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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2018年10月12日

にいがたイナカレッジという「問い」

この夏にかかわっていた
大学生向けプログラム
「にいがたイナカレッジ」の参加者レポート。

https://inacollege.jp/blog/2018/10/11/%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B8%E3%81%A7%E8%A6%8B%E3%81%A4%E3%81%91%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%90%E6%A2%B6%E8%B0%B7%E9%BA%BB%E8%B2%B4%E3%80%91/

「即決できなかったのは、1か月という期間の長さ。
夏休みはインターンもそこそこに遊びたかったのが本音です…。
でもこれだと今までの大学生活と何も変わらないような…。

そして、1か月知らない人と知らない土地で暮らすことへの不安。
しかし参加を決めたのも1か月という長さ。
参加してみれば何かを得られるのではないか。変わる自分がいるのではないかという期待。
とりあえず行ってみよう…。悩みに悩んで、自分にとっては大きな決断をしました。」

うんうん。
そうだよね、そうだよね。
1か月は長いもん。

この時間を投資して得られるものはなんだろう?
って考えちゃうよね。

そして、

「釜谷の人が望んでいた冊子(歴史)と自分たちが作りたい冊子が噛み合わなかったとき、要望に応えたい、でも伝えたいことを曲げたくないと迷った時があります。

他の地域で私たちより早く活動をしていたインターン生に、「私たちの地域も同じだった。大事なのは自分たちの伝えたいことを伝えることだと思う」とアドバイスをもらうことができたので、それから私たちは自信をもってときめきを伝える冊子を作ることができました。」

泣ける。
泣けたなあ。

実はこの後にくるラストが超泣けるし、
僕も関われてよかったなあと思うのだけど、
それは本文を読んでください。

にいがたイナカレッジは
きっとそういうプログラム。

コーディネーターの井上有紀さんは、
あの「誇りの空洞化」を叫んだ
明治大学農学部の小田切ゼミ卒業生であり、
ツルハシブックス黄金期の
2015年を作った店員サムライの中心メンバーでもあり、
米屋を通して「暮らし」を届けるコメタクの
立ち上げメンバーでもある。

その系譜がカタチになったような、
そんなレポートだなあと。
すべて、問いでしかないんだって、あらためて感じた。

通常の企業のインターンシップと
明らかに違うのは、「得られる経験」が
明らかではないこと。

1か月という長期間(大学生にとってはかなり貴重)を
田舎で暮らすという投資に対して、
リターンが明確ではないこと。

たぶん、それがいいんだなあと思う。
でも、それって伝えるのが難しい。

どうやって伝えるか、っていうのを考えて、
上記のインターンを大学4年生にレポートしてもらったのがこちら

https://inacollege.jp/blog/2018/10/01/%E3%80%8C%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%99%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E6%97%85%E3%81%AB%E5%87%BA%E3%82%8B%EF%BD%9E%E5%A4%A7%E5%AD%A64%E5%B9%B4%E7%94%9F%E5%B0%8F%E6%98%A5%E3%81%8C%E8%A1%8C%E3%81%A3/

「自分を知る」
それがイナカレッジの価値だと
彼女はレポートした。

そう。
「にいがたイナカレッジ」は問いなんだ。

内田樹さんの
「下流志向」(講談社文庫)と
「先生はえらい」(ちくまプリマー新書)
を読むと、学びとは何かについて考えさせられる。

現代社会において、教育が「お買いもの化」されている。
つまり、最小の投資(努力)で最大のリターン(成果)を得られるように、
というマインドに覆われている。

ところが本来、学びの本質は、
師匠が何をいったかに関わらず、
自分は何を学ぶか、学んだか、
というのが大切であり、それこそが学びの醍醐味なのだと。

これ、インターンシップにも同じことが言えるだろう。

インターンシップ募集サイトには
「得られる経験」が書いてある。
みな、目的をもってインターンをする。
(もちろん、同級生がしているから、みたいな理由もあるけど)

にいがたイナカレッジは、何が得られるのかよくわからない。
だって、田舎で暮らすだけなのだから。

そんなことに
就活前の大学3年生という貴重な時間を投じていいのだろうか?
と思う人も多いだろう。

何が得られるのか?
と不安になる人も多いだろう。
でも、それこそが、思考の呪縛だと僕は思う。

経験も状況も問いでしかないのだから。

昨日、「つなぎ道」の佐藤孝治さんに、
「ご紹介したい人がいます」と言われて、
1時間ほど、ウェブ上でインタビューを受けた。

「ご紹介したい西田卓司さんというすごい人がいます」
佐藤さんの紹介はだいたいこんな感じ。

聞いた人は、
詳細の情報がないから自分で聞き出すしかない。

「この人はすごい人だって佐藤さんが言っているから、
何か聞いて、そのすごさを吸収しよう」

って思っているから、実際に僕は「すごい人」になる。

実はその時、僕は「すごい人」である必要がないのだ。

相手が勝手に「すごい人」だと
思い込んでいてくれさえすればよい。

そう。
佐藤さんの「つなぎ道」も同じく
「問い」だったのだと。

「すごい人」だと紹介することによって、
紹介された人は、その人のすごさを
自分なりに解読しようとする。
それこそが学びの本質なんだ。

現在美術家の北澤潤さんが
デザイナーの仕事は課題を解決することで
アーティストの仕事は問いを投げかけることだと言っていた。

「問い」を投げかけること。

きっとそれが僕のやりたいことなのだろうな。
現代美術家だしね。


※写真はイナカレッジ中間研修(18.9.3)の本屋出店の図  

Posted by ニシダタクジ at 06:40Comments(0)日記

2018年09月26日

「好きなこと」という「点」をいっぱい打っておく

大正大学「地域実習」7日目。
柏崎市小清水集落でカフェなどを
手がける矢島衛さんに話を伺う。


矢島さんの守る神社で話を聞く。




矢島さんと奥様が運営するEALY CAFEの豆カレー。

~~~以下メモ

矢島衛さん:1984年生まれ。東京出身。
2007年大学卒業後、母の実家だった小清水へ孫ターン

百年後まで集落を残す。をミッションに
「ひゃくいちねんかい」を発足。

それが紹介してある柏崎まちづくりネットあいさのウェブもすごい。
http://npo-aisa.com/hero/hyakuichinenkai/

誇りが持てる暮らしをつくる。
集落を元気にする。

念仏を唱えてご飯を食べる、などの風習が
震災による建物の倒壊で中断。
⇒そういう場所必要じゃん

EALY CAFÉ(イーリーカフェ)をスタート
・集まれる、食べられる場所が必要
・情報発信の場として
・気軽に地域外の人が呼べる

※古民家風カフェにはしたくなかった。
この先に何があるのかわからない⇒期待値を超えたい
整えられた空間。
月300名の来店。(村2・市内4・市外4)
地元の人談「若い人ががんばっているのを見るのがうれしい。」

景観が荒れると心が荒れる。
里山:自然と人の営みが一緒になっている空間

田の多面的機能
冬の間は農業できないので酒造りをしている
コメ作りを今年から始めた。
→小清水の酒を造りたい:毎年味が変わる

ワイン:ブドウの出来で9割決まる
日本酒:米の出来では1割しか決まらない
人間によって味が設計できる
その年何があったか?の物語を日本酒で語れる
つらいことがあったら辛い酒
めでたいことがあったら華やかな酒

大学では民俗学を専攻。
小清水集落でフィールドワーク。
「小清水こそ私のふるさと」「孫まで伝えたい」
誇り=自分がやらなきゃ。就活やめて移住。

その年の7月に中越沖地震。
ロウソクの火を見ながら、腹を決める。「この道でいく」

ほかの地域なにやっているんだろう。と視察。
山奥でもお店できるんだ、と。

25歳でIT企業に就職、結婚。

企業では上へ上へひっぱり上げられる
→これが俺のやりたかったことかな?
→集落を元気にする、残す。
→「命削って会社員して、週末だけ地域活動するだけでいいのか?」

集落の田んぼがヤバいから農業法人へ転職。
奥さんとカフェをオープン。

矢島さんからのメッセージ。

好きなことを極めてほしい。
好きなこと=没頭する=努力必要ない
まわりにもいい影響を及ぼす。

「できること」「やりたいこと」「喜ばれること」の
三角形の真ん中につくっていく。

課題に真正面から向き合わない、背負いすぎない。
メインストリーム(主流)じゃない。
⇔亜流であるっていうこと。決まりきってはいけない
使命感でやらないこと。

ハードウェア:小清水
ソフトウェア:東京

物語をつむぐ
好きなこと=点
点と点がつながる。

イノベーション:点と点の組み合わせ
⇒点をいっぱい打っておいたほうがいい
⇒遠ければ遠いほどいい

ポートフォリオワーカー
変態:好きが行きすぎる人

編隊が育つと地方がおもしろくなる。
「あいさ」:変態製造所

変態ツアーをやる。
農家民宿:ツアーが組める
何を食べるかよりも人に会うツアー

ふるさとを複数個もつこと

プレスリリース:
ニュース性、社会性、話題性があれば取材きてくれる。

~~~以上メモ

いやあ、めちゃめちゃ面白かった。
日本酒づくりの話とか変態ツアーの話とか。
僕もやりたいわ、と思いました。

大学生の心に響いたのは、
「好きなことやれ」っていうこと。
好きなことは没頭できるから努力が必要ない。

そうやって「好きなこと」っていう
点をいっぱい打っておくこと。

ジェームズ・W・ヤングは、かつて言った。
「アイデアは既存の要素の組み合わせにすぎない」と。

プロジェクトも、イノベーションも、
いや、もしかしたら人生もそうなのかもしれないと思った。

「好きなこと」に「没頭」して、「点」を打っておく。

後から、スティーブジョブズが言うように
「点」と「点」がつながる(コネクティング・ドット)のだ。

すべての点がつながるわけではもちろんないと思うのだけど、

その「点」が遠ければ遠いほど、イノベーションは大きくなる。
「カケルナニカ」のナニカの距離が遠いっていうこと。

点をいっぱい打っておくこと。
それをあとから振り返って、つなげること。

そう考えると、やっぱり僕の次の一手は
「畑のある本屋」ですかねえ。  

Posted by ニシダタクジ at 08:11Comments(0)日記

2018年09月17日

もうひとつの拠点をつくる

9月15日~17日で
「福島白河にもうひとつの拠点をつくる」合宿を
コーディネートしています。(あまりしていないけど)

東京・新潟・宮城から20代6名が集まって、
「移住」「二拠点居住」をテーマに
福島の地域を、見て、感じて、アウトプットします。

僕の肩書は、
「二拠点キャリアコーディネーター」です。
今回の合宿のためにつくりました。

まずは1日目。
ご当地の白河ラーメンを食べたあと、
白河駅近くのコミュニティカフェ「EMANON」で
青砥さんの取り組みを聞いて、
キーワード「他者」と「余白」、
「やらされる」から遠い場所をつくりたい。
を得る。

その後、聖ヶ岩キャンプ場へ行き、芋煮会。

1日目のハイライトは
参加者の一人が言ってた2つ。

「東京は類友だから、同じような人が集まっていて、
だんだん狭くなっていく。他者に出会えない。」

「好きなことを仕事にする、っていうことは、
そういう人ばかりの集まりになって、やっぱり閉じていく」

へ~。
そうなんだね。
「閉じていく」ことへの怖さみたいなものがあるんだな。
僕にもあるけども。

新潟で本屋をやっていて、
「ツルハシブックスの西田」になっていく怖さと
あとはSNSでおっさんのランチのラーメンの写真を見ながら
俺は死んでいくのか?
って思ったもんなあ。
「二拠点」とかってそういうことなのかもしれないですね。

そういう人に出会って、話をしていく中で、
気がついたことをメモできるって大事かもしれないな。

A6ノートとボールペンとか
参加者全員に渡すのはありかもしれませんね。

キャンプ場は圏外だからデジタルデトックスできるのも
強みだなあと思いました。



2日目は西郷村(にしごうむら)ツアー

朝8時から酪王カフェオレの元となる牛乳をつくっている
「雪割牧場」へ行き、酪農の現場を見る。
ここは、震災後に規模を拡大して、地元の雇用の場となっていた。
酪王カフェオレ(牛乳も)おいしいもんね。



その後、上野農場でジャガイモ掘り。

西郷村は、戦後、開拓された村。
満州からの引揚者を含む全国からこの地に移住する。
だから村の歴史はまだ70年。
「うちのオヤジたちが・・・」
とよく話していたけど、まだ2代目、3代目だ。

なぜ、ジャガイモが特産なのか。
風が強くて、なかなか作物が育たなかった。
だから防風林として松を植え、
その風下に杉を植えて建材とした。
そんな畑。

掘ったばかりのじゃがいもを
地元のお母さんたちが待機している集会所へ行き、
ゆでじゃがと、カレーを作って食べた。
その時に、子育てや地域のリアルな話が聞けた。

午後からは遊歩道を散策。
紅葉したらすごくきれいなんだろうなと思う
場所を地元のガイドさんたちと滝まで歩いた。
こういうときのコミュニケーションって大事だな、と。

そして夜。
地元の方々との交流会。
これがタレントぞろいで面白かったのだった。

ということで、2日目の振り返り。

酪農の現場を見る、に反応していたのは、
大学の時に農業系の団体をやっていたHさん。
全国のいろんな農家さんを見に行きたくて
いったのだけど、酪農家だけはいけなかったのだという。

今回、最新の搾乳機を備えた
規模の大きな酪農業を見たのと、
家業だった酪農を閉業して、
雪割牧場で働いているリアルな話を聞けたりして、
ああ、酪農ってそうなっているんだ、って思えた。

いつも、当たり前のように冷蔵庫に入っている牛乳が
たくさんの人(や牛)の手を通って目の前にあること。
そんなことを実感できたという。

たぶん、みんないろんなシーンで感じることがあっただろうと思う。

体験を通して、「価値」に気づく。
同世代との対話を通して、「大切にしたいもの」を感じる。

それってとても大切なことなのかもしれないなと思った。

まずは五感を開く。
他者と出会い、感じる。
「価値」に気づく。
そして、やってみる。

そういう「もうひとつの拠点」
を、必要としているのではないだろうか。

「移住」は、その人の人生の瞬間の出来事のことだ。
当然ながら、「移住」は目的ではなく手段に過ぎない。

だから、「移住」をゴールにした取組みではなくて、
参加者それぞれの人生にフォーカスし、
その地域の資源(自然資源、人的資源)に出会い、
感性を発動させながら、

自らが大切にしたい「価値」に気づくこと。
同世代との対話の中で、「感性」に自信を持つこと。

生きていくのに本当に必要なのは、
感性に自信を持つことだと僕は思っているし、

ツルハシブックスという実験の価値も
そこにあったと思っている。
(今井さんも井上有紀さんも同じことを言っていた)

「感性に自信を持つ」には、
場のチカラが必要なのだよね、きっと。

誰とやるか
いつやるか
どこでやるか

福島白河。
開拓者の村、西郷村。

この村での様々な体験が、
参加者ひとりひとりの、そして地元の人たちにとっての、
「感性に自信を持つ場」になったらいいなと思った。

それが「もうひとつの拠点をつくる」ことの価値なのかもしれないと思った。

僕自身も振り返ると、素敵なカフェをやっている
主催の青砥さんの感性を信じられると思った。
参加者の顔が浮かんで、いい合宿になりそうな気がした。

この2日間のプログラムやお会いした人たちを思い返すと、
その感性でいいんだなと思えた時間になった。

青砥さん、参加者のみなさん、西郷村のみなさん、
素敵な時間をありがとうございます。  

Posted by ニシダタクジ at 07:02Comments(0)日記

2018年08月29日

システムを俯瞰して見ること

今月23日に発売された教員志望者向け雑誌「教職課程」の
巻頭メッセージ「そうか、きみは教員を目指すのか?」に掲載されています。
なんとリニューアルされたので第1回の#1です!





書店や大学生協、大学図書館などで見つけてください!
報告お待ちしてます!
テーマは「価値出会う」ことについて、書きました。

現代の若者の生きづらさの大きな原因のひとつが、
「価値」そのものが流動化していることだと僕は思います。

学校で教えられてきた(今も教えられている)「価値」が
価値を持たなくなっている。

それはインターネットが、とか、AIが、とか
いろいろ原因はあるのでしょうけど、
そもそも「価値」というのは常に
流動しているものなのではないかと僕は考えます。

だから、都度、「価値」を確認しなければならない。

今日、僕は夜、仙台で
「やりたいことがわからない」の社会学というテーマで
話しますけど、

「あなたの夢は何か?」
「将来、つきたい職業は?」
という問い。

親戚のおじさんが聞いてくる「将来、何になりたいんだ?」
とか、親戚のおばさんが聞いてくる
「あなた、いい人いないの?」(これは若干違うか)

みたいな問いにおける
「価値」はなんだろうか?
と問いかけてみる。

5年後10年後の世界がまったく予想できないのに、
自らの10年後のビジョンを描けと小学生に問いかける学校システムは
どう考えてもナンセンスだと思う。

じゃあ、何のために、(何の「価値」があり)
それを問いかけるのか。

それは管理上の理由なのではないか。
あるいは、「評価」のためである。

進路指導(あるいはキャリア教育)をする上で、
目標を定めなければ、指導は難しい。

目標を決めて、その達成を指導・支援することが
学校的な「価値」であるからではないか。

そもそも、
「目標を決める」ことに価値はあるのだろうか?

価値はないわけではないけど、
「価値がある場合がある」が答えだろうと思う。

あるいは、
かつて、そういう時代があった、かもしれない。

たしかに、工業社会においては、
目標を決めて、達成すること。
均質な製品を早く、大量に生み出すことは
絶対的な価値があった。

ところが、それは産業革命以降の限定された時代にのみ
通用する価値だったのではないか。

そしてその時代と
「学校」というシステムが成立していったのとは
同時期に起こっている。

いま、社会は大きく変わりつつある。
少なくともかつての工業システム(大量生産・大量消費)で
「価値」=経済的価値を生むことはできなくなった。

「価値」が流動している時代、
都度、価値は変化していて、
その価値は、自らが判断・決定するしかない。

だから、教員志望者に限らず、
大学時代にやっておいたほうがいいと僕が思うのは、

「価値に出会う」こと。

学校システムが設定する「価値」とは別の「価値」
が世の中にたくさんあって、
それを自分なりに見つけ、そこを目指していくことが必要だ。

学校システムを否定するわけでは決してない。

しかし、学校システムが設定する「価値」は
「価値」のひとつに過ぎないのだ。

じゃあ。
それ以外の価値に出会うにはどうしたらいいのか。

人に会う
本を読む
旅に出る

多くの人が言ってるけど、僕もこれだろうと思う。
陸奥賢さん流に言えば、「他者に出会う」ことだ。

そうやって、「価値」に出会うことで、
自分がいるシステムを俯瞰し、相対化できる。

そこから、自らが生み出したい「価値」を考え、
その価値の実現に向けて動いていくこと。
たぶんそれ。

さて。
僕は「かえるライブラリー」を実現していきますね。

では、今夜、仙台にてお会いしましょう。  

Posted by ニシダタクジ at 07:48Comments(0)日記

2018年08月10日

「若さ」という機能

「今の大学生っていろいろ考えててすごいなあと。
僕が大学生の時なんて、ただ遊んでいただけで何も考えてなかった。」

トークイベントなどをしていて、最近違和感を感じる発言。
そんなの当たり前じゃんって。

そして、その発言をした人は、
その大学生と同じ地平に降りてないっていうか、
安全地帯から発言してるっていうか、
僕と君は違うから、って予防線を張っているっていうか、そういう感じ。

昔の大学生よりも今の大学生のほうが優れている。
それは、携帯電話と同じだ。

今の大学1年生は、携帯で言えば、
iphone7みたいなもんだ。
最新の機能(顔認識とか)がついている。

そう考えれば、
今の20代半ばの人たちなんて、
iphone3みたいなもんだよ。
もはや化石だよ。笑。

40代な僕らなんて、
大学時代は携帯電話すらなかった時代
(その頃広末涼子がポケベル宣伝してた)

だから、
僕は、若いというだけでむしろリスペクトというか、
その話を注意深く聞いたほうがいいと思う。
今の最新の感性は何にヒットしているのか、
学んだほうがいいと思う。

高校生に至っては、iphone10みたいなもんだから
より鋭くなっているはずだ。
少し年下の世代を見つけて、
説教したくなるとおじさんになったというらしいのだけど、
(それは大学生でもなってしまうらしい)

「若さ」という機能(つまり感性)に
もっと耳を澄ませてみることが大切なのではないかと思う。  

Posted by ニシダタクジ at 09:02Comments(0)日記

2018年08月03日

「少数派である」ということ

少数派であるということ。
それは多数派ではないということ。
その意味でしかない。

少数派は、異常ではない。
多数派が正常ではないように。

でも、不安になるんだよ、少数派は。
多数派はなぜか自分たちが正しいと思っちゃうんだよ。

「学校」っていうシステムは、
「多数派」を作ってきたのではないか。
「少数派」もしくは「ひとり」にとっては
生きづらいシステムを作ってきたのではないか。

「社会」の中においていつも人は、
「アイデンティティ」(自分らしさ)不安にさらされている。

それを、
「多数派」が支配する社会は、

マズローの欲求5段階説が説明するように、
生理的欲求⇒安全欲求⇒所属と愛の欲求⇒承認欲求⇒自己実現欲求

「所属と愛」を会社と家庭で満たし、
(満たすようなシステムをつくり)
人を「多数派」にしてきた。

しかし、いま、その前提が崩れているのだ。

人口が増え続けること。
地方や他国から搾取し続けること。
そのような条件下にのみ、
そのシステムの維持は可能であったのではないか。

だから、
会社や地域といったコミュニティは溶解した今。
承認不安と同時に、所属の不安を感じている。

つまり、マズローの3段階目以降が溶け出している、
とも言えるだろう。
自己実現と、承認と所属が
それぞれを前提とせずに絡み合っている。

この春から自由の身となって、
自分とは何か?という問いを
大学生並みに問いかけている。
過去を振り返ったりしている。

昨日も金沢で20年ぶりに再会した谷内くんと
地域のプラットフォームについて話していて
なんか、1週間ぶりにあったかのような会話で
なんだかうれしかった。




僕は「畑は人と人をつなぐ」と直感して畑をやり、
不登校の中学生シンタロウに出会って問いをもらい、
小学生と神社で遊んだり、大学生の挑戦の舞台をつくったり、
試行錯誤の結果、本屋になった。

やってくる大学生の悩みを聞いて、
また問いをもらい、
その問いを解き明かしたいと大学職員をやってみた。

「やりたいことがわからない」の社会学
がテーマだ。

思想的には、
大学時代に出会った宮澤賢治先生の「芸術家であれ」
というメッセージと
自然農実践家の沖津一陽さんの
「ダイコンがダイコンを全うするように私は私を全うする」と
「小説吉田松陰」に書かれていた野山獄のエピソードでの
「学びあいで希望が生まれる」
が僕の中で大きい。





今回の旅は、
七尾で行われた高校生と大学生の座談会的なものの見学でした。

振り返りの時間も担当させてもらいました。

「予想できた」「予想できなかった」
「よかったこと」「わるかったこと」
マトリクスの振り返りをした。

大切なのは
「予想できなかったよかったこと」で
その人しか知らない(気づかない)具体的なエピソードが
出るということ。

参加者のこの人に、こんなことを言われた。
とか
あの時間にあの子、いい顔してた。
とか

そういうことが出てくること。
それこそがイベントの「価値」なのだ。
そしてそれを出すためには、
ひとりひとりの「顧客」にもっとフォーカスしなければならない。

僕は本屋(本を売っている)であり、
現代美術家として、「本屋のような劇場」をつくっていて、
高校生、大学生、20代社会人といったキーワードでの
場の設計者であったりファシリテーターであったりする。

キーワードは、
「少数派」であり、「ひとり」かもしれないと思った。

多くの人が「ひとり」であり、「少数派」である。
しかし社会システム、学校システムは「多数派」を要求してくる。
そのほうが効率的だからだ。

でもそれって、
「効率的」が価値を持つ時代、社会にのみ有効なのではないのか。
所属の欲求、承認の欲求、自己実現の欲求が溶け出しているいま、

僕は本屋として、現代美術家として、場の設計者・ファシリテーターとして、
「機会提供」を続けていこうと思った。

ある人に、「機会提供」の結果に責任を持たないのことは無責任じゃないのか?

という問われた。
それは少数派だから、そう言われるのではないか。

多数派な学校教育であれ、その機会提供の責任は同程度にある、つまりいずれも責任はあまりないのではないか。

と僕は思っている。

そんな誕生日の朝です。
新しい1年もよろしくお願いします。  

Posted by ニシダタクジ at 05:44Comments(0)日記

2018年07月23日

「働き方」と「暮らし方」

「働き方」が変わりつつある、と言われている。

7月18日(水)
イナカレッジバー@東京・湯島

にいがたイナカレッジ
https://inacollege.jp/
の説明会を兼ねた座談会的なイベント。

大学生の感想コメントを読んでいて、

「暮らしのインターン」という
キーワードが響いたことがわかる。

1人だけ紹介しておくと、
・「暮らしのインターン」という言葉が印象に残りました。
仕事を中心に考えるのではなく、どうやったら自分の幸せを
感じられるのかという「幸せの基準」みたいなものを中心にして、
仕事や生き方を考えるというのが大切なのかなと思いました。

こんな感じ。

「働き方」と同じくらい「暮らし方」が
大切なんだなと思った。

イナカレッジのコンセプト
https://inacollege.jp/about/

「価値観」とか「地域の豊かさ」とか「よそ者」「若者」とか。
まあ、そうなんだけど。
もしかしたら、
「暮らし方」っていうキーワードなのかもしれないな、と。

「働き方」って、何かまだ、正解があるような気がするし、
「これからの働き方」って言われると、
何か今までと違う何かがあるのではないかという気になる。

でも、「暮らし方」って答えないもんね。
自分が何に「価値」を置いて、何を大切にしていくか、
っていうことだから。

言ってみれば、
「暮らし方」の中に「働き方」があるのだと思う。

にいがたイナカレッジが
「暮らしのインターン」だとすれば。
(たしかに、1か月の「暮らし」がそこにはある)

そこで得られるものは、
自分の暮らしの中で「大切にしたいもの」
について考える機会なのかもしれない。

糸井重里事務所の「はたらきたい。」という本で、
最終面接で聞かれる質問として、
「あなたは何を大切にして生きてきましたか?」
というものがある。

それってまさに
「価値観」そのものが問われていて、

その答えによって、
「この人と一緒に働きたいかどうか」が
問われているのだという。

っていうことはさ。

就職活動の前に、まずしたほうがいいのは、

「自分は何を大切にして生きてきたか」と
「自分はこれから何を大切にして生きていきたいか」
という問いに答えることなのではないか。

その一つの視点を、切り口を
「暮らし方」は提供してくれるのではないか。
にいがたイナカレッジは、
それについて考える機会を提供しているとも言える。

20代社会人にとってもそれは同じなのかもしれない。

副業とか複業とか
パラレルキャリアとかナリワイとか
ってさ、

「働き方」の多様化だと言われているけど。

本当に欲しいのは、
デュアルライフっていうか、
「暮らし方」の発見なのではないかな。

二拠点とかフルサトとか
サードプレイスとかって、
「暮らし方」の話で、
それは個人ひとりひとりの「価値観」の問題で、
かつ答えがないっていうこと。

「学びあう」場なのかもしれないっていう。

「二拠点」っていうのも、
東京と地方の学びあいというふうに思えば、
もっと魅力的になるのかもしれないと思った。

たぶん、
そういうのを「本屋」や「ライブラリー」を
参加型にすることによって、
コミュニケーションしていくのかもしれないなあと。

「働き方」から「暮らし方」へのシフトというか、
「暮らし」の中で「大切にしたいもの」をひとりひとりが考え、
そこに向かっていく時代で、
そこに「働き方」が付随してくるのかもしれないなと思った。

たぶん、今年の後半はこのテーマで
活動していくような気がします。  

Posted by ニシダタクジ at 07:59Comments(0)日記

2018年07月11日

これまでの「物語」をつなぎ、これからの「物語」を始めていく









千葉・小湊鉄道・養老渓谷駅。
「逆開発」の現場を見てきた。
駅前ロータリーのアスファルトを剥がし、
10年かけて、森をつくっていくのだという。

「今から5000年以上前、この辺りでは、縄文人が自然との共同生活を始めました。
(中略)われわれ現代人は進化したのでしょうか?」
から始まる説明文。

そして、同じく千葉・鋸南町・道の駅「保田小学校」。
人気・話題の道の駅


教室は宿泊棟に。


調理実習室


カフェ金次郎


おそろしいほどの「保田小」推し


スタッフが着ている「保田小魂」のTシャツも買えます。パンツもある。笑。

一番ビックリしたのが、スタッフが全員「保田小魂」を背負っていて、
(スタッフTシャツなのだろうけど)、
直売所のレジのおねえさんからトイレ掃除のおじいちゃんまでが「いらっしゃいませ」
と話しかけてくるところ。

パンフレットもレトロな雰囲気で、
「道の駅保田小学校だより」って書いてある。

詳しくはこちらから。
https://icotto.jp/presses/10031

コンセプトって大事だなと思った。
山形・郁文堂書店を思い出した。
「リノベーション」とは何か?
問いかけてくる。

保田小学校は、
創立126年の歴史を誇る小学校のリノベーションだ。
小学校が地域に対して果たしてきた役割。
地域をつないでいく何か。

過去=これまでの物語をつなぎ、
未来=これからの物語をはじめていく、
それが「リノベーション」の本質だろうと思っていたけど、

小湊鉄道・養老渓谷駅、
そして、道の駅・保田小学校は
「逆開発」の言葉を借りれば、
里山的な「懐かしい未来」をつくっていくのだろうと思う。

そして何より、このような物語が
職員・住民たちの「誇り」となる。

まあ、保田小学校はちょっとキレイすぎるかもしれないが、
それでも、これからの地域コミュニティの未来を見る上で、
とても学びが多い訪問となった。

「開発」とはなんだろうか?
そこにある「価値」とはなんだろうか。
そして、その先にある「未来」とは。

千葉で2つの物語が確かに始まっていた。  

Posted by ニシダタクジ at 09:44Comments(0)日記

2018年07月02日

「やりたいことがわからない」とアイデンティティ不安

「やりたいことがわからない」
ことがこんなにも苦しいのはなぜだろう。

それはひとえに、
個人のアイデンティティ問題とリンクしているからだと思う。

http://hero.niiblo.jp/e482630.html
「13歳のハローワーク」の呪い(16.11.1)

「職業」こそがあなたの
「あなたらしさ」つまりアイデンティティを規定する。

たぶんこの「呪い」が
「やりたいことがわからない」の苦しさの
源泉にあるのだろうと思う。

そしてそれは、
「コミュニティ」の結びつきの低下、
つまり、地域コミュニティや会社コミュニティ、あるいは部活コミュニティのような
安心感を伴った他者に説明できるアイデンティティを失いつつあることで、
いっそう不安な状態にある。

だからこそ、
「自分が何者であるか?」という問いに答えるために、
「やりたいことがわかる」「将来の夢・目標がある」
ことが必要だと感じているのだ。

つまり、アイデンティティの不安である。

しかし、アイデンティティとは、いったいなんだろうか?
http://hero.niiblo.jp/e485055.html
「アイデンティティ」という音(17.6.13)

アサダワタルさんは
それは、「音」のようなものだと言う。

自分自身の中にあるのではなく、
他者とのセッションによって、
自分の「音」が規定されていく。

ああ、自分が出している音は、
このセッションの中でこういう音なんだ、
って感じることができる。
それがアイデンティティだ。

だから、
個人の中を掘っていっても、
アイデンティティそのものは存在しないことになる。

さまざまな人とのセッションの中で、
さまざまな音を出しながら、
いい音楽をつくっていくこと。

そんな中で、
「音」が見つかっていく。

そしてその「音」はひとつではない。

http://hero.niiblo.jp/e405109.html
「本当の自分」という幻想(2014.4.15)

平野啓一郎さんのいう分人主義のように、
さまざまなシーンで、バンドで、オーケストラで、ジャズセッションで、
自分が奏でる音、求められる音は変化する。
ときにはその楽器だって変わるだろう。

その瞬間に、その音に、「アイデンティティ」が存在するとしたら、
その音を奏でる瞬間をたくさんつくっていくことでしか、
アイデンティティは見つからない。

だからやっぱり、
「やりたいことがわからない」という不安からくる
「自分のやりたいことはなんだろう?」という問いは、
その問い方が違っているのではないかと僕は思う。

いろんな人とセッションしていく中で、
その「音」にたどりついていくこと。
そういうことなのだろうなあと思った。





今日は福島・白河に来ています。

そんな音が生まれるセッションが
地域の中で生まれていくような仕組みとしての
ライブラリーを考えてみたいなと思います。  

Posted by ニシダタクジ at 07:50Comments(0)日記

2018年05月31日

「やりたいことがわからない」と「自分に自信がない」

「やりたいことがわからない」
「自分に自信がない」
ツルハシブックスに来た若者の二大悩みだ。

2008年に「ヒーローズファーム」を起業してから
僕はこの2つを自分なりに「研究」してきた。
研究といっても、本を読んで、仮説を立てて、
その若者と対話をする、の繰り返し。

あとは企業での長期実践型インターンや
大学の短期合宿型プログラムを作ったりもしていた。

現時点での僕の仮説
国分功一郎さん敵に言えば
「俺はこういうことを考えているんだ。君はどう思う?
と手渡せるものができたという意味である。」
っていう感じのことをまとめてみる。

http://hero.niiblo.jp/e487284.html
(他者評価の檻に入る前に 18.4.11)
↑めちゃ長文です。

「やりたいことがわからない」と
「自分に自信がない」は
本当に解決すべき課題なのか?

っていうところから。

「やりたいことがわからない」は課題ではなく、
「やりたいことがわからなくてつらい」っていうのが課題なのではないか。
解決策は「やりたいことがわかる」ではなく、
「やりたいことがわからなくてもつらくない」ではないのか。

「自分に自信がない」は課題ではなく、
「自分に自信がないから、何かを始められない」っていうのが課題なのではないか。
解決策は「自分に自信を持つ」ではなく、
「自分に自信がなくても始められる。」ってことではないか。

僕はこの悩みのベースに、
「承認」があると思っている。

上の2つの悩みを持っている大学生には、
山竹伸二さんの「認められたいの正体」(講談社現代新書)

を読んでほしいのだけど。

この2つの
「やりたいことがわからなくてつらい」っていうのと
「自分に自信がなくて始められない」っていうのは、

根っこのところに「承認欲求」が満たされないことが
挙げられると思うんだよね。

それが、学校教育によって、さらに強化されている。

http://hero.niiblo.jp/e459844.html
「自信がない」は後天的に獲得した資質である。

やればできる(かもしれない)
っていうのが人間のデフォルト。
単一の指標(学習の、しかも情報処理能力)で測って、
評価されつづけると、いつの間にか「自信がない」を獲得してしまう。

「やりたいことがわからない」も同じようなカタチだ

http://hero.niiblo.jp/e482630.html
(「13歳のハローワーク」の呪い 16.11.1)

「13歳のハローワーク」は、村上龍氏の
「職業こそが人間に生きがいと存在証明と自由を与える最重要な要素だ」
という思想が散りばめられている。

「やりたいことがわからない」に対する回答は、こうだ。

~~~ここから

そもそも職業は、
その職に就きたい誰かのために考案されたものでもなければ、
その職に向いた資質を備えた若者にふさわしい職場を
与えるべく用意されたものでもない。

職業は、ごくシンプルに、
人間社会の役割分担の結果として、
社会の必要を満たすためにそこにあるものだ。

ゴミを拾うのが大好きな人間がいるからゴミが生まれているのではない。
ゴミ愛好家のために廃品回収業という職業が考案されたわけでもない。

職業は、職業であって、それ以外でもない。
職業で、自己表現をする方法もある、だけで、
それが唯一の方法ではない。

~~~ここまで

「キャリア教育」の根本を揺るがす、前提の否定だなあと。
僕が持っていた「13歳のハローワーク」への違和感を
文章にしている。

それなのに、学校は「やりたいことは何か?」
「夢・目標は何か?」とひたすら聞いてくる。
まるで、「夢がなければ、人にあらず」というくらい聞いてくる。

わかるはずない。
しかもそれを職業名で答えることに
どれほどの意味があるのだろうか。

その子が成人するまでに
その職業は存在しているのか?
もしくは成長産業としてそこにあるのか?さえ信じられないのに、
10歳くらいで「2分の1なんとか」をやらされて、
夢を宣言することのおかしさ。
その根本には、「承認欲求」があると僕は思う。

山竹さんの言う、3段階の承認欲求
「親和的承認」(ありのままの自分を承認される。存在承認)
「集団的承認」(集団の中で役割を果たすことで承認される。役割承認)
「一般的承認」(一般的によいとされていることで承認される。一般承認)

これらが明確に区別されるわけではないが
この第1段階目の「親和的承認」を受ける機会が
圧倒的に減ったのだ。

これを与えてくれるのが、おじいちゃんおばあちゃんなどの「家族」であり、
地域や商店街などの「コミュニティ」である。

おじいちゃんおばあちゃんが孫に対して、
全力の愛と許容をしてくれる機会が減った。
地域を歩いているだけで声をかけられる地域、
買い物に行けば世間話をするようなお店は消滅した。

この「親和的承認」機会の減少が
根源的には、「やりたいことがわからない」
「自分に自信がない」若者を生んでいる、というのが僕の仮説だ。

意識高い系と言われる若者が
なんとなく不安定な危うさを感じるのは
そこに原因があるようにも思う。
親和的承認の不足を一般的承認(これは評価とも直結している)
で満たそうとしているのではないか、ということだ。

だから、
現時点で、大学生が
「やりたいことがわからない」「自分に自信がない」
と思っているとしたら、

「なんでもやってみなよ」とか
「小さなチャレンジからはじめてみなよ」
と声をかけるのではなく、
根本的な承認欲求、つまり親和的承認を満たすところから始めてみること。

「承認」、特に存在承認(自分がここにいてもいいのだという感覚)を
得ることが大切なのだと思う。

「リハビリ」がまず必要なのだよね。

僕がオススメするのは、
田舎インターンシップだ。

2012年。
新潟・佐渡の北に浮かぶ粟島での
3泊4日のプログラム。

人口300人、高齢化率が50%に迫ろうかという粟島で
「自らの課題と島の課題を同時に解決する旅行プラン作成」
だった。



3泊4日した後の学生の感想をひとつ紹介する。(大学1年生)

・粟島は、事前研修の時と全然印象が違って、まず最初にまちの人が本当にあたたかいなと思った。会うたびにあいさつを交わし、たわいもない世間話をする。そんなあたたかい島に来れて本当に幸せだと思った。でも私は粟島に来る前に粟島を何とかして変えたいと思ったけど
島の人はこの現状に満足していて何も変わらないでほしいと願っていたし、本当に島が大好きなんだなと思って、自分自身気づかされたし驚きだった。そして粟島の人たちは家族のように受け入れているので、私もいつかまた粟島に来ておじいちゃんおばあちゃんに会いたいなと思った。(原文まま)

粟島を変えたいと思っていたけど、
島の人たちは「変わらないでほしい」と願っていた
「価値」が揺るがされる経験。
そして何より、会うたびに挨拶を交わす関係性。

「自分は若いだけで価値があるのではないか」
と勘違いする。

いや、本当は、人は若いだけで価値があるのだ。
年を重ねないとわからないのだけどね。

そんな機会を得ること。

遅すぎるということはないけど、できれば、大学1,2年生の
「就活」の声が聞こえないうちにリハビリすること。

「やりたいことがわからない」「自分に自信がない」
と感じている大学生に田舎インターンシップを届けたいなあと思う。

「にいがたイナカレッジ 2018夏のインターンシップ」
2018年8月中旬~9月中旬(約4週間)
フィールド:主に新潟県中越地方
説明会@東京:6月8日(金)@浅草、6月10日(日)@高田馬場

※説明会参加は必須ではありません。興味があったら、
お問い合わせください。
https://inacollege.jp/

その親和的承認の「リハビリ」の先に、
「チームで何かやってみる」フェーズがあって、
(もちろん、イナカレッジインターンでそのフェーズが同時に起こります)

そこにも、
「チューニング」「ミーティング」「ふりかえり」
の手法を導入しているから、「承認」を増やしながら、
「何かやってみる」ができるようになる。

「価値」とは何か?それをどうやってつくるか?
考えながら自らつくっていくということができるようになる。

そういう「場」をいろんな場所につくりたい。
それが現時点での僕の祈りかもしれません。  

Posted by ニシダタクジ at 08:32Comments(0)日記

2018年05月30日

「アイデンティティ」と「劇場」と「ふるさと」

最近のキーワードは
「予測不可能性」なのだけど。

くまざわ書店南千住店の店長、阿久津のアニキ
が僕に選んでくれた
「島はぼくらと」(辻村深月 講談社文庫)」
を読み終えて、さわやかな読後感にひたっている。





離島、コミュニティデザイン、幻の脚本などなど、
キーワードが僕にぴったり。
すげーな、阿久津のアニキ。

高校生が出てくる小説って、
アイデンティティのゆらぎみたいなやつが
だいたい出てくるのだけど、
そういうのに感情移入して、苦しくなってる自分がいる。
(「桐島部活やめるってよ」(朝井リョウ)的な)

「アイデンティティ」と「コミュニティ」
は密接に関わっていると思うけど、

「地域コミュニティ」的なものが
だんだんとつながりが薄れていく
(お祭りがなくなったり)と共に、
若者のアイデンティティは浮遊した状態になる。

今で言えば、
学校でも運動部のような強いつながりはなくなっているから、
そこでもアイデンティティは揺らいでいる。

地域コミュニティから
テーマコミュニティへ
と言われていたときもあったけど、

僕の感覚では、
「コミュニティ」という静的なものではなくて、

ウォンテッドリーの仲さんが言う「トライブ」
http://hero.niiblo.jp/e485916.html
(就活を再定義する 17.9.15)

というか、もっと動的な「プロジェクト」に
近いものではないかと思う。
その「トライブ」「プロジェクト」の集合体が自分自身である。

「コミュニティ」と「トライブ」「プロジェクト」の違いは、
「価値」の流動性である。

コミュニティの価値は、
その成り立ちから言っても、
「生き延びること」「生き続けること」
つまり、「継続性」に価値を置いて、設計されている。

「会社コミュニティ」も同じだ。
継続して働いてもらうために、
保険・年金制度を整備し、社宅をつくった。

ところが。
現在のように、「地域コミュニティ」「会社コミュニティ」そのものが薄れてきて、
人の流動性が高まってくると、同時に人は「アイデンティティ」不安に陥る。

「アイデンティティ」と「承認欲求」は、
密接にかかわっていると思う。

マズローは欲求5段階説の中で、
3段階目に「所属と愛の欲求」を
4段階目に「承認欲求」を
5段階目に「自己実現欲求」
が来ると説明したが、

現代社会においては、
この3つが溶け出して、明確に分かれてはいないのではないか。
「所属」という概念が、変わりつつあると思う。

そもそも、「所属」に対するメリットは
「生き延びる」という点においては機能しなくなってきている
(ふたたびそれをつなぎなおすという動きももちろんあるのだけど)

そんな社会において、
どう生きていったらいいのか?
というのは若者のみならず重要な問いとなる。

僕自身は、「コミュニティ難民」であり、
http://hero.niiblo.jp/e485055.html
(「アイデンティティ」という音17.6.13)

「コミュニティ」「共同体」というのが苦手なのだけど、
そういう人はどうしたらいいのか?
たぶん、「承認」を他者やコミュニティからではなくて、
自分自身で獲得していくことが必要なのだろうと思う。

「学校教育」は「承認欲求」を巧みに
「他者からの評価欲求」へとすり替えてきた。
その自覚。

「劇場のような本屋」「本屋のような劇場」が
ツルハシブックスのテーマであったのだけど、
プロジェクトを生み出す
偶然の出会いの創出装置としての意味合いがあったのかもしれない。

そこでのキーワードは「予測不可能性」となる。

まきどき村の「人生最高の朝ごはん」というネーミングも
その日に来た人たちと、その日に収穫した野菜を、
その日だけの調理法で食べること。
そこに「一期一会」があるから、「予測不可能性」が高いと言える。

そんな「一期一会」を生み出す
ゆるやかなつながりはまるで劇場のようだなと思う。
そんな場がひとりひとりの
アイデンティティの一部になっているのではないか。

そして、自らのアイデンティティを形成する、あるいは形成した場のことを
人は「ふるさと」と呼ぶのではないか。

予測不可能な劇場のような何か。
それをみんなで生み出していくということ。

「アイデンティティ」と「劇場」と「ふるさと」を
同時につくる場を育てる。

そんな仕組みづくりをしたいなあと思った1冊でした。  

Posted by ニシダタクジ at 08:28Comments(0)日記

2018年05月21日

場の魅力と目的多様性

昨日は「帰ってきたツルハシブックス@ウチノ食堂藤蔵」でした。
ブックカフェ企画。


「本」看板を設置


本棚を設置


こっそりーも置いた


人けっこう来てくれた。

http://hero.niiblo.jp/e477508.html
「偶然性」を軸にプラットフォームを構築する(16.3.5)

なんか、昨日のブックカフェは
ツルハシブックスみたいだったなあと。
たまたまそこに居合わせた人が、
話をして、何かが生まれていく。

そんな空間だった。

そして、本は売れなかった。(笑)
3分の2くらいの人は、本を買いに来ていなかったから。
でも、それが場の魅力を高めていたのかもしれないなと。

「場の魅力」とは、
「偶然性」が高いということ。

「偶然性」とは、言い方を変えると、
「予測不可能性」が高い場所であるということ。
予測できないことが起こる。

たまたま、居合わせた人と、何か新しい企画が生まれる。
(昨日は新企画@藤蔵が生まれてました。)

知り合いが知り合いを紹介してくれる。
(僕もお友達が増えました。)

本のテーマで意気投合する。
(昨日、新大の千葉くんと「暇と退屈の倫理学」の話で
めちゃ盛り上がりました。)
そんなことが起こる場だったブックカフェ@藤蔵。

6次元のナカムラクニオさんが言っていた

「場づくりにおいて大切なことは
『もしかして次に来た時には、もうここはないんじゃないか』
と感じさせるような『一期一会の空間』をつくることだと思っています。
それこそが、どこでも買えない価値のあることなんだと、
みんなすでに気が付いているのではないでしょうか?」

そのベースになっているのが
「目的多様性」なのかもしれないなと思った。

本を買いたいという人もいて、
店主の野呂くんに会いたいという人もいて、
誰かと話したいなあと思う人もいて、
何かの用事のついでに立ち寄る人もいて、
電車までに空き時間を過ごしたくて来る人もいて

そんな人たちがその場に居合わせること。

それが場の魅力だし、
ツルハシブックスが目指したものだったように思い出した。

ところが。
その問題点がひとつある。
本が売れない。(笑)

しかしながら、「本を買いたい」と思う「人」の空気感や
本屋さんとお客さんとのやりとりが発生する「場」は、

その空間に「目的多様性」を付加し、
さらにその場の魅力を高めていく。
あるいは、本そのもの、本棚そのものが、
その場を演出するひとつの小道具であるとも言えるだろう。

さて、
そんなふうにして、

人は「価値」について問い、
その「価値」をどうにかして
経済社会と折り合わせていく、
つまり「経済的価値」へと変換していくこと。

そんな、あいまいな時代を
なんとか生きていくのかもしれないなあ。

素敵な空間を提供してくれた
「ウチノ食堂藤蔵」の野呂さん、
一緒にお店をやってくれた
「ツルハシブックス」の風間さん、

多彩なお客さんのみなさん。
素敵な「本屋のような劇場」をありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 08:32Comments(0)日記

2018年05月11日

「前提」を疑うこと

「前提」が違っているかもしれない。

そういう「かもしれない」って大事だ。

「農業」を産業として見ると、
一般的には生産性が低く、儲からない、
とされている。
(もちろん高付加価値をつけて儲かる方法もある)

僕は農業ではなく、「畑作業」に魅力を感じ、
コミュニティ、コミュニケーションの拠点としての「まきどき村」を始めた。

人と地域愛と伝統文化に囲まれて畑をするのは
とっても心地の良いことだと思ったし、
それによって集まってくる人々は仲良くなると思ったからだ。

同じように、
「本屋」を「ビジネス」として見ると、どうだろう。

少ない利益率。
のしかかる人件費コスト。

それをどうやって組み合わせで解消するか。

たとえば、利益率の高いカフェなどと複合する。
あるいは、著者などを読んでイベントを開催する。
もしくは、スキルアップのビジネスセミナーを走らせる。

そういうこと。

「本屋」というビジネスを継続していくために、
何をしたらいいのか?
という視点になる。
でも、その「前提」を外してみてもいいのではないか。

僕が「現代美術家」を名乗るようになったのは
現代美術家の北澤潤さんに出会ったからなのだけど。

アートに役割は
「当たり前だと思っていることに問いを投げかけること」
なのだと言っていた。

価値は、
「本屋をビジネスとして成立させること」ではなくて、

そこに「本屋」があること。

本屋が「偶然」を提供してくれること。

本屋を核に、「学びあい」が起こること。

だとしたら。
カフェや、イベントや、セミナーではない、
何かが見えてくるのではないか。

僕がつくりたいのはそういうことかもしれないな、と思いました。


身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置まし 大和魂

まずは吉田松陰先生の残した大和魂を拾ってから1日の始まりです。  

Posted by ニシダタクジ at 07:57Comments(0)日記

2018年05月03日

「成長」とか「挑戦」ではなく

「にいがたイナカレッジ」
https://inacollege.jp/
インターンシップのブレストをしてきました。

「田舎インターンシップ」って、
高知市の南の風社さんとか、
海士町の巡りの環さんとか、
一時期そんな話していたなあと。

「インターンシップ」という言葉が一般的になり、
「どこか、インターンシップとか行く?」
と大学生の日常会話に出てくるようになった今こそ。

僕は、「田舎インターンシップ」を推したいなと思う。
それも、1,2年生の段階で。

キーワードはやはり、
「評価」と「承認」になるのかもしれないなと。

他者評価の檻から脱出する、
いや、
他者評価の檻から自分を脱出させる、そんな方法。

それを考えるには、
やはり、なぜ、を考える必要がある。

なぜ、教育は、
「他者評価の檻」へと人を投げ込もうとしてきたのか。

「承認」の欲求を、
「他者からの評価」欲求へとズラしてきたのか。

そして、私たちはなぜ、その戦略に
うっかりとハマってしまっているのか。
そんな問いから始める必要がある。

もし、あなたがそのような問いを持たずに、
大学に現役合格してしまったとしたら、
18歳、19歳の重要な宿題がその問いを考えること
なのかもしれないと思う。

そして、何より、
自分の中にある「承認」欲求に気づくこと。

そして、
「認められたいの正体」(山竹伸二 講談社現代新書)

「孤独と不安のレッスン」(鴻上尚史 だいわ文庫)

を読んで、
自分の中にある「承認欲求」と
日本の学校化された社会の「同調圧力」について知ること。

そしてもし、
自分に第1段階の「親和的承認」(存在承認)が足りてないとしたら、

まずはそれを補充することが
とっても大切なのだ。

「自信がない」大学生の根本原因は、
「親和的承認」(存在承認)の機会の少なさにあると僕は思っている。

家庭環境や学校生活、あるいは地域環境によって、
ありのままの自分、その存在そのものを認めてもらう機会が
減っている。

だからこそ。
イナカレッジが提供しているような
「田舎インターン」は効果的だと思う。

若者がほとんどいないような地域に入り込み、
ひたすら話を聞き、「価値は何か?」と自分に問いかける。

そうやって、価値を問い直すこと。
何よりも、地域のおじいちゃんおばあちゃんたちが
「今日は何するの?」
とか、話しかけてきてくれる。

その何気ない日常の会話が、
「自分は若いだけで価値があるのかもしれない」
と感じさせてくれる。

田舎では「若さ」は価値だ。
しかも、圧倒的な価値だ。
そんな価値のシャワーを浴び続けること。

「就職」とか「成長」とか「挑戦」とか
そういうキーワードを並べる前に、
(これって他者評価ベースのキーワードなんじゃないか)

僕は
「評価」について客観視し、「承認」を体感し、
「価値」とは何かを考える機会を得ること。
それこそが重要だと思う。

「夏休みの1か月という時間をどのように投資するのか?」
は重要な問題だと僕は思う。

僕なら、「田舎インターン」をおすすめしたい。
相談のりますよ。


長岡市木沢(旧川口町)の朝  

Posted by ニシダタクジ at 07:49Comments(0)日記

2018年04月17日

「評価」と「承認」のあいだ

昨日、
他者評価の檻から自分を脱出させる方法
の第1回だった。

大学生2人のリアルを聞かせてもらった。

人はなぜ、
「他者評価の檻」に閉じ込められて、
あるいは自らを閉じ込めてしまうのだろうか。

キーワードは、
やっぱり「承認欲求」

いまの経済社会は人の「承認欲求」を、
巧みに「他者評価欲求」への
すり替えていくことで成り立ってきたのではないか。
それを可能にしたのが学校教育なんじゃないのか。
そんな問い。

http://hero.niiblo.jp/e485990.html
「承認欲求」と「他者評価」をイコールで結ばないこと(17.10.11)

承認欲求は、根源的欲求であると思う。
つまり、それがないと生きられない、ということ。

それについては
「認められたいの正体」(山竹伸二 講談社現代新書)
を読んでほしいのだけど。

http://hero.niiblo.jp/e480102.html
「自由」と「承認」(16.6.14)

「承認」と「評価」は違うものだと思う。

どちらかといえば、
「承認」は(心理的に)フラットな関係性で起こるのに対し、
「評価」は上下関係によって起こる。

http://hero.niiblo.jp/e467071.html
「ほめるな」(伊藤進 講談社現代新書)

っていう本があるけど、

ほめることは、
その二者が固い信頼関係で結ばれていない限り
「立場を固定する効果」しかない。

つまり、親しくない他者からの「評価」というのは、
立場を固定する効果を高める。

つまり、資本家、あるいは経営者と
労働者の上下関係を強化することにつながる。

それって、
やっぱり、かつて必要だったのだろうなと。
そうしないと、みんなが働いてくれなかったのだろうな、と。

「評価」と「承認」その違いを把握すること。

だんだんと、
他者評価の檻の外形が見えてくる。  

Posted by ニシダタクジ at 07:52Comments(0)日記

2018年04月11日

他者評価の檻の中に入る前に


「暇と退屈の倫理学 増補新版」(國分功一郎 太田出版)

「かつては労働者の労働力が搾取されていると盛んに言われた。
いまでは、むしろ労働者の暇が搾取されている。」

観光・レジャー産業が
労働者の「暇」を争奪している。
たしかにその通りだなあと。

かつての貴族は、
暇を楽しむことができた。

現代は暇=退屈であるような錯覚に陥り、
積極的に「暇つぶし」を行わなければいけないような
脅迫にさらされている。

「休みの日は何をしているんですか?」と聞かれ、
インスタグラムやフェイスブックで
充実ぶりをアピールしなければならない。

その渦中にいると、
そのことにそのおかしさに気付かない。
いや、気づけないのか。

2008年2月から始めた
長期実践型インターンシップ「起業家留学」以来、
(事業準備は2006年12月から)
ツルハシブックスや新潟県内の大学連携事業の企画・運営、
茨城大学のコーディネーターまで、
11年くらい、「大学生」を目の前にして、やってきた。

常に、僕の問いの中にあったことは、
ドラッカー先生の

1 ミッションは何か

であり、
それを意味づける

2 顧客はだれか
3 顧客にとって価値は何か

だった。

4 成果は何か
5 計画は何か
と続いていくわけだけど。

長期実践型インターンシップ事業は、
構造的に優秀な学生しかチャレンジできないモデルだったため、
「彼らは僕のお客なのか?」
という問いが生まれた。

大学連携事業は、岩室温泉や粟島を舞台にした
プログラムによって、2泊3日、3泊4日であっても、
成果を生み出すことは可能な手ごたえがあった。

ツルハシブックスでは、
「やりたいことがわからない」「自分に自信がない」
という多数の学生を目の前にして、
「キャリア教育」に疑問を持ち、

ツルハシブックスで内野町といろいろ仕掛け、
僕なりに手ごたえがあった
「地域活動」の価値を実践したくなり、
現場を大学へと移した。

大学では授業をきっかけにした
地域プロジェクトへの参加・参画を
設計し、実践した。

しかし。
僕が立てた3年半前の仮説は、間違っていた。
「地域活動」そのものに価値があるのではなかった。

地域活動でもっとも大切なのは、
「学校化社会とは異なる価値観の中に身を置くこと。
そして、それを自らの価値観で評価すること。」
である。

そしてそれを大学の枠組みで行うことは非常に難しい。
たとえば、法政大学の長岡先生が
やっているゼミの方式はイメージにすごく近いのだと思う。

キーワードは「越境」。
大学外の様々な活動を経験してきて、
自分なりの言葉でまとめ、他者に発表する。
ブログやツイッターでアウトプットする。

そこから生まれる学び。
それこそが、学び続ける力を生んでくれるだろうと思う。

さて。
そんなのを踏まえて、12年目を迎えている今。

ふたたび本屋というか、本のある空間を軸に、
若者が地域に出ていくプラットフォームを
つくろうと思っている。

まず、最初にやることは、
仮説の検証。

思えば、
デザイン思考的に言えば、11年ものあいだ、
顧客のインサイト(内面)を掘ってきたのかもしれない。

顧客セグメントは、偏差値55前後の地方国立大学へ
不本意入学した学生たちだったのかもと。
何よりも、自分自身がそのひとりだった。

僕自身は、2002年の不登校の中学3年生に出会いが
「顧客」との出会いだった。

そこから16年間
「顧客」にとって価値は何か?
という問いが残り、
それが10代限定の「暗やみ本屋ハックツ」
につながっている。

大学生はどうだろうか。

それを考えたときに、
2017年に出てきたキーワードが
「他者評価の檻」だった。

この3年間は、東京周辺にいたこともあり、
インプットの機会が多かった。
いちばん力を入れたというか、
興味深かったのが、歴史、特に世界史だった。

「キャリア」を考える上で(当然、「学校」も同じだけど)、
近代社会という時代背景
を知ることは不可欠のように思えた。

あまりにも長くなってしまうので、
ここではキーワードだけ。

大学生が他者評価の檻に自ら入り込み、
そのスパイラルの中で自ら苦しくなってしまうのは、

1 時代・社会的背景 キーワード「効率化」
2 地域・家庭的背景 キーワード「価値観」
3 個人・内面的背景 キーワード「承認欲求」

がある。
当然これらは分けられるものではなくて、
密接に関係し合っているのだけど。

1 時代・社会的背景

近代工業社会においての絶対の価値は「効率化」である。
質のいいものをできるだけ早く安価で製造する。
フォードシステムに代表させるシステムの中で、
人々はサラリーマンとして働くことを強制されるようになる。

年功序列・終身雇用も
勤めた人が勤め続けるためのシステムである。
転職されたりすると効率が下がるからね。

学校は社会に適応できる人材を育てるために、
まわりと同じように、同じことをできる人を育てた。

「頭がよい」=「情報処理能力の高い」人を
管理職についてもらうことで、
さらなる「効率化」をはかった。

そして、学校にも会社にも適用できる
他者評価を前提にした評価システムが出来上がっていった。

それに適応する個人は当然
他者評価を前提とするようになる。

2 地域・家庭的背景

「子どもは、「学校・家庭・地域」の
トライアングルをまわすことで育っていく。
地域が弱体化して、家庭も機能しない。
だから、子どもが健全に育たないのだ。」

って。

僕も思っていた。
いわゆる「地域の教育力」である。

いや、それはそうなのだろうけど。
しかし。

「他者評価の檻」視点から見ると、
学校・家庭・地域のトライアングルの意味は、
「異なる価値観が支配する世界に身を置く」
ということではないだろうか。

かつての親父は言った。

「学校の先生の言うことなんか聞くな。
この家では俺がルールブックだ。」
(聞いたことないけど。)

かつての地域の長老は言った。

「祭りに帰ってこれない会社なんて辞めちまえ。」
(NHK朝ドラでありましたね。)

そう。
学校とは異なる価値観が
家庭にも地域にもあったのだ。

もっと言えば、
学校だって、資本主義・工業社会とは
異なる価値を価値として運営されてきただろう。

今や、世の中全体が
学校的価値=資本主義的価値に
一元化された。

「価値観の多様化」と
口では言いながら、それは学校においては
「職業選択の自由」と同義で、
「働かない」という選択肢はあまりない。

3 個人・内面的背景

これは、2013年に
山竹伸二さんの「認められたいの正体」(講談社現代新書)
を読んでから、大きくなってきたキーワード
「承認欲求」である。

本によれば、
「承認」には3段階があり、

1 「親和的承認:ありのままの自分を受け入れてもらう」
2 「集団的承認:集団の中で役割を果たすことで承認してもらう」
3 「一般的承認:社会一般でいいとされることをすることで承認してもらう」

このうち、特に2と3は、
他者からの評価によって得られることもある。

いや。
おそらくは、
この「承認欲求」なるものを
巧みに、「他者評価欲求」にすり替えてきた。

いや、
すり替えなければ、
みんなをサラリーマンにすることができなかったのではないか。

優秀な大学生が公務員を目指すのは、
「安定したい」からではなく、
他者からの承認、つまり評価がほしいから
ではないのか、と思う。

以上、3つの背景から、
大学生は他者評価の檻の中にいて、
その模範囚となるべく、訓練を受けている。

それがどうした?
と言われる人も多いかもしれない。
それが社会だし、それに適応してきたのが人間だろう、甘えんな。
という人もいるかもしれない。

その通りだと思う。

でも、それを知った上でその役を演じているのと、

自分が薄暗い他者評価の檻の中で
ずっと体育座りで苦しさを抱えているのと、
それはだいぶ違うと思うんだよね。

社会がそうなっている以上、
いずれは、他者評価にさらされなければならない。

現代の経済社会において
ビジネスとは、売り上げとは
他者評価とほとんど同義だからだ。

でも。
18歳、19歳の時に、もっと広い世界を知ってみてもいいし、
自分で自分を評価する機会を持ってもいいのではないか。

僕は、そしてツルハシブックスは、
「他者評価の檻から自分を脱出させる方法」を
一緒に考えていくような、
そんな本のある場づくりをしていこうと思います。

コンセプトは、
ローカル・リベラルアーツ・ラボラトリー
日本語訳は
「地域資源を活用した 自由のための学び 実験室」
です。

具体的には、
本を売り、旅に出るきっかけをつくったり
インターンや就職について考えたり、
自分や仲間でプロジェクトを立ち上げたり。

そのときに、
「チューニング」(音合わせ)と
「ミーティング」(や運営方法)と
「ふりかえり」の方法を授けられるような、

そんなプラットフォームをこれからつくります。  

Posted by ニシダタクジ at 07:53Comments(0)日記

2018年04月10日

他者評価の檻から自分を脱出させる方法

「他者評価の檻から自分を脱出させる方法」
を伝えること。

直近の僕のミッションであるように思う。

そしてそれは、
本屋で本を売ることによって、
あるいはインターンを含め地域での様々な活動を
することによって、脱出させることができる。

大切なのは、
「自分が脱出する」ではなくて、
「自分を脱出させる」ということ。

つまり

自分とか、周りの環境を俯瞰して見てみる、ということ。
そこからしか始まらない。
いま、見えている世界が唯一の世界ではないし、
その周りにはもっともっと広い世界が待っているし。

僕たちはなぜ、他者評価の檻の中で評価の奴隷となり、
あるいは模範囚となるように訓練を受けているのだろうか。

それにはちゃんと理由がある。
社会の要請だからだ。

工業社会の利益の源は、「効率化」であり、
そのためには、一元化された「評価指標」
を必要としていて、学校はそれを強いる。
工業社会というシステムに組み込まれるような
大人を育てる。

http://hero.niiblo.jp/e485809.html
「ふりかえり」と「自己評価」(17.9.12)

この日のブログに書いているように、

学校というのは、他者評価を前提とした生き方を強いる。
あなたはできないんだ。凡人なんだ。
だから、努力しなきゃいけない。
努力して、安定した仕事につかないといけない。

それを学校の先生からも、親からも強いられる。
そうやって、「労働者」を生み続けるシステム。
それが学校であり、学校化社会なのだろう。

大学生の「自信の無さ」がどこから来るのか。
それは、「他者評価への依存」からではないか。

他者からどう見えるか?
先生からどうしたら認めてもらえるか?
そればかりを気にして、「評価されるように」行動する。

そうやって、5教科7科目。
「苦手科目を無くしなさい」
と言われた通りに努力して、
言われたとおりにセンター試験を受け、

まずまずの成績を残し、
(自分としては少し不本意な)大学へと進学する。

それが偏差値55~59の
地方国立大学の半数程度の学生の実態ではないだろうか。

彼らは、自分の自信が無いのは、
能力が無い(足りない)からだと思っている。
あるいは、チャレンジが足りないからだと思っている。

もっとチャレンジして、能力を切り拓き、
人から認められて初めて自信がつくと思っている。
それこそが「他者評価の奴隷」だ。

そうじゃないんだ。
他者評価の檻から脱出しよう。

自分の評価は自分で決める。
そんな人生にシフトしよう。

他者からの評価は、
自分の評価のすべてではなく、ごくごく一部に過ぎない。

もちろん、会社に入れば、
「売上」という他者評価を得ることが
不可欠ではあるのだが。

そもそも、前提を疑ってみよう。

他者評価の基準はなんだろうか?
評価される「価値」とはいったいなんだろうか?

それは、「効率化」じゃないのか?
あるいは、「効率化」のために、ひとりひとりを
「奴隷化」することじゃないのか?

それは、いま、この時代に、
果たして価値があるのだろうか?

情報社会、AIの時代に、
モノが売れないと多くの人がぼやいている時代に、
「価値」はあるのだろうか?

それが「社会を知る」アプローチ。

もうひとつが「自分を知る」というアプローチだ。

そうは言いながら、人が
「他者評価の奴隷」になってしまうのは、
いったいなぜなのか?

キーワードは「承認欲求」。

認められたい。
この根源的欲求を満たしてくれるもの。
それが他者からの評価だ。

人はなぜ承認を求めるのか。
そしてそれはなぜ、満たされないのか。

http://hero.niiblo.jp/e485990.html
「承認欲求」と「他者評価」をイコールで結ばないこと(17.10.11)

http://hero.niiblo.jp/e470668.html
「評価」ではなく、「承認」を必要としている。(15.7.16)

いまの経済社会は人の「承認欲求」を、
巧みに「他者評価欲求」への
すり替えていくことで成り立ってきたのではないか。
それを可能にしたのが学校教育なんじゃないのか。
そんな問い。

気づかずに、
僕たちは他者評価の檻の中に入れられ(あるいは自ら入り)、
模範囚となるように訓練されている。

それでいいのか?
と問いかけるのが、本屋としての僕の今年のテーマになると思う。

18歳を他者評価の檻から脱出させる(17.10.10)
http://hero.niiblo.jp/e485980.html

昨年10月に僕が見つけたテーマ。
それをひとつひとつ、対話をしながら
探っていくような、そんなスタートをしたいと思います。
どうかよろしくお願いします。

  

Posted by ニシダタクジ at 21:03Comments(0)日記

2018年04月09日

ツルハシブックス再始動

ツルハシブックス。
法人はあるけど、本屋がない、
そんな本屋さん。
昨日は長岡の2人の理事に会いに来ました。
イケトとゆきちゃん。

ひとまず決まったこと。

5月19日(土)に総会します。

5月6日(日)と20日(日)は
ツルハシブックスとして藤蔵に出店。
5月12日13日(土日)は若栃の菊地くんの結婚披露展に出店。

新潟チームは、
古着屋さんとコラボをはかりつつ。
藤蔵で新刊書店をやらせてもらいつつ。

長岡チームは、
とある本屋さんのリニューアルプロジェクトについて、進めつつ。
高校生、屋台、地域のもの販売的なキーワードで
やっていきます。

あとは、
新規事業としてリリースするライブラリーの
仕組み構築を行います。

やっぱり、
新潟チームの顧客イメージをもういちど考える必要があるかもな、と。
ゆきちゃんの感覚に何かしっくりときました。

新刊書店は、
僕はやっぱり、20代向けに売りたいのだけど、
絵本を売るのもいいなと思ったり。
絵本の卸売とかもありだな、とか。

新刊を仕入れられるっていうメリットを
もう少し出していってもいいのかな、と。

それぞれが顧客イメージを明確にして、
新刊書店をやるのがいいかなと思います。

そうしないと本棚としての面白さは出ないから、
ブログでいいだろっていう話になっちゃうからね。

昨日の夜は、GSシェアハウスで、
パートナーシップとリスペクトについて、
話をしていました。

新たな価値を生み出すのは
ひとりひとりの力の足し算ではなく、
人と人、人と会社、人と地域の「パートナーシップ」であり、

「パートナーシップ」のためには、
そのメンバーに対しての「リスペクト」が必要で、

そのためには、その人のバックボーンとか、
これから進みたい方向性とか、
そういうのをチューニングしなきゃいけないんだなとあらためて。

そういうのがあるからこそ、
ゴールだけじゃなくて、
日々のミーティングが楽しくなるんだろうなって。

この日、この場所、このメンバーでしか
できないミーティングを繰り返して、
そこからのアウトプットを楽しんでいくこと。
それが日常だったら楽しいなと。

5人でしたけど、
久しぶりにツルハシブックス感を感じました。

さて。
再始動しましょうか。  

Posted by ニシダタクジ at 07:48Comments(0)日記

2018年04月07日

「ともに学ぶ」場づくり、始めます

昨日は、中学校の入学式の日でした。
不登校児童から不登校生徒になったウチの子は
この日も楽しく本を読み、絵を描いていました。

さて。
新潟に帰ってきたのは、
新しい学びの場づくりをやろうと
思ったからです。


写真は、2016年7月の魚沼の山でやっていた様子です。

2002年1月、
僕が不登校の中学3年生シンタロウに
出会ってから16年の時が過ぎました。

あのときに降りてきたミッションは、

「15歳が自分と自分の住んでいる地域を好きになり、
自分と社会の未来創造へ歩き出している地域社会の実現」
でした。

いよいよ。
そんなコンセプトに実際に
10代と一緒にやっていこうかなと思います。

宮沢賢治先生の「芸術家たれ」というメッセージと

職業芸術家は一度亡びねばならぬ
誰人もみな芸術家たる感受をなせ
個性の優れる方面に於て各々止むなき表現をなせ
然もめいめいそのときどきの芸術家である
(農民芸術概論綱要より)

吉田松陰先生の「ともに学ぼう」


岡倉天心先生の「東洋も西洋も茶においては平等」というか、
2元論を超えていく、
そんなところに、「学びの場」をつくりたいなと。

参加条件は、
「子ども(子どもなら子ども同士)から学ぼうとする」人。

具体的には、「市(イチ)」をやりたいんだよね。
表現の場としての市。

生み出す価値は、
自ら学ぶようになること。
協同で学ぶこと
プロジェクトで学ぶこと。

苫野一徳さんの
3か条を実現するような場をつくりたいなと。

具体的には、山で小屋づくりをしたり、
まきどき村の周辺で採れるもので何かつくったり。

そんな構想に参画してくれる人がいましたら、
連絡お願いします。

ひとまずは、
20年目を迎えている。
まきどき村を軸にやっていこうかなと思います。



まきどき村は1999年に活動を開始し、
農作業後に朝ごはんをつくって食べる
「人生最高の朝ごはん」をスタート。

2004年から活動の拠点を
地元の人たちがNPOで管理する「旧庄屋佐藤家」
を拠点にして、おもに毎週日曜日に活動。
現在は、移住してきた唐澤夫妻を中心に
漬物や味噌作りなども行っているのだけど。

なんといっても、
まきどき村には、「人を受け入れる」力がある。

農作業をやったあとに、料理をつくって、
囲炉裏を囲んで食べるごはん。
ただ、それだけなんだけど。

僕の現代美術家としてのデビュー作なので、
なかなかすごいコミュニケーションデザインになっている。

まずは、そこから、かな。
これからの「ともに学ぶ場」について、
そこから考えてみようかなと思う。

興味がある方は、
毎週日曜日朝6時~9時半くらいに
活動しています「まきどき村」に来てください。

場所はコチラ
http://sato-ke.neoniigata.com/

※現在屋根葺き替え中。寄付を募集しています!  

Posted by ニシダタクジ at 07:00Comments(0)日記

2018年03月20日

「水戸留学」を終え、フリーランスの現代美術家になります



北茨城市五浦・天心遺跡・六角堂。
明治初期を駆け抜けた美術思想家、岡倉天心。

西洋一辺倒ではない、
東洋的価値があるはずだと。
アジアは、世界はひとつだと。

西洋も東洋もなく、
「まずは茶でも一杯飲もうじゃないか」
と語りかける「茶の本」。
僕の「水戸留学」の出発点がここでした。

太平洋に向かって、
Asia is One と表現した遺跡。
(まあ、仮説ですが)

「ひとつであるということ」(15.10.2)
http://hero.niiblo.jp/e473277.html

そして、何より心に残っているのは、
現代美術家の北澤潤さんとの出会い。

「リビングルーム」と名づけられた場を
つくっていた北澤さんにお会いして、
「デザイン」と「アート」の違いについて、話を聞いた。

「当たり前を揺るがすこと」(15.10.3)
http://hero.niiblo.jp/e473298.html

そして、2015年の末、
REVENDELの熊澤さんに出会い、
2016年4月に茅ヶ崎市美術館でハックツ展
(あなたが未来に託す「想い」展)を開催

アートとは「問い」を灯すことで、仕事とは「手紙」を届けること(16.4.16)
http://hero.niiblo.jp/e478527.html

2016年の後半は、
ツルハシブックス閉店へと向かっていった。

そんな中で出会った本が
「コミュニティ難民のススメ」(アサダワタル 木楽舎)

「まるでCDのコンピレーションアルバムのように」(16.10.24)
http://hero.niiblo.jp/e482541.html

このときに書いてある「3号室プロジェクト」が
2017年4月オープンの新城劇場になり、

出会ったのは「チューニング」という概念と
「余白おじさん」という肩書。

「ミーティング」とは感性をチューニングすること(17.4.23)
http://hero.niiblo.jp/e484576.html
「余白おじさん」(17.5.14)
http://hero.niiblo.jp/e484767.html

最近は、多治見の本屋プロジェクトなどでの
チューニング付のワークショップ「キカクカイギ」
が楽しいです。

無目的性と多目的性のあいだ(18.2.19)
http://hero.niiblo.jp/e486995.html

本日、3月20日は、
ツルハシブックスの7歳の誕生日です。


2002年発行の本「劇場としての書店」(福島聡 新評論)

引っ越しのため本を整理していたら見つけました。
ツルハシブックスの10年前に、
すでに劇場としての本屋というコンセプトはあったんだなあと。

この3月をもって
「水戸留学」を終え、拠点を新潟に移します。
次の仕事は?と、聞かれるのだけど、
ひとまず、現代美術家として、やっていこうかなと思っています。(謎)

そんな不思議なおじさんが
世の中にいてもいいのではないかと。

チューニングのあるミーティング、キカクカイギを重ねながら、
「顧客は誰か?」「顧客にとって価値は何か?」
という問いに挑んでいくようなチーム作りをしたり、
新潟で新刊書店を復活させたり、

学校的価値一辺倒の社会でいいのか?っていう
問いを投げかけるような教育系のプロジェクトを
スタートさせていこうと思います。

デザインとは、課題を解決すること
アートとは、問いを投げかけること
ビジネスとは、価値を生み出し、買ってもらうこと

そんなデザインとアートとビジネスのあいだを
つくる、あいまいな存在でありたいと思います。

僕の出発点は、(いくつもあるけど)
29歳の時に読んだ「小説・吉田松陰」
の野山獄でのエピソードでした。

獄中にありながら、囚人同士で俳句や書道を学びあい、自らは孟子の講義をした。
すると、みるみると皆の顔が明るくなっていったということです。
「共に学ぼう」という松下村塾の出発点がここにあります。

僕はこのエピソードを読んで、
「学びあいで希望は生まれる」ということを知りました。

獄中のような世の中(言い過ぎ)で、
希望を生んでいく一つの方法が、
学びあいの仕組みをつくる、ということで、
そのうちのアウトプットの一つが、
「ツルハシブックス」だったのだろうと思います。

思えば、人生最高の朝ごはんをやっている「まきどき村」も
「豊かさとは何か?」という問いに対してのアプトプットでした。
そういう意味では、
この20年、現代美術家的に生きているのかもしれません。

2018年4月から、
フリーランスの現代美術家になりますので、
各地のみなさんと「問い」を投げかけるプロジェクトを
ご一緒できればと思います。

ツルハシブックスさん、誕生日おめでとうございます!(笑)  

Posted by ニシダタクジ at 08:02Comments(0)日記