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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2024年07月19日

そのプロジェクトは仕事として取り組みますか?

社会教育主事講習2日目

~~~以下メモ
「いいプロジェクトって何でしょう?」

問題:理想の状態(アウトカム)との差(ギャップ)
課題:達成のためにやることやるべきこと

外部資源は?
自分の役割は?
誰と協働するの?

このプロジェクトは現実的かつ挑戦的か?
・どうしたら面白くなるか?
・目的の達成に近づくか(どうしたら目的に近づけられるか)
・持続可能な方法にできるか

本当に解決すべき問題か?(真の課題は何か?)
・ボトルネックは何か
・他に方法はないか
・本当に必要か
・関わる人にとってのWinは何か

自分がやるべきことは何か?
・楽しくするにはどうしたらいいか
・自分の情熱を持続させるにはどうするか
・誰に頼ればいいか

コーディネーターの現場と役割
課題を設定し解決の仕組みを整え、全体を統括する:マネージャー
設定された課題に対して、計画を立案・実行・改善する:プレイヤー
現場に寄り添いながら、計画の実現を支援する:サポーター
※やろうとしているプロジェクトに対して自分はどの役割なのか

「そのプロジェクトは仕事としてやろうとしていますか?」
そのプロジェクトは仕事なのか、人生なのか?

プロジェクトの複層性
・並行するプロジェクトの組み合わせ
・発展していくプロジェクト
・変化していくプロジェクト
プロジェクトって人生に似ている
「自分」プロジェクトと「地域」プロジェクトと「学校」プロジェクト

みとりのメガネ
いいね!共感!応援したい!(自分視点・巻き込みたい人視点)
もっと知りたい!違う視点あるかも?

自分も変化し、現場の変化をつくるために
1 問う(遠慮せず伝える)・問われる(受け止める)
2 ズレ(自分の常識との差)も大切に
3 いつか価値になるかもの視点(判断の保留)

★自分を高める
・「なぜ?」を考える:目的意識
・自分を紐づけて考える:当事者性
・面白がって観察し言語化する:価値づけ

★他者とつながる
・積極的に伝える、関わる:協働性
・相手を受け止める:協働化
・弱みを伝えてほしい
~~~ここまでメモ

事前に設定してきたプロジェクトについて、
コーディネーターについての考え方のインプット。

いちばん心に残ったのは、
「そのプロジェクトは仕事として取り組みますか?」という問い。

否、と。
プロジェクトは仕事なんかじゃない。
プロジェクトは人生というと大げさだけど、
まあ、自らの存在を表現するもの、なのではないかなあと。

つづいて「生涯学習概論」の第1回講義

「生涯学習の系譜と現代的な意義」by志々田まなみ先生

今のあなたの日常生活や職業生活を営む上で、役に立っていると感じる学習(経験)をいっぱいあげてみましょう。

空欄 いつ どこ・どんな学習

作業1 学校(幼保小中高大、専門学校等)で学んだ機会⇒空欄に△
     家庭で学んだ場合⇒空欄に〇

それ以外の学習機会のうち
作業2 学ぶ内容が体系化されていたり、組織的な体制・チーム等で学んだ機会⇒空欄に☆
     学ぶ内容が体系化されていなかったり、組織的な体制・チーム等で学んでいない場合⇒空欄に♡

学習とは?
・経験によって行動が変容(変化・再構成)すること
・提供者側からいうと教育、学習者側から言うと学習

何が多かったか?⇒♡でした
学校で学ぶ機会=フォーマル教育
家庭で学ぶ機会=インフォーマル教育
それ以外の学習機会:☆・♡ 広義の社会教育
学ぶ内容が体系化されていたり、組織的な体制、チーム等で行われていた学習機会
このうち、公的機関が社会教育法に基づいて実施する教育⇒狭義の社会教育

学校教育、家庭教育以外の学習機会のうち、学ぶ内容が体系化されていなかったり、組織的な体制、チーム等で学んでいない場合⇒自己学習(独学)⇒♡インフォーマル教育

△(フォーマル教育)を増やしていっても残ってない。
情報そのものの価値が少なくなった。情報の賞味期限が短くなった
♡:誰も品質保証をしていない⇒選択肢を増やしていくことが大切

学校教育⇔家庭教育
フォーマル教育(意図的)⇔インフォーマル教育(無意図的教育)
⇔社会教育(ノンフォーマル教育)

200年前まで地域ごとに学ぶべきことが違った。
学校教育:工場労働をするためにマニュアルを読む必要があった。
同じものをつくるために皆と同じことができるようになることがかつての価値
⇒現在の価値:人と違うことができる。できることを状況に応じて変えられる。

フォーマル教育:みんな一斉に教えたらいいよね
品質保証をしている。もっとも多い公務員=教員

家庭教育、地域教育:社会関係資本を形成しているか
帰ってきても再チャレンジできるかどうか
つながり格差が生まれている

フォーマル教育の価値が揺らいできた。
効果的・効率的にやるには?という問いが効かなくなった
人とのつながり、コミュニケーションといった価値を生み出す社会教育が注目されてきた。
学校教育(情報を効率的に学ぶ)が社会教育(ある程度体系化されたもの)に寄ってきている。
計画・体系化されていない、偶然起こる教育・学習/インフォーマル教育(無意図的教育)

★信頼できる大人との出会い
タテの関係:きゅうくつ・責任がある
ナナメの関係:親や先生、友達でもない
⇒美しく胸を張って生きる大人と引き合わせないといけない⇒社会教育の出番

貧困=社会関係資本の貧困 
提供するフィールドが学校であってもいい。コンテンツは地域
生涯学習:フォーマル・インフォーマル・ノンフォーマル教育すべての総称(理念)
学校教育・社会教育・家庭教育のような規定されたもの(制度)ではない
社会教育=日本にしかない=学校教育・家庭教育以外のなんでも箱(機能が規定されてない)

社会教育を考えるうえで重要な2つの軸
1 教育機会を提供するねらいの違い
伝統的教育(権威)⇔非伝統的教育
国家による保障と統制⇔個人の学ぶ権利の保障
フォーマル教育(学術や産業の発展)⇔ノンフォーマル・インフォーマル教育(生活課題に沿ったニーズ)

2 学習の進め方の違い
普遍性、共通性の重視、評価可能な能力⇔偶発的(体験的)な学びの重要性、社会情緒的な能力
フォーマル教育⇔ノンフォーマル教育⇔インフォーマル教育
内容・方法・時間に関する基準の厳格さ・専門性⇔内容・方法・時間に関する自由度が高い

教育成果は、学術的価値のある知識を、どのような者・機関に教えられたかでは決まらない。学習者があらゆる機会から何を学び取り、それによって何ができるようになったかという点で評価されるべきだ。(ユネスコ 成人教育国際委員会レポート)

フォーマル教育:誰がやっても同じようにアウトプットが出るように設計されている。

社会教育3つの転換点
1 
1965 ポール・ラングラン:教育を成人の準備としてとらえる考え方を改めて、人間の可能性を導き出す活動としてとらえることを提唱「教育に関する時間・空間の統合」

1972 フォールレポート『未来の学習』:教師が学習者に「教える」のではなく、知識を学習者自身が自ら吸収するというスタイルの重要性を提唱。社会全体が教育に関わる「学習社会」(learning society)の実現を目指すべきことが示された。「Learning to haveからLearning to beへ」「生涯教育から生涯学習」

1996 ドロールレポート:『学習=秘められた宝』失業、格差増大、暴力、人種差別、環境破壊、戦争、紛争などの世界で深刻化する問題に対する哀悼の念を全面に出し、今後の世界において人々が共存していく上で学習が果たす役割を重要視
1 Learning to know 知ることを学ぶ
2 Learning to do 為すことを学ぶ
3 Learning to live together Learning to live with others 他者とともに生きることを学ぶ
4 Learning to be 人間として生きることを学ぶ

これからの社会教育におけるLearning to beの再考
「学校」以外の学びの場の整備
「学校での学び」と「社会での学び」をつなぐ支援

コンピテンシーベースで考える教育プログラムの開発
・異質な集団で交流する力
・自律的に活動する力
教育職員は、何をするのか?ではなく、何のためにするのか?からプログラムを考えるのが必須
大人にとっても子供にとっても、「変化の激しい社会」でよりよく生きていく(well being)ために必要な学習を提供するのが社会教育の使命
たのしくなければ、社会教育ではない
~~~

今回の得られた学び
1 フォーマル(学校)教育はあまり残らない:属人的にならない方法論としての学校教育
2 「教育」は2名以上いないと成立しない。「学習」はひとりでも成立する
3 「教育」とは、意図(目的・目標)をもって、相手に働きかけること
4 社会教育は、学校教育と家庭教育以外の全ての「教育」。
5 「偶然性」「一回性」も大切だけど、意図(目的)がなければ、「教育」ではない。

意図(目的)のグラデーションを持つ、行き来するということが
大切なのでは、と思った。

ガチガチのフォーマル(学校)教育でもなく、
「偶然性」と「一回性」を最大にしたカフェや本屋さんでもなく、
そのあいだに、意図のグラデーションのある活動を作っていくこと。
それは対象者、あるいは構成メンバーによっても違うのかもしれない。

そんな「まなびの場」をジェネレートしていくこと、
それが今のところの社会教育士像かなあと。

そのプロジェクトは仕事として取り組みますか?

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Posted by ニシダタクジ at 07:34│Comments(0)日記学び
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