の前の仲間(生徒やパートナー)を大切にして、
振り返りながら、先を見据えること。

「もう出港しているんじゃけえ」
(実際はこういう風には言ってない。笑)

そう。
船はもう、出港しているんだ。

いまいる乗組員と対話し、違いを楽しみ活かし、
目の前に来る自然条件に対応しながら、船を進めていく以外にない。

ラストは、取釜さんのモットーである「圧倒的勝手な使命感」で締められた。

「圧倒的勝手な使命感」を持ち、まだ、できることがあるんじゃないか?とひたすら考える。
そんなひとりひとりと船に乗り、船を進めていくこと。
そしてプロジェクトという船旅は続いていく。


※ 写真は昨年11月、大崎上島を訪れた際の行きの船から撮影したもの  

Posted by ニシダタクジ at 07:43Comments(0)学び

2020年09月07日

やりがいは何か?という愚問

9月4日
取材インターン「ひきだし」事後研修でした。

僕の興味は、取材を通して、
「オンラインの向こう側」を見てみたかった。

結論としては、
チューニングを強化してチャットと併用することで、
チームインタビューはうまくいくことが分かった。

実は「場」に差し出してるものが多くなるっていうこと。
それが場との一体感を生んでいる。
オンラインは、頭や気持ちの一部だけを取り出せるからかもしれない。

~~~ここからはメモ

「否定」ではなく、「違和感の表明」。
違和感を受け止める場があるかどうか?
自分にしかできない質問=いまこの瞬間に感じた違和感を問いに替えること
その質問がインタビューをドライブさせる。

「昭和のサラリーマンはお金のために好きでもない仕事をやっていた」は本当なのか?
⇒また行きたくなる「場」「一体感」があったのではないか。

好きなこと=doやwhatではなくbeやhowかも。
何をやるかではなく、状態や関係性が大切。

★「やりがい」問題
仕事人にインタビューをするとき、ついつい、
「この仕事のやりがいは何ですか?」と聞いてしまう。

今回インタビューした会社の中で、
「やりがいを感じるのは感謝されたとき」
との回答を得て、ひとりの大学生が違和感を持った。
感謝ってやりがいなの?って
それがふりかえりでホットな議論になった。

その違和感について、僕が感じたのは、
「やりがいは何か?」って仕事の目的を聞いているはずなのに、
「感謝されること」は結果であって、目的ではないから。

でも、そもそも仕事に目的は必要なのか?
そもそも普段「やりがい」なんて意識して仕事しているか?
もしかすると、経営者は必要なのかもしれないけど。

目の前の仕事に、お客様に、集中しているとき、
「やりがい」という言葉は頭から消えている。

大学生に質問されてはじめて意識する。
問われたから無理やり考える。

そしてそれは、研修でやったけど、
「内なる言葉」ではなく「外に向かう言葉」で答えてしまう。
「外に向かう言葉」=人に説明する言葉⇒見える化⇒計測可能(量的に語れる)
結果、「感謝」が出てくる。

1人が書いていたけど、
仕事の目的というかそもそもの成り立ちは「お客様に価値を届けること」であり、
「感謝されること」は結果である。

だから、やりがいは何か?という質問の仕方が間違っているのだ。

あなたが届けたい、届けられる価値は?
と聞かないといけないし、

「感謝」をもっと解像度を上げるには、
あなたが喜びを感じる瞬間は?
と質問しないといけない。

ただ、今回聞いていて思ったのは、
「感謝」によって思いやりと愛の循環が起こる
⇒「場」の空気がよくなる⇒明日も会社行こうと思う
っていうことなのかもしれない。

つまり。
モチベーションの源泉は、ゴール(目的)ではなく、
「場」から湧いているのではないか、と。

~~~ここまでメモ

いいですね。
やりがい問題。

タイトルの話に戻ると、
「仕事のやりがいは何か」という問いが適切じゃないということ。

それって、「働く目的は?」っていうのと
同じくらい難しく、哲学的な問いで、かつひとりひとり答えが違うし、
ふだんから考えていないから、質問されて「これです」って即答できるものではない。

だから答えとしては「やっててよかったこと」を答えてしまう。
例えば「お客様に感謝されること」
それは「目的」ではなく「結果」であるので、違和感を覚えてしまう。
しかし、それをうまいこと編集すると「やりがい」に聞こえる。

そもそも「やりがいは何か?」って考えることがないほど
夢中で仕事をしている人は本人的にはおそらく「やりがいのある仕事」をしている。

だから、質問を変えないといけない。
たとえば、「夢中になれる瞬間はいつか?」とか。

あとは、「外に向かう言葉」と「内なる言葉」の違い。
やりがいは何か?と聞かれて、
やりがいを言語化、見える化、計測可能にすると、わかりやすくはなるけど、
リアリティを失ってしまう。

「結果」を「やりがい」つまり「目的」に取り違えてしまう。

「近代」なる何か(資本主義や教育)の罠がここにある。

「近代」なる何か(資本主義や教育)は、
「結果」を「目的」のように見せかけてきたのではないか。

「評価」を「承認」に見せかけるように。
それが、「計測可能」という罠だ。
「学び」の目的は
「発見」ではなく「達成」なのだと思い込まされてきたのではないか。

かつてエジソンは言った
私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。(トーマス・エジソン)

これは、プラス思考であきらめないでチャレンジし続けるっていう風にとらえられているけど、
実は「発見」こそが喜びだということを言っているようにも思える。

大切なのは、「成長」ではなく「発見」と「変容」である。
「成長」は数値化できるが(そういうものを指標としているが)
「発見」「変容」は自身や周りの感性でしかキャッチできない。

9月4日を予言するかのように、9月3日にツイートしたもの

~~~
学びの構造そのものを変えたいんだ。
手段としての学びから、機会としての学びへ。
個人としての学びから、場としての学びへ。
再現性のある学びから、一回性の高い学びへ。
それによって、学びはもっと楽しくなるし、個人のアイデンティティ危機を乗り越えていくことが同時に可能になるという仮説
~~~

まさにこれだ。
ひとりひとりを大切にするために個人ではなく場にフォーカスしたい。

そして、「学び」を「遊び」にしたい。
その遊び、とは予測不可能性のことであり、その予測不可能性を高めるために、場として学び、振り返る。
遠くまで行きたければ、場のチカラを高めること。

だから。
目的・目標を分かりやすく設定することよりも、「場」にフォーカスすること。
でもそれには「見本」や「手本」や「正解」がないんだ。
「場」の見え方さえも個人によって異なるから。

たぶんそういうこと。

事後研修を終えて、数名の参加者が
ふりだしに戻った!と叫んでいた。(チャットで)

~~~
振り出しにもどった!!!!
OKいろいろあるのね、自分のとらえかた次第ね
業界や職種で絞れないね
→どう絞れば!?
スキを仕事にしなくてもいい
→楽になったけど、なにを軸にすればいいんだ!?
自分にできることって何
→やってからじゃないとわからない、最初どうすれば!?
~~~

いいなあ、内なる言葉が出てくる「チャット」という機能は。(笑)

ふりだしに戻る。
でも、それは戻ったわけではなく、螺旋階段を1段登っている。
そして、1段登った分、見える景色が変わっているはずだ。

そんな「機会提供」の場をつくりたかった。
たぶんそれが主催者である若松さんと僕の想い。
機会をどうとるかは参加者次第なのだけど。

今回の「ひきだし」も僕にとっても予測不可能な発見の連続で、
めちゃめちゃ楽しかったのです。ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 06:24Comments(0)就職イベント日記

2020年08月30日

場のチカラと場の豊かさ

取材インターン「ひきだし」第2週の事前研修でした

「場のチカラ」
「魔法をかける編集」
「オンラインの向こう側」
がテーマ。

~~~以下メモ

オンラインマジカルバナナの威力がすごい。
あれ、目的に向かってないからいいのかもしれない。
場を温める。

「チューニング」についてあらためて説明。
チューニング=感性を共有すること
ではないか?と言われて、そうかも、と。
思ったことが言える場づくりがいちばん大切だなあと。
あとは振り返りにおける「印象に残ったこと」

今回いちばん面白かったのはチャットの活用ですかね。

「ふりかえり」特に印象に残ったことを書き出すことで、
お互いがお互いを知ることにつながるし、そこでの発見がある。
ふりかえりつつ、気づくみたいなことはオンラインのほうが可能かもしれない。

また、インタビュー時はインタビューしつつチャットを併用することで、
頭の違う部分が開かれるような気がする。それは相手(話し手)にとっても同じだ。

「オレンジ」とか暖色系で、
チームカラーを決めるっていう方法もあるかも。

チューニングとふりかえりを繰り返すことで
チームの雰囲気ができていく。

現代の美術家のアート領域。
境目をあいまいにすること。

~~~ここまでメモ

ふりかえり

1 場のチカラについて

目指す方向だけを決めた方がいいのではないか?
という話から、「誰のために、なぜ冊子をつくるか?」という議論になった。

場(プロジェクト)の構成要素である
誰と⇒いつ⇒どこで⇒なぜ⇒誰のために⇒何を⇒どのように
の「どこで」(オンライン)で「何を」(企業取材を)とだけ決まっていて、
そのあいだを埋めていくこと。それによって、「誰と」「いつ」が明確になっていくこと。

2 魔法をかける編集について

いま、あなたにしか、このチームにしか書けない記事がある。
それを実現するために。

・相手(インタビュー先、チームメンバー)を知る、知りたいと思う。
・感じることを、感じたことを大切にして、それを場に出す。
・人の話(ふりかえり含む)に乗っかる。
⇒自分のいま抱えている何かとリンクさせて語る

3 オンラインの向こう側について

チャットとの併用にヒントがある。
脳の境界をあいまいにすること。
違う回路を開きつつ、進めていくこと。
相手(しかも複数名)がいったことが同時に見れる。

オプションで「交流会」時間があったのだけど、
編集長の青木さんが言っていた「これ、編集だな」っていう一言にインスパイアされた。

編集かもね。
人と人とをうまく編集すること。
言われてみれば、人生も、仕事も全部編集なのかも。

この前のオンライン・ツルハシで話した原さんのような
編集の仕方があるっていうこと。

今回の「ひきだし」もめちゃめちゃそうだなと。
「オンライン」っていう条件さえも、制約ではなく編集対象にしてしまうこと。

っていう振り返りをしていて、僕が思ったこと。(ふりかえりのふりかえり)

「場のチカラ」と「場の豊かさ」というのはベクトルという視点から
少し異なるのだなあと思った。

そして、オンラインの向こう側へと運んでくれるのは、ベクトルだ。
「オンラインの向こう側」を見てみたいという好奇心だ。
場のチカラを高めた上で場が共通したベクトルを持つと、突破力が高まる。

一方で、場の豊かさを決めるのは、「ベクトル(目的)多様性だ」
スターバックスが自らの店を第3の場所と呼んでいるが、
お客それぞれにとって、第3の場所の使い方は異なる。

ある人は試験勉強を集中してやりたいからコーヒーを買い、
またある人は友人とのんびり話したいからプラペチーノを買う。
仕事の打ち合わせの人もいるだろう。
そんなベクトル(目的)多様性がカフェという場の最大の魅力だと思う。

参考ブログ「分断から共存へ」(13.11.17)
http://hero.niiblo.jp/e302022.html

おそらく、
「オンライン劇場ツルハシブックス」で目指しているのはかつて実店舗であったような「場の豊かさ」だろう。
「ひきだし」が目指しているのはそこにベクトルを持たせた「場のチカラ」かもしれない。

「場の豊かさ」をベースにした「場のチカラ」を持つチームをつくる。

そんなことがオンラインでもリアルでも可能なのではないか。
そんな予感を感じさせてくれたひきだし研修でした。

  

Posted by ニシダタクジ at 08:41Comments(0)学びイベント日記

2020年08月25日

見つけ合う「場」をつくる

取材型インターン「ひきだし」の事前研修でした。

他者の意見に「乗っかる」練習として
オンライン・マジカルバナナに初挑戦。
めちゃ使える。
またひとつ、技が増えた。(♪ドラクエの効果音)

ここ1週間で大学生との対話の機会が何度かあり、
そこで感じたことも含めて、メモにまとめておきます。
(ツイートメモを含む)

~~~

「手段として学ぶ」⇒「機会として学ぶ」へのシフト
目標⇒ベクトル
個人⇒場
評価⇒承認
達成⇒発見
学び合い⇒見つけ合い
アイデンティティ、予測不可能性、今を生きる、という側面から見れば、このシフトのほうが現実的だなあと。

「プロジェクト」を褒めることで間接的に承認になる。承認は与えられるものじゃないから、直接褒められても得られないのかもしれない。

「感動を売る」仕事と「必要を満たす」仕事。
スポーツでも芸能でも「感動を売る」エンターテイメントビジネスは、その仕事に必要な技能を習得するには、バックキャスティング的なアプローチが必要になってくる。一方で「必要を満たす」仕事に対して、そのアプローチは必要なのか?

プロジェクトという場に自分を溶かして、一体化すること。
そうすればプロジェクトによって承認される、というか自分を承認することができるのかも。
それが自らの在り方生き方と一体的で不可分のプロジェクト。
一体的というより、一体化してしまうの。それがいい。

誰かに決められた人生を生きるか? 自分で決めた人生を生きるか? みたいな2択じゃないよ。
そのあいだに無限にグラデーションが広がっているし、誰と一緒に決めて動くか?生きるか?を考えること。

気づきや学びではなく、発見と変容。でも、発見と変容を目的にしてはいけない。
結果に過ぎない。そのへんのデザイン。

自分は変われる、と思っているか、自分は変わらないと思っているか。

自分の感情を確認し表現しながら、参画したいと思える仲間を見つけ、参画してわたしを拡張し「わたしたち」になる。
わたしたちが決めた今を生きること。

通知表、成績表によって、人生が個人戦であり、その戦いの勝ち負けを決めるのは先生や上司や世間からの評価であるかのような錯覚に陥っているのではないか。それはもはや「学び」と呼べるのか。

「見つける楽しさ」にフォーカスすれば、「学び」は遊びを超える遊びになる。

そもそも資本主義が、とかいっているのに、自分の壁を超えるために、スキルアップが必要で、その講座を受講しないと壁は越えられないという矛盾。資本主義とは、ゴールに向かっていくことだし、二元論だし、手段として今を生きることなのに、な。

教育とか学びとかの観点からすれば、問うべきは就職や資本主義じゃなくて、「近代」というシステムそのもののような気がします。

今日のゴールは?って確認するのをできればやめたいです。
幅が狭くなる気がする。

承認を直接的に得るのか、間接的に得るのか。
間接的に得るほうが健全な気がする。
人に与えてもらうものじゃないからね。
コーチングとか、対話系イベントの危うさ。

「親和的承認」が不十分な人に、「承認」を与えてはいけないんだよ。
それは「評価」であっても同じだ。
そんな「人」や「場」が人を依存させるのかもしれない。
「承認」依存症になっちゃうぜ。

企業の寿命が30年とか20年とかどんどん短くなっていると言われている中で、「就職」はかつてのように企業との「結婚」ではなくなっている。「就活」は「お見合い結婚」システムで、インターンシップが「恋愛」で、インターンシップ就職は「恋愛結婚」だと茨城でお世話になった社長は言っていた。

ところが。もう「就職」そのものが「恋愛」になっているのではないだろうか?
つまり。別れを前提に付き合ってみる、ということ。

「恋愛」上手になるには?
恋愛の経験値を積んでいく。
だとみんな言いますよね。

あと「どんな恋愛がしたいか?」
って言われたらどう答えますか?
もしくは「どんな恋愛の始まり方が理想ですか?」
って聞かれたら?

ブレストのルールでみんなが一番最初に思いつくのは、「否定しない」っていうルールだろうけど、
それってそれだけが否定語だから頭に残っちゃうんだな、きっと。
本当は、「否定しない」じゃなく、「判断遅延」、つまり、判断を遅らせる、その場では判断しないっていうこと。

やりたいことは何か?という呪い。
職業と自分らしさと自己実現をイコールで結ぶことでどんどん辛くなるよ。
そんな呪いを解いていく呪術師にもなるしかないか。
カギを握るのは場のチカラ、だと思います。あとは読書で俯瞰することか。

「自分を知る」ために、中に向かうのではなく、むしろ、外の「場」へ自らを投げ出して、溶け出した後に、ふりかえりをしてみること。
そのほうが結果、自分が分かるような気がします。「わたし」と「わたしたち」を行き来すること

二元論と、目標に向かっていくことと、量的に測るということ。
それこそが資本主義の本質じゃないか。
資本主義に違和感、といいながら、アプローチが資本主義的すぎるよ。

13歳のハローワークで語られた「あなたにも向いている仕事がある」っていう適職幻想が大多数であるサラリーマンの労働意欲を著しく下げた。
それが決定的になるのが、2005年プロジェクトXから2006年プロフェッショナルへの移行という社会学的な仮説。
向上しなかった生産性の原因はどこにあるか。

身体性と、方向性と、偶然性の共有。オンラインだからこそ。

人材マーケットのために人は人材となり、量的に測られるようになった。
量的に測られること、それはすなわち、交換可能になるということと同義だ。
資格試験を頑張るという矛盾はそこにある。
役所などの巨大な組織は、交換可能であることを前提としている。

「認められる」ために資格を取ったり、試験勉強したり、スキルを上げたりしているのに、
それを「量的」に測ると、「交換可能」な人材となってしまう。
これを「承認のジレンマ」と呼ぼうか。

そもそも「競争に強くなる」とは「評価される」ということで、評価とは、「比較」であり、「比較」とは、同一の量的な指標で測るということ。
「あなたはあなたのままでいい」という「存在の承認」はそこには存在しない。

12歳時点で、親和的承認が満たされてないにもかかわらず、量的な評価という世界に投げ込まれるのが中学校という空間なのかもしれない。

インターンからの就職は「恋愛結婚」だと、とある社長が言っていたが、もはや就職そのものが「恋愛」に替わっていくいくのではないか。
だけど恋愛マッチングサイトと違って就活マッチングサイトが暴力的なのは、圧倒的に立場の差があるということだ。
フラットじゃないコミュニケーションつらい

取材型インターン「ひきだし」は、まさに就職を、就活を「恋愛」的にしたいということだ。
お互いにフラットなコミュニケーションで相手を知り、何かを生み出すこと。
愛はお互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである。(サン=テグジュペリ)

「就職」「就活」を「お見合い結婚」から「恋愛」に、って言っているけど、よくよく考えてみたら、
「恋愛」よりも「就活」のほうがずっと楽だよね。
「恋愛」が一番むずかしい。

「否定された」と思うのは、自分が発言者や場と分けられているから。
発言者の「否定」ではなく場のメンバーとしての「違和感の表明」だと感じられる「場」を構築できるか。
そこには「承認」されているという実感が必要になるのかもしれない。
そして「違和感の表明」こそがアイデアをドライブする

共感しながらも違和感をキャッチし、それを質問すること。
インタビューのコツってそういうことか。

仕事っていうのは、チームでやる「恋愛」なのかもしれない。
エンゲージするのは、わたしと会社じゃなくて、会社とお客様だ。

~~~とまあ、こんな感じ。

「場」「承認」「見つける」
とか、このあたりがキーワード。

ひきだし研修での一番の気づきは

人材マーケットのために人は人材となり、量的に測られるようになった。量的に測られること、それはすなわち、交換可能になるということと同義だ。資格試験を頑張るという矛盾はそこにある。役所などの巨大な組織は、交換可能であることを前提としている。

「認められる」ために資格を取ったり、試験勉強したり、スキルを上げたりしているのに、それを「量的」に測ると、「交換可能」な人材となってしまう。これを「承認のジレンマ」と呼ぼうか。

そもそも「競争に強くなる」とは「評価される」ということで、評価とは、「比較」であり、「比較」とは、同一の量的な指標で測るということ。「あなたはあなたのままでいい」という「存在の承認」はそこには存在しない。

たぶんこの矛盾。
そしてその出発点は多くの人の場合、中学校入学時点にある。

目標を設定するということ、量的に測るということ、二元論で見ること
そんな「近代」パラダイムそのものを生きるようになる。

その時点で「親和的承認」が満たされていないにも関わらず。

人はみな「承認されたい」
しかし、「親和的承認」(存在の承認)は原理的には他者から与えてもらうことができない。
自らが感じるしかない。

「近代」というシステムの上に載っている「学校」というシステムは、
それを「評価」によって満たそうとした。あるいは巧みにすり替えようとした。
中学高校と、先生や親の言うことを聞いて、
5教科7科目の学習を頑張り、望みどおりに地元国立大学へ進学する。

そのころにはもう「評価」中毒になっている。

地元国立大学に入学して親戚一同からすごいね、と言われる本人たちは、
一方で何も持っていない自分に気がつき、不安になる。

「次は誰の評価を得るために頑張ればいいのか?」

しかし、大学には、以前のように「頑張ったあなた」を
評価してくれる「誰か」はいない。

そして就職活動。
「自分は何者なのか?」という問いに悩みながら、スタートする。

ところが、何をやったらいいのかわからない。
どうすれば評価されるのか、わからない。
自分の経験を掘り下げても、人事担当者にアピールできるようなものではない。

仕方なく、資格やスキルを身につける。
しかし、資格やスキルを身につけるということは、交換可能な人材になるというのと同義だ。

そこで行き詰まる。

がんばっても評価されない。
そもそも何をがんばればいいのか分からない。
それが就職活動だ。

「量的に測れない。」
これは、これまでの学校生活の中では経験したことがない世界だ。

でも、自分は量的なアプローチしか知らない。
「就活の不安」のおおもとはそこにあるのかもしれない。

時計の針を巻き戻す。
中学入学時点まで。

本当に欲しかったのは、「評価」ではなく「承認」だったのではないか。
しかも「承認」は誰かに与えてもらうものではないということではないか。

本来であれば、それは家族や地域コミュニティの仕事だ。
「生まれてきてくれありがとう。あなたが生きているだけで私は幸せだ」
というメッセージを伝え続けること。

しかし、このような家族の形、地域コミュニティの分断の時代になって、
家庭や地域にその役割を負わせることは不可能となっている。

だからこそ、「場」をつくらないといけない。
「承認」を感じられる「場」を。

その「場」は、「見つけ合う」場なのではないか。

思ったこと、感じたことを出し合い、企画をつくり、実践する。
実践したあと、ふりかえりで再び思ったこと感じたことを話す。
「場」に一体化していれば、厳しいコメントは「否定」ではなく、
「違和感の表明」になり、それはアイデアをドライブさせる。

そうやって、見つける、発見する。
この「場」でしか生まれないものを生み出す。

それを繰り返し繰り返しすることで、人はようやく「承認」を手に入れる。

だからこそ、いま「場」をつくらないといけない。

見つけ合う場を、そしてはじまる場を。

  

Posted by ニシダタクジ at 07:25Comments(0)日記

2020年08月11日

「誇り」がはじまる場所

新潟県マイプロスタートアップキャンプ2DAYSでした。

宮崎さん、スタッフのみなさん、本当にお疲れさまでした。
ご協力いただいたファシリテーター・アドバイザーのみなさんも
ありがとうございました。
阿賀黎明高校からも4名の生徒が参加し、刺激の多い1日となったようです。
これからの活動が楽しみです。

いつもの振り返りメモを残しておきます。

~~~以下、プロジェクトとコメント、問い。

「佐渡乳業を応援したい」
買い続ける理由は?
熱狂的なファンになるとしたら?

「ボランティアで人と人をつなげたい」
肉体系ボランティアをやると仲良くなれる。

「アレルギー対応のイベントしたい」
笑顔になれる食事体験の方法は?
楽しめる食事と楽しめない食事
「楽しめる食事」とは、アレルギー対応以外の方法もあるのでは?

★パートナーの「想い」を確認すること。
・佐渡乳業、ボランティアやってほしい人、アレルギーを持つ人にヒアリングする

「食品ロスをなくしたい」
データを示せば、行動が変わるのか?
どの地点の食品ロスをなくすのか?

「通販サイトさどおしなの活性化」
ふるさとを思い出すためにポストカードをいれる。
行ったことがある人に「また来て佐渡」って言いたい。
ポストカードで行ったことのある旅館に手紙を書く

「料理の絵を描き、食の魅力を伝える」
コンテストなど大規模じゃなくて、小規模で始められるものはなにか?

「佐渡チェキ」
日常風景を写真にとる。
グローバルな人は地元が好き=地元を語れる
キーワードとしての「探検」

「新潟甚句を広めたい」
歴史的なつながりに魅力を感じるのか?

「音楽をもっと身近に」
音楽の魅力は?
あなたにとって音楽とは=存在価値そのもの
ライブの一体感と偶然性、一回性。
音楽=芸術=表現すること

「五泉ニットを売り出したい」
お客は誰で価値は何か?
高校生にとっての価値は?おしゃれ?かっこいい?かわいい?
ファンとお客さんの違いとは?
誰が五泉ニットをつくっているのか?職人さん・社長さんの想いは?

「演劇文化を広く伝えたい」
演劇の魅力は?⇒心を揺さぶられる体験。
演劇鑑賞⇒対話により違いを楽しむ。
講師謝金は出やすい。

「不登校生を学校へ」
そもそもなぜ学校が必要なのか?
想定される具体的な誰かはいるか?
学校に行くことで得られるものと失われるものは?
「学校に行けなくてつらい」の解決策は
「学校にいくこと」と「学校に行かなくてもつらくない」の2つの方法がある

「佐渡金山にきてほしい」
誰かの企画に乗っかってみるという方法もある。
ふりかえって自分の勘定を知る⇒自分を知る。

★フレームを外して広く見てみること。

~~~ここまでコメント、問い


2日目の事例紹介は、7月31日の探究学習コミュニティ第1回でも登壇した元大船渡高校の船野さん。

マイプロアワード2017文部科学大臣賞
https://myprojects.jp/project/4134/

あらためて聞いてみると、「探究」とは何か?考えさせられるキーワードにあふれていた。

~~~ここからメモと考えたこと。

目標・テーマに向けて、進んでいく。(ニアウォーターをつくる)
それと同時に、自分を知る=感情の動きをキャッチする。

つまり、目標というナナメ上に進むベクトルの一方で、
自分を知るという自分自身の内に向かうベクトルを動かし続ける。
実はその「自分を知る」というベクトルの先に、目的というか、
船野さんの言葉でいうところの「北極星」に出会う。

それが「展開型の学び」の醍醐味なのではないか。

「目的から考える」というのはよく言われるのだけど、
それって、「PDCAを回す」みたいなのにとらわれている状態と同じで、

ひとまず、やってみて、ふりかえりを重ねていく中で、自分を知ること。
その振り返りも、「気づき・学び」ではなくて、「印象に残ったこと」、
つまり心の動きを振り返るということ。何を感じたか?を振り返ること。

「挑戦」⇒「失敗」⇒「気づき・学び」⇒「再挑戦」ではなくて
「実験」⇒「結果」⇒「何を感じたか?」⇒「再実験」というプロセスの中で
自分を知っていくことなのだと思う。

その「何を感じたか?」
には「違和感」が含まれていて、その「違和感」こそが次の「問い」に繋がっている。

だから、付け足すと
「実験」⇒「結果」⇒「何を感じたか」⇒「違和感」⇒「問い」⇒「再実験」なのかもしれない。
感情を振り返るというのは、問いへのプロセスなのだと思う。
だからこそ「ふりかえり」、それも「感情のふりかえり」が大切なのだと思う。

終了後、宮崎さんの一期生、「Sフェス」のふみかさんと中等生プロジェクトに伴走してきた増山さんとの対話。
ふみかさんのテーマは「イノベーションを起こす場づくり」
そういう意味では、僕のテーマに近いなあと。

僕が大学を辞めた理由は、「このコミュニケーションでは新しいものは生まれない」と思ったからだ。会議の場がまったくフラットではなかった。
教授は教授として、准教授は准教授、事務職員は事務職員、コーディネーターはコーディネーターとして、会議に参加していた。
「踊る大捜査線」の和久刑事(いかりや長介)のセリフが何度も聞こえてきた。「正しいことをしたかったら、偉くなれ」

僕のテーマは、
「新しいもの、発見を生み出す、フラットなコミュニケーションの場のデザイン」

「発見」する主体は、参加メンバーではなく、「場」そのもの。
そんなものをつくりたいと思っているし、阿賀町/阿賀黎明高校ではそれができると思っている。

「達成」から「発見」へのシフト
「評価」から「承認」へのシフト
「個人」から「場」へのシフト

それが起こっていくと思うし、起こらないと「学び」は楽しくならない。
「目標」「評価」「管理」という学校フレームを超えていくことができるのが、「探究」であり、「問い」なのだと思う。

出会うべきは「目標」ではなく、「問い」であり、スタートアップキャンプのような「場」は、
「場」の力で問いにならないものを「問い」にしていく場なのだろうと思う。

だからもっと「場」の力を高める必要がある気がした。
・オープンマインド(心を開く)をつくるために、「印象に残ったこと」を言葉にしてもらう。
・2人司会制度で余裕をもって進行し、随所に振る。
・特にアドバイザータイムは2人ファシリで、高校生をフォローしながら進行したほうがよさそうな。(メモも必須なので難しいところだけど)

僕は2日目、新潟が誇る「問い」の大御所、「ふりかえり王」(笑)の山本一輝さんとコンビだったのだけど、
それをファシリしていたしぶはるさんのコメントが印象的だったのでここに残しておく。

「事例紹介」で拡げて、と「問い」で深めるみたいなバランスがいい。
ああ、それって、「向き合う」っていうのと「横に並ぶ」っていうのを自在に行っているのかもって。
増山さんも、インタビューの極意は「深く聞いているか」「広く聞いているか」の使い分けだと言っていたけど、
「わたしとあなた」っていう関係性と「わたしたち」っていう関係性、それともまた少し違う「ナナメの関係」(どんどんやれやれっていうおっちゃん的な)っていうのも、自在に行き来するような、そういう「場」が作れるのではないかと思った。
だからzoomにおける2人司会制も、一方は、向き合い、一方は横に並ぶ、みたいなコミュニケーションも可能なのかも、と。

まあ、いろんなヒントがあった2DAYSでした。

最後に、宮崎さんのあの一言を。

「気がつくと地域と人生の当事者になっていた」(20.2.22)
http://hero.niiblo.jp/e490337.html

佐渡中等教育学校に赴任して耳にした言葉。
「わたしたち嫌われているんです」
すべてはあの一言から始まった。

現代版スクールウォーズだとあらためて思った。
伏見工業に赴任した元日本代表の山口良治さんは、同僚の先生にこう言われた。
「山口先生、伏見工業をラグビーで京都一にしてください。この学校には、誇りが必要なんです。」

「誇り」が必要なのだと思う。
それは、「使命」であり「目的」であり「問い」であり、船野さんの言葉を借りれば「北極星」であり。
文部科学省の言葉で言えば、「自らの在り方生き方と一体的で不可分な課題」なのだろう。

「実験」⇒「結果」⇒「何を感じたか」⇒「違和感」⇒「問い」⇒「再実験」のサイクルを繰り返し、
マイプロジェクトを進化させていくと共に、自己変容が並行して起こっていくこと。
「探究的学び」の醍醐味はそこにこそあるし、それが自らのアイデンティティの形成になっていく。

現代版「スクールウォーズ」だと僕は書いたが、
その「誇り」を取り戻す方法は、京都一になるとか全国制覇だとか、文部科学大臣賞を取ることでは、もはやない。
探究的学びと並行して、ひとりひとりの内部に「誇り」が宿る。

そんな「誇り」がはじまる場所をはじめようと今朝も強く思っている。  

Posted by ニシダタクジ at 07:37Comments(0)学びイベント

2020年08月08日

信は力なり


昨日は、探究学習コミュニティの2日目でした。

ゲストは宮崎県立五ヶ瀬中等教育学校の上水先生
http://gokase-h.com/

いやあ。
もう、衝撃がすごすぎて、手に汗かいちゃいました。
最後には泣きそうになってた。

ということで、自分のためのメモ

~~~ここからメモ

学びの氷山モデル。
育てたい資質・能力:野性味あふれる地球市民の育成
・つながる力・試みる力・見る力・問う力・関連付ける力
・networking/experimenting/observing/questioning/associating
・個人will×社会needs

「実社会」(具体)⇔「探究」(半抽象)⇔(抽象)
ステップ型からスパイラルな探究へ
フォアキャスティング⇒バックキャスティングへ

地域での体験⇒地域での経験⇒地域での実践(普遍性)⇓・・・ローカル
社会への発信⇐社会への参画⇐社会への問い・・・グローバル

中3マイプロジェクト活動:自分の中にある興味・関心(Will)から生まれたテーマを設定し、ワンアクションを起こす
高1知の理論・問いの探究:問いの構造を学び、深く考えることによって物事を抽象化する思考法を身につける。(Why)
高2・3課題研究活動・・・社会に散在する諸問題(needs)に対して、グローカルな視点から探究活動に取り組む

これまでのKKD(経験・勘・度胸)⇒できる人ができる
これからのKKD(仮説・検証・データ)⇒やりたい人ができる

PDCAからAAPへ
Anticipation ⇒ Action ⇒ Reflection
見通し⇒実行⇒振り返り

3つの感
私たちにしかできない感(当事者感)×私たちがやるべき感(社会的な課題)
⇒学びのブリッジング(紐づけ)⇒私たちでもできそう感(地域協働による探究活動)

「思い込み」と「思い上がり」でプロジェクトをつくる、に似ているなあ。
ゼミ形式で共飲1名あたり6名を担当する。

★「研究」(needsが重要)と「探究」(willが重要)
探究のほうが入り口になりやすい。自分のwillから出発できる。
「探究」があって、その先で世の中のneedsに合わせて、研究したい人は大学へ
社会で取り組みたい人は就職へ。
「探究」:自分ごと(主観)から出発して、客観に落とすことで、自己変容する。
問いの力で「研究」という枠組みを超えていくことができるかもしれない。

~~~以下第2部

society5.0時代における持続可能な社会と幸福な人生の創り手として、予測困難な未来社会を自立的に生き、多様な人々と協働しながら社会の形成に創造的に参画することができる資質・能力。

遠隔・オンライン学習やデジタル技術を活用した個別最適化した学び⇔対面指導や集団活動、地域社会の多様な教育資源を活用し社会とつながる真正な学びの充実

自立的な学び⇔協働的な学び⇔探究的な学び
主体的な学び⇔対話的な学び⇔深い学び
⇒誰一人取り残されることなく社会につながる教育環境の実現

「対話と協働」でリアルな学びの場と学校をつなぎ
「越境」で学校外とつなぎ「普遍化」でグローバルとつなぐハイブリッド探究・協働様式

自ら学びをデザインし、新しい時代を共に生き抜く力
「つながり」「対話・協働」「自立・探究」「社会・創造」を組み合わせて学ぶ
それを支える「学びの土壌」があること

ハイブリッド⇒どちらも
対面・体験・オフライン⇔遠隔・体感・オンライン
知識・技能・教科学習⇔探究・実践・総合探究の時間
全体・指導・公教育が持つ強み⇔個別・伴走・地域社会が持つ強み

「共創的カリキュラム」
個別的カリキュラム:学びの実態や環境に応じて、社会総掛かりで知見を共有しながら個別に学習計画が設計されたカリキュラム
明示的カリキュラム:新しい時代に必要となる資質・能力の獲得を目指して、誰一人取り残さないための「学習保障」「関係保障」「健康保障」が明示されたカリキュラム
潜在的カリキュラム(学びの土壌):学校や地域の特性や歴史・風土を活かし、学び手を伴走する土壌によって自然に生み出されるカリキュラム。

★余白をつくること
何を教えて、何を学んだか⇒何を教えず、何を学ばないのか
「対話」と「協働」で探究をドライブする。

ビジョン委員会:半分つくり、半分はつくらない。ねらいと偶然性を両方とる。5年後10年後を語り合う
「対話」の文化があること。

オンラインは会いに行くたくなるように終わること。

★「探究」と「教科」
コンテンツベースで教科をつなぐのではなく、コンピテンシーベースでつなぐ。
教科における見る力とは何か?問いを立てる力とは何か?ふりかえりをする力とは何か?

~~~以上メモ

すげえ・・・
ヤバい・・・

途中から僕の言語化能力を超えてきてしまって、手に汗かいてきた。
こんなの、前にあったな。

2005年の玉川大学のスクーリング「教育の原理」だ。
教育とは何か?を真正面から考える授業に、心も体も震えた。

僕がなぜ今ここにいるのか、わかった気がした。

探究の3つの感。
自分にしかできない感、自分がやるべき感、そして自分にもできそう感、
それって、「思い上がり」と「思い込み」つまり勘違いなのだけど、
生きていくってそれが大事だなとあらためて思った。

一番印象に残ったのは、
「探究」と「研究」の話。

「探究」は入り口が「好き」にあって入りやすいく、その先に青天井に進んでいける。
「研究」は入り口に社会のニーズ(課題)があって、そのフレーム設計をして進んでいく。
つまり、「探究」はフレームを超えていける。

そして探究を、客観(ニーズ)に落とし込んだときに自己変容が始まる、というのもすごくしっくりきた。
学びの醍醐味はまさにそこにあるんじゃないのか、と。

何より上水先生のラストの言葉に泣きそうになった。

「信じることです」

生徒を信じ、地域の大人たちを信じ、同僚の先生たちを信じること。
うわーって。

「信は力なり」
小学生の時に観たドラマ「スクールウォーズ」のワンフレーズがよみがえる。
「探究」とは、現代のスクールウォーズなんだなあと。
時代の激変期に、先生も不安なんだ。って。

いまこそ。
信じること。
そっからだ。

なんだろうね、この心地よい敗北感は。
圧倒的な敗北がここにありました。

2020年8月7日。
世界の広さを知った日。

上水先生のメッセージは
五ヶ瀬中等「だからこそ」挑戦し続けます。
で締められた。

「だからこそ」をつくっていこうと
他のところにはとっても真似できない学びをここにつくっていこうと。

パートナーのみなさん、よろしくお願いします!  

Posted by ニシダタクジ at 07:30Comments(0)学びイベント

2020年08月01日

問いを研いで磨く



探究学習コミュニティの1回目。
ゲストは前大船渡高校「大船渡学」の梨子田先生。
わずか3年で、東大生まで輩出した大船渡学。
その秘密に迫る。

~~~以下メモ

「学力の氷山モデル」
見える学力⇒見えにくい学力⇒ほとんど見えない学力⇒見えない学力
ペーパーテスト学力⇒思考力⇒関心・意欲⇒感性・経験
センター試験⇒共通テスト⇒二次試験⇒推薦AO
★ここを授業や問題集で鍛える☆ここを探究やPBLで鍛える

コルブの経験学習のモデル:「問う力」と「言語化する力」が学力の根本にある。

☆目に見える☆
試行・実践⇒挑戦・経験
家庭学習、宿題、練習問題、質問⇒授業を聞く・ワークをする
★目に見えない・意識下★
⇒振り返り⇒抽象化・概念化
疑問点・わかったことなどを抽出⇒そういうことか!の発見。わからないことの焦点化

この「挑戦・経験⇒振り返り」のスイッチが「問う」で「抽象化・概念化⇒試行・実践」のスイッチが「言語化」

探究のサイクル
「経験」⇒「問う(探究)」⇒「アクティブラーニング(言語化)」
※授業改善のポイントは授業を「経験」に変えること。

・質問:問われる側が答えを知っている⇒情報を引き出すトリガー
・発問:問う側が答えを知っている⇒考えさせるためのトリガー
・問い:問う側も問われる側も答えを知らない⇒創造的対話を促すトリガー

「問い」ブレスト
90秒でお題⇒180秒で質問を10個以上出す
※質問には答えない。すべて質問の形に書き直す。細かい質問OK

「大船渡学」:地元を知ることがゴールなのか?
この違和感からのイノベーション。
⇒「地域のため」ではなく、生徒の「学びたいこと」を中心に

教育課程に入れる⇒生徒全員が取り組む
⇒全生徒・全職員が主体的に取り組めるように
⇒地域ベースではなく学びベースに

目的は地元の活性化ではなく、行動や考え方の変容、
課題設定力や課題解決力など自己実現に必要な力を養うこと。
「まなびたい」ことを真ん中においたマインドマップ。

地域と関係のないようなテーマも出てくる。⇒生徒の多様性
⇒総合的探究のテーマ「自己の在り方生き方と一体的で不可分な課題」
⇒鉱脈を掘り当てる:対話を通して内発的な動機を探す。
⇒生徒がオーナーシップを持つようになる。

「双子の過ち」を乗り越える
×地元学習×調べ学習
⇒机上の探究ではなくフィールドへ。
ネットや本に答えを求めるのではなくリアルの世界で本気の思考を。
⇒考察のスイッチが入る⇒さらなる問いを得る。

アクションの条件:結果にコミットすること:1㎜でも動かす、1人でも変える。
「ポスターを貼る」「SNSで情報発信」だけでは課題の解決につながりません。
情報発信を行うときは、「誰がどのような行動を起こすためのものなのか」、
そして、その情報発信によって、「本当にその行動が起こせるか」を検証してください。
★この条件が本気の思考を促すスパイス

ロジャー・ハート「参画のはしご」
1「偽り参画」⇒4「与えられた役割の内容を認識した上での参画」⇒6「大人主導で意思決定に子どもも参画」⇒8「子ども主導の活動に大人を巻き込む」へ

大船渡を学ばない大船渡学
あなたにとって大船渡学とは?

・「学び」を学ぶもの
・問題を自力で見つける力
・姿勢と育てるレッスン
⇒コンピテンシーベースの学び

自宅の水を調べて、ニアウォーターをつくる。
⇒圧倒的にジブンごと。

北極星:まだ知らない化学の世界を見たい。⇒「好奇心」

周りからの「なんのためにやってるの?」「カッコ悪い」の目
⇒「好奇心」で突破していく
⇒「問い」というコンパス。

他校の生徒:外の世界を見ること⇒フレームを外して見つめてみる
「言葉を発することを怖がっている人はひとりもいない」
「探究」っていう世界に「第3の場所」が作れるのかもしれない。

「とりあえず驚くこと」「伴奏者:打てば響く人」
「おっ!」て思うことにリアクションする。
事象、行為に対する承認なのかもしれない。

問いをつくる⇒再設定を繰り返す。
問いみがき⇒問いが育つ⇒生徒が育つ

「新しいワクワクがもらえる」
目の前のワクワクに向かっていける。
⇒「面白いね(共感・承認)」って言ってもらえること。
評価⇔「面白いね」

紙飛行機はまっすぐ飛ばない

「テーマ」ではなく「問い」
肌感覚的な何か、感じる何かによって磨かれる
手触り感がある経験⇒「問いで研いで磨く」
磨くには接点が必要

「志望理由指導」⇒「主体的探究支援」
大学や社会は受験勉強ができる生徒を求めているのだろうか?
自ら問いを立て、主体的に学べる生徒、仮説検証プロセスを
体得している生徒を待っているのでは?

1 教材が提示した問題を生徒が考える
2 先生が提示した問いを生徒が考える
3 生徒が立てた問いを生徒同士で考える
4 生徒が立てた問いを生徒本人が考える

1・2は生徒は客体で3・4は生徒が主体
現状では3・4の時間はほとんどない。
⇒問いを立てると主体となる。

見通しがないことが大切。
先生もわからない、「指導」できない。
誰も踏んでいない雪道を歩く。
不安、だが、ワクワク、
失敗したらそれを次へ転がす

1 見通しがない
2 ワクワク。常識を覆す
3 生徒の中から生まれている
4 フィールドで検証できる
5 「気づき⇒発見」発展性

~~~

とまあ、そういう感じ。
探究学習とか、地域を題材に、とかって、地域ファーストになりがちだけど、
探究の本来は、「自己の在り方生き方と一体的で不可分な課題」に出会うこと。

地域サイドからしたら、地域のことをもっと知ってほしい。
ってなるんだろうけど、
それって、生徒のためなのか?って。

1月にコミュニティスクール立ち上げ準備をしたとき思ったこと。
「地域の良さを伝えていないから子どもたちは出て行ってしまう」は本当か?(20.1.21)
http://hero.niiblo.jp/e490223.html

まさに僕たちの「問い」の設定がそれでいいのかっていうこと。

「地元に残って(戻って)もらうにはどうするか?」
っていう問いじゃなくて、
「どんな生徒(若者)に地元に残って(戻ってきて)もらいたいか?」
って問いが必要なのではないか?

そして印象に残ったのは、鉱脈を掘り当てるっていう表現。
対話を通して、内発的な動機を探すことで生徒がオーナーシップを持つようになる。

三田愛さんが「種火」と表現していたもの。
ツルハシが掘るもの(17.10.15)
http://hero.niiblo.jp/e486023.html

ああ、そうか。
種火っていうのは、生徒の中にあるんだって。

かつて、ウイリアム・アーサー・ワード(William Arthur Ward, 1921-1994)は言った。

The mediocre teacher tells.
The good teacher explains.
The superior teacher demonstrates.
The great teacher inspires.

凡庸な教師はただしゃべる
よい教師は説明する
すぐれた教師は自らやってみせる
偉大な教師は心に火を灯す

ああ。
火を灯すための種火は、生徒の中にあるんだって。
支援者の役割は、その種火に、枯れ草を添えて、団扇で軽く仰いでやるだけなんだって。

そして問いを磨いていくこと。
リアルな、手触り感のある肌感覚で味わえるものに触れて、磨いていくこと。
その問いは研げば研ぐほど、鋭くなって、やがて、北極星になる。
北極星があれば、もう、そこへと進んでいけばいい。

そんな探究的学びができるまち、できる高校を実現したい。  

Posted by ニシダタクジ at 07:56Comments(0)学び日記

2020年07月28日

「学び」の逆シフト

移住情報サービス「SMOUT」の「SMOUT移住研究所」で阿賀黎明高校魅力化プロジェクトが紹介されています。
https://lab.smout.jp/primapinguino

この記事のメイキング映像がこちら。(6月ロケ)





取材は終始和やかな雰囲気。
清川高原も映してもらいたかったので、連れまわした結果、
ジェラート「Referi」と「桝や酒店」にしかいけず。
素敵な記事に仕上がってよかったです。

1か月ほど前の取材なので、もっと言いたいことが出てきましたので、
こちらで発信しようと思います。

これからの学びに大切なのは、「資源」と「課題」と「関係性」
ってコメントしているけど、その話には続きがあって、

そして、「場」が重要だっていうこと。
「学び」は「場」がつくる、「場」によって生み出されるっていうこと。

それは、付箋を使ったワークショップであり、
支えてくれる地域の自然や社会資源、人たちだったりするのだけど。

「学び」はいつから苦役になってしまったのだろう?

「追いつけ、追い越せ」など、目指す目標や夢を失ったときからか?
いま、学ぶことが「将来」を保証しなくなったときからか?

ここで。
明治時代に起こった「学び」の変化について考えてみたい。
藩校、寺子屋、私塾、かつて様々な学びの形があった。

それが明治以降に「学校」へと統一され、150年が過ぎた。
「学校」へのシフトとはなんだったのか?を学ぶ側からの視点で考えてみる。

1 「発見」から「達成」へのシフト
学びの喜びを「発見」から「達成」へとシフトさせた。

2 「承認」から「評価」へのシフト
承認欲求を他者からの評価欲求へとズラした。

3 「場」から「個人」「自分」へのシフト
学びが「科学」となり、量的に測られるようになった。

これら3つのシフトは、
「近代工業社会」の要請によって、「科学的」であり、「量的に計測可能」であることが大切だった。
その、前提が何十年も前に崩れているのだ。

「地方創生」が叫ばれ、都市から地方へ人の逆流が起こっている。
計画された「工業社会」ではなく、日進月歩する技術の中で、
「イノベーション」を起こせる人材が求められている。

いや。
そうじゃない。
「人材」という価値観が違うのかもしれないのだ。

イノベーションを起こすのは個人のチカラではなく、
場のチカラであり、それを支える想いのチカラだ。

そして、その原動力は、「好奇心」。
この先に何があるのだろう?というスピリットだ。

エンターテイメントの本質は、「予測不可能性」にあるという仮説を
僕は3年前に「つながるカレー」の加藤文俊さんのトークをヒントに得た。
http://hero.niiblo.jp/e484808.html
(「予測できない」というモチベーション・デザイン 17.5.19)
もちろんそれは、「安定性」「安心感」とトレードオフなのだけど。

上田信行さんが、キャロル・ドゥエック博士の研究を説明し、
小中学校に通っていると、
「成長的知能観」(やればできるかもしれない)から
「固定的知能観」(自分の才能は生まれつき決まっている)へのシフトが起こるのだと説いた。
http://hero.niiblo.jp/e459844.html
(「自信がない」は後天的に獲得した資質である 14.12.29)

学校に通っているといつのまにか、学びは苦役となる。
学べば学ぶほど、「自分はアタマ悪いんじゃないか?」って思うようになる。

なんだそれって。
学びが人を幸せにしないシステムってなんなんだって。

「学び」の逆シフトを起こさなければならない。
いや、もう起こっているはずだ。

「個人」から「場」へ。
「評価」から「承認」へ。
「達成」から「発見」へ。

それを始めるのが「場」の構築であると思う。
「場」で学ぶとは、「学び合い」を「見つけ合い」にするということ。

心に浮かぶ言語化以前の不完全なキーワード、
もしくは、「印象に残ったこと」というあいまいなものを
「場」に出し合うこと。

それを「その人はなぜ、そんなことを思ったのだろう?」
と「場」で考えること。

そして、見つけること、発見すること。
そこに喜びを見出すこと。

思ったことをいうこと。言える場があること。
「個人」を「場」に溶かしていくこと。

それが「対話の場」だったり、「ワークショップ」だったり、「プロジェクト」だったり、町を舞台にした「探究学習」だったりする。
この町にはそれを起こせる「場」がある。「場」の構成物、構成者たちがいる。

人口1万人の小さくて広い阿賀町には、流行りの言葉で言えば、「手触り感のある」「高解像度」な「資源」と「課題」と「関係性」が詰まっている。

それらを「場」が希望に変えていく。そんな学びの未来を見てみたい。  

Posted by ニシダタクジ at 08:34Comments(0)学び日記