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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2019年04月18日

ありえたかもしれない、もうひとつの近代


「NHK100分de名著 スピノザ『エチカ』」

2回目の読了。
読めば読むほどすごい。

そして、冒頭の見出し、
「ありえたかもしれない、もうひとうの近代」
というキャッチコピーが2回目にして、しっくりとくる。

西洋的近代とは、
二元論であり、わかりやすさであり、目標逆算型システムであり、、、

っていうのが
スタンダードで、それが時代にあっていないんじゃないか?
っていう話はたくさん出ているのだけど、
そもそもそのシステムっていうのはどこから始まったんだっけ?

っていうので、
当然、産業革命以来の社会システムの変化を挙げるのだけど。
そのシステムを作り上げた要因として、「デカルト的哲学」があったのだなあと。
その哲学が社会状況と見事に符合して、現在の社会の価値観、哲学、倫理ができていったのだなあと。

~~~ここから本文より引用

私たちがいま国家だと思っている、領域があって主権がある国家という形態は、17世紀半ばになって出てきたものです。

いわゆる近代科学もこの時期に出てくる。たとえばニュートンは17世紀後半に活躍した人です。その科学の支えであった近代哲学も同じ時期に現れました。17世紀は本当に現代というものを決定づけた重要な時代なのです。

私はその意味でこの世紀を、思想的なインフラを整備した時代と呼んでいます。たとえばデカルトは近代哲学の、ホッブスは近代政治思想のインフラを作った人です。そのインフラの上に、続く18世紀の思想が荘厳なアーキテクチャー、つまり建築物を築いていきます。たとえばカントの哲学やルソーの政治思想をそれにあたるものと考えることができるでしょう。

そうすると、17世紀はある意味で転換点であり、ある一つの思想的方向性が選択された時代だったと考えることができます。歴史に「もしも」はありえませんが、別の方向が選択されていた可能性もあったのではないかと考えることはできます。私の考えでは、スピノザはこの可能性を示す哲学なのです。それは「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」に他なりません。

~~~ここまで本文より引用

このあと、「真理」についてのデカルトとスピノザの比較があります。

「デカルトの真理観の特徴は、真理を、公的に人を説得するものとして位置づけているところです。真理は公的な精査に耐えうるものでなければならないわけです。私は考えている、考えているならば、その考えている私は存在している。と言われれば反論できない。」

「スピノザの考える真理は他人を説得するようなものではありません。そこでは真理と真理に向き合う人の関係だけが問題になっています。だから、真理が真理自身の規範であると言われるのです。いわば、真理に向き合えば、真理が真理であることは分かるということです。」

これさ、哲学は何のために、誰のためにあるのか?
っていう問いになっているな、と。

デカルトは誰をも説得することができる公的な真理を重んじました。実際はそこで目指されていたのはデカルト本人を説得することであったわけですが。それに対しスピノザの場合は、自分と真理の関係だけが問題にされています。自分がどうやって真理に触れ、どうやってそれを獲得し、どうやってその真理自身から真理性を告げ知らされるか、それを問題にしているのです。だから自分が獲得した真理で人を説得するとか反論を封じるとか、そういうことは全く気にしていないわけです。

「哲学」って生きるとは何か?という究極の問いに対する仮説にすぎないだと僕は思うのだけど、デカルトは、他者を説得するとか納得させるとか、何かのための哲学になっちゃってるんじゃないかと。これこそが、まさに近代社会との分岐点でしょ。近代工業社会にはデカルトのほうがめちゃめちゃマッチするのだけどね。

そして、この後、この本は(僕の中の)クライマックスへ向かう。

~~~ここから引用

私たちの考え方は強く近代科学に規定されています。私たちの思考のOSは近代科学的です。ですから、そのOSはスピノザ哲学をうまく走らせることはできないかもしれません。

これこそが私が「はじめに」で述べた、「頭の中でスピノザ哲学を作動させるためには、思考のOS自体を入れ替えなければならない」ということの意味に他なりません。

近代科学はデカルト的な方向で発展しました。その発展は貴重です。私たちは日々、その恩恵に与って生きています。そしてまた、公的に証明したり、エヴィデンスを提示することもとても大切です。それを否定するのは馬鹿げています。しかし、そのことを踏まえた上で、同時に、スピノザ哲学が善悪、本質、自由、そして能動をあのように定義した理由を考えていただきたいのです。

近代科学はとても大切です。ただ、それが扱える範囲はとても限られています。

フーコーの「主体の解釈学」。かつて真理は体験の対象であり、それにアクセスするためには主体の変容が必要とされていた。ある真理に到達するためには、主体が変容を遂げ、いわばレベルアップしなければならない。そのレベルアップを経てはじめてその真理に到達できる。

この考え方が変わったのは17世紀であり、フーコーはその転換点を「デカルト的契機」と呼んでいます。デカルト以降、真理は主体の変容を必要としない、単なる認識の対象になってしまったというのです。

フーコーはしかし、17世紀には一人例外がいて、それがスピノザだと言っています。スピノザには、真理の獲得のためには主体の変容が必要だという考え方が残っているというわけです。これは実に鋭い指摘です。

~~~ここまで引用

スピノザ、すげーなって。
僕が大学時代からいろいろ感じて、学んだことが
ダイジェストで説明されてくる感じ。

「場のチカラ」とか「チューニング」とか「リアルメディア」とか
めちゃめちゃスピノザ的だなあと思った。
そして、火曜日に小田原で後藤タツヤと話して、
熱海でとっくんと話して、さらにそれが確信を増した。

「機会提供」そのものの価値。
それを本屋の棚を通じて表現すること。

教育の最大の矛盾は、目的・目標をもって始めなければいけないこと。
そして評価を前提をしなければいけないこと。
でも、エンターテイメントの本質は予測不可能性にある、ということ

それはまさに近代(工業)社会と僕を含めた若者が感じている違和感の
ギャップそのものであるのだけど。

でもさ。
スピノザ的に言えば、本質は自分らしくありたいとする力(コナトゥス)であって、
人によって、真理は異なるだろうし、その真理の獲得のためには自らの変容が必要なわけですよ。

ってことはさ。
「機会提供」こそが、人を育てるんじゃないの?って。

その人がその「機会」によって、どうなるかっていうのは、
あまり重要じゃないというか、
むしろ、その機会提供によって、自らがどうなるか?
っていう問いのほうが大切なんじゃないのか?

「挑戦するな、実験しよう」

にいがたイナカレッジの連載で掲げたコピーの意味が、スピノザを読んだ今ならわかる。

去年の夏にこはるんが言ってた
「イナカレッジは自分を知るプログラムです」の意味が、今ならわかる。

そして僕が本屋をたくさん作ろうとしていることの意味も。

機会を提供したい。本棚で表現したいのは、なぜなのか?

実験するために。
実験し、自分なりの「真理」にたどりつくために。
そのたどり着く過程で、自らを変容させるために。

いや、ために、じゃないんだよ。

生きることそのものが、そのプロセスの中にただ、ある。
根源的欲求として、ただ存在するのだ。

本棚に刺さっている1冊の本。
1冊の本から実験の旅が始まる。

そんな本棚をつくりたいと心から思う。

あなたもそんな本棚をつくるひとりになりませんか?  

Posted by ニシダタクジ at 09:45Comments(0)日記

2019年04月09日

「問い」をもらう「場」としての「本屋」と「地域」

昨日のブログに書いた


「学校をつくり直す」(苫野一徳 河出新書)

からの

「ふるさとを元気にする仕事」(山崎亮 ちくまプリマー新書)

「探究」ってこういうことなんじゃないかとあらためて思った。
地方こそ、地域社会こそ、「探究」の宝庫だと。

僕の「探究」の入り口は、
2002年の中3不登校男子、シンタロウとの出会いだった。

そこから、
「生きる力」ってなんだろう?っていう問いが始まった。

ツルハシブックスの店に立っていたとき、
「やりたいことがわからない」「自分に自信がない」
と深刻に語る大学生を前にして、
「やりたいこと」とか「自信」ってそもそもなんだ?
働くってなんだろう?っていう問いが始まった。

30歳の時、社会科の教師になろうと思って、
玉川大学通信教育学部に3年次編入。
介護等体験も、2週間の教育実習もやったけど、
「自分のフィールドは学校そのものじゃない」と思って中退。

学校そのものじゃないというより、
何かを教えるようなスタンスじゃない、と思った。

2004年に「小説吉田松陰」(童門冬二 集英社文庫)に
出会い、野山獄エピソードに「これだ!」と直感。
以降、「学びあえば希望を生むことができる」
をコンセプトにしてきた。

そして、そのための「機会提供」を行うこと。

「機会提供」というコンセプトは、目的を持って始めないということ。
そしてそれは、「予測不可能性」を大切にするということだと最近になって気がついた。
今でも「暗やみ本屋ハックツ」のイベントに引き継がれている。
今でもたぶん、それは変わらないのだろうと思う。

本屋には、宝物が眠っている。
それは「探究」を駆動する何か、だ。
そしてそれは、「地域」にも、「地域の人」にも同じく眠っている。

「地域の課題解決」が叫ばれているが、
「解決」したいと心から思うのは、一般的「課題」じゃなくて、
具体的な誰かが困っていることだ。
それを解決することで楽しい未来が待っているようなこと。

それに出会えること。
それが「本屋」と「地域」の魅力だろうと思う。

「本」や「地域の人」に出会い、心が動くこと。
「衝撃」や「共感」だったり、「何とかしたい」と思うこと。
そこから「探究」が「学び」が駆動していく。

そういう場所をつくりたいんだ。

そんな学びを駆動させる1冊に
偶然にも出会える本屋を、一緒につくらないか?

「探究」を発動するような地域を、場を
一緒につくらないか?  

Posted by ニシダタクジ at 06:43Comments(0)日記かえるライブラリー

2019年03月18日

場という「おでん」の具として生きる

イナカレッジ・ラボ@東京・湯島でした。


午前中は
「beの肩書き」ワークショップを
40代のおじさん3人でやるという・・・
みんな人生、迷ってますね。笑

人生を物語として見たときに、
どう見えるか?
っていう鈴木さんが言っていたことが
印象的でした。

僕の中で出てきたキーワード。

本、問い、場、フラット、創造、コミュニケーション・デザイン、コミュニケーション・ツール、お客は誰か?、脱・自分、脱・二元論、いいかげん、目的に向かわない、機会提供、溶け出す、とかとか。

あとは「場づくり」の価値をどのように伝えるか?
っていう話。これは面白かった。

参加者の鈴木さんは
「鈴木さんって何をしたいのか、よくわからないですよね」
ってよく言われるらしい。
それって場づくりにとっては、むしろプラスなんじゃないか、と。

場の価値や目的を言語化できる、っていう場と
言語化できない場っていうのは、
どちらが価値があるのか?っていうジレンマ。
というか、価値があるのは言語化できない「場」なのではないか。

午後は、イナカレッジの井上有紀さんと
「挑戦するな実験しよう」をテーマに参加者とフリートーク。

「やってみる」こと、「ふりかえる」こと
「ふりかえる」ときに、
「目的」「目標」に沿って考えたことをふりかえるのか?
「顧客」「価値」について感じたことをふりかえるのか?
「予想できなかったよかったこと」は何か?

「適応する」ことは個体にとっては「本能」であって、「価値」そのものではない。
その個体が属する集団にとっては価値である可能性が高いけど。

予測不可能性というエンターテイメント性と
予測可能性という安全性・安心感

「何に囲まれるか?」という判断基準。
「感性」を磨いていくこと。「問い」を共有すること。
とまあ、こういう感じ。
この4日間の「就活の違和感」ウィークで思ったこと。

「二元論」でわかりやすくすること、とか
「自分」(っていう概念も二元論だと思うけど)っていう考え方が
苦しさの原因なのではないかと。

3月14日(木)の
「続・ゆっくり、いそげ」の夜でも、
本の中でも出てくるけど。

よい「場」っていうのは、
おでんのようなもので。

それぞれが、おでんに向かって
ある者(たとえば昆布)は多くダシを出して、
ある者(たとえば大根)は多くダシをもらって、
全体としてひとつのおでんができている。
ジャガイモはいつの間にか場(つゆ)に溶けている。

よい場っていうのは「おでん」のような場なのではないか。

個人を個人として考えるのではなく、
場の構成要素として、つまりおでんの具のひとつとして、
とらえてみること。

2003年に発売された
「13歳のハローワーク」(村上龍 幻冬舎)は
200万部を売り、子どもたちに呪いをかけた。
「プロフェッショナルになれ」という呪い。

一方で同じ年にリリースされた
「世界にひとつだけの花」(SMAP)は、
「ナンバーワンにならなくてもいい元々オンリーワンなのだから」

それは子どもたちを癒すのではなく、
よりいっそう、「何者かにならなければならない」
という呪縛につながった。

でも。
そもそも人はONEなのではないのではないか。
おでんの具のように、生きていけばいいのではないか。

場(つゆ)の中のひとつ(ひとり)として、
場とやり取りしながら、出番が来るまで、
役割を全うすることなのではないか。

そんなおでんの歌を、必要としているのかも。  

Posted by ニシダタクジ at 06:37Comments(0)日記

2019年03月15日

「おでん」のような「場」をつくり、「植物」を育てるように「事業」をつくる

クルミドコーヒー影山知明さんとの
「続・ゆっくり、いそげ」の夜。



「続・ゆっくり、いそげ」を読んでの
知の巨人、影山さんとのトーク。

キーワードは、「おでん」と「植物」かなあ。

~~~ひとまずメモ書き起こし。

おでんの中のジャガイモになる。最後はつゆに溶けてしまっている。でもたしかにじゃがいもはそこにいる。

小さなおでんをたくさんつくる、ということ。

「自分」ていうのと「二元論」みたいなやつが苦しさの源泉だと思う。

「共感できる」っていうのはビジョンや目標ではなくて、その人物に、心が、感性が反応するっていうこと。

「就活」とは限られた時間の中で内定を取るゲーム、つまりフレームワークだ、システムにおいて必要なのはそこに適応できる人。

違和感を感じる=創造のチャンス。

「何がしたいのか?」って問いが違うような気がするんですよね。

小さな植物を育てるようなプロジェクトをやってみる。育てながら、「顧客」はだれか?「価値」は何か?と問い続ける。

「リザルトパラダイム」⇒正解主義⇒論理的思考⇒わかりやすさ⇒効率的

「人の役に立つ」とか「役割を果たす」という呪縛はあるよね。自分の存在意義をそこに求めてしまう。
「自分とは?」とひとりの個人として問うのではなく、「価値とは?」「顧客とは?」を場として問うということ。

「身体がついていかない」っていうリアルを大切にしたい。それ、どうありたいか?に対する身体からのメッセージ。

「小さな植物を育てる」「小さなおでん鍋をつくる」っていうこと。

おでん×植物理論
人(具)は場(つゆ)によって活かされ、場は人によって生かされる。その「場」(土)から植物が育つように事業は展開していくことができないか。

「おでん」っていう「場」の良さは、時間軸があいまいになっていること。完成されないこと。終わりがないこと。いつからでも参加できること。
「続・ゆっくり、いそげ」の夜が旅をするとしたら、「カレーキャラバン」じゃなくて「おでんキャラバン」ですね。

「おいしいおでん」ができたとき。(プロセス上の一地点であって、「完成」ではない)その手柄は個人(具ひとつひとつ)にはなくて、「場」(具とつゆの集合体)にある。
そういうおでん的な関係を職場と結べるか?

植物、たとえば木であれば、大きさに限りがある。大きいもの(構造物)を作るには、ピラミッド型にするしかない。そうしてリザルトパラダイムが始まる。

~~~ここまでメモ

「おでん」のような「場」をつくれたら理想的だなあと思った。
それは、職場でも、飲み屋でも、本屋でも同じなのだけど。

積み重なる何かがダシとなり、「つゆ」ができる。
ジャガイモすでに溶けているのかもしれない。
新しい人が来たら、だんだんと味をなじませる。
もしかしたら、新しいおでん鍋をこしらえたほうがいいのかもしれない。

そんな「場」から生まれる、
というか、育てる「植物」のような事業、あるいはプロジェクト。

どんな種がまかれたか、
どんな土の状態なのか、
によって、育つ植物の樹形や根の張り方はかわってくる。

そんな風な、リザルトパラダイムではなく、
プロセスパラダイムにある事業、
あるいはプロジェクトに携わっていくこと。

そう考えると、教育っていう空間、
つまり学校空間そのものが
巨大なリザルトパラダイムの中にあるっていうのは
どういうことなのだろうなと思った。

学校・教育への違和感は究極そこに行くのかもしれないなと。

まあ、それも
「二元論」で語らないほうがいいのだろうと。

正しい間違っているとか
どっちがいいとか悪いとかではなくて、

それはそれとして、
適応していくのか、距離をおいていくのか。
そこを自らの判断でやっていくことなのだろうなと。

「違和感」を感じるからといって、
それは必ずしも排除すべきものではないのだと思う。

そんな「違和感」を組み合わせて、
新しいものが生まれる可能性がある。
つまり創造の種になることがあると思う。

僕は、「就活」という舞台を、
もっと創造的な場にしたいと思う。

面接が終わった時に、
「いま、話したことで、新たな事業のヒントが得られました」
みたいに人事担当者が言うような、就活。
創造的な就活。

「自動車をつくるように」ではなくて、
「植物を育てるように」、やってみること。

その予測不可能性と
ブリコラージュを楽しむこと。
そんな機会に触れることを
大学じゃなくて、高校、中学のときからやってみること。

リザルトパラダイム一色の教育を受けてきたのに、
急に、「未来はAIの登場によってわかりません」って
言われたら、それは困るよね。

学校教育はリザルトパラダイムの中で
目標設定・達成を行う場であるとしたら、
学校外の場、カリキュラムの外では
プロセスパラダイムでプロジェクトをつくっていくことを
やっていったらいいのではないかと思う。

それが、僕が考える「オルタナティブ就活」なのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 10:55Comments(0)日記

2019年02月27日

「委ねる」という「創造的脱力」

本屋であることの意味は「委ねられる」ことだと思った。



「続・ゆっくり、いそげ」に出てくるおでんの話が好きだ。
ダイコンも、昆布も、厚揚げも、
場(つゆ)に溶けているというか、
一部は活かされ、一部は貢献している。

その度合いは、場に委ねられている。

目的をもって始めないこと
課題を解決しないこと

は、若者と活動するときの重要なことだと
10月に気付いた。
「いま」を大切にすること。
「いま」を未来のための手段にしないこと。

「就活の違和感」の多くも、
そういうところに起因しているのではないか。

自らを「商品化」して売り込むこと。
そしてそれは「交換可能」であること。
常に「就職」というゴールに向かっていること。

そして何より、
「就活」のコミュニケーションがフラットではないこと。

フラットじゃないコミュニケーションからは
「創造」「学び」は生まれにくいこと。
だから、そのプロセスが楽しくないこと。

本屋は委ねる。
立ち飲み屋も委ねる。
ワークショップも委ねる。
僕はそういうのが好きなのだろうなと思った。

「委ねる」ことで、そこに「予測不可能性」が生まれて、
その「予測不可能性」の前で、人はフラットになる。

目標を持って、その達成に向けて進んでいる場合、
「予測不可能性」は排除すべき「ノイズ」でしかない。

タイトなスケジュールの中で、
そのゴールを達成しようとしている中で
失われていく「ノイズ」

http://hero.niiblo.jp/e488367.html
(18.11.7 挑戦するな、実験せよ)

に取り上げた本「情報生産者になる」で
上野千鶴子さんは、

「情報はノイズから生まれます。ノイズとは違和感、こだわり、疑問、ひっかかり・・・のことです。」

「情報とは、システムとシステムの境界に生まれます。複数のシステムの境界に立つ者が、いずれをもよりよく洞察することができるからです。」

と言う。

そうそう。
そこから「情報」が生まれ、「情報」から「創造」が生まれる。

そしてそれこそが「学ぶ楽しさ」
そのものなのではないかと思う。

だから、「委ねる」ことだと思う。

自分が目標を決めて進む「キャリアデザイン」ではなく、
流れに身を委ねてみる「キャリアドリフト」。
そこから感じた「ノイズ」をキャッチして、
次のステージへ進む。

たぶんそういうこと。

僕がつくりたいのは、
「委ねる」という「創造的脱力」

だから、アウトプットの形は、
本屋と立ち飲みとワークショップ含めた場のデザインになるのかもしれません。  

Posted by ニシダタクジ at 08:09Comments(0)日記

2019年02月22日

「ただいま」って言える場所

茨城大学iopラボ「場づくりラボ」スピンオフ
場づくり公務員と行くWagtail見学ツアーでした。







水戸市南町にあるコワーキングスペースWagtail。
ビジター500円で4時間というコワーキングスペース

http://www.wagtailmito.jp/

会員になると、イベントスペースも無料で使えるという
これ、近くにあったらいいなあと思える。

いちばんよかったのはハードが立体的だったこと。
もともと洋服屋さんだったところなので
フロアの仕切りがオープンになっていて、アイデアが浮かびそう。

そんな見学ツアーのあとで小泉さんのお話。

~~~以下メモ

創業・副業支援:社会保険料を1.5倍払ってね。
ワグテイル:公設(水戸市)民営(公社)

場にいない「場づくり」の難しさ

企業創業支援っていうマジの人だけに特化しない
やりたいけど、どうしようかなあという人に使ってもらう

畑をやる部活:ローカルならでは。
飲み会以外のコミュニケーションのデザイン。

「地域」と「行政」を結ぶ価値

場づくりは、結ぶこと
公務員=ジェネラリストが求められる。

最近は中途採用が増えている。
中途専門職員:公募しなくていい。

唯一の価値:なくなった。
「価値はなんだっけ?」と考え始めている。

水戸だけではおさまりきれない。
価値の考え方を再構築する。

働くと住むをもっと自由に。
好きなまちで仕事をしたい。
拠点=ただいまって言える場所。

~~~ここまでメモ

小泉さんのお話、おもしろかったなあ。
公務員っていう立場とか、自分のおかれている環境とかを
デザインしているなあと思った。

ワグテイルの仕組みも
公設民営っていうことでのイベントの自由度が
上がったりして、仕組みとして面白いなあと思った。

僕も「本屋のつくり方講座」をやろうと思います。
ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 07:22Comments(0)日記

2019年02月21日

「活性化」ってなに?


「インターンシップ・地域活動フォーラム」ににいがたイナカレッジチームと行ってきました。

~~~ひとまずメモ

「活性化ってなに?」っていう問いをまず考えないといけない。

イナカレッジ:地域と自分の価値探究コミュニティ

「価値は何か?」っていう問いを企業も地域も学生も自らに問いかけること
⇒自信ないけど表現する⇒価値を再発見する

自分×地域で価値観・暮らし方・仕事を学びあい、価値を探求する。

イナカレッジOB工藤くん

就職の非現実感と就活の拒絶感。
自分は何がしたいんだろう?

感情が揺れ動いていた。感情のプール。
地域の人とのかかわり→僕のことを認めてくれた。

自分が人生楽しく生きるためには何が必要なんだろう?
⇒関係性。認めてもらう、こと。

それだけでは生きられないけど、それがあれば生きられるもの。

米を売る:難しい⇒何もできねえよ。
米、水、土がどう違うのか?を説明した。

「学びのスタンス」の学びになった。

興味なかったものに対して、どう学んでいくか?
⇒だんだん面白くなっていった

イナカレッジの効果
・集落の人たちの会話ができた。
・お母さんや若い人の出番ができた。
・役場との距離が縮まった。
・こんなに大学生と仲良くなると思わなかった。

くろださんの感想
・生きてるっていいなって思えた。心の余裕ができた。

集落のおばあちゃんが「地域のためにできることはないか?」って聞いてきたのは、
「地域に来る大学生のために何かできることはないか?」っていう問いから始まっているのではないか。

イナカレッジ受け入れ地域の人の言葉。
「地域活性化」は、「起業」とか「商品開発」ではなく、世代をこえて笑いながら話ができること。
そうそう。「活性化」って結果じゃない。

・課題を解決しないこと
・目的をもってはじめないこと
価値は、地域と、その活動そのものの中にある。

地域の場づくりにとって必要な大学生による「前向きな空気ができる」
っていうのは福島白河・コミュニティカフェエマノンのときに思った「ベクトル感」のことじゃないかな。

~~~ここまでメモ。

あとはイナカレッジ金子さんが書いてきたペーパーがすごいので、
それはのちほど共有します。

イナカレッジってなんだろう?って。

地域の当事者を増やす。
それは中越地震の復興というフィールドからやってきた
イナカレッジの原点なのだと思う。

それは「地域づくり」(あえて使う)
にとっても同じことで、

そこに対して「大学生」というコミュニケーションツールを
投入することで、地域の当事者が増えていくということが
起こっているのだろうと思う。

「活性化」は
起業や商品開発のことではなくて笑いながら話ができること。

だと。
そうそう。
ひとりひとりがつくるひとりになること。

それを繰り返していくこと、なのかもしれません。  

Posted by ニシダタクジ at 14:01Comments(0)日記

2019年02月18日

劇場とサーカス

山田正史さん。
元ツルハシブックス「山田店長」。

現在は
「古本詩人ゆよん堂」店主。
ゆよん堂の由来は
中原中也の詩「サーカス」。

「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」
からだ。

詩をメインに取り扱う古本屋さん。

「生きるって何か?」
と問いかけてくる。

テーマは「サーカス」。
そして、「サーカス」と言えば、
道化師=クラウンの存在は欠かせない。

そういえば、僕の本屋としての出発点は
「ホスピタルクラウン」(大棟耕介 サンクチュアリ出版)
だったのだけど。


本屋は、サーカス小屋なのかもしれない。

そう思った。
僕はずっと劇場だと思っていたのだけど。
それはすごく瞬間的な切り取りなのかもしれない。

もう少し長いスパンというか、
そこで過ごす時間という切り口で切ってみると、
「サーカス」のようになるのではないか、と。
そしてそこに必要なのは道化師=クラウンの存在。

いかに相手を笑わせるか、
つまり、心を開かせるか、ということ。
そうやって、サーカスの会場の人たちが
観客から共演者に変わっていく。

いや、本屋というより、
世の中は巨大なサーカス小屋なのかもな。
サーカスを見に来ただけのお客と
いかに共演者になるのか。

「本屋」そのものがクラウンになるんじゃないか。
そうやって社会と、世の中と対話しようとしているのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 06:00Comments(0)日記

2019年02月11日

「明日から何やりますか?」







OMO Niigata vol2のプレゼンを見に行ってきました。

Q:OMOとは...?

A:”ジブンゴト”の問題意識を持ち、行政の縦割組織や民間との壁を越え、”本気で”課題解決に取り組むマインドを持った自治体職員のための官民協働プロジェクトです。「One for a Million. a Million for One」の頭文字を取って名付けられました。

だそうです。
2泊3日(合宿じゃないですけど)
で出てきたNPO立ち上げプランを聞くという場所でした。

印象に残ったプレゼンは
「救急救命士」を地域にひらくっていうプラン。

佐渡こそルイーダの酒場的に
技能をもった人たちとの出会いの場が必要だっていうプラン

「疎開」「防災」「地域間連携」というキーワードで
新潟のフィールドを使って関係人口を育むっていうプラン

「水の上貸します」ということで
新潟湊の水上で泊まったり、演劇やったり、お店やったり、っていうプラン

などなど。

審査員からの質疑応答も面白かった。

一番印象に残った質問が
「明日から何やりますか?」だった。

そっか。
それに答えられない事業は始まらないんだ、と。

これ、2月7日の支援者サミットの話に似てるなと。
http://hero.niiblo.jp/e488865.html
「伴奏型支援」(19.2.9)

出てきたアイデアに対して、
「明日から何やりますか?」
と問うことで、アクションにつながるのでは、と思った。

そしてもうひとつ、印象的だったこと。
「課題解決にフォーカスしすぎて、面白がることを忘れている」
という発言。

面白がれないと、仲間がやってこない。
それもやっぱり事業が始まらない。

たぶん、この2つなのだろうと思った。

課題に対して、どのように面白がれるか?
あるいは面白がることで、結果的に課題を解決できるか?

これって、とても大切なことなのだろうと思った。

クラウドファンディングの支援が集まる方法でもあるなと。

・面白がれるということ
・明日からやることが思い浮かぶということ

この2つはリンクしていると思うけどね。

あと、「疎開ツアーズ」チームの
プレゼンを聞いていて思ったこと。

「価値」をズラすっていうこと。
「関係人口」をどのように増やすか、ってずっとプランを考えていて、
疎開はコンテンツの1つに過ぎなかったのだけど、
発表当日の朝にそれを逆にして、疎開ツアーメインのプランになった。

キャッシュポイントをズラすっていうのはよく聞くのだけど、
「価値をズラす」っていうことも面白いなと。
事業価値をたくさんの人に知ってもらい、
結果、課題が解決するということになるのだろうなと思った。

関係人口を目的にしないで、
いざというときに備えるためのプラン。
特に自治体職員は、非常時には不眠不休の働きを
することになる可能性が高いので、このようなプランが有効なのだろうと思った。

結果、「関係人口」は増えるし、
子どもの教育上にとっても大きな学びがあるように思うし、
「第3の大人」にも出会えるなと。
そうやって価値をズラしていくこと。

そして、今回もあらためて思ったのは

たった1人の思いから始まる、
たった1人の問いから始まる、
ということ。

7日に水戸部さんがプレゼンしていたように、
個人のパーソナルな出来事、原体験にもっと迫ってもいいのではと思った。

・救急救命士の思い
・佐渡には魅力的な人がたくさんいるのだという思い
・新潟の海の魅力を引き出したいという思い
・東日本大震災の被災自治体の職員の声

そんなリアルから始まった事業・プレゼンには力があった。

そして。
もうひとつ考えたこと。

事業の始まりには、
「顧客」アプローチと「価値」アプローチ
があるのだと。

よくやられている「課題解決」っていうのは、
「価値アプローチ」であり、
その中でも、マイナスを0またはプラスにするので、
ワクワクが少ないのかもしれないなと。

そこで「面白がれるかどうか。」が重要になる。

「顧客」アプローチの中に、自らの過去を掘り、源泉を探す、みたいなのがあるのだろうと。
最初のお客が自分(過去の自分)であるっていうアプローチ、
もしくはリアルに出会った人がお客である、っていう2つのアプローチがある。

グランプリの「SEA JOINT」のプランは、個人のワクワクから始まっているし、
そんなことできたら楽しいだろうな~っていう面白がれる要素がたくさんあった。
新潟っぽかったし。港湾事務所とか役所の人のほうがつながりやすいだろうし。

たぶん、「顧客」アプローチ
の中でも自らを掘っていく、というのがあって、
それを事業化によって「価値」に変えていく。
(そのプロセスで「課題解決」も起こるかもしれない)

そしてその「価値」をみんなで面白がりながら
事業への参加・参画者が増えていく、という構図なのかなと思った。

順番としては、「顧客」アプローチ(過去・原体験を振り返る)があって、
そこに共感者が増えることで「価値」に変わっていき、
それを面白がれる編集を行って、
事業を行いながら、もういちど「顧客」に届いているか?を
検証していくというサイクルなのではないかなと思った。

「課題解決」から出発しないこと
おもしろがれる要素を作ること。

そして、審査員のこの質問に答えられること。

「明日から何やりますか?」  

Posted by ニシダタクジ at 07:11Comments(0)イベント日記

2019年02月09日

「伴奏型支援」

2月7日(木)@新潟県庁
「地域づくり支援者サミット」に出席してきました。

大正大学「地域実習」でご一緒した
柏崎まちづくりネットあいさの水戸部さんに注目していて、
そのプレゼンが聞きたかったので。

1 新潟空港でバス停までダッシュ 12:50
2 新潟駅で南口から万代口へダッシュ 13:25
3 新潟県庁で西回廊講堂へダッシュ13:45

で、なんとか水戸部さんのプレゼン2分前に会場入り。
受付してなくてすみません。





すごい人数でした。
まあ、3分の2は自治体の人でしたけど。
登壇者はフレッシュな人たちだったなあと。

柏崎の水戸部さん
糸魚川の屋村さん
川口の砂川さん
新鮮だったなあと。

たぶん、こっち系のイベントには
ヒーローズファーム始めてから行っていないから
10年以上ぶりになるのではないかな。
しばらく行かないうちに、自分が若手じゃなくなってた。(笑)

一番の感想は、特に上の3人みたいに
現場で体当たりでやってきた人たちの生の声って
めちゃめちゃ響くなあと。

実践者の声はリアリティが違うなと。
3人のお話を中心にメモ。

~~~ここからメモ

まちのプレイヤーを増やす。
キーワードは「欠落」と「有意味性」。

「欠落を抱えている人」を探す。
それをどう「欠落を補う人」に変えるか?

欠落を補う「有意味性」
「あなたはなぜそれをやらなければならないのか?」に対する答え。

有意味性とはなにか?
・過去に欠落や喜怒哀楽、得意不得意を見つけ、自己開示する
・なぜか?には理由があり、理由である原体験は模倣できない
そこから導かれる答えはあなたにしかないストーリーになる。
そこに有意味性を見つけること。

まちにプレイヤーが少ないこと

まち・社会とふれる機会が少ないこと

まちでの生き方の選択肢が少ないこと

⇒まちにふれて自分の生き方をふれる機会が必要

学校教育のインプットと社会で求められるアウトプットのギャップ
「協調性」「空気を読む力」⇒「独自性」「当たり前を疑う力」
「まんべんなく能力を伸ばすバランス型人材」⇒「特徴や個性のある特化型人材」
大きなギャップがある。

「チェンジメーカー」柏崎の中学生から大学生までの次代の担い手にソーシャルアントレプレナーシップを持ってもらうための教育プログラムを提供することで、柏崎の未来を担う起業家の発掘を目指すローカルプロジェクト。

「民間メンター」:地域の起業家の伴走型支援、
「社会とお金」:地域課題解決を事業化する方法、
「起業家精神」:感じたこと、考えたことから自主的・主体的に行動すること

↑ここまで柏崎まちづくりネットあいさの水戸部さんのプレゼンメモ。
めちゃめちゃ共感しました。
そういう「場」を地域でいかに作れるか、っていうこと。

そして、なんといっても、昨日の地域づくり支援者サミットの主演は、屋村さんでした。
面白かったし、プレゼンかっこよかった。
旦那さんの「スライド10枚以上残して終わる人なかなかいませんよ」
っていうコメントもさらによかった。笑

ということで、屋村さんプレゼンメモ

「波と母船」(糸魚川市木浦地域)
2018年春、長者温泉ゆとり館を引き継ぐ。

致しません。
地域起こし
地域活性化

そこに地域住民への思いやりはある?
若者に「あなたたちの地域は何もない」と言われたら悲しい。
「そのままの知恵、暮らし」を宝ものにするだけ。

地域・残し
「変えたほうがいい」と思っているものはありません。
「見方、見る方向が変わっているだけ」です。

今あるその暮らしを学んで、磨いて輝かせて
私たち世代から次世代に残してつないでいくだけ。
それがこの地域を「のこす」ことにつながると考えています。

★ここ、ホントそれ、って。
「地域」ってなに?

いままでの「地域づくり」は、
実体のない「地域」を支援してきたのではないか。
地域って、ひとりうひとりの暮らしの集合体だろうと。
ひとりひとりをリスペクトしているのかっていう問いに詰まってた。

「地域を置いてきぼりにしない」を学ぶ。
地域への説明の大切さ。

あとは、相談→解決の流れを繰り返す、という。
ブリコラージュの精神にあふれた、地域づくりのお手本のような事例だったなと。
相談して、地域の誰かが、いっちょやってやるか、
って立ち上がって、解決していった。すげーな。

プロセス(経過、順番)デザイン
進め方は慎重に。
誰の為に?何の為に?どうしてやるの?そこに愛はあるか?

・地域への思いやりがあって私たちの活動がある
・地域の思いを丁寧にくみ取ることをおろそかにしない
・進める順番、配慮、気付きを10個くらい考える
・地域でコトを動かすには「良いこと」「悪いこと」の判断ではなく筋の通し方で始まるか始まらないかが決まっていく。

★これ、リアル。実践から出てくる言葉で重い。
プレイヤーやったことないのに、中間支援ができるのか?っていう問いになってる。

「ぼちぼちたけだ」砂川さんのデザインも素敵だった。

・紙ベースで手書き。難しい漢字は使わない。
・コンビニでコピーできる「白黒A3サイズ」
・発行日を決めない。ネタが集まり次第発行
・なるべく手渡し
・ニヤリと笑えるネタや書き方を工夫。
・捨てられないように裏側はイラストマップ
・批判しない 傷つけない マイナスオーラ出さない
・集落情報だけでなく、地域や代表の関係性の情報も載せる。

7世帯の竹田集落に配る新聞「ぼちぼちたけだ」
7部だけすればいいという。
(増刷はコンビニですぐにできる)

いいなあ、この力の抜け具合。

~~~

現場のリアル。
それが詰まった、すてきな報告会だった。

それを踏まえて役所はどうするのか?
中間支援団体どうするのか?

みたいな会議だったのだけど。

メモにも書いたけど、屋村さんの言っていたことって
実際の現場飛び込んで、右往左往したからこそ
リアリティがあって、そうそう、そうそうって思えるのであって、

大学の先生や、コーディネーターや地域づくりの重鎮が
「筋を通すことが大事です」とか言われても、
そんなに響かないんだろうな。
「ひとり」や「ひとりひとり」にフォーカスしている重みがあるなあと感じた。

しばらく行かないうちに時代は変わったんだ。

地域づくりしたい。

コーディネーター養成講座に出て、

地域づくりワークショップを開催して、

付箋にアイデアだして、

「それいいね」と思うけど誰もやらない。

そんな時代の終わりを感じた。
(僕がそっちの業界に行かなかった理由です)

プレイヤーが飛び込んで、
地域とコミュニケーションしながら、
一緒に作っていくこと。

その「一緒につくる」の部分に、
「自分は支援者だ」と思っている人は入っていけない。
「支援・被支援の時代」の終わりを感じた。

誰が「つくる」のか?
支援者か、被支援者か?
その問いが存在している地域では
「つくる」ことは起こらないと思った。

もっと、今を、ライブに生きること。
ひとりひとりの人生に、暮らしに、フォーカスすること。

そしてやってみること。
相談すること。
発信すること。

そうやって、結果、つくられていく地域。
地域づくりは目的ではなく、結果なんだなと。

そんな方法論を、
「伴奏型支援」と名付けられないだろうか。

こういうレポートタイプのブログは、
ツイッターでメモを起こして、
そのあとからそれを眺めながら記事を書いていくのだけど、

パソコンやスマホでメモを打っていると
「誤変換」されることがたまにある。

水戸部さんのプレゼンに出てくる、
「伴走型支援」と打とうとして、
「伴奏型支援」に変換された。

えっ。
いいじゃん。伴奏型支援。
ジャズのような、即興音楽のような、
そういう「場」を地域に作っていく人。

もちろん自分自身もひとつの楽器になり、
そこに加わっているという。

それって、
どっちが支援されているんですか?みたいな。

そういう「場」をつくっていくような
地域づくりが始まっていく、
そんな予感のしたフォーラムでした。

楽しかった。  

Posted by ニシダタクジ at 06:39Comments(0)日記

2019年02月06日

大学‐地域連携のホンモノ化

タイミングよく、まちとしごと総合研究所@京都のスタッフ募集の説明会に。





始まりましたっ
えっ
カレー?





はい。
最初のプログラムはカレーを食べるところから。
参加費1000円の中に含まれています。笑



そして東さんと三木さんのトーク。
面白かったなあ。

~~~以下メモ

大学、行政、企業、地域のあいだ。
ひとりじゃできないことをみんなでやろう。

多くの人がまちに関わる起点をつくる。
対話・着想→実験・研究→事業化

福岡カレー部。
カフェめぐり。
好きなことを追求していくと仲間が増えていく。

ファシリテーションは後継ぎ、フードロス、学校教育をテーマに、
講座は、local to local、クリエイティブ、創業みたいなテーマで。
やりたいことある人とプロジェクトやりたい。

三木俊和さんの原点。
先生って何だよ??
っていう問い。
違和感から出発してる。

叩かれて、反発する。
当たり前だったことが当たり前じゃなくなっていく。
その変人は大事なことを言ってる人かもしれない。
その人を最初に応援する人になる。

市民活動センターが事務所貸し、会議室貸しになっていないか。
そうであるなら、ビル管理会社に委託したほうがいいよね。
でもそれって地域の人のためになるの?

まちの公共空間をアイデアとコンセプトで次へ。
市民活動センターをリデザインして、コミュニティ・ラーニング・センターにする。
変わり続ける人のためのインフラになる。

インフラっていう言葉も、ハードだけの意味合いじゃなくて、ソフトが起こる、とか、ソフトが循環する仕組み、みたいな意味合いで使われてくるのかもしれない。

コミュニティ・ラーニング・センター
新しいことを知る、出会いがある。「循環」こそがインフラ

高齢者ふれあいサロン
ゆっくり過ごそう→イキイキ過ごそう
なんでも与えるのではなくて、作ってもらう。
「まごころおにぎりプロジェクト」

まちの担い手づくりを次へ。
窓口に来てくれてから始まる。→人こない。
まちうけるセンターから出向くセンターへ。
そのために大学連携。学生と一緒に地域に入っていく。

大学がやる地域連携より、地域がやる大学連携の方が学生にとって学びがあるのではないか。
地域のほうが主導したほうがいい。

大学のプログラムは学生の失敗(の機会)奪っているのではないか。
「うまくいかないことがあるんだ!」っていう気づき。
若者に挑戦し、失敗する権利を返してあげる。

・大学ー地域連携のホンモノ化。
・SDGsが上辺になっていないか。
・大学は本当に行ったほうがいいのか?
・専門系高校の復権
・ビジコンとか、大人用のインフラを厳しくしたのを若者に出してないか?
・私たちは育むことを委ねすぎた。

ハコ×デザイン×コーディネーター×地域
コーディネーター=人って大事だな、と改めて。
昨日だって、崇仁の藤尾さん、人を見に来てたというか、感じに来ていたんだもんなあ。
そうやって、「だれとやるか?」を大切にすることからひとりひとりを大切にするまちづくりが始まるのではないかな、と。

ダイバーシティ×シチズンシップ「ダイバーシチズンセンター」
広い意味でのダイバーシティが試されている。

大学×地域のホンモノ化

体験型プログラムを超えていく。
教育機関が主体となったプログラムでできるのか?
地域側の覚悟が必要なんじゃないか?
単位なしの課外活動であること。

「群れるな散れ」
→得意なことが違うから会った時のネタが新鮮。
接触頻度が多いことそのものに価値があるわけじゃない。
「まちづくり」キーワードなさまざまなことがジャンルが違うことで、受けられるかもしれない。

まちごと総研の東&三木、すてきなチームだなと。
やりたい!っていうポジティブな人→東さん
困っている!なんとかしたいっていう人→三木さん
っていう両方からできる。

大学生が地域にかかわることのメリット。
→「瞬間的な熱量」がすごい。

~~~ここまでメモ。

キーワード的にヒットしたのは、

・コーディネーターの人としての魅力
・人の「多様性」
・インフラ=循環

あたりでしょうか。

そして何よりも、三木さんのラストにお話されていた
「大学‐地域連携のホンモノ化」というメッセージ。

ホンモノ化ってことは、
ホンモノじゃないプログラムがめちゃめちゃあるってことですよね。

三木さんが言っていた
「大学側が主導権とるのではなくて、地域側が主導権とる」
っていう。

大学がやる地域連携と
地域がやる大学連携と
全然違うなと。

やってることは学生が地域に出て何かやっているのだけど。
本当は、そのど真ん中に「協働」プロジェクトをつくっていく、
っていうことなのだろうなと。

そしてここにも、
クルミドコーヒー影山さんのいう、
「リザルトパラダイム」の影響がめちゃめちゃあるなあと。

大学のプログラム(単位あり)の場合、アウトプット(目的)を定め、
そこに向かって(最短距離で)いくようにプログラムが設計される。

そこで、落とされていくもの。
目的と違う地域で感じたもの。
学生、地域の人ひとりひとりの「存在」。

それが、
大学の地域連携を「ニセモノ」にしているんじゃないのか。

「課題解決策を考え、提案すること、プラン作り」
が目的になるあまり、
地域の人も、自分たちも置き去りになっていないか。
そのプロセスが軽視されていないか。
そんな問いがあった。

三木さんが学生の価値は、
「瞬間的な熱量」ですって言っていたけど、
それ、それ、って。

それを引き出すには、
大学が差し出すカリキュラムではなかなか難しいのかもなあと。

僕はインターン事業やっていたとき、
学生の価値は、
「イノセンス(いい意味の無知)」と「行動力」だと思っていたけど、
「瞬間的な熱量」っていうのもまさにそれだなあと。

冷え切った鉄に熱をかけて、
変形していくような瞬間的な熱量が発生する時がある。

それを発生させるのが場のチカラであると思っていて、
その場のチカラを高めるのは、本のある空間だと思っている。

だから今、僕は本屋という手法をとっているのではないかなあと。

あらためて自分を確認した説明会となりました。
東さん、三木さん、ありがとうございました。
次回は現場にお邪魔しますっ。  

Posted by ニシダタクジ at 09:16Comments(0)日記

2019年01月24日

「一期一会」を演出するチューニング・ファシリテーション

茨城大学・iopラボのための「場づくりラボ」vol.4(18年度最終回)でした。

水戸駅から茨城大学行きのバスが貸切。
水戸駅からひとりも乗らず、下りず、終点につきました。
チャーター便感覚でタクシーより贅沢でした。笑







瞬間最大で14名くらい、延べ人数で22名がインフォメーションラウンジにやってきました




ヘビーユーザーな1,2年生に
いろいろ感想をもらったのだけど、
それはまた明日にでも書くとして。

昨日のまとめを。

前半はお茶を飲みながら、「キーワード・カフェ」
(明秀日立の永井さんの差し入れ)
vol.3から始めたワークショップ手法。

今回は、
前の時間に別件の打ち合わせをしていた2年生を巻き込み、
キーワードで話をする。

やり方は
1 付箋に個人が気になるキーワードを書き出す(3~5個くらい)
2 いったん無言で全員の付箋を見渡す。(3分くらい)
3 ひとりずつが気になるキーワードを選び、その人に説明してもらう
4 フリートーク

これが初対面には有効だなあとあらためて。
参加学生の感想。

・初対面の人同士でこんなに長く話し合えるツールがあるのがすごいと思った。
残ってるキーワードについてももっと話したいと思いました。

・しゃべらないとわからない人の内側にある興味を知ることができた。
知らない人との共通点をすぐに見つけることができる。
自らの知識や視野が広がる。くだらない話もできて楽しい。

・一見、どうでもよさそうなキーワードでも、その人にとっては興味のあるもので、話を聞いてみると、結構面白いものだった。
新しい発見ができた。

・自由なテーマだったので、色々なことを話せて、初対面の人とも楽しくお話しできたのでよかった
もっと規模を大きくしたいと思いました。

・自分の中で何が気になるのか考えることで自分の興味の移り変わりを客観視することができたと思う。
目を引くような書き方をするのも大切だと思う。一般的に見えるものでも話を聞いてみると面白いと思えた。
予測不可能性が場をつくる。

と。
なかなかいい時間になったようで。



前半終わりに、「解説」の時間を入れた。
場づくりラボ、今回のテーマは「チューニング」。

場のチカラを定義して
1 誰と
2 いつ
3 どこで
4 なぜ
5 誰のために
6 何を
7 どのように

の1~3が場のチカラを構成していて、
1~7が合わさるとプロジェクトになる。

その説明をして、
いかに1~3の場のチカラを高めるか、
ということで、「チューニング」の話をする。

「チューニング」とは、音合わせのこと。
今日この人が、あるいは自分がどんな音を出しているのか?
に注意を配るということ。

「チューニング」の前に、「心を開く」が必要で、
「心を開く」ためには「予測不可能性」というキーワードが重要になる。

たとえば、最初に、
「最近あったよかったこと」を言うのもそうだ。
そんなこと考えてなかったので、即興で考える。
その時にフワッと心が開く。

「キーワード・カフェ」は、
そのちょっと時間をかけるバージョンだと。
知らない人と仲良くなれる手法として、有効だなあと思った。

自分の書いた付箋が指名されると、
ちょっとうれし恥ずかしいみたいな微妙な感情になる。
あれもまたいいなと。

後半は、茨城新聞を使ったまわしよみ新聞をやってみた。

こちらは開発者の陸奥賢さんに直伝されたのだけど、
こんな感じでいいのかなと。

あらためてやってみると、
キーワード・カフェに近いものがあるなあと思った。

自分の関心のある新聞を切り抜き、
それをなぜ切り抜いたか、プレゼンテーションする。

まわしよみ新聞が優れているのは、
新聞がネタを提供してくれるということと
話題の予測不可能性はさらに高まるということだろうか。

「キーワードカフェ」がいいのは、
個人が話したいけど、話す機会があまりないことを
キーワードによって表現して、
それを指名してもらうことで、話ができるということ。



そして、振り返り。
全4回の場づくりラボを振り返る。
藤川くんが言っていた言葉が印象的だった。

場づくりにおいて、自分は場所(空間)が一番大事だと思ってきたけど、
それは安心感という意味で非常に重要で、
その上に、誰とやるか、いつやるか、というのが
毎回変わっていくので、それによって、場が変化していく。
そのあいだに、創造性があるのではないか、というような趣旨だったと思う。

たしかに、場所の安心感は重要だと思う。
椅子とかもめちゃめちゃ大事だ。
それは安定して高めておいて、
その上で「チューニング」によって、

1 誰と
2 いつ

というのを合わせて(高めて)いくのかもしれないと思った。

誰と、いつ
こそがその空間の「一期一会」性を高めていく。

そういうことを演出する
「チューニング・ファシリテーション」なのだと
あらためて思った。

さて、「チューニング・ファシリテーター」として、
次はどのように展開しようかな。

場づくりラボのまとめはまた次回に。  

Posted by ニシダタクジ at 08:55Comments(0)日記

2019年01月20日

本屋元年

あのNHKまでが「平成最後の」とか言っていて、ちょっとビックリする。
「平成最後の」にどれほどの価値があるのか。

そして、新聞や他メディアでは、
新しい元号はなんだろう?みたいな。
そんな問いでいいのか?

僕だったら、来たるべき新しい元号になる1年を
どんなふうにしたいのか?
「あなたの〇〇元年を教えてください。」
みたいな問いのほうがいいんじゃないかなと思う。

ウチノ食堂藤蔵での
野呂さん山田さんとのトークを思い出して、
そんなことを思った。

2019年、日本は新しい元号になる。
どんな元号になったとしても、元年になる。
平成元年(昭和64年)だったみたいに、
〇〇元年(平成31年)になるのだ。

1月1日から
クラウドファンディングを開始している。
「バンド組もうぜ」みたいに「本屋やろうぜ」、と。
「本屋元年」にしようじゃないか、と。

2018年12月25日。
ウェブマガジン「温度」に「2018年のあなたを表す1冊」
の2人目として紹介された。



http://ondo-books.com/rensai/1335

取り上げたのは、
宮島達男「芸術論」(アートダイバー)

この夏、能登・七尾にいった帰りに、金沢に寄って谷内くんに再会して、
そのあとに21世紀美術館にいったら、カウンターはすさまじい行列で
レアンドロのプールを上から見て帰ろうと思ったところで
ミュージアムショップで目にとまって、購入。

~~~以下、ウェブマガジン「温度」より引用

「元来、アートは職業になじまない。職業とは誰かのニーズがあり、それに応えて初めて成立するものだ。ところが、アートには他者のニーズがなく、自らの思いをカタチにするだけだから、そもそも職業とはなり得ない。(中略)私は、アーティストは自分の生活を自分で支え、なお、自らの思いを納得するまでカタチにし、他者に伝える人間だと考えている。こう考えていけば、アーティストとは職業ではなく、むしろ生き方になってくる。アーティストという生き方を選べば、じつはもっと自由になる。」(本文より引用)

「アート」を「本棚」に「アーティスト」を「本屋」に替えても、同じだろうな、と。
「本屋」っていうのはたぶんそういうことなんだ。

7月、アルプスブックキャンプの前日、長野・伊那のとある本屋さんがこんなことを言っていた。

「本屋」っていうのは「本の一時預かり」のことだ。誰かのためにこの本をキープしなきゃ、と思うから本を仕入れ、誰かが買ってくれるのを待つ。それがいつなのかわからないけど。

素敵だなあと思った。誰かのためにこの本をキープしなきゃと思える本に出会う瞬間を思い浮かべた。

僕にとって、「本屋」は、「予測不可能性」にあふれた、「委ねられる」場である、ということ。目的とか目標とかではなくて、どうなるかわからない、というその不確実性が魅力であること。そこには、「手紙」のような何かが詰まっている。僕は心こめて、祈りを本に託すのだけど、その祈りが届くかどうかは読んだ本人に委ねられていること。

それを繰り返していく「場」が僕にとっての本屋なのだろうと思う。
1冊1冊の本の中に、目に見えない手紙を差し込んで、それが届く日、読まれる日を祈りながら、本を並べる。

「本棚には他者のニーズがなく、自らの思いをカタチにするだけだから、そもそも職業とはなり得ない。」
僕にとって、本屋というのは、きっとそういうこと。
本屋という生き方を選べば、じつはもっと自由になる。

~~~ここまで引用

「本棚には他者のニーズがなく、自らの思いをカタチにするだけだから、そもそも職業とはなり得ない。」

そうなんだよ。
木曜日のイベントの時に思ったキーワードは、「つくる」と「届ける」だった。

「つくる」と「届ける」の近さは、この一節にも現れているし、
それは本屋にこそ、あるのではないかと思う。



この本棚は、僕がつくった(並べた)。
ここに「クリエイティブ」はあるだろうか?
一方で確かに、僕は「届けたい」と思いながら、本を並べた。

「つくる」と「届ける」。
そのあいだに、本棚があるように思う。
つくり手と受け手のコミュニケーションのあいだに、
本棚があるように思う。

そんな本棚をつくる人のことを、
「本屋」と呼んでいいのではないかと僕は思う。
もちろん、本以外のものを、そこにおいてもいいのだけど。

職業になるか、ならないか。
というのは、実はあまり重要ではないのではないか。

本屋という生き方を選べば、じつはもっと自由になる。

本屋元年。

2019年がいろんな人の「本屋元年」に
なったら楽しいなあと思った。  

Posted by ニシダタクジ at 08:04Comments(0)日記

2019年01月09日

あの時の自分が直感を優先してくれたから、今がある

「かえるライブラリー」のクラウドファンディングが進行中。
https://camp-fire.jp/projects/view/117607

冒頭の文章にも書いたけど、
「一緒に旅に出る仲間を探しています」
がコンセプト。

支援する、とか、支援されるとかじゃない。

「この船に一緒に乗らないか?」
っていう、そういうお誘い。



原さんの大学生の時の赤裸々なエピソードが苦しい。胸がキュッとする。
きっとたくさんの大学生が同じような状況にあるのではないかと思う。

結果、原さんはいま、
「暗やみ本屋ハックツ」のリーダーをしている。

そして、
タイトルの一言。

あの時の自分が直感を優先してくれたから、今がある。

これ、ホント、そうだよね。

昨年12月、
まきどき村の米づくりのトークイベントと
ツルハシブックス&まきどき村忘年会合宿
あの2つを経て、ようやく元気になったなあと。

サラリーマンを退職するっていうのは
精神的に結構つらいことなんだな、って
元気になってから初めて体感した。

20年前の今頃。
畑を探していた。

「4月から畑をやる。」
それだけが決まっていた。

正直、怖かったのだけど、
「畑をやらないと生きられない」
これが僕の直感だった。

たぶんそれは、今となっては唐澤くんとトークしたみたいに、
「営み」の中にあることに価値を感じていたのかもしれないし、
「働くこと」より「暮らし」のほうを大切にしていたのかもしれない。
(平日の夜に日帰り温泉に行ける幸せを噛みしめていた)

「あの時の自分が直感を優先してくれたから、今がある。」

まあ、それは、僕にも当てはまることで、
そのほかの人生なんてないんだけど、
僕も、あの時の自分が直感を優先してよかったな、と思える。



僕は畑だったけど、
原さんみたいに、本屋にいってみようかな、から始まる本や人との出会いが、
感性を揺さぶり、その直感を優先してみることで、何かが動いていく。

そういう「動き」が始まる場をつくりたいなあと思う。  

Posted by ニシダタクジ at 09:32Comments(0)日記

2018年12月29日

キーワードで振り返る2018

キーワードによるチューニング
ってあるなあと思った。

先週の茨城大学の場づくりラボだったり
その前日のイナカレッジ・ラボだったり。

「それはどうしてそのキーワードなのか?」
って聞いたりすると、
距離がグッと近くなる気がしました。

自分が選んだキーワードに
ヒットしてもらえるとうれしいし、ね。
3人とかでやっても面白いかもなあと。
「キーワード・カフェ」っていうコンテンツにもなるなあと。

結局本屋さんとか「本の処方箋」でやってたことって
会話からキーワード拾って、
そういうキーワードならこういう本
みたいなことですよね。

ということで。
キーワードで振り返る2018

1月、津屋崎で「かえるライブラリー」というネーミングが下りてきて、
2月、ふとしたときに、「未来食堂」のただめしシステムの応用で「かえる券」が降ってきて、
かえるライブラリー構想にいたり、6月に津屋崎でキックオフしてから
12月に実現するという流れ。

そのあいだにも、退職があったり、イナカレッジがあったり、
若松さんと仕掛けた場づくりラボとチームひきだしがあったり、
秋には大正大学実習講師があったり、と。
考える1年でした。
休学して、遊学してました、みたいな感じ。

春頃のキーワードはひたすらに「承認」と「他者評価」でした。

昨年秋以来のいろんな人のヒアリングを経て、
「承認」と「評価」について考えていました。

他者からの評価という呪縛からいかに逃れるか。
「他者評価の檻から自分を脱出させる方法」
っていうのをやってました。

夏頃出てきたのは
「やりたいことがわからないの社会学」
っていうもの。

やりたいことがわかることはどれほどの価値があるのか?
を現代社会的に解析したもの。

あとは春に出会ったとやまゆかさんが面白くて、
彼女の発言の研究をしていたこと。
「東京はどんどん狭くなる」
「時代の変化に対して無であることは大切」
武道家みたいな人だと思った。

夏のイナカレッジを経て
「場のチカラ」を解明したことが大きかったなあと。

場のチカラとは何か?
なぜ、プロジェクトへのモチベーションが下がるのか。
なぜチューニングが必要なのか。
ふりかえりを効果的にする方法は何か?
本質的なエンターテイメントは「予測不可能性」ではないか。

そんなことを考えてました。

そして冬。
「フラットである」ということについて考えています。

とある応募書類を書いていて、
「得意なことは?」

と突然聞かれて、出てきたのが、
「フラットな関係性をつくるコミュニケーション・デザイン」
だった。

ああ。
それ!って。
自分で書いていてビックリした。

コミュニケーションデザインっていうのは
前から得意だなあと思っていたけど、
その意図は、フラットな関係性をつくる、っていうこと。

そして、その「フラット」の意味だ。

通常は
「フラットな関係」というのは、
「上下関係のない」と同義語である。

しかし、これからは、
時間軸、未来軸での「フラット」な時代になる。

予測不可能な未来。価値が流動している現在。

その中で、未来に対して、チームひとりひとりはフラットである。
知識や経験はアドバンテージにならない、「ネタ」程度にすぎない。
むしろ、そこに縛られるマイナスの影響もあるかもしれない。

だから、高校生や大学生の声に耳を傾けないといけないし、
場のチカラを高めていかないといけないんだなと。

最近聞いたからかもしれないけど、
「東京には未来があるからつらい」
っていうのが印象に残っているなあと。

新潟の田舎の山奥の限界集落には未来がない。
だからこそ、今が即未来になっていく。

それかもしれない。
いま、いかに生きるか。
それを問われている時代なのだ。

熱海のとっくんと話していて思ったのは、
「未来」っていうのは産業革命のときに発明されたのだということ。

「未来のために」
人は学校で勉強し、工場で働き、給与労働者になって、貯金をした。
たぶんそれが必要だったんだろうな。
国家を強化していくためには。

それが近代だった。
そこからどう次の展開になっていくのか。

2019年はきっとその先を考える実験の年になる。

ラストは11月に見た松江・宍道湖の夕日です。
  

Posted by ニシダタクジ at 07:48Comments(0)日記

2018年12月13日

「問いが近い」ということ

最近のキーワード。

「場のデザイン」
「参加とケア」
「承認と自己肯定感」
「営みと暮らし」
「関係性のアート」
「境界を溶かす」
「余白と未分化」
「脱力とイノベーション」

これを曼荼羅にしてみたらいいのかもしれないね。
これ、全部つながっているよなあ。

たぶんそういうキーワードにヒットする人っていうのは、
「問いが近い」っていうことなのだろうと思う。

そして、「問いが近い」人と話すのは楽しいし、
それはジェネレーションギャップを超えられる。

たぶん。
そういうこと。

おじさんの説教話を聞いて、
まったくそこに何も感じないのは、
そこに問いが無いからではないだろうか。

ということは、コミュニケーションの本質としては、
「同じ問いを見つめる」っていうことになるのかもしれない。

それは1対1の対話でも
チームでの対話でも同じだろう。

「チームに一体感が無い」のは、
同じ問いを見つめていないから。

そして、
そもそも同じ問いを見つめていない人と
チームは組めないのではないのか。

だから、問いが近い人とチームを組んで、
何かを始めてみること。

たぶん、目的・目標が明確ではない
ふわっとしたプロジェクトのほうがそういう人が
集まりやすいのかもしれない。

にいがたイナカレッジってきっと、そういうやつ。  

Posted by ニシダタクジ at 06:34Comments(0)日記

2018年12月09日

地域の暮らしに「伴走」する

「営み」というキーワード。
「場のチカラ」研究の上では重要な言葉だなと。

「にいがたイナカレッジ」の価値の独自性を考える。

キーワードは
「場のチカラ」「働き方と暮らし方」「営み」「伴走」

そして、「創造的脱力」(若新雄純さんによる)かな。

1 「創造的脱力」プロジェクトである、ということ。

若新雄純さんの「創造的脱力」(光文社新書)
によると、「創造的破壊から、創造的脱力へ。」
http://hero.niiblo.jp/e488462.html
「ラボ」というゆるさと強さ(18.11.26)

ここから引用する。

~~~以下引用
「JK課は、あくまで実験的なプロジェクトで、政策の本流じゃないですから」といった調子で、「ゆるいプラン」であることを強調しました。その結果多くの人が気軽に参加できる環境ができ、活動に広がりが生まれています。

「とりあえず楽しもう」「やりながらちょっとずつ良くしていけばいいじゃないか」という適度な脱力感が、「白か黒か」「成功か失敗か」という過度な緊張感を遠ざけ、すぐには結果の見えない実験的なプロジェクトに粘り強さをもたらしています。

「脱力」は「無力」ではありません。そして、それは「不真面目」でもありません。

「こういうのもあっていいんじゃないですか?」とか、「まずは実験してみよう」といって、本流ではないところで、周辺からアクションしてみる。既存のシステムや勢力を直接には攻撃してしまわない離れたところから、でも、ちゃんと見えるところから、それをやりたいという当事者たちが集まって、真面目に考え、小さくてもいいから、何かが変化するような振り切った実験を、真剣にやってみるのです。

失敗したならやり直せばいいし、もしうまくいったらなら、どんどん増やしたりひろげたりすればいい。

すると、そこに人や情報がどんどん流れてきて、いつかは本流にすり替わったりするかもしれません。

もちろん、新しい支流や一つの文化になるだけでもいい。これが僕の考える、「創造的破壊」ならぬ「創造的脱力」です。

~~~以上引用

詳しくは上記ブログか本書を読んでもらいたいのだけど、
これ、まさに大学に必要な考え方なのではないのか、と。

大学での本流なるためには、あまりにもハードルが高く、
「正しいことをしたかったら偉くなれ」(by踊る大捜査線)
の世界が広がっている。

「価値観の多様化」ならぬ
「価値の流動化」が起こっている現在において、

大学が、文科省が、あるいは経産省が定めた「価値」
に向かっていく人も多数派でいてもよいが、
そうじゃない価値を志向する人も許容されるというか
「当然、多数派じゃない人もいるよね」と思っていいはずだ。

よく言われることだけど、
学生は2-6-2で分かれる。

優秀な学生2割
普通の学生6割
どちらでもない学生2割

「就活」で困るのは実は真ん中の6割の学生だという。
だから、その6割にどうアプローチし、カリキュラムを提供するのか、
ということになる。

でも、その発想って、
「優秀さ」という画一的な「価値」における序列なわけで、
そもそも画一的価値が溶け出しているのだから、
その発想自体が時代遅れ感があるよね。

トップ2割じゃなくて、
その企画にヒットする20/100が来ている、だけなんだよね。

そういう意味では、
「にいがたイナカレjッジ」は脱力系プロジェクトの代表例でもあると思う。

2018年の修了生のひとりが言っていた。
「大学にいるときは、部活・サークルの繰り返しで、全く余裕がなかった。
この集落での暮らしでは、朝起きたら、「今日、朝ごはんどうしようかな。」と言って、
3人で塩おにぎりときゅうりの漬物とトマトと食べた。
そんな日々を送ったら、心に余裕が生まれた」

その「余裕」や「ゆるさ」や「余白」から、創造力が生まれてくるのではないか。

という仮説を検証するプロジェクトだ。

2 「場のチカラ」を活かすプロジェクトである、ということ。

場のチカラの構成要素は
1 誰とやるか
2 いつやるか
3 どこでやるか

であり、これに
4 なぜやるか
5 誰のためにやるか
6 何をやるか
7 どのようにやるか

を足すとプロジェクトになる。

「にいがたイナカレッジ」では、
「誰とやるか」を大切にする。
それはチューニングと呼ばれる方法だ。

ひとりひとりの過去を振り返り、
自分たちがなぜ、ここにいるのかを考える。

日々のミーティングでは、
「最近あったよかったこと」から始まり、
「ミーティングの場の感想」を言う。
そうやって「誰と」の「誰」を知っていくのだ。

2 いつやるか
3 どこでやるか

は、まさに活動する地域の状況と
自分たちの問題意識、時代背景などを
すべて要素に入れながら、場のチカラを高めていくのだ。

誰かが設計したプロジェクトに
「機能」として組み込まれるのではなくて、
自らがプロジェクト設計に参加・参画することで、
そのプロジェクトが自分自身のものになると考えている。

3 「地域暮らしに伴走する」動的なプロジェクトである、ということ。

にいがたイナカレッジでは、地域(集落)の中で寝泊まりをして、
そこでの「暮らし」そのものを実践できる。「期間限定の住民」になる。

地域には「営み」がある。

「営み」とは、「暮らし」よりももう少し大きな体系の概念であり、
自然の流れや、その地域で育まれた歴史を含んでいる。

その「営み」の中で、
自らが価値だと感じるものをカタチにしていく。

2018年夏の例だと、
日々の暮らしの豊かさを伝えたいので、日誌風の冊子をつくったり、
集落の人たちと一緒につくりたいし、たくさん来てもらいたいので
写真展を開催したり、というアウトプットになった。

「価値」は常に流動している。

誰とやるか、いつやるか、どこでやるかの場のチカラ3要素によって大きく変わる。
そしてそれは、地域側も同じだ。大きな「営み」の中で、地域は動いている。

スピードは違うけど、お互いに動いているものの接点を探り、
そこに価値を見つけ、アウトプットをつくっていく。

言ってみれば、地域の暮らしに「伴走」する動的なプロジェクトであるということだ。

3つの要素をまとめていうと、

「にいがたイナカレッジ」は、
「場のチカラ」を高めて、地域の暮らしに伴走しながら
その接点上に「価値」を見つけアウトプットする、
脱力系のプロジェクトである。

っていうことになるかな。

まとまってます?  

Posted by ニシダタクジ at 07:46Comments(0)日記

2018年12月07日

「場のチカラ」でひとりにフォーカスすること

イナカレッジ修了生との対話。
キーワードだらけ、なのでメモ残しておく。

~~~ここからメモ

楽しくない未来をイメージして、そこに計画を立てることにどんな価値があるのか。

東京には「未来」があるから、今を楽しめないのかもしれない

木沢は「未来」が描けない限界集落だからこそ、今を楽しめるのかもしれない。

「未来」と「今」が一体化している、という強さがあるな、そういう田舎には。

大学4年の春に就職決めて、就職までの1年間で気が変わらない自信が無かった。

「挑戦」には「主語(たとえば私)」と「意志」と「未来」が存在する。だから「成功」と「失敗」に一喜一憂してしまう。「実験」には「状況」と「結果」しか存在しないからこそ、「結果」をドライに俯瞰して見れる。もっと自分を実験用試料にしたらよいと思う。

地域の、集落の未来のビジョンではなく、「今」を大切にすること。そうすると、今いるひとりひとりが大切になってくる。

~~~ここまでメモ

「場」のチカラと「挑戦」とか「実験」とか
リンクしているんだなと。

そして、ひとりひとりのケアができるのは、
場のチカラを重視するからではないか。

人は、場のチカラの手段になったほうが
心地よくそこに居られるのではないか。

「未来」とか「意志」とか、「挑戦」とか「自分」とかが無い世界。

木沢にはそういうのがあるのかもしれないね。  

Posted by ニシダタクジ at 06:53Comments(0)日記

2018年11月30日

「プログラム」「プロジェクト」を外から見る

とある大学生の卒論の一環で、
イナカレッジ修了生へのインタビューをしています。
これがめちゃめちゃ面白いのです。

「イナカレッジとは何か?」
を考える上で、たくさんのヒントをもらっています。

「キャリアデザイン」とか、
「適職」思想とか、
「ロールモデル」とか、

もはや違和感だらけなんだな、って感想。

「やりたいことは何か?」っていう質問に対して、
職業名で答えることを強要されるキャリア教育って
ホントにおかしいなと思う。

「公務員」とか「研究職」
って手段であって、目的ではないでしょうって。

そうじゃなくて、
人生をいかに経営していくか?

顧客は誰で、提供する価値は何なのか?
どういうことを自分は大切にしていきたいのか?

そんな問いにあふれて、
自分なりの現時点での回答を探す、
それがイナカレッジなのかもしれないなあと思いました。

昨日、新潟大学の2人にインタビューをして、
イナカレッジで得たもの。

ひとりは「大切にしたいものを思い出させてくれた」
家族や身近な人たちを大切にしたいって
高校生まで思っていたのに、大学生になって、
目の前のことがいっぱいで、それを忘れていた。
イナカレッジの現場で、家族を大切にしている
人の話を聞いて、それを思い出させてもらった、と。

もうひとりは、「心の余裕が生まれた。」
バイト、サークルで忙しい日々から1か月離れて、
朝ごはん何にしよっか?って考えて、
自分たちが提供するものは何で、そこにどんな価値があるのか?
って問いかけられたこと、と。

だから、いまも3年生だけど、「就活」以外のことも考えられるようになったと。
「就職」は目的ではなくて、手段なんだと思えたこと。

なるほど。
2人にとって、イナカレッジというプログラムは
大きかったのだなあと実感。

そして、大学がやっているプログラムと、
イナカレッジの違いについて話が進んだ。

大学が行うプログラム・プロジェクトに3つほど
関わっているのだけど、そこでは役割が最初から想定されている。

たとえば、
「地域産品を発信する」「伝統文化を継承する」
など。

そのために、大学生ができることを考え、実践していく。
地域プログラム、地域プロジェクトはだいたいそのようになっている。

そうすると何が起こるか?
「発信する」というゴールが見えているから、
地域のフィールドをそのように切り取る。

彼女は、イナカレッジへの参加以降、
それを相対化(外から見る、メタ的に見る)することができるようになったのだという。

つまり、地域資源に出会ったときに、
違う活用方法があるのではないか?
と考えるようになった。

いや、そもそも、目的をもって地域を切り取る場合、
その目的に関わらない要素は「ノイズ」として、
地域資源とは認識されない。

たとえるならば、実験器具であるビーカーの中に、
大学生は素材として、あるいは触媒として放り込まれる。
その中での挙動は、あらかじめ期待されている。
もちろん、実験だから予想外のことは起こるのだけど、
それはプログラム・プロジェクト上は「ノイズ」になる。

しかし、そもそも、
その「ノイズ」にこそ価値はあるのではないか。

上野千鶴子さんが「情報生産者になる」(ちくま新書)

の中で、

「情報はノイズから生まれます。ノイズとは違和感、こだわり、疑問、ひっかかり・・・のことです。」

「情報とは、システムとシステムの境界に生まれます。複数のシステムの境界に立つ者が、いずれをもよりよく洞察することができるからです。」

参考:
「挑戦」するな、「実験」せよ(18.11.7)
http://hero.niiblo.jp/e488367.html

と言っているがまさにそれなんじゃないか。

つまり、ビーカーの外から見てみる。
「プログラム・プロジェクトはビーカーの中の話に過ぎない。」
と思えるかどうか。

それってなかなか難しいのかもしれない。
学校教育という巨大なビーカー(システム)の中で、
期待される挙動を演じて、それを演じることによって評価されてきた。

そのシステムを外から見る、
っていうのはなかなかできない。

「イナカレッジ」の1ヶ月は「暮らし」の中にある
暮らしというのは、ノイズだらけだ。
そして何より、プロジェクト自体を自分たちで再構築しなければならない。

7 どのようにやるか
6 なにをやるか
5 誰のためにやるか
4 なぜやるか
3 どこでやるか
2 いつやるか
1 誰とやるか

これがプロジェクトの7要素なのだけど、
特にこの中の4と5、なぜやるか、誰のためにやるかを
一緒にやるメンバーと、また地域の人たちと
話し合って、合意していかなければならない。

火曜日にインタビューした
長岡の大学生も、3人だからこそ、
地域の人たちのニーズだけではなく、
自分たちが感じた価値に向かって制作物を作れた。
と言っていたが、

まさにそのような問いがあるのだ。

つまり、
イナカレッジはビーカーそのものを自分で作ることができる、
ということだ。

それって、めちゃめちゃ大切なことなんじゃないのか。

与えられたビーカーの中で
期待されるような挙動をするのではなくて、

ビーカーを外から見て、
ああ、自分はそうやって作用しているんだなあと
俯瞰してみる。

そしてビーカーの外やビーカーとビーカーの
あいだにある素材を見つけ、次のビーカーをつくり、入れてみる。

それを繰り返してできていく何か。
残っていく何か。

それこそが地域にとっての、そして世の中にとっての
「価値」そのものなのではないか。

そしてそれを作っていく経験こそが、
価値が流動する時代に生きていくための
「生きる力」なのではないだろうか。

ひとまず3人のインタビューを終えて、
アウトプットしてみたくなったので書いてみました。

写真は、出雲崎海チーム(通称)の写真展の1コマ。

  

Posted by ニシダタクジ at 09:12Comments(0)日記

2018年11月24日

対話の場をデザインする

昨日のつづき。

「就活」を学びあいに変える。

その第1歩は、「チームひきだし」のような、
「対話の場のデザイン」であると思う。

昨日、若松代表が書いていたけど、
「学びあい」は、フラットな関係性を必要としている。

お互いが学ぶ者という同志になること。
そこが必要だ。

そのフラットな関係性をつくるために、
「チューニング」をするのだ。

チューニングの要点は、
心を開き、「対話」の準備をすること。

「対話」の場に降りていくことをデザインすること。

そして
「対話」を始めること。

http://hero.niiblo.jp/e462090.html
(大学生は「場のチカラ」に貢献する 15.1.29)

http://hero.niiblo.jp/e462144.html
(未来は対話による会議から創られる 15.1.30)

http://hero.niiblo.jp/e462198.html
(ラボラトリーだという自覚 15.1.31)

キーワードからこのあたりを読み直す。

「対話」をデザインすることで、
フラットな関係性が生まれ、
そこから「学びあい」が起こり、
そこから新しいものが生まれる。

たぶん、「チームひきだしが目指すものはそういうことなのかもしれない。
ラボという場のデザインも同じだ。

この会社の魅力は何か?
っていうお題があることで、
学生同士に共通の問いが生まれた。
対話が始まった。

学生の意見を聞いて、採用活動を改めて見つめなおす。
そこから学生と採用担当者との対話が始まった。

まず、対話の場をデザインすること。

対話の場とフラットな関係性と学びあいを
ぐるぐるさせて、場のチカラを高めていくこと。

アウトプットはそういうところから生まれていくのだっていう仮説。

写真は
新潟→茨城ドライブのワンショット。

  

Posted by ニシダタクジ at 07:23Comments(0)日記