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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



新潟市西区内野町431-2
TEL 025-261-3188

平日12:00~19:00
土曜 7:00~21:00
日祝10:00~19:00
*火・水曜定休





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2017年11月21日

越境する窓としての本と、ドアとしての本屋


「断片的なものの社会学」(岸政彦 朝日出版社)

11日に行われたイベント「DIVE IN BOOKS」内の
「はじめましての3冊」企画で「魔法をかける編集」と交換した本。
お借りしています。ようやく読み始めました。
現在91ページまで来ました。

素晴らしくタイムリーでした。

昨日の「秘密の作戦会議」のテーマは、
「越境」だったので、

「越境」というキーワードがぐるぐる
していたところだったので、
この80ページからの「出ていくことと帰ること」
がめっちゃよかった。

「なぜ本屋なのか?」っていう問いに対しての
僕自身の仮説がカタチを伴ってきたな、って。

アウェー感っていう言葉があるけど、
そういうのを感じる場所に身を置かないと、
「越境」とは言えないのだろうなと。

大学生が地域に出る意味、について。
それはひとえに「越境する学び」だろうと思う。

地域に出る。
なにか活動に参加する。
その意味がどこにあるのか、考える。
フィードバックをもらい、自己評価を行う。

「大学の外に出る」っていうのは、
物理的に出ることじゃなくて、精神的に、
つまり、以前書いた「他者評価の檻」
から脱出することなのだろうと思う。

「学び」は越境にある。
境の向こう側か、あるいは境目上にある。

その「学び」こそ、エンターテイメントだ。
最強のエンターテイメントとは、「学び」だと僕は思う。

だから人は本を読み、旅をして、人に会うのだろうと思う。

そんなことをぼんやりと考えながら電車に乗って、
この本を開いたところで、タイムリーに飛び込んできた言葉たちがあった。

~~~ここから引用

私たちはいつも、どこに行っても居場所がない。
だから、いつも今いるここを出てどこかへ行きたい。

居場所が問題になるときは、かならずそれが失われたか、
手に入れられないかのどちらかのときで、
だから居場所はつねに必ず、否定的なかたちでしか存在しない。

しかるべき居場所にいるときには、
居場所という問題は思い浮かべられさえしない。
居場所が問題になるときは、
必ず、それが「ない」ときに限られる。

誰にでも思わぬところに「そとに向かって開いている窓」があるのだ。
私の場合は本だった。同じような人は多いだろう。
四角い紙の本はそのまま、外にむかって開いている四角い窓だ。

だからみんな、本さえ読めば、実際には自分の家や街しか知らなくても、
ここではないどこかに「外」というものがあって、
私たちは自由に扉を開けてどこにでも行くことができるのだ、
という感覚を得ることができる。

そして私たちは、時がくれば本当に窓や扉を開けて、
自分の好きなところに出かけていくのである。

あるときには本が窓になったり、人が窓になったりする。
音楽というものも、多くの人々にとって、そうだろう。
それは時に、思いもしなかった場所へ、
なかば強引に私たちを連れ去っていく。

~~~ここまで引用

そうそう。
思わぬところに窓があって、そこから人は「越境」していく。
そこにエンターテイメントとしての「学び」があるのではないかと思うのだ。

そしてそれこそが、
「自由への扉」となる。

ローカル・リベラルアーツ・ラボラトリーと
しての本屋をやる上で、避けられない問い。

それは「自由」とは何か?である。
そして、自分はどのレベルの自由を欲するか、である。

会社員になる、というのは、
月曜日から金曜日の時間的制約を受ける代わりに
一定の給与によって、一定の金銭的自由が得られる。
そして、金銭的自由が精神的自由をもたらしてくれる。
多くの人がそうやって生きてきたし、生きているのだろう。

その「自由」を自分なりに定義をすることが大切だと僕は思うし、
それは大学生、いや高校生のときから問い始めても早くないと思う。

「自由」とはなにか?を問うためには、
越境してみることは非常に有効だろうと思う。

絵にすると、こういう感じ。


自分が生きている世界というか会社というか学校というか、
その価値観の外に出ること。
他者評価の檻を脱出すること。

そこでいろいろやってみて、
振り返って、自己評価を行うこと。
それを言語化し、人に伝え、
フィードバックをもらうこと。

その繰り返しでしか、「自由」の定義は得られないのではないか。
「自由」とは、嫌われる勇気であるってアドラーは言ったけど、

「自由」とは、他者評価オンリーの人生を生きないということなのだと
現時点では僕は思う。

だから、「自由」の獲得のためには、
自己評価の習慣をつけること。
その前に、他者評価の外へ出ること。
越境すること。

岸さんのいうように、そのための方法のひとつ、
窓のひとつが、本である。

越境する機会の提供。
本と本屋の役割があるはそこにあるのだと思う。

日立の海のような本屋「うみまちブックス」も
越境するためのドアのような本屋になったらいいなと思う。
https://camp-fire.jp/projects/view/51775

最後に、昨日、一番響いた言葉を。

「志があれば、生きること自体が学問になる」(吉田松陰)

熱いっす。  

Posted by ニシダタクジ at 08:18Comments(0)

2017年11月20日

本屋というメディアをつくる


「MEDIA MAKERS―社会が動く「影響力」の正体」(田端信太郎 宣伝会議)

この本があまりにもタイムリーだったので、
ダイジェストでもう一度振り返りメモ。
この本は買いです。

~~~以下本文よりちょっとずつ引用。

「メディア」と「ファイナンス」は似ている
⇒「対象への信頼」が鍵になっている。

何かを伝えたい、という発信者の思いがあるときに、
それを伝達する「媒体・媒質」となるものこそが
語源本来の意味でのメディアの定義。

メディアとは、そこに情報の送り手と受け手の
二者が存在し、その間を仲介し、両者間において、
コミュニケーションを成立させることを目的とするものである。

Media型:送信者1 VS 受信者N ヤフーニュース等
Tool型:送信者N VS 受信者1 G-mail等
Community型:送信者N VS 受信者N フェイスブック等

メディアの影響力の本質
メディアで語られる=生きた証が記憶されるということ
メディアの価値「予言の自己実現能力」

ストック⇔フロー
参加性⇔権威性
リニア⇔ノンリニア

ペルソナの設定と、それが動き出すような物語をつくる。
尊敬・信頼・畏怖されないメディアは叩き売りされる。

テクノロジーの進化によって、
メディア自身も変わらざるを得ない。

馬具メーカーをやめたエルメス。
自分たちは何屋さんなのか?という問いに対して、
「馬具メーカーである」と答えることをやめた。

「自分たちは何屋なのか?」
「自分たちだからこそ、社会や顧客に提供できる本質的価値とは何か?」
このことを常に自問自答しなければなりません。

新聞はすべてパッケージされていた。
いまはすべてがアンバンドリング(バラバラになる)されている

新聞社に突き付けられているのは、プラットフォーマーになるのか、
プレイヤーに徹するのか?という重い選択です。

これまでは、さまざまなビジネス上の
生態系をもとに産業の垣根ができていたわけですが、
クラウドのインフラ上では、あらゆる境界線が溶けてなくなりつつあります。
そんな状況では、メディア企業と事業会社や広告主の境界線も消滅しつつあります。

さらに、プロとアマチュアの境界線も、
例えば、大学と書店とコンサルティング会社とビジネス・カンファレンス業と、
専門出版社の境目すら消えつつあるわけです。
知識を売る、という意味では、大学も書店も、
コンサルティング会社も全てフラットに同一平面上に並ぶわけです。

そして、徹底的にアンバンドリングが進んだ後には、
これまでとは違ったメディア環境が広がり、
アンバンドルされたものがまた別の視点から
パッケージングされ、リワイヤリングされているのではないでしょうか?

その際の主役となるプレイヤーは誰でしょうか?
私の仮説では、それは個人です。

雑誌がオーケストラなら、メルマガはロックバンド。

雑誌は抱き合わせ販売されていて、
個人のファンならメルマガを購読したほうが
効果的で効率的。

「雑誌は編集長の王国」だった時代は終わり、
誰も王の名前も知らない。

いまや有料個人メルマガこそが
「王国型メディア」である。
それは、個人が「無限責任」を負うということ。

商業メディアは有限責任で
(記者の)匿名性の高いメディアである。
そこには、嘘というか、ネガティブな意図が入り込む
隙が生まれる。

有限責任である株式会社で発信する限り、
そこが限界になる。

誰でも発信者(メディア)になれる時代に
どちらが信頼に足りうるでしょうか。

~~~ここまで引用メモ

いいですね。
振り返っても、すごい学び多い1冊。
このメディアを「本屋」に替えてみる。
媒体を「クラウドファンディング」に替えてみる。

その先に、僕が29歳の時に「小説吉田松陰」を読んで
妄想した、「学びあいの仕組み作りで希望の灯を燃やす」

そんな本屋の形があるように思います。  

Posted by ニシダタクジ at 08:28Comments(0)

2017年11月17日

メディアの力とは予言の自己実現能力のこと


「MEDIA MAKERS―社会が動く「影響力」の正体」(田端信太郎 宣伝会議)

個人がメディアになる時代に、読んでおきたい1冊

結論から。
「メディアの持つ影響力」について、明確に一言で。

~~~以下引用

メディアには、そこでなされた予言自体を
自己実現させてしまう傾向があり、
この「予言の自己実現能力」こそが、
メディアへの畏怖の念と影響力の源泉でもありました。

そしてメディアの信頼性・ブランド力・影響力とは、
「予言」実現能力対する価値のことである。

~~~以上引用

なるほど。
めちゃ本質的。

このあとコンテンツを3つの軸で読み解く。

1つめが
ストックとフロー

単行本からツイッター(SNS)まで
ストック性は大きいものから小さくなっていく。
ウェブメディアの中でも、ブログとフェイスブックでは
ストック性とフロー性が異なる。

これらはどちらがいいとかではなくて、
どちらもミックスする必要がある。
本とSNSっていうのはたしかにいい相性かも。

2つめが
参加性と権威性

食べログとミシュランなどを例に出して
参加性と権威性について語る。
こちらは現在は参加性に寄ってきている。

3つめが
リニアとノンリニア

リニアというのは線形のことで、
映画のように、一度見始めると、
最後まで見るというように、
リニア性の高いコンテンツであり、

他方、テレビやネットメディアは、
チャンネルを変えたり、リンクでほかのところへ飛べるので、
ノンリニアなコンテンツといえる。
特にデジタルメディアは宿命的にノンリニアなコンテンツとなる。

なるほどな~って。

で、僕の中でいちばんおもしろかったのは、次のペルソナのところ。
(まだ読み終わってないですが)

「メディア編集者は、対象読者の「イタコ」となれ!」
ではじまる項がナイスです。

~~~以下引用

成功している一流メディアでは、明示的か、暗黙的かは別にして、
その読者がどういう人なのか?を活き活きと独り語りするような、
いわゆる「ペルソナ」と呼ばれるものが、関係者の「脳内」に存在しています。

長編小説を書く作家や人気マンガの原作者が、作品完成後のインタビューなどで、
しばしば『頭の中に、登場人物の「キャラ設定」さえできてしまえば、
あとは勝手に登場人物たちが、ストーリーを前に引っ張っていくんですよ』
といった趣旨のことを話すのを聞いたことはないでしょうか。

ここで言われるキャラ設定と、
メディア編集の世界における読者「ペルソナ」の設定は
ほどんど同じものだと思います。

擬人化のパワーを利用し、想定読者にイタコのように憑依してみることで、
こうしたシチュエーションにおける編集ジャッジの速度と精度、一貫性は
飛躍的に高まるでしょう。

個人の想像力には、限界がありますから、
実際のペルソナ作りには、想像力を補完するために
対象ターゲットを集めて、いわゆる
グループインタビューをすることは極めて有用です。

~~~以上引用

なるほどな~。

ここで、
「クラウドファンディング」をひとつのメディアだとして見ると、
そこには、買う人=寄付者=お客=読者がいる。

その人の設定ができているか、
ってとても大切なことだなと。

そしてもうひとつ気づいたこと。

クラウドファンディングが成功したその先の未来日記を
書くことってとても大切だなと。

今の現状のシチュエーションの中で、
未来を描いていくこと。

半分事実で、半分フィクション。
そういう未来。

そして、それは、
自分自身じゃなくて、もしかしたら、
設定した上で、他者が書いたほうが、
ワクワクする文章になるのかもしれないなと思った。

クラウドファンディングというメディアは、
まさに予言を自己実現していくものだ。

描く未来に共感を集めるために、
物語の力が必要なのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 08:27Comments(0)

2017年11月15日

テクノロジーの使い方


「なめらかなお金がめぐる社会。あるいは、なぜあなたは小さな経済圏で生きるべきなのか、ということ。」
(家入一真 ディスカヴァー・トゥエンティワン)

読み終わりました。
読み直し中です。

家入さん、カッコいいわ。
どうして、「CAMPFIRE」のスタッフのみんなが
キラキラしているのか、少しだけわかった気がした。

「この船に乗りたい」
って思わせる目的地(ビジョン)がある。

家入一真さんは、高校中退後、引きこもりになり、
対人関係に悩んで、「誰にも合わずに仕事がしたい」
と起業を決意して、レンタルサーバー事業をスタート。
その後、カフェの運営や現代の駆け込み寺「リバ邸」などを展開。
2016年に自らが立ち上げたクラウドファンディング「CAMPFIRE」に復帰する。

この本では、「CAMPFIRE」での取組みが語られている。

クラウドファンディングのビジネスモデルは、
プロジェクトの達成金額の中から何%かを
運営会社が受け取るというプラットフォームビジネスである。

したがって、
目標金額(達成金額)が大きくなればなるほど、
手数料の額も大きくなる。

5000万円のプロジェクトがサクセス(達成)したら、
手数料が20%であれば、1000万円の収入となる。

家入さんは
「CAMPFIRE」復帰後、手数料をいきなり5%に下げた。
(現在は8%・・・決済手数料を除く)
5000万円のプロジェクトを1つつくるより、
5万円のプロジェクトを1,000個つくりたいという思いが詰まっていた。

家入さんが目指すのは、「金融包摂」だ。(以下本書より引用)

世界銀行による「金融包摂」の定義は、
「すべての人々が経済活動のチャンスを捉えるため、
また経済的に不安定な状況を軽減するために必要とされる
金融サービスにアクセスでき、またそれを利用できる状況」
ということ。

昨今話題になっている、社会的困難を抱える状況でも
社会参加の機会を与える、社会包摂という動きの金融版
と表現することもできる。

元来、金融システムは、既得権益は既得権益に守られがちなので、
金融のあり方は、金融機関による自助努力か、国によるトップダウン
でしか変化は期待できないものだった。

しかし、フィンテックの波が大きくなったことで、
僕たちベンチャー企業が金融の分野でも
声をあげられるチャンスが回ってきた。

今こそ、膠着した金融のあり方、
行きすぎた資本主義をアップデートする時が来ているのだ。

(ここまで本書より引用)

この後、家入さんは自らの活動を振り返り、
今までの活動は「社会包摂」にあったのではないか、と説明する。

レンタルサーバーやシェアハウス、
「居場所」をつくってきたけど、
そこから「アクション」を起こす時には
どうしてもお金の問題がつきまとう。
だから、クラウドファンディングなのだと。

すごいな。
コミュニティビジネス・ソーシャルビジネスって
そうやって起こるんだなとあらためて。

明確なWHYがある。
言い方を変えれば、ミッションがある。
そして顧客が「社会」だし、「未来」だ。

僕はこの本を読んでいてワクワクしたのは、

これは、本屋というプラットフォームとも
相性がいいということを感じたからだ。

ツルハシブックスのような若者が集まる本屋を
つくることができれば、

そこを「居場所」にだけするのではなく、
「アクション」の起こる「プラットフォーム」
に変えていくこと。

クラウドファンディングを立ち上げ、
それをメディアとして、全国の人たち、地域の人たちと
コミュニケーションをすること。

そこから、本書でいうような「小さな経済圏」を
つくっていくこと。

「居場所」ではなく「プラットフォーム」
「集まる場所」から「始まる場所」へ。
「集まる」と「始まる」が交互に起こり続ける場所。

きっとそんな場所を
地域資源をベースに作っていくこと。
それが、僕の「これからの本屋」の仮説だ。

僕自身は、顧客を絞り込んでいる。

やりたいことがわからない。
自信がない。
将来が漠然と不安だ。

そんな高校生大学生20代に、
「きっかけ」としての本、
「きっかけ」としての地域活動
「きっかけ」としてのインターン

を提供し、それを振り返り、自己評価することで
「学び」に落とし込む場をつくることだ。

その場の実現のために、
クラウドファンディングというテクノロジーをどう使うか?

どうせやるなら、誰とやるか、誰とどんな船に乗るか、ってめっちゃ大事だよね。

家入さんのテクノロジーの使い方には、
ミッションがある、ロマンがある。
その絵を一緒に実現するひとりになりたいと思う。

家入さん、その船、僕も乗りたいです。  

Posted by ニシダタクジ at 08:17Comments(0)

2017年11月14日

次の作品の話をしよう



先週、クラウドファンディング「CAMPFIRE」にお邪魔してきました。
森下さんと本屋トークで盛り上がりました。
ありがとうございました。

で、この本。


「なめらかなお金がめぐる社会。
あるいは、なぜあなたは小さな経済圏で生きるべきなのか、ということ。」
(家入一真 ディスカヴァー・トゥエンティワン)

これ、めちゃいい本だよ。
ツルハシブックスが売るべき本。

「CAMPFIRE」で働く人たちの
モチベーションの源泉に少し触れた気がしたよ。
目指すところのその先が近い気がした。

僕がやりたい次のお店。

それは
Local
Liberal Arts
Laboratory

「地域資源」を活用した
「自由になるための学び」を提供する
「実験室」

としての本屋

略して、スリーエル。
ダサいな、ダサい。
ネーミング考えないと。

「自由」っていうのは、

・精神的自由のための本・地域活動・インターンシップ
・経済的自由のための小商い・クラウドファンディング
・食糧的自由のための八百屋や米屋・加工品販売

そんな感じ。
それらを通して、「学び合う」空間。
地域の人、企業、産業などをベースに、学び合う空間

主なお客は大学生や高校生、20代30代あたりなのだけど。
そんな場としての本屋、つくります。

「CAMPFIRE」のような、思いの詰まった、次の作品の話をしよう。  

Posted by ニシダタクジ at 09:12Comments(0)

2017年11月11日

キカクのうまれかたはWHYのうまれかた

昨日は根津での
「DIVE IN BOOKS」前夜祭でのトーク

キカクのうまれかた - ツルハシブックス西田さんに聞く「本屋の中の余白」
でした。

泊まれる古本市はこんな感じ




で、トークは前座で
ホットジンジャーをつくりました。


でトーク。


「キカクの作り方」じゃなくて「キカクのうまれかた」
そうそう。

キカクって生まれるものだなあと改めて思いました。

そして、いま、サブタイトル思い出したけど、
それは「余白」に生まれるんだなあと。
本屋はそういう場所になるんじゃないかと思いました。

で、僕としてはやっぱり、
「面白い企画」の「面白い」っていうのは、
モチベーションが持続するっていうことだと思います。

そのためには、
どうやって企画が生まれるか。

それ、やっぱり、WHYから始めるっていうか。
なぜやるか?っていうのに答えられること。

で、
なぜ?

っていうのは、アクションを始まる前に分からなくても
いいんだなっていうこと。

そして、
単純に「なぜ?」とは言うけど、

「なぜ?」
を分解していくと、

「顧客はだれか?」っていう
ドラッカーの問いにあたるなあと。

そして、その顧客は過去にしかいなくて、

1 過去の自分自身
(高校生の時に、将来に悩んでいた自分など)

2 過去に出会った人
(かつて家庭教師をした、不登校の中学生など)

3 身近な人に起こった、心が動く経験
(フローレンスの駒崎さんのように、電話越しでお母さんの知り合いの話を聞く、など)

そのときに、心が動く、感性が発動する。
そこに「顧客」が生まれる。

で、それっていうのは、
企画が始まった後に、出会うこともあって。
だから、日々ふりかえりをしないといけないんだよね。

1 予想できたよかったこと
2 予想できた悪かったこと
3 予想しなかった悪かったこと
4 予想しなかったよかったこと

これの4の中に「顧客」が隠れている。

で、顧客が決まれば、
その顧客に向かって、手紙を書くように、
企画をつくっていく、あるいはブラッシュアップしていく。

「地下古本コーナーHAKKUTSU」は、
一箱古本市から生まれた。


使われていなかった地下室を
ダンジョン風な売り場にしたかった。


一箱古本市にツルハシブックス宣伝のため出店
新品同様の本を100円で売っていた隣の人。
僕の箱のビジネス書を200円で買っていった小学校5年生。

3 
「古物商」を取ろうとしたけど、法人ではとるのが大変だったので断念し、
寄贈本のみで運営することに。
メッセージを書いてもらって寄贈するカタチに。

っていうまったくの偶然。
それがメディアに取り上げられて、

みんなが「なぜ?」「なぜ?」って聞くから、
そういえば、27歳の時に、不登校の中学生の家庭教師をして、
地域のテキトーな大人と中高生がつながれる方法はないか、
って思ってました。
って、そこでWHYが生まれた。

そう。
キカクのうまれかたは、
実はWHYのうまれかたなのかもしれない。

そして、それは過去にしかいない。
そしてその元は、自分自身の感性しかない。

「キカクのうまれかた」
があるとすれば、

思いついたら、アクションを起こしつつ、
「なぜ?」というか、「顧客はだれか?」
という問いに答えるために振り返りを行うこと。

そうやって、顧客と、WHYを見つけること。
顧客が見つかれば、あとは顧客に手紙を書くように
企画をブラッシュアップしていく。

そうそう。
そうやって、暗やみ本屋ハックツは10代限定になって、
運営を20代と10代で行うような仕組みになった。

ハックツの顧客は、
悩める10代と日常を何気なく過ごす20代、そして大人。

「10代に贈りたい本」という問い。

そしてその問いを一緒に考え、
「場をつくる」ことに向かっていく仲間。

たぶん、それが企画のうまれかた。

企画はつくるものじゃなく、うまれるもの。
WHYがうまれれば、あとは自分の内側から
湧き上がる情熱が企画を成就させてくれる。  

Posted by ニシダタクジ at 07:37Comments(0)

2017年11月07日

WHYはぶれずに、HOWはいつでも捨てよ



「成功体験はいらない~しがらみを捨てると世界の変化が見える」
(辻野晃一郎 PHPビジネス新書)

こういう本、好きなんですよ。(笑)
つい、買っちゃう。

で、キーワードをつぶやく。
https://twitter.com/tkj83
そんな電車読書をしています。

元ソニー。
そしてグーグルへ。
ソニーでは、あのVAIOを再生させた人。

そういえば、当時のVAIOは、
今でいう、アップルのようなブランド力があった。

僕自身も、大学生の時に、
「VAIOユーザーになりたい」
という動機でVAIOノートPCを買った覚えがある。

シンプルな薄紫色のVAIOカバーと
ノートパソコンとしてはたぶん初となる
向かいに座った人が「VAIO」と読めるデザインに
心を奪われた。

iphoneやmac book airを使う一部の人がそうであるように、
僕も「VAIOユーザーであるという誇り」を買っていた。

そんなことを思い出した辻野さんの本と、
そこに出てくるソニー精神。

~~~以下引用

ソニーの設立趣意書。
「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき
自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」

「従業員は厳選されたる、かなり小員数をもって構成し、
形式的職階制を避け、一切の秩序を実力本位、人格主義の上に置き、
個人の技能を最大限に発揮せしむ。」

従来の階層型組織は、平社員よりは課長、課長よりは部長のほうが
高い判断力を備えている、ということを一応の前提として成り立っていた。

たしかに安定成長の時代には、過去の成功体験を
そのまま踏襲することにより、一定の成果が得られたことは事実であり、
それゆえ、経験の豊富な上司のほうが部下よりも
的確な判断ができる、というこもには一定の説得力があった。

いまは過去の成功体験がまったく通用しない時代だ。
むしろ、成功体験を捨てられないことが足を引っ張る時代、とすらいえる。
そうなると求められるのは、時代の動きをいち早く察知する能力、
あるいは察知した瞬間にすぐ動く行動力となる。

そうした能力においては、第一線を離れたマネジャークラスの人間よりは、
現場の担当者のほうが優れていることもある。
また、成功体験を捨てるという意味では、
最初から成功体験のない部下のほうが有利なこともある。

そもそも、インターネットやクラウドとのつきあい方については、
インターネットの登場以前に仕事の仕方を覚えたおじさん世代よりも、
物心ついたころからそうした環境にどっぷりと浸かってきた世代のほうが有利ともいえる。

イノベーションはコミュニケーションから生まれる。

気づいた人が走り出すしかない

~~~ここまで引用

なんか、いいね。
そういう文化が必要なのだろうと思う。

フラットな組織とは、
ひとりひとりをリスペクトすること。
そういうところなのだろうな。

思ったのは、
もはや「組織」そのものが、
特に「大企業」という企業形態そのものが、
時代遅れになってきているとしたら、

こういうフラットな関係性でのプロジェクトは
どのようにして生まれるのだろうか。

そう考えると、「本屋」は悪くないと思う。

読書会などを見ているとそうだけれど、
「本」をテーマにすると、人はフラットになれる気がする。

そこにプロジェクトが生まれるためには、

この本のラストに書いてある
「WHYはぶれずに、HOWはいつでも捨てよ」
がヒントになるのではないか。

WHYを共通認識としてもち、
フラットな関係性で、プロジェクト(社会実験)を
始めてみること。
HOWをいろいろ試してみること。

その繰り返しでプロジェクトがビジネスへと進化していく。
そんな本屋ができるんじゃないか。

そして、それこそが、
ツルハシブックス(的な空間)のミッションなのではないかと。

「地域にプレイヤーが足りない。」とよく言われる。

でも、人はいるんだ。実際は。
チャレンジする人がいないだけ。
特に大学が近くにあるまちではそうだ。

「チャレンジ」とか「成功」とか「失敗」とかじゃなくて、
学園祭で何か発表するように、
プロジェクトを始められたらいいと思う。

そういう地域プラットフォームとしての本屋を
地域サイドではなく、若者サイドから
意味づけ、価値づけできるのが、
自分の強みではないか。

「WHYはぶれずに、HOWはいつでも捨てよ」

この言葉を胸に、進んでいこう。  

Posted by ニシダタクジ at 08:57Comments(0)

2017年11月02日

「自由」を自分なりに再定義する

「自由」を自分なりに再定義すること。
きっとこれが必要になってくるのだろうなと思った。


「自由につくる 自在に生きる」(森博嗣 集英社新書)

コメタクの堀愛梨に薦められて
積ん読から引っ張り出して読む。
ナイス、堀。
いいタイミングでありがとう。

これはいいわ。

まず、ここからはじまる。
「自由というのは、自分の思ったとおりにできることです。」

~~~以下引用

「人の目を気にする」人間の大半は、
「自分の周囲の少数の人の目を気にしている」だけである。
そして、「人の目を気にしない」というのは、
自分一人だけの判断をしているのではなく、
逆に、「もっと確かな目(あるときは、もっと大勢の目)」
による評価を想定している、という意味だ。

それは、「今の目」だけではなく、「未来の目」にも範囲が及ぶ。
それが「客観」であり、「信念」になる。

僕がいいたいのは、「自由」が、思っているほど
「楽なものではない」ということである。
自分で考え、自分の力で進まなければならない。
その覚悟というか、決意のようなものが必要だ。

そもそも、「終わった!」「達成した!」という感覚こそが
人から与えられたノルマだからこそ感じるものだと言える。

自分の発想でやり始め、自分が自分に課した目標であれば、
たとえ見かけ上それを達成したとしても、新たな目標が必ず出てくるし、
途中できっと不満な部分に出会い、あそこを直したい、もう一度ちゃんとやり直したい、
という気持ちになるはずだ。自分の自由でやると、絶対そうなる。

コンテストや競技、あるいは競争というイベントのときだけに
「やった!」という達成感がある。とりもなおさず、
それは自由を獲得したというよりは、不自由から解放されただけのことで、
単に自由の出発点に立ったにすぎない。

目指すものは、自分で決めなければ意味がない。本当の自由がそこから始まる。

重要なことは、それが「支配」であると気づくことであり、
その自覚があれば、その次には、どうすれば自分の自由をもっと広げることができるか、
と自然に考えられるようになるだろう

一般に、支配する側の人間から見れば、大衆はなるべく一塊りになっていてほしい。
その方が扱いやすいからだ。これは、軍隊や、あるいは集団作業などを思い浮かべれば理解しやすいだろう。

~~~以上引用

まだ途中なのだけど、
そうそう、その通りだって。

先日のブログで書いた
「他者評価の檻」とは、そういうことだなと。

http://hero.niiblo.jp/e485980.html
(18歳を他者評価の檻から脱出させる 2017.10.10)

「この支配からの卒業♪」と
尾崎豊が歌った時代と違って

現代は、一見自由に見える、
しかし、それは、巧妙になっているだけだと
森さんは言う。
おそらくはそうだろうと思う。

あるいは、自らのどこかに、
自由ではなく支配を求める心があるのだ。

自由と支配とどちらが
楽かと言われたら、支配のほうが楽なのではないか。

こんな話を、
きっとひとりひとりが考えなければいけない時代を
生きているのだろうと思う。  

Posted by ニシダタクジ at 08:20Comments(0)

2017年10月25日

本屋の妖精

いい本屋には、妖精が宿る。

そう思っている。

ぶらっと入った本屋さんの本棚を見ていると、
目に飛び込んでくる本がある。

それはきっと、妖精の仕業だ。

「魔法をかける編集」(藤本智士 インプレス)
で藤本さんが「魔法をかける」ことについて書いているけれど。
http://hero.niiblo.jp/e485488.html (2017.8.1)

本棚にも「魔法をかける」ことができる。
きっと、意識はしていなくても、

往来堂の笈入さんとか
スタンダードブックストアの中川さんとか
ブックスキューブリックの大井さんとか
普通にやっているのだろうな。

そういう意味では、
本屋さんは、魔法使いであり、妖精使いでもある。

僕は、子どものころの読書量が少なかったこともあり、
(新聞はよく読んでいたのだけど)
児童書の傑作とかほとんど読んだことがない。

だから、今でも、現実離れしたファンタジー小説は
まったく頭で想像できないので読めない。
(「桐島、部活やめるってよ」とか「夜のピクニック」とか
「限界集落株式会社」みたいな、現代を舞台にした小説なら読める)

でも、そんな僕でも
15冊くらいの棚をつくることはできる。

そして、そこに、「魔法をかける」余白が生まれる。
いや、「魔法をかける」から、余白が生まれるのかな。

そして、本屋のお客は、
「魔法にかかったように」本を買ってしまう。

その空間には、妖精がふわふわ飛んでいて、
いろいろとささやいてくる。

そして、つい、買ってしまうのだ。

僕は自分で新刊書店をやっているので、
自分の店で買おうと思えば、1週間ほどで
仕入れることができるのに、
その本屋で今買いたい、と思ってしまうのだ。

本屋で本棚を見ていて、
「この本欲しいな」と思った時に、
ひとまずamazonを検索しているようでは、
まだその人は魔法にかかっていない。

レジに持っていった後で、
あれ、サイフに現金、入ってたかな。
いま本買って大丈夫かな。
って心配に思うくらいじゃないと、
魔法にはかかっていないだろう。

好きな本屋で本を買うって、
そういう体験なんじゃないかって思う。

ファンタジックに言えば、
妖精との対話によって、魔法にかかった結果、
本を買ってしまうこと。
そんな本屋でありたいと思う。

あと、あなたの悩みに本を処方する
「本の処方箋」の企画。
あれもネーミング考えたいなと。

処方箋っていうのが
そもそも症状を改善するような感じがするので。

なんていうか。
あれって、セッションなんですよ。

悩みを話してくれる人がいて、それを聞きながら、
その悩みに合うような本を1冊選ぶなら、
正直、ネット上でもできると思うんだよね。

そういうニーズもあるだろうし、
それはわかりやすいからね。

でも、藤本さんが言うような
「魔法をかける」っていうのは、
その瞬間、その空間で、その人だけが、できることなんだよね。

そういう意味では、
同じ人が同じ悩みを語っても、
思い浮かぶ本って違うんだよね。

僕の場合は大体3冊くらいを選ぶんだけど、
http://hero.niiblo.jp/e485771.html 
(「ターゲットとお客のあいだ」2017.9.6)

1冊目が直球で答える本
2冊目が変化球で答える本

そして3冊目は、
その話を聞いていて、思う浮かぶ1冊。

この本は、話とまったく関係のない1冊であることが多い。
でも、思い浮かんじゃう1冊。

これを選んでいるのは、誰なのか。
「本の妖精」の仕業だと思う。

その日、その場所、その瞬間に
居合わせたふたり、あるいはその周りに
いる人たちが呼び寄せた本の妖精。

それはもちろん、
「魔法をかけられた」本棚に潜んでいるのだけど、
それが顔を出すんじゃないかな、と。

いい本屋さんには、
魔法をかけられた棚と棚のあいだを、
本の妖精がふわふわただよっている。

だから「本の処方箋」じゃなくて、
「本の妖精使い」なんです、本当は。

まあ、おっさんが言うとちょっと恥ずかしいね。  

Posted by ニシダタクジ at 08:08Comments(0)

2017年10月24日

よそみとよりみち

よそみとよりみちをつくる。
それが、本と本屋さんの機能。

最短距離で人生を歩かないこと。
ほかにも世界がたくさん広がっているっていうこと。

それって意外に、
大学生だけじゃなくて、
全世代に必要なことかもしれない。

それへの近道が(なんか矛盾してるけど)
本を読むことであって、
本屋に行くことなんじゃないかなあと。

ほかにも、
旅をすることや人に会うこと。

本が「よそみ」で
旅が「よりみち」なのかもしれない。

人生には、
よそみとよりみちが必要なのかもね。

あなたのよそみとよりみちの機会提供。
それが、本のある空間の魅力なのかもしれません。

そういう意味では、
谷根千ってとっても素敵な本のある空間ですね。

11月11日の「Dive in Books」の
前夜祭でお話することになりました。

よりみち、してみませんか?
http://diveinbooks.wixsite.com/diveinbooks  

Posted by ニシダタクジ at 08:12Comments(0)

2017年10月14日

リスペクトとパートナーシップ


「ラブ、ピース&カンパニー これからの仕事50の視点」(楠本修二郎 日経BP)

なんか、本質的。
チーム作りに関しても、とっても響くことがたくさんあった。

~~~ここから

僕たちはいつも仲間とカフェで遊び、カフェで学んで来ました。
今度はそこを仕事場にする。ならば、
「遊び=学び=仕事」が連動する会社。
それを目指そうと思ったのです。

普段の生活の中にこそ、可能性やアイデアが満ち溢れているのであり、
オンとオフを切り替える必要は本来ないと悟ったのです。

クリエイティブな環境を創ると、人のパワーは炸裂する。

1 相手との共通点を見つけたら、心から喜び合うこと。
2 相手が自分と違うと感じたら、そこをとことんrespectすること。

~~~ここまで

なるほどね。
ほんとそれだわ。

仕事を学びにし、遊びにする。
そんな感覚。

「パートナーシップ」(協働)
を考える上で、リスペクトは欠かせないなと、

そしてそれこそが、
クリエイティブの源泉なのだろうと。

パートナーシップを機能させるために、
リスペクトという基本姿勢が必要なのだろうなと思いました。  

Posted by ニシダタクジ at 08:54Comments(0)

2017年10月12日

「共感」、「共有」、「共振」が起こる本屋


「ラブ、ピース&カンパニー これからの仕事50の視点」(楠本修二郎 日経BP)

心躍るビジネス書に出会いました。
WIRED CAFEなどを手掛ける「カフェ・カンパニー」の社長の本。

「ワイヤード」って
「ワイヤレス」に対応する言葉だったのだと
今さら気がつきました。
ワイヤードカフェ=つながるカフェってことですね。

そして、
この本がとっても素敵なのだけど、
一部だけご紹介。

P64の「13スタイルがコミュニティを創る」より。

~~~ここから抜粋して引用

「カフェのある風景を創ることで、
感性豊かなライフスタイルを創造し、
活き活きとしたコミュニティ型社会を実現する。」
これがカフェ・カンパニーの使命であり、存在意義でとして掲げています。

価値観や趣味性に感じ入ることで人が集まる
‐そこには「共感」があります。

それを相手と分かち合いたくなる
‐「共有」が起こります。

魂が震え、そこから新しいアクションが起こる。
‐これが「共振」です。

共感、共有、共振が生まれる舞台、
それがカフェだと僕は考えています。
コミュニティとは、人の生き様に魂が震えて、
初めて生まれるものです。

僕がライフスタイルという言葉を使うときは、
その人にとっての「生き様」「生き方」という
意味で使っています。
結果として、カフェは訪れた人の生き方に
大なり小なりの影響を及ぼしていきます。

今は、モノはモノとして売れません。モノがきっかけとなって、
人と人とがふれあい、何か共感が生まれたときにモノが売れる。
そういう時代になってきたと思います。

「売り場」から「買い場」へ、
「買い場」から「集い場」へ。
コミュニティ型消費ともいうことができるでしょう。

そしてそこには必ずスタイルへの共感があるのです。

style makes your community

これも、僕たちカフェ・カンパニーが
とても大切にしている言葉です。

スタイルなきところに共感は生まれず、
共感なきところにコミュニティは生まれません。
そして、そこから起こる共振、
魂の震えるアクションによってこそ、
新しい価値が生まれます。

~~~ここまで抜粋して引用

うわ~。
そうです、そうです。
そういう店をやりたいんです!

この4ページだけで、
この本を買う価値があるのではないかと。

共感、共有、共振。

それには頭で考えるだけじゃなくて、
心で感じないといけないのだなと。

スタイル=生き様、生き方。

バイブレーションが起こるような、
人生を生き、場をつくり、新しい価値とアクションを起こしていきたい。
それが、お店の使命です。

僕がやりたい本屋は、
実は機能としては、カフェなのだと思っていたけど。
http://hero.niiblo.jp/e208716.html
(2012.10.28)

それがより言語化されたように思います。

「共感」、「共有」、「共振」が起こる本屋。
そんなの、あなたも始めませんか。  

Posted by ニシダタクジ at 08:10Comments(0)

2017年10月05日

天職は、「たどりつく」もの


「クランボルツに学ぶ夢のあきらめ方」(海老原嗣生 星海社新書)

昨日の夕方買って、
今朝の電車の中とひとり朝活で読了。
薄いけど、エッセンスは詰まっている。

クランボルツ博士の「計画された偶発性理論」。
「キャリアデザイン」と対比され、「キャリアドリフト」とも呼ばれる。

そんなクランボルツ理論の真髄を
雇用ジャーナリストの著者的に解読した1冊。

・好奇心
・持続性
・柔軟性
・楽観性
・柔軟性

というのがクランボルツ理論では大切にされているが、
それを

好奇心(面白い)→
冒険(やってみよう)→
楽観(大丈夫)→
持続(納得いくまで)→
柔軟(テングにならない)

という流れに並べなおす。
なるほど。

夢にはこだわりすぎない。
偶然をつかめば、いつでもまた見つかる。

それだけが
突出して語られる計画された偶発性理論だが、
それだけなら、夢で成功する人など出ないことになる。

そこで第二原則
「夢はけっこうかなう」というのが出てくる。

スタートラインにさえ立てば、2~3割の人は
成功する、というのをお笑い芸人をモデルに説明する。
これ、なかなかリアルで面白かった。
長く続いているお笑い芸人やミュージシャンは、
同級生なことが多い。なるほど。

で、どっちやねんってなると
第三原則、夢はしっかり消化しろ、消化して次にいけ。
つまり夢を「代謝」することだと。

バスケのスター選手だった
マイケルジョーダンが大リーグに
挑戦したことなどから、あげられている。

つまり、
夢を持ち、チャレンジし、それを代謝していれば、

いつのまにか、「かなう」夢に行き着く。

夢はかなえるものでも、
見つけるものでもなく、
見つかるもの。

なるほど。
そうだなあって。

僕もクランボルツ理論に出会ったときに思ったのは、
ホスピタルクラウンの大棟耕介さんの話。


病気で長期入院中の子どもに、クラウンをして、笑わせる。
それはクラウンを本業としている大棟さんの
もうひとつの顔だ。

大棟さんはもともと鉄道会社に就職していて、
そこからクラウンに転職するわけなのだけど。
まさにクランボルツ博士的にはキャリアドリフトを生きている。

そして、ホスピタルクラウン自体は、
子どものころになかなか目指せるものじゃない。
そしてそれはボランティア活動であって、
いわゆる仕事ではない。

でも、たくさんの子どもたちを笑顔にしているんだ、
大棟さんは。

天職は、目指すものじゃなくて、
たどりつくものなんだって思った。

夢はかなえるものでも
見つけるものでもなく
見つかるもの。

それと似ているなって思った。

「たどりつく」まで、旅をしてみよう。
そんな風に思った1冊でした。  

Posted by ニシダタクジ at 08:23Comments(0)

2017年09月27日

本屋ゼミ、始めます

八戸で出会った大学3年生に
盛岡のORIORIでおすすめ本を紹介した。

これから就活なので、読んでおいたほうがいい本。
浮かんだのは、クランボルツ博士のキャリアドリフトと
西村佳哲さんの「自分をいかして生きる」

そして、言われたのが
定期的に紹介してほしいのだという。
近くにいたら、いくらでもやるのだけど。
関西から来ていたので。

ちょっと待てよ。
定期的に本を紹介する?
大学生向けに?
それ、いますぐできるじゃん。
ブログ上でもできる。

ということで、本屋ゼミ、始めますよ。
サブタイトルは「本と人と旅から始まるリベラルアーツ」
とかにしようかな。
旅していくの、全国。
名付けて、「旅する本屋ゼミ」。

うん、いい。
川喜田二郎先生の「移動大学」の
めっちゃ小さいバージョン。

テーマを決めないとな。

「自由」
「学び」
「対話」
「世界」
「自分」

「はたらく」
「くらす」
「食べる」
「つくる」

とか。
10個目思い浮かばない。
誰か、いいテーマがありましたら、募集します。

って考えつつ、過去のブログの本の紹介見てたら、
http://hero.niiblo.jp/e485015.html
パスを受ける準備はできているか?
(2017.6.9)

~~~「せいめいのはなし」より引用

サッカーやラグビーのようなボールゲームには
太古的な起源があると思うんです。よくできている。
人間が営むべき基本的社会活動の原初的な構造を持っています。

与えられたものは次に渡さなければならず、
渡すときにできるだけ多様な形の、自由で、
ファンタスティックで、予想を裏切るようなパスを
しなくてはいけない。

ボールをもらったらワンタッチで次にパスしなければいけない。
だから、パスをもらってから、そこで「次、どうしようかな」
と考えていたら間に合わないのです。

ふだんからずっと考えていなくちゃいけない。
いつもいつも「いまパスをもらったら次にどうパスしようか」
を考えている。

贈り物の受け手がどこにいて、
どんなふうに自分を待っているか、
自分がもらったら遅滞なく次に渡す相手に
あざやかなパスを送ることだけを
日々、考えているような人こそが、
贈与経済の担い手になりうる人だと思うのです。

与える先は、ボールゲームと同じで、
「その人の前にスペースが空いている人」です。
次にパスする選択肢がいちばん多い人。
ボールゲームでは必ずそういう人に向けて、
パスが送られる。

もらったボールを退蔵する人や、
いつも同じコースにしかパスを出さない人の
ところにはボールは回ってこないんです。

そういう点で、
ボールゲームの意義は、人間の経済活動の、というよりも
社会を構成していくときの根本原理が
書き込まれているんじゃないかとぼくは思っているんです。

~~~ここまで引用

うんうん。
やっぱそうだな。
10個目は「おくる」だな。

「ラグビーはなぜ、後ろにしかパスを出せないのか。」
そんな問いを考えてみたい。

そんな感じで、「本屋ゼミ」、始めます  

Posted by ニシダタクジ at 08:18Comments(0)

2017年08月30日

「ワークショップ」ってなに?


「かかわり方の学び方」(西村佳哲 ちくま文庫)

何度読んでも、新鮮。
「鮮やか」という言葉がしっくりくる。
原典と呼べるような1冊。

「ワークショップ」という言葉について
考えてみる。

以前にも何度も考えているのだけど、
(昨日のブログの引用)
あらためて、いま、ワークショップを考えてみる。

都留文科大学の高田研さんに西村さんが聞くような
形で進む第2章「ワークショップとは何か?」

大量に廉価な商品を生み出すことを目指す「工場」(ファクトリー)に対して、
小さな空間で手作業で行われる「工房」(ワークショップ)

それはアメリカの工業化が始まり、
ヨーロッパに代わる世界の工場として繁栄した
19世紀後半に生まれてきた。

システムが中心で、それに人間が従って
生きてゆくような空間(典型的な工場)ではなく、
人間を中心とする場を社会の中で取り戻していきたいという期待。

ファクトリー(工場)の特性は、
「何をつくるか?」があらかじめ決まっている
そしてそれを効率よく、高精度に、間違いなく生産するための
ラインが設計され稼働する。

一方ワークショップ(工房)では、
「何をつくるか?」があらかじめ決まっていない
少なくとも設計図のたぐいはない。
そこには素材があり、道具があり、
「すこしでもいいものをつくりたい」意欲を持つ
職工が集まって、互いに影響を与えながら働く。

そしてつくり出すべき「なにか」が、
その場で模索されてゆく。

ファクトリーは量産するが、
ワークショップは量産のための空間ではない。

前者(ファクトリー)おいて失敗はあってはならないもので
決して望まれないが、後者(ワークショップ)では、
失敗はむしろ重要な手がかりで、いい失敗を
積極的に得るべく試作が重ねられる。

ファクトリーは、システムを所有し、管理する側が
大きな影響力と権限を持つ社会を象徴している。
その発展は、素人より専門家が、
生活者より消費材を供給する側が
よりパワフルな社会の深化でもあった。

一方ワークショップでは、一人ひとりの
個人が中心で、権限も分散している。

こうなると、
完成系が決まっているものは、
「ワークショップ」とは言わない。

手作りで何かをつくるだけでは、
それは「体験型セミナー」や「講習会」だ

資本主義を使い回してきた先進諸国は、
後者(ファクトリー)の最終段階にあると同時に、
前者(ワークショップ)の端緒についているように見える。

20‐80の法則(パレートの法則)
最初の2割の時間で成果の80%が出る。
しかし儲けが出るのは、
最後の20%を詰めていくことだ。
日本社会はそこに最適化してきた。

そしていま、人件費で
アジア諸国にその座を明け渡しつつある。

ワークショップの本懐は、
あらかじめ用意された答えはなく、
それを模索していくプロセスにあるのではないか。

なるほどね。
すべての場はワークショップになり得るな。  

Posted by ニシダタクジ at 07:37Comments(0)

2017年08月11日

「新しい」に価値はあるのか?

ツタヤの増田さんの本2冊。


代官山オトナTSUTAYA計画(増田宗昭 復刊ドットコム)


TSUTAYAの謎~増田宗昭に川島容子が聞く(川島容子 日経BP)

蔦屋書店という本屋がどうかっていうのはおいといて、
増田さんの考えはすごいなあって思う。

2冊を並行して読んでます。
やっぱり伸びる企業の経営者の頭の中は、
先を見ているし、本質をついているなあと。

~~~以下メモ(2冊ランダム)

効率を求めることと、人が幸せになることとは違う。

ひとりの企画屋として、人の幸せを考え直さなければならない

人がリアル店舗に行くのは、そこに行ってライブでワクワクしたいからでしょう?

蔦屋家電は、ワクワクする生活を送ろうというテーマのもと、
100本の読みたくなる特集記事を作る雑誌みたいなお店と言えるのです。

ちゃんとブランディングするためには、
空間と時間とをお客さんと共有できるかどうかが重要なわけ

CCCは本ではなくて、企画を売っている。

世界初を目指してはならない。
新規事業であるとか、世界初の試みであるとかを目指すと、そこに陥穽が隠されている。
それらは企画サイドからの勝手な押し付けであって、
顧客にとっての価値とは何か、という問いかけが欠けているからだ。

企画にとって最も大切なことは、顧客価値の上に立脚することだ。
これは絶対の原則といえる。

何か新しいことをして、他社との差別化を図らなければいけないなどと思って、
深夜までの営業をしたわけではない。
差別化を、って事業者側の勝手な理屈だからね。

世界初、新業態、新発想・・・すべて店の側の論理でしかない。
現場、すなわち顧客が実際にいる場所に立って、
その人たちにとって価値あることは何かを考え抜くことからしか、
本当に力のある企画は生まれてこない。

新業態は目的ではなく結果だ

~~~ここまでメモ

そうそう。
そうそう。

なんていうか、当たり前中の当たり前を
いざ、文字にされるとドキッとするね。

「ビジネスプランコンテスト」
で問われるのは、

「新規性」や「差別化」
なのだけど。

それって事業者側の勝手な都合なんじゃないの?
って増田さんは問いかける。

TSUTAYAは、
新しいからレンタルと本を一緒にしたわけじゃないよって
差別化をはかるために、深夜まで営業したんじゃないよって。

ライフスタイルの提案をお客が待っていると思ったからであり、
レンタルというのは、所有の概念を変えていくから、
深夜までの営業にしたんだよと。

ほんと、その通りすぎるよ。

増田さんが言うように、
「企画にとって最も大切なことは、顧客価値の上に立脚することだ。
これは絶対の原則といえる。」

これですよ。これ。

あなたのその企画は、
顧客価値に立脚していますか?

「新しい」とか「コラボ」とか「地域で大学生が」
っていう顧客不在の何かから始まっていませんか?

やっぱり、ドラッカー先生の出番だわ。  

Posted by ニシダタクジ at 08:52Comments(0)

2017年08月08日

発酵人であるということ



その界隈で熱烈な支持を受ける「藤原印刷」(長野県松本市)
http://www.fujiwara-i.com/

アルプスブックキャンプで伊藤くんにご紹介いただいた
藤原印刷・弟こと藤原章次さんをたずねて、
神保町近くの藤原印刷に行ってきました。

なんていうか、もう、カッコよかったっす。
印刷屋さんってそこまでできるのかって。

本をつくる、っていうのは
作品をつくるってことなんだって。

紙一枚でこんなにも変わるんだって。
思いを込められるんだって。

「本をつくるってなんだよ??」
って強烈な問いをもらった。

印象に残った藤原さんの一言。

「それって、作品って言えるのかな。」

そうなんだよね。
藤原さんのつくる印刷物は、本であって、本ではない。
作品なんだよね。

だから、紙1枚を考え抜いて、
作り手と一緒に感じあって、紙を選び、印刷していくのだろう。
藤原印刷の「心刷」に少し触れた気がした。

そんなタイミングで読んでいたのがこの本。


「発酵文化人類学」(小倉ヒラク 木楽舎)

これがなんともタイムリーでシビれまくりました。
圧巻だったのは、藤原印刷に向かう電車の中で
読んでいて、思わずツイッター上で取り乱してしまった、
第5章「醸造芸術論~美と感性のコスモロジー」。

そう、それっす!
あまりにも今考えていることとのシンクロがすごかったので、
びっくりしました。

~~~以下一部引用

写真技術が誕生したことによって、
「客観的視覚表現」は写真家の領域となった。
すると画家がやるべきことは「主観的認知」を表現することになる。
これは言い換えれば「普遍性を捨てる」ということを意味する。

万人にとってのリアルではなく、自分という唯一無二の存在が
「その時、その場所で」感じた一度限りの身体感覚を、
同じく唯一無二の存在である他者の身体感覚に
伝達するという「感性のインタラクション」への挑戦だ。

この瞬間に芸術は「静的な真理」を追い求めるものから
「動的な感性」をインスパイアするものへとパラダイムシフトしたのであるよ。

つまり、ルノワールの絵を見るということは、
ルノワールが自然をどう認知しているのかという
「他人のセンスのありよう」を覗き込んでいるということになる。
そして同時に「他人のありよう」と「自分のありよう」の
ギャップを埋める努力こそが「アートに触れる喜び」なんだね。

つまり。時代や文化を超えて、自分と違う誰かとつながること。
自分と違うやり方で世界を見ている人とわかり合うということ。
他ならぬ自分にとっての「自然」を見つけること。
この瞬間に、自分の存在が肯定される。同時に外の世界とつながる。

ルノワールのいた19世紀のパリで浴びている木漏れ日は、
同時に自分が友人たちと過ごした代々木公園の木漏れ日でもある。
この時に、僕は時空を超えてルノワールと一緒にいる。
そよ風を感じながら、2人でナイスなワインを飲んでいるのさ。

僕にとって、お酒を飲むのと絵画を見るのは同じような喜びだ。
絵画では視覚に主眼が置かれるが、お酒では味覚や嗅覚に主眼が置かれる。
しかし「感性のインタラクション」という意味では一緒なのだね。

優れたワインや日本酒を飲むということは、それを醸した醸造家と
対話するといういうことだ。
醸造家がどのように土や水を見つめ、
どのように温度や風を感じ、どのように微生物たちと向き合い、
どのようなセンスで味と香りをデザインしたのか。

実際には目の前にいないのに、醸造家はそこにいる。

~~~ここまで引用

この後、この本で一番膝を打った
読者モデル=読モの三角関係について、
話が進んでいく。

消費者⇔メーカーの直線関係の
上に点を置いて、三角関係をつくることが必要だと
小倉さんは言う。

それはファッション界における「読モ」
のようなものだと。

作り手の事情も理解しつつ、
受け手の代表としての文化の「たしなみかた」
を提案するスターであること。

この読モを育て行くこと。
それによって三角形ができて、
コミュニケーションが循環し始めるのだという。

読モがいることによって、
消費者は「消費」をやめ「愛で」を始める。

うんうん。
いいねいいね。

そして、この後が熱い。

▽▽▽ここから一部引用

作り手だけでなく、受け手もアーティストなんだってこと。
ほんとはね。

その「愛でかた」もまたアート作品だ。
絵画が画家と鑑賞者のインタラクティブアート
であるように、酒は醸造家と飲み手の
インタラクティブ・アートだ。

お気づきだろうか。

アートの本質とは、表現そのものではなく、
表現をめぐる関係性なのだ。

普遍性なんて無い。
あるのは「その瞬間、その場所で」
他ならぬ自分が感じる「一瞬のさざなみ」だけだ。

△△△ここまで一部引用

うん。
そうなんだよね。
まさにそう。

そこで、藤原さんの話に戻ってくると、
本ってやっぱり「作品」だっていうこと。

その本が生まれた場所。
それはどこだろうか。
印刷屋さんの現場だ。

そんな匂いが感じられるような
本を作っていくこと。

なぜ、みんなが
藤原印刷を熱烈に支持するのか。

それはたぶん、
本が、著者と読者の直線的関係ではなく、
円環的にぐるぐるしていくものになっていくからだ。

そのプレイヤーのひとつに
印刷屋があり、本屋がある。

明治大学の小田切徳美先生が
地域にとってもっとも深刻なのは、
「誇りの空洞化」であると言っていた。

その円環をぐるぐるまわしていくこと。
そのものに、作品と呼ばれるような本の誕生があり、
それがプレイヤーそれぞれの「誇り」を生んでいくのだろう。

そんな場を生んでいく。
「発酵人」のひとりに僕もなりたい。

藤原さん、小倉さん、
熱いインスパイアをありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 08:53Comments(0)

2017年08月01日

出会うたんです

雑誌Re:S時代からファンだった
藤本智士さんにお会いできました。

そして、本を2冊購入。


「魔法をかける編集」(インプレス)


「風と土の秋田」(リトルモア)

もう、すごい本です。
ゾクゾクします。

買いです。
買ったほうがいいです。

特に、地域に取材系の
インターンに行く大学生には
激おススメの1冊です。

トークは60分のうち15分くらいしか聞けなかったのだけど、
ハイライトを押さえた気がします。

「のんびり」で特集した寒天の話。
寒天屋さんの営業部長が秋田で泣いた話。

そして、
取材に行くときには、何を取材するか、
ゴールを決めて行かないということ。

「風と土の秋田」で寒天の章を読み直して、
そのすさまじい「予測不可能性」に
身悶えしてしまうほどに楽しい1冊です。

僕がいま、考えていることに
確信を与えてくれた出会いと2冊の本となっています。

お客から始まるフラットな関係性。
「ひとり」対「ひとり」から始まるということ。

たとえば、インタビューについて
書いてある以下の一節。

~~~ここから一部引用

インタビューとはいえ、あくまでも
普段の会話と違いはない。

話してくれる相手に、
逆に自分はどんなおみやげを置いていけるか。

インタビュアーであるあなたが
インタビュアーのままであるうちは、
その原稿は、どう頑張っても、
取材相手の演説から脱せないんです。

しかし、インタビュアーのあなたが、
まるで対談相手のようになって会話ができれば、
別に紙面にあなたの写真が出てこなくても、
意外と読めるインタビューになってるはずです。

そうやって生まれた言葉たちは、
インタビューと言いながら、
その実、自分との関係性でともに生み出した
クリエーションであることを
誰よりもあなたが知っているわけです。

~~~ここまで一部引用

うわ、それだわ!って。

インタビューっていうのは、
相手と自分の関係性によって
つむぎ出せれる何かなんだなと。

藤本さんは
ライター依頼があまりにも、
決められすぎていて、どうにもしっくりこなかったのだという。

雑誌であんこ特集やるので
この有名店の大福を取材してださい。
字数はこれくらいで、
写真はカメラマンさんが取れますから。

そんな取材に行くとき、
藤本さんは、お休みだったらいいのになあ、とか。
大福が美味しくなかったらいいのに、とか。

いろいろ考えちゃうらしいです。

で、たとえば
「みたらし、すごい美味しかったんですけどどうですかね?」
とか言ってみたり。(当然却下。笑)

予定通りに取材して、オーダー通りに記事書くだけなら、
「俺じゃなくてもいいやん」
ってそう思うんだそうです。

だから、
「Re:S」も「のんびり」、も
台割(ページをどのように構成するか)
がないのだといいます。

すごいなと。

いま、この瞬間、自分にしか書けない記事。

というか、
この場、この瞬間の「予測不可能性」にあふれた
何かを、文字化していくこと。

「風と土の秋田」のマタギの言葉を
借りれば、「授かりもの」としての
記事を書いているんだあと。

地域の人にインタビューする人には、
ぜひとも、心に置いておいてほしい1冊です。

最後にもっとも印象的だった一言を
「のんびり」を作成するとき、
秋田県庁の人に、

「どうしてこの酒蔵だけ載せるんですか?」
「ほかの酒蔵もいいところいっぱいありますよ。」

と言われたのだそうです。
(言われそうです。)

その時、藤本さんはこう答えるのだと言います。

「出会うたんです。(関西弁で)」

僕がこの酒蔵を記事にしたい理由、
それはたったひとつ、出会ったから。

地域インターンのプログラムで、
地域の人にヒアリング(インタビュー)をする。

その目的は、
売るための商品づくりをしたり、
聞き書きをまとめた冊子をつくったりすること。

しかし、そこを取材の出発点にしないこと。

もっともっと感性を解き放ち、
「ひとり」に出会うこと。

どうしようもなく心が震えて、
「伝えたい」「届けたい」と思うこと。

なぜ、この記事を書こうと思ったんですか?

という質問に
「出会ったんです。出会ってしまったんです。」

と答えられるような
地域取材をしてほしいと思います。

僕にとっても、
人生を大きく動かす2冊の本との出会いと
なりました。
藤本さん、菊地さん、素敵な出会いをありがとう。  

Posted by ニシダタクジ at 08:26Comments(0)

2017年07月22日

本との出会いかた

1冊の本との出会いが人生を変える。
本屋には新しい人生が転がっている。

2009年。
ホスピタルクラウン1点、64冊から
スタートした僕の本屋さんのテーマ。

でも。
それって、本屋サイドからの考え方かもしれないな。

この本を待っている人に届けたい。

そのとき。

その「この本を待っている」人
は、どうやってその本に出会うのだろうか。

友達と待ち合わせをしていたルミネのブックファーストか、
それとも本はここで買うと決めているお気に入りの本屋さんで、か。

もしかしたら、普段は本屋にはいかなくて、
友達がツイッターでつぶやいたのを見て、
ほしくなるかもしれない。

まずは友達から借りるのかもしれない。
それでよかったら買ってみるのかもしれない。

そこまで想像して、
本をつくるところから始めるっていいかも。

どの店に、どんなふうに並んでいたら
手に取るだろうか。

どんな表紙、どんな背表紙で
惹かれるのだろうか。

本屋でその本を手に取ったとして、
どこから読み始めるだろうか。

まえがきからかあとがきからか。
まずはじっくりと全体をパラパラするのだろうか。

そんな本との出会いかたそのものが
価値になっていく、そんな気がする。

そのひとつが本の処方箋なんだよね、きっと。

あなたの悩みを聞いて、本を処方します。
そうやってコミュニケーションしながら、本と出会っていく。

7月29日(土)
アルプスブックキャンプ@信州木崎湖で、「本の処方箋」やります。

  

Posted by ニシダタクジ at 05:20Comments(0)

2017年07月20日

政治空間と貨幣空間のあいだ


「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」(橘玲 幻冬舎文庫)

前から気にはなっていたのだけど。
やっぱり面白いっす。

第2章 自分は変えられるか

これは大学生は読んどいたほうがいいかも。

引き寄せの法則の法則とか。

元祖自己啓発の
ナポレオン・ヒルの本を出した田中さんの話とか。

20世紀少年や木更津キャッツアイの背景とか。

ここで
面白いのは、
愛情空間‐友情空間(この2つを合わせた「政治空間」)‐貨幣空間

の図解。

世界は、貨幣空間に覆われているが、
ひとりひとりの人生的には
愛情空間と友情空間の割合は大きい。

そして
政治空間と貨幣空間ではルールが違う。

~~~ここから引用

政治空間の基本は、
敵を殺して権力を獲得する冷酷なパワーゲームだ。
それに対して、貨幣空間では、競争しつつも契約を尊重し、
相手を信頼するまったく別のゲームが行われている。

人間社会に異なるゲームがあるのは、富を獲得する手段に、
①相手から奪う(権力ゲーム)
②交易する(お金儲けゲーム)という二つの方法があるからだ。

政治空間の権力ゲームは複雑で、
貨幣空間のお金持ちゲームはシンプルだ。
誰だって難しいより簡単なほうがいいから、
必然的に貨幣空間が政治空間を侵食していく。

~~~ここまで引用

これらを
社会心理学者ロバート・アクセルドットの行った
「囚人のジレンマ」実験から、
「しっぺ返し戦略」が有効であることを実証した。

つまり、
まずは相手を信頼し、行動し、結果が出たら、
その後は相手の信頼度に合わせて、
自分もふるまうということである。

なるほど。

さらに社会心理学者の山岸俊男のいうように、
市場の倫理と統治の倫理の違いを語り、

それが日本社会にどのような影響を及ぼしているか、
を示している。

学校社会は統治の倫理が作用し、
しかし、グローバル化されたビジネス社会は市場の倫理で
動いている。

その狭間にいるのが僕たちである。

そっか~。

そこに生きづらさや働きづらさ、
学校や企業の息苦しさのヒントがあるような気がします。

政治空間と貨幣空間のあいだ。

それを揺れ動いているのですね、大学生は。  

Posted by ニシダタクジ at 08:23Comments(0)