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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



新潟市西区内野町431-2
TEL 025-261-3188

平日12:00~19:00
土曜 7:00~21:00
日祝10:00~19:00
*火・水曜定休





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2018年07月14日

19歳に贈る50冊の本

選書しました!
マイナーチェンジはあるかもしれませんが、
ひとまず思い浮かぶ本を。
メモとして置いておきます。

「じぶん」を考える

1「認められたいの正体」(山竹伸二 講談社現代新書)
キーワード:承認欲求
2「孤独と不安のレッスン」(鴻上尚史 だいわ文庫)
キーワード:同調圧力
3「わかりあえないことから」(平田オリザ 講談社現代新書)
キーワード:自分と他者
4「私とは何か」(平野啓一郎 講談社現代新書)
キーワード:分人、本当の自分
5「レイヤー化する世界」(佐々木俊尚 NHK新書)
キーワード:国民国家、多層化
6・7「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」(岸見一郎、古賀史健 ダイヤモンド社)
キーワード:アドラー心理学、自由
8「教育の力」(苫野一徳 講談社現代新書)
キーワード:教育、学びの個別化、協同化、プロジェクト化
9「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」(橘玲 幻冬舎文庫)
キーワード:能力、開花
10「評価経済社会」(岡田斗司夫 ダイヤモンド社)
キーワード:シャドウカリキュラム、ネット中世

「まなび」を考える

1「サヨナラ、学校化社会」(上野千鶴子 太郎次郎社)
キーワード:学校化社会
2「すべての教育は洗脳である~21世紀の脱・学校論」(堀江貴文 光文社新書)
キーワード:常識、国民国家
3「日本人」という、うそ(山岸俊男 ちくま文庫)
キーワード:道徳、武士道、商人道
4「日本人は何を考えて生きてきたのか」(斎藤孝 洋伝社)
キーワード:神、宗教、東洋、西洋
5「プレイフル・シンキング」(上田信行 宣伝会議)
キーワード:マインドセット、固定的知能観、成長的知能観
6「先生はえらい」(内田樹・ちくまプリマー新書)
キーワード:師匠、学び
7「最終講義」(内田樹 文春文庫)
キーワード:ミッション
8「本を読む人だけが手にするもの」(藤原和博 日本実業出版社)
キーワード:宗教、幸福論
9「教養のススメ」(池上彰 日経BP)
キーワード:教養、大学
10「公教育をイチから考えよう」(リヒテルズ直子×苫野一徳 日本評論社)
キーワード:学校、近代化、効率化

「しごと」を考える
1「クランボルツに学ぶ夢のあきらめ方」(海老原嗣生 星海社新書)
キーワード:キャリアデザイン・キャリアドリフト
2「MEDIA MAKERS―社会が動く「影響力」の正体」(田端信太郎 宣伝会議)
キーワード:メディア、予言の自己実現
3「心の時代にモノを売る方法」(小阪裕司 角川新書)
キーワード:生産と分配の経済と贈与と交換の経済
4・5「天職の作法」「冒険の作法」(小阪裕司 大和書房)
キーワード:天職、冒険、旅立ち
6・7「自分の仕事をつくる」「自分をいかして生きる」(西村佳哲 ちくま文庫)
キーワード:氷山、仕事
8「ナリワイをつくる」(伊藤洋志・ちくま文庫)
キーワード:兼業、副業、暮らし
9「なめらかなお金がめぐる社会。あるいは、なぜあなたは小さな経済圏で生きるべきなのか、ということ。」(家入一真 ディスカヴァー・トゥエンティワン)
キーワード:お金
10「転換期を生きる君たちへ~中高生に伝えておきたいたいせつなこと」(内田樹編 晶文社)
キーワード:13歳のハローワークの呪い

「みらい」を考える
1「コミュニティ難民のススメ。」(アサダワタル 木楽舎)
キーワード:コミュニティ難民
2「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 (山口周 光文社新書)
キーワード:美意識、アート、サイエンス
3「わたしが芸術について語るなら」(千住博 ポプラ社)
キーワード:美しく生きる。
4「ホスピタルクラウン」(大棟耕介 サンクチュアリ出版)
キーワード:天職、顧客
5「14歳からの社会学」(宮台真司 世界文化社)
キーワード:学校、仕事
6「計画と無計画のあいだ」(三島邦弘・河出文庫)
キーワード:計画、目標
7・8「独立国家のつくり方」(坂口恭平 講談社現代新書)「隅田川のエジソン」(坂口恭平 幻冬舎文庫)
キーワード:世界はひとつではない。
9「種をまく人」(ポールフライシュマン あすなろ書房)
キーワード:種、畑、コミュニケーション・ツール
10「せかいでいちばんつよい国」(デビッド・マッキー 光村教育図書)
キーワード:世界の変え方

「こらぼ」を考える
1「かかわり方の学び方」(西村佳哲 ちくま文庫)
キーワード:場のデザイン
2「人が集まる「つなぎ場」のつくり方」 (ナカムラクニオ 阪急コミュニケーションズ)
キーワード:一期一会、場のチカラ
3「ただめしを食べさせる食堂が今日も黒字の理由」(小林せかい 太田出版)
キーワード:コミュニケーションデザイン
4「企画書のつくり方、見せ方の技術」(藤村正宏 あさ出版)
キーワード:企画、ラブレター
5「魔法をかける編集」(藤本智士 インプレス)
キーワード:編集、魔法
6「魔法のマーケティング」(川上徹也 フォレスト出版)
キーワード:好き、関係性
7「応援したくなる企業」の時代(博報堂ブランドデザイン アスキー新書)
キーワード:テーゼ(正)、アンチテーゼ(反)、ジンテーゼ(合)
8「ローマ法王に米を食べさせた男」(高野誠鮮 講談社+α新書)
キーワード:仕事づくり、体当たり
9「Communication Shift」(「モノを売る」から「社会をよくする」コミュニケーションへ 並河進 羽鳥書店)
キーワード:伝える
10「ロングエンゲージメント~なぜあの人は同じ会社のものばかり買い続けるのか?」(京井良彦 あさ出版)
キーワード:「共感」の時代、コンセプト、ストーリー、デザイン  

Posted by ニシダタクジ at 14:49Comments(0)

2018年07月13日

19歳に贈る50冊

ウチノ食堂に小さな本屋さん
「Apartment bookstore」ができるというので
古本を選書しようかなと。

「かえるライブラリー@ウチノ食堂」
にしようかな、と。

50冊程度しか入らないということなので、
渾身の50冊を選んでみようかと。

ということで、
過去のブログをさかのぼりながら、
50冊選んでみようかなと。

「19歳に贈る50冊。」ってテーマで選書。
主な対象者は、
高校生までいわゆる「優等生」で来て、
地方国立大学に合格した1年生。

真っ先に浮かぶのは、

「認められたいの正体」(山竹伸二 講談社現代新書)
「孤独と不安のレッスン」(鴻上尚史 だいわ文庫)
かな。

「じぶん」「せかい」「しごと」「みらい」「いきる」
の5テーマで選書してみようっと。

途中経過は以下。

19歳のための50冊

「じぶん」を考える
「認められたいの正体」(山竹伸二 講談社現代新書)
キーワード:承認欲求
「孤独と不安のレッスン」(鴻上尚史 だいわ文庫)
キーワード:同調圧力
「わかりあえないことから」(平田オリザ 講談社現代新書)
キーワード:自分と他者
「自分とは何か」(平野啓一郎 講談社現代新書)
キーワード:分人、本当の自分
「レイヤー化する世界」(佐々木俊尚 NHK新書)
キーワード:国民国家、多層化

「せかい」を考える
「サヨナラ、学校化社会」(上野千鶴子 太郎次郎社)
キーワード:学校化社会
「すべての教育は洗脳である~21世紀の脱・学校論」(堀江貴文 光文社新書)
キーワード:常識、国民国家
「日本人」という、うそ(山岸俊男 ちくま文庫)
キーワード:道徳、武士道、商人道
「日本人は何を考えて生きてきたのか(斎藤孝 洋伝社)
キーワード:神、宗教、東洋、西洋
「プレイフル・シンキング」(上田信行 宣伝会議)
キーワード:マインドセット、固定的知能観、成長的知能観

「しごと」を考える
「僕たちはこれからなにをつくっていくのだろう」(箭内道彦 宣伝会議)
キーワード:仕事、誇り、綺麗事上等
「MEDIA MAKERS―社会が動く「影響力」の正体」(田端信太郎 宣伝会議)
キーワード:メディア、予言の自己実現
「心の時代にモノを売る方法」(小阪裕司 角川新書)
キーワード:生産と分配の経済と贈与と交換の経済
「天職の作法」「冒険の作法」(小阪裕司 大和書房)
キーワード:天職、冒険、旅立ち
「自分の仕事をつくる」「自分をいかして生きる」「かかわり方の学び方」
(西村佳哲 ちくま文庫)
キーワード:氷山、仕事

「みらい」を考える
「コミュニティ難民のススメ。」(アサダワタル 木楽舎)
キーワード:コミュニティ難民
世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?
経営における「アート」と「サイエンス」 (山口周 光文社新書)
キーワード:美意識、アート、サイエンス
「ホスピタルクラウン」(大棟耕介 サンクチュアリ出版)
キーワード:天職、顧客
「14歳からの社会学」(宮台真司 世界文化社)
キーワード:学校、仕事

「いきる」を考える
「独立国家のつくり方」(坂口恭平 講談社現代新書)
「隅田川のエジソン」(坂口恭平 幻冬舎文庫)
キーワード:世界はひとつではない。
「種をまく人」(ポールフライシュマン あすなろ書房)
キーワード:種、畑、コミュニケーション・ツール
「せかいでいちばんつよい国」(デビッド・マッキー 光村教育図書)
キーワード:世界の変え方  

Posted by ニシダタクジ at 18:08Comments(0)

2018年07月13日

19歳に本という「機会」を届ける

プロジェクト「かえるライブラリー」
を準備している。

ツルハシブックスの正式名称は、
「ジブン発掘本屋ツルハシブックス」。

名前の由来は、
諸説あるのだけど、

まきどき村を始めるときに、
ツルハシを使って荒れ地を耕した、
あの初心を忘れないように、だ。

ちなみに
「本屋には新しい人生が転がっている」
(0.01坪のトランク本屋の名称)
「襷(たすき)書店」(箱根駅伝ブームだった)

は今井さん(ツルハシブックス設計・施工者)
によって却下された。

でもって、ツルハシブックスが2011年3月、
東日本大震災直後にひっそりとオープン。

6月の一箱古本市参加をきっかけに、
「地下古本コーナーHAKKUTSU」の
年齢制限アイデアが浮かび、7月にスタート。
30歳以上立ち入り禁止、がウケた。



万引き対策ということと、
古物商を持っていなかったので、
地域の人からメッセージを書いてもらい、
本を寄贈してもらった。

2014年1月発売のソトコト2月号、
同5月にはNHK新潟の特集
7月にはTBSの「知っトク」
8月ドキュメント20minNHK全国放送となり、話題となった。

「どうしてこんな企画を思いついたのか?」
とよく聞かれた。

1つ目は、地下室の有効活用を考えたときに
ドラクエ(ドラゴンクエスト)の地下に宝物があるような
イメージで宝探しをするように本探しをして欲しかったこと。

2つ目は、暗やみで「偶然」出会う本に出会ったほしかったこと。

3つ目は、中学生高校生に、地域の大人との出会いの機会
を作りたかったこと

「機会」を提供すること、
意図はたぶんそこにある。

「暗闇で本に出会った人に、どうなってほしいですか?」

よくインタビュー終盤に聞かれた質問。
答えられなかった。

「本に出会う」って機会の提供だから。
「機会」そのものが目的だから。

僕が(学校)教育とうまく合わないのはそこかもしれない。
教育の目的は、「教育目標の達成」である。
機会提供では断じてない。

先月、島根で「コミュニティナース」という活動に出会った。
「コミュニティナース」とは問いなのだと知った。
何をもってコミュニティナースとするか、
それはひとりひとりに委ねられている。

本屋もそうなんじゃないか、って思った。

最先端の知恵を提供する本屋
未来への希望が詰まった本屋
古き良き名作にである本屋
居心地の良い「居場所」としての本屋

「スターバックスはコーヒーを売っているわけではない。」
から始まった問いの旅は、まだ続いていたんだ。

あのとき。2014年1月。
秋田駅前のスターバックスで「劇場だ!」
と叫んだ。(心の中で)

ツルハシブックスは「劇場」を売る本屋だった。

「気がついたら私も
本屋という舞台の
共演者になっていました」
というコピーが生まれた。

じゃあ、僕はなんだろう?



2015年9月。
2014年のNHK放送をニューヨークで見た
サンクチュアリ出版の金子さんと
トーハンの水井さんが
東京でもやろうとブックスタマの加藤社長とつないでくれ、
「暗やみ本屋ハックツ@上石神井」がスタート。

初代代表の宮本さん、現代表の原さんを中心に、
10代に本という「機会」を提供している。
また、20代である自分たちに「学び」の機会を自らつくっている。
「暗やみ本屋ハックツ」は、そういう学びあいのデザインになっている。

僕自身の最終ミッションというか、コンセプトは、
「学びあいの場づくりで希望の灯を灯す」だ。
吉田松陰先生の野山獄エピソードがきっかけになっている。

そこに向かって、いま、何をするのか。
顧客は誰で、価値は何なのか?
そんな問い。

3年間大学にいて、
大学の外でも、対話をしてきて。
「他者から評価」「価値」「顧客」「就活」
について考えさせられた。

僕がこれからやること。
ひとまず、19歳に本という「機会」を届けること。

「本」の部分が、
にいがたイナカレッジインターンだったり、
米を炊くことだったり、
畑をすることだったりするのだろうけど。

ひとまずは、そこ、いってみようかな。

19歳に「機会」を届けること、始めてみます。  

Posted by ニシダタクジ at 09:28Comments(0)

2018年06月20日

「本を届ける」ということ

福岡・津屋崎を目指して西へ向かっています。
今朝は隠岐・海士町でむかえています。


七類港から「フェリーくにが」に乗ります。


約3時間の旅を終えると、隠岐・海士町です。


海士町といえば、「ないものはない」です。


今回僕を誘ってくれたのは浅井さんです。


夜は自ら魚をさばいて、お寿司を握ってくれました!


「めぐりの環」のまかないランチを食べ、阿部さんに再会。




学習センターにもお邪魔しました。
澤さん、ありがとうございます。
「予測不可能性」について少しばかりお話しました。
島前高校の高校生がたくさん勉強してました。

今回、一番ビックリしたのは、海士町中央図書館。
休館日に入れてもらいました。


カフェコーナーが充実!
50円~100円でなんでも飲めます!


そしてカウンター席!


こんな感じです。

超素敵ブックカフェ(しかも図書館)が海士町にありました。

司書の磯谷さんに話を聞いていると、
とってもワクワクしました。

カウンターの横には、
「もう1冊いかがですか?」コーナーがあり、
最近気になる出来事に関連した本が並んでいます。


本のセレクトもめちゃめちゃ素敵で、
いままさに素敵本屋さんに新刊で並んでいるような
本が、未貸出しのままで(笑)、すぐに読めるなんて!

なんていうか。
僕、この隣に本屋だしたいなと思いました。
こんなに本が買いたくなった図書館は初めてです。

「本を届ける」っていうこと。

そんなことをあらためて考えさせられた。

6月15日。
今回の旅の初日に、
富山県射水市の小杉駅の近くにある
「ひらすま書房」にお邪魔しました。





旧郵便局をそのまま使った店舗にシビれました。
僕もお店をやるなら、郵便局跡にやろうと思いました。

6月18日。
本屋の聖地、鳥取市・定有堂書店。
奈良さんにお会いして、お話を聞くことができました。





「これからは音楽を選ぶように、本を選ぶようになる。」
と思いました。

というか、小さい書店の価値は、
「音楽を聴いているかのように棚を見て、レコードを買うかのように、本を手に取る」
ということなのだろうと、実感しました。

本屋も、図書館も、そのミッションは、
「本を届ける」ということです。

定有堂書店の奈良さんは元郵便局員で、
こんな話を聞かせてくれました。

郵便事業っていうのは、運送業ではなくて
逓送業なんだって。

てい‐そう【逓送】とは、
[名](スル)
1 通信や荷物などを人の手から手へ順送りにすること。順送り。「物資を逓送する」
2 宿場などを次々に経由して送ること。
3 郵送すること。
「終に書を―するの意なし」〈織田訳・花柳春話〉

という意味なのだ、と。
つまり、「手紙をつないでいく、リレーする」
ということ。

それって本に似ているって思った。
僕がサンクチュアリ出版の営業をしているとき。
初めて編集会議に出て、編集のヨウヘイが
このフォントにした理由を説明していたとき、
電流が走るような衝撃があった。

駅伝なんだ!って思った。

本は思いを
著者から編集者へ
編集者から営業へ
営業から書店員へ
書店員から読者へ
リレーしていく。
営業とはその第3走者を走ることなのだ、と。

「本を届ける」ということ。
それはとっても素敵な仕事だなあと
あらためて強く思った。

そして、海士町中央図書館のような空間づくりが
「本を届ける」ということに、大きく影響するのだなあと。

全身で、五感を発動させて、
空間を味わいながら、本を手にとる。
そんなことが生まれる場。

そんな場を、僕もつくりたいと強く思った。

「本を届ける」場、僕もつくります。
ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 06:23Comments(0)

2018年05月30日

「アイデンティティ」と「劇場」と「ふるさと」

最近のキーワードは
「予測不可能性」なのだけど。

くまざわ書店南千住店の店長、阿久津のアニキ
が僕に選んでくれた
「島はぼくらと」(辻村深月 講談社文庫)」
を読み終えて、さわやかな読後感にひたっている。





離島、コミュニティデザイン、幻の脚本などなど、
キーワードが僕にぴったり。
すげーな、阿久津のアニキ。

高校生が出てくる小説って、
アイデンティティのゆらぎみたいなやつが
だいたい出てくるのだけど、
そういうのに感情移入して、苦しくなってる自分がいる。
(「桐島部活やめるってよ」(朝井リョウ)的な)

「アイデンティティ」と「コミュニティ」
は密接に関わっていると思うけど、

「地域コミュニティ」的なものが
だんだんとつながりが薄れていく
(お祭りがなくなったり)と共に、
若者のアイデンティティは浮遊した状態になる。

今で言えば、
学校でも運動部のような強いつながりはなくなっているから、
そこでもアイデンティティは揺らいでいる。

地域コミュニティから
テーマコミュニティへ
と言われていたときもあったけど、

僕の感覚では、
「コミュニティ」という静的なものではなくて、

ウォンテッドリーの仲さんが言う「トライブ」
http://hero.niiblo.jp/e485916.html
(就活を再定義する 17.9.15)

というか、もっと動的な「プロジェクト」に
近いものではないかと思う。
その「トライブ」「プロジェクト」の集合体が自分自身である。

「コミュニティ」と「トライブ」「プロジェクト」の違いは、
「価値」の流動性である。

コミュニティの価値は、
その成り立ちから言っても、
「生き延びること」「生き続けること」
つまり、「継続性」に価値を置いて、設計されている。

「会社コミュニティ」も同じだ。
継続して働いてもらうために、
保険・年金制度を整備し、社宅をつくった。

ところが。
現在のように、「地域コミュニティ」「会社コミュニティ」そのものが薄れてきて、
人の流動性が高まってくると、同時に人は「アイデンティティ」不安に陥る。

「アイデンティティ」と「承認欲求」は、
密接にかかわっていると思う。

マズローは欲求5段階説の中で、
3段階目に「所属と愛の欲求」を
4段階目に「承認欲求」を
5段階目に「自己実現欲求」
が来ると説明したが、

現代社会においては、
この3つが溶け出して、明確に分かれてはいないのではないか。
「所属」という概念が、変わりつつあると思う。

そもそも、「所属」に対するメリットは
「生き延びる」という点においては機能しなくなってきている
(ふたたびそれをつなぎなおすという動きももちろんあるのだけど)

そんな社会において、
どう生きていったらいいのか?
というのは若者のみならず重要な問いとなる。

僕自身は、「コミュニティ難民」であり、
http://hero.niiblo.jp/e485055.html
(「アイデンティティ」という音17.6.13)

「コミュニティ」「共同体」というのが苦手なのだけど、
そういう人はどうしたらいいのか?
たぶん、「承認」を他者やコミュニティからではなくて、
自分自身で獲得していくことが必要なのだろうと思う。

「学校教育」は「承認欲求」を巧みに
「他者からの評価欲求」へとすり替えてきた。
その自覚。

「劇場のような本屋」「本屋のような劇場」が
ツルハシブックスのテーマであったのだけど、
プロジェクトを生み出す
偶然の出会いの創出装置としての意味合いがあったのかもしれない。

そこでのキーワードは「予測不可能性」となる。

まきどき村の「人生最高の朝ごはん」というネーミングも
その日に来た人たちと、その日に収穫した野菜を、
その日だけの調理法で食べること。
そこに「一期一会」があるから、「予測不可能性」が高いと言える。

そんな「一期一会」を生み出す
ゆるやかなつながりはまるで劇場のようだなと思う。
そんな場がひとりひとりの
アイデンティティの一部になっているのではないか。

そして、自らのアイデンティティを形成する、あるいは形成した場のことを
人は「ふるさと」と呼ぶのではないか。

予測不可能な劇場のような何か。
それをみんなで生み出していくということ。

「アイデンティティ」と「劇場」と「ふるさと」を
同時につくる場を育てる。

そんな仕組みづくりをしたいなあと思った1冊でした。  

Posted by ニシダタクジ at 08:28Comments(0)日記

2018年05月07日

「本屋の青空」のある暮らし

本屋のある暮らしをつくる。
好きな本屋で本を買う。

それが、1年前の「新城劇場」のときのコンセプトだった。
(JR南武線武蔵新城駅前・7月リニューアルOPEN予定)

入ってから、出てくるまでが
楽しくなるような本屋さんに
出会うと幸せになる。

鳥取・定有堂書店の奈良さんは、
買おうと思っていた本をいつの間にか忘れ、
目的外の本をつい、買ってしまうことを、
「本屋の青空」と呼んだ。
(POPEYE「君の街から、本屋が消えたら大変だ!」より)

すてきだな、と。
そんな本屋さんのある暮らしがすてきだなと。

長崎・ひとやすみ書店には、
そんな「青空」があった。

福岡のブックスキューブリックも行くたびに
そんな青空を見せてくれる。

この前の武蔵新城ドライブで立ち寄った
荻窪の・「本屋・Title」にも青空が広がっていた。

入って3分で目に飛び込んでくる本に、
心を奪われた。


モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語(内田洋子 方丈社)

こんな本あったんだ、って。
3回手に取って、迷ったけど、購入した。
そこまで10分。

そんなドラマ。
1944円。

それが本屋で本を買うっていうことなんだろうと思う。

昨日は、
「帰ってきたツルハシブックス@ウチノ食堂藤蔵ブックカフェ」
の初日でした。


「本」の看板を置かせてもらい、


店内の左側のスペースに本を置き、


店主が淹れてくれる珈琲を味わいながら談笑し、


素敵なお客さんが来店してくれました。

閉店間際に、
野呂さんにいい問いをもらった。

「西田さんにとって、本屋をやるって、本を売るってなんですか?」

僕自身は、
本が好きというよりも、本屋が好きだ。
大好きな本屋で本を買う、というのが好きだ。

実は素人でも、本屋はできるのだ。

実は、ツルハシブックスの選書のほとんどは、
大阪の某素敵な書店に並んでいる本だった。
それを仕入れて、
自分なりのコンセプトにしたがって並べること。

それが僕が2011年の開店から3年半やってきたことだった。

僕が、茨城に行った理由の一つは、
ツルハシブックスの「場」としての可能性を見てみたかったからだ。
実際、山田マサシと井上くまもんとサムライのみんなのおかげで
2015年12月にツルハシブックスは「場」としての最高レベルに達したと思う。

つまり、ツルハシブックスは、
本屋という「場」の実験場、
本屋はどこまで「劇場」になれるか?
という可能性をさぐっていたのではないだろうか。

2016年11月の閉店から1年半。
ふたたび、「本屋とは?」という問いを目の前にして、考えてみる。

月に1度の本屋さんがあるとして、
そこで届けたいもの。

本屋の青空。

そして、手紙としての本。

東京で暗やみ本屋ハックツをやって
思ったこと。

それは、「手紙」。
本は手紙なんだな、って。
本屋っていうのは郵便屋さんみたいなもんなんだなって。
誰かから預かった手紙を届ける。

そうなんだよね。
本は売るものじゃなくて、届けるものなんだよね。

僕が本屋として、これからやりたいことは2つだ。

ひとつは、自分自身が「本を届ける人」になり、
「本屋の青空」を見せていくこと。

もうひとつは、何人かの人が「本を届ける人」となることで、
地域に「本屋の青空」が生まれていくこと。

「本屋の青空」のある暮らし。

そんな暮らし、そんなまちをつくっていきたいです。

野呂さん、素敵な問いをありがとう。  

Posted by ニシダタクジ at 07:05Comments(0)

2018年04月26日

場の魅力は、場への期待値のこと






「地域プロデュース、はじめの一歩」(山納洋 河出書房新社)

の山納さんにお会いできました!

僕は、ツルハシブックスを始めたばかりのころに、
山納さんの「カフェという場のつくり方」(学芸出版社)
を読んでいて、ツルハシブックスは
「新刊書店」ではなくて「カフェ」なのだと思った。

http://hero.niiblo.jp/e208716.html (12.10.28)

http://hero.niiblo.jp/e306473.html (13.11.25)

そんな山納さんに「場」について話を聞いてきました。

~~~以下メモ

「常連を教育する」「いい常連に囲まれる店」
たぶん、いいスナックとかそういう感じなんでしょうね。
お客さんが店長の代わりをしているようなケアができる。

非構成エンカウンターグループ
https://himitsukichicollege.wordpress.com/2015/09/29/basic_encounter_group_01/

「チューニング」って呼んでたやつは、理論的に説明するとそういうことになるのか。

朝30分のミーティングで今の状態(気持ち)をいう。
夕30分のミーティングで今感じているもやもやを吐き出す。
「場」にいた人がその場の「空気」になる。
だからリラックスした状態でいることが重要。
次の日にもやもやを残さないこと。
ああ、喫茶店のよいマスターってそんな感じだな。

「出会いたい人集まれ」という呼びかけでは、
焚き木はちゃんと燃えてくれない。
どのように木を組んでいくか、司る人が必要。

「場の魅力」っていうのは場への期待値。
行かないより行ったほうがいい、と思わせるものは何か。

「はじめての人をケアする」というのを場のルールにする。
深い人なのか浅い人なのか。
何に関して深いのかを聞いてあげられるか。
関心空間、領域をさぐりながら聞いていくこと。
場を司る人の力量が問われる。

たき火マスターとしてのファシリテーター。
フラットである人。
自分を引き算し、聞き役に徹すること。

どんな境遇の人も「経験を持っている」という意味でリスペクトし、受け入れられるか。

まちの話は最強。
「あるまちのある場所については、誰かより詳しい」
→誰でも話ができる。
まち歩きの楽しさってそういうところにあるのかもね。
まちの話コレクターになること。

コミュニティナースと図書館とか本とかを組み合わせられるんじゃないかな。
https://www.huffingtonpost.jp/2016/11/18/community-nurse-akiko-yada_n_13069376.html

図書館を教育委員会管轄から外して、
サードプレイス的要素を高めていくことってできるんじゃないかな。
「社会教育」よりも広いくくりに位置づけることで、
医療や経済、観光とかと組み合わせられる。ものを売ったりとか。
でもそれがその場にいる子どもにとっては「社会教育」そのものなんじゃないか。

「身近な人を健康で元気になるお手伝いをしたい」
と思ってナースになったはずなのに、病院に来たときにはすでに手遅れになっていたりする。
How?ばかり考えている。
なんのために?っていうWhy?に立ち返る。

これ、すべての働く人が問わなければいけないやつだ。
How?どうやって?
ばかり考えて仕事していないか?
そもそも
Why?なぜ?
この仕事があるのだろう、自分はここにいるのだろう?
って問うこと。

Why?から考えて、
仮説→実践→検証を繰り返していくのって楽しいよね。
「違和感」→「問い」→「仮説」→「実験」
だね。

介護民俗学。
聞き書きをすると、すべてのおじいちゃんが「本」になる。
これも図書館と相性がいいな。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3083

図書館が「保健師」や「カウンセラー」的な人を雇ったら、まちはもっと健康になるんじゃないのか。
農業‐福祉連携の先に
図書館を核にした
農ー本ー医療ー福祉の連携とかあり得るよね。

地域おこし協力隊はアントレプレナー(起業家)になることが求められているのだけど、
それは「特産品をネットで売る」とか「カフェ」とか「ゲストハウス」とかの
レッドオーシャンに飛び込むのではなくて、
近所のおじいちゃんおばあちゃんの困りごとを解決するような
小さなサービスから始めるほうがいい

っていう世界を、僕のような本屋が見せてあげることって大切だなと。
その本屋同士がネットワークを組んで行ったりする。

~~~ここまでメモ(自分のつぶやき含む)

エッセンスがすごいなと。

自分が「チューニング」って呼んでいたやつが
「芝の家」とかでもやっているやつだったんだなと。
「つながるカフェ」を読まなきゃだ。

「場」をどう設計し、どう「魅力」をつくるか?
っていう問いをこたえていくような場をつくっていくこと。

それは常設の本屋なのか、間借りの本屋なのか。
それぞれの地域ではどうやったらいいのか。
そんな問いが生まれた。

あとは、図書館の可能性について。
図書館はもっと人と人をつなげられるな、と。

教育委員会管轄を外したらいいのにって思った。
もっとビジネスしたり、医療したり、
そういうのに場を使ったらいいなと思った。

そして、そういう場をつくることで、
高校生や大学生にとってのリアルな
学びの場が生まれていくのではないかなと思った。

さて。
山納さんの本をもう一度、読み直します。

貴重な時間をありがとうございました!  

Posted by ニシダタクジ at 09:12Comments(0)

2018年04月13日

安定とは特定のものに依存しないこと


20代に伝えたい50のこと(秋元祥治 ダイヤモンド社)

ようやく手に入れて、読みました。

岐阜市を拠点に、
地域企業×大学生の数々のプロジェクトを生み出してきた
チャレコミ界の星、NPO法人G-net秋元さんの本。

名言だらけです。
素敵な人に出会い、素敵なチャレンジをして
また素敵なチャレンジを生み出したのだろうなあと。

いきなりガツンと来ますよ。

「あなたは、あなたの人生の所有者(オーナー)でしょ。
そして、あなたはあなた自身の人生の経営者なんだ。」

そうそう。
ほんとこれ、大事。

僕だったらすぐに
だから、ドラッカーが、
5つの質問が、
ってなっちゃうんだけど。

秋元さんは自身の経験を踏まえた
珠玉の名言を連発。
インターンマッチングフェアで
1つずつ挨拶に使えそうな感じです。

たとえば、やりたいことを見つける方法。
「目についたら行ってみる。誘われたら断らない。」
たしかに。

たとえば、
「うだうだ言って何もしない人よりも、
うだうだ言われてでも
何かしている人のほうが、ずっと偉い。」

いっすね。そうそう。

そして。
「ものわかりのよい若者なんて、いる意味がない。」

そして何より、
僕の中でのハイライトはココでした。

「特定のものに依存する、ということは不安定なこと。
自身のキャリアや仕事でもそう。安定とは、依存しないこと。」

いやあ、ほんとそうだなと。
収入の安定よりも心の安定だと僕も思うけども、
それって、特定のものに依存するという
不安定を自覚するところからしか始まらない。

21歳で創業してから
地域×若者ジャンルで活躍してきた秋元さんの
人生が詰まった1冊。

言うなれば、「王道」のような本。

さてさて。
僕が併読していたのは、
西野亮廣さんの「魔法のコンパス」(主婦と生活社)



秋元さんの本が「王道」だとすれば、
こちらは、「邪道」とは言わないけど。
「脇道」というか、先行きのわからないちょっと細い道って感じ。
ただ、未来がそこにあるような気にさせてくれる1冊です。

すでに
水戸市での講演で聞いたこともたくさん入っていたのですけど、
なんていうか、そもそも、仕事ってなんだろう?職業ってなんだろう?
って問いが詰まっている本ですね。

進みたい道が「王道」じゃない人におすすめ。

「西野亮廣?ああ、炎上してる人ね。」

って思っている食わず嫌い王の人に読んでほしいですね。
僕自身も講演聞くまでは食わず嫌いでした。

まずは、「芸人」の定義から。

~~~以下本文より

僕の考えは、世間の皆様のそれとは少し違っていて、
進学校を卒業して皆が大企業に就職していく中、
「俺、芸人になる」と言っちゃう奴や、

あと2年も働けば退職金をもらえるのに、
その日を待てずに「沖縄で喫茶店を始める!」
とか言っちゃうオヤジ。

そういう人達がその瞬間にとっている姿勢
およびそういった姿勢をとる人のことを「芸人」と呼んでいる。

(中略)

「それもいいけど、こういう「オモシロイ」もあってよくない?」と提案したり、
時に、「アイツのやっていることは、はたして正解なのかなあ」
という議論のネタになったり、そういった、
「存在そのものが「質問」になっている人を僕は芸人と定義している

~~~以上本文より

そーなのか!
それって、僕のいう「現代美術家」に近いかもしれない、と。

僕は
「やりたいこと」や「ミッション」を見つける方法として、

「違和感」→「問い」→「仮説」→「実験」→「使命・ミッション」

の流れだと思っているのだけど。

西野さんも本文の中で、問いが落ちているのは、
「居心地の悪い場所」だと言っている。

なるほど。
だから、会社や学校は問いの宝庫なのだな。(笑)

「勉強は面白い。
ただ、勉強を教える先生が面白くなかった。」

ストレートだな、と。(笑)

「革命のファンファーレ」でも
西野さんの講演でも感じたことだけど、
彼は超一流のマーケッターだなあと。

顧客が何を感じ、
何を価値だと思い、お金を支払っているか、
そういうのの分析がすごいな、と。

・お金とは「信用の面積」を可視化したもの
・SNSは拡散のためのツールではなく、1対1をつくるためのもの
・本を体験に対しての「おみやげ」化をすれば、本は売れる。

なるほど。

いちばん勉強になったのは、
「セカンドクリエイター時代」という表現。

「場」や「商品」をゼロからつくるのではなくて、
LINEスタンプのプラットフォームのように、
クリエイターがスタンプつくって、
それを売れるような仕組みづくりが大切なんだなと。

そんな感じ。
2冊の併読で、
「王道」と「脇道」の両方を知っておくことって
大切なんじゃないかと思いました。

安定とは、特定のものに依存しないこと。

そのためには、考え続けること、本を読むこと。
だから、本を読まなきゃいけないんだよね。

本、読もうぜ。  

Posted by ニシダタクジ at 08:48Comments(0)

2018年03月16日

創造的な「問い」からはじまる

「挑戦」という言葉があまり好きじゃない。
だって、挑むと戦うですよ。
「成長」っていうのもいまいちピンとこない。
長くなるってどういうことだ。

まあ、おいといて。

好きな言葉。

好奇心
偶然
実験

そういうやつ。


東大教養学部「考える力」の教室(宮澤正憲 ソフトバンククリエイティブ)

こういう本が好きなんですよ。(笑)

「受験勉強は正解のある問いに1人で挑むものだが、
99%の仕事は、正解のない問いにみんなで挑むスタイルで進めている。」

こんな冒頭から始まります。

そうそう。
だからさ、自信とか不要なんですよ。
本来は。

アウトプットするのはチームや場の力だから。
個人の力は必要ないわけじゃないけど、
個人の力だけでアウトプットする必要はない。

この本にもいろいろインスパイアされました。

~~~ここからメモ

改善するほど、自社とライバル社の商品に差異がほとんどなくなる

「解析」:事物の構成要素を細かく理論的に調べることによって、その本質を明らかにすること
「解釈」:物事や人の言動などについて、自分なりに考え理解すること
現状の人工知能が得意なのは「解析」の領域です。
一方、解析した情報を「解釈」することは、人間が得意な領域といえるでしょう

わかりやすくいえば、人工知能が得意なのは「ゴールが明確」な分野です。
囲碁や将棋の世界では、人工知能とプロが対戦し、
人間のプロが歯が立たないというところまできています。
これは、囲碁や将棋のルールが決まっていて、「勝つ」という目的が明確なためといえます

このことから推測すると、「ゴールが明確な仕事」は
いずれ人工知能に取って代わられる可能性が高いということです。
逆にいえばゴールが明確でないもの、複数の目的が同居しているもの、
異なる領域に横断するものといったジャンルは、
必ずしも人工知能が得意な分野ではありません。

コンセプトがないと、課題に1対1に対応した解決を図ろうとしてしまうのです。
しかし、競合他社も概ね同じ課題を持っており、その結果、解決アイデアも似たものになりがちです。

コンセプトが差別化できていれば、その段階で他と考えが似ていないだけでなく、
そこからさらにもう一段階解決策アイデアがジャンプすることができます。
そうなれば、最終的なアウトプットが同質化することは少なくなるのです。

リボン思考(参考)
http://www.hakuhodo.co.jp/archives/column/34495

3つのK。共有力、期待力、起点力。

考える、とは、そもそも何をすることか。
俯瞰する、分類する、掘り下げる、混合する
これらの組み合わせ。

~~~ここまで引用メモ

なるほど。
人工知能の得意とする分野は「解析」か。
なるほどね。

そして、インプットを一度「コンセプト」としてまとめてから、
アウトプットするというのは本当に重要だなと思った。

KJ法的なアプローチで陥りがちなのは、
課題に対して1対1で対応するアクションを考えてしまうこと。

それは本当に課題なのか?と、
問いかけつつ、それらを横断した
コンセプトをつくることが大切なのだなと。

クライマックスは、「デザイン思考」についての言及。
これが鋭かったのです。

~~~ここからさらに引用

デザイン思考は、新しいものを生み出すプロセスとして、
デザイナーの思考に注目してそれを定型化したものです。

つまり
「デザイナーの思考方法を、デザイナーでない人も使えるようにした思考」
であり、
「新しいことを生み出すために創造的に課題解決する思考」といえます。

デザイン思考がビジネスの現場で一般的になるにつれ、
新たな課題も見えてきました。

1つめが「形骸化し、同質化が起こり始めている」ということ。
デザイン思考のプロセスがやや定型化しすぎて受け止められている。
デザイン思考という「思想」ではなく、「手法」が重要視(目的化)されて
しまっている。


2つめは「デザイン思考では、課題解決の域を出ないこともある」ということ。

デザイナーは、「創造的な解決策を提示する思考を行う人」で
可能性を理解し、可能性を活用する人

それに対しアーティストは、
「創造的な問いを発する思考を行う人」といえます。
新しい方向性を探索し、可能性を見出す人です。
アーティストは必ずしも解決策を提示しません。

アーティストがなぜ現状の延長線上にないアイデアを
生み出すことができるのでしょうか?

それは、解決策という目の前の制約がないからです。
その分自由に枠外のことを発想し、結果、課題そのものを
見直す力を持つことがあります。
このアーティストの思考を形式知化したものが「アート思考」です。

・創造的な「解決策」を提示するデザイン思考
→現状に比較的近い領域にある新しいアイデアが出てくる可能性がある

・創造的な「問い」を発するアート思考
→現状の延長線とは全然違う領域で新しいアイデアが出てくる可能性がある。

ということを踏まえて、

リボン思考とは、

プロセスの固定化を起こさないために、
「自由度の高い最低限のフレームを用意すること」

最初の課題設定で枠外の発想を可能にするために、
「創造的な問いからスタートすること」
情報のクオリティを高めるために、
「インプット手法の創造性を重視すること」
アイデアの同質化を起こさないために、
「コンセプトという集約行為を大切にすること」
1人の能力の限界を大幅に超えるために
「チームでの共創を基本とすること」

の5つを重視している。

~~~ここまで引用

な、なるほど~
最後の5か条はめっちゃ共感します。
「問い」が大切なのですよ。
すべて「問い」から始まるのです。

問いから始まって、
いろんなドアを開けていくのだなあと。

その原動力は
好奇心じゃないかなあ。

「学びたい」っていうのは、そもそも、
「何ができるのか知りたい」っていう好奇心
なのではないかな。

好奇心、
偶然、
実験。

この3つを大切にしながら、次のステージに進みましょう。  

Posted by ニシダタクジ at 08:25Comments(0)

2018年03月15日

これからの「地域メディア」をつくる

川崎市・武蔵新城駅前の「新城劇場」が
「shinjo gekijo」にリニューアル中。

地元産野菜を使ったクレープとジェラートの「Revegee」、
本屋の後をつぐ「よりみちブックス」、
大学生4人で立ち上げた「出会えるラジオ、まるラジ」

の3つが1つの建物を分け合うようになる。
(6月オープン予定で進行中)

そんな中で、
まるラジがクラウドファンディングに挑戦中。

https://camp-fire.jp/updates/view/48907
未来に悩む若者のために、フリーペーパー『まるラジおとな図鑑』を作りたい!

たぶん、この場所が
これからの地域メディアの実験場になっていくのだろうと思う。

http://hero.niiblo.jp/e486304.html
メディアの力とは予言の自己実現能力のこと(17.11.17)

http://hero.niiblo.jp/e486326.html
本屋というメディアをつくる(17.11.20)



ふたたび、「MEDIA MAKERS」から引用するけど、

~~~以下引用

何かを伝えたい、という発信者の思いがあるときに、
それを伝達する「媒体・媒質」となるものこそが
語源本来の意味でのメディアの定義。

メディアとは、そこに情報の送り手と受け手の
二者が存在し、その間を仲介し、両者間において、
コミュニケーションを成立させることを目的とするものである。

Media型:送信者1 VS 受信者N ヤフーニュース等
Tool型:送信者N VS 受信者1 G-mail等
Community型:送信者N VS 受信者N フェイスブック等

メディアの影響力の本質
メディアで語られる=生きた証が記憶されるということ
メディアの価値「予言の自己実現能力」

これまでは、さまざまなビジネス上の
生態系をもとに産業の垣根ができていたわけですが、
クラウドのインフラ上では、あらゆる境界線が溶けてなくなりつつあります。
そんな状況では、メディア企業と事業会社や広告主の境界線も消滅しつつあります。

さらに、プロとアマチュアの境界線も、
例えば、大学と書店とコンサルティング会社とビジネス・カンファレンス業と、
専門出版社の境目すら消えつつあるわけです。
知識を売る、という意味では、大学も書店も、
コンサルティング会社も全てフラットに同一平面上に並ぶわけです。

そして、徹底的にアンバンドリングが進んだ後には、
これまでとは違ったメディア環境が広がり、
アンバンドルされたものがまた別の視点から
パッケージングされ、リワイヤリングされているのではないでしょうか?

その際の主役となるプレイヤーは誰でしょうか?
私の仮説では、それは個人です。

雑誌がオーケストラなら、メルマガはロックバンド。

~~~ここまで引用

そうそう。
境界線が溶けてなくなっている現在において、
主役となるプレイヤーは、「個人」であって、
その「個人」には大学生もなりうるということ。

「何かを伝えたい、という発信者の思いがあるときに、
それを伝達する「媒体・媒質」となるものこそが
語源本来の意味でのメディアの定義。

メディアとは、そこに情報の送り手と受け手の
二者が存在し、その間を仲介し、両者間において、
コミュニケーションを成立させることを目的とするものである。」

最近、新刊書店をやっぱりやりたいなあと思うのは、
メディアの力が予言の自己実現能力だとすれば、

新刊書店っていうのは、
まさにそういう場だし、
僕がヴィレッジヴァンガード郡山アティ店で感じたのは
まさにそれだった。

http://hero.niiblo.jp/e337058.html
「本屋という双方向メディアの可能性」(14.1.17)

大学生が地域メディアのプレイヤーになる。
たぶん、まるラジはそういう実験なのだろうと思います。  

Posted by ニシダタクジ at 08:46Comments(0)

2018年03月13日

探しもの


「センスオブワンダーを探して」(福岡伸一 阿川佐和子 だいわ文庫)

読み終わりました。
ラストに近づくほどいろんなものが見えてきます。

僕がヒットしたのは、
文明と文化について。

~~~以下引用

文明は人間が自分の外側に作り出したある仕組みで、
私たちを豊かにし、便利にし、快適にするものとして作られた。
それは常に更新されるもので、
効率と雇用とお金を生み出すはずだったんです。

文化というのは人間が自分たちの内部に育ててきた仕組み。
それは私たちの歴史と共に歩んで、私たちの生命を守り、生活を支えてきた。
場所に依存して、風土に寄り添い、そこで常に伝えられるものとして意味があったんです。

文明はここ数十年、
長く見ても数百年くらいに人間が勝手に作り出したもので、
それよりもずっと長い文化の歴史があったのに、
文明によって世界全体を覆おうとする動きのほうにみんな来ちゃったんですよね

人間はメカニズムとして機械論的に世界を因果関係で説明できるとみなして、
それを作っているパーツを制御したり交換すればコントロール下におけると考え始めた。
その源流はフェルメールの時代、1600年代にある。
その頃はまだ世界はよくわからない動的なもので、科学と芸術はそれほど分化していなかった

レーウェンフックやデカルト的なほうを選んじゃったのは、
そのほうが資本主義社会に親和的だったからだと思うんです。
分けて部品化して商品化されていくという流れで。

~~~ここまで引用

なるほど。
生物学と社会も密接につながっているんだなって。

「社交する人間」(山崎正和)を思い出した。

http://hero.niiblo.jp/e484451.html
「アルスの終焉」(17.4.7)

かつて、「アルス」と呼ばれて、
芸術と技術と社交は一体であった。

「資本主義社会との親和性」
という言葉が胸に刺さる。

ダーウィンが言うように、
人間(動物)は「適応」する生き物である。

人間にとって、
「世界」が「資本主義社会」で覆われているとすれば、
そこに適応したビジネス、そして学者が生き残っていく。
それの集合体を「文明」と呼ぶんだな。

そこに適応していなくても、
コミュニティには、「文化」がある。
その価値をもう一度見つめなおすときに来ているのだろうな。

福岡さんが、こんな言葉を残している。

生物学者としての私の問いは、
「生命とは何か」を言い表す言葉を探す
ということに尽きると思うのです。

これをビジネスマンに置き換えたらどうだろうか。
「ビジネスとは何か」を言い表す言葉を探す、
ということに尽きる。

ということだ。

本屋だったら、本屋とは何か?
に答えていくこと。

僕にとってまきどき村とは、
「豊かさとは何か?」という問いに対して
リアルに見せたかったという「アルス」
だったんだろうなと。

さて。
次の本屋はどんな「アルス」になるのだろうか。

何を探しに行くのだろうか。  

Posted by ニシダタクジ at 07:57Comments(0)

2018年03月07日

歌われざる英雄が詰まった本棚


「センスオブワンダーを探して」(福岡伸一 阿川佐和子 だいわ文庫)

福岡さんが発見したGP2遺伝子の働きを検証するために、
GP2ノックアウトマウス
(GP2遺伝子を遺伝的に排除したマウス)
をつくり、それにどんな異常が起こるのか、
見守っていたところ。

異常なし。

必ず異常があるはずだと思って、
血液を検査したり、細胞を調べたりしたけど
どの値もみんな正常。
寿命も短くならない。

そこで福岡さんは気がついた。
「生命は機械なんかじゃありませんよ。
もっと流れ流れているダイナミックなものです」

それを言っていたのが、
福岡さんにとってのアンサング・ヒーロー(歌われざる英雄)
であるルドルフ・シェーンハイマー博士だった。

アイソトープを使った
食べ物実験でわかったことは、
日々、食べ物の細胞と体の細胞が入れ替わっている、
シェーンハイマーはこれを「ダイナミック・ステート(動的な状態)」
と呼んだが、福岡さんはバランスがとれているというコンセプトの
ほうが大事だと思ったので、これを「動的平衡」と訳した。

つまり、自然界においては、
そのような平衡状態が存在しているっていうこと。
まあ、動的平衡の話はおいといて。

http://hero.niiblo.jp/e485211.html
「アンサング・ヒーロー」(17.6.30)

僕が好きなのは、
歌われざる英雄(アンサング・ヒーロー)のほうだなあと。











暗やみ本屋ハックツって
それを象徴したようなものですよね。

「10代に贈りたい本」っていうテーマで、
本にメッセージを付けて、寄贈した本を
10代が発見する。

今回は、図書館の本で、
メッセージだけを公募して、66人分集まったのだけど。

それって。
この本を贈りたいっていう思い、というか手紙だから。

本屋や図書館っていうのは、
ひとりひとりや、1冊1冊の本を
「歌われざる英雄」にしていく
魔法をかけるところなのかもしれませんね。

そんな本棚をつくっていきたいなと。  

Posted by ニシダタクジ at 08:13Comments(0)

2018年03月02日

貨幣とメールの共通点


「21世紀の楕円幻想論」(平川克美 ミシマ社)

いったん中断していましたが、読み終えました。
うなる内容。

~~~以下引用

楕円は、焦点の位置次第で、無限に円に近づくこともできれば、
直線に近づくこともできようが、その形がいかに変化しようとも、
依然として、楕円が楕円である限り、
それは、醒めながら眠り、眠りながら覚め、泣きながら笑い、
笑いながら泣き、信じながら疑い、疑いながら信ずることを意味する。
(花田清輝 楕円幻想)

花田が言っていることの意味は、相反するかに見える二項、
これまでわたしが言及してきた言葉で言えば、
「縁」と「無縁」、田舎と都会、敬虔と猥雑、死と生、
あるいは権威主義と民主主義という二項は、
同じ一つのことの、異なる現れであり、
そのどちらもが反発しあいながら、必要としているということ

どちらか一方しか見ないというのは、ごまかしだということです。
ごまかしが言い過ぎだとすれば、知的怠慢といってもいいかもしれません。

真円的な思考は、楕円がもともと持っていたもう一つの焦点を隠蔽し、
初めからそんなものは存在していなかったかのように思考の外に追い出してしまいます。

真円的思考とは、すなわち二項対立的な思考であり、
それは田舎か都会か、科学か信仰か、権威主義か民主主義か、
個人主義か全体主義か、理想主義か現実主義か、
どちらかを選ぶのかと二者択一を迫ることです。

最大の変化は、全体給付モデルを
採用していた時代の相互負債関係のモラルから、
貨幣交換の時代の賃借関係のモラルへの
180度の転換でありました。
・贈与は義務である
・贈与に返礼してはいけない
・贈与物を退蔵してはならない
というモラルから、
・返礼を受けるのは当然の権利である
・賃借関係は等価交換によって清算されなければならない
・貯蓄は美徳である
というモラルへの転換したのです

「楕円も、円とおなじく、一つの中心と、
明確な輪郭を持つ堂々たる図形であり、
円は、むしろ楕円のなかのきわめて特殊な場合である」
と花田は言っています。
にも関わらず、ひとは真円の潔癖性に憧れる。

貨幣:非同期交換を可能にした、劣化しない価値の担い手(だと信じられた)
インターネットメール:非同期的コミュニケーションを可能にした

非同期的コミュニケーションの結果、
人々が、聞きたい声だけを聴き、読みたい記事だけを読み、
連絡したい仲間とだけ交信することが可能になり、
その結果、社会が、世代間や、趣味や、嗜好によって、
分断されてしまったことです。

コミュニケーションのツールを手にしたゆえに、
社会が、言葉が通じないグループに色分けされることになったのです。

貨幣が、社会を富者と貧者に分割したように、
コンピューターもまた、情報格差の問題を生み、
さらには、それぞれの趣味や嗜好や政治思想ごとの小さなグループへ
分断してしまったのです。

その一番大きな問題は、
一度グループに分断されてしまうと、
もう、ほかのグループとは
コミュニケーションをしなくなってしまうことです。
回復の回路が切断されてしまうということです。

SNSでほかのグループにいる人間と出会うときは、
罵倒するか、冷笑するか、無関心かのいずれかの
態度しかとれなくなる。

そもそも、関心がない相手との回路は、
断ち切ることが可能になっているツールなので、
必然的に、同じような価値観をもった人間ばかりが集まることになります。

どちらのツールも、
コミュニケーションの必要性から生まれてきましたが、
結局、どちらもコミュニケーションツールを断絶する道具として、
社会に機能してしまっているからです。

その結果、人々は自由を手にするわけですが、
自由を手にした分だけ孤立化し、分断されることに
なっていったのではないか。

現代という時代ほど、金銭の万能性が強まった時代は
ないように思えます。
世の中には「等価交換のモラル」だけしか、
なくなっているかのように見える。
しかし、それは、「贈与のモラル」が消え去ったということではないのです。

日蝕、あるいは月蝕のように、
二つの焦点が重なってしまい、
「贈与のモラル」が「等価交換のモラル」の
背後に隠されてしまって見えなくなっている
ということにすぎません。

わたしたち現代人が陥っている陥穽は、
こうした楕円的で両義的な構造を持つ、
異なる経済・社会システムや、
モラルの体系というものを、
二者択一の問題であるかのように錯覚してしまうことです。

現代社会を覆っているのは、
むしろ、この「これだけしかない」という
見方の硬直性であると言えるかもしれません。

~~~ここまで引用

うわー、引用しすぎた。
全部読んだ人はご購入ください。(笑)

そっか!って。

貨幣とメールは、
「非同期交換」っていう共通点があるんだ。

それによって、貨幣は貯めこむことが価値ができて、
メールやSNSは、志向性が近い人と知り合える、逆に言えば
自分が望む人としかコミュニケーションしないようにできる。
そうやって人と人が分断されていく。

そして、最近起こっている、
贈与経済の胎動のような動きは、
そのもうひとつの軸を示しているのではないか。

そしてそれは、
「貨幣経済」か「贈与経済」か
というような二元論ではなく、
楕円のように2つの焦点を持ちながら共存していく、
そんな社会を実現していかなきゃいけないんじゃないか。

うんうん。
ホント、そうだなあと思う。

若者の生きづらさの深いところには、
「二元論」的な社会の雰囲気があるのだと思う。

就職するか、起業するか。
みたいな。

本当は、ぜんぜんそんなことない。
贈与の仕組みの中に入ってしまえば、
どちらもする必要がない。

「正解」なんてない。
そんなことみんな分かっているはずなのに、
二元論で考えてしまう。
そうやって分断が起こり、冷たい社会になっていく。

本のある空間のひとつの使命は、

世の中には多様な価値があり、
二元論では説明、解釈できないのだという
メッセージを放つこと。

それはそのままその人を
問いの海に放り込むことになるのだけど。

「価値とはいったいなんだろうか?」
と問いかけるような場をつくらないといけない。  

Posted by ニシダタクジ at 06:52Comments(0)

2018年02月27日

「負債感」と「当事者意識」


「21世紀の楕円幻想論」(平川克美 ミシマ社)

第4章まで来ました。
「有縁」社会と「無縁」社会。

第3章の途中から、
さらに面白くなってきました。

場、近代、縁などなど、
僕のキーワードにピッタリです。

いちばんハッとさせられたのは、
この章の冒頭にある「賭場の論理、世俗の論理」。

カジノ法案、是か非か、みたいな。

まあ、政治っていうのは決めることだからいいのだけど、
1つの価値観でもって、それをどちらか決めるのはどうなんだと。

平川さんが言うように、

~~~以下引用

酒やたばこ、あるいはギャンブルを楽しむという社会と、
酒やたばこは身体に良くない、
ギャンブルは依存症をつくりからダメだという社会と、
比較してどちらに同意するんだと迫るのは、
思考停止だといわざるを得ないのです。

こうした、思考停止による二者択一は、
文化的なふるまいから逸脱した、
生活の強制へと向かってしまいます。

そもそも、相反する二つの事項、
異なった原理を有する二つの事項について
考えるときに、どちらか一方だけに
収斂させれば問題は解決すると考えるのは、
成熟した大人がやるべきことではない。

~~~以上引用

なるほど。
僕もそう思います。

そして、賭場の原理を以下のように説明します。

~~~以下引用

賭場の原理というのは、
人情無縁の「無縁」の原理なんです。
一人ひとりが縁を結ばず、金だけが支配している社会です。
だからこそそこには中央権力が定める法律も及ばないし、
世俗のしきたりも希薄である。

そういう逃げ場がないと、
世俗の社会をはじきだされたものは、
死ぬしかなくなってしまいます。

共同体が存続していくために必要なことは、
脱落者を出さないことです。

(中略)

だから、「無縁」の原理を必要としているのは、
「有縁」の場なのであり、「有縁」の原理もまた
「無縁」の場が必要としているともいえるだろうと思います。

~~~以上引用

「駆け込み寺」っていうのは、
中央権力、幕府の権力が及ばないところでした。

そうやって、
「有縁」と「無縁」がうまくかみ合って、
世の中は存在していたのではないかと。

平川さんの言葉を借りれば、
宗教的な場は「許し」の場であり、
世俗の場は、「贖罪」と「許し」がせめぎあう場であり、
ビジネスは厳格な等価交換の場だということです。

なるほどね。
世の中が「ビジネスの場」で一元化されちゃうと
それはつらいですね。

「相互扶助では儲からない」
これはたしかにそうなんでしょう。

友達から本を借りて読むより、
古本屋で安く本買うより、
新刊書店で定価で買ってもらったほうが儲かるもんね。
そうやって、だんだんと「無縁社会」へとシフトしていった。

でも、そこに惹かれた若者たちって
なんだったのだろう。

「東京には夢がある」って思って、
田舎から出てきて、高いアパート家賃を払って、
家賃を払うためにアルバイトして、
J-POPを聞きながら、途方に暮れる、みたいな暮らし。
ホントにしたかったのかな、って。

挙句に、「自己責任」とか言われちゃって。
「無縁社会」を象徴するような言葉です。
「自己責任」。

平川さんが指摘しているように、
起こった結果に対して、当事者として、
自分の身に引き受けるという本来の意味ではなく、
自分には無関係であるということの言明にすぎないのです。
つまり、「俺には関係ないよ」ってことです。

~~~以下三たび引用

「責任」は、英語ではresponsibilityと言いますね。
これは、respond(応答する)と同じ語源を持つ言葉だと
いうことがわかります。

日本語なら、まさにこれは「縁」ですね。

(中略)

「縁」の世界で起きたことは、
どんなことも、どこかでつながっており、
呼びかけがあれば応答しなければならない。

すべての人間は、
程度の差はあっても当事者性から
逃れることができないということです。
まあ、面倒くさいといえば面倒ですね。

しかし、当事者性を意識するところから責任をとるという
モラルが出てくる

しかし、他者に対して「自己責任だ」と言うのは、
自分とはまったく関係がないという責任転嫁の
言明でしかありません。

~~~以上三たび引用

ここから、平川さんは、
「無縁」を否定しない「有縁」社会を提案します。

江戸時代の厳しい身分社会の中でも成立していた、
共同体の内側では、相互扶助的なものが
息づいているような社会。

たぶん。
いま、若者がシェアハウスをしたり、
メルカリでものをやり取りするのも、

あまりにも世の中が「無縁社会」なので、
なんとか生き延びていく方法論なのだろうなと思います。
なんか、いろいろ深いところで考えさせられるなと。

「縁」って「負債感」を負わせる。
「借りがある」と思わせる。
等価交換じゃない何か。

たぶんそういうのが大切なので、
当事者意識の源泉なのではないかなと思う。

中村くん星野くんと2008年に立ち上げた
「起業家留学」(byヒーローズファーム)の
キーコンセプトは「当事者意識」と「価値創造力」だった。

中小企業経営者のもとで、
「当事者意識」を育みながら、
価値について考え、価値を生み出していく
人材を育成していくこと。
なかなかいいコンセプトだったなと改めて思う。

「志」とは、
社会や先輩方に対しての「負債感」と
責任を勝手に引き受ける「当事者意識」
からも生まれてくるのだろうなと思った。

そしてもうひとつ。
僕がいつも「顧客はだれか?」「顧客は過去にいる」
と問いかけているのは、

過去に出会った具体的な人や
過去の自分自身を顧客とすることが
もっとも当事者意識を感じることができるからではないか。

なんか、いろいろ過去が解読される感じでよいですね。
ありがとうございます。  

Posted by ニシダタクジ at 08:36Comments(0)

2018年02月26日

「お金」とは、関係を「断ち切る」ためのツール


「21世紀の楕円幻想論」(平川克美 ミシマ社)

くまざわ書店南千住店の阿久津店長
のご紹介により購入。

いま100ページくらいまで読み進めましたが、
心の深いところをえぐるように来ますね。

第3章 見え隠れする贈与‐消費社会の中のコミュニズム

より、ひとまずキーワード抜粋

~~~以下抜粋

モラルとは、生き延びるための共同規範

「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」は、
マルクス主義の基本ですが、(中略)
小さな相互扶助はほとんど無意識に行われている。

皆が「自己責任」だとか言い出したら、
その社会はもはや共同体としては、崩壊している
ということだと思うのです。

社会全体が崩れるというのは、
社会の秩序を支えているモラルが
崩壊し始めているということなんです。

言葉は、他者の共生を前提にして交換されるものです。
言葉に対する相互の信頼があって初めて、
人間同士の交通が可能になります。

その意味では、言葉は貨幣に似ているのですが、
決定的に違うのは、貨幣は商品交換のための
道具であるのにたいして、言葉は、
もともと贈与のための道具だったということです。

貨幣は、それが偽札でない限りは、
それが偽札でない限りは、
それが流通している地域においては、
誰に対しても同じ価値基準を表現します。
同じ交換価値として機能しています。

一方、言葉はそれが嘘であるか、
本当であるか、傍からは、見分けがつきません。
相互に信頼し、相互に扶助し合う共同体の
内部においてのみ力を発揮するものであり、
異なった共同体や異人種とのあいだでは、
言葉はときに敵対のための道具になってしまうことが
あるのだろうと思いますね。

「自己責任」とは、まさに、
ひとつの共同体の内部が、分断され、
敵と味方に分別されたときに発声される敵対的な言葉なのです。

~~~ここまで抜粋

言葉と貨幣。
おもしろい。

つづいて、貨幣(お金)の交換性と関係性について。
「お金」とはつまり、「等価交換」のための道具である。
という前提で。

▽▽▽以下引用

贈与と返礼という
交換関係もまた、それが等価交換ではない限り、
どちらかが負債を負った状態のまま、
贈与返礼を繰り返しているということになります。

関係を続けていくためには、
返礼は等価ではいけないのです。

お金とは、関係を断ち切るための道具として
登場したということなのです。

お金:
・交換を促進する道具
・関係を断ち切る道具

交換を促進するためには、
関係を絶えず断ち切る必要があったのです。

お金を払うことによって負債関係が断ち切られる。
負いつ負われつという関係の無限連鎖を
終了するためには、等価物を返さなければならない。

等価物を返すことで、相対の関係が終了する。
じゃあ終了しない関係は何かというと、その逆です。
お金が介在しない贈与関係なんですよ。

贈与関係:
・交換を禁止すること
・関係を継続させること。

△△△ここまで引用

このあと、本では、
「消費者」の登場によって、
「近代化」という名のコミュニティの崩壊が起こる、
と続いていく。

これも書きたいけど、今日はここまで。

面白いです。
「ゆっくりいそげ」(影山知明 大和書房)と
合わせて読みたいですね。
あ、西野彰廣さんの「革命のファンファーレ」に書いてある
「お土産理論」にも近いものがあるかも。

「健全な負債感」とは何か?
そんなことが書いてあるような気がします。

楽しいね、読書。  

Posted by ニシダタクジ at 08:29Comments(0)

2018年02月20日

本のある空間という祈り


「センスオブワンダーを探して」(福岡伸一 阿川佐和子 だいわ文庫)

名古屋のちくさ正文館本店で購入。
いついってもほしい本だらけです。
今回は泣く泣く3冊に絞りました。
そのうちの1冊。

「生物と無生物のあいだ」の福岡さんと
「聞く力」の阿川さん。

対談本ってあんまり得意じゃないのだけど
この本はするする来ます。

序盤のハイライトを紹介します。

阿川さんは、石井桃子さんが始めた私設図書室「かつら文庫」
に子どものころ通っていたが、
ほかの子どもが次々と大作を読破する中で、
さんざん外で遊んだあとに、文字の少なくて絵が多い、
「せいめいのれきし」や「ちいさいおうち」などを読んでいたという。

「かつら文庫50周年の集い」で
石井さんのお弟子さんで、児童文学者の
松岡享子さんの講演で
「子どもの感受性は大人になってからでは取り返しがつかない」
と聞いて、「今から読んでも無駄なんだ」と悲しくなったのだという。

そしてトークショーで松岡さんと一緒になったとき、
思わず言ったという。

~~~以下本文より引用

「私は本当にダメな子でした。
かつら文庫に通っていたほかの子どもたちと違って、
あんまり本を読まなかったし」とお話したら、

「大丈夫よ、佐和子ちゃんはたくさん本のオーラを
浴びて育ったから、それがちゃんと残ってる」
というような言葉で励ましてくださったんです。

~~~ここまで本文より引用

そっか!
本のオーラを浴びるだけでいいんだ。

そのあとに紹介される石井桃子さんの言葉も素敵です。

「子どもたちよ。子ども時代をしっかりと楽しんでください。
大人になってから、老人になってから、
あなたを支えてくれるのは子ども時代の『あなた』です」

うわ~。
そうなんだよね。
子ども時代はちゃんと遊ばないとね。
って。
かつら文庫には、そんな「祈り」が詰まっていたのだろうな。

「本」というものが、著者の「祈り」を形にしたものだとしたら、
「本棚」っていうのは、本棚のつくりての「祈り」そのものだ。

そこからは、
「本のオーラ」が確実に出ていて、
それを感じるだけで、何かが動いていく。

「暗やみ本屋ハックツ」で
暗やみの中にあるのは、
本を寄贈してくれたひとりひとりの「手紙」であり、「祈り」だ。

それを感じることだけでも、何かになるような気がした。

3月4日まで、
東京都練馬区関町図書館(最寄駅:西武新宿線・武蔵関駅)で
「暗やみ本屋ハックツが関町図書館にやってくる!」
を開催中です。
https://www.lib.nerima.tokyo.jp/event/detail/2202

3月4日には僕も行きます。

本のオーラ、感じに来てください。  

Posted by ニシダタクジ at 08:44Comments(0)

2018年02月16日

「違和感」をリスペクトすること

気になる異性に対して思う「違和感」をギャップ萌えという、
と言ったのは、現代美術家の
ニシダタクジ(1974‐)だったけど。(笑)

すべては「違和感」から始まってるんじゃないか。
「違和感」というか、「好奇心」というか、そういうやつ。

そんなことを思っていたら、
そういえば、積ん読にこんな本があったなと。


「同調圧力にだまされない変わり者が社会を変える」(池田清彦 大和書房)

タイムリーヒット。(笑)

まだ前半だけど、
生物学者が書く、同調圧力について。

~~~ここから引用

民主主義は多数決を宗とする政治制度であるため、
マジョリティに属していたほうが、
法律上の優遇措置を受け易く、マイノリティよりはるかに有利である。

タバコバッシングがこれほどきつくなったのは、
もちろん喫煙者がマイノリティになったからだ。
残念なことに民主主義はマイノリティを抑圧する制度としても機能するのだ。

マイノリティの人たちを擁護するのは、自分のためなのだ。
人は、常にマジョリティでいることはできないのだから。

群れで生活している動物にとって、
仲間に同調するのは身を守るための大切な本能だ。

人類は野生動物から身を守ったり、野生動物を捕獲するために、
集団で生活するようになったことは間違いなく、その習性は今に引き継がれている。

現代社会を見ても、ビジネスや新しい技術で社会に驚くような
イノベーションを起こすことができるのは「変な人」である。
人類は経験的にそのことを知っていた。

そのためどの文明でも、社会構造の中に「変な人」を一定数取り入れ、
彼らを排除しないようにしてきたのであろう。

「世の中で流行しているものが好き」というタイプの人もいる。
いや、むしろそちらのほうがずっと数が多い。
彼らは「同調するのが好き」なので、他の人と同じ行動をするのにためらいがない。
それは生物学的にも、同調を好む人のほうが社会の中で生存する確率が高いからである。

~~~ここまで引用

なるほどね~。
説得力あるね、「生物学的に」って言われると。
人がマジョリティーになるのは、習性なんだね。
まあ、それはそれとして。

僕が思うのは、「同調圧力」によって、
自らの感性を発動させない、ということが
起こっていないだろうか?
ということ。

数学とは何か?
数学は何から始まったか?

っていうのは、
僕としては今年のマイブームな問いなのだけど

解き明かしたい自然現象や
違和感みたいなのがあって、
わかった!ってなって、
それを数式で表現したっていうことなんだよね。たぶん。

そういう、違和感に対するリスペクトみたいのが
始まりなんだったと思うんだよね。

違和感という感性の発動を大切にすること。
それ、すごい大事だと思う。

みんなと一緒に絶滅しないために。  

Posted by ニシダタクジ at 08:43Comments(0)

2018年02月15日

百姓=農民ではなかった


「日本」とは何か 網野善彦 講談社

某古本屋さんで購入。
なかなか面白い。

「日本」が誕生したのは、7世紀末。
壬申の乱に勝利した天武天皇が
「倭国」から「日本」へと国号を変えた。

対外的に初めて用いられたのは、
702年、中国大陸に到着した
ヤマトの使者が、唐の国号を
周と改めていた則天武后に対してであった。

にもかかわらず、
明治以降の国家的教育によって、
記紀神話の描く日本の「建国」が
そのまま史実として、徹底的に
国民に刷り込まれた。

なるほど。

「建国記念日」っていうのは
神話に基づいているんだな。

それはそれで面白い。
「物語の力」ってすごいなと。

そして、この本の目玉としては、
第四章の「瑞穂国日本」の虚像

江戸時代まで我が国の農村部は
稲作を中心とした自給自足が基本であった、というもの。
年貢だって米で納めていたし。みたいな。

しかしそれは、
為政者たちが描いた「こうなったらいいな」
というストーリーに過ぎなかったのだ。

しかもそれは701年の大宝律令までさかのぼる。
「班田収授法」だ。(なつかしい)

簡単に言えば、
田んぼから全国一律に税を徴収するという制度。
政治をするほうとすれば画期的だ。

ところが、これは、
理想先行で、うまく機能しなくなってのだという。

そこで政治は、

「三世一身法」を723年に、
「墾田永年私財法」を743年に制定。
田んぼつくっていいから、税を納めろよっていうやつだ。
ここから「荘園」時代が始まっていく。

しかしながら、
実際のところ、海や山の幸が豊かだった地域では、
海産物を獲ったり、絹織物を生産したりして、
貨幣経済、市場経済で生きてきたのではないかという。

たしかにそう考えるほうが自然な気がする。
著者は、能登輪島の海産物の豪商が、
明治時代の壬申戸籍によると、
いわゆる土地を持っていない水呑(=小作農)にカウント
されているのだという。

つまり、教科書に記載されている
士農工商の「農」は、
漁民や、養蚕⇒織物、地方での商業などを
全部、「農」にくくったのだ。

つまり、データ上は、
自作農が少なく、小作農が多い「貧しい農村」は、
「農業以外の仕事で食べていた」という可能性があるというのだ。

なるほど。

百姓っていうのは農民とはイコールではなくて、
田んぼもやってたかもしれないけど、
さまざまな仕事を並行してやっている人たちと
考えたほうがよさそうだということ。

それを明治政府は
「四民平等」という名のもとに、
「農民」に一元化したのだ。

つまり、あとづけで「農民」という
カテゴリーがつくられているのだ。

なるほどね~。
そうやって、「専業思想」が生まれていったのかも

終身雇用、年功序列による「専業」システムに
国家を、国民を無理やり適用させていったのだろう。

壮大なストーリーだなと思う。
歴史はこういうふうに見ると、めっちゃ楽しいかも。
いろいろ問いがある。  

Posted by ニシダタクジ at 08:12Comments(0)

2018年02月08日

「古本屋セット」始めようかな

結局、本売りたいんだよね。
届けたいんだよね。
他者評価の呪縛から、解放したいんだよね。
それには本がいいと思うんですよ。

世の中を俯瞰して見ることが
必要だと思うんですよ。

そんな声に賛同する人に、
「古本屋セット」を始めようかなと思ってます。

タイトルは、
「19歳のための本棚」

主に大学の前の
カフェとかお店とかNPOとか、
そういう場所に、
本棚を設置してもらって、

僕が選んだ本(古本)を
たとえば、150冊⇒30000円とかで送りつけるんです。
売る人は300円・500円とかで値段をつけて売る。
こっちで値段を付けてもいいけど。

そしたら30000円で本屋スタートできるじゃん。
他の本で自分が並べたい本があったら、
それも並べたり、某古本屋で仕入れてきたり。
それって結構楽しいよ。
本棚のない人は、「こっそりー」を
そのまま展開したいんだけどね。
やっぱ、それやりたいかも。

ストライクゾーンである
15歳~25歳にフォーカスした本を、
セレクトするのをはじめようっと。

カテゴリは
「じぶん」
「まなび」
「しごと」
「こらぼ」
「れきし」
「くらし」
「ものがたり」

こんな7カテゴリかな。

「じぶん」は、
・孤独と不安のレッスン(鴻上尚史・だいわ文庫)
・非属の才能(山田玲司・光文社新書)
「まなび」は、
・先生はえらい(内田樹・ちくまプリマー新書)
・すべての教育は洗脳である(堀江貴文・光文社新書)
「しごと」は、
・ナリワイをつくる(伊藤洋志・ちくま文庫)
・計画と無計画のあいだ(三島邦弘・河出文庫)
「こらぼ」は、
・かかわり方の学び方(西村佳哲・ちくま文庫)

とかとか。
ちょっと考えてみます。

ツルハシブックス常備本(16.5.12)
http://hero.niiblo.jp/e479203.html

こちらも参考にしてみようと。
これで150冊のラインナップができたら、
新刊も交えていけるかもな。

ちょっと構想してみます。  

Posted by ニシダタクジ at 08:24Comments(0)

2018年01月17日

「自由」への学び(前編)


「公教育をイチから考えよう」(リヒテルズ直子×苫野一徳 日本評論社)

読み進めています。
オランダの公教育を題材に
深く教育について問い直す1冊。

第4章の苫野一徳さんのところが
学び多いので、メモします。

~~~以下メモ

現在において、「自由」に生きるための力とは何か。

現在とは、「知識基盤社会」と「グローバル化社会」である

「知識基盤社会」。
産業主義社会が終わり、ポスト産業主義社会を迎えた今、
すでに多くの商品が市場に行き渡っています。

単純な大量生産・大量消費はあまり成り立たず、
企業は、さまざまなサービスや付加価値を見出し続けなければなりません。

産業主義社会においては、
多くの企業が求める人材の大多数は、
一部の経営者層の支持に従い、
「言われたことを言われた通りに効率よくこなす」
ことができる労働者であったと言えるでしょう。

そのため、学校教育もまた、
子どもたちに、「決められたことを決められた通りに勉強させる」
ことが、ある意味では求められていたと言えるでしょう。

ポスト産業主義社会(知識基盤社会)では、
「言われたことを言われたとおりにこなす」
だけでなく、みずから考え、また多様な人たちと協同して
課題を解決していける、そんな力が求められるようになっているのです。

「学び続けることを余儀なくされる」現代社会においては、
「学ぶ力」「考える力」「考え合う力」を
すべての子どもたちに育み、保障しなければならないというべきなので。

この息苦しい時代・社会において、
どうすれば自分なりの幸せや喜びや自由を
得られるのだろうか?

そのための力能は
いったいどのようなもので、どうすれば学び取っていくことができるのか?
子どもたちは、こうした問いを、ただ教育から受け身に与えられるだけでなく、
みずから考え、学び、そして多様な人たちと協力し合って、答えを
見出していく必要があるのです。

「決められたことを決められた通りに」
「言われたことを言われた通りに」
勉強させることが中心の教育では、
そんな子どもたちを力強くはぐくみ支えていくことは困難でしょう。

以上のような学力観の転換は、一般に
「コンテンツ・ベースからコンピテンシー・ベースへ」
といわれています。

つまり、どれだけの知識・情報(コンテンツ)をため込んだかよりも、
それらを駆使して何ができるのかという能力(コンピテンシー)が
今日求められているというのです。

OECD-DeSeCo「キーコンピテンシー」
「相互作用的に道具(言語・知識・情報)を用いる能力」
「異質な集団で交流する能力」
「自律的に活動する能力」

国立教育政策研究所「21世紀型能力」
「思考力」を中核に、それを支える「基礎力」、
そしてこの両者を方向づける「実践力」の
三層構造から成るものです。

~~~ここまでメモ。

うんうん。
たしかに、世の中の変化からいって、
そういう方向で進んでいくのは間違いなあと。

次、「グローバル化社会」について書きます。  

Posted by ニシダタクジ at 08:19Comments(0)