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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2017年11月30日

「マイノリティー」と「マジョリティー」を無くした「場」をつくる

福岡の大学生、井上洋菜のブログで、
イノベーションと言葉についての
記述があったので、そこにインスパイアされて
もやもやと考えている。

https://yona47.wordpress.com/2017/11/26/

キーワードは
・イノベーション
・言葉
・多様性
・マイノリティーとマジョリティー

などなど。
そんなことをもやもや考えながら
電車に乗って、本を開く。


「断片的なものの社会学」(岸政彦 朝日出版社)

最近は読書運がすごくいいので、
タイムリーに飛び込んでくる言葉たちがある。

110ページから引用する。

~~~ここから一部引用

幸せのイメージというものは、
私たちを縛る鎖のようになるときがある。
同性愛のひと、シングルのひと、子どもができないひとなど、
家族や結婚に関してだけでも、これだけいろいろな生き方がある。

それだけではなく、働き方や趣味のありかたなど、
生きていくうえで私たちがしているありとあらゆることについて、
なにか「良いもの」と「良くないもの」が決められ、区別されている。

ここから、考え方がいくつかに分かれる。
おそらく、そのなかでもっとも正しいのは、
極端に言えば「良い」と思うことをやめてしまうこと、
あるいは、そこまでいかなくても、それが「一般的に良いものである」
という語り方をやめてしまうことだろう。

ある人が良いと思っていることが、
また別のある人びとにとっては
暴力として働いてしまうのはなぜかというと、
それが語られるとき、徹底的に個人的な
「<私は>これがよいと思う」という語り方ではなく、
「それは良いものだ。なぜならば、<一般的に>良いとされているからだ」
という語り方になっているからだ。

完全に個人的な、私だけの「良いもの」は
誰も傷つけることもない。

そこにはもとから私以外の存在が
一切含まれていないので、誰も排除することもない。
しかし、「一般的に良いとされているもの」は、
そこに含まれる人びとと、そこに含まれない人びととの
区別を自動的につくり出してしまう。

「私は、この色の石が好きだ」という語りは、
そこに誰も含まれていないから、誰のことも排除しない。
しかし、「この色の石を持っているひとは、幸せだ。」
という語りは、その石を持っているひとと、
持っていないひととの区別を生み出す。
つまりそこには幸せなひとと、不幸せなひとが現れてしまう。

したがって、まず私たちがすべきことは、
良いものについてのすべての語りを、
「私は」という主語から始めるということになる。
あるいは、なにかの色の石を持っているかどうか、
ということと、幸せかどうか、ということを切り離して考えること

~~~ここまで引用

うわ~。
なるほどな。
めちゃその通り過ぎて震えた。

そもそも、
「マイノリティー(少数派)」とか
「マジョリティー(多数派)」とか
って言葉はあんまり意味がないんじゃないかと思った。

いや、意味がないんじゃなくて、
良いと悪いがないってことか。

多数派だから良いわけじゃない。

特に「イノベーション」の視点からは、そうかもしれないよね。
イノベーションは最初はだれも賛同しないって言うし。
多様性や異質から生み出されるって言うし。

「多数派」=「良い」っていうふうになったのは、
いつからだろうか。

っていう問いが浮かんだ。

いま、
長岡藩の河井継之助が描かれた
司馬遼太郎の「峠」を読んでるのだけど、

幕末も、関ヶ原の戦いのときも、
大切なことは「時勢を読むこと」、つまり「勝ち馬に乗る」ことだった。
だから、情報収集し、あるいは裏切りを画策し、
自らが多数派であろうとした。

KJ法というワークショップ手法がある。

これはラベル(付箋)にひとりひとりの意見を書き込んで、
「ラベルに語らせる」という手法だ。

そこにいる多様な人たちの意見をいったん紙に落とすことで
意見を出した個人の肩書や実績ではなく、
純粋にそのラベルを見て、アイデアを生んでいくということ。

そうそう。
あくまで、大切なのは「個」なのだ、と。

「個」が「個」として、場にコミットすること。
それが大切なのだと思う。

だからこそ、
「アイスブレイク」じゃなくて、「チューニング」が大切なんだ。

場にフォーカスするんじゃなくて、
個人にフォーカスして、
「今日、この人はどんな音を出す人なのだろう?」
を認識して、

ひとつの音楽・曲のような「場」を
生み出していくこと。

イノベーションは、マイノリティーが生み出す、
のではなくて、

「マイノリティー」や「マジョリティー」という言葉が無くなり、
「個」にフォーカスする「場」から生まれる。

そんな仮説ができました。

井上洋菜さん、ありがとうございます。  

Posted by ニシダタクジ at 08:27Comments(0)

2017年11月29日

「仮説検証」をエンターテイメント化する


「あなた」という商品を高く売る方法―キャリア戦略をマーケティングから考える (永井孝尚 NHK出版新書)

読み終わりました。
なんか、しっくりくるわ。
わかりやすい。

27日のブログにも書いたけど、
http://hero.niiblo.jp/e486383.html
「バリュープロポジション」という考え方。

「①どんな強み(自分の強み)」を生かして
「②だれの(ターゲット)」
「③どんな悩みに(ニーズ)」
「④いかに応えるか(自分の仕事)」

そして
「相手がほしいもの」
「自分が提供できるもの」
「ほかが提供できるもの」
の三角形の中の

「相手がほしいもので、
ほかが提供できなくて、
自分が提供できるもの」

を見つけていくことが
バリュープロポジションだと。
(ここまで再掲)

この本では、
阿智村の「星空エンターテイメント」の話で、
リーンスタートアップと振り返りの大切さが書いてある。

~~~以下本書より一部引用

2011年末、ヒト・モノ・カネものなく、
ホームページすらない状況で、
「日本一の星空ナイトツアー」プロジェクトが立ち上がった。

全員手弁当の持ち出しだったが、
翌年の3月には地元小学生を招いて
モニターツアーを行った。
満天の星に大興奮の子供たちを見て、
これはイケルといい感触をつかんだ。

8月1日、第1回目の「日本一の星空ナイトツアー」
参加者はたったの3名だったが、
これも大感動の様子でさらにイケルと思った。

そこで「スターガイド」を募集。
3人公募のところ3人が応募。
経験者はおらず、人前で話したこともなかった。

谷澤さんは、素晴らしい運営の仕組みを持っていた。
それは「翌日に持ち越さない」ことだ。

谷澤さんたちはナイトツアー終了後に、
毎晩反省会を行った。

「何がよかったか?」
「何が悪かったか?」
「悪かった点はどう直すか?」
を必ず話し合い、全員で共有した。

谷澤さんたちが行ったのが、
まさにリーンスタートアップによる「仮説検証」だ。

阿智村では2012年8月以来、この仮説検証を
毎日行い、試行錯誤から学んだ分厚い学びが蓄積されている。

~~~ここまで引用

「企画会議」

「リーンスタートアップ」(とりあえずやる)

「仮説検証」

「企画会議」

これをいかにグルグルするか。
きっとこれが地域での若者のチャレンジの場づくりの
カギになっていくだろうと思う。

そして、僕自身のバリュープロポジションが
そこにあるのかもしれないと思った。

「とりあえずやる」ためには、
それを「挑戦」だと自覚しないことが大切だと思う。

「企画会議」を「キカクカイギ」にして、
ワクワクしながら始める。

そして、今回の阿智村の事例で学んだのは、
「翌日に持ち越さない」ということ。

尊敬する友人が
毎日夜リセットするために1時間ほど散歩を
していると言っていたが、そういうことか。

ツルハシブックスも、
振り返り、したほうがよかったな。

魔法の4窓振り返りで
・予想できたよかったこと
・予想できた悪かったこと
・予想できなかった悪かったこと
・予想できなかったよかったこと
これ、毎日やったほうがよかったな。

そして、ヒーローズファーム時代にやっていた
スタッフ間のフィードバックセッションも
やるのがいいのかも。合宿時とかに。

〇〇さんへ
・印象的だったコト
・チームの中で担っていた役割
・こういうところはすごい
・このあたりはあと一歩・・・
・これから期待すること

これは相手をよく見ていないと書けないから
習慣化すると、チームがよくなるだろうなと思う。

そうやって、
はじまりの企画会議と
しめくくり・次につなげる仮説検証を
エンターテイメント化する。

そして、
「予測不可能性」というエンターテイメント性を
高めていくこと。

昨日、熱海からとっくんが遊びに来て、
話していたんだけど、

リクルートスーツ来て就活ってまだやってるんですか?

結果が決まっている会議なんてあるんですか?

って真顔で驚いていたので、
きっとそれが、本当なんだろうと思った。

外国人が日本人はちょんまげで刀を差して歩いてる、みたいな。
(いや、なんかちょっと逆か)

リクルートスーツとか
結果が決まっている会議とか、
アンビリーバブルだなあと思う。

多様性と予測不可能性
一緒にやってみる、そしてふりかえる。

それをエンターテイメント化すること。

そこにミッションがあるのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 08:24Comments(0)

2017年11月28日

「余白」と「委ねる」と「問い」と「学び」


松本の夜。


信州大学の授業「地域ブランド実践ゼミ」の講師飯田さんが
トイレに行っていて映っていないので講師風景を。

~~~講義メモ

料理道具専門店の飯田屋(合羽橋)
おろし器マニア「おろしニスト」飯田結太さんについてはこちら
http://konomi.me/I0004943

1000分の1の熱狂
認知されない→存在しないと一緒

研ぎ澄まされた何か。

実店舗の可能性
アマゾン・楽天で失敗した人が買いに来る。
もう失敗したくない。

・かぶる会社がないこと
・情熱を持ち続けること
・新カテゴリーをつくること

世界観がないと価格競争を強いられる。
やっていることを削ぎ落とす。
100%キッチン

料理をつくる人をいい道具で幸せにする。
→ひと手間増える。

料理は人のためにするもの。
その人を幸せにする。
世の中が幸せになる。

~~~ここまで講義メモ

いやあ、かっこいい。
「削ぎ落とす」ことが信頼を生み、ブランドになるって思った。
ダイコンおろし買いに行きたくなった。
いや、行きますけど。誰か一緒に行きませんか?

そして夜の部へ。
塩尻の山田くんとその仲間たちに混ぜてもらい、松本の夜。

奥義と型と構造化とか
9歳の男の子が始めたレモネードスタンドの話とか
初頭効果と終末効果の話とか
feel imagine do shareの話とか
ナンパとマーケティングとブランドの話とか
藤原印刷さんの話とか

しました。

~~~以下メモ

5秒間で浮かばなければ、存在しないと同じ
「ブランド」においてイス取りゲームのイスは2,3席しかない。
ブランドの最高位は「リレーションシップ」

リビセン本は10冊セットでbaseで売った
でファンが買って、買った人みんなが本屋になった。

ノウハウはだんだん0円になっていく。
連携じゃなくて、連繋。
為せば成るではなくて、為して成す。
プチプチみたいなもので全部つぶせばいい。

タメをつくると攻守交代する
詩は余白。読んだ人に委ねることができる。

答えは教えない。教科書2.0。

本は読むものではなく戦うもの。
本は抱くもの。買うもの。

~~~以上メモ

なんていうか、男6人、楽しい夜でした。

余白デザイナー僕としては、印象に残ったのは、
やはり、余白の話。

「余白」ってなんだろう?
ってあらためて考えた。

3年前の夏、新潟で四万十の迫田さんと
塩尻で三田の家の坂倉さんに出会った。
ふたりが同じようなことを言っているのではないかと思った。

「ツルハシブックスはもっと面白くできる」

そう思った。
そのための方法が、僕がいなくなることだった。

「余白」をつくる。
完成を未完成に戻す。
マサシとゆきもんが次のツルハシブックスをつくった。
昨日のブログでシェアした
「これがツルハシブックスの日常」です、だ。
「偶然」という名のアートがあの日もたしかに生まれてた。

「余白」というのは、「委ねる」ということ。
さっきの詩の話と同じだ。

たぶん。
昨年2月に、ワークショップ3.0
http://hero.niiblo.jp/e477213.html
で上田信行さんのワークショップスタイルを見てから、

~~~以下参考:ワークショップ3.0(西田メモ)

ワークショップ3.0
・参加者の興味や関心に応じて、
その場で何をするか決定し、比較的長時間をかけて目標の達成を図ろうとするもの
・ファシリテーターが予想以外の学びを得る場合が多い
・参加者とファシリテーター双方に即興性と創造性が重要視され求められる。

・その場で関心が出たことを話すことが可能
・何が起きるかわからないのでモノの準備が必要
・ある程度の前提知識が必要

~~~以上参考

僕のファシリテーションも「フォワード型」かつ「委ねる」型に変わった
それに伴って、参加者満足度が上がり、
さらに、なんといっても僕自身の学びが深くなった。
自分自身が学べる場となったのだ。
吉田松陰的に言えば、ワークショップが共に学ぶ場になった。

だから楽しいのかもしれない。

それを構造的に言えば、

「余白」をデザインすることで、
場に「委ねる」ことができるようになり、

それによって、
参加者にも「問い」と参加性が生まれ、
「学び」が大きくなるということなのではないか。

そのベースには、
青木将幸さんの言う「安心空間」づくりが必要で、
その方法としては昨日書いた「チューニング」が使える。

たとえば、昨日も書いたけど、
日曜日の多治見でオープニングで行った。
「10代に贈りたい本」の読書会は、

その人の内面や場にかける思いの深い部分を、
本を通じてさらけ出す効果を持っていた。

さらにその前の時間にやった
「本の処方箋」も悩みをさらけ出すことで、
「場」の空気が「ああ、本音を語ってもいいんだな」
となった。(たぶん)

そこに「余白」をつくり、「委ねる」こと。
「問い」を投げかけ、ひとりひとりが語り、
それによって「学び」を得ること。

たぶんそれこそが、楽しいミーティングの条件で、
そうやって企画は生み出されていくのではないだろうか。

手法に頼らず、「委ねる」こと。
そんなワークショップをこれからも作っていきたいと思った。  

Posted by ニシダタクジ at 09:09Comments(0)日記

2017年11月27日

「思い」のチューニングから始まるキカクカイギ

多治見まちづくり株式会社が主催する。
多治見駅に近い本町にある旧ワタナベ時計店をリニューアルして
本屋をベースにした「場」づくりのプロジェクトにお邪魔してきました。


世界時計


ワタナベ看板


メガネ、時計、貴金属を扱っていたみたいですね。


ランチを食べた喫茶K


卵を敷いたスパゲッティ「イタリアン」です。
ごはんとのセットがあるくらい、濃いめの味付け。多治見のソウルフード。

そのほか、多治見の図書館は
2015年度の「ライブラリーオブザイヤー」
(これ、横浜に見に行っていました)

そちらも見学に。
高校生がいっぱい勉強していました。

お題は、若者も立ち寄れるように、
いろんな人を巻き込みながらつくる本屋のある空間をつくる、という感じ。

13:00からは「本の処方箋」をやりました。
14:30からはトークライブというか企画会議的な。

本の処方箋は、いろんな悩みがありましたけど、
やっぱりこういうセッションが楽しんだなと。

もっとちゃんとやるには、
空間仕切るとか、時間をかけるとか方法があるけど、
それなりに人が来て盛り上がりました。

「オープンマインド」をつくる。
そういうデザインになっていたのかもしれません。

14:30からのトークでは、
まちづくり株式会社の小口さんの視察報告の後に、
自己紹介を兼ねた「10代に贈りたい本」の紹介。

それが終わって、
時計見たら、15:40で、
「あれ、予定終了時刻まであと20分しかないですけど。(笑)」
結局16:40くらいまでやってましたけどね。

僕の話は、
ツルハシブックスの本を通した取り組みを映像で紹介したあと、
プラットフォームとしての本屋の可能性について話す。
なぜ本屋なのか、そして本屋でできること、など。
https://www.youtube.com/watch?v=vWAlg7NSUUk

そのあと、3人1組になって感想を言った後で、
この場所でできることについて、思いを語り合った。

これが10分で終わらずに15分。
やっぱりみんな話したいんだな、と。
ゲストは話題提供者でいいんだなと。

話し合ったことを発表してもらうと、
どのチームも、大学生とか中高生とか、
そういう人たちに向けた企画が話されていた。

それが分かったのは、
発表が終わって、僕に返ってきたときに、

「顧客はだれか?」
「顧客にとっての価値は何か?」
っていう話をしたかったので、

4チームに、
「それって誰に向けてやりますか?」と問いかけた。
そしたら、大学生や中高生がもっとこの街を歩いてほしい
っていうことが分かった。

これは、もともとのイベントページにもそのような
「10代」「若者」っていうキーワードが出てきた
こともあるけど、

「10代に贈りたい本」を持ってきてもらい、
その上で、それを発表しているから、
それによって、その人の価値観や人間性が
見えてくるっていうのがある。

「10代に贈りたい本」という
コミュニケーションツールの凄さをあらためて感じた。

「私の好きな本」
「最近読んだ面白かった本」
よりも、「10代に贈りたい本」はパワフルだ。

それは本の話だけではなく、
「なぜ、この本を10代に贈りたいのか。」を
必然的に話さなければいけないからだ。

「コクリ!キャンプ」を主宰する三田愛さんの言葉を借りれば、「種火」。
誰もが心の奥に持っている種火。
そこに気づいて、火を広げること。

「思い」を語る、「種火」を語る。
それがチューニング(音合わせ)となり、
場の空気が温まる。
そんなことが起こっていたように思う。

そのあと、茅ヶ崎市美術館で行われた「ハックツ展」の話と
山田さんの名言「これがツルハシブックスの日常です」の動画
https://www.youtube.com/watch?v=bYq8iDb_ei4

顧客はだれか?
顧客にとっての価値は何か?
を問いかけた後で、その場の広がりについて、話をした。

そして、「居場所」になるリスクの話。
居心地のいい場所は、「居場所」になってしまうリスクを負うこと、

集まる場所(居場所)だけではなく、
始まる場所にならないといけないこと。

始まる場所になるために、企てる場所に
ならなければいけないということ。
そんな話をした。

これからも、まちの人が集まり、
「企画会議」を重ねていくことが大切なのではないかと思った。

最後にもう一度参加者からの
ふりかえりというか感想をもらう時間が取れたらいいなと
思ったけど、タイムオーバー。
まあ、残った人はそれなりに話していたので、それはそれでよかったけど。

帰り道。
大好きな書店「ちくさ正文館 本店」のある
千種駅で途中下車。


「あなた」という商品を高く売る方法―キャリア戦略をマーケティングから考える
(永井孝尚 NHK出版新書)

を買いました。
例の「100円のコーラを~」の著者の本。
「バリュープロポジション」という考え方。

「①どんな強み(自分の強み)」を生かして
「②だれの(ターゲット)」
「③どんな悩みに(ニーズ)」
「④いかに応えるか(自分の仕事)」

そして
「相手がほしいもの」
「自分が提供できるもの」
「ほかが提供できるもの」
の三角形の中の

「相手がほしいもので、
ほかが提供できなくて、
自分が提供できるもの」

を見つけていくことが
バリュープロポジションだと。

そんな風に考えると、僕自身は、
「若者を巻き込みたい」
「若者と一緒に何かしたい」
と考えている地域の人たちへ、

あるいは、
「地域で何か面白いことしたい」
「自分に自信がないので何かアクションしたい」
と思っている若者たちへ、

企画会議というよりも、
もっとゆるい「キカクカイギ」くらいの
「場」を提供することかもしれない。

そこから生まれる「企画」そのものに対しては、
みんなが目標設定やチーム作りを行って実現に向かっていくこと。
それは地域でやればいいのだと。

そっか。
そんな「キカクカイギのつくりかた」が
僕の提供できることかもしれないといま思いました。
意外にブルーオーシャンかもしれませんね。

僕ができることは、
「思い」のチューニングで、場のチカラを高めて、
キカクカイギそのものに「また来たい」と思えるようになるっていうこと。

具体的には、

冒頭に自己紹介をやる
・フルネーム(あるいはニックネーム)
・出身地とご当地自慢
・最近あった(あるいは24時間以内にあった)よかったこと
・参加動機
あたりを参加者全員で共有でいるとよい。

そして、ミーティング中にも
グループワークを入れて、
小さな「感想」と思ったことや思いついたことを共有する

そして終わり際に
・今日の感想
(印象的だった言葉、自分が感じたこと)
をランダムに言って終わるということ。

文字にすると、簡単な気がする。
すぐにできるかも。

まあ、いいや。(笑)
こうやって、企画が生まれる場をつくっていくこと。

ゆるいキカクカイギの場づくり。
そこに僕のミッションがあるのかもしれません。

そして
「10代に贈りたい本」という問いかけは、
まちの人々と、まちづくり会社やまちづくりに携わる人たちを
つなぐコミュニケーションツールになり得る、と思ったことが
一番の学びでした。

多治見のみなさん、ありがとうございました。
またお会いしたいです。  

Posted by ニシダタクジ at 08:23Comments(0)日記

2017年11月26日

ベルギービールを愛するということ



名古屋女子ビール部の復活イベント。
日本におけるベルギービールの第一人者である
三輪一記さんのトークからスタート
一般財団法人日本ベルギービールプロフェッショナル協会代表理事
ベルギーは九州と同じくらいの面積に1000万人が暮らしている。
なんと、1600種類のベルギービールがあるのだという。

ワイン以上の多様性があって、
熟成することでまた味わいが変わり、
開ける瞬間、飲む瞬間、楽しみが広がるのだという。

昨日は8名の参加者と
数年前まで活動していた名古屋女子ビール部についてと
2階にあるライブラリーの活用法について、話をしました。

いちばん盛り上がったのは、
ベルギービールの絵本をつくる、というもの。
三輪さんがベルギーで出会ってきた作り手の物語を
ちょっとずつ絵本にしていくこと。

ひとつは、
・酔った段階では、活字の本はなかなか読めない。
そして、
・作り手の物語を知りたい。
さらに、
・絵本であれば、みんなで読める。

そういうコミュニケーション・ツールとしての
本づくりをするのはいいかもしれない。


「ソムリエール」っていうマンガがある。
(著:城アラキ、イラスト:松井 勝法 集英社 2007年第1巻発売)

このマンガでは、作り手の物語がつづられている。
北海道で無農薬で作り続けている兄弟の話とか。
ラベルからは伝わってこない作り手の物語、思いに触れると、
そのワインを飲むときに、心が旅をするんだ。

そういえば、今回誘ってくれた
名古屋女子ビール部のプロデューサーの
本間さんが最初に言っていた。

「ベルギービールを飲むと、
ベルギーを旅しているような気持ちになる」
旅ができるビールなんだ、ベルギービールは。

で、今回のイベント企画がなぜ起こったのかというと、
新潟で本間さんと話していて、

ベルギービール屋さんの2Fに本棚があって、
そこでライブラリーをつくる、みたいな話で、
そのときにピンと来たのは。

ひとり飲みできる女子は、(男子もだけど)
精神的に自立した人が多いような気がする。(僕の統計上)

そういう人たちが、
ビールと本をきっかけに出会ったりしたら
楽しいのではないかなと思ったのです。

で、実際に昼間からビールを飲む、
名古屋女子ビール部っていう名称
に惹かれてやってきた女子が2名いたので、
それは意外に当たっていたのかもと。

そして、参加者のひとりが言っていたことで
印象的なことがひとつ。
「出会いが楽しいから1人で飲みに行く。」

なるほど。
酒場はお酒をみんなで飲むことで、
心が開いている状態をつくりやすい。
酔っ払いはみな、(精神的に)フラットになれる。
そういうことなのかもしれない。

「イノベーション」がどう起こるか。
これは、水曜日のフォーラム、
金曜日の信州大学の授業からのテーマでもあるのだけど。

多様性とフラットな関係性。
これがカギになるなと思った。

そういう意味では、
ベルギービールを飲みながら
語る場は、何かが起こりそうな気がする。

ひとつ詩が浮かんだ。

ベルギービールを愛するということ。
それは多様性を愛するということ。
作り手をリスペクトするということ。

酒場で飲む、を愛するということ。
それはフラットな関係性を愛するということ。
1回限りのいまこの瞬間を楽しむということ。
(2017.11.25 名古屋女子ビール部)

ベルギービールは、本に似ている。
そしてベルギービール屋は本屋に似ている、って思った。

本屋という空間は、
「人は多様でいいんだ」というメッセージを
本棚が発している空間だと僕は思う。

そしてそこで本と出会い、心が動かされる。
人と出会い、何か会話が生まれる。
そこから始まる物語がある。

本を通じると、人と人はフラットになる。
本屋での出会いは、その時限りの劇場のようになる。
それがツルハシブックスでやってきたことだった。

そうだとすると、ベルギービール×本って、
かなり面白いんじゃないか。

「集まる場」と「始まる場」
そんな場所になったらいいなと思いました。

僕にとっても素敵な気づきがありました。
またご一緒しましょう、本間ねーさん。  

Posted by ニシダタクジ at 08:27Comments(0)イベント

2017年11月23日

このまちに大切な人を呼びたいと思いますか?


MICHIKARA 官民協働フォーラムに行ってきました。

なんか、くやしかったです。
プレイヤーはどんどん前に進んでいるんだなって。
敗北感でいっぱいでした。

印象的だったキーワードを少し紹介。

渋谷区長の長谷部さんへの
フューチャーセッションズ野村さんのコメント。
「1つ1つのアイデアに、区長がすべてコメントしていてすごい」
って。

いい組織とは、トップがアイデアに興味がある組織。
結果だけに興味がある組織はいい組織とは言えない。

なるほど。
リクルートはそうやって、人を育成してきたのだなと。
あなたの組織のトップは、アイデアに興味があるか?
ってこと。

そして何より、今回もっとも響いたのは、
タイトルにもなっている岩手県釜石市の石井さんと日立製作所の話。

さまざまな取り組みをして、
全国的に注目されている釜石市。

そのKPI(重要目標達成指標)は、
「釜石に大切な人を呼びたいと思いますか?」
という住民アンケートだという。

なんということだろう。
「誇り」そのものがKPIだなんて。

日立製作所の写真プロボノを通じた
釜石市の取り組みの話も素敵だった。

CSR担当部長の増田さんの話。
まず、半年、ひたすら通った。
「釜石の現状を教えてください」
と副市長に話を聞いた

そのあいだ、多数の連携の話が
さまざまな企業から来たという。

半年後、副市長から、
「今夜どうですか?」と飲みに誘われた。
そこで初めて出た課題の話。
半年かかって築き上げた何か。

僕たちの「連携」は、
お見合いじゃなくて恋愛結婚ですから
なんて言っていたけど、ホントそうだなと。

ていねいなヒアリング、地域調査。
そこからどんなアウトプットを出していくか。
そこをやらなきゃ、本当に必要とされるものは
出ないのだろうな。

ミニワークショップは、話題の
あいそうな4人で組んで話をする。

自分たちの問いは、
「地域を好きになるような学びの場、仕組みづくりとは?」
官民協働でやりたいこと。
やっぱりこれかな、と。

それを僕は本屋を通してやりたいと改めて思った。
官民協働フォーラムが日常化しているような、そんな場所。

最後に、イノベーションが起こる方法として、
以下のまとめがあった。

・顧客の声を異常なくらい聞く
・原体験を起点に
・熱狂的アーリーアダプターを10人探す

そういう意味では、
僕は、かなり聞いてきたほうだと思う。
起点にする原体験もある。
あとは熱狂的アーリーアダプターを10人。

そこかな。
大切な人を呼びたくなるまちを協働してつくっていく。

まだ、それがなぜ本屋なのか?
って明確に言えないけど、
僕は本屋がその拠点になりうると思う。

・フラットな関係性
・アイデアを聞く場所
・チームができる場

「集まる」場と「始まる」場としての本屋

うーん。
まだ興奮して、うまく書けないけど、
また明日、山田さんに聞いてみます。  

Posted by ニシダタクジ at 08:22Comments(0)学び

2017年11月21日

越境する窓としての本と、ドアとしての本屋


「断片的なものの社会学」(岸政彦 朝日出版社)

11日に行われたイベント「DIVE IN BOOKS」内の
「はじめましての3冊」企画で「魔法をかける編集」と交換した本。
お借りしています。ようやく読み始めました。
現在91ページまで来ました。

素晴らしくタイムリーでした。

昨日の「秘密の作戦会議」のテーマは、
「越境」だったので、

「越境」というキーワードがぐるぐる
していたところだったので、
この80ページからの「出ていくことと帰ること」
がめっちゃよかった。

「なぜ本屋なのか?」っていう問いに対しての
僕自身の仮説がカタチを伴ってきたな、って。

アウェー感っていう言葉があるけど、
そういうのを感じる場所に身を置かないと、
「越境」とは言えないのだろうなと。

大学生が地域に出る意味、について。
それはひとえに「越境する学び」だろうと思う。

地域に出る。
なにか活動に参加する。
その意味がどこにあるのか、考える。
フィードバックをもらい、自己評価を行う。

「大学の外に出る」っていうのは、
物理的に出ることじゃなくて、精神的に、
つまり、以前書いた「他者評価の檻」
から脱出することなのだろうと思う。

「学び」は越境にある。
境の向こう側か、あるいは境目上にある。

その「学び」こそ、エンターテイメントだ。
最強のエンターテイメントとは、「学び」だと僕は思う。

だから人は本を読み、旅をして、人に会うのだろうと思う。

そんなことをぼんやりと考えながら電車に乗って、
この本を開いたところで、タイムリーに飛び込んできた言葉たちがあった。

~~~ここから引用

私たちはいつも、どこに行っても居場所がない。
だから、いつも今いるここを出てどこかへ行きたい。

居場所が問題になるときは、かならずそれが失われたか、
手に入れられないかのどちらかのときで、
だから居場所はつねに必ず、否定的なかたちでしか存在しない。

しかるべき居場所にいるときには、
居場所という問題は思い浮かべられさえしない。
居場所が問題になるときは、
必ず、それが「ない」ときに限られる。

誰にでも思わぬところに「そとに向かって開いている窓」があるのだ。
私の場合は本だった。同じような人は多いだろう。
四角い紙の本はそのまま、外にむかって開いている四角い窓だ。

だからみんな、本さえ読めば、実際には自分の家や街しか知らなくても、
ここではないどこかに「外」というものがあって、
私たちは自由に扉を開けてどこにでも行くことができるのだ、
という感覚を得ることができる。

そして私たちは、時がくれば本当に窓や扉を開けて、
自分の好きなところに出かけていくのである。

あるときには本が窓になったり、人が窓になったりする。
音楽というものも、多くの人々にとって、そうだろう。
それは時に、思いもしなかった場所へ、
なかば強引に私たちを連れ去っていく。

~~~ここまで引用

そうそう。
思わぬところに窓があって、そこから人は「越境」していく。
そこにエンターテイメントとしての「学び」があるのではないかと思うのだ。

そしてそれこそが、
「自由への扉」となる。

ローカル・リベラルアーツ・ラボラトリーと
しての本屋をやる上で、避けられない問い。

それは「自由」とは何か?である。
そして、自分はどのレベルの自由を欲するか、である。

会社員になる、というのは、
月曜日から金曜日の時間的制約を受ける代わりに
一定の給与によって、一定の金銭的自由が得られる。
そして、金銭的自由が精神的自由をもたらしてくれる。
多くの人がそうやって生きてきたし、生きているのだろう。

その「自由」を自分なりに定義をすることが大切だと僕は思うし、
それは大学生、いや高校生のときから問い始めても早くないと思う。

「自由」とはなにか?を問うためには、
越境してみることは非常に有効だろうと思う。

絵にすると、こういう感じ。


自分が生きている世界というか会社というか学校というか、
その価値観の外に出ること。
他者評価の檻を脱出すること。

そこでいろいろやってみて、
振り返って、自己評価を行うこと。
それを言語化し、人に伝え、
フィードバックをもらうこと。

その繰り返しでしか、「自由」の定義は得られないのではないか。
「自由」とは、嫌われる勇気であるってアドラーは言ったけど、

「自由」とは、他者評価オンリーの人生を生きないということなのだと
現時点では僕は思う。

だから、「自由」の獲得のためには、
自己評価の習慣をつけること。
その前に、他者評価の外へ出ること。
越境すること。

岸さんのいうように、そのための方法のひとつ、
窓のひとつが、本である。

越境する機会の提供。
本と本屋の役割があるはそこにあるのだと思う。

日立の海のような本屋「うみまちブックス」も
越境するためのドアのような本屋になったらいいなと思う。
https://camp-fire.jp/projects/view/51775

最後に、昨日、一番響いた言葉を。

「志があれば、生きること自体が学問になる」(吉田松陰)

熱いっす。  

Posted by ニシダタクジ at 08:18Comments(0)

2017年11月20日

本屋というメディアをつくる


「MEDIA MAKERS―社会が動く「影響力」の正体」(田端信太郎 宣伝会議)

この本があまりにもタイムリーだったので、
ダイジェストでもう一度振り返りメモ。
この本は買いです。

~~~以下本文よりちょっとずつ引用。

「メディア」と「ファイナンス」は似ている
⇒「対象への信頼」が鍵になっている。

何かを伝えたい、という発信者の思いがあるときに、
それを伝達する「媒体・媒質」となるものこそが
語源本来の意味でのメディアの定義。

メディアとは、そこに情報の送り手と受け手の
二者が存在し、その間を仲介し、両者間において、
コミュニケーションを成立させることを目的とするものである。

Media型:送信者1 VS 受信者N ヤフーニュース等
Tool型:送信者N VS 受信者1 G-mail等
Community型:送信者N VS 受信者N フェイスブック等

メディアの影響力の本質
メディアで語られる=生きた証が記憶されるということ
メディアの価値「予言の自己実現能力」

ストック⇔フロー
参加性⇔権威性
リニア⇔ノンリニア

ペルソナの設定と、それが動き出すような物語をつくる。
尊敬・信頼・畏怖されないメディアは叩き売りされる。

テクノロジーの進化によって、
メディア自身も変わらざるを得ない。

馬具メーカーをやめたエルメス。
自分たちは何屋さんなのか?という問いに対して、
「馬具メーカーである」と答えることをやめた。

「自分たちは何屋なのか?」
「自分たちだからこそ、社会や顧客に提供できる本質的価値とは何か?」
このことを常に自問自答しなければなりません。

新聞はすべてパッケージされていた。
いまはすべてがアンバンドリング(バラバラになる)されている

新聞社に突き付けられているのは、プラットフォーマーになるのか、
プレイヤーに徹するのか?という重い選択です。

これまでは、さまざまなビジネス上の
生態系をもとに産業の垣根ができていたわけですが、
クラウドのインフラ上では、あらゆる境界線が溶けてなくなりつつあります。
そんな状況では、メディア企業と事業会社や広告主の境界線も消滅しつつあります。

さらに、プロとアマチュアの境界線も、
例えば、大学と書店とコンサルティング会社とビジネス・カンファレンス業と、
専門出版社の境目すら消えつつあるわけです。
知識を売る、という意味では、大学も書店も、
コンサルティング会社も全てフラットに同一平面上に並ぶわけです。

そして、徹底的にアンバンドリングが進んだ後には、
これまでとは違ったメディア環境が広がり、
アンバンドルされたものがまた別の視点から
パッケージングされ、リワイヤリングされているのではないでしょうか?

その際の主役となるプレイヤーは誰でしょうか?
私の仮説では、それは個人です。

雑誌がオーケストラなら、メルマガはロックバンド。

雑誌は抱き合わせ販売されていて、
個人のファンならメルマガを購読したほうが
効果的で効率的。

「雑誌は編集長の王国」だった時代は終わり、
誰も王の名前も知らない。

いまや有料個人メルマガこそが
「王国型メディア」である。
それは、個人が「無限責任」を負うということ。

商業メディアは有限責任で
(記者の)匿名性の高いメディアである。
そこには、嘘というか、ネガティブな意図が入り込む
隙が生まれる。

有限責任である株式会社で発信する限り、
そこが限界になる。

誰でも発信者(メディア)になれる時代に
どちらが信頼に足りうるでしょうか。

~~~ここまで引用メモ

いいですね。
振り返っても、すごい学び多い1冊。
このメディアを「本屋」に替えてみる。
媒体を「クラウドファンディング」に替えてみる。

その先に、僕が29歳の時に「小説吉田松陰」を読んで
妄想した、「学びあいの仕組み作りで希望の灯を燃やす」

そんな本屋の形があるように思います。  

Posted by ニシダタクジ at 08:28Comments(0)

2017年11月18日

ドラクエ3のように地図が広がっていく

コクリエドリンクスvol.5でした。

菅原さんの話、おもしろかった~。
人と人をつなぎまくっているヒタチモン大學の
菅原さん。

人と人をつなぐときに、
考えていること。

1 個性(らしさ、スキル、客層)どうしがどうつながるか
2 個々の相性
3 各々の客層の相性

この、3の客層の相性っていう
発想はなかったので、面白いなあと。

そして、菅原さんのすごいところは、
マップに落とし込む、ということ。

コミュニティ生息域とかファン層の分布とか、
視覚的に理解しているところがすごいなと。

ヒタチモン大學は、
毎年、テーマを持ってやっている。

1年目は日立市内でイベントをする。
2年目は食のイベントに特化してやる。
⇒すると市外・県外の人が反応し、日立に来る。

3年目はひたすら外(日立市外)に出る
⇒ドラクエ3のように地図が広がっていく

4年目の今年は都内にターゲットを絞り、
茨城へ来てもらうように

きっかけは秋田のシェアビレッジ
http://sharevillage.jp/

ここに元日にいったら、
都内からかなりの人が来ていたということ、

これは茨城に必要な動きだ、
ということで都内から茨城への動きをつくろうとして、
これから「茨城移住計画」をスタート。

強調するテーマは、「スポーツ移住」
菅原さん自身がラグビーをやるために
水戸から日立へ転職・転居をしたこともあり、
そういうニーズがあるのではないかなと。

なるほど。
たしかに、スポーツコミュニティって
同じベクトルを共有しているから、仲良くなれる。

で、菅原さんの人脈の広げ方。

紙媒体(チラシ)配りは意味がない。
デジタルだけでも意味がない。

紙媒体であれば、渡す時の工夫を。
フェイスブックでもつながってから、
ハガキを書いて、メッセージを送る。

NGワードは「よろしくお願いします」
人はお願いされたくない。
考えなきゃいけないのは、何を与えるか。giveできるか。

ハガキに書くのは、
「とりわけ、この話が面白かったです」ということ。
そして「またお会いしたい」ということ。

そして、興味深かったのは、
ハガキというメディアの位置づけ。

ハガキというメディアを会社に送る
ということ。

メールでは、個人から個人への開いて、それで終わり。

ところが、ハガキだと、
何人かの手を介さないと届かない。

そして、もし、会社に送るとなると、
(もちろん家庭でも同じだけど)

そのほかの人にも目にとまる。
ハガキはオープンメディアだから、
この人からこの人へハガキ(しかもお礼状)が来たんだな
っていうのはみんなが認識する。

そこから始まる波がある。
たしかに。
そう思った。

菅原さんは、ハガキを書くのが好きなので、
ハガキというツールを使っている。
みんなも好きなツールを使ってやったらいいと。

そういう感じ。
リアルあってのデジタル。
ほんとそうだなと。

個性や才能の見つけ方は、
過去を掘っていくこと。
これはほんとその通りだと思った。

趣味は、スーパーやコンビニで
人が何をどう買うかを見ること。
「動線フェチ」なんだって言ってた。

その原点は
ゲームにあるのだという。

プレステ版の「ザ・コンビニ」
「シムシティー」のまちづくり
そしてドラゴンクエスト。

ドラクエ3では、
旅を進めると、だんだんと地図の範囲が
広がっていくのだという。

そして、
ドラクエにはもうひとつ大切な原則がある。

「会話しないと進めない」っていうこと。

誰かと話さないと先に進めないし。
みんなと話せば、誰かがヒントを持っている。
そうやって、菅原さんは人と人をつないできたのだ。

そんなリアルとデジタルのあいだ、
な本屋さんをつくりたいなあと思いました。  

Posted by ニシダタクジ at 07:48Comments(0)日記

2017年11月17日

メディアの力とは予言の自己実現能力のこと


「MEDIA MAKERS―社会が動く「影響力」の正体」(田端信太郎 宣伝会議)

個人がメディアになる時代に、読んでおきたい1冊

結論から。
「メディアの持つ影響力」について、明確に一言で。

~~~以下引用

メディアには、そこでなされた予言自体を
自己実現させてしまう傾向があり、
この「予言の自己実現能力」こそが、
メディアへの畏怖の念と影響力の源泉でもありました。

そしてメディアの信頼性・ブランド力・影響力とは、
「予言」実現能力対する価値のことである。

~~~以上引用

なるほど。
めちゃ本質的。

このあとコンテンツを3つの軸で読み解く。

1つめが
ストックとフロー

単行本からツイッター(SNS)まで
ストック性は大きいものから小さくなっていく。
ウェブメディアの中でも、ブログとフェイスブックでは
ストック性とフロー性が異なる。

これらはどちらがいいとかではなくて、
どちらもミックスする必要がある。
本とSNSっていうのはたしかにいい相性かも。

2つめが
参加性と権威性

食べログとミシュランなどを例に出して
参加性と権威性について語る。
こちらは現在は参加性に寄ってきている。

3つめが
リニアとノンリニア

リニアというのは線形のことで、
映画のように、一度見始めると、
最後まで見るというように、
リニア性の高いコンテンツであり、

他方、テレビやネットメディアは、
チャンネルを変えたり、リンクでほかのところへ飛べるので、
ノンリニアなコンテンツといえる。
特にデジタルメディアは宿命的にノンリニアなコンテンツとなる。

なるほどな~って。

で、僕の中でいちばんおもしろかったのは、次のペルソナのところ。
(まだ読み終わってないですが)

「メディア編集者は、対象読者の「イタコ」となれ!」
ではじまる項がナイスです。

~~~以下引用

成功している一流メディアでは、明示的か、暗黙的かは別にして、
その読者がどういう人なのか?を活き活きと独り語りするような、
いわゆる「ペルソナ」と呼ばれるものが、関係者の「脳内」に存在しています。

長編小説を書く作家や人気マンガの原作者が、作品完成後のインタビューなどで、
しばしば『頭の中に、登場人物の「キャラ設定」さえできてしまえば、
あとは勝手に登場人物たちが、ストーリーを前に引っ張っていくんですよ』
といった趣旨のことを話すのを聞いたことはないでしょうか。

ここで言われるキャラ設定と、
メディア編集の世界における読者「ペルソナ」の設定は
ほどんど同じものだと思います。

擬人化のパワーを利用し、想定読者にイタコのように憑依してみることで、
こうしたシチュエーションにおける編集ジャッジの速度と精度、一貫性は
飛躍的に高まるでしょう。

個人の想像力には、限界がありますから、
実際のペルソナ作りには、想像力を補完するために
対象ターゲットを集めて、いわゆる
グループインタビューをすることは極めて有用です。

~~~以上引用

なるほどな~。

ここで、
「クラウドファンディング」をひとつのメディアだとして見ると、
そこには、買う人=寄付者=お客=読者がいる。

その人の設定ができているか、
ってとても大切なことだなと。

そしてもうひとつ気づいたこと。

クラウドファンディングが成功したその先の未来日記を
書くことってとても大切だなと。

今の現状のシチュエーションの中で、
未来を描いていくこと。

半分事実で、半分フィクション。
そういう未来。

そして、それは、
自分自身じゃなくて、もしかしたら、
設定した上で、他者が書いたほうが、
ワクワクする文章になるのかもしれないなと思った。

クラウドファンディングというメディアは、
まさに予言を自己実現していくものだ。

描く未来に共感を集めるために、
物語の力が必要なのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 08:27Comments(0)

2017年11月15日

テクノロジーの使い方


「なめらかなお金がめぐる社会。あるいは、なぜあなたは小さな経済圏で生きるべきなのか、ということ。」
(家入一真 ディスカヴァー・トゥエンティワン)

読み終わりました。
読み直し中です。

家入さん、カッコいいわ。
どうして、「CAMPFIRE」のスタッフのみんなが
キラキラしているのか、少しだけわかった気がした。

「この船に乗りたい」
って思わせる目的地(ビジョン)がある。

家入一真さんは、高校中退後、引きこもりになり、
対人関係に悩んで、「誰にも合わずに仕事がしたい」
と起業を決意して、レンタルサーバー事業をスタート。
その後、カフェの運営や現代の駆け込み寺「リバ邸」などを展開。
2016年に自らが立ち上げたクラウドファンディング「CAMPFIRE」に復帰する。

この本では、「CAMPFIRE」での取組みが語られている。

クラウドファンディングのビジネスモデルは、
プロジェクトの達成金額の中から何%かを
運営会社が受け取るというプラットフォームビジネスである。

したがって、
目標金額(達成金額)が大きくなればなるほど、
手数料の額も大きくなる。

5000万円のプロジェクトがサクセス(達成)したら、
手数料が20%であれば、1000万円の収入となる。

家入さんは
「CAMPFIRE」復帰後、手数料をいきなり5%に下げた。
(現在は8%・・・決済手数料を除く)
5000万円のプロジェクトを1つつくるより、
5万円のプロジェクトを1,000個つくりたいという思いが詰まっていた。

家入さんが目指すのは、「金融包摂」だ。(以下本書より引用)

世界銀行による「金融包摂」の定義は、
「すべての人々が経済活動のチャンスを捉えるため、
また経済的に不安定な状況を軽減するために必要とされる
金融サービスにアクセスでき、またそれを利用できる状況」
ということ。

昨今話題になっている、社会的困難を抱える状況でも
社会参加の機会を与える、社会包摂という動きの金融版
と表現することもできる。

元来、金融システムは、既得権益は既得権益に守られがちなので、
金融のあり方は、金融機関による自助努力か、国によるトップダウン
でしか変化は期待できないものだった。

しかし、フィンテックの波が大きくなったことで、
僕たちベンチャー企業が金融の分野でも
声をあげられるチャンスが回ってきた。

今こそ、膠着した金融のあり方、
行きすぎた資本主義をアップデートする時が来ているのだ。

(ここまで本書より引用)

この後、家入さんは自らの活動を振り返り、
今までの活動は「社会包摂」にあったのではないか、と説明する。

レンタルサーバーやシェアハウス、
「居場所」をつくってきたけど、
そこから「アクション」を起こす時には
どうしてもお金の問題がつきまとう。
だから、クラウドファンディングなのだと。

すごいな。
コミュニティビジネス・ソーシャルビジネスって
そうやって起こるんだなとあらためて。

明確なWHYがある。
言い方を変えれば、ミッションがある。
そして顧客が「社会」だし、「未来」だ。

僕はこの本を読んでいてワクワクしたのは、

これは、本屋というプラットフォームとも
相性がいいということを感じたからだ。

ツルハシブックスのような若者が集まる本屋を
つくることができれば、

そこを「居場所」にだけするのではなく、
「アクション」の起こる「プラットフォーム」
に変えていくこと。

クラウドファンディングを立ち上げ、
それをメディアとして、全国の人たち、地域の人たちと
コミュニケーションをすること。

そこから、本書でいうような「小さな経済圏」を
つくっていくこと。

「居場所」ではなく「プラットフォーム」
「集まる場所」から「始まる場所」へ。
「集まる」と「始まる」が交互に起こり続ける場所。

きっとそんな場所を
地域資源をベースに作っていくこと。
それが、僕の「これからの本屋」の仮説だ。

僕自身は、顧客を絞り込んでいる。

やりたいことがわからない。
自信がない。
将来が漠然と不安だ。

そんな高校生大学生20代に、
「きっかけ」としての本、
「きっかけ」としての地域活動
「きっかけ」としてのインターン

を提供し、それを振り返り、自己評価することで
「学び」に落とし込む場をつくることだ。

その場の実現のために、
クラウドファンディングというテクノロジーをどう使うか?

どうせやるなら、誰とやるか、誰とどんな船に乗るか、ってめっちゃ大事だよね。

家入さんのテクノロジーの使い方には、
ミッションがある、ロマンがある。
その絵を一緒に実現するひとりになりたいと思う。

家入さん、その船、僕も乗りたいです。  

Posted by ニシダタクジ at 08:17Comments(0)

2017年11月14日

次の作品の話をしよう



先週、クラウドファンディング「CAMPFIRE」にお邪魔してきました。
森下さんと本屋トークで盛り上がりました。
ありがとうございました。

で、この本。


「なめらかなお金がめぐる社会。
あるいは、なぜあなたは小さな経済圏で生きるべきなのか、ということ。」
(家入一真 ディスカヴァー・トゥエンティワン)

これ、めちゃいい本だよ。
ツルハシブックスが売るべき本。

「CAMPFIRE」で働く人たちの
モチベーションの源泉に少し触れた気がしたよ。
目指すところのその先が近い気がした。

僕がやりたい次のお店。

それは
Local
Liberal Arts
Laboratory

「地域資源」を活用した
「自由になるための学び」を提供する
「実験室」

としての本屋

略して、スリーエル。
ダサいな、ダサい。
ネーミング考えないと。

「自由」っていうのは、

・精神的自由のための本・地域活動・インターンシップ
・経済的自由のための小商い・クラウドファンディング
・食糧的自由のための八百屋や米屋・加工品販売

そんな感じ。
それらを通して、「学び合う」空間。
地域の人、企業、産業などをベースに、学び合う空間

主なお客は大学生や高校生、20代30代あたりなのだけど。
そんな場としての本屋、つくります。

「CAMPFIRE」のような、思いの詰まった、次の作品の話をしよう。  

Posted by ニシダタクジ at 09:12Comments(0)

2017年11月13日

その「問い」であってます?

「学校化社会」では、
思考停止の罠がいろんなところに潜んでいる。

・偉い人がいる
・他者評価が前提となっている
・答えがある

「13歳のハローワーク」以来、
もっとも大きな問いは、

自分のやりたいことはなんだろう?

ツルハシブックスに立っているときも、
大学生の悩みの圧倒的1位は、

「やりたいことがわからない」
そして
「自分に自信がない」
だった。

「答え」が見つからないと悩む。
しかし、もしかしたら、それは問いが間違っているのかもしれない。


「なめらかなお金がめぐる社会。
あるいは、なぜあなたは小さな経済圏で生きるべきなのか、ということ。」
(家入一真 ディスカヴァー・トゥエンティワン)

読み始めました。
いきなり本質ついてくるなと。

~~~以下一部引用

働き方論はテクニックにすぎない。
大切なのはどんな生き方をしたいかであり、
それは自分にとっての幸せはどこにあるのかを探るということだ。

地域活性化の本質とは、その土地での暮らしの集積であるべきで、
それを大切に育てて、発信して、人を魅了していくことにあると思う。

ここでしか食べられないもの
ここでしか見られない景色
ここでしか出会えない人たち
ここでしか味わえない時間の流れ方

地域の魅力とは、そういうところにあるわけで、
東京には負けないぞとか、東京にはないこんな良さがあるとか、
物差しとして東京を引き合いに出している段階で
じつは東京に負けていることを多くの人は忘れがちだ。

「地方創生」という言葉には、国のシステムありきで、
それぞれの土地の本来のあり方を型にはめ、
阻害していくイメージがある。
要は、言葉から「におい」を感じないのだ。

実際、成功例の本質を理解せず、
ただ単純に模倣するばかりの自治体が増え、
「地方創生のイメージ」がコピペされた町が増えている気がする。

人は希望を持つから絶望する
夢を持つから夢に敗れる
他人との比較ばかりをするから自信を失う
完璧を目指すから失敗を恐れ、最初の一歩を踏み出せない。
過度に欲しがるから、心の穴が埋まらない。

~~~以上一部引用

そうそう。
ほんと、そう。
こういう本を届けないとな、やっぱ。

って、偉そうなことを言っているけど、

僕自身が20代のとき、
「自分のやりたいことは何か?」
そんな問いというかむしろ呪縛のまっただ中にいた。

大学院在学中の24歳春に、「まきどき村」を発足。
いわゆる「就職」はしなかった。

イベント企画会社、地ビール製造会社、
知り合いのお店の店番、出版社の地方書店営業

などをしながら、
地元の肉屋のメンチカツとコロッケを食べながら、生きていた。

まわりから見れば、
「好きなことをして生きている」ように見えただろう。
いや、実際そうだったのだけど。

友人の結婚式に行くたびに、
「俺にも、土日休みの人生があったんじゃないか。」
とか思って、凹んでた。

それって、
常に、
「自分の本当にやりたいことは何か?」
みたいな問いの呪縛だったように思う。

やりたいことをやっているはずなのに、
どうもしっくりこない。

それは単に他者評価(収入含む)が得られないという理由だけではなく、
その問いの呪縛だったんじゃないか。

その呪縛は、28歳くらいの時に、いつのまにか消えていたし、

それはひとつに、27歳の冬の
不登校の中学3年生、シンタロウとの出会いがあったし、
29歳の春に、「小説・吉田松陰」(童門冬二 集英社文庫)


を読んだときに、

野山獄のエピソード
(獄中で、それぞれが自分の特技である
書道教室や俳句教室、本の解説を行い、
みるみる獄中の雰囲気が明るくなっていったという話)

に心が震えて、
「獄中でさえ、学びあいで希望の灯が燃える」

それなら、この獄中のような(言い過ぎ)世の中も
学びあいの仕組みをつくれば、
希望が生まれるのではないかと思った。

それで、すぐに山口県萩に飛び、
吉田松陰先生の墓前に、誓いを立てた。

僕にとってのWHYの出発点はあそこにあると思うし、
ツルハシブックスだけでなく、
ほかの地域でやっているプロジェクトの
思想の根っこはそこにある。

だから、結局、
「やりたいことは何か?」
という問いを問い続けるのではなくて、

やってみる。
ふりかえる。
本を読む。
旅に出る。
人に会う。

そうやって、なぜ、自分はこれをやっているのか?
っていう問いに向かうこと。

あるいは仲間たちと相互に
ヒアリングしたり振り返りをすること。

そうして、
なぜ?

というか、

なぜ?を構成する

「顧客は誰か?」
「顧客にとって価値は何か?」
という問いを回し続けること。

僕自身の顧客は、
・ふるさとのない自分自身(「まきどき村」)
・中学生・高校生(自宅での学習塾「寺子屋途輝)
・居場所が学校しかない小学生(遊び場づくり「虹のひろば」)
・就職を考える大学生と地域企業(インターン事業「起業家留学」)
・普通の大学生(ツルハシブックス)

と変化して、いまは、自分に自信の持てない
始めたくても、始められない、なんとなくもやもやしている
大学生や20代が顧客だ。

そこに向かって、サービスを提供していく。

「やりたいことは何か?」という問いは本当にあっているのか?
と問いかけたい。

そんな場所になるであろう、
日立の海のような本屋「うみまちブックス」プロジェクト、応援しています。
https://camp-fire.jp/projects/view/51775  

Posted by ニシダタクジ at 08:16Comments(0)学び

2017年11月11日

キカクのうまれかたはWHYのうまれかた

昨日は根津での
「DIVE IN BOOKS」前夜祭でのトーク

キカクのうまれかた - ツルハシブックス西田さんに聞く「本屋の中の余白」
でした。

泊まれる古本市はこんな感じ




で、トークは前座で
ホットジンジャーをつくりました。


でトーク。


「キカクの作り方」じゃなくて「キカクのうまれかた」
そうそう。

キカクって生まれるものだなあと改めて思いました。

そして、いま、サブタイトル思い出したけど、
それは「余白」に生まれるんだなあと。
本屋はそういう場所になるんじゃないかと思いました。

で、僕としてはやっぱり、
「面白い企画」の「面白い」っていうのは、
モチベーションが持続するっていうことだと思います。

そのためには、
どうやって企画が生まれるか。

それ、やっぱり、WHYから始めるっていうか。
なぜやるか?っていうのに答えられること。

で、
なぜ?

っていうのは、アクションを始まる前に分からなくても
いいんだなっていうこと。

そして、
単純に「なぜ?」とは言うけど、

「なぜ?」
を分解していくと、

「顧客はだれか?」っていう
ドラッカーの問いにあたるなあと。

そして、その顧客は過去にしかいなくて、

1 過去の自分自身
(高校生の時に、将来に悩んでいた自分など)

2 過去に出会った人
(かつて家庭教師をした、不登校の中学生など)

3 身近な人に起こった、心が動く経験
(フローレンスの駒崎さんのように、電話越しでお母さんの知り合いの話を聞く、など)

そのときに、心が動く、感性が発動する。
そこに「顧客」が生まれる。

で、それっていうのは、
企画が始まった後に、出会うこともあって。
だから、日々ふりかえりをしないといけないんだよね。

1 予想できたよかったこと
2 予想できた悪かったこと
3 予想しなかった悪かったこと
4 予想しなかったよかったこと

これの4の中に「顧客」が隠れている。

で、顧客が決まれば、
その顧客に向かって、手紙を書くように、
企画をつくっていく、あるいはブラッシュアップしていく。

「地下古本コーナーHAKKUTSU」は、
一箱古本市から生まれた。


使われていなかった地下室を
ダンジョン風な売り場にしたかった。


一箱古本市にツルハシブックス宣伝のため出店
新品同様の本を100円で売っていた隣の人。
僕の箱のビジネス書を200円で買っていった小学校5年生。

3 
「古物商」を取ろうとしたけど、法人ではとるのが大変だったので断念し、
寄贈本のみで運営することに。
メッセージを書いてもらって寄贈するカタチに。

っていうまったくの偶然。
それがメディアに取り上げられて、

みんなが「なぜ?」「なぜ?」って聞くから、
そういえば、27歳の時に、不登校の中学生の家庭教師をして、
地域のテキトーな大人と中高生がつながれる方法はないか、
って思ってました。
って、そこでWHYが生まれた。

そう。
キカクのうまれかたは、
実はWHYのうまれかたなのかもしれない。

そして、それは過去にしかいない。
そしてその元は、自分自身の感性しかない。

「キカクのうまれかた」
があるとすれば、

思いついたら、アクションを起こしつつ、
「なぜ?」というか、「顧客はだれか?」
という問いに答えるために振り返りを行うこと。

そうやって、顧客と、WHYを見つけること。
顧客が見つかれば、あとは顧客に手紙を書くように
企画をブラッシュアップしていく。

そうそう。
そうやって、暗やみ本屋ハックツは10代限定になって、
運営を20代と10代で行うような仕組みになった。

ハックツの顧客は、
悩める10代と日常を何気なく過ごす20代、そして大人。

「10代に贈りたい本」という問い。

そしてその問いを一緒に考え、
「場をつくる」ことに向かっていく仲間。

たぶん、それが企画のうまれかた。

企画はつくるものじゃなく、うまれるもの。
WHYがうまれれば、あとは自分の内側から
湧き上がる情熱が企画を成就させてくれる。  

Posted by ニシダタクジ at 07:37Comments(0)

2017年11月10日

「手段が目的化」する危険

制度や仕組みはいつも危うさを抱えている。

「手段が目的化する」危険だ。

内田樹さんの
「大学教育は生き延びられるのか?」
http://lite.blogos.com/article/256652/

を読んだ。
まさにそれが起こっているのだ。

有効な手段だと、
その時は結論されたのだろうが、

それを検証され続けないと、
いつのまにか手段が目的化してしまう。

そして、これを読んで思ったのが、
「評価する」ということのむずかしさ。
公平な基準で評価をする。

ひとつひとつを数値化する。
それこそが目的を失わせるのではないかと思った。

新潟市は、小中学校に
コーディネーターなる人を入れて、
地域とのコラボレーションを進めている。

その報告会に愕然とした。
「うちの学校は年間何回、行事をやり、
何人の地域の方に参画していただきました」
みたいな報告ばかりだったのだ。

うそだろ、
なんのためにコーディネーターいれたんだよ?

って率直に疑問に思った。

~~~以下、上の記事から引用

授業がどういう教育効果をひとりひとりの学生にもたらすことになるのか、
それは教師にも学生自身にも予見できません。

英語の履修目的が異文化理解や異文化とのコミュニケーションのためである以上に
格付けのためのものだからです。

TOEICはおそらく大学で教えられているすべての教科の中で
最も格付けが客観的で精密なテストです。
だからみんなそのスコアを競うわけです。
競争相手が多ければ多いほど優劣の精度は高まる。

「誰でもできること」を「きわだってうまくできる」ことの方が
「できる人があまりいないこと」を「そこそこできる」ことよりも高く評価される。
格付けに基づいて資源分配する競争的な社会は必然的に均質的な社会になる。
そうやって日本中の大学は規格化、均質化し、定型化していった。

狭いところで「あなたは余人を以ては代え難い」と言われることよりも、
広いところで「あなたの替えはいくらでもいる」と言われる方を求める。
それは自分の唯一無二性よりも自分のカテゴリー内順位の方が
自分のアイデンティティを基礎づけると彼らが信じているからです。

「そんなことをしているのは自分しかいない」という状態が不安で仕方がないのです。

大学に格付けを要求するのは社会全体からの要請です。
あなたの大学がどういう大学であるのかは、
「他の大学を以ては代え難い」ところの唯一無二の個性によってではなく、
日本のすべての大学を含む単一のランキングにおいて何位であるかによって決定される、
そういう考え方に日本中が同意しているのです。

本当にユニークな研究教育活動は比較考量ができませんから、
格付けすると「評価不能」としてゼロ査定される。
研究教育活動がユニークであればあるほど
評価が下がるという仕組みがもう出来上がっているのです。

「ランダムさのないところに新たなものは生じない」
(Without the random, there can be no new thing)。
これは『精神と自然』の中のグレゴリー・ベイトソンの言葉です。

~~~以上引用

うわっ。
少子化時代を迎えた今、
大学の淘汰はやむをえないことなのだろう。
そしてそれは、明確な基準によってなされるべきだ。

うんうん。
たしかにそうだろう。

しかし、明確な評価基準を適用すればするほど、
ユニークなものは価値を失っていくのだ。
それはそのまま、若者のアイデンティティに
直結しているだろうと思う。

他者評価を得ようとすること、
それは、交換可能になる、とほぼ同義なんだ。

評価ではなく、「価値」を生み出そう。
目の前のお客に向き合い、「価値」を創り出そう。  

Posted by ニシダタクジ at 07:10Comments(0)日記

2017年11月07日

WHYはぶれずに、HOWはいつでも捨てよ



「成功体験はいらない~しがらみを捨てると世界の変化が見える」
(辻野晃一郎 PHPビジネス新書)

こういう本、好きなんですよ。(笑)
つい、買っちゃう。

で、キーワードをつぶやく。
https://twitter.com/tkj83
そんな電車読書をしています。

元ソニー。
そしてグーグルへ。
ソニーでは、あのVAIOを再生させた人。

そういえば、当時のVAIOは、
今でいう、アップルのようなブランド力があった。

僕自身も、大学生の時に、
「VAIOユーザーになりたい」
という動機でVAIOノートPCを買った覚えがある。

シンプルな薄紫色のVAIOカバーと
ノートパソコンとしてはたぶん初となる
向かいに座った人が「VAIO」と読めるデザインに
心を奪われた。

iphoneやmac book airを使う一部の人がそうであるように、
僕も「VAIOユーザーであるという誇り」を買っていた。

そんなことを思い出した辻野さんの本と、
そこに出てくるソニー精神。

~~~以下引用

ソニーの設立趣意書。
「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき
自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」

「従業員は厳選されたる、かなり小員数をもって構成し、
形式的職階制を避け、一切の秩序を実力本位、人格主義の上に置き、
個人の技能を最大限に発揮せしむ。」

従来の階層型組織は、平社員よりは課長、課長よりは部長のほうが
高い判断力を備えている、ということを一応の前提として成り立っていた。

たしかに安定成長の時代には、過去の成功体験を
そのまま踏襲することにより、一定の成果が得られたことは事実であり、
それゆえ、経験の豊富な上司のほうが部下よりも
的確な判断ができる、というこもには一定の説得力があった。

いまは過去の成功体験がまったく通用しない時代だ。
むしろ、成功体験を捨てられないことが足を引っ張る時代、とすらいえる。
そうなると求められるのは、時代の動きをいち早く察知する能力、
あるいは察知した瞬間にすぐ動く行動力となる。

そうした能力においては、第一線を離れたマネジャークラスの人間よりは、
現場の担当者のほうが優れていることもある。
また、成功体験を捨てるという意味では、
最初から成功体験のない部下のほうが有利なこともある。

そもそも、インターネットやクラウドとのつきあい方については、
インターネットの登場以前に仕事の仕方を覚えたおじさん世代よりも、
物心ついたころからそうした環境にどっぷりと浸かってきた世代のほうが有利ともいえる。

イノベーションはコミュニケーションから生まれる。

気づいた人が走り出すしかない

~~~ここまで引用

なんか、いいね。
そういう文化が必要なのだろうと思う。

フラットな組織とは、
ひとりひとりをリスペクトすること。
そういうところなのだろうな。

思ったのは、
もはや「組織」そのものが、
特に「大企業」という企業形態そのものが、
時代遅れになってきているとしたら、

こういうフラットな関係性でのプロジェクトは
どのようにして生まれるのだろうか。

そう考えると、「本屋」は悪くないと思う。

読書会などを見ているとそうだけれど、
「本」をテーマにすると、人はフラットになれる気がする。

そこにプロジェクトが生まれるためには、

この本のラストに書いてある
「WHYはぶれずに、HOWはいつでも捨てよ」
がヒントになるのではないか。

WHYを共通認識としてもち、
フラットな関係性で、プロジェクト(社会実験)を
始めてみること。
HOWをいろいろ試してみること。

その繰り返しでプロジェクトがビジネスへと進化していく。
そんな本屋ができるんじゃないか。

そして、それこそが、
ツルハシブックス(的な空間)のミッションなのではないかと。

「地域にプレイヤーが足りない。」とよく言われる。

でも、人はいるんだ。実際は。
チャレンジする人がいないだけ。
特に大学が近くにあるまちではそうだ。

「チャレンジ」とか「成功」とか「失敗」とかじゃなくて、
学園祭で何か発表するように、
プロジェクトを始められたらいいと思う。

そういう地域プラットフォームとしての本屋を
地域サイドではなく、若者サイドから
意味づけ、価値づけできるのが、
自分の強みではないか。

「WHYはぶれずに、HOWはいつでも捨てよ」

この言葉を胸に、進んでいこう。  

Posted by ニシダタクジ at 08:57Comments(0)

2017年11月06日

ツルハシ号、出張します。

11月5日(日)
昨年のツルハシブックス店舗の閉店の日、
新たな出発に出ることにしました。

冬の間、ツルハシ号(ミゼット2)
は軽くて後輪駆動なので、雪道は走るのが
難しいので、スタットレスタイヤを履いていません。

なので、冬のあいだ、
太平洋側へ出張することになりました。

内野から五泉を抜けて、
旧三川村の道の駅「阿賀の里」でピットイン。

阿賀野川と紅葉があまりにもきれいだったので、
その後、川沿いに登って写真を撮りました。


お昼は喜多方ラーメン。
「ばんない」は推定80人くらい並んでいました。
で隣の松食堂へ。

これが大当たり!
チャーシューが激ウマ。


また行きたい。
その後、郡山を通らないルートで、
「道の駅 羽鳥湖高原」にピンと来て、
山登りを敢行。ツルハシ号、無理させた。


そしたら、羽鳥湖が穴場中の穴場でした。
きれいだった、羽鳥湖。

山を下って、白河市へ。
白河図書館、白河駅前をとおりすがったところで、
!!!
そういえば。

白河といえば。
EMANON!

オーナーの青砥さんつながりで、
2回ほど来たことがある、
白河駅前にある、高校生×地域のカフェ「EMANON」へ。




高校生が勉強してる!


中庭には畑!


まさかのピザ窯!


ウッドデッキも高校生と作ったんだって。


これが会員証。ポイントを貯めると、すごいことに・・・


地元の食材を利用したコラボメニュー


高校生が開発したプリン。


そして、この人が青砥妹こと、青砥侑紀さん。

もう、なんか、圧倒されました。
惹きつける魅力ある。

機能もも高校生が、勉強するでもなく、
レジ前にいたのだけど、

話を聞かせてもらったら、
毎日来るのだって言ってた。

で、ポイント貯めて、
肉じゃがつくってもらうんだって。

うわ、いいね。
そういう関係。

侑紀さん自身は高校生の時に、
料理だ!ということで、料理の道に進みつつ、
お菓子屋さんでお菓子作りを学んで、
いまは東京の大学生を休学中。

いや、なんていうかね。
最終的には人の魅力だなあと。
場のチカラって人の魅力だよって。
とっても吸い込まれそうになりましたよ。

こういう場づくりのお供として、ツルハシ号が
活用できたらいいなあと思いました。

ツルハシ号と本を持って、
いろんな場所に出張して、
数週間のあいだ、その場所に、
本棚と本とツルハシ号を置かせてもらう、
みたいなことができたらいいなと思います。

来年春まで、ツルハシ号、出張します。
興味のある方は、お問い合わせください。  

Posted by ニシダタクジ at 07:58Comments(0)日記

2017年11月02日

「自由」を自分なりに再定義する

「自由」を自分なりに再定義すること。
きっとこれが必要になってくるのだろうなと思った。


「自由につくる 自在に生きる」(森博嗣 集英社新書)

コメタクの堀愛梨に薦められて
積ん読から引っ張り出して読む。
ナイス、堀。
いいタイミングでありがとう。

これはいいわ。

まず、ここからはじまる。
「自由というのは、自分の思ったとおりにできることです。」

~~~以下引用

「人の目を気にする」人間の大半は、
「自分の周囲の少数の人の目を気にしている」だけである。
そして、「人の目を気にしない」というのは、
自分一人だけの判断をしているのではなく、
逆に、「もっと確かな目(あるときは、もっと大勢の目)」
による評価を想定している、という意味だ。

それは、「今の目」だけではなく、「未来の目」にも範囲が及ぶ。
それが「客観」であり、「信念」になる。

僕がいいたいのは、「自由」が、思っているほど
「楽なものではない」ということである。
自分で考え、自分の力で進まなければならない。
その覚悟というか、決意のようなものが必要だ。

そもそも、「終わった!」「達成した!」という感覚こそが
人から与えられたノルマだからこそ感じるものだと言える。

自分の発想でやり始め、自分が自分に課した目標であれば、
たとえ見かけ上それを達成したとしても、新たな目標が必ず出てくるし、
途中できっと不満な部分に出会い、あそこを直したい、もう一度ちゃんとやり直したい、
という気持ちになるはずだ。自分の自由でやると、絶対そうなる。

コンテストや競技、あるいは競争というイベントのときだけに
「やった!」という達成感がある。とりもなおさず、
それは自由を獲得したというよりは、不自由から解放されただけのことで、
単に自由の出発点に立ったにすぎない。

目指すものは、自分で決めなければ意味がない。本当の自由がそこから始まる。

重要なことは、それが「支配」であると気づくことであり、
その自覚があれば、その次には、どうすれば自分の自由をもっと広げることができるか、
と自然に考えられるようになるだろう

一般に、支配する側の人間から見れば、大衆はなるべく一塊りになっていてほしい。
その方が扱いやすいからだ。これは、軍隊や、あるいは集団作業などを思い浮かべれば理解しやすいだろう。

~~~以上引用

まだ途中なのだけど、
そうそう、その通りだって。

先日のブログで書いた
「他者評価の檻」とは、そういうことだなと。

http://hero.niiblo.jp/e485980.html
(18歳を他者評価の檻から脱出させる 2017.10.10)

「この支配からの卒業♪」と
尾崎豊が歌った時代と違って

現代は、一見自由に見える、
しかし、それは、巧妙になっているだけだと
森さんは言う。
おそらくはそうだろうと思う。

あるいは、自らのどこかに、
自由ではなく支配を求める心があるのだ。

自由と支配とどちらが
楽かと言われたら、支配のほうが楽なのではないか。

こんな話を、
きっとひとりひとりが考えなければいけない時代を
生きているのだろうと思う。  

Posted by ニシダタクジ at 08:20Comments(0)