プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2018年12月13日

「問いが近い」ということ

最近のキーワード。

「場のデザイン」
「参加とケア」
「承認と自己肯定感」
「営みと暮らし」
「関係性のアート」
「境界を溶かす」
「余白と未分化」
「脱力とイノベーション」

これを曼荼羅にしてみたらいいのかもしれないね。
これ、全部つながっているよなあ。

たぶんそういうキーワードにヒットする人っていうのは、
「問いが近い」っていうことなのだろうと思う。

そして、「問いが近い」人と話すのは楽しいし、
それはジェネレーションギャップを超えられる。

たぶん。
そういうこと。

おじさんの説教話を聞いて、
まったくそこに何も感じないのは、
そこに問いが無いからではないだろうか。

ということは、コミュニケーションの本質としては、
「同じ問いを見つめる」っていうことになるのかもしれない。

それは1対1の対話でも
チームでの対話でも同じだろう。

「チームに一体感が無い」のは、
同じ問いを見つめていないから。

そして、
そもそも同じ問いを見つめていない人と
チームは組めないのではないのか。

だから、問いが近い人とチームを組んで、
何かを始めてみること。

たぶん、目的・目標が明確ではない
ふわっとしたプロジェクトのほうがそういう人が
集まりやすいのかもしれない。

にいがたイナカレッジってきっと、そういうやつ。  

Posted by ニシダタクジ at 06:34Comments(0)日記

2018年12月09日

地域の暮らしに「伴走」する

「営み」というキーワード。
「場のチカラ」研究の上では重要な言葉だなと。

「にいがたイナカレッジ」の価値の独自性を考える。

キーワードは
「場のチカラ」「働き方と暮らし方」「営み」「伴走」

そして、「創造的脱力」(若新雄純さんによる)かな。

1 「創造的脱力」プロジェクトである、ということ。

若新雄純さんの「創造的脱力」(光文社新書)
によると、「創造的破壊から、創造的脱力へ。」
http://hero.niiblo.jp/e488462.html
「ラボ」というゆるさと強さ(18.11.26)

ここから引用する。

~~~以下引用
「JK課は、あくまで実験的なプロジェクトで、政策の本流じゃないですから」といった調子で、「ゆるいプラン」であることを強調しました。その結果多くの人が気軽に参加できる環境ができ、活動に広がりが生まれています。

「とりあえず楽しもう」「やりながらちょっとずつ良くしていけばいいじゃないか」という適度な脱力感が、「白か黒か」「成功か失敗か」という過度な緊張感を遠ざけ、すぐには結果の見えない実験的なプロジェクトに粘り強さをもたらしています。

「脱力」は「無力」ではありません。そして、それは「不真面目」でもありません。

「こういうのもあっていいんじゃないですか?」とか、「まずは実験してみよう」といって、本流ではないところで、周辺からアクションしてみる。既存のシステムや勢力を直接には攻撃してしまわない離れたところから、でも、ちゃんと見えるところから、それをやりたいという当事者たちが集まって、真面目に考え、小さくてもいいから、何かが変化するような振り切った実験を、真剣にやってみるのです。

失敗したならやり直せばいいし、もしうまくいったらなら、どんどん増やしたりひろげたりすればいい。

すると、そこに人や情報がどんどん流れてきて、いつかは本流にすり替わったりするかもしれません。

もちろん、新しい支流や一つの文化になるだけでもいい。これが僕の考える、「創造的破壊」ならぬ「創造的脱力」です。

~~~以上引用

詳しくは上記ブログか本書を読んでもらいたいのだけど、
これ、まさに大学に必要な考え方なのではないのか、と。

大学での本流なるためには、あまりにもハードルが高く、
「正しいことをしたかったら偉くなれ」(by踊る大捜査線)
の世界が広がっている。

「価値観の多様化」ならぬ
「価値の流動化」が起こっている現在において、

大学が、文科省が、あるいは経産省が定めた「価値」
に向かっていく人も多数派でいてもよいが、
そうじゃない価値を志向する人も許容されるというか
「当然、多数派じゃない人もいるよね」と思っていいはずだ。

よく言われることだけど、
学生は2-6-2で分かれる。

優秀な学生2割
普通の学生6割
どちらでもない学生2割

「就活」で困るのは実は真ん中の6割の学生だという。
だから、その6割にどうアプローチし、カリキュラムを提供するのか、
ということになる。

でも、その発想って、
「優秀さ」という画一的な「価値」における序列なわけで、
そもそも画一的価値が溶け出しているのだから、
その発想自体が時代遅れ感があるよね。

トップ2割じゃなくて、
その企画にヒットする20/100が来ている、だけなんだよね。

そういう意味では、
「にいがたイナカレjッジ」は脱力系プロジェクトの代表例でもあると思う。

2018年の修了生のひとりが言っていた。
「大学にいるときは、部活・サークルの繰り返しで、全く余裕がなかった。
この集落での暮らしでは、朝起きたら、「今日、朝ごはんどうしようかな。」と言って、
3人で塩おにぎりときゅうりの漬物とトマトと食べた。
そんな日々を送ったら、心に余裕が生まれた」

その「余裕」や「ゆるさ」や「余白」から、創造力が生まれてくるのではないか。

という仮説を検証するプロジェクトだ。

2 「場のチカラ」を活かすプロジェクトである、ということ。

場のチカラの構成要素は
1 誰とやるか
2 いつやるか
3 どこでやるか

であり、これに
4 なぜやるか
5 誰のためにやるか
6 何をやるか
7 どのようにやるか

を足すとプロジェクトになる。

「にいがたイナカレッジ」では、
「誰とやるか」を大切にする。
それはチューニングと呼ばれる方法だ。

ひとりひとりの過去を振り返り、
自分たちがなぜ、ここにいるのかを考える。

日々のミーティングでは、
「最近あったよかったこと」から始まり、
「ミーティングの場の感想」を言う。
そうやって「誰と」の「誰」を知っていくのだ。

2 いつやるか
3 どこでやるか

は、まさに活動する地域の状況と
自分たちの問題意識、時代背景などを
すべて要素に入れながら、場のチカラを高めていくのだ。

誰かが設計したプロジェクトに
「機能」として組み込まれるのではなくて、
自らがプロジェクト設計に参加・参画することで、
そのプロジェクトが自分自身のものになると考えている。

3 「地域暮らしに伴走する」動的なプロジェクトである、ということ。

にいがたイナカレッジでは、地域(集落)の中で寝泊まりをして、
そこでの「暮らし」そのものを実践できる。「期間限定の住民」になる。

地域には「営み」がある。

「営み」とは、「暮らし」よりももう少し大きな体系の概念であり、
自然の流れや、その地域で育まれた歴史を含んでいる。

その「営み」の中で、
自らが価値だと感じるものをカタチにしていく。

2018年夏の例だと、
日々の暮らしの豊かさを伝えたいので、日誌風の冊子をつくったり、
集落の人たちと一緒につくりたいし、たくさん来てもらいたいので
写真展を開催したり、というアウトプットになった。

「価値」は常に流動している。

誰とやるか、いつやるか、どこでやるかの場のチカラ3要素によって大きく変わる。
そしてそれは、地域側も同じだ。大きな「営み」の中で、地域は動いている。

スピードは違うけど、お互いに動いているものの接点を探り、
そこに価値を見つけ、アウトプットをつくっていく。

言ってみれば、地域の暮らしに「伴走」する動的なプロジェクトであるということだ。

3つの要素をまとめていうと、

「にいがたイナカレッジ」は、
「場のチカラ」を高めて、地域の暮らしに伴走しながら
その接点上に「価値」を見つけアウトプットする、
脱力系のプロジェクトである。

っていうことになるかな。

まとまってます?  

Posted by ニシダタクジ at 07:46Comments(0)日記

2018年12月07日

「場のチカラ」でひとりにフォーカスすること

イナカレッジ修了生との対話。
キーワードだらけ、なのでメモ残しておく。

~~~ここからメモ

楽しくない未来をイメージして、そこに計画を立てることにどんな価値があるのか。

東京には「未来」があるから、今を楽しめないのかもしれない

木沢は「未来」が描けない限界集落だからこそ、今を楽しめるのかもしれない。

未来」と「今」が一体化している、という強さがあるな、そういう田舎には。

大学4年の春に就職決めて、就職までの1年間で気が変わらない自信が無かった。

「挑戦」には「主語(たとえば私)」と「意志」と「未来」が存在する。だから「成功」と「失敗」に一喜一憂してしまう。「実験」には「状況」と「結果」しか存在しないからこそ、「結果」をドライに俯瞰して見れる。もっと自分を実験用試料にしたらよいと思う。

地域の、集落の未来のビジョンではなく、「今」を大切にすること。そうすると、今いるひとりひとりが大切になってくる。

~~~ここまでメモ

「場」のチカラと「挑戦」とか「実験」とか
リンクしているんだなと。

そして、ひとりひとりのケアができるのは、
場のチカラを重視するからではないか。

人は、場のチカラの手段になったほうが
心地よくそこに居られるのではないか。

「未来」とか「意志」とか、「挑戦」とか「自分」とかが無い世界。

木沢にはそういうのがあるのかもしれないね。  

Posted by ニシダタクジ at 06:53Comments(0)日記

2018年11月30日

「プログラム」「プロジェクト」を外から見る

とある大学生の卒論の一環で、
イナカレッジ修了生へのインタビューをしています。
これがめちゃめちゃ面白いのです。

「イナカレッジとは何か?」
を考える上で、たくさんのヒントをもらっています。

「キャリアデザイン」とか、
「適職」思想とか、
「ロールモデル」とか、

もはや違和感だらけなんだな、って感想。

「やりたいことは何か?」っていう質問に対して、
職業名で答えることを強要されるキャリア教育って
ホントにおかしいなと思う。

「公務員」とか「研究職」
って手段であって、目的ではないでしょうって。

そうじゃなくて、
人生をいかに経営していくか?

顧客は誰で、提供する価値は何なのか?
どういうことを自分は大切にしていきたいのか?

そんな問いにあふれて、
自分なりの現時点での回答を探す、
それがイナカレッジなのかもしれないなあと思いました。

昨日、新潟大学の2人にインタビューをして、
イナカレッジで得たもの。

ひとりは「大切にしたいものを思い出させてくれた」
家族や身近な人たちを大切にしたいって
高校生まで思っていたのに、大学生になって、
目の前のことがいっぱいで、それを忘れていた。
イナカレッジの現場で、家族を大切にしている
人の話を聞いて、それを思い出させてもらった、と。

もうひとりは、「心の余裕が生まれた。」
バイト、サークルで忙しい日々から1か月離れて、
朝ごはん何にしよっか?って考えて、
自分たちが提供するものは何で、そこにどんな価値があるのか?
って問いかけられたこと、と。

だから、いまも3年生だけど、「就活」以外のことも考えられるようになったと。
「就職」は目的ではなくて、手段なんだと思えたこと。

なるほど。
2人にとって、イナカレッジというプログラムは
大きかったのだなあと実感。

そして、大学がやっているプログラムと、
イナカレッジの違いについて話が進んだ。

大学が行うプログラム・プロジェクトに3つほど
関わっているのだけど、そこでは役割が最初から想定されている。

たとえば、
「地域産品を発信する」「伝統文化を継承する」
など。

そのために、大学生ができることを考え、実践していく。
地域プログラム、地域プロジェクトはだいたいそのようになっている。

そうすると何が起こるか?
「発信する」というゴールが見えているから、
地域のフィールドをそのように切り取る。

彼女は、イナカレッジへの参加以降、
それを相対化(外から見る、メタ的に見る)することができるようになったのだという。

つまり、地域資源に出会ったときに、
違う活用方法があるのではないか?
と考えるようになった。

いや、そもそも、目的をもって地域を切り取る場合、
その目的に関わらない要素は「ノイズ」として、
地域資源とは認識されない。

たとえるならば、実験器具であるビーカーの中に、
大学生は素材として、あるいは触媒として放り込まれる。
その中での挙動は、あらかじめ期待されている。
もちろん、実験だから予想外のことは起こるのだけど、
それはプログラム・プロジェクト上は「ノイズ」になる。

しかし、そもそも、
その「ノイズ」にこそ価値はあるのではないか。

上野千鶴子さんが「情報生産者になる」(ちくま新書)

の中で、

「情報はノイズから生まれます。ノイズとは違和感、こだわり、疑問、ひっかかり・・・のことです。」

「情報とは、システムとシステムの境界に生まれます。複数のシステムの境界に立つ者が、いずれをもよりよく洞察することができるからです。」

参考:
「挑戦」するな、「実験」せよ(18.11.7)
http://hero.niiblo.jp/e488367.html

と言っているがまさにそれなんじゃないか。

つまり、ビーカーの外から見てみる。
「プログラム・プロジェクトはビーカーの中の話に過ぎない。」
と思えるかどうか。

それってなかなか難しいのかもしれない。
学校教育という巨大なビーカー(システム)の中で、
期待される挙動を演じて、それを演じることによって評価されてきた。

そのシステムを外から見る、
っていうのはなかなかできない。

「イナカレッジ」の1ヶ月は「暮らし」の中にある
暮らしというのは、ノイズだらけだ。
そして何より、プロジェクト自体を自分たちで再構築しなければならない。

7 どのようにやるか
6 なにをやるか
5 誰のためにやるか
4 なぜやるか
3 どこでやるか
2 いつやるか
1 誰とやるか

これがプロジェクトの7要素なのだけど、
特にこの中の4と5、なぜやるか、誰のためにやるかを
一緒にやるメンバーと、また地域の人たちと
話し合って、合意していかなければならない。

火曜日にインタビューした
長岡の大学生も、3人だからこそ、
地域の人たちのニーズだけではなく、
自分たちが感じた価値に向かって制作物を作れた。
と言っていたが、

まさにそのような問いがあるのだ。

つまり、
イナカレッジはビーカーそのものを自分で作ることができる、
ということだ。

それって、めちゃめちゃ大切なことなんじゃないのか。

与えられたビーカーの中で
期待されるような挙動をするのではなくて、

ビーカーを外から見て、
ああ、自分はそうやって作用しているんだなあと
俯瞰してみる。

そしてビーカーの外やビーカーとビーカーの
あいだにある素材を見つけ、次のビーカーをつくり、入れてみる。

それを繰り返してできていく何か。
残っていく何か。

それこそが地域にとっての、そして世の中にとっての
「価値」そのものなのではないか。

そしてそれを作っていく経験こそが、
価値が流動する時代に生きていくための
「生きる力」なのではないだろうか。

ひとまず3人のインタビューを終えて、
アウトプットしてみたくなったので書いてみました。

写真は、出雲崎海チーム(通称)の写真展の1コマ。

  

Posted by ニシダタクジ at 09:12Comments(0)日記

2018年11月24日

対話の場をデザインする

昨日のつづき。

「就活」を学びあいに変える。

その第1歩は、「チームひきだし」のような、
「対話の場のデザイン」であると思う。

昨日、若松代表が書いていたけど、
「学びあい」は、フラットな関係性を必要としている。

お互いが学ぶ者という同志になること。
そこが必要だ。

そのフラットな関係性をつくるために、
「チューニング」をするのだ。

チューニングの要点は、
心を開き、「対話」の準備をすること。

「対話」の場に降りていくことをデザインすること。

そして
「対話」を始めること。

http://hero.niiblo.jp/e462090.html
(大学生は「場のチカラ」に貢献する 15.1.29)

http://hero.niiblo.jp/e462144.html
(未来は対話による会議から創られる 15.1.30)

http://hero.niiblo.jp/e462198.html
(ラボラトリーだという自覚 15.1.31)

キーワードからこのあたりを読み直す。

「対話」をデザインすることで、
フラットな関係性が生まれ、
そこから「学びあい」が起こり、
そこから新しいものが生まれる。

たぶん、「チームひきだしが目指すものはそういうことなのかもしれない。
ラボという場のデザインも同じだ。

この会社の魅力は何か?
っていうお題があることで、
学生同士に共通の問いが生まれた。
対話が始まった。

学生の意見を聞いて、採用活動を改めて見つめなおす。
そこから学生と採用担当者との対話が始まった。

まず、対話の場をデザインすること。

対話の場とフラットな関係性と学びあいを
ぐるぐるさせて、場のチカラを高めていくこと。

アウトプットはそういうところから生まれていくのだっていう仮説。

写真は
新潟→茨城ドライブのワンショット。

  

Posted by ニシダタクジ at 07:23Comments(0)日記

2018年11月23日

チームひきだしで就活を「学びあい」に変える

茨城大学「iopラボ」2DAYSでした。


21日はiopラボのための「場づくりラボ」


そして昨日、22日は「チームひきだし」報告会でした。


参加学生の発表のあと


受け入れ企業を含めた座談会


締めは「ヒキダシ、ヒキダシ」


会場閉鎖してからも会場外で盛り上がる。

なんというか、
ラボの可能性というか理想形というか
そういうのを見たような気がしました。

21日に話していたのが左脳的な(頭脳的な)ラボの価値だったとすると
昨日話していたのは、右脳的な(感覚的な)ラボの価値だったように思いました。

そして、「チームひきだし」というコンテンツの魅力。

このプロジェクトは「株式会社えぽっく」の若松さんと
この春から練ってきた企画で、
1週間のプログラム、4社に取材に行き、
経営者や社員と対話し、その後ワークショップを行い、
その会社の魅力や感じたことをアウトプットするというもの。

僕は2週目チームの
「株式会社ユーゴー」さんの会に
少しだけお邪魔したのだけど、とてもいい雰囲気で進んでいた。

昨日の報告会も
全員が自己紹介と出身地を語ったところから
すでに笑いが出ていたので、
とてもなごやかな雰囲気で進んだ。

なんか、あったかい場だった。

さて、
そんな「チームひきだし」報告会から
印象に残った発言と自分の気づき(つぶやき)をピックアップ。

~~~ここから

「見えないものを見ようとして望遠鏡を覗きこんだ。」
そんな感じ。チームひきだし 取材型インターンシップ。

大企業より中小企業のほうがチーム戦を戦っているような感じになるのかもね。
チームひきだしの受け入れ企業ってみんなそんな感じ。

「魅力を発見する」というお題がいいのかもね。

塗装とか農園とか介護とかって
自己分析を先にしていたら、まったく知り得ない業界。

☆ここから参加大学生のコメント
「どうせ働くなら「雰囲気のよい会社」を選びたい。」
「待ってるだけじゃなくて、自分から動くことが必要だと知った。」
「はたらくことに対するイメージが変わった」
「業種じゃなくて人との関係性で会社を決めたい」

~~~こんな感じ

「就職」とか「就活」への怖れっていうのは、
見たことがない、やったことがない
ことに対して怖れているだけなんじゃないか。

・社長は厳しい人なんじゃないか
・社長は「社長室」にいて指示を出すだけじゃなんじゃないか
・〇〇業界はブラックなんじゃないか
・IT企業ってネクラな人が集まっているんじゃないか

みたいな。
まるで幼い子どもが、
「悪いことばっかりしていると、怖い魔女がさらいにくるぞ」
みたいな脅しを本気でビビっている、みたいな感じなんじゃないかって思った。

ただ、知ればいい。
見てみればいい。
やってみればいい。
対話してみればいい。

それだけでだいぶ違うんだなあと思った。

さらに、座談会で、こんなシーンがあった。



参加学生の参加した感想
「8名でやれたのがよかった」
「1つのゴールに向かっているから仲良くなれた」

に対して、(株)ユーゴーの稲野辺さんが言った。
「それって会社も一緒ですよ」

そう。
それって会社も一緒なんだよね。
チーム戦を戦っているんだ。

そんな当たり前のことを改めて
思い出させてくれた。
会社でも、そういう「場」をつくるっていうこと。
そういうことが「はたらく」っていうことなんじゃないか。

稲野辺さんが今回のプログラムを通じて
得たものを次のように説明してくれた。

「再確認した」
大切にしたいもの、自分たちがどう感じられているのかを再確認した。
ココやっぱり面白いんだ!みたいな。

チームひきだしはそういう場を作った。
それはつまり、「学びあい」の場のデザインだったのかもしれない。

11月3日のしまね教育の日の島根県益田市のプレゼンで感じたこと
http://hero.niiblo.jp/e488353.html
「対話」から始まる「学びあい」(18.11.4)

学びあいの「場」っていうのは、
「就活」っていう舞台でも作れると思ったし、
そういう風にシフトしていく、いや、
シフトさせていくって思った。

自己分析して
向いている業種業界を知って、
そこから業界とか企業研究して、
エントリーして、面接受けて、、、

ってホントかよ?
って思った。

ひきだし参加学生が語った

「どうせ働くなら「雰囲気のよい会社」を選びたい。」
「業種じゃなくて人との関係性で会社を決めたい」

これのほうがよっぽどリアルなんじゃないかって思った。

ラストの感想の場面で、
参加学生のひとりが語ってくれた。

「貰いっぱなしで申し訳ないと思っていたけど、
経営者の人たちも学ぶところがあったと言ってくれたことがうれしかった」

そう。
たぶんそれ。

学びあいの「場」のデザイン。

それって、
「就活」にこそ必要なんじゃないか。

高いコストをかけて、新卒採用をする。
その「対話」から人事担当者は、会社は、何を学ぶか?

「就活」そのものを学びあいの「場」にしたい。
「チームひきだし」っていうプロジェクトは、そういう実験なのだと
僕は思っている。  

Posted by ニシダタクジ at 08:36Comments(0)日記

2018年11月17日

「アイデンティティ」とか「個性」とか

「やりたいことがわからない」
「自分に自信がない」
「就活したくない」

っていう大学生の根っこには、
「アイデンティティ」問題が横たわっているように思う。

「アイデンティティ」問題のキーワードとしては、
「個性」とか
「自分らしさ」とか
「貢献する」とか
そういう感じ。



「レイヤー化する世界~テクノロジーとの共犯関係が始まる」
(佐々木俊尚 NHK出版新書)

は、「近代」という時代と
「国民国家」というシステムを見渡す上で
非常に面白い1冊となっている。

~~~以下メモ

中世ヨーロッパでは、聖と俗が切り離されて存在していた。
印刷技術の発明が宗教改革を生んだ。
「よりどころ」としてのキリスト教が弱体化した。
聖の力の弱まりを俗の力によってカバーしようとした
「絶対王政」システムが生まれ、そして倒された。

「国民国家」システムの発明。
戦争に圧倒的に強いシステムだったため、世界を席巻した。

自分たちのよりどころは、神(宗教)でも古い大人(歴史)でもなく、
自分たち自身だと知った。

~~~以上メモ

国民国家の神髄は、「ウチとソトに分ける」
ということだと佐々木さんは言う。

そうやって、他国と戦争し、植民地をつくり、
自国を反映させる、ということだった。
これを「アイデンティティ」という側面から見てみる。

市民革命を成功させたフランスは、
その3年後のオーストリア・プロシア同盟との
戦争で敗走に次ぐ敗走を重ね、
自国内へ侵入させてしまったとき、義勇兵を募集する。
「祖国は危機にあり。祖国を救わんと考える義勇兵は応募せよ」

「フランス国民である」というアイデンティティ。
それが「よりどころ」となったと佐々木さんは言う。

おそらくはそれが、現代日本においても、
溶け出してしまっているのだろうと思う。

地域コミュニティ

会社コミュニティ
が弱体化し、

それに伴って、アイデンティティの
「よりどころ」を失っている。

しかもここにきて、
「国民国家」という概念そのものが
危機に瀕しているように思う。

アイデンティティ・クライシス

おそらくこれを解読しないことには、
「やりたいことはわからない」以下、
若者の課題の糸口は見えない。  

Posted by ニシダタクジ at 08:21Comments(0)日記

2018年11月12日

本を届ける、「一箱古本市」

松本・栞日の菊地さんが
やっている栞日古本市。

今月は18日にあるんですけどね。
そのガイドライン。
https://sioribi.jp/info/event_181118_02/

ココです。
栞日にとって、一箱古本市とは何か?
表現されているのが特にここ。

~~~ここから引用

【3】「一箱」古本市です。

当日の朝、〈古道具 燕〉で見繕った古い木箱を一箱ずつお渡しします。
木箱はどれもほぼ同じサイズですが、細かな寸法(幅・奥行き・深さ)はまちまちです。
当日、受付順に選んでいただきます。

途中、箱の中が少なくなってきたら、適宜補充していただいても構いませんが、お客さんにご覧いただく商品は、配布した箱の中に収めた本のみでお願いします。
また、当日ご持参いただく本の合計冊数も、ざっくり「箱2杯分」程度を、上限としてイメージしていただけると助かります。

理由は幾つかありますが…

限られた選択肢とスペースの中で、自分の本棚を表現して、その限られた書籍を通じて、目の前のお客さんと会話していただいた方が、結果的に、1冊1冊の取引の意味の濃度が高まって、本を手放した本人にとっても、本を受け取ったお客さんにとっても、もちろん本自身にとっても、幸せなのではないかなぁ、と考えているからです。

~~~ここまで引用

菊地さんは、
2011年6月のニイガタブックライト主催の
一箱古本市(ちなみに僕もツルハシブックスで出店していました)
に来ていたのだという。

その際、ブックディレクター幅さんの
「痕跡本」の棚を見て、
すでに菊地さんがついたときには、
棚は売れてスカスカになっていたんだという。

そして「補充はしないんですか?」
と聞いたら、「一箱古本市ですから」
と返答されたのだという。

そして、僕もなんとなく覚えているけど、
夜のトークイベントで、
同じような話をされていた。

「一箱古本市」って一箱だから面白いんじゃないか?
たしかそういう感じのコメントだったと思う。
僕もそのトークイベント会場にはいて、
なんとなく覚えている。

一箱であること。

それはたぶん。
菊地さんがこのラストに書いている、

「本を手放した本人にとっても、本を受け取ったお客さんにとっても、もちろん本自身にとっても、幸せなのではないかなぁ、と考えているからです。」

ここに尽きるのだろう。

本を売る。
自分の手元の本を売る、というのは
どういうことなのか。

そういえば、以前、大手中古書店チェーンで
働いている大学生が言っていた。

そこでは、本は完全に「モノ化」されているのだという。
一定の期間が経った本は108円コーナーに移動され、
またそこで一定期間が経った本は、
別の書店へ移送されるか、処分されるのだという。

それが本好きの彼女にとっては、
とても耐えられないのだという。

一方で、
伊那の土田さんが言っていた

「古本屋」っていうのは「本の一時預かり」のことだ。
誰かのためにこの本をキープしなきゃ、と思うから本を仕入れ、
誰かが買ってくれるのを待つ。
それがいつなのかわからないけど。

http://hero.niiblo.jp/e487816.html
(18.7.26 「本屋である」ということ)

本を届ける。
ってなんだっけ?

っていう強烈な問い。
菊地さんの姿勢。

僕自身も「暗やみ本屋ハックツ」
を再定義したいと思った。

菊地さんの言葉を借りれば、
「ハックツを再ハックツしたい」っていうことかな。


  

Posted by ニシダタクジ at 10:23Comments(0)日記

2018年11月02日

「リアルメディア」という参加のデザイン

奥井希さんの「流しのこたつ」に初参戦した。


駅ではこんな感じにコンパクト


最初は2人


隣で歌を歌っているおねーさんいます。


東京から1週間前に転勤してきた柳原くんが寄ってくれました


ブルガリア人御一行様も参戦。

いやあ、あれが「流しのこたつ」か~。
昨日集まった人たちは
東京で屋台をやっている吉池くんと
(はじめ、「屋台をやっている」ってどういうことだ?って思った)

舟型の屋台をつくった伏見の港デザイン研究所の林さん。
https://ameblo.jp/fns716/entry-12382242736.html
↑これが伏見マール。やばい。熱い。
こたつとか屋台とかって「リアルメディア」なんだって。

紙メディア
ウェブメディア
ときて、次は里山十帖の岩佐さんのように
「リアルメディア」なんだなと。

あと、吉池くんは、
なんとびっくり僕も敬愛する橘川幸夫さんの「デメ研」
にいるのだという。

橘川さんと言えば、
「参加型メディア」の草分け。
僕は「インターネットは儲からない」の頃からの
橘川さんのファンなのだけど、まさかこんなところでつながるとは。

紙メディア、ウェブメディア、そしてリアルメディアが
循環していることがポイントだと実践者はいう。

流しのこたつは
プライベートとパブリックのあいだの「場」
だと奥井さんは言った。

吉池さんは
屋台をやることで、君も(リアル)メディアをつくれよ、っていうメッセージを
伝えたいって言ってた。

僕が思ったのは、
「リアルメディア」は「参加のデザイン」でもあるなと。

参加型メディアっていうのは
インターネット以降、言われつづけているのだけど、

紙やウェブだと、
発信者と受信者(受け手)は
相互に関係しあっているとはいえ、
分かれている。

そこにきて、
今回のこたつや屋台のようなリアルメディアは、
その「場」を分け合っているという意味において、
発信者と受信者の区別はない。

誰もが発信者であり、同時に受信者になっている。
つまり、もっとも境界があいまいになっている。

たぶんそれなんだ、って。
境界をあいまいにすること。
それが余白をつくり、参加の余地が生まれる。

http://hero.niiblo.jp/e488318.html
「余白」とは、境界をあいまいにして「委ねる」こと
(2018.10.29)

で書いたように、
肌感覚をもったリアルメディアだからこそ、
「参加のデザイン」が可能になるのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 13:52Comments(0)日記

2018年10月25日

「売れること」と「来てもらうこと」



大正大学地域実習37日目。
十日町市での成果報告会。

みなさん真剣に聞いてくださり、
愛のある厳しいツッコミも頂戴しました。

HOMEHOMEの井比さんからは、
水戸部さんと同じく、
「プレゼンにリアリティーがない」とのご指摘。
この4週間で何を学んだのか、伝わってこない、と。

そうそう。
現場のエッセンスをね。
聞く人は大学生の感じたことを知りたいんですよね。

さて。

「リアリティー」ってなんだろう?
って考えてみる。

素敵な質問があった。

「十日町の商品が東京で売れること」と
「買った人が十日町に来てもらうこと」と
どちらを重視するのか?

あるいは

「浴衣を洗ったり、シミ抜きしたりするアフターケアは
どう考えているのか?」

学生たちが考えてなかった視点。

それこそが「顧客は誰か?」
というリアリティーにつながっていく。

木下斉さんのいう、
お客をひとりひとり特定していく
「ピンホールマーケティング」が
必要だと思った。
http://hero.niiblo.jp/e478687.html
(16.4.22 利益と向き合う)

そして、デザイン思考的なプロセス。
顧客のインサイトに迫っていく。
それを補強するものとしてデータがある、と。

http://hero.niiblo.jp/e473850.html
(15.10.23 もし、すべての仕事がアートプロジェクトだったら。)

そういった意味では、
今回の成果報告会そのものも、
「見に来る人は誰で、彼らが欲しいものは何か?」
という問いが必要だった。

コメントでいただいた
「地域の人の姿が見えない」
「リアルで具体的な何かが入っていない」
「グーグルや食べログに載っていない情報を」
「生の声から課題を掘り起こしてつぶしていくこと」
「現役の大学生だからできるという主体性が必要」

まさにこれこそが
実習受け入れ地域が欲しいものなのだ。

僕自身の反省は
そのようなデザイン思考的アプローチについて、
実習前半でもっと学べるようにするべきだったと。

話を聞いてきたこの事業の顧客は誰で、
顧客にとっての価値は何か。

それをヒアリングの際に考えながら聞く。
地域の課題は何で、その人たちはリアルにどんなことを
言っているのか。

「生の声」は
現場でしか聞こえない。

そしてそれを届けること。

タイトルに書いた、

「十日町の商品が東京で売れること」と
「買った人が十日町に来てもらうこと」と
どちらを重視するのか?

というのは素敵な問いだったと思う。

「来てもらうこと」を目指したプレゼンテーションのほうが
「リアリティー」があり、結果として「買ってくれる」商品に
なるのではないかと思った。

購入した顧客のことを考えたら、
浴衣のアフターケアはとても大切な要素なのだろうと思った。

そうやって、
顧客に気づいていくこと。

さて、明日は最後の南魚沼での成果報告会。
作りこんでいきましょう!  

Posted by ニシダタクジ at 06:56Comments(0)日記

2018年10月22日

「ソーシャル」って何?



週末も南魚沼にて。
大正大学地域実習33,34日目。
八海山尊神社「火渡り」、
南魚沼市わかまち会議へ。

その合間に今日から始まる
実習の成果報告ウィークへの準備をする。





夜は恒例の足湯。
昼間のワークショップを振り返って、感じたこと。

去年の今ごろ受けた、
コクリの三田さんのワークショップを思い出した。

http://hero.niiblo.jp/e486023.html
「ツルハシが掘るもの」(17.10.15)

「みんなで何やるか?」
って話し合っても行動は起こらない。
そこにはwhyがないから。

そうじゃなくて、三田さんのワークのように、
一人の根っこを、温泉を探し当てるように掘っていくこと。
温泉(源泉)がwhyにつながり、
そこに「共感」が生まれる。それをみんな応援して
「チーム」ができる。

「コクリキャンプ」とか
「スタートアップウィークエンド」とかって
そういう設計になっているんじゃないか。
だから行動が起こるのではないか。

「ソーシャルなことを始めよう」ではなくて、
「ソーシャル」っていうのはそもそも「みんなでやる」
っていうか1人を補うっていうことなんじゃないか。

だから、三田さんがいうように、
過去の想いの源泉を引き当て、
whyを見つけること。

ソーシャルプロジェクトの生まれ方は、
ソーシャルなことをみんなで考えよう!
っていうのじゃなくて、what,howじゃなくて、

個人の過去から想い(why,for whom)を発掘して、
そこに賛同する人が現れ、プロジェクトが生まれていくのではないか。
そして共感の度合いが高いことをソーシャル度が高いというのではないか。

人生は経営である。

時間という有限な経営資源をどこに投じるか。

それは、効率的かどうか、
ではなくて、心がワクワクするか、
共感しているか。
そうやって起こっていくのではないだろうか。

「なぜ」「いま」「あなたが(わたしが)」
これをやらなければいけないのか。

それを感じられるプロジェクトだけが
力強く始まっていく。  

Posted by ニシダタクジ at 06:35Comments(0)日記

2018年10月12日

にいがたイナカレッジという「問い」

この夏にかかわっていた
大学生向けプログラム
「にいがたイナカレッジ」の参加者レポート。

https://inacollege.jp/blog/2018/10/11/%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B8%E3%81%A7%E8%A6%8B%E3%81%A4%E3%81%91%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%90%E6%A2%B6%E8%B0%B7%E9%BA%BB%E8%B2%B4%E3%80%91/

「即決できなかったのは、1か月という期間の長さ。
夏休みはインターンもそこそこに遊びたかったのが本音です…。
でもこれだと今までの大学生活と何も変わらないような…。

そして、1か月知らない人と知らない土地で暮らすことへの不安。
しかし参加を決めたのも1か月という長さ。
参加してみれば何かを得られるのではないか。変わる自分がいるのではないかという期待。
とりあえず行ってみよう…。悩みに悩んで、自分にとっては大きな決断をしました。」

うんうん。
そうだよね、そうだよね。
1か月は長いもん。

この時間を投資して得られるものはなんだろう?
って考えちゃうよね。

そして、

「釜谷の人が望んでいた冊子(歴史)と自分たちが作りたい冊子が噛み合わなかったとき、要望に応えたい、でも伝えたいことを曲げたくないと迷った時があります。

他の地域で私たちより早く活動をしていたインターン生に、「私たちの地域も同じだった。大事なのは自分たちの伝えたいことを伝えることだと思う」とアドバイスをもらうことができたので、それから私たちは自信をもってときめきを伝える冊子を作ることができました。」

泣ける。
泣けたなあ。

実はこの後にくるラストが超泣けるし、
僕も関われてよかったなあと思うのだけど、
それは本文を読んでください。

にいがたイナカレッジは
きっとそういうプログラム。

コーディネーターの井上有紀さんは、
あの「誇りの空洞化」を叫んだ
明治大学農学部の小田切ゼミ卒業生であり、
ツルハシブックス黄金期の
2015年を作った店員サムライの中心メンバーでもあり、
米屋を通して「暮らし」を届けるコメタクの
立ち上げメンバーでもある。

その系譜がカタチになったような、
そんなレポートだなあと。
すべて、問いでしかないんだって、あらためて感じた。

通常の企業のインターンシップと
明らかに違うのは、「得られる経験」が
明らかではないこと。

1か月という長期間(大学生にとってはかなり貴重)を
田舎で暮らすという投資に対して、
リターンが明確ではないこと。

たぶん、それがいいんだなあと思う。
でも、それって伝えるのが難しい。

どうやって伝えるか、っていうのを考えて、
上記のインターンを大学4年生にレポートしてもらったのがこちら

https://inacollege.jp/blog/2018/10/01/%E3%80%8C%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%99%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E6%97%85%E3%81%AB%E5%87%BA%E3%82%8B%EF%BD%9E%E5%A4%A7%E5%AD%A64%E5%B9%B4%E7%94%9F%E5%B0%8F%E6%98%A5%E3%81%8C%E8%A1%8C%E3%81%A3/

「自分を知る」
それがイナカレッジの価値だと
彼女はレポートした。

そう。
「にいがたイナカレッジ」は問いなんだ。

内田樹さんの
「下流志向」(講談社文庫)と
「先生はえらい」(ちくまプリマー新書)
を読むと、学びとは何かについて考えさせられる。

現代社会において、教育が「お買いもの化」されている。
つまり、最小の投資(努力)で最大のリターン(成果)を得られるように、
というマインドに覆われている。

ところが本来、学びの本質は、
師匠が何をいったかに関わらず、
自分は何を学ぶか、学んだか、
というのが大切であり、それこそが学びの醍醐味なのだと。

これ、インターンシップにも同じことが言えるだろう。

インターンシップ募集サイトには
「得られる経験」が書いてある。
みな、目的をもってインターンをする。
(もちろん、同級生がしているから、みたいな理由もあるけど)

にいがたイナカレッジは、何が得られるのかよくわからない。
だって、田舎で暮らすだけなのだから。

そんなことに
就活前の大学3年生という貴重な時間を投じていいのだろうか?
と思う人も多いだろう。

何が得られるのか?
と不安になる人も多いだろう。
でも、それこそが、思考の呪縛だと僕は思う。

経験も状況も問いでしかないのだから。

昨日、「つなぎ道」の佐藤孝治さんに、
「ご紹介したい人がいます」と言われて、
1時間ほど、ウェブ上でインタビューを受けた。

「ご紹介したい西田卓司さんというすごい人がいます」
佐藤さんの紹介はだいたいこんな感じ。

聞いた人は、
詳細の情報がないから自分で聞き出すしかない。

「この人はすごい人だって佐藤さんが言っているから、
何か聞いて、そのすごさを吸収しよう」

って思っているから、実際に僕は「すごい人」になる。

実はその時、僕は「すごい人」である必要がないのだ。

相手が勝手に「すごい人」だと
思い込んでいてくれさえすればよい。

そう。
佐藤さんの「つなぎ道」も同じく
「問い」だったのだと。

「すごい人」だと紹介することによって、
紹介された人は、その人のすごさを
自分なりに解読しようとする。
それこそが学びの本質なんだ。

現在美術家の北澤潤さんが
デザイナーの仕事は課題を解決することで
アーティストの仕事は問いを投げかけることだと言っていた。

「問い」を投げかけること。

きっとそれが僕のやりたいことなのだろうな。
現代美術家だしね。


※写真はイナカレッジ中間研修(18.9.3)の本屋出店の図  

Posted by ニシダタクジ at 06:40Comments(0)日記

2018年09月26日

「好きなこと」という「点」をいっぱい打っておく

大正大学「地域実習」7日目。
柏崎市小清水集落でカフェなどを
手がける矢島衛さんに話を伺う。


矢島さんの守る神社で話を聞く。




矢島さんと奥様が運営するEALY CAFEの豆カレー。

~~~以下メモ

矢島衛さん:1984年生まれ。東京出身。
2007年大学卒業後、母の実家だった小清水へ孫ターン

百年後まで集落を残す。をミッションに
「ひゃくいちねんかい」を発足。

それが紹介してある柏崎まちづくりネットあいさのウェブもすごい。
http://npo-aisa.com/hero/hyakuichinenkai/

誇りが持てる暮らしをつくる。
集落を元気にする。

念仏を唱えてご飯を食べる、などの風習が
震災による建物の倒壊で中断。
⇒そういう場所必要じゃん

EALY CAFÉ(イーリーカフェ)をスタート
・集まれる、食べられる場所が必要
・情報発信の場として
・気軽に地域外の人が呼べる

※古民家風カフェにはしたくなかった。
この先に何があるのかわからない⇒期待値を超えたい
整えられた空間。
月300名の来店。(村2・市内4・市外4)
地元の人談「若い人ががんばっているのを見るのがうれしい。」

景観が荒れると心が荒れる。
里山:自然と人の営みが一緒になっている空間

田の多面的機能
冬の間は農業できないので酒造りをしている
コメ作りを今年から始めた。
→小清水の酒を造りたい:毎年味が変わる

ワイン:ブドウの出来で9割決まる
日本酒:米の出来では1割しか決まらない
人間によって味が設計できる
その年何があったか?の物語を日本酒で語れる
つらいことがあったら辛い酒
めでたいことがあったら華やかな酒

大学では民俗学を専攻。
小清水集落でフィールドワーク。
「小清水こそ私のふるさと」「孫まで伝えたい」
誇り=自分がやらなきゃ。就活やめて移住。

その年の7月に中越沖地震。
ロウソクの火を見ながら、腹を決める。「この道でいく」

ほかの地域なにやっているんだろう。と視察。
山奥でもお店できるんだ、と。

25歳でIT企業に就職、結婚。

企業では上へ上へひっぱり上げられる
→これが俺のやりたかったことかな?
→集落を元気にする、残す。
→「命削って会社員して、週末だけ地域活動するだけでいいのか?」

集落の田んぼがヤバいから農業法人へ転職。
奥さんとカフェをオープン。

矢島さんからのメッセージ。

好きなことを極めてほしい。
好きなこと=没頭する=努力必要ない
まわりにもいい影響を及ぼす。

「できること」「やりたいこと」「喜ばれること」の
三角形の真ん中につくっていく。

課題に真正面から向き合わない、背負いすぎない。
メインストリーム(主流)じゃない。
⇔亜流であるっていうこと。決まりきってはいけない
使命感でやらないこと。

ハードウェア:小清水
ソフトウェア:東京

物語をつむぐ
好きなこと=点
点と点がつながる。

イノベーション:点と点の組み合わせ
⇒点をいっぱい打っておいたほうがいい
⇒遠ければ遠いほどいい

ポートフォリオワーカー
変態:好きが行きすぎる人

編隊が育つと地方がおもしろくなる。
「あいさ」:変態製造所

変態ツアーをやる。
農家民宿:ツアーが組める
何を食べるかよりも人に会うツアー

ふるさとを複数個もつこと

プレスリリース:
ニュース性、社会性、話題性があれば取材きてくれる。

~~~以上メモ

いやあ、めちゃめちゃ面白かった。
日本酒づくりの話とか変態ツアーの話とか。
僕もやりたいわ、と思いました。

大学生の心に響いたのは、
「好きなことやれ」っていうこと。
好きなことは没頭できるから努力が必要ない。

そうやって「好きなこと」っていう
点をいっぱい打っておくこと。

ジェームズ・W・ヤングは、かつて言った。
「アイデアは既存の要素の組み合わせにすぎない」と。

プロジェクトも、イノベーションも、
いや、もしかしたら人生もそうなのかもしれないと思った。

「好きなこと」に「没頭」して、「点」を打っておく。

後から、スティーブジョブズが言うように
「点」と「点」がつながる(コネクティング・ドット)のだ。

すべての点がつながるわけではもちろんないと思うのだけど、

その「点」が遠ければ遠いほど、イノベーションは大きくなる。
「カケルナニカ」のナニカの距離が遠いっていうこと。

点をいっぱい打っておくこと。
それをあとから振り返って、つなげること。

そう考えると、やっぱり僕の次の一手は
「畑のある本屋」ですかねえ。  

Posted by ニシダタクジ at 08:11Comments(0)日記

2018年09月17日

もうひとつの拠点をつくる

9月15日~17日で
「福島白河にもうひとつの拠点をつくる」合宿を
コーディネートしています。(あまりしていないけど)

東京・新潟・宮城から20代6名が集まって、
「移住」「二拠点居住」をテーマに
福島の地域を、見て、感じて、アウトプットします。

僕の肩書は、
「二拠点キャリアコーディネーター」です。
今回の合宿のためにつくりました。

まずは1日目。
ご当地の白河ラーメンを食べたあと、
白河駅近くのコミュニティカフェ「EMANON」で
青砥さんの取り組みを聞いて、
キーワード「他者」と「余白」、
「やらされる」から遠い場所をつくりたい。
を得る。

その後、聖ヶ岩キャンプ場へ行き、芋煮会。

1日目のハイライトは
参加者の一人が言ってた2つ。

「東京は類友だから、同じような人が集まっていて、
だんだん狭くなっていく。他者に出会えない。」

「好きなことを仕事にする、っていうことは、
そういう人ばかりの集まりになって、やっぱり閉じていく」

へ~。
そうなんだね。
「閉じていく」ことへの怖さみたいなものがあるんだな。
僕にもあるけども。

新潟で本屋をやっていて、
「ツルハシブックスの西田」になっていく怖さと
あとはSNSでおっさんのランチのラーメンの写真を見ながら
俺は死んでいくのか?
って思ったもんなあ。
「二拠点」とかってそういうことなのかもしれないですね。

そういう人に出会って、話をしていく中で、
気がついたことをメモできるって大事かもしれないな。

A6ノートとボールペンとか
参加者全員に渡すのはありかもしれませんね。

キャンプ場は圏外だからデジタルデトックスできるのも
強みだなあと思いました。



2日目は西郷村(にしごうむら)ツアー

朝8時から酪王カフェオレの元となる牛乳をつくっている
「雪割牧場」へ行き、酪農の現場を見る。
ここは、震災後に規模を拡大して、地元の雇用の場となっていた。
酪王カフェオレ(牛乳も)おいしいもんね。



その後、上野農場でジャガイモ掘り。

西郷村は、戦後、開拓された村。
満州からの引揚者を含む全国からこの地に移住する。
だから村の歴史はまだ70年。
「うちのオヤジたちが・・・」
とよく話していたけど、まだ2代目、3代目だ。

なぜ、ジャガイモが特産なのか。
風が強くて、なかなか作物が育たなかった。
だから防風林として松を植え、
その風下に杉を植えて建材とした。
そんな畑。

掘ったばかりのじゃがいもを
地元のお母さんたちが待機している集会所へ行き、
ゆでじゃがと、カレーを作って食べた。
その時に、子育てや地域のリアルな話が聞けた。

午後からは遊歩道を散策。
紅葉したらすごくきれいなんだろうなと思う
場所を地元のガイドさんたちと滝まで歩いた。
こういうときのコミュニケーションって大事だな、と。

そして夜。
地元の方々との交流会。
これがタレントぞろいで面白かったのだった。

ということで、2日目の振り返り。

酪農の現場を見る、に反応していたのは、
大学の時に農業系の団体をやっていたHさん。
全国のいろんな農家さんを見に行きたくて
いったのだけど、酪農家だけはいけなかったのだという。

今回、最新の搾乳機を備えた
規模の大きな酪農業を見たのと、
家業だった酪農を閉業して、
雪割牧場で働いているリアルな話を聞けたりして、
ああ、酪農ってそうなっているんだ、って思えた。

いつも、当たり前のように冷蔵庫に入っている牛乳が
たくさんの人(や牛)の手を通って目の前にあること。
そんなことを実感できたという。

たぶん、みんないろんなシーンで感じることがあっただろうと思う。

体験を通して、「価値」に気づく。
同世代との対話を通して、「大切にしたいもの」を感じる。

それってとても大切なことなのかもしれないなと思った。

まずは五感を開く。
他者と出会い、感じる。
「価値」に気づく。
そして、やってみる。

そういう「もうひとつの拠点」
を、必要としているのではないだろうか。

「移住」は、その人の人生の瞬間の出来事のことだ。
当然ながら、「移住」は目的ではなく手段に過ぎない。

だから、「移住」をゴールにした取組みではなくて、
参加者それぞれの人生にフォーカスし、
その地域の資源(自然資源、人的資源)に出会い、
感性を発動させながら、

自らが大切にしたい「価値」に気づくこと。
同世代との対話の中で、「感性」に自信を持つこと。

生きていくのに本当に必要なのは、
感性に自信を持つことだと僕は思っているし、

ツルハシブックスという実験の価値も
そこにあったと思っている。
(今井さんも井上有紀さんも同じことを言っていた)

「感性に自信を持つ」には、
場のチカラが必要なのだよね、きっと。

誰とやるか
いつやるか
どこでやるか

福島白河。
開拓者の村、西郷村。

この村での様々な体験が、
参加者ひとりひとりの、そして地元の人たちにとっての、
「感性に自信を持つ場」になったらいいなと思った。

それが「もうひとつの拠点をつくる」ことの価値なのかもしれないと思った。

僕自身も振り返ると、素敵なカフェをやっている
主催の青砥さんの感性を信じられると思った。
参加者の顔が浮かんで、いい合宿になりそうな気がした。

この2日間のプログラムやお会いした人たちを思い返すと、
その感性でいいんだなと思えた時間になった。

青砥さん、参加者のみなさん、西郷村のみなさん、
素敵な時間をありがとうございます。  

Posted by ニシダタクジ at 07:02Comments(0)日記

2018年08月29日

システムを俯瞰して見ること

今月23日に発売された教員志望者向け雑誌「教職課程」の
巻頭メッセージ「そうか、きみは教員を目指すのか?」に掲載されています。
なんとリニューアルされたので第1回の#1です!





書店や大学生協、大学図書館などで見つけてください!
報告お待ちしてます!
テーマは「価値出会う」ことについて、書きました。

現代の若者の生きづらさの大きな原因のひとつが、
「価値」そのものが流動化していることだと僕は思います。

学校で教えられてきた(今も教えられている)「価値」が
価値を持たなくなっている。

それはインターネットが、とか、AIが、とか
いろいろ原因はあるのでしょうけど、
そもそも「価値」というのは常に
流動しているものなのではないかと僕は考えます。

だから、都度、「価値」を確認しなければならない。

今日、僕は夜、仙台で
「やりたいことがわからない」の社会学というテーマで
話しますけど、

「あなたの夢は何か?」
「将来、つきたい職業は?」
という問い。

親戚のおじさんが聞いてくる「将来、何になりたいんだ?」
とか、親戚のおばさんが聞いてくる
「あなた、いい人いないの?」(これは若干違うか)

みたいな問いにおける
「価値」はなんだろうか?
と問いかけてみる。

5年後10年後の世界がまったく予想できないのに、
自らの10年後のビジョンを描けと小学生に問いかける学校システムは
どう考えてもナンセンスだと思う。

じゃあ、何のために、(何の「価値」があり)
それを問いかけるのか。

それは管理上の理由なのではないか。
あるいは、「評価」のためである。

進路指導(あるいはキャリア教育)をする上で、
目標を定めなければ、指導は難しい。

目標を決めて、その達成を指導・支援することが
学校的な「価値」であるからではないか。

そもそも、
「目標を決める」ことに価値はあるのだろうか?

価値はないわけではないけど、
「価値がある場合がある」が答えだろうと思う。

あるいは、
かつて、そういう時代があった、かもしれない。

たしかに、工業社会においては、
目標を決めて、達成すること。
均質な製品を早く、大量に生み出すことは
絶対的な価値があった。

ところが、それは産業革命以降の限定された時代にのみ
通用する価値だったのではないか。

そしてその時代と
「学校」というシステムが成立していったのとは
同時期に起こっている。

いま、社会は大きく変わりつつある。
少なくともかつての工業システム(大量生産・大量消費)で
「価値」=経済的価値を生むことはできなくなった。

「価値」が流動している時代、
都度、価値は変化していて、
その価値は、自らが判断・決定するしかない。

だから、教員志望者に限らず、
大学時代にやっておいたほうがいいと僕が思うのは、

「価値に出会う」こと。

学校システムが設定する「価値」とは別の「価値」
が世の中にたくさんあって、
それを自分なりに見つけ、そこを目指していくことが必要だ。

学校システムを否定するわけでは決してない。

しかし、学校システムが設定する「価値」は
「価値」のひとつに過ぎないのだ。

じゃあ。
それ以外の価値に出会うにはどうしたらいいのか。

人に会う
本を読む
旅に出る

多くの人が言ってるけど、僕もこれだろうと思う。
陸奥賢さん流に言えば、「他者に出会う」ことだ。

そうやって、「価値」に出会うことで、
自分がいるシステムを俯瞰し、相対化できる。

そこから、自らが生み出したい「価値」を考え、
その価値の実現に向けて動いていくこと。
たぶんそれ。

さて。
僕は「かえるライブラリー」を実現していきますね。

では、今夜、仙台にてお会いしましょう。  

Posted by ニシダタクジ at 07:48Comments(0)日記

2018年08月10日

「若さ」という機能

「今の大学生っていろいろ考えててすごいなあと。
僕が大学生の時なんて、ただ遊んでいただけで何も考えてなかった。」

トークイベントなどをしていて、最近違和感を感じる発言。
そんなの当たり前じゃんって。

そして、その発言をした人は、
その大学生と同じ地平に降りてないっていうか、
安全地帯から発言してるっていうか、
僕と君は違うから、って予防線を張っているっていうか、そういう感じ。

昔の大学生よりも今の大学生のほうが優れている。
それは、携帯電話と同じだ。

今の大学1年生は、携帯で言えば、
iphone7みたいなもんだ。
最新の機能(顔認識とか)がついている。

そう考えれば、
今の20代半ばの人たちなんて、
iphone3みたいなもんだよ。
もはや化石だよ。笑。

40代な僕らなんて、
大学時代は携帯電話すらなかった時代
(その頃広末涼子がポケベル宣伝してた)

だから、
僕は、若いというだけでむしろリスペクトというか、
その話を注意深く聞いたほうがいいと思う。
今の最新の感性は何にヒットしているのか、
学んだほうがいいと思う。

高校生に至っては、iphone10みたいなもんだから
より鋭くなっているはずだ。
少し年下の世代を見つけて、
説教したくなるとおじさんになったというらしいのだけど、
(それは大学生でもなってしまうらしい)

「若さ」という機能(つまり感性)に
もっと耳を澄ませてみることが大切なのではないかと思う。  

Posted by ニシダタクジ at 09:02Comments(0)日記

2018年08月03日

「少数派である」ということ

少数派であるということ。
それは多数派ではないということ。
その意味でしかない。

少数派は、異常ではない。
多数派が正常ではないように。

でも、不安になるんだよ、少数派は。
多数派はなぜか自分たちが正しいと思っちゃうんだよ。

「学校」っていうシステムは、
「多数派」を作ってきたのではないか。
「少数派」もしくは「ひとり」にとっては
生きづらいシステムを作ってきたのではないか。

「社会」の中においていつも人は、
「アイデンティティ」(自分らしさ)不安にさらされている。

それを、
「多数派」が支配する社会は、

マズローの欲求5段階説が説明するように、
生理的欲求⇒安全欲求⇒所属と愛の欲求⇒承認欲求⇒自己実現欲求

「所属と愛」を会社と家庭で満たし、
(満たすようなシステムをつくり)
人を「多数派」にしてきた。

しかし、いま、その前提が崩れているのだ。

人口が増え続けること。
地方や他国から搾取し続けること。
そのような条件下にのみ、
そのシステムの維持は可能であったのではないか。

だから、
会社や地域といったコミュニティは溶解した今。
承認不安と同時に、所属の不安を感じている。

つまり、マズローの3段階目以降が溶け出している、
とも言えるだろう。
自己実現と、承認と所属が
それぞれを前提とせずに絡み合っている。

この春から自由の身となって、
自分とは何か?という問いを
大学生並みに問いかけている。
過去を振り返ったりしている。

昨日も金沢で20年ぶりに再会した谷内くんと
地域のプラットフォームについて話していて
なんか、1週間ぶりにあったかのような会話で
なんだかうれしかった。




僕は「畑は人と人をつなぐ」と直感して畑をやり、
不登校の中学生シンタロウに出会って問いをもらい、
小学生と神社で遊んだり、大学生の挑戦の舞台をつくったり、
試行錯誤の結果、本屋になった。

やってくる大学生の悩みを聞いて、
また問いをもらい、
その問いを解き明かしたいと大学職員をやってみた。

「やりたいことがわからない」の社会学
がテーマだ。

思想的には、
大学時代に出会った宮澤賢治先生の「芸術家であれ」
というメッセージと
自然農実践家の沖津一陽さんの
「ダイコンがダイコンを全うするように私は私を全うする」と
「小説吉田松陰」に書かれていた野山獄のエピソードでの
「学びあいで希望が生まれる」
が僕の中で大きい。





今回の旅は、
七尾で行われた高校生と大学生の座談会的なものの見学でした。

振り返りの時間も担当させてもらいました。

「予想できた」「予想できなかった」
「よかったこと」「わるかったこと」
マトリクスの振り返りをした。

大切なのは
「予想できなかったよかったこと」で
その人しか知らない(気づかない)具体的なエピソードが
出るということ。

参加者のこの人に、こんなことを言われた。
とか
あの時間にあの子、いい顔してた。
とか

そういうことが出てくること。
それこそがイベントの「価値」なのだ。
そしてそれを出すためには、
ひとりひとりの「顧客」にもっとフォーカスしなければならない。

僕は本屋(本を売っている)であり、
現代美術家として、「本屋のような劇場」をつくっていて、
高校生、大学生、20代社会人といったキーワードでの
場の設計者であったりファシリテーターであったりする。

キーワードは、
「少数派」であり、「ひとり」かもしれないと思った。

多くの人が「ひとり」であり、「少数派」である。
しかし社会システム、学校システムは「多数派」を要求してくる。
そのほうが効率的だからだ。

でもそれって、
「効率的」が価値を持つ時代、社会にのみ有効なのではないのか。
所属の欲求、承認の欲求、自己実現の欲求が溶け出しているいま、

僕は本屋として、現代美術家として、場の設計者・ファシリテーターとして、
「機会提供」を続けていこうと思った。

ある人に、「機会提供」の結果に責任を持たないのことは無責任じゃないのか?

という問われた。
それは少数派だから、そう言われるのではないか。

多数派な学校教育であれ、その機会提供の責任は同程度にある、つまりいずれも責任はあまりないのではないか。

と僕は思っている。

そんな誕生日の朝です。
新しい1年もよろしくお願いします。  

Posted by ニシダタクジ at 05:44Comments(0)日記

2018年07月23日

「働き方」と「暮らし方」

「働き方」が変わりつつある、と言われている。

7月18日(水)
イナカレッジバー@東京・湯島

にいがたイナカレッジ
https://inacollege.jp/
の説明会を兼ねた座談会的なイベント。

大学生の感想コメントを読んでいて、

「暮らしのインターン」という
キーワードが響いたことがわかる。

1人だけ紹介しておくと、
・「暮らしのインターン」という言葉が印象に残りました。
仕事を中心に考えるのではなく、どうやったら自分の幸せを
感じられるのかという「幸せの基準」みたいなものを中心にして、
仕事や生き方を考えるというのが大切なのかなと思いました。

こんな感じ。

「働き方」と同じくらい「暮らし方」が
大切なんだなと思った。

イナカレッジのコンセプト
https://inacollege.jp/about/

「価値観」とか「地域の豊かさ」とか「よそ者」「若者」とか。
まあ、そうなんだけど。
もしかしたら、
「暮らし方」っていうキーワードなのかもしれないな、と。

「働き方」って、何かまだ、正解があるような気がするし、
「これからの働き方」って言われると、
何か今までと違う何かがあるのではないかという気になる。

でも、「暮らし方」って答えないもんね。
自分が何に「価値」を置いて、何を大切にしていくか、
っていうことだから。

言ってみれば、
「暮らし方」の中に「働き方」があるのだと思う。

にいがたイナカレッジが
「暮らしのインターン」だとすれば。
(たしかに、1か月の「暮らし」がそこにはある)

そこで得られるものは、
自分の暮らしの中で「大切にしたいもの」
について考える機会なのかもしれない。

糸井重里事務所の「はたらきたい。」という本で、
最終面接で聞かれる質問として、
「あなたは何を大切にして生きてきましたか?」
というものがある。

それってまさに
「価値観」そのものが問われていて、

その答えによって、
「この人と一緒に働きたいかどうか」が
問われているのだという。

っていうことはさ。

就職活動の前に、まずしたほうがいいのは、

「自分は何を大切にして生きてきたか」と
「自分はこれから何を大切にして生きていきたいか」
という問いに答えることなのではないか。

その一つの視点を、切り口を
「暮らし方」は提供してくれるのではないか。
にいがたイナカレッジは、
それについて考える機会を提供しているとも言える。

20代社会人にとってもそれは同じなのかもしれない。

副業とか複業とか
パラレルキャリアとかナリワイとか
ってさ、

「働き方」の多様化だと言われているけど。

本当に欲しいのは、
デュアルライフっていうか、
「暮らし方」の発見なのではないかな。

二拠点とかフルサトとか
サードプレイスとかって、
「暮らし方」の話で、
それは個人ひとりひとりの「価値観」の問題で、
かつ答えがないっていうこと。

「学びあう」場なのかもしれないっていう。

「二拠点」っていうのも、
東京と地方の学びあいというふうに思えば、
もっと魅力的になるのかもしれないと思った。

たぶん、
そういうのを「本屋」や「ライブラリー」を
参加型にすることによって、
コミュニケーションしていくのかもしれないなあと。

「働き方」から「暮らし方」へのシフトというか、
「暮らし」の中で「大切にしたいもの」をひとりひとりが考え、
そこに向かっていく時代で、
そこに「働き方」が付随してくるのかもしれないなと思った。

たぶん、今年の後半はこのテーマで
活動していくような気がします。  

Posted by ニシダタクジ at 07:59Comments(0)日記

2018年07月11日

これまでの「物語」をつなぎ、これからの「物語」を始めていく









千葉・小湊鉄道・養老渓谷駅。
「逆開発」の現場を見てきた。
駅前ロータリーのアスファルトを剥がし、
10年かけて、森をつくっていくのだという。

「今から5000年以上前、この辺りでは、縄文人が自然との共同生活を始めました。
(中略)われわれ現代人は進化したのでしょうか?」
から始まる説明文。

そして、同じく千葉・鋸南町・道の駅「保田小学校」。
人気・話題の道の駅


教室は宿泊棟に。


調理実習室


カフェ金次郎


おそろしいほどの「保田小」推し


スタッフが着ている「保田小魂」のTシャツも買えます。パンツもある。笑。

一番ビックリしたのが、スタッフが全員「保田小魂」を背負っていて、
(スタッフTシャツなのだろうけど)、
直売所のレジのおねえさんからトイレ掃除のおじいちゃんまでが「いらっしゃいませ」
と話しかけてくるところ。

パンフレットもレトロな雰囲気で、
「道の駅保田小学校だより」って書いてある。

詳しくはこちらから。
https://icotto.jp/presses/10031

コンセプトって大事だなと思った。
山形・郁文堂書店を思い出した。
「リノベーション」とは何か?
問いかけてくる。

保田小学校は、
創立126年の歴史を誇る小学校のリノベーションだ。
小学校が地域に対して果たしてきた役割。
地域をつないでいく何か。

過去=これまでの物語をつなぎ、
未来=これからの物語をはじめていく、
それが「リノベーション」の本質だろうと思っていたけど、

小湊鉄道・養老渓谷駅、
そして、道の駅・保田小学校は
「逆開発」の言葉を借りれば、
里山的な「懐かしい未来」をつくっていくのだろうと思う。

そして何より、このような物語が
職員・住民たちの「誇り」となる。

まあ、保田小学校はちょっとキレイすぎるかもしれないが、
それでも、これからの地域コミュニティの未来を見る上で、
とても学びが多い訪問となった。

「開発」とはなんだろうか?
そこにある「価値」とはなんだろうか。
そして、その先にある「未来」とは。

千葉で2つの物語が確かに始まっていた。  

Posted by ニシダタクジ at 09:44Comments(0)日記

2018年07月02日

「やりたいことがわからない」とアイデンティティ不安

「やりたいことがわからない」
ことがこんなにも苦しいのはなぜだろう。

それはひとえに、
個人のアイデンティティ問題とリンクしているからだと思う。

http://hero.niiblo.jp/e482630.html
「13歳のハローワーク」の呪い(16.11.1)

「職業」こそがあなたの
「あなたらしさ」つまりアイデンティティを規定する。

たぶんこの「呪い」が
「やりたいことがわからない」の苦しさの
源泉にあるのだろうと思う。

そしてそれは、
「コミュニティ」の結びつきの低下、
つまり、地域コミュニティや会社コミュニティ、あるいは部活コミュニティのような
安心感を伴った他者に説明できるアイデンティティを失いつつあることで、
いっそう不安な状態にある。

だからこそ、
「自分が何者であるか?」という問いに答えるために、
「やりたいことがわかる」「将来の夢・目標がある」
ことが必要だと感じているのだ。

つまり、アイデンティティの不安である。

しかし、アイデンティティとは、いったいなんだろうか?
http://hero.niiblo.jp/e485055.html
「アイデンティティ」という音(17.6.13)

アサダワタルさんは
それは、「音」のようなものだと言う。

自分自身の中にあるのではなく、
他者とのセッションによって、
自分の「音」が規定されていく。

ああ、自分が出している音は、
このセッションの中でこういう音なんだ、
って感じることができる。
それがアイデンティティだ。

だから、
個人の中を掘っていっても、
アイデンティティそのものは存在しないことになる。

さまざまな人とのセッションの中で、
さまざまな音を出しながら、
いい音楽をつくっていくこと。

そんな中で、
「音」が見つかっていく。

そしてその「音」はひとつではない。

http://hero.niiblo.jp/e405109.html
「本当の自分」という幻想(2014.4.15)

平野啓一郎さんのいう分人主義のように、
さまざまなシーンで、バンドで、オーケストラで、ジャズセッションで、
自分が奏でる音、求められる音は変化する。
ときにはその楽器だって変わるだろう。

その瞬間に、その音に、「アイデンティティ」が存在するとしたら、
その音を奏でる瞬間をたくさんつくっていくことでしか、
アイデンティティは見つからない。

だからやっぱり、
「やりたいことがわからない」という不安からくる
「自分のやりたいことはなんだろう?」という問いは、
その問い方が違っているのではないかと僕は思う。

いろんな人とセッションしていく中で、
その「音」にたどりついていくこと。
そういうことなのだろうなあと思った。





今日は福島・白河に来ています。

そんな音が生まれるセッションが
地域の中で生まれていくような仕組みとしての
ライブラリーを考えてみたいなと思います。  

Posted by ニシダタクジ at 07:50Comments(0)日記