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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



新潟市西区内野町431-2
TEL 025-261-3188

平日12:00~19:00
土曜 7:00~21:00
日祝10:00~19:00
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2018年04月17日

「評価」と「承認」のあいだ

昨日、
他者評価の檻から自分を脱出させる方法
の第1回だった。

大学生2人のリアルを聞かせてもらった。

人はなぜ、
「他者評価の檻」に閉じ込められて、
あるいは自らを閉じ込めてしまうのだろうか。

キーワードは、
やっぱり「承認欲求」

いまの経済社会は人の「承認欲求」を、
巧みに「他者評価欲求」への
すり替えていくことで成り立ってきたのではないか。
それを可能にしたのが学校教育なんじゃないのか。
そんな問い。

http://hero.niiblo.jp/e485990.html
「承認欲求」と「他者評価」をイコールで結ばないこと(17.10.11)

承認欲求は、根源的欲求であると思う。
つまり、それがないと生きられない、ということ。

それについては
「認められたいの正体」(山竹伸二 講談社現代新書)
を読んでほしいのだけど。

http://hero.niiblo.jp/e480102.html
「自由」と「承認」(16.6.14)

「承認」と「評価」は違うものだと思う。

どちらかといえば、
「承認」は(心理的に)フラットな関係性で起こるのに対し、
「評価」は上下関係によって起こる。

http://hero.niiblo.jp/e467071.html
「ほめるな」(伊藤進 講談社現代新書)

っていう本があるけど、

ほめることは、
その二者が固い信頼関係で結ばれていない限り
「立場を固定する効果」しかない。

つまり、親しくない他者からの「評価」というのは、
立場を固定する効果を高める。

つまり、資本家、あるいは経営者と
労働者の上下関係を強化することにつながる。

それって、
やっぱり、かつて必要だったのだろうなと。
そうしないと、みんなが働いてくれなかったのだろうな、と。

「評価」と「承認」その違いを把握すること。

だんだんと、
他者評価の檻の外形が見えてくる。  

Posted by ニシダタクジ at 07:52Comments(0)日記

2018年04月11日

他者評価の檻の中に入る前に


「暇と退屈の倫理学 増補新版」(國分功一郎 太田出版)

「かつては労働者の労働力が搾取されていると盛んに言われた。
いまでは、むしろ労働者の暇が搾取されている。」

観光・レジャー産業が
労働者の「暇」を争奪している。
たしかにその通りだなあと。

かつての貴族は、
暇を楽しむことができた。

現代は暇=退屈であるような錯覚に陥り、
積極的に「暇つぶし」を行わなければいけないような
脅迫にさらされている。

「休みの日は何をしているんですか?」と聞かれ、
インスタグラムやフェイスブックで
充実ぶりをアピールしなければならない。

その渦中にいると、
そのことにそのおかしさに気付かない。
いや、気づけないのか。

2008年2月から始めた
長期実践型インターンシップ「起業家留学」以来、
(事業準備は2006年12月から)
ツルハシブックスや新潟県内の大学連携事業の企画・運営、
茨城大学のコーディネーターまで、
11年くらい、「大学生」を目の前にして、やってきた。

常に、僕の問いの中にあったことは、
ドラッカー先生の

1 ミッションは何か

であり、
それを意味づける

2 顧客はだれか
3 顧客にとって価値は何か

だった。

4 成果は何か
5 計画は何か
と続いていくわけだけど。

長期実践型インターンシップ事業は、
構造的に優秀な学生しかチャレンジできないモデルだったため、
「彼らは僕のお客なのか?」
という問いが生まれた。

大学連携事業は、岩室温泉や粟島を舞台にした
プログラムによって、2泊3日、3泊4日であっても、
成果を生み出すことは可能な手ごたえがあった。

ツルハシブックスでは、
「やりたいことがわからない」「自分に自信がない」
という多数の学生を目の前にして、
「キャリア教育」に疑問を持ち、

ツルハシブックスで内野町といろいろ仕掛け、
僕なりに手ごたえがあった
「地域活動」の価値を実践したくなり、
現場を大学へと移した。

大学では授業をきっかけにした
地域プロジェクトへの参加・参画を
設計し、実践した。

しかし。
僕が立てた3年半前の仮説は、間違っていた。
「地域活動」そのものに価値があるのではなかった。

地域活動でもっとも大切なのは、
「学校化社会とは異なる価値観の中に身を置くこと。
そして、それを自らの価値観で評価すること。」
である。

そしてそれを大学の枠組みで行うことは非常に難しい。
たとえば、法政大学の長岡先生が
やっているゼミの方式はイメージにすごく近いのだと思う。

キーワードは「越境」。
大学外の様々な活動を経験してきて、
自分なりの言葉でまとめ、他者に発表する。
ブログやツイッターでアウトプットする。

そこから生まれる学び。
それこそが、学び続ける力を生んでくれるだろうと思う。

さて。
そんなのを踏まえて、12年目を迎えている今。

ふたたび本屋というか、本のある空間を軸に、
若者が地域に出ていくプラットフォームを
つくろうと思っている。

まず、最初にやることは、
仮説の検証。

思えば、
デザイン思考的に言えば、11年ものあいだ、
顧客のインサイト(内面)を掘ってきたのかもしれない。

顧客セグメントは、偏差値55前後の地方国立大学へ
不本意入学した学生たちだったのかもと。
何よりも、自分自身がそのひとりだった。

僕自身は、2002年の不登校の中学3年生に出会いが
「顧客」との出会いだった。

そこから16年間
「顧客」にとって価値は何か?
という問いが残り、
それが10代限定の「暗やみ本屋ハックツ」
につながっている。

大学生はどうだろうか。

それを考えたときに、
2017年に出てきたキーワードが
「他者評価の檻」だった。

この3年間は、東京周辺にいたこともあり、
インプットの機会が多かった。
いちばん力を入れたというか、
興味深かったのが、歴史、特に世界史だった。

「キャリア」を考える上で(当然、「学校」も同じだけど)、
近代社会という時代背景
を知ることは不可欠のように思えた。

あまりにも長くなってしまうので、
ここではキーワードだけ。

大学生が他者評価の檻に自ら入り込み、
そのスパイラルの中で自ら苦しくなってしまうのは、

1 時代・社会的背景 キーワード「効率化」
2 地域・家庭的背景 キーワード「価値観」
3 個人・内面的背景 キーワード「承認欲求」

がある。
当然これらは分けられるものではなくて、
密接に関係し合っているのだけど。

1 時代・社会的背景

近代工業社会においての絶対の価値は「効率化」である。
質のいいものをできるだけ早く安価で製造する。
フォードシステムに代表させるシステムの中で、
人々はサラリーマンとして働くことを強制されるようになる。

年功序列・終身雇用も
勤めた人が勤め続けるためのシステムである。
転職されたりすると効率が下がるからね。

学校は社会に適応できる人材を育てるために、
まわりと同じように、同じことをできる人を育てた。

「頭がよい」=「情報処理能力の高い」人を
管理職についてもらうことで、
さらなる「効率化」をはかった。

そして、学校にも会社にも適用できる
他者評価を前提にした評価システムが出来上がっていった。

それに適応する個人は当然
他者評価を前提とするようになる。

2 地域・家庭的背景

「子どもは、「学校・家庭・地域」の
トライアングルをまわすことで育っていく。
地域が弱体化して、家庭も機能しない。
だから、子どもが健全に育たないのだ。」

って。

僕も思っていた。
いわゆる「地域の教育力」である。

いや、それはそうなのだろうけど。
しかし。

「他者評価の檻」視点から見ると、
学校・家庭・地域のトライアングルの意味は、
「異なる価値観が支配する世界に身を置く」
ということではないだろうか。

かつての親父は言った。

「学校の先生の言うことなんか聞くな。
この家では俺がルールブックだ。」
(聞いたことないけど。)

かつての地域の長老は言った。

「祭りに帰ってこれない会社なんて辞めちまえ。」
(NHK朝ドラでありましたね。)

そう。
学校とは異なる価値観が
家庭にも地域にもあったのだ。

もっと言えば、
学校だって、資本主義・工業社会とは
異なる価値を価値として運営されてきただろう。

今や、世の中全体が
学校的価値=資本主義的価値に
一元化された。

「価値観の多様化」と
口では言いながら、それは学校においては
「職業選択の自由」と同義で、
「働かない」という選択肢はあまりない。

3 個人・内面的背景

これは、2013年に
山竹伸二さんの「認められたいの正体」(講談社現代新書)
を読んでから、大きくなってきたキーワード
「承認欲求」である。

本によれば、
「承認」には3段階があり、

1 「親和的承認:ありのままの自分を受け入れてもらう」
2 「集団的承認:集団の中で役割を果たすことで承認してもらう」
3 「一般的承認:社会一般でいいとされることをすることで承認してもらう」

このうち、特に2と3は、
他者からの評価によって得られることもある。

いや。
おそらくは、
この「承認欲求」なるものを
巧みに、「他者評価欲求」にすり替えてきた。

いや、
すり替えなければ、
みんなをサラリーマンにすることができなかったのではないか。

優秀な大学生が公務員を目指すのは、
「安定したい」からではなく、
他者からの承認、つまり評価がほしいから
ではないのか、と思う。

以上、3つの背景から、
大学生は他者評価の檻の中にいて、
その模範囚となるべく、訓練を受けている。

それがどうした?
と言われる人も多いかもしれない。
それが社会だし、それに適応してきたのが人間だろう、甘えんな。
という人もいるかもしれない。

その通りだと思う。

でも、それを知った上でその役を演じているのと、

自分が薄暗い他者評価の檻の中で
ずっと体育座りで苦しさを抱えているのと、
それはだいぶ違うと思うんだよね。

社会がそうなっている以上、
いずれは、他者評価にさらされなければならない。

現代の経済社会において
ビジネスとは、売り上げとは
他者評価とほとんど同義だからだ。

でも。
18歳、19歳の時に、もっと広い世界を知ってみてもいいし、
自分で自分を評価する機会を持ってもいいのではないか。

僕は、そしてツルハシブックスは、
「他者評価の檻から自分を脱出させる方法」を
一緒に考えていくような、
そんな本のある場づくりをしていこうと思います。

コンセプトは、
ローカル・リベラルアーツ・ラボラトリー
日本語訳は
「地域資源を活用した 自由のための学び 実験室」
です。

具体的には、
本を売り、旅に出るきっかけをつくったり
インターンや就職について考えたり、
自分や仲間でプロジェクトを立ち上げたり。

そのときに、
「チューニング」(音合わせ)と
「ミーティング」(や運営方法)と
「ふりかえり」の方法を授けられるような、

そんなプラットフォームをこれからつくります。  

Posted by ニシダタクジ at 07:53Comments(0)日記

2018年04月10日

他者評価の檻から自分を脱出させる方法

「他者評価の檻から自分を脱出させる方法」
を伝えること。

直近の僕のミッションであるように思う。

そしてそれは、
本屋で本を売ることによって、
あるいはインターンを含め地域での様々な活動を
することによって、脱出させることができる。

大切なのは、
「自分が脱出する」ではなくて、
「自分を脱出させる」ということ。

つまり

自分とか、周りの環境を俯瞰して見てみる、ということ。
そこからしか始まらない。
いま、見えている世界が唯一の世界ではないし、
その周りにはもっともっと広い世界が待っているし。

僕たちはなぜ、他者評価の檻の中で評価の奴隷となり、
あるいは模範囚となるように訓練を受けているのだろうか。

それにはちゃんと理由がある。
社会の要請だからだ。

工業社会の利益の源は、「効率化」であり、
そのためには、一元化された「評価指標」
を必要としていて、学校はそれを強いる。
工業社会というシステムに組み込まれるような
大人を育てる。

http://hero.niiblo.jp/e485809.html
「ふりかえり」と「自己評価」(17.9.12)

この日のブログに書いているように、

学校というのは、他者評価を前提とした生き方を強いる。
あなたはできないんだ。凡人なんだ。
だから、努力しなきゃいけない。
努力して、安定した仕事につかないといけない。

それを学校の先生からも、親からも強いられる。
そうやって、「労働者」を生み続けるシステム。
それが学校であり、学校化社会なのだろう。

大学生の「自信の無さ」がどこから来るのか。
それは、「他者評価への依存」からではないか。

他者からどう見えるか?
先生からどうしたら認めてもらえるか?
そればかりを気にして、「評価されるように」行動する。

そうやって、5教科7科目。
「苦手科目を無くしなさい」
と言われた通りに努力して、
言われたとおりにセンター試験を受け、

まずまずの成績を残し、
(自分としては少し不本意な)大学へと進学する。

それが偏差値55~59の
地方国立大学の半数程度の学生の実態ではないだろうか。

彼らは、自分の自信が無いのは、
能力が無い(足りない)からだと思っている。
あるいは、チャレンジが足りないからだと思っている。

もっとチャレンジして、能力を切り拓き、
人から認められて初めて自信がつくと思っている。
それこそが「他者評価の奴隷」だ。

そうじゃないんだ。
他者評価の檻から脱出しよう。

自分の評価は自分で決める。
そんな人生にシフトしよう。

他者からの評価は、
自分の評価のすべてではなく、ごくごく一部に過ぎない。

もちろん、会社に入れば、
「売上」という他者評価を得ることが
不可欠ではあるのだが。

そもそも、前提を疑ってみよう。

他者評価の基準はなんだろうか?
評価される「価値」とはいったいなんだろうか?

それは、「効率化」じゃないのか?
あるいは、「効率化」のために、ひとりひとりを
「奴隷化」することじゃないのか?

それは、いま、この時代に、
果たして価値があるのだろうか?

情報社会、AIの時代に、
モノが売れないと多くの人がぼやいている時代に、
「価値」はあるのだろうか?

それが「社会を知る」アプローチ。

もうひとつが「自分を知る」というアプローチだ。

そうは言いながら、人が
「他者評価の奴隷」になってしまうのは、
いったいなぜなのか?

キーワードは「承認欲求」。

認められたい。
この根源的欲求を満たしてくれるもの。
それが他者からの評価だ。

人はなぜ承認を求めるのか。
そしてそれはなぜ、満たされないのか。

http://hero.niiblo.jp/e485990.html
「承認欲求」と「他者評価」をイコールで結ばないこと(17.10.11)

http://hero.niiblo.jp/e470668.html
「評価」ではなく、「承認」を必要としている。(15.7.16)

いまの経済社会は人の「承認欲求」を、
巧みに「他者評価欲求」への
すり替えていくことで成り立ってきたのではないか。
それを可能にしたのが学校教育なんじゃないのか。
そんな問い。

気づかずに、
僕たちは他者評価の檻の中に入れられ(あるいは自ら入り)、
模範囚となるように訓練されている。

それでいいのか?
と問いかけるのが、本屋としての僕の今年のテーマになると思う。

18歳を他者評価の檻から脱出させる(17.10.10)
http://hero.niiblo.jp/e485980.html

昨年10月に僕が見つけたテーマ。
それをひとつひとつ、対話をしながら
探っていくような、そんなスタートをしたいと思います。
どうかよろしくお願いします。

  

Posted by ニシダタクジ at 21:03Comments(0)日記

2018年04月09日

ツルハシブックス再始動

ツルハシブックス。
法人はあるけど、本屋がない、
そんな本屋さん。
昨日は長岡の2人の理事に会いに来ました。
イケトとゆきちゃん。

ひとまず決まったこと。

5月19日(土)に総会します。

5月6日(日)と20日(日)は
ツルハシブックスとして藤蔵に出店。
5月12日13日(土日)は若栃の菊地くんの結婚披露展に出店。

新潟チームは、
古着屋さんとコラボをはかりつつ。
藤蔵で新刊書店をやらせてもらいつつ。

長岡チームは、
とある本屋さんのリニューアルプロジェクトについて、進めつつ。
高校生、屋台、地域のもの販売的なキーワードで
やっていきます。

あとは、
新規事業としてリリースするライブラリーの
仕組み構築を行います。

やっぱり、
新潟チームの顧客イメージをもういちど考える必要があるかもな、と。
ゆきちゃんの感覚に何かしっくりときました。

新刊書店は、
僕はやっぱり、20代向けに売りたいのだけど、
絵本を売るのもいいなと思ったり。
絵本の卸売とかもありだな、とか。

新刊を仕入れられるっていうメリットを
もう少し出していってもいいのかな、と。

それぞれが顧客イメージを明確にして、
新刊書店をやるのがいいかなと思います。

そうしないと本棚としての面白さは出ないから、
ブログでいいだろっていう話になっちゃうからね。

昨日の夜は、GSシェアハウスで、
パートナーシップとリスペクトについて、
話をしていました。

新たな価値を生み出すのは
ひとりひとりの力の足し算ではなく、
人と人、人と会社、人と地域の「パートナーシップ」であり、

「パートナーシップ」のためには、
そのメンバーに対しての「リスペクト」が必要で、

そのためには、その人のバックボーンとか、
これから進みたい方向性とか、
そういうのをチューニングしなきゃいけないんだなとあらためて。

そういうのがあるからこそ、
ゴールだけじゃなくて、
日々のミーティングが楽しくなるんだろうなって。

この日、この場所、このメンバーでしか
できないミーティングを繰り返して、
そこからのアウトプットを楽しんでいくこと。
それが日常だったら楽しいなと。

5人でしたけど、
久しぶりにツルハシブックス感を感じました。

さて。
再始動しましょうか。  

Posted by ニシダタクジ at 07:48Comments(0)日記

2018年04月07日

「ともに学ぶ」場づくり、始めます

昨日は、中学校の入学式の日でした。
不登校児童から不登校生徒になったウチの子は
この日も楽しく本を読み、絵を描いていました。

さて。
新潟に帰ってきたのは、
新しい学びの場づくりをやろうと
思ったからです。


写真は、2016年7月の魚沼の山でやっていた様子です。

2002年1月、
僕が不登校の中学3年生シンタロウに
出会ってから16年の時が過ぎました。

あのときに降りてきたミッションは、

「15歳が自分と自分の住んでいる地域を好きになり、
自分と社会の未来創造へ歩き出している地域社会の実現」
でした。

いよいよ。
そんなコンセプトに実際に
10代と一緒にやっていこうかなと思います。

宮沢賢治先生の「芸術家たれ」というメッセージと

職業芸術家は一度亡びねばならぬ
誰人もみな芸術家たる感受をなせ
個性の優れる方面に於て各々止むなき表現をなせ
然もめいめいそのときどきの芸術家である
(農民芸術概論綱要より)

吉田松陰先生の「ともに学ぼう」


岡倉天心先生の「東洋も西洋も茶においては平等」というか、
2元論を超えていく、
そんなところに、「学びの場」をつくりたいなと。

参加条件は、
「子ども(子どもなら子ども同士)から学ぼうとする」人。

具体的には、「市(イチ)」をやりたいんだよね。
表現の場としての市。

生み出す価値は、
自ら学ぶようになること。
協同で学ぶこと
プロジェクトで学ぶこと。

苫野一徳さんの
3か条を実現するような場をつくりたいなと。

具体的には、山で小屋づくりをしたり、
まきどき村の周辺で採れるもので何かつくったり。

そんな構想に参画してくれる人がいましたら、
連絡お願いします。

ひとまずは、
20年目を迎えている。
まきどき村を軸にやっていこうかなと思います。



まきどき村は1999年に活動を開始し、
農作業後に朝ごはんをつくって食べる
「人生最高の朝ごはん」をスタート。

2004年から活動の拠点を
地元の人たちがNPOで管理する「旧庄屋佐藤家」
を拠点にして、おもに毎週日曜日に活動。
現在は、移住してきた唐澤夫妻を中心に
漬物や味噌作りなども行っているのだけど。

なんといっても、
まきどき村には、「人を受け入れる」力がある。

農作業をやったあとに、料理をつくって、
囲炉裏を囲んで食べるごはん。
ただ、それだけなんだけど。

僕の現代美術家としてのデビュー作なので、
なかなかすごいコミュニケーションデザインになっている。

まずは、そこから、かな。
これからの「ともに学ぶ場」について、
そこから考えてみようかなと思う。

興味がある方は、
毎週日曜日朝6時~9時半くらいに
活動しています「まきどき村」に来てください。

場所はコチラ
http://sato-ke.neoniigata.com/

※現在屋根葺き替え中。寄付を募集しています!  

Posted by ニシダタクジ at 07:00Comments(0)日記

2018年03月20日

「水戸留学」を終え、フリーランスの現代美術家になります



北茨城市五浦・天心遺跡・六角堂。
明治初期を駆け抜けた美術思想家、岡倉天心。

西洋一辺倒ではない、
東洋的価値があるはずだと。
アジアは、世界はひとつだと。

西洋も東洋もなく、
「まずは茶でも一杯飲もうじゃないか」
と語りかける「茶の本」。
僕の「水戸留学」の出発点がここでした。

太平洋に向かって、
Asia is One と表現した遺跡。
(まあ、仮説ですが)

「ひとつであるということ」(15.10.2)
http://hero.niiblo.jp/e473277.html

そして、何より心に残っているのは、
現代美術家の北澤潤さんとの出会い。

「リビングルーム」と名づけられた場を
つくっていた北澤さんにお会いして、
「デザイン」と「アート」の違いについて、話を聞いた。

「当たり前を揺るがすこと」(15.10.3)
http://hero.niiblo.jp/e473298.html

そして、2015年の末、
REVENDELの熊澤さんに出会い、
2016年4月に茅ヶ崎市美術館でハックツ展
(あなたが未来に託す「想い」展)を開催

アートとは「問い」を灯すことで、仕事とは「手紙」を届けること(16.4.16)
http://hero.niiblo.jp/e478527.html

2016年の後半は、
ツルハシブックス閉店へと向かっていった。

そんな中で出会った本が
「コミュニティ難民のススメ」(アサダワタル 木楽舎)

「まるでCDのコンピレーションアルバムのように」(16.10.24)
http://hero.niiblo.jp/e482541.html

このときに書いてある「3号室プロジェクト」が
2017年4月オープンの新城劇場になり、

出会ったのは「チューニング」という概念と
「余白おじさん」という肩書。

「ミーティング」とは感性をチューニングすること(17.4.23)
http://hero.niiblo.jp/e484576.html
「余白おじさん」(17.5.14)
http://hero.niiblo.jp/e484767.html

最近は、多治見の本屋プロジェクトなどでの
チューニング付のワークショップ「キカクカイギ」
が楽しいです。

無目的性と多目的性のあいだ(18.2.19)
http://hero.niiblo.jp/e486995.html

本日、3月20日は、
ツルハシブックスの7歳の誕生日です。


2002年発行の本「劇場としての書店」(福島聡 新評論)

引っ越しのため本を整理していたら見つけました。
ツルハシブックスの10年前に、
すでに劇場としての本屋というコンセプトはあったんだなあと。

この3月をもって
「水戸留学」を終え、拠点を新潟に移します。
次の仕事は?と、聞かれるのだけど、
ひとまず、現代美術家として、やっていこうかなと思っています。(謎)

そんな不思議なおじさんが
世の中にいてもいいのではないかと。

チューニングのあるミーティング、キカクカイギを重ねながら、
「顧客は誰か?」「顧客にとって価値は何か?」
という問いに挑んでいくようなチーム作りをしたり、
新潟で新刊書店を復活させたり、

学校的価値一辺倒の社会でいいのか?っていう
問いを投げかけるような教育系のプロジェクトを
スタートさせていこうと思います。

デザインとは、課題を解決すること
アートとは、問いを投げかけること
ビジネスとは、価値を生み出し、買ってもらうこと

そんなデザインとアートとビジネスのあいだを
つくる、あいまいな存在でありたいと思います。

僕の出発点は、(いくつもあるけど)
29歳の時に読んだ「小説・吉田松陰」
の野山獄でのエピソードでした。

獄中にありながら、囚人同士で俳句や書道を学びあい、自らは孟子の講義をした。
すると、みるみると皆の顔が明るくなっていったということです。
「共に学ぼう」という松下村塾の出発点がここにあります。

僕はこのエピソードを読んで、
「学びあいで希望は生まれる」ということを知りました。

獄中のような世の中(言い過ぎ)で、
希望を生んでいく一つの方法が、
学びあいの仕組みをつくる、ということで、
そのうちのアウトプットの一つが、
「ツルハシブックス」だったのだろうと思います。

思えば、人生最高の朝ごはんをやっている「まきどき村」も
「豊かさとは何か?」という問いに対してのアプトプットでした。
そういう意味では、
この20年、現代美術家的に生きているのかもしれません。

2018年4月から、
フリーランスの現代美術家になりますので、
各地のみなさんと「問い」を投げかけるプロジェクトを
ご一緒できればと思います。

ツルハシブックスさん、誕生日おめでとうございます!(笑)  

Posted by ニシダタクジ at 08:02Comments(0)日記

2018年03月06日

世の中には二種類のおじさんがいる

世の中には二種類のおじさんがいる。

自分で決めてきたおじさんと
自分で決めてこなかったおじさんだ。

なんか、ドキッとするね。
さっきふと思い浮かびました。



3月4日(日)東京都練馬区関町図書館
暗やみ本屋ハックツ×関町図書館
16:00~17:00のトークイベントに参加。

ニューヨークから帰国するたびに
暗やみ本屋ハックツに参加してくれる
金子さんと館長とトーク。

金子さんが
西野亮廣さんの「革命のファンファーレ」を引用して
言っていたけど、

「スマホと同じで、昔のやつより、最近のやつのほうが性能がいい。
だから、おじさんよりも若者のほうが優れていると考えたほうがいい。」

いや、ホントそうだよ、って思う。

よくさ、バリバリ活動している学生とか
志を語る若者を見て、

「大学1年生なのにすごいね。僕が大学1年のころなんて・・・」

みたいなことを言う大人がいるけど、
めちゃそれって違和感があって。

当たり前ですよ。
若者は、どんどんバージョンアップされて
世の中に出てくるんですから。

その発言って、若者へのリスペクト足りないなと思う。
いま、熱海の本屋プロジェクトで一緒にやっている
とっくんっていう18歳がいるんだけど、
なんていうか、話してるだけで楽しいもんね。
ベクトル感にあふれているし。


「経済成長なき幸福国家論」(平田オリザ・藻谷浩介 毎日新聞出版)

今日の電車朝読書はこの本だったのだけど、
「自己決定力」についての記載が心に刺さった。

オリザさんは兵庫県豊岡市などで
アートを通じて、自己決定力をつけてもらう
という活動をしているのだけど、
こんなことを言っている。
(藻谷さんのコメント含む)

~~~ここから引用

自己決定力なんて自然には育たないんです。
だから義務教育プラス3年間まで、自己決定力を
育てる手助けは行政の責務としてやろうと考えています。
そのあとは自分で考えてもらうしかない。

日本のエリートとノンエリートの区別がナンセンスだと思うのは、
エリートと称しているのに自己決定を一切できない人が
大量に存在することです。

まあそれも当たり前で、何をしたいからというのではなく、
周囲に褒められるからというだけで「いい学校」に入り、
教わった通りになるべく疑問を持たずに暗記し、
東京の「いい組織」に就職した人たちがエリートとされている
わけですから。

つまり自己決定しないほど、東京に集まって
エリートになれるというわけです。

そんな人たちが
大学を中退する、仕事を辞める、地方に移住する、
そういう自己決定した人たちを低く見るとすれば笑止千万でしょう。

国際競争力は暗記能力の競争ではなく、自己決定力の競争ですよ。

大きな組織であれば大きな仕事ができる、と言う人がいますが、
ではその中であなたは実際、日々何を自己決定しているのでしょうか。
あなたがいることで結果が変わりましたか?
党議拘束に従って票を入れるマシーンと化した与党議員のようなことになっていませんか?

~~~ここまで引用

なるほど。
手厳しいな。

そう考えるととっくんなんて、
自分で「これは違うわ」って思って、
高校中退して、飛び級で18歳秋に大学入って、
いまは熱海で本屋開業しようとしているとかって、

自己決定力の塊じゃないすか、すげえよ。
って思うわけです。

じゃあ、その出発点をどうつくるのか?
っていうことです。

オリザさんが芸術でそれをやったように、
僕は「プロジェクト」でそれができるんじゃないか、
と思っている。

メカニズムとしては、おそらく
・学校的価値以外の価値が存在すること=世界の広さを知る
・自分としての価値を問いかけ、実践すること
・それを振り返ることでだんだんと他者評価の呪縛を解く

というふうになるのだと思う。

その時のポイントは、
「顧客はだれか?」
っていう問いだと僕は思う。

このプロジェクトは誰のためにやるのか。
その人にとっての価値はなんなのか?

イベントだったら、
どういう人が来て、どういうコメントを
してもらうと成功なのか。

それを事前に設定して、
そこを目標にしていくこと。

決して、参加者数とか、売上金額とか、
そういうわかりやすい指標に逃げないこと。

そのうえで、イベントした後、
プロジェクト終わった後の振り返りをきっちりすること。
そこには動いた分だけの
「予想しなかった価値」が生まれているはずだ。

振り返り手法の
「予想した/予想しなかった」「よかったこと/悪かったこと」
マトリクスで、予想しなかったよかったことに出てくるコメントだ。
それを踏まえて、もう一度プロジェクトを組みなおす。

そうやって、
「お客」と「価値」を問い続けながらプロジェクトを
遂行していくこと。

その先に、他者評価の呪縛からの自由があると
僕は考えている。

そんな「場」をこれからつくっていく。

世の中には2種類のおじさんがいる。

自分で決めてきたおじさんと
自分で決めてこなかったおじさんだ。  

Posted by ニシダタクジ at 08:35Comments(0)日記

2018年03月03日

「価値」は何か?~二元論を超えて


「21世紀の楕円幻想論」(平川克美 ミシマ社)
http://hero.niiblo.jp/e487063.html
貨幣とメールの共通点(18.3.2)


「公教育をイチから考えよう」(リヒテルズ直子×苫野一徳 日本評論社)
http://hero.niiblo.jp/e486753.html
学力という「単一の指標」は「唯一の指標」ではない(18.1.12)


「ローカリズム宣言~「成長」から「定常」へ」(内田樹 deco)
http://hero.niiblo.jp/e486707.html
松下村塾は塾生募集広告なんか出さなかった(18.1.6)

今年に入って、
特にインパクトのあった3冊
僕、こういう本が好きなんだなあ。

二元論からの脱出。
これすごく大切だろうな。

そのためには、「価値」は何か?
っていう問いを心に刻まないといけないのかもしれない。

それは、リヒテルズ直子さんが
上の本で指摘するように

「学習とは、本来楽しいもののはずです。
これからの社会がますます必要とする
人間のさまざまな創造力や批判的な思考力は、
学ぶことに喜びを感じられる環境の中で初めて
育つものです。

しかし、日本の子どもたちは、
まだ生まれてほんの数年の、幼稚園に通う年齢の時から、
「勉強とは一所懸命励むもの」
「勉強が他人より遅れたら人生に失敗してしまう」
という外からの強制と脅しの中で、

学ぶことの楽しさを奪われ、
生きがいを見出すうえで大切な好奇心を
磨滅させられているのです。

受験で成功することが人生を切り開く第一歩。
学校で落ちこぼれたり受験に失敗したりすることは、
幸福な人生への切符を取り損ねたも同じ。

18歳の若さで、みずからに「負け組」のレッテルを貼って、
自己肯定感とは正反対の精神状態に放り込まれる・・・。
そういう、必要のない無意味な敗北感を持ったまま
大人になっていく子どもが、日本にはあまりにも多すぎます。」

これは本当にリアルだ。
僕が本屋で接してきた大学生には、
勝手に「負け組」だと思っている人が多すぎる。

そして、
「何のために生まれ、何をして生きるのか」
というアンパンマンのテーマをもやもやと考えるのだけど

効率化一辺倒の社会の中で、
「やりたいことがわからない」とつぶやきながら、
ひとまず就職して、気がついたら30歳間近。
本当にそれでいいのだろうか。

会社に勤め続けるか、
辞めてドロップアウトするか。
みんな、二元論だと思っている。

でも、そんなことないんだ。
無数に世界は広がっている。

僕はここ数年。
大切なのは、ドラッカーの5つの質問のうち、
「顧客はだれか?」
「顧客にとって価値は何か?」
だと言ってきた。

もしかしたら、
顧客はだれか?
の前に、

「価値」とはなんだろうか?
とばくぜんと考える必要があるのかもしれない。

たとえば、
僕だったら、大学時代の問いは
環境問題をきっかけを感じた、
「豊かさとは何か?」だった。

そしてそれを言葉ではなく、
「これですよね、豊かさ」って見せたくて、
まきどき村をやったんだと思う。
自分が直感した価値に向かっていくこと。

そこからすべて始まるし、
迷った時はそこに返っていくことだと思う。

いま、自分は価値を生み出せているのだろうか?
この団体は、このプロジェクトは、どんな価値を生み出しているのだろうか?

もちろん、価値を測るには、顧客が必要で、
その尺度のひとつが売り上げであることは
間違いないだろう。

しかし、単純に数値化、言語化できない、
たとえば教育サービスのようなものはどうなるだろう。
中間テストから期末テストまで何点アップ。
資格試験の合格率が〇〇パーセント。
いつのまにか、数値が目的となってしまう。

価値は何か。

そしてそれは、世の中的な価値なのか?
その組織やチームにとっての価値なのか?
自分自身の価値なのか?
そして、それに同意しているのか?

そんな問いが大切になる。

価値に向かっていること。
それがきっと、船の行き先になる。

「差異」こそが価値(18.2.1)
http://hero.niiblo.jp/e486878.html

学びのスタイルのスタンダードは、
世界的にも、歴史的にも、
「寺子屋」方式というか、私塾方式なのだという。

つくっているのは缶詰じゃない(16.4.4)
http://hero.niiblo.jp/e478219.html

伝えたい思い(当然それを伝えることが価値があると思っている)
を、持った人が、そこに集まり、
学校をつくったのがミッションスクールの始まりであり、
その波に吸い寄せられた人たちが
輝いているから、周りにいる人たちがさらに集まってきたのだろう。

そんな私塾をたくさんつくっていくこと。
実は、建物や、固定した場所は必要ないんじゃないかって思う。
プロジェクトでいいのではないかと。

このプロジェクトにとって価値は何か?
を共有するプロジェクトを持っていること。
それは仕事だけに限らない。
地域のボランティア活動でも、
文化祭の出し物でも同じだ。

僕自身は、まきどき村で、「豊かさ」を問い、
地域のじいちゃんたちと一緒に茅葺屋根のための
カヤ刈りをしたときに、価値を感じた。

「虹のひろば」では、昔の遊びというコミュニケーションツールを
使った、地域のお年寄りと子どもたちのつながりに価値を置いた。

起業家留学では「当事者意識」と「価値創造力」
というテーマに価値を置き、
大学生と経営者のプロジェクトをつくった。

ツルハシブックスでは、本屋という場を通じて、
たくさんの「偶然」という価値が起こっていく
ことを目の当たりにした。

「価値」とは何か?

その問いが人生のスタートラインになるのではないだろうか。
そんな問いを提供できるラボラトリーをつくるんだ。

ローカル・リベラルアーツ・ラボラトリー
地域資源を活用した自由のための学び実験室

「価値」を問いながら、
地域資源を活用して、プロジェクトをつくっていく、
そしてプロジェクトだけでなく、自分自身を振り返り、
問いかける場。

これがたぶん僕の次のステージです。  

Posted by ニシダタクジ at 08:09Comments(0)日記

2018年03月01日

価値観的サードプレイス

最近のテーマであるサードプレイス。

機能も書いたのだけど、
サードプレイスじゃなくて、
アナザー・バリュー・スペース

もうひとつの価値を持った「場」
を、人は根源的に必要としているのではないかと。

言い方を替えれば、

場所的なサードプレイスではなく、
「価値観的」なサードプレイス。

たぶんそれは古くは、
「祭」や「宴」という場であったかもしれないし、
旅先であったかもしれない。

そして最近では、「学校」「家庭」「地域」
というトライアングルで子育てをしてきた。
(だいぶ前の話ですけど)

それって、
「家庭」とか「地域」とかが「何を教えるか?」
っていうのが大切なのではなくて、

「学校」と「家庭」と「地域」
異なる価値体系から成り立っているという矛盾
にこそ価値があるのではないかと。

先生の言うことなんか聞くな!
っていうオヤジがいたり、
祭のときに休めない会社なんか辞めちまえ!
と叫ぶ地域のおっさんがいた。

たぶん、それが大切だったんだ。
異なる価値体系の元に自分を置くこと。

いつのまにか、社会全体が、
経済至上主義、学校的価値一色に染められてしまった。

それはおそらく、
「効率化」という至上命題の上のことであったと思う。

小布施町のまちなみ修景事業で、
「栗の小径」をつくるとき、栗の木チップを活用した
レンガを敷き詰めるという案が出たとき、
コストはアスファルト舗装の数倍かかる、という話がでたとき、

「そもそも黒アスファルト舗装の何倍という比較がおかしい。
黒アスファルト舗装は方法のひとつであってそれが「標準」仕上げではない。」
といって、栗の木チップを活用した「栗の木レンガ」を敷き詰めた。
(小布施まちづくりの奇跡 川向正人 新潮新書)

そうなんだよ。
すべて経済社会的学校的価値観で決められてたんじゃ、誇りを持てないんだよ。

小布施町に観光客がリピートするのは、
まさにその「価値観的サードプレイス」が
息づいているからではないだろうか。

場所的サードプレイスから、
価値観的サードプレイス。

そしてそれは場所ではなく、
プロジェクトであっても実現可能だ。

顧客はだれか?
顧客にとって価値はなにか?

という問いを共有する、そんなプロジェクトが
価値観的サードプレイスになり得るし、
それを多くの人は、根源的に必要としているのではないか
という仮説だ。

うん。
そんな感じする。  

Posted by ニシダタクジ at 08:09Comments(0)日記

2018年02月25日

未来を見ながら問いと共に生きる

「向き合わない」
っていうのがテーマになるのかもしれない。

うまく付き合っていく。
そんな感じ。

違和感が問いになり、
問いが仮説をつくり、
仮説を繰り返すことで志にたどりつく。

「問いがわからない。」

それなら、誰かの仮説に身を委ねてみる。
それが「インターン」の意味なのかもしれない。

経営者、特に創業した経営者は、
世の中とのコミュニケーションツールとして、
その会社を運営している。
つまり、仕事は、言語だ。

自分の中の問いに出会うための
もうひとつのパワフルな方法は、
「お客に出会う」ことだ。

この人のために何かしたい。
何ができるか?
という人に出会うこと。

僕にとっては
2002年に出会った15歳のシンタロウくんだったわけだけど。

「15歳が自分と住んでいる地域を好きになり、
自分と社会の未来創造へ向けて歩き出している
地域社会を実現します。」

ツイッターの自己紹介文。
その原点は彼との出会いにある。

これはもうミッションでもあるのだけど、
それはそのまま問いでもある。
その方法はめちゃめちゃあるわけだから。

15歳が自分を好きになるには?
好きになれないのはなぜか?

みたいなところから始まって、

未来創造ってどういうこと?
地域社会ってどのくらいの広さの範囲?
と、いろいろと広がっていく。

僕がツルハシブックス時代に感じていた
「違和感」というか、なぜ?は、
「やりたいことがわからない」
「自分に自信がない」
という相談に来る大学生が多かったこと。

僕が感じていたのは、
現在の夢至上主義的なキャリア教育のあり方という
社会側からのアプローチと、
社会構造の変化に伴う
個人のアイデンティティと承認欲求という
個人側からのアプローチだった。

中越地震ボランティアで感じたのは、
承認欲求が東京から無職の若者を
ボランティアに惹きつけているのではないか、ということ。
山竹伸二さんのいう
「一般的承認」(世の中でよいとされていることをすることで認められる)
がそこにはあったから。

しかし、大切なのは、
かつて家庭で育まれていたはずの
「親和的承認」(ありのままの自分を受け入れてもらうこと)
ではないか。
そしてそれは、地域でカバーできないだろうか?
そんな思いもあって、ツルハシブックスはできている。

新潟市と連携した若者支援のプロジェクトでは、
「ほめる」ことに対する強烈な違和感を感じた。
「リスペクト」とは、「フラットな関係」とは、なんだろうか?
と問いかけた。

大学生の「やりたいことがわからない」「自信がない」問題も、
「学校化社会」などさまざまな要因による
アイデンティティと承認欲求の問題にいきあたる。
それをどうクリアしていくか。

そうやって、
問いに向き合うというよりは、
問いを抱きながら生きるというか、
問いと共に生きてきた。

いまの問いは、おそらく、
この前から出ている「サードプレイス」ではないかな。

「サードプレイス」は本当に必要なのか?
そもそも、「サードプレイス」の機能は何か?
なぜ必要なのか?

そんな問い。

僕としては、これも、承認欲求とアイデンティティの問題に
近くなると思う。

人は誰でも承認されたい。
話を聞いてもらいたい。
そうやって、アイデンティティを形成していく。

http://hero.niiblo.jp/e249757.html
「貢献できるコミュニティがあるという幸せ」(13.3.28)

たぶん、居場所を欲するというのは、
承認される場所を欲しているということ。

親和的承認(前出)ではなく、
集団的承認(役割を果たすことで認められる)
しか学校や職場では得られないので、
親和的承認を満たす場所として、
第3の場所が必要なのではないか。

僕が32歳で教育実習した中学校の生徒たちも
美術部や音楽部が居場所になっているように見えた。

いま、サードプレイスというお題をもらい、
その問いと共に生きている。

それを共にするのがチームであり、
http://hero.niiblo.jp/e485003.html
「チームとは問いを共有すること」(17.6.8)

そんな風にして生きていくことで、
志につながるかもしれない。

なんか、とりとめなく書いてしまった。
また整理します。  

Posted by ニシダタクジ at 08:41Comments(0)日記

2018年02月21日

「顧客」は「過去」にいる

多治見でのワークショップふりかえり第2弾。

あらためて確認したこと。
「顧客」は「過去」にいる、ということ。

http://hero.niiblo.jp/e463169.html
(キャリアドリフトのゴールは、顧客に出会うこと 15.2.15)

http://hero.niiblo.jp/e476591.html
(キャリアドリフトのゴールは、「お客に出会う」ということ 16.1.28)

ぼぼ同じタイトルのブログ書いてる。笑


「経営者に贈る5つの質問」(P.F.ドラッカー ダイヤモンド社)

経営の神様、ドラッカーは問う。

1 ミッションは何か
2 顧客はだれか
3 顧客にとって価値は何か
4 成果は何か
5 計画は何か

この5つの質問に答えることが
「経営」にとって不可欠である、と。

僕は知らないうちに、
顧客はだれか、っていうワークショップを
やっていたように思う。

過去を振り返り、未来を語る。
そうやって、「顧客」を探していく。

そういうワークショップをやることで、
チーム作りも同時にできていくんじゃないか、と思いました。

つづきます。  

Posted by ニシダタクジ at 07:23Comments(0)日記

2018年02月19日

無目的性と多目的性のあいだ



「世界時計」がシンボルだった、
多治見駅の近く、旧ワタナベ時計店の
リノベーションプロジェクト。
まちの中心に本屋さんがなっていくような、
そんなプロジェクト。

今日もミーティングが楽しかった。

ちょっと振り返り。
13:00 ワタナベ時計店前に集合
名前、所属、最近食べたおいしかったもので自己紹介

13:05 まち歩き~多治見市立図書館
図書館に人が集まっている様子を見る

13:25ころ 企画会議第1ターム@まちづくり会社会議室
いきなり本題。
「あなたはなぜ、ここにいるのか?」
今日の参加動機、あるいは未来に作りたいもの、で自己紹介。

14:10ころ 第2ターム
「もし、それが本屋であるとしたら、それはなぜか?そしてどういう場所か?」
みんなが思う、「本屋」や「場」への思いを語る。

14:55ころ 休憩

15:00ころ 今後のスケジュール、ネクストステップ確認
旅に出る大学生は、「特派員」名刺を渡し、レポートしてもらう。
教育系の大学生は、3月中旬に「マーケティング合宿」を行い、
高校生のサードプレイスについてリサーチする。

16:00 多治見発の快速に乗る。
っていう感じの3時間。

めちゃ楽しいミーティングでした。
「チューニング」するミーティングでした。

「あなたはなぜ、ここにいるのか?」で過去といまの関心を語り、
「それが本屋であるとしたら、なぜか?どういう場所か?」
っていうことで、未来とミッションを語るというセットになっていた。

特に2つ目のそれが本屋である理由の
ワークは聞いていて、トリハダが立つほど面白かった。

昨日出てきた本屋のコンセプトは、
「何かを探している人が集まる本屋」
これをプロジェクト名に仮で入れておく。

そうそう。
本屋ってそういう場所だよ。

工藤直子さんの「あいたくて」を思い出す。

あいたくて 工藤直子

だれかに あいたくて
なにかに あいたくて
生まれてきたー
そんな気がするのだけれど

それが だれなのか なになのか
あえるのは いつなのかー
おつかいの とちゅうで
迷ってしまった子どもみたい
とほうに くれている

それでも 手のなかに
みえないことづけを
にぎりしめているような気がするから
それを手わたさなくちゃ
だから
あいたくて

(工藤直子詩集『あ・い・た・く・て』 より)

何かを探している人たち。
そんな人たちが本屋に集まる。

本屋に「何か」(それは本ではないかもしれない)
を探しに来て、
そしてまた、「何か」を探しに、まちに出ていく。
次の人生へ出ていく。

きっと本屋っていうのはそういう場所なんだろうな。

ふたたび
「サードプレイス」について考えさせられた。

多くの人にとって、「サードプレイス」とは、
「無目的に」行ける場所のことだった。
たぶんそれがすごく大切なのだろうと思う。

僕は九州の武雄市図書館に行った時の、
上から図書館を眺めたあの光景や、
ツルハシブックスがにぎわっているときに、
2Fの階段から1Fを覗き込むのが好きだった。

「いろんな目的の人が同じ空間を共有している」
ことが僕にとっては心地よいのだ。

そんな、無目的性と多目的性のあいだ。
それは決して、「単一の目的」ではない、
そういうあいまいな空間。

そこにこそ、
探している「何か」があるような気がする。

まあ、あくまで「気がする」だけなんですけどね。  

Posted by ニシダタクジ at 08:27Comments(0)日記

2018年02月14日

サードプレイスは、見つけ出す場所

昨日のブログ
「サードプレイスは本当に必要なのか?」
の反応にインスパイアされた。

中高生にとっての「サードプレイス」は、
与えられた場ではなく、探し出す場ではないのか?
という問い。

そこから考えた。

そもそも、「サードプレイス」は、
一般化された概念ではあるけれど、
ひとりひとりにとっての「サードプレイス」とは、
あくまで、その人にとってのパーソナルな「サードプレイス」であり、

みんなにとっての「サードプレイス」、
しかも場所として認知されうる「サードプレイス」
というのはあり得ないのではないか。

それは、「居場所」問題や
「アイデンティティ」問題とも関わってくるのだけど、

静的な「居場所」と動的な「場」
「プレイス」と「プロジェクト」

たぶん、その両方が必要なのではないかな。

いずれにしても、
みんなが「サードプレイス」だと思う
「サードプレイス」というのは存在しないので、

ひとりひとりが、自ら
「サードプレイス」も「サードプロジェクト」
も見つけ出していかなければならない。

「プロジェクト」にしても、
成果にフォーカスし過ぎるのではなく、
ひとりひとりにフォーカスしたミーティングを行っていくこと。
つまり、チューニングを行うこと。

ミーティングとは感性をチューニングすること(17.4.23)
http://hero.niiblo.jp/e484576.html

そうやって、プロジェクトが
その人にとって「サードプレイス」化してくるのかもね。

なるほどなるほど。
だんだんつながってきますね。

サードプレイスは、提供される場ではなく、
見つけ出す場、勝ち取る場、創り出す場
なのだと思います。

たぶん、
その見つけ方、勝ち取り方、創り出し方、
そんなのを一緒に考えていけたらいいなと思います。  

Posted by ニシダタクジ at 08:15Comments(0)日記

2018年02月13日

サードプレイスは本当に必要なのか?

問いが近い人と話をするのは楽しいなと。

昨日の大テーマは、
「サードプレイスは本当に必要なのか?」

暗やみ本屋ハックツ
http://www.hakkutsu.info/
で出会った人たちの何人かは、

「自分が中学生の時にこんな場所があったら。」
っていう。

でもさ、それって、
中学生の時は自覚していないんじゃないか、って思う。
「サードプレイス」っていう概念がないからね。

学校と家庭しか「世界」がない。
っていうのは本当にそうなんだろうけど。

そして、
ツルハシブックス閉店で僕が学んだこと。
それは、「居場所のジレンマ」とでも
いうべきものだった。

居心地のいい場所は、たくさんの人の「居場所」になり、
その場にいる人の一定数以上がそこを「居場所」化すると、
それは一見さんやほかの人にとって
居心地の悪い場所になるというものだ。

ここから脱することができず、
ツルハシブックスは閉店した。

そこで思ったことは、
「集まる場」は同時に「始まる場」で
なければならないのではないか、というのと、

言語コミュニケーションだけではなく
非言語コミュニケーションの要素が必要なのではないか、と

本を置いているのならば、
その本を随時入れ替え、「空気」を一新する
ことを定期的にやらなければならないのではないか、ということ。

まあ、それを前提として、
昨日の話へ。

「サードプレイス」は、
米国の社会学者レイ・オルデンバーグが提唱し、
スターバックスコーヒーがキーコンセプトとして
世界に広まっていったのだけど。

第1の場所(自宅)、第2の場所(職場・学校)でもない
個人としてくつろぐことのできる「第3の場所」という意味。
これを、社会教育系の人たち(つまり学校教育ではないNPOとか)は、
非常に重要視しているように思う。

しかし、
「サードプレイスは本当に(中高生に)必要なのか?」

という問いを立ててみると、
サードプレイスというプレイス(場所)が
必要なのではないのではないか?と思う。

たとえば、
体育会系の部活動や生徒会や、高校の文化祭
みたいなやつは、サードプレイスではないのか?

そう言われると、
「サードプレイス」というのは、特に高校生にとっては、
特段に重要な概念ではないのではないか?
というふうに思えてくる。

ここで、このブログに何度も登場している
川喜田二郎氏(KJ法生みの親)の言葉を。
http://hero.niiblo.jp/e468419.html
(帰る場所、ふるさとをつくる 15.5.14)

「ふるさととは、子どもながらに全力傾注して
創造的行為を行った場所のこと。」
(「創造性とは何か」川喜田二郎 洋伝社新書より)

そっか。
体育会系部活も、生徒会も、文化祭も
それが「全力傾注した創造的行為」ならば、
そこは「ふるさと」になりうる。

そしてそれこそが、
高校生にとっての「サードプレイス」の実態なのではないか。

つまり、大切なのは、
「プレイス」ではなく、「プロジェクト」なのではないか。
というのが昨日の仮説だ。

「サードプレイス」から「サードプロジェクト」へ。
そんなことが重要なのではないか。

だからこそ、「屋台のある図書館」に価値があるのではないか。
http://hero.niiblo.jp/e474463.html
(誰のための図書館? 15.11.14)

僕はそれが、
「本のある空間」を起点に起こっていくと思っている。


2月10日、古本詩人「ゆよん堂」EXPO@ウチノ食堂「藤蔵」で
山田正史が言っていた。

「1つ1つの本がドアだ。どのドアを開けるか。それが本屋なんだ」
って言っていた。

そうそう。
それだよね。

本を売っているんじゃなくて、
ドアを売っているんだよね。

そんな空間で、その日に出会って人に誘われて、
うっかりプロジェクトに関わってしまうような、
そんな空間をつくること。

昨日のハイライトは、
「数学の前では子どもも大人もない」

もちろん、この「数学」には、
「本」とか「プロジェクト」とかも入るのだけど、

つまり、「学び」の前では、大人も子どももない。
それこそ、吉田松陰先生が野山獄で実践したことではないか。
学びの前では、罪人も聖人もないのだ。

そんな空間、そんなプロジェクト。
そんなのが無数に生まれていくような、「場」。

たぶんそれが僕が
「本のある空間」で実現したいことなのだろうと思った。

「サードプレイス」から「サードプロジェクト」の生まれる「場」へ
その「場」は制的な場所ではなく、動的な「場」であるような気がしている。

なんだか、楽しくなってきました。
いい対話をありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 08:40Comments(0)日記

2018年02月07日

ミライ会議のつくり方

2月4日「若松ミライ会議」@常陸多賀をやりました。

ミライ会議は、
「過去」の振り返りから始まります。
なぜなら、
「顧客」は過去にしかいない、からです。

経営に必要な5つの質問。

1 ミッションは何か
2 顧客は誰か
3 顧客にとって価値は何か
4 成果は何か
5 計画は何か

今まで(今も)、「未来会議」「作戦会議」と言いながら、
成果と計画だけを話し合ってきました。

でも、経営に大切なのは、
それよりももっと、
なぜやるか?
誰に向けてやるか?
生み出す価値は何か?

ということです。
だからこそ、まずは過去を掘っていくことが必須です。

15分の人生モチベーショングラフ記入。
3分のプレゼンテーション。
これを全員繰り返します。
そこが出発点になるからです。

次に、未来を描きます。
自分たちが考える「価値」は何か?を考えます。
未来日記を書くのもいいでしょう。
大切なのは、そこに「お客」が登場しているということです。

「過去」の振り返りで見つけた「お客」。
それをどのように幸せにしていくか?
お客にとって価値はなんだろうか?

これが、通常の「ペルソナ設定」と違って、
よりリアルになります。
実際に出会った人なのですから。

もし、過去を振り返っても、
そういう人が思い浮かばなかったら、
ひとえに経験が足りないか、
日々、感性を発動させていないということではないでしょうか。

「違和感」「危機感」「使命感」
っていう3つの勘違い(昨日のブログ参照)
を発動させていくこと。
そして、価値を問うこと。

一つは社会(地域)ベースで。
もう一つは、個人ベースで。

たとえば、
大学生が企業に数か月コミットする「インターン」ではなくて、
大学生に限らず、社会人も参加できる「プロジェクト」をつくっていく。
そうすれば、企業は、即戦力的なチームができるし、スピード感がある。
地域にとっても、若者がネットワーク化して、新しいことが起こる環境ができる。

個人にとっては、プロジェクトメンバーとしての経験というか、
0から1をつくる経験ができる。
大学生にとっては、社会人と一緒にチームを組んで、
何かに取り組むことができる。

そして何より、そこに、志向性の近い「仲間」というか
ウォンテッドリー仲さんの言葉を借りれば、
「トライブ」が手に入る。
http://hero.niiblo.jp/e485916.html
(就活を再定義する 17.9.29)

たぶん、そういうこと。
本屋も、「コミュニティ」ではなくて、
「プロジェクト」をベースにした「トライブ」をつくっていくこと。
そんなことが可能になるのではないかと思った。

そして、そこで集まったメンバーを
チームにするために、ミライ会議をしっかりとやる
っていうことなのかもしれないね。
そんな文化をつくっていきたいかも。

僕自身も、
過去を振り返って、考えてみると、
根源的欲求の中に、現代美術家的な
「問いを投げかけたい」っていうのがあるんだよな、って。

「まきどき村」のネーミングは
種の袋に書いてあるカレンダーの
種を蒔くタイミングを表記した
「まきどき」(たとえば4月中旬~5月上旬)
なのだけど。

あの時は完全な勘違いで、
「今、種を蒔かないと、
このまきどき村という種は花を咲かせたり、
実をつけたりしないんだ」っていうことだった。

しかし、本質的には、
まきどき村は「豊かさとは何か?」
っていう問いをカタチにしたものではないかと思った。

ツルハシブックスは、
「偶然」という価値について、
(いわゆるキャリアドリフトなど)
本屋という形態を通して、
問いかけているものだし、

コメタクは、
「米を炊く暮らし」を通じて、
好きな米屋で米を買うこと、
余白の大切さについて問いかけているし。

そう考えると、
次は、本丸である、「学校」(大学も含む)
を問うことなのかもしれないな、と。

2002年に不登校の中学3年生の家庭教師を
したときからの問いを
今こそ、表現する瞬間を迎えているのではないか。

そんなことを僕自身は考えた
ミライ会議でした。  

Posted by ニシダタクジ at 08:23Comments(0)日記

2018年02月02日

100冊、お願いします。

「本屋じゃない何か」の話を今日はセンジュ出版でします。

僕には、売りたい本があります。
たまに、「売らなければいけない本」に出会います。

そう言えば、
僕の業界人(?)としての出発点は、
サンクチュアリ出版の本に出会ったことでした。

1998年11月。
設立者の高橋歩さんが、社長を引退し、
世界一周新婚旅行に出るというタイミング。

僕は夜に東京都北区王子のバー「狐の木」で行われた
農学部系の学生・社会人の集まりに行ったのでした。

たしか旅の途中だった僕は、
午後早めにお店についていて、
地下にある「王子小劇場」で
お芝居を見ることになっていました。

その時の情報源は、
「20代サミットメーリングリスト」

PCを持ち歩いて、
公衆電話のダイアルアップ回線で、
メールを受信して、
みたいな旅をしていた僕に、熱いメールが飛び込んできてました。

「20代、熱くなって時代を駆け抜けろ」

ストレートだな。(笑)

当時、坂本龍馬的な生き方にあこがれていて、
その夏には桂浜での野宿も敢行した僕にとっては
どストライクなイベント。
これだ!と直感して、イベントに参加しました。

その主催がサンクチュアリ出版で、
高橋歩さんを含む5人のゲストが
お芝居の後にトークをする、という企画でした。

僕の会は、
のちに映画監督になる軌保博光(てんつくマン)さん

あの時に配られた小冊子
「クロスロードジェネレーションブック」
(サンクチュアリ出版が名言集「クロスロード」刊行に合わせて発行した小冊子)

僕は帰りの新幹線でこの冊子を読んで、
涙が出るほど衝撃を受けて、
「この本を新潟で配らなきゃ」と思って、
サンクチュアリ出版に電話した。

「この本を100冊、送ってほしいんですけど、いくらですか?」
「えっ。100冊ですか?」
「はい。100冊、お願いします」
「ホントは300円なんですが、200円でいいですよ。」

という会話を経て、
僕は20000円を振り込み、
クロスロードジェネレーションブック100冊を手に入れた。
もう20年も前の話。

でも、この時の「配らなきゃいけない」
っていう謎の使命感というか、おせっかいな気持ちって
今もあるよなあと思った。

結局本屋ってそういう衝動の積み重ねを
カタチにすることなのかもしれないですね。  

Posted by ニシダタクジ at 07:43Comments(0)日記

2018年02月01日

「差異」こそが価値

人と違うこと。
人とというか、多数と違うこと。
差異こそが利益の源泉である。

均質なものの供給こそが価値だった
時代があった。

歴史を見ないと、いま起きている現状が、
当たり前のように思ってしまう。

「終身雇用、年功序列」
は日本が高度成長していた時に大いに機能した。

なぜ、機能したか。

求めるスペックが近かったし、
そして何より、転職というエネルギーは、
本人にとっても、社会にとっても、大きなコストだったから。

供給システムとして
機能したのが学校であるし、「学歴社会」だった。
均質な人を「輪切り」にして、管理者と非管理者に分ける。
それはもっとも効率的な生産システムだった。

学びの場の歴史的スタンダードは、
日本でも例外ではなく、
「寺子屋スタイル」であると言われる。

「場」に人が集まって、各自が学んでいる。
そこに分からないことが出てきたとき、
師匠の出番がやってくる。

いま、web上にも良質なコンテンツがあふれている。
そんなときに、「学校」という「場」が果たすべき役割とはなんだろうか?

各教科の勉強なのだろうか?
それとも集団生活なのだろうか?

それは何の役に立つのだろうか?
いや、そもそも、「それは何の役に立つのだろう?」
という問い自体が学びのお買い物化を体現しているのではないか。

「学び」というのが、一人前の「社会人」を育てるものだと仮定して、
学ぶべきものとはなんだろうか?


「公教育をイチから考えよう」(リヒテルズ直子×苫野一徳 日本評論社)

この中で、苫野さんは、
学びの「個別化」「協同化」「プロジェクト化」
を繰り返し説く。

学校という「場」は、
特にその協同化・プロジェクト化の拠点になる役割があると。

僕はこれは、
学校ではなくて、図書館や本屋、ブックカフェの
役割なのではないかと思う。

学校という均質集団では、プロジェクトに幅が出ない。
「地域」という不確定要素があることで、
おもしろいプロジェクトができていく。

そして、そこには、ビジネスというか、商売、
「小商い」と呼べるようなものがあると、
さらに面白いと思う。

商いには、ゴール(目標)があり、
それがそのプロジェクトに目的地を
与えてくれるから。

そして、その際にも、
「このプロジェクトは何が違うのか?」
という問いが必須となってくる。

差異こそが価値の源泉である。

そんなことを子どもたちに伝えられる
プロジェクト基地のような本屋や図書館をつくっていくこと。

それ、やってみたいわ。  

Posted by ニシダタクジ at 08:03Comments(0)日記

2018年01月31日

つまらない企画は、「会議」から生まれる


「圏外編集者」(都築響一 朝日出版社)

いまごろ読み始めております。

「つまらない雑誌は、編集会議から生まれる。」
って。

~~~ここから引用

取材は「おもしろいってわかってる」から行くんじゃない。
「おもしろそう」だから行く。
だれかが取り上げたものは、それなりに内容がわかっているけれど、
だれもなってないものは「ほら」って見せることができない。

うまく記事にできるかどうかわからない。
でも、おもしろそう。だから行く。
そういうこと。
会議には基本的に合わない仕事なのだ。

けっきょく会議っていうのは、「リスクヘッジ」でもある。
みんなで決める。だから、それがもし失敗したとしても、
「みんなでいいって言ったよね。」みたいな。
それはある意味で、集団責任回避システムにすぎない。
そんなことしているあいだに、ネタの鮮度はどんどん下がっていく。

~~~ここまで引用

いや。
そうなんだよね、ほんとに。

大きい組織のつらいところはそこだね。
「おもしろそう」っていうのでは行動はできない。

でも、おもしろい記事は、
「おもしろそう」って思った「誰も書いていないネタ」
に転がっているのだ。

まずやってみる。
「おもしろそう」だから。
それくらい感性を信じてもいいなと思う。  

Posted by ニシダタクジ at 07:59Comments(0)日記

2018年01月05日

「生きてる感」がどこから来るのか?





新幹線が見えるスタバ@東京駅。
好きなんですよね。

https://medium.com/be%E3%81%AE%E8%82%A9%E6%9B%B8%E3%81%8D-%E6%8E%A2%E7%A9%B6%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%89

1月4日になってしまいましたが、
兼松さんのBEの肩書ワークをやってみました。

ホントは1年じゃなくて、3年を振り返りたかったのだけど、
1年仕様になっていたので、1年でやってみました。

これ、面白い。
Do(やったこと)の下から、
Be(どうあったか、ありたいこと)が見えてくる。

わたしのユーダイモニアのタイトルは
ある「衝撃好き」の1年。(笑)

1年間を振り返ると、
「シビれた」とか「衝撃を受けた」とかいう
言葉が多く出てくるもんだなと。

そして、それこそが自分自身が
「生きてる」感があるんだなとあらためて思った。

2017年を4つに分けてみる(強引に)

1~3月 「近代」への疑問

1月、未来食堂小林せかいさんに出会い、
お店はもっと「コミュニケーション・デザイン」できると感動し、
2月、西村佳哲さんと山口覚さんに出会い、
これからのキャリアのつくり方としての「キャリア・オリエント」を構想した。
3月、「日本人というウソ」と「日本人は何を考えてきたのか」
っていう2冊の本から、「近代」という時代への疑問が湧いた。

4~6月 ミーティングをエンターテイメントに

4月、新城劇場がスタートし、ミーティングのファシリテートをすることになり、
「チューニング」という概念を見つけ、実感した。
5月、法政大学長岡ゼミ「カフェゼミ」でつながるカレーの加藤さんの話を聞いて、
「予測不可能性」というエンターテイメントの神髄に気付いた。
5月、碇さんからインタビューを受け、心を開くデザインが得意なことを引き出され、
「余白おじさん」というネーミングをもらった。

7~9月 「問い」を生みたい

7月、アルプスブックキャンプで藤本智史さんのトークを聞き、
「その日、その瞬間、自分でしか書けない記事」の魅力に気づき、
大学生の価値について新たな発見をした。
8月、藤原印刷・藤原章次さんに出会い、
「それって作品って言えるのかな?」に衝撃。
9月、郁文堂書店(山形市)に出会う。
原田さんにお茶を入れてもらって感動。
リノベーションって、魂・想いを継ぎながら時代に合わせていく手法のこと
9月、まがりブックスをスタート。
「まがり=間借り」というコンセプトはコミュニティや就職にも使えそうだ。

10~12月 「本屋」じゃない何か

10月、9月につづいて、20代へインタビュー。
「他者評価の檻を脱出させる」という使命に気づく。
12月、まちライブラリー礒井さんに、
「本屋とか図書館とか言ってるやつは、、、」と言われる。
12月、立て続けに「本屋やりたいんだ」と言われる。
12月、ポーランド芸術祭にエントリーして落選するが、
プロフィールを「現代美術家」風に書き直して、自覚が出る。

っとまあこんな感じ。
これにBEの質問に答えていく。
(リンク参照)

そして出てきたBEの肩書。
DOの肩書→BEの肩書

現在美術家→「場」や「仕組み」を通じて、問いを投げかける人
衝撃を受け、構想し、行動する人。
「自分で考える人」がフラットな関係性の中で生み出す未来を実現する人

ワークショップ・ファシリテーター→場をデザインする余白おじさん
「場」をつくることで、言葉じゃなく伝える余白おじさん。

本屋→「本屋じゃない何か」屋
「場」で楽しそうにしている人を見ていると幸せな人

キャリアのつくり方研究家→鎖はずし人
10代・20代を他者評価の呪縛から解き放ちたい人

と、こんな感じで、
4つのDOの肩書から
4つのBEの肩書が見えてくる。

あれ、これって関連してるかも。
ってすこし思った。

場をつくりながら、
ゆるいファシリテートしながら、
問いを投げかけること。

一番のお客は、
「他者評価の呪縛」に気づかないうちに縛られている人たち。

なんかなんか、見えてきました。

つづく、ですね。

ワークをやってみて、
一番大切なのは、
自分は「生きてる感」をいつ感じているのか?

っていうこと。
それがBEの肩書に近づいていく
自分の「ありかた」なのだろうなとすごく感じた。

兼松さん、素敵なワークをありがとうございます。  

Posted by ニシダタクジ at 08:18Comments(0)日記

2017年12月22日

もし、このプロジェクトが「アートプロジェクト」だとしたら

昨日は、
武蔵新城で川崎市とコラボした
ブックフェアのミーティング。

「多様性」「つながる」「メッセージ」をテーマに、
「次世代に残したい本」の展示を行い、
ガラスにはキットパスで絵を描く。

オープン時間の相談で、
展示のお客は誰か?
という話になった。

そうそう。
それそれ、めちゃ大事。
「お客はだれか?」っていう問い。

今回の企画のポイントは、
単なる図書館や書店の「おススメ本」を並べる絵本展示でななくて、
「次世代に届けたい本を1冊選ぶとすればなんですか?」
という問いを投げかけていること。
その「問い」部分が大切なのだなと、あらためて。

あと、自分自身で一番ビックリしたのは、
「僕はさ、アーティストだからさ」って照れることなく、
普通に話し始めていたこと。
ああ、おれ、アーティストなんだって(笑)

落選しちゃったけど、
ポーランドのアーティストインレジデンスに
応募するときに、「現代美術家」風にプロフィールを
書いてみたのだけど、

まきどき村とかツルハシブックスとか、
やっぱアートかもしれないって。

そこで思い出したのは、
2015年10月の北澤潤さんとの出会い。
http://hero.niiblo.jp/e473298.html
(「当たり前を揺るがすこと」2015.10.3)

デザインの役割は、課題を解決すること
アートの役割は、問いを投げかけること

ああ、それなら僕もアーティストだ。
と思って、「現代美術家」の名刺をつくった。

この道20年。
1999年4月に「まきどき村」を始めてから
僕は現代アートをつくっていたことになる。

まきどき村は、
僕の中の問題意識が結晶した畑アート。

「豊かさとは何か?」
という大学1年生以来の問いに
みんなで畑をやるというアウトプットを出した「作品」だ。
問いが詰まっている。

さて、武蔵新城ではどんな場、作品を
つくっていくのか?
っていう自分たち自身への問い。

そんな問いを持ちながら、毎朝の電車読書。


「ストーリーとしての競争戦略 ―優れた戦略の条件」(楠木健 東洋経済新報社)

まだまだ序盤なのだけど、
「なぜ、ストーリーか」っていうのが熱かったので、
こちらにメモする。

~~~以下本文より一部引用メモ(省略・改変あり)

ある登山隊がピレネー山脈で雪崩に遭遇し、
隊員は一時的に意識を失い、意識が戻った時には
背負っていた基本的な装備を失っていました。

ポケットの中にもほとんど何もないどころか、
コンパスも失っていました。
もう生きて帰れない、どうやって山を下るんだ、と絶望します。

そんなとき、ある隊員のポケットから1枚の地図が出てきました。
これを見ているうちにどんどん元気が湧いてきて、

尾根がこうなっているなら、このあたりにいて、
太陽の位置からこう行けば下山できるのではないか、
と地図の上に道をつけていきました。

つまりストーリーを組み立て、
それを共有したわけです。

登山隊は、地図の上につけた道筋を信じて、
奇跡的に下山に成功しました。

この話にはオチがあります。

救助隊を組織した人々は
登山隊と連絡も取れず生還は絶望的だと思っていました。

そこに登山隊が生きて帰ってきたのです。
びっくりして尋ねました。
「あの状況で、いったいどうやって戻ってこられたのですか?」

リーダーは一枚の地図を取り出して答えました。
「この地図のおかげで助かりました。」

救助隊は笑って言いました。
「こんなときによくそんな冗談を言う余裕がありますね。
これはアルプスの地図じゃないですか・・・」

驚いた登山隊のリーダーが自分たちが道筋を
つけた地図を改めてよく見ると、
それは実はピレネーではなくアルプスの地図だったというのです。

~~~ここまでメモ

この衝撃のエピソードから
楠木さんは次のように言います。

▽▽▽ここから本文より引用

これがこの話の一番重要なポイントで、
ストーリーとしての競争戦略の一つの本質を
物語っているのではないかと私は思います。

つまり、戦略ストーリーというのは
きわめて主体的な意志を問うものだということです。

言い換えれば、戦略ストーリーは、
前提条件を正確に入力すれば、
自動的に正解が出てくるというような
環境決定的なものではないということです。

(中略)

未来はしょせん不確実だけれども、
われわれはこの道筋で進んでいこうという明確な意志、
これが戦略ストーリーです。ストーリーを語るということは、
「こうしよう」という意志の表明にほかなりません。
「こうなるだろう」という将来予測ではないのです。

意志表明としてのストーリーが組織の人々に共有されている
ということは、戦略の実行にとって、決定的に重要な意味を持っています。
なぜならば、ビジネスは総力戦だからです。

自分が確かにストーリーの登場人物の一人で
あることがわかれば、その気になります。
こうしてビジネスは総力戦になるのです。

△△△ここまで本文より引用

ストーリーとは「意志の表明」である。
いやあ、そうですよね。
感覚的にはその通りだなあと。

そして、そのストーリーを共有するから
チームメンバーのモチベーションが上がり、
プロジェクトやビジネスが前に進むのだろうなと思った。

昨日のミーティングで言えば、
まるラジの朗読やキットパスでの絵を描くこと
をひとつのストーリー
(昨日は、4月のリニューアルオープン後に
定期的に同様のことを開催する、など)

に作り上げていくことで、
みんなが前に進んでいくのだろうと思った。

もし、このプロジェクトがアートプロジェクトだとしたら
僕たちが来場者や関係者に
投げかける「問い」とはいったいなんだろうか?

そんな問いが生まれた
ミーティングでした。

ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 08:05Comments(0)日記