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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2019年09月23日

「承認欲求」の自覚と学びあいのデザイン

ひろのアートキャンプ。
91名の方に本をハックツしてもらいました!
ふたば未来高校で活動しているカタリバのスタッフ内海さん加藤さんも、
「結のはじまり」の古谷さんも来てくれました。

ふたば未来高校の見学と発表会と
周りの方々のお話から、いろいろ感じたことをつぶやいているのだけど、
そのまとめ。

~~~ここからつぶやき

「学ぶ」とは、価値を問い続ける、ということ。

「承認欲求」の存在に気づくこと。
「地域」とか「探究」とかいう前に、そういう授業をやったほうがいいのかもしれない。

ふりかえり方法は3つ
「メタ化して学びにフォーカスすること」
「深掘りして個人の感情にフォーカスすること」
「地域にとっての価値にフォーカスすること」

答えを持っている大人からは、もう何も学べない時代に入ったのではないか。

承認を得られるのはプロジェクトの結果が出たときではなく、思ったことが言え、それを受け止めてもらった時。

親和的承認を得るためには評価を受けることではなく、愛を受けること。
向かい合うことではなく、同じ方向を見つめること。

ティーチングでもコーチングでもなく、チューニングという方法。

承認欲求が満たされないのは、第1に家庭環境と地域コミュニティの弱体化、第2に学校教育により承認欲求が評価欲求にズラされていること、第3に質的にではなく、量的な分かりやすさを志向する資本主義社会のため。

ふるさと創りびと。
で創造という同じ方向を見つめること。
自分たちが思う価値に向かって進むこと。
他者からの評価を超えて自ら評価すること。
それは同時に承認欲求を満たすのではないか。

なぜ、自分はこのプロジェクトを始めたのか?
それは事後的に分かる。
決して事前には全部分からない。
そのなぜ?に出会うためにプロジェクトがあると言ってもいい。
その予測不可能性がプロジェクトをやる意味なのだと思う。

~~~ここまでつぶやき

少し近づいた、そんな感じがした。
「答えを持っている大人」がそれを教える、
みたいなスタイルで、学びはもう成立しないんじゃないか。

高校生と同じ位置に立ち、
彼らの発する音に耳を集中させ、
共に価値を生んでいくような、
そんな時間をつくっていくこと。

「価値」はあらかじめ決まっていない、ということ。
地域や大人や先生からの「評価」は、価値ではあるけど、
価値のすべてではないということ。

「価値」はいま、この瞬間に生まれていて、
常に流動していること。

そのスタートラインに立つ前に、
あるいは、立ってからも、自らの承認欲求の存在に気づくこと。
「承認」欲求を「他者からの評価」欲求にすり替えないこと。

自ら価値を設計・設定すること。
価値をこの瞬間、一緒に探っていける大人とプロジェクトを組むこと。

「地域」で「探究」ってそういうことなんじゃないか。
答えのない時代に突入しているんですよね。

高校生がプロジェクトで何を学んだか?じゃない。
その活動のプロセスで、大人は何を感じたのか?
どんな価値を見出したのか?
関係者全員で、その価値を探し、見つけ、つかんでいくこと。

そんな設計をしなきゃいけない。

だから、チューニングなのかもしれない。
「場のチカラ」なのかもしれない。
ティーチングでもコーチングでもないチューニング。

みんなの音を合わせて、
ひとつの曲を生んでいくような、そんな設計。

それをデザインしたいと強く思った。  

Posted by ニシダタクジ at 07:08Comments(0)日記

2019年09月21日

チーム「自分たち」に「地域」というプレイヤーを含めていく


ふたば未来学園高等学校


NPOカタリバが関わる「ふたば未来ラボ」にお邪魔しました。


全面黒板で場所の説明


スタッフ紹介。「好きなこと」とか書くの大事。


高校生も運営に参画するカフェふぅ


高校生が淹れたウィンナーコーヒー320円

っていうことで、楽しんできました。

なんというか、学校の中なのに
「第3の場」っていう感じ。

カフェとして使っている大人も高校生もいれば、
21日の発表会のためのミーティングをしている高校生もいれば、
大学生スタッフと談笑している高校生もいれば。

カフェ自体は
一般社団法人たんぽぽ(校長が代表理事)が運営。

カタリバのコミュニケーションデザインとしては、
やっぱりプロフィールと顔写真を載せて、名札をしているところが
徹底しているなと思った。
ニックネームも書いてあるし。
スタッフは毎月更新してもいいのかもしれない。

ふたば未来は総合高校なので、いろんなコースを選び、
授業で地元産品を利用したお菓子づくりを行っているという。

そしてカフェチームはカフェをやってみたい
っていう生徒が授業後の16:00~18:00で運営。(火・木は17:00~)

そうやって「自分」と「地域」の重なるところに
「プロジェクト」をつくっていけたらいいなと思った。

「地域」ってそういうためにあるんじゃないか。

「地域」や「まち」を主語にして語らない。
「自分たち」を主語にして語る。
しかしその「たち」の中に、「地域」や「まち」が含まれているような、
そんなプロジェクトをつくっていけないだろうか。

「自分」にフォーカスしすぎなんだ。

自分のやりたいことは?
自分の強みは?
本当の自分はどこに?

そんな問いを忘れてしまうような
プロジェクトに出会うこと。
それには「地域」が必要なのではないか。

分断。

個人は分断された。
地域も分断された。
おそらくそれは社会の要請だった。

「最後の市場」がそこにあったのではないか。

参考:家電を売るために「夢を持て」?
http://hero.niiblo.jp/e346221.html

人々は自分にフォーカスするようになった。
自分にフォーカスすると、他者と比べるようになる。

・これが足りない。
・ここが劣っている。
・いつまでたってもこれができない。

そこに市場が生まれた。
「夢」「キャリア」「資格」「進学」「美容」「健康」。

作り出された「ニーズ」。
コンプレックスを解消するために消費を重ねる。

自分らしい人生を生きるために。
女性を美しくするために。
80過ぎて人に迷惑をかけないように。

そんな自分へのフォーカスをズラすことができないだろうか?
自分にフォーカスするから比較が始まり、コンプレックスが生まれるのだ。

「地域」を取り戻す。
いや、地域よりも小さい範囲の「自分たち」を取り戻すこと。

「自分たち」はこの瞬間、この顧客にとってのこの価値を追いかけていく。
そこに没頭していくこと。
「自分」ではなく、プロジェクトの先にフォーカスしていくこと。

そしてそのうち、チーム「自分たち」の中に、「地域」というプレイヤーを含めていくこと。
それが、アイデンティティ・クライシス時代を生きていくひとつの方法論なのではないか。

チーム「自分たち」への出発点として、
双葉みらい学園の中にある未来ラボやカフェのような、
「機会」と「場」が機能していけばいいなと思った。  

Posted by ニシダタクジ at 06:21Comments(0)日記

2019年09月14日

戻ってもいいと思える場所

川田さん研修2日目。

~~~研修メモ

公営塾:「様々な体験」「地域の大人」「大学生」「社会人」「様々な知識/情報」のハブになる。

1 地元意識の変化:「地域」ではなく「人」
阿賀町のためにはがんばれないが、集落のためだったらがんばれる。
「阿賀町のため」にを「誰かのために」に替えていく。
主語を「地域」ではなく「人」にしなきゃいけない。
⇒接点をつくる=「人」に会う必要がある。

短期的効果
・帰る場所が増える
・関係者が増える
⇒精神的につながっている人が阿賀町にいる。
⇒「公営塾プロジェクト」は高校生・出身者とふるさとをつなげる「人との接点」をつくる

長期的効果
「思いもしないことばかり起こる人生だったし、今もそうだけど、私は阿賀町に縁があったことをすごく誇りに思います。大人になって色々な世界を知ってどこへでも飛び出していけるだろうけど、私は阿賀町に戻ってくるために生きるつもりで勉強を頑張ります。戻ってもいいと思える場所を見つけられたことが宝物です。」(卒業生の言葉)

ふるさととつながりながら、社会に対して武器を身につける。

学力の3要素ピラミッド「知識・技能」⇒「思考力・判断力・表現力」⇒「主体性・多様性・協働性」

地域課題・素材の学習活用+地域との接点
⇒地元意識の変化、思考/表現力の向上、進路実現の材料

「大人の姿勢」:ポジティブ or ネガティブ

・身近な人を見ていると仕事をすることが本当につらそうなので、
そういうことになるのを避けるために、ゆっくり仕事を考えたい
⇒親がネガティブな発信をしている。

子どもの変化から大人の変化へ
大人の変化から地域の変化へ

地元意識の変化⇒「地域」ではなく「人」⇒大人の変化が町の活気へ⇒地域学習の可能性

現在⇒未来:求められる学力が変わる。
知識から正解を素早く出すこと
⇒知識を土台に
・解決すべき課題を発見する力
・協働により課題解決の道すじを切り拓く力
⇒学力の3要素ピラミッド

源泉:学び続ける意志

「学習意欲の変化」
要因:環境とキャリア意識

人を変えるのは?(ライザップ方式)
×決意
○環境:「時間配分」「付き合う人を変える」

勉強のライザップになる。
時間ベースで勉強時間を記録していくこと
120分/日やれば⇒結果が出る。

変化の心理モデル
「学習の絶対量が増える」→小さな結果が出る→結果に対する感情が生まれる→チャレンジ精神が生まれる→「やればできた」(挑戦意欲・低)→挑戦回数が増える→未知なことと戦う武器が増える→「やればできる」(挑戦意欲・高)→テスト/進路/目標に当事者意識が伴い自主的に思考行動する→自走する

⇒授業がその場でわかるようになる
⇒自己肯定感が醸成される。自信/承認/優越感/自己表現
⇒学習意欲

環境が変わる
→小さな結果が出る
→自己肯定感が育まれる
→学習意欲が変化する

キャリア:職業を選ぶこと?
「職業」で選ぶ⇒「価値観」で選ぶ

知識+体験→価値観→今/将来

映像による追体験(情熱大陸・7ルール・プロフェッショナル)

幸福感=価値観
→判断基準:人の笑顔
→環境要因:観光系の接客業
ホテル?

ロールモデル
→コミュニケーションがうまい、外国語で会話ができる、知識が豊富
職業イメージ:ビジネスホテル=× 高級ホテル/旅館=○

理想の自分像のイメージ化
→「高級旅館の女将さん」「外国人に日本流のおもてなしを」「人の笑顔のための仕事をし、人の笑顔で幸せをいただく」

「ロールモデルになるには?」
1 コミュニケーションがうまい→生徒会
2 外国語で会話ができる→英語
3 知識が豊富→国語/日本史
→納得して勉強を開始する→勉強時間が増える→観光が学べる外国語学部へ進学
→観光/日本文化/外国語の勉強/接客業のバイト
→ロールモデルに近づく
→目的意識ある4年間の大学生活
→主体的な学びの姿勢・故郷の観光面で貢献

1「未来の自分/なりたい自分」と2「今の自分」と
3GAPの把握

4危機感からのGAP対策5授業姿勢 5目的意識の変化(受動→能動)
6行動の変化→結果の変化7理想の自分の実現
キャリア意識が変わる→今の時間に意味を見出す→目的意識が生まれる→学習意欲が変化する

~~~ここまで研修メモ

この2日間の最大の価値は、
地域活動と学習意欲
キャリア意識と学習意欲
の接続のイメージができたことかな。

1期目の信頼関係づくりと営業するときの武器を手に入れること。
それを踏まえて2期目はPBLや地域との関わりのきっかけをつくる。
そして「教育留学」「生徒数の増加」へとつなげていくこと。

川田さんのビジョンでは未来フォーラムの有料化など、
「教育資源」と「観光資源」のミックスによる教育のまちとしてのブランド化、
までがストーリーで書いてあったのだけど、そんなこともできるなあと。

研修後、ランチ中に、「幸福感=価値観」の話を聞いたけど、
それには「判断基準」と「環境要因」があって、
たとえば、「お風呂が気持ちいい」っていったときに、
それには「リラックス」っていう判断基準があって、
リラックスできるのならお風呂じゃない方法でもいいのか?
っていう問いができたりする。

この前のかき氷の振り返りでも、
リーダーの3年生の志向性は
リーダーシップではなく、チームワークだった。

そんなことが地域活動の振り返りによって芽が出てくるのだなあと。
たぶん、キャリア意識のほうも、プロフェッショナルなどの動画を見ての
感情の動きをキャッチしてそれを深掘りしていくことで、
本人の志向性が見えてくるのだと思う。

学習意欲をどう上げるか?
これは公営塾にとっての最大のテーマである。

それを地域活動やキャリア意識からつなげて考えること。
コーチングを活用していくこと。

たぶん、そっからだな。と。

「ふるさと」とは、
全力で創造的行為を行い、そのうちいくつかを達成した場所のこと。
その一つに、(学校の)学習があること。
たぶんそこが「黎明学舎」の使命だろうと思う。  

Posted by ニシダタクジ at 09:08Comments(0)日記

2019年09月13日

地域活動を学びのモチベーションにつなげる

「黎明学舎」前塾長の川田さんが来てくれて2日間の研修。
1日目は現状と課題の確認。

~~~以下メモ

・親との関係について
勉強しているのか?不安⇒学習時間の見える化をする
⇒ニュースレターの発行(月謝袋にいれる)と学習時間、コメントの記入

「教科指導」
「学ぶ力」

信頼関係構築⇒計画サポート⇒遂行サポート

双方向性と存在の承認

ゲーミフィケーション:4つのタイプ


引用:雲の上に音符あり。
http://cloudscore.blog.jp/archives/10329753.html

コーチング:


引用:ArayZ アレイズ
https://arayz.com/columns/coaching_201811/

年間計画⇔週刊計画
必達目標と努力目標

問題≠課題:「課題」を明確にすること

★コーチングの時間、人、ツールを決めること。
・2人でやる面談もあり

ゴールに納得していること。
⇒ギャップの共有

「原体験」と「追体験」
知識+体験⇒価値観の形成⇒ゴールの設定

ロールモデル
↑(ギャップ)⇒危機感からのギャップ対策⇒目的意識⇒行動の変化、結果の変化⇒理想の自分
今の自分

問いかけ。
×足りないものは何か?
○何を武器にして近づけると思う?

英語が得意:外国人と接する仕事、たとえばホテルフロントとかになりたい。
⇒ホテルフロントになったら、何が必要になる?
「サムライってなに」とか「近所のお寺」のこととか聞かれる
⇒現代文と日本史も必要になるよね?

価値観と体験を結びつけること:追体験が必要

価値観・幸福感が
「判断基準」からくるのか?
「環境」からくるのか?
⇒自分の軸をつくっていく。

「感情」の解像度を上げていくこと。
⇒未来につながるまで深掘りしていく。

イベント後に対話の場を設定すること。
面談⇒作戦会議

「自分を知る」プロセスを入れることで、
地域活動を学びのモチベーションに変える。

~~~ここまでメモ

それそれ。
いまから取り組もうとしている
「学習指導からコーチングへ」と「地域活動からの学習への接続」
という2つの課題に対して、ヒントが多かった。

地域活動のふりかえりを
どのように本人たちにフィードバックするのか?
そのために、ふりかえりをひとりずつ真剣に聞く必要があるなと思った。
場合によっては、人を分担して見ていくことも考えないといけない。

多くの人は、「自分」を知らない。

まあ、「自分」を全部知る必要なんてない
というか、知ることは不可能だ。
その瞬間瞬間の分人を他者化して見ることなのかもしれない。
そうした集合体が自分なのだと。

その分人を深く掘り下げてみること。
それは他者の仕事、スタッフの役割なのかもしれない。
あるいは、それを生徒たちが相互にやれるようになったら素晴らしい。

いい感じ。
2日目は1期目3年の取り組みのふりかえりを
聞いて、今後の見通しを考えます。

よろしくお願いします!  

Posted by ニシダタクジ at 07:43Comments(0)日記

2019年09月12日

「予測不可能性」と「創造的脱力」

神奈川大学経営学部山岡ゼミの3年生のゼミ合宿が阿賀町に来てくれました。





黎明学舎の説明と、僕のヒストリーを話しました。





そして狐の嫁入り屋敷へ移動して観光協会の新發田さんから教育体験旅行の話を聞きました。
僕自身が聞きたかったことなので、めちゃめちゃ質問してしまった。

僕は、
まきどき村やツルハシブックスの取り組みのことなどを話した後に
黎明学舎のコンセプトである「ふるさと創りびと」の説明と、
この前のかき氷の新聞と、今後の見通しの話をしました。

大学生の感想で一番心に残ったのは、
「ふるさと」を創るのは、全力で行う創造的行為なのだけど、
それは「誰か」と一緒にやるからふるさとになるのではないか、と。

たしかに、そうだなと。
ともに創造的行為を行う誰かの存在。
それは決定的に必要なのだろうと思う。

~~~以下感想シートよりメモ

話を聞いて「ふるさと」をつくるという新しい発想を得ることができたなと感じました。私は地元を「ふるさと」と思ったことがなく、なんとなく「ふるさと」というものにあこがれを持っていたのですが、それを今後つくることも可能であるということが知れてよかったです。また、「創造的破壊」と「創造的脱力」というアプローチの仕方の種類を知り、創造的脱力のとりあえずやってみようという精神がとても魅力的であるなと思いました。最近はどうしても何かを始める際にはメリットのことを考えてしまい自分のやりたいことをとりあえずやるということができにくくなっているなかで改めて創造的脱力というものの重要性を感じました。私にはまだ明確な「やりたいこと」が見つけられていないのですが、大学生になって多様な人々と関わることの大切さを知ったので、今後も様々な人と関わっていき、そのなかで自分の「やりたいこと」を見つけていきたいなと自分をふりかえることができました。

阿賀黎明高校魅力化プロジェクトは、阿賀の自然、土地だからこそ出来ることを授業化し、クリエイティブな体験を通じて外から阿賀でその経験をすることで西田さんのように新潟・阿賀が自分のふるさとだと感じられる人を取り込むきっかけになると思いました。田舎の高校にあえて来ることは本当に少ないと思うので、阿賀の土地だからできることを強みに外から呼び込み、定着する機会を増やすことが大切だと思いました。自然のあるまち、人柄がやっぱりふるさとを感じる場にはあると思うので住民同士の触れ合いは大切だと改めて思いました。私の地元をふるさとだと感じるのは方言を含めて人柄が一番大きいと感じています。関東の人と比べると人柄が違うなと感じてしまうのでこの小さなまちこそこの強みがあると思いました。土地柄を生かした高校を作り人を呼び込んでほしいと思います。進学率とは逆になりますが、農学科みたいにして特色ある授業を沢山して土地を生かせればなと思いました。もしここでクリエイティブな体験が地域の温かい人とできれば、もし外へ一度出てもふるさとはここだと思ってくれると思います。お忙しい中、ありがとうございました。

・「人生は経営」「楽しさは予測不可能から」「店員ではなく劇団員だと思う」「創造的破壊と創造的脱力」にとても興味深いと感じた。

・「顧客はだれか?」「価値は何か?」や、ふるさとの定義についてグループメンバーで話し合うことができ、いろんな考え方を学ぶことができた。

・最初に西田さんの行っている活動を聞いた時に、変わった経歴をもった方だったのでどのようなお話を聞くことができるのか想像できなかった。しかし、こまでの西田さんのキャリアを重ねて、今の黎明学舎の取り組みにつながっていることがわかった。町がつくった公営塾がふるさとをつくるということにつながるのは面白いなと思った。今は自分が住む場所をふるさとだと思えなくても、これからの自身の行動やどういった活動に参加して、それらを一生懸命やるかでふるさとは自分でつくれるではないかということを今回のお話で気付かされた。学習塾がこのように脱力した環境で、生徒ものびのびと通い、勉強に集中できるのは、この場所にあるからだと思う。個人的に塾というものは受験のために通う場所というイメージが大きいので、こうした黎明学舎のように塾に自ら居る時間を求めて通えることがうらやましいなと感じた。勉強するだけの場所ではなく、空間をともに生徒に与えているのだと思った。それこそ、スターバックスのように顧客に第三の場所を提供することにつながるのではないか。そうしたことを無意識のうちに提供する場と成り得た黎明学舎がすごいと思った。このような学習塾なら毎日嫌だと思わず通うことができるのかなと思った。

・もっとも印象に残ったのはふるさとの話です。何かを全力で成し遂げたことがあればそこがふるさとであるという定義に納得しました。自分自身、ふるさとはあるという自覚はあります。地元の静岡では様々なことを成し遂げてきました。しかしその自覚もなくなってしまうのではないかと不安になりつつあります。地元では開発が進み、帰省するたびに町の景色が変わっています。それは自分が挑戦してきた場所の景観まで変化してしまいました。記憶や写真が残っていても、そこで過ごしてきた場所が一変してしまったら。そう考えるととても寂しくなります。私はふるさとが好きです。しかしそこが変わってしまったらそこをふるさとと心から感じることができるのでしょうか?時が経てば必然的にいろいろなものが変わります。それは仕方がないことだということも理解しています。何か1つでも変わらない何かがふるさとに残っていれば、嬉しいし、また戻りたくなるな、と感じました。少し脱線してしまいましたが、ふるさとがあると自分の居場所があるのだとあたたかい気持ちになれます。そのような場所を自分でつくっていけるように、他の人と一緒につくれるように行動していきたいです。黎明学舎の話をきいていて、ふるさと1つの要因の場所だと感じました。

・今日ツルハシブックスのお話を聞き、年代、世代、職業関係なく人々が集まることに驚きました。特に若い世代が自分で本を見つけ出すこと、見ず知らずの人と話をする環境はとても珍しいと感じたためです。最近はイヤホンをしている人が多く、店員が話しかけてこないようにしているお客さんをよく見ますが、ツルハシブックスでは店は舞台、劇場、店員は劇団員、お客さんを共演者として接していることで、人々が知らずに引いている線が無くせるのだと思います。黎明学舎のお話では、生徒が「自分から来る」ということに自分の高校生時代との違いを感じます。もし自分にも「行く場所」があれば、1日1日楽しみも生まれたであろうし、自然と勉強をするようにもなったのではないかと思いました。(自分を取り巻く環境がそれからの考え・生き方を変えるのだと改めて気づきました。)ふるさとのお話でも、私は神奈川生まれ(家族全員)福岡育ちなのですが、生まれた場所か親戚が多く住む神奈川と自分の記憶の大半を占める福岡のどちらがふるさとかを漠然と考えていました。今回、「ふるさと」の定義を聞き、これからも自分が残した経験次第でふるさとが見つかれば良いなと強く感じています。貴重なお知らせありがとうございました。

・人生の中でどこに目的を定めるのかは、自由に決めていいのだと感じました。物を売って、お金を稼ぐというだけでなく、自分が「おもしろい」と思うポイントに焦点をあてて、商売や人生を展開していく事も、とても魅力的に思えました。これからの人生の様々なシーンで大事な選択をしていくことが多くあると思いますが、頭で固く考えすぎずに裏道を探すように脱力的アプローチができるようになれれば今回のお話を聞いた収穫になると思います。その中で、予測できなかった良い点を様々なシーンで見つけていければ、自分自身おもしろく感じると思うし、より人間らしい生き方、働き方が実現できるのではないかと感じました。今回お話を伺って人生の考え方の引き出しが増えたような気がします。ありがとうございました。

~~~ここまでメモ

キーワードとしては
「予測不可能性」と「創造的脱力」が効いたみたいです。
やっぱそこかなあ。  

Posted by ニシダタクジ at 17:19Comments(0)日記

2019年09月11日

「機会としての学び」の前で人はフラットになる

茨城県日立市の株式会社えぽっくが提供する
企業取材型インターンシップ、チーム「ひきだし」。
9月8日は事後研修でした。



プログラムは以下。

前半
1 誕生日別チーム分け
2 チューニング(最近あったよかったこと)
3 「魔法をかける編集」と場のチカラについて
4 「印象に残ったこと」を付箋に書く
5 解像度を上げる⇒書き直し
6 3分発表⇒改善(1分発表2分ヒアリング)
7 ふりかえり
~~~

魔法をかける編集という意味では、
「印象に残ったこと」っていう入りが大切なのかも、って思った。

通常の気づきは、
「気づいたこと、学んだこと」をシェアするのだけど
それだと、先に脳が出来事を編集しちゃう。

つまり、「場」に何も出ないんだ。
まず、心を差し出すこと。
だから、印象に残ったことをまず出す。

出した後で、それはなぜ印象に残ったのか?
を場にいるみんなで考えるんだ。
そこで、場のチカラの要素である「誰と」「いつ」「どこで」が高まっていく。
学びは個人戦ではなく、団体戦だから。

そもそも学ぶためにやっているんじゃなくて、
何か生み出すためにやっているのだから。

「印象に残ったこと」を聞いて、
その時にキャッチした「共感」と「違和感」を
場に差し出していくんだ。
そこから生まれる何かを生むんだ、と。

~~~

このあと、若松さんによる記事の分担の説明があってから、
ふりかえり後半に突入

1 「よかった 悪かった」「予想できた 予想できなかった」2軸のマトリクスふりかえり
2 参加大学生の司会進行によるシェア(冊子に乗せる座談会の様子録音)
3 予測不可能性がエンターテイメントの本質であるという話⇒予想しなかった悪かったことを楽しめるか。
  通常は「1 予想できたよかったこと(目標達成)」「3 予想できなかった悪かったこと(反省会)」
4 「機会としての学び」と「手段としての学び」評価>目的になっていないか?
5 全体を通してのふりかえりの一言

~~~


ラストふりかえりを書いている図。

この振り返りの前に、えぽっく代表の若松さんから、衝撃の一言が。

「正直、ひきだしにどんな価値があるのかって、わからないんですよ」っていう一言だった。

これは、すごかったな、と。
場の空気が一気に変わった。
投げ込まれたいまのリアルな感情。

どんな価値があるのか?
それは事後的に決まるっていうか、いま、この瞬間に決まるんだよ、ひとりひとりの感想と場の空気で。
だからいま、価値を語ってくれ。
そんなメッセージ。

そうか。
若松さんはひきだしの主催者であるだけじゃなく、参加者だったんだと。

そして出てきたラスト感想のメモ

~~~ここからメモ

「偶然と必然」
たまたま「ひきだし」を知って参加させてもらった「偶然」。企業さんから話を聞いて、そのあと自分の考えができていく「必然」。若松さんが築き上げてきた人とのつながりを自分にできた「偶然」。偶然があったからこそ、インターン参加できる「必然」が生まれた。

参加の動機は、「働く」ってどういうことだろう、これからどうやって生きていったらいいんだろう?っていうのを知りたかった。企業・企業人から学びたかった。すべてに共通していたのは「人」だった。業界、業種にかかわらず、人というキーワードが出てきた。業種・業態に縛られないひきだしだったからこそ強く思えた。サービスについても、伝え方についても「人」が大切だった。会社に入るためには、それが大切。自分だけではやっていけないから周りを大切にしていかなきゃいけないし、自分を出さなきゃいけない。人の感情が大切になるので、そうやって会社を選んでいかなきゃいけない。

「予測不可能性」っておもしろいな、と。働くことの現場を知ることを目的として参加したが、振り返ってみて、私は一緒にやる人を選んでないし、就職しようと思って行ってない。3日間の中でいろんな価値観と一緒にやれたのがよかったし、社員さんから人生の価値観を学んだ。その社員さんにしても予測できた人はいないのだから、予測不可能性を大切にしていきたい。

「何者」わからない世界ばかりに行く取材。知らない世界をしることができた。関心を持つことができた。自分の個性についても自分を知ることができた。共感することとか感動することは自分の心をゆさぶる価値で、何に自分は価値を見出しているのか?を知るきっかけとなった。まだ大学2年生で進路に悩んでいる時期のインターンだったので、いろんな仕事があるだけじゃなくて、どうやって働く人がそこで生きているのかを知ることができたのが収穫だった。これから自分がどうやって生きていきたいのか?を感じ、考えることができた。

「どう生きる?」を問われたインターンだった。こうしたほうがいい、っていうのはあるけど、こうしなければいけないというのがなかった。すべて自分たちに選択肢が与えられて、どれを選ぶか、どんな考え方、どんな価値観を持って生きるかは自分で考えなきゃいけない。職業を考えるインターンではなくて、人生を考えるインターンだったなと。未来に何をしたいのか、どうありたいのかを考えていきたいと思った。

「もやもや」企業よりもそこで出会った人の同じ価値観、異なる価値観、生き方考え方に触れた。自分との同じと違いに気づいたことで自分を見つめなおした。チームで過ごす時間がいい意味でもやもやだった。チームとは、相手のことを考えるとは何か?を考える機会が多くて、自分自身のこれから、軸について考える機会となった。

「将来について考える大きな一歩」インターンシップへの参加は初めてだったし、知らない人と一緒に行動するとか寝泊りしたり、ひきだしという場自体が成長する場になった。感想とか意見を言う機会がすごく多いので、ほかの人の意見をたくさん聞けたのがすごく刺激になった。違う会社にいって、いろんな働き方を見て、感じて、将来についてよく考えるきっかけになった。

「どんな人と、なにをして、どんな思いに答えたいのか」自分に問いかける主体性を育てる貴重な機会となりました。感謝でいっぱいです」これからどうしていこうかと悩んでいた時に、働くってどういうことなんだろう?自分の力をどう社会に還元できるんだろう?っていうのを実際の会社で考える機会になった。人生観とか価値観を問い直す機会になった。感謝の気持ちでいっぱいです。

「課題」を見つける場になった。ひきだしはアットホームな雰囲気があっていいなと思った。普段は聞けない大変なことや実話が聞けるなと思った。気づいたのはアットホームな雰囲気を作るのは自分たちだと思った。個々の人じゃなくて全体でつくるんだなと、力はあったのに1日目がうまくいかなかったり、もし自分が周りが見えてれば、もっとよくチームを回せていい取材ができた。自分が思っている不安とかをまず開示しなきゃいけなかったり、そういうことを考えなきゃいけないと思った。いろんな課題が見つけられた場になった。

~~~ここまで感想メモ

自らの言葉で、感情で、語っていたのが印象的だった。

会場を提供いただいた(株)ユーゴーの採用担当・稲野辺さんが最後にコメントする。
「飲み屋で上司の愚痴を言ってるのは、『自分は会社を変えられない』と思っている人たちだ。
自分たちで会社は変えられる、と思っていれば、飲み屋の話は未来の話になっていく。」

ドキッとした。
僕の茨城時代を思い出した。(笑)

ユーゴーの稲野辺さんが昼ごはんの時に話していたけど、
採用活動していく上で、大学生とフラットに対話をしていくことを心がけているという。
自分たちが採用してやるわけでも、大学生が会社に入ってやるわけでもない、
ただ、お互いに、ユーゴーという場を選択するんだ。
そんなコミュニケーションスタイル。

僕自身も
フラットな関係性をつくるコミュニケーションのデザイン。
をテーマに活動してきたのだけど、
ひきだしもそういう場になっているのかもと思った。

何よりも、
「ひきだし」という活動そのものが問いになっていて、

主催者の若松さんも僕も、このひきだしから何が生まれるのか?
ってやってみないとわからないというか、価値を問い続けているんだなあと思った。

そんな、「機会としての学び」にあふれたひきだしプログラムでした。  

Posted by ニシダタクジ at 07:17Comments(0)日記

2019年09月02日

かき氷屋台@レガッタ大会



黎明学舎かき氷チームが挑みました
かき氷屋台@レガッタ大会でした。

1~3年生の混合チームで
朝8時から準備しました。

僕はレガッタ大会出場のため、
販売場所の段取りした後にレガッタ大会出場
ぜんぜんうまく漕げなかったのですが、
高校の先生たちのおかげでなんとか完走?しました。
敗者復活でも最下位だったので、来年はちゃんと練習したいなあ。


かき氷ですが、前日に準備したPOPづくりを
途中で書き足しつつ、販売していました。

オリジナルシロップ「かぼちゃミルク」と「梅ミルク」は
ともに600円という強気の値段設定。
(途中でハーフサイズ300円っていうのを投入した)

意外に興味を引いたのが「雪椿の抽出エキス」で作ったシロップでした。

結果発表
かぼちゃミルク 16(内ハーフ2)
梅ミルク 17(内ハーフ3)
かぼちゃと梅のハーフ&ハーフ 2
雪椿 26(内ハーフ8)
定番 47

合計108杯でした~。
目標達成~。パチパチパチ~。


閉会式の後のお客さんを狙って作った、
残り6杯で100杯達成のボード。

ラストスパートで一体感が生まれことがよかったのか、
ここで奇跡が起こります。

「あと何杯だ?俺が買うよ」というおじさん登場。
1万円札を取り出して、周りの人たちにかき氷を振る舞うという事態に。
で、集まってきたのが町長さんとか議員さんとか。

いやあ、すごい絵でした。
あれはやってみないと味わえないこと。

そして。ふりかえり。

印象に残っていること
・子どもが少なかった
・定番が売れた
・雪椿のインパクトが強く、食いつきがよかった。
・最後のおじさん

予想しなかったよかったこと。
・晴れてよかった
・最後の男前のおじさん

やっぱ最後のおじさんの感想が多い。

で、スタッフも振り返り。
・おじさんが全員優しかった。
・ほとんど高校生だけでやれてた
・やらされるのではなくて自分ごととしてできていた。
・江川くんがだんだん職人のような顔になっていった。
・かき氷が思っていたより売れた
・愛されている環境を実感した。
・一緒にやれた楽しかった。また一緒にやりたい。(杉崎さん)

でラストに感想まわしました。

・高校生とまちの人とのつながりが見えて、阿賀町に来てよかったと思った。
・シロップづくりがんばった。おいしいと言ってくれてうれしかった。
・売り上げが落ちついてきて、このまま終わっちゃうのかなと思ったら最後に奇跡が起きた。
・小4以来のモノを売る活動をした。売る側になってみて、人の心が知りたくなった。人の気持ちがわからない。
・かき氷を作れてよかった。かぼちゃを塗り忘れたりしたけど、先輩とのコンビが楽しかった。
・「また来てね」とまちの人に言われた
・それぞれが集中するところに集中してチームができた
・晴れてよかった。シロップづくりでは後輩が来てくれて助かった。

僕としては、かき氷という題材を通して、
チームとしての一体感というか場のチカラみたいなやつを体感できた機会となった。

ラストのおじさんだって、
場のチカラの成果だと思うし、
残り6杯で目標達成っていうホワイトボードのたまものだし。

何より、黎明学舎にとって、
かき氷屋台が、リアルメディアとして機能したんだなあと思った。
もっと活動紹介とかをしてもいいのかもしれない。

僕自身としては、
「人生は経営である。ただし個人戦ではない」
っていうところが体感できるような機会になったような気がして、

まずは1歩踏み出しました、という感じです。
「ふるさと創りびと」というコンセプトで、
地域の方とコラボしたスモールビジネスをいろいろと
考え、実践していきたいなと思います。  

Posted by ニシダタクジ at 08:20Comments(0)日記

2019年08月29日

イナカレッジ集合研修2019

イナカレッジ集合研修2019ふりかえり。
自分のためのふりかえり。

ひとまず、全体的な感想。

・そもそも何のために中間研修があり、その目的のために講座はどうあったほうがいいのか?

・伝えたい思いが先行しすぎて、ともに学ぶ場を作れなかった。

・コンテンツの詰め込み過ぎ。エッセンスが多すぎた。いちばん大切なことは何?

・体育館という空間のデザイン。話が飛んでしまう。一体感がありすぎる?

・モチベーショングラフからキーワード・トークにしたことで自己開示が減った?

ということで、内容の整理。

~~~ここから内容確認

・バースデーリングでチーム分け(3人1チーム)
・キーワード・トーク「イナカレッジをやってみて感じること)

講座
・「固定的知能観」「成長的知能観」の話
・「人生は経営である」って話
・どのように、だけでなく行き先となぜを決めること。
・ドラッカーの5つの質問
・田坂広志の仕事の5つの報酬
・場のチカラの7要素
・魔法をかける編集
・振り返りのポイント(予想しなかったよかったこと)

・各地域の活動紹介

~~~ここまで内容確認

~~~参加学生の感想

・行き先や目的を先に考えることは、私にとって難しいと感じた。
行き先を考えることは20歳の自分には怖くてためらってしまいます。

・これからの人生に向けてのものなのか、このインターンに向けてのものなのか。

・感じたことを人に話していくことがが大事だと思った。

・×自分にしかかけないこと⇒〇自分たちにしかかけないこと。

・キーワードトークで、みんなが共感してくれたのがうれしかった。

・その人その人の感性を知る重要性を学んだ

・すべての話がつながっているのか?

・「田舎」のイメージ通りの暮らしをしていたことに気づいた。
「暮らし」という大きな枠でもう一度考え直したい。

・誰のために、その誰が個別具体的な人であれば、あるほど面白いし、楽しい。

・「なにを」「どのように」よりも根本を考えることはやっぱり大事なんだと再認識できた。

~~~

なんだかうまくいっていないのは、どうしてなのだろう?と。
大学生は率直に書いてくれるからありがたい。

そうそう。
なぜ、この研修があるのか?
っていう目的から考えないといけないよね。

そして、懇親会、夜の部。
いくつかの地域で起こっている、学生同士のコミュニケーションのすれ違い。
そこにフォーカスしてもよかったなと。

イナカレッジのアウトプットのための講座と個人の人生のための講座が一緒になっていたな、と。

イナカレッジのアウトプットのためには、
・イナカレッジ=ともに学ぶ場
・「価値」って何?(価値は流動している)⇒3人でそれを暫定で決めること。
・「場のチカラ」の話
・「魔法をかける編集」の話
・そもそも「コミュニケーション・デザイン」の話(キーワード・トーク、ふりかえりの手法)
あたりでよかったのかもいしれない。

個人に向けての話はオプションにするとかね。

・成長的知能観と固定的知能観
・仕事の5つの報酬
・人生は経営である、ただし個人戦ではない。
・哲学入門「スピノザ」
・「やりたいことはわからない」のはなぜ苦しいのか?
・「何者」問題について。

このあたりを、事前にメニュー提示。(キーワード提示とか)
しておいて、別時間にやってみる、とかね。

場についての話は、
「体育館」のデメリットは、プレイヤーと見学者を分けにくい。
その結果か、単に広すぎるからか、一体感が出にくい。

角や端っこを使ってやるとか、視野を狭める必要があるのかも。

僕にとっては、不完全燃焼な、もやもやした機会となりました。
もう1回やらせてほしいっす。  

Posted by ニシダタクジ at 05:59Comments(0)日記

2019年07月07日

大学生と「価値」を生むために



新潟市×にいがたイナカレッジ
「トビラ」プロジェクト第1回集合研修でした。

今回のテーマは2つで、
大学生とのプロジェクトの進め方と
プロジェクトの説明ブラッシュアップでした。

まず、プロジェクトに大学生が加わることの価値は何か?

受入れ団体の新保さんから「新たな視点」がもらえる、と話がありましたが、
まさにその通りで、一言でいえば、「イノセント」と「行動力」です。
「若者らしい斬新な発想やアイデア」ではありません。

そして、プロジェクトの定義:
「プロジェクトとは。独自のプロダクト、サービス、所産を創造するために実施される有期性の業務である」

そして、ゴール設計の話
「行動目標」「成果目標」「意義目標」の話

★ここに入れたらよかった★
ミーティング時の安心空間の作り方
コミュニケーション力からコミュニケーション・デザインへ。

ミーティング時の議題の進め方
1 目的・前提の共有
2 報告、相談、決定の種別
3 決まったことの確認

ふりかえりの重要性
「予想できなかったよかったこと」の話
エンターテイメントとは「予測不可能性」。

~~~

とここまで前半の進め方の話。
いかに大学生と「パートナーシップ」を組んでいけるか?
そのためのミーティングと振り返りを行うことの重要性を話した。

後半は、前半のまとめとして、場のチカラ理論

場のチカラ:
7 どのように how
6 何を what
5 誰のために for whom
4 なぜ why
3 どこで where
2 いつ when
1 だれと with whom

通常の企業インターンは7にしか裁量権がないが
「トビラ」プロジェクトは1~7まで一緒に作っていける、ということ。

そして、4と5をブラッシュアップするために、
ドラッカーの5つの質問をベースにしたワークシートを作成

ドラッカーの組織経営に必要な5つの質問
1 ミッションは何か
2 顧客は誰か
3 顧客にとって価値は何か
4 成果は何か
5 計画は何か

ここの1~3を考えるワークシートを記入して
受入れ団体同士で相互インタビューを行った。

この相互インタビューが予想以上に盛り上がり、
気づきが多かったとコメントしていた。

ああ、これが場のチカラで、場によって学ぶってことだなあと。
各団体のプロジェクトはもちろん独立しているのだけど、
団体同士で、なぜ?とかその先は?とかあらためて
インタビューされることだったりすることで、
自団体にも生かせるヒントがあったりするのだなあと。

私たちの今後の課題は
・来年度プロジェクト設計(内容)の講座はやるのか、やらないのか。
⇒助成金応募のようなシートに記入してエントリーしてもらう形など

・中間研修などの位置づけ、意味づけ。
⇒コーディネーターがいるので、プロジェクトが大幅に進まない事態にはならないが、
他団体から刺激をもらう、あるいは「トビラ」プロジェクト自体を「場」としてとらえるなら
効果はあるかも。

全体の設計として

5月:プロジェクト設計講座・応募開始(受入れ団体)
6月:受入れ団体決定・学生募集開始
7月:プロジェクト説明ワーク⇒学生向けプロジェクト説明会
9月:プロジェクトの進め方講座
9月末:プロジェクト開始
11月:中間研修
12月:プロジェクト終了
1月:報告会

という感じかなあと思いました。

こういう受入れ団体向け研修はヒーローズファーム以来だったので
(しかも研修はほとんど全部中村さんがやっていた)
緊張しましたけど面白かったです。

東区プラザの屋上駐車場に出たら、いい感じの空が広がっていました。

  

Posted by ニシダタクジ at 06:39Comments(0)日記

2019年06月19日

「ふるさと」をつくるという問い



密度の濃いibaraki tokyo 4daysでした。
月イチのインプットウィークという感じです。

6月14日(金)茨城大学・場づくりラボ。
そして王子シェアハウスでの対話。
その翌日のハックツ原さんとの朝活。

いろいろインプットが多すぎて、
ツイッターで外には出していたのだけど、
そのあたりを出してみる。

~~~ここからメモ

ハックツの現代表原さんと話して、「10代に贈りたい本」読書会のデザインが(偶然にも)すごいなと改めて思った。あれは、「本を介して自己開示する」っていうことなのだけど、開示の度合いを自覚なく自らコントロールしていて、「自己開示させられていない」。それってめちゃめちゃ大切なのかも。

そして出てきた仮説が「自己開示すると人はやさしくなる」っていうもの。
たしかに、優しくない人って自己開示してない気がするね。

「自己開示」する前提には、「何を言っても承認される」という「場」(安心空間)が必要なのだけど、それ無しに「自己開示させられる」のは苦痛だと思う。

「最近あったよかったこと」だったり「10代に贈りたい本」って、別にその人の主観であり、感性だから、否定の余地はない。そういう問いで「場」を「安心空間」にしていく。

一緒にごはんを食べたり、とかね。

「実家暮らしだと、その家に、部屋に、今までのすべてが蓄積されている。そこから解放されて1人になれる場が必要だと思った。」(「チームひきだし」への参加の理由。)それって「海外経験」にも通じるものがあるのかもしれない。異空間に自らを投げ出すということ。それが「越境」ってことなのか。

「チームひきだし」の特徴は、「取材する企業を選べない」ミステリーツアー方式をとっているところです。取材した場所がどの企業でも、魅力を引き出さなきゃいけない。
それによる「価値」は、選んだ理由を問われない、ということ。
なぜこの会社を?理由なんてない

思ったことを言うこと。言える場があること。
それって仲間というより、「場」だと思うんですよ。
そこから小さな「承認」を積み重ねていく。


~~~ここまで

そして、毎回僕が刺激と学びをもらっている「イナカレッジ・ラボ」。

~~~ここから

アイデンティティ・クライシスに対して、田舎でのふるさとづくりプロジェクトを行う。田舎は承認をくれると共に、没頭できるプロジェクトの題材をくれる。そうして全力で創造的行為を行った場所を人はふるさとだと思うと同時に、場に溶けていくことで、そもそもアイデンティティの問題を消す。

地域の宝さがし。
宝は隠れているのではなく、光をあてる角度を変えることで光り輝く。
そうして、宝は宝になる。

学びの目的をあらかじめ決めることはできない。なぜなら、学びとは自己の変容を伴うからだ。学び終えた後、目的を決めた時の自分はもういない。

アイデンティティ・クライシスを抱えているのは、過疎地域の大人も一緒だということ。明治大学小田切先生の言う「誇りの空洞化」その地域に「光」を当て、相互承認し、学びあい、つくり上げる何か。それが「にいがたイナカレッジ」というプロジェクトなのかもしれない。

イナカレッジのプロジェクトは、ゴールじゃなくて、切り口を提示しているにすぎない。その切り口できったときに、チームメンバーが「価値」だと感じるものを見つけ、それをアウトプットする。さらに、そのアウトプットの方法を考える。

プロジェクトの見せ方

・人の紹介も大切
・住む家の情報も
・問い合わせてくれた大学生には「中間の様子」を見せる。
・アウトプットの多様さを示すこと
・インターン後のインターン生と地域とのかかわり

プロジェクトが示すべきは、目的じゃなくて切り口なのではないか。
そこに参加することによってアウトプットも、価値も変わってくるのだから。

「挑戦するな、実験しよう」ってそういうことか。

~~~

そして、偶然にも帰りの車の中で聞いた
NHKラジオ深夜便の睡眠を研究している柳沢先生のコメントが熱くって、
さっき2度目を聞き直しました。

よい問いを見つけることはよい解き方を見つけることより難しい。
真実は仮説より奇なり。

この2つのメッセージ。
生物学者のメッセージって熱いなと
自然界の法則っていろいろあてはまるよなあと。

何が価値があるかわからないのだから、自分自身が面白い、価値があると思えなければならない。

真実は仮説より奇なり。
実存は本質に先立つ。
これ、同じこと言ってるけど、生物学でも哲学でも、ビジネスでもきっと同じなんだなと。仮説を持ちながら、フラットな気持ちで、目の前の現象を検証し続けること。

よい問いを見つけること。テーマを見つけること。
一流と三流の差はそこにある。

自然で起こることと、
世の中で起こることってリンクしているっていうか
世の中って、自然の一部なんだなって。

そんなことを思った。
あとは、イナカレッジイベントに来てた観光学部の大学生と話していて、

「これからの観光」のことを考えた。

これからの観光は、学びが軸になる。
そしてその学びは、現地にいる人との、現地という環境の中での対話によってもたらされる。
その対話から生み出される創造こそが観光エンターテイメントの最大の価値になるのではないか。
教育資源と観光資源を相互にやり取りすることで、そんな瞬間を作れないか。

そして、「ふるさと」のこと。

若者に必要なのは、「居場所」ではなく、「ふるさと」なのではないですかね。
いや、若者に限らないのですけど。
そしてその「ふるさと」は誰かから与えられるものではなくて、自ら勝ち取る、というか、創造的行為に没頭すること、サルトル的に言えば自らを「投企」することで得られる、という仮説。

「ふるさと」をつくるという問いを
軸に、いろんなものを構築していきたいと思った。

さて、アウトプットしていこうっと。  

Posted by ニシダタクジ at 10:07Comments(0)日記

2019年06月12日

「価値」を問う夏休み

今週末は、説明会ウィークのため、
茨城⇒東京へ

14日(金)は@茨城大学
12:00~12:30 「チームひきだし」説明会
https://www.ibaraki.ac.jp/commit/ioplab/2019/05/311805.html

16:00~17:30 「iopラボのための場づくりラボ」
授業でもサークルでも使える!楽しいミーティングの進め方
https://www.ibaraki.ac.jp/commit/ioplab/2019/05/301028.html

16日(日)は@東京・湯島
15:00~17:00 「にいがたイナカレッジ説明会 DAY1」
https://inacollege.jp/blog/2019/05/24/setsumeitokyo/

17日(月)@東京・湯島
18:30~20:30 「にいがたイナカレッジ説明会 DAY2」
https://inacollege.jp/blog/2019/05/24/setsumeitokyo/

いま、僕がかかわっている大学生向けのものは、
新潟市のトビラプロジェクト(byにいがたイナカレッジ)を入れて全部で4つ。

「トビラ」プロジェクトはこちら
https://iju.niigata.jp/news/7317_0601kick-off-report

僕自身は現代美術家なので「問いを投げかけること」をミッションとして、
「フラットな関係性」をつくる「コミュニケーション・デザイン」を提供しています。



「チームひきだし」は、企業を選べない「ミステリーツアー方式」で
企業の魅力を経営者インタビューと社員とのワークショップで引き出すプログラム。
「価値とは何か?」ひたすら考えます。
https://epochers.com/project/intern/181120hikidashi/


「にいがたイナカレッジ」の夏の1か月プログラムは
地域の(かなり田舎の)集落で共同生活して、
地域の人たちと暮らしを共に、コミュニケーションを図りながら
なんらかのアウトプットをしていくプログラムです。

参加者レポート
https://inacollege.jp/blog/2018/10/11/%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B8%E3%81%A7%E8%A6%8B%E3%81%A4%E3%81%91%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%90%E6%A2%B6%E8%B0%B7%E9%BA%BB%E8%B2%B4%E3%80%91/

昨年9月に、茨城で「チームひきだし」の中間振り返りをして、新潟に移動して、イナカレッジの中間研修の講師をしたときに、降ってきたキーワードが「場のチカラ」でした。

7 どのようにやるか how
6 何をやるか what
5 誰のためにやるか for whom
4 なぜやるか why
3 どこでやるか where
2 いつやるか when
1 誰とやるか with whom

1~3が場のチカラの構成要素で、1~7がプロジェクトの構成要素です。
下にいけばいくほど重要で、それが土台になっていると言えるでしょう。

ところが、通常の「企業インターン」は、1~6まですでに決められている(というか裁量権がない)状況の中で、7どのようにやるか だけを考えるプログラムになっています

それでも、意識高い面白いメンバーがいるなら、出会えるなら(つまり1と2が高い)、もしくは会社の雰囲気がめちゃめちゃよくて、いるだけで心地よい気持ちになれるなら(3が高い)、そのインターンには価値があるのかもしれません。

しかし、大切なのは、1~3を高めた上で、4と5に挑むこと。つまり、プロジェクトの「価値」と「顧客」について考えること、考え抜くこと。対話によって、掴み取ること。その時間に夏休みを投資してほしいなと思っています。「にいがたイナカレッジ」と「チームひきだし」はそんな問いが詰まっているプログラムです。

現代の社会は、「価値」そのものが常に流動しています。大学生が感じている「不安」の正体のひとつはそこにあると思います。

プロジェクトとは、場のチカラを高めて、いまこの瞬間の、あるいは自らを貫く「価値」を掴みに行くことなのではないかと。その「価値」を価値だと判断するのは顧客であり、自分自身です。売り上げは指標のひとつに過ぎません。

して、そこで生まれてくる「価値」が事前に分からない。だから、人はプロジェクトに向かうのです。ふりかえりによって初めて「価値」が生まれるかもしれないのです。楽しさ、ワクワクの源泉はその「予測不可能性」にあります。

~~~

つまり、「チームひきだし」や「にいがたイナカレッジ」の1か月プログラムの最大の「価値」は、「価値」とは何か?を問う機会を得るということです。

経済社会においての最大の価値は、売り上げを上げること、伸ばすことです。
しかし、売り上げを伸ばすためにがんばっていても、売り上げは上がり続けることはありません。
売り上げの源泉は「価値」だからです。
顧客に価値を提供できるからこそ、その商品、そのサービスは売り上げを伸ばし続けることができるのです。

かつて、その「価値」は長持ちしました。新商品の洗濯機を作れば、何万台、何十万台も売れ、長く売れ続けました。
ところが、テクノロジーの発展など様々な要因によって、価値が長持ちしない、かつ多様になってきてしまいました。

「価値」そのものが流動している。
だから、自ら「価値」を考え、生み出せる人になることが求められます。

そして、もうひとつ、
このプロジェクトの「顧客」は誰か?
どんな大学生に来てほしいか?

上にリンクした
昨年参加した大学3年生まきちゃんのレポートに、そのヒントがあります。

~~~ここから引用

やりたいことがない
自分に自信がない
多くの大学生が抱える悩みだそうです。

就活が目前まで迫る大学3年生。私も焦っていました。
イナカレッジに参加して、ほんの少しの自信が湧き、やりたいことがない私のこれからを少し考えることができました。

(中略)

縁もゆかりもない土地に会いたい人ができる。地域インターンを経験した先輩たちが口にする、「第二の故郷」という存在に心のどこかで憧れていました。
即決できなかったのは、1か月という期間の長さ。
夏休みはインターンもそこそこに遊びたかったのが本音です…。
でもこれだと今までの大学生活と何も変わらないような…。

そして、1か月知らない人と知らない土地で暮らすことへの不安。
しかし参加を決めたのも1か月という長さ。
参加してみれば何かを得られるのではないか。変わる自分がいるのではないかという期待。
とりあえず行ってみよう…。悩みに悩んで、自分にとっては大きな決断をしました。

強い思いがあって参加する人もいるのに、私の参加動機は不純じゃないかな?
他のインターン生の話を聞いた時、どうしてここに来たか聞かれた時、ここにいていいだろうかとドキッとしました。
だけどコーディネーターの有紀さんに、まきちゃんみたいな子に参加してもらえてよかったと言ってもらえて安心しました。
やりたいことがある人しか動けない、というのは自分が動けない言い訳だったと思います。

~~~ここまで引用

そうして、新潟・出雲崎町にやってきた彼女は、
「ときめき」というキーワードに出会います。

「ときめき」こそが価値なのではないか?
それを伝えたい、と冊子作りに取り組みました。

そしてレポートはこう締めくくられます。

~~~
大学受験以来私が真剣に取り組んだことってあっただろうか?
ないから2年間空っぽのような時間を過ごしている気分でいました。

地域や自分や冊子づくりと対峙した1か月は1ミリの隙もなく、いろんな思いが詰まった貴重な時間でした。

今自分に与えられた課題に懸命に取り組んでみる。
そして秘かにやりたいことを探し続けていく。
そうしようと思いました。

私が得られたことなんて他の人から見たら小さいかもしれませんが、今まで向き合おうとしなかった自分に向き合うことができたことが自分なりの成果なのです。
~~~

アウトプットは、数十ページの冊子。
小さな、小さな成果。

だけど、彼女の人生にとっては、かけがえのない1か月になったのだろうと思った。
「にいがたイナカレッジ」の魅力はそういう「場」そのものなのだろう。

僕が、
「にいがたイナカレッジ」や「チームひきだし」を通して、
大学生に届けたいのは、

「価値」を問う夏休み。

それだけです。  

Posted by ニシダタクジ at 07:39Comments(0)日記

2019年06月05日

「学びの当事者になる」「学びは完結しない」という感覚



昨年10月、大正大学「地域実習」でご一緒した茂木先生から、
「高校生と地域活動」というテーマで勉強会講師をしてもらいました。

~~~ここから講義メモ

大学には行きたい。でも、何を勉強したいのか分からない。

親が勧める学部を志望先にする。(例:資格がとれる学部、就職率がよい学部)

受験勉強に対する意欲が低下し、学びに主体性のない生徒が増加する

今まで以上に手をかけ、教員の負担が増える

高校生の学びのモチベーション向上と教員の業務削減を達成するには?
浦崎太郎先生(当時岐阜県立可児高校・現大正大学)との出会い
「地域再生×高校キャリア教育」というキーワード

ユネスコ部での聞き書き。
地域の名人を訪ね、聞き書き。
録音した会話の書き起こし。
そのプロセスでの名人の価値観や想いを受け止める

「地域の大人と話すことで、「教科書や本には書いていない輝くものを
見つけることができた。人の話を聞くということは、その人と同じ人生を
もう一度一緒に歩くということだと思った。(2014年Nさん)

地域の大人の話をきっかけとし、生徒が自分自身と向き合い、
「生き方」について考えるようになる。

高校生が地域で学ぶことが自分の進路を考えるきっかけとなり
学びに対する主体性を高めることができる。

H25「魚沼学」の実施

スイカを使った化粧水づくりなどの実践

「魚沼は世界とつながることができる。
世界中どこだって、日本のどこだって
私たちの大地はつながっている。

足元に目を向けたとき、そこにはチャンスが転がっている。
ザンビア共和国・ハイチ共和国のチャンスはバナナだった。

私たちのチャンスはスイカだった。
あなたの足元には何が転がっているだろうか?」

教員の懸念
1 活動のイメージができない
2 授業時間の確保が難しい
3 業務が増加することへの懸念
4 連携についての相談先がわからない

⇒一般社団法人 愛・南魚沼みらい塾設立
ナナメの関係

高校生の声
「今までは与えられた問題にしか取り組まず、自分から行動する機会がすくなかった。しかし、SGHでの学びを通じて、勉強以外でも自分で課題を見つけて、行動できるようになった。」

「最初は「めんどくさい」と思うかもしれないけど、SGHは追求すればするほど楽しくなります。SGHをつまらなくするのも、おもしろくするのもあなた次第です。」

課題
1 教員自身の興味関心、「総合探究」を楽しめるか?
・教員が生徒の「伴走者」になれるか?

2 学校内の体制作り
・担当者の異動、校内分掌の配置換え、管理職の理解

3 連携コーディネーターとのコミュニケーション
・それぞれの立場を通訳する人の存在

4 学校外でも生徒の学びを担保する環境づくり
・ゆるいコンソーシアム(連携)

5 「探究」する土壌、教室の雰囲気、集団づくり
・「魚沼学」の授業だけが別空間?
・学校の授業、教科での学びが探究活動の土台
・創造的な思考はケア的な空間が生む

6 生徒の学びの見取り方(評価)
・ルーブリック評価で、生徒の学びが本当に見える?
・活動から見えてくる生徒の姿をだれがどう読み取るか?

7 経済的サポートはどこから?
・SGH予算がなくなるが・・・
・行政からの支援は?
・みらい塾の運営資金は?

~~~ここまで講演メモ(資料から)

「学びの意欲の低下」ってホントなんだなと。そのインセンティブがないもんね。そもそも「インセンティブ」っていう考え方が学びの意欲の低下を引き起こしているけど。

「学びの主体性」を取り戻すこと。そこに尽きるのかもしれないな、と。そこには大人の「愛」や「探究」に直に触れること。そして人は地域の当事者になると同時に、学びの当事者になる、ということなのかもしれない。

自分を愛する前に、誰かや地域を愛すること、その前に誰かや地域の「愛」を体感すること。それが必要なのかもしれない。「愛」は言葉じゃなくて、波動というか、「波」だから。

茂木先生が「聞き書き」実践やSGHで得た経験っていうのは、
「当事者になる」っていうことなのかもしれないと思った。

「探究」のいちばんのポイントは、「学びの当事者になる」
ということだろうと思う。
そしてそれは、「人生の当事者になる」のと限りなく近いだろう。

地域に出ていき、そこにある「地域課題」への「違和感」や「活動する大人」への「共感」
を膨らませて、「プロジェクト」をつくること

そのとき、生徒はそのプロジェクトの当事者になる。
その当事者性の高さが必要なのだろうと思う。

国連やテレビ・新聞や誰かから借りてきた「課題」では、
その当事者性が高まらないのだろうと思う。

通学路の畑に捨てられているスイカの山への違和感。
聞き書きでヒアリングした農家のおじいちゃんへの共感。

その「違和感」や「共感」が強ければ強いほど、
そのプロジェクトは自分の、あるいはチームの
主体性の高いプロジェクトになる。

「学び」ってなんだろう?ってあらためて思った。

摘果(間引き)されたスイカで化粧水を作った高校生が言った。

「捨ててあるものを見たら、何かに使えないか?って考えるようになった」

思考行動プロセスの変化。
それは大きな価値だろうと思う。

かつて、哲学者サルトルは、「社会参画せよ」と呼びかけた。
それは言い換えれば、「当事者たれ」ということ。

プロジェクトの当事者になることで、
地域の当事者となり、自らの学びの当事者となり、
そして人生の当事者となっていく。
そんな絵が見える。

ちなみに昨日の勉強会で一番印象に残ったのは、
「学びは完結しない」というキーワード

そうなんだ。
すべての学びは、本来、到達点ではなく通過点に過ぎない。

その感覚。
私という存在は、学びという営みの中の一部、構成員に過ぎない。

たぶん、そういう感覚。
それが僕にとって、学ぶということの喜び、なのかもしれないと
話を聞いていて思いました。

茂木さん、遠くからありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 07:31Comments(0)日記

2019年06月02日

人間はもっと柔らかい

柏崎「変態」ツアー
「変態」に出会い、自ら「変態」するツアー

本来は1泊2日なのですが、
日帰りバージョンの予行でした。
参加者は5名。

某ビジネス系メディアの取材に同行してもらう形となりました。
プロのライターさんの引き出し力すごかった。


午前中はテック長沢、長沢智信さん。




ランチはI'm home@夢の森公園で。
西村遼平さんのつくるおいしいランチ。


午後はwith you 小林俊介さん。


ラストは小清水・EALY CAFEにて矢島衛さんと水戸部智さんに話を聞きました。
西村さんも駆けつけてくれました。


最後に集合写真。

ラスト、小清水にいってよかったなと。
景観にこころ現れたし、水戸部さんがやってきたこと、
やっていることが少し見えた。
もっとじっくり振り返りをする時間をとれたらよかったなと。

さて。
午前中のメモ。

~~~ここから

「何を学んできたか」ではなく、「学び方を知っているか」が大切。

みんなが行かない道のほうが楽しそうだ。だから、かきあげ天そば活動します。

リーマンショックの危機の「体感」を共有しているかどうか。「ピンチはチャンス」とかっていう精神論じゃなくて、ピンチの共有がコミュニケーションをフラットにしたのかもね。

「やりたいことは何か?」とか「自己実現」という悪魔。そんなことじゃなくて、「誰と働くか?」が大事。結婚と同じだったら、そうなるよね。「誰と一緒にいたいか?」っていう問い。対「人」の感性を磨くこと。

「ナガサワと働きたいんだ」っていうのが入社の理由。

関係性のデザインと目標設定・共有・モチベーションのデザインはリンクしている。それは、「参加のデザイン」でもある。だから、「組織」が必要だし、グループが「チーム」になっていく。

スキルとしては交換可能だけど、人としては交換不可能な1人なんだ。だから、あなたは特別なんだ。

「誰と出会えるか、誰と一緒に仕事ができるか、だ」(テック長沢 長沢智信さん)

すべてのボトルネックは人に行き着く

「僕は役割分担として社長をやっているだけだ」社員みんなに自分の役割があり、それを演じ切れているか?その総和が会社の力だ。いや。ほんとそう。

「いま、誰と出会えるかがそのまま会社の未来だ。」って長沢さんは言っていたけど。
人生が経営だとしたら、中学生も高校生も大学生も、みんなそれだよ。

~~~以上メモ(ツイッターより)

僕はすべてのインプットをキャリアの問題に
置き換えてしまう癖があるのだけど、
今回もまたそのヒントに詰まった時間。

「プロフェッショナル」とか「13歳のハローワーク」に代表される思想は、交換不可能性を「技術」「スキル」に求めた。でも、大切なのはきっと、交換不可能性を「スキル」に求めるのではなく、「存在」「雰囲気」に求めること。あなたの技術は交換可能だが、あなたの存在は交換不可能である、ということ。

だからこそ、
対「人」の感性を磨くことがいちばん大切なのではないかと。

誰と出会えるか、
誰と一緒に仕事ができるか?
それが仕事の醍醐味だと言っていた長沢さん、すてきだなと。

ランチは、今日参加の皆さんがそろって
I'm homeにて。

水戸部さんから「変態ツアー」の趣旨を話してもらって、
午前中の長沢さんにも聞いた、キラー質問
「いちばん興奮するときっていつですか?」
これをいろんな人が答えていく。

これ、いい質問だなあと。
めちゃめちゃ心が開く。

あとは、
水戸部さん理論「欠落こそが価値」

「欠落」した人生。
欠けてる部分が大きいほどその反作用としてのプラス(有意味性)が大きくなる。
欠落しかない人生のどこが伸ばせるか?を考えること。
これを中学校の授業プログラムにしている柏崎はアツイなと。

そして、午後のwith you小林俊介さんの話を聞く。

~~~ここからメモ

「そのために生かされたんじゃないか?」っていうのは勘違い・思い込みに過ぎないのだけど、人ってそれが原動力になるからステキなんだよね。

「福祉」なんかじゃない。「働きたい人」(主婦・障がい者)がいて「仕事」がある。その人に仕事をしてもらっているだけだ。

「企業をメディア化する」ってこういうことか、と。with you 小林社長の世の中との対話のコミュニケーションスタイルにシビれまくった「変態ツアー」

「仕事って何?」みたいな根源的な問いが詰まった午後。
「人間の尊厳」「誇り」みたいな。
大げさなことのようで、そういうのって、意外に会社の「制服」がカギだったりする。
デザインの力。

製造業の良いところは、製品には「誰がやってるか」は書いてないこと。
その仕事ができるかどうか、製品がつくれるかどうか、そして品質がすべて。

すりガラス張りの「福祉」の違和感。
自分の原体験では誰も「福祉」をやってなかった、ことに気がつく。
その「福祉のバリア」をぶっこわすこと。

~~~ここまでメモ

「人ってもっとやわらかいんじゃないか。」
がwith you 小林社長の話を聞いた後の僕の感想。
なんにでもなれる、っていう可能性に満ちてる。
「世界にひとつだけの花」なのではなく、ips細胞のようなものだよ。めちゃめちゃ不完全なips細胞だけど。

ひとつ。謎が解けたこと。
「日本でいちばん大切にしたい会社」を読んでから、製造業は、「(障がいがあったとしても)人に合わせて仕事をつくることができる」でもサービス業はお客さんに合わせて仕事を作らなきゃいけない。それが、いわゆる「働けない人問題」だと思っていたのだけど、製造業も、「仕事」に合わせて人が動いていくっていうことは変わらないのだけど、その「作業プロセス」を働く人に合わせてカスタマイズできる、っていうこと。

「適職思想」をベースにしたキャリア教育は、自らを「パズルのピース」のように、どんなカタチのピース(スキル・性格)をしているのか?を問い続け、それにあうパズル板(会社)を探すということをしているけど、どんなパズル板にも合わせられる(かもしれない)くらい、人って柔らかいんだと思った。

そもそもパズル板のほうのカタチだって、どんどん変わっていくでしょう。
「適材適所」っていうのはすごい一時的なものだと思った。
そして、それって「場のチカラ」の影響もものすごく大きいなと。

と、まあそんな感じ。

小清水に戻ってイーリーカフェで振り返りと矢島さんの話。
この時の雰囲気よかったなあと。
まちづくりネット「あいさ」の水戸部さんの軌跡から。

~~~以下振り返りメモ

これまでやってきたことを回収するフェーズに入ったこと。
リスクジャンキーである私たち(笑)

中学生に人生モチベーショングラフを書いてもらって、「欠落」を発見し、それが大きい人を「社長」にしてプレゼンしてもらう。

「欠落」こそが価値。
「違和感」こそがチャンス。
これを中学生に伝えられるのは大きいなと。

「課題解決」を地域のスケールにおとしていくこと。
地域のスケールでものごとを考えていくこと。

「何をするか?」ではなくて、
「どうありたいか?」「その先に何があるのか?」
を知ること。
それ、会社選びもそうだよ。

まちの人の「当事者性」に触れること。
そこで「感性」が発動する。
「感じること」から始まる。

「僕の生存戦略はハイエナ戦略です」って言える男子がかっこよかった。
あなたの生存戦略はなんですか?

「小清水」は街道沿いだから、ヨソモノに寛容。

小清水・矢島衛さん。
「100年後もこの集落、風景を残したい」

100年後には自分がいないから、結果が出ない。
→正解がない
→自分がやっていることを信じるしかない。

「生きているあいだに結果は出ないけど、正しいと思うことをやりたい」

俺がやるしかない。
っていう使命感。
みんな勘違いに支えられて生きているんだなと。

自分が考える「価値」を今の世の中にどう「アジャスト」させていくか。
それですよね。
その感覚が柏崎の変態たちはものすごい。

生き様としての社会実験。っていう。

~~~ここまでメモ

なんかもう、ただただ、カッコよかった。
水戸部さんのドライで熱い感じが好きだなあって。

「僕の生存戦略はハイエナ戦略です」
って言い切れる感じが好きだなあって。

いちばん印象に残ったのは、
水戸部さんの大学の後輩の小嶋さんの一言。

「まちづくり」を仕事にするって言ってるけど
何やってるのかなあとずっと思ってた。
今日、その意味がわかりました。

これ、熱かったなあ。
水戸部さんは2007年の中越沖地震のときから
まちに飛び込んで、「まちづくり」と呼ばれるジャンルに飛び込んで、

「まちのプレイヤーを育てる」というコンセプトでやってきた。
そのプレイヤーのひとりが矢島さんであり、西村さんであった。

まちづくりネット「あいさ」の事業を進めていく中で、
自分を知り、まちを知り、「まちづくり」とは何かを考え、

それらを重ねた結果、
中間支援事業だけでなく、
中学校や高校での授業を行ったりしている。
それが今の水戸部さんにとっての「まちづくり」なんだ。

欠落が有意味性を生む。
欠落が大きいほど価値だ。

このメッセージを、
僕もたくさんの人に届けたいって思った。

そして、人間はもっと柔らかいんだっていうこと。

まだ、何者でもない自分。
何にでもなれる、わけでないけど、
何かになれる、かもしれない可能性をずっと残しているんだ。
そんな前提で生きていける人がたくさんいるといいなと思う。

「柏崎変態ツアー」、
参加者にとっても、僕にとっても、
エキサイティングな時間になりました。

水戸部さん、矢島さん、
柏崎の素敵なみなさん、1日ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 07:52Comments(0)日記

2019年05月22日

「価値とは何か?」を問うこと

大学を退職してから、
大学生とかかわる時間は少なくなりましたが、

茨城・日立の(株)えぽっくがプロデュースしている
茨城大学iopラボのための「場づくりラボ」
※次回は6月14日(金)16:00~18:00
http://www.ibaraki.ac.jp/commit/ioplab/2019/04/261832.html

企業取材型インターンシップ「チームひきだし」
※現在クラウドファンディング挑戦中です!(残り2日!)
https://a-port.asahi.com/updates/tabisuru_sassi/

そして(公社)中越防災安全推進機構がプロデュースする「にいがたイナカレッジ」
☆まもなく夏の1か月インターン募集開始
https://inacollege.jp/

新潟市×イナカレッジのプロジェクト「トビラ」
☆6月1日(土)にキックオフイベント開催
https://inacollege.jp/blog/2019/04/26/tobira0601/

の4つのプロジェクトにかかわっています。
この週末も、場づくりラボとイナカレッジラボだったのだけど。

あらためて、どうして自分がそこに至るのか?を考えてみると。

イナカレッジラボの時に言っていたのは、

イナカレッジの最大の魅力は、
「価値とは何か?」を問う機会を得るということ。

場づくりラボの話していたのは、
「場づくり」っていう言葉が響いていないんじゃないか?

それを挟んだ朝活でふと思ったのは、
大切なのは「自己効力感」ではなくて、
「成長的知能観」(⇔固定的知能観)
であり、チームでそれを作っていくことなのではないか。

そもそも自分とか自信とかって
ウソなんじゃないかって。

それを実感(体感)できるプロジェクトを
つくりたいのではないか?って思った。

「プロジェクト」の定義は、「新たな価値を創出する有期性の業務のこと。」
つまり、プロジェクトを設定するとは、「顧客」「価値」「期限」を決めることなのだけど、

その「価値」の部分に
「遊び」をつくるというか、

事前と事後で新たな「価値」を設定するというか、
やっている間にチーム内で「価値」を設定していくというか、
そういうことなのだろうと思った。

イナカレッジの1か月プログラムは、
3人でアウトプットするものをだんだんと決めていくし、

「チームひきだし」の取材後の冊子作りは、
それぞれが感じたことを共有して、
何を発信していくか決めていく。



昨年9月、ひきだしとイナカレッジに参加して一番の気づきは、
「アウトプットするのはチームの力ではなく場のチカラ」だということだった。

「プロジェクト」の「価値」がプロジェクトを始まる前には
(明確には)決まっていない。

それによって、
「価値とは何か?」という問いが生まれていくこと。
その問いが集まる「場」に身を投じていく、溶かしていくこと。
場と一体化するというか、場の構成物となるということ。
そうして出てくるアウトプットについて、また振り返ること。
たぶんその繰り返しが必要で、それが価値なのだろうと思う。

「価値と何か?」っていう問いの中に身を投じること。
たぶん、それが通常の企業インターンとは違うのだろうと。

「期待する成果」や「求める人材」
っていうことじゃないアウトプットとインプットをしていくこと。

そのために「場」のチカラを高める必要があるし、
その「場」をどう作るかを?っていうのが
僕の現代美術家ポジションなのかもしれないなと。  

Posted by ニシダタクジ at 09:47Comments(0)日記

2019年05月19日

「場」に差し出すことしかできない

茨城大学iopラボのための「場づくりラボ」
2019年の第1回に行ってきました。

意外だったのが、
「場」はもうあるんだって思っていること。

水戸市内には、ここ数年で、コワーキングスペースや
イベントスペースが何件もできている。

イベントやるとき、どこの会場を使おうか?
って選べるくらいの場がある。

「場」って書いたけど。

僕が「場づくり」とか「場」っていうときは
ハードではなくて、非常に短期的なものを指している
ということをあらためて感じた。
それは、クルミドコーヒーの影山さんと話しているときに。

場のチカラの構成要素を
誰と、いつ、どこで
と僕は表現するのに対し、

影山さんは、
関係性、記憶、空間
だという。
これ、それぞれが上の条件を時間軸的に伸ばしているんだなと思った。

そういえば、昨年シリーズでやっていた
「場づくりラボ」も基本的にはワークショップをやっていたなあと。

僕はエンターテイメントの本質を
「予測不可能性」だと思っていて、
だからこそ、目標決めて始めるっていうのが
あまり好きではなかったのだけど、




「THE TEAM 5つの法則」(麻野耕司 幻冬舎)
に書いてあった

「成果目標」「行動目標」「意義目標」の関係性
を見て、

ああ、ぼくが嫌だったのは、
「目標」ではなくて、「成果目標」だけを見てしまうこと
なのだなあと。

なんのためにその成果目標なんだっけ?
みたいな意義目標がないと、
つまんないんだなと。

意義目標があれば、
成果目標は仮説であり、行動目標はもっと仮説なんだと。

僕は「いまこの瞬間」がとても大切で、
それを存分に楽しみたいという動機が根源的にあって、
そこには「予測不可能性」が必要なんだっていう。

そういう「場」をつくりたいと思っているんだなと。

だから「場づくり」と言いながら、
チューニングとかファシリテーションとか
をやっていたのではないかなと。

そして昨日もうひとつ。
いわゆる「自信」について。

「自己効力感」とか
「自己肯定感」とか。

ちょっとこの2つのニュアンスは違うみたいですが。
https://news.yahoo.co.jp/byline/yokoyamanobuhiro/20171105-00077783/

そもそも。
「自己」っていうのが違うんじゃないのかって思い始めました。

(短期的な)「場」を主語にしてみる。

学びの構図も、
教える側と教えられる側という1対1の関係として
見るのではなくて、

「場」として見る。

先生(だと思われている人)は
「場」に伝えたい何かを差し出す。

生徒(もしくは弟子)は、その「場」から何かを受け取る。
だからこそ、内田樹さんがいうように、
教育とは入力と出力が一致しない営みになるのだと。

たぶん、その感覚。

チームだって、1つ1つのミーティングだって、
僕から見れば「場」だ。

アウトプットを出すのは場のチカラであり、
個人は場に溶けてしまえばいい、
っていうのはきっとそういうことなのかもしれない。

自己効力感なんて不要だと思う。
あなたが「ひとりで」何かを成し遂げる必要なんてないのだから。

それよりは、「やればできるかもしれない」という
成長的知能観を持ちうるチームに出会うこと。
パートナーを見つけること。

そうすれば自信は不要なんだって。

スピノザが言うように、
意志なんて存在しない、としたら、自信なんて不要だよね。
自分が何かを成し遂げるわけではないのだから。
場の構成員として、自らを場に差し出す。

それしかできない。

桜新町の屋台は、それを肌感覚で感じられる場なのかもしれない。
  

Posted by ニシダタクジ at 09:13Comments(0)日記

2019年04月18日

ありえたかもしれない、もうひとつの近代


「NHK100分de名著 スピノザ『エチカ』」

2回目の読了。
読めば読むほどすごい。

そして、冒頭の見出し、
「ありえたかもしれない、もうひとうの近代」
というキャッチコピーが2回目にして、しっくりとくる。

西洋的近代とは、
二元論であり、わかりやすさであり、目標逆算型システムであり、、、

っていうのが
スタンダードで、それが時代にあっていないんじゃないか?
っていう話はたくさん出ているのだけど、
そもそもそのシステムっていうのはどこから始まったんだっけ?

っていうので、
当然、産業革命以来の社会システムの変化を挙げるのだけど。
そのシステムを作り上げた要因として、「デカルト的哲学」があったのだなあと。
その哲学が社会状況と見事に符合して、現在の社会の価値観、哲学、倫理ができていったのだなあと。

~~~ここから本文より引用

私たちがいま国家だと思っている、領域があって主権がある国家という形態は、17世紀半ばになって出てきたものです。

いわゆる近代科学もこの時期に出てくる。たとえばニュートンは17世紀後半に活躍した人です。その科学の支えであった近代哲学も同じ時期に現れました。17世紀は本当に現代というものを決定づけた重要な時代なのです。

私はその意味でこの世紀を、思想的なインフラを整備した時代と呼んでいます。たとえばデカルトは近代哲学の、ホッブスは近代政治思想のインフラを作った人です。そのインフラの上に、続く18世紀の思想が荘厳なアーキテクチャー、つまり建築物を築いていきます。たとえばカントの哲学やルソーの政治思想をそれにあたるものと考えることができるでしょう。

そうすると、17世紀はある意味で転換点であり、ある一つの思想的方向性が選択された時代だったと考えることができます。歴史に「もしも」はありえませんが、別の方向が選択されていた可能性もあったのではないかと考えることはできます。私の考えでは、スピノザはこの可能性を示す哲学なのです。それは「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」に他なりません。

~~~ここまで本文より引用

このあと、「真理」についてのデカルトとスピノザの比較があります。

「デカルトの真理観の特徴は、真理を、公的に人を説得するものとして位置づけているところです。真理は公的な精査に耐えうるものでなければならないわけです。私は考えている、考えているならば、その考えている私は存在している。と言われれば反論できない。」

「スピノザの考える真理は他人を説得するようなものではありません。そこでは真理と真理に向き合う人の関係だけが問題になっています。だから、真理が真理自身の規範であると言われるのです。いわば、真理に向き合えば、真理が真理であることは分かるということです。」

これさ、哲学は何のために、誰のためにあるのか?
っていう問いになっているな、と。

デカルトは誰をも説得することができる公的な真理を重んじました。実際はそこで目指されていたのはデカルト本人を説得することであったわけですが。それに対しスピノザの場合は、自分と真理の関係だけが問題にされています。自分がどうやって真理に触れ、どうやってそれを獲得し、どうやってその真理自身から真理性を告げ知らされるか、それを問題にしているのです。だから自分が獲得した真理で人を説得するとか反論を封じるとか、そういうことは全く気にしていないわけです。

「哲学」って生きるとは何か?という究極の問いに対する仮説にすぎないだと僕は思うのだけど、デカルトは、他者を説得するとか納得させるとか、何かのための哲学になっちゃってるんじゃないかと。これこそが、まさに近代社会との分岐点でしょ。近代工業社会にはデカルトのほうがめちゃめちゃマッチするのだけどね。

そして、この後、この本は(僕の中の)クライマックスへ向かう。

~~~ここから引用

私たちの考え方は強く近代科学に規定されています。私たちの思考のOSは近代科学的です。ですから、そのOSはスピノザ哲学をうまく走らせることはできないかもしれません。

これこそが私が「はじめに」で述べた、「頭の中でスピノザ哲学を作動させるためには、思考のOS自体を入れ替えなければならない」ということの意味に他なりません。

近代科学はデカルト的な方向で発展しました。その発展は貴重です。私たちは日々、その恩恵に与って生きています。そしてまた、公的に証明したり、エヴィデンスを提示することもとても大切です。それを否定するのは馬鹿げています。しかし、そのことを踏まえた上で、同時に、スピノザ哲学が善悪、本質、自由、そして能動をあのように定義した理由を考えていただきたいのです。

近代科学はとても大切です。ただ、それが扱える範囲はとても限られています。

フーコーの「主体の解釈学」。かつて真理は体験の対象であり、それにアクセスするためには主体の変容が必要とされていた。ある真理に到達するためには、主体が変容を遂げ、いわばレベルアップしなければならない。そのレベルアップを経てはじめてその真理に到達できる。

この考え方が変わったのは17世紀であり、フーコーはその転換点を「デカルト的契機」と呼んでいます。デカルト以降、真理は主体の変容を必要としない、単なる認識の対象になってしまったというのです。

フーコーはしかし、17世紀には一人例外がいて、それがスピノザだと言っています。スピノザには、真理の獲得のためには主体の変容が必要だという考え方が残っているというわけです。これは実に鋭い指摘です。

~~~ここまで引用

スピノザ、すげーなって。
僕が大学時代からいろいろ感じて、学んだことが
ダイジェストで説明されてくる感じ。

「場のチカラ」とか「チューニング」とか「リアルメディア」とか
めちゃめちゃスピノザ的だなあと思った。
そして、火曜日に小田原で後藤タツヤと話して、
熱海でとっくんと話して、さらにそれが確信を増した。

「機会提供」そのものの価値。
それを本屋の棚を通じて表現すること。

教育の最大の矛盾は、目的・目標をもって始めなければいけないこと。
そして評価を前提をしなければいけないこと。
でも、エンターテイメントの本質は予測不可能性にある、ということ

それはまさに近代(工業)社会と僕を含めた若者が感じている違和感の
ギャップそのものであるのだけど。

でもさ。
スピノザ的に言えば、本質は自分らしくありたいとする力(コナトゥス)であって、
人によって、真理は異なるだろうし、その真理の獲得のためには自らの変容が必要なわけですよ。

ってことはさ。
「機会提供」こそが、人を育てるんじゃないの?って。

その人がその「機会」によって、どうなるかっていうのは、
あまり重要じゃないというか、
むしろ、その機会提供によって、自らがどうなるか?
っていう問いのほうが大切なんじゃないのか?

「挑戦するな、実験しよう」

にいがたイナカレッジの連載で掲げたコピーの意味が、スピノザを読んだ今ならわかる。

去年の夏にこはるんが言ってた
「イナカレッジは自分を知るプログラムです」の意味が、今ならわかる。

そして僕が本屋をたくさん作ろうとしていることの意味も。

機会を提供したい。本棚で表現したいのは、なぜなのか?

実験するために。
実験し、自分なりの「真理」にたどりつくために。
そのたどり着く過程で、自らを変容させるために。

いや、ために、じゃないんだよ。

生きることそのものが、そのプロセスの中にただ、ある。
根源的欲求として、ただ存在するのだ。

本棚に刺さっている1冊の本。
1冊の本から実験の旅が始まる。

そんな本棚をつくりたいと心から思う。

あなたもそんな本棚をつくるひとりになりませんか?  

Posted by ニシダタクジ at 09:45Comments(0)日記

2019年04月09日

「問い」をもらう「場」としての「本屋」と「地域」

昨日のブログに書いた


「学校をつくり直す」(苫野一徳 河出新書)

からの

「ふるさとを元気にする仕事」(山崎亮 ちくまプリマー新書)

「探究」ってこういうことなんじゃないかとあらためて思った。
地方こそ、地域社会こそ、「探究」の宝庫だと。

僕の「探究」の入り口は、
2002年の中3不登校男子、シンタロウとの出会いだった。

そこから、
「生きる力」ってなんだろう?っていう問いが始まった。

ツルハシブックスの店に立っていたとき、
「やりたいことがわからない」「自分に自信がない」
と深刻に語る大学生を前にして、
「やりたいこと」とか「自信」ってそもそもなんだ?
働くってなんだろう?っていう問いが始まった。

30歳の時、社会科の教師になろうと思って、
玉川大学通信教育学部に3年次編入。
介護等体験も、2週間の教育実習もやったけど、
「自分のフィールドは学校そのものじゃない」と思って中退。

学校そのものじゃないというより、
何かを教えるようなスタンスじゃない、と思った。

2004年に「小説吉田松陰」(童門冬二 集英社文庫)に
出会い、野山獄エピソードに「これだ!」と直感。
以降、「学びあえば希望を生むことができる」
をコンセプトにしてきた。

そして、そのための「機会提供」を行うこと。

「機会提供」というコンセプトは、目的を持って始めないということ。
そしてそれは、「予測不可能性」を大切にするということだと最近になって気がついた。
今でも「暗やみ本屋ハックツ」のイベントに引き継がれている。
今でもたぶん、それは変わらないのだろうと思う。

本屋には、宝物が眠っている。
それは「探究」を駆動する何か、だ。
そしてそれは、「地域」にも、「地域の人」にも同じく眠っている。

「地域の課題解決」が叫ばれているが、
「解決」したいと心から思うのは、一般的「課題」じゃなくて、
具体的な誰かが困っていることだ。
それを解決することで楽しい未来が待っているようなこと。

それに出会えること。
それが「本屋」と「地域」の魅力だろうと思う。

「本」や「地域の人」に出会い、心が動くこと。
「衝撃」や「共感」だったり、「何とかしたい」と思うこと。
そこから「探究」が「学び」が駆動していく。

そういう場所をつくりたいんだ。

そんな学びを駆動させる1冊に
偶然にも出会える本屋を、一緒につくらないか?

「探究」を発動するような地域を、場を
一緒につくらないか?  

Posted by ニシダタクジ at 06:43Comments(0)日記かえるライブラリー

2019年03月18日

場という「おでん」の具として生きる

イナカレッジ・ラボ@東京・湯島でした。


午前中は
「beの肩書き」ワークショップを
40代のおじさん3人でやるという・・・
みんな人生、迷ってますね。笑

人生を物語として見たときに、
どう見えるか?
っていう鈴木さんが言っていたことが
印象的でした。

僕の中で出てきたキーワード。

本、問い、場、フラット、創造、コミュニケーション・デザイン、コミュニケーション・ツール、お客は誰か?、脱・自分、脱・二元論、いいかげん、目的に向かわない、機会提供、溶け出す、とかとか。

あとは「場づくり」の価値をどのように伝えるか?
っていう話。これは面白かった。

参加者の鈴木さんは
「鈴木さんって何をしたいのか、よくわからないですよね」
ってよく言われるらしい。
それって場づくりにとっては、むしろプラスなんじゃないか、と。

場の価値や目的を言語化できる、っていう場と
言語化できない場っていうのは、
どちらが価値があるのか?っていうジレンマ。
というか、価値があるのは言語化できない「場」なのではないか。

午後は、イナカレッジの井上有紀さんと
「挑戦するな実験しよう」をテーマに参加者とフリートーク。

「やってみる」こと、「ふりかえる」こと
「ふりかえる」ときに、
「目的」「目標」に沿って考えたことをふりかえるのか?
「顧客」「価値」について感じたことをふりかえるのか?
「予想できなかったよかったこと」は何か?

「適応する」ことは個体にとっては「本能」であって、「価値」そのものではない。
その個体が属する集団にとっては価値である可能性が高いけど。

予測不可能性というエンターテイメント性と
予測可能性という安全性・安心感

「何に囲まれるか?」という判断基準。
「感性」を磨いていくこと。「問い」を共有すること。
とまあ、こういう感じ。
この4日間の「就活の違和感」ウィークで思ったこと。

「二元論」でわかりやすくすること、とか
「自分」(っていう概念も二元論だと思うけど)っていう考え方が
苦しさの原因なのではないかと。

3月14日(木)の
「続・ゆっくり、いそげ」の夜でも、
本の中でも出てくるけど。

よい「場」っていうのは、
おでんのようなもので。

それぞれが、おでんに向かって
ある者(たとえば昆布)は多くダシを出して、
ある者(たとえば大根)は多くダシをもらって、
全体としてひとつのおでんができている。
ジャガイモはいつの間にか場(つゆ)に溶けている。

よい場っていうのは「おでん」のような場なのではないか。

個人を個人として考えるのではなく、
場の構成要素として、つまりおでんの具のひとつとして、
とらえてみること。

2003年に発売された
「13歳のハローワーク」(村上龍 幻冬舎)は
200万部を売り、子どもたちに呪いをかけた。
「プロフェッショナルになれ」という呪い。

一方で同じ年にリリースされた
「世界にひとつだけの花」(SMAP)は、
「ナンバーワンにならなくてもいい元々オンリーワンなのだから」

それは子どもたちを癒すのではなく、
よりいっそう、「何者かにならなければならない」
という呪縛につながった。

でも。
そもそも人はONEなのではないのではないか。
おでんの具のように、生きていけばいいのではないか。

場(つゆ)の中のひとつ(ひとり)として、
場とやり取りしながら、出番が来るまで、
役割を全うすることなのではないか。

そんなおでんの歌を、必要としているのかも。  

Posted by ニシダタクジ at 06:37Comments(0)日記

2019年03月15日

「おでん」のような「場」をつくり、「植物」を育てるように「事業」をつくる

クルミドコーヒー影山知明さんとの
「続・ゆっくり、いそげ」の夜。



「続・ゆっくり、いそげ」を読んでの
知の巨人、影山さんとのトーク。

キーワードは、「おでん」と「植物」かなあ。

~~~ひとまずメモ書き起こし。

おでんの中のジャガイモになる。最後はつゆに溶けてしまっている。でもたしかにじゃがいもはそこにいる。

小さなおでんをたくさんつくる、ということ。

「自分」ていうのと「二元論」みたいなやつが苦しさの源泉だと思う。

「共感できる」っていうのはビジョンや目標ではなくて、その人物に、心が、感性が反応するっていうこと。

「就活」とは限られた時間の中で内定を取るゲーム、つまりフレームワークだ、システムにおいて必要なのはそこに適応できる人。

違和感を感じる=創造のチャンス。

「何がしたいのか?」って問いが違うような気がするんですよね。

小さな植物を育てるようなプロジェクトをやってみる。育てながら、「顧客」はだれか?「価値」は何か?と問い続ける。

「リザルトパラダイム」⇒正解主義⇒論理的思考⇒わかりやすさ⇒効率的

「人の役に立つ」とか「役割を果たす」という呪縛はあるよね。自分の存在意義をそこに求めてしまう。
「自分とは?」とひとりの個人として問うのではなく、「価値とは?」「顧客とは?」を場として問うということ。

「身体がついていかない」っていうリアルを大切にしたい。それ、どうありたいか?に対する身体からのメッセージ。

「小さな植物を育てる」「小さなおでん鍋をつくる」っていうこと。

おでん×植物理論
人(具)は場(つゆ)によって活かされ、場は人によって生かされる。その「場」(土)から植物が育つように事業は展開していくことができないか。

「おでん」っていう「場」の良さは、時間軸があいまいになっていること。完成されないこと。終わりがないこと。いつからでも参加できること。
「続・ゆっくり、いそげ」の夜が旅をするとしたら、「カレーキャラバン」じゃなくて「おでんキャラバン」ですね。

「おいしいおでん」ができたとき。(プロセス上の一地点であって、「完成」ではない)その手柄は個人(具ひとつひとつ)にはなくて、「場」(具とつゆの集合体)にある。
そういうおでん的な関係を職場と結べるか?

植物、たとえば木であれば、大きさに限りがある。大きいもの(構造物)を作るには、ピラミッド型にするしかない。そうしてリザルトパラダイムが始まる。

~~~ここまでメモ

「おでん」のような「場」をつくれたら理想的だなあと思った。
それは、職場でも、飲み屋でも、本屋でも同じなのだけど。

積み重なる何かがダシとなり、「つゆ」ができる。
ジャガイモすでに溶けているのかもしれない。
新しい人が来たら、だんだんと味をなじませる。
もしかしたら、新しいおでん鍋をこしらえたほうがいいのかもしれない。

そんな「場」から生まれる、
というか、育てる「植物」のような事業、あるいはプロジェクト。

どんな種がまかれたか、
どんな土の状態なのか、
によって、育つ植物の樹形や根の張り方はかわってくる。

そんな風な、リザルトパラダイムではなく、
プロセスパラダイムにある事業、
あるいはプロジェクトに携わっていくこと。

そう考えると、教育っていう空間、
つまり学校空間そのものが
巨大なリザルトパラダイムの中にあるっていうのは
どういうことなのだろうなと思った。

学校・教育への違和感は究極そこに行くのかもしれないなと。

まあ、それも
「二元論」で語らないほうがいいのだろうと。

正しい間違っているとか
どっちがいいとか悪いとかではなくて、

それはそれとして、
適応していくのか、距離をおいていくのか。
そこを自らの判断でやっていくことなのだろうなと。

「違和感」を感じるからといって、
それは必ずしも排除すべきものではないのだと思う。

そんな「違和感」を組み合わせて、
新しいものが生まれる可能性がある。
つまり創造の種になることがあると思う。

僕は、「就活」という舞台を、
もっと創造的な場にしたいと思う。

面接が終わった時に、
「いま、話したことで、新たな事業のヒントが得られました」
みたいに人事担当者が言うような、就活。
創造的な就活。

「自動車をつくるように」ではなくて、
「植物を育てるように」、やってみること。

その予測不可能性と
ブリコラージュを楽しむこと。
そんな機会に触れることを
大学じゃなくて、高校、中学のときからやってみること。

リザルトパラダイム一色の教育を受けてきたのに、
急に、「未来はAIの登場によってわかりません」って
言われたら、それは困るよね。

学校教育はリザルトパラダイムの中で
目標設定・達成を行う場であるとしたら、
学校外の場、カリキュラムの外では
プロセスパラダイムでプロジェクトをつくっていくことを
やっていったらいいのではないかと思う。

それが、僕が考える「オルタナティブ就活」なのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 10:55Comments(0)日記

2019年02月27日

「委ねる」という「創造的脱力」

本屋であることの意味は「委ねられる」ことだと思った。



「続・ゆっくり、いそげ」に出てくるおでんの話が好きだ。
ダイコンも、昆布も、厚揚げも、
場(つゆ)に溶けているというか、
一部は活かされ、一部は貢献している。

その度合いは、場に委ねられている。

目的をもって始めないこと
課題を解決しないこと

は、若者と活動するときの重要なことだと
10月に気付いた。
「いま」を大切にすること。
「いま」を未来のための手段にしないこと。

「就活の違和感」の多くも、
そういうところに起因しているのではないか。

自らを「商品化」して売り込むこと。
そしてそれは「交換可能」であること。
常に「就職」というゴールに向かっていること。

そして何より、
「就活」のコミュニケーションがフラットではないこと。

フラットじゃないコミュニケーションからは
「創造」「学び」は生まれにくいこと。
だから、そのプロセスが楽しくないこと。

本屋は委ねる。
立ち飲み屋も委ねる。
ワークショップも委ねる。
僕はそういうのが好きなのだろうなと思った。

「委ねる」ことで、そこに「予測不可能性」が生まれて、
その「予測不可能性」の前で、人はフラットになる。

目標を持って、その達成に向けて進んでいる場合、
「予測不可能性」は排除すべき「ノイズ」でしかない。

タイトなスケジュールの中で、
そのゴールを達成しようとしている中で
失われていく「ノイズ」

http://hero.niiblo.jp/e488367.html
(18.11.7 挑戦するな、実験せよ)

に取り上げた本「情報生産者になる」で
上野千鶴子さんは、

「情報はノイズから生まれます。ノイズとは違和感、こだわり、疑問、ひっかかり・・・のことです。」

「情報とは、システムとシステムの境界に生まれます。複数のシステムの境界に立つ者が、いずれをもよりよく洞察することができるからです。」

と言う。

そうそう。
そこから「情報」が生まれ、「情報」から「創造」が生まれる。

そしてそれこそが「学ぶ楽しさ」
そのものなのではないかと思う。

だから、「委ねる」ことだと思う。

自分が目標を決めて進む「キャリアデザイン」ではなく、
流れに身を委ねてみる「キャリアドリフト」。
そこから感じた「ノイズ」をキャッチして、
次のステージへ進む。

たぶんそういうこと。

僕がつくりたいのは、
「委ねる」という「創造的脱力」

だから、アウトプットの形は、
本屋と立ち飲みとワークショップ含めた場のデザインになるのかもしれません。  

Posted by ニシダタクジ at 08:09Comments(0)日記