プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2020年07月14日

「まなび」の「よはく」



パンフレット用写真撮影の日。
7月に入ってからずっと雨&くもりだったのが、奇跡的な晴れに。

「神は細部に宿る」ってこういうことか!と感じた1日でした。
15歳になりきって、その世界の中を躍動していきながらの写真撮影。
写真のディレクションってそういうことか、と。

その前の日の夜に少し聞かせてもらった
Ciftの説明会の話が面白くて。

「拡張家族における親と子。自己変容型リーダーシップ」~Cift2周年祭で僕が語ったこと
https://cift.co/life/1659

補完としてこちら。
「なぜ“家族”になるために「人事」があるのか」
https://cift.co/work/802

~~~ここから上記ページよりメモ

仲間:ともに働く
家族:ともに暮らす

世界⇒私たち(Cift)⇒私
世界平和への拡張家族への自己変容

「拡張j家族」:「ひとり」と「ひとつ」が動的平衡されながら、深化と成長を生む生命体

ひとつ(関係性):あなたもわたし、弱さでつながる、共に暮らす、助け合う組織、共依存関係、今が大事、居場所、愛
ひとり(主体性):あなたとわたし、強さでつながる、共に働く、育みあう組織、共自立関係、未来が大事、出番、力

「自己変容」:自分に全体性を取り戻し、次元をシフトする。

「自己変容」⇒「自己変容型リーダーシップ」へ。

「自己変容」:内に解き(対個人)、Be(内的姿勢)、さらけ出す、自責する、アンラーンする、人の成長を信じる、習慣化する
+(型)「リーダーシップ」:外に結ぶ(対全体)、Do(外的行動)、方針を示す、率先する、つなげる、やる気を上げる、役割分担する

「依存的全体」から「主体的個別」、そして「主体的全体」へ。

依存的全体:属する共同体に依存している状態。大いなる母親に包まれている状態。

このフェーズで必要なのは居心地の良い共同体から自らの離脱を通して自立することである。全体から分離することで、自分自身の存在に向き合い、力を身につけ、自信を持つということが重要だ。その自立が新たな共同体に入ることだと今度はそれに依存してしまうのでCiftに入るタイミングではないと考える。まずは自らの足で立てる力をつけようと伝えることにしている。

主体的個別:共同体から離脱し、自らの足で歩きはじめ、自己実現を目指そうとしている状態。

この状態は力を得るためにとても必要な時期であると同時に、Ciftではこの力はあくまで手段であって、目的である愛の主体的全体へと意識を向けるかどうかがポイントになる。主体的個別を目指して邁進している人については、それを応援しながら、Ciftという場所はその自己実現を一部解いて全体実現に加担する行為なので今は適切ではないと伝えるようにしている。

主体的全体:自己実現において限界感や喪失感を感じた上で、自我を超えたものにコミットしようとする状態。

力を得る主体的個別フェーズを通った人たちがそれを手段として、愛という目的に意識が向き始めたらCiftに入る立ち位置になったと言える。ここでポイントなのは主体的全体がすでに体現できている態度の状態ではなく、そう在りたいと思う意識の状態を確認していることだ。なぜなら僕も含めてここができている人は少ないし、むしろそこを共進化するための場所がCiftだからだ。その時に大事なのは自らの意志で入った環境が自ずと人を変容させていくことだ。このとき、主体的全体への意志がなければ、どんな環境があっても発酵しないし、むしろその人の人生にとって腐敗してしまうので、ここの音合わせはとても大事と言える。

~~~ここまでメモ

刺さる言葉がたくさんあって、タイムリーだなあと。

7月10日のブログ「はみ出しものの系譜」
http://hero.niiblo.jp/e490859.html

にもつながっていく話で面白いなと。
僕としてのキーワードは「自分たち」「わたしたち」なのだけど。
それを「ひとり」と「ひとつ」という言葉で表していたのがすごい。

そして、未来を占うのはこちら。
「オフグリッド化するコミュニティ 渋谷Ciftが提唱する“拡張家族“とは?」
https://nextwisdom.org/article/2291/

~~~ここから上記ページより引用

全体の一部である構成員でありながら、自立した人間であるという状態の矛盾した関係を解決するのが新しいコミュニティのキーになると思っています。

人類の歴史を考えると、17世紀前後の科学革命の前は人間ではなく自然が中心の社会で、人は生まれてから死ぬまで全体に依存しなければ生きていけなかった。その中で全体としての秩序があった。そこから、個人というものが台頭してきて、現代はかなりの個人化の時代にも思えますが、この先もっと個人化、個別化が進んでいくのだと思います。人間の心と体が分離するとかも十分起こりえると思います。

でも、もともと人類というのはコミュニティから始まっているんですよね。生まれた瞬間は誰もひとりでは生きられない。家族というコミュニティに守られていて、生活を安定させるために家族が集まって村を作り農耕社会になっていった。現代の社会では、高校を卒業する頃には、家族から離れて村から飛び出して、ひとりで生きていくこともできます。だけど、そっちにも限界がある。

全体の一部として生きていくということは、個性は無いけど協調性はあるという状態。言い換えると、愛はあるけど力は無いということになります。

近代以降の私たちは外側に力を求めがちです。内省することや、空を見上げることもあまりせずに。それは、外にしか目が向いていないからです。力はすごくあるんだけど、その力がすべて外に向かっているから、自分の傍にある愛を大切に生きていない。

本質的に平和って何か考えたとき、個が自立して多様で皆が好き勝手にやる世界なのか、それとも、皆が協調し合って一つとして愛し合う世界なのかっていうと、そのどちらでもない。要は、それを止揚させた世界でなくてはいけない。

~~~ここまで引用

「はみ出し者の系譜」のところでも紹介したけど、
海⇒大気⇒社会⇒情報という世界の変化の中で、
前の世界を内包する(子宮の中が海と同じ成分であるように)ことが必然であると。

それってまさにここでCiftが言うところの
個が自立して多様で好き勝手にやるっていう近代と
皆が協調し合って一つとして愛し合う近代以前(近代はそれを内包しているのだけど)

どちらか、ではなくてそれを止揚させた世界。
つまり内包した世界が必要で、それがCiftの言葉を借りれば、
「主体的全体」なのだろうと。
僕的に言えば、「自分たち」「私たち」なのだろうけど。

「ひとり」と「ひとつ」
「個人」と「共同体」
そのあいだをCiftは「拡張家族」として実験を始めた。

それって、「まなび」の世界も同じなのではないかと。

内田樹さんがよく言っている。
教育の目的は「共同体が生き延びること」だと。

近代になって、時代の要請でそれが「国民国家として生き残ること」になり、
個人はそのための手段としての教育を受けるようになった。

時代は流れて「個人の自立」が一人暮らしの需要を増やして
家電王国としての国を支えたりした。
いつのまにか教育は「お買い物」と化し、
最小の努力で最大の成果を手に入れることに価値があると思い込んだ。

ひとりひとりはますます孤独になり、この先ひとりで生きていけるのか?と不安に駆られている。
だからこそ共同体(コミュニティ)への回帰が起きているのだろう。
「働くこと」だけでなく「暮らすこと」を考えたいと思っているのだろう。

「探究的な学習」の価値は、
Cift的に言えば、「ひとり」と「ひとつ」を行き来することなのではないか。
その先に「ひとり」と「ひとつ」が動的平衡を保つような共同体が可能になるのではないか。

僕はそこに「まなびの創造」を見る。
「ひとり」と「ひとつ」が動的平衡を保つような「場」

えぽっくの取材型インターン「ひきだし」や
にいがたイナカレッジのプログラム、
そして今、阿賀黎明高校魅力化プロジェクトでも目指しているような「場」

それは「まなび」の「よはく(余白)」があるような場なのだろう。

その「よはく(余白)」は、
「ひとり」と「ひとつ」のあいだに、
いや、「ひとり」の一部分に、「ひとつ」の一部分にできる。
そして、その「よはく」に「場」ができていく。
それが橘川さんの言うところの「情報の世界」の感覚なのかもしれない。

高校生の学びを支援するのではなく、
高校生の探究的学習に伴走するのでもなく、
まなびの「場」にひとりの「伴奏者」として、
ともに「ひとり」と「ひとつ」と行き来する存在でありたい。

そこに「まなびの創造」があるのではないかという仮説。  

Posted by ニシダタクジ at 07:11Comments(0)日記

2020年07月06日

「達成感」の使い方


「ひとりでは生きられないのも芸のうち」(内田樹 文春文庫)

僕が読んでいるのは文藝春秋の単行本のほうですが。
08年の本ですので、古本屋でも見つけられます。

第2章の「働くということ」がタイムリーだったのでメモします。

~~~

労働について考えるときには、「どうしたら能力や成果に応じた適正な資金を保証するか?」ではなく、「どういう条件のときに個人はその能力の限界を超えるのか?」というふうに問題を立てなければならない。

実際に人間の労働パフォーマンスが上がるのは、自分の労働を通じて社会的な「フェアネス」が達成できるという希望が持てる場合と、与えられた「信頼」に応えねばという責務の感覚に支えられている場合だけである。

「適性に合った仕事をどうやって見つけるか」という問いを立てたことがそもそもボタンの掛け違え」だったのである。問いはそのようにではなく、「適性のない仕事に対するモチベーションをどうやって維持するか」というふうに立てられなければならない。

残念ながら、労働は自己表現でもないし、芸術的創造でもない。とりあえず労働は義務である。

「いいから、まずなんか仕事をしてみなよ」と私たちは若者たちに告げねばならない。

人間の適性や能力や召命は、労働する人間が「主観的にそうありたい」と願うことや「そうであるはずだ」と信じることによってではなく、いかなる「実在する客観的な所産」をこの世に生み出したかによって事後的に決定されるのである。

能力や適性は仕事の「前」にあるのではなく「後」に発見される。ある仕事が「できた」という事実が、自分にはその仕事を行う能力が備わっていたことをはじめて本人に教えてくれるのである。

能力があるかどうかはご本人が判断するのではなく、ふつうはまわりの人間が判断するからであり、たいていの場合、外部の能力評価のほうが本人の自己評価よりも客観性が高いのである。

「受験=就活のモチベーション」と「労働のモチベーション」は別種のものである。前者は個人のためのものであり、後者は集団のためのもの。

労働は本質的に集団の営みであり、努力の成果が正確に個人宛に報酬として戻されるということは起こらない。報酬はつねに集団によって共有される。

社会活動としては消費しか経験がなく、「努力」ということについては受験と就活しか経験がない若い人にはこの理路がうまく理解できない。

~~~ここまでメモ

人間という集団が生き延びるために「労働」があり、「労働」の受益者は基本的に集団である。おそらくはこのリアリティがない。

この章の後半、著者は「スイスのロビンソン」を題材に「無人島のルール」を説明する。集団で生きるとき、個人の利益を最大化するという行為はルールに反するのだと。

そして社会のルールは、「複数の人間が無人島で暮らせる」ことを基準に作られていて、そのルールでやったら「無人島では生きられない」ようなルールは「例外的な状況でだけ許される特例」なのである。

「個人の努力の成果は個人が占有してよい」というのは生存競争がほとんどない時代、リソースの分配競争に負けても餓死することのない安全な時代にだけ適用できる「特別ルール」である。いわば「温室」ルールである。敗者になっても命までは取られるわけではないという「お気楽」な社会でのみ「自己利益の追求を最優先する」という生き方は許される。

「キャリア教育」の名の下に、何をしてきたのだろうか。
3年で会社を辞める若者は、「適職ではなかった」からなのだろうか?

そもそも労働とは何か?
という問いが必要だったのではないか。

「ふるさと教育が叫ばれ、地域を愛する子どもを育てたい。」と多くの人が願っている。
わが町も例外ではない。

先週のプロジェクト打ち合わせで出てきた「早く大人にしたい。」その言葉に込められた思い。
集団の成員として学校改革の、まちづくりの、パートナーになってほしい。

名作マンガ「SLAMDUNK」で桜木花道が5人いたとしても山王工業には決して勝てない。
「地域の役に立つ」前に「集団の役に立つ」という経験が必要なのかもしれない。

そしてそれは目に見える「報酬」がある役に立つではない。
集団の成員として、責任を果たした。そんな「達成感」。

そんな達成感を報酬だと感じられるような、
一緒にいると楽しくなるような、そんなパートナーを育む学びができるのではないか?

そしてそれこそが、若者自身が「アイデンティティ危機」と付き合っていく有効な方法なのだと僕は思っている。  

Posted by ニシダタクジ at 08:48Comments(0)日記

2020年06月11日

「大学」という乗り物に乗る。

公営塾対象のAO・推薦入試(総合型選抜)研修(オンライン)でした。
いつも藤岡さんの話は本質的だなあと。

ということで、ひたすらメモします。

~~~ここからメモ

コロナ過で様々な大会、コンクール、部活動、学校外の活動などが停止。
⇒AO・推薦を受験できないのではないか?という不安
⇒(実績)要件は緩和されている

しかし、問うべきは
「そもそも、大学側は、大会、生徒会などで、何を、なぜ、見たいのでしょうか?」

「三ポリ」
・ディプロマ・ポリシー(DP):大学卒業時に身につけておくべき学力の3要素
・カリキュラムポリシー:DPを体系的に身に付けるための授業の配置方針と教育方針
・アドミッション・ポリシー:カリキュラムを受けるために入学者に求めたい学力の3要素

例:北陸大学
https://www.hokuriku-u.ac.jp/about/outline/policy.html

DPルーブリック(学年別到達目標・評価基準)とカリキュラムツリーがある。
AP:求める学生像が書いてある:例
・自分の考えや意見を述べることができる人
・経験を振り返り、自分の言葉で表現できる人

⇒APから求められる力を導き、ルーブリックを作ってみる
・「表現力」4 聞き手に対して熱意を持って、効果的に語り掛けることができている。⇒1 聞き手を意識せず原稿を読み上げているだけである。

アドミッションポリシー(AP)の例:慶応SFC総合政策学部
総合政策学部は「実践知」を理念とし、「問題発見・解決」に拘る学生を求めます。問題を発見・分析し、解決の処方箋を作り実行するプロセスを主体的に体験し、社会で現実問題の解決に活躍する事を期待します。
従って入学試験の重要な判定基準は、自主的な思考力、発想力、構想力、実行力の有無です。「SFCでこんな事に取り組み学びたい」という問題意識に基づいて、自らの手で未来を拓く力を磨く意欲ある学生を求めます。

~~~ここまで第1部

DP⇒CP⇒APの流れって、高校でも意識してもいいような気がした。
いわゆる「教育目標」って、DPにあたると思うし、
「カリキュラムマネジメント」って言われているのは、CPをベースになっているし、
APも、普通科であればだれでも歓迎なのだろうけど、高校魅力化の観点からは、
そのあたりを明確に、「こういう人に来てほしい」っていうメッセージが必要かなと思う。

あとは、推薦やAOに関わらず、高校でも公営塾でもルーブリック評価みたいな軸を
作っておくことも、自らを確認する上では重要だと思う。

~~~僕の中で切っているだけですが第2部

・大学は「教育研究機関」であり、「研究」の側面を持つ。
・「研究」とは、「まだわかってないことの答えをみつける」こと
⇒講義を受けて知識を得るだけではなく、課題を設定して研究すること「自ら物事をつきつめて明らかにする」ことが求められる
⇒そのために必要な教授や授業、研究会を選び、意見を交換し、アドバイスをもらい、自分の意見を考え続け、まとめていく
・「学生」(≠生徒)とは「自ら物事を突き詰めて明らかにする」自分で学ぶべき課題やテーマを発見・決定、その課題を解決するために自分で動ける人
⇒「学生」として求められるチカラ
基本的な学習能力⇒基礎学力
自ら課題・テーマを発見できる⇒問題発見能力
自ら教授や授業、研究会・ゼミを選ぶ⇒主体性
研究会・ゼミを活性化する力⇒周囲を巻き込む力

推薦・AO入試(総合型選抜)とは
「学生として求められる力」と持つ高校生を多面的観点から選ぶ入学試験。

★大学の裏事情として、大学入試改革が文科省から迫られていることもある。

・大学が見たい高校生のコンピテンシー
⇒大会やコンクールなど、いわゆる「実績」がなくても合格可能
⇒大学は「結果」だけでなく、そこに至るプロセス、プロセスにおけるコンビテンシー(思考特性・行動特性)を見ている。
⇒コンピテンシーとは「思考特性・行動特性」であり、思考と行動、その背後にある価値観や信念を含めて大学側が見たい「人となり」です。

★「個性」とは
「理念・価値観・世界観」⇒「思考」⇒「行動」の集合体

これ、西村モデルの高校生版だなと。


こちらより引用
https://note.com/yuumitakano/n/n767c1516fc65

・なぜ目覚ましい実績・成績があると合格しやすいと言われていたり、出願要件に入っているのか?
実績・成績はあくまで人となりが結果として表出化され出てきたもの。
⇒二次面接者にとって、高校生のわかりやすい人となり:コミュニケーション・ツールになる。

★実績の言語化が必要
・あくまで志望校のアドミッションポリシーに合うかどうかがポイント
・実績があればOKではない
・実績を相手に伝わるように言語化
・活動において実績を出すに至った価値観・思考・行動の言語化が必要。

経験学習サイクル(デイビット・コルブ)
行動(具体的経験)⇒振り返り(自分の経験を言葉でふりかえる)⇒本質の気づき(教訓や持論・自論を引き出す)⇒将来の目標設定(次の経験の際に自分が取る行動の目標を立てる)⇒行動に戻る
★具体から抽象へ。なぜうまくいったか、を再現できる。うまくいかなかったことを再現せず、失敗しない。
「人はおよそ70%を経験から学び、20%は観察学習や他者からのアドバイスによって学び、残りの10%は研修や書籍などから学ぶ。
経験を言語化できる人はパフォーマンスが高くなる傾向がある。

~~~ここまで第2部

今回の研修で、多くの人がヒットしたのは、ここだった。
経験の言語化、ふりかえりの重要性はわかるのだけど、
そもそも高校生が言語化に慣れていない。

藤岡さんは
・言語化するメリットと手法
・言語化できる自信と期待感⇒話したら共感が得られた(うまくいった)みたいな
を高めていく必要を語っていたし、
その前提となるような心理的安全性(安心空間)
をつくっていかないといけないと言った。

多くの高校生は、話すことそのものが不安というか
自分のことを話すのはイタイやつみたいな習慣があるので、
それを打破していかないといけない。

黎明学舎でやっているような、
雑談の時間や、毎日やるお題自己紹介などは
非常に有効なのかもしれない。

「ふりかえり」を反省(特に目標に対する結果の)の場にしないこと
「印象に残ったこと」など、心をまずふりかえること。

~~~ここから第3部メモ(テクニック編)

・プレスタ法
PREP法とSTAR法

PREP法(説明の順番)
1 Point:伝えたい結論・メッセージ
2 Reason:理由・経緯・Pointの詳しい説明
3 Episode:具体的エピソード
4 Point:伝えたい結論・メッセージ

STAR法(言語化の順番)
1 Situation:状況
2 Target&Task:目標・障害・壁・課題
3 Action:解決に向けた意志・行動・姿勢など
4 Result:結果・好転した状況・気づいたこと・得た意見

TAE(Think at the Edge)
https://taetokyo.jimdofree.com/
http://gen.taejapan.org/index.html

志望理由書と7つの観点
1 経緯:過去(高校時代まで)に頑張ったこと、印象に残ったこと、自分に大きい影響を与えた出来事、など
2 気づき・価値観:1を通して、気づいたことや学んだことから得た考え方・大切に思うこと
3 問題意識・テーマ(実現したい野望):2に照らしたとき、問題だと感じること、考えること、このままではいけない、解決したいと思うこと。
4 社会的意義:3の、社会における重要性。それに取り組むべき社会的必然性と、その先にある利益(メリット)
5 解決すべき課題・解決策:3の原因を解決(解消)するためのアイデア、具体的な方法
6 志望大学が最適である理由:5を実現するために、その大学(・学部)に進学したいという根拠。大学の理念・ゼミ・研究内容など。
7 将来の夢・志:その大学での学びをとおして、社会に出て何をしたいか、どのように社会貢献したいか、など。

AO・推薦入試で評価されること⇒総合的な評価が得られれば合格できる。
A 基礎学力
B 人物像(主体性)
C 大学で学ぶときに必要な力(周囲を巻き込む力・リーダーシップ・プレゼン力・コミュニケーション能力など)
D 明確な目的意識(問題発見能力)

AO推薦入試がおすすめな理由
1 一般入試より学力レベルの少し高い大学へ合格できる
2 一般入試(学力)にも相乗効果がある
3 AO入試に挑戦することで就活・社会人など、将来に渡り役に立つスキルが身に付く

~~~ここまで第3部メモ

いや、これって、構造的には大学生の就活とまったく変わらないなあと。
あときっと、中学生が高校を選ぶときにだって、こういう選択プロセスを踏んでいるはずだ。
これを入学志願者を集めるほうの視点で考えることはできるよね。

◎◎な課題を解決したい人にとっては、
ウチの高校のこういう活動、ウチの地域のこういう人、ウチの町のこういう環境は、
とても魅力がありますよ、っていうこと。

それを言語化していくことだ。

「言語化」の課題。
それは高校生ばかりではなく、一生モノの課題。

あとは、全体として思ったことは、
大学に入るのも、企業に入社するのも、
「乗り物に乗る」ようなものだなあと。
もしかすると、ワークショップのような一回性の高い「場」も、
「乗り物に乗る」ようなもの、かもしれませんね。

試験は、乗り物に乗るチケットを手に入れるためのもの。
あるいは、この人たちと一緒に乗ったら楽しいか?成長できるか?
みたいなことを確かめるもの。

そんな感覚で、大学入試にも就職活動にも向かっていけたらいいなと。  

Posted by ニシダタクジ at 08:54Comments(0)イベント日記

2020年06月10日

ひきだしミライカイギ

昨日は、取材型インターンひきだしミライカイギ~オンライン「ひきだし」はできるのか~
でした。
参加してくださった企業の方、OBOGの方ありがとうございました。

「ひきだし」の本質的な価値はどこにあったのか?を
改めて考えていく中で、その価値をオンラインである程度再現しつつ、
オンラインでしかたどり着けない場所にいくというミッション。

結論からいけば、始まる前には、完全オンラインは難しくって、
一部オンライン(現地に何名かは行くパターン)
を考えていたけど、実際に話してみたら完全オンラインもいけるような気がしてきました。

さて。
昨日の話を整理してみます。

取材型インターン「ひきだし」の価値(特徴)について


1 学生側と企業側のフラットな関係性

・ミステリーツアー方式(選んでないし、選ばれていない)
・「目的多様性」と「身体性」を持つ「場」づくり

2 会社を「人」から知る

・雑談、雰囲気などから会社のリアルを知る。

3 共同生活がある

・合宿形式で、家事分担などから身体感覚を共有している(オフの時間がある)

4 企業を含め全員が参加者(当事者)である。

・同じ空間(場)を共有すること、問いに向かっていくことで、全員が当事者になっている。
・会社の魅力を引き出して冊子をつくる、とぃうゴールがある。

と、かけば書くほど、やっぱオンラインなんて無理じゃんってなるのだけど、
昨日は後半で、いろいろ大学生や企業の担当者の話を聞いていると、
いや、やっぱいけるかも、と思った。

【オンラインの課題】
・大学のオンライン授業の場合:そもそも主導権が学生側にあるし、自由度が高いので、当事者意識が下がる。
⇒それはかけてるコストが少ないから。
⇒有料化することでそれは変わるのか?

・「人」から会社を知る、という意味では、リアルならでは「雑談」「雰囲気」が大切
⇒オンラインだとフラットなだけにさらに「人」にフォーカスできる可能性がある。(プログラム次第)

・身体性をベクトル性で補えるのか?
⇒ベクトルを合わせることはそもそも難しいし、場のチカラと矛盾するのではないか。
⇒ベクトルを合わせるのではなく、ベクトル性を共有(お互いに知る)ことでできないか。
⇒キーワード・トークなどを会社側も交えてやるとか。

・トランプやサイコロなどの「ギャンブル性」を入れる
⇒これってリアルでもそうだけど、オンラインだからこそのドキドキが必要なのかも。
⇒ブレイクアウトセッションも、ランダムで決めればくじ引きだもんね。

【オンラインひきだしの案】

・各人の「問い」(ベクトル)をていねいにチューニングする。
⇒企業の担当者も含めてやる。
⇒キーワード・カフェとか。
⇒いままでよりさらに「人間性」で勝負する。
⇒会社を「人」で知る

・ブレイクアウトセッションでの対話、雑談の時間を増やす。
⇒経営者や社員とのトークの合間や振り返りで、ブレイクアウトセッションを増やし、1対1の場をランダムにつくる。
⇒雑談の場の設計。ごはんや飲み会、飲みながらの振り返りなども入れる。

・学生の当事者意識を上げるには?
⇒参加費を取る☆コロナ後に使える企業訪問ツアーを付けるなどの特典
⇒参加課題を出す、面接する(ベクトル性の異なる人を集める)

~~~
っと現時点ではこういう感じかな。
来週また話しましょう。

僕としてはあらためて、
「機会として学ぶ」っていう原点に返った気がします。

新型コロナウイルスによって、
現地型のインターンがすべてNGになっていく中で、ひきだしは、どこへ向かっていくのか。
「オンライン化」でなく、オンラインだからこそたどり着ける学びの機会をつくれるのではないか。

キーワードは、向き合わないことだと思った。

人は人と出会うべきなのか(斎藤環)
https://note.com/tamakisaito/n/n23fc9a4fefec

の中で、

~~~
あらゆる関係性は非対称である。これが前提だ。言い換えるなら、非対称性が想定されない場所には関係性も生まれない。そう、「対等な関係性」などは、誰かの政治的夢想の中にしか存在しない。どんな関係性にも上下関係、支配関係が埋め込まれている。
~~~

と出てくる。そしてそれには臨場性が必要だと。
人間関係の非対称性は身体からくるのだと。
まあ、そうなのかもしれないけど。

僕がひきだしに込めた思いは、
「機会としての学び」の中で、人と人はフラットになる、ということだった。
そしてその「場」にこそ、生まれる未来がある、と。

ひきだしがオンラインになったとしても、
機会としての学びに向かって、
企業も、学生も向き合わずに未来を生み出していくような
場をつくっていけるし、
むしろ、オンラインひきだしじゃないと、たどりつけない「場」があるのではないか、と予感した。

まあ、予感しただけなのですが。

それにしても、イベントラストに撮ったこの写真が楽しそうすぎる。
やっぱ身体性大事だわ。
それでは、ご唱和ください。「ヒキダシ、ヒキダシ」

  

Posted by ニシダタクジ at 07:05Comments(0)日記

2020年06月01日

何がどうシフトするのか?

5月29日金曜日に、2つのオンライン勉強会に出たのでキーワードまとめ。

~~~ここからメモ

昼の部:尼崎市職員向け研修(ゲスト:ディスカバ・今村亮さん)

オンラインになると先生中心の「教育」から生徒中心の「学習(学び)」へシフトせざるを得ない。

従来型の学びで得たものを今仕事で使っているとしたら、従来型の学びを提供しようとする。

「問いの立て方、問いの作り方」っていう問いは違うのではないか。
感じたことを、言葉にするプロセスの中で5W1Hを組み合わせれば、問いは生まれる。

サイコロ探究
https://hen-ai-topic.jimdosite.com/junior/?fbclid=IwAR3K7FTaN5iGjStcY-T4h7Xnj9JOAsLTBVMRM_a0yG4wetPkVG5l04Fskfc

浦崎先生の言う「感じること」「問いを立てること」「意味を味わうこと」
の「感じること」と「問いを立てること」のあいだに、深い深い「言語化の谷」が広がっている。

ディスカバ!オンライン(PBLをオンライン上で再現)
https://discova.jp/online/

「教育」つまり、「教える」のは先生だが、「学ぶ」のは子ども。
主語、主導権の大転換が起こっている。

言いたいことが言えない関係。タテの関係は「評価」というプレッシャーが、ヨコの関係は「同調圧力」がかかる。
「評価」も「同調圧力」もない「ナナメの関係」、それがカタリバの関係。ようやく「ナナメの関係」が腑に落ちた。

「学び」の主導権の移行。
それは経済では「企業」から「消費者」へと30年前に起こっていたこと。
ここ30年の経済史をふりかえることで、何か見えるのかもしれない。
戦後最大・明治以来と言われる教育改革としての「探究」
正解を教わるの教育ではなく自ら主導権を持つ探究へ。

本来は「学校」「家庭」「地域」の3つで構成される子育て。しかし、「ステイホーム」は子どもの居場所を「家庭」だけに制限した。
→オンライン上に居場所をつくる必要があった。
→たとえば、「カタリバオンライン」とか「朝の会」とか。
→異年齢の子が接する時間になった。

わかりやすい勉強コンテンツはウェブ上にいくらでもあった。

必要なのは対話・コミュニケーション。
→オンライン朝礼をした
→不登校傾向の子どもたちにとってはむしろプラスに働くこともあった。

夜の部:マイプロ勉強会・事例紹介(ふたば未来学園高校・鈴木先生)

福島県立ふたば未来学園高校の「未来創造探究」
地域社会のneedと自分について理解するWillの真ん中にテーマ設定すること。
「調査のためのアクション」と「解決のためのワーク」を行き来する。

「知らないことを知る」ワーク
自分は何を知っていて、何を知らないのか?
聞いたことがある≠知っている
を再認識する。

情報の種類を知る:「事実」「意見」「仮定」
聞いたことがあって、自分でも使っているのに実はよく知らないこと
→友人に説明できるようになるまでインプットする。
知らなかったワードを自分自身で定義しなおすこと。

「ヒューマン・ライブラリー」
近隣地域で活動する人々を8名を呼び、うち2名に話を聞ける時間にする。
「会いにいけるゲスト」
テーマ「私のマイプロ(探究)」で話してもらう。

そこで新たな問い、観点、ロールモデルを得て、実際に現場に会いに行ってみる。
→問いと調査のためのアクション。

~~~とこんな感じ。

たまたま5月30日に、本屋さんで目に留まったこの本を買いまして、今朝、一気に読みました。


「2020年6月30日にまたここで会おう~瀧本哲史伝説の東大講義」(瀧本哲史 星海者新書)
昨年急逝された瀧本さんの講演録。
久しぶりに奥底に響くような内容。

~~~以下本からメモ

「教養の役割とは、他の見方、考え方があり得ることを示すことである。」アラン・ブルーム

学問や学びというのは、答えを知ることではけっしてなくて、先人たちの思考や研究を通して、「新しい視点」を手に入れることです。
なるほど、学校で学ぶことは守破離の守の、さらに基礎なのか。

バイブルとカリスマの否定。

明治維新というのは近代革命の中でも、際立って言葉を武器にして行われた革命だったと言える。

教養の1歩目は言語。
右手にロジック、左手にレトリックを。

だから「瀧本先生、僕に進むべき道を教えてください」じゃないんです。ぜんぜん違うんです。君が自分の仮説を出して、それを試してみるしかないんですよ。

「弱いつながり」とはSNSでつながることではなくて、バックグラウンドが違う人とつながっているということ。

アイデアがどうかなんてことより、「あなただからその事業をやる意味がある」ということが、やはりきわめて重要です。

~~~ここまでメモ。

なんだかタイムリー。

金曜日の今村さんの一言。
オンラインは先生が主導権を握る「教育」から生徒が主導権を握る「学び」へと変えてしまった。

パラダイムシフト。

夜の部のとある学校の先生が言っていた一言。
「探究活動を積極的にやった子が有名大学にAO・推薦で受かっているので、うちの学校では今年から探究の授業を検討するところと進路指導部が一緒になったんです。」

えっ。
それって・・・
強烈な違和感。

有名大学にAO・推薦で合格するというのは、
探究の「結果」であって、探究の「目的」ではないはずなんです。

そもそも探究とは、
個人の関心と社会の課題の重なるところにできていって、
その題材は、ひとりひとりに委ねられている。
個人の興味関心というエネルギーを注ぎ込まないと成立しないもの。

パラダイムシフト。

が起こっているはずだ。
「探究型学び」へのパラダイム・シフトが。

今村さんが言うように、
教育(≒学び)の主導権が「教師」から「生徒」自身へシフトする。

そして、僕が以前から言っている「機会としての学び」
http://hero.niiblo.jp/e489763.html

学びの構造が「(目的・目標を設定し)手段として学ぶ」から「(展開・振り返り重視で)機会として学ぶ」へシフトする。

教育だけではなく、近代のパラダイム(価値観)のキーワードは「効率化」だった。
「目的・目標を設定して、そこに最高速で行く」に価値があった。
それは工業を中心とした社会だったからだ。
ところが、そのゴールを失い、しかも「効率化」が価値を生まないことがわかってきた今。
当然教育の現場のパラダイムもシフトせざるを得ない。

ところが「AO・推薦入試のために、探究を」って、まったく目的・目標設定のパラダイムではないか。
そのほかにもシフトしているように思うこと。

「個人として学び」から「場としての学び」へのシフト。
方法(メソッド)から場へのシフト。
挑戦から実験へのシフト
達成感から予測不可能性へのシフト。
伝説のカリスマ教師から歌われざる英雄へのシフト。
明確なゴールから方向感・ベクトル感へのシフト。

そんなシフトが始まっている。
いや、コロナ休校期間中にもうシフトは終わっていて、気づいていないだけかもしれない。

瀧本さんに言葉を借りれば、
あなたが今だからこそやらなければいけない探究テーマが、きっとあるはずだ。  

Posted by ニシダタクジ at 09:55Comments(0)日記

2020年05月28日

「自分ごと」になるための「対話」のデザイン

「就活」の違和感。
その大きなもののひとつが「自己分析」だろうと思う。
「自分を知る」というやつだ。

人はそんなに、自分を知らない。

しかも「自分」はひとつではなく、インスタの複数アカウントのごとく、シーン(場面での立場)によって使い分けている。

昨日は、阿賀黎明探究パートナーズのオンライン勉強会第3回目
題材は、
【TARO CHANNEL】Withコロナ時代に高校と地域が打つべき一手とは / 本編②
https://www.youtube.com/watch?v=sHemvchZ_6c&t=2481s
でした。

昼の部は先生方4名+校長先生
地域の方3名+学校教育課長
そして黎明学舎スタッフ4名の計13名、
夜の部はパートナーズ3名+私の4名で行いました。

題材があることで対話できるなあと。

~~~ここから動画メモ

感じること、問いを立てること、意味を味わうこと

地域課題解決(地域素材・探究能力):これまで総合で取り組まれてきたこと
と個別最適化(問いに当事者性):マイプロジェクトなど
の真ん中にふるさと教育(探究)をつくっていくこと。

マイプロジェクト:その子にとって、とことん自分ごとを追求した。

飛騨市学園構想⇒大人の探究活動
検討委員会:対話が乏しい。
事務局が原案をつくり、委員の質問に対して事務局が答える。
行政の会議こそ探究的にしていくべきではないか?

授業も同じ。
教える流れのデザインをして、生徒がお客さんであっていいのか?
対話性・創造性が失われている。
探究:問いを引き出すことが重要。問いづくりから出発する。
唯一解はなく、納得解を追う:当事者性や創造性が向上する。

探究的な行政プロセス
委員から問いが生まれるように工夫する。
ファシリテーターとしての事務局

主体的になる←自分ごとになる←対話によって←問いによって←題材によって
休校前⇒休校後
※対話する必要がある。
育ちの文脈の共有・関係性づくりが重要

~~~ここまで動画メモ

そのあと、先生方を交え、ディスカッションしました。(メモは夜の部を含む)

・ゴール到達点を共有することが大切なのではないか。
・「自分を知る」のと「地域を知る」ということは同時に起こるのではないか?
・筑波大学付属坂戸高校は、体験⇒対話の流れができていた。
・畑作業はしんどいという身体性を共有していることも。
・ゴールを設定するとゴールに向かって最適化するのでは?
・「他者」として目の前の相手を認識できるか
・「信用社会」から「信頼社会」へ
・体験で終わらずにそれをふりかえり、言語化すること。
・頭で振り返るまでに「印象に残ったこと」など、心の振り返りをする。
・ボート部:まちの人との対話の機会がある
・雑談・身体性感覚、共通テーマが重要
・答えを教えてしまうのではなく、もやもや感を助ける
・違う年齢層の人と話す(他者と話す)
・多様な人と関わる:ロールモデルを通して自分を知る
・「自分」っていうのは「哲学(美学)」と「承認欲求」
・「対話」(ふりかえりを含め)によって言語化がおこって自分を知り、自分を承認できるようになる。
・大人自身が変わり続けないといけない。
・「対話」をすることの重要性:相手の話を聞く、感じたことを言葉で表現する。
・「学びの土壌づくりをやらなければならない。
・「問い」を深めるために、問いかける人が必要。

探究

承認

フラットな「対話」←「問い」

たぶんそんな感じ。

・先生という言葉は死語。どの方向に進むかわからないのだから。
・「探究的に学ぶ」とは「対話的」「機会的」「実験的」に学ぶということ。

そんな感じ。
これからやっていくこととしては、「対話」の時間のデザイン。
題材としての大人と問いかける大人の確保・授業参画。
その大人が、自分自身も探究していること。
問いかける人は、ある意味、アーティストである。
教育はアートに近づいていく。そんな風に思った。

夜の部で出たアイデアは、
地域人にインタビューして、編集してアウトプットするような機会がつくれないか?ということと
zoomなどのツールを使ったコミュニケーションの場がもっとつくれないか?

中高生が地域の人的資源(大人というか、対話ベースで取材)を編集して発信する「奥阿賀編集室」(仮)と
そこに至るきっかけにもなる、あがまち未来フォーラム・オンライン(仮)を立ち上げてもいいのかなあと思ってます。

「主体的に学ぶ」には、「自分ごとになる」ことが大切で
「自分ごとになる」ためには、「対話」による相互理解、相互承認が必要で、
「対話」を生むには問い、その前にある題材が必要で。

っていうことになっていて、
「対話」を真ん中に、パートナーズの大人たちも参画したような
デザインが可能になっていくのではないだろうか。

最後に、次回のお題動画になるかもしれないけど、

苫野一徳×税所篤快ZOOMトークイベント――ぼくたちは、「未来の学校」をどうつくっていくのか?
https://www.youtube.com/watch?v=0JiYqY-O-rM&t=447s

これを見ていて、気が付いたことを含めて、まとめてみる。

~~~ここから動画メモ

「探究的」に学ぶとは、
「対話的」に学ぶこと、「機会的」に学ぶこと、「実験的」に学ぶこと

子どもに主体性がなく、チャレンジしない、覇気がない、っていっているとしたら、
先生自身が主体性がなく、チャレンジせず、覇気がにじみ出てないのではないか。

小学校に上がると「祝福」のパラダイムが「評価」のパラダイムに変わってしまう。

小学校に上がると「遊び」と「学び」が分けられてしまう。
「探究」なんてハマっている子にとっては遊びのようなもの。
教育というシステムが「遊び」と「学び」を分けている。
「学びのコントローラー」を握れずに、「人生のコントローラー」を握れるのか?

自転車に乗れるようになると、乗れないように戻ることはできない。

この瞬間、子どもの目の輝きが意義深いと直感したときに、どういう時に子どもたちの目が輝いたのか?その本質や構造を明らかにすれば、それは教育の指標になり得る。

先生に教えてもらうこと。それは学校じゃなくてもできるのではないか?
学校じゃなければ、できないことは何か?
学校に行く理由が先生に教えてもらうことではなくなる。
だとしたら、生活する「場」が大切になるのでは。

学びの「個別化」「協同化」「プロジェクト化」っていうのは人間にとって自然。
現在の教育は150年前の仮説にすぎない。
それ以前から学びはすでに存在していた。

時間割に合わせて、探究心をそぎ落としてきた。
それが現在のシステム。

~~~ここまで動画メモ

「探究」がどのように起こるのか?
そもそも探究とはなにか?
っていうのに対しての爽快とも言えるくらいのはっきりした考え。

一番印象に残ったのは
「探究」って遊びでしょ?って。

そうそう。
「遊び」つまり、エンターテイメントの本質は「予測不可能性」なのだよね。
「ゴールに向かって、近づいている」とか「ゴールを達成した」っていうのは、実は楽しくない。

そう考えると、答えがないような探究テーマを、自分で設定し、
そこに向かっていく(実際はどこに向かっているのかわからない)のは
とても楽しい「遊び」なのだろうなと思った。

そんな探究を、このまちと、まちに住む大人を題材につくっていくこと、
オンラインでたくさんの場や大人とつないで、機会と対話を生んでいくこと。
それらによって刺激された好奇心と探究心でガンガン実験してみること。

そんな探究を学校も、地域も、先生も、生徒自身も、ともに学びながらつくりあげていけたら、楽しいなあと思う。

君も、この列車にのらないか?

  

Posted by ニシダタクジ at 09:11Comments(0)日記

2020年05月21日

「対話」と「承認」



阿賀黎明探究パートナーズ・オンライン勉強会の第2回目。
大正大学・浦崎先生の動画を見ながら、先生方とパートナーズの皆さんが対話をする。

今回の動画は【TARO CHANNEL】Withコロナ時代に高校と地域が打つべき一手とは / 本編①
https://www.youtube.com/watch?v=VOzliqJIVS0
でした。

エキサイティングだったのは、やっぱり山形県立小国高校の事例でした。
小規模校サミットへ向けての話、感動的でした。

~~~ここから動画メモ

society5.0時代に大切なこと
・感じること
・問いを立てること
・意味を味わうこと

感性とは個性
探究テーマには高い個別性がある。

問いを立てるには現場(地域)で感じることが大事

3.0時代の依存・受け身・暗記から
4.0時代の自立・能動・アクティブラーニングへ

全員一斉⇒公正に個別最適化された学び

規格品を大量生産するのではなく、尖った人材をどう作るのか?
興味関心を尊重して個別に最適化する。
それには学校だけでは完結できない。

コンソーシアム
各生徒の興味関心と地域の課題を効果的にマッチングする組織

「学びの自走性」
エンジン→ギア→駆動輪
4サイクルエンジン

学力低下:パワーダウン
⇒「学力向上」頑張って押した:N(ニュートラル)にいれたほうが楽だ。
⇒素直で従順な子が育った。

いま「探究だ」と。
エネルギー源そのものを考えないといけない。
勉強した後に高収入が待っている⇒誰も勉強しない。
知的欲求(知りたい、学びたい、実現したい)をエネルギー源にしないといけない。

事例:山形県立小国高校

R1.7.31「小規模校サミット」
参加校依頼に直筆の手紙を書いた。
国語の先生は学習の絶好の機会ととらえ、国語力がめちゃめちゃついた。

「グループワークを成功させたい」という思いで、練習した
⇒思考力・表現力・判断力がついて面接で役立った。

生徒がもつ興味関心を軸に各教科とのつながり、カリキュラムマネジメントを考える。
カリキュラムマネジメントは個別性が強い。
学校都合ではなく生徒の思いでつくっていったこと。
先生は伴走するだけでいい。

~~~ここまで動画メモ

約1時間の動画のあと休憩。
休憩後に2グループに分けて先生方とのディスカッション

・興味関心が自分でわかっている生徒とわかっていない生徒がいて、わかっていない生徒にどう進路(キャリア)を考えてもらうか?
・個々人が何を目指すか?に最適化するのがいいのだが、その前に学校として何を目指すか?という方法もある。
・町の歴史や自然、福祉やまちづくりに関することなどを学んでいくことも大切
・「発酵」のような横断したテーマでつくれないか?
・地域学などで生徒は、「やってみたらよかった」という。
・分水高校の事例のように短期スパンでの「インプット⇒アウトプット」みたいなことがやれないか?

夜の部でも、
・興味関心や進路希望に応じて人をマッチングする⇒ランダムにインタビューしてアウトプットする。
・感じたことをアウトプットする練習が必要
・「対話」による「承認」
・「自分をみつける」⇔「地域を知る」を交互に起こる⇒結果、やりたいこと方向性が決まる。
・「自分を知る」とは「自分の感情を知る」⇒他者を知るとは、他者の感情を知ること⇒だから対話


「言葉にできる」は武器になる。

いま、この本を読んでいるのだけど、
言葉にできる、っていつでも大事だなと。

浦崎先生の言っていた
「感じること」と「問いを立てること」
のあいだに、深い谷があるのだと。
そこに橋をかけてやるところから始まるのではないか。

その前に、「感じたことを言葉にする」という段階がある。
それってきっと練習なので、何度も繰り返してやるっていうこと。

そして、その練習をするためには「題材」としての何かと、
「安心空間」を作らなきゃいけなくて、ってことなのではないかと。
その場を作ったうえで「対話」的に聞き出していくっていうことを
ていねいにやっていくことなのかなと。

先生方の話を聞いていて思ったことは、
「地域」や「地域の人」とどのように連携していくか?
って考えたときに、

つい、本人の興味関心または進路に向けて
「最適化」するような大人をマッチングしようとしてしまう。

言い替えれば、
ゴールを設定し、そのゴールに向かって向かっている状態を良いものとしている、
目標達成のパラダイムなのではないか。

society5.0が問いかけるのは、
目標達成というパラダイムそのものなのではないか?

これからの社会に向けて、
磨いていくべきは、目標達成の能力だけではなく、
(もちろんそれが大切ではないとは言わないが)

学び続けること、そしてそのために対話し続けることなのではないか?

自分と対話し、他者と対話し、社会と対話する。
その社会との対話方法の1つとして仕事、キャリアがあるのではないか。

「対話」によって、目の前の人は「他者」になる。
いや、自分さえも他者になる。
「ふりかえり」とは、自分を他者化する行為であるとも言える。

「対話」の習慣は、人を「承認」する。

今回の小国高校の事例。
保健室登校が二けたに達するほどいたのがゼロになった。
多くが「自分に自信がない」などのメンタルの不調だったという。

それを浦崎先生は
「生徒たちが一丸となってサミットを成功させようとして、実際に成功させた」
ことによる自信の回復だと説明したが、

(ここからは実際に保健室の先生や生徒たち自身に聞いてみたいところだが)

小国高校は1年生の入学時から、
東北芸術工科大学コミュニティデザイン学科と連携して、
ワークショップ・ファシリテーションなどの基本を学ぶ機会がある。
たとえば、コミュニケーション手法としての「Yes,and」とかの練習する、など。

そのような「対話」のスキルを磨いているのだ。
そこに「小規模校サミット」という題材がやってきて、それが見事にはまり、
各教科への学びにまでつながっていった。

しかし、ベースには「対話」の習慣とスキルの上達があるのではないか。

72人の小規模校とはいえ、全員が心から同意して熱意をもってイベントに取り組むとは思えない。
仮にそれがあるとしたら、逆に昭和の一斉教育のようだと思う。

そうではなく、小国高校には「対話」があった。
つまり、イベントに乗り気じゃない人の話を「他者」として受け止め、理解しようとした。
結果、イベントはうまくいった。
それは、見た目上、「一丸となった」ように見えるのだろう。

さらに、保健室の話もそうだ。
保健室に来る子がいなくなったのは、自信がついた、のではなく、
「対話」による「承認」があった、からではないか。

っていう、仮説です。

昨年から「機会」「対話」「実験」と言ってきたけど、

まずは「機会」と「対話」を繰り返すこと。
そして「対話」はスキルでもあるので、練習すること。
練習のために、感じたことを言葉にしてみること。
インプットとアウトプットを繰り返すこと。
それを踏まえて、実験段階にいけるのかもしれない。
「オンライン・トークフォークダンス」とか、いいかもね。

「地域を知る」っていうのと
「自分を知る」っていうのは並行して起こる、ということ。
「自分を知る」上で自分の感情を知ること、つまり言葉にすること。
「他者を知る」ために、他者の感情、言葉に耳を傾けること。

そんな設計が必要な気がしています。
  

Posted by ニシダタクジ at 08:21Comments(0)日記

2020年05月17日

場(プラットフォーム)が機能され続けるための仮説

オンライン・ツルハシブックスという実験に向けての仮説を。

weekly ochiai 2019年2月22日
落合陽一×宮台真司「人類をアップデートせよ)
https://newspicks.com/news/3689270/body/?ref=user_2250

で、宮台さんが言っていたこと。

~~~以下一部抜粋(上記ウェブページより)

いいねボタンは、人をクズにする。
何故かというと、アートとエンターテイメントは違う。エンターテイメントは、楽しませて回復させる、re・creation。
アートはロマン派の定義によると、人の心に傷をつけることなんですよね。ある種の不快さに直面させて、何かを持って帰ってもらう。
だから、エンターテイメントはいいねが集まるけど、アートはいいねが集まらないのが当たり前で、それを目指すべき。

意識高い系がなぜクズなのか。皆んながいいねボタンを押すものを良いものだと思ってるから。

日本の文化は、自分が所属している内集団でもっぱらコミュニケーションして、外集団の人たちとは関わらない。
ヨーロッパやアメリカみたいに、内集団と外集団を含めた、包括集団のプラットホームを「公」って言うんだけど、日本にはそれが全くない。
内集団じゃない人間たちを含めて、みんなどういう風に行動するんだろうと、想像する場がパブリックなんだけど、日本は想像しなかった。

今起こってることはね、テクノロジーが発達して、システムが拡張した結果、世界中が日本化してるんですよ。
見たいものだけを見て、見たくないものは見ない。付き合いたいやつだけ付き合って、そうじゃない人間を排斥する。

人間的なものを保つことが大事。
なので、人類をアップデートするという発想にも、問題があるかなという気もする。
人間的なるものを支える、プラットフォームをアップデートするということなんじゃないか。

~~~

そして、放送の中でいちばん印象に残ったことは、
プラットフォームの寿命は2年。
2年が過ぎれば、アーリーアダプターの次の
アーリーマジョリティが参入し、結果、プラットフォームは死んでいく。

ここにおそらく「テーマコミュニティ」の難しさがある。

上に書いてあるように、
テクノロジーによって、人と人はつながりやすくなったかもしれない。
しかしそれによって、見たいものだけを見る、付き合いたいやつだけと付き合う、
みたいな世界がきてしまっている。

・・・

という前提で。
だからこそ「本」をテーマにしたコミュニティ(あるいはイベント)は脆弱だと言えるのかもしれない。

おそらくはこれに近い理由で
ツルハシブックスという場は、限界を迎えた。

閉店の2日後のブログ
「居場所のジレンマ」(16.11.7)
http://hero.niiblo.jp/e482717.html

~~~以下ブログより抜粋

11月3日も、同じことが起こった。
ツルハシブックスで知り合ったお客さん同士で
遊びに行った後の午後6時前に、
ふたたび「ただいま」ともどってきた。

10人ほどのお客さんが、テーブル席に集まっていた。

そうなると、もう、
その空間は「劇場」としての緊張感を失う。
初めて来店したお客さんへの対応も、
まずは「うるさくってすみません」という言葉から入るようになる。

それが決して悪いわけではないという人もいるかもしれない。

でも、僕がツルハシブックスで創りたかったのは、
劇場としての本屋であって、「居場所」ではない。

~~~以上抜粋

これがまさに、ツルハシブックスの閉店理由だった。
いつのまにか、プラットフォームの2年の寿命に到達してしまったのかもしれない。

今回。この外出自粛の状況の中で、「偶然」を生み出し続ける、
「本屋のような劇場」がアップデートできるのではないかと思った。

と同時に、劣化しないプラットフォームとはなんだろうか?
という問いを同時に考えた。
たとえば、22年目を迎える「まきどき村」はなぜ続いているのか?ということ。
唐澤さんとの対話も大きな価値を持った。

キーワードは、次の3つだ。

1 身体性

本屋というのは、言語コミュニケーションで成り立っている。
言語コミュニケーションの得意ではない人は、その「場」に、悪い影響を与えてしまう。
言語コミュニケーション以外のコミュニケーションの方法を持つこと、それが「畑のある本屋」仮説だった。

2 (半)開放性

「リアルな場」というのは、そこに存在しているから価値があるわけであって、
だからこそそこには「いい雰囲気」みたいなものが流れるのだけど、
一方でそれは、場を内と外に分ける、というリスクを負っている。
「安心感」という意味では、ある程度の「顔を知ってる」みたいなやつは必要なのだけど、
それを外に開き続ける、みたいなことが必要である。

3 (共同体の)多層性

横につながるのではなく、ひとりひとりが幾重にもさまざまな共同体を掛け持ちしている前提で、
目の前にある「場」は、それを切り出した場面に過ぎない。
ひとりひとりの視点から描かれるスタイルの小説があるけど、そういう感じ。
仕事場でも、家庭でもない「サードプレイス」がいくつもあって、その「場」ごとに人は変わる。


内山節「共同体の基礎理論」(農文協)では、以下のように「共同体」の多層性について語られる。

~~~以下引用

真理は1つではなく、多層的である。なぜなら真理はある磁場のなかに成立しているのだから、磁場が異なれば真理も異なる。真理はそれを切り取った断面のなかにあるのであり、切り取られた断面が異なれば真理も異なってくる。それは共同体を生きた人々が自然とともに存在していたからであろう。

共同体とは共有された世界をもっている結合であり、存在のあり方だと思っている。共有されたものをもっているから理由を問うことなく守ろうとする。あるいは持続させようとする。こういう理由があるから持続させるのではなく、当然のように持続の意志が働くのである。

この共同体のなかにいると、自分の存在に納得できる。諒解できるからである。自分の存在と共同体が一体になっているから、共同体への諒解と自己の存在への諒解が同じこととして感じられる。共同体とはそういうものである。

とすれば共同体の中にいくつもの共同体があっても何の問題もない。自己の存在を小さな共同体の中で諒解し、同時に大きな共同体の中で諒解する。さらにはそれらが組み合わさって、自己の存在が諒解されるのである。しかもその共同体はひとつだけでは成り立たない。いくつもの共同体があるからこそ、ひとつひとつも共同体の性格をもち、全体としても共同体でありうるからである。

故に共同体は多層的共同体なのである。おそらく「アソシエーション」を積み上げても共同体は生まれないだろう。理由のある組織を積み上げても、理由がある社会がつくられるだけだ。それはそれでよいかもしれないが、私はそれを共同体とは呼ばない。

~~~以上引用

思えば、僕のテーマはずっと「アイデンティティ・クライシス」だった。
「自分らしく生きる」とはなんだろうか?若者(かつて若者だった私)は、なぜこんなにも苦しそうなのか。

そこに対して、ひとつのアプローチ。
「この共同体のなかにいると、自分の存在に納得できる。諒解できるからである。自分の存在と共同体が一体になっているから、共同体への諒解と自己の存在への諒解が同じこととして感じられる。共同体とはそういうものである。」

たぶん、つくりたいプラットフォームは、そんな「場」。
そしてそれは継続的に現れるのではなく、瞬間に訪れる。

アサダワタルさんの表現を借りれば、

自分にとって居場所とは、場所ではなく、「今この瞬間」という「時間」そのものだった。そしてそれは当然のように常に変化し、転がってゆくものだ。その感覚ってすごく大切だと思う。「場」が「居場所」になった瞬間、そこへのある種の「安定」というか、変わらないでほしい、というか、保ちたいというか、そういうのが始まってしまう。

そういう瞬間をつくること。
そして、それが、オンライン空間にこそ作ることが可能なのではないか。

その実験はまずは、
「ツルハシブックス」という身体性の共有をベースに、つくっていくこと。

それが本屋のような劇場、「オンラインツルハシブックス」への仮説です。  

Posted by ニシダタクジ at 05:55Comments(0)日記

2020年05月08日

教育の場を人間的にすること

5月5日にやっていた
Learn by Creation オンライン vol2: コロナ後の社会と教育の可能性 苫野一徳 (教育哲学者)X 尾原 和啓(フューチャリスト)
https://www.youtube.com/watch?v=SYiPFajMmrA&t=2658s
を録画で見ました。

そして、その流れで(尾原さんが講演の中で紹介していたので)
TED2011「サルマン・カーン:ビデオによる教育の再発明」
https://www.ted.com/talks/sal_khan_let_s_use_video_to_reinvent_education?language=ja

日本語訳はこちら
http://www.aoky.net/articles/salman_khan/let_s_use_video_to_reinvent_education.htm
を見ました。

10年の時を経て、いまようやく、目の前にきているんだなと。

~~~以下メモ

学びのマインドセット:信頼して任せて待って支える→共同探究者、探究支援者になる。
コロナ休校→先生がコントローラーを常に持っていることができなくなった。

コンフォートゾーンの外に出て「好奇心」に喉を乾かすこと。
大事なものができたら、それが壊れないように社会課題を解決する。

自由のトレードオフに気づく→自由の相互承認へ
今こそ夢中になれること、好奇心をかきたてられることを。

大きくなるとどうして好奇心がなくなるのか?→他人(大人)の時間を生きるから
自分の時間を生きること。自分でルールを決めること。
自由を自分で行使すること。自立から自律へ。

自律⇔他律
効率的にするには他律で統一すること。
コロナ休校:自律を試される1か月。
マイルールを一緒に寄り添いながらつくること。

モンテッソーリ:先生の役割は環境を整えること。
現状であれば、ネット上の良質コンテンツを探し、紹介すること。
データを可視化することによって、自分でふりかえることができる。

個別化+協同化するには?
学びは個別化するが、場面によって力を借りたり貸したりできる。

「教育の機会均等」をベルトコンベア式で実現しようとしたのは当時(産業革命当時)としては革命。
今はそれが成り立っていない。一斉授業では同じところに到達しない。
個別化したほうが機会均等になる。格差は縮小する。
ゴールに至る道は違ってもいい。

カーンアカデミーはボランティアがメンターをできる。
すぐに協同化できる。

ギブすることの喜びを知る。
ありがとう(あることが難しい)を実感する。
自分は何をギブできるだろうか?
自分のあたりまえが遠くにいるひとにとっては「有り難い」ことだったりする。

「自由の相互承認」を失われない。
十分な自由と人権が保障されていれば責任ある行動がとれる。
自由を奪われるからどうやったら勝ち逃げできるか?になってしまう。

探究をドライブするには?
長期:徹底的に遊びぬく。
中期:いろんなテーマに浸る時間がある。
短期:本物との出会いをつくる(憧れを駆動する)

~~~以上メモ

そして、TEDにシビれる一節が。

「教育の場を人間的にする」

私たちが目指しているのは、世界的なスケールで教育の場を人間的にすることです。これは興味深い視点をもたらします。教室をより人間的なものにする努力はもっぱら「生徒あたりの先生の数」に向けられています。私たちから見ると、重要な指標は「生徒あたりの、貴重で人間的な先生の時間」であるべきなのです。従来のやり方では、先生の時間のほとんどは、講義したり成績をつけたりすることに費やされます。生徒の横について一緒に取り組む時間は、せいぜい5%といったものでしょう。今や100%の時間をそこに充てられます。テクノロジーを使うことで、教室をひっくり返すだけでなく、教室を人間的にすることができるのです。それも5倍、10倍という割合でです。

テクノロジーが何のためにあるのか?
それは非人間的になるためではなく、
より人間的になるためなのではないか。

まさにこんな原点を思い出させてくれました。

さて、具体的方法を一緒に考えましょうか。  

Posted by ニシダタクジ at 08:07Comments(0)日記

2020年03月08日

僕は何のためにこの船に乗ったんだっけ?

3月5日6日、全国公営塾ネットワーク会議。
コロナウイルス騒ぎのため、オンライン開催。
zoomににらめっこしながらの会議は
初体験だったけど、時間はあっという間に過ぎた。

1日目のグループセッション

【M高校】
・「地域みらい留学」で初年度17名入学希望
・「地域みらい留学フェスタ」で募集して、メールでフォローアップ
⇒学校見学と現地見学ツアーを開催。
・現地ツアーはクイズなどエンタメ性:楽しそうな雰囲気を出すこと
・まずは先生方のニーズ把握して学校の負担にならないように。

【Y高校】
・定期テスト後の「KPTA面談」
・3つのグループに分けて、指導する。
・会議を工夫する(月曜日の進捗報告、月に1度の問題解決会議)
⇒ブレスト、議論、対処、検証
・スタディサプリを活用した反転授業

【ポスターセッション(黎明学舎)】
・親との関係性
1 公営塾の活動内容、目的について知ってもらう(ニュースレター等)
2 本人との対話時間をさらに強化していく。(KPTAふりかえり等)
3 学校との関係(保健室、カウンセラー、ソーシャルワーカー等)

【講演(N高 園さん)】
・汎用性に寄せるか、特殊性に寄せるか
★ネット時代のコラボレーションスキルの育成

・高校(と地域)の境界線があいまいになっていく
・コーディネート:「越境」+「コーチング(ふりかえり)」

・コーディネーターが第3者であるほど言いやすい
・高校卒業の先に何があるのか?を学校が定義しなければならない。
「学び方」は、あり方、生き方の問題。美しく学ぶこと。

【分科会(教育目標について)】
・2022年学習指導要領の改訂:「探究的学び」が前提となる。
★探究だけではなく教科も社会との接続を考えないといけない。
大学入試という直線的なゴールに向かっていけばいいという時代の終わり。
⇒すなわち、学習到達度が単一の指標で測れないことを意味する。
⇒だとすれば、今やっている学び、これからやろうとしている学びが目標に向かっているのか?常に検証する必要がある。
⇒仮説としての目標設定だから短いスパンで見直しが必要。
⇒だからと言って、目標を立てなくてよいわけではない。目標を立てなければ、たくさん湧いてくるアイデアや地域からの要望に対して取捨選択できない。

【分科会2(N高と地域全日制)】
・「個別最適化」というキーワードに対して、N高の総拘束時間は300時間。全日制高校の拘束時間は10倍の3000時間。
・「やりたいことがある」人にはN高に最適。
★「個別最適化」時代に、全日制高校(あるいは地域)の役割は?

★「存在承認」をどのように得ていくか。
「やりたいことがある」と「主体性がある」って違うのではないか?やりたいことは特にないけど、「他者や構成する場に貢献するスタイル」の主体性っていうのがあると思う。さらに言えば「手段として学ぶ」っていうのと「機会として学ぶ」の違いか。

★ふりかえりを「評価」の場ではなく「承認」の場にすること。
「評価」と離れたところで「ふりかえり」ができるかどうか。「評価」を前提としたふりかえりでは、ふりかえりができない。だからこそ、第3者としての(評価者ではない)コーディネーターが必要。「評価」と「ふりかえり」を切り離せるかどうか、は、質の高いふりかえりにとって重要。主体性があり行動できる2割ではなく、才能も自信もない8割の子がどうやって生きていくか?を場のチカラでデザインできるかどうか?存在承認を得つつ、アイデンティティをチームや場や地域に求められるか。

【アクション】
・「個別最適化」ができることをアピールする(中学校の説明会等)
・「こういう人に合ってます」をアピールする(ワークショップスキル・マインドを学べるなど)

・「地域みらい留学」:ブースでの楽しさ演出→連絡先をとる
⇒メールでのフォロー
⇒学校見学と現地見学ツアーの企画をする。
⇒エンタメ性の高い説明・ツアーをつくる。

・「楽しそうであること」が伝わるパンフレット、ウェブ

★「公営塾まつり」的なオープンデイのイベント検討。(ひとはこ古本市とか)
・大学希望者みたいなコミュニティで集まって相互刺激をあたえる。
・「音楽」など言語・数字以外のコミュニケーションを強化する。

・面談にワークシート導入する
・大学進学、就職・専門学校など、「個別最適化できる」ことをアピールする。

・親との関係づくり:ニュースレター、本人との面談、学校との関係を強化する。
・N高とのコラボレーションが可能か検討する。

・コーディネート:「越境」と「ふりかえり」:評価を離れた商人の場をつくる

・教育目標の設定のとき、意識すること
なぜ、目標を立てるのか?⇒取捨選択できるため。
学校卒業のその先に何があるのか?
短いスパンで見直す前提で設定する。

・C目標(必達スキル、あいさつなど)⇒B目標(3年間で身につける力)⇒A目標(将来そんな人材になってほしい)というのができていること。

・地域にある全日制の意義についてまとめる

・「存在承認」について、「評価」「承認」「ふりかえり」をキーワードにあらためてまとめる。

~~~ここまでまとめ

次のアクションにつながる2日間のインプット。

今後のアクションとして

1 公営塾としてのスタイルと生徒、学校、地域とのコミュニケーションデザイン
2 教育目標などビジョンの策定のスタイル、決める内容の決定
3 そもそもの地域全日制高校ができること(N高との違い)を問い直す

このあたりをやっていこうと思う。

気づいたこととして大きかったのは、
・「楽しそうである」と、右脳に訴える告知方法をもっと考えること。
・「学び方」と「あり方、生き方」が直結しているということ。
・コーディネートとは「越境」+「ふりかえり」。ふりかえるためには「評価しない」第3者が必要。
・教育目標を何のために立てるのか?⇒先のわからない時代に向けて、仮説を設定し、事業を取捨選択するため。
・地域にある全日制はなぜ必要なのか?⇒「個別最適化」には場としての地域が必要なんだ。

いい問いをもらいまくる2日間でした。

事務局のみなさま、全国のみなさま、
素晴らしい学びをありがとうございました。

会議後、北千住・ブックスナックで
「ちいさなゆうびんせん」のお披露目。
2年半越しの絵本の第2弾の完成。



げんさく にしだたくじ
ぶんとえ たかやりょうこ

素敵な作品ができました。

この本が問いかけるメッセージは、
「僕はなんのためにこの船に乗ったんだっけ?」

そんな問いに迫るような2日間のネットワーク会議だったし、
ブックスナックでたくさんの人に見てもらえてよかったです。

吉満さん、すてきな発表の場をありがとうございます。
藤原(弟)さん、今年中にあらためて印刷相談に行きますので待っててください。



  

Posted by ニシダタクジ at 14:58Comments(0)日記

2020年02月25日

差別化や資源化ではなく

SCHシンポジウム2日目@東北芸術工科大学

昨日のすさまじいインプットの嵐をなんとかアウトプットして迎えた二日目。



晴れた空。(芸工大からの眺めです)

2日目。
とんでもない衝撃が待っていました。
長野県教育委員会事務局 高校改革推進参与:内堀繁利さん。
放つ一言一言に、実践者の重みと思いがあった。

僕は今まで、何をして、何を考えてきたのだろうか?

・他の高校と、どうやって「差別化」するか。
・ネットN高と違って、「全日制」で、かつ「地方」で、何ができるか。
・まちの資源や課題をどうやって「教育資源化」するか。

そんな浅い問いたちを一蹴してくれた講演だった。

そもそも、何のために高校教育はあるんだっけ?
だれの幸せを願って、あなたはここにいるんですか?
あなたがそこにいる意味はなんですか?

胸の奥底にある、そんな問いを掘り出されるような、えぐりだされるような、そんな時間。

~~~以下メモ

長野県教育委員会高校改革~夢に挑戦する学び~
https://www.pref.nagano.lg.jp/kyoiku/koko/gakko/saihen/joho/manabinokaikaku.html

長野県は教育先進県と言われる。
そのベースにあるのは「学びと自治」

長野は長野市一帯の北信、松本市一帯の中信、上田市一帯の東信、飯田市一帯の南信
と4つの地方が大きく分かれていることもあり、教育のカタチもそれぞれの学校の自主性に任され、
・全人教育
・子ども中心主義
・子どもへの信頼に基づく教育
をキーワードに進められてきた。

そんな中で
白馬高校(デュアルシステム、高校生ホテルなどの事例)
上田高校(3つの探求、3つのフィールドワーク、3つの海外留学)
などの取り組みが生まれてきた。

教育委員会の役割
1 少し前を歩く
2一緒に歩く
3背中を押す
具体的であること、イメージが沸くこと。

全ての学校を特色化・魅力化していくこと。
学力のモノサシ以外で測ること。

新「でも」「しか」
ウチ「でも」やれるかも。真似してやってみる。
ウチに「しか」できない。やるしかない。

【探究の仕方を学ぶ】
問い・好きから始まる「課題設定」→情報収集→アクション(行動)→整理・分析→まとめ・表現→課題設定
※探究の質を上げるには「問い・好き」と「アクション(行動)」が不可欠。
★探究の質を高めれば生徒が変容する。

ただ活動しているだけではなく、それを深めること
アカデミック・エリートとストリート・エリート。
どっちも必要

★「テーマ」から「問い」へ★

・「社会課題」:最初は教師が示さないと始まらない
・「+α」:SDGs、理数(SSH)、地域(地元)等学校特有のテーマ
・「生徒自身の興味・関心」
の3つの真ん中に課題探究テーマを設定する
→行きつ戻りつ「テーマ」を具体的な問いに落とし込む中で生徒が自分と向かい核心を見出す。
★探究活動が主体性の発揮と共に進行すればそれはキャリア教育になる。

杉並区:特定の課題に対する調査H30より
https://www.city.suginami.tokyo.jp/seibi/1022531/1033738/1033745/index.html

主体性:
私たちは、自らの学習者としての経験を省察することで、主体性が発現する最も本質的な要素が個別に「選ぶ」ことにあり、自身で選んだ課題や方法で学びを深めるからこそ深く探究に「浸る」のだということを、いま一度思い起こさなければなりません。

★高校間連携、高大連携、地域との連携の推進
~1つの学校やこれまでの学びの概念を越える~
・高校間連携による、合同授業、公開講座、教員の相互授業、単位互換等の検討
・高大連携プラットフォーム(県教委・知事部局共同設置、県内大学参加)
・地域協働プラットフォームの構築(モデル校・再編統合校でスタート)
・地域協働連携室の設置(空間デザインの一環として)
・文部科学省・それ以外の中央省庁や企業とのタイアップ
⇒どこの高校にいっても、他の高校や地域の教育プログラムに参加できる、単位互換する。

★長野県の高校改革が目指すもの:学校・教育の意味や価値の転換と新たな学びの指標の設定を行う。
教員(指導者)主導の「教育」→生徒(学習者)主体の「学び」
学校に閉じた箱の中の「お勉強」→社会と一体的で、Actionを伴った、市民としての「学び」
集団を成立させるための同質的な個の育成→一人ひとりの存在やいのちから立ち上がる多様な自立した個の尊重
うまくいくこと、闘って勝つことの追求→チャレンジすること、失敗することと共に考え創ることの推奨
Equality (平等)の提供→Equity(公正)の提供
同調圧力により、いることがつらい場所→自己開示や対話により学びを深められる、楽しくて、行きたい場所
他者との比較による相対的・偏差値的評価→構築した自分軸に基づき自分の成長が実感できる指標
個が集団の使いなのではなく、集団が個の使いだ。

そして、内堀さんが上田高校高校生に向けたメッセージが熱い。

前例踏襲→「常識」を疑うこと、新しい発想、新しい価値の創造
時代・社会に適応する力+新しい時代や社会を創造する力を身に付け
「当事者意識」を育み、それを持ち続けてほしい。

・自分の人生を生きる当事者として
・学校を共に創る当事者として
・社会の一員(市民)としての当事者として
・新しい社会を創り次の時代につなぐ当事者として
一人ひとりが新しい時代や社会を創造する力と意思を持つことが大事。

特色化・魅力化は何のため?
偏差値とか点数以外の軸を作りたい。
★もうひとつの軸をつくる
ひとりひとりの生き方を大事にする。

思い当たることは全部やる
まずは子どもたちの変容を見せること。
エビデンスなしに好きなことを言わせない。
そして根気強く対話をすること。

2-8の法則。(ティッピングポイント)

「生徒一人ひとり(の学び)を本当に大切にする」の徹底追究

★生徒個々が自分のペースで行う生徒主体の「学び」
・Edtech、自立的学び等による個別最適で主体的な学び
・BYOD、ネット活用等による、いつでもどこでも学べる環境
・教員の役割は、ティーチャー(教授者)からファシリテーター(調整促進者)・伴走車へ。

★生徒の「リアル」から始まるワクワク感のある「学び」
・興味関心や身近な問題意識からスタートし、必要な知識を習得する逆方向の学び
・課題や発見に溢れ、学びと学ぶ意欲がリンクする、リアルな学び

★社会と一体的で、多様な人々と協同する「学び」
・学校、地域や社会などすべてが学びのフィールド、校内外のすべてが学びの協同者
・社会課題に向き合い、市民性を育成する「探究的な学び」「信州学」、PBL、STEAM

これらの土台に「多様性を受容し、失敗を許容する環境」がある。
(哲学)対話による内省、自己肯定感、学ぶ意欲の向上、同町圧力の排除

~~~

ここまで内堀さんの講演。
なんというか、気迫に圧倒された。
さすがSCHシンポジウム、プログラム企画者すげーなって。
このタイミングでこれか、って。

その話を受けて、
「学びの土壌に対して教育行政は何ができるか?」のフィッシュボール(金魚鉢)ワークショップへ。

【岡山県和気閑谷高校、香山真一校長】
1995オウム真理教事件→教育への疑問
偏差値上位の大学にこのまま送り込んでいいのか?

2007学力調査に参加しない犬山市の事例
→集団のために個人があるのではなく、個人を育てるために集団が必要である→協働することで個人を育てる

「自分の尺度で生きていく人をつくること」
「仲間(多様性)の中でどう力を育んでいくか。」

世界がそちらに向かっている→教育の方向性に対する信頼
先生方の純粋な部分を掘り起こす。
「学校」は慣性が強く働く:☓ビジョンなくても進んでしまう 〇変えてしまえば回っていく。
★先生方が若いこと。

ワザとして、
・先生方にひたすら情報を共有していく
・先生方から選択肢へのアドバイス聞いてみる

和気閑谷高校:子どもたちからどうやって学びを得るか?
全日制でもトガった子が自由に学べる仕組みが作れないか?

小国高校:生徒に動かされて先生が変わる
阿南高校:ノーサイン野球を授業でやったらいい。
★生徒のパワーで学校を動かしていく。

じゃんけんぽん理論(大槌・菅野さん)
NPO(グー)と学校(パー)の関係は
チョキの関係を持ってる第3者との関係によってよくなる。
地域のじゃんけん構造を理解し、そのボタンを押す。

行政=言葉がすごく大事
まち全体の中で教育がどう位置づけられているのか?
総合計画を読むこと(教育大綱→総合計画)
「政治」もやっていく。説得材料はエビデンスだけじゃなく人(生徒、大人、熱意)

大正大学・浦崎先生「タイムマシンに乗っているようだ」
浦崎レポート「住んではいけない」(笑)
高校を核にしてどんな地域をつくっていくか。そこに投資できるかどうか?

ひとりで全部できない
飛騨市学園構想:大人の探究活動の授業案。
探究:誰もゴールがわからない:正解のないゴールに向かっていく。
みんなで対話しながら進んでいくしかない。
行政が3.0のままでは成り立たない
★学校は探究的学びが必要だが行政も探究的学びが必要
「ああいう子を育てたいよね。」っていう共通認識

コミュニケーションデザイン=政治 ※決済できる人を連れていく⇒見てもらう。
コーディネーター=通訳は短期的には必要だが、長期的には対話の場で解決する。

【ランチタイム】
地域系部活動について
同世代からの刺激は大きい。
自分の好きなことを学べる環境(好きを深める)=自分たちがまちの中に起こすプロジェクト

「自分の学校生活を自分でデザインする、したい人」
〇〇デザイン同好会(仮)でスタートする。
※中学校にもポスターを貼る

成功や失敗を評価するんじゃなくて、活動そのものを承認すること。

【ふりかえり】
・「学びの土壌」をつくる=学びの生態系をつくる
・生徒も先生も学校も行政も相互に作用しあっている。
・2日間の学び、「自校」「他校」とか「ネット」「全日制」とか2項対立ではない第3の道
・「計画・実行」と「とりあえずやってみる」の2つを使いこなせるようになること
・学力だけのモノサシじゃない、もうひとつのモノサシをつくる
・アカデミックエリートとストリートエリート。ストリートエリート+本(読書)がいいのではないか。
・学びの伴奏者、俯瞰者としての本
・「地域軸」「自分軸」だけではなく、+α(切り口)という3軸の真ん中に「探究」をつくること。
・「社会が学校を変えるのではなく、学校が社会を変えるのです」
・「対話」しながら前に進むこと、一段一段上がること。

~~~ここまでメモおこし

そしてふりかえりのシェア。



ここでも小国高校の生徒たちが炸裂した。

・先生を操り人形にする
・新人(転勤)教員研修として「あなたの番です」→「あなたも変です」研修をやる

ラストは、
「カリキュラムを変えたい」と言っていた。さすがにウケた。

SCHシンポジウム5年間の歩み。
5年間には想像も付かなかった世界が目の前にある、と浦崎先生は言っていた。
高校改革のプレイヤーが高校生自身になっている世界がそこにあった。

芸工大コミュニティデザイン学科の岡崎学科長も、
今回のテーマ「高校生も大人も変態できる学びの土壌づくりとは?」に言及。

実行委員の学生が言っていたという。
「先生、サナギって中で何度もドロドロに溶けちゃうんですよ」

そっか。
変態ってそういうことか。
今ある形を残したまま、変わることはできない。
いったん今のアイデンティティを捨てないといけないのかもしれない。

SCHシンポジウム初参加。
衝撃ばかりの2日間だった。
特に2日目の内堀さんの話に。

「他校との差別化をどう図っていくか?」
という問いにひたすら向かっていた僕は、ガツンとやられた。

そうじゃないだろ、もっと先を、未来を、そしてひとりひとりの生徒たちを見ろよ、と。
ごめんなさいって思った。

もっと先を、未来を見て、そこに向かっていくこと。
あらゆる周りの人たちと「対話」を重ねていくこと。
周りの人たちと協働し、未来をつくっていくこと。

いいものを見せてもらった。
残された時間はあまりないけど、ここから登っていくしかない。
まだ見えない雲の上に、さらに高い頂上があるのだろうけど。  

Posted by ニシダタクジ at 13:07Comments(0)日記

2020年02月24日

対話的アプローチから始まる「土づくり」と高校魅力化

SCHシンポジウム1日目@東北芸術工科大学。

芸工大コミュニティデザイン学科発の高校×地域の一大イベントに初参加。

大槌高校のビジョンづくりの話に度肝を抜かれ、
その後の懇親会でチームカタリバのすごさを実感した。

オープニングを飾った
小国高校の「ワークショップマインド」について考えさせられ、


大崎海星の取釜さんがやってきたこととか、
まちづくりと高校魅力化の関係とか。
教育学っていうよりは経営学っぽいこと。

激しいインプットの嵐に2日目に行けなそうなので、
ここにアウトプットしておきます。

~~~ここからメモ
オープニングキーワード「変態」

どんな高校生に「変態」してほしいか?
・「価値」を自ら決められる
・新たな「価値」を他者と協働して創り出せる

卵から幼虫、さなぎ、成虫へ。
脱皮を繰り返して変態していくこと。

幼虫がさなぎになるために
適切な環境(土壌)が必要
人間が変態するにも
「学びの土壌」が必要

【大正大学浦崎先生】
自分らしく地域とかかわっていける高校
感じて、問いを立て、意味を味わうこと
問いには「感じること=感性」が必要
「感性」=「個性」

マイプロ→「ジブンゴト」化できるか。
普通科は普通か?
藩校改革の時代。平安貴族から鎌倉武士の時代。
大船渡高校の国公立推薦合格者数。

探究と教科との連携。
全ての高校生にマイプロを。
誰がいつアプローチしたら誰にどこまで届くのか?

教育を自動車に例えると
学力低下→パワーダウン
その自動車を一生懸命押していないか?
自動車を自走している状態にしないと。
燃料は知的欲求

【小国高校】
「全国高等学校小規模校サミット」から
生徒が、先生が、地域が変わった。
全国から18校60名が参加。
やったことがない→やってみるへ

モチベーションが上がったのは
「人とのかかわり」があったとき。
20の役割を個性に合わせて分担した。

ファシリテート研修で学んだこと
・Yes,and
・名前を呼ぶ
・話の量を均等にする
・自分から意見を出す

1 雰囲気づくり
2 やっている様子の観察
3 一緒にやってみる

安心・安全の土壌⇔対話の土壌
「Yes,and」というコミュニケーションから。

指導者から支援者へ
試行錯誤は楽しいこと、かつ「探究」そのもの。
提案!「ゼロからやろう」を見つけて仲間とやってみよう

★楽しくなきゃ学びじゃない

★保健室の相談内容が変化した
自信の無さ→プロジェクト相談へ
★前年度を踏襲しない

やってみた→実感した→ふりかえった→問いが生まれた→分析した

「小国高校だからこそできる」
コンプレックスが誇りに変わる瞬間

【阿部剛志さん】
「学びの土壌とは何か、なぜ必要か?」
https://www.murc.jp/wp-content/uploads/2019/11/seiken_191122_3.pdf

「何を、どのように学ぶか」より
「誰と、どのような環境で学ぶか」が重要

生徒にとっての学びの環境
「家庭」・自宅の環境・親の資本(経済、社会)
「学校」・校訓伝統・友人の意欲・教職員の資本(社会)
「地域」とは?

高校生はなぜ「変態」できたか。
・周りの雰囲気
・大人に出会えたこと

地域に必要なこと=学びの土壌←率先垂範

挑戦の連鎖を生む「安心・安全の土壌」←大人の主体性
協働を生む「多様性の土壌」←大人の協働性
問う・問われる「対話の土壌」←大人の探究性
地域や社会に「開かれた土壌」←大人の社会性

土壌上位×課題探究なしのほうが
土壌下位・課題探究ありをはるかに上回り
地域学習なしでも大人の橋渡しありで
地域学習ありで大人の橋渡しなしと同じほどの成長が見込まれる。

まとめ
・「何を学ぶか?」と同等に、「誰と学ぶか?」や「どのような環境で学ぶか?」が生徒にとって非常に重要
・授業や課外活動などという方法を通して、大人が生徒にどう関われるか?どういった学習環境を用意できるか?が重要
・学習活動と学びの土壌を合わせて考えると、生徒の能力認識や行動実績の結果を理解する手掛かりになるかも?

「授業づくり」(何を学べるか、どのように学べるか:明示的なカリキュラム)と
「土壌づくり」(誰と学べるか、どのような環境で学べるか:隠れたカリキュラム)を同時に進めないといけない。
土壌づくりは「Yes,and」から、つまりまちづくり、コミュニティデザインと同じ。
よい土づくりができているところは10年以上ブレずにやっている。

質問:具体的場所は必要ないのか?
答え:場とは「人の存在」「機会」「雰囲気」だからそれが作れるなら具体的場所は不要

コアチームは3~5名でつくる、始めていくこと
活動と学びの土壌づくりをぐるぐるして、変態するアウトプットを出す。

~~~ここまで午前

午後のスタートに2日間で探究したいことは?という問い。
僕は、大崎海星の授業→公営塾→部活と地域プロジェクト
みたいな設計とそのアプローチについて、と書いた。

【午後の部① 津和野高校】



ふるさと納税のページ
https://www.furusato-tax.jp/gcf/627

テーマはコンソーシアムづくりについて。
スーパー事務長、藤原さん素敵だった。
あれは生徒たちも寄っていくよなあと。

津和野は人口7,400名
高校1
中学校2
小学校4
出生数 40
と阿賀町とほぼ同規模。

2013年の155名をボトムにV字回復している。
探究活動によって、
慶応大学、東大、立教などAO推薦での合格実績がすごい。

コンソーシアムの現状
共通の目標「探究的な学びを実現する」

なぜコンソーシアムをつくるのか?
→コンソーシアムは目的じゃない
→なぜあなたの地域でコンソーシアムが必要なのか?
→コンソーシアムは手段であり、作ることが目的じゃない。
→津和野が抱える課題を解決する手段としてのコンソーシアム。

津和野:コンソーシアムという一般財団法人設立。
町から300万円

高校魅力化の成果
・課題解決できる人材の育成:部活動、マイプロ、総合学習、地域活動参加
・多様な進路選択への支援:町営塾の推薦入試支援、難関大への進学者増
・新たな人の還流への期待:全国から入学者の増加、関係人口の増加、知名度の向上

魅力化の課題
・継続・持続性:人材の確保、留保難、属人的コーディネーター依存(他者との関係性・繋がり)
・連携する仕組み:町内の企業・団体が抱える資源・課題と高校の資源・課題間が未接続、高校の活動が限定的
・長期的視点・ビジョン:高校魅力化と町の未来の接続、定住政策や市民の社会参画、生涯教育や福祉・子育てへのリンク

次に行くには、共通した未来を描き、持続可能にする仕組みが必要。

事例:センセイオフィス
スイスの家具メーカーと協働し、職員室のレイアウトや家具を刷新した新職員室
①高校の教員といつでも対話できる雰囲気がすでにあった。
②働き方について一緒に考えるチーム編成・さらなる対話
③環境や空間が変われば、人の気持ちやコミュニケーションが変わることを共感

・環境を変化させたことによって、対話やコミュニケーションが加速する
・個人の中に新たな視点が働き方やハード面への理想が生まれる

今後のコンソーシアム:数年かけて耕していく。

生徒主体の幅広い活動も増加
・総合的な学習の時間内で行なってきたプロジェクト型学習
・生徒主体で始まったマイプロジェクト
・地域系部活動・グローカルラボの地域活動

生徒や町なかから生まれた様々な活動
それぞれに役割があり、補い合ったり、協働することもできる。

お互いがつながり、機能を持つことで新たな視点や見えてこなかった課題を
発見できるそれに対して探究を行なっていく。
コンソーシアムが学びの土壌の質を高め、まち全体が学びの場になる。

連携の場所、交流の場所をつくる:小さなプロジェクトを回す
⇒バームクーヘンの少しでも内側へ。

~コンソーシアムでできることはまだまだ模索段階であり、変態する~

地元の人達が、高校が、町が、どんな子どもを育てたいのか
そのためにどんな町でありたいか、
それをずっと長く続けるために、いま何をすべきか、
子どもたちが笑顔でのびのびと育つ町ってどんな町だろうか
みんなが笑顔で楽しく暮らせていけるにはどうすればいいか。

一部の決まった人たちが一部の決まった場所で一部の決まった形で考えるだけでは
それを為すことはできない。閉じられた世界でなく開かれた世界にこそ魅力的な教育や
町づくりがあるのだろうと、そうした気づきの先にこの地域・教育の魅力化の流れがあるのだろうと思っています。
(津和野高校事務長 藤原健司)

↑かっこいい
校長じゃなくて事務長っていうのが熱いですよね。

事務長は1年目。自分が使える人だと思ってもらえるか?ということを考え、
まずは寮のお風呂の改修をうまいことやる。
「あの手この手」で、って「政治」のことですよね。
「政治」が得意なやつは政治をやればいいんだ。

それも対立しないで、一緒にやるということ。
やったらこんないいことあるよ、ほかのところにもってかれてもいいの?
みたいなコミュニケーションデザイン
ツルハシブックスで目指した「2段階支援」が理想なのかも。

【午後の部② 飯野高校 梅北先生】



探究の時間の探究:生徒も先生も変態
宮崎県えびの市
H21:90名/120名定員
H26:70名/120名定員
飯野高校は何のための高校だろう?
高校教育は何のため?

他地域の先進事例を見に行った
探究によって学校、地域が変化している
→飯野高校も探究を軸に。

「違和感」勉強だけじゃないんじゃないか。

パーソナリティ特性(溝上慎一先生)
http://smizok.net/education/PDF/PDFa00034(personality5).pdf
社会適応できる→勉強だけではない。

学校と社会を分けるのではなく、学校を社会の中に入れてしまう。

飯野高校の探究プロセス
テーマ設定・(企画)→フィールドワーク・調査分析・(企画)→実践→リフレクション→最初に戻る

実践型課題解決活動
「教員が主体的に」+「チームとしてやる」
※コンテンツを入れるだけでNG

「一緒に学ぶ」:教師自身の幅も広がる
なぜ地域?なぜ探究?
「シフトチェンジ」が起こる。子どもたちの表情が変わる。

「つなぐ」→「出す」→「ふりかえる」
★「認める」:ひたすらに認める。

えびの未来カフェ→大人たちが認めてくれる場所
「承認」されること。

社会現象を自分が変えられるかもしれない。
探究コース50%(総合20.0%、生活文化38.1%、全体37.8%)

他校を見に行ってやってみる:いつのまにかオリジナルに変化している。

3年C組の生徒
「飯野高校は何でもチャレンジできる学校です。先生がチャレンジを受け止めてくれる」

魅力化コアチーム会議:年5回

グローカル学習サミット:主催者は勝手にふりかえっている
★ふりかえりの文化を作ること:ふりかえるものだって体が思っている

探究と進路:ふりかえりによって。何をどう感じたか?

これから:
・教育課程のさらなる工夫
・探究的な学びの評価の在り方
・探究的な学びの蓄積の在り方
・地域支援者(協力・伴走者)への配慮と協働の在り方
・地域をフィールドにした持続可能な探究的学びの在り方
・探究的な学びの広報・発信の在り方

【午後の部③ 大槌高校のビジョンづくり】



1 大槌高校魅力化構想
2 探究「三陸みらい探究」(文科省事業)
3 コーディネーターの配置(カタリバ)

魅力化ってなんだ?
どうすれば魅力化できるか?
魅力ある学校はどんな学校?
我々はどこにむかっているか?
→ゴールが見えない→ビジョンが必要

ビジョン:魅力化構想骨子を半年かけてつくる。

ステップ1 育てたい力&人物像(生徒・教員・地域の意見集約)
ステップ2 そういった人材を育てる大槌の風土(大槌の魅力あるリソースは何か)
ステップ3 魅力化構想コンセプト(全国募集を意識したキャッチフレーズ)
ステップ4 めざす学校の姿(どのような学校をつくりたいか)

コンセプト作成の観点
・地域がその目標に向かって協力したいと思える(この地域だからこそという側面)
・町内の生徒が進学したいと思える
・全国の生徒が進学したいと思える

「大海を航る 大槌(ハンマー)を持とう」
・自立:意志がある→自らの志を深め、物事を探究する意欲を持ち、主体的に行動できる人
・協働:仲間と共にある→世代や地域、言語が異なる人との交流を通して、違いを超えて共創することができる人
・創造:逆境から創り出す→しなやかな心を持ち、新しい価値を創ることができる人

・海:地域→高校生が地域から受容されていると感じ、地域と積極的に関わろうとすることを応援する地域性
・空:希望→異なる他者との対話を通して、願いや志をより鮮明にし、高校生自身の生き方を見直す機会
・山:多様性→異なる個が尊重され、多様な価値観を持つことが許容される地域性
・風:挑戦→他社の挑戦に協力し、それぞれの挑戦が肯定・応援され、失敗が許容される地域性

学校の目指す姿
1 生徒一人ひとりの目標が応援され、それぞれがもつ強み(大槌)を見つけられる学校
2 未来社会に生きる力をつける学校
3 多様な価値観で多様な個性を支える学校
4 地域が学びを育て、学びが地域を育てる学校

★生徒と教員と地域のあいだにビジョンをつくること。

5月:魅力化全校集会(生徒)
5月:教職員魅力化検討会(教員)
7月:魅力化構想懇談会(地域:生徒含む)
9月:第2回全校集会:なりたい人物像を問う
9月:第2回教職員魅力化検討会
10月:全校集会で投票
11月:教員と地域で再検討



大きく「自分」「他者」「未来」に関することが出てきた。
「自分」:何事にも一生懸命な人、ポジティブ
「他者」:思いやりがある人
「未来」:向上心がある人、行動力がある人
→計画へ

〇〇たれ(例:ふたば未来高校「時代の変革者たれ」)ではなく、
〇〇を持とうは、生徒自身がかかわり、対話から生まれた感がある。
上からではなく、下から、協働してつくっている。

~~~ここまで午後の部

ふりかえりでは小国高校のみなさんと同グループに。
小国高校の強さは、「ワークショップマインド」にあると思った。

芸工大コミュニティデザイン学科と協力し、
1年生のときから「Yes,and」「一緒にやる」というマインドがついている。

「前例踏襲しない」という力強いメッセージ。
これって進路とかキャリア教育的にはどうなのかな?って思って質問し、対話。

「目標を決めてそこに向かって進む」というのと、
「とりあえずやってみて、ふりかえる」というのは
まったくアプローチが違うし、それこそが「探究」と「進路」の隔たりなのかも、と思った。

対話していて思ったのは。
「それは同時に起こっていいいんだ」っていうこと。

「目標を決めてやる」と「とりあえずやる」は
両方あっていいし、自分の中でプロジェクトごとに違うアプローチをしてもいいし、
もしかしたらチームの中でも違ってもいいのかもしれないと思った。
昨日も思ったけど、2者対立構造にしないことなのかも、と。

あらためて「高校魅力化」と「地域」について、
考えさせられまくった1日だった。

いちばん印象に残ったのは大槌高校のビジョンづくり。

そしてその土台にある8年間の歩み。
この1年ずっと不思議に思ってきたこと。
それは「カタリバの手がける高校魅力化はどうしてそこまでていねいなのか?」っていう問い。
今回はそれに対してひとつの仮説が生まれたし、その仮説はきっと私たちの地域と高校に当てはまるように思う。

地域に対しても、先生に対しても、探究の授業でも、そこには対話があって、対話があるから相互信頼が生まれる。
すべてに対話的アプローチをしていること。

カタリバはいわば、高校生とのコミュニケーションのプロというか探究第一人者だ。
そのカタリバだからこそ、対話を重ね、関係性をつくり、歩みを進めてきた。
それがまさに有機農業のような「土づくり」、つまり「学びの土壌」づくりにつながっている。

小国高校の事例は、「ワークショップマインド」の大切さを思い出させてくれた。
大切なのは、ワークショップスキルではなくて、ワークショップマインドなんだ。
Yes,andであり、一緒にやるってことであり、とりあえずやるってことでもある。

そして、津和野高校の藤原事務長、最高でした。
おじさん版「モモ」だと思った。笑

あんな大人が町に何人もあふれていたら、
高校生が1日1日を楽しく、またエキサイティングに過ごせるのだろうなと思った。

高校魅力化が僕にとってとてもエキサイティングなのは、
「高校魅力化」が教育学だし経営学だしキャリア教育でもあるし、教科学習でもあるし、総合的探究でもあるから、なのかもしれないなと。

今日はホント、これは経営学だな、と思いました。

あ、土づくりは農学でもありますね。
農学部出身でよかったです。笑  

Posted by ニシダタクジ at 07:03Comments(0)日記

2020年02月23日

人と向き合わず目標に向かう

山形といえば。

僕にとってのリノベーションの教科書「郁文堂書店」。
ここに行かなければならない。

2017年9月25日
http://hero.niiblo.jp/e485890.html

2018年1月14日
http://hero.niiblo.jp/e486766.html
に続き3度目。

今日は、スタッフに入る予定の
芸工大の学生が用事があったようで、
原田伸子さんがひとりでお店にいた。

歩いてきたら、シャッターが閉まっていたので、
大丈夫か?と思ったら、左側だけ開いていた。



ひとりたたずむ原田さん


ちょっと待ってね。と言われ出てきたのが
お茶と山形名物「青菜漬」


さらに隣で渋谷まんじゅうを買ってきてくれた伸子さん。


僕、孫みたいにごちそうになってばかりでいいのでしょうか。


最後に記念撮影をして、
郁文堂書店を手掛けた追沼さんにオススメされたお店「Day&Coffee」へ。
そこに向かう途中、
山形第一小学校跡地を利用した「山形まなび館」を見つける。

へえ。
なんかよさそう。
ということで入ったら、入ったすぐそこにブックカフェ「Day&Books」が。
なんか聞いたことある名前だな、と入ると、なんとびっくり追沼さん本人が!
もってるなあ、おれ。(笑)

原田さんから預かった
「渋谷まんじゅう」を追沼さんに渡し、今日のミッションを果たす。(笑)





2冊本を購入し、「Day&Coffee」を目指す。
あ、こちらには北嶋さんが!
郁文堂書店チームとの再会がうれしい。









北嶋さんのいれてくれたコーヒーはなんだかとても優しかった。

「リノベーションの本質とはなんなのか?」
僕は郁文堂書店チームに教えてもらった。

~~~以下2018年1月のブログより

それまでの僕は、「リノベーション」って、古い建物の雰囲気を生かしつつ、いまの時代に合わせて新しくつくりかえることだと思っていた。

そうじゃなかった。

リノベーションとは、その土地や場所に息づく継ぎたい何か、をどのように継いでいくかの方法論として改築や新しく何かをつくることなんだって思った。郁文堂書店プロジェクトが継ぎたいもの、残したいものは「郁文堂サロン」と呼ばれていた文化だった。

~~~

今日も、そんな時間と空間を味わうことができた。
3か所の「作品」を見られてとてもうれしかった。

そして、SCH前夜祭、の前のワークショップへ。



第6回SCHシンポジウム開催応援イベント in 山形
『地域・教育魅力化攻略ガイド(仮)』作成に向けた、課題共有&解決ワークショップ
〜みんなの暗黙知を、魅力化を深化させる形式知へ〜

20名くらいの参加者がテーマに合わせて、話し合いをした。
僕は大崎海星・石井先生と佐渡中等・宮崎先生とみらいずワークスの角野さんと
教育目標とカリキュラムについてがメインのグループに。

キーワードは、
・教員の関係性、同僚性をどう高め、深めていくか
・教員とのコミュニケーション・デザインをどうするか
・探究や地域プロジェクトをどうやって協働して進めていくか
・教育目標(育てたい生徒像)をどうやって設定するか
・教育目標の達成度合いをどのように測るのか
このあたりでしょうか。

~~~以下メモ

奥尻高校町立化に関する論文
https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/75779/1/010_AA11562857_18.pdf

SECIモデル「形式知から暗黙知へ」
http://www.osamuhasegawa.com/seci%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%AB/

熱海高校:コンソーシアム熱海が育成する資質・能力
https://mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2019/10/18/1422061_03.pdf

カート・フィッシャー「ダイナミックスキル」理論
http://yuendo59.blogspot.com/2015/03/2015318.html

「あるある課題」を抽出して「そうか課題はこれか!」
という気持ちになる率を高めること

「持続性」「勇気」「カリキュラム」「コーディネーター育成」「認知」「価値見える化」「課題設定」「体制」
などから、自分が響くキーワードでグループをつくる。
自分たちはカリキュラムグループへ。

昨日の取釜さんの話にあったように、
持続可能なものにするために大崎海星は
2人担当制を採用している。
教員は授業の空き時間に学校に来てくれると助かる。

やり方について3択などにして持っていき、具体的に質問すること。

「教育目標」に向かっていること。

目指す資質・能力とは?
「地域に貢献できる生徒」だとしたら、
それにはどんな力が必要なのか?
を因数分解していくこと。

それを先生だけじゃなく地域の大人も一緒になってつくること。
熱海高校:すでに地域で活躍している大人は高校生の時にどんなことをしていたか?

その目標を
「中学3年生でもわかる」言葉にすること
=自分でも評価できる

★目標と評価はセット。
しかもその評価を他者からではなく、自己評価できるということ。
10段階のルーブリック、など。
話を目を見て聞くことができる→インタビューしたものをまとめて他人に伝えられる

★3段階の「育てたい生徒像」
3 その上でこうなったら理想的だなあ(発展)
2 これを身につけるためにカリキュラムがある(標準)
1 挨拶・傾聴など、まずはこれができないと(必達)

土台となる能力とその上に積み重なる能力。

「コミュニケーション力」
・傾聴力
・語彙力
・好奇心
・自己理解

さらに
「傾聴力」とは
・目を見る
・メモをとる
・うなづく

などなど、すべての力はそれを「構成する能力」と
さらにその「上位能力」になる。

個々の能力は点で、それが合わさって面となり、
さらにそれが立体化して「スキル」となる。
カート・フィッシャー「ダイナミックスキル理論」

教員・コーディネーター(公営塾講師)・地域の人
など立場の異なる3者でチームをつくり、1年ごとにゴールを設定する。
(そのゴールは教育目標に向かっている)
そして、コミュニケーションの回数を重ねる

★向き合わない:二者で向き合わないこと
ゴールに向かうこと。

★ルーブリック評価のポイント
人によって目指すルーブリックポイントが違う
その中から3つを選ぶ、みたいな。

「あの子がこうなるんだ!」
というのを見せる。

~~~以上メモ

これから教育目標づくり、カリキュラム・課外活動の設計をする上で有意義な時間となった。
大崎海星高校モデルに学ぶところも大きかった。

ふりかえりでも書いたこと3つ。
・中3でも分かる言葉、自己評価できる目標の作り方、ルーブリック評価について。
・まち独自の育てたい生徒像を設定すること。
・まずやるべきこと、身につけてほしいこと、こうなったらいいなあの3段階ある。
これが大きな気づきだった。

そして運用していくところでは、
やはり「向き合わないこと」が大切だろうと思った。

「やる気のある先生」と「やる気のない先生」とか
「やる気のない先生」と「熱意ある地域の人」みたいな
対立構造にしないこと。

そのためにもまずみんなが参画して目標を設定し、
あそこに向かっているということと。

先生、地域の人、だけではなく、第3の大人、つまり
コーディネーター(公営塾スタッフ等)
の3者でプロジェクトを推進していくことが大切なのではないかと思った。
人と向き合わず、人と比べず、自らの設定した共感できる目標に向かっていくこと。
そのためのパートナーとして隣の人がいる。

そんな場づくりができること。

たぶんそれかな。  

Posted by ニシダタクジ at 07:29Comments(0)日記

2020年02月22日

気が付くと地域と自らの人生の当事者になっている

SCH開催応援イベントin新潟「地域×教育は社会に何をもたらすのか?」に参加してきました。

第1回SCHシンポジウムが東北芸術工科大学で行われたのが2015年。「高校生」「地域」「学び」そんなキーワードで孤軍奮闘してきた山本一輝さんが新潟で開催したプレイベント。



会場の熱気もすごかったけど、主催者・ゲストの熱量もハンパない。
佐渡中等教育学校の宮崎芳史先生と広島・大崎海星高校のコーディネーター取釜宏行さん。





いまこれを書いているこの瞬間も胸の奥がジーンと熱い。
そして自分がこれをできるのか、そして、やらなきゃ、何年でできる?まず何からやる?というなんとも言えない感情が沸き起こる。

イベントのラストに山本さんから出された問い。
will can must
これからやりたいこと、できること、しなければいけないこと。
それをシェアしてイベントが終わった。

学びとして一番大きかったのは、大崎海星高校のプロジェクトデザインというか、仕組みのところ。

「授業」(大崎上島学)→「公営塾」(塾での各種プログラム)「部活動」(みりゅくゆうびん局)という流れ。
授業だけの子が50%
授業+公営塾の子が30%
授業+公営塾+部活動のもっとも主体的な子は20%
であるという。

そのほかに「地域プロジェクト」というのが走っている。この設計は応用できると思った。

~~~以下メモ

山本さん

新・社会人基礎力
https://humidasu.com/%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0/%E7%9F%A5%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%82%8B%EF%BC%9F%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E7%94%9F%E3%81%AB%E3%81%A8%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%82%82%E9%87%8D%E8%A6%81%E3%81%AA%E3%80%8C%E6%96%B0%E3%83%BB%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%BA%BA/

溝上慎一先生「教育論」
http://smizok.net/education/

課題解決をキーワードにした「総合的学習」から自分軸との社会との接点大切にした「総合的探究」へ。

地域との「豊かな人間関係」と共に「成功体験」を積むことで地域に愛着を持ってもらう。

新庄・最上「ジモト大学」
https://t.co/29uCi4romB?amp=1

宮崎さん
「わたしたち嫌われているんです」という出発点

ビジネスプランづくりのワークシートは高校生でもできるし、楽しいかも。

1 主体性の尊重 WANTを掘り起こす。
2 必要なことは自分たちで用意する。
3 常にビジョンを追い続ける。

「学生だからできないということはないと学んだ」
これも熱いコトバだったなあ。佐渡中等のSフェス。
イノベーションを起こす場づくりをしたい、と志望理由書に。
「何もない、つまらない」というのは自分が動いていないから。
0から1をつくる。

佐渡中等かふぇ#はっしゅたぐも素晴らしかったなあ。
佐渡のカフェを紹介するカフェというコンセプト。

アイデアをカタチにするために、消しゴムハンコ、キャンドルづくり、ラテアートまで次々にスキルアップしていく。そういうの理想的だなあと。

リフレクションとシステム思考
https://nomad-journal.jp/archives/6400

佐渡中等「プリンフェス」チーム。好きなもので佐渡を盛り上げたい。
ポジティブアプローチとギャップアプローチ。好きなことをやり通してよかった。ニーズに応えられているということ。
0→1の楽しさすべて自分たちがやらないといけない→地域の応援が支えになった。

好きなことから始めて探究のスパイラルを回す。探究によって広げていく。
リフレクションで進化できる。
好きなことやってると元気になるからサイクルを回すエネルギーになり、学び続ける力に。

大崎海星取釜さん

大崎海星取釜さんのモチベーション・ピラミッドの話が一番の学びだった。50パーセントの生徒とは授業でしか関われない。半分は公営塾で、さらにその中の40パーセント、つまり全体の20パーセントが主体的に活動する「みりょくゆうびん局」カギはキーワードで参加できる地域プロジェクトだな、と。

最初から主体性を持って自ら動くのは2パーセントだけ。
98パーセントはやらされて始まる。でも、そこからなんだ。

5年間の変化:
・学校パンフレットに地域の人が出てくるようになったこと。

・主体的に動く先生の数:1→3→3→5→8→27名に。
島の仕事図鑑はたったひとりの先生が作った。インタビューと言いながら質問用紙を上から聞くだけだった。やらされていたのだ。

1回目から3回目まくらいまではやらされている。しかし段々とインタビューに慣れ、上手になっていく。モチベーションも上がる。それを見て先生は衝撃を受ける。「何かできることないか?」と聞いてくる。

なりたい職業や目標としてのロールモデルではなくて、学びのロールモデルをいくつも見せて、しかも実践していくこと。

1 生徒の変化
主体的生徒の増加 2%→5%
先生主体→生徒主体

2 先生の変化
協働→共創へ
受動→能動へ
研修に私費で参加

3 地域の変化
教育の島へ

大崎海星取釜さん語録。
「未来に対する強烈な当事者意識」
「気づいた人がやらないといけない」
「コーディネーターはグレーなところに落ちたものを全部拾う」
そして「圧倒的な勝手な使命感」
熱いっす。

「持続可能なものにすること」
何をするにも2人で担当すること。関係性がだんだん良くなる。

「これやりましょう」ではなく、すみませんが、送迎お願いできますか?とお願いする。
継続していくと向こうから何かやることありませんか?と聞いてくる。コミュニケーションデザインだなあ。

「どんな生徒を育てたいですか?」って先生に聞けば、社会に通用する生徒、とか返ってくる→聞いていないだけ。目の前のひとりを誘うこと。

「高校時代にやった一番悪いことって何ですか?」ていうキラー質問。

教科横断プロセス
1 先生ひとりが他教科とのつながりも意識する
2 異なる教科の先生が一緒に授業する
3 他教科と一緒にテストをつくる。

~~~ここまでメモ

佐渡中等教育学校宮崎先生の熱の入ったプレゼンが印象的だった。
そして、参加生徒が「自分」から出発していることが素敵だなあと思った。

Sフェスやかふぇはっしゅたぐ、プリンフェス、おっちゃん祭・・・
好きを原動力にして探究のループを回していくことで
遠心力のなかで「地域」とか「地域の人」と一緒になる。
リフレクションをていねいにやることで価値に気づく。

取釜さんの言葉にも熱くなった。

「未来に対する強烈な当事者意識」
「気づいた人がやらないといけない」
「コーディネーターはグレーなところに落ちたものを全部拾う」
そして「圧倒的な勝手な使命感」

これらは実は教員やコーディネーターだけではなく、
高校生自身にも当てはまると思った。

当事者意識、気づいた人、グレーなものを拾う、そして勝手な使命感。
自分の「好き」から出発したプロジェクトによって、徐々にそれらが高まってくる。

気が付くと自分が地域と自らの人生の当事者になっている。
おそらくはその先に、その人なりの幸せのカタチが見えてくる、と。
それが「探究」という取り組みなのだろうと思った。

山本さんの5年間の学びと思いが
次なるステージの扉を開けた夜になった。

山形に向かう電車の中で、読んでいるこの本。



僕のWHYはなんだろう?と
問いかけられる。

吉田松陰の野山獄エピソードという出発点を思い出す。

みんな学びたいし、学び合いたいのだ。
その先に未来があるから。

学び合うことで自分と地域の未来を創りたいし、未来を創ることはふるさとを創ることでもある。
自らのアイデンティティもそこから創られる。

僕のWHYはそんなところにあるとあらためて思った。

次のステージへの船出。
まだまだこれからだ。
そのバトン、確かに受け取りました。

  

Posted by ニシダタクジ at 12:36Comments(0)日記

2020年02月17日

10年後に最高の形で、この学校があるとしたら





「にしかん未来カンファレンス」の第1部にいってきました。いい問いをもらってきました。
にしかんをエリアとしてコンセプトとマニュフェストを決め、リブランディングする。
そのブランドに合った商品を開発する。全体として未来へのメッセージを発信する。

あらゆる商品はメディアとしての機能を持っていく。
本だけではなく、商品そのものがメッセージを運ぶものになる。

そんな実感がありました。

~~~以下メモ

カンバセーション→ダイアログへ
おしゃべり→会話→対話→会議→議論

対話:認識の違い(ブレ)を顕在化させるコミュニケーション。
違いをうけとめ、楽しむこと。

対話:まとめなくてもいい 3つの×
× テーマがない
× 上下関係、仕切りがある
× 勝敗がある

対話の効果
1 創発が起こる 多様性、創造性
2 チームワークが強化される
3 先入観に気づく
4 「共認的現実」をつくる
→社会構成主義「未来は私たちが使う言葉で描かれる」認識した、合意した事実に向かっていく。

対話のポイント
1 まず受けとめる
2 いつもの自分を保留する
3 ネガティブを活かす
4 自分の中に芽生える変化に気づく
5 明日のヒントを探すつもりで



にしかんローカルマニュフェスト:言葉から「人」が見えてくる
「くらし」:暮らしのありかた
「環境」:負荷を減らす
「経済発展」:ビジネスをつくる
を軸に方向性と思いの共有・未来への展望
を行い、マニュフェストとしてまとめ、発表した。

Day1:7名:ふりかえりと現在地の可視化・共有、やってきたことと違う点
参加できなかった事業者インタビュー
Day2:14名:未来の共有と可視化

アンケート:10年前と今での思いの変化は?
個人の体験の共有と意見交換をした。
時間軸/位置・場所軸でマッピングした。

東京での展示会:商品ストーリーではなく地域ストーリーを追いかけた。
「技術」「政治」「人々の価値観」「環境」「地域経済」「地域文化」でジャンル分け。

「にしかんの好ましい未来は~~~です。
そのために私は○○○にチャレンジします」
を紙に書いて発表する。

キーワードを10個にまとめる。

10個のキーワードが達成されている場合に
人物像を入れ、ストーリーを付けた。
こういう人が住んでいる、働いている未来。

にしかんの未来をともに続ける10の言葉として宣言
→ローカルマニュフェスト
→商品のベースとなるコンセプトになる。
→にしかんニュープロダクトマップ:背景としてのローカルマニュフェスト



地域の人が自分たちで言葉にしていくこと。
→SDGsよりずっとリアル。

「危機をどう希望にできるのか?」
対話と共感のベースになる言葉が生まれる。
事業者の言葉:共通の課題認識としての言葉。

にしかん図鑑「にしかんをふかんする」
20歳のカメラマンが撮った写真。

ローカリストカレッジ
「くらしファースト」ニヤニヤできる暮らし。

1 地域の見方が変わった。理由があるということ
2 買い物が変わった。地元、ストーリーがあるもの
3 地域をにぎやかにすることへの考え方が変わった
4 視野が広がり、自分の故郷にも興味を持つ
5 未来を支える1人としての学びの可能性に気付いた

「にしかんらしさ」誇りをどこに持つか?
まだ気づいていないか、まだ存在していないか。
「地域の個性の構成員になる。」

~~~ここまでメモ

発表のあとに対話の時間があり、
「笹祝」の笹口さんが同グループで
「これを話していて共感するのは大人だけなので、
中学生高校生にとっては直感的な、シンボル的な何か」が必要だと言っていた。

印象に残ったのは、
「ローカルマニュフェスト」って、地域版SDGsだっていうこと。
それをベースに、暮らしを、商品を、そして仕事をつくっていくこと。

SDGsって一般的な課題を追いかけているから、
どこかリアルと少し乖離している。

ローカルSDGsっていうのをつくること。
そして、重要なのは、そこから具体的な「人」が立ち上がってくること。

この地域社会が実現したら、
こんな人がこの場所で暮らしている、働いているというのが見えること。
そんな未来の「人」のために今できること。
そんな視点。

現在地から出発するのではなく。

問いを変えていこうと思った。

「10年後に最高の形で、この学校(地域)があるとしたら?」

そこでは、日々、生徒はどんな日常を送っていて、どんな学びを得ているのだろう?
そして、どんな生徒を輩出しているだろう?
さらに、それを包む地域の人は、どんなアクションをしていて、どんな顔をしているだろうか?
どんな仕事、働き方をしているだろうか?
そんなゴールをつくっていくこと。

大切にしたいものを、自分たちで決めること。
その決定に参画したからこそ、自分たちが向かっていける。
「ローカルマニュフェスト」っていうのは、
「参画社会」のひとつのカタチなのだと思った。  

Posted by ニシダタクジ at 06:21Comments(0)日記

2020年02月11日

自己の在り方生き方と一体的で不可分な課題

文部科学省がH30年に告示した高等学校学習指導要領の
総合的探究の時間の解説文には以下のようにある。

教師の指導も受けながら課題を設定・解決していく小・中学校とは異なり,高等学校では,生徒自身が自己の在り方生き方と一体的で不可分な課題を自ら発見し,解決していくことが期待されている。

この「自己の在り方生き方と一体的で不可分な課題」とは、どのような課題だろうか?
今まで、そんな問いの中にいた。



昨日はマイプロジェクトアワード2019関東サミット。
関東地方(新潟含む)の高校生たちが自分たちの取り組んできたプロジェクトを発表し、全国大会出場を賭ける「学びの祭典」だ。

冒頭の今村亮さんのコメントから。

「どんな未来をつくりたいか?」
答えのない未来に立ち向かってきた「君だけのドラマを語れ」マイプロ関東サミット。
マイプロの「マイ」1人1人の想いから始まっているということ。
「学びの祭典」としてのサミット。
選ばれるということは「学びのロールモデル」になるということ。

プロジェクトの良し悪しではない。どれだけの学びを得てきたのか?が問われる。
1 オーナーシップ:主体性
2 コ・クリエーション:協働性
3 ラーニング:探究性
が評価基準

プレゼンテーションの始まる前に「この場所には味方しかいない」と確認すること。やさしさ。
10分プレゼン5分質疑。プレゼンはPDFで行う。

「学校部門」(授業等)と「個人部門」(それ以外)があり、
学校部門から5プロジェクト、個人部門から3プロジェクトが
全国サミットへの切符を手にする。

午前中に全体プレゼン(予選)があり、
そこから選ばれたものが各ブロックに分かれて
代表プレゼン(決勝)を行う。

その審査中に、
高校生はリフレクション(ふりかえり)の時間があり、
関係者向けには「マイプロ・探究勉強会」が裏で走る。



~~~以下勉強会メモ

society5.0
サイバー空間とフィジカル(現実)空間を高度に融合させたシステムにより
経済成長と社会的課題の解決を両立する人間中心の社会

高校教育の変化(マイプロ・探究)→大学入試変化AO・総合型選抜→未来予測(society5.0)

「主体的な問いと実践的学び」が学力の新しい当たり前になる。

「学びのロールモデル」と
「実践していく方法論の学びあい」

自分の解釈を横に置いておいて、高校生に耳を傾けてみると見えてくる何か。

かえつ有明高校
https://www.ariake.kaetsu.ac.jp/
まずはやってみよう
プロジェクトチーム10名でまずは合宿し、腹の中を見せ合った

30年後にどんな学校になっていたら遊びに行きたいか?

10年後は?

1年後は?

明日は?
っていうバックキャスティング。
そこからはフロー状態になった。

弱みをさらけ出せる関係性。学ぶ前の前提として「存在してもいいんだよ」っていう意識こそが「学校」が存在してる意味なんじゃないか?

1人の個人として守られているホーム。頼り頼られている関係
「進路指導」の前に「存在承認」

桜美林大学の高大連携プロジェクト「ディスカバ」
https://discova.jp/

・outputの機会がない→大学生用の自己分析ツールを出願書類にする
・inputが足りない→サマープログラム
AO入試を10%→30%にする
取りたい人材を取り、入学後にコアメンバーとして活躍してもらう。
対話を重ねて経験を武器にする

~~~ここまで 勉強会メモ

僕が聞いた部屋で全国のきっぷを手にしたのは
東京都文京区「b-lab」のフリーペーパー「CHACHACHA」プロジェクト。

25000部を発行する高校生の挑戦を応援するマガジン。
CHACHACHAとはchance-challenge-changeの頭文字
彼女自身がそれを体現するようなプロジェクト発表だった。

高校を中退し通信制高校に在籍しながら
b-labを利用していた。
そんなとき、スタッフに「人が足りないから入らないか?」
と言われたフリーペーパーの制作プロジェクト。

大手出版社に著作権の許可を取ったり、
いろんな場所に電話をしたり、
大人のルールをやってみることで、彼女はどんどん変わっていった。

そして素敵な人との出会い。
「土下座してだもいいからやりたいってことをやる。
恥ずかしいからやらないっていうのはもったいない。」
そんな言葉に刺激を受ける。

そして彼女は「他人っておもしろいな」と思ったという。
そしてフリーペーパーを通して、それを伝えたいのだと。

淡々とした口調でしゃべる彼女は等身大で、
だからこその成長度というか、ああ、このプロジェクトがあってよかったなあと思えた。

そしてもうひとう。
全国には残らなかったけど、印象に残っているのは、
山梨県富士吉田市の高校生が発表した
「高校生に織物の魅力を届ける~通学路を照らすギラギラバッグ~」プロジェクト。

彼女は父親が地域を元気にするような仕事で、
母親が名産である織物のPRをするような仕事をしていた。
そのため幼いころから地域イベントや織物の企画などに参加していたのだという。

織物の工場見学にいったとき、職人さんたちに話を聞いたら、

・後継者不足が心配
・職人は誇りをもって取り組んでいること
を実感した。織物の魅力と熱意を届けたいと。

もうひとつ彼女が気にしていたのは、
同級生たちの地元への思いだった。
卒業すれば東京の大学に進学するのが当たり前の進学校。
そこに富士吉田の出身だという誇りは感じられなかった。

そこで彼女は、
工場見学で存在を知ったB反(刺繍のズレなどがあり、出荷できないもの)
を使用したバックをつくることにした。

同級生を観察すると、
長い上り坂の通学路重いリュックを持って歩いていた。

丈夫でかわいいバッグをつくったら、
使ってもらえないか?
と友達のためにB反を利用したトートバックを制作することになる。

そこで立ちはだかる進学校の葛藤。
先生方は勉強こそが大切だという。
同級生も懸命に勉強している。

私はどうしたらいいんだろう?

それでも彼女は地域の人たちの応援もあり、
バッグをつくり、友達に渡して使ってもらったりした。
そんな活動をしていたら、彼女は地元に残りたくなり、
今春からは地元大学に進学するのだという。

いまも、彼女がつくったバッグは友人たちに使われ、
学校の中に地元を感じるのだという。

これか、って思った。
「自己の在り方生き方と一体的で不可分な課題」とはこのことだろう、と。
これは、彼女にしかできないプロジェクトだ。
そしてこれからも、大学生として活動に取り組むだろう。

マイプロ関東サミットを聞いていて、やはり首都圏の高校のほうが
プロジェクトによる「学び」が深いように思った。
それはきっと、場の設計・設定とサポートする人たちの問いかけによるのだろうと。

しかし、題材という点においては、
東京では「一般的な(SDGsにあるような)社会課題を自分なりに切り取る」ことが主になってしまうが
山梨県のような地方はオリジナルな題材に出会う機会が多いように思う。
あとはそれをどのようにフォローするか?っていう大人の存在、場の設計が重要になってくる。

学習指導要領がいう、
「自己の在り方生き方と一体的で不可分な課題」を見つけること。

それは、「キャリア教育」と呼ばれる何かが言ってきた、
やりたいことを見つける、とか、自分に向いている仕事を探す、とかいうことよりもはるかに重要なのだろう。

その課題に出会うということ。
そのために、地域や大人との「経験」が必要で他者や自分との「対話」が必要になる。

京都・綾部で「半農半X研究所」を立ち上げた塩見直紀さんは、
「使命多様性」の時代が来ている、と言っていた。

「自己の在り方生き方と一体的で不可分な課題」とは、
その「使命」のことだと思った。

ひとりひとりにその「課題」があり「使命」があり、
それをひとりの力ではなく、周りの力を借りながら、
果たしていく、ということ
そのプロセスの中にこそ学びがある。

織物プロジェクトの高校生のプロジェクトは、こう締めくくらられた。

スライドには「人に頼ってもいいんだ」の文字。

そしてコメント。
「お世話になった人への感謝を忘れずに、
そして、人に頼ることを恐れずに、これからも進んでいきたい。」

「人に頼ることを恐れずに」か。
いい言葉だな、と。

閉会式。
全国サミットへの切符を手にした8プロジェクトの発表。



グッと来た。
躍動する生命がそこに確かにあった。

「自己の在り方生き方と一体的で不可分な課題」に
チャレンジする高校生の姿に、問いかけられる。

あなたの使命はなんですか?  

Posted by ニシダタクジ at 07:00Comments(0)日記

2020年02月07日

「キャリア」から「ライフ」へ。

飯野高校梅北先生からつながった
糸魚川市のKさんとの対話のまとめ。

まずはコンソーシアムの話。
コンソーシアムは機能ベースで考えるべき。
1年1年、ミッションを更新していくこと。
これはその通りだなと思った。
機能しないコンソーシアムに意味はないから。

キーワードは「一回性」
http://hero.niiblo.jp/e490190.html

あらゆる仕事がアートに近づいてくる。
アートとサイエンスとクラフトのあいだに
プロジェクトができていく。
それは教育も「学び」も一緒だ。

だからこそ、飯南高校の美術部の
ラテアートが素晴らしいのだと。

Kさんと話していて、衝撃だったのはコンソーシアムの話を含めて3つ。

2つ目が「キャリア教育」への違和感。
文部科学省がキャリア教育と言い出して久しいのだが
それはいわゆる「キャリアデザイン」的な手法がとられている。
キャリアの目標を決めて、そこに向かって努力するというもの。

それを温存したまま
「探究」へシフトすることなどできるのだろうか、という問い。

「キャリア教育」はあまりにも「ワーク」に偏重している。
それに対して「探究」は「ライフ」全体の問題だと。

昨日の発表会で唯一違和感があったのは、
燕市×働き方、燕市×産業の2チームの質問項目について
仕事の内容や労働時間、やりがいなどの基本項目。

それって、仕事はマネーワークであり、仕事=雇用されること
にフォーカスしすぎているんじゃないかと。

そうではなくて、
自分のライフをどうつくっていくか?
暮らしをどうデザインしていくか?
人生をどう経営していくか?
のほうが大切なのではないかと。

「キャリア」を含んだ「ライフ」という
考え方から始めないといけないのではないか。
むしろライフの延長上にワークがあるのだと。

Kさんが言っていたように、
これまでのキャリア教育は「唯一解」があるように教えてきたが、
これからは「納得解」、それも「現時点では」という注釈がつく納得解であり仮説
から入っていくのではないか。
そんな風に、「ライフ」から入るキャリア教育。

それを「探究の時間」で「探究する」ということ。
それが「探究」の意味・意義なのではないかと。

ラストに衝撃だったのは、
「県立高校にこだわる必要があるのか?」っていう問い。

東京の通信制高校と組んで地域カリキュラムをつくってもいいし、
さらに企業と組んで、新しい学びをつくってもいいし。

「キャリア」から「ライフ」へ。

阿賀町はそんな学びが可能なのではないか?

「ふるさと創りびと」がつくるもの。

1 「暮らす」をつくる
2 「はたらく」をつくる
3 「まち」をつくる

そんなコンセプトが可能なのではないかと思った。
アートとサイエンスとクラフトのあいだ。

そこに新しい「学び」をつくる。  

Posted by ニシダタクジ at 07:58Comments(0)日記

2020年02月07日

「知りたい」のスイッチを入れる

新潟県立分水高校1年生が総合的探究の時間で行った
「高校生地域再編集プロジェクト」の成果発表会@燕市役所
を聞きに行ってきました。



1年生全員が6つのチームに分かれて活動
燕市×文化:オープニングライブ
燕市×自然:鉛筆づくり
燕市×働き方:動画で働き方紹介
燕市×食:お店とコラボ商品企画
燕市×産業:インスタグラムを活用した発信
燕市×歴史:大河津分水が題材の大河ドラマ上映

株式会社MGNETまちづくり事業部の協力のもと、
各チームに若手社員(他の会社の方も)がサポートについた。



いきなりすごいなと思ったのは次第とアンケート用紙。
このサイズで渡されるとアンケートを書かざるを得ないなと
A4で渡されると、書かないし、このクリップボードに挟まれているから
机を設置しなくていいので、椅子だけにできる。これはいい。

まず「再編集」というキーワードから。
知っているようで知らないこと。
インプットとアウトプット。
「地域を知る」ことで終わるのではなく、「地域を知りたい」というマインドになっているか、が成果。



MGNETの武田さんからのメッセージが心に響いた。

「教わる」と「知る」の違い。
「大人が伝えたいこと」≠「高校生に伝わること」。
押し付けるのではなく楽しい時間にする。

みんなが「へー」って感じたことを整理して相手に伝えること。
伝える方法は問わない。

「燕をよく知る大人」ではなく、「燕をそんなに知らない大人」と一緒に学んでいく。
記憶に残ること。当たり前の景色に変化を。

~~~ここまでメモ

インプットして、編集し、アウトプットする。それを何度もやること。
「知りたい」のスイッチをONにする。
探究のテーマを見つける前にやらなければいけないことだなあと思った。

印象に残ったのは、どのチームも楽しそうに発表していたこと。



「食」チームは燕名物の鶏レモン和えとぽっぽ焼きをクレープに
入れる商品開発を行う。



「歴史」チームは大作(長編)の大河ドラマをつくる。

「自然」チームは、枯れ枝を鉛筆に加工し、インテリアを作った。
特に「自然」チームでは、問いが深まっていったように思う。

燕市×自然
燕市のものづくりに着目。
ものづくりは人生を豊かにするもの、自然はアート。
2つを組み合わせて何か作れないか?

誰のためにつくるのか?
→入学式のプレゼントに使えるような。
枝がまがっているので、芯は先にしか入っていない。

たしかに、実用物としてみると、
この鉛筆は「使えない」ものなのかもしれないけど、
贈り物として、祈りを込めたものとしては、魅力的なのではないかと思った。

そして、ここをサポートした方が
ひたすらに「なんで?」と聞き続けたのだそうだ。
問いかける大人、素敵だなあ。

今回のまとめ。

1 「再編集」というキーワード
インプットしたものを編集し、アウトプットする。
それを繰り返すことで、地域が見えてくる。

2 サポートしたのは若手社会人で地元出身の人ではない。
地域のことを教えてくれる「先生」としての存在ではなく、
一緒に学ぶパートナーとしての存在。

3 「知りたい」のスイッチを入れる。
「探究のテーマをどう見つけるか?」と問いがちだけど、
まずは「知りたい」と思えるかどうか、からしか始まらないなと。

MGNETさんのデザインに、学ぶところが多い発表会でした。
ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 06:24Comments(0)日記

2020年01月31日

OSとしてのカマコン

ながおか市民協働センターイベント
「本当に地域を盛り上げるための地域資本主義の始め方」
に出てきました。



初めてのカヤック柳澤さん!
うれしい。
長岡まで言ってよかったなと思いました。

第2部のU-style松浦さん、いわむろや小倉さん、池田組池田さんの事例紹介と
パネルディスカッションはここ5年くらいで一番おもしろかったなと。
司会の唐澤さんがすごい切り口で切り込んでいくのが楽しかった。

ということで。
おもに第1部の講演メモ。

~~~ここからメモ

鎌倉資本主義。OSとしてのカマコン。
文字で見るよりずっと臨場感があったなあ。
そこに思想や未来が詰まってる。
http://kamacon.com

「ビジネスネームを決める」ってよかったな。
会社での役割は、その人のひとつのロールに過ぎなく、全てではない、という思想。

法人=人工的な生き物をつくるということ。
「言葉から世界は生まれる」

カヤック信条「失敗するなら最速で。」
どんな失敗をしましたか?と査定で聞かれる。

面白いものは概して旬が短い。古典的なものは残っていくけど。

「知らない人と出会えるかもしれない」それが場、イベントの価値。

「右脳と左脳のバランスが良いものが流行る」
直感と理屈、インパクトと説明

報酬制度が組織を決める。通常は「上司」か「みんな」か「神様」が給与を査定する。それを全部やる。
ベース給はみんなで決め(360度評価)、賞与は上司が決め、サイコロ給は神様が決める。

「まち全体がオフィス」という発想。まちの社員食堂をみんなで運営・利用する。
⇒働く人たち同士が仲良くなる。

「面白法人」
1 まずは自分たちが面白がろう。
2 周囲からも面白い人と言われよう。
3 誰かの人生を面白くしよう。

「つくる人を増やす」という経営理念。
自分がつくる人になるということ。主体的に関わっていくこと。
選べる会社ロゴ。3本目のオールは自分で決められる。
地味なようで奥が深い。

なるべくルールを作らないようにする。
自分たちで作れなくなるから。

ブレストの意味と価値。
これが今日いちばん面白かったかな。
創造的なアイデアを出すための方法。
ブレストこそがカヤックをカヤックたらしめていた!

ブレストのルールは2つ。
1 仲間のアイデアに乗っかる。
2 とにかくたくさんのアイデアを出す。
「否定しない」よりもこの2つ。否定することで数が出せるとしたらそれはOK。
効能は自分ごと化され、つくる人になる、面白がる人になる。

カマコン=ブレスト
1 アイデアプレゼン
2 ブレスト
3 発表
4 プロジェクト立案
5 実行
自分ゴト化させるにはブレストは最強。
アイデアを出す部活的な感覚。

仕事だけじゃなく、居住と家族を大切にしたら人生が3倍楽しくなった。

面白がるために物理的にこだわったこと。
1 誰とするか 類友
2 どこでするか 鎌倉
3 何をするか 売上、利益
社員の90パーセントがクリエイター。鎌倉住宅手当39000円/月

資本主義の限界
1 GDPの指標の問題
そもそも伸びないし、成長と幸せが比例しない。新たな指標が必要。
2 地球環境の問題
3 富の格差の問題

指標を新たにつくる。
1 地域経済資本 何をするか(生産性)
2 地域社会資本 誰とするか(人とのつながり)
3 地域環境資本 どこでするか(自然・文化)
これらを合わせて地域資本主義。

「まちのコイン」
金融資本主義は格差を拡大し続ける。モノサシそのものを仮想通貨で測ること。
人とつながることでコインがもらえたり使えたりする。使えば使うほど仲良くなるコイン。
人と人がつながったり仲良くなったりするために使われる。
ハイタッチしたり話を聞いたり。そんな企画を一緒に考えることができる。
まちのコインが多く流通している→つながりが増えつつあるまち。

U-style松浦さんの「潟マルシェ」
エシカル&クラフトライフマーケットと呼んだら、人が増えた。
暮らしを豊かにする選択。自分で暮らしをつくること。
シンボルとしてのとやの潟。場を媒体とする地域の編集の場。
地域というコミュニティがあるのではなく、様々なコミュニティが重層的に重なり合っているのが地域。

にしかんマニフェスト
https://www.niigatawestcoast.com/nishikan/about/manifesto/

建築と不動産を編集するかきがわ不動産
https://www.kakigawa.com/concept/

誰とするか、どこでするか。
それって暮らしづくりでもある。
そもそも、まちづくりは暮らしづくり、か。
その通りだなあ。
仕事づくりの前に暮らしづくりを、したいよね。

暮らしをどうする?
って自分ゴトですよね?

カマコンは部活。必ずしもアウトプットしなくてもいい。いざとなったら集まれる関係。
だからOSなんだな。いろんなアプリを動かせる。

戦略というのは絞ること。絞るほうがスピードが速くなるから、結果競争に勝利する。

「食」と「禅」と「まちづくりデザイン」。
鎌倉のアイデンティティ。
わが町で大学つくったら何学部と何学部と何学部になりますか?

~~~ここまで講演&パネルトークメモ

まとめ。

いちばんはカマコンで行われる「ブレスト」の奥深さ。
単なるアイデア出しのテクニックではない。

ブレストのルールは2つ。
1 仲間のアイデアに乗っかる。
2 とにかくたくさんのアイデアを出す。

「否定しない」よりもこの2つ。否定することで数が出せるとしたらそれはOK。
効能は自分ごと化され、つくる人になる、面白がる人になる。

なるほど、と。

「乗っかる」ことを繰り返し続けていると誰のアイデアか分からなくなり、一体化してくる。
背景にある考えを想像するようになる。「乗っかる」って、創造的なツッコミのことかもしれない。

「乗っかる」って言葉でいうほど簡単じゃない。
観察して、背景を読んで、場と一体化していかないと、乗っかれない。乗っかり続けられない。

ブレストをやり続けると、楽しく働けるようになる。
ブレストをやり続けると、組織やまちに文句言わなくなる。
それは「ジブンゴト化される」から。

ジブンゴトっていうよりは、場と一体化してきて、自分が「鎌倉」になっちゃうんだろうな。
そういう「場」がカマコンにはできているんだと思った。
「OSとしてのカマコン」っていうのがすごい深い気がする。

ふたつめは、「暮らし」づくり。

仕事だけじゃなく、居住と家族を大切にしたら人生が3倍楽しくなった。

1 誰とするか:類友
2 どこでするか:鎌倉
3 何をするか:売上、利益

イナカレッジの研修プログラムの時も思ったけど、
1と2って大事だよね。
誰と、どこで、って「暮らし」のことなんじゃないか、って思った。

「まちづくり」じゃなくて、「暮らし」づくりなんだなと。
大学生は、「仕事づくり」の前に「暮らし」づくりをしたいんじゃないかと。
「働き方」よりも「暮らし方」を考えたいのでないかと。

みっつめは、少ししか話は出てこなかったけど「まちの大学」の話。
https://daigaku.machino.co/

フード学部、ボディ&マインド学部、アイデア学部
の3つが予定されている。
これって、鎌倉のアイデンティティだなと。

「食」「禅」そして「アイデア」。
歴史的なものと新しいもの。
左脳的なものと右脳的なもの。
それを象徴するような「カマコン」

ブレストは、言葉のように見えて、身体的な要素がとても大きい。
まさに脳と身体、左脳と右脳の真ん中でアイデアが生み出す感じ。

「ツルハシブックス」が閉店して、
テーマコミュニティを続けていくことは難しいと思った。

コミュニティは、性質として無意識のうちに閉じていくからだ。
新しいものが入ってこなかったり、入りづらくなったり、
新しいものが出ていかないと、コミュニティが閉じていき、
結果、そのコミュニティはゆるやかに死んでいく。

最近読み直した
「残酷な世界を生き延びるたったひとつの方法」(橘玲 幻冬舎)
の中に、「伽藍」と「バザール」の話が出てくる。
「伽藍(がらん)」とは、お寺の建物の壁という意味で、閉鎖空間を、
「バザール」とは、オープンな市場、つまり開放空間のことだ。

その2つでは生き延びるための戦略が明確に異なるという。
開かれた「バザール」では市場においてよい評判がフィードバックされ、信頼を得ることで、商売繁盛となる。
悪い評判がついてしまったとしたら、次の市場を目指し、その市場を退場することができる。
反対に閉じた空間である「伽藍」では、一生そこから出られないから、
「悪い評判を付けない」ことが最大の戦略となる。

これまでの「学校」や「企業」、「地方の小さな町」などのコミュニティは、「伽藍」そのものだった。
だから、「目立たないようにして、やり過ごす」ことがもっとも賢い選択だった。

その「伽藍」を変えることなく、
子どもたちや若手社員、役場職員に「失敗を恐れずに挑戦しろ」
っていうのは、あまりにも酷だ。

しかし、いま。
「伽藍」はすでに崩壊しつつあるし、崩壊させなければいけない。
開かれた「バザール」ができつつあり、作らなければいけない。
地域の大人や町外・県外の人に開かれた学校、
修学旅行や外国人観光客がたくさんくる開かれた観光地。

そこで、新しいものを生んでいく。
歴史的なものと新しいもの。
左脳的なものと右脳的なもの。
土の人と風の人。

それらが一体となって、新しいものをつくっていく。
集まる場所、帰ってこれる場所だけではなく、始まる場所、巣立って行ける場所になる。

そしてそれこそがわが町のアイデンティティになっていく。

そんな未来を展望できた長岡の1日でした。
柳澤さん、登壇者のみなさん。
企画・運営してくださった協働センターのみなさん、ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 09:43Comments(0)日記

2020年01月21日

「地域の良さを伝えていないから子どもたちは出て行ってしまう」は本当か?



コミュニティスクール立ち上げに向け準備委員会開催。
昨日の議論メモ。

リアルな声とその対応について
・「少人数なのできめ細やかな指導ができる」はメリットではない。手をかけすぎて自立できないのではないか不安

たしかに一理ある。
きめ細やかな指導というより、探究などでのフォローができる、あるいは協働探究者としての先生を見せていくこと。

・小中学校の狭い人間関係が継続されるから外の高校へやりたい。

これもわかる。小中学校の狭い人間関係から脱したい。僕だってそうだった。
これには「地域」との人間関係がたくさんできます。

たとえば、FAQで、
「Q:中学校時代の人間関係が維持され、狭い世界を生きることになるのでは?」
「A:本校は地域に開かれており、地域の人と協働しながらプロジェクトを作っていくことで、教室以外で多世代との人間関係を構築することが可能です。」
って書くとか。同世代だけの人間関係でいいのか?っていう問いが必要。

・小学校の「総合的学習」ではかなり時間をとってやっているが中学校で切れてしまう。

高校1年次に同じ題材で「探究プロセス」を回すことができないか。
「未来フォーラム」で発表した阿賀町の小学生の「総合的学習」の発表は、
地域資源を最大限に生かし、地域住民を巻き込み、雪椿でお茶を作ったりしていた。
あのプロジェクトの延長上に高校でも何かできないだろうか。

そんなことを考えた。
どんな生徒を育てたいか?
については、まだこれから議論していくところであるが、みなさんのを聞いていて思ったこと。

「地域の良さを知らないから外へ出ていく。だから、小中高のときに、地域の良さを伝えなければいけない。」

っていうのは、もっともらしいけども、実際は、その視点で行けば、「もっと良いもの」が街中や東京にあるから(ありそうな気がするから)、やっぱり出て行ってしまうと思う。

「若者が残らないのは地域に雇用がないからだ」

っていうのも、同様にもっともらしいけれども、実際08年にDeNAが新潟市にカスタマーセンターを作って雇用創出したけど、それを理由に東京に出ていくのを辞めた人っているのだろうか。

しかもそれって、仕事=雇われることという「サラリーマンシップ」を前提にしているので、そういうマインドの人ではなくて、地域の当事者となり自ら創っていけるような人材に残ってほしいのではないか?

「ナリワイをつくる」(伊藤広志 東京書籍)に書いてあるけど、地方にはそもそも「雇われる」仕事はあまり存在せずに、ほとんどの人が(下級武士)を含めて季節ごとに様々な仕事をする百姓だった。役人か、上級武士か、豪商か、そのあたりが専業として仕事をしていた。

だから育てていくべきは、次の時代を生き抜いていく百姓マインドを持った若者なのではないか。
自ら価値を決め、自らの人生を創っていく人。そのプロセスの中で他者と協働しなければつくれない仕事やコミュニティがあるから、そこを協働していける人。そんな人の集まりに、地域の未来があると思う。

問うべきは
「どうすれば残ってくれるか?」
じゃなくて
「どんな人に残ってほしいか?」
ではないか。

関係人口も同じだ。
「どうやったら関係人口が増えるか?」
っていう問いの前に、
「その地域にはどんな関係人口が必要なのか?」
「どんな人に関係人口になってもらいたいのか?」
っていうのを決めないと。

そもそも「良さを伝える」って不可能じゃないか。
価値観そのものが揺らいでいるのだから。
良さは本人によって、見出してもらわないことには、「良さ」とはならない。

もっと言えば、「良さ」っていう概念がそもそも比較するということ。
だから、外に出てみないと地元の良さがわからないっていうのもその通りで。
そういう意味では、小中学生は比較対象がないのだから「良さを伝える」っていうのは原理的に不可能なのではないか。

こんな話の中で、育てたい人材像の僕の現時点の案。
要素はこんな感じかな、と。

激動する世の中においても、目の前にある地域資源や周りの人と協働する中で価値を自ら定め、地域と自らの未来を創っていくことができる探究型思考・行動ができる人材

そんな人材と一緒に地域の未来をつくりたいし、自分自身もそんな人材になりたい。

そんな風に共感できる目標がつくれたらいいなあと思う。  

Posted by ニシダタクジ at 08:40Comments(0)日記