プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2013年01月31日

文化を変革する

文化を変革する。

その方法は2つだ。
上から落とすか、下から上げるか。

まちライブラリー礒井さんが言っていた。
ゲリラ戦にめっぽう強い。
いつの間にか、奥深くに入り込んで、
敵を味方につけて、一緒に戦っている。

そんな感じ。
きっと文化を変革するにはその方法が早いような気がする。

だから、
お役所とか、大きな組織に変革をしようと思ったら、

1 「少数の仲間」を見つけて
2 お客さんとして設定した少数の人たちの「切実な課題」を
3 組織の力も借りながら「プロジェクト化」あるいは「施策化」する。

この繰り返しが有効である。
このへんの2と3の間がまだまだできていないなあって思う。

少しずつ。
だがのんびりでもなく。

待っている人がいるのだから、
文化を変革しようじゃないか。

たったひとりでも世界は変えられる。
「バタフライ効果」があるからだ。  

Posted by ニシダタクジ at 07:44Comments(0)日記

2013年01月30日

システムは人を匿名化する

システムは人を匿名化する。

それが大きくなればなるほど、
人は具体的なひとりの人ではなく、
大勢のなかのひとり、になる。

世の中はシステムの集合体である。

コンビニ、電気店、学校、医院、あるいは市役所。
全てが「システム化」されて動いている。
そのほうが効率的だからだ。
いや、そうしないと一律のサービスが提供できないからだ。

その「人の匿名化」に耐えられず、孤独を感じている人たちがいるのも
また事実だろう。
いわゆる「顔が見えない」というやつだ。

本屋さんはどうだろうか?

大規模書店やチェーン展開をしているお店は
POSデータを活用して、商品管理を行っている。
売れ筋商品を多くならべ、トレンドをつかむ。
そこには「需要」という匿名化した何かがある。

どこの誰がこの本を欲しがっているか、という具体的なデータではなく、
20代後半の独身男性に多く読まれている、といったようなデータを
もとに、品ぞろえがされる。

いっぽうで、
地方の小規模書店は
お客さんとの関係性をつくり、その人にあった本をすすめるようなこともある。

店頭にでっかく、今週のオススメ!
と店長の顔入り直筆で書いてあるようなお店だ。
それはそれでいいのだろうけど、
もうちょっと、匿名化された自分でいたいときもある。

僕が目指したいのは、その「あいだ」だ。

三島邦弘さん流に言えば、
「特定と匿名のあいだ」だ。

ひとりのピンポイントな西田卓司として、
オススメされるのもいいけど、
アラフォー地方都市在住男子は
これを読んでおいた方がいい、というような指標も
また欲しいと思う。

たぶん、新刊書店っていうのは、
その要素が必要なんだろうと思う。

まちライブラリーと市立図書館のあいだ
読書のすすめとツタヤのあいだ

そんなポジションにツルハシブックスを持っていく。  

Posted by ニシダタクジ at 07:26Comments(0)日記

2013年01月29日

おもしろい、という瞬間を共有する

京都カラスマ大学
高橋マキ学長にお話を伺う。

京都は「学びのまち」だ。
大学だらけだ。
無料の市民講座も山ほどある。
シブヤ大学の立地とはだいぶ異なる。

高橋さんの話を聞いて、
無料だからこそ、クリエイティビティが問われるのだと思った。

授業コーディネーターが
授業を作っていく過程で、
「何を聞かせたいか?」ということを
常に考えながら、組み立てる。

京都のお漬物やさんの授業組み立て。
「漬物の食べ方や切り方がわからない。」
と思う。
それを提案してみる。

漬物やさんは思う。
「そんなこと!?」

実際に行われたお漬物講座。
漬物の切り方を教わる。
実際にやってみる。

受講生は20代から60代までいる。
漬物どころか、包丁の使い方もままならない20代女性。
そこで、同じく受講生の60代のおかあさんの出番だ。

トントントン~と
流れるような包丁さばきで漬物を切っていく。

「おおおお!!!」

歓声が上がる。

そして食べてみる。
美味しい。
上手に切ると、やっぱり美味しいのだ。

これ。
この瞬間。

京都カラスマ大学、
そして授業コーディネーターが存在している意義があるのだと思った。

講師をただお願いしても、
自分本位の話になってしまうことが多い。
それを授業コーディネーターが
まずは自分が「おもしろい」と思ったことを
どのように伝えるか、という授業の組み立てをしていく。

その「おもしろい」を共有できたときの空気感が
受講生を満足させるのだろう。

感性の時代到来。
いま、まさにその真っただ中に突入していく若者たち。

心が動く瞬間を共有する。
共に創る。

そんな空間を「魅力ある空間」と呼ぶようになるのだろう。  

Posted by ニシダタクジ at 08:14Comments(0)日記

2013年01月28日

文化はミクロに突破する

まちライブラリー磯井さんの一言が、時を止めた。

「文化はミクロに突破する」

合意形成して、
みんなが「よし、それやりましょう」というようなやり方では
文化は生まれない。

ああ。
そうだろうなって思った。

葛飾北斎は、
日本浮世絵協会を立ち上げてから
浮世絵を描き始めたわけではない。
ただ、浮世絵を書きたかったのだ。

組織の合意形成ほど
難しいものはないと磯井さんは言う。

だから、
「どうやって合意を得るか?」に苦心するよりも、
まず、始めてしまって、そのうちに
キーパーソンを巻き込んでいくこと。

これぞ「文化の創られ方」だと思った。

磯井さんは
「有名人を呼んできて、講座を聞いて、お金を払う」
というのは東京だけのモデルだと言い切る。
その絶対数が多いからだ。

この「上から落としていく」モデルは、地方では通用しなくて、
「自分も一緒につくっていく」モデルにしなければ、楽しくないと言う。
そのとおりだって思った。

享受するだけの文化なら、
テレビや映画を見てる方が楽しい。
わざわざ町に出ていく必要がない。

ひとりひとりが下から創っていく文化。
これがこれからの時代の文化となるだろう。

そして、それが集積したところが
「文化スポット」となっていく。
いいねえ。
そういうの、やりたかったんです。

都市型観光とは、「人に会いに来る」ことだと言う。
たしかに。
大阪にたこ焼きを食べに来ることを目的にすることは
あまりなくなっているのだろう。

ひとりひとりの「魅力ある姿」を発信することで
そこは観光スポットにもなるのだろう。

いいねえ。
だんだん見えてきたぞ。
偶然にも同席していたつむぎやの友廣さんが言った。
「個性(ミクロ)が発揮された集合体が魅力あるまちを生んでいく」

それって、まちゼミとかがやっていることなんじゃないか。

しかもその実現方法は「ミクロに突破する」
ってことだ。

いいなあ。

あの僕の人生を変えた小説「種をまく人」の
世界を思い出す。

ゴミ捨て場となっていた空地を
「みんなが集うような農園にしたいんだ」
と行政や地権者に許可を得ようとしたら、
おそらくは10年経っても実現しないだろう。

でも。
その空地に3粒のマメの種を蒔いたベトナム人の少女がいた。
そこからひとり、またひとりと
農園をつくる人が増えていった。

いつしか、農園はみんなの農園になった。

そんな小さな種まきを、
いまこそ、始めるときなんじゃないか?

ミクロに突破、したくなってきましたね。  

Posted by ニシダタクジ at 08:37Comments(0)日記

2013年01月27日

すぐ役立つことはすぐ役立たなくなる

名古屋へ来ました。
今日はまちゼミの松井さんのところに
お邪魔します。

昨日、今井さんのオススメで買いました。
「奇跡の教室~エチ先生と「銀の匙」の子どもたち」(小学館文庫)


これは熱い。
名門中の名門、私立灘中学・高校の国語教師
橋本武の物語。

6年間もち上がりの灘校のシステムの中で
突出した人材を生み出す、橋本武の国語。
それは、3年間で1冊の文庫本「銀の匙」
をひたすら横道にそれながら、味わい尽くす、という授業。

駄菓子を食べながら駄菓子を食べるシーンを味わったり
凧をつくって揚げたりもする。

昭和37年5月。
文庫本のページは、1か月たっても、
まだ2枚しかめくられていなかった。

級長がたまらず言った。
「先生、このペースだと200ページ、終わらないんじゃないですか?」

橋本は教室中を見渡してからつぶやくように言った。

「スピードが大事なんじゃない」

そして続けた。
「すぐ役立つことはすぐ役立たなくなります。
そういうことを私は教えようと思ってはいません。
なんでもいい、少しでも興味をもったことから
気持ちを起こしていって、どんどん自分を
掘り下げてほしい。私の授業では君たちが
そのヒントを見つけてくれればいい。」

そのとおりだって思った。

高校受験、大学受験の時に詰め込んだ知識を
いまどれほど覚えているだろうか?
リトマス試験紙の青が赤に変わったら酸性
「おかあさん」(あ「お」→あ「か」→「さん」性)くらいだ。

すぐ役立つことはすぐ役立たなくなる。
じっくりと時間をかけて会得したものだけが力だ。

日本弁護士連合会第36代事務総長、海渡雄一さんは
当時を振り返る。
「いま思うと、橋本先生からセンスを学んだんです。気づくセンスこそが国語力なんだよ、
何歳になっても、受け取る感性があれば人生は楽しいんだよって・・・」

いいなあ。
橋本先生。
こんな先生が日本にいたのだってうれしくなった。

「感性」を磨く。
まずはここから。
ここからしか始まらない。

大学生のみなさん。
効率やスキルだけではない何か。
それでいて感性が磨かれるもの。

大学1,2年生の時にやっておくべきことは
そういうことなのではないかなと思います。

共感したあなたに、この春休みに贈るのは
佐渡の北に浮かぶ人口340人の小さな島での

「真冬の離島暮らし体験in粟島」です。

ミッション:手伝いや交流など「島の暮らし」を通しての島の魅力発見と発信

場所:新潟県・粟島浦村(村上市・岩船港からフェリーで90分)
日程:2月14日~22日(8泊9日)
活動内容:
・最盛期のマダラ漁手伝い
・干物づくり体験
・島の人からの聞き取り調査
・イカ釣り
・雪かき
などなど、冬の島暮らしのあらゆることを体験します。

定員:10名
宿泊:共同生活(宿泊代は粟島浦村が負担します)
費用:食費として1日500円程度⇒8泊9日で5000円程度

※自宅から粟島までの往復の交通費は各自・ご負担ください。
岩船港⇒粟島港  1,830円(片道)

※部分参加しかできない方、ご相談ください。

1次エントリー締め切り:1月31日(木)

問い合わせは、まずは西田まで。  

Posted by ニシダタクジ at 06:41Comments(0)思い

2013年01月26日

チャンスが向こうからやってくる

チャンスが向こうからやってくる。

波が合ってきた。
そんな感じがする。

数あるオファーの中から、
自分の心が動くものだけに集中してやってみる。

2013年はそういう年になる予感がする。

星名康弘さんから、
越前浜での本の移動販売の話の可能性について、話をもらった。
それを聞いて、今井さん高澤さんと朝活で膨らませていく。

膨らむ、膨らむ。
こういうとき、シグナルは青だ。
心がGOと言っている。

坂口恭平「独立国家のつくりかた」を読んでから、
やけに世界が複層に見える。

長期インターンシップ「起業家留学」立ち上げの時、
「いま、社長に会いにゆきます」を開催。
連続で参加してもらったのは星名さんだけ。

あのときに、
大学生に感じてもらいたかったものが、
いまなら説明できる。

そう。
社会はひとつじゃないってこと。
星名さんに接すると、そのことが体感できる。

星名さんはきっと6年も前に、
そんな世界にたどり着いていたのだなあ。

そんなご縁がふたたび交差する、人生という道。

いきるよろこび、ってこのことかな、アンパンマンさん。  

Posted by ニシダタクジ at 05:56Comments(0)日記

2013年01月25日

経済合理性とけしからん罪

池上彰「伝える力」今頃読みました。
100万部を超えるだけある、面白い本でした。

この中に
村上ファンドの村上さんの記者会見の
話が出てくるんだけど。

インサイダー取引をしたのがもちろん罪なのだけど、
あの記者会見で「けしからん罪」になってしまった。
つまり、日本中の人を敵に回してしまった。
ということが失敗だったという。

しかもそれは計算した上での発言が
裏目に出たからだという。

なるほど。
日本には「けしからん罪」が存在するのか。

今世間で言われている
学校の教員の退職金減額による早期退職の問題。

残り2か月を残して、担任の先生が辞める。
子どもにとっては、好きな先生であればつらいだろう。
卒業生を持っていた先生もいるというのだ。

しかしながら
「経済合理性」という観点から見れば、彼らの判断は正しい。
1月末で退職した方が
トータルで70万くらい多くもらえる計算となる。

それが「けしからん罪」に当たるというのが
今回の報道である。

経済至上主義の世界は、
「短期間で最大の利益を上げる」ことが価値であった。
そこに向かって邁進することに一般企業であれば、
異論はないはずだ。

しかしながら。
それが自分の知らない他者で、
かつ「~~すべき」と呼ばれるようなことが多い職業に対しての
「けしからん罪」の判断の目は厳しい。

もし、それが友人だったら、家族だったら。
批判だけできるのだろうか。

経済合理性もなんとかしなきゃいけないけど、
この「けしからん罪」という当事者意識の少なさも
なんとかしなきゃね。

ひとりひとり、日本丸の乗組員です。  

Posted by ニシダタクジ at 07:15Comments(0)日記

2013年01月24日

学校社会だけが世界ではない

「世界が広がる」とか「視野が広がる」とか言う。

こんな世界があったのか!?
って思う。

1998年11月。
東京都北区王子。
物語バー「狐の木」

衝撃。
こんな飲み会があったのか。

起業した人
プロスポーツ選手
政治家
大学生

様々な職業の人が集まり、「未来の話」をしていた。
過去や現在を語っても、共感されないだろうと
容易に想像できた。

僕はまだ、語るべき夢を持っていなかった。
ただ、その空間にいることが心地よかった。
世界が広がった瞬間だった。

中学生や高校生たちに伝えたいのは
「学校社会だけが世界の全てではない」

だから、仮に学校に合わなかったとしても、
友達とうまくいかなかったとしても、
それで人生はブルーになるわけではない。

ということなのだけど、
自分が当事者でいるときには分からないものだ。

同様に、経済社会だけが唯一の世界ではない。
といつか、気づくときが来るのかもしれない。

そう。
実は宇宙は無限に広がっていて、
経済社会というのは、そのひとつに過ぎないのだということ。

きっとツルハシブックスは
その狭間に立っているのだろう。
経済社会とそれ以外の社会のあいだ。

だから、ワクワクする。

それは僕が作っているのではなく、
無数の世界を持っている人たちの集合体がつくり出すのだ。

そうそう。
そういう場所、やりたかったんです。  

Posted by ニシダタクジ at 06:39Comments(0)思い

2013年01月23日

ユニットをつくる

次世代リーダー応縁塾
デザインユニット「koro」さんがゲスト。

障がい者施設の商品のブランド化、およびプロデュースをするのを
お手伝いしている。

中嶋さんと小林さんの
キャラクターが対照的というか、
同じ雰囲気なのに、
個性が違う感じがすごくよかった。

「ユニット」
というのはいいなあと思った。

中嶋さんは子どもの時から福祉ひとすじ。
小林さんは小さいころからデザイン、表現に注力していた。
その二人が偶然出会うのだから、
人生って、世の中って面白い。

中嶋さんのピュアな思いが小林さんを引き寄せてるんだよね。
そんな気がした。

ただ、「思い」しかなかった。
そんな中嶋さん。

福祉施設をひたすら回り、
こんな商品があるのなら、こんなことができる、って勝手に提案。
でも、デザインの力があるわけではなく、
商品化は進まなかった。

そして、出会うのだ。
まるで「ドラクエ」のように。

人生はドラクエに似ている。
そして、世の中も、ドラクエに似ているのだ。

2人は導かれるようにして、出会い、ユニットを結成した。

ああ。
そんな時代が来ているのか、
って思った。

感性の時代。
想像力の時代。

そして、創造力の時代。

そんな時代を生きていく「ユニット」って素敵だなと思った。

それぞれの特技を生かして、
チームというか「パーティー」といったほうがふさわしいものを
結成する。

そして、チームが一体となったとき、
1+1+1が10くらいになっている。

こういうのがユニット。
それは、単にビジネス上や会社組織上
つながっているわけではなく、
「その先にあるもの」を共有しているチーム。

そういう意味では
西田、高澤、今井という3人の「ユニット」も
なかなかのものだと思う。

営業、編集、デザインがうまくかみ合っている。
つい最近、それを実感する、ひとつの作品ができた。
なんだか、ゾクゾクってした。
こういうの、「いい仕事」っていうのだろうなあって思った。

これは
「ヒーローズファーム」ではない、
新しいユニットとして名付けた方がいいなあって思った。

高澤さん今井さん
僕たちも作りましょう、デザインユニット。
今井代表で。
今井さん、名前考えて!
koroさんくらい短いのもいいですね。  

Posted by ニシダタクジ at 06:59Comments(0)学び

2013年01月22日

ゴールがひとつではない、という時代

システム(仕組み)は、当たり前だけど、
ゴールがあるから設計される。

たとえば、コンビニエンスストアで
お客さんにたくさんのモノを買ってもらうには、
まずは入り口をこのように作って、
奥の方にドリンクの冷蔵庫を置いて、

その途中に「そういえば、小腹がすいたな」みたいなパンの棚がある。
そんでもっとレジ前にトドメのようにガムがあったり、
肉まんが鎮座していて、最後の一押しをかける。
気がつくと会計が4ケタを超えている。
うーん。素晴らしい。

ドラックストアですごいのはクスリのアオキかな。
店のいちばん奥の正面にティッシュペーパー、トイレットペーパーが
あって、そこからレジに行くまでに
台所用洗剤やラップ関係、カップめんなどが軒並みならんでいる。
生活者の思考を知り尽くしている。
そのゴールは「客単価を上げる」ということ。

もっと広くすると、
学校だったり会社だったりも
そのようなシステムとして見ることができる。

目標とする人材像や目標とする会社の売り上げなど、
そこを目指してきた。

ところが、いま。
その前提が揺らいでいる。

このようなシステムは「人が幸せになるために」
つくられたはずだ。
いや、もしかしたら資本家たちの陰謀なのかもしれないが、
少なくとも作られた当初は、いやそれからずっと、
働く人たちもこのシステムに同意してきたはずだ。

ところが。
そのモデルがひずみはじめた。

合理性を追求し、非正規雇用を増やした。
高齢化が進行し、今までどおりには行かなくなった。
学校に行かない、行けない子どもたちが増えた。

もはやゴールはひとつではない。
かつて描いていた「共通のゴール」がある程度達成され、
ひとりひとりのゴールへと向かい始めた。

こうなると、システムが揺らぐ。
システムを改革しなければならない。
フューチャーセッションはそのひとつの方法だ。

生きている会議。
ゴールに向かわない会議。
気がつくと、こういうものが作りたかったんだ、と思えるような会議。

そんな会議がこれから必要とされていくのだろう。

ゴールはひとつではない。
だからこそ苦しく、だからこそ面白い。

この時代、この場所でたしかに僕たちは生きているのだ。  

Posted by ニシダタクジ at 07:52Comments(0)日記

2013年01月21日

自然農から学んだこと

「原点は?」
と問われれば、様々あるのだろうけど、

やはり20代前半での
「知と人生の探究」の時に、
出会った人たちの言葉は
人生に大きな影響を与えると思う。

金曜日に似顔絵師のやまだみつるさん
「学問」とは「学んで問う」ことだ。
と言っていた一言がやけに心に残る。

江戸時代の私塾には、
「教育」ではなく、「学問」があったのだね。
松下村塾で松陰先生がやっていたのは、
「学問」なのだなあと思った。

共に学ぶ。
そして自ずから育つ。

「育てる」なんてことはできないんだなあ。

なんか、すべてがリンクしていく、
そんな実感がある昨年末から今年初頭。

そういう意味で、
僕の学問の原点は「自然農」との出会い。

もともとは「世界の食糧問題」や「環境保全型農業」、「持続可能性」
などのキーワードに興味があった大学時代。

たくさんの農家・農場を見に行った。
最初に行ったのは長野県の佐久市。
魚のコイを使った除草技術を実験中だった。

遠くは、大分の赤峰農場
有機農業を推進する宮崎の綾町を
見に行ったりもした。

そして僕は、自然農に出会う。

出会いはたしか、
東京・賢治の学校。
鳥山敏子さんと川口由一さんの対談。
川口さんのスタンスに、感銘を受けた。

もっとも衝撃的だったのは、
「伝えようとしていない」(ように見える)のに
ガンガン伝わってくる、あの感じ。

それまで僕は、環境系団体に属していたり、
コミュニティFMでしゃべったりしていたので、
「どうやって伝えるか?」
というのがテーマだったので、
この「伝えようとしていないのに伝わる」というのは、非常に衝撃的だった。

それから1年。
川口由一さんや自然農の「おっかけ」をして、
南は徳島や福岡 北は山形や福島の
自然農実践家や講演会に顔を出していた。

そして出会ったのが徳島の沖津一陽さん。

「耕さない」「肥料・農薬を使用しない」「草・虫を敵としない」
を基本理念とする自然農。

しかし。
ただ、草ぼうぼうになっているわけではない。

草を刈るときには刈る。
肥料が足りないと思ったら米ぬかをやるときもある。

ここで頭でっかちだった僕は
「自然とは何だろうか?」という問いを得る。

エコとか地球にやさしいとか言うのだけど、
「本当のエコ」、自給自足はほぼ実現不可能である。

着る服ひとつ作れないし、電気がなくては生きていけない。
あわよくば自転車発電の機械を自作したとして、
そのホイールやらバッテリーやらは自分が作ったわけではない。

それでは、自然農の言う「自然」とはなんだろうか。

そんな問いの中で、
沖津さんからや川口さんからたくさんのことを学んだ。

沖津さんは「いつ草を刈るのか?」という問いに対して、
「その草を残すべきか、刈るべきか、畑に立つと自然とわかるようになる」と

川口さんは
「自然とは何か?」
という問いに自然とは、「そうなるしかなかった」ということだと言った。

自然農とは「生きる」ことそのものだった。

今、目の前にある自分が野菜と雑草を目の前にして、
生きるために草を残すべきか、刈るべきかを問う。

そしてそのときは刈ってしまったが
あとからふりかえるとまだ早かったか、あるいはもっと早く刈っておいたほうがよかったか
ということを思う。

自然農とは、今を生きる本気の生き方である、と実感した。
マニュアルではなく、おまえ、自分でやってみろと神様に言われている気がした。
その半年後、僕は畑のある公園づくりという名称で「まきどき村」をスタートする。

15年前の僕の原点。
しかし、いま、まさにそれがよみがえってくる気がしている。

生きるとはなんだろうか?
そんな問いが当たり前の世の中がいつのまにかやってきた。  

Posted by ニシダタクジ at 07:35Comments(0)思い

2013年01月20日

生きる意味は小さな日常にある

昨日はコミュニティデザイン朝活。
4名というこじんまりしたカタチでやりました。
今回の題材も「サキどり」でした。
http://www.nhk.or.jp/sakidori/backnumber/121014.html

前回も見たのだけど
今回はさらに泣けた。
ばあちゃんたちの笑顔に泣けた。

鹿児島のデパート「マルヤガーデンズ」と
広島の社会福祉法人の話。

泣けますよ。

過疎の村のおばあちゃんたちが
野菜をつくって、社会福祉法人の給食や
レストランの食材となる。

そのときに、「地域循環券」という地域通貨をもらう。
それで自分たちもレストランで食事をして、
併設している保育園で園児と遊ぶのだ。

そんな日常に
「生きる意味」があるのだなあとあらためて思った。

野菜をつくる、
ということについて考えさせられた。

「市場」という匿名化されたシステムでの
評価を前提に作られる野菜。

誰がどんな思いでつくったのか?ではなく、
新潟黒崎産というブランドが大切。

それとは真逆の位置にある、この流通。
いま、私がつくっている野菜が目に見える誰かの口に入る。

あるいは、今食べている野菜は地域の誰かがつくった野菜。
文字通り個人個人の顔が浮かぶ、野菜の流通。

取材された日のランチに使われた食材は
実に45名の地域の人が関わったものだった。

そのランチは、もはや、芸術品だ。
45人の生命と思いがこもったランチ。

そこにはたくさんの「生きる意味」が詰まっている。

「コミュニティデザイン」とは、
「生きる意味」を人との関係性によって再構築するプロジェクトなのだと
改めて思った。

泣けました。  

Posted by ニシダタクジ at 07:49Comments(0)学び

2013年01月19日

自由とはタテの世界を行き来すること

坂口恭平さんの
「独立国家のつくりかた」はやはり名作。
世の中の見え方が変わる。

中学生くらいに読んでほしいけど
表現方法がちょっと難しいかもしれないので、
わかりやすく説明できるようになりたい。

この本の中で例えられているのは、
学校社会と放課後社会
というふたつの世界(レイヤー)

学校社会の中での評価基準は
「勉強ができる」が最高で、
「スポーツができる」だったり「音楽ができる」
という評価ポイントがある。
それは学校の先生によって測られる。

放課後社会は、もっと自由だ。
人が2人以上集まったら、そこに放課後社会が形成され、
そこには独自の価値観がある。

この本の中には放課後の土井くんという
工作のものすごい得意な子が出てきて、
それは放課後社会で著者の圧倒的リスペクトを受けていた。
しかし彼の学校社会での評価はあまり高くはなかった。

坂口さんは言う。
放課後社会は無数にあり、
しかもそれは匿名化されていないリアルな世界だ。

そうか。

世の中はホントにドラクエのようになっているとすると、
天空の城に行くように、あるいは裏の世界に行くように、
価値観や慣習の異なる世界へ行く、というのは、

「精神的には可能」だ。

そしてその世界を認めあうことが「価値観の多様化」ではないか。
そして、その世界を行き来できることがまさに自由なのではないか。

学校社会という世界は単一の価値観に支配されていて。
そして他者評価を前提に作り上げられた
匿名性の高いシステムだ。
そこの個人の価値観を発現させることは難しい。

経済社会も同じだ。

経済社会の枠組みの中で言う「価値観の多様化」は、
神奈川に住むか、千葉に住むか、みたいな違いでしかない。

縦のラインを行き来する。

たとえば、登山家たちは、それぞれ個人をリスペクトしあい、
ひとりの人間として自然と対峙する。

そのような行き来できる「世界」を
どのくらい持っているか?

そしてその世界にいったときは
経済社会の価値観を超えていけるか?
これがこれからの生きる力となっていく。

学校社会だけが社会ではない。
地域に無数の放課後社会が広がっている。

そんなまちで暮らしたい。  

Posted by ニシダタクジ at 06:48Comments(0)学び

2013年01月18日

リアルと抽象のあいだ

僕たちが生きているのは、リアルな世界だ。

いま、目の前にある人やモノたちをどうしていくか?
自分はどうやってお役に立てばいいのか?
そこがすごく大切だ。

いっぽう。
個人の活動というのはものすごく無力だ。

目の前の人を助けているだけでは
課題は解決できないのではないかという
不安にもかられている。

だから、行政や中間支援の仕事は
それらを抽象化、一般化して、制度をつくり、
困っている人を広く救ってあげるシステムを構築することだ。

昨日、西区コミュニティコーディネーターの反省会で感じたのは、
これを行き来することがとても
大切なような気がした。

名づけて、
リアルと抽象のあいだ。

今、目の前にいる人をなんとかしたい、というリアルと
そういう人がたくさんいるとしたら、どんな仕組みが必要なのだろう。

だとしたら、
今回の企画運営委員の会議のようなのは
まさにリアルと抽象を「行き来」できるような
仕立てにしたらよいのではないか。

「場」の構築。
フューチャーセッション。
リアルと抽象のあいだ。

なんとなく、見えてきた感じがする。
おもしろくなってきたね。  

Posted by ニシダタクジ at 06:24Comments(0)日記

2013年01月17日

ゴールにとらわれず、今を燃焼させる

なんだろう、このワクワクは。
この未確定な感じがたまらない。
無限の可能性の未来が広がっている感じ。

「機会提供」だ
「目的だけが大切じゃない」
とか言いながら、目的に縛られてしまっている自分に気づく。

目的とは、方向性を決めるということ。
それが大切なときもあり、

目的を決めないで、
思いを持った人の問いだけがある状態にする。
それがフューチャーセッションと呼ばれるものなのかもしれない。

その問いに対して、
ひとりひとりが個人の人生をかけて、
場に貢献するために、発言する。

未確定な未来が、
だんだんとその姿を現してくる。

これが楽しい会議、なのかな、と思った。

「先行きが見えない」と
みな、不安を語る。
でもそれは、言い方を換えれば、
可能性の海が広がっているということ。

世の中も、大学生も
その未確定の未来に、生身の自分と生身の仲間と共に
漕ぎ出していく時代だ。

ゴールにとらわれず、今を燃焼させる。
その「場」を最高のものにする。

こうして、未来が創られるとなんとなく思えた冬の夜、
終電に向かう新潟駅の街灯に照らされた雪がやけにキレイに見えた。  

Posted by ニシダタクジ at 07:36Comments(0)日記

2013年01月16日

偶然が起こるという価値

スタンフォード大学の
クランボルツ博士が言っている。

個人のキャリアは偶然の積み重ねの結果だ。
だから、「偶然を計画せよ」と。

いいねえ。
そういうの好き。

どうやって偶然を起こすか?
っていう問い。

僕は学校の先生(中学社会)を目指したことが一瞬だけあるのだけど、
そのときにあの「指導案」ってのがうまく書けなくて、
レポートがひたすら再提出になって、断念しちゃったのだけど。

本日の授業の目標があって、
そこに対してどのようにネタを出して、
どのような話の展開になって、
そして、達成度はこのように測ります。

みたいなもの。
もちろん、そこで子どもたちだから、
想定外の発言がいっぱい出て、
そこが先生の腕の見せどころなのだと思うけど。

とにかく。
世の中の経済システムの動きと同じで、
何かゴールがあって、
そこに対して少しでも近づくような、ことを積み重ねていくことが
経済活動だったり、勉強だったりするのだ。

だから。
「偶然」という「機会提供」は、現代社会においては、単独では価値はない。

「で、どうなった?」
いやあ、それで人生が拓けました。
やりたいことが見つかりました。
よくわからない絵画を買わされました。
特に何も変わってません。

とまあ、その機会がその人たちにとってどうなのか、
というのはいろいろあるだろうと思う。

「何が起こるかわからない」という偶然。
「何かが起こる」かもしれない。」というワクワク。

それを提供する場所があったら、
ステキだなあって思う。
ツルハシブックスはそういう場所でありたい。

【お願い】
だれか、その昔、駅にあった伝言板
(XYZって書くとシティハンターがやってくるやつ)
を所有している人がいたら、ツルハシブックスの前に
飾りたいので、情報教えてください。  

Posted by ニシダタクジ at 09:16Comments(0)日記

2013年01月15日

感性の時代

「感性の時代」が到来している。

大学生や20代の人たちと接していると
「彼らの感性は本物だなあ」って
すごく思う。

しかしながら、世の中のシステムは
「効率化」を第一とし、
なかなか感性を発動させてはいけないように
なっている。
そのつらさがあるのだろうと思う。

昨日、ほぼ日に出ていた
糸井重里さん×山崎亮さんの対談
目黒のさんま祭りの話。

気仙沼から夜行バス往復0泊3日の弾丸ツアーで
参加費が3000円取られるってすごいなって。

でもそれが楽しくてたくさんの人が行くのです。
感性の時代。
そこに3日+3000円の価値があると脳ではなく心が判断しているのです。

それでもって、
そこのさんま祭りに来る人たちも

彼らから発せられる空気感に載せられて、
心が「快」を判断するのだと思います。

きっと新発田で13日にやってた全国雑煮合戦も
同じようなことが起こるのだろうと思います。

寒空の下、屋外でたくさんの人が行列している。
たしかに、全国の有名雑煮を食べたい人もいるだろうけど、

そこに出店している人たちの楽しそうなオーラ。

おそらくは、さんま祭りと同じような弾丸ツアーで
やってきているだろう人たちが、
このイベントを楽しもうとしている、その集合体が
イベント全体の空気を楽しいものにしているのだろうと思います。

つくづく、感性の時代が到来しつつあると思います。

よい空間、空気感。

言葉で説明できない何かを人はきっと求めている。  

Posted by ニシダタクジ at 06:42Comments(0)学び

2013年01月14日

二系統の夢

「自分のことがわかる」
ってうれしい。

「自分ほど不思議な生物はいない。」(タクーソン)
笑。
そんな名言ありそうでしょ。

昨日。
自分のことがまたひとつわかった。
僕の夢には二系統あったのだってこと。

ひとつは、
いまやっている本屋さんとか、インターンシップとか、一言で言えば「地域を活用した教育」の夢。

もうひとつは、
今年15年目。まきどき村で表現したかった「農を核にしたコミュニティづくり」の夢

そうだったんだね。
だから、よく説明できなかったんだ。

わかった!

というあの感じ、いいですね。

いよいよ40歳が近いのかも。
笑。  

Posted by ニシダタクジ at 05:44Comments(0)思い

2013年01月13日

効率化とはコミュニケーションしないこと

「効率化」とはコミュニケーションしないことであり
「付加価値化」とはコミュニケーションをとっていくことである。

この構造的矛盾の中を、
僕たちはいま、生きている。

川で洗濯をしていたら、近所の誰かに会う。
田植え機やコンバインなどないから、みんなで集まって田植え、稲刈りをする。
お魚屋さんで買い物をしていると、魚屋さんに近況を聞かれる。

わずわらしい。
めんどくさい。

洗濯機でやれば、
自分でコンバインを買えば、
スーパーにいけば、

「経済的に」意味のないコミュニケーションをとらなくてもいい

たとえば大学近くのコンビニエンスストアで、
前のお客がアルバイトの店員さんと知り合いで、
サークルの話や今後の予定を話し合っていて、
自分の会計が15秒くらい待たされたとする。

少しだけイラっとする。
わずか15秒でだ。
コンビニエンスストアは、回転率が勝負である。

少しでも早くレジを打ち、
お客さんを待たせずに回転させることが重要だ。
そしてそれをお客さん側も望んでいる。

「会計をすませる」というゴールに対して最短距離を行くこと。
それ以外のコミュニケーションは不要だ、というよりも
コミュニケーションを排除すべきだ。

工業社会の延長上にあったサービス業社会、
つまり、「経済合理性」を追いかけたサービス業は、
徹底的にコミュニケーションを排除することで
利益を確保した。

学校でもそうだ。
「なんのために勉強するのか?」
「大人になるってどういうことか?」
「自分のやりたいことがわからない。」

そんな問いにいちいち答えたり、悩んだりしていても仕方がないから
「とりあえず勉強しておいた方がいい」
と言った方がテストの成績は上がる。

「効率化」「経済合理性」を第一とする社会に
適応するということは、コミュニケーションを取らずに、
最高速でニーズに答える。

学校であれば、テストの成績を上げることであり、
普段の生活であれば、親や大人の言うことを聞くことである。

ところが。
いざ就職する段階になると、求められる能力が違う。

「ニーズに最高速で対応すること」は
もはや機械やパソコンに置き換わりつつある。

「自分で考えて行動できる人」
「付加価値が生み出せる人」
が求められる。

つまり、コミュニケーションが取れる人が求められる。

「ストーリーでお店を輝かせる」としたら、
まずもっと求められるのは、
ストーリーを構築する力とそれを語る力、
さらにそれを広めていくコミュニケーションが不可欠である。

この社会の構造的矛盾が
働けない若者の大きな要因なのではないか。

だとしたら、その解決策は、
若者に訓練してコミュニケーション力をつけさせる、
ということではなく、
地域社会そのものをコミュニケーションのある地域に
再構築していくこと。

地域の自治会、あるいは商店街が残っている地域なら、
まだチャンスはあると僕は思っている。

そうでなければ、小学生中学生高校生大学生の時に
何か、コミュニケーションしなければいけない状況をつくり出すこと。
英語を学ぶのと同じように、
その環境をつくっていくことがとても大切なのだろうと思う。
商店街インターンシップとは、そのひとつの手法と位置づけられるだろう。

コミュニケーションする地域社会の再構築。

個人の若者にひとりひとり対応するよりも
そのほうがずっと「効率的な」解決策だと思う。

あれ?
なんか終わり方がおかしいな。笑。  

Posted by ニシダタクジ at 07:33Comments(0)就職

2013年01月12日

世の中のキャパシティ

言われたことができないと工業社会では働けず、
言われたことしかできないとサービス業社会では働けない。

これが、
障がい者雇用問題と働けない若者問題の本質なのではないか。

いや、
正確に言うと
工業社会ではなく、「大量生産・大量消費」社会
という言い方が正しいか。

「日本でいちばん大切にしたい会社」(坂本光司)には、
障がい者雇用に取り組むたくさんの会社が出てくる。
しかも驚くべきことに、
1~3巻に登場する20社のうち、13社が製造業なのだ。

ちなみに、日本の会社の75%はすでにサービス業になっているから、
この数値の高さが分かるだろう。
もちろん、これは坂本先生の主観で集められた会社だ。
しかし、この数値はひとつの問いを抱かせる。

「サービス業よりも製造業のほうが障がい者を雇い入れることがより可能なのではないか。」

チョークの製造を手掛ける
日本理化学工業では、
青いはかりと赤いはかりを使い分け、
作業ができるように工夫している。

他の社員さんが
自分たちがフォローしようと、愛を配っている。

こうして会社全体の雰囲気がよくなり、
業績が向上していくというサイクルができている。

「それは、小さな会社だからできるんだ。」
という言い訳が聞こえてきそうだ。

その通りなのかもしれない。
大量生産・大量消費をするような大工場では、
当然のことながら均一化、均質化、効率化される。

その中に作業効率の悪い場所があっては
全体に影響することは容易に想像できる。

時代は流れ、
社会は高度化し、サービス業社会を私たちは生きている。

それは、そのほうが経済的に合理性が高いから。
つまり、DVDデッキを製造するよりも
DVDを1日100円で何十回転もさせた方が儲かるからだ。

それを後押ししたのが
マニュアル化、フランチャイズ化だ。

そこには、全国どこへ行ってもほぼ同じ料金体系、
そして均質のサービスという安心感がある。
しかしその時代もいつの間にか過ぎ去った。

「付加価値」「ホスピタリティ」「感動サービス」などが求められ、
企業が新入社員に求める条件は
「自分で考えて行動できる人」になった。

つまり、「言われたことしかできない人は要らない」
ということだ。

「言われたことができる」というのは、
工業社会ではかなり価値があったのだが、
サービス業社会においては当たり前のことになってしまった。

こうして見ていくと、
障がい者雇用の問題と働けない若者問題の根は同じところにあることがわかる。

つまり。
彼らに「働けない」原因があるのではなく、
世の中のほうのキャパシティがどんどん狭くなっている
ということだ。

障がい者雇用の問題はみんな、なんとなく、
世の中の企業のキャパシティの問題だと思っている。

それなのに、なぜか、働けない若者問題の方は
彼らに「コミュニケーション力」をつけさせ、
あるいは大学生であれば「自分で考えて行動する力」を身に付けてもらう
という解決策しか、提示されていない。

世の会社のキャパシティを広げていくことも
同時にしていかなければならない。

そのときこそ、「農業」をベースにした
新たなビジネスの出番なのだと思う。
長野・小布施・くりのみ園でやっていることは、
その先駆けとなるのではないだろうか。

若者側にも立ちながら、働く場をデザインしていく。
そんなコミュニティデザイナーの出番が来ている。  

Posted by ニシダタクジ at 07:57Comments(0)就職