プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2019年02月18日

劇場とサーカス

山田正史さん。
元ツルハシブックス「山田店長」。

現在は
「古本詩人ゆよん堂」店主。
ゆよん堂の由来は
中原中也の詩「サーカス」。

「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」
からだ。

詩をメインに取り扱う古本屋さん。

「生きるって何か?」
と問いかけてくる。

テーマは「サーカス」。
そして、「サーカス」と言えば、
道化師=クラウンの存在は欠かせない。

そういえば、僕の本屋としての出発点は
「ホスピタルクラウン」(大棟耕介 サンクチュアリ出版)
だったのだけど。


本屋は、サーカス小屋なのかもしれない。

そう思った。
僕はずっと劇場だと思っていたのだけど。
それはすごく瞬間的な切り取りなのかもしれない。

もう少し長いスパンというか、
そこで過ごす時間という切り口で切ってみると、
「サーカス」のようになるのではないか、と。
そしてそこに必要なのは道化師=クラウンの存在。

いかに相手を笑わせるか、
つまり、心を開かせるか、ということ。
そうやって、サーカスの会場の人たちが
観客から共演者に変わっていく。

いや、本屋というより、
世の中は巨大なサーカス小屋なのかもな。
サーカスを見に来ただけのお客と
いかに共演者になるのか。

「本屋」そのものがクラウンになるんじゃないか。
そうやって社会と、世の中と対話しようとしているのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 06:00Comments(0)日記

2019年02月11日

「明日から何やりますか?」







OMO Niigata vol2のプレゼンを見に行ってきました。

Q:OMOとは...?

A:”ジブンゴト”の問題意識を持ち、行政の縦割組織や民間との壁を越え、”本気で”課題解決に取り組むマインドを持った自治体職員のための官民協働プロジェクトです。「One for a Million. a Million for One」の頭文字を取って名付けられました。

だそうです。
2泊3日(合宿じゃないですけど)
で出てきたNPO立ち上げプランを聞くという場所でした。

印象に残ったプレゼンは
「救急救命士」を地域にひらくっていうプラン。

佐渡こそルイーダの酒場的に
技能をもった人たちとの出会いの場が必要だっていうプラン

「疎開」「防災」「地域間連携」というキーワードで
新潟のフィールドを使って関係人口を育むっていうプラン

「水の上貸します」ということで
新潟湊の水上で泊まったり、演劇やったり、お店やったり、っていうプラン

などなど。

審査員からの質疑応答も面白かった。

一番印象に残った質問が
「明日から何やりますか?」だった。

そっか。
それに答えられない事業は始まらないんだ、と。

これ、2月7日の支援者サミットの話に似てるなと。
http://hero.niiblo.jp/e488865.html
「伴奏型支援」(19.2.9)

出てきたアイデアに対して、
「明日から何やりますか?」
と問うことで、アクションにつながるのでは、と思った。

そしてもうひとつ、印象的だったこと。
「課題解決にフォーカスしすぎて、面白がることを忘れている」
という発言。

面白がれないと、仲間がやってこない。
それもやっぱり事業が始まらない。

たぶん、この2つなのだろうと思った。

課題に対して、どのように面白がれるか?
あるいは面白がることで、結果的に課題を解決できるか?

これって、とても大切なことなのだろうと思った。

クラウドファンディングの支援が集まる方法でもあるなと。

・面白がれるということ
・明日からやることが思い浮かぶということ

この2つはリンクしていると思うけどね。

あと、「疎開ツアーズ」チームの
プレゼンを聞いていて思ったこと。

「価値」をズラすっていうこと。
「関係人口」をどのように増やすか、ってずっとプランを考えていて、
疎開はコンテンツの1つに過ぎなかったのだけど、
発表当日の朝にそれを逆にして、疎開ツアーメインのプランになった。

キャッシュポイントをズラすっていうのはよく聞くのだけど、
「価値をズラす」っていうことも面白いなと。
事業価値をたくさんの人に知ってもらい、
結果、課題が解決するということになるのだろうなと思った。

関係人口を目的にしないで、
いざというときに備えるためのプラン。
特に自治体職員は、非常時には不眠不休の働きを
することになる可能性が高いので、このようなプランが有効なのだろうと思った。

結果、「関係人口」は増えるし、
子どもの教育上にとっても大きな学びがあるように思うし、
「第3の大人」にも出会えるなと。
そうやって価値をズラしていくこと。

そして、今回もあらためて思ったのは

たった1人の思いから始まる、
たった1人の問いから始まる、
ということ。

7日に水戸部さんがプレゼンしていたように、
個人のパーソナルな出来事、原体験にもっと迫ってもいいのではと思った。

・救急救命士の思い
・佐渡には魅力的な人がたくさんいるのだという思い
・新潟の海の魅力を引き出したいという思い
・東日本大震災の被災自治体の職員の声

そんなリアルから始まった事業・プレゼンには力があった。

そして。
もうひとつ考えたこと。

事業の始まりには、
「顧客」アプローチと「価値」アプローチ
があるのだと。

よくやられている「課題解決」っていうのは、
「価値アプローチ」であり、
その中でも、マイナスを0またはプラスにするので、
ワクワクが少ないのかもしれないなと。

そこで「面白がれるかどうか。」が重要になる。

「顧客」アプローチの中に、自らの過去を掘り、源泉を探す、みたいなのがあるのだろうと。
最初のお客が自分(過去の自分)であるっていうアプローチ、
もしくはリアルに出会った人がお客である、っていう2つのアプローチがある。

グランプリの「SEA JOINT」のプランは、個人のワクワクから始まっているし、
そんなことできたら楽しいだろうな~っていう面白がれる要素がたくさんあった。
新潟っぽかったし。港湾事務所とか役所の人のほうがつながりやすいだろうし。

たぶん、「顧客」アプローチ
の中でも自らを掘っていく、というのがあって、
それを事業化によって「価値」に変えていく。
(そのプロセスで「課題解決」も起こるかもしれない)

そしてその「価値」をみんなで面白がりながら
事業への参加・参画者が増えていく、という構図なのかなと思った。

順番としては、「顧客」アプローチ(過去・原体験を振り返る)があって、
そこに共感者が増えることで「価値」に変わっていき、
それを面白がれる編集を行って、
事業を行いながら、もういちど「顧客」に届いているか?を
検証していくというサイクルなのではないかなと思った。

「課題解決」から出発しないこと
おもしろがれる要素を作ること。

そして、審査員のこの質問に答えられること。

「明日から何やりますか?」  

Posted by ニシダタクジ at 07:11Comments(0)イベント日記

2019年02月09日

「伴奏型支援」

2月7日(木)@新潟県庁
「地域づくり支援者サミット」に出席してきました。

大正大学「地域実習」でご一緒した
柏崎まちづくりネットあいさの水戸部さんに注目していて、
そのプレゼンが聞きたかったので。

1 新潟空港でバス停までダッシュ 12:50
2 新潟駅で南口から万代口へダッシュ 13:25
3 新潟県庁で西回廊講堂へダッシュ13:45

で、なんとか水戸部さんのプレゼン2分前に会場入り。
受付してなくてすみません。





すごい人数でした。
まあ、3分の2は自治体の人でしたけど。
登壇者はフレッシュな人たちだったなあと。

柏崎の水戸部さん
糸魚川の屋村さん
川口の砂川さん
新鮮だったなあと。

たぶん、こっち系のイベントには
ヒーローズファーム始めてから行っていないから
10年以上ぶりになるのではないかな。
しばらく行かないうちに、自分が若手じゃなくなってた。(笑)

一番の感想は、特に上の3人みたいに
現場で体当たりでやってきた人たちの生の声って
めちゃめちゃ響くなあと。

実践者の声はリアリティが違うなと。
3人のお話を中心にメモ。

~~~ここからメモ

まちのプレイヤーを増やす。
キーワードは「欠落」と「有意味性」。

「欠落を抱えている人」を探す。
それをどう「欠落を補う人」に変えるか?

欠落を補う「有意味性」
「あなたはなぜそれをやらなければならないのか?」に対する答え。

有意味性とはなにか?
・過去に欠落や喜怒哀楽、得意不得意を見つけ、自己開示する
・なぜか?には理由があり、理由である原体験は模倣できない
そこから導かれる答えはあなたにしかないストーリーになる。
そこに有意味性を見つけること。

まちにプレイヤーが少ないこと

まち・社会とふれる機会が少ないこと

まちでの生き方の選択肢が少ないこと

⇒まちにふれて自分の生き方をふれる機会が必要

学校教育のインプットと社会で求められるアウトプットのギャップ
「協調性」「空気を読む力」⇒「独自性」「当たり前を疑う力」
「まんべんなく能力を伸ばすバランス型人材」⇒「特徴や個性のある特化型人材」
大きなギャップがある。

「チェンジメーカー」柏崎の中学生から大学生までの次代の担い手にソーシャルアントレプレナーシップを持ってもらうための教育プログラムを提供することで、柏崎の未来を担う起業家の発掘を目指すローカルプロジェクト。

「民間メンター」:地域の起業家の伴走型支援、
「社会とお金」:地域課題解決を事業化する方法、
「起業家精神」:感じたこと、考えたことから自主的・主体的に行動すること

↑ここまで柏崎まちづくりネットあいさの水戸部さんのプレゼンメモ。
めちゃめちゃ共感しました。
そういう「場」を地域でいかに作れるか、っていうこと。

そして、なんといっても、昨日の地域づくり支援者サミットの主演は、屋村さんでした。
面白かったし、プレゼンかっこよかった。
旦那さんの「スライド10枚以上残して終わる人なかなかいませんよ」
っていうコメントもさらによかった。笑

ということで、屋村さんプレゼンメモ

「波と母船」(糸魚川市木浦地域)
2018年春、長者温泉ゆとり館を引き継ぐ。

致しません。
地域起こし
地域活性化

そこに地域住民への思いやりはある?
若者に「あなたたちの地域は何もない」と言われたら悲しい。
「そのままの知恵、暮らし」を宝ものにするだけ。

地域・残し
「変えたほうがいい」と思っているものはありません。
「見方、見る方向が変わっているだけ」です。

今あるその暮らしを学んで、磨いて輝かせて
私たち世代から次世代に残してつないでいくだけ。
それがこの地域を「のこす」ことにつながると考えています。

★ここ、ホントそれ、って。
「地域」ってなに?

いままでの「地域づくり」は、
実体のない「地域」を支援してきたのではないか。
地域って、ひとりうひとりの暮らしの集合体だろうと。
ひとりひとりをリスペクトしているのかっていう問いに詰まってた。

「地域を置いてきぼりにしない」を学ぶ。
地域への説明の大切さ。

あとは、相談→解決の流れを繰り返す、という。
ブリコラージュの精神にあふれた、地域づくりのお手本のような事例だったなと。
相談して、地域の誰かが、いっちょやってやるか、
って立ち上がって、解決していった。すげーな。

プロセス(経過、順番)デザイン
進め方は慎重に。
誰の為に?何の為に?どうしてやるの?そこに愛はあるか?

・地域への思いやりがあって私たちの活動がある
・地域の思いを丁寧にくみ取ることをおろそかにしない
・進める順番、配慮、気付きを10個くらい考える
・地域でコトを動かすには「良いこと」「悪いこと」の判断ではなく筋の通し方で始まるか始まらないかが決まっていく。

★これ、リアル。実践から出てくる言葉で重い。
プレイヤーやったことないのに、中間支援ができるのか?っていう問いになってる。

「ぼちぼちたけだ」砂川さんのデザインも素敵だった。

・紙ベースで手書き。難しい漢字は使わない。
・コンビニでコピーできる「白黒A3サイズ」
・発行日を決めない。ネタが集まり次第発行
・なるべく手渡し
・ニヤリと笑えるネタや書き方を工夫。
・捨てられないように裏側はイラストマップ
・批判しない 傷つけない マイナスオーラ出さない
・集落情報だけでなく、地域や代表の関係性の情報も載せる。

7世帯の竹田集落に配る新聞「ぼちぼちたけだ」
7部だけすればいいという。
(増刷はコンビニですぐにできる)

いいなあ、この力の抜け具合。

~~~

現場のリアル。
それが詰まった、すてきな報告会だった。

それを踏まえて役所はどうするのか?
中間支援団体どうするのか?

みたいな会議だったのだけど。

メモにも書いたけど、屋村さんの言っていたことって
実際の現場飛び込んで、右往左往したからこそ
リアリティがあって、そうそう、そうそうって思えるのであって、

大学の先生や、コーディネーターや地域づくりの重鎮が
「筋を通すことが大事です」とか言われても、
そんなに響かないんだろうな。
「ひとり」や「ひとりひとり」にフォーカスしている重みがあるなあと感じた。

しばらく行かないうちに時代は変わったんだ。

地域づくりしたい。

コーディネーター養成講座に出て、

地域づくりワークショップを開催して、

付箋にアイデアだして、

「それいいね」と思うけど誰もやらない。

そんな時代の終わりを感じた。
(僕がそっちの業界に行かなかった理由です)

プレイヤーが飛び込んで、
地域とコミュニケーションしながら、
一緒に作っていくこと。

その「一緒につくる」の部分に、
「自分は支援者だ」と思っている人は入っていけない。
「支援・被支援の時代」の終わりを感じた。

誰が「つくる」のか?
支援者か、被支援者か?
その問いが存在している地域では
「つくる」ことは起こらないと思った。

もっと、今を、ライブに生きること。
ひとりひとりの人生に、暮らしに、フォーカスすること。

そしてやってみること。
相談すること。
発信すること。

そうやって、結果、つくられていく地域。
地域づくりは目的ではなく、結果なんだなと。

そんな方法論を、
「伴奏型支援」と名付けられないだろうか。

こういうレポートタイプのブログは、
ツイッターでメモを起こして、
そのあとからそれを眺めながら記事を書いていくのだけど、

パソコンやスマホでメモを打っていると
「誤変換」されることがたまにある。

水戸部さんのプレゼンに出てくる、
「伴走型支援」と打とうとして、
「伴奏型支援」に変換された。

えっ。
いいじゃん。伴奏型支援。
ジャズのような、即興音楽のような、
そういう「場」を地域に作っていく人。

もちろん自分自身もひとつの楽器になり、
そこに加わっているという。

それって、
どっちが支援されているんですか?みたいな。

そういう「場」をつくっていくような
地域づくりが始まっていく、
そんな予感のしたフォーラムでした。

楽しかった。  

Posted by ニシダタクジ at 06:39Comments(0)日記

2019年02月06日

大学‐地域連携のホンモノ化

タイミングよく、まちとしごと総合研究所@京都のスタッフ募集の説明会に。





始まりましたっ
えっ
カレー?





はい。
最初のプログラムはカレーを食べるところから。
参加費1000円の中に含まれています。笑



そして東さんと三木さんのトーク。
面白かったなあ。

~~~以下メモ

大学、行政、企業、地域のあいだ。
ひとりじゃできないことをみんなでやろう。

多くの人がまちに関わる起点をつくる。
対話・着想→実験・研究→事業化

福岡カレー部。
カフェめぐり。
好きなことを追求していくと仲間が増えていく。

ファシリテーションは後継ぎ、フードロス、学校教育をテーマに、
講座は、local to local、クリエイティブ、創業みたいなテーマで。
やりたいことある人とプロジェクトやりたい。

三木俊和さんの原点。
先生って何だよ??
っていう問い。
違和感から出発してる。

叩かれて、反発する。
当たり前だったことが当たり前じゃなくなっていく。
その変人は大事なことを言ってる人かもしれない。
その人を最初に応援する人になる。

市民活動センターが事務所貸し、会議室貸しになっていないか。
そうであるなら、ビル管理会社に委託したほうがいいよね。
でもそれって地域の人のためになるの?

まちの公共空間をアイデアとコンセプトで次へ。
市民活動センターをリデザインして、コミュニティ・ラーニング・センターにする。
変わり続ける人のためのインフラになる。

インフラっていう言葉も、ハードだけの意味合いじゃなくて、ソフトが起こる、とか、ソフトが循環する仕組み、みたいな意味合いで使われてくるのかもしれない。

コミュニティ・ラーニング・センター
新しいことを知る、出会いがある。「循環」こそがインフラ

高齢者ふれあいサロン
ゆっくり過ごそう→イキイキ過ごそう
なんでも与えるのではなくて、作ってもらう。
「まごころおにぎりプロジェクト」

まちの担い手づくりを次へ。
窓口に来てくれてから始まる。→人こない。
まちうけるセンターから出向くセンターへ。
そのために大学連携。学生と一緒に地域に入っていく。

大学がやる地域連携より、地域がやる大学連携の方が学生にとって学びがあるのではないか。
地域のほうが主導したほうがいい。

大学のプログラムは学生の失敗(の機会)奪っているのではないか。
「うまくいかないことがあるんだ!」っていう気づき。
若者に挑戦し、失敗する権利を返してあげる。

・大学ー地域連携のホンモノ化。
・SDGsが上辺になっていないか。
・大学は本当に行ったほうがいいのか?
・専門系高校の復権
・ビジコンとか、大人用のインフラを厳しくしたのを若者に出してないか?
・私たちは育むことを委ねすぎた。

ハコ×デザイン×コーディネーター×地域
コーディネーター=人って大事だな、と改めて。
昨日だって、崇仁の藤尾さん、人を見に来てたというか、感じに来ていたんだもんなあ。
そうやって、「だれとやるか?」を大切にすることからひとりひとりを大切にするまちづくりが始まるのではないかな、と。

ダイバーシティ×シチズンシップ「ダイバーシチズンセンター」
広い意味でのダイバーシティが試されている。

大学×地域のホンモノ化

体験型プログラムを超えていく。
教育機関が主体となったプログラムでできるのか?
地域側の覚悟が必要なんじゃないか?
単位なしの課外活動であること。

「群れるな散れ」
→得意なことが違うから会った時のネタが新鮮。
接触頻度が多いことそのものに価値があるわけじゃない。
「まちづくり」キーワードなさまざまなことがジャンルが違うことで、受けられるかもしれない。

まちごと総研の東&三木、すてきなチームだなと。
やりたい!っていうポジティブな人→東さん
困っている!なんとかしたいっていう人→三木さん
っていう両方からできる。

大学生が地域にかかわることのメリット。
→「瞬間的な熱量」がすごい。

~~~ここまでメモ。

キーワード的にヒットしたのは、

・コーディネーターの人としての魅力
・人の「多様性」
・インフラ=循環

あたりでしょうか。

そして何よりも、三木さんのラストにお話されていた
「大学‐地域連携のホンモノ化」というメッセージ。

ホンモノ化ってことは、
ホンモノじゃないプログラムがめちゃめちゃあるってことですよね。

三木さんが言っていた
「大学側が主導権とるのではなくて、地域側が主導権とる」
っていう。

大学がやる地域連携と
地域がやる大学連携と
全然違うなと。

やってることは学生が地域に出て何かやっているのだけど。
本当は、そのど真ん中に「協働」プロジェクトをつくっていく、
っていうことなのだろうなと。

そしてここにも、
クルミドコーヒー影山さんのいう、
「リザルトパラダイム」の影響がめちゃめちゃあるなあと。

大学のプログラム(単位あり)の場合、アウトプット(目的)を定め、
そこに向かって(最短距離で)いくようにプログラムが設計される。

そこで、落とされていくもの。
目的と違う地域で感じたもの。
学生、地域の人ひとりひとりの「存在」。

それが、
大学の地域連携を「ニセモノ」にしているんじゃないのか。

「課題解決策を考え、提案すること、プラン作り」
が目的になるあまり、
地域の人も、自分たちも置き去りになっていないか。
そのプロセスが軽視されていないか。
そんな問いがあった。

三木さんが学生の価値は、
「瞬間的な熱量」ですって言っていたけど、
それ、それ、って。

それを引き出すには、
大学が差し出すカリキュラムではなかなか難しいのかもなあと。

僕はインターン事業やっていたとき、
学生の価値は、
「イノセンス(いい意味の無知)」と「行動力」だと思っていたけど、
「瞬間的な熱量」っていうのもまさにそれだなあと。

冷え切った鉄に熱をかけて、
変形していくような瞬間的な熱量が発生する時がある。

それを発生させるのが場のチカラであると思っていて、
その場のチカラを高めるのは、本のある空間だと思っている。

だから今、僕は本屋という手法をとっているのではないかなあと。

あらためて自分を確認した説明会となりました。
東さん、三木さん、ありがとうございました。
次回は現場にお邪魔しますっ。  

Posted by ニシダタクジ at 09:16Comments(0)日記

2019年01月24日

「一期一会」を演出するチューニング・ファシリテーション

茨城大学・iopラボのための「場づくりラボ」vol.4(18年度最終回)でした。

水戸駅から茨城大学行きのバスが貸切。
水戸駅からひとりも乗らず、下りず、終点につきました。
チャーター便感覚でタクシーより贅沢でした。笑







瞬間最大で14名くらい、延べ人数で22名がインフォメーションラウンジにやってきました




ヘビーユーザーな1,2年生に
いろいろ感想をもらったのだけど、
それはまた明日にでも書くとして。

昨日のまとめを。

前半はお茶を飲みながら、「キーワード・カフェ」
(明秀日立の永井さんの差し入れ)
vol.3から始めたワークショップ手法。

今回は、
前の時間に別件の打ち合わせをしていた2年生を巻き込み、
キーワードで話をする。

やり方は
1 付箋に個人が気になるキーワードを書き出す(3~5個くらい)
2 いったん無言で全員の付箋を見渡す。(3分くらい)
3 ひとりずつが気になるキーワードを選び、その人に説明してもらう
4 フリートーク

これが初対面には有効だなあとあらためて。
参加学生の感想。

・初対面の人同士でこんなに長く話し合えるツールがあるのがすごいと思った。
残ってるキーワードについてももっと話したいと思いました。

・しゃべらないとわからない人の内側にある興味を知ることができた。
知らない人との共通点をすぐに見つけることができる。
自らの知識や視野が広がる。くだらない話もできて楽しい。

・一見、どうでもよさそうなキーワードでも、その人にとっては興味のあるもので、話を聞いてみると、結構面白いものだった。
新しい発見ができた。

・自由なテーマだったので、色々なことを話せて、初対面の人とも楽しくお話しできたのでよかった
もっと規模を大きくしたいと思いました。

・自分の中で何が気になるのか考えることで自分の興味の移り変わりを客観視することができたと思う。
目を引くような書き方をするのも大切だと思う。一般的に見えるものでも話を聞いてみると面白いと思えた。
予測不可能性が場をつくる。

と。
なかなかいい時間になったようで。



前半終わりに、「解説」の時間を入れた。
場づくりラボ、今回のテーマは「チューニング」。

場のチカラを定義して
1 誰と
2 いつ
3 どこで
4 なぜ
5 誰のために
6 何を
7 どのように

の1~3が場のチカラを構成していて、
1~7が合わさるとプロジェクトになる。

その説明をして、
いかに1~3の場のチカラを高めるか、
ということで、「チューニング」の話をする。

「チューニング」とは、音合わせのこと。
今日この人が、あるいは自分がどんな音を出しているのか?
に注意を配るということ。

「チューニング」の前に、「心を開く」が必要で、
「心を開く」ためには「予測不可能性」というキーワードが重要になる。

たとえば、最初に、
「最近あったよかったこと」を言うのもそうだ。
そんなこと考えてなかったので、即興で考える。
その時にフワッと心が開く。

「キーワード・カフェ」は、
そのちょっと時間をかけるバージョンだと。
知らない人と仲良くなれる手法として、有効だなあと思った。

自分の書いた付箋が指名されると、
ちょっとうれし恥ずかしいみたいな微妙な感情になる。
あれもまたいいなと。

後半は、茨城新聞を使ったまわしよみ新聞をやってみた。

こちらは開発者の陸奥賢さんに直伝されたのだけど、
こんな感じでいいのかなと。

あらためてやってみると、
キーワード・カフェに近いものがあるなあと思った。

自分の関心のある新聞を切り抜き、
それをなぜ切り抜いたか、プレゼンテーションする。

まわしよみ新聞が優れているのは、
新聞がネタを提供してくれるということと
話題の予測不可能性はさらに高まるということだろうか。

「キーワードカフェ」がいいのは、
個人が話したいけど、話す機会があまりないことを
キーワードによって表現して、
それを指名してもらうことで、話ができるということ。



そして、振り返り。
全4回の場づくりラボを振り返る。
藤川くんが言っていた言葉が印象的だった。

場づくりにおいて、自分は場所(空間)が一番大事だと思ってきたけど、
それは安心感という意味で非常に重要で、
その上に、誰とやるか、いつやるか、というのが
毎回変わっていくので、それによって、場が変化していく。
そのあいだに、創造性があるのではないか、というような趣旨だったと思う。

たしかに、場所の安心感は重要だと思う。
椅子とかもめちゃめちゃ大事だ。
それは安定して高めておいて、
その上で「チューニング」によって、

1 誰と
2 いつ

というのを合わせて(高めて)いくのかもしれないと思った。

誰と、いつ
こそがその空間の「一期一会」性を高めていく。

そういうことを演出する
「チューニング・ファシリテーション」なのだと
あらためて思った。

さて、「チューニング・ファシリテーター」として、
次はどのように展開しようかな。

場づくりラボのまとめはまた次回に。  

Posted by ニシダタクジ at 08:55Comments(0)日記

2019年01月20日

本屋元年

あのNHKまでが「平成最後の」とか言っていて、ちょっとビックリする。
「平成最後の」にどれほどの価値があるのか。

そして、新聞や他メディアでは、
新しい元号はなんだろう?みたいな。
そんな問いでいいのか?

僕だったら、来たるべき新しい元号になる1年を
どんなふうにしたいのか?
「あなたの〇〇元年を教えてください。」
みたいな問いのほうがいいんじゃないかなと思う。

ウチノ食堂藤蔵での
野呂さん山田さんとのトークを思い出して、
そんなことを思った。

2019年、日本は新しい元号になる。
どんな元号になったとしても、元年になる。
平成元年(昭和64年)だったみたいに、
〇〇元年(平成31年)になるのだ。

1月1日から
クラウドファンディングを開始している。
「バンド組もうぜ」みたいに「本屋やろうぜ」、と。
「本屋元年」にしようじゃないか、と。

2018年12月25日。
ウェブマガジン「温度」に「2018年のあなたを表す1冊」
の2人目として紹介された。



http://ondo-books.com/rensai/1335

取り上げたのは、
宮島達男「芸術論」(アートダイバー)

この夏、能登・七尾にいった帰りに、金沢に寄って谷内くんに再会して、
そのあとに21世紀美術館にいったら、カウンターはすさまじい行列で
レアンドロのプールを上から見て帰ろうと思ったところで
ミュージアムショップで目にとまって、購入。

~~~以下、ウェブマガジン「温度」より引用

「元来、アートは職業になじまない。職業とは誰かのニーズがあり、それに応えて初めて成立するものだ。ところが、アートには他者のニーズがなく、自らの思いをカタチにするだけだから、そもそも職業とはなり得ない。(中略)私は、アーティストは自分の生活を自分で支え、なお、自らの思いを納得するまでカタチにし、他者に伝える人間だと考えている。こう考えていけば、アーティストとは職業ではなく、むしろ生き方になってくる。アーティストという生き方を選べば、じつはもっと自由になる。」(本文より引用)

「アート」を「本棚」に「アーティスト」を「本屋」に替えても、同じだろうな、と。
「本屋」っていうのはたぶんそういうことなんだ。

7月、アルプスブックキャンプの前日、長野・伊那のとある本屋さんがこんなことを言っていた。

「本屋」っていうのは「本の一時預かり」のことだ。誰かのためにこの本をキープしなきゃ、と思うから本を仕入れ、誰かが買ってくれるのを待つ。それがいつなのかわからないけど。

素敵だなあと思った。誰かのためにこの本をキープしなきゃと思える本に出会う瞬間を思い浮かべた。

僕にとって、「本屋」は、「予測不可能性」にあふれた、「委ねられる」場である、ということ。目的とか目標とかではなくて、どうなるかわからない、というその不確実性が魅力であること。そこには、「手紙」のような何かが詰まっている。僕は心こめて、祈りを本に託すのだけど、その祈りが届くかどうかは読んだ本人に委ねられていること。

それを繰り返していく「場」が僕にとっての本屋なのだろうと思う。
1冊1冊の本の中に、目に見えない手紙を差し込んで、それが届く日、読まれる日を祈りながら、本を並べる。

「本棚には他者のニーズがなく、自らの思いをカタチにするだけだから、そもそも職業とはなり得ない。」
僕にとって、本屋というのは、きっとそういうこと。
本屋という生き方を選べば、じつはもっと自由になる。

~~~ここまで引用

「本棚には他者のニーズがなく、自らの思いをカタチにするだけだから、そもそも職業とはなり得ない。」

そうなんだよ。
木曜日のイベントの時に思ったキーワードは、「つくる」と「届ける」だった。

「つくる」と「届ける」の近さは、この一節にも現れているし、
それは本屋にこそ、あるのではないかと思う。



この本棚は、僕がつくった(並べた)。
ここに「クリエイティブ」はあるだろうか?
一方で確かに、僕は「届けたい」と思いながら、本を並べた。

「つくる」と「届ける」。
そのあいだに、本棚があるように思う。
つくり手と受け手のコミュニケーションのあいだに、
本棚があるように思う。

そんな本棚をつくる人のことを、
「本屋」と呼んでいいのではないかと僕は思う。
もちろん、本以外のものを、そこにおいてもいいのだけど。

職業になるか、ならないか。
というのは、実はあまり重要ではないのではないか。

本屋という生き方を選べば、じつはもっと自由になる。

本屋元年。

2019年がいろんな人の「本屋元年」に
なったら楽しいなあと思った。  

Posted by ニシダタクジ at 08:04Comments(0)日記

2019年01月09日

あの時の自分が直感を優先してくれたから、今がある

「かえるライブラリー」のクラウドファンディングが進行中。
https://camp-fire.jp/projects/view/117607

冒頭の文章にも書いたけど、
「一緒に旅に出る仲間を探しています」
がコンセプト。

支援する、とか、支援されるとかじゃない。

「この船に一緒に乗らないか?」
っていう、そういうお誘い。



原さんの大学生の時の赤裸々なエピソードが苦しい。胸がキュッとする。
きっとたくさんの大学生が同じような状況にあるのではないかと思う。

結果、原さんはいま、
「暗やみ本屋ハックツ」のリーダーをしている。

そして、
タイトルの一言。

あの時の自分が直感を優先してくれたから、今がある。

これ、ホント、そうだよね。

昨年12月、
まきどき村の米づくりのトークイベントと
ツルハシブックス&まきどき村忘年会合宿
あの2つを経て、ようやく元気になったなあと。

サラリーマンを退職するっていうのは
精神的に結構つらいことなんだな、って
元気になってから初めて体感した。

20年前の今頃。
畑を探していた。

「4月から畑をやる。」
それだけが決まっていた。

正直、怖かったのだけど、
「畑をやらないと生きられない」
これが僕の直感だった。

たぶんそれは、今となっては唐澤くんとトークしたみたいに、
「営み」の中にあることに価値を感じていたのかもしれないし、
「働くこと」より「暮らし」のほうを大切にしていたのかもしれない。
(平日の夜に日帰り温泉に行ける幸せを噛みしめていた)

「あの時の自分が直感を優先してくれたから、今がある。」

まあ、それは、僕にも当てはまることで、
そのほかの人生なんてないんだけど、
僕も、あの時の自分が直感を優先してよかったな、と思える。



僕は畑だったけど、
原さんみたいに、本屋にいってみようかな、から始まる本や人との出会いが、
感性を揺さぶり、その直感を優先してみることで、何かが動いていく。

そういう「動き」が始まる場をつくりたいなあと思う。  

Posted by ニシダタクジ at 09:32Comments(0)日記

2018年12月29日

キーワードで振り返る2018

キーワードによるチューニング
ってあるなあと思った。

先週の茨城大学の場づくりラボだったり
その前日のイナカレッジ・ラボだったり。

「それはどうしてそのキーワードなのか?」
って聞いたりすると、
距離がグッと近くなる気がしました。

自分が選んだキーワードに
ヒットしてもらえるとうれしいし、ね。
3人とかでやっても面白いかもなあと。
「キーワード・カフェ」っていうコンテンツにもなるなあと。

結局本屋さんとか「本の処方箋」でやってたことって
会話からキーワード拾って、
そういうキーワードならこういう本
みたいなことですよね。

ということで。
キーワードで振り返る2018

1月、津屋崎で「かえるライブラリー」というネーミングが下りてきて、
2月、ふとしたときに、「未来食堂」のただめしシステムの応用で「かえる券」が降ってきて、
かえるライブラリー構想にいたり、6月に津屋崎でキックオフしてから
12月に実現するという流れ。

そのあいだにも、退職があったり、イナカレッジがあったり、
若松さんと仕掛けた場づくりラボとチームひきだしがあったり、
秋には大正大学実習講師があったり、と。
考える1年でした。
休学して、遊学してました、みたいな感じ。

春頃のキーワードはひたすらに「承認」と「他者評価」でした。

昨年秋以来のいろんな人のヒアリングを経て、
「承認」と「評価」について考えていました。

他者からの評価という呪縛からいかに逃れるか。
「他者評価の檻から自分を脱出させる方法」
っていうのをやってました。

夏頃出てきたのは
「やりたいことがわからないの社会学」
っていうもの。

やりたいことがわかることはどれほどの価値があるのか?
を現代社会的に解析したもの。

あとは春に出会ったとやまゆかさんが面白くて、
彼女の発言の研究をしていたこと。
「東京はどんどん狭くなる」
「時代の変化に対して無であることは大切」
武道家みたいな人だと思った。

夏のイナカレッジを経て
「場のチカラ」を解明したことが大きかったなあと。

場のチカラとは何か?
なぜ、プロジェクトへのモチベーションが下がるのか。
なぜチューニングが必要なのか。
ふりかえりを効果的にする方法は何か?
本質的なエンターテイメントは「予測不可能性」ではないか。

そんなことを考えてました。

そして冬。
「フラットである」ということについて考えています。

とある応募書類を書いていて、
「得意なことは?」

と突然聞かれて、出てきたのが、
「フラットな関係性をつくるコミュニケーション・デザイン」
だった。

ああ。
それ!って。
自分で書いていてビックリした。

コミュニケーションデザインっていうのは
前から得意だなあと思っていたけど、
その意図は、フラットな関係性をつくる、っていうこと。

そして、その「フラット」の意味だ。

通常は
「フラットな関係」というのは、
「上下関係のない」と同義語である。

しかし、これからは、
時間軸、未来軸での「フラット」な時代になる。

予測不可能な未来。価値が流動している現在。

その中で、未来に対して、チームひとりひとりはフラットである。
知識や経験はアドバンテージにならない、「ネタ」程度にすぎない。
むしろ、そこに縛られるマイナスの影響もあるかもしれない。

だから、高校生や大学生の声に耳を傾けないといけないし、
場のチカラを高めていかないといけないんだなと。

最近聞いたからかもしれないけど、
「東京には未来があるからつらい」
っていうのが印象に残っているなあと。

新潟の田舎の山奥の限界集落には未来がない。
だからこそ、今が即未来になっていく。

それかもしれない。
いま、いかに生きるか。
それを問われている時代なのだ。

熱海のとっくんと話していて思ったのは、
「未来」っていうのは産業革命のときに発明されたのだということ。

「未来のために」
人は学校で勉強し、工場で働き、給与労働者になって、貯金をした。
たぶんそれが必要だったんだろうな。
国家を強化していくためには。

それが近代だった。
そこからどう次の展開になっていくのか。

2019年はきっとその先を考える実験の年になる。

ラストは11月に見た松江・宍道湖の夕日です。
  

Posted by ニシダタクジ at 07:48Comments(0)日記

2018年12月13日

「問いが近い」ということ

最近のキーワード。

「場のデザイン」
「参加とケア」
「承認と自己肯定感」
「営みと暮らし」
「関係性のアート」
「境界を溶かす」
「余白と未分化」
「脱力とイノベーション」

これを曼荼羅にしてみたらいいのかもしれないね。
これ、全部つながっているよなあ。

たぶんそういうキーワードにヒットする人っていうのは、
「問いが近い」っていうことなのだろうと思う。

そして、「問いが近い」人と話すのは楽しいし、
それはジェネレーションギャップを超えられる。

たぶん。
そういうこと。

おじさんの説教話を聞いて、
まったくそこに何も感じないのは、
そこに問いが無いからではないだろうか。

ということは、コミュニケーションの本質としては、
「同じ問いを見つめる」っていうことになるのかもしれない。

それは1対1の対話でも
チームでの対話でも同じだろう。

「チームに一体感が無い」のは、
同じ問いを見つめていないから。

そして、
そもそも同じ問いを見つめていない人と
チームは組めないのではないのか。

だから、問いが近い人とチームを組んで、
何かを始めてみること。

たぶん、目的・目標が明確ではない
ふわっとしたプロジェクトのほうがそういう人が
集まりやすいのかもしれない。

にいがたイナカレッジってきっと、そういうやつ。  

Posted by ニシダタクジ at 06:34Comments(0)日記

2018年12月09日

地域の暮らしに「伴走」する

「営み」というキーワード。
「場のチカラ」研究の上では重要な言葉だなと。

「にいがたイナカレッジ」の価値の独自性を考える。

キーワードは
「場のチカラ」「働き方と暮らし方」「営み」「伴走」

そして、「創造的脱力」(若新雄純さんによる)かな。

1 「創造的脱力」プロジェクトである、ということ。

若新雄純さんの「創造的脱力」(光文社新書)
によると、「創造的破壊から、創造的脱力へ。」
http://hero.niiblo.jp/e488462.html
「ラボ」というゆるさと強さ(18.11.26)

ここから引用する。

~~~以下引用
「JK課は、あくまで実験的なプロジェクトで、政策の本流じゃないですから」といった調子で、「ゆるいプラン」であることを強調しました。その結果多くの人が気軽に参加できる環境ができ、活動に広がりが生まれています。

「とりあえず楽しもう」「やりながらちょっとずつ良くしていけばいいじゃないか」という適度な脱力感が、「白か黒か」「成功か失敗か」という過度な緊張感を遠ざけ、すぐには結果の見えない実験的なプロジェクトに粘り強さをもたらしています。

「脱力」は「無力」ではありません。そして、それは「不真面目」でもありません。

「こういうのもあっていいんじゃないですか?」とか、「まずは実験してみよう」といって、本流ではないところで、周辺からアクションしてみる。既存のシステムや勢力を直接には攻撃してしまわない離れたところから、でも、ちゃんと見えるところから、それをやりたいという当事者たちが集まって、真面目に考え、小さくてもいいから、何かが変化するような振り切った実験を、真剣にやってみるのです。

失敗したならやり直せばいいし、もしうまくいったらなら、どんどん増やしたりひろげたりすればいい。

すると、そこに人や情報がどんどん流れてきて、いつかは本流にすり替わったりするかもしれません。

もちろん、新しい支流や一つの文化になるだけでもいい。これが僕の考える、「創造的破壊」ならぬ「創造的脱力」です。

~~~以上引用

詳しくは上記ブログか本書を読んでもらいたいのだけど、
これ、まさに大学に必要な考え方なのではないのか、と。

大学での本流なるためには、あまりにもハードルが高く、
「正しいことをしたかったら偉くなれ」(by踊る大捜査線)
の世界が広がっている。

「価値観の多様化」ならぬ
「価値の流動化」が起こっている現在において、

大学が、文科省が、あるいは経産省が定めた「価値」
に向かっていく人も多数派でいてもよいが、
そうじゃない価値を志向する人も許容されるというか
「当然、多数派じゃない人もいるよね」と思っていいはずだ。

よく言われることだけど、
学生は2-6-2で分かれる。

優秀な学生2割
普通の学生6割
どちらでもない学生2割

「就活」で困るのは実は真ん中の6割の学生だという。
だから、その6割にどうアプローチし、カリキュラムを提供するのか、
ということになる。

でも、その発想って、
「優秀さ」という画一的な「価値」における序列なわけで、
そもそも画一的価値が溶け出しているのだから、
その発想自体が時代遅れ感があるよね。

トップ2割じゃなくて、
その企画にヒットする20/100が来ている、だけなんだよね。

そういう意味では、
「にいがたイナカレjッジ」は脱力系プロジェクトの代表例でもあると思う。

2018年の修了生のひとりが言っていた。
「大学にいるときは、部活・サークルの繰り返しで、全く余裕がなかった。
この集落での暮らしでは、朝起きたら、「今日、朝ごはんどうしようかな。」と言って、
3人で塩おにぎりときゅうりの漬物とトマトと食べた。
そんな日々を送ったら、心に余裕が生まれた」

その「余裕」や「ゆるさ」や「余白」から、創造力が生まれてくるのではないか。

という仮説を検証するプロジェクトだ。

2 「場のチカラ」を活かすプロジェクトである、ということ。

場のチカラの構成要素は
1 誰とやるか
2 いつやるか
3 どこでやるか

であり、これに
4 なぜやるか
5 誰のためにやるか
6 何をやるか
7 どのようにやるか

を足すとプロジェクトになる。

「にいがたイナカレッジ」では、
「誰とやるか」を大切にする。
それはチューニングと呼ばれる方法だ。

ひとりひとりの過去を振り返り、
自分たちがなぜ、ここにいるのかを考える。

日々のミーティングでは、
「最近あったよかったこと」から始まり、
「ミーティングの場の感想」を言う。
そうやって「誰と」の「誰」を知っていくのだ。

2 いつやるか
3 どこでやるか

は、まさに活動する地域の状況と
自分たちの問題意識、時代背景などを
すべて要素に入れながら、場のチカラを高めていくのだ。

誰かが設計したプロジェクトに
「機能」として組み込まれるのではなくて、
自らがプロジェクト設計に参加・参画することで、
そのプロジェクトが自分自身のものになると考えている。

3 「地域暮らしに伴走する」動的なプロジェクトである、ということ。

にいがたイナカレッジでは、地域(集落)の中で寝泊まりをして、
そこでの「暮らし」そのものを実践できる。「期間限定の住民」になる。

地域には「営み」がある。

「営み」とは、「暮らし」よりももう少し大きな体系の概念であり、
自然の流れや、その地域で育まれた歴史を含んでいる。

その「営み」の中で、
自らが価値だと感じるものをカタチにしていく。

2018年夏の例だと、
日々の暮らしの豊かさを伝えたいので、日誌風の冊子をつくったり、
集落の人たちと一緒につくりたいし、たくさん来てもらいたいので
写真展を開催したり、というアウトプットになった。

「価値」は常に流動している。

誰とやるか、いつやるか、どこでやるかの場のチカラ3要素によって大きく変わる。
そしてそれは、地域側も同じだ。大きな「営み」の中で、地域は動いている。

スピードは違うけど、お互いに動いているものの接点を探り、
そこに価値を見つけ、アウトプットをつくっていく。

言ってみれば、地域の暮らしに「伴走」する動的なプロジェクトであるということだ。

3つの要素をまとめていうと、

「にいがたイナカレッジ」は、
「場のチカラ」を高めて、地域の暮らしに伴走しながら
その接点上に「価値」を見つけアウトプットする、
脱力系のプロジェクトである。

っていうことになるかな。

まとまってます?  

Posted by ニシダタクジ at 07:46Comments(0)日記

2018年12月07日

「場のチカラ」でひとりにフォーカスすること

イナカレッジ修了生との対話。
キーワードだらけ、なのでメモ残しておく。

~~~ここからメモ

楽しくない未来をイメージして、そこに計画を立てることにどんな価値があるのか。

東京には「未来」があるから、今を楽しめないのかもしれない

木沢は「未来」が描けない限界集落だからこそ、今を楽しめるのかもしれない。

「未来」と「今」が一体化している、という強さがあるな、そういう田舎には。

大学4年の春に就職決めて、就職までの1年間で気が変わらない自信が無かった。

「挑戦」には「主語(たとえば私)」と「意志」と「未来」が存在する。だから「成功」と「失敗」に一喜一憂してしまう。「実験」には「状況」と「結果」しか存在しないからこそ、「結果」をドライに俯瞰して見れる。もっと自分を実験用試料にしたらよいと思う。

地域の、集落の未来のビジョンではなく、「今」を大切にすること。そうすると、今いるひとりひとりが大切になってくる。

~~~ここまでメモ

「場」のチカラと「挑戦」とか「実験」とか
リンクしているんだなと。

そして、ひとりひとりのケアができるのは、
場のチカラを重視するからではないか。

人は、場のチカラの手段になったほうが
心地よくそこに居られるのではないか。

「未来」とか「意志」とか、「挑戦」とか「自分」とかが無い世界。

木沢にはそういうのがあるのかもしれないね。  

Posted by ニシダタクジ at 06:53Comments(0)日記

2018年11月30日

「プログラム」「プロジェクト」を外から見る

とある大学生の卒論の一環で、
イナカレッジ修了生へのインタビューをしています。
これがめちゃめちゃ面白いのです。

「イナカレッジとは何か?」
を考える上で、たくさんのヒントをもらっています。

「キャリアデザイン」とか、
「適職」思想とか、
「ロールモデル」とか、

もはや違和感だらけなんだな、って感想。

「やりたいことは何か?」っていう質問に対して、
職業名で答えることを強要されるキャリア教育って
ホントにおかしいなと思う。

「公務員」とか「研究職」
って手段であって、目的ではないでしょうって。

そうじゃなくて、
人生をいかに経営していくか?

顧客は誰で、提供する価値は何なのか?
どういうことを自分は大切にしていきたいのか?

そんな問いにあふれて、
自分なりの現時点での回答を探す、
それがイナカレッジなのかもしれないなあと思いました。

昨日、新潟大学の2人にインタビューをして、
イナカレッジで得たもの。

ひとりは「大切にしたいものを思い出させてくれた」
家族や身近な人たちを大切にしたいって
高校生まで思っていたのに、大学生になって、
目の前のことがいっぱいで、それを忘れていた。
イナカレッジの現場で、家族を大切にしている
人の話を聞いて、それを思い出させてもらった、と。

もうひとりは、「心の余裕が生まれた。」
バイト、サークルで忙しい日々から1か月離れて、
朝ごはん何にしよっか?って考えて、
自分たちが提供するものは何で、そこにどんな価値があるのか?
って問いかけられたこと、と。

だから、いまも3年生だけど、「就活」以外のことも考えられるようになったと。
「就職」は目的ではなくて、手段なんだと思えたこと。

なるほど。
2人にとって、イナカレッジというプログラムは
大きかったのだなあと実感。

そして、大学がやっているプログラムと、
イナカレッジの違いについて話が進んだ。

大学が行うプログラム・プロジェクトに3つほど
関わっているのだけど、そこでは役割が最初から想定されている。

たとえば、
「地域産品を発信する」「伝統文化を継承する」
など。

そのために、大学生ができることを考え、実践していく。
地域プログラム、地域プロジェクトはだいたいそのようになっている。

そうすると何が起こるか?
「発信する」というゴールが見えているから、
地域のフィールドをそのように切り取る。

彼女は、イナカレッジへの参加以降、
それを相対化(外から見る、メタ的に見る)することができるようになったのだという。

つまり、地域資源に出会ったときに、
違う活用方法があるのではないか?
と考えるようになった。

いや、そもそも、目的をもって地域を切り取る場合、
その目的に関わらない要素は「ノイズ」として、
地域資源とは認識されない。

たとえるならば、実験器具であるビーカーの中に、
大学生は素材として、あるいは触媒として放り込まれる。
その中での挙動は、あらかじめ期待されている。
もちろん、実験だから予想外のことは起こるのだけど、
それはプログラム・プロジェクト上は「ノイズ」になる。

しかし、そもそも、
その「ノイズ」にこそ価値はあるのではないか。

上野千鶴子さんが「情報生産者になる」(ちくま新書)

の中で、

「情報はノイズから生まれます。ノイズとは違和感、こだわり、疑問、ひっかかり・・・のことです。」

「情報とは、システムとシステムの境界に生まれます。複数のシステムの境界に立つ者が、いずれをもよりよく洞察することができるからです。」

参考:
「挑戦」するな、「実験」せよ(18.11.7)
http://hero.niiblo.jp/e488367.html

と言っているがまさにそれなんじゃないか。

つまり、ビーカーの外から見てみる。
「プログラム・プロジェクトはビーカーの中の話に過ぎない。」
と思えるかどうか。

それってなかなか難しいのかもしれない。
学校教育という巨大なビーカー(システム)の中で、
期待される挙動を演じて、それを演じることによって評価されてきた。

そのシステムを外から見る、
っていうのはなかなかできない。

「イナカレッジ」の1ヶ月は「暮らし」の中にある
暮らしというのは、ノイズだらけだ。
そして何より、プロジェクト自体を自分たちで再構築しなければならない。

7 どのようにやるか
6 なにをやるか
5 誰のためにやるか
4 なぜやるか
3 どこでやるか
2 いつやるか
1 誰とやるか

これがプロジェクトの7要素なのだけど、
特にこの中の4と5、なぜやるか、誰のためにやるかを
一緒にやるメンバーと、また地域の人たちと
話し合って、合意していかなければならない。

火曜日にインタビューした
長岡の大学生も、3人だからこそ、
地域の人たちのニーズだけではなく、
自分たちが感じた価値に向かって制作物を作れた。
と言っていたが、

まさにそのような問いがあるのだ。

つまり、
イナカレッジはビーカーそのものを自分で作ることができる、
ということだ。

それって、めちゃめちゃ大切なことなんじゃないのか。

与えられたビーカーの中で
期待されるような挙動をするのではなくて、

ビーカーを外から見て、
ああ、自分はそうやって作用しているんだなあと
俯瞰してみる。

そしてビーカーの外やビーカーとビーカーの
あいだにある素材を見つけ、次のビーカーをつくり、入れてみる。

それを繰り返してできていく何か。
残っていく何か。

それこそが地域にとっての、そして世の中にとっての
「価値」そのものなのではないか。

そしてそれを作っていく経験こそが、
価値が流動する時代に生きていくための
「生きる力」なのではないだろうか。

ひとまず3人のインタビューを終えて、
アウトプットしてみたくなったので書いてみました。

写真は、出雲崎海チーム(通称)の写真展の1コマ。

  

Posted by ニシダタクジ at 09:12Comments(0)日記

2018年11月24日

対話の場をデザインする

昨日のつづき。

「就活」を学びあいに変える。

その第1歩は、「チームひきだし」のような、
「対話の場のデザイン」であると思う。

昨日、若松代表が書いていたけど、
「学びあい」は、フラットな関係性を必要としている。

お互いが学ぶ者という同志になること。
そこが必要だ。

そのフラットな関係性をつくるために、
「チューニング」をするのだ。

チューニングの要点は、
心を開き、「対話」の準備をすること。

「対話」の場に降りていくことをデザインすること。

そして
「対話」を始めること。

http://hero.niiblo.jp/e462090.html
(大学生は「場のチカラ」に貢献する 15.1.29)

http://hero.niiblo.jp/e462144.html
(未来は対話による会議から創られる 15.1.30)

http://hero.niiblo.jp/e462198.html
(ラボラトリーだという自覚 15.1.31)

キーワードからこのあたりを読み直す。

「対話」をデザインすることで、
フラットな関係性が生まれ、
そこから「学びあい」が起こり、
そこから新しいものが生まれる。

たぶん、「チームひきだしが目指すものはそういうことなのかもしれない。
ラボという場のデザインも同じだ。

この会社の魅力は何か?
っていうお題があることで、
学生同士に共通の問いが生まれた。
対話が始まった。

学生の意見を聞いて、採用活動を改めて見つめなおす。
そこから学生と採用担当者との対話が始まった。

まず、対話の場をデザインすること。

対話の場とフラットな関係性と学びあいを
ぐるぐるさせて、場のチカラを高めていくこと。

アウトプットはそういうところから生まれていくのだっていう仮説。

写真は
新潟→茨城ドライブのワンショット。

  

Posted by ニシダタクジ at 07:23Comments(0)日記

2018年11月23日

チームひきだしで就活を「学びあい」に変える

茨城大学「iopラボ」2DAYSでした。


21日はiopラボのための「場づくりラボ」


そして昨日、22日は「チームひきだし」報告会でした。


参加学生の発表のあと


受け入れ企業を含めた座談会


締めは「ヒキダシ、ヒキダシ」


会場閉鎖してからも会場外で盛り上がる。

なんというか、
ラボの可能性というか理想形というか
そういうのを見たような気がしました。

21日に話していたのが左脳的な(頭脳的な)ラボの価値だったとすると
昨日話していたのは、右脳的な(感覚的な)ラボの価値だったように思いました。

そして、「チームひきだし」というコンテンツの魅力。

このプロジェクトは「株式会社えぽっく」の若松さんと
この春から練ってきた企画で、
1週間のプログラム、4社に取材に行き、
経営者や社員と対話し、その後ワークショップを行い、
その会社の魅力や感じたことをアウトプットするというもの。

僕は2週目チームの
「株式会社ユーゴー」さんの会に
少しだけお邪魔したのだけど、とてもいい雰囲気で進んでいた。

昨日の報告会も
全員が自己紹介と出身地を語ったところから
すでに笑いが出ていたので、
とてもなごやかな雰囲気で進んだ。

なんか、あったかい場だった。

さて、
そんな「チームひきだし」報告会から
印象に残った発言と自分の気づき(つぶやき)をピックアップ。

~~~ここから

「見えないものを見ようとして望遠鏡を覗きこんだ。」
そんな感じ。チームひきだし 取材型インターンシップ。

大企業より中小企業のほうがチーム戦を戦っているような感じになるのかもね。
チームひきだしの受け入れ企業ってみんなそんな感じ。

「魅力を発見する」というお題がいいのかもね。

塗装とか農園とか介護とかって
自己分析を先にしていたら、まったく知り得ない業界。

☆ここから参加大学生のコメント
「どうせ働くなら「雰囲気のよい会社」を選びたい。」
「待ってるだけじゃなくて、自分から動くことが必要だと知った。」
「はたらくことに対するイメージが変わった」
「業種じゃなくて人との関係性で会社を決めたい」

~~~こんな感じ

「就職」とか「就活」への怖れっていうのは、
見たことがない、やったことがない
ことに対して怖れているだけなんじゃないか。

・社長は厳しい人なんじゃないか
・社長は「社長室」にいて指示を出すだけじゃなんじゃないか
・〇〇業界はブラックなんじゃないか
・IT企業ってネクラな人が集まっているんじゃないか

みたいな。
まるで幼い子どもが、
「悪いことばっかりしていると、怖い魔女がさらいにくるぞ」
みたいな脅しを本気でビビっている、みたいな感じなんじゃないかって思った。

ただ、知ればいい。
見てみればいい。
やってみればいい。
対話してみればいい。

それだけでだいぶ違うんだなあと思った。

さらに、座談会で、こんなシーンがあった。



参加学生の参加した感想
「8名でやれたのがよかった」
「1つのゴールに向かっているから仲良くなれた」

に対して、(株)ユーゴーの稲野辺さんが言った。
「それって会社も一緒ですよ」

そう。
それって会社も一緒なんだよね。
チーム戦を戦っているんだ。

そんな当たり前のことを改めて
思い出させてくれた。
会社でも、そういう「場」をつくるっていうこと。
そういうことが「はたらく」っていうことなんじゃないか。

稲野辺さんが今回のプログラムを通じて
得たものを次のように説明してくれた。

「再確認した」
大切にしたいもの、自分たちがどう感じられているのかを再確認した。
ココやっぱり面白いんだ!みたいな。

チームひきだしはそういう場を作った。
それはつまり、「学びあい」の場のデザインだったのかもしれない。

11月3日のしまね教育の日の島根県益田市のプレゼンで感じたこと
http://hero.niiblo.jp/e488353.html
「対話」から始まる「学びあい」(18.11.4)

学びあいの「場」っていうのは、
「就活」っていう舞台でも作れると思ったし、
そういう風にシフトしていく、いや、
シフトさせていくって思った。

自己分析して
向いている業種業界を知って、
そこから業界とか企業研究して、
エントリーして、面接受けて、、、

ってホントかよ?
って思った。

ひきだし参加学生が語った

「どうせ働くなら「雰囲気のよい会社」を選びたい。」
「業種じゃなくて人との関係性で会社を決めたい」

これのほうがよっぽどリアルなんじゃないかって思った。

ラストの感想の場面で、
参加学生のひとりが語ってくれた。

「貰いっぱなしで申し訳ないと思っていたけど、
経営者の人たちも学ぶところがあったと言ってくれたことがうれしかった」

そう。
たぶんそれ。

学びあいの「場」のデザイン。

それって、
「就活」にこそ必要なんじゃないか。

高いコストをかけて、新卒採用をする。
その「対話」から人事担当者は、会社は、何を学ぶか?

「就活」そのものを学びあいの「場」にしたい。
「チームひきだし」っていうプロジェクトは、そういう実験なのだと
僕は思っている。  

Posted by ニシダタクジ at 08:36Comments(0)日記

2018年11月17日

「アイデンティティ」とか「個性」とか

「やりたいことがわからない」
「自分に自信がない」
「就活したくない」

っていう大学生の根っこには、
「アイデンティティ」問題が横たわっているように思う。

「アイデンティティ」問題のキーワードとしては、
「個性」とか
「自分らしさ」とか
「貢献する」とか
そういう感じ。



「レイヤー化する世界~テクノロジーとの共犯関係が始まる」
(佐々木俊尚 NHK出版新書)

は、「近代」という時代と
「国民国家」というシステムを見渡す上で
非常に面白い1冊となっている。

~~~以下メモ

中世ヨーロッパでは、聖と俗が切り離されて存在していた。
印刷技術の発明が宗教改革を生んだ。
「よりどころ」としてのキリスト教が弱体化した。
聖の力の弱まりを俗の力によってカバーしようとした
「絶対王政」システムが生まれ、そして倒された。

「国民国家」システムの発明。
戦争に圧倒的に強いシステムだったため、世界を席巻した。

自分たちのよりどころは、神(宗教)でも古い大人(歴史)でもなく、
自分たち自身だと知った。

~~~以上メモ

国民国家の神髄は、「ウチとソトに分ける」
ということだと佐々木さんは言う。

そうやって、他国と戦争し、植民地をつくり、
自国を反映させる、ということだった。
これを「アイデンティティ」という側面から見てみる。

市民革命を成功させたフランスは、
その3年後のオーストリア・プロシア同盟との
戦争で敗走に次ぐ敗走を重ね、
自国内へ侵入させてしまったとき、義勇兵を募集する。
「祖国は危機にあり。祖国を救わんと考える義勇兵は応募せよ」

「フランス国民である」というアイデンティティ。
それが「よりどころ」となったと佐々木さんは言う。

おそらくはそれが、現代日本においても、
溶け出してしまっているのだろうと思う。

地域コミュニティ

会社コミュニティ
が弱体化し、

それに伴って、アイデンティティの
「よりどころ」を失っている。

しかもここにきて、
「国民国家」という概念そのものが
危機に瀕しているように思う。

アイデンティティ・クライシス

おそらくこれを解読しないことには、
「やりたいことはわからない」以下、
若者の課題の糸口は見えない。  

Posted by ニシダタクジ at 08:21Comments(0)日記

2018年11月12日

本を届ける、「一箱古本市」

松本・栞日の菊地さんが
やっている栞日古本市。

今月は18日にあるんですけどね。
そのガイドライン。
https://sioribi.jp/info/event_181118_02/

ココです。
栞日にとって、一箱古本市とは何か?
表現されているのが特にここ。

~~~ここから引用

【3】「一箱」古本市です。

当日の朝、〈古道具 燕〉で見繕った古い木箱を一箱ずつお渡しします。
木箱はどれもほぼ同じサイズですが、細かな寸法(幅・奥行き・深さ)はまちまちです。
当日、受付順に選んでいただきます。

途中、箱の中が少なくなってきたら、適宜補充していただいても構いませんが、お客さんにご覧いただく商品は、配布した箱の中に収めた本のみでお願いします。
また、当日ご持参いただく本の合計冊数も、ざっくり「箱2杯分」程度を、上限としてイメージしていただけると助かります。

理由は幾つかありますが…

限られた選択肢とスペースの中で、自分の本棚を表現して、その限られた書籍を通じて、目の前のお客さんと会話していただいた方が、結果的に、1冊1冊の取引の意味の濃度が高まって、本を手放した本人にとっても、本を受け取ったお客さんにとっても、もちろん本自身にとっても、幸せなのではないかなぁ、と考えているからです。

~~~ここまで引用

菊地さんは、
2011年6月のニイガタブックライト主催の
一箱古本市(ちなみに僕もツルハシブックスで出店していました)
に来ていたのだという。

その際、ブックディレクター幅さんの
「痕跡本」の棚を見て、
すでに菊地さんがついたときには、
棚は売れてスカスカになっていたんだという。

そして「補充はしないんですか?」
と聞いたら、「一箱古本市ですから」
と返答されたのだという。

そして、僕もなんとなく覚えているけど、
夜のトークイベントで、
同じような話をされていた。

「一箱古本市」って一箱だから面白いんじゃないか?
たしかそういう感じのコメントだったと思う。
僕もそのトークイベント会場にはいて、
なんとなく覚えている。

一箱であること。

それはたぶん。
菊地さんがこのラストに書いている、

「本を手放した本人にとっても、本を受け取ったお客さんにとっても、もちろん本自身にとっても、幸せなのではないかなぁ、と考えているからです。」

ここに尽きるのだろう。

本を売る。
自分の手元の本を売る、というのは
どういうことなのか。

そういえば、以前、大手中古書店チェーンで
働いている大学生が言っていた。

そこでは、本は完全に「モノ化」されているのだという。
一定の期間が経った本は108円コーナーに移動され、
またそこで一定期間が経った本は、
別の書店へ移送されるか、処分されるのだという。

それが本好きの彼女にとっては、
とても耐えられないのだという。

一方で、
伊那の土田さんが言っていた

「古本屋」っていうのは「本の一時預かり」のことだ。
誰かのためにこの本をキープしなきゃ、と思うから本を仕入れ、
誰かが買ってくれるのを待つ。
それがいつなのかわからないけど。

http://hero.niiblo.jp/e487816.html
(18.7.26 「本屋である」ということ)

本を届ける。
ってなんだっけ?

っていう強烈な問い。
菊地さんの姿勢。

僕自身も「暗やみ本屋ハックツ」
を再定義したいと思った。

菊地さんの言葉を借りれば、
「ハックツを再ハックツしたい」っていうことかな。


  

Posted by ニシダタクジ at 10:23Comments(0)日記

2018年11月02日

「リアルメディア」という参加のデザイン

奥井希さんの「流しのこたつ」に初参戦した。


駅ではこんな感じにコンパクト


最初は2人


隣で歌を歌っているおねーさんいます。


東京から1週間前に転勤してきた柳原くんが寄ってくれました


ブルガリア人御一行様も参戦。

いやあ、あれが「流しのこたつ」か~。
昨日集まった人たちは
東京で屋台をやっている吉池くんと
(はじめ、「屋台をやっている」ってどういうことだ?って思った)

舟型の屋台をつくった伏見の港デザイン研究所の林さん。
https://ameblo.jp/fns716/entry-12382242736.html
↑これが伏見マール。やばい。熱い。
こたつとか屋台とかって「リアルメディア」なんだって。

紙メディア
ウェブメディア
ときて、次は里山十帖の岩佐さんのように
「リアルメディア」なんだなと。

あと、吉池くんは、
なんとびっくり僕も敬愛する橘川幸夫さんの「デメ研」
にいるのだという。

橘川さんと言えば、
「参加型メディア」の草分け。
僕は「インターネットは儲からない」の頃からの
橘川さんのファンなのだけど、まさかこんなところでつながるとは。

紙メディア、ウェブメディア、そしてリアルメディアが
循環していることがポイントだと実践者はいう。

流しのこたつは
プライベートとパブリックのあいだの「場」
だと奥井さんは言った。

吉池さんは
屋台をやることで、君も(リアル)メディアをつくれよ、っていうメッセージを
伝えたいって言ってた。

僕が思ったのは、
「リアルメディア」は「参加のデザイン」でもあるなと。

参加型メディアっていうのは
インターネット以降、言われつづけているのだけど、

紙やウェブだと、
発信者と受信者(受け手)は
相互に関係しあっているとはいえ、
分かれている。

そこにきて、
今回のこたつや屋台のようなリアルメディアは、
その「場」を分け合っているという意味において、
発信者と受信者の区別はない。

誰もが発信者であり、同時に受信者になっている。
つまり、もっとも境界があいまいになっている。

たぶんそれなんだ、って。
境界をあいまいにすること。
それが余白をつくり、参加の余地が生まれる。

http://hero.niiblo.jp/e488318.html
「余白」とは、境界をあいまいにして「委ねる」こと
(2018.10.29)

で書いたように、
肌感覚をもったリアルメディアだからこそ、
「参加のデザイン」が可能になるのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 13:52Comments(0)日記

2018年10月25日

「売れること」と「来てもらうこと」



大正大学地域実習37日目。
十日町市での成果報告会。

みなさん真剣に聞いてくださり、
愛のある厳しいツッコミも頂戴しました。

HOMEHOMEの井比さんからは、
水戸部さんと同じく、
「プレゼンにリアリティーがない」とのご指摘。
この4週間で何を学んだのか、伝わってこない、と。

そうそう。
現場のエッセンスをね。
聞く人は大学生の感じたことを知りたいんですよね。

さて。

「リアリティー」ってなんだろう?
って考えてみる。

素敵な質問があった。

「十日町の商品が東京で売れること」と
「買った人が十日町に来てもらうこと」と
どちらを重視するのか?

あるいは

「浴衣を洗ったり、シミ抜きしたりするアフターケアは
どう考えているのか?」

学生たちが考えてなかった視点。

それこそが「顧客は誰か?」
というリアリティーにつながっていく。

木下斉さんのいう、
お客をひとりひとり特定していく
「ピンホールマーケティング」が
必要だと思った。
http://hero.niiblo.jp/e478687.html
(16.4.22 利益と向き合う)

そして、デザイン思考的なプロセス。
顧客のインサイトに迫っていく。
それを補強するものとしてデータがある、と。

http://hero.niiblo.jp/e473850.html
(15.10.23 もし、すべての仕事がアートプロジェクトだったら。)

そういった意味では、
今回の成果報告会そのものも、
「見に来る人は誰で、彼らが欲しいものは何か?」
という問いが必要だった。

コメントでいただいた
「地域の人の姿が見えない」
「リアルで具体的な何かが入っていない」
「グーグルや食べログに載っていない情報を」
「生の声から課題を掘り起こしてつぶしていくこと」
「現役の大学生だからできるという主体性が必要」

まさにこれこそが
実習受け入れ地域が欲しいものなのだ。

僕自身の反省は
そのようなデザイン思考的アプローチについて、
実習前半でもっと学べるようにするべきだったと。

話を聞いてきたこの事業の顧客は誰で、
顧客にとっての価値は何か。

それをヒアリングの際に考えながら聞く。
地域の課題は何で、その人たちはリアルにどんなことを
言っているのか。

「生の声」は
現場でしか聞こえない。

そしてそれを届けること。

タイトルに書いた、

「十日町の商品が東京で売れること」と
「買った人が十日町に来てもらうこと」と
どちらを重視するのか?

というのは素敵な問いだったと思う。

「来てもらうこと」を目指したプレゼンテーションのほうが
「リアリティー」があり、結果として「買ってくれる」商品に
なるのではないかと思った。

購入した顧客のことを考えたら、
浴衣のアフターケアはとても大切な要素なのだろうと思った。

そうやって、
顧客に気づいていくこと。

さて、明日は最後の南魚沼での成果報告会。
作りこんでいきましょう!  

Posted by ニシダタクジ at 06:56Comments(0)日記

2018年10月22日

「ソーシャル」って何?



週末も南魚沼にて。
大正大学地域実習33,34日目。
八海山尊神社「火渡り」、
南魚沼市わかまち会議へ。

その合間に今日から始まる
実習の成果報告ウィークへの準備をする。





夜は恒例の足湯。
昼間のワークショップを振り返って、感じたこと。

去年の今ごろ受けた、
コクリの三田さんのワークショップを思い出した。

http://hero.niiblo.jp/e486023.html
「ツルハシが掘るもの」(17.10.15)

「みんなで何やるか?」
って話し合っても行動は起こらない。
そこにはwhyがないから。

そうじゃなくて、三田さんのワークのように、
一人の根っこを、温泉を探し当てるように掘っていくこと。
温泉(源泉)がwhyにつながり、
そこに「共感」が生まれる。それをみんな応援して
「チーム」ができる。

「コクリキャンプ」とか
「スタートアップウィークエンド」とかって
そういう設計になっているんじゃないか。
だから行動が起こるのではないか。

「ソーシャルなことを始めよう」ではなくて、
「ソーシャル」っていうのはそもそも「みんなでやる」
っていうか1人を補うっていうことなんじゃないか。

だから、三田さんがいうように、
過去の想いの源泉を引き当て、
whyを見つけること。

ソーシャルプロジェクトの生まれ方は、
ソーシャルなことをみんなで考えよう!
っていうのじゃなくて、what,howじゃなくて、

個人の過去から想い(why,for whom)を発掘して、
そこに賛同する人が現れ、プロジェクトが生まれていくのではないか。
そして共感の度合いが高いことをソーシャル度が高いというのではないか。

人生は経営である。

時間という有限な経営資源をどこに投じるか。

それは、効率的かどうか、
ではなくて、心がワクワクするか、
共感しているか。
そうやって起こっていくのではないだろうか。

「なぜ」「いま」「あなたが(わたしが)」
これをやらなければいけないのか。

それを感じられるプロジェクトだけが
力強く始まっていく。  

Posted by ニシダタクジ at 06:35Comments(0)日記

2018年10月12日

にいがたイナカレッジという「問い」

この夏にかかわっていた
大学生向けプログラム
「にいがたイナカレッジ」の参加者レポート。

https://inacollege.jp/blog/2018/10/11/%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B8%E3%81%A7%E8%A6%8B%E3%81%A4%E3%81%91%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%90%E6%A2%B6%E8%B0%B7%E9%BA%BB%E8%B2%B4%E3%80%91/

「即決できなかったのは、1か月という期間の長さ。
夏休みはインターンもそこそこに遊びたかったのが本音です…。
でもこれだと今までの大学生活と何も変わらないような…。

そして、1か月知らない人と知らない土地で暮らすことへの不安。
しかし参加を決めたのも1か月という長さ。
参加してみれば何かを得られるのではないか。変わる自分がいるのではないかという期待。
とりあえず行ってみよう…。悩みに悩んで、自分にとっては大きな決断をしました。」

うんうん。
そうだよね、そうだよね。
1か月は長いもん。

この時間を投資して得られるものはなんだろう?
って考えちゃうよね。

そして、

「釜谷の人が望んでいた冊子(歴史)と自分たちが作りたい冊子が噛み合わなかったとき、要望に応えたい、でも伝えたいことを曲げたくないと迷った時があります。

他の地域で私たちより早く活動をしていたインターン生に、「私たちの地域も同じだった。大事なのは自分たちの伝えたいことを伝えることだと思う」とアドバイスをもらうことができたので、それから私たちは自信をもってときめきを伝える冊子を作ることができました。」

泣ける。
泣けたなあ。

実はこの後にくるラストが超泣けるし、
僕も関われてよかったなあと思うのだけど、
それは本文を読んでください。

にいがたイナカレッジは
きっとそういうプログラム。

コーディネーターの井上有紀さんは、
あの「誇りの空洞化」を叫んだ
明治大学農学部の小田切ゼミ卒業生であり、
ツルハシブックス黄金期の
2015年を作った店員サムライの中心メンバーでもあり、
米屋を通して「暮らし」を届けるコメタクの
立ち上げメンバーでもある。

その系譜がカタチになったような、
そんなレポートだなあと。
すべて、問いでしかないんだって、あらためて感じた。

通常の企業のインターンシップと
明らかに違うのは、「得られる経験」が
明らかではないこと。

1か月という長期間(大学生にとってはかなり貴重)を
田舎で暮らすという投資に対して、
リターンが明確ではないこと。

たぶん、それがいいんだなあと思う。
でも、それって伝えるのが難しい。

どうやって伝えるか、っていうのを考えて、
上記のインターンを大学4年生にレポートしてもらったのがこちら

https://inacollege.jp/blog/2018/10/01/%E3%80%8C%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%99%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E6%97%85%E3%81%AB%E5%87%BA%E3%82%8B%EF%BD%9E%E5%A4%A7%E5%AD%A64%E5%B9%B4%E7%94%9F%E5%B0%8F%E6%98%A5%E3%81%8C%E8%A1%8C%E3%81%A3/

「自分を知る」
それがイナカレッジの価値だと
彼女はレポートした。

そう。
「にいがたイナカレッジ」は問いなんだ。

内田樹さんの
「下流志向」(講談社文庫)と
「先生はえらい」(ちくまプリマー新書)
を読むと、学びとは何かについて考えさせられる。

現代社会において、教育が「お買いもの化」されている。
つまり、最小の投資(努力)で最大のリターン(成果)を得られるように、
というマインドに覆われている。

ところが本来、学びの本質は、
師匠が何をいったかに関わらず、
自分は何を学ぶか、学んだか、
というのが大切であり、それこそが学びの醍醐味なのだと。

これ、インターンシップにも同じことが言えるだろう。

インターンシップ募集サイトには
「得られる経験」が書いてある。
みな、目的をもってインターンをする。
(もちろん、同級生がしているから、みたいな理由もあるけど)

にいがたイナカレッジは、何が得られるのかよくわからない。
だって、田舎で暮らすだけなのだから。

そんなことに
就活前の大学3年生という貴重な時間を投じていいのだろうか?
と思う人も多いだろう。

何が得られるのか?
と不安になる人も多いだろう。
でも、それこそが、思考の呪縛だと僕は思う。

経験も状況も問いでしかないのだから。

昨日、「つなぎ道」の佐藤孝治さんに、
「ご紹介したい人がいます」と言われて、
1時間ほど、ウェブ上でインタビューを受けた。

「ご紹介したい西田卓司さんというすごい人がいます」
佐藤さんの紹介はだいたいこんな感じ。

聞いた人は、
詳細の情報がないから自分で聞き出すしかない。

「この人はすごい人だって佐藤さんが言っているから、
何か聞いて、そのすごさを吸収しよう」

って思っているから、実際に僕は「すごい人」になる。

実はその時、僕は「すごい人」である必要がないのだ。

相手が勝手に「すごい人」だと
思い込んでいてくれさえすればよい。

そう。
佐藤さんの「つなぎ道」も同じく
「問い」だったのだと。

「すごい人」だと紹介することによって、
紹介された人は、その人のすごさを
自分なりに解読しようとする。
それこそが学びの本質なんだ。

現在美術家の北澤潤さんが
デザイナーの仕事は課題を解決することで
アーティストの仕事は問いを投げかけることだと言っていた。

「問い」を投げかけること。

きっとそれが僕のやりたいことなのだろうな。
現代美術家だしね。


※写真はイナカレッジ中間研修(18.9.3)の本屋出店の図  

Posted by ニシダタクジ at 06:40Comments(0)日記