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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2019年07月07日

大学生と「価値」を生むために



新潟市×にいがたイナカレッジ
「トビラ」プロジェクト第1回集合研修でした。

今回のテーマは2つで、
大学生とのプロジェクトの進め方と
プロジェクトの説明ブラッシュアップでした。

まず、プロジェクトに大学生が加わることの価値は何か?

受入れ団体の新保さんから「新たな視点」がもらえる、と話がありましたが、
まさにその通りで、一言でいえば、「イノセント」と「行動力」です。
「若者らしい斬新な発想やアイデア」ではありません。

そして、プロジェクトの定義:
「プロジェクトとは。独自のプロダクト、サービス、所産を創造するために実施される有期性の業務である」

そして、ゴール設計の話
「行動目標」「成果目標」「意義目標」の話

★ここに入れたらよかった★
ミーティング時の安心空間の作り方
コミュニケーション力からコミュニケーション・デザインへ。

ミーティング時の議題の進め方
1 目的・前提の共有
2 報告、相談、決定の種別
3 決まったことの確認

ふりかえりの重要性
「予想できなかったよかったこと」の話
エンターテイメントとは「予測不可能性」。

~~~

とここまで前半の進め方の話。
いかに大学生と「パートナーシップ」を組んでいけるか?
そのためのミーティングと振り返りを行うことの重要性を話した。

後半は、前半のまとめとして、場のチカラ理論

場のチカラ:
7 どのように how
6 何を what
5 誰のために for whom
4 なぜ why
3 どこで where
2 いつ when
1 だれと with whom

通常の企業インターンは7にしか裁量権がないが
「トビラ」プロジェクトは1~7まで一緒に作っていける、ということ。

そして、4と5をブラッシュアップするために、
ドラッカーの5つの質問をベースにしたワークシートを作成

ドラッカーの組織経営に必要な5つの質問
1 ミッションは何か
2 顧客は誰か
3 顧客にとって価値は何か
4 成果は何か
5 計画は何か

ここの1~3を考えるワークシートを記入して
受入れ団体同士で相互インタビューを行った。

この相互インタビューが予想以上に盛り上がり、
気づきが多かったとコメントしていた。

ああ、これが場のチカラで、場によって学ぶってことだなあと。
各団体のプロジェクトはもちろん独立しているのだけど、
団体同士で、なぜ?とかその先は?とかあらためて
インタビューされることだったりすることで、
自団体にも生かせるヒントがあったりするのだなあと。

私たちの今後の課題は
・来年度プロジェクト設計(内容)の講座はやるのか、やらないのか。
⇒助成金応募のようなシートに記入してエントリーしてもらう形など

・中間研修などの位置づけ、意味づけ。
⇒コーディネーターがいるので、プロジェクトが大幅に進まない事態にはならないが、
他団体から刺激をもらう、あるいは「トビラ」プロジェクト自体を「場」としてとらえるなら
効果はあるかも。

全体の設計として

5月:プロジェクト設計講座・応募開始(受入れ団体)
6月:受入れ団体決定・学生募集開始
7月:プロジェクト説明ワーク⇒学生向けプロジェクト説明会
9月:プロジェクトの進め方講座
9月末:プロジェクト開始
11月:中間研修
12月:プロジェクト終了
1月:報告会

という感じかなあと思いました。

こういう受入れ団体向け研修はヒーローズファーム以来だったので
(しかも研修はほとんど全部中村さんがやっていた)
緊張しましたけど面白かったです。

東区プラザの屋上駐車場に出たら、いい感じの空が広がっていました。

  

Posted by ニシダタクジ at 06:39Comments(0)日記

2019年06月19日

「ふるさと」をつくるという問い



密度の濃いibaraki tokyo 4daysでした。
月イチのインプットウィークという感じです。

6月14日(金)茨城大学・場づくりラボ。
そして王子シェアハウスでの対話。
その翌日のハックツ原さんとの朝活。

いろいろインプットが多すぎて、
ツイッターで外には出していたのだけど、
そのあたりを出してみる。

~~~ここからメモ

ハックツの現代表原さんと話して、「10代に贈りたい本」読書会のデザインが(偶然にも)すごいなと改めて思った。あれは、「本を介して自己開示する」っていうことなのだけど、開示の度合いを自覚なく自らコントロールしていて、「自己開示させられていない」。それってめちゃめちゃ大切なのかも。

そして出てきた仮説が「自己開示すると人はやさしくなる」っていうもの。
たしかに、優しくない人って自己開示してない気がするね。

「自己開示」する前提には、「何を言っても承認される」という「場」(安心空間)が必要なのだけど、それ無しに「自己開示させられる」のは苦痛だと思う。

「最近あったよかったこと」だったり「10代に贈りたい本」って、別にその人の主観であり、感性だから、否定の余地はない。そういう問いで「場」を「安心空間」にしていく。

一緒にごはんを食べたり、とかね。

「実家暮らしだと、その家に、部屋に、今までのすべてが蓄積されている。そこから解放されて1人になれる場が必要だと思った。」(「チームひきだし」への参加の理由。)それって「海外経験」にも通じるものがあるのかもしれない。異空間に自らを投げ出すということ。それが「越境」ってことなのか。

「チームひきだし」の特徴は、「取材する企業を選べない」ミステリーツアー方式をとっているところです。取材した場所がどの企業でも、魅力を引き出さなきゃいけない。
それによる「価値」は、選んだ理由を問われない、ということ。
なぜこの会社を?理由なんてない

思ったことを言うこと。言える場があること。
それって仲間というより、「場」だと思うんですよ。
そこから小さな「承認」を積み重ねていく。


~~~ここまで

そして、毎回僕が刺激と学びをもらっている「イナカレッジ・ラボ」。

~~~ここから

アイデンティティ・クライシスに対して、田舎でのふるさとづくりプロジェクトを行う。田舎は承認をくれると共に、没頭できるプロジェクトの題材をくれる。そうして全力で創造的行為を行った場所を人はふるさとだと思うと同時に、場に溶けていくことで、そもそもアイデンティティの問題を消す。

地域の宝さがし。
宝は隠れているのではなく、光をあてる角度を変えることで光り輝く。
そうして、宝は宝になる。

学びの目的をあらかじめ決めることはできない。なぜなら、学びとは自己の変容を伴うからだ。学び終えた後、目的を決めた時の自分はもういない。

アイデンティティ・クライシスを抱えているのは、過疎地域の大人も一緒だということ。明治大学小田切先生の言う「誇りの空洞化」その地域に「光」を当て、相互承認し、学びあい、つくり上げる何か。それが「にいがたイナカレッジ」というプロジェクトなのかもしれない。

イナカレッジのプロジェクトは、ゴールじゃなくて、切り口を提示しているにすぎない。その切り口できったときに、チームメンバーが「価値」だと感じるものを見つけ、それをアウトプットする。さらに、そのアウトプットの方法を考える。

プロジェクトの見せ方

・人の紹介も大切
・住む家の情報も
・問い合わせてくれた大学生には「中間の様子」を見せる。
・アウトプットの多様さを示すこと
・インターン後のインターン生と地域とのかかわり

プロジェクトが示すべきは、目的じゃなくて切り口なのではないか。
そこに参加することによってアウトプットも、価値も変わってくるのだから。

「挑戦するな、実験しよう」ってそういうことか。

~~~

そして、偶然にも帰りの車の中で聞いた
NHKラジオ深夜便の睡眠を研究している柳沢先生のコメントが熱くって、
さっき2度目を聞き直しました。

よい問いを見つけることはよい解き方を見つけることより難しい。
真実は仮説より奇なり。

この2つのメッセージ。
生物学者のメッセージって熱いなと
自然界の法則っていろいろあてはまるよなあと。

何が価値があるかわからないのだから、自分自身が面白い、価値があると思えなければならない。

真実は仮説より奇なり。
実存は本質に先立つ。
これ、同じこと言ってるけど、生物学でも哲学でも、ビジネスでもきっと同じなんだなと。仮説を持ちながら、フラットな気持ちで、目の前の現象を検証し続けること。

よい問いを見つけること。テーマを見つけること。
一流と三流の差はそこにある。

自然で起こることと、
世の中で起こることってリンクしているっていうか
世の中って、自然の一部なんだなって。

そんなことを思った。
あとは、イナカレッジイベントに来てた観光学部の大学生と話していて、

「これからの観光」のことを考えた。

これからの観光は、学びが軸になる。
そしてその学びは、現地にいる人との、現地という環境の中での対話によってもたらされる。
その対話から生み出される創造こそが観光エンターテイメントの最大の価値になるのではないか。
教育資源と観光資源を相互にやり取りすることで、そんな瞬間を作れないか。

そして、「ふるさと」のこと。

若者に必要なのは、「居場所」ではなく、「ふるさと」なのではないですかね。
いや、若者に限らないのですけど。
そしてその「ふるさと」は誰かから与えられるものではなくて、自ら勝ち取る、というか、創造的行為に没頭すること、サルトル的に言えば自らを「投企」することで得られる、という仮説。

「ふるさと」をつくるという問いを
軸に、いろんなものを構築していきたいと思った。

さて、アウトプットしていこうっと。  

Posted by ニシダタクジ at 10:07Comments(0)日記

2019年06月12日

「価値」を問う夏休み

今週末は、説明会ウィークのため、
茨城⇒東京へ

14日(金)は@茨城大学
12:00~12:30 「チームひきだし」説明会
https://www.ibaraki.ac.jp/commit/ioplab/2019/05/311805.html

16:00~17:30 「iopラボのための場づくりラボ」
授業でもサークルでも使える!楽しいミーティングの進め方
https://www.ibaraki.ac.jp/commit/ioplab/2019/05/301028.html

16日(日)は@東京・湯島
15:00~17:00 「にいがたイナカレッジ説明会 DAY1」
https://inacollege.jp/blog/2019/05/24/setsumeitokyo/

17日(月)@東京・湯島
18:30~20:30 「にいがたイナカレッジ説明会 DAY2」
https://inacollege.jp/blog/2019/05/24/setsumeitokyo/

いま、僕がかかわっている大学生向けのものは、
新潟市のトビラプロジェクト(byにいがたイナカレッジ)を入れて全部で4つ。

「トビラ」プロジェクトはこちら
https://iju.niigata.jp/news/7317_0601kick-off-report

僕自身は現代美術家なので「問いを投げかけること」をミッションとして、
「フラットな関係性」をつくる「コミュニケーション・デザイン」を提供しています。



「チームひきだし」は、企業を選べない「ミステリーツアー方式」で
企業の魅力を経営者インタビューと社員とのワークショップで引き出すプログラム。
「価値とは何か?」ひたすら考えます。
https://epochers.com/project/intern/181120hikidashi/


「にいがたイナカレッジ」の夏の1か月プログラムは
地域の(かなり田舎の)集落で共同生活して、
地域の人たちと暮らしを共に、コミュニケーションを図りながら
なんらかのアウトプットをしていくプログラムです。

参加者レポート
https://inacollege.jp/blog/2018/10/11/%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B8%E3%81%A7%E8%A6%8B%E3%81%A4%E3%81%91%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%90%E6%A2%B6%E8%B0%B7%E9%BA%BB%E8%B2%B4%E3%80%91/

昨年9月に、茨城で「チームひきだし」の中間振り返りをして、新潟に移動して、イナカレッジの中間研修の講師をしたときに、降ってきたキーワードが「場のチカラ」でした。

7 どのようにやるか how
6 何をやるか what
5 誰のためにやるか for whom
4 なぜやるか why
3 どこでやるか where
2 いつやるか when
1 誰とやるか with whom

1~3が場のチカラの構成要素で、1~7がプロジェクトの構成要素です。
下にいけばいくほど重要で、それが土台になっていると言えるでしょう。

ところが、通常の「企業インターン」は、1~6まですでに決められている(というか裁量権がない)状況の中で、7どのようにやるか だけを考えるプログラムになっています

それでも、意識高い面白いメンバーがいるなら、出会えるなら(つまり1と2が高い)、もしくは会社の雰囲気がめちゃめちゃよくて、いるだけで心地よい気持ちになれるなら(3が高い)、そのインターンには価値があるのかもしれません。

しかし、大切なのは、1~3を高めた上で、4と5に挑むこと。つまり、プロジェクトの「価値」と「顧客」について考えること、考え抜くこと。対話によって、掴み取ること。その時間に夏休みを投資してほしいなと思っています。「にいがたイナカレッジ」と「チームひきだし」はそんな問いが詰まっているプログラムです。

現代の社会は、「価値」そのものが常に流動しています。大学生が感じている「不安」の正体のひとつはそこにあると思います。

プロジェクトとは、場のチカラを高めて、いまこの瞬間の、あるいは自らを貫く「価値」を掴みに行くことなのではないかと。その「価値」を価値だと判断するのは顧客であり、自分自身です。売り上げは指標のひとつに過ぎません。

して、そこで生まれてくる「価値」が事前に分からない。だから、人はプロジェクトに向かうのです。ふりかえりによって初めて「価値」が生まれるかもしれないのです。楽しさ、ワクワクの源泉はその「予測不可能性」にあります。

~~~

つまり、「チームひきだし」や「にいがたイナカレッジ」の1か月プログラムの最大の「価値」は、「価値」とは何か?を問う機会を得るということです。

経済社会においての最大の価値は、売り上げを上げること、伸ばすことです。
しかし、売り上げを伸ばすためにがんばっていても、売り上げは上がり続けることはありません。
売り上げの源泉は「価値」だからです。
顧客に価値を提供できるからこそ、その商品、そのサービスは売り上げを伸ばし続けることができるのです。

かつて、その「価値」は長持ちしました。新商品の洗濯機を作れば、何万台、何十万台も売れ、長く売れ続けました。
ところが、テクノロジーの発展など様々な要因によって、価値が長持ちしない、かつ多様になってきてしまいました。

「価値」そのものが流動している。
だから、自ら「価値」を考え、生み出せる人になることが求められます。

そして、もうひとつ、
このプロジェクトの「顧客」は誰か?
どんな大学生に来てほしいか?

上にリンクした
昨年参加した大学3年生まきちゃんのレポートに、そのヒントがあります。

~~~ここから引用

やりたいことがない
自分に自信がない
多くの大学生が抱える悩みだそうです。

就活が目前まで迫る大学3年生。私も焦っていました。
イナカレッジに参加して、ほんの少しの自信が湧き、やりたいことがない私のこれからを少し考えることができました。

(中略)

縁もゆかりもない土地に会いたい人ができる。地域インターンを経験した先輩たちが口にする、「第二の故郷」という存在に心のどこかで憧れていました。
即決できなかったのは、1か月という期間の長さ。
夏休みはインターンもそこそこに遊びたかったのが本音です…。
でもこれだと今までの大学生活と何も変わらないような…。

そして、1か月知らない人と知らない土地で暮らすことへの不安。
しかし参加を決めたのも1か月という長さ。
参加してみれば何かを得られるのではないか。変わる自分がいるのではないかという期待。
とりあえず行ってみよう…。悩みに悩んで、自分にとっては大きな決断をしました。

強い思いがあって参加する人もいるのに、私の参加動機は不純じゃないかな?
他のインターン生の話を聞いた時、どうしてここに来たか聞かれた時、ここにいていいだろうかとドキッとしました。
だけどコーディネーターの有紀さんに、まきちゃんみたいな子に参加してもらえてよかったと言ってもらえて安心しました。
やりたいことがある人しか動けない、というのは自分が動けない言い訳だったと思います。

~~~ここまで引用

そうして、新潟・出雲崎町にやってきた彼女は、
「ときめき」というキーワードに出会います。

「ときめき」こそが価値なのではないか?
それを伝えたい、と冊子作りに取り組みました。

そしてレポートはこう締めくくられます。

~~~
大学受験以来私が真剣に取り組んだことってあっただろうか?
ないから2年間空っぽのような時間を過ごしている気分でいました。

地域や自分や冊子づくりと対峙した1か月は1ミリの隙もなく、いろんな思いが詰まった貴重な時間でした。

今自分に与えられた課題に懸命に取り組んでみる。
そして秘かにやりたいことを探し続けていく。
そうしようと思いました。

私が得られたことなんて他の人から見たら小さいかもしれませんが、今まで向き合おうとしなかった自分に向き合うことができたことが自分なりの成果なのです。
~~~

アウトプットは、数十ページの冊子。
小さな、小さな成果。

だけど、彼女の人生にとっては、かけがえのない1か月になったのだろうと思った。
「にいがたイナカレッジ」の魅力はそういう「場」そのものなのだろう。

僕が、
「にいがたイナカレッジ」や「チームひきだし」を通して、
大学生に届けたいのは、

「価値」を問う夏休み。

それだけです。  

Posted by ニシダタクジ at 07:39Comments(0)日記

2019年06月05日

「学びの当事者になる」「学びは完結しない」という感覚



昨年10月、大正大学「地域実習」でご一緒した茂木先生から、
「高校生と地域活動」というテーマで勉強会講師をしてもらいました。

~~~ここから講義メモ

大学には行きたい。でも、何を勉強したいのか分からない。

親が勧める学部を志望先にする。(例:資格がとれる学部、就職率がよい学部)

受験勉強に対する意欲が低下し、学びに主体性のない生徒が増加する

今まで以上に手をかけ、教員の負担が増える

高校生の学びのモチベーション向上と教員の業務削減を達成するには?
浦崎太郎先生(当時岐阜県立可児高校・現大正大学)との出会い
「地域再生×高校キャリア教育」というキーワード

ユネスコ部での聞き書き。
地域の名人を訪ね、聞き書き。
録音した会話の書き起こし。
そのプロセスでの名人の価値観や想いを受け止める

「地域の大人と話すことで、「教科書や本には書いていない輝くものを
見つけることができた。人の話を聞くということは、その人と同じ人生を
もう一度一緒に歩くということだと思った。(2014年Nさん)

地域の大人の話をきっかけとし、生徒が自分自身と向き合い、
「生き方」について考えるようになる。

高校生が地域で学ぶことが自分の進路を考えるきっかけとなり
学びに対する主体性を高めることができる。

H25「魚沼学」の実施

スイカを使った化粧水づくりなどの実践

「魚沼は世界とつながることができる。
世界中どこだって、日本のどこだって
私たちの大地はつながっている。

足元に目を向けたとき、そこにはチャンスが転がっている。
ザンビア共和国・ハイチ共和国のチャンスはバナナだった。

私たちのチャンスはスイカだった。
あなたの足元には何が転がっているだろうか?」

教員の懸念
1 活動のイメージができない
2 授業時間の確保が難しい
3 業務が増加することへの懸念
4 連携についての相談先がわからない

⇒一般社団法人 愛・南魚沼みらい塾設立
ナナメの関係

高校生の声
「今までは与えられた問題にしか取り組まず、自分から行動する機会がすくなかった。しかし、SGHでの学びを通じて、勉強以外でも自分で課題を見つけて、行動できるようになった。」

「最初は「めんどくさい」と思うかもしれないけど、SGHは追求すればするほど楽しくなります。SGHをつまらなくするのも、おもしろくするのもあなた次第です。」

課題
1 教員自身の興味関心、「総合探究」を楽しめるか?
・教員が生徒の「伴走者」になれるか?

2 学校内の体制作り
・担当者の異動、校内分掌の配置換え、管理職の理解

3 連携コーディネーターとのコミュニケーション
・それぞれの立場を通訳する人の存在

4 学校外でも生徒の学びを担保する環境づくり
・ゆるいコンソーシアム(連携)

5 「探究」する土壌、教室の雰囲気、集団づくり
・「魚沼学」の授業だけが別空間?
・学校の授業、教科での学びが探究活動の土台
・創造的な思考はケア的な空間が生む

6 生徒の学びの見取り方(評価)
・ルーブリック評価で、生徒の学びが本当に見える?
・活動から見えてくる生徒の姿をだれがどう読み取るか?

7 経済的サポートはどこから?
・SGH予算がなくなるが・・・
・行政からの支援は?
・みらい塾の運営資金は?

~~~ここまで講演メモ(資料から)

「学びの意欲の低下」ってホントなんだなと。そのインセンティブがないもんね。そもそも「インセンティブ」っていう考え方が学びの意欲の低下を引き起こしているけど。

「学びの主体性」を取り戻すこと。そこに尽きるのかもしれないな、と。そこには大人の「愛」や「探究」に直に触れること。そして人は地域の当事者になると同時に、学びの当事者になる、ということなのかもしれない。

自分を愛する前に、誰かや地域を愛すること、その前に誰かや地域の「愛」を体感すること。それが必要なのかもしれない。「愛」は言葉じゃなくて、波動というか、「波」だから。

茂木先生が「聞き書き」実践やSGHで得た経験っていうのは、
「当事者になる」っていうことなのかもしれないと思った。

「探究」のいちばんのポイントは、「学びの当事者になる」
ということだろうと思う。
そしてそれは、「人生の当事者になる」のと限りなく近いだろう。

地域に出ていき、そこにある「地域課題」への「違和感」や「活動する大人」への「共感」
を膨らませて、「プロジェクト」をつくること

そのとき、生徒はそのプロジェクトの当事者になる。
その当事者性の高さが必要なのだろうと思う。

国連やテレビ・新聞や誰かから借りてきた「課題」では、
その当事者性が高まらないのだろうと思う。

通学路の畑に捨てられているスイカの山への違和感。
聞き書きでヒアリングした農家のおじいちゃんへの共感。

その「違和感」や「共感」が強ければ強いほど、
そのプロジェクトは自分の、あるいはチームの
主体性の高いプロジェクトになる。

「学び」ってなんだろう?ってあらためて思った。

摘果(間引き)されたスイカで化粧水を作った高校生が言った。

「捨ててあるものを見たら、何かに使えないか?って考えるようになった」

思考行動プロセスの変化。
それは大きな価値だろうと思う。

かつて、哲学者サルトルは、「社会参画せよ」と呼びかけた。
それは言い換えれば、「当事者たれ」ということ。

プロジェクトの当事者になることで、
地域の当事者となり、自らの学びの当事者となり、
そして人生の当事者となっていく。
そんな絵が見える。

ちなみに昨日の勉強会で一番印象に残ったのは、
「学びは完結しない」というキーワード

そうなんだ。
すべての学びは、本来、到達点ではなく通過点に過ぎない。

その感覚。
私という存在は、学びという営みの中の一部、構成員に過ぎない。

たぶん、そういう感覚。
それが僕にとって、学ぶということの喜び、なのかもしれないと
話を聞いていて思いました。

茂木さん、遠くからありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 07:31Comments(0)日記

2019年06月02日

人間はもっと柔らかい

柏崎「変態」ツアー
「変態」に出会い、自ら「変態」するツアー

本来は1泊2日なのですが、
日帰りバージョンの予行でした。
参加者は5名。

某ビジネス系メディアの取材に同行してもらう形となりました。
プロのライターさんの引き出し力すごかった。


午前中はテック長沢、長沢智信さん。




ランチはI'm home@夢の森公園で。
西村遼平さんのつくるおいしいランチ。


午後はwith you 小林俊介さん。


ラストは小清水・EALY CAFEにて矢島衛さんと水戸部智さんに話を聞きました。
西村さんも駆けつけてくれました。


最後に集合写真。

ラスト、小清水にいってよかったなと。
景観にこころ現れたし、水戸部さんがやってきたこと、
やっていることが少し見えた。
もっとじっくり振り返りをする時間をとれたらよかったなと。

さて。
午前中のメモ。

~~~ここから

「何を学んできたか」ではなく、「学び方を知っているか」が大切。

みんなが行かない道のほうが楽しそうだ。だから、かきあげ天そば活動します。

リーマンショックの危機の「体感」を共有しているかどうか。「ピンチはチャンス」とかっていう精神論じゃなくて、ピンチの共有がコミュニケーションをフラットにしたのかもね。

「やりたいことは何か?」とか「自己実現」という悪魔。そんなことじゃなくて、「誰と働くか?」が大事。結婚と同じだったら、そうなるよね。「誰と一緒にいたいか?」っていう問い。対「人」の感性を磨くこと。

「ナガサワと働きたいんだ」っていうのが入社の理由。

関係性のデザインと目標設定・共有・モチベーションのデザインはリンクしている。それは、「参加のデザイン」でもある。だから、「組織」が必要だし、グループが「チーム」になっていく。

スキルとしては交換可能だけど、人としては交換不可能な1人なんだ。だから、あなたは特別なんだ。

「誰と出会えるか、誰と一緒に仕事ができるか、だ」(テック長沢 長沢智信さん)

すべてのボトルネックは人に行き着く

「僕は役割分担として社長をやっているだけだ」社員みんなに自分の役割があり、それを演じ切れているか?その総和が会社の力だ。いや。ほんとそう。

「いま、誰と出会えるかがそのまま会社の未来だ。」って長沢さんは言っていたけど。
人生が経営だとしたら、中学生も高校生も大学生も、みんなそれだよ。

~~~以上メモ(ツイッターより)

僕はすべてのインプットをキャリアの問題に
置き換えてしまう癖があるのだけど、
今回もまたそのヒントに詰まった時間。

「プロフェッショナル」とか「13歳のハローワーク」に代表される思想は、交換不可能性を「技術」「スキル」に求めた。でも、大切なのはきっと、交換不可能性を「スキル」に求めるのではなく、「存在」「雰囲気」に求めること。あなたの技術は交換可能だが、あなたの存在は交換不可能である、ということ。

だからこそ、
対「人」の感性を磨くことがいちばん大切なのではないかと。

誰と出会えるか、
誰と一緒に仕事ができるか?
それが仕事の醍醐味だと言っていた長沢さん、すてきだなと。

ランチは、今日参加の皆さんがそろって
I'm homeにて。

水戸部さんから「変態ツアー」の趣旨を話してもらって、
午前中の長沢さんにも聞いた、キラー質問
「いちばん興奮するときっていつですか?」
これをいろんな人が答えていく。

これ、いい質問だなあと。
めちゃめちゃ心が開く。

あとは、
水戸部さん理論「欠落こそが価値」

「欠落」した人生。
欠けてる部分が大きいほどその反作用としてのプラス(有意味性)が大きくなる。
欠落しかない人生のどこが伸ばせるか?を考えること。
これを中学校の授業プログラムにしている柏崎はアツイなと。

そして、午後のwith you小林俊介さんの話を聞く。

~~~ここからメモ

「そのために生かされたんじゃないか?」っていうのは勘違い・思い込みに過ぎないのだけど、人ってそれが原動力になるからステキなんだよね。

「福祉」なんかじゃない。「働きたい人」(主婦・障がい者)がいて「仕事」がある。その人に仕事をしてもらっているだけだ。

「企業をメディア化する」ってこういうことか、と。with you 小林社長の世の中との対話のコミュニケーションスタイルにシビれまくった「変態ツアー」

「仕事って何?」みたいな根源的な問いが詰まった午後。
「人間の尊厳」「誇り」みたいな。
大げさなことのようで、そういうのって、意外に会社の「制服」がカギだったりする。
デザインの力。

製造業の良いところは、製品には「誰がやってるか」は書いてないこと。
その仕事ができるかどうか、製品がつくれるかどうか、そして品質がすべて。

すりガラス張りの「福祉」の違和感。
自分の原体験では誰も「福祉」をやってなかった、ことに気がつく。
その「福祉のバリア」をぶっこわすこと。

~~~ここまでメモ

「人ってもっとやわらかいんじゃないか。」
がwith you 小林社長の話を聞いた後の僕の感想。
なんにでもなれる、っていう可能性に満ちてる。
「世界にひとつだけの花」なのではなく、ips細胞のようなものだよ。めちゃめちゃ不完全なips細胞だけど。

ひとつ。謎が解けたこと。
「日本でいちばん大切にしたい会社」を読んでから、製造業は、「(障がいがあったとしても)人に合わせて仕事をつくることができる」でもサービス業はお客さんに合わせて仕事を作らなきゃいけない。それが、いわゆる「働けない人問題」だと思っていたのだけど、製造業も、「仕事」に合わせて人が動いていくっていうことは変わらないのだけど、その「作業プロセス」を働く人に合わせてカスタマイズできる、っていうこと。

「適職思想」をベースにしたキャリア教育は、自らを「パズルのピース」のように、どんなカタチのピース(スキル・性格)をしているのか?を問い続け、それにあうパズル板(会社)を探すということをしているけど、どんなパズル板にも合わせられる(かもしれない)くらい、人って柔らかいんだと思った。

そもそもパズル板のほうのカタチだって、どんどん変わっていくでしょう。
「適材適所」っていうのはすごい一時的なものだと思った。
そして、それって「場のチカラ」の影響もものすごく大きいなと。

と、まあそんな感じ。

小清水に戻ってイーリーカフェで振り返りと矢島さんの話。
この時の雰囲気よかったなあと。
まちづくりネット「あいさ」の水戸部さんの軌跡から。

~~~以下振り返りメモ

これまでやってきたことを回収するフェーズに入ったこと。
リスクジャンキーである私たち(笑)

中学生に人生モチベーショングラフを書いてもらって、「欠落」を発見し、それが大きい人を「社長」にしてプレゼンしてもらう。

「欠落」こそが価値。
「違和感」こそがチャンス。
これを中学生に伝えられるのは大きいなと。

「課題解決」を地域のスケールにおとしていくこと。
地域のスケールでものごとを考えていくこと。

「何をするか?」ではなくて、
「どうありたいか?」「その先に何があるのか?」
を知ること。
それ、会社選びもそうだよ。

まちの人の「当事者性」に触れること。
そこで「感性」が発動する。
「感じること」から始まる。

「僕の生存戦略はハイエナ戦略です」って言える男子がかっこよかった。
あなたの生存戦略はなんですか?

「小清水」は街道沿いだから、ヨソモノに寛容。

小清水・矢島衛さん。
「100年後もこの集落、風景を残したい」

100年後には自分がいないから、結果が出ない。
→正解がない
→自分がやっていることを信じるしかない。

「生きているあいだに結果は出ないけど、正しいと思うことをやりたい」

俺がやるしかない。
っていう使命感。
みんな勘違いに支えられて生きているんだなと。

自分が考える「価値」を今の世の中にどう「アジャスト」させていくか。
それですよね。
その感覚が柏崎の変態たちはものすごい。

生き様としての社会実験。っていう。

~~~ここまでメモ

なんかもう、ただただ、カッコよかった。
水戸部さんのドライで熱い感じが好きだなあって。

「僕の生存戦略はハイエナ戦略です」
って言い切れる感じが好きだなあって。

いちばん印象に残ったのは、
水戸部さんの大学の後輩の小嶋さんの一言。

「まちづくり」を仕事にするって言ってるけど
何やってるのかなあとずっと思ってた。
今日、その意味がわかりました。

これ、熱かったなあ。
水戸部さんは2007年の中越沖地震のときから
まちに飛び込んで、「まちづくり」と呼ばれるジャンルに飛び込んで、

「まちのプレイヤーを育てる」というコンセプトでやってきた。
そのプレイヤーのひとりが矢島さんであり、西村さんであった。

まちづくりネット「あいさ」の事業を進めていく中で、
自分を知り、まちを知り、「まちづくり」とは何かを考え、

それらを重ねた結果、
中間支援事業だけでなく、
中学校や高校での授業を行ったりしている。
それが今の水戸部さんにとっての「まちづくり」なんだ。

欠落が有意味性を生む。
欠落が大きいほど価値だ。

このメッセージを、
僕もたくさんの人に届けたいって思った。

そして、人間はもっと柔らかいんだっていうこと。

まだ、何者でもない自分。
何にでもなれる、わけでないけど、
何かになれる、かもしれない可能性をずっと残しているんだ。
そんな前提で生きていける人がたくさんいるといいなと思う。

「柏崎変態ツアー」、
参加者にとっても、僕にとっても、
エキサイティングな時間になりました。

水戸部さん、矢島さん、
柏崎の素敵なみなさん、1日ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 07:52Comments(0)日記

2019年05月22日

「価値とは何か?」を問うこと

大学を退職してから、
大学生とかかわる時間は少なくなりましたが、

茨城・日立の(株)えぽっくがプロデュースしている
茨城大学iopラボのための「場づくりラボ」
※次回は6月14日(金)16:00~18:00
http://www.ibaraki.ac.jp/commit/ioplab/2019/04/261832.html

企業取材型インターンシップ「チームひきだし」
※現在クラウドファンディング挑戦中です!(残り2日!)
https://a-port.asahi.com/updates/tabisuru_sassi/

そして(公社)中越防災安全推進機構がプロデュースする「にいがたイナカレッジ」
☆まもなく夏の1か月インターン募集開始
https://inacollege.jp/

新潟市×イナカレッジのプロジェクト「トビラ」
☆6月1日(土)にキックオフイベント開催
https://inacollege.jp/blog/2019/04/26/tobira0601/

の4つのプロジェクトにかかわっています。
この週末も、場づくりラボとイナカレッジラボだったのだけど。

あらためて、どうして自分がそこに至るのか?を考えてみると。

イナカレッジラボの時に言っていたのは、

イナカレッジの最大の魅力は、
「価値とは何か?」を問う機会を得るということ。

場づくりラボの話していたのは、
「場づくり」っていう言葉が響いていないんじゃないか?

それを挟んだ朝活でふと思ったのは、
大切なのは「自己効力感」ではなくて、
「成長的知能観」(⇔固定的知能観)
であり、チームでそれを作っていくことなのではないか。

そもそも自分とか自信とかって
ウソなんじゃないかって。

それを実感(体感)できるプロジェクトを
つくりたいのではないか?って思った。

「プロジェクト」の定義は、「新たな価値を創出する有期性の業務のこと。」
つまり、プロジェクトを設定するとは、「顧客」「価値」「期限」を決めることなのだけど、

その「価値」の部分に
「遊び」をつくるというか、

事前と事後で新たな「価値」を設定するというか、
やっている間にチーム内で「価値」を設定していくというか、
そういうことなのだろうと思った。

イナカレッジの1か月プログラムは、
3人でアウトプットするものをだんだんと決めていくし、

「チームひきだし」の取材後の冊子作りは、
それぞれが感じたことを共有して、
何を発信していくか決めていく。



昨年9月、ひきだしとイナカレッジに参加して一番の気づきは、
「アウトプットするのはチームの力ではなく場のチカラ」だということだった。

「プロジェクト」の「価値」がプロジェクトを始まる前には
(明確には)決まっていない。

それによって、
「価値とは何か?」という問いが生まれていくこと。
その問いが集まる「場」に身を投じていく、溶かしていくこと。
場と一体化するというか、場の構成物となるということ。
そうして出てくるアウトプットについて、また振り返ること。
たぶんその繰り返しが必要で、それが価値なのだろうと思う。

「価値と何か?」っていう問いの中に身を投じること。
たぶん、それが通常の企業インターンとは違うのだろうと。

「期待する成果」や「求める人材」
っていうことじゃないアウトプットとインプットをしていくこと。

そのために「場」のチカラを高める必要があるし、
その「場」をどう作るかを?っていうのが
僕の現代美術家ポジションなのかもしれないなと。  

Posted by ニシダタクジ at 09:47Comments(0)日記

2019年05月19日

「場」に差し出すことしかできない

茨城大学iopラボのための「場づくりラボ」
2019年の第1回に行ってきました。

意外だったのが、
「場」はもうあるんだって思っていること。

水戸市内には、ここ数年で、コワーキングスペースや
イベントスペースが何件もできている。

イベントやるとき、どこの会場を使おうか?
って選べるくらいの場がある。

「場」って書いたけど。

僕が「場づくり」とか「場」っていうときは
ハードではなくて、非常に短期的なものを指している
ということをあらためて感じた。
それは、クルミドコーヒーの影山さんと話しているときに。

場のチカラの構成要素を
誰と、いつ、どこで
と僕は表現するのに対し、

影山さんは、
関係性、記憶、空間
だという。
これ、それぞれが上の条件を時間軸的に伸ばしているんだなと思った。

そういえば、昨年シリーズでやっていた
「場づくりラボ」も基本的にはワークショップをやっていたなあと。

僕はエンターテイメントの本質を
「予測不可能性」だと思っていて、
だからこそ、目標決めて始めるっていうのが
あまり好きではなかったのだけど、




「THE TEAM 5つの法則」(麻野耕司 幻冬舎)
に書いてあった

「成果目標」「行動目標」「意義目標」の関係性
を見て、

ああ、ぼくが嫌だったのは、
「目標」ではなくて、「成果目標」だけを見てしまうこと
なのだなあと。

なんのためにその成果目標なんだっけ?
みたいな意義目標がないと、
つまんないんだなと。

意義目標があれば、
成果目標は仮説であり、行動目標はもっと仮説なんだと。

僕は「いまこの瞬間」がとても大切で、
それを存分に楽しみたいという動機が根源的にあって、
そこには「予測不可能性」が必要なんだっていう。

そういう「場」をつくりたいと思っているんだなと。

だから「場づくり」と言いながら、
チューニングとかファシリテーションとか
をやっていたのではないかなと。

そして昨日もうひとつ。
いわゆる「自信」について。

「自己効力感」とか
「自己肯定感」とか。

ちょっとこの2つのニュアンスは違うみたいですが。
https://news.yahoo.co.jp/byline/yokoyamanobuhiro/20171105-00077783/

そもそも。
「自己」っていうのが違うんじゃないのかって思い始めました。

(短期的な)「場」を主語にしてみる。

学びの構図も、
教える側と教えられる側という1対1の関係として
見るのではなくて、

「場」として見る。

先生(だと思われている人)は
「場」に伝えたい何かを差し出す。

生徒(もしくは弟子)は、その「場」から何かを受け取る。
だからこそ、内田樹さんがいうように、
教育とは入力と出力が一致しない営みになるのだと。

たぶん、その感覚。

チームだって、1つ1つのミーティングだって、
僕から見れば「場」だ。

アウトプットを出すのは場のチカラであり、
個人は場に溶けてしまえばいい、
っていうのはきっとそういうことなのかもしれない。

自己効力感なんて不要だと思う。
あなたが「ひとりで」何かを成し遂げる必要なんてないのだから。

それよりは、「やればできるかもしれない」という
成長的知能観を持ちうるチームに出会うこと。
パートナーを見つけること。

そうすれば自信は不要なんだって。

スピノザが言うように、
意志なんて存在しない、としたら、自信なんて不要だよね。
自分が何かを成し遂げるわけではないのだから。
場の構成員として、自らを場に差し出す。

それしかできない。

桜新町の屋台は、それを肌感覚で感じられる場なのかもしれない。
  

Posted by ニシダタクジ at 09:13Comments(0)日記

2019年04月18日

ありえたかもしれない、もうひとつの近代


「NHK100分de名著 スピノザ『エチカ』」

2回目の読了。
読めば読むほどすごい。

そして、冒頭の見出し、
「ありえたかもしれない、もうひとうの近代」
というキャッチコピーが2回目にして、しっくりとくる。

西洋的近代とは、
二元論であり、わかりやすさであり、目標逆算型システムであり、、、

っていうのが
スタンダードで、それが時代にあっていないんじゃないか?
っていう話はたくさん出ているのだけど、
そもそもそのシステムっていうのはどこから始まったんだっけ?

っていうので、
当然、産業革命以来の社会システムの変化を挙げるのだけど。
そのシステムを作り上げた要因として、「デカルト的哲学」があったのだなあと。
その哲学が社会状況と見事に符合して、現在の社会の価値観、哲学、倫理ができていったのだなあと。

~~~ここから本文より引用

私たちがいま国家だと思っている、領域があって主権がある国家という形態は、17世紀半ばになって出てきたものです。

いわゆる近代科学もこの時期に出てくる。たとえばニュートンは17世紀後半に活躍した人です。その科学の支えであった近代哲学も同じ時期に現れました。17世紀は本当に現代というものを決定づけた重要な時代なのです。

私はその意味でこの世紀を、思想的なインフラを整備した時代と呼んでいます。たとえばデカルトは近代哲学の、ホッブスは近代政治思想のインフラを作った人です。そのインフラの上に、続く18世紀の思想が荘厳なアーキテクチャー、つまり建築物を築いていきます。たとえばカントの哲学やルソーの政治思想をそれにあたるものと考えることができるでしょう。

そうすると、17世紀はある意味で転換点であり、ある一つの思想的方向性が選択された時代だったと考えることができます。歴史に「もしも」はありえませんが、別の方向が選択されていた可能性もあったのではないかと考えることはできます。私の考えでは、スピノザはこの可能性を示す哲学なのです。それは「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」に他なりません。

~~~ここまで本文より引用

このあと、「真理」についてのデカルトとスピノザの比較があります。

「デカルトの真理観の特徴は、真理を、公的に人を説得するものとして位置づけているところです。真理は公的な精査に耐えうるものでなければならないわけです。私は考えている、考えているならば、その考えている私は存在している。と言われれば反論できない。」

「スピノザの考える真理は他人を説得するようなものではありません。そこでは真理と真理に向き合う人の関係だけが問題になっています。だから、真理が真理自身の規範であると言われるのです。いわば、真理に向き合えば、真理が真理であることは分かるということです。」

これさ、哲学は何のために、誰のためにあるのか?
っていう問いになっているな、と。

デカルトは誰をも説得することができる公的な真理を重んじました。実際はそこで目指されていたのはデカルト本人を説得することであったわけですが。それに対しスピノザの場合は、自分と真理の関係だけが問題にされています。自分がどうやって真理に触れ、どうやってそれを獲得し、どうやってその真理自身から真理性を告げ知らされるか、それを問題にしているのです。だから自分が獲得した真理で人を説得するとか反論を封じるとか、そういうことは全く気にしていないわけです。

「哲学」って生きるとは何か?という究極の問いに対する仮説にすぎないだと僕は思うのだけど、デカルトは、他者を説得するとか納得させるとか、何かのための哲学になっちゃってるんじゃないかと。これこそが、まさに近代社会との分岐点でしょ。近代工業社会にはデカルトのほうがめちゃめちゃマッチするのだけどね。

そして、この後、この本は(僕の中の)クライマックスへ向かう。

~~~ここから引用

私たちの考え方は強く近代科学に規定されています。私たちの思考のOSは近代科学的です。ですから、そのOSはスピノザ哲学をうまく走らせることはできないかもしれません。

これこそが私が「はじめに」で述べた、「頭の中でスピノザ哲学を作動させるためには、思考のOS自体を入れ替えなければならない」ということの意味に他なりません。

近代科学はデカルト的な方向で発展しました。その発展は貴重です。私たちは日々、その恩恵に与って生きています。そしてまた、公的に証明したり、エヴィデンスを提示することもとても大切です。それを否定するのは馬鹿げています。しかし、そのことを踏まえた上で、同時に、スピノザ哲学が善悪、本質、自由、そして能動をあのように定義した理由を考えていただきたいのです。

近代科学はとても大切です。ただ、それが扱える範囲はとても限られています。

フーコーの「主体の解釈学」。かつて真理は体験の対象であり、それにアクセスするためには主体の変容が必要とされていた。ある真理に到達するためには、主体が変容を遂げ、いわばレベルアップしなければならない。そのレベルアップを経てはじめてその真理に到達できる。

この考え方が変わったのは17世紀であり、フーコーはその転換点を「デカルト的契機」と呼んでいます。デカルト以降、真理は主体の変容を必要としない、単なる認識の対象になってしまったというのです。

フーコーはしかし、17世紀には一人例外がいて、それがスピノザだと言っています。スピノザには、真理の獲得のためには主体の変容が必要だという考え方が残っているというわけです。これは実に鋭い指摘です。

~~~ここまで引用

スピノザ、すげーなって。
僕が大学時代からいろいろ感じて、学んだことが
ダイジェストで説明されてくる感じ。

「場のチカラ」とか「チューニング」とか「リアルメディア」とか
めちゃめちゃスピノザ的だなあと思った。
そして、火曜日に小田原で後藤タツヤと話して、
熱海でとっくんと話して、さらにそれが確信を増した。

「機会提供」そのものの価値。
それを本屋の棚を通じて表現すること。

教育の最大の矛盾は、目的・目標をもって始めなければいけないこと。
そして評価を前提をしなければいけないこと。
でも、エンターテイメントの本質は予測不可能性にある、ということ

それはまさに近代(工業)社会と僕を含めた若者が感じている違和感の
ギャップそのものであるのだけど。

でもさ。
スピノザ的に言えば、本質は自分らしくありたいとする力(コナトゥス)であって、
人によって、真理は異なるだろうし、その真理の獲得のためには自らの変容が必要なわけですよ。

ってことはさ。
「機会提供」こそが、人を育てるんじゃないの?って。

その人がその「機会」によって、どうなるかっていうのは、
あまり重要じゃないというか、
むしろ、その機会提供によって、自らがどうなるか?
っていう問いのほうが大切なんじゃないのか?

「挑戦するな、実験しよう」

にいがたイナカレッジの連載で掲げたコピーの意味が、スピノザを読んだ今ならわかる。

去年の夏にこはるんが言ってた
「イナカレッジは自分を知るプログラムです」の意味が、今ならわかる。

そして僕が本屋をたくさん作ろうとしていることの意味も。

機会を提供したい。本棚で表現したいのは、なぜなのか?

実験するために。
実験し、自分なりの「真理」にたどりつくために。
そのたどり着く過程で、自らを変容させるために。

いや、ために、じゃないんだよ。

生きることそのものが、そのプロセスの中にただ、ある。
根源的欲求として、ただ存在するのだ。

本棚に刺さっている1冊の本。
1冊の本から実験の旅が始まる。

そんな本棚をつくりたいと心から思う。

あなたもそんな本棚をつくるひとりになりませんか?  

Posted by ニシダタクジ at 09:45Comments(0)日記

2019年04月09日

「問い」をもらう「場」としての「本屋」と「地域」

昨日のブログに書いた


「学校をつくり直す」(苫野一徳 河出新書)

からの

「ふるさとを元気にする仕事」(山崎亮 ちくまプリマー新書)

「探究」ってこういうことなんじゃないかとあらためて思った。
地方こそ、地域社会こそ、「探究」の宝庫だと。

僕の「探究」の入り口は、
2002年の中3不登校男子、シンタロウとの出会いだった。

そこから、
「生きる力」ってなんだろう?っていう問いが始まった。

ツルハシブックスの店に立っていたとき、
「やりたいことがわからない」「自分に自信がない」
と深刻に語る大学生を前にして、
「やりたいこと」とか「自信」ってそもそもなんだ?
働くってなんだろう?っていう問いが始まった。

30歳の時、社会科の教師になろうと思って、
玉川大学通信教育学部に3年次編入。
介護等体験も、2週間の教育実習もやったけど、
「自分のフィールドは学校そのものじゃない」と思って中退。

学校そのものじゃないというより、
何かを教えるようなスタンスじゃない、と思った。

2004年に「小説吉田松陰」(童門冬二 集英社文庫)に
出会い、野山獄エピソードに「これだ!」と直感。
以降、「学びあえば希望を生むことができる」
をコンセプトにしてきた。

そして、そのための「機会提供」を行うこと。

「機会提供」というコンセプトは、目的を持って始めないということ。
そしてそれは、「予測不可能性」を大切にするということだと最近になって気がついた。
今でも「暗やみ本屋ハックツ」のイベントに引き継がれている。
今でもたぶん、それは変わらないのだろうと思う。

本屋には、宝物が眠っている。
それは「探究」を駆動する何か、だ。
そしてそれは、「地域」にも、「地域の人」にも同じく眠っている。

「地域の課題解決」が叫ばれているが、
「解決」したいと心から思うのは、一般的「課題」じゃなくて、
具体的な誰かが困っていることだ。
それを解決することで楽しい未来が待っているようなこと。

それに出会えること。
それが「本屋」と「地域」の魅力だろうと思う。

「本」や「地域の人」に出会い、心が動くこと。
「衝撃」や「共感」だったり、「何とかしたい」と思うこと。
そこから「探究」が「学び」が駆動していく。

そういう場所をつくりたいんだ。

そんな学びを駆動させる1冊に
偶然にも出会える本屋を、一緒につくらないか?

「探究」を発動するような地域を、場を
一緒につくらないか?  

Posted by ニシダタクジ at 06:43Comments(0)日記かえるライブラリー

2019年03月18日

場という「おでん」の具として生きる

イナカレッジ・ラボ@東京・湯島でした。


午前中は
「beの肩書き」ワークショップを
40代のおじさん3人でやるという・・・
みんな人生、迷ってますね。笑

人生を物語として見たときに、
どう見えるか?
っていう鈴木さんが言っていたことが
印象的でした。

僕の中で出てきたキーワード。

本、問い、場、フラット、創造、コミュニケーション・デザイン、コミュニケーション・ツール、お客は誰か?、脱・自分、脱・二元論、いいかげん、目的に向かわない、機会提供、溶け出す、とかとか。

あとは「場づくり」の価値をどのように伝えるか?
っていう話。これは面白かった。

参加者の鈴木さんは
「鈴木さんって何をしたいのか、よくわからないですよね」
ってよく言われるらしい。
それって場づくりにとっては、むしろプラスなんじゃないか、と。

場の価値や目的を言語化できる、っていう場と
言語化できない場っていうのは、
どちらが価値があるのか?っていうジレンマ。
というか、価値があるのは言語化できない「場」なのではないか。

午後は、イナカレッジの井上有紀さんと
「挑戦するな実験しよう」をテーマに参加者とフリートーク。

「やってみる」こと、「ふりかえる」こと
「ふりかえる」ときに、
「目的」「目標」に沿って考えたことをふりかえるのか?
「顧客」「価値」について感じたことをふりかえるのか?
「予想できなかったよかったこと」は何か?

「適応する」ことは個体にとっては「本能」であって、「価値」そのものではない。
その個体が属する集団にとっては価値である可能性が高いけど。

予測不可能性というエンターテイメント性と
予測可能性という安全性・安心感

「何に囲まれるか?」という判断基準。
「感性」を磨いていくこと。「問い」を共有すること。
とまあ、こういう感じ。
この4日間の「就活の違和感」ウィークで思ったこと。

「二元論」でわかりやすくすること、とか
「自分」(っていう概念も二元論だと思うけど)っていう考え方が
苦しさの原因なのではないかと。

3月14日(木)の
「続・ゆっくり、いそげ」の夜でも、
本の中でも出てくるけど。

よい「場」っていうのは、
おでんのようなもので。

それぞれが、おでんに向かって
ある者(たとえば昆布)は多くダシを出して、
ある者(たとえば大根)は多くダシをもらって、
全体としてひとつのおでんができている。
ジャガイモはいつの間にか場(つゆ)に溶けている。

よい場っていうのは「おでん」のような場なのではないか。

個人を個人として考えるのではなく、
場の構成要素として、つまりおでんの具のひとつとして、
とらえてみること。

2003年に発売された
「13歳のハローワーク」(村上龍 幻冬舎)は
200万部を売り、子どもたちに呪いをかけた。
「プロフェッショナルになれ」という呪い。

一方で同じ年にリリースされた
「世界にひとつだけの花」(SMAP)は、
「ナンバーワンにならなくてもいい元々オンリーワンなのだから」

それは子どもたちを癒すのではなく、
よりいっそう、「何者かにならなければならない」
という呪縛につながった。

でも。
そもそも人はONEなのではないのではないか。
おでんの具のように、生きていけばいいのではないか。

場(つゆ)の中のひとつ(ひとり)として、
場とやり取りしながら、出番が来るまで、
役割を全うすることなのではないか。

そんなおでんの歌を、必要としているのかも。  

Posted by ニシダタクジ at 06:37Comments(0)日記

2019年03月15日

「おでん」のような「場」をつくり、「植物」を育てるように「事業」をつくる

クルミドコーヒー影山知明さんとの
「続・ゆっくり、いそげ」の夜。



「続・ゆっくり、いそげ」を読んでの
知の巨人、影山さんとのトーク。

キーワードは、「おでん」と「植物」かなあ。

~~~ひとまずメモ書き起こし。

おでんの中のジャガイモになる。最後はつゆに溶けてしまっている。でもたしかにじゃがいもはそこにいる。

小さなおでんをたくさんつくる、ということ。

「自分」ていうのと「二元論」みたいなやつが苦しさの源泉だと思う。

「共感できる」っていうのはビジョンや目標ではなくて、その人物に、心が、感性が反応するっていうこと。

「就活」とは限られた時間の中で内定を取るゲーム、つまりフレームワークだ、システムにおいて必要なのはそこに適応できる人。

違和感を感じる=創造のチャンス。

「何がしたいのか?」って問いが違うような気がするんですよね。

小さな植物を育てるようなプロジェクトをやってみる。育てながら、「顧客」はだれか?「価値」は何か?と問い続ける。

「リザルトパラダイム」⇒正解主義⇒論理的思考⇒わかりやすさ⇒効率的

「人の役に立つ」とか「役割を果たす」という呪縛はあるよね。自分の存在意義をそこに求めてしまう。
「自分とは?」とひとりの個人として問うのではなく、「価値とは?」「顧客とは?」を場として問うということ。

「身体がついていかない」っていうリアルを大切にしたい。それ、どうありたいか?に対する身体からのメッセージ。

「小さな植物を育てる」「小さなおでん鍋をつくる」っていうこと。

おでん×植物理論
人(具)は場(つゆ)によって活かされ、場は人によって生かされる。その「場」(土)から植物が育つように事業は展開していくことができないか。

「おでん」っていう「場」の良さは、時間軸があいまいになっていること。完成されないこと。終わりがないこと。いつからでも参加できること。
「続・ゆっくり、いそげ」の夜が旅をするとしたら、「カレーキャラバン」じゃなくて「おでんキャラバン」ですね。

「おいしいおでん」ができたとき。(プロセス上の一地点であって、「完成」ではない)その手柄は個人(具ひとつひとつ)にはなくて、「場」(具とつゆの集合体)にある。
そういうおでん的な関係を職場と結べるか?

植物、たとえば木であれば、大きさに限りがある。大きいもの(構造物)を作るには、ピラミッド型にするしかない。そうしてリザルトパラダイムが始まる。

~~~ここまでメモ

「おでん」のような「場」をつくれたら理想的だなあと思った。
それは、職場でも、飲み屋でも、本屋でも同じなのだけど。

積み重なる何かがダシとなり、「つゆ」ができる。
ジャガイモすでに溶けているのかもしれない。
新しい人が来たら、だんだんと味をなじませる。
もしかしたら、新しいおでん鍋をこしらえたほうがいいのかもしれない。

そんな「場」から生まれる、
というか、育てる「植物」のような事業、あるいはプロジェクト。

どんな種がまかれたか、
どんな土の状態なのか、
によって、育つ植物の樹形や根の張り方はかわってくる。

そんな風な、リザルトパラダイムではなく、
プロセスパラダイムにある事業、
あるいはプロジェクトに携わっていくこと。

そう考えると、教育っていう空間、
つまり学校空間そのものが
巨大なリザルトパラダイムの中にあるっていうのは
どういうことなのだろうなと思った。

学校・教育への違和感は究極そこに行くのかもしれないなと。

まあ、それも
「二元論」で語らないほうがいいのだろうと。

正しい間違っているとか
どっちがいいとか悪いとかではなくて、

それはそれとして、
適応していくのか、距離をおいていくのか。
そこを自らの判断でやっていくことなのだろうなと。

「違和感」を感じるからといって、
それは必ずしも排除すべきものではないのだと思う。

そんな「違和感」を組み合わせて、
新しいものが生まれる可能性がある。
つまり創造の種になることがあると思う。

僕は、「就活」という舞台を、
もっと創造的な場にしたいと思う。

面接が終わった時に、
「いま、話したことで、新たな事業のヒントが得られました」
みたいに人事担当者が言うような、就活。
創造的な就活。

「自動車をつくるように」ではなくて、
「植物を育てるように」、やってみること。

その予測不可能性と
ブリコラージュを楽しむこと。
そんな機会に触れることを
大学じゃなくて、高校、中学のときからやってみること。

リザルトパラダイム一色の教育を受けてきたのに、
急に、「未来はAIの登場によってわかりません」って
言われたら、それは困るよね。

学校教育はリザルトパラダイムの中で
目標設定・達成を行う場であるとしたら、
学校外の場、カリキュラムの外では
プロセスパラダイムでプロジェクトをつくっていくことを
やっていったらいいのではないかと思う。

それが、僕が考える「オルタナティブ就活」なのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 10:55Comments(0)日記

2019年02月27日

「委ねる」という「創造的脱力」

本屋であることの意味は「委ねられる」ことだと思った。



「続・ゆっくり、いそげ」に出てくるおでんの話が好きだ。
ダイコンも、昆布も、厚揚げも、
場(つゆ)に溶けているというか、
一部は活かされ、一部は貢献している。

その度合いは、場に委ねられている。

目的をもって始めないこと
課題を解決しないこと

は、若者と活動するときの重要なことだと
10月に気付いた。
「いま」を大切にすること。
「いま」を未来のための手段にしないこと。

「就活の違和感」の多くも、
そういうところに起因しているのではないか。

自らを「商品化」して売り込むこと。
そしてそれは「交換可能」であること。
常に「就職」というゴールに向かっていること。

そして何より、
「就活」のコミュニケーションがフラットではないこと。

フラットじゃないコミュニケーションからは
「創造」「学び」は生まれにくいこと。
だから、そのプロセスが楽しくないこと。

本屋は委ねる。
立ち飲み屋も委ねる。
ワークショップも委ねる。
僕はそういうのが好きなのだろうなと思った。

「委ねる」ことで、そこに「予測不可能性」が生まれて、
その「予測不可能性」の前で、人はフラットになる。

目標を持って、その達成に向けて進んでいる場合、
「予測不可能性」は排除すべき「ノイズ」でしかない。

タイトなスケジュールの中で、
そのゴールを達成しようとしている中で
失われていく「ノイズ」

http://hero.niiblo.jp/e488367.html
(18.11.7 挑戦するな、実験せよ)

に取り上げた本「情報生産者になる」で
上野千鶴子さんは、

「情報はノイズから生まれます。ノイズとは違和感、こだわり、疑問、ひっかかり・・・のことです。」

「情報とは、システムとシステムの境界に生まれます。複数のシステムの境界に立つ者が、いずれをもよりよく洞察することができるからです。」

と言う。

そうそう。
そこから「情報」が生まれ、「情報」から「創造」が生まれる。

そしてそれこそが「学ぶ楽しさ」
そのものなのではないかと思う。

だから、「委ねる」ことだと思う。

自分が目標を決めて進む「キャリアデザイン」ではなく、
流れに身を委ねてみる「キャリアドリフト」。
そこから感じた「ノイズ」をキャッチして、
次のステージへ進む。

たぶんそういうこと。

僕がつくりたいのは、
「委ねる」という「創造的脱力」

だから、アウトプットの形は、
本屋と立ち飲みとワークショップ含めた場のデザインになるのかもしれません。  

Posted by ニシダタクジ at 08:09Comments(0)日記

2019年02月22日

「ただいま」って言える場所

茨城大学iopラボ「場づくりラボ」スピンオフ
場づくり公務員と行くWagtail見学ツアーでした。







水戸市南町にあるコワーキングスペースWagtail。
ビジター500円で4時間というコワーキングスペース

http://www.wagtailmito.jp/

会員になると、イベントスペースも無料で使えるという
これ、近くにあったらいいなあと思える。

いちばんよかったのはハードが立体的だったこと。
もともと洋服屋さんだったところなので
フロアの仕切りがオープンになっていて、アイデアが浮かびそう。

そんな見学ツアーのあとで小泉さんのお話。

~~~以下メモ

創業・副業支援:社会保険料を1.5倍払ってね。
ワグテイル:公設(水戸市)民営(公社)

場にいない「場づくり」の難しさ

企業創業支援っていうマジの人だけに特化しない
やりたいけど、どうしようかなあという人に使ってもらう

畑をやる部活:ローカルならでは。
飲み会以外のコミュニケーションのデザイン。

「地域」と「行政」を結ぶ価値

場づくりは、結ぶこと
公務員=ジェネラリストが求められる。

最近は中途採用が増えている。
中途専門職員:公募しなくていい。

唯一の価値:なくなった。
「価値はなんだっけ?」と考え始めている。

水戸だけではおさまりきれない。
価値の考え方を再構築する。

働くと住むをもっと自由に。
好きなまちで仕事をしたい。
拠点=ただいまって言える場所。

~~~ここまでメモ

小泉さんのお話、おもしろかったなあ。
公務員っていう立場とか、自分のおかれている環境とかを
デザインしているなあと思った。

ワグテイルの仕組みも
公設民営っていうことでのイベントの自由度が
上がったりして、仕組みとして面白いなあと思った。

僕も「本屋のつくり方講座」をやろうと思います。
ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 07:22Comments(0)日記

2019年02月21日

「活性化」ってなに?


「インターンシップ・地域活動フォーラム」ににいがたイナカレッジチームと行ってきました。

~~~ひとまずメモ

「活性化ってなに?」っていう問いをまず考えないといけない。

イナカレッジ:地域と自分の価値探究コミュニティ

「価値は何か?」っていう問いを企業も地域も学生も自らに問いかけること
⇒自信ないけど表現する⇒価値を再発見する

自分×地域で価値観・暮らし方・仕事を学びあい、価値を探求する。

イナカレッジOB工藤くん

就職の非現実感と就活の拒絶感。
自分は何がしたいんだろう?

感情が揺れ動いていた。感情のプール。
地域の人とのかかわり→僕のことを認めてくれた。

自分が人生楽しく生きるためには何が必要なんだろう?
⇒関係性。認めてもらう、こと。

それだけでは生きられないけど、それがあれば生きられるもの。

米を売る:難しい⇒何もできねえよ。
米、水、土がどう違うのか?を説明した。

「学びのスタンス」の学びになった。

興味なかったものに対して、どう学んでいくか?
⇒だんだん面白くなっていった

イナカレッジの効果
・集落の人たちの会話ができた。
・お母さんや若い人の出番ができた。
・役場との距離が縮まった。
・こんなに大学生と仲良くなると思わなかった。

くろださんの感想
・生きてるっていいなって思えた。心の余裕ができた。

集落のおばあちゃんが「地域のためにできることはないか?」って聞いてきたのは、
「地域に来る大学生のために何かできることはないか?」っていう問いから始まっているのではないか。

イナカレッジ受け入れ地域の人の言葉。
「地域活性化」は、「起業」とか「商品開発」ではなく、世代をこえて笑いながら話ができること。
そうそう。「活性化」って結果じゃない。

・課題を解決しないこと
・目的をもってはじめないこと
価値は、地域と、その活動そのものの中にある。

地域の場づくりにとって必要な大学生による「前向きな空気ができる」
っていうのは福島白河・コミュニティカフェエマノンのときに思った「ベクトル感」のことじゃないかな。

~~~ここまでメモ。

あとはイナカレッジ金子さんが書いてきたペーパーがすごいので、
それはのちほど共有します。

イナカレッジってなんだろう?って。

地域の当事者を増やす。
それは中越地震の復興というフィールドからやってきた
イナカレッジの原点なのだと思う。

それは「地域づくり」(あえて使う)
にとっても同じことで、

そこに対して「大学生」というコミュニケーションツールを
投入することで、地域の当事者が増えていくということが
起こっているのだろうと思う。

「活性化」は
起業や商品開発のことではなくて笑いながら話ができること。

だと。
そうそう。
ひとりひとりがつくるひとりになること。

それを繰り返していくこと、なのかもしれません。  

Posted by ニシダタクジ at 14:01Comments(0)日記

2019年02月18日

劇場とサーカス

山田正史さん。
元ツルハシブックス「山田店長」。

現在は
「古本詩人ゆよん堂」店主。
ゆよん堂の由来は
中原中也の詩「サーカス」。

「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」
からだ。

詩をメインに取り扱う古本屋さん。

「生きるって何か?」
と問いかけてくる。

テーマは「サーカス」。
そして、「サーカス」と言えば、
道化師=クラウンの存在は欠かせない。

そういえば、僕の本屋としての出発点は
「ホスピタルクラウン」(大棟耕介 サンクチュアリ出版)
だったのだけど。


本屋は、サーカス小屋なのかもしれない。

そう思った。
僕はずっと劇場だと思っていたのだけど。
それはすごく瞬間的な切り取りなのかもしれない。

もう少し長いスパンというか、
そこで過ごす時間という切り口で切ってみると、
「サーカス」のようになるのではないか、と。
そしてそこに必要なのは道化師=クラウンの存在。

いかに相手を笑わせるか、
つまり、心を開かせるか、ということ。
そうやって、サーカスの会場の人たちが
観客から共演者に変わっていく。

いや、本屋というより、
世の中は巨大なサーカス小屋なのかもな。
サーカスを見に来ただけのお客と
いかに共演者になるのか。

「本屋」そのものがクラウンになるんじゃないか。
そうやって社会と、世の中と対話しようとしているのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 06:00Comments(0)日記

2019年02月11日

「明日から何やりますか?」







OMO Niigata vol2のプレゼンを見に行ってきました。

Q:OMOとは...?

A:”ジブンゴト”の問題意識を持ち、行政の縦割組織や民間との壁を越え、”本気で”課題解決に取り組むマインドを持った自治体職員のための官民協働プロジェクトです。「One for a Million. a Million for One」の頭文字を取って名付けられました。

だそうです。
2泊3日(合宿じゃないですけど)
で出てきたNPO立ち上げプランを聞くという場所でした。

印象に残ったプレゼンは
「救急救命士」を地域にひらくっていうプラン。

佐渡こそルイーダの酒場的に
技能をもった人たちとの出会いの場が必要だっていうプラン

「疎開」「防災」「地域間連携」というキーワードで
新潟のフィールドを使って関係人口を育むっていうプラン

「水の上貸します」ということで
新潟湊の水上で泊まったり、演劇やったり、お店やったり、っていうプラン

などなど。

審査員からの質疑応答も面白かった。

一番印象に残った質問が
「明日から何やりますか?」だった。

そっか。
それに答えられない事業は始まらないんだ、と。

これ、2月7日の支援者サミットの話に似てるなと。
http://hero.niiblo.jp/e488865.html
「伴奏型支援」(19.2.9)

出てきたアイデアに対して、
「明日から何やりますか?」
と問うことで、アクションにつながるのでは、と思った。

そしてもうひとつ、印象的だったこと。
「課題解決にフォーカスしすぎて、面白がることを忘れている」
という発言。

面白がれないと、仲間がやってこない。
それもやっぱり事業が始まらない。

たぶん、この2つなのだろうと思った。

課題に対して、どのように面白がれるか?
あるいは面白がることで、結果的に課題を解決できるか?

これって、とても大切なことなのだろうと思った。

クラウドファンディングの支援が集まる方法でもあるなと。

・面白がれるということ
・明日からやることが思い浮かぶということ

この2つはリンクしていると思うけどね。

あと、「疎開ツアーズ」チームの
プレゼンを聞いていて思ったこと。

「価値」をズラすっていうこと。
「関係人口」をどのように増やすか、ってずっとプランを考えていて、
疎開はコンテンツの1つに過ぎなかったのだけど、
発表当日の朝にそれを逆にして、疎開ツアーメインのプランになった。

キャッシュポイントをズラすっていうのはよく聞くのだけど、
「価値をズラす」っていうことも面白いなと。
事業価値をたくさんの人に知ってもらい、
結果、課題が解決するということになるのだろうなと思った。

関係人口を目的にしないで、
いざというときに備えるためのプラン。
特に自治体職員は、非常時には不眠不休の働きを
することになる可能性が高いので、このようなプランが有効なのだろうと思った。

結果、「関係人口」は増えるし、
子どもの教育上にとっても大きな学びがあるように思うし、
「第3の大人」にも出会えるなと。
そうやって価値をズラしていくこと。

そして、今回もあらためて思ったのは

たった1人の思いから始まる、
たった1人の問いから始まる、
ということ。

7日に水戸部さんがプレゼンしていたように、
個人のパーソナルな出来事、原体験にもっと迫ってもいいのではと思った。

・救急救命士の思い
・佐渡には魅力的な人がたくさんいるのだという思い
・新潟の海の魅力を引き出したいという思い
・東日本大震災の被災自治体の職員の声

そんなリアルから始まった事業・プレゼンには力があった。

そして。
もうひとつ考えたこと。

事業の始まりには、
「顧客」アプローチと「価値」アプローチ
があるのだと。

よくやられている「課題解決」っていうのは、
「価値アプローチ」であり、
その中でも、マイナスを0またはプラスにするので、
ワクワクが少ないのかもしれないなと。

そこで「面白がれるかどうか。」が重要になる。

「顧客」アプローチの中に、自らの過去を掘り、源泉を探す、みたいなのがあるのだろうと。
最初のお客が自分(過去の自分)であるっていうアプローチ、
もしくはリアルに出会った人がお客である、っていう2つのアプローチがある。

グランプリの「SEA JOINT」のプランは、個人のワクワクから始まっているし、
そんなことできたら楽しいだろうな~っていう面白がれる要素がたくさんあった。
新潟っぽかったし。港湾事務所とか役所の人のほうがつながりやすいだろうし。

たぶん、「顧客」アプローチ
の中でも自らを掘っていく、というのがあって、
それを事業化によって「価値」に変えていく。
(そのプロセスで「課題解決」も起こるかもしれない)

そしてその「価値」をみんなで面白がりながら
事業への参加・参画者が増えていく、という構図なのかなと思った。

順番としては、「顧客」アプローチ(過去・原体験を振り返る)があって、
そこに共感者が増えることで「価値」に変わっていき、
それを面白がれる編集を行って、
事業を行いながら、もういちど「顧客」に届いているか?を
検証していくというサイクルなのではないかなと思った。

「課題解決」から出発しないこと
おもしろがれる要素を作ること。

そして、審査員のこの質問に答えられること。

「明日から何やりますか?」  

Posted by ニシダタクジ at 07:11Comments(0)イベント日記

2019年02月09日

「伴奏型支援」

2月7日(木)@新潟県庁
「地域づくり支援者サミット」に出席してきました。

大正大学「地域実習」でご一緒した
柏崎まちづくりネットあいさの水戸部さんに注目していて、
そのプレゼンが聞きたかったので。

1 新潟空港でバス停までダッシュ 12:50
2 新潟駅で南口から万代口へダッシュ 13:25
3 新潟県庁で西回廊講堂へダッシュ13:45

で、なんとか水戸部さんのプレゼン2分前に会場入り。
受付してなくてすみません。





すごい人数でした。
まあ、3分の2は自治体の人でしたけど。
登壇者はフレッシュな人たちだったなあと。

柏崎の水戸部さん
糸魚川の屋村さん
川口の砂川さん
新鮮だったなあと。

たぶん、こっち系のイベントには
ヒーローズファーム始めてから行っていないから
10年以上ぶりになるのではないかな。
しばらく行かないうちに、自分が若手じゃなくなってた。(笑)

一番の感想は、特に上の3人みたいに
現場で体当たりでやってきた人たちの生の声って
めちゃめちゃ響くなあと。

実践者の声はリアリティが違うなと。
3人のお話を中心にメモ。

~~~ここからメモ

まちのプレイヤーを増やす。
キーワードは「欠落」と「有意味性」。

「欠落を抱えている人」を探す。
それをどう「欠落を補う人」に変えるか?

欠落を補う「有意味性」
「あなたはなぜそれをやらなければならないのか?」に対する答え。

有意味性とはなにか?
・過去に欠落や喜怒哀楽、得意不得意を見つけ、自己開示する
・なぜか?には理由があり、理由である原体験は模倣できない
そこから導かれる答えはあなたにしかないストーリーになる。
そこに有意味性を見つけること。

まちにプレイヤーが少ないこと

まち・社会とふれる機会が少ないこと

まちでの生き方の選択肢が少ないこと

⇒まちにふれて自分の生き方をふれる機会が必要

学校教育のインプットと社会で求められるアウトプットのギャップ
「協調性」「空気を読む力」⇒「独自性」「当たり前を疑う力」
「まんべんなく能力を伸ばすバランス型人材」⇒「特徴や個性のある特化型人材」
大きなギャップがある。

「チェンジメーカー」柏崎の中学生から大学生までの次代の担い手にソーシャルアントレプレナーシップを持ってもらうための教育プログラムを提供することで、柏崎の未来を担う起業家の発掘を目指すローカルプロジェクト。

「民間メンター」:地域の起業家の伴走型支援、
「社会とお金」:地域課題解決を事業化する方法、
「起業家精神」:感じたこと、考えたことから自主的・主体的に行動すること

↑ここまで柏崎まちづくりネットあいさの水戸部さんのプレゼンメモ。
めちゃめちゃ共感しました。
そういう「場」を地域でいかに作れるか、っていうこと。

そして、なんといっても、昨日の地域づくり支援者サミットの主演は、屋村さんでした。
面白かったし、プレゼンかっこよかった。
旦那さんの「スライド10枚以上残して終わる人なかなかいませんよ」
っていうコメントもさらによかった。笑

ということで、屋村さんプレゼンメモ

「波と母船」(糸魚川市木浦地域)
2018年春、長者温泉ゆとり館を引き継ぐ。

致しません。
地域起こし
地域活性化

そこに地域住民への思いやりはある?
若者に「あなたたちの地域は何もない」と言われたら悲しい。
「そのままの知恵、暮らし」を宝ものにするだけ。

地域・残し
「変えたほうがいい」と思っているものはありません。
「見方、見る方向が変わっているだけ」です。

今あるその暮らしを学んで、磨いて輝かせて
私たち世代から次世代に残してつないでいくだけ。
それがこの地域を「のこす」ことにつながると考えています。

★ここ、ホントそれ、って。
「地域」ってなに?

いままでの「地域づくり」は、
実体のない「地域」を支援してきたのではないか。
地域って、ひとりうひとりの暮らしの集合体だろうと。
ひとりひとりをリスペクトしているのかっていう問いに詰まってた。

「地域を置いてきぼりにしない」を学ぶ。
地域への説明の大切さ。

あとは、相談→解決の流れを繰り返す、という。
ブリコラージュの精神にあふれた、地域づくりのお手本のような事例だったなと。
相談して、地域の誰かが、いっちょやってやるか、
って立ち上がって、解決していった。すげーな。

プロセス(経過、順番)デザイン
進め方は慎重に。
誰の為に?何の為に?どうしてやるの?そこに愛はあるか?

・地域への思いやりがあって私たちの活動がある
・地域の思いを丁寧にくみ取ることをおろそかにしない
・進める順番、配慮、気付きを10個くらい考える
・地域でコトを動かすには「良いこと」「悪いこと」の判断ではなく筋の通し方で始まるか始まらないかが決まっていく。

★これ、リアル。実践から出てくる言葉で重い。
プレイヤーやったことないのに、中間支援ができるのか?っていう問いになってる。

「ぼちぼちたけだ」砂川さんのデザインも素敵だった。

・紙ベースで手書き。難しい漢字は使わない。
・コンビニでコピーできる「白黒A3サイズ」
・発行日を決めない。ネタが集まり次第発行
・なるべく手渡し
・ニヤリと笑えるネタや書き方を工夫。
・捨てられないように裏側はイラストマップ
・批判しない 傷つけない マイナスオーラ出さない
・集落情報だけでなく、地域や代表の関係性の情報も載せる。

7世帯の竹田集落に配る新聞「ぼちぼちたけだ」
7部だけすればいいという。
(増刷はコンビニですぐにできる)

いいなあ、この力の抜け具合。

~~~

現場のリアル。
それが詰まった、すてきな報告会だった。

それを踏まえて役所はどうするのか?
中間支援団体どうするのか?

みたいな会議だったのだけど。

メモにも書いたけど、屋村さんの言っていたことって
実際の現場飛び込んで、右往左往したからこそ
リアリティがあって、そうそう、そうそうって思えるのであって、

大学の先生や、コーディネーターや地域づくりの重鎮が
「筋を通すことが大事です」とか言われても、
そんなに響かないんだろうな。
「ひとり」や「ひとりひとり」にフォーカスしている重みがあるなあと感じた。

しばらく行かないうちに時代は変わったんだ。

地域づくりしたい。

コーディネーター養成講座に出て、

地域づくりワークショップを開催して、

付箋にアイデアだして、

「それいいね」と思うけど誰もやらない。

そんな時代の終わりを感じた。
(僕がそっちの業界に行かなかった理由です)

プレイヤーが飛び込んで、
地域とコミュニケーションしながら、
一緒に作っていくこと。

その「一緒につくる」の部分に、
「自分は支援者だ」と思っている人は入っていけない。
「支援・被支援の時代」の終わりを感じた。

誰が「つくる」のか?
支援者か、被支援者か?
その問いが存在している地域では
「つくる」ことは起こらないと思った。

もっと、今を、ライブに生きること。
ひとりひとりの人生に、暮らしに、フォーカスすること。

そしてやってみること。
相談すること。
発信すること。

そうやって、結果、つくられていく地域。
地域づくりは目的ではなく、結果なんだなと。

そんな方法論を、
「伴奏型支援」と名付けられないだろうか。

こういうレポートタイプのブログは、
ツイッターでメモを起こして、
そのあとからそれを眺めながら記事を書いていくのだけど、

パソコンやスマホでメモを打っていると
「誤変換」されることがたまにある。

水戸部さんのプレゼンに出てくる、
「伴走型支援」と打とうとして、
「伴奏型支援」に変換された。

えっ。
いいじゃん。伴奏型支援。
ジャズのような、即興音楽のような、
そういう「場」を地域に作っていく人。

もちろん自分自身もひとつの楽器になり、
そこに加わっているという。

それって、
どっちが支援されているんですか?みたいな。

そういう「場」をつくっていくような
地域づくりが始まっていく、
そんな予感のしたフォーラムでした。

楽しかった。  

Posted by ニシダタクジ at 06:39Comments(0)日記

2019年02月06日

大学‐地域連携のホンモノ化

タイミングよく、まちとしごと総合研究所@京都のスタッフ募集の説明会に。





始まりましたっ
えっ
カレー?





はい。
最初のプログラムはカレーを食べるところから。
参加費1000円の中に含まれています。笑



そして東さんと三木さんのトーク。
面白かったなあ。

~~~以下メモ

大学、行政、企業、地域のあいだ。
ひとりじゃできないことをみんなでやろう。

多くの人がまちに関わる起点をつくる。
対話・着想→実験・研究→事業化

福岡カレー部。
カフェめぐり。
好きなことを追求していくと仲間が増えていく。

ファシリテーションは後継ぎ、フードロス、学校教育をテーマに、
講座は、local to local、クリエイティブ、創業みたいなテーマで。
やりたいことある人とプロジェクトやりたい。

三木俊和さんの原点。
先生って何だよ??
っていう問い。
違和感から出発してる。

叩かれて、反発する。
当たり前だったことが当たり前じゃなくなっていく。
その変人は大事なことを言ってる人かもしれない。
その人を最初に応援する人になる。

市民活動センターが事務所貸し、会議室貸しになっていないか。
そうであるなら、ビル管理会社に委託したほうがいいよね。
でもそれって地域の人のためになるの?

まちの公共空間をアイデアとコンセプトで次へ。
市民活動センターをリデザインして、コミュニティ・ラーニング・センターにする。
変わり続ける人のためのインフラになる。

インフラっていう言葉も、ハードだけの意味合いじゃなくて、ソフトが起こる、とか、ソフトが循環する仕組み、みたいな意味合いで使われてくるのかもしれない。

コミュニティ・ラーニング・センター
新しいことを知る、出会いがある。「循環」こそがインフラ

高齢者ふれあいサロン
ゆっくり過ごそう→イキイキ過ごそう
なんでも与えるのではなくて、作ってもらう。
「まごころおにぎりプロジェクト」

まちの担い手づくりを次へ。
窓口に来てくれてから始まる。→人こない。
まちうけるセンターから出向くセンターへ。
そのために大学連携。学生と一緒に地域に入っていく。

大学がやる地域連携より、地域がやる大学連携の方が学生にとって学びがあるのではないか。
地域のほうが主導したほうがいい。

大学のプログラムは学生の失敗(の機会)奪っているのではないか。
「うまくいかないことがあるんだ!」っていう気づき。
若者に挑戦し、失敗する権利を返してあげる。

・大学ー地域連携のホンモノ化。
・SDGsが上辺になっていないか。
・大学は本当に行ったほうがいいのか?
・専門系高校の復権
・ビジコンとか、大人用のインフラを厳しくしたのを若者に出してないか?
・私たちは育むことを委ねすぎた。

ハコ×デザイン×コーディネーター×地域
コーディネーター=人って大事だな、と改めて。
昨日だって、崇仁の藤尾さん、人を見に来てたというか、感じに来ていたんだもんなあ。
そうやって、「だれとやるか?」を大切にすることからひとりひとりを大切にするまちづくりが始まるのではないかな、と。

ダイバーシティ×シチズンシップ「ダイバーシチズンセンター」
広い意味でのダイバーシティが試されている。

大学×地域のホンモノ化

体験型プログラムを超えていく。
教育機関が主体となったプログラムでできるのか?
地域側の覚悟が必要なんじゃないか?
単位なしの課外活動であること。

「群れるな散れ」
→得意なことが違うから会った時のネタが新鮮。
接触頻度が多いことそのものに価値があるわけじゃない。
「まちづくり」キーワードなさまざまなことがジャンルが違うことで、受けられるかもしれない。

まちごと総研の東&三木、すてきなチームだなと。
やりたい!っていうポジティブな人→東さん
困っている!なんとかしたいっていう人→三木さん
っていう両方からできる。

大学生が地域にかかわることのメリット。
→「瞬間的な熱量」がすごい。

~~~ここまでメモ。

キーワード的にヒットしたのは、

・コーディネーターの人としての魅力
・人の「多様性」
・インフラ=循環

あたりでしょうか。

そして何よりも、三木さんのラストにお話されていた
「大学‐地域連携のホンモノ化」というメッセージ。

ホンモノ化ってことは、
ホンモノじゃないプログラムがめちゃめちゃあるってことですよね。

三木さんが言っていた
「大学側が主導権とるのではなくて、地域側が主導権とる」
っていう。

大学がやる地域連携と
地域がやる大学連携と
全然違うなと。

やってることは学生が地域に出て何かやっているのだけど。
本当は、そのど真ん中に「協働」プロジェクトをつくっていく、
っていうことなのだろうなと。

そしてここにも、
クルミドコーヒー影山さんのいう、
「リザルトパラダイム」の影響がめちゃめちゃあるなあと。

大学のプログラム(単位あり)の場合、アウトプット(目的)を定め、
そこに向かって(最短距離で)いくようにプログラムが設計される。

そこで、落とされていくもの。
目的と違う地域で感じたもの。
学生、地域の人ひとりひとりの「存在」。

それが、
大学の地域連携を「ニセモノ」にしているんじゃないのか。

「課題解決策を考え、提案すること、プラン作り」
が目的になるあまり、
地域の人も、自分たちも置き去りになっていないか。
そのプロセスが軽視されていないか。
そんな問いがあった。

三木さんが学生の価値は、
「瞬間的な熱量」ですって言っていたけど、
それ、それ、って。

それを引き出すには、
大学が差し出すカリキュラムではなかなか難しいのかもなあと。

僕はインターン事業やっていたとき、
学生の価値は、
「イノセンス(いい意味の無知)」と「行動力」だと思っていたけど、
「瞬間的な熱量」っていうのもまさにそれだなあと。

冷え切った鉄に熱をかけて、
変形していくような瞬間的な熱量が発生する時がある。

それを発生させるのが場のチカラであると思っていて、
その場のチカラを高めるのは、本のある空間だと思っている。

だから今、僕は本屋という手法をとっているのではないかなあと。

あらためて自分を確認した説明会となりました。
東さん、三木さん、ありがとうございました。
次回は現場にお邪魔しますっ。  

Posted by ニシダタクジ at 09:16Comments(0)日記

2019年01月24日

「一期一会」を演出するチューニング・ファシリテーション

茨城大学・iopラボのための「場づくりラボ」vol.4(18年度最終回)でした。

水戸駅から茨城大学行きのバスが貸切。
水戸駅からひとりも乗らず、下りず、終点につきました。
チャーター便感覚でタクシーより贅沢でした。笑







瞬間最大で14名くらい、延べ人数で22名がインフォメーションラウンジにやってきました




ヘビーユーザーな1,2年生に
いろいろ感想をもらったのだけど、
それはまた明日にでも書くとして。

昨日のまとめを。

前半はお茶を飲みながら、「キーワード・カフェ」
(明秀日立の永井さんの差し入れ)
vol.3から始めたワークショップ手法。

今回は、
前の時間に別件の打ち合わせをしていた2年生を巻き込み、
キーワードで話をする。

やり方は
1 付箋に個人が気になるキーワードを書き出す(3~5個くらい)
2 いったん無言で全員の付箋を見渡す。(3分くらい)
3 ひとりずつが気になるキーワードを選び、その人に説明してもらう
4 フリートーク

これが初対面には有効だなあとあらためて。
参加学生の感想。

・初対面の人同士でこんなに長く話し合えるツールがあるのがすごいと思った。
残ってるキーワードについてももっと話したいと思いました。

・しゃべらないとわからない人の内側にある興味を知ることができた。
知らない人との共通点をすぐに見つけることができる。
自らの知識や視野が広がる。くだらない話もできて楽しい。

・一見、どうでもよさそうなキーワードでも、その人にとっては興味のあるもので、話を聞いてみると、結構面白いものだった。
新しい発見ができた。

・自由なテーマだったので、色々なことを話せて、初対面の人とも楽しくお話しできたのでよかった
もっと規模を大きくしたいと思いました。

・自分の中で何が気になるのか考えることで自分の興味の移り変わりを客観視することができたと思う。
目を引くような書き方をするのも大切だと思う。一般的に見えるものでも話を聞いてみると面白いと思えた。
予測不可能性が場をつくる。

と。
なかなかいい時間になったようで。



前半終わりに、「解説」の時間を入れた。
場づくりラボ、今回のテーマは「チューニング」。

場のチカラを定義して
1 誰と
2 いつ
3 どこで
4 なぜ
5 誰のために
6 何を
7 どのように

の1~3が場のチカラを構成していて、
1~7が合わさるとプロジェクトになる。

その説明をして、
いかに1~3の場のチカラを高めるか、
ということで、「チューニング」の話をする。

「チューニング」とは、音合わせのこと。
今日この人が、あるいは自分がどんな音を出しているのか?
に注意を配るということ。

「チューニング」の前に、「心を開く」が必要で、
「心を開く」ためには「予測不可能性」というキーワードが重要になる。

たとえば、最初に、
「最近あったよかったこと」を言うのもそうだ。
そんなこと考えてなかったので、即興で考える。
その時にフワッと心が開く。

「キーワード・カフェ」は、
そのちょっと時間をかけるバージョンだと。
知らない人と仲良くなれる手法として、有効だなあと思った。

自分の書いた付箋が指名されると、
ちょっとうれし恥ずかしいみたいな微妙な感情になる。
あれもまたいいなと。

後半は、茨城新聞を使ったまわしよみ新聞をやってみた。

こちらは開発者の陸奥賢さんに直伝されたのだけど、
こんな感じでいいのかなと。

あらためてやってみると、
キーワード・カフェに近いものがあるなあと思った。

自分の関心のある新聞を切り抜き、
それをなぜ切り抜いたか、プレゼンテーションする。

まわしよみ新聞が優れているのは、
新聞がネタを提供してくれるということと
話題の予測不可能性はさらに高まるということだろうか。

「キーワードカフェ」がいいのは、
個人が話したいけど、話す機会があまりないことを
キーワードによって表現して、
それを指名してもらうことで、話ができるということ。



そして、振り返り。
全4回の場づくりラボを振り返る。
藤川くんが言っていた言葉が印象的だった。

場づくりにおいて、自分は場所(空間)が一番大事だと思ってきたけど、
それは安心感という意味で非常に重要で、
その上に、誰とやるか、いつやるか、というのが
毎回変わっていくので、それによって、場が変化していく。
そのあいだに、創造性があるのではないか、というような趣旨だったと思う。

たしかに、場所の安心感は重要だと思う。
椅子とかもめちゃめちゃ大事だ。
それは安定して高めておいて、
その上で「チューニング」によって、

1 誰と
2 いつ

というのを合わせて(高めて)いくのかもしれないと思った。

誰と、いつ
こそがその空間の「一期一会」性を高めていく。

そういうことを演出する
「チューニング・ファシリテーション」なのだと
あらためて思った。

さて、「チューニング・ファシリテーター」として、
次はどのように展開しようかな。

場づくりラボのまとめはまた次回に。  

Posted by ニシダタクジ at 08:55Comments(0)日記

2019年01月20日

本屋元年

あのNHKまでが「平成最後の」とか言っていて、ちょっとビックリする。
「平成最後の」にどれほどの価値があるのか。

そして、新聞や他メディアでは、
新しい元号はなんだろう?みたいな。
そんな問いでいいのか?

僕だったら、来たるべき新しい元号になる1年を
どんなふうにしたいのか?
「あなたの〇〇元年を教えてください。」
みたいな問いのほうがいいんじゃないかなと思う。

ウチノ食堂藤蔵での
野呂さん山田さんとのトークを思い出して、
そんなことを思った。

2019年、日本は新しい元号になる。
どんな元号になったとしても、元年になる。
平成元年(昭和64年)だったみたいに、
〇〇元年(平成31年)になるのだ。

1月1日から
クラウドファンディングを開始している。
「バンド組もうぜ」みたいに「本屋やろうぜ」、と。
「本屋元年」にしようじゃないか、と。

2018年12月25日。
ウェブマガジン「温度」に「2018年のあなたを表す1冊」
の2人目として紹介された。



http://ondo-books.com/rensai/1335

取り上げたのは、
宮島達男「芸術論」(アートダイバー)

この夏、能登・七尾にいった帰りに、金沢に寄って谷内くんに再会して、
そのあとに21世紀美術館にいったら、カウンターはすさまじい行列で
レアンドロのプールを上から見て帰ろうと思ったところで
ミュージアムショップで目にとまって、購入。

~~~以下、ウェブマガジン「温度」より引用

「元来、アートは職業になじまない。職業とは誰かのニーズがあり、それに応えて初めて成立するものだ。ところが、アートには他者のニーズがなく、自らの思いをカタチにするだけだから、そもそも職業とはなり得ない。(中略)私は、アーティストは自分の生活を自分で支え、なお、自らの思いを納得するまでカタチにし、他者に伝える人間だと考えている。こう考えていけば、アーティストとは職業ではなく、むしろ生き方になってくる。アーティストという生き方を選べば、じつはもっと自由になる。」(本文より引用)

「アート」を「本棚」に「アーティスト」を「本屋」に替えても、同じだろうな、と。
「本屋」っていうのはたぶんそういうことなんだ。

7月、アルプスブックキャンプの前日、長野・伊那のとある本屋さんがこんなことを言っていた。

「本屋」っていうのは「本の一時預かり」のことだ。誰かのためにこの本をキープしなきゃ、と思うから本を仕入れ、誰かが買ってくれるのを待つ。それがいつなのかわからないけど。

素敵だなあと思った。誰かのためにこの本をキープしなきゃと思える本に出会う瞬間を思い浮かべた。

僕にとって、「本屋」は、「予測不可能性」にあふれた、「委ねられる」場である、ということ。目的とか目標とかではなくて、どうなるかわからない、というその不確実性が魅力であること。そこには、「手紙」のような何かが詰まっている。僕は心こめて、祈りを本に託すのだけど、その祈りが届くかどうかは読んだ本人に委ねられていること。

それを繰り返していく「場」が僕にとっての本屋なのだろうと思う。
1冊1冊の本の中に、目に見えない手紙を差し込んで、それが届く日、読まれる日を祈りながら、本を並べる。

「本棚には他者のニーズがなく、自らの思いをカタチにするだけだから、そもそも職業とはなり得ない。」
僕にとって、本屋というのは、きっとそういうこと。
本屋という生き方を選べば、じつはもっと自由になる。

~~~ここまで引用

「本棚には他者のニーズがなく、自らの思いをカタチにするだけだから、そもそも職業とはなり得ない。」

そうなんだよ。
木曜日のイベントの時に思ったキーワードは、「つくる」と「届ける」だった。

「つくる」と「届ける」の近さは、この一節にも現れているし、
それは本屋にこそ、あるのではないかと思う。



この本棚は、僕がつくった(並べた)。
ここに「クリエイティブ」はあるだろうか?
一方で確かに、僕は「届けたい」と思いながら、本を並べた。

「つくる」と「届ける」。
そのあいだに、本棚があるように思う。
つくり手と受け手のコミュニケーションのあいだに、
本棚があるように思う。

そんな本棚をつくる人のことを、
「本屋」と呼んでいいのではないかと僕は思う。
もちろん、本以外のものを、そこにおいてもいいのだけど。

職業になるか、ならないか。
というのは、実はあまり重要ではないのではないか。

本屋という生き方を選べば、じつはもっと自由になる。

本屋元年。

2019年がいろんな人の「本屋元年」に
なったら楽しいなあと思った。  

Posted by ニシダタクジ at 08:04Comments(0)日記