プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2018年06月30日

コモンズデザインと場のチカラ

昨日はまわしよみ新聞@長岡コモンリビングでした。







まわしよみ新聞についてはこちらから
http://www.mawashiyomishinbun.info/

僕も茨城大学で何度か実践したのですが
何度かやって、陸奥さんの話を聞いてみると奥が深い!

~~~以下メモ

まわしよみ新聞をつくったら、
通りすがりの人に見てもらうこと。
コメントが書いてあるので気になる。

コモンズ=コミュニティ外ということ
偶然目にする場所に貼ることが重要。

コミュニティ=同質性集団

コモン=常識
コモンズ=ふたつ以上の常識がある場
入会地(いりあいち)。

コモンズデザイン。
南極大陸はコモンズ
「クリエイティブコモンズ」

場のチカラ=居心地と創造性

たしかさとふたしかさ。
たしかさは同質性や宗教や信念、あり方。
ふたしかさは異質性、他者性、偶然性。

コミュニティは閉じていく。
ヒエラルキー(上下関係)が生まれる。

ふるさと納税=パイの奪い合い。
コミュニティ同士が奪い合う。

「めんたいこ」はオープンソース
原料採れないのに博多名物になった。

カラオケもオープンソース
「世界中に友達ができた。」

入会地=コモンズは地租改正でなくなった。

コミュニティを破壊し、分断しようとした国民国家。
それに対してコミュニティデザイン=コミュニティの復権を。

出島方式:誰でもウェルカム
参勤交代方式:半年間でバージョンアップして故郷に戻る。

藩は閉じている。
⇒派遣して、身内が他者になる。

~~~~ここまでメモ

なるほど。

僕が注目したのは、
国民国家による地域コミュニティの破壊
(つまり市町村合併)だ。

「国民国家」というフィクションを
成立させるために、地域コミュニティを破壊した。
いや、今も市町村合併ではそういうことが起こっている。

それでいてふるさと納税などで競い合わせる。
それって政治なのか、経営なのか。
国家運営なのか、営利会社運営なのか。

そして、コミュニティの破壊は同時に、
個人のアイデンティティも破壊する。

まあ、だからこそコミュニティデザインとか、
テーマコミュニティとか言っているんだけど。

それって、
破壊されたから復活させる、みたいな
同レベルの話になっちゃってるなあと。

陸奥さんのいう、コモンズデザイン。
それって、「場のチカラ」にも言えるなあと。

「場のチカラ」を生み出すには、
安心感と創造性を両立させる必要があって、
それには確かさと不確かさが同時に存在していることであり、

それって、コモンズ、つまり異質性のある他者の力、
共有財産である入会地のような場が必要なのだろうなと。
それをデザインする方法としてのまわしよみ新聞があるのだろうなと。

いやあ、場づくりとかコミュニティとか
言ってる人は陸奥賢さんに会ったほうがいいです。

コモンズデザイナー、陸奥賢さんと「まわしよみ新聞」は
今日30日も新潟市で開催されます。

お待ちしています!  

Posted by ニシダタクジ at 08:14Comments(0)学び

2018年06月26日

待っている人がいる「場」


作品名「僕の前に道はなく、僕の後ろに航跡ができる。」

阪九フェリーで新門司⇒大阪をワープし、
はじめての和歌山。




真言宗・高野山へ。
いきなり、生かせいのち。
シンプルで力強いメッセージ。


ベストショット。

そして、2時間の道のりを超えて、
いきたかった念願の本屋「イハラハートショップ」へ。


ウェルカムパピコをもらった。


井原さんと。

からの新宮へドライブして
ユースライブラリー「えんがわ」へ。


看板。


ライブラリーの様子。


並河さんと。

「ユースライブラリー」の名の通り。
若者のためのライブラリーというテーマで、
ゲストハウス、自習室、ライブラリーを運営。

隣には小さなカフェ「コーヒースタンド納屋」がある。
ここのカフェラテ飲んだけど、めちゃウマ。

そーいえば。
僕も、
1999年まきどき村はじめて、一軒家に引っ越して、
2000年に、
ゲストハウス(許可なし)
+本屋(サンクチュアリ出版の本だけ)
+学習塾(寺子屋風)
っていうのを始めたなあと思い出した。

ゲストハウスに泊まる旅行者(僕の友人)
が塾に来る中学生にいろんな話をしてくれたなあと。

2001年は商店街の中でお店開いてみて(これは大失敗)
2002年に不登校の中学3年生シンタロウに出会って、
NPO法人虹のおとができて、
だがしや楽校というコンセプトに出会ったころに、
2004年、中越地震が起こり、震度7の川口町と地元・巻町で
「遊びと学びの寺子屋 虹のひろば」を開始。

2006年に「ゲストハウス+学習塾」的なビジネスプランで
社会起業塾に応募したら、あえなく二次審査で落ちて、
そしたら「チャレコミ」からお誘いが来て、
大学生の地域企業でのインターン事業をやることになった。

2008年にサービスをはじめたインターン「起業家留学」は、
企業にも学生にも喜ばれていたけれど、
「自分に自信がない」とか「やりたいことがわからない」とか
言っている「もやもや系」の学生には求められるレベルが高すぎた。

2010年から商店街や温泉地や粟島といった離島での
大学生向けのプログラムをつくることになり、
それが大学生にとって大きなインパクトがあるように思い、
だんだんとそちらにシフトした。

2011年に事務所兼っていう割には本格的な本屋+レンタルカフェで
「ツルハシブックス」をオープン。
地下古本コーナーHAKKUTSU、店員サムライ、寄付サムライなどの
イノベーション(自分で言う)を起こした。

2015年から3年間、茨城大学で
大学生の地域参画プロジェクトの設計などを行う。

2016年11月にツルハシブックスは閉店。
2018年3月に新潟にふたたび戻り、「かえるライブラリー」などの
新規事業を構築中。




今朝は新宮市内のコメダ珈琲で、ひとり朝活。

昨日の「イハラハートショップ」で購入した
雨ニモマケズの新訳絵本を読んでいた。

雨ニモマケズを
Rain won't stop me
と。

そうそう。
雨も雪も、自分を止めない。
確かなものと不確かなもの。
そうやって歩いていく。

そんな「場」をつくりたいって思った。

高野山には、「確かなもの」があった。
「生かせいのち」っていうキャッチコピーがあった。
まあ、それも「問い」だとすると、
それぞれの中に「不確かなもの」も同時に存在している。

「イハラハートショップ」の井原さんからも
「ユースライブラリーえんがわ」の並河さんからも
「確かなもの」を感じた。

それは、西村佳哲さん風に言えば、「あり方」
なのかもしれない。

そして、「場」があること
それもとても大切なことだなあと思った。

本屋やライブラリーっていうのは、
場に「不確かさ」を加えてくれるものなのかもしれない。

誰かに会えるかもしれない。
何かが起こるかもしれない。

そんなエンターテイメントに満ちた「不確かさ」と
そこにいる人が持っている「確かさ」というかそういう感覚。

それを併せ持つ「場」をつくりたいと強く思った。
そしてそこで待つ人をやりたいなあと。

ああ、本屋やりたいなあ。  

Posted by ニシダタクジ at 08:23Comments(0)

2018年06月24日

「確かなもの」と「不確かなもの」











福岡県福津市津屋崎
「なまことかえるライブラリー」発足の会でした。

「暮らしの問屋」店主の古橋さんと、
「コメタク」のさくらさんと
「おでんや」のるみさんと
「ながしのこたつ」ののぞみさん。

キーワードは「余白」だったかな。
あと、本の「旬」の話。

~~~以下メモ

「暮らしの問屋」
子どもが生まれると問いが生まれ、問いが始まる。
駅徒歩何分とかではなく、暮らしに問いを持つということ。

図書喫茶なまこ
なまこがなぜなまこなのか?
津屋崎では嵐のあと、海岸になまこが落ちている(打ち上げられている)

お気に入りの本だったら読んでみたくなる。
本を通して、人を好きになる。
人を好きなると、まちを好きになる。
まちを好きになると、暮らしたくなる。

なまこは見た目はよくないかもしれないけど、
中身はおいしい。

その瞬間、読む本。
ひとそれぞれ「旬」(タイミング)がある。
価値が流動していることを体現する場=本棚

「日々の家~たねの木」
本で地域が見える。
体を動かしながら「余白」をつくる

コメタク:米を炊くことで「余白」ができる。

のせるみさん:「間」について調べたいから休学した。

おでん屋台:「屋台」は「内」でも「外」でもない。
あいまいさ。ふところが深い。自由。

ながしのこたつ:こたつが突然あって、コミュニケーションがはじまる。

「一期一会」の瞬間。

おじいちゃん
「おでんを売っているけど、おでんを売っているわけではない」
おばあちゃん
「いやいや、うちはおでん屋さんなんです。」

確かなものと不確かなもの。
それが共存している場。
日常に「温度」や「色」がつくこと。

「交流できる」と「交流しなければならない」のちがい
「交流」を目的としない場

おでんが食べ物だからいい。
内と外があいまいであること。
共有地、共有物。

~~~ここまでメモ

期せずして、3人娘の表現している「場」が
「余白」というキーワードでつながる。

たぶん、「日々の家~たねの木」っていうこの場所も、
ここに来る人たちの「余白」になっていくのだろう。

「なまことかえるライブラリー」は、
そんな精神的な余白をつくっていければいいと思った。

だから、こんな場所に置きたい本、
誰かに届けたい本を。

そしてそれが、「かえる券」を通じて、
中学生高校生に渡っていくような、
そんな場になったらいい。

「食」や「畑」、「海」や「海産物」、そして本。

たくさんの「余白」ツールがこの町にはある。

そんなものがたくさん集まるような、
確かなものと不確かなものが共存しているような、
そんな「場」になっていくのだろう。

そんな「場」づくりに参画できることが
とってもうれしくて、
ああ、新潟から津屋崎に車で来てよかったなあと思う。

古橋さん、ありがとうございます。  

Posted by ニシダタクジ at 07:57Comments(0)イベント

2018年06月21日

「サードプレイス」とは、「目的外使用」ができる場所のこと

昨日は、奥出雲の「かがりや」
でのトークイベントでした。

その前に立ち寄った「さくら文庫」。
場を提供している上田さんに
話を伺う。

この場所は昼寝のための場所だと。
だから本を厳選してあります。
でも、私は読んだことがありません。

この本棚には、
つまらない本は置いてありません。
かといって読む必要はありません。

昼寝をするためには、
どんな本が並んでいたらいいのか。
そんな風に本が並んでいる。
つまり、本が「家具化」している。

そんなライブラリー。

鍵もかかっておらず、
自由につかってほしいのだという。

電気は通ってないので、
暗くなったらお帰りください。

そうそう、ここは「昼寝」をするための場所なのだから。

さくら文庫の正式名称は
「午睡亭 さくら文庫」
そう、昼寝をするためのライブラリー。

夜のトークセッション。
本を誰に届けたいのか?
ハックツとは何か?
っていう話。

暗やみで本に出会う「偶然性」。
「偶然性」が開く心「オープンマインド」
そして、本を買った人のその後は気にならないという
「機会提供の美学」。
最近キーワードの「予測不可能性」

そして、目的多様性、あるいは目的外使用。

そうそう。
さくら文庫で本を読むのは、
「目的外使用」なわけです。
昼寝のためのライブラリーだから。(笑)

そんな場所が増えたらいいのに。

っていうか。
「サードプレイス」ってそういうことができる場所のことじゃないか?
っていま思った。

つながった。

「サードプレイス」とは、「目的外使用」ができる場所のことではないか。
その目的外がたくさんあればあるほど、居心地のよい場所になるのではないか。
居心地のよさは「目的多様性」から来るのではないか。

海士町中央図書館って、だからいいんじゃないか。



「何かつらいことがあった時、よくこの図書館に行って、癒されていた。」
と、元海士町民の友人に聞いた。

それって、図書館だからいいんだなって。
離島のような閉鎖空間では、
「ひとりになれる場所」が少ない。

何か壁にぶつかったとき。
スナックでヤケ酒することができない。
真っ暗な海に向かって、叫ぶことができない。(あ、これはできるか)

図書館に行く。
そこでは、多様な本が迎えてくれる。
本も人も多様でいいのだ、ってメッセージを発しながら。

そして誰も「癒されに来た」とは思われない。
「図書館で本を読みに来たのだ」と周りには見せておく。

そんな空間があること。
海士町中央図書館があることで、
どれだけの人が救われているだろうか、と思った。

僕は、佐賀県武雄市の武雄市図書館の雰囲気が好きだ。
あそこは日本最高のスタバだと思っている。

「スタバのついた図書館」ではなく、
「図書館のついたスタバ」だ。

アリーナ席(僕は読んでいる)に
コーヒーを片手に座れば、
見下ろした下には、
左から絵本を読み聞かせている親子、
図書館の本を選んでいる人、
蔦屋の雑誌コーナーで立ち読みしている人、
スターバックスで友人と談笑している人、
DVDコーナーを探している人

そして後ろを振り返れば、
たくさんの高校生が勉強をしている。
その「目的多様性」に、
僕は居心地の良さを感じるのだ。

エンターテイメントの本質は「予測不可能性」であり、
居心地の良さの本質は「目的多様性」である。

そしてサードプレイスとは、
それらを2つとも満たす「場」なのかもしれない。

かつて本屋は、そして図書館は、いや喫茶店だって、
「目的多様性」や「(本来の)目的外の使用」、
そして何が起こるかわからない、誰に出会うかわからない
という「予測不可能性」が

が「場の魅力」と「居心地の良さ」を作ってきたのではないか。

「ツルハシブックス」や「ハックツ」とは、
それをラディカルに表現した場だったのではないか。

なんだか。
見えてきましたね。

島根のみなさん、ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 06:50Comments(0)学び

2018年06月20日

「本を届ける」ということ

福岡・津屋崎を目指して西へ向かっています。
今朝は隠岐・海士町でむかえています。


七類港から「フェリーくにが」に乗ります。


約3時間の旅を終えると、隠岐・海士町です。


海士町といえば、「ないものはない」です。


今回僕を誘ってくれたのは浅井さんです。


夜は自ら魚をさばいて、お寿司を握ってくれました!


「めぐりの環」のまかないランチを食べ、阿部さんに再会。




学習センターにもお邪魔しました。
澤さん、ありがとうございます。
「予測不可能性」について少しばかりお話しました。
島前高校の高校生がたくさん勉強してました。

今回、一番ビックリしたのは、海士町中央図書館。
休館日に入れてもらいました。


カフェコーナーが充実!
50円~100円でなんでも飲めます!


そしてカウンター席!


こんな感じです。

超素敵ブックカフェ(しかも図書館)が海士町にありました。

司書の磯谷さんに話を聞いていると、
とってもワクワクしました。

カウンターの横には、
「もう1冊いかがですか?」コーナーがあり、
最近気になる出来事に関連した本が並んでいます。


本のセレクトもめちゃめちゃ素敵で、
いままさに素敵本屋さんに新刊で並んでいるような
本が、未貸出しのままで(笑)、すぐに読めるなんて!

なんていうか。
僕、この隣に本屋だしたいなと思いました。
こんなに本が買いたくなった図書館は初めてです。

「本を届ける」っていうこと。

そんなことをあらためて考えさせられた。

6月15日。
今回の旅の初日に、
富山県射水市の小杉駅の近くにある
「ひらすま書房」にお邪魔しました。





旧郵便局をそのまま使った店舗にシビれました。
僕もお店をやるなら、郵便局跡にやろうと思いました。

6月18日。
本屋の聖地、鳥取市・定有堂書店。
奈良さんにお会いして、お話を聞くことができました。





「これからは音楽を選ぶように、本を選ぶようになる。」
と思いました。

というか、小さい書店の価値は、
「音楽を聴いているかのように棚を見て、レコードを買うかのように、本を手に取る」
ということなのだろうと、実感しました。

本屋も、図書館も、そのミッションは、
「本を届ける」ということです。

定有堂書店の奈良さんは元郵便局員で、
こんな話を聞かせてくれました。

郵便事業っていうのは、運送業ではなくて
逓送業なんだって。

てい‐そう【逓送】とは、
[名](スル)
1 通信や荷物などを人の手から手へ順送りにすること。順送り。「物資を逓送する」
2 宿場などを次々に経由して送ること。
3 郵送すること。
「終に書を―するの意なし」〈織田訳・花柳春話〉

という意味なのだ、と。
つまり、「手紙をつないでいく、リレーする」
ということ。

それって本に似ているって思った。
僕がサンクチュアリ出版の営業をしているとき。
初めて編集会議に出て、編集のヨウヘイが
このフォントにした理由を説明していたとき、
電流が走るような衝撃があった。

駅伝なんだ!って思った。

本は思いを
著者から編集者へ
編集者から営業へ
営業から書店員へ
書店員から読者へ
リレーしていく。
営業とはその第3走者を走ることなのだ、と。

「本を届ける」ということ。
それはとっても素敵な仕事だなあと
あらためて強く思った。

そして、海士町中央図書館のような空間づくりが
「本を届ける」ということに、大きく影響するのだなあと。

全身で、五感を発動させて、
空間を味わいながら、本を手にとる。
そんなことが生まれる場。

そんな場を、僕もつくりたいと強く思った。

「本を届ける」場、僕もつくります。
ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 06:23Comments(0)

2018年06月11日

「価値」は見つけるのではなく、磨くもの

大学生向け新潟・中山間地の暮らし体験プログラム
「にいがたイナカレッジ」の説明会2DAYSに行ってきました。
(「インターン」って言葉を使わないで、なんて言ったらいいのか)

結論から言うと、
井上有紀さんと一緒に何かやるのは楽しいな、と。
あらためて思いました。

6月8日(金)は初めての試みの「イナカレッジバー@浅草」でした。






6月10日(日)は、高田馬場10°カフェで説明会。






8日は新潟コシヒカリ付きでした。
こういう説明会あってもいいなと。
定期的にやったらいいなと思いました。

今週は、
5日に「他者評価の檻から自分を脱出させる方法@茨城大学前」
6日に「若松ミライ会議@日立・コクリエ」
7日に「かえるライブラリーキカクカイギ@湯島・ヨソラ」
8日に「イナカレッジバー@浅草」
9日に「グリーンバードリーダー会議@代官山」
10日に「イナカレッジ説明会@高田馬場」でした。

1週間を通して、
「価値」について考えました。

音楽性の違い(18.6.6)
http://hero.niiblo.jp/e487534.html

「価値観の多様化」ではなくて「価値」そのものが流動化している(18.6.8)
http://hero.niiblo.jp/e487544.html

「評価」と「承認」と「共感」と「表現」
みたいなキーワード。

「自由」と引き換えに
「自分」(アイデンティティ)を失った。

で。
昨日。

「にいがたイナカレッジ」を
「インターン」という言葉じゃなくどう表現するか?
みたいな話から始まった。

イナカレッジと通常の企業インターンでは、
「価値」基準が異なるのだから、
「インターン」という同じ言葉で表現しては、
届かないのではないか。

昨日の参加者では
「東京以外の場所で暮らしたい」とか
そういうニーズがあることが分かった。

僕は、「評価」と「承認」の話をして、
「価値」について話していたのだけど。

自分にとっての「価値」は自分で決めること。
それが「価値観」であり、
他者評価の檻から脱出するには
そのコンパスを手に入れるしかない。

だから、価値の異なる場、というか、
価値が明確ではない場所に自分を置いて、
「価値」について感じ、考えることが大切。

田舎に行っても、1,2週間程度では、
「お客さん」だからもてなされてしまう

ってある大学生が言っていたけど、
ああ、そうなんだな。
もてなされていては、
そこに「暮らし」はあるようでないのだなと。

金曜日にイナカレッジのプロデューサー、阿部巧さんが
言っていた言葉を思い出した。

「コンサルは立場を固定する。その立場の落差がお金になっているからだ。
でもイナカレッジの大学生は、
何者かわからないあいまいな状態でムラに入っていき生活を共にする。
そうすると大学生なのか地元の人なのか、
よく分からなくなってくる。そこからしか生まれてこないものがある。」

「価値」とはいったい何だろうか?
という問いが詰まっている。

立場の違い、知識、技術の差異によって
ビジネスを生み出すことが価値だろうか?
「先生、このムラはどうしたらいいのでしょうか?」
と教えを乞い、その通りにやってみるのが価値なのだろうか?

イナカレッジの「価値」は
地域の人と一緒に何かをつくっていくこと。
そもそもの「価値」を考え、その「価値」を生み出していくこと。

そういう関係性からくる学びが、
地域にとっても大学生にとっても価値ある学びになるのではないか、
と思う。

「4週間というプログラム期間が長い」
と多忙な大学生には言われる。

そういえば、2年前、
コメタクから大学に復帰した井上有紀さんも
イナカレッジプログラム@川口・木沢に参画した。
彼女こそ、典型的な多忙な大学生だっただろう。

そんな彼女が昨日言っていたこと。

おばあちゃんは今日もダイコンの種をいつ播くかって話をしていた。
昨日もそんな話をしていたのに。

そんな中に、「豊かさ」があるんじゃないか、
って感じられるようになるのは、2週間くらい経ってからだという。

田舎の「暮らし」と一体化する。
五感を開放し、体を使って感じる。

その先に、見えてくる「価値」があるのではないか。

他者評価の檻から脱出するために、
自分なりの「価値」を持つこと。
それはすぐには言葉にならないかもしれない。

でも、新潟の山奥で、
五感を開放し、まずは感じること。
それを受け止めること。
ふりかえること。

その繰り返しによって、
「価値」に気づく。

その価値は、発見するものではないのかもしれないと
昨日の参加者の大学生の話を聞いていて思った。

「価値」は磨くものなのかもしれない、と。

自分の中にすでにある「価値」を磨いていくこと。
そのためには、五感を解き放つ必要があって、
そして、暮らしの中にある「価値」を感じながら、
自分なりに考えていくこと。

その先に、人生があるのではないか。

だから、4週間のイナカレッジプログラムが
大学生でやっておいたほうがいいのかもしれない。

「異文化」に飛び込む。
「異」とは、「価値」が異なるということ。
そして地域と共に「価値」をつくっていくこと。

海外旅行1か月バックパックに
匹敵するような何かがそこにあるような気がします。

その「何か」はあなたが見つけてください。
自分の中にある「価値」を磨いてください。

イナカレッジプログラム2018年夏、
エントリーをお待ちしています。

https://inacollege.jp/  

Posted by ニシダタクジ at 10:24Comments(0)学び

2018年06月08日

「価値観の多様化」ではなくて「価値」そのものが流動化している











話題のスポット、墨田区「喫茶ランドリー」に行ってきました。
洗濯しながら時間を過ごすところ。
パソコンいじっている人多かった。
ジンジャーエール400円。場所代って感じで潔い。
おかわりは200円。
この400円をどう捉えるか?

「価値は何か?」
という問い。

かつてドラッカーは、
経営者への5つの質問として、

1 ミッションは何か
2 顧客は誰か
3 顧客にとって価値は何か
4 成果は何か
5 計画は何か
と挙げた。

一方近代工業社会は、徹底した「効率化」を求めた。
「効率化」こそが利潤の源泉だった。
だから、従業員レベルには、「なるべく考えないこと」が推奨された。

上記の質問であれば、
4と5に集中することで「効率化」された。

ところがいま、工業社会が成熟し、
もはや「効率化」では価値が生めなくなった。

就職活動においても、
「自分で考え、行動できる人」が求められるようになった。
「価値観の多様化」と叫ばれるようになった。

水曜日、毎月恒例の若松ミライ会議。
「価値」について大学生と話していた。

最後の感想で出てきたこと。
・今まで学ぶ立場だったのが家庭教師して教える立場に
なると、自分の「価値」が変わる
・今までと違うコミュニティに「越境」すると、
自らの「価値」が変わる

そうか!
って衝撃が走った。

「価値観の多様化」ではなくて、「価値」が流動化しているんだなって。
いや、そもそも、「価値」とは流動的なものだったんだなって。

それを、国家が、為政者が、システムが、
「価値の固定化」を行ったのだ。
「富国強兵」「経済成長」の名の下に。

テレビや新聞などのマスメディアは
「価値の固定化装置」として機能した。

「欧米に、追いつけ、追い越せ。」
「ほしがりません。勝つまでは。」
みたいな。
「価値」を固定化し、目標を共有しないことには、
戦争や経済戦争で一丸となって戦えない。

学校もそうだ。
固定化された「価値」に見合う人材を輩出することが
学校の使命だった。

ところが、価値は本来流動していて、
固定化されてきた「価値」、
つまり、「情報処理能力が高いほうがいい」
という「価値」が揺らいできた。
(「イノベーション」を起こすには?のような問いが出てきた)

「イノベーション人材を教育で生み出せるのか?」
というジレンマがある。

「イノベーション」とは、
既存の枠組みではない「価値」を創出すること
だとしたら、

「イノベーションが価値である」という共通認識のもとに
開発されたプログラムからは、
イノベーション人材は輩出しえない。
という矛盾につき当たるのではないかと思う。

そして、
「就活」の違和感の源泉がそこにもあるのだろうと思う。

固定化された価値を「強化」するための学校システムから、
価値が流動化しつつある経済社会システムへの移行が、
ジレンマに満ちているのではないかと思う。

価値は流動化している。
いや、価値は本来、流動的なものなのだ。

それを体感できる場に身を置くこと。

学校社会だけじゃなくて、地域社会。
東京だけじゃなくて、地方。
日本だけじゃなくて、世界。

流動化する「価値」の中で、
自分自身の価値を考え、問いかけ、仮説を立て、
実践してみること。
そして、自分で「価値」を感じること。
その繰り返ししかない。

それは団体やチームでも同じだ。

設立の時に設定した「価値」
今年の団体・チームにとっての「価値」で
あるかどうかは分からない。
確認しなければならない。

それは社会によっても、
そこに集うメンバーによっても変わる。
いや、ひとつひとつの事業、もっと言えばイベントによっても変わる。
だから、それを確認しなきゃいけないんだよ。

この事業の「価値」は何なのか?「顧客」は誰なのか?
そんな問いがあるミーティングをしないといけない。

このイベントの集客目標は200名です。
マッチング目標は30名です。
そのためには、まずリストを2000名分集めます。
アプローチは、メールが何通で、SNSは毎日更新します。

みたいなミーティングだけをやっていないだろうか。

流動化する「価値」をつかむため、
ひとりひとりが感じている「価値」を共有すること。
事業によって生み出された「価値」を認識すること。

「仕事」はいつも、その先にあるのではないか、と僕は思う。

「価値」を考え続け、その「価値」を生み出すために
プロジェクトをつくり、自らの「価値観」を
プロジェクトやチームメイトとの関係性の中から
流動的に形成していくこと。

たぶん、これが必要になってくるのだろうな。
そういうミーティングをつくっていくような仕事したいなと思った。

大学生が「やりたいことがわからない」と悩むのは、なぜだろう?

それは、「自分のやりたいことを決める」ということは
自分の「価値」をいったん固定するということとイコールだから、
価値が流動化する社会において、それをやっていいのだろうか?
と不安になるからではないだろうか。

「価値」は常に流動している。
その「やりたいこと」は仮決定に過ぎないのだ。

「価値」を決めすぎず、「行動」を決める。
「行動」しながら、「価値」を問い続ける。
「やりたいこと」は仮説にすぎない。

そんな感じで進んでいけばいいのではないかなと思いました。

若松ミライ会議、僕のほうが学びになっています。
ありがとうございます。  

Posted by ニシダタクジ at 08:31Comments(0)学び

2018年06月06日

音楽性の違い

「他者評価の檻から自分を脱出させる方法」@茨大前


なんか、やっぱり
タイトルが刺さる人には刺さるみたいですね。

要点から行くと、
~~~ここからメモ

・「評価」じゃなく「承認」が必要なんじゃないか。
・「親和的承認」⇒「集団的承認」⇒「一般的承認」のステップのうち
「親和的承認」、つまり存在承認の機会があまりにも減っている。
・「家族」「地域」の役割が低下したことが大きい

・職業的自由や地域的自由が少ないとき、
「承認」の機会は逆に大きくなる。
・本当に必要なのは「承認」なのではないか。
・「学校教育」は「承認」欲求を「評価」欲求にすり替える装置で
戦争と経済戦争での成功体験がある。

・「評価」は他者によって与えられ、見えやすいが、
「承認」は(特に親和的承認)は自分自身が感じるしかないから見えづらい。

・「音楽性の違い」。目指すべき音楽が違う。
・「チューニング」ではなく「音合わせ」。
・オーケストラを吹きたい人がいれば、
それを吹けばいい。ジャズを吹きたいなら吹けばいい。

・かつて会社は、ひとつのオーケストラのようだった。
目指すべき音楽があり、信頼する指揮者の元、
それぞれが自分のパートを全うし、ひとつの音楽を作り出していた。
「作品」と呼べるようなプロダクトやサービスがそこにはあった。
オーケストラの目指したい音楽が無くなり、
あるいはその音楽の共有が難しくなったのに、
「仕事だから」という理由で楽器を弾き、
吹き続ける奏者に「美しさ」はあるだろうか、それは「芸術家」と呼べるのか。

・俺はジャズで観客と一緒に音楽をつくりたい。
俺はロックでもっと深いところを世の中に問いかけたい。
だから、このオーケストラは抜けるぜ。
そんな感じで会社やめてるんじゃないかな。

・大きいホールで何十人ものチームメイトと何千人の観客と空間を共有し、
一体化したオーケストラの一員になりたい音楽家もいれば、
小さなカフェで3人の奏者とジャズを奏でたい音楽家もいる。

~~~ここまでメモ

こんな感じ。
「音楽性の違い」。

これ、めっちゃいいキーワードだなと。
若い人の気持ちを代弁している気がする。

会社って、そういうところだったんだ。
大きい会社はオーケストラを。
小さい会社はジャズを。

お客さんに届ける。
そういう仕事をしていたんじゃないか。
「芸術家」が「生活のために」音楽を奏でるようになっていいのか?
そんな問い。

それと、
「承認」の関係についてあらためて考えさせられた。  

Posted by ニシダタクジ at 11:51Comments(0)学び

2018年06月01日

19歳のための本屋

2011年7月にツルハシブックスの地下1Fで
始まった「地下古本コーナーHAKKUTSU」。
入場できるのは29歳以下だった。

20代のうちに行っておかなければ、
って遠くから人が来た。

でも、テレビを見た人の声の中には
「企画は面白いけど、本はイマイチ」
っていうのもあった。

たしかに、29歳以下の若者へって言われると、
自分が新入社員の時に読んでいたビジネス自己啓発書とか
贈りたくなる気持ちはわかる。

サンクチュアリ出版の金子さん、
トーハンの水井さんに声をかけられ、
ブックスタマの加藤社長に出会い、
東京で、「暗やみ本屋ハックツ」を立ち上げることになったとき。

新潟と同じように29歳以下にするか、
10代、つまり19歳以下に限定するか、
議論が分かれた。

10代限定にしたら、近隣の人しか入場できない。
一番フットワークの軽い20代を切ることになるからだ。
僕は最後まで、10代限定をゆずらず、
2015年9月に「10代限定の古本屋 暗やみ本屋ハックツ」が誕生した。

10代の集客は困難を極めた。
まず、東京の高校生はチラシをもらってくれない。

差し出したチラシを華麗にスルーしている。
耳にはイヤホン刺さっているし。

無視され続けても、
金子さんはチラシを配っていた。
熱い。

そのオープン記念イベントを、
東京だけじゃなくて、岡山と福岡でも
やったのだけど。
その時に出てきたコンセプトが「手紙」だった。

「暗やみ本屋ハックツ」は手紙。
本を通して「手紙」を届ける
そういう本屋なんだって思った。

いま、フリーになって、
あらためて。
誰に「手紙」を届けたいのか?
って考える。

2002年にNPOを立ち上げた時の
僕の顧客は15歳だった。

2年前の元日、
植松さんの本を読んで、
20歳に届けたいと思った。

http://hero.niiblo.jp/e475845.html
やったことがないことをやりたがる人(16.1.1)

ちなみに「つながる米屋コメタク」は、19歳に、ってなっている。
https://faavo.jp/niigata/project/1381

そして昨日のブログ。
http://hero.niiblo.jp/e487501.html
「やりたいことがわからない」と「自分に自信がない」(18.5.31)

これを届けるには。
「19歳のための本屋」っていうのはありかもしれない。
別に本屋でなくてもいいのだけど。
米も売りたいし。
そういうコンセプトで本を選んでみるのもいいなと。

選書のテーマは「自由」。
ちょっと大げさだけど、人が本を読むのは
そこに自由があるから。

自動車学校とコラボした商品とか作りたいなと。
自動車学校期間中に読む本をセレクトするとか。
そういうやつ、やります。  

Posted by ニシダタクジ at 10:03Comments(0)アイデア