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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2019年10月02日

「人」は最大の資源ではあるのだけれど

東京の魅力は「人」なんだと思う。
もちろん文化があり、商売があり、創造があるのだけれど、
東京というまちの最大の魅力は「人」に尽きると思う。

もちろんそれは、組織や地域でも同じで、
最大の資源は「人」である。
だからこそ。
教育は国の要であるし、人材育成は企業や地域の要である。

加えて、ここ数十年の大きな雇用環境の変化によって、
組織が一生涯にわたって個人を守ってくれない状況となっている上に、
「キャリア教育」という名の下で、
自分は何者なのか?
自分はどこを目指しているのか?
とひたすら問い続けられる。

「人」つまり「自分」にフォーカスしすぎなのではないか、って思う。
そしてそれこそが生きづらさの根源なのではないかと。

参考:
何者かにならなくてもいい(19.1.30)
http://hero.niiblo.jp/e488809.html

こうして、極端に言えば、
「プロフェッショナルになれ、さもなくば奴隷になるぞ」と脅されて、
中学高校大学と不安の真っただ中にいる人を何人も見てきた。

自分に向き合う。
目標に向き合う。
他者と向き合う。

それって本当に必要なのだろうか?って思う。

つい最近。
イベントの企画を考えていて、ふと思ったこと。
「いま、高校生に伝えたいこと」ってなんだろう?って。
なかなか出てこなくて、ちょっと真剣に悩んだ。

高校生を目の前にしているのに、
「いちばん伝えたいこと」が出てこないなんて。
そもそも「伝えたいことは?」っていう問い自体が、
高校生と向き合っているから、違和感なのかも。

向き合わないこと、なのかもしれないと思った。

向き合わずに、一緒に同じ方向を見つめることなのかもしれないと。
僕がやってきたコミュニケーションのデザインってそういうことなのかも、と。

本屋さんで本をすすめるとき。
意識は本に向かっている。

そして本を読んだ先にある何か、
それは決してその時点でお互いに見えているわけではないけど、
何かがあるような気がするから、本をすすめる。

畑で草をとっているとき。
朝ごはんを一緒に食べているとき。
みんなで輪になってはいるけど、向き合ってはいない。
僕はたぶん、そういう場が心地いいのだ。

「人」から「場」へ。
「チームの力」から、「場のチカラ」へ。
「手段としての学び」から「機会としての学び」へ。

そんなことを発信していけたら、と思う。
だからこそ、僕は阿賀町で、黎明学舎で、
高校魅力化プロジェクトをやっているのだと。
ここには「人」もあるけど、「人」以外の資源もたくさんあるから。
「機会」にあふれているから。「ブリコラージュ」し放題だから。

「人」は最大の資源ではあるのだけれど、
人生は経営ではあるのだけれど、
それは決して個人戦ではない。


「読みたいことを、書けばいい」(田中泰延 ダイヤモンド社)

最近読んだ本の中でいちばんドキドキした1冊。
「痛快」という言葉がしっくりくる。

この中に書いてある一言。
「就活は、受かる落ちるの選別の場ではなく、単に企業の業務と人材の能力のマッチングの場にすぎない。」

そうなんだよ。
受かるか落ちるか、っていう視点で見てちゃダメなのよ。

ヘリコプターに乗ってみたら、
まさに上に書いてあるように見える。

企業というプレイヤーと就活生っていうプレイヤーがいて、
企業の業務内容と人材の能力のマッチングを行っているだけなの。
しかもその能力は、その人のすべてではなくて、
その「企業の業務」単位で必要な1部の能力なのよ。

自分とも企業とも上司とも向き合わないことだと思う。
その企業の業務限定で開花する能力を、一緒に同じ方向を見れる企業と、上司と、やればいい。  

Posted by ニシダタクジ at 07:22Comments(0)学び

2019年09月28日

パフォーミングアーツ

パフォーミングアーツ:
演劇・舞踊など、肉体の行為によって表現する芸術。公演芸術。舞台芸術。

ワークショップは「パフォーミングアーツ」(舞台芸術)
なのだと、あらためて知った。

脚本、監督、そしてキャストが
一体とならなければ、いい作品はできない。

そんなことを思った。
一線で活躍するファシリテーターすごいなって。
「場」のつくり方、つくられ方を学ぶいい時間になった。

~~~以下メモ

ワークショップ参加者の相互理解がなければ、プランを立てることはできない。
通常2H×4回くらいはかけたい。
参加者の
・知識のレベル
・動機のレベル
・活動するときのレイヤー
がみな違うのだから、それをチューニングしないといけない。
そこから「場」が育まれる。

ワークショップが失敗する理由を合理化していないか?
・参加者
・お金
・時間
のせいにしていないか?
「ワークショップの課題」と「運営上の課題」をごっちゃにして考えないこと。

「ワークショップがどんな場であったらいいのか?」をみんなで考える。
主体は誰なのか?
行政に頼らずに自走していく会議体を作れないだろうか?
行政は場とペンと付箋と模造紙だけ用意するような、そんな会議体が作れないだろうか?

そもそもひとりひとりがどんな思いでここにいるのか?
それを確かめながら進めていくこと。

「ファシリテート」はスキル、テクニックではなく、あり方、体質のこと。
ファリシテーターとしてどうあるか?が問われている。

その会議、集まり自体の存在を問いかけないといけない。
「何のためにここにいるのか?」っていうことが分かっている人たちが本質的な場を形成する。

コントロール不能になる状態を怖れすぎていないか?
「主催者自身がプログラムに迷いがあるんじゃないのか?」
その通りだった。
「場」と「参加者」と「自分」への信頼があるのか?
そこにエネルギーを注がなければ場をつくることはできない。

「地域に対しての当事者意識を上げていく」っていう前提条件は崩れているんじゃないのか?
集まっているメンバーの当事者意識は高い。

「成果を測る必要があるのか?」
という問い。
そして測るとしたら、その指標でいいのか?
っていう2段階の問いを考えないとね。

「場」に対する信頼を。
ファシリテーターはその意味で迷ってはいけない。
ファシリテートとは、「パフォーミングアート」なのだから。

来年度に向けて、会議そのものをリ・デザインしていく。それによってひとりひとりが当事者になっていく。

「正解がある」というOSでは、もう勝負できない。
「正解がない」という前提で、取り組んでいけるか。

「創造的混沌」を味わう。
「創造的混沌」というカオスの中から新しいものが生まれ出て、秩序化されることで新しい常識が生まれる。

要するに、そのワークショップには、「愛」がなかった。
それはうまくいかないわ。

~~~ここまでメモ

ワークショップとは、パフォーミングアーツ(舞台芸術)である。

その通りだと思った。

僕はワークショップから何かが生まれなければいけないと思っていた。
分類のためのKJ法ではいけないと思っていた。

「自らを場に溶かしていく」って言っていた。
でも、今回そんな設計にはなっていないことに気が付いた。
そもそも「信頼」がないんじゃないか。
「不信」から出発していたのではないかって。
一言で言えば、「愛が足りない。」んだよ。

こちらの「愛」が足りないから、
参加者同士の相互理解と場への信頼が重なっていかない。

結果、場に自分を溶かしきれない。
一体感が生まれない。
新しい何かが生まれない。
そういうメカニズムだったのか。

なんかスッキリした。
うまくいかない理由が分かるって楽しい。

「場」と「参加者」と「自分」への信頼を持って、
場に溶けていくこと。

それがきっと、
僕がやるパフォーミングアーツとしてのワークショップなのだろう。

いい舞台をつくりましょうぜ。  

Posted by ニシダタクジ at 06:13Comments(0)学び

2019年09月27日

プロジェクトの解像度を上げる

まちづくり会議2日目。
空振りした感がある。

今回のプログラム

前回のプロジェクトキーワード出しから、
・具体的な顧客と顧客価値の設定
・まちの現実の把握
プランと現実の接続

を経て、キーワード未来日記を書いて、マッチング。
もうちょっと未来日記を掘り下げる時間があってもよかった。
未来日記が書いた状態でシェアするとか。

参加者のひとりに聞けば、
結局最後のマッチングは
プロジェクトキーワードで起こっていたのだという。
そして、阿賀町の現状を強調しすぎたか。
「まちづくり」の主語は、「自分たち」というプレイヤーだ。

双葉みらい高校のときは、それを高校生観点から考えたけど、
http://hero.niiblo.jp/e489819.html
チーム「自分たち」に「地域」というプレイヤーを含めていく(19.9.21)

未来日記ワークシートだったら、
ど真ん中に「誰のためにやるか?」(顧客はだれか?)
っていう問いをもってもよかった。

「未来日記をつくる」にもっとフォーカスしてもよかった。

未来日記のポイントは、顧客を主人公にする、ということ。
その顧客は自分自身であってもいいのだけど、
プロジェクトが実現している未来に登場する人がいい。

「高校生のための場をつくりたい」っていうのだったら、
5年後、その場ができているとしたときの、
高校生自身の日記をかかなければいけない。
今日も、「場」に行って、友達としゃべった、とか、
自分たちでくるみのプロジェクトに挑戦している、とか。
そういう感じ。
もう一度、黎明学舎でやってみようかな。

「まち」とか「地域」とかを主語にしない。

主語は具体的なお客である誰か、そして、プロジェクトを実行する自分たち。
プロジェクトの解像度を上げないと、未来日記は書けない。
でもそういう未来を描けるからこそ、プロジェクトが進む。

「もうトシだし、農業しんどくなってきたからやめよっかな」って思っていた
おばあちゃんが、農産物直売所をプチリニューアルして、
食べてくれる人たちや子どもたちと交流が始まって、
いっちょ頑張るか、って新たなモチベーションが湧いてくる、とか。

そういう話が書けないといけない。

それ、誰がやるのか?っていうのと、
それで、だれが幸せになるのか?っていうのと、
両方がないとプロジェクトは動かない。

ワークシートをそういうのを書けるように改善していく必要がある。
昨日の最初に江川さんが見せた図のようにしていく。

主人公が左下にいて、
右上の未来に向かって、
プロジェクトをつくっていく。

左上には背景(現状・課題)・資源(使えそうなもの)があって。

みたいな。
そんなワークシートに改善すれば、もっと解像度が上がるのかもしれない。

さてさて。
実験実験。

参加者の皆様、お付き合いありがとうございます。  

Posted by ニシダタクジ at 07:22Comments(0)アイデア日記

2019年09月23日

「承認欲求」の自覚と学びあいのデザイン

ひろのアートキャンプ。
91名の方に本をハックツしてもらいました!
ふたば未来高校で活動しているカタリバのスタッフ内海さん加藤さんも、
「結のはじまり」の古谷さんも来てくれました。

ふたば未来高校の見学と発表会と
周りの方々のお話から、いろいろ感じたことをつぶやいているのだけど、
そのまとめ。

~~~ここからつぶやき

「学ぶ」とは、価値を問い続ける、ということ。

「承認欲求」の存在に気づくこと。
「地域」とか「探究」とかいう前に、そういう授業をやったほうがいいのかもしれない。

ふりかえり方法は3つ
「メタ化して学びにフォーカスすること」
「深掘りして個人の感情にフォーカスすること」
「地域にとっての価値にフォーカスすること」

答えを持っている大人からは、もう何も学べない時代に入ったのではないか。

承認を得られるのはプロジェクトの結果が出たときではなく、思ったことが言え、それを受け止めてもらった時。

親和的承認を得るためには評価を受けることではなく、愛を受けること。
向かい合うことではなく、同じ方向を見つめること。

ティーチングでもコーチングでもなく、チューニングという方法。

承認欲求が満たされないのは、第1に家庭環境と地域コミュニティの弱体化、第2に学校教育により承認欲求が評価欲求にズラされていること、第3に質的にではなく、量的な分かりやすさを志向する資本主義社会のため。

ふるさと創りびと。
で創造という同じ方向を見つめること。
自分たちが思う価値に向かって進むこと。
他者からの評価を超えて自ら評価すること。
それは同時に承認欲求を満たすのではないか。

なぜ、自分はこのプロジェクトを始めたのか?
それは事後的に分かる。
決して事前には全部分からない。
そのなぜ?に出会うためにプロジェクトがあると言ってもいい。
その予測不可能性がプロジェクトをやる意味なのだと思う。

~~~ここまでつぶやき

少し近づいた、そんな感じがした。
「答えを持っている大人」がそれを教える、
みたいなスタイルで、学びはもう成立しないんじゃないか。

高校生と同じ位置に立ち、
彼らの発する音に耳を集中させ、
共に価値を生んでいくような、
そんな時間をつくっていくこと。

「価値」はあらかじめ決まっていない、ということ。
地域や大人や先生からの「評価」は、価値ではあるけど、
価値のすべてではないということ。

「価値」はいま、この瞬間に生まれていて、
常に流動していること。

そのスタートラインに立つ前に、
あるいは、立ってからも、自らの承認欲求の存在に気づくこと。
「承認」欲求を「他者からの評価」欲求にすり替えないこと。

自ら価値を設計・設定すること。
価値をこの瞬間、一緒に探っていける大人とプロジェクトを組むこと。

「地域」で「探究」ってそういうことなんじゃないか。
答えのない時代に突入しているんですよね。

高校生がプロジェクトで何を学んだか?じゃない。
その活動のプロセスで、大人は何を感じたのか?
どんな価値を見出したのか?
関係者全員で、その価値を探し、見つけ、つかんでいくこと。

そんな設計をしなきゃいけない。

だから、チューニングなのかもしれない。
「場のチカラ」なのかもしれない。
ティーチングでもコーチングでもないチューニング。

みんなの音を合わせて、
ひとつの曲を生んでいくような、そんな設計。

それをデザインしたいと強く思った。  

Posted by ニシダタクジ at 07:08Comments(0)学び日記

2019年09月22日

「あきらめない理由」に出会うこと。



ひろのアートキャンプの準備を終えて、
ふたば未来学園高校の「未来創造研究」研究発表会の
午前中の分科会に少しだけ顔を出してきました。
3つのプロジェクトのまとめのセッションにもやもやしたので、整理してみます。

~~~ここからメモ

作業療法士を目指している高校生が地域のおばあちゃんと話す。
「こんなに笑ったのは震災の後初めてだ」と聞く。
内面の復興は進んでいないのではないかと感じる。
心が動いた。それがいつなのか?それを掘り下げていくこと。

「見学」→「計画」→「実践」
そんな流れ。そこに仮説を組み込むことで「見学」が生きてくる。
「仮説」→「見学」→「新仮説」→「計画」→「実践」→「ふりかえり」→「新・新仮説」
そのサイクルに入れたら、「探求」自体が楽しくなってくる。

やってみると、問題点が出てきた!
→それを解決するために、大人の力を借りる。
→学校に来てもらって料理を教えてもらう。
→おばあちゃんの得意料理である「酢豚」「煮物」を作ってもらう。
→地域の人が地域で料理教室をやる。
「食」でつながる。っていうのと高校生バリューっていうのがある

1~3年の混じった振り返りセッション。
ここのファシリテーションが大切だと思った。

「目的」と「手段」みたいな話に集約していくのはどうなのかなあと思った。
「進路にどう生かすか?」みたいな問いによって、学びが「手段」になってしまう。
「機会」としての学びのために地域があるんじゃないのか?

目的・目標を達成することじゃなくて、その手段を選び、そのプロセスにあることによる心の動きのほうが大切なんじゃないのか?
「手段」そのものの「瞬間」に価値があるのではないか。そしてそれは非常に個人的なもの、その人特有のものだ。

「交流」を深めるために大切なものは?
共通のテーマ(相手の立場にたっているか?)と相手はどんなことを大切にしているのか?それを感じ取れるかどうか?それって個人の能力や精神論じゃなくて、コミュニケーション・デザインの問題ではないか。
実際は、「相手の立場に立つ」ことが大切なのではなくて、相手が「この人は私のこと分かってくれてるな」と感じていることが大切なのだよね。それはテクニックやコミュニケーション力ではなくて、コミュニケーション・デザインの設計のような気がする。

「3つの発表の共通点は何か?」という問いは、過度にプロジェクトをメタ化してしまう。それはそれで重要な能力なのだろうと思うのだけど、ジャンルの違うプロジェクトでそれをやったら、精神論的なものだけが抽出されてしまうのではないか。メタ化する前にもっと解像度を上げることが大切だと思う。「共通点は何か?」っていうより「何に、どんな瞬間に一番シビれたのか?」っていう問いを投げかけたい。

「おわらせたくない」「あきらめたくない」「やめたくない」のはなぜか?
「志」があるから?
社会的意義があるから?
やりたいことと社会的価値が一致しているから?
そういう側面もあると思うけど、高校生でも大学生でも大人でも、学びのスイッチが入ってしまったから、だと思いますよ。

自分だけのため→やめちゃう
社会だけのため→やめちゃう
だから、「自分のやりたいこと」が社会のためにつながるか?が大事。うんうん。わかるけども。それって事前にわかります?
「自分のやりたいこと」だからやめない、あきらめない?「意志」ってそんなに強く、すごいのだろうか。

「強い動機」に出会うこと。それが人生にとって大きい。
心を揺さぶられるような実体験、人の言葉、笑顔、空気感。
地域をフィールドにした学びが、それを得る機会になればいい。
プロジェクトの成果(社会的評価を伴うような)は、重要度としては2番手以下だ。

自分の「テーマ」と「ジャンル」を違う言い方で呼べないだろうか。
やっぱお客(対象)と、事業領域か。ジャンルは後付けでもいいのだよな。

「意志」とか「なんとか力」とかを信じない。
それをデザインの力で乗り切っていくこと。
それがデザイナーの仕事なのではないか。

そのストーリーづくりに参画しているのか?
誰かが作ったストーリーに出演させられているだけなんじゃないのか?
もっと、ひとりひとりのストーリーに重さを置きたい。
あなたはいつそう思ったのか。
具体的にどんなシーンだったのか。
そう思ったのはどうしてなのか。
もっと聞きたい。

~~~ここまでメモ

僕がいた部屋がたまたまそうだったのだと思うけど、めちゃめちゃ違和感。

「地域」で「探究」の意味とか意義ってなんだろう?
ってあらためて思った。

3つのプロジェクトの共通点は何か?
→挫折にくじけずにプロジェクトを前に進めたこと
→「あきらめなかった」のはなぜか?
→自分のためと社会のためがクロスしていたから

みたいなまとめに意味があるのだろうか?って。

なるほど、意味は分かる。
「自分のため」だけでも「社会のため」だけでも
継続するモチベーションにはならない。それはその通りだと思う。
その合わさるところにプロジェクトを作っていく、っていう考え方も分かる。

だとしたらなんだろう、この違和感は。

それが、高校生の「地域」で「探究」で学ぶべき本丸なのだろうか?
っていう違和感。

「なぜ、自分はこのプロジェクトをやっているのか?」に答えられること。

そのほうが大切なのではないか。
それは決して事前にわかるのではなくて、
やってみた後でわかることも多い。

実際にやってみたことで、予想しなかった何かが起こる。
思いもよらない発見や誰かの一言、やってよかったと思える瞬間に出会う。
そのときに高校生は、
「ああ、だから自分はこのプロジェクトを始めたのだ」と実感する。

その実感はきっちりとふりかえりの時間を確保して
誰かが質問してあげないと出てこないのかもしれない。
だから、そのような設計をすること。
そして、それをプレゼンで表現すること。

聞き手は、特に1,2年生は、そこに至るプロセスを知りたいのではないか。
それによってモチベーションが上がるのではないか。

共通項は何か?
あきらめなかったことです。

って言われても、
ノートに「あきらめないことが大事」とか
「自分のためと社会のためが重なるところにプロジェクトをつくる」とか書いても、
それが自分の活動につながるのだろうか?

プロジェクトをやったことで、
こんなことを起こり、こんな人に出会い、こんな経験をして、こんな自分に気づいたんだと。
そんなストーリーを聞きたいのだ。
プロジェクトの成果なんかよりずっとずっとそれを聞きたい。
どんな感情の動きやどんな学びがあったのか?を知りたい。

「高校生」が「地域」で「探究」の意味は、
そこにあるのではないか、って思う。

「あきらめない理由」に出会うこと。

プロジェクトを始めることで、何かが起こり、誰かに出会う。
そこで何かを感じる自分がいる。
そこにフォーカスすること。

「気づいたこと、学んだこと」の前に
「印象に残ったこと」という心のふりかえりをすること。

「機会」から学ぶっていうこと。
そして、「あきらめない理由」を発見すること。
プロジェクトの評価を自分ですること。

そのために「地域」という題材がある。
そして「地域」そのものも、高校生と共に学ばないといけない。
もちろん教員やファシリテーターそのものも。

「学ぶ」とは「価値」を問い続けるということ。
そして、価値に気づく瞬間があり、顧客に出会う瞬間がある。
それをキャッチすること。
それこそが「あきらめない理由」になる。

「あきらめない理由」からふたたびプロジェクトが生まれる。
その2プロジェクト目をつくること。できれば授業外に。
そこが「探究」のゴールなのではないかと思う。

「震災復興で高校生が地域のために頑張っています」という
ストーリーに出演させられるのではなく、
自らが、自分たちや地域の誰かを主人公にしたストーリーづくりに参画し、
自らをキャストしたストーリーを始めていくこと。

そこからしか人生というストーリーは始まらないと僕は思う。  

Posted by ニシダタクジ at 07:40Comments(0)学び

2019年09月21日

チーム「自分たち」に「地域」というプレイヤーを含めていく


ふたば未来学園高等学校


NPOカタリバが関わる「ふたば未来ラボ」にお邪魔しました。


全面黒板で場所の説明


スタッフ紹介。「好きなこと」とか書くの大事。


高校生も運営に参画するカフェふぅ


高校生が淹れたウィンナーコーヒー320円

っていうことで、楽しんできました。

なんというか、学校の中なのに
「第3の場」っていう感じ。

カフェとして使っている大人も高校生もいれば、
21日の発表会のためのミーティングをしている高校生もいれば、
大学生スタッフと談笑している高校生もいれば。

カフェ自体は
一般社団法人たんぽぽ(校長が代表理事)が運営。

カタリバのコミュニケーションデザインとしては、
やっぱりプロフィールと顔写真を載せて、名札をしているところが
徹底しているなと思った。
ニックネームも書いてあるし。
スタッフは毎月更新してもいいのかもしれない。

ふたば未来は総合高校なので、いろんなコースを選び、
授業で地元産品を利用したお菓子づくりを行っているという。

そしてカフェチームはカフェをやってみたい
っていう生徒が授業後の16:00~18:00で運営。(火・木は17:00~)

そうやって「自分」と「地域」の重なるところに
「プロジェクト」をつくっていけたらいいなと思った。

「地域」ってそういうためにあるんじゃないか。

「地域」や「まち」を主語にして語らない。
「自分たち」を主語にして語る。
しかしその「たち」の中に、「地域」や「まち」が含まれているような、
そんなプロジェクトをつくっていけないだろうか。

「自分」にフォーカスしすぎなんだ。

自分のやりたいことは?
自分の強みは?
本当の自分はどこに?

そんな問いを忘れてしまうような
プロジェクトに出会うこと。
それには「地域」が必要なのではないか。

分断。

個人は分断された。
地域も分断された。
おそらくそれは社会の要請だった。

「最後の市場」がそこにあったのではないか。

参考:家電を売るために「夢を持て」?
http://hero.niiblo.jp/e346221.html

人々は自分にフォーカスするようになった。
自分にフォーカスすると、他者と比べるようになる。

・これが足りない。
・ここが劣っている。
・いつまでたってもこれができない。

そこに市場が生まれた。
「夢」「キャリア」「資格」「進学」「美容」「健康」。

作り出された「ニーズ」。
コンプレックスを解消するために消費を重ねる。

自分らしい人生を生きるために。
女性を美しくするために。
80過ぎて人に迷惑をかけないように。

そんな自分へのフォーカスをズラすことができないだろうか?
自分にフォーカスするから比較が始まり、コンプレックスが生まれるのだ。

「地域」を取り戻す。
いや、地域よりも小さい範囲の「自分たち」を取り戻すこと。

「自分たち」はこの瞬間、この顧客にとってのこの価値を追いかけていく。
そこに没頭していくこと。
「自分」ではなく、プロジェクトの先にフォーカスしていくこと。

そしてそのうち、チーム「自分たち」の中に、「地域」というプレイヤーを含めていくこと。
それが、アイデンティティ・クライシス時代を生きていくひとつの方法論なのではないか。

チーム「自分たち」への出発点として、
双葉みらい学園の中にある未来ラボやカフェのような、
「機会」と「場」が機能していけばいいなと思った。  

Posted by ニシダタクジ at 06:21Comments(0)日記

2019年09月14日

戻ってもいいと思える場所

川田さん研修2日目。

~~~研修メモ

公営塾:「様々な体験」「地域の大人」「大学生」「社会人」「様々な知識/情報」のハブになる。

1 地元意識の変化:「地域」ではなく「人」
阿賀町のためにはがんばれないが、集落のためだったらがんばれる。
「阿賀町のため」にを「誰かのために」に替えていく。
主語を「地域」ではなく「人」にしなきゃいけない。
⇒接点をつくる=「人」に会う必要がある。

短期的効果
・帰る場所が増える
・関係者が増える
⇒精神的につながっている人が阿賀町にいる。
⇒「公営塾プロジェクト」は高校生・出身者とふるさとをつなげる「人との接点」をつくる

長期的効果
「思いもしないことばかり起こる人生だったし、今もそうだけど、私は阿賀町に縁があったことをすごく誇りに思います。大人になって色々な世界を知ってどこへでも飛び出していけるだろうけど、私は阿賀町に戻ってくるために生きるつもりで勉強を頑張ります。戻ってもいいと思える場所を見つけられたことが宝物です。」(卒業生の言葉)

ふるさととつながりながら、社会に対して武器を身につける。

学力の3要素ピラミッド「知識・技能」⇒「思考力・判断力・表現力」⇒「主体性・多様性・協働性」

地域課題・素材の学習活用+地域との接点
⇒地元意識の変化、思考/表現力の向上、進路実現の材料

「大人の姿勢」:ポジティブ or ネガティブ

・身近な人を見ていると仕事をすることが本当につらそうなので、
そういうことになるのを避けるために、ゆっくり仕事を考えたい
⇒親がネガティブな発信をしている。

子どもの変化から大人の変化へ
大人の変化から地域の変化へ

地元意識の変化⇒「地域」ではなく「人」⇒大人の変化が町の活気へ⇒地域学習の可能性

現在⇒未来:求められる学力が変わる。
知識から正解を素早く出すこと
⇒知識を土台に
・解決すべき課題を発見する力
・協働により課題解決の道すじを切り拓く力
⇒学力の3要素ピラミッド

源泉:学び続ける意志

「学習意欲の変化」
要因:環境とキャリア意識

人を変えるのは?(ライザップ方式)
×決意
○環境:「時間配分」「付き合う人を変える」

勉強のライザップになる。
時間ベースで勉強時間を記録していくこと
120分/日やれば⇒結果が出る。

変化の心理モデル
「学習の絶対量が増える」→小さな結果が出る→結果に対する感情が生まれる→チャレンジ精神が生まれる→「やればできた」(挑戦意欲・低)→挑戦回数が増える→未知なことと戦う武器が増える→「やればできる」(挑戦意欲・高)→テスト/進路/目標に当事者意識が伴い自主的に思考行動する→自走する

⇒授業がその場でわかるようになる
⇒自己肯定感が醸成される。自信/承認/優越感/自己表現
⇒学習意欲

環境が変わる
→小さな結果が出る
→自己肯定感が育まれる
→学習意欲が変化する

キャリア:職業を選ぶこと?
「職業」で選ぶ⇒「価値観」で選ぶ

知識+体験→価値観→今/将来

映像による追体験(情熱大陸・7ルール・プロフェッショナル)

幸福感=価値観
→判断基準:人の笑顔
→環境要因:観光系の接客業
ホテル?

ロールモデル
→コミュニケーションがうまい、外国語で会話ができる、知識が豊富
職業イメージ:ビジネスホテル=× 高級ホテル/旅館=○

理想の自分像のイメージ化
→「高級旅館の女将さん」「外国人に日本流のおもてなしを」「人の笑顔のための仕事をし、人の笑顔で幸せをいただく」

「ロールモデルになるには?」
1 コミュニケーションがうまい→生徒会
2 外国語で会話ができる→英語
3 知識が豊富→国語/日本史
→納得して勉強を開始する→勉強時間が増える→観光が学べる外国語学部へ進学
→観光/日本文化/外国語の勉強/接客業のバイト
→ロールモデルに近づく
→目的意識ある4年間の大学生活
→主体的な学びの姿勢・故郷の観光面で貢献

1「未来の自分/なりたい自分」と2「今の自分」と
3GAPの把握

4危機感からのGAP対策5授業姿勢 5目的意識の変化(受動→能動)
6行動の変化→結果の変化7理想の自分の実現
キャリア意識が変わる→今の時間に意味を見出す→目的意識が生まれる→学習意欲が変化する

~~~ここまで研修メモ

この2日間の最大の価値は、
地域活動と学習意欲
キャリア意識と学習意欲
の接続のイメージができたことかな。

1期目の信頼関係づくりと営業するときの武器を手に入れること。
それを踏まえて2期目はPBLや地域との関わりのきっかけをつくる。
そして「教育留学」「生徒数の増加」へとつなげていくこと。

川田さんのビジョンでは未来フォーラムの有料化など、
「教育資源」と「観光資源」のミックスによる教育のまちとしてのブランド化、
までがストーリーで書いてあったのだけど、そんなこともできるなあと。

研修後、ランチ中に、「幸福感=価値観」の話を聞いたけど、
それには「判断基準」と「環境要因」があって、
たとえば、「お風呂が気持ちいい」っていったときに、
それには「リラックス」っていう判断基準があって、
リラックスできるのならお風呂じゃない方法でもいいのか?
っていう問いができたりする。

この前のかき氷の振り返りでも、
リーダーの3年生の志向性は
リーダーシップではなく、チームワークだった。

そんなことが地域活動の振り返りによって芽が出てくるのだなあと。
たぶん、キャリア意識のほうも、プロフェッショナルなどの動画を見ての
感情の動きをキャッチしてそれを深掘りしていくことで、
本人の志向性が見えてくるのだと思う。

学習意欲をどう上げるか?
これは公営塾にとっての最大のテーマである。

それを地域活動やキャリア意識からつなげて考えること。
コーチングを活用していくこと。

たぶん、そっからだな。と。

「ふるさと」とは、
全力で創造的行為を行い、そのうちいくつかを達成した場所のこと。
その一つに、(学校の)学習があること。
たぶんそこが「黎明学舎」の使命だろうと思う。  

Posted by ニシダタクジ at 09:08Comments(0)日記

2019年09月13日

地域活動を学びのモチベーションにつなげる

「黎明学舎」前塾長の川田さんが来てくれて2日間の研修。
1日目は現状と課題の確認。

~~~以下メモ

・親との関係について
勉強しているのか?不安⇒学習時間の見える化をする
⇒ニュースレターの発行(月謝袋にいれる)と学習時間、コメントの記入

「教科指導」
「学ぶ力」

信頼関係構築⇒計画サポート⇒遂行サポート

双方向性と存在の承認

ゲーミフィケーション:4つのタイプ


引用:雲の上に音符あり。
http://cloudscore.blog.jp/archives/10329753.html

コーチング:


引用:ArayZ アレイズ
https://arayz.com/columns/coaching_201811/

年間計画⇔週刊計画
必達目標と努力目標

問題≠課題:「課題」を明確にすること

★コーチングの時間、人、ツールを決めること。
・2人でやる面談もあり

ゴールに納得していること。
⇒ギャップの共有

「原体験」と「追体験」
知識+体験⇒価値観の形成⇒ゴールの設定

ロールモデル
↑(ギャップ)⇒危機感からのギャップ対策⇒目的意識⇒行動の変化、結果の変化⇒理想の自分
今の自分

問いかけ。
×足りないものは何か?
○何を武器にして近づけると思う?

英語が得意:外国人と接する仕事、たとえばホテルフロントとかになりたい。
⇒ホテルフロントになったら、何が必要になる?
「サムライってなに」とか「近所のお寺」のこととか聞かれる
⇒現代文と日本史も必要になるよね?

価値観と体験を結びつけること:追体験が必要

価値観・幸福感が
「判断基準」からくるのか?
「環境」からくるのか?
⇒自分の軸をつくっていく。

「感情」の解像度を上げていくこと。
⇒未来につながるまで深掘りしていく。

イベント後に対話の場を設定すること。
面談⇒作戦会議

「自分を知る」プロセスを入れることで、
地域活動を学びのモチベーションに変える。

~~~ここまでメモ

それそれ。
いまから取り組もうとしている
「学習指導からコーチングへ」と「地域活動からの学習への接続」
という2つの課題に対して、ヒントが多かった。

地域活動のふりかえりを
どのように本人たちにフィードバックするのか?
そのために、ふりかえりをひとりずつ真剣に聞く必要があるなと思った。
場合によっては、人を分担して見ていくことも考えないといけない。

多くの人は、「自分」を知らない。

まあ、「自分」を全部知る必要なんてない
というか、知ることは不可能だ。
その瞬間瞬間の分人を他者化して見ることなのかもしれない。
そうした集合体が自分なのだと。

その分人を深く掘り下げてみること。
それは他者の仕事、スタッフの役割なのかもしれない。
あるいは、それを生徒たちが相互にやれるようになったら素晴らしい。

いい感じ。
2日目は1期目3年の取り組みのふりかえりを
聞いて、今後の見通しを考えます。

よろしくお願いします!  

Posted by ニシダタクジ at 07:43Comments(0)学び日記

2019年09月12日

「予測不可能性」と「創造的脱力」

神奈川大学経営学部山岡ゼミの3年生のゼミ合宿が阿賀町に来てくれました。





黎明学舎の説明と、僕のヒストリーを話しました。





そして狐の嫁入り屋敷へ移動して観光協会の新發田さんから教育体験旅行の話を聞きました。
僕自身が聞きたかったことなので、めちゃめちゃ質問してしまった。

僕は、
まきどき村やツルハシブックスの取り組みのことなどを話した後に
黎明学舎のコンセプトである「ふるさと創りびと」の説明と、
この前のかき氷の新聞と、今後の見通しの話をしました。

大学生の感想で一番心に残ったのは、
「ふるさと」を創るのは、全力で行う創造的行為なのだけど、
それは「誰か」と一緒にやるからふるさとになるのではないか、と。

たしかに、そうだなと。
ともに創造的行為を行う誰かの存在。
それは決定的に必要なのだろうと思う。

~~~以下感想シートよりメモ

話を聞いて「ふるさと」をつくるという新しい発想を得ることができたなと感じました。私は地元を「ふるさと」と思ったことがなく、なんとなく「ふるさと」というものにあこがれを持っていたのですが、それを今後つくることも可能であるということが知れてよかったです。また、「創造的破壊」と「創造的脱力」というアプローチの仕方の種類を知り、創造的脱力のとりあえずやってみようという精神がとても魅力的であるなと思いました。最近はどうしても何かを始める際にはメリットのことを考えてしまい自分のやりたいことをとりあえずやるということができにくくなっているなかで改めて創造的脱力というものの重要性を感じました。私にはまだ明確な「やりたいこと」が見つけられていないのですが、大学生になって多様な人々と関わることの大切さを知ったので、今後も様々な人と関わっていき、そのなかで自分の「やりたいこと」を見つけていきたいなと自分をふりかえることができました。

阿賀黎明高校魅力化プロジェクトは、阿賀の自然、土地だからこそ出来ることを授業化し、クリエイティブな体験を通じて外から阿賀でその経験をすることで西田さんのように新潟・阿賀が自分のふるさとだと感じられる人を取り込むきっかけになると思いました。田舎の高校にあえて来ることは本当に少ないと思うので、阿賀の土地だからできることを強みに外から呼び込み、定着する機会を増やすことが大切だと思いました。自然のあるまち、人柄がやっぱりふるさとを感じる場にはあると思うので住民同士の触れ合いは大切だと改めて思いました。私の地元をふるさとだと感じるのは方言を含めて人柄が一番大きいと感じています。関東の人と比べると人柄が違うなと感じてしまうのでこの小さなまちこそこの強みがあると思いました。土地柄を生かした高校を作り人を呼び込んでほしいと思います。進学率とは逆になりますが、農学科みたいにして特色ある授業を沢山して土地を生かせればなと思いました。もしここでクリエイティブな体験が地域の温かい人とできれば、もし外へ一度出てもふるさとはここだと思ってくれると思います。お忙しい中、ありがとうございました。

・「人生は経営」「楽しさは予測不可能から」「店員ではなく劇団員だと思う」「創造的破壊と創造的脱力」にとても興味深いと感じた。

・「顧客はだれか?」「価値は何か?」や、ふるさとの定義についてグループメンバーで話し合うことができ、いろんな考え方を学ぶことができた。

・最初に西田さんの行っている活動を聞いた時に、変わった経歴をもった方だったのでどのようなお話を聞くことができるのか想像できなかった。しかし、こまでの西田さんのキャリアを重ねて、今の黎明学舎の取り組みにつながっていることがわかった。町がつくった公営塾がふるさとをつくるということにつながるのは面白いなと思った。今は自分が住む場所をふるさとだと思えなくても、これからの自身の行動やどういった活動に参加して、それらを一生懸命やるかでふるさとは自分でつくれるではないかということを今回のお話で気付かされた。学習塾がこのように脱力した環境で、生徒ものびのびと通い、勉強に集中できるのは、この場所にあるからだと思う。個人的に塾というものは受験のために通う場所というイメージが大きいので、こうした黎明学舎のように塾に自ら居る時間を求めて通えることがうらやましいなと感じた。勉強するだけの場所ではなく、空間をともに生徒に与えているのだと思った。それこそ、スターバックスのように顧客に第三の場所を提供することにつながるのではないか。そうしたことを無意識のうちに提供する場と成り得た黎明学舎がすごいと思った。このような学習塾なら毎日嫌だと思わず通うことができるのかなと思った。

・もっとも印象に残ったのはふるさとの話です。何かを全力で成し遂げたことがあればそこがふるさとであるという定義に納得しました。自分自身、ふるさとはあるという自覚はあります。地元の静岡では様々なことを成し遂げてきました。しかしその自覚もなくなってしまうのではないかと不安になりつつあります。地元では開発が進み、帰省するたびに町の景色が変わっています。それは自分が挑戦してきた場所の景観まで変化してしまいました。記憶や写真が残っていても、そこで過ごしてきた場所が一変してしまったら。そう考えるととても寂しくなります。私はふるさとが好きです。しかしそこが変わってしまったらそこをふるさとと心から感じることができるのでしょうか?時が経てば必然的にいろいろなものが変わります。それは仕方がないことだということも理解しています。何か1つでも変わらない何かがふるさとに残っていれば、嬉しいし、また戻りたくなるな、と感じました。少し脱線してしまいましたが、ふるさとがあると自分の居場所があるのだとあたたかい気持ちになれます。そのような場所を自分でつくっていけるように、他の人と一緒につくれるように行動していきたいです。黎明学舎の話をきいていて、ふるさと1つの要因の場所だと感じました。

・今日ツルハシブックスのお話を聞き、年代、世代、職業関係なく人々が集まることに驚きました。特に若い世代が自分で本を見つけ出すこと、見ず知らずの人と話をする環境はとても珍しいと感じたためです。最近はイヤホンをしている人が多く、店員が話しかけてこないようにしているお客さんをよく見ますが、ツルハシブックスでは店は舞台、劇場、店員は劇団員、お客さんを共演者として接していることで、人々が知らずに引いている線が無くせるのだと思います。黎明学舎のお話では、生徒が「自分から来る」ということに自分の高校生時代との違いを感じます。もし自分にも「行く場所」があれば、1日1日楽しみも生まれたであろうし、自然と勉強をするようにもなったのではないかと思いました。(自分を取り巻く環境がそれからの考え・生き方を変えるのだと改めて気づきました。)ふるさとのお話でも、私は神奈川生まれ(家族全員)福岡育ちなのですが、生まれた場所か親戚が多く住む神奈川と自分の記憶の大半を占める福岡のどちらがふるさとかを漠然と考えていました。今回、「ふるさと」の定義を聞き、これからも自分が残した経験次第でふるさとが見つかれば良いなと強く感じています。貴重なお知らせありがとうございました。

・人生の中でどこに目的を定めるのかは、自由に決めていいのだと感じました。物を売って、お金を稼ぐというだけでなく、自分が「おもしろい」と思うポイントに焦点をあてて、商売や人生を展開していく事も、とても魅力的に思えました。これからの人生の様々なシーンで大事な選択をしていくことが多くあると思いますが、頭で固く考えすぎずに裏道を探すように脱力的アプローチができるようになれれば今回のお話を聞いた収穫になると思います。その中で、予測できなかった良い点を様々なシーンで見つけていければ、自分自身おもしろく感じると思うし、より人間らしい生き方、働き方が実現できるのではないかと感じました。今回お話を伺って人生の考え方の引き出しが増えたような気がします。ありがとうございました。

~~~ここまでメモ

キーワードとしては
「予測不可能性」と「創造的脱力」が効いたみたいです。
やっぱそこかなあ。  

Posted by ニシダタクジ at 17:19Comments(0)日記

2019年09月11日

「機会としての学び」の前で人はフラットになる

茨城県日立市の株式会社えぽっくが提供する
企業取材型インターンシップ、チーム「ひきだし」。
9月8日は事後研修でした。



プログラムは以下。

前半
1 誕生日別チーム分け
2 チューニング(最近あったよかったこと)
3 「魔法をかける編集」と場のチカラについて
4 「印象に残ったこと」を付箋に書く
5 解像度を上げる⇒書き直し
6 3分発表⇒改善(1分発表2分ヒアリング)
7 ふりかえり
~~~

魔法をかける編集という意味では、
「印象に残ったこと」っていう入りが大切なのかも、って思った。

通常の気づきは、
「気づいたこと、学んだこと」をシェアするのだけど
それだと、先に脳が出来事を編集しちゃう。

つまり、「場」に何も出ないんだ。
まず、心を差し出すこと。
だから、印象に残ったことをまず出す。

出した後で、それはなぜ印象に残ったのか?
を場にいるみんなで考えるんだ。
そこで、場のチカラの要素である「誰と」「いつ」「どこで」が高まっていく。
学びは個人戦ではなく、団体戦だから。

そもそも学ぶためにやっているんじゃなくて、
何か生み出すためにやっているのだから。

「印象に残ったこと」を聞いて、
その時にキャッチした「共感」と「違和感」を
場に差し出していくんだ。
そこから生まれる何かを生むんだ、と。

~~~

このあと、若松さんによる記事の分担の説明があってから、
ふりかえり後半に突入

1 「よかった 悪かった」「予想できた 予想できなかった」2軸のマトリクスふりかえり
2 参加大学生の司会進行によるシェア(冊子に乗せる座談会の様子録音)
3 予測不可能性がエンターテイメントの本質であるという話⇒予想しなかった悪かったことを楽しめるか。
  通常は「1 予想できたよかったこと(目標達成)」「3 予想できなかった悪かったこと(反省会)」
4 「機会としての学び」と「手段としての学び」評価>目的になっていないか?
5 全体を通してのふりかえりの一言

~~~


ラストふりかえりを書いている図。

この振り返りの前に、えぽっく代表の若松さんから、衝撃の一言が。

「正直、ひきだしにどんな価値があるのかって、わからないんですよ」っていう一言だった。

これは、すごかったな、と。
場の空気が一気に変わった。
投げ込まれたいまのリアルな感情。

どんな価値があるのか?
それは事後的に決まるっていうか、いま、この瞬間に決まるんだよ、ひとりひとりの感想と場の空気で。
だからいま、価値を語ってくれ。
そんなメッセージ。

そうか。
若松さんはひきだしの主催者であるだけじゃなく、参加者だったんだと。

そして出てきたラスト感想のメモ

~~~ここからメモ

「偶然と必然」
たまたま「ひきだし」を知って参加させてもらった「偶然」。企業さんから話を聞いて、そのあと自分の考えができていく「必然」。若松さんが築き上げてきた人とのつながりを自分にできた「偶然」。偶然があったからこそ、インターン参加できる「必然」が生まれた。

参加の動機は、「働く」ってどういうことだろう、これからどうやって生きていったらいいんだろう?っていうのを知りたかった。企業・企業人から学びたかった。すべてに共通していたのは「人」だった。業界、業種にかかわらず、人というキーワードが出てきた。業種・業態に縛られないひきだしだったからこそ強く思えた。サービスについても、伝え方についても「人」が大切だった。会社に入るためには、それが大切。自分だけではやっていけないから周りを大切にしていかなきゃいけないし、自分を出さなきゃいけない。人の感情が大切になるので、そうやって会社を選んでいかなきゃいけない。

「予測不可能性」っておもしろいな、と。働くことの現場を知ることを目的として参加したが、振り返ってみて、私は一緒にやる人を選んでないし、就職しようと思って行ってない。3日間の中でいろんな価値観と一緒にやれたのがよかったし、社員さんから人生の価値観を学んだ。その社員さんにしても予測できた人はいないのだから、予測不可能性を大切にしていきたい。

「何者」わからない世界ばかりに行く取材。知らない世界をしることができた。関心を持つことができた。自分の個性についても自分を知ることができた。共感することとか感動することは自分の心をゆさぶる価値で、何に自分は価値を見出しているのか?を知るきっかけとなった。まだ大学2年生で進路に悩んでいる時期のインターンだったので、いろんな仕事があるだけじゃなくて、どうやって働く人がそこで生きているのかを知ることができたのが収穫だった。これから自分がどうやって生きていきたいのか?を感じ、考えることができた。

「どう生きる?」を問われたインターンだった。こうしたほうがいい、っていうのはあるけど、こうしなければいけないというのがなかった。すべて自分たちに選択肢が与えられて、どれを選ぶか、どんな考え方、どんな価値観を持って生きるかは自分で考えなきゃいけない。職業を考えるインターンではなくて、人生を考えるインターンだったなと。未来に何をしたいのか、どうありたいのかを考えていきたいと思った。

「もやもや」企業よりもそこで出会った人の同じ価値観、異なる価値観、生き方考え方に触れた。自分との同じと違いに気づいたことで自分を見つめなおした。チームで過ごす時間がいい意味でもやもやだった。チームとは、相手のことを考えるとは何か?を考える機会が多くて、自分自身のこれから、軸について考える機会となった。

「将来について考える大きな一歩」インターンシップへの参加は初めてだったし、知らない人と一緒に行動するとか寝泊りしたり、ひきだしという場自体が成長する場になった。感想とか意見を言う機会がすごく多いので、ほかの人の意見をたくさん聞けたのがすごく刺激になった。違う会社にいって、いろんな働き方を見て、感じて、将来についてよく考えるきっかけになった。

「どんな人と、なにをして、どんな思いに答えたいのか」自分に問いかける主体性を育てる貴重な機会となりました。感謝でいっぱいです」これからどうしていこうかと悩んでいた時に、働くってどういうことなんだろう?自分の力をどう社会に還元できるんだろう?っていうのを実際の会社で考える機会になった。人生観とか価値観を問い直す機会になった。感謝の気持ちでいっぱいです。

「課題」を見つける場になった。ひきだしはアットホームな雰囲気があっていいなと思った。普段は聞けない大変なことや実話が聞けるなと思った。気づいたのはアットホームな雰囲気を作るのは自分たちだと思った。個々の人じゃなくて全体でつくるんだなと、力はあったのに1日目がうまくいかなかったり、もし自分が周りが見えてれば、もっとよくチームを回せていい取材ができた。自分が思っている不安とかをまず開示しなきゃいけなかったり、そういうことを考えなきゃいけないと思った。いろんな課題が見つけられた場になった。

~~~ここまで感想メモ

自らの言葉で、感情で、語っていたのが印象的だった。

会場を提供いただいた(株)ユーゴーの採用担当・稲野辺さんが最後にコメントする。
「飲み屋で上司の愚痴を言ってるのは、『自分は会社を変えられない』と思っている人たちだ。
自分たちで会社は変えられる、と思っていれば、飲み屋の話は未来の話になっていく。」

ドキッとした。
僕の茨城時代を思い出した。(笑)

ユーゴーの稲野辺さんが昼ごはんの時に話していたけど、
採用活動していく上で、大学生とフラットに対話をしていくことを心がけているという。
自分たちが採用してやるわけでも、大学生が会社に入ってやるわけでもない、
ただ、お互いに、ユーゴーという場を選択するんだ。
そんなコミュニケーションスタイル。

僕自身も
フラットな関係性をつくるコミュニケーションのデザイン。
をテーマに活動してきたのだけど、
ひきだしもそういう場になっているのかもと思った。

何よりも、
「ひきだし」という活動そのものが問いになっていて、

主催者の若松さんも僕も、このひきだしから何が生まれるのか?
ってやってみないとわからないというか、価値を問い続けているんだなあと思った。

そんな、「機会としての学び」にあふれたひきだしプログラムでした。  

Posted by ニシダタクジ at 07:17Comments(0)日記

2019年09月07日

かき氷ふりかえり

黎明学舎「サンカク」第1弾。
レガッタ大会でのかき氷屋台出店。
のふりかえりでした。

当日、よかったことは振り返っていたのだけど、
準備から含めてふりかえり。

・シロップは思ったより簡単に作ることができた
・くろごまシロップを試作したとき、ぜんぶ自分たちで食べてしまった。
・シロップの味付けが大切だと思った。濃いめに作るのが難しい。
・雪椿シロップの珍しさがよかった。
・看板がもっと工夫できたんじゃないか。
・もっと時間があればシロップをたくさん作りたかった。

・シロップで試作したずんだ納豆がジェラートになった。
・前日準備に人が足りなかった。
・ポスター作りもっと早くできたのではないか
・ほかの店と比べてあまり目を引くものがなかった。
・POPの色をもっと見やすくすればよかった:遠くから見えるように工夫する
・エゴマ使いたかった。地元産の何か。
・ポスターを画像にして宣伝拡散すればよかった。
・何がオススメなのかもっと伝える方法があったのではないか。
・計画をもっとちゃんと立てること

★価格決定について★
ノーマル(定番):300円⇒ほかのお店と同じだったので妥当だった。

・かぼちゃミルク、梅ミルクの600円は高かった。
・全部に最初からハーフを作ったらよかった。
・試食をしてもらえばよかった。
・平皿だとたくさん盛っても溶けて少なく見えてしまう。

ちなみに販売個数
かぼちゃミルク 16(内ハーフ2)
梅ミルク 17(内ハーフ3)
かぼちゃと梅のハーフ&ハーフ 2
雪椿 26(内ハーフ8)
定番 47

★味について★
・ポスターをつくるときに味と価格が決まってないとかけないので決まっていてほしい
・ポスター制作に1週間かかり、宣伝に1週間かかるので、2週間前には味・値段を決定してほしい
・スケジュールの共有をしてほしい:LINEグループなど

価格や表示について、当日見直す時間をつくる。

で、当日ふりかえり

・晴れてよかった
・緊張してたけど慣れてきた
・たくま&しょうくんがずっとかき氷を作ってくれていた
・同じ子どもが3回も買いに来てくれた。
・練乳とかいろいろなトッピングつくるといいのかも。
・おじさんがたくさん買ってくれた。
・笑顔とコミュニケーション力が大切だと感じた
・たくさんのお客さんが同時に来た時にオーダーの通し方に工夫が必要だった。

・最初にしてはうまくいった。
・だんだんうまくなっていった。かき氷が美味しくなっていった。
・4歳の子がかぼちゃミルクおいしいって言ってくれた。
・本気だせばもっと美味しいかき氷ができた。

・人が来る時間帯と暇な時間帯がある。
・みんなで決めることはみんなで決めて、ひとりで決めて変えられるところはひとりで決めて変える。
・お客さんがやさしかった。
・こどもがおいしいって言ってくれるのがうれしかった。

最後に一言
・楽しかった
・裏方だったけど関われてよかった
・心があったかくなった。
・つかれた
・よかった
・みんなで真剣に話し合えてよかった

発表しなかった付箋より
・もっとおいしいの作れる。かき氷の可能性
・ふりかえりが本気でうれしい
・もっとこういう活動を仕掛けたい
・緊張するって成長だよ
・当日いろいろかわるのは当たり前。そこからどうするかが仕事

・年齢関係なく意見を言ったり、ものを作ったりできるってことがわかった
・自分の「できる」が発揮できる(見つけることができる)場いいなあと。

・みんなが真剣に売ってくれた
・お客さんたちがあたたかかった。
・「売ってみる」ことへのハードルが下がった
・あたふたしたおかげで工夫が生まれた

・2年生コンビが会計をずっとしてくれたこと
・及川さんが梅干しの種とりをずっと手伝ってくれたこと
・1年&3年コンビがかき氷づくりを最後までやってくれたこと。

~~~という感じ。

1年生2名、2年生2名、3年生2名というチームで、
今回のかき氷屋台にチャレンジした。
教えてくれたのは氷屋の杉崎さん。
強力なサポーターはシンヤさんだった。

3年生がリーダーだったのだけど、
料理上手の1年生のリーダーシップを感じることが多かったと
思っていたら、ふりかえりでも全体への感謝の言葉が出てきていて、
さすがリーダー、って思った。

僕も
Iくんの責任感
Hさんの笑顔
Tさんの集中力
Mさん絵描くのはやい
Eくんの職人魂
Sさんの仕切る力

って書いてたから、なおさらびっくりしました。
才能を見つけるって楽しい。

あとは、今回は雪椿に注目が集まったけど
「辻さんのおばあちゃんの梅干しでつくった梅ミルク」と
「区長のかぼちゃでつくったかぼちゃミルク」
っていう物語のあるシロップをちゃんと説明できるようなメニューが
今しかない感じを出せていいかなと思った。

ふりかえりの時間が1時間を超えて、
みんなが真剣に話していたのが印象的だった。

やっぱふりかえりって楽しいんだよ。
反省じゃなくてね。

「やってみた」だけだから。
実験して、結果が出て、その結果を楽しむこと。

そういうことなのだと思う。

僕自身のふりかえりはまた今度。  

Posted by ニシダタクジ at 07:19Comments(0)学び

2019年09月02日

かき氷屋台@レガッタ大会



黎明学舎かき氷チームが挑みました
かき氷屋台@レガッタ大会でした。

1~3年生の混合チームで
朝8時から準備しました。

僕はレガッタ大会出場のため、
販売場所の段取りした後にレガッタ大会出場
ぜんぜんうまく漕げなかったのですが、
高校の先生たちのおかげでなんとか完走?しました。
敗者復活でも最下位だったので、来年はちゃんと練習したいなあ。


かき氷ですが、前日に準備したPOPづくりを
途中で書き足しつつ、販売していました。

オリジナルシロップ「かぼちゃミルク」と「梅ミルク」は
ともに600円という強気の値段設定。
(途中でハーフサイズ300円っていうのを投入した)

意外に興味を引いたのが「雪椿の抽出エキス」で作ったシロップでした。

結果発表
かぼちゃミルク 16(内ハーフ2)
梅ミルク 17(内ハーフ3)
かぼちゃと梅のハーフ&ハーフ 2
雪椿 26(内ハーフ8)
定番 47

合計108杯でした~。
目標達成~。パチパチパチ~。


閉会式の後のお客さんを狙って作った、
残り6杯で100杯達成のボード。

ラストスパートで一体感が生まれことがよかったのか、
ここで奇跡が起こります。

「あと何杯だ?俺が買うよ」というおじさん登場。
1万円札を取り出して、周りの人たちにかき氷を振る舞うという事態に。
で、集まってきたのが町長さんとか議員さんとか。

いやあ、すごい絵でした。
あれはやってみないと味わえないこと。

そして。ふりかえり。

印象に残っていること
・子どもが少なかった
・定番が売れた
・雪椿のインパクトが強く、食いつきがよかった。
・最後のおじさん

予想しなかったよかったこと。
・晴れてよかった
・最後の男前のおじさん

やっぱ最後のおじさんの感想が多い。

で、スタッフも振り返り。
・おじさんが全員優しかった。
・ほとんど高校生だけでやれてた
・やらされるのではなくて自分ごととしてできていた。
・江川くんがだんだん職人のような顔になっていった。
・かき氷が思っていたより売れた
・愛されている環境を実感した。
・一緒にやれた楽しかった。また一緒にやりたい。(杉崎さん)

でラストに感想まわしました。

・高校生とまちの人とのつながりが見えて、阿賀町に来てよかったと思った。
・シロップづくりがんばった。おいしいと言ってくれてうれしかった。
・売り上げが落ちついてきて、このまま終わっちゃうのかなと思ったら最後に奇跡が起きた。
・小4以来のモノを売る活動をした。売る側になってみて、人の心が知りたくなった。人の気持ちがわからない。
・かき氷を作れてよかった。かぼちゃを塗り忘れたりしたけど、先輩とのコンビが楽しかった。
・「また来てね」とまちの人に言われた
・それぞれが集中するところに集中してチームができた
・晴れてよかった。シロップづくりでは後輩が来てくれて助かった。

僕としては、かき氷という題材を通して、
チームとしての一体感というか場のチカラみたいなやつを体感できた機会となった。

ラストのおじさんだって、
場のチカラの成果だと思うし、
残り6杯で目標達成っていうホワイトボードのたまものだし。

何より、黎明学舎にとって、
かき氷屋台が、リアルメディアとして機能したんだなあと思った。
もっと活動紹介とかをしてもいいのかもしれない。

僕自身としては、
「人生は経営である。ただし個人戦ではない」
っていうところが体感できるような機会になったような気がして、

まずは1歩踏み出しました、という感じです。
「ふるさと創りびと」というコンセプトで、
地域の方とコラボしたスモールビジネスをいろいろと
考え、実践していきたいなと思います。  

Posted by ニシダタクジ at 08:20Comments(0)学び日記

2019年08月31日

「ともに学ぶ」ためのチューニング・コミュニケーション

僕、西田卓司は、

現代美術家でジャンルはリレーショナル・アートで、
主なアウトプットは本屋さんや本のある空間で、
得意なのは、フラットな関係性をつくるコミュニケーションのデザインで、

基本信条は
吉田松陰先生の野山獄エピソードから学んだ「学びあいで希望は生まれる」っていう学びあいの場づくりと
宮沢賢治先生の農民芸術概論綱要の「誰もが芸術家であれ」っていう創作への意志と
岡倉天心先生の茶の本による「まあ、茶でも飲もうじゃないか?」っていう対話のデザイン。
の真ん中のプロジェクトを作っていくこと、なのだろう。

アートと、デザインと、ビジネスのあいだ。
そのあいだをゆらゆらと漂っている船のようなプロジェクトをつくっていくこと。
中途半端だとか言われながらも、そんな問いを放っていきたい。

時にはヘリに乗って、そんな海の様子を
上から眺めてみるような、そんな本を提供したい。

っていう自己紹介文の練習。
28日はイナカレッジ研修のふりかえり。

いくつかのチームで起こっている
大学生同士のコミュニケーションの問題。

ミーティングがうまくいかない。
すれ違う意思。

「コミュニケーション・デザイン」
の話を、プロジェクトが始まった段階で
力を入れてやらないといけないのかもしれない。

「今までしゃべったことのないタイプの人なので、言葉が通じない」
それって、「スクール・カースト」とか、
「陰キャ」とか「陽キャ」とかの話なのかも、って思った。


「桐島、部活やめるってよ」(朝井リョウ)

に描かれた世界。
この本を読んだときに、
うわー、こんなつらい世界を高校生(特に女子)は生きてるのか、と。

同質性集団だからこそ起こる序列化、そしてグループ化。
そしてそれがいじめにつながっていく。
いや、同質性集団だから、ではないのだ。

いじめが起こらない方法を聞いたことがある。
クラスが1つの目標(たとえば合唱コンクールで優勝するとか文化祭で1番を取るとか)
に向かっているときに、いじめは起こらないのだという。

そうか。
やっぱり「向き合わない」ってことが大切なのだと思った。

イナカレッジもそうなのかも、と。
3人が向き合いすぎているんだ。

お互いを理解しようとしてはいけないのかもしれない。

昨日、イナカレッジ井上さんと話していて気付いたこと。
コミュニケーションは、人間関係をよくするためにあるのではなくて、
「ともに学ぶ」っていうためにあるんだということ。

去年、感じたこと。
アウトプットを出すのは、個人のチカラでも、チームの力でもなく、
場のチカラであるっていうこと。

そのために場のチカラを高める必要があること。
場のチカラを高めるために「チューニング」っていう方法があること。

たとえば、柏崎矢田集落チームは、
毎朝、朝ごはんの時に、「昨日あったよかったこと」を話し出す子がいて、
それにつられて、みんながそれを話すのだという。
あ、それって「チューニング」だよねって。

ワークショップ用語で、「アイスブレイク」と呼ばれているものに、
少しだけ違和感があった。

「最近あったよかったこと」
これは、アイスブレイクの定番だと言われている。

それは、どんなネタよりも「準備ができない」からだ。
人は「準備できない」つまり「予測不可能」なことが起こった時に心が開く。

そして、「よかったこと」はその人がよかったと感じることなので、
そこにその人の価値観が現れることになる。
さらに、それは否定されることが決してない。
だって、その人がよかったと思ったことを言っているだけだから。

だから、心が開く、
だから、場が安心空間になる。
本当は毎日やってもいいくらいだ。
たぶんそれをもっとも短い時間でできるのが「最近あったよかったこと」なのだと思う。

僕がそれを「アイスブレイク」ではなく「チューニング」と呼ぶのは、
「ひとり」にフォーカスしているからだ。
この人は今日、どんな音が出ているのかなあ?って
そこに関心を持つことというか、感じることが必要だからだ。

ミーティングも同じなのかもしれない。
「場のチカラがアウトプットする」
という前提で考えると、

「KJ法」という付箋を使ったワークショップ手法は、
書いた人と意見を「分離する」という効果がある。
つまり、発言者の立場や地位や影響力に
左右されずに、付箋や、それによる場にアウトプットを委ねるということ。

たぶん、イナカレッジのプロジェクトも同じなのかもしれない。
必要なのは、「チューニング」だ。

その前提として、「ともに学ぶ」ひとりひとりが集まったのだと、

そしてそれは「場」から学ぶのだと。
「場」にそれぞれが感じること、思うことを
付箋を通して、出していくのだ。
そして付箋をひとりひとりから分離して、
「場のチカラ」でアウトプットをするんだ。

そもそも、その人を理解する必要なんてないんだ。
それは即興演奏をするジャズバンドと同じだ。
曲の途中だけど、客席から突然入ってくるサックスのお兄ちゃんがいたとして、
その人が演奏する「音」に合わせて、自分たちも音を出すんだ。

そのときに
「そもそもサックスってどんな楽器なんだっけ?」
みたいなことを考えない。

あるいは、そのお兄ちゃんの過去はどんなことがあって、
いまは普段の仕事は何をしている人で、なんでサックス始めたんだっけ?
みたいなことって聞かないでしょ。

相手を理解しようとしないで、相手が出す「音」に関心を向ける。
3人の「音」を合わせて、音楽(場)をつくる。

その音楽(場)から、自らが学ぶ。
新しい「音楽」を生み出す。
そうやってプロジェクトを前に進めていく。
そのために、付箋を使ったKJ法があるのかもしれない。

「ともに学ぶ」そして、「新しいものを生み出す」ために、
コミュニケーションがあり、ミーティングがある。
そのためには、チューニングというコミュニケーションが必要なのだ。

あー、研修もう一回やらせてください、ごめんなさい。  

Posted by ニシダタクジ at 08:06Comments(0)学び

2019年08月29日

イナカレッジ集合研修2019

イナカレッジ集合研修2019ふりかえり。
自分のためのふりかえり。

ひとまず、全体的な感想。

・そもそも何のために中間研修があり、その目的のために講座はどうあったほうがいいのか?

・伝えたい思いが先行しすぎて、ともに学ぶ場を作れなかった。

・コンテンツの詰め込み過ぎ。エッセンスが多すぎた。いちばん大切なことは何?

・体育館という空間のデザイン。話が飛んでしまう。一体感がありすぎる?

・モチベーショングラフからキーワード・トークにしたことで自己開示が減った?

ということで、内容の整理。

~~~ここから内容確認

・バースデーリングでチーム分け(3人1チーム)
・キーワード・トーク「イナカレッジをやってみて感じること)

講座
・「固定的知能観」「成長的知能観」の話
・「人生は経営である」って話
・どのように、だけでなく行き先となぜを決めること。
・ドラッカーの5つの質問
・田坂広志の仕事の5つの報酬
・場のチカラの7要素
・魔法をかける編集
・振り返りのポイント(予想しなかったよかったこと)

・各地域の活動紹介

~~~ここまで内容確認

~~~参加学生の感想

・行き先や目的を先に考えることは、私にとって難しいと感じた。
行き先を考えることは20歳の自分には怖くてためらってしまいます。

・これからの人生に向けてのものなのか、このインターンに向けてのものなのか。

・感じたことを人に話していくことがが大事だと思った。

・×自分にしかかけないこと⇒〇自分たちにしかかけないこと。

・キーワードトークで、みんなが共感してくれたのがうれしかった。

・その人その人の感性を知る重要性を学んだ

・すべての話がつながっているのか?

・「田舎」のイメージ通りの暮らしをしていたことに気づいた。
「暮らし」という大きな枠でもう一度考え直したい。

・誰のために、その誰が個別具体的な人であれば、あるほど面白いし、楽しい。

・「なにを」「どのように」よりも根本を考えることはやっぱり大事なんだと再認識できた。

~~~

なんだかうまくいっていないのは、どうしてなのだろう?と。
大学生は率直に書いてくれるからありがたい。

そうそう。
なぜ、この研修があるのか?
っていう目的から考えないといけないよね。

そして、懇親会、夜の部。
いくつかの地域で起こっている、学生同士のコミュニケーションのすれ違い。
そこにフォーカスしてもよかったなと。

イナカレッジのアウトプットのための講座と個人の人生のための講座が一緒になっていたな、と。

イナカレッジのアウトプットのためには、
・イナカレッジ=ともに学ぶ場
・「価値」って何?(価値は流動している)⇒3人でそれを暫定で決めること。
・「場のチカラ」の話
・「魔法をかける編集」の話
・そもそも「コミュニケーション・デザイン」の話(キーワード・トーク、ふりかえりの手法)
あたりでよかったのかもいしれない。

個人に向けての話はオプションにするとかね。

・成長的知能観と固定的知能観
・仕事の5つの報酬
・人生は経営である、ただし個人戦ではない。
・哲学入門「スピノザ」
・「やりたいことはわからない」のはなぜ苦しいのか?
・「何者」問題について。

このあたりを、事前にメニュー提示。(キーワード提示とか)
しておいて、別時間にやってみる、とかね。

場についての話は、
「体育館」のデメリットは、プレイヤーと見学者を分けにくい。
その結果か、単に広すぎるからか、一体感が出にくい。

角や端っこを使ってやるとか、視野を狭める必要があるのかも。

僕にとっては、不完全燃焼な、もやもやした機会となりました。
もう1回やらせてほしいっす。  

Posted by ニシダタクジ at 05:59Comments(0)日記

2019年08月25日

人生は経営である。ただし個人戦ではない。


株式会社えぽっくのチーム「ひきだし」の事前研修でした。

朝8時からお昼ごはんのカレー作り。
辛口は食べられないっていう大学生が
発生したので急きょ甘口のルーを追加。
9時半から研修スタート。

まずはヒキダシのポーズ練習から。(笑)
体を一緒に動かすって大事だな、と。
からの自己紹介(名前、出身、参加のきっかけ、最近会ったよかったこと)

そして代表若松さんによる
ひきだし研修の概要説明と
参加意図(動機)の確認。

今回は教育学部の大学生が何人かいて、
印象的な参加動機があった。

「将来に迷っている。教員になるか民間で働くか。
いずれにしても企業のことを知ることが大事。」

ああ。
その通りだなと。

教員になったとしても、企業で働く、
とくに地方の中小企業で働くことのイメージができているか。
どんな思いで働いているのかっていうイメージをもっているかどうかって重要だよなと。
教員志望の人向けのチラシ(ウェブ)を作ってもいいのかもしれない。

あるいは直線的に教師に向かっていくことへの違和感とか。
そういうのもあるよね、と。

その後、だったら企業はどうしてこのインターンを受け入れるのか?
という視点の移動。

・企業を知ってほしいから
・若者の感性を知りたいから

そうそう。
この問い、めちゃめちゃ大切だなあと。
企業の立場に立ってみる、ということ。

数ある「インターンシップ」に大学生も参加しているだろうけど、
そういう視点の移動があるかどうか。

ということで僕のパート。

まずはライフチャートを書いて、8分間インタビューのあと、
ペアになった人の他己紹介2分。
これがなかなか難易度が高い。

2分というハードル。
まあこれはやってみて、でいいのかもな。

・フォーカス
・ワンフレーズ
・ストーリー
・結論ファースト
みたいなキーワードで、説明する。

まあ何度もやってみればいいと思う。

そして講座。

今回のテーマは「経営」。
ひきだしがインタビューするのは、中小企業の経営者。

じゃあ、経営者って何?
そもそも「経営」って何?

教育学部の学生がいるから、
「学級経営」ってなんだっけ?
みたいな。

先生は学級は経営するけど、自分の人生は経営しなくていいの?
って。

「ひとりひとりの人生も経営である」とする。

ひきだしという5日間のプログラムへの投資価値は?
何をリターンで得るのか?
みたいな話。

ドラッカーの5つの質問と田坂広志の仕事の5つの報酬
を説明

1 マネーリターン お金
2 ナレッジリターン 知識
3 リレーションリターン 関係
4 ブランドリターン 評判
5 グロースリターン 成長

このプロジェクト中の目標を決める、というより、
5つの報酬の意識を高めることのほうが重要なのかなと思った。

そして何より、ドラッカーの
2 お客はだれか?
3 お客にとって価値は何か?

という2つの質問に答えていくこと。
そして場のチカラ。

1 だれと
2 いつ
3 どこで
4 なぜ
5 誰のために
6 なにを
7 どのように

これを高めていくことでよいアウトプットが出る。
そして場に溶けていくこと。
場の構成員(原材料)になって溶け出すこと。

ラストに「魔法をかける編集」
いましか、あなたにしか、このチームにしか
書けない記事に価値がある。
届けたい相手に届けられるようになる。

っていうような話。
大学生の感想。

・慣れていないからこそ生み出せる価値があるのだと思った
・価値というのは自分の中からも出てくる。過去にお客がいる。
・過去を知ることの重要性
・何者なのだろう?って

ということで
最後に自分が最近感じている違和感をお話しした。

「適応」は必要だけど、そんなに強く生きられないんじゃないかって。
個人戦じゃなくて、場のチカラが価値が生む経験をしてみること。
それが僕が「ひきだし」に込めた思い。

東京へ移動中に水戸駅の川又書店で購入したこれ。

「ニュータイプの時代」(山口周)

これ、ほんと、読んだほうがいいわ。
大学生こそ読んだほうがいい。
時代は大きく変わっている。
「正解を出す力」に、もはや用はないのだ。

必要なのは、問いを、課題を発見する力。
そのために経験をすること。
多くの人に出会うこと。

そしてお客に出会うこと、見つけること。
そこから自分の人生経営が始まっていく。  

Posted by ニシダタクジ at 05:56Comments(0)学び

2019年08月24日

後期近代と「何者~ナニモノ」問題


「上級国民/下級国民」(橘玲 小学館新書)

ツタヤのランキングで本を買ったの久しぶりだなと。
ちょっとタイムリーだったので、購入。

アメリカやイギリス、いや今まさに
日本や韓国で起こっていることが
いったいなんなのか。
世界の「分断」はどこから始まっているのか。

そんな問いにひとつの視座を与えてくれる1冊だった。

フリーター⇒パラサイト・シングル⇒ひきこもり
という流れは1990年半ばを起点として一直線につながっている。
「失われた平成」はおっさん(団塊の世代)の既得権を守るためだった。

たぶんそうなんだろうと。

「リストラの嵐が吹き荒れている」
ってテレビは言っていたけど、本当は若者が正社員になるチャンスが
ものすごく減ったのだと、橘さんがデータで示してくれている。

それは「ニート」説(玄田さんはそのような意図で書いてないのに)
などによる若者自身の変化が主因ではないのだ。

とまあ、本文前半にはこれでもか、というくらい
データが示されているので、
日本経済を30年スパンで見たい人には一読の価値があります。

さて、僕は、若者の生きづらさ研究をしているので、
そこにフォーカスして本文より引用します。

~~~ここより本文からメモ

「産業革命」とは何か。

産業革命は科学技術(テクノロジー)の革命であり、知識革命でもありました。私たちが生きている近代(モダン)とは、それまでの歴史世界とは異なる「アナザーワールド」なのです。

産業革命後の18世紀半ばから20世紀初頭までが「前期近代」で、その特徴は強大な科学技術による豊かさの追求でした。

こうして植民地主義(帝国主義)がふたつの大きな戦争を引き起こし、数千万という戦死者を出し、アウシュビッツとヒロシマを経験してようやく終わります。

第二次大戦後の西側諸国は、アメリカを中心とする自由主義諸国間の貿易によって空前の繁栄を実現します。1960年代になると、ごく普通の庶民まで、数百万年の人類の歴史のなかで王侯貴族ですら想像できなかったとてつもないゆたかさを手にすることになりました。

そしてゆたかさを背景に価値観の大きな転換が起こります。それをひと言でいうなら、「私の人生は私が自由に選択する」です。「そんなの当たり前じゃないか」と思うでしょうが、それは私たちが「後期近代」に生きているからです。

中世や近世はもちろん、日本では戦前(前期昭和)ですら、「人生を選択する」などという奇妙奇天烈な思想を持つひとはほとんどいませんでした。

1960年代になると、前期近代の価値観(生き方)は、「過去の歴史」と見なされるようになり、古代や中世と区別がつかなくなります。好きな職業を選び、好きな相手と結婚し、自由に生きることは当たり前になったのです。

政治的な自由はリバティで自由な社会を目指す運動がリベラルです。自由化とは、リベラル化のことであり、とてつもないゆたかさを背景に若者たちはますます自由=リベラルになっていきました。

~~~ここまで引用

というふうに始まって、そのあと、「自由」そのものが若者を苦しめていると説明する。

~~~ここから引用

リベラルな社会の負の側面は、自己実現と自己責任がコインの裏表であることと、自由が共同体を解体することです。つまり「能力主義(メリトクラシー)」です。

リスク社会:個人がリスクを背負わなければならない社会
リスク:利益と損失のばらつきの大きさ

「再帰的近代」
再帰的:あるものを定義するにあたって、それ自身を定義に含むこと

前近代的な身分制社会では、自分が何者かの定義は「貴族」や「農民」「奴隷」などの身分によって決まっていました。しかし「身分」のなくなった後期近代では、「自分を定義するにあたって自分を参照する」のです。

「自分が何者か」と問うとき、外部の基準がなくなってしまえば、あとは内部(自分自身)を基準にする以外にありません。

こうして「自分で自分を参照する」再帰的近代では、ひとびとは「自分らしさ」にこだわり、「ほんとうの自分」を探しつづけることになります。

前期近代では、「資本」と「労働」が対立しているとされ、失業は「階級問題」で、個人的な問題ではありませんでした。「君が失業しているのは搾取された労働者」だからで、失業から抜け出すには革命によって社会の仕組みを変えるしかない」-このマルクス主義の物語が広く受け入れられたのは、正しいかどうか別として、君には何の責任もないと告げたからです。

ところが「リベラル化」が進んだ後期(再帰的)近代では、労働者は一人ひとりが自由な意思をもつ「個人」になり、自分を「労働者階級」とは見なさなくなります。そうなると、経済的な成功と同じく失敗(失業)も個人の責任で(中略)、経済的な苦境は個人の生き方の問題とされ、本人たちも「自己責任」を内面化していきます。

「液状化する近代」(ジークムンド・バウマン):リベラルな社会ではコミュニティ(共同体)は解体し、ひとびとは液状化する。

~~~ここまで引用

そして、
「リスク社会」「再帰的近代」「液状化する近代」は「近代(モダン)」という理念(自己実現と自己責任)の完成形だからです。
という。

「知識社会化」「リベラル化」「グローバル化」の三位一体の巨大な潮流に投げ込まれた世界。
そこではマジョリティが分断される。

トランプ大統領を生み出したとされるホワイトプア層は
それに対する反発があるという。

リアル。
後期近代のリアルがあった。

大学生が、20代が、いや団塊ジュニア、氷河期元年である自分自身が抱える
「何者~ナニモノ」問題の原因がここにあるのではないかと思う。

それを知った上で、そこに個人として適応するのか。
適応できない、あるいは適応したくない人はどうするのか。

それを「新たな共同体」でフォローすることはできないか。
「分人」としてそのような場を複数持つことはできないか。
「ふるさと」もそのひとつになるのではないか。

そんなアイデンティティ問題を考えるうえで、
非常に示唆に富んだ1冊だなあと。

「哲学」「歴史」そして「社会学」

それを構造的に自分なりに理解しないと、
これから生きていくことは難しいのではないかと思った1冊だった。  

Posted by ニシダタクジ at 06:22Comments(0)

2019年08月23日

僕たちはダーウィンを誤解している

もっとも強い者が生き残るのではなく
もっとも賢い者が生き延びるのではもない。
唯一生き残るのは、変化できる者である。

って。
僕も言ってたわ。

誤解していた。
僕は、ダーウィンを誤解していた。


「武器になる哲学」(山口周 KADOKAWA)

哲学書なのにダーウィンですよ。
山口さん、やっぱスゲーなあ。

これの29講「自然淘汰」より

~~~以下本文よりメモ

「自然淘汰」とは何なのか?

1 生物の個体には、同じ種に属していても、様々な変異が見られる。(突然変異)
2 そのような変異の中には、親から子へ伝えられるものがある。(遺伝)
3 変異の中には、自身の生存や繁殖に有利な差を与えるものがある(自然選択)

ポイントはむしろ「自然選択」よりも「突然変異」にあります。突然変異によって獲得される形質は、当たり前のことですが、予定調和しません。変異の方向性は極めて多様で、確率的には生存や繁殖に有利な差を与えるものと、不利な差を与えるものが、中央値を挟んで正規分布していたはずです。

おそらく、これまでの歴史を振り返れば、突然変異によってオレンジ色のトカゲもグリーンのトカゲも生まれてきたはずです。しかし、そういった形質はむしろ、自身の生存や繁殖に不利な差となります。砂漠地帯において、オレンジやグリーンという色はたいへん目立つわけですから、天敵に狙われやすい。そのような形質を突然変異によって獲得してしまった個体は、天敵に捕食される確率が相対的に高く、結果としてその形質は次世代へと遺伝されません。

どのような形質がより有利なのかを事前に知ることはできません。自然淘汰という仕組みは、いわばサイコロを振るようにして起きた様々な形質の突然変異のうち、「たまたま」より有利な形質を持った個体が、遺伝によってその形質を次世代に残し、より不利な形質を持った個体は淘汰されていくという、膨大な時間を必要とする過程であるということです。

~~~以上本文よりメモ

ここで、山口さんは、
「自然淘汰」のメカニズムのカギは、
「適応力の差は突然変異によって偶発的に生み出される」
ことにあると言います。

「私たちは一般に、エラーというものをネガティブなものとして排除しようとします。しかし、自然淘汰のメカニズムには「エラー」が必須の条件として組み込まれている。なんらかのポイティブなエラーが発生することによって、システムのパフォーマンスが向上するからです。」

「偶発的なエラーによって進化が駆動される」

「自然界において、適応能力の差分は計画や意図によるものではなく、一種の偶然によって生まれているのだということを知れば、組織運営や社会運営においても、私たちはそれを計画的・意図的により良いものに変えていけるのだという傲慢な考えを改め、自分の意図よりもむしろポジティブな偶然を生み出す仕組みを作ることに注力したほうがいいのかもしれません。」

なるほど~。
って。

僕たちはダーウィンを誤解している。
って。

生物はすべて「集団が生き延びること」を最大の価値として存在しているんだろうと思う。
そのために「自然淘汰」というメカニズムがあるのだと。
そのメカニズムは、突然変異というエラーから始まるのだと。

「環境」は変わる。

環境が変化したときに、適応できる(生き残る)のかどうか、は、
変化後の環境に適応し得る突然変異を継承しているかどうか。

集団が生き延びること
この「集団」を「組織」あるいは「会社」にしても、同じことなのだと。

突然変異(エラー)を組織内(会社内)に許容できないと、
外部環境が変化したとき、生き残る可能性が下がる。

これは、人材においてもそうだろうと思う。
「異端」と呼ばれる人たちを許容できるか。

昔はよかったけど、今はそんな余裕はない。
っていうかもしれない。

環境が、社会が変化し続けている中で、
「価値」や「イノベーション」がどこから生まれるのか。

それをダーウィンから学ぶとすれば、
「突然変異」つまりエラーの許容。
むしろそれをいかに強みに変えていくか、っていうところだし。

それは、個体ごとに考えなくていいのだと。
「集団が生き延びること」
を考えていくことが必要なのではないかと。

エラーをエラーとして
「価値があるかもしれない」個体として集団に受け入れていくこと。

たぶんそういうことなのではないかな。  

Posted by ニシダタクジ at 08:28Comments(0)

2019年08月18日

人生は経営であると伝えること



内田樹さんの「下流志向」(講談社文庫 2007年)を読んだのは
2011年だった。

なぜ、地域コミュニティは崩壊したのか?

なぜ、子どもは学ばなくなったのか?

は共通する1つの原因があるのだと言う。

~~~以下、「教育は等価交換ビジネスではない」(2011.10.28ブログ)より引用
http://hero.niiblo.jp/e139329.html

子どもたちの社会参加は「家の仕事の手伝い」をする労働主体としてではなく、「モノを買う」という消費主体として社会に接するようになった。
世の中からは「賢い消費者」になれ、と要求され、幼いながら「費用対効果」の波にさらされる。

消費主体として、学校というシステムに対してするべき、最初の質問はこれだ。

「なんのために勉強するんですか?」

つまり。授業を受けるという苦痛の対価として何が得られるか?が理解できないと、私はその苦痛を提供しませんよ、取引不成立ですよ。と。

~~~

地域コミュニティに関しても同じだ。
草刈りやお祭りなどの対価に対して何を返してくれるんだ?
と問いかけた時点で、コミュニティの崩壊は始まるのだ。

そこに等価交換の原則はそもそもなかったからだ。
その受益者は、何代もあとの者や
目に見えない安心・安全などだからだ。

そして、世の中がそうであるように、新・自由主義的な、
「等価交換」「実力主義」「自己責任」という世界は、
教育の現場にも、ますます押し寄せてきている。

そして、子どもたちは問われる。

「やりたいことは何か?」
「あなたのできることは何か?」

しかし。
その「問い」以前に、子どもたち(というより大学生、20代、もっとか)が抱えているのは、

「自分はこの世に存在していていいのか?」
言い換えれば、
「自分は存在する価値があるのか?」
という問いだと思う。

その「存在承認」や「存在価値」
に対して、SNSやオンラインゲームは、サービスを提供する。
だからこそ、ビジネスが成立している。

しかし、オンライン上の
「存在承認」や「存在価値」の実感では十分ではない。

こうした、土台がはっきりとしないまま、
「キャリア教育」という名の何かが始まる。

そしてそれは、2000年代前半の
村上龍・幻冬舎の「13歳のハローワーク」
SMAPの「世界にひとつだけの花」
NHK「プロジェクトX」から「プロフェッショナル」へと

という3つの要素から
「自分は何者か?」問題が深刻さを増している。

~~参考
http://hero.niiblo.jp/e488809.html
「何者かにならなくてもいい」(2019.1.30)
~~~

じゃあ、どうすればいいのか?

何事もチャレンジして
さまざまなスキルを磨いて、
自分の得意を見つけて、
オンリーワンになって、
3つの仕事を組み合わせて100万人に1人の人材になって、
自らの存在価値を上げていけ。

その通りだと思う。
世の中で活躍している人は、そんな生き方をしている人たちだ。

「そんなのできない。」

と放棄した人たち、あるいは違和感を感じる人たちが
不登校になり、その後も家に引きこもっているのがこの国の現実だと思う。

「存在承認」を得られるチャンスをつくること。
それは、田舎に行くことだ。
「若いだけで自分は価値があるのではないか?」
と思うことだ。

僕がかかわっている大学生向けの新潟の田舎での1か月プログラム
「にいがたイナカレッジ」の大きな目的のひとつはそこにあるのだろうと思う。
そして3人の力を合わせて、「魔法をかける編集」を駆使して、
ひとつの創造的な何かを生み出すこと。

それを繰り返すことで、
その場が、そのメンバーがその人にとってのふるさとになっていく。
価値とは何か?を問い、
その設定した価値に向かってアクションすること。

それって、
大げさに言えば、「人生を経営する」っていうことになるのだと思う。

大学生に、高校生に、中学生にまず伝えたいこと。
「人生は経営である」ということ。
ドラッカーの経営者が答えなければならない5つの質問に答えること。

1 ミッションは何か
2 顧客は誰か
3 顧客にとって価値は何か
4 成果は何か
5 計画は何か

この5つに答えること。

特に2と3
顧客はだれで、顧客にとって価値は何か?

という問いに対して挑んでいくこと。
それこそがあなた自身の「価値観」を形成していく。
それは、人生が船旅だとしたら、コンパスのようなものだ。

コンパスを手に入れること。
その前に、まず人生が船旅の経営だと知ること。
それを始めていかないといけない。

「勉強しろ」と親や学校の先生から言われるから勉強する。
それは、「経営」じゃない。

村上龍が「13歳のハローワーク」で伝えたかったのは、
本当はこれだけの選択肢があるのだから意思を持って生きろっていうことんだったんじゃないのか。

「プロフェッショナル」とは、
精神的に独立した人たちのことなのではないか。

SMAPや楽曲を提供した槙原敬之は、
あなたの価値はもともと存在し、
それをただ表現することをすればいい、と言っていたのではないか。

本当はみんな「人生の経営者になれ」と言っていたんじゃないのか。

人生を経営する。
自らの人生の価値は自らが決める。

2000年代前半、
「平日は市役所でボチボチ働いて、夜と週末に好きなことするんです。」
と言い切っていた25歳女子がまきどき村の人生最高の朝ごはんに通ってきていた。

彼女は自分の人生を経営していたと思う。

どこに投資し、どういう価値を生み出していくか。
自分がもっとも輝ける瞬間をどう設計するか。

なんのために大学に行くのか。
どういう学びを手に入れるのか。
あるいは、大学生という身分で試行錯誤する4年間という時間を手に入れるのか。
そのためにやっている受験勉強にどれほどの投資価値があるのか。

人生が経営だとしたら、その質問に答えなきゃいけないんだ。

新潟の市民映画館「シネウインド」創設者の斉藤正行さんが言っていた。

「人はみな、人生の初心者なんさ」

そう。
やってみる以外にない。
でも、だからこそ、人生を経営する、という視点を手に入れて、
ふりかえり、試行錯誤すること。
顧客を設定し、その幸せのために全力を尽くすこと。

そしてそれは、必ずしも、「仕事」というカタチの表現方法による必要はないということ。
家庭でも、プライベートでも、人生は「経営」できるということ。

そういうことを、僕は伝えたい。

「強く生きろ、さもなくば奴隷になるぞ」

そんな風潮を僕は信じてもいないし、流されたくはない。

強く生きなくても奴隷にならない方法、
あるいはその方法を考えること。
それが人生を経営するということだと思う。

人生は経営である、と自覚すること。
そこから、「あなたの人生」がスタートする。  

Posted by ニシダタクジ at 07:58Comments(0)思い

2019年08月13日

「ひとり」に出会うこと

9月から始まるプロジェクトの準備ミーティング。



その前に新川漁港の夕日。

大学生と一人暮らしのお年寄りのシェアハウス。
それを「食」をキーワードにしてつなげていくプロジェクト。

僕自身がプロジェクトの先にあるゴールを考えすぎてしまっていることに気がつく。

目の前のひとりと話をすること。
目の前のひとりに関心を持つこと。

そこからしか始まらないし、その方法でしか到達できない。

それは、「ひとり」に出会うこと。
ドラッカー風に言えば、「お客」に出会うことだ。

地域の人への調査。
「どんな食事のシーンなのか?」
それをまず、聞き出すこと。

その先に、ご飯を一緒に食べたり、
それが発展してシェアハウスになったりする。

でも、大切なことは、
「この人と一緒にご飯を食べたい」
「この人と一緒にシェアハウスつくりたい」
と思える「ひとり」に出会うことだ。

「キャリアデザイン」という思想は、
「価値」(特に数値化できる経済的価値)
に重きを置きすぎた。

「やりたいことは何か?」
「自分に向いてる仕事は何か?」
とか
「好きなことを仕事にする。」
とか。

プロジェクトの生まれ方には2通りあると思っている。
「価値」アプローチと「顧客」アプローチだ。

キャリアデザインは、
「価値」とは何か?を問い、そこで目標設定し、
そこに向かって進んでいくようなキャリア設計だ。

クランボルツ博士のいう、
「計画された偶発性理論=いわゆるキャリアドリフト(川流れ型キャリア)」
は、
「顧客は誰か?」という問いをコンパスに、
目の前にくる激流に対峙し、流れに乗っていくようなキャリア設計(設計と呼べないかもしれないが)だ。

その第1歩。
それは、「ひとり」に出会うこと。

ああ、この人のためにがんばりたい。
あるいは
この人と一緒に何かしたい。

感性をひらいて、その人を感じることだ。

そんな風に思った。
コーディネーターの有紀ちゃんすげーな、と。あらためて。

そんなタイミングで購入した1冊の本。


「アート・スピリット」(ロバート・ヘンライ 国書刊行会)

アメリカの伝説の美術教師、ロバートヘンライが語る。
もうね、前書きからシビれるんですよ。

~~~ちょっとだけ引用

ある人の内部に芸術家の魂が息づいているとき、創作のジャンルにかかわらず、その人はおのずと創意にあふれ、探究心をもち、大胆に自己表現しようとするはずだ。そして他人に興味をもつだろう。周囲に混乱をもたらし、悩ませ、啓蒙し、よりよい理解に向かって道を切り開く。

芸術家であるには、画家や彫刻家になる必要はない。どんな素材でも作品はできる。外の世界ではなく、作品そのもののなかに価値を見出せばよいのだ。

自分の正直な感情を大切にし、見過ごさないこと。

われわれがここにいるのは、誰かがすでになしとげたことをなぞるためではない。

芸術を学ぶ者は最初から巨匠であるべきだ。つまり、自分らしくあるという点で誰よりも抜きんでていなければならない。いま現在、自分らしさを保っていられれば、将来かならず巨匠になれるだろう。

~~~ここまで引用

うわーって。
宮澤賢治先生の「農民芸術概論綱要」(1926)のような
心揺さぶられるメッセージ。

つくりたいのは、こういう世界だし、こういうキャリア形成の方法だと思った。

誰もが芸術家であれ。

自分であれ。

そんな思いがあふれてくるような「ひとり」との出会い、
そこから始まるプロジェクトをまたひとつ始めたいと思った。

2009年、大学生アーティスト北川拓未が始め、
いまでは恒例行事となった、「新川ほたる」の光がまた綺麗だった。

  

Posted by ニシダタクジ at 08:27Comments(0)学び

2019年08月03日

「機会」としての「学び」をつくる



黎明学舎で、7月30日、8月1日と
中学2年生の職場体験の受け入れ。

8月2日、昨日は栃木県立図書館で、
高校生図書委員向けの
「読書コンシェルジュ」研修の最終日の
講座を担当しました。

講師紹介が、
「西田卓司さんは、現代美術家として・・・」
と始まる初の体験。
ああ、俺もついに現代美術家になったんだな、と。(笑)

冒頭で、
「デザイン」とは課題を解決することで
「アート」とは問いを投げかけることの説明。

前半、中盤、後半の3つに分けて、

前半は、ツルハシブックスやかえるライブラリー、
地下古本コーナーHAKKUTSUのビデオ紹介
を行い、感想シェア。

中盤は、暗やみ本屋ハックツについての紹介、
フローの紹介、この時にふりかえりのこと、
「予想しなかったよかったこと」の話をしました。

後半は、茅ケ崎市美術館と、明秀学園日立高等学校で行った
「ハックツ展示バージョン」が生んだ新たな価値の説明と、
「スターバックスはコーヒーを売っているのではない」
のつかみからのドラッカーの5つの質問、
「顧客はだれか?」「顧客にとって価値は何か?」
の説明を行いました。

全体を通して、やはり、僕がいまテーマにしている、
「機会」としての「学び」というテーマに収束していったのかもしれません。

学校教育ではない、社会教育の目的ってなんだっけ?
みたいなテーマにもつながるような話になったのではないかなと。

ということで、
僕が高校生図書委員に向けてお話しするという機会、
あるいは中学2年生に職場体験で黎明学舎の説明をするという機会から学んだ
「予想しなかったよかったこと」

高校生にも、中学生にも、
「機会」としての「学び」の話はかなり響くんだなと思いました。

みんな目的に向かっていくっていうのしかない教育への
違和感を持っているのではないかなと。

高校生に書いてもらった付箋を読み直していると、
・「誰に」「何を」提供するのか?っていうドラッカーの質問
・当日のふりかえりで「予想しなかったよかったこと」を話す
・直感で決める重要性
・「偶然」という「機会」を届けることは価値がある

☆これ、回収を前提に書いてもらっていないので、
リアルな感想がかけていいかも、と思いました。

「機会」としての「学び」。
たぶんそこに集約されていくのだろうなと思いました。

思い返せば、
2004年秋に教員になろうと思って、玉川大学の通信に編入し、
中学校社会の教員免許を目指していたとき、
2005年夏はスクーリングで町田に通っていました。
(サンクチュアリ出版の寮的なところに寝泊まりさせてもらった)

「教育の原理」っていう熱い授業があって、
何のために教育はあるのか?
って授業が終わってからも夜までずっと考えてました。

その時に直感したこと。
「あ、ぼくのポジションは学校じゃないじゃないか」

それは、直感でした。
それがなぜなのか言語化できていませんでした。

そして2007年の5月、2週間の教育実習に行きました。

いちばん驚いたのは、
教室にいるときと部活動をしているときの
音楽部と美術部の生徒の顔の違いでした。

それが決定的になったのは、
体育大会で運動部の生徒が全員不在だったときです。
教室にいる音楽部美術部の生徒たちが、
部活にいるときのような生き生きとした顔をしているのです。

ああ、こんな顔するんやって。
教室でもできるんやって。

あのとき。あの瞬間。
僕は学校の外に、そんな顔ができる場所をつくろうって思いました。

その直感と、「教育の原理」の授業での違和感の意味が、
14年の時を経て、いまなら少しだけ説明ができます。

「機会」としての「学び」をつくる。

たぶんそれです。

目的・目標を持って学ぶ。
これは、学校が始まった時からの原則です。
そもそも学校とは、
何かの目的のために作られた制度だからです。

2005年に
「遊びと学びの寺子屋 虹のひろば」を始めてから、
大学生の地域企業や商店街でのインターンシップを設計し、
ツルハシブックスで本屋という空間をつくり、
茨城大学では大学生の地域活動をフォローしてきました。

それは「機会」を提供することでした。

高校生も感想に書いてくれましたが、
「暗やみ本屋ハックツ」は「偶然」という「機会」を
提供する象徴のような活動です。

「機会」から学ぶ。
だからこそ、ふりかえりをデザインしなければならない。
まず、直感で動き、機会を得ること。

そんな「機会」を、これからも創っていくこと。
そして僕自身が機会から学んでいくこと。

そんなことを創っていきたいと思います。
よろしくお願いします。  

Posted by ニシダタクジ at 08:42Comments(0)学び