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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2018年11月19日

アイデンティティとコミュニティ


「レイヤー化する世界~テクノロジーとの共犯関係が始まる」
(佐々木俊尚 NHK出版新書)

2012年4月10日のブログと同タイトル。
http://hero.niiblo.jp/e165439.html

同年7月7日にも
「アイデンティティの半分はコミュニティでできている」
http://hero.niiblo.jp/e182795.html

で書いていて、

そのあいだの5月11日にも
「生きる力とはアイデンティティを再構築する力」
http://hero.niiblo.jp/e171388.html

というタイトルで書いている。
2012年のテーマは「アイデンティティ」だった。
そこに帰ってきたのかもしれない。

「やりたいことがわからない」
「自分に自信がない」
「就職したいけど就活したくない」

この謎を解くには、
「アイデンティティ」というテーマに行き当たる。

冒頭の本は、2013年の本なのだけど、
ここには歴史的視座から、「場」についての興味深い考察がある。

中世から近代へ
帝国から国民国家へ
そして、国民国家というシステムの限界と
「場」による支配へ。

と乱暴に要約するとこういう感じになるのだけど。

昨日も書いたけど、
国民国家の神髄は、
「ウチとソトに分ける」
ということだという。

たしかに、
ヨーロッパと「そのソト」を分けて、植民地を作っていった。
国内と「そのソト」を分けて、戦争を仕掛けていった。
企業内と「そのソト」を分けて、競争を勝ち抜いていった。

「コミュニティ」っていうのはウチ(内側)のことだ。
実はそれと「アイデンティティ」は密接にかかわっている。

「ふるさと難民」という言葉がある。
東京出身でふるさとがない大学生が
地域に出て行って、そこを「第二のふるさと」にする。

それって
まさに「コミュニティによってアイデンティティを再構築」しているんじゃないか。

しかし。
根本的には、その手法は使えなくなる。

国民国家、資本主義という現在のシステムのベースにある
「ウチとソトに分ける」という
方法論自体がすでに限界に達しているからだ。

収奪すべきソトはもう存在しない。
だからこそ、ブラック企業の問題などが
起こっているのだ。

もう、ウチもソトも存在しない。
権力構造でも力関係でもなく、
テクノロジーという「場」に下から支配されている。

だから、所属すべきコミュニティを失い、
人はアイデンティティ不安を抱えているのではないか。

アイデンティティ不安。
それは自分という存在への不安だ。

だからこそ、
個人レベルでこそ、リアルな「場」を必要としているのだと
僕は思う。

それは「コミュニティ」というウチを作ることではないのでは、というのが
現時点での仮説である。  

Posted by ニシダタクジ at 10:41Comments(0)

2018年11月17日

「アイデンティティ」とか「個性」とか

「やりたいことがわからない」
「自分に自信がない」
「就活したくない」

っていう大学生の根っこには、
「アイデンティティ」問題が横たわっているように思う。

「アイデンティティ」問題のキーワードとしては、
「個性」とか
「自分らしさ」とか
「貢献する」とか
そういう感じ。



「レイヤー化する世界~テクノロジーとの共犯関係が始まる」
(佐々木俊尚 NHK出版新書)

は、「近代」という時代と
「国民国家」というシステムを見渡す上で
非常に面白い1冊となっている。

~~~以下メモ

中世ヨーロッパでは、聖と俗が切り離されて存在していた。
印刷技術の発明が宗教改革を生んだ。
「よりどころ」としてのキリスト教が弱体化した。
聖の力の弱まりを俗の力によってカバーしようとした
「絶対王政」システムが生まれ、そして倒された。

「国民国家」システムの発明。
戦争に圧倒的に強いシステムだったため、世界を席巻した。

自分たちのよりどころは、神(宗教)でも古い大人(歴史)でもなく、
自分たち自身だと知った。

~~~以上メモ

国民国家の神髄は、「ウチとソトに分ける」
ということだと佐々木さんは言う。

そうやって、他国と戦争し、植民地をつくり、
自国を反映させる、ということだった。
これを「アイデンティティ」という側面から見てみる。

市民革命を成功させたフランスは、
その3年後のオーストリア・プロシア同盟との
戦争で敗走に次ぐ敗走を重ね、
自国内へ侵入させてしまったとき、義勇兵を募集する。
「祖国は危機にあり。祖国を救わんと考える義勇兵は応募せよ」

「フランス国民である」というアイデンティティ。
それが「よりどころ」となったと佐々木さんは言う。

おそらくはそれが、現代日本においても、
溶け出してしまっているのだろうと思う。

地域コミュニティ

会社コミュニティ
が弱体化し、

それに伴って、アイデンティティの
「よりどころ」を失っている。

しかもここにきて、
「国民国家」という概念そのものが
危機に瀕しているように思う。

アイデンティティ・クライシス

おそらくこれを解読しないことには、
「やりたいことはわからない」以下、
若者の課題の糸口は見えない。  

Posted by ニシダタクジ at 08:21Comments(0)日記

2018年11月12日

本を届ける、「一箱古本市」

松本・栞日の菊地さんが
やっている栞日古本市。

今月は18日にあるんですけどね。
そのガイドライン。
https://sioribi.jp/info/event_181118_02/

ココです。
栞日にとって、一箱古本市とは何か?
表現されているのが特にここ。

~~~ここから引用

【3】「一箱」古本市です。

当日の朝、〈古道具 燕〉で見繕った古い木箱を一箱ずつお渡しします。
木箱はどれもほぼ同じサイズですが、細かな寸法(幅・奥行き・深さ)はまちまちです。
当日、受付順に選んでいただきます。

途中、箱の中が少なくなってきたら、適宜補充していただいても構いませんが、お客さんにご覧いただく商品は、配布した箱の中に収めた本のみでお願いします。
また、当日ご持参いただく本の合計冊数も、ざっくり「箱2杯分」程度を、上限としてイメージしていただけると助かります。

理由は幾つかありますが…

限られた選択肢とスペースの中で、自分の本棚を表現して、その限られた書籍を通じて、目の前のお客さんと会話していただいた方が、結果的に、1冊1冊の取引の意味の濃度が高まって、本を手放した本人にとっても、本を受け取ったお客さんにとっても、もちろん本自身にとっても、幸せなのではないかなぁ、と考えているからです。

~~~ここまで引用

菊地さんは、
2011年6月のニイガタブックライト主催の
一箱古本市(ちなみに僕もツルハシブックスで出店していました)
に来ていたのだという。

その際、ブックディレクター幅さんの
「痕跡本」の棚を見て、
すでに菊地さんがついたときには、
棚は売れてスカスカになっていたんだという。

そして「補充はしないんですか?」
と聞いたら、「一箱古本市ですから」
と返答されたのだという。

そして、僕もなんとなく覚えているけど、
夜のトークイベントで、
同じような話をされていた。

「一箱古本市」って一箱だから面白いんじゃないか?
たしかそういう感じのコメントだったと思う。
僕もそのトークイベント会場にはいて、
なんとなく覚えている。

一箱であること。

それはたぶん。
菊地さんがこのラストに書いている、

「本を手放した本人にとっても、本を受け取ったお客さんにとっても、もちろん本自身にとっても、幸せなのではないかなぁ、と考えているからです。」

ここに尽きるのだろう。

本を売る。
自分の手元の本を売る、というのは
どういうことなのか。

そういえば、以前、大手中古書店チェーンで
働いている大学生が言っていた。

そこでは、本は完全に「モノ化」されているのだという。
一定の期間が経った本は108円コーナーに移動され、
またそこで一定期間が経った本は、
別の書店へ移送されるか、処分されるのだという。

それが本好きの彼女にとっては、
とても耐えられないのだという。

一方で、
伊那の土田さんが言っていた

「古本屋」っていうのは「本の一時預かり」のことだ。
誰かのためにこの本をキープしなきゃ、と思うから本を仕入れ、
誰かが買ってくれるのを待つ。
それがいつなのかわからないけど。

http://hero.niiblo.jp/e487816.html
(18.7.26 「本屋である」ということ)

本を届ける。
ってなんだっけ?

っていう強烈な問い。
菊地さんの姿勢。

僕自身も「暗やみ本屋ハックツ」
を再定義したいと思った。

菊地さんの言葉を借りれば、
「ハックツを再ハックツしたい」っていうことかな。


  

Posted by ニシダタクジ at 10:23Comments(0)日記

2018年11月09日

いま、始めること

信州大学「地域ブランド実践ゼミ」
塩尻市‐信州大学包括連携協定
地域ブランド共同研究連携授業
の第7回授業に出てきました。


まずは山田さんから地域ベンチャー留学の説明。


今日のゲストは、「家族留学」など、
家族をキーワードに活躍する起業家、新居日南恵さん。

大学1年生の時に
「manma」をスタートした日南恵さんの
一言一言にスピードと臨場感があったなあ、と。

仕事の情報はこんなにたくさんあるのに
結婚の情報がない。
キャリアを考えるように、結婚を選択できるんじゃないか。

ということで立ち上げた。
当時19歳。
サービスは思いついたが、
始められる自信がない。

そんな彼女へのアドバイスが、
「いま(19歳で)始めなさい。」
だった。

「失敗しても大学生という肩書は消えないから
普通に就活すればいい。
もし10年続いたら、そのときは
ぜったいにあなたの右に並ぶものはいない。」

そして、もうひとつ、
自分はリーダー向きじゃなく
サポート向きだと思って尻込みしていると、

「やってないのに、なんでわかるの?
1年やって、失敗してから言えば?」
と言われた。

そしてやることを決め、
次に仲間を集めるフェーズ。

渋谷のカフェで3人で話して、
なんとなくmanmaという名前を決めた。

そして、一番おもしろかったのは、
彼女が「家族」というキーワードにいたった経緯。

彼女の大学1年生の時のキーワード。
「自己肯定」「スクールカウンセラー」「言葉の力」
など。
その中で「自己肯定」にフォーカスして、深めていった。

「自己肯定」

「ライフキャリアプランニング」

「家族のマネジメント」

というように掘り下げていったのだという。

そして、何より、行動してきた、ということ。
AorBで迷っていないこと。

「最後のメッセージ」



「どっちでもいいから、とりあえず決める」

彼女にとって怖いのは、「選んでいない状態」で進んでいくこと。
中途半端にやること。
途中でやめること。
「あれいけたかもな~」って思い続けること。

なるほど。
始めてみるっていうこと大事だ。

始められる人って、
「挑戦」じゃなく、「実験」だと思える人なのではないか。

失敗ではなくて、
結果が出るだけだと思える人なのではないかな。

キャロル・ドゥエック博士の
マインドセットの話にも通じる。
http://hero.niiblo.jp/e262963.html
(挑戦するのに自信は要らない2013.5.11)

自分の能力は変わらないという
固定的知能観と
やればやるほど自分は成長できるという
成長的知能観。

それは中学1年を境に、
どんどん固定的知能観へとシフトするのだという。

それは、「実験」することをやめてしまうから
ではないのか。
「挑戦」の呪縛にとらわれているからではないのか。

「実験」として始める。
そこなのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 18:25Comments(0)学び

2018年11月07日

「挑戦」するな、「実験」せよ


「情報生産者になる」(上野千鶴子 ちくま新書)

鳥取・定有堂書店で購入。
まだまだ冒頭なのだけど、いい言葉入ってます。
わかりやすい。

「情報はノイズから生まれます。
ノイズとは違和感、こだわり、疑問、ひっかかり・・・のことです。」

「情報とは、システムとシステムの境界な生まれます。
複数のシステムの境界に立つ者が、いずれをもよりよく洞察することができるからです。」

なるほど。
たしかにそうかもしれないですね。

「違和感」をキャッチできるか、
キャッチした違和感を情報に変換できるか、
これがカギを握っていると思います。

僕が違和感を感じてきた言葉。

「挑戦」とか「目標」とか。
大学生の言葉でいえば、
「やりたいことがわからない」
「自分に自信がない」
かもしれない。

「自信」とは「やったことがあること」だと
たしか堀江さんが言っていたのだけど、
その理屈でいけば、
「やってみる」ことがとても大切なんだと思う。

「自分に自信がない」と言っている若者に対して、
いわゆる「スモールステップ理論」がある。

つまり、小さなチャレンジを繰り返して、
だんだんと大きなチャレンジをしていく、というもの。

しかし、この理論には重大な見落としがある。
本当に自信がない人は最初の小さなチャレンジのドミノが倒れないのだ。
だから、その人はいつまで立っても自信がつくことはない。

「やってみる」人を増やす。
これはたしか、2014年に「にいがた未来考房」の立ち上げの
時に使ったように思うが、
昨日、大学生からのツッコミを受けて見えてきたもの。

「チャレンジできない」ことを気にして、
「チャレンジしなきゃ」と思っている人は多いが、
実際にその人たちは何もはじめていない。
チャレンジする前に「トライ」があることを忘れてしまっている。

そうか。
実験か、と思った。
挑戦ではなく、実験をすること。

「挑戦」には「目的」「目標」があり、成功と失敗があるが、
「実験」には「目的」「目標」がなく、結果があるだけだ。

「挑戦」ではなく、「実験」

そしてその結果を出すのは、個人でもチームではなく、「場のチカラ」
であること。

だから、ふりかえりをするとき、
「予想しなかったよかったこと」も
「予想しなかった悪かったこと」も
結果にすぎない。

次からどうしようか。
そのための材料に過ぎない。
たぶんそういう思考でプロジェクトに参加していくこと。
予想できなかった「結果」を楽しむこと。

その先を、見てみたい。
やったことがないからやってみた。

やってみるの理由はそれだけでいい。
人は「やってみる」を繰り返すことで
生きていくのだ。  

Posted by ニシダタクジ at 16:45Comments(0)言葉

2018年11月05日

「関係人口」で「地方」と「若者」が学びあう


「関係人口をつくる」(田中輝美 木楽舎)
の輝美さんにお会いすることができました!

「関係人口は定住者増のための手段ではない」

うん。
たぶんこれ、かなりの自治体の人が誤解している気がします。

いきなり響きあったのは、出版物のリレーの話。
出版物は以下の駅伝を走っている。

0走者:題材者・テーマ
1走者:著者
2走者:編集者
3走者:営業
4走者:書店員(書店)
5走者:読者

輝美さんは、第1,2走者を、僕は第3,4走者を
走りたいということ。
「存在を誰かに伝えたい」(作り方の編集)っていうのと、
「メディアをつくりたい」(売り方の編集)っていうのとは違うんだっていうこと。

第3、第4走者を肌感覚を伴った「リアルメディア」に
したいんだなあと。

それは大きな気づきだった。
僕はどちらかというと、第3走者以下を読者に寄りながら
作っていきたいのだと。
「駅伝を走りたい」という意味では同じなのだけど、
その走るポジションが違うんだなあと。

そんなことを思いました。
ほかにも話していて様々な学びがあったのでメモ。

~~~ここからメモと自分の感じたこと(ツイートメモ)

若者に「好きなことは何か?」と
聞きすぎるのはきついのではないか?

中身が空っぽなのに「アウトプットしろ」って言われ続けるのはつらいと思う。
「君は何をやりたいのか?」という問いの暴力。

「やりたいこと」じゃなくて、過去に「心動いたこと」があって、
それを起点にプロジェクトをつくっていくほうが
当事者意識とモチベーションが高くなると思う。

その「心動いたこと」をつくるために、
学校外の「場」が存在しているような地域社会。
その場に参加する機会を提供するための本屋。

「地域再生」っていう大テーマに向かっている。
「教育改革」も「風の人」も「関係人口」もそのための手法。

「思考停止」こそが絶望。「考え続けること」でしか希望は生まれない。

「他者」と出会うと揺さぶられるが、「他人」を目の前にしても揺さぶられない。
都会では「他人」が多すぎて「他者」に出会えないので揺さぶられない、心が動かない。

「イナカレッジ」と「アイデンティティ」。このテーマは深めたい。
都市は「機能」に分化していて、田舎は未分化である。
田舎では「機能」としてではなく、ひとりの「存在」として承認される。

「関係人口」とは、
「地方」と「若者」が共に学びあう関係である。

「関係人口」⇒「課題解決」
「地方」と「若者」双方の課題を同時に解決する

「交流」⇒「定住」
   ↑
ココのプロセスに関係人口があるわけではなくて、
そのあいだの概念というだけ。

住む、住まないではなく、
地域(と都市部の若者)の課題を解決する手法として
「関係人口」があるのではないか。

「定住」に向かっていくのは人口減少時代には無理筋。
⇒他市町村との競争を激化させることに未来はあるのか?

「誇りの空洞化」をどうするか?

「地域を維持」することより、
ひとりひとりが「誇り」を持って死んでいくこと。

「大人のアドバイス」には
「なんでですか?」と問いかける。
⇒たいていがお金だったりくだらない理由でアドバイスしている。

~~~以上メモ

キーワードだらけ。
いろいろ気づいた。

「地方」と「若者」。
どちらかというと、「若者」視点から
この10年、自分は考えてきたのだなあと。

その上で、
「なぜ、本屋なのか?」
という問い。

そうそう。
本屋は手段であって、目的ではないからね。

現時点で整理すると、

エンターテイメントの本質は「予測不可能性」で、
「予測不可能性」がもっとも得られるのは学ぶこと本を読むことで、
「学びあいのデザイン」と「学びの機会提供」をして、
日々を考え続けるエンターテイメント化すること。

その「学び」のフロンティアが「地域課題」であり、
「学び」のパートナーが「地域住民」と「関係人口」(都市住民)となる。

またその根っこには、
若者自身の「アイデンティティ」の課題があり、
「ふるさと難民」などはそこにあたる。

「アイデンティティ」の課題を解決するには、
「未分化」な地方に身を置いて、存在承認の機会を得ること、
「場のチカラ」を感じることと、
「チューニング」によって、思ったことを言えるデザインをし、
場に自分を溶かしていくこと。
そして場のチカラでアウトプットするという繰り返しをすること。

そうやって、「アイデンティティ」そのものを
相対化、他者化していくことが可能なのではないかと感じた。

輝美さんに言われた宿題。
「それを一言でいうと何なのか?」
次回、お会いする時まで、出しておきます。

素敵な時間をありがとうございました!







宍道湖の夕日がこの後朱鷺色に変わって、
初めて蛍を見たとき以来の感動を経験しました。

島根・松江、住みたい。  

Posted by ニシダタクジ at 09:39Comments(0)学び

2018年11月04日

「対話」から始まる「学びあい」

しまね教育の日フォーラム。





霧がすごい松江・くにびきメッセで聞いてきました。

一番すごかったのは、
益田市の取り組み。





「益田版カタリ場」と「新・職業体験」。
この2つの取り組みにはトリハダが立ちました。

~~~以下メモ

島根県益田市:「人が育つまち」

「益田版カタリ場」
事前アンケート:約半数の中高生が気軽に話をする大人が1人もいない。
約半数の中・高生が益田には「魅力的な大人がいない」と思っている。
⇒ロールモデルとの出会い不足。

人との繋がりが希薄化しつつある時代だからこそ、対話を軸に、人を繋ぐ
働き方のロールモデルから、生き方、在り方のロールモデルへ。

「ワークキャリア」教育から「ライフキャリア」教育へ。
ライフキャリア教育で、未来をつくる。
学校と家庭任せではなく、地域住民全体の力で。

中学生×地域の担い手
公民館との連携でその地区の大人と子どもの対話の場をつくる。
中学生×産業の担い手
新・産業体験
体験中心から、対話重視の職場体験へ。「やりがい」や「想い」に触れる
高校生×働く大人でカタリ場⇒高校生×小学生へ
最後は自分が語り手になる。

結果、約8割の中高生が益田には魅力的な大人がいる、と思うように。
益田出身の大学生が益田で活動するように。
職場体験で行った公民館へ、次は大学生として。
母校でのカタリ場を企画・地域の大人との出会い直し。

「益田版カタリ場」:地域の大人と子どもが本音の対話で繋がる。
これまでのキャリア教育:一方的な講演スタイル
カタリ場:双方向

「評価しない大人」に出会うこと。

中学校カタリ場は公民館連携で、高校カタリ場は企業連携で。

「新・職場体験」:対象は中学生
1 求人票の発行・ポリシー・大切にしていることが記載されている
2 中学生へ面接(市役所職員による)
3 事業所研修会:ねらいとノウハウ共有
4 体験⇒対話:価値観・生き様を聞く
大切なのは教育を支える風土を醸成すること。

「新・職場体験」の結果、その会社に入りたいといって実業系の高校に入学した人が3名出た。

生き抜いていく力を地域の人と一緒につくっていくこと。

事業所研修会で地域の人同士がつながる。

「求人票」のデザイン
A5サイズの枠だけがあり、PRしたいこと、大切にしたいこと、ポリシーなどがあればお書きください。
これって、受け入れ事業所に対する壮大な問い。
そして、「求人票」そのものが地域の人から子どもたちへの「手紙」であり、「メディア」そのものになっている。

「ふりかえり」のデザイン。
事業所を自分の言葉で紹介するレポート(写真付き)と自分の感想を書く。
⇒礼状の代わりに出す。
たしかに、型どおりの礼状もらうよりよっぽどうれしいな。

「対話」を促すデザイン
・名刺をつくる
・質問を考えていく
・忙しくても昼食時等には対話をしてほしいと頼む。

「対話ができた」と思った子の意識が変わっていく。

~~~ここまでメモ。

他にも「高校魅力化」についての話もあったのだけど、
ひとまずは一番シビれた益田市のことを。

「自己を探求するとはいったいなんだろうか?」
「学びあいってなんだ?」
「地域の大人が参画する学びとは?」

ツルハシブックスや暗やみ本屋ハックツが言っていた
「第3の大人」のコンセプトを思い出した。

それは「評価しない」大人。
教えてくれるのではなく、あり方が伝わってくるような大人。

そして、何より、
「共に学ぼう」と思っている大人。

ヒーローズファーム時代に中村くんと実現しようと構想していた
経営者と学生が共に学ぶモデルを思い出した。

圧巻だったのは、
「新・職業体験」のデザイン。
特に求人票そのものだけでメディアになっているところ。
思いを出発点に人と出会うこと。

高校魅力化も、職場体験そのものも、
ツールに過ぎないんだっていうこと。

問いを共有し、「ともに学びあう」っていうこと
それをデザインしていくことなのだろうと思った。

僕が「本屋」で実現しようとしている世界観が
益田市ではすでに動き出しつつあった。
心地よい敗北感。

そして同時に、
僕は地域側にそんなプラットフォームをつくろうと思った。
その舞台はもちろん本屋さんだ。

「カタリ場」や「新・職業体験」のようなプログラムで
出会った大人たちにまた出会える場。
偶然、居合わせる場。
何かがうっかり始まってしまうような場。

そんな「場としての本屋」をつくりたいという思いを強くしました。
素敵な機会をありがとうございました。


松江の夜景がとてもキレイでした。  

Posted by ニシダタクジ at 10:42Comments(0)学び

2018年11月02日

「リアルメディア」という参加のデザイン

奥井希さんの「流しのこたつ」に初参戦した。


駅ではこんな感じにコンパクト


最初は2人


隣で歌を歌っているおねーさんいます。


東京から1週間前に転勤してきた柳原くんが寄ってくれました


ブルガリア人御一行様も参戦。

いやあ、あれが「流しのこたつ」か~。
昨日集まった人たちは
東京で屋台をやっている吉池くんと
(はじめ、「屋台をやっている」ってどういうことだ?って思った)

舟型の屋台をつくった伏見の港デザイン研究所の林さん。
https://ameblo.jp/fns716/entry-12382242736.html
↑これが伏見マール。やばい。熱い。
こたつとか屋台とかって「リアルメディア」なんだって。

紙メディア
ウェブメディア
ときて、次は里山十帖の岩佐さんのように
「リアルメディア」なんだなと。

あと、吉池くんは、
なんとびっくり僕も敬愛する橘川幸夫さんの「デメ研」
にいるのだという。

橘川さんと言えば、
「参加型メディア」の草分け。
僕は「インターネットは儲からない」の頃からの
橘川さんのファンなのだけど、まさかこんなところでつながるとは。

紙メディア、ウェブメディア、そしてリアルメディアが
循環していることがポイントだと実践者はいう。

流しのこたつは
プライベートとパブリックのあいだの「場」
だと奥井さんは言った。

吉池さんは
屋台をやることで、君も(リアル)メディアをつくれよ、っていうメッセージを
伝えたいって言ってた。

僕が思ったのは、
「リアルメディア」は「参加のデザイン」でもあるなと。

参加型メディアっていうのは
インターネット以降、言われつづけているのだけど、

紙やウェブだと、
発信者と受信者(受け手)は
相互に関係しあっているとはいえ、
分かれている。

そこにきて、
今回のこたつや屋台のようなリアルメディアは、
その「場」を分け合っているという意味において、
発信者と受信者の区別はない。

誰もが発信者であり、同時に受信者になっている。
つまり、もっとも境界があいまいになっている。

たぶんそれなんだ、って。
境界をあいまいにすること。
それが余白をつくり、参加の余地が生まれる。

http://hero.niiblo.jp/e488318.html
「余白」とは、境界をあいまいにして「委ねる」こと
(2018.10.29)

で書いたように、
肌感覚をもったリアルメディアだからこそ、
「参加のデザイン」が可能になるのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 13:52Comments(0)日記

2018年10月29日

「余白」とは、境界をあいまいにして「委ねる」こと

余白おじさん。

昨年「新城劇場」(現在はリニューアルオープンしてブックカフェになってます)
のオープンの時に
webマガジン「温度」の碇さんにつけられたニックネーム。
http://ondo-books.com/bookstore-report/188

当時はおじさんを認めたくなくて(笑)、
「余白デザイナー」と名乗っていたりするのだけど。

あらためて
「余白」について考えてみる。
場にも、仕事にも、組織にも、人生にも、「余白」が必要だと思う。

世の中が閉鎖系から開放系へと進んでいる。
閉鎖系で機能したフレームワークが
どんどん通用しなくなっていく。

「余白」をデザインするとは、
「境界」をあいまいにすること、だと思う。
それが「心地よさ」や「ワクワク」を生むのではないかという仮説。

気がついたら私も本屋という舞台の共演者になっていました。

これがツルハシブックスのキャッチコピーだったのだけど。
それは、店員とお客の境界を溶かしていくことだと思った。

そこに立っている人が店員なのか、お客なのか、
あいまいな状態にすることで
自分自身もあいまいな状態になる。
そこで共演者になれるのだと思う。
それが場の余白ではないか。

仕事の余白は、目標以外の成果を意識すること。
インターンシップの余白は、目標を設定しすぎないこと。

にいがたイナカレッジのプログラムのように、
参加者が地域の人と触れあう中で、
ゴールを再設計、設定すること。

それは、言葉にすれば「委ねる」ということ。
未知なるものに委ねる。
そして、ふりかえること。
きっとそういうこと。

僕自身は現代美術家として、
「リレーショナルアート」領域を創造していくのだけど、

それって、余白をつくること。
つまり、
境界をあいまいにして、委ねること、なのかもしれない。

場にも、仕事にも、組織にも、人生にも、
ワークショップにも、「余白」が必要だって
そういうことなのではないかな。


写真は南魚沼・ヤミーのかぐらなんばんジェラート
めちゃめちゃ辛いです。
アイスの余白に作っちゃってますね。(笑)  

Posted by ニシダタクジ at 06:52Comments(0)言葉

2018年10月27日

プログラムふりかえりメモ

大正大学地域実習39日目。
南魚沼市での成果報告会。



月曜日に柏崎市で水曜日に十日町市で
そして金曜日に南魚沼市での成果報告会を経て。

個人的なふりかえりをしておく。

・成果報告会の設計・内容について
実際にヒアリングをした人、お世話になった人向けと、
プレゼンテーションのみを聞きに来た人向けでは
リアクションが違うというか、そもそもニーズが違うなあと。

プレゼンテーションのみを聞きに来た人からは
完成度が低く思えただろうし、
実際にかかわった人にとっては、
自分のところで何を学んだ、感じたかをフィードバックしてほしい
ということだと思う。

今回の1年生のプレゼンテーションは、
観光、食、定住促進、伝統産業という
4つの視点で構成していったのだけど、
柏崎市の工業や大企業のCSRの取り組み
はその編集をかけると失われてしまう。
⇒お世話になった人向けの配慮が必要。

「19歳の感性で感じたこと、考えたこと」
をプレゼンで聞きたいということ。
⇒ラストの1人1人の感想をスライドショーと一緒に
載せたのは好評だった。

僕自身のプレゼンに対しての振り返り。

1 「顧客」「価値」視点を得られていない。
最初の段階で、振り返りの手法だけじゃなくて、
「顧客」は誰か?、「価値」は何か?
という視点を得ることが大切。

2 リアルな声を拾えていない。
上記「顧客」「価値」視点で、
ヒアリング時にリアルな声を拾っていくこと。

3 アウトプットの方法、テーマを考える
定期的にアウトプットの方法、テーマを考えていくこと。
アウトプット、聞いてくれる人の「価値」視点と
自分たちの「学び」視点から
プレゼンの内容と報告の方式を考える。

これらは序盤の段階(1~2週間目)
でプレゼンの道筋をある程度考えておくことが大切だと感じた。

また、チームビルディングに関して。
お互いに遠慮してしまう。(思ったことを言えない)
ような状況の中で最後まできてしまった。

プレゼンなどは教員が指導するのではなく、
学生同士で改善していけるようなチームをつくる必要。
「地域資源マップ」のアウトプット方法はいろいろあるのだけど、
それを考える必要があったのかもしれない。

・「呼吸」を合わせること
佐渡のお寺の実習では、毎朝お経を読むということをしているという
これによって、呼吸が合っていくのだと思う。
これはチーム作りにとっては非常に重要。

・「思ったことを言える」環境づくり
こちらも序盤においての
ふりかえりの手法を伝え、実践していくことで
そのような環境をつくっていけるように思った。

全体としては、「3地域の比較」というのが
第1に来てしまったのがポイントだったかと

「比較」するためには、
3地域をすべて見る必要があるし、
それを見てから初めて比較が始まる。

しかし、「比較」そのものは、
学びはあるかもしれないが価値は産めない。

あくまで、
自分が感じる「価値」をアウトプットしていくこと。
が大切なのだ。

その視点、仮説を検証するものとして、
あらたに話を聞いて、ヒントを得て、考えを深めていくこと。
そういうやり方が必要だったのかもしれない。

具体的には、「中間報告」を設定して、
そこで、自分たちが感じる「価値」と「顧客」
について検討し、それを発表してもらい、
同時にアウトプットのスタイルを考えてもらうこと。

あとは、
成果報告会の参加者を限定してもいいのかもしれないと思った。

斬新なアイデアを提案し、
地域の人に取り組んでもらうことが報告会の価値や意義ではない。

自分たちが地域で様々な人に出会い、
どう感じたか、何を価値だと思ったか、
それはなぜなのか。
自分にとってプロジェクトを行うときの顧客は誰なのか。
そんな学びを深めるための成果報告会であると思う。

まあ、3年生については、
ビジコン並みの内容・緊張感がある程度は必要であると思うが。

だから、十日町で指摘されたような
「実現可能か?」という問いではなく、
「自分たちではどう関わるのか、関わることができるのか?」
というのを問いかけることだと思う。

「目的」と「価値」と「顧客」と「学び」
について、いろいろ考えた成果報告会ウィークでした。  

Posted by ニシダタクジ at 08:37Comments(0)アイデア

2018年10月25日

「売れること」と「来てもらうこと」



大正大学地域実習37日目。
十日町市での成果報告会。

みなさん真剣に聞いてくださり、
愛のある厳しいツッコミも頂戴しました。

HOMEHOMEの井比さんからは、
水戸部さんと同じく、
「プレゼンにリアリティーがない」とのご指摘。
この4週間で何を学んだのか、伝わってこない、と。

そうそう。
現場のエッセンスをね。
聞く人は大学生の感じたことを知りたいんですよね。

さて。

「リアリティー」ってなんだろう?
って考えてみる。

素敵な質問があった。

「十日町の商品が東京で売れること」と
「買った人が十日町に来てもらうこと」と
どちらを重視するのか?

あるいは

「浴衣を洗ったり、シミ抜きしたりするアフターケアは
どう考えているのか?」

学生たちが考えてなかった視点。

それこそが「顧客は誰か?」
というリアリティーにつながっていく。

木下斉さんのいう、
お客をひとりひとり特定していく
「ピンホールマーケティング」が
必要だと思った。
http://hero.niiblo.jp/e478687.html
(16.4.22 利益と向き合う)

そして、デザイン思考的なプロセス。
顧客のインサイトに迫っていく。
それを補強するものとしてデータがある、と。

http://hero.niiblo.jp/e473850.html
(15.10.23 もし、すべての仕事がアートプロジェクトだったら。)

そういった意味では、
今回の成果報告会そのものも、
「見に来る人は誰で、彼らが欲しいものは何か?」
という問いが必要だった。

コメントでいただいた
「地域の人の姿が見えない」
「リアルで具体的な何かが入っていない」
「グーグルや食べログに載っていない情報を」
「生の声から課題を掘り起こしてつぶしていくこと」
「現役の大学生だからできるという主体性が必要」

まさにこれこそが
実習受け入れ地域が欲しいものなのだ。

僕自身の反省は
そのようなデザイン思考的アプローチについて、
実習前半でもっと学べるようにするべきだったと。

話を聞いてきたこの事業の顧客は誰で、
顧客にとっての価値は何か。

それをヒアリングの際に考えながら聞く。
地域の課題は何で、その人たちはリアルにどんなことを
言っているのか。

「生の声」は
現場でしか聞こえない。

そしてそれを届けること。

タイトルに書いた、

「十日町の商品が東京で売れること」と
「買った人が十日町に来てもらうこと」と
どちらを重視するのか?

というのは素敵な問いだったと思う。

「来てもらうこと」を目指したプレゼンテーションのほうが
「リアリティー」があり、結果として「買ってくれる」商品に
なるのではないかと思った。

購入した顧客のことを考えたら、
浴衣のアフターケアはとても大切な要素なのだろうと思った。

そうやって、
顧客に気づいていくこと。

さて、明日は最後の南魚沼での成果報告会。
作りこんでいきましょう!  

Posted by ニシダタクジ at 06:56Comments(0)日記

2018年10月23日

「無知」と「感性」と「行動力」

大正大学「地域実習」35日目。
柏崎市での成果報告会。



19名もの人が来てくれました。
その期待に応えていたか、
というと、いまひとつかなと。

講評の時に水戸部さんが言っていた。

現場の声、リアルな声を聴いて、
何を思い、感じたのか。
それが伝わってこないと。

その通りだなと思った。
聴いている人が期待しているのは、そういうこと。
課題に対する解決策そのものを期待しているわけではない。

課題だと感じ、それを解決する方法を考える
プロセスの中で、大学生自身が感じたこと。
心が動いたこと、それを聞きたいのだ。

そんなリアルな声を言語化すること。
それが期待されているのだとあらためて思った。

19歳の大学生には、知識もスキルもない。
もし、仮に大人よりも勝っているものがあるとすれば、

「無知」と「感性」と「行動力」
でしかない。

「無知」な状態で話を聞くことによって、フラットに見て、
「感性」を発動させ、そこで何かを感じる。
それを「行動力」によって、実証、言語化していくこと。

それが期待されているのだと
あらためて思った。



9月30日までお世話になった
柏崎の海に挨拶して、南魚沼に帰ります。

さてさて。
修正していきましょうかね。  

Posted by ニシダタクジ at 06:42Comments(0)学び

2018年10月22日

「ソーシャル」って何?



週末も南魚沼にて。
大正大学地域実習33,34日目。
八海山尊神社「火渡り」、
南魚沼市わかまち会議へ。

その合間に今日から始まる
実習の成果報告ウィークへの準備をする。





夜は恒例の足湯。
昼間のワークショップを振り返って、感じたこと。

去年の今ごろ受けた、
コクリの三田さんのワークショップを思い出した。

http://hero.niiblo.jp/e486023.html
「ツルハシが掘るもの」(17.10.15)

「みんなで何やるか?」
って話し合っても行動は起こらない。
そこにはwhyがないから。

そうじゃなくて、三田さんのワークのように、
一人の根っこを、温泉を探し当てるように掘っていくこと。
温泉(源泉)がwhyにつながり、
そこに「共感」が生まれる。それをみんな応援して
「チーム」ができる。

「コクリキャンプ」とか
「スタートアップウィークエンド」とかって
そういう設計になっているんじゃないか。
だから行動が起こるのではないか。

「ソーシャルなことを始めよう」ではなくて、
「ソーシャル」っていうのはそもそも「みんなでやる」
っていうか1人を補うっていうことなんじゃないか。

だから、三田さんがいうように、
過去の想いの源泉を引き当て、
whyを見つけること。

ソーシャルプロジェクトの生まれ方は、
ソーシャルなことをみんなで考えよう!
っていうのじゃなくて、what,howじゃなくて、

個人の過去から想い(why,for whom)を発掘して、
そこに賛同する人が現れ、プロジェクトが生まれていくのではないか。
そして共感の度合いが高いことをソーシャル度が高いというのではないか。

人生は経営である。

時間という有限な経営資源をどこに投じるか。

それは、効率的かどうか、
ではなくて、心がワクワクするか、
共感しているか。
そうやって起こっていくのではないだろうか。

「なぜ」「いま」「あなたが(わたしが)」
これをやらなければいけないのか。

それを感じられるプロジェクトだけが
力強く始まっていく。  

Posted by ニシダタクジ at 06:35Comments(0)日記

2018年10月19日

雪国の誇りをコンテナ輸送する

今朝は坂戸山に登りました、
雲海、きれいでした~。







昨日は大正大学「地域実習」31日目。

一般社団法人「ゆきぐに利雪振興会」の高橋悟さんに
お話を伺う。



まずは高橋さんの熱の入った講義から。

~~~以下メモ

消雪パイプが新潟の暮らしを劇的に変えた。
除雪→融雪になった
長野・北海道では地表に出た瞬間に凍ってしまう。
チェーンがスタッドレスでもいけるようになり、
スキー場に人があふれた。
観光産業の発達などにより出稼ぎに出なくてもよくなった。
一方で地下水のくみ上げによる地盤沈下などの問題もある。

これまでの雪との歴史
酷雪→克雪→利雪→楽雪
  消パイ・スキー場
※昔は出稼ぎ・機織りをしていた  

利雪:雪をお金にする発想力が必要

酒蔵の使うお酒:雪解け水:溶けた雪
コシヒカリをつくる:雪解け水

雪室:入れるとおいしくなるのは雪国の人は知っていた。
にんじん・だいこんなどの根菜類は甘みが増す
→なぜ甘くなるのかわからなかった。

八海醸造の雪室:自然循環型
自然循環でお酒を貯蔵している。
最初に投資はかかるけど、ランニングコストは安い

お米を貯蔵するのは
機械システム型で空気だけを冷やす。
(湿度が高いとダメ)

「雪は恵みである。」

ゆきぐに利雪振興会
東京オリンピックの競技へ雪を生かすことを目指す。
今年はお台場のビーチバレー会場へ。
トラックではなくJRのコンテナを使って輸送する。

断熱シートではなく、
ウッドチップで覆う。

断熱シート:6,7年で劣化
ウッドチップ:3年で腐食する
→腐食したウッドチップ:ドックランに最適?

これまでは雪を解かすのにエネルギーつかってた

これからは雪からエネルギーをもらおう

自然エネルギー:電気を起こすだけじゃない
雪の冷たさで冷やすこともエネルギー

~~~ここまでメモ







講義のあと、
実際に雪を貯蔵している山へ見に行く。

高橋さん、いい顔してるなあと。

高橋さんが東京に運んでいるのは、
単なる雪ではなく、
「雪国の誇り」そのものなのだろうなあと思った。

自分たちが育った、また暮らしている南魚沼の
誇りそのものを、全国に発信していく。

雪室や利雪プロジェクトは、郷土の誇りを生んでいると思いました。

そこへの共感が南魚沼のファンをまたつくっていくのだろうと思いました。  

Posted by ニシダタクジ at 06:46Comments(0)

2018年10月17日

地域を「編集」するリアルメディアとしての宿

大正大学地域実習29日目。



南魚沼・里山十帖へ。
http://www.satoyama-jujo.com/about/

冒頭より
「2014年5月、私たちは新しい宿をオープンさせました。
でも旅館を始めたかったわけではありません。
レストランを始めたかったわけでもありません。
始めたかったのは、新たなインタラクティブ・メディアの枠組みをつくること。」

※この里山十帖とは?のページだけでも、応用できることが
たくさんあります。すごい。

雑誌「自遊人」を作っていた岩佐さんが
2004年に「米をつくいたい」と会社を移転。
農業法人を立ち上げ、地元の農家のお米を
生産者の名前入りで販売したりした(当時としては珍しい)
出版、農業、物品販売を行ってきた。

2013年。
山の中の温泉旅館が廃業するタイミングで
そこを買い取り、リノベーションの末「里山十帖」をオープンした。

「さとやまから始まる10の物語」
十帖とは、10ページのこと。

「真に豊かな暮らし」を提案・発信することを目的に、オーガニック魚沼産コシヒカリを育てる農作業体験「農」、美術大学との産学協同でリノベーションに取り組む「芸」、料理人とのコラボレーションで地産地消の郷土食文化に新たな彩りを加える「食」など、10のコンセプトから成っている(上記webより)

里山料理。
ここにあるものを楽しんでもらうこと。

そして何より、
ここでしかできない「体験」を重視していること。

「米一粒がメディア」。
「椅子はそのフォルムだけではなく、座り心地がメディア」。
「そこにある風景そのものがメディア」。
人と人の対話だけでなく、モノが、建物が、風景が語り出す……、
そんなメディアをつくっていきたいと考えています。(上記webより)

夏は星空を眺め、秋には稲刈りをして
冬にはかまくらの中でホットワインを楽しむ。

そんな里山十帖に来ないと体験できないことを
体験してもらうこと。

そしてスタッフではなくプレゼンターであり、
宿のコンセプト、食材の物語、自然について説明し
お客様に里山十帖を楽しんでもらうこと。
里山十帖そのものがメディアであるということ。

~~~以下メモ

雑誌が売れなくなってきている
→ホテル経営:次のステップへ

地域の人々に参加してもらう
料理部門:地域の食材を使って。

お客:ペルソナ設定
一番来てもらいたいお客にどうやってきてもらうか。

体験する:散歩ツアー
「あのお米が夜でますから」

そもそも美味しい上にプレゼンテーションするさらにおいしくなる。
150年前の北前船の物語:ネオ里山料理

宿:リアルメディア
その場所でしか味わえない。
1つ1つの体験がリアルメディア

薪ストーブ:暖かさが循環するように。

「地域おこし」をいかにカッコよくやるか。
「編集」によって地域の価値を高めていくこと。

バリアフリーではないこと
⇒ページに表示している。
お客さんの想定がある。

ハコは変わらない⇒季節によって「体験」を売ること
・たき火
・かまくら
・山菜

リピーターがくる。
⇒違う季節の里山体験をしたいから。

お土産を持ってくる。
「あなたに会いに来た」と言ってもらえる。

~~~ここまでメモ

美学。
言葉にうまくできないけど、そんな感じ。

美しさとは何か?
カッコよさって何か?
雑誌「自遊人」が編集していたものとは?
里山十帖が提供する「価値」とは?
そんな問いが次々に生まれていく。

「里山十帖」はお客さんの中に、
問いを残しているんじゃないか。

「豊かさ」って?
「季節」って?
「日本」って?
「地域」って?

その謎が解けなくて、
お客さんはまた里山十帖にやってくる。
与えられるだけの体験ではなく、そこに「参加」できること。

「編集者」とか「アーティスト」ってなんだろう?
って思った。

目の前にあるもの。
目の前になく、心や頭の中にあるもの。
人と人のあいだにあるもの。
季節と季節のあいだにあるもの。

それらを編集し、「価値」を生み出していく。

その「価値」っていうのは、
実は、自分の中に問いが生まれること、なのかもしれないなと思った。

それって、宿じゃなくて本屋でもできると思った。
いや、本屋こそがそういう空間になるんじゃないかと思った。

ツルハシブックスは
まさに「双方向メディア」だったんじゃないか。
そしてお客と店員の境をあいまいにすることで
お客が「参加」できる仕組みだったじゃないか。

デザイナーの役割は課題を解決すること
アーティストの役割は問いを投げかけること。

「編集者」っていうのは
その両方を同時に、しかもあいまいに行うこと、
なのかもしれないって思った。

さて、ぼくは本屋というフィールドで、
どんな編集をしますかね。  

Posted by ニシダタクジ at 07:35Comments(0)学び

2018年10月15日

地域プロジェクトへの参加がキャリア観に及ぼす影響(仮)~「やりたいことがわからない」の社会学

卒論相談のアイデアメモ。
タイトルとサブタイトル逆でもいいな。

1 はじめに
・自分自身の中学・高校時の経験
・大学生の地域プロジェクトの参加
・「にいがたイナカレッジ」などのいわゆるインターンではない地域プロジェクトへの参加
・「キャリア観」は時代・社会の変化に合わせて変わっていくのではないか

2 前提確認
・「やりたいことがわからない」という課題
・キャリアが激変している時代
・キャリアデザインとキャリアドリフト
・「アイデンティティ」不安と承認欲求

3 本論
・地域プロジェクトへの参加についてのアンケート調査
(イナカレッジや他の地域プロジェクト参加者へのアンケート)
・地域プロジェクト参加者へのヒアリング調査
・社会人2,3年目の人へのヒアリング調査

・「田舎」で得られる「親和的承認」(存在承認)
・「キャリアデザイン」以外のキャリア観の実例に出会う

・「やりたいことがわからない」という悩みは
アイデンティティの課題と直結している。

・解決策は「やりたいことを決める」ことではなくて、
自らの存在を承認し、キャリアドリフト的な、
「やりたいことがわからなくても前に進んでいける」状態に置くこと

・チーム作り~「場のチカラ」を高める

・「参加」のデザイン~ゴールづくりに参加・同意しているか

・ふりかえり~「予測不可能性」というエンターテイメント

4 結論

5 おわりに

という感じ。
まだ途中だけど。  

Posted by ニシダタクジ at 06:39Comments(0)アイデア

2018年10月13日

素材の声を聴く



大正大学「地域実習」24日目。

午前中は八海醸造「魚沼の里」で「雪国wa!shoku会議」に参加。
午後からは国際情報高校の授業「魚沼学」の中間プレゼンの見学
夜はこの期間の実習のコーディネートをしてもらっている
「愛・南魚沼未来塾」の倉田さんと魚沼学をスタートした茂木さんの講座。

盛りだくさんの1日でした。
まず午前中から。

あの「里山十帖」(来週お邪魔します)の
岩佐さんに初めてお会いしました。
さすが、最先端だなあと。

「美しさ」について考えさせられました。

~~~以下メモ

定住者ひとり当たりの消費額は年間124万円。
人口減少とは、1人あたり124万円減るということ。
外国人観光客10名(2組)、日本人宿泊客26名(13組)、日本人日帰り83名(50組)と同じ。

旅行の目的の変化
名所・旧跡⇒温泉⇒美味しい食べ物
現地でしか食べられないものが旅行の動機になる。

美食の定義が変わってきた。
豪華な食事ではなく食文化の豊かさを感じる食事。

おいしい食べものってなんですか?
ガストロノミー=美食学
食べ物を右脳と左脳両方使って楽しむ

美食の定義。
フランス=テロワール(土)、イタリア=スローフード
ローカル・ガストロノミー:地域の風土・文化・歴史を皿の上に表現したもの。
それぞれの立場(生産者、料理人、住人)でローカルガストロノミーを表現していくこと。

2019新潟・庄内DCコンセプト「日本海美食旅」
食を通じて、新潟・庄内の歴史・文化を味わう知的な旅。

ガストロノミーツーリズム:
その土地の気候風土が生んだ食材・習慣・伝統・歴史などによって育まれた職を楽しみ、
その土地の食文化に触れることを目的としたツーリズム

新潟のナス:日本一の作付面積→66%は自家消費
新潟の枝豆:日本一の作付面積→42%は自家消費
→こういうものの中にローカルガストロノミーはある。

京都・東京に次ぐ食文化圏へ:日本海美食旅

京都のすごさは住人が京都出身・在住に誇りを持っているから。
新潟もそうありたいね。新潟最高だよ、
観光客なんて来なくてもいいのに、くらいにならないと。
でも独り占めもあれだから、観光客さんもどうぞいらっしゃい。みたいな。

独自のコンテンツ(温泉・名所)+ローカルガストロノミー
→どの地域にもある。
コンテンツが人である場合もある。
柏崎ツアーもこれでいけるかも。

里山十帖:米づくりを学ぶために南魚沼へ。
3年、5年で軽井沢に引っ越すつもりだった。ところが軽井沢には
自然・文化が乏しいことに気がつき、南魚沼が味があるところだと感じてきたので、
いまのところ引っ越す予定はない。

世界の潮流:「衣食住」への原点回帰。
→一番大切なものは食なのではないか。

京都の野菜料理:下ゆでをする
⇒一度味を抜いてからダシで味を入れていく。ダシ(かつお+昆布)でつける。

新潟の野菜:味があるから昆布だけで味が出る。野菜の皮:うまみが凝縮している。
水の違い(硬水、軟水)もある。

京都の野菜:滋賀や福井、兵庫から運んできている。
技術を磨いて同じ味を再現することに価値がある。恵まれていない食材をどうするか?

京料理にとって大切なもの
1 見た目(ビジュアル)
2 味
3 素材
京料理を目指す必要はない。昔からある食文化を生かすこと。

山菜を生で食べたら甘かった。育っているシーン(場所や時期)で味が違う。
⇒食材とともに生きている。

山菜はアク抜きが必要、天ぷらにして苦みを飛ばす必要
→従来の常識

「旬」=一瞬で過ぎていくのが分かる
金沢・京都の旬と違う。
新潟では春が遅くくるし、秋は早くくる。

歳時記ではなくて、
目の前にあるものを料理する。
⇒土地そのものと対話

ダイナミック=自然とのコミュニケーション
ダイナミズム:東京・軽井沢にはない。
⇒季節に合わせた無理のない料理=家庭料理

東京:〇月の料理:家庭でつくれるのか?
1か月そろえられるのか?
七十二候を感じるのか?

砂糖を使うと塩が増える。
塩分をを控えるには砂糖を減らせばいい。

~~~以上メモ

京都の料理は
一度味を抜いて、そこから味をつける。
農家の料理は、そのままの味を活かす。
それがローカルガストロノミーか。

なんか、単純だけど、
とても深いように感じた。

午後からは国際情報高校へ。
2年生の「魚沼学」中間プレゼンテーションを見学

印象に残った2チーム

高校生のための新聞発行をするチーム
同じ事柄を異なる視点で描いた新聞をつくって、
「進路」の悩みを軽減できるのではないか。
不安を解消するのではなくやわらげることができるのではないか。

もうひとつが
スイカを使った商品開発チーム
名産の八色スイカ。

彼女たちが通学路を通るとき、八色スイカの畑を通る。
すると、規格外で捨てられているスイカを目にするのだという。

あれを何とかできないか。
ということで、石鹸、化粧水、種を使ったお菓子を作ってみた。

いいね。
そういうの。アクション起こってる。
それを夏休みにバイト代わりに売ったりしたら
楽しいだろうなあと。

プレゼン聞いていて思ったこと。
やっぱ切実なストーリーって大事だなと。
スイカ畑のスイカが捨てられてる絵って
何かつらいもんね。

茂木さんが最後に言っていたけど、
「共感から始まる。もし、自分の中に何かなかったら、
誰かの思いに心を寄せていく」
っていうのが印象に残った。
共感とか思いとか大事だなあと。

夜の部。
愛未来塾の倉田さん。

旅行代理店での様々な取りくみ、
地元の誇りを生み出している。

交換価値→使用価値へ
トキ(時)とエン(縁)が価値を持つ時代。
ナナメの関係を地域でつくっている。

学びが楽しいまちは暮らしが楽しいまち
まちづくり=最終的には教育に行き着く。

うんうん。

茂木さんの話を聞いていて、
ビビっときた。

子どもを育てるって、
京料理じゃなくて、新潟の農家料理をつくるような
ものなんじゃないかって。
素材の声を聴く。

京料理じゃなくて、
農家の家庭料理をつくるんだって。

今までの教育は京料理をみんなで目指してきたんじゃないか。
「最高」と設定した料理を分析し、マニュアル化し、それを目指してきた。

でもね、それってもう価値じゃなくなってきてるんすよ。
ガストロノミーの時代。

地域固有の食文化を、一瞬しかない「旬」を、
農家の家庭料理のように、
毎日食べられる方法で調理すること。
それを味わいに海外から観光客が来るんだ。

アイデンティティ。

新聞をつくるチームの
プレゼンにもあったけど、
それって食からも作られるなあって。

素材の声を聴く。
素材の旬を感じる。
素材そのままの力を活かす。

そういう場をつくっていくこと。

なんか1日がすべて編集されて、
とってもいい気分になりました。
ありがとうございました!  

Posted by ニシダタクジ at 09:27Comments(0)学び

2018年10月12日

にいがたイナカレッジという「問い」

この夏にかかわっていた
大学生向けプログラム
「にいがたイナカレッジ」の参加者レポート。

https://inacollege.jp/blog/2018/10/11/%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B8%E3%81%A7%E8%A6%8B%E3%81%A4%E3%81%91%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%90%E6%A2%B6%E8%B0%B7%E9%BA%BB%E8%B2%B4%E3%80%91/

「即決できなかったのは、1か月という期間の長さ。
夏休みはインターンもそこそこに遊びたかったのが本音です…。
でもこれだと今までの大学生活と何も変わらないような…。

そして、1か月知らない人と知らない土地で暮らすことへの不安。
しかし参加を決めたのも1か月という長さ。
参加してみれば何かを得られるのではないか。変わる自分がいるのではないかという期待。
とりあえず行ってみよう…。悩みに悩んで、自分にとっては大きな決断をしました。」

うんうん。
そうだよね、そうだよね。
1か月は長いもん。

この時間を投資して得られるものはなんだろう?
って考えちゃうよね。

そして、

「釜谷の人が望んでいた冊子(歴史)と自分たちが作りたい冊子が噛み合わなかったとき、要望に応えたい、でも伝えたいことを曲げたくないと迷った時があります。

他の地域で私たちより早く活動をしていたインターン生に、「私たちの地域も同じだった。大事なのは自分たちの伝えたいことを伝えることだと思う」とアドバイスをもらうことができたので、それから私たちは自信をもってときめきを伝える冊子を作ることができました。」

泣ける。
泣けたなあ。

実はこの後にくるラストが超泣けるし、
僕も関われてよかったなあと思うのだけど、
それは本文を読んでください。

にいがたイナカレッジは
きっとそういうプログラム。

コーディネーターの井上有紀さんは、
あの「誇りの空洞化」を叫んだ
明治大学農学部の小田切ゼミ卒業生であり、
ツルハシブックス黄金期の
2015年を作った店員サムライの中心メンバーでもあり、
米屋を通して「暮らし」を届けるコメタクの
立ち上げメンバーでもある。

その系譜がカタチになったような、
そんなレポートだなあと。
すべて、問いでしかないんだって、あらためて感じた。

通常の企業のインターンシップと
明らかに違うのは、「得られる経験」が
明らかではないこと。

1か月という長期間(大学生にとってはかなり貴重)を
田舎で暮らすという投資に対して、
リターンが明確ではないこと。

たぶん、それがいいんだなあと思う。
でも、それって伝えるのが難しい。

どうやって伝えるか、っていうのを考えて、
上記のインターンを大学4年生にレポートしてもらったのがこちら

https://inacollege.jp/blog/2018/10/01/%E3%80%8C%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%99%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E6%97%85%E3%81%AB%E5%87%BA%E3%82%8B%EF%BD%9E%E5%A4%A7%E5%AD%A64%E5%B9%B4%E7%94%9F%E5%B0%8F%E6%98%A5%E3%81%8C%E8%A1%8C%E3%81%A3/

「自分を知る」
それがイナカレッジの価値だと
彼女はレポートした。

そう。
「にいがたイナカレッジ」は問いなんだ。

内田樹さんの
「下流志向」(講談社文庫)と
「先生はえらい」(ちくまプリマー新書)
を読むと、学びとは何かについて考えさせられる。

現代社会において、教育が「お買いもの化」されている。
つまり、最小の投資(努力)で最大のリターン(成果)を得られるように、
というマインドに覆われている。

ところが本来、学びの本質は、
師匠が何をいったかに関わらず、
自分は何を学ぶか、学んだか、
というのが大切であり、それこそが学びの醍醐味なのだと。

これ、インターンシップにも同じことが言えるだろう。

インターンシップ募集サイトには
「得られる経験」が書いてある。
みな、目的をもってインターンをする。
(もちろん、同級生がしているから、みたいな理由もあるけど)

にいがたイナカレッジは、何が得られるのかよくわからない。
だって、田舎で暮らすだけなのだから。

そんなことに
就活前の大学3年生という貴重な時間を投じていいのだろうか?
と思う人も多いだろう。

何が得られるのか?
と不安になる人も多いだろう。
でも、それこそが、思考の呪縛だと僕は思う。

経験も状況も問いでしかないのだから。

昨日、「つなぎ道」の佐藤孝治さんに、
「ご紹介したい人がいます」と言われて、
1時間ほど、ウェブ上でインタビューを受けた。

「ご紹介したい西田卓司さんというすごい人がいます」
佐藤さんの紹介はだいたいこんな感じ。

聞いた人は、
詳細の情報がないから自分で聞き出すしかない。

「この人はすごい人だって佐藤さんが言っているから、
何か聞いて、そのすごさを吸収しよう」

って思っているから、実際に僕は「すごい人」になる。

実はその時、僕は「すごい人」である必要がないのだ。

相手が勝手に「すごい人」だと
思い込んでいてくれさえすればよい。

そう。
佐藤さんの「つなぎ道」も同じく
「問い」だったのだと。

「すごい人」だと紹介することによって、
紹介された人は、その人のすごさを
自分なりに解読しようとする。
それこそが学びの本質なんだ。

現在美術家の北澤潤さんが
デザイナーの仕事は課題を解決することで
アーティストの仕事は問いを投げかけることだと言っていた。

「問い」を投げかけること。

きっとそれが僕のやりたいことなのだろうな。
現代美術家だしね。


※写真はイナカレッジ中間研修(18.9.3)の本屋出店の図  

Posted by ニシダタクジ at 06:40Comments(0)日記

2018年10月10日

おそるおそる差し出してみる

「やりたいことがわからない」と「自分に自信がない」

僕が本屋さんに立っているときに、
大学生が話してくれた二大悩み。

「やりたいことがわからない」のほうは、
夢至上主義とも言えるキャリア教育に疑問を持ち、

山登り型の「キャリアデザイン」への違和感と
川下り型の「キャリアドリフト」への学びを得た。

そして、激動する世の中において、
どちらが機能するのか、という問いが生まれた。

今もその問いは続いていて、
「中動態の世界」(國分功一郎 医学書院)
とか
「先生はえらい」(内田樹 ちくまプリマー新書)

を読むと、
むしろやりたいことを決めないほうが、
変化に即座に対応できるし、
場のチカラを最大限に高められるのではないか、
と思った。

そこでもう一度、
「自分に自信がない」問題を考えてみる。

これについては、
上田信行さんの「プレイフルシンキング」(宣伝会議)を読んで、
キャロル・ドゥエックさんの「やればできるの研究」(草思社)
へとつながった。

「固定的知能観」と「成長的知能観」の違いだ。
「自分の能力は生まれつき決まっていて、変わらない」と思うのか
「自分の能力は常に開花の途上にあり、変わっていく」と思うのか

学校教育を受けていると、前者のほうに傾きやすくなる。
「自分は能力ないんだ」と思ってしまう。
だからチャレンジが始まらないのだと思った。

だから、そのハードルを下げるために、
「チャレンジだと思わないようにチャレンジする環境をつくる」
を本屋ツルハシブックスでは目指してきた。

昨日、来月のイベントの打ち合わせをしていて、
思い出したエピソードがあった。

2004年。
中越地震。

僕は地震後、川口町へボランティアに行った。
新潟大学ボランティアセンターと協力して、
「子どものケア」部門へ。

入ってすぐに、
自分たちの考えが甘かったことを知った。

「週1日で大学生8人なんてボランティアは要らない。」
「あなたが毎日来てくれ。」

その理由は、子どものマインドはきっと傷ついているから、
毎日新しいお兄さんお姉さんが来て遊ぶよりも
昨日と同じお兄さんお姉さんが来てくれたほうがいい。

子どものケア部門のボランティアをコーディネートしていた
ホールアース自然学校の方針だった。

日程を調整して、その週末から7日間連続で(通いで)
僕は川口町のある地域に入った。
現場ではただただ、無力だった。

学校が再開してなかったから、
朝から、小学生と遊んだ。
避難しているテントの中で。
親は日中は地震で散らかった
家の片づけをしていた。

弟がふたりいる小学生のおねえちゃんがつらそうだった。
甘えたいのに、甘えられない。
そんなことが伝わってきた。

午後4時。
ボランティア終了の時間。

ボランティアセンターに帰っていく車を
追いかけてくる子どもたち。

車の中でみな、黙り込んだ。

無力。
たたただ、無力だった。
こんなことを続けて、彼らのためになっているんだろうか。
苦しかった。

子どもは答えてくれないから。
評価をしてくれないから。

そもそも、毎日違う人が来るよりも、
同じお兄ちゃんお姉ちゃんが来たほうがいい
っていうのは、ホールアース自然学校の
経験則に基づくもので、
現場の子どもたちが発した「ニーズ」ではない。

「災害ボランティアセンター」は
「ニーズ」に対して「最高速で応える」ことを
ミッションとして運営されている。

そこでは、
「挙がってこないニーズ」は基本的に後回しにされる。

僕が中越地震の時、川口町で学んだこと。

ボランティアっていうのは、
「おそるおそる差し出すもの」だってこと。

おそるおそる差し出し、
相手の出方を観察し、
また改善して、
ふたたび差し出すこと。

そういうことなんだって。

なんか、それってさ、
ビジネスに似ているなって思った。

自信はないけど、仮説がちょっとだけあって、
それを検証するために、おそるおそる差し出してみる。

それって、
「自信を持っておススメします。」
って差し出されるよりも、
「コミュニケーションしよう」っていう意思が感じられるなあと思う。

だからさ。
「自分に自信がない」って、
顧客とコミュニケーションしようっていうビジネスにおいては
とても大切なことなのではないかと。

「やりたいことがわからない」
「自分に自信がない」

それはむしろ人生を送る上で必要なのではないか。
そんなふうに思ってきました。









大正大学地域実習21日目。
直江兼続ゆかりの坂戸城と八海山ロープウェーへ。

ちっぽけな自分をあらためて実感して、
次のステージに向かいます。  

Posted by ニシダタクジ at 08:49Comments(0)学び

2018年10月08日

「道」を歩むということ

「つなぎ道」を始めた佐藤孝治さんと
「道」について話して、感じたこと。

ああ、それは道なんだって。

そして、「道」ってなんだろう?って。

で、調べてみました。

https://wanodaigaku.com/genre03/know005/

~~~以下上記ブログから引用

「この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ。行けばわかるさ。」

古代中国で老子が語ったとされる「道(タオ)」以来、「道」という漢字は事物や世界、人生等の本質および本質に迫ろうとする生き方を意味するようになりました。

老子や荘子の思想を受け継ぐものを道家といい、その思想が宗教的に変遷したものが道教です。 この「道」という概念の影響を受けて、日本の古代宗教は「神道」となり、立花は「華道」に、茶の湯は「茶道」に変遷していきました。

「道」とはプロセス、過程のことをいいます。
例えば、お茶の道というものは、どこへ行く道なのかというと、茶というものを媒体にして、人生とか自然の悟りを得るための道なのです。
つまり、悟ろうとする努力の過程が「道」なのであって、悟ってしまったら、それはもう「道」ではなくなってしまいます。
したがって、日本における「道」の思想が、西洋の「術」と違うのは、未完の美に価値を置くところなのです。

(中略)

日本の「道」という発想から学ぶのは、技術ではなく、技術を通して、その裏にある「精神」、自然から学べる静かな心や精神状態、人間関係をスムーズに深くしていく心だと思います。
ですから、そこには発展や進歩という概念はありません。
西洋の芸術が、つねに新しいものを求めて発展進歩をよしとするのと、ここで根本的に異なっているのです。

~~~以上引用

「つなぎ道」が「道」だとすると、
それもまた技ではなくて「過程」のことであり、

「過程である」ということは、
「答えがない」と同義であり、

たどり着かないということであり、
人それぞれであるということ。
〇〇流っていうのが出てくるのかもしれない。

昨日は湯島のプログラミング教室「ソラ」
のプレゼンテーション大会にコメンテーターとして参加。



小学生、中学生が
自分が書いたプログラムを発表、実演する。
シューティングゲームや
植物育成ゲームを作ってみる。

ああ。
そうそう。

大切なことは、やってみることなんだなあって。
始める理由は「やったことがないから」でいいんだって。
そんな大切なことを思い出した。

そして、プログラミングもまた
「道」のようなものだなあって。
これでいいっていう終わりがない。

常にプロセスの中にいて、
その中で技術と自分を高めていくこと。
そういう繰り返し。

つなぎ道もそう。

佐藤孝治さんが目指すつなぎ道と
僕が目指すつなぎ道は違っていい。
僕は本屋で、「機会提供」をいちばん大切にするから。

「道」を歩む。
「未完の美」の中にいる。

多くの人がそんな生き方を欲しているのかもしれないなと思いました。

目指さないこと。
そもそもゴールなど無いのだから。

ただ、歩き始めればいい。
それだけなのかもしれないですね。  

Posted by ニシダタクジ at 06:42Comments(0)学び