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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2024年07月13日

星を見るな星座を見よ

星を見るな星座を見よ
『利他・ケア・傷の倫理学-「私」を生き直すための哲学』(近内悠太 晶文社)

『世界は贈与でできている』の近内さんの言葉ひとつひとつが胸に刺さる。

まずはケアの定義から
「ケアとは、その他者の大切にしているものを共に大切にする営為全体のこと」

まずこれを前提に読み進めていきます。
今日はイントロダクションで、
第1章 多様性の時代におけるケアの必然性 より取り上げていきます。

~~~以下メモ
キーワード:進化的適応環境EEA(environment of evolitionary adaptation)
サピエンスのEEAは、具体的には数百万年前~数万年前までの環境を指します。
少なく見積もっても、1万円前までの環境がEEAという環境です。
僕らの身体も精神も、いまだに数万年前の環境にフィットしたまま今日に至っている。

深化的適応環境においては合理的だったものが、現代においては必ずしも合理的ではない例として、著者は「髪」の例を挙げます。

なぜひとは、不合理なまでに髪にこだわるのか?なぜ髪型が思った通りにならなかったくらいのことであれほどまでに落ち込み、逆に好みの髪型やイメージ通りの髪型にカットしてもらえた時は気分が良くなるのか?

その問いに対する進化論的な仮説、理由は、こうです。EEAにおいて、サピエンスたちは潜在的な配偶者、すなわち恋愛のパートナーが若く、なおかつ健康的であるか否かを髪質というシグナルによって把握していたから。

深化的適応環境では、相手の年齢どころか自分の年齢もよくわかっていません。そもそも暦がまだありませんから。当然、病院も健康診断もありませんから本人に自覚的な症状以外の身体的状態を把握するため、髪によるシグナルを利用した、という仮説は確かに筋が通ります。そして、そうだとすれば、かつてのEEAの名残りとして、特に思春期において、急に髪型を気にし始め、髪を手入れし始め、毎朝ただ学校にいくだけにもかかわらず、髪型を整えるようになる若いサピエンスの奇習も納得できるものになります。

生物学者エドワード・O・ウィルソンが語る「人間とは何か?」
「われわれは、石器時代からの感情と、中世からの社会システムと、神のごときテクノロジーをもつ」

身体と心:数万年(数千世代)
制度、社会システム:数百年(数十世代)
テクノロジー:十年~数年(一世代!)
数年単位で進歩するテクノロジーに促され、数百年かけて社会システムは変化する。僕らの精神を置いてけぼりにしながら。

サピエンスとは、他の動物であれば適応進化によって獲得するしかなかった形質を外部化することによって、環境自体を変更してしまう種なのです。身体ではなく、環境(=年における制度、テクノロジー)の側を変えてしまうという、進化のプロセスを裏切る種なのです。

料理(ccok)というテクノロジーによって、人間は胃や小腸、大腸といった消化器系(=身体)を外部化することになったのです。
文化は身体(適応進化)のスピードを凌駕する。
~~~

なるほど。「生きづらさ」の根本原因がここにあるような気がしますね。
「生きづらさ」探究、おもしろいな、と。当事者たちはつらいでしょうけど。
さらに、利他について続きます。
~~~
このズレの根本にあるのは「相手は私と似た存在である」という認識です。逆説的ですが「私とあなたは似ている」と認識することによってすれ違い、「私とあなたは異なる存在である」と知ることによって正しくつながるための道が拓かれるのです。

「あなたが大切にしているものは、私の大切にしているものと異なる」利他はこの認識から始まります。
そしてこれがダーウィンや進化論の議論から離れなければならない地点です。

文明と文化が進めば進むほど、利他は難しくなる。それは、近代的前提だけではなく、文明と文化の根本的な問題です。なぜなら、文化が発展し、複雑になればなるほど、私とあなたのあいだで、大切なものは共有されなくなってゆくからです。

大切にしているものに関する認識の共約不可能性。あるいは、僕ら一人ひとりが大切にしているものの複数性。これはいわゆる「大きな物語の失効」と言い換えることができます。現代における多様性というのはそのようなことを指します。それゆえ多様性の時代とは、僕らの善意が空転する時代のことなのです。

霊長類社会や狩猟採集社会では、例えば食料や飲み水といった資源が限られているため、その主体が生きてゆく上で大切にしているものが極めて広く共有されます。あるいは、部族社会においては、その地域、その集団に根ざした同じ宗教や神話や霊性を共有しているがゆえに、「何が大切なものであるか」が一致しやすくなります。大切にしているものがきちんと少数のものに収束している社会なのです。つまり、大きな物語がきちんと機能している社会ということです。

現代に生きる僕らは、大切にしているものが一人ひとりズレている。それが多様性の時代である。この認識からしか、利他は届かないと言えるでしょう。そうでなければ、それは利他の押し付けであり、ありがた迷惑であり、正義の強制であり、時には道徳の暴走へと至るでしょう。

利他の定義は以下のようになります。
利他とは、自分の大切にしているものよりも、その他者の大切にしているものの方を優先すること、である。

さらにこの章の僕的なクライマックス「大切なものは目に見えない」(P58)へと進みます。
~~~
たとえば大切にしている時計。時計自体はたしかに目に見えます。ですが、その時計が「祖父が遺したもの」という、時計と祖父と私の関係性は目に見えません。AとBそれ自体は目に見えたとしても「AとBの関係性」は目に見えない。それはちょうど星は見えるけれども、星座が見えないのと同じです。夜空には星と星を結ぶ線は存在しない。星を結ぼうとする意志がなければ星座は存在しない。

では、その3者を結ぶ星座は何によって立ち現れるかというとその時計をめぐる「物語」においてです、そして、その物語は他者から問われ、応答するときに語られる。「この時計はさ、僕のおじいちゃんから貰った時計で、今日みたいな大切な日にはこれを着けるんだ」という言葉の中に、この物語の中に、私、時計、祖父、そして今日という大切な日を、という星々が線で結ばれ、星座を成す。

そしてその星座を見たものは、他者の星座を見せてもらうことができた者は、その星座を組成する、新たな星としてその星座に加わる。なぜなら、その物語はまっすぐに、あなたに向けて語られた物語だからだ。星を見上げ、星座を知ること。そしてそんな星座こそが心である。その認識から利他とケアが始まる。

だとするならば、大切なものが織り成す星座は、あなたと私の<あいだ>にある。あなたから問われ、そして請われ、それに私が応答しようとするその<あいだ>に星座はその姿を顕す。大切にしているものは、モノとしては存在していない。それは、関係性だからです。それは、あなたと私のあいだに、言葉を通して、物語としてその輪郭が立ち現れる。
~~~

うーむ。うなります。
さらに続けて、近内さんは「傷」を定義します。

~~~
大切にしているものを大切にされなかった時に起こる心の動きおよびその記憶。
そして、大切にしているものを大切にできなかった時に起こる心の動きおよびその記憶。
~~~

サピエンスの進化の宿命としての「文化(ひとりひとり)の多様化」とそれに伴う「大きな物語の喪失」
テクノロジーの進化に、体と心がついていかないこと。
そして、それこそが「ケア」と「利他」を難しくしている。
こうしてひとりひとりは「生きづらい」世の中を生きているのだと。

星の王子さまが言った
Le plus important est invisible-大切なものは、目に見えない-

これを星と星座に例えた近松さんの言葉に胸が熱くなりました。

~~~
「物語」を知ったもの、つまりその星座を見たものは、他者の星座を見せてもらうことができた者は、その星座を組成する、新たな星としてその星座に加わる。なぜなら、その物語はまっすぐに、あなたに向けて語られた物語だからだ。星を見上げ、星座を知ること。そしてそんな星座こそが心である。その認識から利他とケアが始まる。
~~~

「コネクティング・ドット」ワークショップを思い出した(23.7.2)
http://hero.niiblo.jp/e493154.html

他者の物語を知ること。
「星」と「星」をつなぐこと。
そしてその星座に自らが加わること。

文化の多様化。それによる分断。

「(首都圏ではなく)地方の高校に越境して行く(=地域みらい留学)」という大きな物語が喪失しつつあるのかもしれない今、地域の大人を含めて、ひとりひとりの星を星座としてつないでいく機会が必要なのではないか、と強く思った。

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Posted by ニシダタクジ at 08:08│Comments(0)
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