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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2017年04月30日

「近代」という「旧パラダイム」


「サヨナラ、学校化社会」(上野千鶴子 太郎次郎社)

読み終わりました。
いまこそ、読むべき1冊でした。

ラストの第7章 ポストモダンの生き方探し
には、大学生世代への熱いメッセージが込められています。
これが15年たった今でもまったく色あせないものでした。

「偏差値の呪縛から自分を解放し、
自分が気持ちいいと思えることを自分で探りあてながら、
将来のためではなく現在をせいいっぱい楽しく生きる。
私からのメッセージはこれに尽きるでしょう。」

という一文から始まります。

~~~ここから引用

歴史はつねによい方向に進歩している。
いまガマンすれば、明るい将来が開ける。

現在は未来に備える時間としてのみ意味をもつ・・・。
どうしてこんな無邪気な神話が信じられたのか、
いまとなっては不思議というしかありませんが、
人びとは進歩と成長のイデオロギーに駆られて、
ひたすら走り続けてきました。

フェミニズムや女性運動が、新しい社会運動として
登場した意味は、じつに大きかったと思います。

それまで運動とは、将来の革命の目的のために
現在の苦難に耐えるものでした。
しかし、フェミニズムはそんなヒロイズムを
男性性のシンボルとして批判し、否定しました。
闘いは日常のなかに、ありていに言えば、ベッドのなかにだってある。

日常にとってヒロイズムなど邪魔なだけです。
日常とは、きのうのように今日も生きること。
だから今日の解放がなくて明日の解放があるわけがない。
フェミニズムはそう言ったのです。
それは戦後社会運動の巨大なパラダイム転換でした。

近代とは、「いま」を大事にしてこなかった時代です。
逆にそれを、現在志向とか刹那主義といっておとしめさえしてきた。
そして、将来のためにいまを営々と刻苦勉強し、「がんばる」ことを子どもたちにも要求してきました。

「そんなことで将来どうするの」「大人になったらどうするの」と、
つねに子どもは「将来」から脅迫され、いまを楽しむことを許されませんでした。
現在を奪われた存在、それが近代の子どもたちだったのです。

これまでは、仕事による自己実現が価値あることとされてきた時代でした。
しかし、自己実現の喜びを味わえるような仕事に、
すべての人がめぐまれるわけではありません。
ほとんどの仕事は、他人のために自分がしたくないことをやってあげて、
そのかわりに報酬を受け取るものですから。

そうすると、仕事の優先度を下げて、
自分の人生におけるシェアを減らし、
逆に自分にとって優先度の高い活動
―たとえ金にはならなくても―
を人生のメインにもってくるという選択肢もあるでしょう。

階層化とはべつな言葉で言うと、選択肢と文字の多様化であり、
おたがいが一元尺度で競わないし、競う必要がなくなる社会になることです。

身分制社会とはそういうものです。
士農工商の身分ごとにライフスタイルがあって、
おたがいにその垣根を超えないように
統制されていた。

それが崩れて、みんなが一元的に武士階級のまねを
し始めたのが日本の近代化でした。

それを梅棹忠夫さんはサムライゼーションと呼びました。
日本の近代化にもう一つべつの選択肢があったとしたら、
それはなんだったか?

梅棹さんはそれをチョーニナイゼーションと名づけました。
金と権力に価値を置かず、宵越しの金を持たない
現在志向の町人的ライフスタイルです。

だれだって努力しさえすれば、金と権力が手にはいるという、
国民総サムライゼーションの幻想に巻き込まれて
馬車馬のように走らされてきた近代150年が、ようやく転換を迎えています。
いいことではありませんか。

ブルデューは、
学校が優勝劣敗の競争敗者に自分の劣位を
納得させるためのふるい分けの装置だと論じたさいに、
あわせてひじょうに皮肉なことを言っています。
「教育年限の延長というものは、二流のエリートに自分の二流性を
納得させるまでにかかる期間の長さである。」と。

対抗組織というのはそれが敵対していたはずの支配的社会を、
きづいたらそっくり模倣してしまっていることがあります。

学校的価値を遠く離れたつもりのサティアンのなかで、
もうひとつの学校をつくってしまった。
そして社会を現実におびやかしてしまった彼らは、
二流エリートの典型的な行動パターンだと言えるでしょう。

しかし、それはひとりオウムの若者たちだけではないはずです。
自分で自分の評価ができない、他人の目でしか自己評価できない
従属的な意識は、学校で叩きこまれてきた習い性のようなものです。

しかも、「だれかのために」「なにかのために」という
大義名分がないと、自分を肯定したり評価したりすることができない。

他人の価値を内面化せず、自分で自分を
受け入れることを「自尊感情」といいます。
オウムの若者たちは、この自尊感情を奪われた若者たちでした。

ならば自尊感情はだれが植えつけてくれるのか。
他人から尊重された経験のない人は自尊感情をもてない。
―これはフェミニズムがずっと言ってきたことでした。

エリートたちが育った学校は、彼らの自尊感情を根こそぎにした
場所でもありました。
学校が自尊感情を奪うのは、劣位者だけとはかぎりません。
学校は優位者に対しても、彼らの人生を
なにかの目的のためのたんなる手段に変えることで、
条件つきでない自尊感情を育てることを不可能にする場所なのです。

フリーターを非難したり、心配する大人たちは、
正規雇用というパイが一生に渡って保証される、
日本史上でも稀有な時代を生きた幸福な人びとです。

専門家になるというのは、分業構造の中で自分を
手段的な部品に変えていく、近代社会に特有の生き方です。

「持ち寄り家計」
「マルチインカムのセルフエンプロイド」
「フリーターではなくフリーランス」

仕事を手段としてではなく、自分たちの楽しみや生き甲斐とし、
仕事もやりほかのこともやる、そのために選んだワーカーズ・コレクティブ
という働き方なのですから、仕事を増やすことはありません。

「ゴー・バック・トゥ・ザ百姓ライフ」
「ひゃくせい」とは、もともと
「くさぐさのかばね」を指し、
多角経営の自営業者を意味しました。

現金収入・現物収入を自在に組み合わせ、
季節のサイクルに合わせて生業を組み立てる。
半農半漁の海辺の民などは、
農業収入の少なさだけに目を奪われていては
見誤るほどの、ゆたかで多彩な生活を送っています。
究極のサステイナブル・ライフと言えるでしょう。

人に言われたことばかりやって、人に頭をなでてもらう生き方と、
人に言われないことを勝手にやって、
自分で「あーおもしろかった」と言える生き方と、どちらがいいかです。

ほんとうに好きかどうかはやってみないとわからないでしょう。
やってみたら失敗もあります。失敗があればやり直せばいい。
それだけのことです。
そうやっているうちに、私はこれしかできない、と思うこともあるでしょう。
そのときは、その道一筋でやっていけばいい。

それでも、あれも好き、これも好き、といろいろなことに気が多かったら、
あれもこれもやったらいい。
それで食えることも食えないこともあるでしょう。
食うためには食うための仕事を必要なだけやればよい。
そのためには人さまにお役にたつスキルの一つや二つは
身につけておいてもよい。

大事なことは、いま、自分になにがキモチいいかという感覚を鈍らせないことです。
それこそが「生きる力」なのですから。

~~~ここまで引用

いやあ、また引用しまくってしまった。
ラストがアツイな、また。
渾身のメッセージだわ。

こう見ると、
「パラダイムシフト」というときの
「旧パラダイム」っていうのは、
大量生産・大量消費とか経済至上主義、とかじゃなくて、

「近代」という仮説そのものなんだと実感した。

上にも引用したが、

「近代とは、「いま」を大事にしてこなかった時代です。
逆にそれを、現在志向とか刹那主義といっておとしめさえしてきた。
そして、将来のためにいまを営々と刻苦勉強し、「がんばる」ことを子どもたちにも要求してきました。

「そんなことで将来どうするの」「大人になったらどうするの」と、
つねに子どもは「将来」から脅迫され、いまを楽しむことを許されませんでした。
現在を奪われた存在、それが近代の子どもたちだったのです。」

まさにここに生きづらさ、息苦しさの真実があるように思う。

夢はなんだ?
将来どうするの?
なんのためにやるの?

と聞かれ続ければ、
現在は未来のための手段であると思ってしまいます。

いまを生きること。
目の前を生きること。

そこから始まる。
ラストが、伊藤洋志さんの「ナリワイをつくる」(東京書籍)
を彷彿とさせて、ちょっとシビれた。

やっぱり、ナリワイ、小商い。
そして本を読むこと。
いまを生きながら、未来を創造していくこと。

昨日の大阪「こめつぶ本屋」ミーティングでは
学びの場としての「市」への出店が
なかなかいい線いっているなあと思った。


(昨日の寄贈本会の様子)

小商いをして、それを振り返る。
そんな場が生まれていくことで、
学びの意欲が湧き、仲間ができていく。

本をきっかけに
高校生にもそんな場が提供できたら面白いなあと思う。

上田信行先生のいう、「プレイフルラーニング」が
そこにあるような気がした。  

Posted by ニシダタクジ at 08:23Comments(0)

2017年04月28日

生産財としての学びと消費財としての学び


「サヨナラ、学校化社会」(上野千鶴子 太郎次郎社)

第4章 学校は授業で勝負せよ

いいですね。
ますます本質的です。

キーワード満載

前の章で、「産業資本主義から情報資本主義」
へと変わっていく後期資本主義の話が出てきます。
そこにつづいてのこの章。

~~~ここからメモ

教育とは、経済学用語でいうならば、
「人的資本への投資」です。

子どもたちは毎朝、カバンを持って通勤しているのとおなじです。
賃金を支払われないシャドウ・ワーカーが、学校在籍中の子どもたちです。

望ましい人的資本とはなにか?
あけすけに言えば「生産性が高い」ということです。

生産性とは、「情報生産性」のことです。

情報とは、すでにあるものとの違い、
既存のものとの「距離」のなかに生まれます。
これを「オリジナリティ」と呼びます。

「いけんがありませんか」というときには
「異見」と書くようにしています。

情報生産性の高い人材は、どのようにしたら生み出せるのか。
情報は差異からしか発生しません。

そのとき、落差のある生活世界とか価値体系を
どれだけ知っていて、自分のなかに
その落差のあるシステムをどこまで
取り込んでいるかが問われます。

落差のない生活をやっている人のなかには、
価値も情報も発生しません。

現にあるものとあなたはどのように違うか、
どう距離があるかということを許容する
教育カリキュラムをつくればいいのです。
そういうカリキュラムを日本の学校制度はもってきたでしょうか。
「人と違っていてもよい」といってきたでしょうか。

学校制度がこれだけの同調性を組織的に再生産しているならば、
それをどこかで根本的にひっくり返さない限り、
つまり他人と「違うことがよい」というしくみを
組織的につくっていかないかぎり、日本の高い人的資本率は
ムダ金、死に金、徒労に終わるでしょう。

私は三年生になって本郷に進学してきた学生に、
「一年間で解けそうな、かんたんな問いを立ててきてごらん。
自分で解ける問いを立ててごらん。」と言います。

人生とはなにかとか、
日本の社会福祉をどう構築するかとか、
とても解けそうにない大問題を立てない。

やりたいことよりも、できることを。
自分で問いを立て、自分で解く。
そしてどんなにささやかなものであれ情報の生産者になる。
―私はこの経験を、学生たちにさせています。

学位をとることがそのあとの職業の手段になるとしたら、
学位は生産財になります。しかし、手段にならないとしたら、
学位を得ることじたいが自己目的になります。
それが消費財としての学位です。

学歴が生産財化したのが近代という時代です。
教育が手段になりました。
みんな「~のための」という手段です。

ポストモダンとは、未来という進歩の神話が破産した時代です。
目的を失った社会にとっては、現在がいちばん大事。

大きな学校もいりません。
小さな学校でたくさんです。
知育・徳育・体育などとはいわず、
学校は分相応に知育だけをやればよい。

学校的価値を分相応に学校空間に閉じ込めて、
その価値は多様な価値の一つにすぎないという
異なるメッセージを、制度的に保障していく
仕組みをつくるべきだと思います。

それは多元的な価値をつくり出すことです。
学校ではない空間―「共」の空間を生み出すことにつながります。

「共」もしくは「協」の空間とは、パブリックでもなく、
プライベートでもなく、コモンな空間のことをいいます。

子どもたちには、家庭でも学校でもない、
コモンの場が必要です。

この幼児化は生活体験の狭さからきています。
学校と家庭、プラス塾・予備校、それ以外の空間を知らない。

それ以外の人間関係を知らない。
しかもその3つは、いまや学校的価値で一元化されています。
それ以外の価値、それ以外の生き方、それ以外の生存戦略を
知らないのです。

~~~ここまでメモ

本文中に、以下のような文があります。

遠山啓という人が
学校は「自動車学校タイプ」と「劇場タイプ」
になるべきだと言ったそうです。

自動車学校タイプは技術教育です。
劇場タイプの学校は消費財としての教育を楽しみに行くところです。

そういう意味では、劇場のような本屋は
本という投資の対象(生産財)である学びと
劇場という消費財的な得るものが混在している、
なかなかいい場所のような気がします。  

Posted by ニシダタクジ at 08:05Comments(0)

2017年04月27日

「多様な価値観」は「学校化社会」では学べない


「サヨナラ、学校化社会」(上野千鶴子 太郎次郎社)

駄菓子屋楽校を読み進めようと思っていたけど、
昨日のそもそも学校ってみたいなところから、
ちょっとこちらを寄り道。
こちらも駄菓子屋楽校と同じく2002年発行。

読み進めてみると、キーワードが
たくさん出ています。

「多様な価値観を」と言いながら、
大枠では「学校的価値」を最大に重視しているように
思う今日この頃。

上野さんから学んでみようと。

第2章「学校に浸食される社会」は冒頭、
「学校はなぜ試行錯誤を子どもや若者に許し、
彼らが失敗から学んで育つ場所とはなっていないのでしょうか。」
という問いから始まるのですが、これが鋭いのでメモします。

~~~ここからメモ

学校という制度は近代以前にはありません。
近代になってから新しくできた職業は、官員さんと社員さんと教員さん。
「員」のつく名の職業です。これは学校も教師も、
すべて近代の産物であって、それ以前には存在しなかったということです。

師匠がボランティア的に開設していた寺子屋と違い近代の学校は、
国家が整えたひとつの制度です。

学校に通うことが義務とされ、
子どもの数に見合うだけの教室が建てられ、
そこに配置するための何十万という教員の集団が
師範学校で養成され、国定の教科書を使い、
同じようなセッティングで授業が行われる、
そういうシステムが整えられました。

そして、そこを通過することで
人間がある規格にはめられ標準化される。
―それを最近は「国民化」といいますが、
生まれも環境もばらばらな人間を、
均質な日本国民に仕立て上げていく事業が行なわれました。

学校という空間が「近代」的だというのは、
国民化の装置だったということばかりを指すのではありません。
学校の中に流れているイデオロギーが、
まさに近代のイデオロギーそのものなのです。

学校という空間は業績原理、
つまり「やればできる」という価値が
一元的に支配しているところです。

この業績尺度も一元的で、成績、すなわち点数
というもので決まっています。
門地や身分という帰属原理とは異なる業績原理、
つまり点数が採用されたので、
「だれでもやればできる」というルートが開かれました。

競争に参加するかしないかという選択肢など成り立たず、
競争に参加することがあたりまえだと思われるようになりました。

ところが、
フランスの社会学者ピエール・ブルデューによれば、
学歴と階層とのあいだには深い関連があって、
高い学歴を持っている人が上層階層を形成し、
その子弟がまた高い学歴を身につける傾向があります。

したがって、ブルデューは
「学校とはもともと階層差のある子どもたちを
もとの階層に再生産するためのふるい分けの装置だ」と言っています。

学歴社会では、学校での成績によって社会に出てからの処遇が決まり、
地位や給料というかたちで階層差が生じます。

上の階層の出身者は学校での成績もよかったので、
社会に出てからも上の階層になる。
下の階層の出身者も結局下の階層に収まる。
この再生産のカラクリが、学校を通過することで正当化されるのです。

なぜ学校がこのような階層再生産の装置として
働かなければならないのか。
これは民主主義の社会が持っているある種のジレンマだといえます。

自由・平等の民主主義の社会とは、
じつはまったく平等な社会というわけではありません。
人間の社会は実際にはそれぞれ異なる処遇と
異なる権力を付与された人びとから成り立っています。

だから人はみな平等のタテマエにもかかわらず、
他人が自分より優位な立場にあるということ、
支配的な立場にあるということを、
下位にいる人間にみずから合意してもらわなければなりません。

みずから合意すれば、服従させるコストが安くてすみます。
これが近代というもの、民主主義というもののしかけです。

もし合意がなければ、
服従を求めるためには脅し・暴力・締めつけと
とても高いコストを支払わなければなりません。

学校というシステムを通った後の
シビアな結果を正当化するイデオロギーが
業績原理であり、優勝劣敗のイデオロギーです。
自由・平等・博愛の民主主義のタテマエと現実の
あいだのズレは、こういうしかけがないと、とてもじゃないが埋まりません。

優勝劣敗主義は「敗者の不満」とともに「勝者の不安」を生み出します。
低偏差値の集団にも高偏差値の集団にも、きわめて強いストレス負荷を
かけるシステムなのです。

上位者を上位へ、下位者を下位へ再生産するカラクリの中で、
学校が何をやってきたのかというと、学校的価値を再生産してきました。

学校的価値とは、明日のために今日のがまんをするという
「未来志向」と「ガンバリズム」、そして「偏差値一元主義」です。
だから学校はつまらないところです。

いまを楽しむのではなく、つねに現在を未来のための手段とし、
すべてを偏差値一本で評価すること学習するのが学校なのですから。

その学校的価値が学校空間からあふれ出し、にじみ出し、
それ以外の社会にも浸透していった。
これを「学校化社会」といいます。
そして「偏差値身分制」とでもいうものが出現しています。

「偏差値身分制」を内面化するということは、
自己評価の評価軸が学校的価値とおなじになるということです。
だから女の子や偏差値の低い男の子たちは二言めには、
「どうせオレらは」「しょせん私は」と言うのです。
これを「人間の学校化」と言うのです。

こうした偏差値一元主義の学校的価値の中で育った
子どもたちが、いま、世代を更新して親となっています。

いまや家庭も地域もすでに崩壊し、
子どもを評価するものは偏差値しかありません。

それ以前の時代は、学校的なできる・できないとは
ちがう価値観が親のがわに比較的はっきりあったために
教師の言うことと親の言うことが違うのがあたりまえだったし、
上級学校に進学する志向もいまほどは一元化されていませんでした。

高度成長の余波で階層差が縮小してきたこともあるけれど、
それが高校全入運動あたりから学校と
家庭のあいだにあった価値観のギャップが
どんどん縮小し、家庭の価値が学校的価値に浸食され、
学校的価値にもとづいて親が子どもを判定するという状況が生まれ、
それがいまに続いています。

「無条件の愛」などというものは、昔も今も、
親ではなく、おじいちゃんやおばあちゃんにしかなかったでしょうが、

昔は家庭には学校とは違う価値があった。
「おまえはお父さんの言うことさえ聞いてればいいんや、
学校の教師のいうことなんか聞くな。」と強制する親がいました。

学校とは違う価値、多元的価値というものが、
地域や家庭やさまざまな場所に生きていました。

子どもというものは、
自分の生存戦略を学んでいくものです。
こちらが具合が悪ければ、あちらに逃げ道があると思って、
おばあちゃんのところへ行くのです。

大人は一枚岩ではないのだ、
いろいろな価値観があるのだ、
親の言うことが絶対でも教師だけが正しいのでもない、
教師のもとで居心地が悪ければ、
用務員のおじさんのところや養護の先生のところへ行けば、
別の空間があるんだと、子どもたちは
自分の生存戦略をみずから見出していく生き物です。

ところがそれを八方ふさがりにして、子どもの退路を断つこと、
大人がよってたかってやっている。
自分と違うことを言う大人がまわりにいてやったほうがいいとは、
大人は思わなくなってきている。

いま流行りの学校と家庭と地域の「連携」など
ということも、私にはそのように映ります。

学校化社会とは、だれも幸せにしないシステムだということになります。

~~~ここまでメモ

うわ~、そうだなあって。

学校化社会、学校的価値の一元化って
誰も幸せにしていないな。

これ、日曜日にやったサードプレイスの話にもつながるけど、

「サードプレイス」は単なる場所じゃないくて、
学校的価値とは、異なる価値観(あるいは多様な価値観)が
に覆われる場でなければならないのだなあと思った。

そういう意味では、
いろんな店員が交代で店番をやる本屋は、
なかなかいい線いっている気がする。  

Posted by ニシダタクジ at 08:40Comments(0)

2017年04月26日

「学校」という輸入されたプラント


だがしや楽校の様子(2005.6)


「駄菓子屋楽校」(松田道雄 新評論)

読み進めていくたびに、ワクワクします。

今日は「店先学校」から。

「子どもたちが成長するにつれ
コミュニティの生活機能のなかに点在する
無数の小さな、学校でない学校で
補足せねばならない。」

「地域の商店街の八百屋や魚屋さんがもっていた、
買物や教育や散策やコミュニティの醸成といった
複合的機能は、見捨てられつつあります。」

なるほど
「店」は、学校でない学校だったんだな、と。

そして、この後、
議論は「店的人間」へと移る。

~~~ここから一部引用

同じように物を「見せ」る場所でも、
「店」と「博物館」は対照的な場所です。
通常、「博物館行き」と言えば、物の死を意味します。

また、人が出会う場所でも、
「店」と「学校」は対照的です。
店は消費者に主権がある「自由で開いた出会い」
であるのに対して、学校は教師が主権を持つ
「強いられた閉じた出会い」です。

物と人が両方存在するのは「店」です。
そういうことからも、「店」が最も
「生きた生活」を具現化している場所と
言うことができます。

もうひとつ、人が物を生み出す場所として
「田畑」があります。

この4つの場所
「田畑」「店」「学校」「博物館」は
そのまま人間のキャラクターになります。

ものをつくる「田畑型人間」(農家、職人、エンジニアなど)
交流し、物を流通させてお金を稼ぐことを志向する「店的人間」(商売人、起業家など)
規則にのっとり、組織運営を行うことを志向する「学校的人間」(公務員、サラリーマンなど)
人付き合いよりも物に固執して集めて分類整理する「博物館的人間」(研究者、趣味人など)

子どもの発達には、この4つの要素がすべて必要で、
子どもの環境にもこの四種の人々がいることが
望ましいのでしょうが、現代の日本社会には、
「店的人間」が最も欠如しているようです。

(中略)

「駄菓子屋」という「子どもみせ」は、
そのような「生きた学び」を体験するための
拠点だったのです。

~~~ここまで引用

なるほど。
店的人間か~。
僕のことや(笑)。

そういう大人が必要なんだな。
きっと。

そしてこのあと、
「学校の出現」という項に移る。

ここもなかなか衝撃

▽▽▽ここから引用

「モダンのアンスタンス―教育のアルケオロジー」(森重雄著)によれば、

「ここで私たちは、こんにちの私たちにはおなじみの学校や教室のたたずまいが、
じつは世界史上きわめて新しい建築物であり建築空間であったことを
思い起こさずにはいられない。

それはまず第一には、1530年のルターの説教に始まる
義務教育就学思想を、一人の人物(大人)が
おびただしい数の人物(子ども)を教えることができる
装置の開発というかたちで追求したラトケやコメニウスが、
その追求をつうじて17世紀にあみだした近代の特許的プラントであった。

このヨーロッパ大陸で生まれた「発明品」は
大英帝国の範図のなかで、ベル・ランカースターによる
エミュレーション、すなわち模倣を端緒とする技術革新をうけ、
18世紀終盤に監視システムへと発展する。

そしてこのプラントは、
19世紀中盤に新大陸でさらにエミュレート(革新)され、
日本開国の時期にはかの地で世界的にみて
最先端のプラントとして結晶化していた。」

ということであり、

明治政府は、欧米の強さの秘密を
「教育」にあると考え、欧米に負けず肩を並べるために、
欧米製の「学校」一式を「工場」と同じように
そっくりそのまま日本各地に直輸入したのです。

(中略)

そもそも近代の「学校」は
子どもを考えて作られたのではなく、
国家のために作られたのです。

森氏は、「学校」とともに「教育」という
ことばも、当時の日本人の言葉にはなかったことを
証明しています。

それまでは寺子屋での
「学文」(文字を学ぶ)と「手習い」で
「教育」ということばは「学校」という
ハードに入れるソフトとして出てきたのです。

この「学校」なるものをできた瞬間から、
「学校化」という社会現象が始まることになります。

フランスの歴史学者フィリップ・アリエスの「〈子供〉の誕生」
によれば、

「教育の手段として、学校が徒弟修業にとって代わった。
つまり、子供は大人の中にまざり、大人と接触するうちで
直接に人生について学ぶのをやめたのである。」

私たちは、生命的で包括的な子育てや学びの営みを、
すべて「教育」ということばで「学校」の内容にしてしまった結果、
学校の外に存在していた豊かな営みを、
ことごとく削除してしまったのではないでしょうか。

「学校」が作られる以前から「子ども」は存在し、
「教育」が行なわれる以前から
「子育て」も「学び」もあったのです。
新たな「ガッコウ」と「キョーイク」のヒントは、
学校以前から受け継がれてきたものにあるはずです。

△△△ここまで引用

このあと、松田さんは、
寺子屋、駄菓子屋、学校の
学びの構図について説明しています。

寺子屋は(各自が机をバラバラに配置する)分散型であり、
駄菓子屋は、(もんじゃ焼きの鉄板を囲み)車座型であるのに対し、
学校は、(先生のほうを向いた)一点型となっているし、

寺子屋が、
自宅を開放し、ささやかな学びの場をつくったという
ボランタリー(自発的な)なものでした。

松田さんがいうのは、
駄菓子屋が消滅したことによって、
現代は「一点型」の学びしかないことが問題なのだと言います。

「一点型」の学びそのものが悪いわけではなく、
(たとえば、紙芝居などは「一点型」でした)

「分散型」や「車座型」のような
「学びの型」の多様性がなくなったことが
問題なのではないかと指摘します。

なるほど。
「個の多様性」をいう前に、
「学びの型の多様性」をつくることが大切なのではないか。

という意味では、
「本屋さん」っていうのは、
現代の「寺子屋」になり得るのではないかと。

そこには、分散型の学びと車座型の学びをつくることができる。

誰もが明日から自宅の一室を開放して
学びの場とすることができる。

一室を開放しなくても、
ひとつの本箱を持って、移動しながら
本屋をやるということもできるのだ。

イベントを開催すれば、
そこは車座的な学びの場となる。

松田さんの言葉を借りれば、
「学校だけがガッコウじゃない」ということなのだ。

それをどのように表現するのか?

ヘーゲルの弁証法を思い出す。
かつてあったものが一段高くなって復活してくる。

2005年から取り組んでいた「だがしや楽校」
と2011年からやってきた「ツルハシブックス」が融合し、

「寺子屋」や「駄菓子屋」機能を持つ、
新しい学びの場として機能する場を生んでいこうと強く思った。  

Posted by ニシダタクジ at 08:22Comments(0)

2017年04月25日

「紙芝居屋」というおまけ付きメディア


「だがしや楽校」(松田道雄 新評論)

第1章3 「みせ」は学び屋
いよいよ、という感じ。

「店」のはじまりは「市」であり、
中世の定期市は、回数が増えて
やがて常設となり、商品を見せる
「見世棚」は「見世」と呼ばれて、
それが「店」になりました。

そして
おじいさんは、物売りに、
おばあさんは、店番をしていました。

物売りの文化を受け継いで、
わが国独自の「子どもメディア」を作り上げたのが
紙芝居です。

山形市内のタクシー運転手のおじさん(1944年まれ)
の話によると、

「群れで遊んでいる場に拍子木の音が聞こえると、
子どもたちはワッとたかったよ。
「黄金バッド」が一番人気だったね。
今のテレビゲームと違うのは、
人といっしょに見て、人の話を聞くということだったと思うよ。

ばくだん(あられ)、水あめ。
水あめは、五円。
ルールがあったよ、買った子が前で、買わない子が後ろ。
でも、買わない子が見れないんじゃなかったよ。
この境界のあいまいさ重要だったと思うなあ。」

ここから松田さんの鋭い考察。

~~~ここから引用

話を聞きながら、この「境界のあいまいさ」こそ、
許容性のある仲間集団ができる秘訣だったのではないかとふと思いました。

「紙芝居屋」と言いますが、
思い起こしてみると、紙芝居は飴売りの「おまけ」です。

「おまけ」にこれほどのエネルギーを注ぐ商売も
めずらしいのではないでしょうか。
その努力が「紙芝居文化」を生んだ要因かもしれません。

おまけの文化やおまけの教育は、
駄菓子屋の副業文化や副業教育にも
通じるものがありそうです。

自由空間の中で飴をなめながら紙芝居を楽しむ
自然な光景に比べれば、
「遊び」と「飴」と「自由」を取り去った学びは、あまりにも空虚です。

一人一人が仕事や生活の「おまけ」として
子どもに関わる社会教育の原点を、
駄菓子屋や紙芝居屋に見ることができるのではないでしょうか。

紙芝居は、ほどなくテレビの登場によって消滅しますが、
紙芝居は、一方的な情報の垂れ流しのメディアと異なり、
話し手が子どもの反応を見ながら臨機応変に語る
「人対人のおまけ付きメディア」だったのです。

~~~ここまで引用

「境界のあいまいさ」
が居心地の良さを生むのではないか。
しかもそこには少しの緊張感もあり。

たしかに、そうかも。

ツルハシブックスも、
サムライ制度をつくって、運用していたけど、
誰が店員で誰が客なのか、わからなかったし、

「劇場のような本屋」
「本屋のような劇場」

っていうのも、
そこに居合わせた人たちが見ることができる、
という意味でも境界のあいまいさを示す。

そして何よりも
紙芝居は、おまけであって、
商品ではないということ。

そんなふうに、商品とおまけの
境界線もあいまいであるということも
魅力や居心地のよさにつながっていくのではないか。

なるほど。
だんだん、近づいてきてる、
そんな気がする読書って楽しい。  

Posted by ニシダタクジ at 08:07Comments(0)学び

2017年04月24日

サードプレイスは「提供」できない


サードプレイスとしての本屋を考える@新城劇場 17.4.23

なんだか。
面白かった。

一番おもしろかったのは、
「サードプレイスは提供できない」
っていうこと。

特に中学生高校生にとってはそうなのかもしれない。
スターバックスのように、「サードプレイス」という商品に
お金を出して買う、というようなものではないのかもしれない。

なぜなら、
中高生のころを思い出してもらえば、
「サードプレイス」とは、
自ら発見し、つくっていくものであった。

ある人にとっては、
レコード屋のおやじがいる空間であり、
ある人にとっては、
仲間と話した部室だったりする。
家庭、学校(職場)ではない、第3の場所。

それはもしかしたら提供できないのだ
と思っていたら、タイミングよく、
10年以上ぶりに飛び込んでくる本がある。

これが最近の読書運の良さ。


駄菓子屋楽校(松田道雄 新評論)

著者は「駄菓子屋の教育的意義」を研究テーマとして、
ひたすら研究し尽くした。

そして、山形市内で
「だがしや楽校」という、
大人が子どもに様々な遊びを披露する場を始める。

僕は2004年にこの本を読み、
いたく感動して、2005年から「だがしや楽校」を
新潟市の巻と、中越地震後の旧川口町で取り組む。

この本では、
加藤理氏の「駄菓子屋・読み物と子どもの近代」という本の
「子どもが作り出した駄菓子屋」の項を取り上げ、「駄菓子屋」の定義を
「子どもが駄菓子屋だと認知した店が駄菓子屋なのだ」と結論している。

~~~ここから一部引用

「羽田郷土誌」(昭和29年)によれば、
資料によって「子供用小菓子店」の数が
9店だったり、20店だったり資料によって大きく異なるのです。

その謎を、
加藤氏は、9店とは、自分の店が駄菓子屋だと自覚して
自己申告した数で、20店とは、客である子どもや
第三者の調査者がその店を駄菓子屋だと認知した数だと
説明しています。

そしてこの事実から
「駄菓子屋という概念は、店の経営者たちが
作ったものではなく、じつは顧客である子どもたちが
作り出した概念だった」と述べて、次のようにまとめています。

「つまり駄菓子屋とは、店の経営者である大人が、
子どもたちを顧客とした子どもたちの店を開こうと
思って開いた店ではないのである。

需要に応じて品揃えをしていった結果、子どもたちに駄菓子屋
と認知されるようになっていった店をさしていたのである。
もう少し別の表現をすると、大人たちが、駄菓子屋とはこういう店、
これが子どものためにふさわしい店、と考えて用意し子どもたちに
提供したのではなく、数ある店の中から、
子どもたちが自分たちの店、として認識した店が駄菓子屋になっていったのである。

その意味ではたとえ本来は八百屋だったとしても、
子どもたちが駄菓子屋だと認めればそこは子どもたちにとって
駄菓子屋になるし、認めなければ、たとえ品揃えが駄菓子屋的
であっても駄菓子屋にはならなかった、とも言えよう。

~~~ここまで一部引用

実際に松田さんも
子どもたちに聞いた「駄菓子屋」をたずねてみたら、
そこは八百屋だったり、小鳥屋だったりという
思い描いていたオーソドックスな駄菓子屋像とは大きく違ったのだという。

そしてそれは「大人世界」と「子ども世界」
の違いであり、

駄菓子屋は、子ども世界の主観的現実の中に存在し、
それは空き地につくる「秘密基地」と同じようなものだったのだ。

なるほど。
この後、話は、「市の教育学」という
「屋台のある本屋」の本質に迫っていく。

なんていう読書運なんだろう。
明日が楽しみ。

ということで、
イベントの話に戻ると、
中高生に「サードプレイス」を提供することはできないのだということ。

大人社会から見た「サードプレイス」像を
彼らがそのように認知するかどうかは
別の問題なのだ。

ということは、やはり、つくる段階から、
大人社会ではない、向こう側から見た
サードプレイスをつくっていくことが必要である。

それはかつて読んだ、
坂口恭平さんが「独立国家のつくり方」で言っている
「無数の放課後社会」のひとつとなるのだろう。

自由とはタテの世界を行き来すること(13.1.19)
http://hero.niiblo.jp/e229119.html

だとしたら、
おっさんの出番ではなく、
大学生や20代の出番なのだろう。

いや、「子どものような大人」なら、
なんとかなるかもしれない。

現在の中学生や高校生の話を聞き、
彼らを想像しながら、ともに創っていくもの。

そんな「場」や「空間」づくりをこれからやっていく。  

Posted by ニシダタクジ at 08:01Comments(0)学び

2017年04月23日

「ミーティング」とは感性をチューニングすること

多彩な人が集まる。
共有したいのは、その先のビジョン。

ミーティングでやるべきは、
感性のチューニング。

僕が当たり前のようにやっていた、
アイスブレイクとミーティング後の振り返り。
(ナカムラノリカズ直伝)

「アイスブレイク」は
フルネームと、出身と、最近あったよかったこと。

それって、「存在」を明らかにし、
「感性」をオープンにするということ。
なのかもしれない。

ミーティングは、
終わり方が大切だと思う。

一番まずいのは、時間切れで終了。
何が決まったのか、決まってないのか、
何が話し合われたのかわからない。

「あとで議事録アップします」
って言って終わるミーティング。

脳はそれで完了するかもしれないけど、
心が、感性が完了しない。
もやもやっとした何かが残って終わる。

普通のミーティングは
「今日はこれこれこういう話をして、
こういうことが決まりました。次回は〇〇です。」
ということを確認して終わる。

これ、ふつう。
通常の会議。
これをやらないと終われないし、
みんなが集まっている意味があまりない。

しかし。
もうひとつ。
せっかくみんなが集まり、「場を共有」しているのだから、
やっておきたいことがある。

それは、
先ほどの議題、決まったことの確認のあと、
「今日のミーティングをやってみて、どうでしたか?」

という「ミーティングの感想」を共有するというもの。

このときに、
「今日いろいろ決まったので明日からがんばりたいと思います。」
「モチベーションが上がりました」
みたいなことを言うのではなく、

各自、一番印象に残ったこと、感動したこと、
心に響いた言葉などをいう。

「あの人のあの発言が印象に残りました。」
「今日の会議はよくわからなかったですが、あの部分は共感できました」

そんなことを発言して終わること。
これが実は一番大切なのかもしれなと
感じた、昨日の朝、新城劇場のミーティング。

「感じ」で始まり、「感じ」で終わること。

心を開き、そして、心を整理して、終わること。

そんな中でチームメイトが感性をチューニングする。

だからこそ、ミーティングは
集まって同じ空間で、
できれば居心地のいい空間で、
やる意義があるのだろうと思う。

そんなミーティングを繰り返すことで、
ミーティングが楽しくなり、
感性がチューニングされ、方向感が共有されていく。

そんなミーティングを、重ねていこう。  

Posted by ニシダタクジ at 06:33Comments(0)チーム

2017年04月22日

承認のスパイラル

「屋台のある図書館」
長野県の塩尻市立図書館の
入っている「えんぱーく」で
構想していたこと。

参考:「誰のための図書館?」(15.11.14)
http://hero.niiblo.jp/e474463.html

高校生が屋台で何かを売るということ。
それは、地域を知る、そして好きになることにつながる。

ワークショップでよく使われるKJ法の生みの親
川喜田二郎氏によれば、
「ふるさととは、子どもながらに全力傾注して
創造的行為を行った場所のこと。」だと言う。
(「創造性とは何か」川喜田二郎 洋伝社新書より)

参考:「帰る場所、ふるさとをつくる」(15.5.14)
http://hero.niiblo.jp/e468419.html

いま、自分の育ったところが
「ふるさと」にならないのは、
そこに全力傾注するほどの創造的行為
をする場と機会がなかったからであると思う。

僕にとっての千葉県袖ケ浦市はまさにそうだ。
むしろ、まきどき村のある新潟市西蒲区福井こそが
僕にとってのふるさとである。

屋台で商売をすること、は
そんな創造的な何かなのではないか。

そしてそれは、
高校生の自信につながってくる。
承認欲求を商人欲求に。

これが
ハックツ×小商いのコンセプト

育ってきた環境が
「承認」を与えてくれないから、
ついつい人は承認を求めてしまう。

大学生が「ボランティア」とか「貢献」
という言葉にヒットするのは、
「親和的承認」の代わりに「一般的承認」
を求めてしまうからではないか。

そしてその土台のない承認は
負のスパイラルを生み出してしまうのではないか。
つまり、「承認」を求めて活動を繰り返す、
ことになってしまうのではないか。

それを「商人欲求」に変えていく。
駄洒落だけど、ね。笑。

物を売りたい。
どうやったら売れるだろう。

売れた。
うれしい。
買ってもらえた。
どうして買ってくれたんだろう。

そんなスパイラル
そこには、小さな承認がある。

承認されたい、という他力本願ではなく、
売ることで承認される、というモチベーションが上がる。

商人欲求を持つ。
ものを売ってみる。

小さな承認を得られる。
すると、自分に自信が持てるようになる。
そんなスパイラルに変えていけないだろうか。

そこには
「全力傾注する創造的行為」
が起こるかもしれない。

地域の大人とのコミュニケーションが生まれ、
たとえば農家さんのものを売ってみたりする。

そうやって、
そのまちは、高校生にとっての「ふるさと」に変わっていく。
同時に、高校生たちの承認欲求が満たされる。

地方創生の切り札って
「屋台のある本屋」なのではないかな。  

Posted by ニシダタクジ at 07:00Comments(0)日記

2017年04月21日

本屋というプロセス・デザイン

今度の日曜日に、武蔵新城で、
「サードプレイスとしての本屋」
というテーマトークをするので、
その前に整理しておこうと思い。

「サードプレイス」が必要だっていう人に、
何人か会ったことがある。

スターバックスコーヒーの「サードプレイス」は、
家庭でも職場(学校)でもない
第3の場所、という意味でのカフェを提供している。

「スターバックスはコーヒーを売っているのではない。」
という言葉に衝撃を受け(岩田松雄著「MISSION(アスコム)」より)、
そこから「ツルハシブックスは何を売っているのだろう?」
という問いが生まれた。

その問いは、歴史をさかのぼり、
どうやって自分が本屋さんにたどり着いたのか?
を考えさせた。

2002年の不登校の中学校3年生との出会い。
あのとき、多様な大人と出会える仕組みが必要だと思ったし、

ツイッターのプロフィールに書いてある
「15歳が自分と住んでいる地域を好きになり、
自分と社会の未来創造へ向けて歩き出している地域社会を実現する。」
というミッションが生まれた。

15歳。
中学校3年生。
これはひとつの象徴ではあるだろうけど。

自分自身を振り返ると、
中学・高校という進路選択の狭間に揺れていた。

僕がやりたかったキーワードは、「環境」だった。
しかし、当時はマイナーなキーワードで
まわりの友人も、先生たちも、あまり関心を持ってくれなかった。

今思えば、
中学高校の時の「とるに足らない」悩みであるのだろうけど、
当時の自分にとっては、「生きる死ぬ」に
値する大きな問題だった。

思えば、
小学校の時に再放送の「スクールウォーズ」
を見て以来、「いかに生きるか?」
という問いは胸の中にあったし、
それが分からないと生きられないと思っていた。

そんな原点がひとつ。

もうひとつは、
2008年にサービスインした地域企業での大学生のインターン事業。
半年間、正社員並みに企業のプロジェクトにコミットするプログラムを提供していた。

そのときに、迷った上で
チャレンジをあきらめる学生や
途中でリタイアしてしまう学生に出会った。

そして、「自分に自信がない」
さらに、「やりたいことがわからない」
ということがなぜ起こるのか?
それはどうやって越えていったらいいのか?
という問いが生まれた。

その問いは、2013年に
「プレイフルラーニング」の上田信行先生に
出会ったことで、光が見えた。

「挑戦するのに自信は要らない」(13.5.10)
http://hero.niiblo.jp/e262963.html

にあるように、

身につけるべきは
やればやるほど自分の能力は開花していくという「成長思考」
(⇔自分の能力は生まれつき決まっていて変化しないという「才能思考」)
であり、
手放すべきは
他者からの評価を得ようとする「他者評価依存」ではないかと結論した。

「本屋」をやるということは、15歳が代表するような、
中学生高校生あるいは大学1,2年生にたいして、
(もしかしたら、20代社会人も含まれるかもしれないが)

「機会提供」を行うプロセス・デザインの
現場なのかもしれないと思った。

本屋をやったことで実感するのは、

1 本屋という空間そのものが「多様性」を表現する場であること
⇒「本」にはさまざまな「価値観」が詰まっているので、
その本に囲まれていると、多様性が許容される気がする。

2 小さな本屋には「偶然」が詰まっているということ
⇒思いがけなかった本や人との出会いがあるので、
運命的なものを感じるということ。

3 「運命」を感じることで、「行動」が起こりやすいということ
⇒「まきこまれる」ことから始まる小さな「行動」
それを振り返ると「挑戦」とよぶ

昨日のブログに書いた、
「感性に自信を持つ」ための3つのステップ

・感性に自信を持つ

・なにかやってみる

・自分の存在を許す

・心を開く

この、「心を開く」「自分の存在を許す」部分を、
「偶然」が補うのだと思う。

本屋の現場では、この4つはぐるぐるしているのだろう。
いや、おそらくは中学生高校生大学生の中でも
この4つはぐるぐるしながら、
だんだんと感性に自信が持てるようになる。

本屋とは、
そんな「プロセス・デザイン」の現場なのかもしれない。

日替わりで店が変わるという「偶然」も提供できる
「屋台のある本屋」っていうのは、そういう意味では、
いい線いってるんじゃないかなあ。

  

Posted by ニシダタクジ at 08:24Comments(0)足跡

2017年04月20日

「心を開く」から始まる

5年後10年後の自分を想像する。
キャリアの目標を立てる。

それって、
なんか、ピンと来ない。

目標を立てて頑張れる人もいるのだろうけど。
そういう人をビジョン型という

ほとんどの人はコンセプト型で
糸井重里風に言えば、
「あなたが大切にしてきたことはなんですか?」
(「はたらきたい」ほぼ日の就職論より)
を大切にしている。

だとしたら、
キャリアにおいて大切なのは、何よりも
「自分の感性に自信を持つ」っていうことではないか。

「一生食べていけるだけの力をつける」
っていうときの力ってなんだろう。

たとえば営業力、物を売る力っていうのは、
生涯にわたってその人を助けてくれるだろう。
あるいはPDCAを回す力。計画実行能力。
これも仕事をする上で不可欠だろう。

でも、その前提として、
「感性に自信を持つ」っていうのが大切なように思う。

だから、インターンとかスキルアップとか
資格講座とか行く前に、
「感性を磨く」ことって大切だなあと思う。

芸術に触れたり、本を読んだり。
あるいは、誘いに乗って様々な活動に参加してみる、とか。

そうやって、
だんだんと感性が育っていくのだろう。

それより以前に、
僕は、「自分の存在を許す」という
ステップが必要なように思う。

自己肯定感っていうのとは、
ちょっと違うんだよな、ニュアンスが。

この世に存在していていいのだ、
という圧倒的実感が足りない。

それはひとえに子どもの時に育つ環境にも原因がある。
それが核家族だったり、学校社会だったりすると、
よっぽど親や先生に恵まれない限り、
言い方が悪いけどそこには「条件付きの愛」しかない。

そうすると、
存在そのものを許していないのだ。

新潟の粟島でのプログラムで、
大学生が劇的に変わるのを何度も見てきた。

それは歩いていると島の人が話しかけてくれるから。
島の人にとっては、若いだけで価値がある。
よそ者が島を歩いているだけで気になる。

それが、存在を許すことにつながっていくのではないか、
という仮説だ。

そしてその前に、
何よりその学生自身が心を開かなければならない

その際に、
「船に乗る」というアクティビティはかなり有効なのだと感じている。

僕が思うのは、
キャリアを考える・行動する前に、
3つのステップが必要で、

・感性に自信を持つ

・なにかやってみる

・自分の存在を許す

・心を開く

きっとそういうところから僕はやりたいのだと思う。

ミーティングの時に、
カタルタとかアイスブレイクで名前を言った後に、最近あったよかったことを言う
って、もしかしたら簡易的にそういうことをやっているのかもしれないな。

くりかえし、くりかえし。
タマネギの皮を剥くように、
だんだんと感性に自信が持てるようになってくる。

  

Posted by ニシダタクジ at 08:19Comments(0)思い

2017年04月19日

ソフトとハードが未分化だった時代のLife


「日本のカタチ2050~こうなったらいい未来の描き方」
(竹内昌義、馬場正尊、マエキタミヤコ、 山崎亮 晶文社)

読み始めたばかりだが、
山崎亮さんが書いた章が面白かったので、メモ。

~~~以下メモ

山崎さんは「豊かさとはそもそも何か?」
というアプローチの中で、
働くことと宗教観の日本と西洋の違いを見出す。

日本書紀の「日神尊、天垣田を以て御田としたまふ」とあり、
天照大御神は、御自ら天垣田で稲をお育てになっている。
つまり、日本の神様は田植えをしていた。

つまり「働く」ということは、
自らを高める修業的な要素があり、
働くことによって神様のように
崇高な存在になることができるという感覚がある。

一方で、西洋で描かれる神様は、
基本的には働かなくても良い暮らしができる
素晴らしい世界に住んでいる。
果実がなり、鳥がさえずり、風景は絶景。

罪を犯すと、罰として地上で働かされる。

だから、西洋の人たちは、
労働から解放されるために機械をつくり、
オートメーション化をはかっていった。

すべてを機械化し、
人間の労働を無くし、
地上に天国をつくろう。

そういう意思があったからこそ、
欧米の産業革命はどんどん進んだのだろう。

そんな中で、デザイナー
ジョン・ラスキンやウィリアム・モリスは、
ライフの大事さを説き、
アーツ・アンド・クラフト運動などを展開する。

山崎さんの主宰する
studio-LのLの字は、
この「ライフ」の頭文字をとっているのだという。

ラスキンの本「この最後の者にも」の第77節に、
「Lifeこそが最も大切である」と書いてある。

Lifeは日本語でいう「生活」というよりは、
愛も喜びも全部含まれた意味での「生」
つまり生きることそのものと訳されるべきであろう。

ラスキンが定義する
豊かな人生を生きた人々とは、

「その人格、あるいは所有物を使い、
他人に対してとてもいい影響を与え続ける生き方をした人」

なのだという。
そんな人々がたくさんいる国はラスキンは裕福な国と呼んだ。

だからこそ、
山崎さんは、新しいソフトとハードのバランスを
考えながらビジョンを示す人が必要になるのではないか、と説明する。

フランスの哲学者
シャルル・フーリエ(1772~1837)が提唱した「ファランスティール」という共同体
家族の延長上として住むのに最適な集落の形をデザインした。

なにより大切なのは、
フーリエが「人々の暮らしとコミュニティはどうあるべきか」
ということと空間の形態がぴったり一致していたことだという。

また、エベネザー・ハワード(1850~1928)は
「田園都市」を提唱し、街の真ん中に広場をつくり、その回りに商店街を、
さらに外側に住宅地を、そしてその外側に鉄道がまわされ、
鉄道の外側を農地という風に働く場所と住む場所が明確に決められている。

しかし、ル・コルビュジエ(1887~1965)になると、
空間の形態と人々の生活は一体としては提示されていない。

つまり「Life=生」が抜け落ちた計画となり、
1920年代以降の建築家や都市計画家の空間に対する提案には、
「生(=Life)」という重要な部分はほとんど見えなくなる。

~~~ここまでメモ

山崎さんは、
これからの建築家には

我々はどう生きたいのか、どう働きたいのか、さらにどう生きるべきなのか。
こうした「生=(Life)」の全体性と空間形態を
同時に提案することが求められるようになるだろうという。
ソフトとハードを統合して組み立てていく
アーキテクトの役割が求められるだろうと。

この章は、
ソフトとハードが未分化だった時代に学ばないといけないのだと締めくくられる。

なるほど。
Lifeという出発点と、
かつて未分化だったソフトとハード。

そういう意味では、
かつて、労働と芸術は未分化であった。

そしてそこにこそ
ラスキンのいう「生(=Life)」があったのではないか。

そんな古いようで新しい社会に向かって、本屋は何ができるだろうか?
という実験を武蔵新城駅前ではやっているのだろうと思った。  

Posted by ニシダタクジ at 08:15Comments(0)

2017年04月17日

過去の感性を信じてあげること

まきどき村の人生最高の朝ごはん。

1999年から続く活動。
今年は19年目を迎えた。





まずは畑作業から。





佐藤家のまわりは桜が咲いていました。





20名の参加というまれに見る大所帯だったので
囲炉裏を囲まずに朝ごはん。
でも、メヒカリは囲炉裏で焼きました。

畑で唐澤くんと宇根豊さんの言う、
「農本主義」の話をしていた。

「農業」として
収穫物が目的になると、畑をするのは少しつらくなる。

日々、草をとり、苗を植えて、
成長したものを収穫して食べる。

そのプロセスのひとつひとつが
必要なのだと。

きっと、「畑をやる」ってそういうこと。

20代のとき、「畑がなければ生きられない」
って思ってた。

だから、就職しないで畑をやることにした。

「畑をやる」っていうのが他者に
どうも通じなくて、
「農業やってるの?」っていつも聞かれて困っていた。

畑はやりたかったけど、
野菜を売りたいわけではなかったから。

そんな感性をもっと信じてあげてもいいなと
思った日曜日の朝。

「人生最高の朝ごはん」を、ありがとう。  

Posted by ニシダタクジ at 07:59Comments(0)足跡

2017年04月14日

フェーズと人材

日々、会社のフェーズは変わる。
日々の仮説検証を経て、マイナーチェンジする。
あるいは、軌道に乗って、安定走行を目指す。

本来なら、そのタイミングで
人も入れ替えられたらいいのだけど、
そんなに柔軟性のある組織には作られていない。

立ち上げ期、変革期に必要な人材と、
安定走行への移行期に必要な人材は異なる。

だから、
起業家志向の人が、
伸び盛りのベンチャー企業に
就職を志向するのは、実はミスマッチが起こる可能性が高い。

なぜなら、
正社員を募集する時点で、
その会社は、事業は、ある程度
ビジネスプラン的にはうまくいき、
軌道に乗っていることが多いからだ。

そんなときに必要な人材は
「整えていく人材」であって、
「壊して、生み出していく」人材ではない。

むしろ、硬直化した組織にこそ、
起業家志向の人材がマッチする。

公務員や大企業で常識を打ち破っていくこと。
新しいものを生み出していくこと。

それを人材ひとりあたりではなく、
組織全体でできていくといいのだな。

西洋と東洋の融合。
岡倉天心の描いた世界がそこにも広がっている気がする。  

Posted by ニシダタクジ at 07:44Comments(0)日記

2017年04月13日

「その日暮らし」の豊かさ


「その日暮らしの人類学」(小川さやか 光文社新書)

次はこの本。
なんだか流れがいい気がする。(笑)

アマゾンの奥地に住む狩猟採集民「ピダハン」には、
現代人の常識とされていたことがほとんど行われていない。
いわゆる「進化のプロセス」を踏んでいない。

~~~ここから一部引用

芸術作品どころか、道具類もほとんどつくらない。
物を加工することがあっても、長く持たせる手間はかけない。

肉の塩漬けや燻製といった保存食もつくらず、
食べられるときには食べつくし、ときには何日も食べない。

熟睡しない代わりにいつでもどこでも転寝をする。
人類学者が好んで調査してきた、
儀礼らしき行為も存在しない。
葬式や結婚式、通過儀礼もない。
創世神話も口頭伝承もない。
曽祖父母やいとこの概念も存在しない。

それどころか彼らの言語には、
ありがとうやこんにちはなどの「交感的言語」も
右左の概念も、数の概念も色の名前もない。

それは、「ピダハン」(みすず書房)著者のエヴァレットによると
「直接体験の原則」があるからだという。

ピダハンは実際に見たり体験したことのない事柄
~わたしたちが「過去」や「未来」と位置付ける事象や
伝説・空想の世界~に言及しないし、そもそも関心を示さない。

そして価値を抽象的な言葉で置き換えることをしない。
ある場面では右は「川の水が流れてくる場所」で
左は「川の水が流れていく場所」かもしれない。

ピダハンのほとんどの関心が
「現在」に向けられており、
それゆえ彼らが「現在」をあるがままに生きている。

彼らは直接体験したことがない他の文化に
興味がなく、自分たちの文化と生き方こそが
最高だと思っており、それ以外の価値観と
同化することに関心がない。

彼らはよく笑う、自身に降りかかってきた不幸を笑う、
過酷な運命をたんたんと受け入れる。
未来を思い悩む私たちに比べて、
何やら自信と余裕がある。

かれらは他人に貸しをつくらないし、
他人に負い目を感じることもない。
彼らにとって1日1日を生き抜くために必要なのは、
直接体験に基づ自身の「力」だけである。

~~~ここまで一部引用

なるほど。

いまを生きるってそういうことなのかもしれないね。
人と比べない。
未来に思い悩まない。

未来を予測する最良の方法は
自ら未来を発明することだ。

というアランケイの言葉を思い出した。

さて、読み進めてみようっと。  

Posted by ニシダタクジ at 07:56Comments(0)

2017年04月12日

「目的」は必要なのか?


「社交する人間~ホモ・ソシアビリス」(山崎正和 中央公論新社)

読み直すタイミングというのがある。
まさかのここでジェイコブズが登場してくる。
読書サーフィン面白い。

「効率性」
は何か違うんじゃないか?
という違和感。

「目標を立てる」というのがそもそも苦手だったこともあり。

研修に行って、
「5年後ビジョン」を「定量的」と「定性的」に言え
って言われたのもキツかった。

あのときは、
ああ、僕はビジネスに向いてないんだなと思った。

さて、この本。
読めば読むほど読み直してよかった。

キャリアデザインへの違和感。
目標設定、達成という思考への違和感。

近代工業社会の成立は、
仕事観、人生観そのものを根本から揺るがしたのだろうと
改めて実感した。

~~~以下一部引用

「テクノロジー」とは、
機械工業を富の生産の基本的なしかたと見なし、
機械生産によって実現された効率主義を文明の理想と
考える価値観の浸透であった。

いうまでもなく、
この効率主義を可能にしたのは、
人間の作業を機械で置き換えることであったが、
その前提となるのは、作業の目的を作業の実行に先立って
固定化することであった。

機械は人間の身体を作業から極力排除し、
そのことによって身体が作業から受ける抵抗や
反作業を感じられないものにする。

その結果、工業生産では作業の過程で
方法を変更したり、目的の内容を微調整する
必要は原則的に排除される。

いいかえれば作業の計画と実行、
目的と過程を不可逆的に峻別して、
後者が前者に影響することを極限まで防止するのが、
機械生産の思想なのであった。

~~~ここまで引用

なるほど。

「産業革命」が「革命」したのは、
工業生産そのものではなくて、
人間の思想そのものだったのだなと。

「何か目的のために向かっていかなくてはいけない。」

本屋をやっているとき、
そんな脅迫を抱えて生きている大学生に何人も出会った。

彼らは行動している
(ゆえに、少し変わった本屋にたどりついている)
にも関わらず、常に不安を抱えていて、

いろいろ活動しているのに、
「この先に何があるのか、わからない」
「ゴールに向かっているのか、不安だ」
という思いを抱えている。

実はその思想そのものが
工業社会的なのだと。

まず、ここから始めなきゃいけないんじゃないか。

いま、幸せになるには、何が必要で、何が必要じゃないのか。

そんな根源的な問いに挑んでみること、から始まる人生がきっとある。  

Posted by ニシダタクジ at 08:00Comments(0)

2017年04月07日

アルスの終焉


「社交する人間~ホモ・ソシアビリス」(山崎正和 中央公論新社)

とある古本屋さんで
ハードカバーを発見。
そして書き込みあり。

これは「もう一度読め」という
神からのメッセージだと思い、
家にある文庫本を再び読み始める。

もともとは小阪裕司さんの名著
「心の時代にモノを売る方法」に
引用されていたから買ったので、

「社交と経済」のところだけしか
読んでなかった気がする。

経済の第1の系統は、
「生産と分配」の経済で
第2の系統は
「贈与と交換」の経済なのだと。

しかし、現在において
「経済」とは「生産と分配」だけのことを
指しているように思える。

まあ、それはまた次回に書くことにして、
今日は「アルスの終焉」について

古代ギリシャで
テクネー(わざ)と呼ばれたものは、
大工が机をつくる方法も、
詩人が詩をつくる営みも、
同じように呼ばれた。

それは中世になって、
「アルス」と呼ばれるようになっても、
しばらくは続いた。

イギリスでは、
アルスは「アート」と言葉を変えるのだが、
18世紀までは、
まだ、「ファイン(美しい)・アート」と
「ユースフル(有用な)・アート」と区別されていた。

ところがいつのまにか、
「ファイン」が取れ、
「アート」が芸術を指すようになったのは、
19世紀のことだったという。

それは産業革命による工業技術的な生産が
始まったこととリンクしているだろうと著者は言う。

~~~以下引用

このように振り返ると近代工業社会で生じたことは、
いわばアルスが正反対の二つの敵に挟撃され、
それまでの領土を失う過程であったと要約することができる。

かつてアルスの一部だった
二つの行動形式が独立して、
それぞれ技術と芸術としてみずからを純粋化し、
本来の母体を左右から攻撃したのである。

攻撃という言葉は必ずしも比喩ではなく、
現にどちらもあからさまにアルスを時代遅れの文化として非難した。

技術に言わせれば職人的技能は不正確で非効率的であり、
芸術に言わせれば社交儀礼は人間の心を伝えるうえで不誠実であった。

なかでも職人技能のほうはまだ幸運であって、
一部は「ノウハウ」の名で工業技術の補助とされ、
一部は「工芸」と呼ばれて芸術の周辺で生き延びることができた。

だがもともと有用性とは無縁だった社交儀礼は、
近代工業の精神というべき清教徒主義と
芸術の反俗主義の双方から直撃されて
衰退することとなったのである。

~~~以上引用

なるほど。
仕事とは何か?
を考えるうえで、非常に興味深い。

かつて芸術と技術はひとつであった。
それを「アルス」と呼んだ。

そのアルスの終焉は、
近代工業革命によって、決定づけられた。

なるほど。

もし、近代工業社会が
壮大なる仮説、だとしたら。

ふたたび「アルス」に近づいていくのではないだろうか。  

Posted by ニシダタクジ at 08:47Comments(0)

2017年04月04日

「ちいさな本屋 こっそりー」を生んだ3冊の本

「本屋のある暮らし」
を提案したいと思っている。

それは、
いい本屋が近所にあって、
そこに通うことができる暮らしではなく。

本屋の店員ができる暮らしが
いいと思う。

「一箱古本市」は
そんな願いを叶えてくれるひとつの方法だ。

サービスリリースした
「ちいさな本屋こっそりー」
は移動型で、ソリの形をしていて、
どこでも本屋になれるツール。
(人間は乗れません)

現在第1期フランチャイズを募集しています。
加盟金は30,000円で
一切の年会費はかかりません。

長野県伊那市で、森の保全活動を推進する
KEESプロジェクトの中村さんがひとつひとつ手作りする
本棚「こっそりー」を1つお渡しします。


中村さんとツーショット。

「こっそりー物語」は
本屋さんとは?という問いから始まりました。

きっかけとなったのは3冊の本


「ゆめのはいたつにん」(教来石小織 センジュ出版)



「こっそりごっそりまちをかえよう。」 (三浦 丈典、 斉藤 弥世 彰国社)



せかいでいちばんつよい国(作・絵: デビッド・マッキー 訳: なかがわ ちひろ 光村教育図書)

まずは一番下の「せかいでいちばんつよい国」
これを読むと、世界の変え方がわかります。
文化と愛とコミュニケーションで
世界は動いていくんだ、とワクワクします。

そして、
「こっそりごっそりまちをかえよう。」

ああ、まちを変えるのは、「こっそり」なんだな。
何かを声高に叫ぶのではなく、こっそり変えるって美しいな。
って思いました。

最後に「ゆめのはいたつにん」の
本文中の印象的なフレーズ、
「夢は私をいろいろなところへ連れていってくれる」

このフレーズに衝撃を受けました。
夢は見るもの、ではなく「乗り物」なんだ!って。

これら3つの本から、

本屋っていうのは、
「文化と愛とコミュニケーションでこっそり世界を変えていく乗り物なんだ」
って。

そんなものを表現したら、ソリ型の本屋、
「ちいさな本屋 こっそりー」ができました。

4月9日には豊島区・椎名町の「シーナと一平」に
こっそりーがデビューします。

お楽しみに。  

Posted by ニシダタクジ at 07:50Comments(0)