プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



新潟市西区内野町431-2
TEL 025-261-3188

平日12:00~19:00
土曜 7:00~21:00
日祝10:00~19:00
*火・水曜定休





QRコード
QRCODE
※カテゴリー別のRSSです
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 8人
オーナーへメッセージ

2017年02月01日

その本屋に来ることで好きになる

ヴィレッジヴァンガードの初期のイメージは
「立体BRUTUS」だったという。

そのストライクゾーン。
そんなふうに作ると、楽しいのだろうな。

もし、
これから本屋さんをやるとしたら、

あるいは、
米屋本屋であるとしたら、
そこに来た人にどうなってもらいたいか。

まちを好きになる。
みせを好きになる。
ひとを好きになる。

そして、人生が楽しくなる。

そんなプロセス。
それがいいかも。

それが本屋や米屋で始まったらいいなと思う。

よく、恋愛するには、
まず自分を好きにならなきゃいけないっていうけど、
それってそんなに簡単じゃないよね。

それってやっぱり
承認プロセスを登っていくことなのかもしれない。

1 親和的承認
2 集団的承認
3 一般的承認

「認められたいの正体~承認不安の時代」(山竹伸二 講談社現代新書)より

このプロセスをあがっていった先に
自信というか、自分を好きになるが待っているような気がする。

でも。
「まず好きになる」っていう方法があるんじゃないかと思う。

恋愛じゃなくて、
住んでいるまちだったり、
旅行でいったまちだったり、

そのまちをまず好きになること。
その店を好きになることから
はじまっていく。

その空間を好きになれば、
その空間を構成する人も好きになるのではないか。

そういうまちや店や人を好きな自分が
いることで、だんだんと好きになれるのかもしれない。

そんな本屋や米屋ができるんじゃないか。

まちを好きになる。
みせを好きになる。
ひとを好きになる。

そして自分の人生を好きになる。

そんなプロセスが始まる店を、
本屋を、本のある空間をつくりたいと思う。  

Posted by ニシダタクジ at 08:11Comments(0)思い

2016年08月16日

世の中に「やってみる」を増やす



8月15日(月)伊那市にカリカリ(仮)が仮オープンした。(笑)
11月にはプレオープン予定だ。

お店をオープンしたのは
信州大学農学部2年生の千晶さん。
ツルハシブックス店員侍だった葉月さんを姉に持つ。

出会ったのは昨年8月のアルプスブックキャンプ。
その後、まつもと空き家プロジェクトで空き家を改装して
「ロッピキ」をオープンさせた。

この春先に突然メッセージで、
「ツルハシブックスを伊那につくってもいいですか?」
と来た。

よくわからないけど、ぜひやりましょう、と返信したら、
わずか半年後に、仮オープン。
これから内装費用と家賃を集めるための
クラウドファンディングやイベントを行う。

ツルハシブックスとは、いったい何か。
そのミッションの僕なりの言語化をしてみようと思った。

ツルハシブックスに来るお客さんは大学生・20代が多い。
「本の処方箋」をやっているときもあるけど、
時に、悩み相談にのることがある。

そんな若者の
三大悩みは、
「承認(存在)不安」
「自信がない」
「やりたいことがわからない」
である。

3つとも持っている若者も多いので、
この3つは関連していると僕は考えている。

この悩みを読み解く3冊が
「認められたいの正体」(山竹伸二 講談社現代新書)
http://hero.niiblo.jp/e470668.html

「やればできる!の研究」(キャロル・S・ドゥエック 草思社)
http://hero.niiblo.jp/e262963.html

「評価経済社会」(岡田斗司夫 ダイヤモンド社)
http://hero.niiblo.jp/e479716.html

まず、現状で起こっている3つの悩みの原因と対処法を考えてみる。

「承認(存在)不安」は、
核家族化や地域のつながりの希薄化など、
ありのままの自分の承認機会の減少が
その根本原因としてあるのだろうと思う。

昔であれば祖父母や地域のおっちゃんおばちゃんが
果たしてくれた承認機会を得ることなく、子どもは成長していく。

これには、家庭環境がかなり大きく影響しているが
参加・参画型の「祭り」のある地域で育った子は、
「承認(存在)不安」は小さいように感じる。

そして、学校ではどうか。
学校では、「承認(存在)不安」に対しては、
一般的に「褒める」という手法が使われている
ところが、これはほとんど機能していない。

「褒める」という行為は、アドラーも言っているが、
「あなたより私は優位にある」という証明にしかならず、
褒める、つまり他者から承認を求めるようになってしまう。

大切なのは、自分で自分を承認してやることであるが、
それには、存在に対する圧倒的な承認が必要となる。

そこで注目したいのが、「高齢者地域」への滞在である。
たとえば、新潟県の佐渡島の北に浮かぶ小さな島、粟島。

海水浴シーズンではない9月などに島に行くと、
その辺を歩いているだけで、
「どこから来たんだ?今日は何するんだ?」
と話しかけてくる。

この「関心を持ってもらう」というのが、
すごく重要であると思う。
気づかずに承認欲求が満たされていくのである。

次に、「自信がない」という課題であるが、
この原因は、やはり学校生活における
他者との比較による自己不能感(自分には能力がない)

という刷り込みを、学校が、あるいは本人自らが
自分にしてしまったことだろうと思う。

これに対して現在の学校では、
「小さな挑戦を繰り返し、達成することによって自信をつける」
とある。
心理学者アルバート・バンデューラの「自己効力感」理論である。

しかし、話を聞いていると、
そもそも、自信の無い(といっている)子は、
最初の小さな挑戦のドミノが倒れないのである。

「やればできる!の研究」のドゥエック博士によれば、
これはマインドセットの問題で、

「自分の能力は生まれつき固定されている」(固定的知能観)

「自分の能力はやればやるほど開花していく」(成長的知能観)

の問題であると説明し、チャレンジするのに自信は要らないと説く。

だから、「自信がない」に対する対処法は、
あとから振り返った時に、
「実は小さなチャレンジだったんだ」と気づくような
挑戦の設計を行うことだと思う。

最後に、「やりたいことがわからない」への対応。

このとき、ありがちなのが、
「なんでも好きなことをやってみたらいい」
という謎のアドバイスだ。

しかし、「頭痛である」という課題に対し、
「頭痛薬(鎮痛薬)を飲んだらいい」というアドバイスくらい、
何の解決にもなっていない。

頭痛の原因が学校や家庭でのストレスかもしれないし、
寝不足かもしれない。
その原因を探らなければならない。

そして「やりたいことがわからない」の解決策は、
つい、「やりたいことが見つかっている」ことのような気がするけど
実は、本当の課題は「やりたいことがわからなくてつらい」
ということであり、解決策は「やりたいことはわからないけどつらくない」
ということかもしれない。

この場合の対処法は、
「やってみる」を増やすことだ。
そして、そのときに、個人戦じゃなく団体戦、チーム戦にすること。

誰かの手伝いをやってみる。
少しだけ役割を果たしてみる。
それを振り返った時に、自分も小さな役割を果たせたと思えること。
実現可能なんだという小さな自信を手に入れること。

その中から「やりたいこと」や「お客」(大切にしたい人、この人のために頑張りたいと思える人)
に出会えることから、人生は開けていくのだと思う。

その時に越えなければいけない壁が
「挑戦しろ。でも途中でやめるな」というダブルバインドと、
「効率化」という工業社会の呪縛だ。

「継続は力なり」や「石の上にも3年」
というのは、稲作や工業のときの話だ。

「評価経済社会」によれば、
すでに第3の革命が起こりつつある。

そのときに、価値を持つのは、
継続ではなく、はじめること、「やってみる」ことだ。

すでに産業社会は変わっている。

冷蔵庫やテレビ、自動車を売っていた時代から
ポータブルCDプレイヤー、ケータイやスマホに変わり、
いまや、ソフト系IT企業全盛の時代だ。

彼らのビジネスモデルは、
試作版をリリースして、使ってもらいながら改善してのちに有料化するか、
あるいはプラットフォームを提供して広告やアイテムなどの課金ポイントをつくるか、
というものだ。

そこで価値を持つのは、
「試作版」でもいいから創り、リリースする力である。
つまり、「やってみる」ということだ。

「継続は力なり」はある意味真実だろうが、
新しく何かを始めるということは、
何かを途中で辞めることと同時に起こる。

だから、途中で辞めることを恐れずに、
「やってみる」ことが大切だ。

「途中で辞める」ことに対して、世間の目は厳しい。

それは、ここ2000年間、「稲作」を生活の中心として
生きてきたからだろうと思う。

稲作は一度田んぼを作ってしまえば、
半永久的に米を生産することができる。

昨年と同じようにやれば、天候不順もときにはあるかもしれないが
ほぼ、昨年度同様に収穫がある。

そんな生活を続けてきたら、
「継続は力なり」を信じ切るのも無理はない。

しかし。
時代は動いている。

米は食べているかもしれないが、
稲作で生計を立てている人は、ごくわずかだ。

ツルハシブックスは、
世の中に「やってみる」を増やすことがミッションであるのかもしれない。

「気がついたら私も、本屋という舞台の 共演者になっていました」
というキャッチコピーの通り、

本屋という舞台で偶然に出会い、語り、
何かをやってみること。

屋台をしたり、音楽ライブに参加したり、
店員になってみたり。
そういう場なんだろうと思う。

そんな場所が、この国に、もっと増えたらいい。  

Posted by ニシダタクジ at 10:07Comments(0)思い

2016年07月27日

あなたのために、この店を始めたのだ

あなたのために、この店を始めたのだ

そう思える瞬間のために、
お店って始めるのだろうな。

手紙。

やっぱり手紙のようなものなのではないか。

コメタクも、ツルハシブックスも、

あなたに会えてよかった。
あなたに会うために、この店を始めたのだ。

と。
そう思える瞬間のために。

コメタクのみんなも、ツルハシの店員サムライたちも、
そんなお客さんの顔がきっと浮かぶのだろうな。

そう思える瞬間。

それは幸せな瞬間だと思う。  

Posted by ニシダタクジ at 08:11Comments(0)思い

2016年06月30日

未来はカフェで生まれている

未来はカフェで生まれている。

きっとそうなんじゃないか。

だから人はカフェに行き、
人と話し、本を読むのではないか。

そんな場をつくりたいし、つくっていきたい。
そんな仕事を「作品」と呼ぶのだろう。



岡倉天心の生き様や書物からほとばしる
「teaism」

東洋と西洋、争ってないで、
まあ茶でも飲もうではないか。
そんな精神をどう体現するか?というプロジェクト。

こんな楽しい仕事があっていいのか。
と思えるようなワクワクする仕事。

今こそ、岡倉天心だと僕は思っている。
パラダイムシフトの時代に、
ひとりひとりが自らのコンパスを持たなければ
いけない時代に、僕たちはいま、茨城にいる。

この奇跡。

teaismとは、場のチカラのことだという。

五感を研ぎ澄まし、
主役であるお客様をおもてなしする。

ツルハシブックスの「劇団員」というコンセプトにも通じるなあと思った。

共演者たちとつくる時間と空間。
そのなかに未来が生まれている。

未来はカフェの中、カフェ的空間の中で
いま、この瞬間に生まれているのだなあと。

きっとこのプロジェクトは
「作品」と呼べるようなものに、きっとなる。  

Posted by ニシダタクジ at 07:35Comments(0)思い

2016年05月21日

平成の野山獄をつくる

平成の松下村塾をつくらないか?

って言われたらちょっとワクワクする。

ツルハシブックスも
暗やみ本屋ハックツも、
そういう構造になっている。

でも、本当は松下村塾ではなくて、
「野山獄」が原点なんだよね。

海外渡航の罪で
吉田松陰が入れられていた野山獄。

ここで、驚くべきことが起こる。
吉田松陰は、一生そこから出られない人たちを観察し、
俳句教室や書道教室の講師にしてしまう。

「俳句教室、やりませんか?」と
本人にも、周りの在牢人たちにも声をかけて、
俳句教室が行われた。

するとどうだろう。
彼らがキラキラと輝きだすのだという。

小説「吉田松陰」を読んでいて、
このエピソードに衝撃を受けた僕は、
すぐに萩に向かった。

野山獄跡地を見て、
吉田松陰先生の墓参りをするためだ。

2004年4月。
桜舞う季節に、僕は萩にきた。
野山獄のエピソードが僕に火を灯した。

「学びあいで希望は生まれる」
というヒントだった。

平成の野山獄。
それは今の世の中にある、
僕たちのチームのようなものだ。

経済至上主義という獄の中で、
希望を生み出そうともがいている僕たち。

その有効なひとつの方法が
「学びあいの場をつくる」だ。

おそらくはツルハシブックスも、
暗やみ本屋ハックツも、
まきどき村も、
そのようなものを目指してきたのかもしれない。

次は大阪。
またしても僕は、平成の野山獄をつくります。

あなたも共に学びませんか?  

Posted by ニシダタクジ at 07:45Comments(0)思い

2016年05月17日

「やってみる」が始まる場所

やるからには、続けなければならない。
やるからには、途中で投げ出してはいけない。

「石の上にも3年」神話。
それは本当なのか?

「人生は試作品じゃないのか?」説
を僕はそこに対抗してつくりたい。

「何かにチャレンジしたい。
でもこれまで始められなかった。」

土曜日にある大学生にそんなことを聞いた。
責任感が強い。

それは、
これまで受けてきた教育が影響しているだろう。

もちろん、続けることに価値はあるだろう。
プロフェッショナルと呼ばれる人たちは、
コツコツと経験と技術を積み上げて、
今の技を手に入れている。

しかし。
時代は大きく変わった。

設備に投資して、
計画的に生産して、大量に販売して、
という工業社会モデルは、もう成り立たない。

昨日最先端だった技術は、
すぐに追いつき、追い抜かれる。

工業社会からIT社会へ。
産業構造のシフト。

IT社会は、
仮説⇒試作⇒検証⇒商品化のサイクルが早い。
工場が不要だからだ。

仮説を立てたらすぐに試作版をリリースし、
ユーザーと一緒に検証し、商品を作り上げていく時代。

1つのヒット商品の裏には、
何千という消えていった試作
何十万という消えていったアイデアがあるのだろう。

産業社会は明らかにシフトしている。

それにもかかわらず、
若者が「石の上にも3年」呪縛に縛られているのはなぜか?
「ひとつのことを続けることに価値がある」
と思っているのはなぜか?

究極的には、
長い間稲作をベースにした社会であったことに
起因しているだろう。

稲作は特殊な農業だ。
初期投資はかかるが、
同じ土地でほぼ永久的に再生産が可能だ。

まさに「継続は力なり」だ。

その社会では、
「昨年と同じ」ことに大きな価値がある。
新しいことを始める、はリスクが大きい。
なぜならまったく採れなくなってしまうかもしれないからだ。

続けることと始めること(14.11.20)
http://hero.niiblo.jp/e457867.html

「自信がない」は後天的に獲得した資質である(14.12.29)
http://hero.niiblo.jp/e459844.html

キャリアドリフト時代におけるカフェ的空間の役割(16.2.26)
http://hero.niiblo.jp/e477315.html

時代は変わった。
工業社会に就職することは難しいし、
若者は稲作で生計を立ててないし、
狭い地域コミュニティに縛られてもいない。

それにもかかわらず「石の上にも3年」という
神話だけが生きている。

「やってみる」
「ふりかえる」
「改善する」
ふたたび「やってみる」。

人生は永遠の試作品だと思う。

何かを始めることは、
何かを途中でやめることだ。

自分の感性を信じて、スタートし、
自分の感性を信じて、途中でやめる。

そうやって、感性を磨いていくこと。
それを地域が受け止める。

そのコミュニケーションが、
これからの地域と、これからの若者の人生を
つくっていくと思う。

そんな「やってみる」が始まる場をつくりたい。  

Posted by ニシダタクジ at 06:09Comments(0)思い

2016年05月11日

宗教なき時代に、本屋ができること


「宗教なき時代を生きるために」(森岡正博 法蔵館 1996年刊)

20年前の1冊。
本体1942円。消費税が3%だった時代。
2000円の本を新刊で買うくらい、
大学生の僕は生き方がテーマだったんだなあと。

宗教なき時代をどう生きるのか?
オウム真理教のような新興宗教にハマらないためには
どうしたらいいのか?
また、何を信じて進んでいったらいいのか?

この本を読んだとき、
僕は農家めぐりの真っただ中で、
各地の農家さんに話を聞いていた。

いま思えばそれは、
「答え」を求める旅だった。

どんな農業をして、自分は生きていったらいいのか?
その問いはイコール、自分はどのように生きていったらいいのか?
という問いだった。

そして自然農に出会った。
耕さない、肥料・農薬をやらない、草・虫を敵としない。
を原則とした自然農。

徳島の沖津さんが放った一言。
「その草を残すべきか、刈るべきか、
畑に立つと自然とわかるようになる」

ああ。
僕はマニュアルを探していたのだ。
答えを求めていたんだ。

そんなことに気づかされて、僕の農家めぐりの旅は終わった。

自ら、生きていくしかない。
目の前のことに、本気、全力でぶつかってみるしかない。
それが生きることなんだ、と。
僕は自然農に教わった。

宗教なき時代、宗教なきこの国でどう生きるのか?

藤原和博さんは
著書「本を読む人だけが手にするもの」の中で、
こんなことを言っている。
(詳しくは、この日のブログで http://hero.niiblo.jp/e475503.html )

~~~ここから引用

宗教が機能している社会では、宗教が物語をつくり、幸福とは何かを教える。
でも、日本のように宗教が機能不全の国家では、自分で自分の宗教、
あるいはその代替物としての幸福論を持たなければならない。
だが、携帯メールはその場限りのつながりを与えてくれるだけで、幸福論の代わりにはならない。

だれもが、やがて決断せざるを得なくなるだろう。
自分の世界観と人生観を持ってどういうベクトルに向かって進んでいくのか。
つまり、何をテーマに掲げて生きていくのかということを決めなければならない。

誰かに託したり、自らを捨てて帰依することができる人はそれでいいと思う。
しかし、そうではない普通の人は、自分で本を読み、
自分で世界観を構築しなければ幸福論は築けない。

~~~ここまで引用

そうなのだ。

「だれもが、やがて決断せざるを得なくなるだろう。
自分の世界観と人生観を持って、どういうベクトルに向かって進んでいくのか。」

この前、「これからの本屋」の北田さんや一緒につくった花田さんと
イベント打ち合わせで話をしているうちに、
「本屋という祈り」という言葉を聞いた。

本屋は祈りだと。

ヴィレッジヴァンガード郡山アティで
「郡山にカフェをつくりたいんです。」
と祈りを込めてカフェのコーナーを作った店長。

本屋というのは祈る場所だ。

いや、宗教なきこの時代、この国で、
お店を持つ、ということは祈ることなのではないか。

こんな風になってほしい。
こんな人に出会ってほしい。

そんな祈りを込めて、今日も本屋の一日が始まります。  

Posted by ニシダタクジ at 07:14Comments(0)思い

2016年04月10日

暗やみ本屋ハックツというコミュニケーション・ツール

本日4月10日~17日茅ヶ崎市美術館で
「あなたが未来に託す想い」展を開催しています。



http://www.chigasaki-museum.jp/exhi/2016-0410-0417-omoiten/

会期:2016年4月10日~17日(11日は休館)
時間:10:00~18:00(入館は17:30まで)
観覧料:無料
場所:茅ヶ崎市美術館エントランスホール
主催:RIVENDEL、NPO法人ツルハシブックス、公益財団法人茅ヶ崎市文化・スポーツ振興財団
協力:NOMADIC CAFE、Okeba

4月22日には、茅ヶ崎REVENDELで
暗やみ本屋ハックツ@REVENDELが開催されます。

※こちらは10代限定のイベントです。
大人は同時開催の満月ワインバーへ。

昨年12月に並河進さんのトークイベントで
お邪魔しましたREVENDEL。
主宰する熊澤さんと意気投合してスタートした今回の企画。

実際は熊澤さんがほとんどやっていて、
僕は今日見に行くだけです。
ありがとうございます。
今回を機に、「現代美術家」の名刺をつくりました。

本当は、僕じゃなくて、
熊澤さんこそが現代美術家なんですけどね。

ハックツとは、
本を通して、地域の大人と中高生が
つながる企画。

今回の茅ヶ崎市美術館の企画で、
熊澤さんが、「この人素敵だなあ」という人を50人
セレクトして、本を集めた。

本当は22日のハックツで中高生に届けるつもりだったのだけど、
それだけだともったいないということで実現した今回の企画。

僕はこの企画に、シビれた。

熊澤さんは、
「暗やみ本屋ハックツ」そのものを「コミュニケーション・ツール」に
変えてしまった。

「10代に贈る本、未来へ託したい思いを表現する本を1冊、お願いします。
そしてそれは展示されたあと、暗やみに置かれ、若者のハックツを待ちます。」

こんな風に言われたら、
誰もが、ちょっと躊躇するのではないか?

中高生に贈る1冊。
もしかしたら、その1冊が人生を変えてしまうかもしれない1冊。

それはそのまま、
その人の人生が問われる1冊になる。
そしてその時に始まる対話がある。

だから、僕は、この企画は、
大学生や中学生高校生が集めたらいいのではないか?
と思う。

展示の日を決めて、本を集める。
その前には、話を聞いてみたい大人をリストアップする。
そうやって手作りでつくるハックツ展とハックツ。

そんな可能性を見せてくれた、茅ヶ崎市美術館の企画です。
僕と熊澤さんは17時ころから茅ヶ崎市美術館にいます。  

Posted by ニシダタクジ at 06:18Comments(0)思い

2016年03月01日

ツールとしての「食」と「本」と「農」

コミュニケーション・プラットフォーム・オーガナイザー

もし、仮に、僕が大学時代から「一貫して何かをやってきた」
とするならば。

それは一言で言えば(長い一言だな)
きっとそういうことなのだろう。

これからはその中でも
「現代の松下村塾」(学びあいのプラットフォームづくり)
をたくさん創っていくことがミッションなのだろうと予感している。

暗やみ本屋ハックツや、
ツルハシブックスやコメタクは、
きっとそういうこと。

「可能性が無限大だ」
と感じることこそが希望だと思う。

僕が最初に取り組んだのは、農だった。
「自然農」の川口由一さんの生き様に感動し、
全国川口さんや自然農実践農家を訪ねてまわった。


「種をまく人」(ポールフライシュマン/あすなろ書房)

そんなときに出会った
京都・綾部の半農半X研究所の塩見さんから
贈られてきたこの本にピンと来た。

「農」は人と人をつなぐ。
「つながり」こそが幸せの源泉だと大学生当時に感じていた僕は、
農学部であること、畑を体験した感動などに運命を感じ、
1999年「まきどき村」を開始。

2000年ころからばあちゃんたちの朝市で朝ごはんを食べる
「人生最高の朝ごはん」が始まった。
2004年からは会場を囲炉裏のある佐藤家に移し、
現在も続いている。

「食」は、まきどき村を始めた当初に出会った
「粗食のすすめ」でおなじみの管理栄養士・幕内秀夫さんに
出会い、深い感銘を受けたことから
給食をパンからご飯に変えていく市民運動に参画した。

その影響もあって、
「人生最高の朝ごはん」が生まれた。
「食」は、しかも朝ごはんは、初対面の人を強力につなぐことが
わかったし、そこに一期一会の瞬間が誕生し続けることを実感した。

同時に僕はサンクチュアリ出版で
営業をしていて素敵な本屋さんに何軒も出会い、
本屋を志した。

2011年3月。
ツルハシブックスが誕生。
「本」をツールに、きっかけに
人と人がつながるプラットフォームができた。

2015年4月。
つながる米屋コメタクが誕生。

「本」からスタートして、
「食」そして「農」へとふたたび戻っていくというか、
3つを組み合わせた何かが生まれようとしている。

コミュニケーション・プラットフォーム。
おそらくはそこから何かが始まっていく。

論理的思考がずっと苦手だった。

いい年こいて
「ワクワクなんですよ。」
とか言って、友人の冷静なツッコミに答えられなかった。

しかし。
いま、「食」と「本」と「農」が
プラットフォームをつくっていくだろうと
「なんとなく」思う。(笑)

未知なる未来へ向かっていく人たちには、
もしかしたらその言語化できない何か、
その言語化が利用者それぞれに委ねられている何かに
実は価値があるのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 05:09Comments(0)思い

2016年02月18日

15の君へ

15歳が自分と住んでいる地域を好きになり、
自分と社会の未来創造へ歩き出している地域社会の実現。

僕が2002年のNPO法人虹のおと(現在のツルハシブックス)
設立の時に掲げたミッション。

2002年1月。
僕は不登校の中学校3年生、Hくんに出会った。
お母さんから家庭教師を頼まれたのだ。

最初はほとんど話をしない子で、
コミュニケーションがとれるか、不安だった。

仕事を辞めたばかりで、
プータローだった僕は、時間があったので
毎日、彼の勉強を見ていた。
不登校だった彼の勉強は遅れに遅れていた。

合宿をしよう、と提案した。
2泊3日の初日の朝。
彼が持ってきたリュックの中には、
プレステが入っていた。

一緒にご飯をつくった。
キムチ入りのすき焼きだった。

すき焼きを食べているあの瞬間。
僕は思った。

「これを仕事にしたい」と。

「これ」が何なのか、当時はわからなかった。
でも、最初は話をしなかった彼が、
だんだんと笑顔になっていく様子を見て、
不思議だなあと思った。

なぜなら、僕はプータローだったからだ。

まわりにたくさん立派な大人がいたはずなのに、
彼はプータローである僕に出会い、心を開いた。

「もしかしたら、学校と家庭だけじゃない、
地域の大人に出会う場や仕組みが必要なのではないか?」

最初に取り組んだのは、学習塾だった。
寺子屋「途輝(とき)」
中学生高校生4人が生徒だった。
新潟に旅行にくる友人たちに、講師になってもらい、話をしてもらった。
しかし、子どもの最大人数は4人。これでは広がらない。


次に取り組んだのは、小学生の遊び場。
「虹のひろば~遊びと学びの寺子屋」
小学生と地域のおじいちゃんおばあちゃんが遊ぶ、というもの。
これは子どもが集まった。
しかし、もうからなかった。

その次は、大学生の地域企業での研修。
「ヒーローズファーム」と団体名称を変え、事業を「起業家留学」と名付けた。
これは地域企業からも大学生からも喜ばれた。

でも、何かが違った。
「自信のある大学生」に自分が何かをしなくてもいいのではないかと思った。

そして、本屋になった。
自信のない大学生がフラッと立ち寄り、
悩みを相談できる場所にしようと思った。

地下室があいていたので、何かできないか、と思った。
一箱古本市での隣のおじちゃんが
100円で新しい本を大量に売っていた。
「みんな読まないだろうな」と思った。

僕は100円で読まない人に古本を売らなくてもいい。
100円の古本を読む人はだれか?
25歳くらいまでの若者だ。
いっそ立ち入り禁止にした。

こうして地下古本コーナー「HAKKUTSU」が誕生。
話題となった。

取材が来た。
質問された。
「どうして、このような古本コーナーをやろうと思ったのか?」

何度も聞かれて、
ようやく思い出した。

「そういえば、10年ほど前に不登校の中学生の家庭教師をしたとき、
地域の多様な大人に出会える仕組みをつくりたいと思っていました。」

スティーズジョブズみたいにカッコよくはないけれど、
10年の時を経て、ちゃんとつながった。

そして、もうひとつ。
出会うだけじゃなかった。
中学生高校生にとっての価値はもうひとつあった。
「共に悩み、共に考え、共に行動するちょっと上の先輩の存在」

2002年に「これ」を仕事にしたいと思った
「これ」とは共に悩むことだったのかもしれない。
そんな場をつくることだったのかもしれない。

いま、ぼくはもう、41歳になった。
40歳を境に、ともに悩むプレーヤーとしての一線を退き、
それを論理的に説明することを行っていこうと思い、
活動拠点を茨城に移した。

そしてもうひとつ。
大学生・20代と中高生との接点づくりの仕組みをつくっている。
そのひとつが上石神井のハックツ。

仕事とは、手紙のようなものだと思う。

誰かのために、何かを送る。
それが届いたとき、その仕事をしていてよかったと思える。
それを表現していく場をこれからもつくっていきたい。
あなたも一緒につくりませんか?  

Posted by ニシダタクジ at 06:49Comments(0)思い

2016年01月22日

気づかれずに世界をちょっとずつ変える

気づかれずに世界をちょっとずつ変えていく。
きっとそういうのがしたいのだろう。

だから、本屋を、古本屋を、そして米屋を
しているのだと思う。
アートとデザインとビジネスのあいだに
そんな場をつくろうとしているのだろう。

そこに「美しさ」を感じる人たちが
集まってきているのだろう。

新しい本屋さんには、
これをど真ん中においていこうかな。


「せかいでいちばんつよい国」(デビッドマッキー なかがわちひろ 光村教育図書)

世界を征服した王様と小さな国の話。
気づかれないうちに「文化」の力で、
その国を変えていってしまっている。

世界とはひとりひとりのこと。

そもそも「世界を変える」のは目的ではなく、
「世界」を構成する私たちひとりひとりが
生き生きと暮らせること、が大事だ。

そのための、ささやかな1冊の本と
そのための、小さな場をつくっていくこと。
日々の暮らしにちょっとした輝きをつくること。
そうやって世界はちょっとずつ変わっていくのだろう。

大きな課題に取り組みたくもなる。
でも。
僕たちには持ち場がある。
すごい少数のお客にしかサービスできない。

「ハックツ」は、
家賃がかからないのであれば、
全国どこでも可能な仕組みになっていこうとしている。
中学生・高校生の居場所づくりとして、画期的だと思う。

世界を、ちょっとずつ変えていく。
そのプロセスでの日々の「学び」が自分をちょっとずつ変えていく。

きっとそういうことを「美しい」と感じるのだろう。  

Posted by ニシダタクジ at 06:39Comments(0)思い

2016年01月21日

港町のような本屋

ツルハシブックスとは何か?
なぜ、若者が集うのか。
店員サムライが19人も集まるのか。
なぜ、本屋なのか。
何を目指しているのか?

言語化しなければならない。
僕の役割はそこにある。

平成の松下村塾。
(ホントは野山獄だけど。)

平成の野山獄。
獄のような世の中に学びあいという希望の灯を灯す。
これちょっと熱すぎるかな。

ツルハシブックスオープン当初、
2Fにはカフェがあった。

カフェCopoCopo。
Collaboration Port
の略称だ。
人とまち、人と人がコラボレーションする港。

「港」
ドラクエ世代だった僕の感性も手伝って、
お店のコンセプトとなった。

そしていま。
ふたたび「港」に戻っていくような気がする。

今度は、
ヘリポートを備えた港だ。

「日常」を飛び出て、
小さなボートで、「問い」の大海原へと漕ぎ出す人。

あるいは、
ヘリコプターに乗って、もっと広い視野で世の中を俯瞰してみる人

もしくは、
小さな、あるいは大きな非日常の旅を終えて、
再び現実社会という陸地に、歩みを進める人。

その港町には安らげるカフェがあり、
つかの間の休息をとることができる。

また、ドラクエでいう「ルイーダの酒場」のように、
旅を共にする仲間に出会うことができる。

ツルハシブックスとは、
きっとそういう「港」のような場所なのだろう。

多くの大学生が抱えている漠然とした不安。
その多くは将来不安であると思う。

「将来不安」の要因は、
・未来がどこに進むかわからない。(未来不安)
・自分に力があるのかわからない。(自信不安)
・何を大切にしたらよいかわからない。(価値観不安)
のようなものであるのだろう。

親世代からは、
「安定していることが大事だ」
という価値観を伝えられている。

しかしそれは
「未来がどこに進むかわかっている」時代の
価値観であると僕は思う。

未来がある程度予測できる時代において、
安定していることはすごく大切だ。

しかし。
その時代こそが「特殊な時代」だったと言えるだろう。

未来が予測可能であった。
それは、
・製造業が産業の中心であり、計画的に生産できた
・人口が増え続け、購買する人たちが国内にいた
・会社はシステムとして、終身雇用・年功序列をつくりあげた。
この前提のもとにのみ、未来は(といっても4,50年の話だが)予測可能になる。

幸運にも、(いや不幸にも、と言ったほうがいいか)
大学生の親世代は、その時代しか生きていない。
だからそれが「常識」となっている。

しかし。
以上3つの前提は明らかに崩れ落ちている。
だからこそ、大学生たちは3つの不安を抱えているのだ。

「将来不安」を解消する方法、
いや、解消することは不可能であるから、
「将来不安」と付き合っていく方法として、
僕が考えるのは、

「やってみる」
そして
「ふりかえる」
そして「先人に学ぶ」
これ以外にないと思う。

とりあえずやってみる。そして振り返る。
この繰り返しの中で、スキルと感性を磨き、
自分は何を大切にしていくのか、つまり価値観を磨いていく。
先人に学ぶことで、世界観と歴史観を培っていく。

未来を予測することはできない。
パソコンの父、アラン・ケイが言ったように、
「未来を予測する最良の方法は、自ら未来を発明することだ」
とそんな時代を生きている。

いや、今が特別なのではなく、
いつも、そんな時代を生きてきたのだ。
人類の歴史上、そんな時代ばっかりだったのだ。

「やってみる」そして「ふりかえる」のためにできること。

それは、人に会うことであり、本を読むことであり、旅に出ることだと思う。
その入り口をツルハシブックスは作っているのではないか。

ツルハシブックスが本屋である理由。

それは、
本がヒントやきっかけを与えてくれるからであり、
本が人をつなぐからであり、
「本屋」という空間が居場所として魅力的であるからである。

そんな港町のような本屋を、つくっていくプロセス。
つくり続けていくプロセスこそが、
実は店員サムライたちにとって、最高の学びの場であり、
共感できる仲間との共演の場であるのではないか。

だからこそ、
ツルハシブックスには人が集い、
店員たちが輝いているのではないだろうか。

そんな港町のような本屋をこれからもつくっていこう。
  

Posted by ニシダタクジ at 07:36Comments(0)思い

2015年12月08日

豊かさとは、朝、米を炊くこと

カキモリとの出会い。
今年もっとも大きな出会いに
なったかもしれない。

これまでの自分が歩んできた道と
これから歩んでいく道が
ひとつにつながったような、
そんな感覚。

ビジネスとは、事業とは、プロジェクトとは、
「豊かさとは何か?」の表現活動であり、
売り上げとは、
誰かに届けたかった手紙が届いたということ。

そしてそれは、
主催者が自らつくるのではなくて、
参加者と、いや共演者と一緒に作っていくもの。

大学時代から問い続けていた、
「豊かさとは何か?」
という問い。

これに答え続けていくこと。
考え続けていくこと。
お客さんとともに考えていくこと、
作り続けること。

きっとそれがこれからの「仕事」になる。

1999年に始めたまきどき村。
そして、「人生最高の朝ごはん」

それは、「人生最高」とは、
ひとりひとりの主観であるということ。
参加者ひとりひとりの顔ぶれによって
さらなる「最高」があるということ。
毎週更新される「人生最高」がそこにはある。

カキモリが教えてくれた。

豊かさとは、手紙を書くこと。
自分で選んだ便箋と封筒で、
自分で選んだペンとインクで手紙を書くこと。

そう。

「豊かさとは?」
という問いに、自分なりの仮説を立て、表現し、
お客さんとコミュニケーションしながら、作り上げていくもの。
それを未来と呼ぶのではないだろうか。

カキモリには、
古くて新しい「未来」があった。

僕が目指していきたいのもきっとそういうところだと思った。
いままでも、そうやって来た。

豊かさとは、畑をやることだと。
豊かさとは、地域とつながることだと。
豊かさとは、囲炉裏を囲んでご飯を食べることだと。

豊かさとは何か?
という問いに仮説を立てる。
そしてそれを表現する。
共演者とコミュニケーションしながらつくっていく。

それこそが「未来」なのではないか。

ハックツが考える「豊かさ」は、

豊かさとは、誰かに本を届けることだ。
思いを込めて、メッセージを書いた本を、誰かに贈ることだ。
その本が誰かに届くことだ。

ツルハシブックスが考える「豊かさ」は、

豊かさとは、「偶然」を届けることだ。
思いがけず立ち寄った店に小さな出会いがあり、
そこから新しい人生が始まっていくことだ。

コメタクが考える「豊かさ」は、

豊かさとは、朝、米を炊くこと。
自分で選んだ茶碗に、
大好きな米屋で買ったごはんがよそわれる瞬間のことだ。

豊かさとは、〇〇である。
と仮説を定義し、その実現に向かっていくこと。

お客さん(共演者)とコミュニケーションしながら、
その本質を探りながら、作り続けていくこと。

未来はきっと、そこにある。  

Posted by ニシダタクジ at 07:09Comments(0)思い

2015年11月15日

10代と共に不安を生きる

学校を創る人のもっとも大切な条件は、
「子どもから学びたい」と思っているかどうか、だと思う。

暗やみ本屋ハックツやツルハシブックスが
もし、学校のようなものだとしたら。

そこにかかわるスタッフの条件は、
「10代から学びたい」と思っている人ということになる。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。

ドイツの名宰相、ビスマルクの言葉だと言われる。

自分の経験など、ちっぽけなものに過ぎない。
自分が生きてきた時代しか知らないのだから。

そんな大人たちが、自らの経験をもとに、
10代にアドバイスをするなんて、
やっぱりちょっと違うのかもしれないなと思う。

茨木のり子さんの「倚りかからず」という詩がある。

倚りかからず

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない 
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

ここに2行加えるとしたら。

もはや
できあいの経験には倚りかかりたくない
となるのだろう。
若者たちにとっては特にそうだ。

きっと自分の「経験」とは、単なるその程度に過ぎない。
自分の支えにはもちろんなるとは思うのだけど、
他者へアドバイスするほどではない。

もっと歴史を学ぼう。
もっと本を読もう。

自分自身もそうやって本を読み、
歴史に学ぼうとする人が、
本屋で10代とコミュニケーションすることができる。

ここ50年。
我が国の人たちは歴史上稀にみる、
(おそらくは二度と来ないであろう)
「予測可能な時代」を生きた。

「経験」に学ぶだけでは、
これからの予測不可能な時代は生きられない。

そういった意味では、
10代の若者たちと、40代の僕たちは、
まったく同じスタートラインに立っていると言えるだろう。

答えはない。
もちろん僕たちには「経験」がある。
しかしそれは、「経験」にすぎない。

そんな自覚を持って学び続けるということ。
思考し続けるということ、そして、試行し続けるということ。

そんな人たちだけが
10代の若者たちと未来を語る資格があるのかもしれない。

10代と共に不安を生きる自分であり続けたいと思う。  

Posted by ニシダタクジ at 07:47Comments(0)思い

2015年11月11日

米屋×本屋という未来

これからは「米屋×本屋」だと確信している。

そこが地域コミュニティと
若者のキャリア形成支援の結節点に
なるだろうと思っている。

そしてまきどき村からスタートした
僕のキャリアもしくはアートの
進むべき道がそこにあると思う。

しかし、まだそこの明確な言語化は
できていない。

いまのところのキャッチコピーは

つながる米屋で「すき」を増やす

「すき」は「好き」と「隙」で
好きなものと余白のある暮らし。

朝、米を炊くという1日の始まり。
たくさんのおかずやたくさんの出来事を
受け止められる隙のある暮らし。
好きな米屋で米を買うということ。

そんなことを伝えていくのがミッション。

そんな、つながる米屋「コメタク」がついに東京・表参道へ!
今週末の11月14日(土)に表参道ごはんフェス@VACANT/粋場に出店する。
http://gohanfes.com/

※コメタクの出番は13:00~14:00です。
チケットはこちらから。
http://gohanfes4.peatix.com/

米を炊くという日々の暮らしと、本という未来。
そんなことを伝えていける、一緒に考えていける場所をつくりたい。

やっぱり、米屋×本屋に、未来がきっとある。  

Posted by ニシダタクジ at 07:39Comments(0)思い

2015年11月06日

第3の顧客

NPO業界には、「第2の顧客」
という考え方がある。

支援対象者である「顧客」が
対価を払ってくれない場合、
そこに価値を感じる誰かに
払ってもらう仕組みだ。

たとえば、プラン・ジャパン
https://www.plan-japan.org/

月額3,000円の寄付で、
途上国にいる子どもの写真が
送られてきたり、手紙のやりとりができる。

このような支払いを行う人のことを
「第2の顧客」という。

経済社会は、
受益者負担(利益を享受している人が対価を払う)
の原則から成り立っている。

しかし。

「顧客は誰か?」という問いに向き合った時に、
その顧客が支払い能力のない人たちだった場合、
事業を継続していくために、
「第2の顧客」を創造する必要があるということだ。

これは、日本国内の場合は、
特に子どもたち対象の教育サービス
を行う場合に多くあてはまる。

日本には、
受益者負担で成り立っている教育サービスはほとんどない。
学習塾やピアノや習字などのお稽古ごとがあるかもしれないが、
その支払者は多くの場合、親であることが多い。

したがって、仮に民間のNPOが
子どもの教育サービスに参入したい場合、
受益者負担の原則が通用しない世界がそこには広がっている。

そこで「第2の顧客」が必要になる。
その第2の顧客に親以外の大人を設定するとどうなるのか?

暗やみ本屋「ハックツ」は、
構造的にそのような仕組みになっている。

寄贈された古本を100円で中高生に売る。
ここに、収益性はほとんどない。

どうやって事業を継続するのか?
そこに、「第2の顧客」が必要になる。

ハックツの場合は、
本を寄贈してくれる大人
スタッフをやってくれる大学生や若手社会人の人たちになる。
彼らはお金ではなくて本や労力を出して、協力をしてくれる。

しかし、これではまだ運営はできない。
運営資金が足りない。

そこで、「第2の顧客」に対して、
彼らを応援する「第3の顧客」を設定すること。
そこに行くしかない。

ツルハシブックスで言えば、
サムライたちを応援する地域の大人。
いつも差し入れをくれる隣のおじちゃんや大口さん。
そんな人たちだ。


おとといのブログで書いた、
サービス対象者である3人の顧客。

それは詳しく言えば、
1番目の中学生高校生
2番目の大学生社会人

3番目の店員サムライ
とは、構造的には異なる層(レイヤー)にいる。

つまり中学生から若手社会人までが「第1の顧客」で
店員サムライは「第2の顧客」ということになる。

そして、「第3の顧客」である、地域の大人たちは、
彼らすべてを支える存在になるのだけど、
構造的には、「第2の顧客」である
店員サムライを支援する役割にある。

「居場所」とは、
それぞれの顧客同士と、そのあいだにできていく。

ツルハシブックスのお客である
中学生から若手社会人という共演者。
店員サムライという劇団員(コーディネーター)

彼らを支える
照明・音声・大道具小道具係の役割を
果たす地域の大人たち。

「居場所」(コミュニティ・コミュニケーション)とは、

「第1の顧客」「第2の顧客」「第3の顧客」同士
もしくは、
「第1の顧客」と「第2の顧客」のあいだ、
「第2の顧客」と「第3の顧客」のあいだ
にできていく。

もちろんすべて含めてのコミュニティではあるのだけど。

だから第3の顧客である地域の大人たちが支援するのは、
第2の顧客である店員サムライやハックツのスタッフたち。
そんな構造をつくっていくことが大切なのではないか。

居場所のジレンマという言葉がある。
居場所の居心地が良すぎると、
そこに常連さんが溜まるようになり、
その空気は常連さんに支配されるようになる。

すると、その空間は、初めての人にとっては、
居心地の悪い場所になるというものだ。

なじみの飲み屋さんに突然やってきた
旅人がジロリと睨まれちゃう、ああいうやつだ。

現代社会において、
その「居場所のジレンマ」を構造的に超えやすいのが、
ゲストハウスと新刊書店だと思う。

それは、「新しい風」が常に入ってくるから。

ゲストハウスなら旅人が
新刊書店なら新しい本が
常に入ってくるという環境にある。

ツルハシブックスも暗やみ本屋ハックツも、
そんな場所を目指していきたい。

第3の顧客である地域の大人たちの役割は、
第2の顧客を支援すること。
具体的には、差し入れをしたり、資金を提供すること。

そのような「役」を演じられるプラットフォームを
作っていきたい。

※NPO法人ツルハシブックスは、本で寄付する「チャリボン」に参画しています。
5冊以上の古本がそろいましたら、自宅まで取りに来てくれますので、「チャリボン」にご連絡ください。

自宅にある不要な古本でツルハシブックスを応援できます。
職場での参加もお待ちしています。
「チャリボン~トップページ」※現在トップページに掲載されています。
http://www.charibon.jp/

「チャリボン~ツルハシブックスのページ」
http://www.charibon.jp/partner/tsuruhashi/  

Posted by ニシダタクジ at 07:09Comments(0)思い

2015年11月04日

アートプロジェクトは美を追求しなければならない

久しぶりにツルハシブックスに長い時間いました。
素敵な空間になっていました。

3Fはシェアスペースに生まれ変わりました。


ただ。
ちょっと本屋空間に人が多すぎるかな、と。
土日は特に人であふれてました。

月曜日のようなゆるやかさのほうが
居心地はよかったなあと。

「本屋」っていう空間を
もっと考えたほうがいいかもしれないなと。

2日夜はサムライミーティングでした。
サムライとは、ツルハシブックスで店員をやっている人のこと。
決してボランティアではなく、あくまで「サムライ」なのです。

私はミーティングの最後に
創業の思いを語る、という役割で登場。

2002年の不登校の少年との出会いからNPOを設立し、
2004年の中越地震を経て子どもと遊ぶ「虹のひろば」を開催、
2006年からの大学生向けのインターンシップ事業の始まりと葛藤。

常に私は
「顧客はだれか?」という葛藤の中にいました。

その問いはおそらく、
今を生きる人たち全てに課せられている宿題なのだと思います。

自分にとって、顧客はだれか?
顧客にとっての価値は何か?
それがまさに「使命とは何か?」に
直結しているのだと思います。

私にとって、ツルハシブックスの顧客とは、
1番目に、第3の場所と第3の大人を必要としている中学生高校生
2番目に、これからの人生に悩んでいる大学生や20代の社会人
3番目に、ツルハシブックスの店員サムライをやっている人たち

中学生高校生には「第3の場所」と「第3の大人」を
大学生や20代の社会人には、「出会い」と「きっかけ」を
店員サムライには、圧倒的な「学び」と「表現」の場を

提供する場所、それがツルハシブックスではないかと思います。
そこに集中していきたいと思いました。

本屋としては、本を買う人が当然顧客なのですが、
「空間」としてのツルハシブックスの顧客は、
以上の3つのカテゴリに集中していきたいと思いました。

今井さんと描いたツルハシブックスは第1の機能を果たし、
中学生・高校生がやってくる店になりました。

中村さんや星野くんと作ったヒーローズファームからの流れが、
第2の機能を果たしてきました。

「ツルハシブックス3rd」を迎えているなあと思いました。
新しいツルハシブックスを創るのは、店員サムライたちです。

東京からやってきた井上有紀ちゃんたちの力も大きく
「当事者意識」の高まりを感じています。
未来を創るのは、「当事者意識」しかありません。
自分が未来を創るのだ、という意志。

だからこそ楽しいのだと思います。
そしてそこには圧倒的な学びの場があります。
表現の場があります。
対話の場があります。

ツルハシブックスとは、
2002年当初に創りたいと思っていた学校そのものでした。
その対象者は、中学生高校生ではなく、店員サムライのみんなです。

3人の顧客以外の人たちは、彼らを応援するサポーターです。
舞台で言えば、エキストラや照明、大道具小道具係です。
店員サムライとその日店にやってきた共演者
たちが最高の演技ができるよう、サポートをする役割です。

「居心地の良さ」を自分たちが享受していてはいけません。
それは時に、あの重い扉を勇気を出してくぐってきた悩める若者の
心を閉ざしてしまうかもしれないからです。

ビジネスプロジェクトは、経済的価値を追求しなければなりません。
アートプロジェクトは、美を追求しなければなりません。

ツルハシブックスがもし、アートプロジェクトであるのなら、
どんな状態が美しいのか?
誰にどんな問いを投げかけるのか?
どんな価値を社会に生んでいくのか?
そんな問いを持ち続け、進んでいかなくてはなりません。

僕は2日のミーティングに参加して、
ツルハシブックスは黄金期に突入している、
と感じました。

目の前に広がる課題と問い。
そこに向かっていくサムライの仲間たち。

こんな楽しいプロジェクトはありません。
僕が大学生だったら参加したいです。

3月20日の5周年まで5か月を切りました。

今こそ、もういちど原点に。

ひとりひとりの原点に返り、
顧客は誰かを確認し、顧客にとっての価値を生み続けて、
「美」のある「空間」を創ってほしいと心から願います。  

Posted by ニシダタクジ at 06:49Comments(0)思い

2015年11月01日

恩人



昨日は恩人の結婚式でした。
今から9年前の11月に出会った
星野悟くん。
当時新潟大学経済学部2年生。

彼のゼミ室までお邪魔して、
新潟の社長さんとの1日同行イベント
「新潟の社長に出会う1日」の
宣伝にお邪魔しました。

星野くんがかけてくれた一言。
「いっとうや」って知ってますか?

ラーメンいっとうや。
新潟が誇る伝説のラーメン店。
そのラーメンのおいしさに共感したところから、
2人の距離は急速に縮まっていきました(笑)

僕たちに課せられた使命は
大学生と中小企業をつなぐ
長期インターンシップ事業の立ち上げ。

2007年2月に同じゼミの松崎くんを実行委員長に
開催した「いま、社長に会いにゆきます」をきっかけに、
僕と星野くんは毎週のように
ラーメン「いっとうや」の後モスバーガーでミーティングというのを
繰り返していました。

2007年10月に大阪のナカムラノリカズさんを加え、
そして松崎くんや郷州さんも加わり、
インターン事業は2008年2月にスタートします。

その時のメンバーがそろった結婚式。
僕たちのテーブルは同窓会のような空気に包まれました。

そして、ついにスピーチというか
中村さんとのプレゼンテーションです。


あいかわらず安定の中村さんのテンポに
安心してプレゼンテーションができました。


結婚式の席次に「恩師」と書いてあってビビりました。

僕と中村さんの中では、むしろ星野くんが恩人です。

星野くんがいなければ、
中村さんは新潟に来ることはなかったし、
新潟でインターン事業が立ち上がることはありませんでした。

あの日、奇跡的に星野くんに出会い、
ラーメンで共感し(笑)、
大阪に研修にいってもらい、
「中村さんにしか、星野くんを育てられない」と、
中村さんを新潟に呼び込んだ。

Fake it until you make it
実現するまでそのフリをしろ

の言葉のように、
僕は、インターン事業の立ち上げによって、
「起業家」のフリをすることになりました。

それまでは
まきどき村で畑をやったり、
神社で子どもたちと遊んでいたり、
で32歳になってしまった僕には、
初の社会人経験でもありました。(笑)

新潟の地域企業の社長さんたち、
星野くんや中村さんたちと一緒に走った
4年間は、僕にとって、人生の大きなきっかけとなりました。

顧客はだれか?
顧客にとっての価値は何か?

そんなことを問い続けられたのも、
その成果でした。

すべての始まりは星野くんと出会ったことです。

星野くん、本当にありがとう。
いつかまた、一緒に仕事をしようぜ。  

Posted by ニシダタクジ at 07:46Comments(0)思い

2015年10月15日

Art of Life

次のステージ。

テーマは、
from japan to the next・・・
これを米屋×本屋で体現していくこと。

そしてもうひとつ。
僕は吉田松陰先生の門下生から、
岡倉天心先生の門をくぐる時が来たのかもしれない。

「いかに生きるか?」

その壮大なテーマに、
挑んでいかなくてはいけない21世紀に、
たしかに指針をくれる人物。

激動の人生を生きた天心。

Art Of LIfe
生活の中に「芸術」があると天心は言った。
宗教でなければ芸術ではない、と。

「宗教」というのは、
オウム真理教事件以来、
非常に誤解されているような気がするが、

「宗教」とは、信じる道のこと、つまり思想のことだ。


ここ最近、もっとも感動した雑誌は、
danchu の日本酒特集のときのこの言葉だった。

「思想なき、日本酒は造らない。」

きっと、こういうこと。
こういうことなんだろう。

ひとりひとりが「思想」を、つまり「宗教」を
必要としている。

それは、問題になっている新興宗教のように、
「こうすれば救われる」という「思考停止」させるものでは
決してない。

救うのは自分自身だ。

いや、たとえ救われなかったとしても、
信じる道を歩いていくこと。
考え続ける、感じ続けるということ。
行動し続ける、ということ。

岡倉天心の生き様は、
そんなことを教えてくれる。

政治に負けて、野に下っても、
自らの信じる道を貫き、
また、それが周りに評価されずに、
インドに渡った時にも、友に出会い、また力を得て、
再び茨城・五浦での活動に、
ボストン美術館での東洋の美術の展示に尽くす。

小さな釣り舟に揺られながら、
岡倉天心は何を思っていたのだろうか。

大学生のときに憧れていた
「自然農という生き方」のひとつのカタチが
見えてきた気がする。

人生というアートを生きたいすべての人へ、
茨城県北茨城市五浦をたずね、
天心の生涯に触れてみることを
強くおすすめしたい。
  

Posted by ニシダタクジ at 06:51Comments(0)思い

2015年07月22日

「他者評価」を超えて

「ある問題を引き起こしたのと同じマインドセットのままで、
その問題を解決することはできない。」(アインシュタイン)


「幸せってなんだっけ?」(辻信一 ソフトバンク新書 残念ながら絶版)

この本はブータンのGNHの話から始まる。
若き国王が唱えた壮大なるギャグ、GNH(国民総幸福量)。

しかし、これこそが
冒頭の言葉を実証するメッセージとなった。

「豊かさ」こそが地球環境を破壊した。
「持続可能な発展」という言葉自体が
そのマインドセット(思考の型)を変えていない。

だから、それを根本から変える。
「豊かさ」=お金ではなく、
「豊かさ」=どれだけ幸せかという「幸福量」だと。

思えば、
GNPやGDPといった言葉も不思議な言葉だ。
単一の価値基準「経済」で、国々をランキングする。
上位にいるほうがいい国のように思える。
本当だろうか?

本当に「先進国」は「先進国」で
「途上国」は「途上国」なのだろうか?

「途上」っていう概念をみんな受け入れてるのだろうか?
これから経済成長していきます、って
みんな同意しているのだろうか?
その先に幸せが待っているのだろうか。

この本のラストに、こんなメッセージがある。
辻さんの友人のサティシュの言葉だ。

「豊かさを追いかけて、私たちはあまりにも多くのものを壊し、
失ってきた。犠牲にしてきたものは大きく言えば3つ。
それは、ソイル(土)とソウル(心)、そしてソサエティ(社会)だ。

ソイル、つまり自然を単なる資源とみなし、それを競って奪い合ってきた。
そしてその競争の中で、
ソウル、つまり自分のからだやこころさえ金儲けの手段としていじめてきたのだ。
さらにその競争の中で、
ソサエティ、つまり周りの人々と助け合い、分かち合うことを忘れてしまったのだ。」

しかし、それさえ分かれば、解決は簡単だと
サティシュは言う。

「ソイル、つまり地球とつながる」
「ソウル、つまり自分とつながる」
「ソサエティ、人々とつながる」

この3つの「つながり」こそが幸せの源泉なのだ。

ああ。
いいですね。
僕が大学生のころ自問自答してきたのと
まさに同じテーマだ。

「オーナーシップ」(所有)ではなく、
「リレーションシップ」(関係性)だと。

そうそう。
そういうことだ。

ここであらためて冒頭の言葉に戻る。

「ある問題を引き起こしたのと同じマインドセットのままで、
その問題を解決することはできない。」

大学生にとっての大きな課題。
それは、「自信がない」ということ。

それを引き起こしたマインドセットのままでは解決しない。
つまり、単一の価値観(学力)、他者評価、他者比較。
学校空間の宿命であるこの3つの
マインドセットを超えていくこと。

いちばんは他者評価を超えること。
これが幸せへの道だと思う。

言葉で言うのは簡単だけど、そんなに簡単ではない。

しかし、本当にほしいのは、
本当に他者評価なのだろうか?

ブータンの国王が
「本当は豊かさではなく、幸せが欲しいのではないか?」
と問いかけたように、

自分たちも他者評価が本当に欲しかったのか?
と問いかけてみる必要がある。

僕の仮説は、
ほしかったのは「評価」ではなく「承認」
なのではないか?

ということだ。

どんな偉い人に、
「あなたは世界で一番素晴らしい」と
言われるよりも、

親友に
「世界中が敵になっても、俺はお前の味方だから」
と言われたほうが嬉しいはずだ。

それは、
「他者評価」欲求よりも「承認」欲求のほうが強いし、
根本的欲求だからだ。

そうやって、
自分自身の他者評価欲求を客観的に見ること。
マインドセットを変えること。
そこから始まる何かがきっとあると思う。  

Posted by ニシダタクジ at 06:40Comments(0)思い