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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



新潟市西区内野町431-2
TEL 025-261-3188

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土曜 7:00~21:00
日祝10:00~19:00
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2016年08月31日

いまなぜ、「ワークショップ」か

いまなぜ、「ワークショップ」なのか。


(かかわり方のまなび方 西村佳哲 筑摩書房 ※ちくま文庫からも発売されました)

この本を読みなおす。

当たり前のように使っている
「ワークショップ」とは、そもそも何か。

英語で「ワークショップ」とは、
工房・作業所のこと、つまりハード(建物)のことだった。

しかしわれわれは今日、イベントや会議などの
ソフトな意味として使っている。

「ワークショップ」が拡大解釈的に使われてきたのは、
1900年代のはじめ、T型フォードが世界を席巻し始めた頃であるという。

つまり、
「ファクトリー(工場)ではなく」
というニュアンスが含まれているというのだ。

~~~ここから引用

ファクトリー(工場)の特性は、
「何をつくるか?」があらかじめ決まっている点にある。
そしてそれを効率よく、高精度に、間違いなく生産するための
ラインが設計され稼働する。

一方ワークショップ(工房)では、
「何をつくるか?」はあらかじめ決まっていない。
少なくとも設計図のたぐいはない。
そこには素材があり、道具があり、
「少しでもいいものをつくりたい」意欲を持つ職工が集まって、
互いに影響を与えながら働く。

そしてつくり出すべき「なにか」が、その場で模索されていく。

ファクトリーは量産するが、ワークショップは量産のための空間ではない。
また前者において、失敗はあってはならないもので決して望まれないが、
後者(ワークショップ)では、失敗はむしろ重要な手がかりで、
いい失敗を積極的に得るべく試作が重ねられる。

ファクトリー(工場)は、
システムを所有し管理する側が大きな影響力と権限を
持つ社会を象徴している。
その発展は、素人より専門家が、
生活者より消費財を供給する側が
よりパワフルな社会の深化であった。

一方、ワークショップ(工房)では、
一人ひとりの個人が中心で、権限も分散している。

このようにファクトリーという対立概念を置くと
ワークショップという言葉に込められてきた願いの内実が
少し見えやすくなる。

~~~ここまで引用

わーって。
なるほどーーーって。
これは素敵な一節。

そうそう。
ワークショップは
・あらかじめアウトプットが決まっていない。
・失敗(試作)が歓迎される
・トップに立つ人ではなく、一人ひとりが重要

そうそう。
そうやって「場のチカラ」を高めた
ワークショップの中から「未来」が始まっていくと
僕は思っている。

これは「まちづくり」「地域づくり」の現場、
つまりソフトのワークショップでも同じだ。

そしてまさしく、
地域における若者(たとえば大学生)の
役割はここにある。

あらかじめアプトプットの決まっていないものを
場のチカラを通じて試作し、
実際やってみてふりかえること。

それってプロジェクトだけじゃなくて、
人生そのものなのではないかなあと。  

Posted by ニシダタクジ at 06:31Comments(0)アイデア

2016年08月30日

ハックツ×小商い

「ハックツ×小商い」

たぶん、これが次のステージ
のような気がする。

ツルハシブックスで
実験していた屋台は
きっとそのための布石だ。

ハックツで人と人をつなぎ、
小商いでアウトプットする人を増やす。

そのお客の、
一番手は中学生高校生だ。

中学生高校生と
大学生20代社会人、
そして30代以上の社会人という

3層構造をつくりながら、
すべての層の人にとっての
「学びの場」を生み出すということ。

「魅力的なまち」「住みたいまち」
っていうのはそうやって生み出していけるのではないか。

意外に木沢とかとも一緒にできることがあるのではないかと思った。

これから始まる展開が楽しみになってきた。  

Posted by ニシダタクジ at 08:09Comments(0)日記

2016年08月29日

「ビジネス」と「地域づくり」のあいだ


百姓百貨店インターンシップ2週目。


(写真は1週前の朝日)

今回は川口のラーメンの名店「つり吉」からの
ワークショップ。

今年2月の立命館大学での
上田信行さんのワークショップに出てから、
ワークショップスタイルを変更し、
「自分が雰囲気をつくる」系にシフトした。
いわゆる「前に出る」ファシリテート。かな?

これが
進行中のプロジェクトのワークショップとしては、
かなり有効なのではないかということを感じている。

今年5月にやったツルハシブックスのサムライ合宿でも
手ごたえがあったし、先週の1泊2日の木沢合宿でも
「楽しかった」という感想をもらった。

昨日も、最終報告会を
地域の人を巻き込んだ寸劇にする、などの
アイデアが出た。

百姓百貨店インターンシップ(4週間)は、
いろんな場所で応用できるのではないかと思った。

ゴール:
地域資源を活用した月3万円ビジネスアイデアを100個出して、
そのうちいくつかを実際にやってみる。

1週目:まずはビジネスアイデア(資源含む)を100個出す。
ポイント:たとえば、みたいな例示をいくつか出す。

今年は6日目時点ですでに100個のアイデアが出ていた。
それを具体的にする1泊2日合宿。

「顧客はだれか?」
「顧客にとっての価値は何か?」
を軸にアイデアをビジネスに落とし込む。

2週目:具体的にカタチにしていく。
集落とコミュニケーションを重ねながら、ビジネスをカタチにしていく。

ここで、
「もやもや」が発生する。
顧客像が具体的に浮かばない。

集落のじいちゃんばあちゃんこそが
顧客じゃないのか?

そしてもうひとつ。
「のもーれ長岡」という交流会に行って、問われたとき。

そのゴールはどこか?
成果は何か?
インターンシップの期間が終わった後はどうなるのか?

うんうん。
ビジネスだとそこ、問われるところだね。
それに明確に答えられない自分に気づく。

もういちど、プロジェクトを見つめなおす。
俯瞰してみる。

なんのためにやっているのか?
ゴールはどこなのか?
明確じゃないなあって思う。

でもね。
先週書いたけど、

「ゴールが明確じゃない」からこそ、
このプロジェクトに応募したはずなんだよね。

「百姓百貨店」と「白い箱」(ナリワイボックス)
というわけがわからない何かに魅力を感じて、
いま木沢にいるわけ。

そこ。
新しい何か。

今回、ワークショップをやってみて、
「新しい何か」って
別に何かを発明するわけじゃないのかも、
って思った。

「ビジネス」と「地域づくり」のあいだ

そこを探る「社会実験」なのだなあと。

ビジネスの価値観と地域づくりの価値観は
少し異なる。

ビジネスはなんといっても「結果がすべて」「数字がすべて」だ
「わかりやすさ」に価値がある。

地域づくりのゴールは地域の数だけ多様だし、
それは地域の方との対話の先にしか見えてこない。

それをつなぐ「社会実験」。
「社会実験」は、必ず終わる。
成功を目的としていない。
実験・検証を目的としている。

うまくいっているのなら、続ければいいし、
うまくいかなければ、やめればいい。
まわしよみ新聞の陸奥さんから教えてもらったエッセンスだ。

地域からすれば、「社会実験」をローコストで行う、
これが「田舎インターン」ということになるのだろう。

そして、大学生にとっては、
「価値とは何か?」という圧倒的な問いの中に放り込まれること。

ビジネスにして、売れることももちろん価値なのだけど、
そうじゃない価値があるのではないか、と。
自分たちはどこに向かっていのか?
と「もやもや」すること。

そしてその「もやもや」を共有すること、言語化すること。
それが2週目なのかもしれないと思った。

昨日の結論は、
お客さん目線だけではなくて、
商品づくりのプロセスを集落のみんなと
一緒に楽しむこと。

お客さんの課題だけではなく、
地域の課題も同時に解決すること。
地域の人たちも一緒にワクワクできる商品をつくること。
やればやるほど、地域の人と仲良くなれること。

そんな商品をひとつでもつくれたら、
「百姓百貨店」はだんだんとカタチになっていくのだろうと思う。

僕としては、地域の、特に中山間地の現場で、
「百姓百貨店プログラム」そのものが売れるような気がする。

「ビジネス」と「地域づくり」のあいだに、
「新しい何か」をつくっていこう。
自分の「在り方」を問いかけながら。  

Posted by ニシダタクジ at 07:32Comments(0)学び

2016年08月28日

ツルハシブックスさよなら



本日8月28日付朝日新聞の新潟版
に永田さんの書いた記事が出ている。

ツルハシブックスさよなら。

タイトルを見たら、
胸が締めつけられた。

なくなっちゃうんだ、ツルハシブックス。

って。
たくさんの人たちに支えられた場所。

中高生の居場所。
自然体でいられる場所。

たくさんの人がここに集まり、語り、
旅立っていった。

今回の閉店に際して、
サムライたちからのメッセージが
掲載されているが、

実は、何度もツルハシブックスは閉店の危機を
迎えて、そのたびに話し合っていた。

「ツルハシブックスという場所が無くなることを恐れるべきではない。」
これが結論だった。

ひとりひとりがツルハシブックスであり、
どの場所もツルハシブックスになる。
「劇団員」と名付けられた制度はその布石だ。

「劇団員」とは、
目の前の空間をツルハシブックスに
変えられる人のこと。

スターバックスの岩田さんの本を読んで、
「スターバックスはコーヒーを売っているのではない」
に衝撃を受けて、

「ツルハシブックスは何を売っているのか?」
という問いに半年間向き合って、

ツルハシブックスが売っているのは「偶然」だし、
それを提供する本屋は「劇場」だと思った。

だとすれば、
ツルハシブックスが閉店することとはなんだろうか?

そんな問いを、あと2か月、サムライと劇団員とお客さんと
考えていきたい。  

Posted by ニシダタクジ at 07:25Comments(0)日記

2016年08月25日

同じ船に乗る

成功するプロジェクトと
成功しないプロジェクトの違いは、
実現を最後まで信じられる人がいるかどうか。
これが第1条件だ。
並河進さんに教えてもらった。

そしてもうひとつ。
それがチーム戦である場合、
「同じ船に乗る」ということ。

「同じ船に乗る」とは、
目的地とコンパスの確認と、
乗組員を知るということ。


ツルハシブックスの店員侍の合宿は、
おそらくはそうなっている。

人生モチベーショングラフで
オープンマインドをつくり、
過去と価値観を共有し、

誰のために
何を提供しているのか。

コンパス(チームの価値観)を形作り、
旗(コンセプト)を立て
目的地を定める。
いや、あんまり目的地は定めていない気がするけど。

あの1泊2日の合宿で、
サムライたちは「同じ船に乗る」

それは小さな宇宙船のような、
空に浮かんだ乗り物なのかもしれない。

そのことができれば、
いつでもそこへ帰ることができる。
俺たちはあの星を目指しているのだと。

たぶんそれが一番チームにとって大切なのだろう。

決断するのは、リーダーだけど、
みんなで決める、そしてその指針は、
さっき決めたコンパスだ。

それができるチームとできないチームが
実現するプロジェクトと実現しないプロジェクトを分ける。

いや、そもそも、
「学びが少ない」プロジェクトと「学びが多い」プロジェクトを
分けるのではないか。

プロジェクトの価値は、
成功することだけではない。
そこから何を学ぶか。
失敗したとしても何を生み出すか。

そういった考え方にたったとき、
「同じ船に乗る」というプロセスは
もっとも大切なことなのではないか。

なんとも言えない組織内で感じる「もやもや」は、
おそらくは「同じ船に乗っていない」からこそ
発生するのではないか。

何度でも乗り直す、しかないかな。

おれたちはあの星に向かっているんだよな、と
確認できるような、そんなチームをつくらなきゃいけない。  

Posted by ニシダタクジ at 06:06Comments(0)チーム

2016年08月24日

「課題解決」という幻

「課題解決」を考える。
もう、そんな机上の遊びはやめたほうがいい。

リアル。
どこまでもリアルを追い求めないといけない。

企業が、いや世の中が求めるのは、
自ら考え、自ら行動する人材。
そこには、圧倒的なリアルが必要だ。

「課題解決」というより、
むしろ「課題発見」力が必要だ。

いや、もしかすると、
「課題解決」というのは、
20世紀の手法だったのかもしれない。

とくに「まちづくり」のジャンルについては、

人口減少、高齢化、税収減少。

その中で、課題が山積している。
社会保障ひとつとっても、財源とサービスの質が
問われている。

「デザイン」で解決しなければいけない。

課題と課題を組み合わせることで、
お互いを「資源」に変えていく。
そんなデザインが必要だ。  

Posted by ニシダタクジ at 08:14Comments(0)学び

2016年08月22日

「関係性経済」と「劇場化」の時代

百姓百貨店インターンシップ。


朝5時からの散歩で見えた光の糸。

1泊2日の「商品づくり合宿」。
まずは活動振り返り。

1日目~5日目のお題は
ナリワイアイデア100
地域のいろんな人に話を聞いたり、
地域資源を発見したりしながら、
付箋に100個のアイデアを書いて貼っていく。

ビジネスには3種類しかない。
モノを売るか、サービスを売るか、
あるいはモノとサービスを組み合わせて売るか。

そしてなにより、
「誰に」「何を」売るのか?
その商品・サービスによって、
買った人はどう変わるのか?

そんな問いを持って、ナリワイをつくっていくこと。

ナリワイのほうがお客が狭い分、
遊び心を入れやすいなあと思った。

6日目7日目で
商品づくり合宿。

そもそもナリワイとは?
お金とは何か?
みたいな問いからスタートして、
それぞれのアイデアを具体的にしていく。

僕にとっても学びの多い24時間となった。

まず驚いたのは参加動機。
3人のうち2人の大学生は、
「百姓百貨店」と「白い箱」が
参加の決め手になったのだという。

「よくわからない」「自分でこれから作れる可能性が高い」

なるほど。
これが「なんとなくシフト」か。
もう始まっているんだな。

そして、
貨幣経済から評価経済への話から。

やっぱり「評価」ってネガティブイメージの
ある言葉だし、他者に依存してる感じもあるから、
「関係性経済」のほうがいいのではないか。

なるほどね。
他者との関係性ができているかどうか
で欲しいものが手に入るのだから、同じことかな
選挙とか、企業ブランディングとか
よりマクロな世界で言えば、「評価経済」なのでしょうけどね。

2日目のお昼前、星野さん宅におじゃまして
折り紙を習う。

せっかちなばあちゃんが畳み掛けるように説明してくれる。
「ゆっくりやれ」と言いながら、「できたか?」とすぐ聞く。(笑)

ドリフっぽいなと。(笑)

そう。
関係性経済は、日常を劇場化する気がした。

地域の人たちと一緒に月1万円~3万円程度の
小さな仕事をつくる。

必要なのは、共に演じること。
いっしょにつくる、ということ。

ツルハシブックスとつながった、
と思った。

日常を劇場に。
ツルハシブックス劇団員の理念だ。

「百姓百貨店」もまたひとつ、
劇場化へ近づくための1歩になっているのかもしれない。

とにかく楽しい2日間でした。
ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 06:33Comments(0)日記

2016年08月21日

「ナリワイ」という作品をつくる



長岡市(旧川口町)の
木沢集落でのイナカレッジインターンの
「百姓百貨店」にお邪魔しました。


夕ご飯の支度をしていたら、
近所のばあちゃんが
棒ダラ煮とわらびを持ってきてくれました。
豊かだ。

今回の百姓百貨店のお題は、
地域資源を活用して100のナリワイ(伊藤洋志著「ナリワイをつくる」参考)、
つまり月に1万円~3万円程度のスモールビジネスを4週間で立ち上げる、
というもの。

スタートして6日目の20日。
まずはこれまでのアイデアを発表してもらい、
午後からは、
「そもそも、ナリワイとは何か?」
というお題で話をすることになった。

そこで参考にしたのがこの2冊。


「ぼくはお金を使わずに生きることにした」(マーク・ボイル 紀伊國屋書店)


「エンデの遺言~根源からお金を問うこと」(河邑厚徳+グループ現代 NHK出版)

いまさら?
と言われてしまいそうだけど、
僕は世間より結構タイミングが遅いんですよね。

この前、茨城大学で聞いた、
お金と金融の話から触発されて、
そもそもお金ってなんだろう?って思ったところから
今回のナリワイづくりについて考えられたら、と思った。

そしてら思っていた以上に、
この2冊から受けた衝撃が大きく。。。

~~~以下メモ

人生は困難なものである。いったん人生が困難なものであると
理解して受け入れるならば、人生はもはや困難ではない。

人生はいつだってなるようにしかならない、完全に不完全なものなのだ。

ぼくがカネなし生活からまっさきに学んだ最大の教訓は、
人生を信じることであった。
みずから与える精神をもって日々を生きれば、
必要なものは必要なときにきっと与えられる。僕はそう確信している。

これを理性で説明しようといえ努力は、とっくの昔に放棄した。
感性と経験から導かれた確信である。

お金は一つの方法に過ぎない。

お金に何が書かれているか。
お金とはそういったメディアなのです。

アメリカの地域通貨イサカアワーにはこう書かれています。
イサカアワーは私たちの技能、体力、道具、森林、野原、
そして川などの本来の資本によって支えられています。

日本の紙幣にどんな言葉が印刷されているか知っていますか。
そこに何の言葉も書かれていないなら、ヴィジョンを書き込むのはあなたです。

史上存在した国家は、二つの権力グループに集約することができると思います。
祭壇と王座がそれです。歴史上の国家にはつねに祭司階級があり、王の階級がありました。
精神世界の管理者が祭司で、軍事力を基盤にした貴族階級が現世の支配者でした。

この200年で、従来のこの二つの要素とは性質がまるで異なる、
もう一つの要素が加わってのです。それが経済生活です。
工業化が始まってから、初めて第三の権力が加わったのです。
この権力は祭壇や王座とはまったく異なった原理をもっています。

毎年3%の拡大を前提に成立する、いわば成長の強制は、
以前の2つの権力グループには存在しない原理ですから。

シュタイナーは社会という有機体を三分節化する社会三層論を立てています。
社会全体を精神と法と経済の3つの機能に分けます。
そのうえで、精神生活は自由が、法生活では平等が、経済では
助け合いの力が基本理念であるべきだと考えるべきだというものです。

経済社会は競争ではなく、友愛をもって運営されるべきだ。

今日の政治や社会が抱える大きな問題は、
この三つがいっしょにされ、別のレベルの理想が混乱して語られていることです。

国家の使命は理想を三つとも実現することではありません。
国は、法律をつくり適用しなければいけない組織です。
したがって、平等の理想、それも法のもとでの平等を実現することが求められています。
国家は精神や経済のレベルに手を出すべきではないのです。

マルクスは個々の資本家を、国家という唯一の資本家でとって代えれば、
資本主義が克服できると考えたのです。

マルクスの最大の誤りは資本主義を変えようとしなかったことです。
マルクスがしようとしたのは、資本主義を国家に委託することでした。
つまり私たちが過去の70年間、双子のようにもっていたのは、

民間資本主義と国家資本主義であり、どちらも資本主義であって、
それ以外のシステムではなかったのです。
社会主義が崩壊した原因はここにあるのでしょう。

~~~以上メモ

なるほどな~。
いいタイミングでいい本に出会うなあと。

「評価経済社会」で書かれているような、
パラダイムシフトがいま起こっているのだなあと。

それは名づけるとすれば、
「評価経済」というより「関係性経済」と呼ぶべきものであるのではないか。

工業社会においては、
おそらく「資本主義」「貨幣経済」というのが最適だったのだろう。

かくして、資本家と労働者は生まれ、
先進国と途上国が生まれ、
階級が分かれ、富める者はますます富み、
貧しい者はますます貧しくなるという仕組みを作り出してしまった。

これを資本主義の暴走といってもいいのだけど、
まあそんな分析だけしてても仕方ないし、
そんな時代は、いま転換しつつあるはずだ。

そんな時代に、自分たちは何をするのか?

木沢のような田舎で、顔の見える、小さなビジネスを生み出していく。

そんな甘いことで変革できるのかい?
外資系証券会社やメガバンクの人に笑われてしまいそうだけど、

田舎で小さなビジネスをつくる。
そのリアリティ。

それを大学生のときに、経験しているか、していないのかは、
これからの人生を大きく左右すると僕は考えている。

そして世界の構成員はひとりひとりの人であるから、
その積み重ねが世界を変えていくと思う。

経済社会とコミュニケーションするために
小さなビジネスをつくる。

何よりも、この瞬間。
木沢での4週間の一瞬一瞬を楽しみ、感じること。

「ナリワイづくり」とは、一期一会のライブだと思った。

いまこの瞬間、このメンバーと、この地域の人としか
生み出せないナリワイがある。

そんな、作品と呼べるような小さなビジネスが生まれるような、
そんなインターンプログラムになるといい。  

Posted by ニシダタクジ at 07:11Comments(0)

2016年08月20日

もし、その事業について、本を書くとしたら

カタリバ理事の東大中原淳さんのブログ。
http://www.nakahara-lab.net/blog/archive/3826

NPOで「表現する」「社会と対話する」
とはどういうことなのか?

激しく心を揺さぶられるブログ。

~~~以下メモ

カタリバのルーツを大事にすること
そして
カタリバが何をめざす組織であるのか
の対話を必ずメンバーが続けていくこと

今後のカタリバの課題は、組織のビジョン確定をうけて、
事業ごと、セグメントごとに、事業レベル、セグメントレベルの
ミッション、ビジョンを明確にしていくことだと思います。
カタリバの組織としてのミッションに「同期」しつつ、
各事業部間には「明確な違い」を明らかにしていくこと
そして
社会には、カタリバならではの「付加価値」を提供すること

「今の事業をやりつづけ、3年後に、事業に区切りがつきます。
そして、あなたが、その事業についての、本を書くとします。
その本のタイトルをあなたはどうつけますか?」
とお話をしました。
  
タイトルを何と付けるか?
そこには、どんな挿絵や写真が入るのか?
どんな目次構成なのか?
何がこの本のうりなのか?
何を社会に訴えかける本なのか?
  
本を書くのだとしたら、これらすべてにオリジナリティやビジョンが求められます。
僕がみなさんに明確にしていただきたいのは、そういうことです。

Doable(ドゥアブル)とは「今、あなたがやっていること」(行動項目)
一方、
Deliverable(デリバラブル)とは「あなたがやっていることで、
誰かに何らかの価値提供を行えたか」ということ」(提供価値)

「Doable(ドゥアブル)視点」では「今やっていること」を
ひたすらリスト化すればいいのに対して、
「Deliverable(デリバラブル)視点」では、
それが「誰の何の役にたっているか、どんなお届け物をしているか」を考えなくてはなりません。

それで誰に付加価値をお届けしているのか?
であり
それで何が変わるのか?
ということです。そして、そのために、どのような工夫をしてきたか?ということです。  
人生はまことに短い。
その一瞬一瞬で、誰に何をもたらしてきたのか、がデリバラブル発想です。

私たちは何者なのか?
私たちは、どうありたいのか?
私たちは、何をめざしているのか?
私たちは、誰に、どんな価値をお届けしているのか?

~~~以上メモ

素敵な示唆をいただくブログになった。

ツルハシブックスの閉店から始まる物語が、
もし、本になるとしたら?

タイトルを何と付けるか?
そこには、どんな挿絵や写真が入るのか?
どんな目次構成なのか?
何がこの本のうりなのか?
何を社会に訴えかける本なのか?

そんな問いを手にして、
11月に向かっていこうと思う。  

Posted by ニシダタクジ at 10:08Comments(0)学び

2016年08月17日

本屋とは「偶然」の宇宙



こんなとんでもない景色を見た後、
只見線に揺られて、新潟・魚沼へ。
3年前の大雨のため、一部がバス代行輸送となっており、
只見駅で2時間待ち。



只見駅でレンタサイクル200円を借り、
放浪書房の行きつけ、たもかく本の街へ。

1冊だと定価の半額
コミック10冊1000円

ということでなんとかして10冊に
届けようとした瞬間。
目の前に飛び込んできた1冊。


「草子ブックガイド」(玉川重機 KCモーニング)

第1話はロビンソン漂流記。
「問い」、そして「生きる」が詰まっている1冊。

ちゃんと読んだことないのだけど、
このマンガを読んでると、
読みたくなってくるから不思議です。
只見のまちの古本屋で偶然に出会った1冊のマンガ。

その1冊で、
ほんの少しだけ人生が動く。

本屋さんとは、そういうもので、
だから僕は本屋さんをやりたかったのだろうと思います。

本屋の「価値」とは、偶然を届けること。
小さな「人生の動き」に寄り添う本を届けること。

そんな本屋をやりたいな、と思う。
そしてそれは、本屋でなくてもいいんだな、きっと。

本屋が一番、そんな機会をつくりやすいのだろうと思う。

第2巻の「銀河鉄道の夜」の話もおススメです。  

Posted by ニシダタクジ at 06:19Comments(0)

2016年08月16日

世の中に「やってみる」を増やす



8月15日(月)伊那市にカリカリ(仮)が仮オープンした。(笑)
11月にはプレオープン予定だ。

お店をオープンしたのは
信州大学農学部2年生の千晶さん。
ツルハシブックス店員侍だった葉月さんを姉に持つ。

出会ったのは昨年8月のアルプスブックキャンプ。
その後、まつもと空き家プロジェクトで空き家を改装して
「ロッピキ」をオープンさせた。

この春先に突然メッセージで、
「ツルハシブックスを伊那につくってもいいですか?」
と来た。

よくわからないけど、ぜひやりましょう、と返信したら、
わずか半年後に、仮オープン。
これから内装費用と家賃を集めるための
クラウドファンディングやイベントを行う。

ツルハシブックスとは、いったい何か。
そのミッションの僕なりの言語化をしてみようと思った。

ツルハシブックスに来るお客さんは大学生・20代が多い。
「本の処方箋」をやっているときもあるけど、
時に、悩み相談にのることがある。

そんな若者の
三大悩みは、
「承認(存在)不安」
「自信がない」
「やりたいことがわからない」
である。

3つとも持っている若者も多いので、
この3つは関連していると僕は考えている。

この悩みを読み解く3冊が
「認められたいの正体」(山竹伸二 講談社現代新書)
http://hero.niiblo.jp/e470668.html

「やればできる!の研究」(キャロル・S・ドゥエック 草思社)
http://hero.niiblo.jp/e262963.html

「評価経済社会」(岡田斗司夫 ダイヤモンド社)
http://hero.niiblo.jp/e479716.html

まず、現状で起こっている3つの悩みの原因と対処法を考えてみる。

「承認(存在)不安」は、
核家族化や地域のつながりの希薄化など、
ありのままの自分の承認機会の減少が
その根本原因としてあるのだろうと思う。

昔であれば祖父母や地域のおっちゃんおばちゃんが
果たしてくれた承認機会を得ることなく、子どもは成長していく。

これには、家庭環境がかなり大きく影響しているが
参加・参画型の「祭り」のある地域で育った子は、
「承認(存在)不安」は小さいように感じる。

そして、学校ではどうか。
学校では、「承認(存在)不安」に対しては、
一般的に「褒める」という手法が使われている
ところが、これはほとんど機能していない。

「褒める」という行為は、アドラーも言っているが、
「あなたより私は優位にある」という証明にしかならず、
褒める、つまり他者から承認を求めるようになってしまう。

大切なのは、自分で自分を承認してやることであるが、
それには、存在に対する圧倒的な承認が必要となる。

そこで注目したいのが、「高齢者地域」への滞在である。
たとえば、新潟県の佐渡島の北に浮かぶ小さな島、粟島。

海水浴シーズンではない9月などに島に行くと、
その辺を歩いているだけで、
「どこから来たんだ?今日は何するんだ?」
と話しかけてくる。

この「関心を持ってもらう」というのが、
すごく重要であると思う。
気づかずに承認欲求が満たされていくのである。

次に、「自信がない」という課題であるが、
この原因は、やはり学校生活における
他者との比較による自己不能感(自分には能力がない)

という刷り込みを、学校が、あるいは本人自らが
自分にしてしまったことだろうと思う。

これに対して現在の学校では、
「小さな挑戦を繰り返し、達成することによって自信をつける」
とある。
心理学者アルバート・バンデューラの「自己効力感」理論である。

しかし、話を聞いていると、
そもそも、自信の無い(といっている)子は、
最初の小さな挑戦のドミノが倒れないのである。

「やればできる!の研究」のドゥエック博士によれば、
これはマインドセットの問題で、

「自分の能力は生まれつき固定されている」(固定的知能観)

「自分の能力はやればやるほど開花していく」(成長的知能観)

の問題であると説明し、チャレンジするのに自信は要らないと説く。

だから、「自信がない」に対する対処法は、
あとから振り返った時に、
「実は小さなチャレンジだったんだ」と気づくような
挑戦の設計を行うことだと思う。

最後に、「やりたいことがわからない」への対応。

このとき、ありがちなのが、
「なんでも好きなことをやってみたらいい」
という謎のアドバイスだ。

しかし、「頭痛である」という課題に対し、
「頭痛薬(鎮痛薬)を飲んだらいい」というアドバイスくらい、
何の解決にもなっていない。

頭痛の原因が学校や家庭でのストレスかもしれないし、
寝不足かもしれない。
その原因を探らなければならない。

そして「やりたいことがわからない」の解決策は、
つい、「やりたいことが見つかっている」ことのような気がするけど
実は、本当の課題は「やりたいことがわからなくてつらい」
ということであり、解決策は「やりたいことはわからないけどつらくない」
ということかもしれない。

この場合の対処法は、
「やってみる」を増やすことだ。
そして、そのときに、個人戦じゃなく団体戦、チーム戦にすること。

誰かの手伝いをやってみる。
少しだけ役割を果たしてみる。
それを振り返った時に、自分も小さな役割を果たせたと思えること。
実現可能なんだという小さな自信を手に入れること。

その中から「やりたいこと」や「お客」(大切にしたい人、この人のために頑張りたいと思える人)
に出会えることから、人生は開けていくのだと思う。

その時に越えなければいけない壁が
「挑戦しろ。でも途中でやめるな」というダブルバインドと、
「効率化」という工業社会の呪縛だ。

「継続は力なり」や「石の上にも3年」
というのは、稲作や工業のときの話だ。

「評価経済社会」によれば、
すでに第3の革命が起こりつつある。

そのときに、価値を持つのは、
継続ではなく、はじめること、「やってみる」ことだ。

すでに産業社会は変わっている。

冷蔵庫やテレビ、自動車を売っていた時代から
ポータブルCDプレイヤー、ケータイやスマホに変わり、
いまや、ソフト系IT企業全盛の時代だ。

彼らのビジネスモデルは、
試作版をリリースして、使ってもらいながら改善してのちに有料化するか、
あるいはプラットフォームを提供して広告やアイテムなどの課金ポイントをつくるか、
というものだ。

そこで価値を持つのは、
「試作版」でもいいから創り、リリースする力である。
つまり、「やってみる」ということだ。

「継続は力なり」はある意味真実だろうが、
新しく何かを始めるということは、
何かを途中で辞めることと同時に起こる。

だから、途中で辞めることを恐れずに、
「やってみる」ことが大切だ。

「途中で辞める」ことに対して、世間の目は厳しい。

それは、ここ2000年間、「稲作」を生活の中心として
生きてきたからだろうと思う。

稲作は一度田んぼを作ってしまえば、
半永久的に米を生産することができる。

昨年と同じようにやれば、天候不順もときにはあるかもしれないが
ほぼ、昨年度同様に収穫がある。

そんな生活を続けてきたら、
「継続は力なり」を信じ切るのも無理はない。

しかし。
時代は動いている。

米は食べているかもしれないが、
稲作で生計を立てている人は、ごくわずかだ。

ツルハシブックスは、
世の中に「やってみる」を増やすことがミッションであるのかもしれない。

「気がついたら私も、本屋という舞台の 共演者になっていました」
というキャッチコピーの通り、

本屋という舞台で偶然に出会い、語り、
何かをやってみること。

屋台をしたり、音楽ライブに参加したり、
店員になってみたり。
そういう場なんだろうと思う。

そんな場所が、この国に、もっと増えたらいい。  

Posted by ニシダタクジ at 10:07Comments(0)思い

2016年08月12日

「お客」を「共演者」にする

EDO WONDERLAND
それは「日光江戸村」のショルダーネーム。


いや、これはバイトしたいな、と。

スターバックスやディズニーランドも
いいのだろうけど、

僕が人事担当だったら、
「日光江戸村で2年間バイトしてました」
「はい、採用」

だな。
そんくらい面白かったというか。
新しい時代の息吹を感じた。

ツルハシブックスもこんな風になったらいいなあと。
ライバルはエドワンダーランド。

楽しそうなんだよ、そこにいる人が。

で、衣装を借りたら、
自分もその登場人物のひとりになれる。

「お客をつくらない」
っていうのは、これからの「場」の
キーワードになっていくと思う。

そういう意味では、
ゲストハウスにも、「ゲスト」はいなくて、
そこには「共演者」がいるだけなのかもしれない。

ツルハシブックスとゲストハウスが
似ているのもおそらくはそこ。

「お客」をつくらない。

「お客」だと思った瞬間に、
人はサービスの受け手となる。
すると、サービス提供側への期待が高まる。

その期待を圧倒的に上回る
サービスが「付加価値」とされてきた。

リッツカールトンや
ディズニーランドのような「伝説」だ。

しかし、前提として、
「お客をつくらない」と決めること。

日光江戸村は、ビジネスでありながら
それが見事に体現されている空間となっている。

自らも「参加」できるし、
演じている人たちも客席を積極的に巻き込む。

たしかに、お金を払っているのだけど、
サービスの受け手だけをするのではなく、
周りの人にとっては、何らかのサービスを提供する側になっている。
(衣装を借りて着替えるというのはそういうことだ)

EDO WONDERLANDという「場」の構成員のひとり
となっているということ。

そして何より、
従業員のみんなが楽しそうだった。

芝居にしても、上手で「魅せる」というより
一緒に楽しい時間を過ごす、という風に設計されていて、
最後におひねりを投げるところまできっちり説明する。

まず自分が楽しむこと。
そして目の前の人を「共演者」に換えていくこと。

ツルハシブックスのライバル。
それは、「EDO WONDERLAND 日光江戸村」
かもしれません。

あんな本屋があったら、日本の日常はもっと楽しくなるなと。  

Posted by ニシダタクジ at 10:17Comments(0)日記

2016年08月11日

「茶」とは何か?という問い

サザコーヒーの小泉さんによる学生向けのコーヒー講座。
僕のほうがシビれてしまった。

サザコーヒーの強さの秘密がわかった。

「誇り」「プライド」

スターバックスではない価値を提供しているという自信。

豆へのこだわり。
と一言では書けない、圧倒的な知識。

コーヒーとは生き物であり、
抽出とは対話である、と感じた。

3倍の値段を付けて売る、ということ。
そのためには、バカみたいにこだわるということ。

そして、なによりプレゼンテーション。

同じコーヒーであっても、
プレゼンテーションによって、
味わいは変わってくる。

お金があってできることは、誰でもできる。
しかし、知恵でオリジナリティーを出していくことは
小さい会社だからこそできるんだ。
どうプレゼンテーションするか。

コーヒーの抽出を10杯同時にやる。
おおお!と思わせる。
そこで、コミュニケーションが生まれる。

そもそも、岡倉天心のいう「茶」とは
そういうものだったのではないか。

「茶」とは何か?
問いかけるということだったのではないか。
「茶」の中に何があるのか?

1杯の茶の中に
「宇宙」が詰まっている、ということではないか。

そんな問いが生まれるような
コーヒープロモーションができたら、いい。

いい問いとパッションをいただきました。
本当にいい仕事をさせてもらっています。
ありがとうございます。  

Posted by ニシダタクジ at 08:56Comments(0)学び

2016年08月10日

サードプレイスに依存させない

福島正伸さんの
「起業家精神」を読んだとき。
課題は「依存型」であるということだと
実感した。

依存型の思考では解決しない。

ネットワーク。
あるいはサードプレイス。

これからの生き方働き方を
考えるうえで外せないテーマ。

ここで問題になってくるのが、
いわゆる「サードプレイス依存」というやつではないか。

精神的なよりどころになる。
もちろんそれは、場にとっては、
光栄なことなのかもしれない。

しかし、そこに来るユーザーにとっては、
「サードプレイス依存」の人たちは、
ちょっと距離を置きたい感じになる。

場の目的は何か。
場にとっての顧客はだれか。
その顧客にとっての価値は何か。

この3点を考え、振り返り
マイナーチェンジを繰り返さなければ、
「居心地のいい場所」を保つことは難しい。  

Posted by ニシダタクジ at 06:25Comments(0)日記

2016年08月08日

「蜂の一刺し」をどこに刺すか

美麻村。
エコリーグ全国ギャザリングの聖地。

「環境問題」とは、
環境の問題などではなく、生き方の問題だと、
1998年初参加したときの
同い年くらい実行委員会の人たちの意識レベルの高さに
衝撃を受けた。

高校生の時。
「世界は救える」というくらいの全能感を
少なくない人が持っていただろうと思う。

大学生に入り、自らの無力を知り、
絶望に打ちひしがれ、ふたたび立ち上がり、
自分のポジションを見つけて、生き方を決めていく。

きっとそれが大学生時代なのだろうと思う。

「アメリカ大統領になって、世界から戦争を無くす。」
というレベルから、
だんだんと自分のフィールドとコンセプトを決めていく。

自然農の沖津さん。
耕さない
肥料・農薬をやらない
草・虫を敵としない
機械もほとんど使わずに米・野菜をつくり続けている。

タルマーリーの「腐る経済」を読んで衝撃だったのは、
「菌本位制」など、経済至上主義そのものに挑む人がいるんだってこと。
そうやって、ポジションとコンセプトを決めていく。

そこに「蜂の一刺し」並みに全力を注ぎこむ。

きっとそれがこれからの生き方なのかもしれない。
人生というアートなのかもしれない。

岡倉天心のように、
世界と対峙し、全力で表現しながら生きていきたいと思う。

だとすると、
僕はやっぱり小さいところかもしれないけど、

「効率化」や「わかりやすさ」に挑んでいくこと。

19歳20歳の大学生や中学生高校生のために、
わかりにくいもの。
わかりにくいけど、面白そうなもの。
役に立つか経たないか謎なもの。

そういうものを届けていきながら、

なぜ、そこに価値があるのか?
価値があると自分は思うのか、を表現し続けていきたいなあと思う。

そう考えると、時間はそんなに残されていない。

でも、仲間がいっぱいいるなあ。

ツルハシブックス増殖計画、はじまります。  

Posted by ニシダタクジ at 06:33Comments(0)学び

2016年08月07日

「わかりやすさ」という価値幻想


アルプスブックキャンプ@長野・木崎湖
今年も山と湖と本と音楽の祭典にいってきました。

出店場所がイベントブースの横だったので、
トークや音楽が聞こえて、とってもいい環境でした。

ツルハシブックスのコンテンツのひとつ、
「本の処方箋」は今年も大人気でした。

あれはあれで劇場だなあ。
ライブだなあと思いました。

あの瞬間にしか、あの空間でしか、
処方できない本があるんですよね。
そんなことを実感した1日でした。

やっぱり一番印象に残ったのは、
「わかりやすさの呪縛」についてかなあ。

自分の思っていることを
「わかりやすく」人に伝えること。

それができないとダメだと思っている。
そうしないと仲間が増えないと思っている。

でも。
それ、本当なのかなあ?

言語化できなくても、「一緒にやろうよ」
って言ってくれる人とやればいいんじゃないかな、と。
むしろ、そっちのほうが楽しいんじゃないか、と。

20歳の大学生が思っているほど、
実は「わかりやすさ」に価値なんてない。

だって、よく考えてみてください。

わかりやすい男子を好きになりますか?

少女マンガでも恋に落ちるのは、
いつも、普段はツッパっているのに、
校舎の裏で捨て犬にエサをやっていたりする男子ですよ。

ギャップ萌えというか、
ミステリアスな部分というか。
そういうのがいいんですよ。

「わかりやすさ」に価値があったのは、
実は工業社会だけだったんじゃないか、と僕は思っています。
あと、農業革命後の農業社会とか。

とにかく時間がなくて、
仕事がいっぱいで、考える余裕なんてないし、
均一なものを短期間に大量につくる必要があったから。

だから、
「わかりやすい」ことに価値があったのではないか。

「人口が増え続ける」という
特殊条件下にのみ、「わかりやすさ」は価値を持つ。

「先生はえらい」(内田樹 ちくまプリマー新書)にも
書いてあったけど、

かつて行われていた「沈黙交易」では、
そこにおかれた物品は、わかりにくいほど、価値があった。

なぜなら、そこにコミュニケーションが生まれるからだ。
「これはなんだ?」
「どうやって使うんだ?」
「どんないいことがあるんだ?」
とみんなで試行錯誤することに、大きな価値があった。

まあ、ようするに、みんなヒマだったんだよね。

でも、人類史からすれば、そうやってヒマな時代のほうが多くて、
だからこそ、「本当は地球のほうが回っているんじゃないか」とか、
「本来宗教はこうあるべきなんじゃないか」とか、
そういう話ができるんじゃないか。

いま。
産業革命後の工業社会から次のステージへと変化しつつあるのは
きっとみんなも自覚しているだろう。

そのとき。
おそらく、「わかりやすさ」に大した価値はないだろう。
そんな時代の過渡期を、ぼくたちは、20歳の大学生は、生きている。

わかりにくいこと。
言語化できないこと。

それでも、自分はそっちの方向だと思う。

そんな直感を大切にしていこう。
そしてそれでも進んでいこうと思う。

「まきどき村」やってよかったなあと
15年後になって、ようやく思える日が来るのですよ、きっとね。  

Posted by ニシダタクジ at 07:10Comments(0)イベント

2016年08月05日

「偶然」という問い


旅する図書館@6次元

に行ってきました。
本当はここで、「小さな本屋 こっそりー」を
お披露目するはずだったのですが間に合わず。
2009年8月にホスピタルクラウンだけで始めた本屋さん
のときの小さなトランクを持っていきました。


(2009年8月18日オープンのトランク本屋「本屋には新しい人生が転がっている」)

旅する図書館のコンセプトは
明日を待ち遠しく思う人を増やす。

・芸術家の支援
・経験の交換
・よそ見の促進
をテーマに、入ってときのあなたと出ていくときのあなたは全然別の生き物
になっているのような「場」をつくるということ。
素敵です。

そんな場を作ろうとした2人の原点である本が
「人が集まるつなぎ場のつくり方」(ナカムラクニオ 阪急コミュニケーションズ)

僕もこの本はすごく感銘を受けて、
すぐに6次元に遊びに行ったという共通点がありました。

~~~特にココ

場づくりにおいて大切なことは
「もしかして次に来た時には、
もうここはないんじゃないか」と感じさせるような
「一期一会の空間」をつくることだと思っています。

それこそが、どこでも買えない価値のあることなんだと、
みんなすでに気が付いているのではないでしょうか?

~~~ココまで

ツルハシブックスは4日、閉店を発表しました。

ツルハシブックスが1枚の絵だとすれば、
そのタイトルは、「偶然」だろうと思います。

「偶然」、そしてナカムラさんや旅する図書館の言う「一期一会」。

きっとそんな場をつくってきたし、
これからも作っていきたいと思っています。

「偶然」は「必然」で、「一期一会」で
そして「手紙」なのかもしれないな、
本屋という仕事は。

そして
「偶然」をいつの間にか目指してきたのは、

自然農から学んだ、
日々、自分が問われ、
自分を全うするということ。

そして何より、
キャリアデザイン的な目的達成型思考へ対する
問い、なのかもしれないな、と。

ツルハシブックスとは、「偶然」という問い。

旅する図書館はこれから週1回の固定した場を
設けていくということですが、
ツルハシブックスは逆に旅する本屋にふたたび戻る。

中高生や大学生に「偶然」を届けるために。

とっても素敵な空間でした。
6次元のライティングもすごくよかった。
ツルハシブックスもあそこでイベントやりたいなあと思いました。  

Posted by ニシダタクジ at 04:51Comments(0)日記

2016年08月04日

仮説と虚像を超えて

新たな1年。
仮説と虚像を超えていく。

ツルハシブックスという仮説。
ニシダタクジという虚像。

ツルハシブックスの学びの三層構造の言語化、仕組み化。
米屋×本屋という新たな展開。
大阪、伊那での次のステージ。

大学の中での
コーディネート機能の強化。
ふりかえりの文化をつくる
ファシリテーションの重要性。
小さな図書館+本の処方箋機能を持つ。

どこからきて、どこへ行くのか。

出発点の確認。
「ダイコンがダイコンを全うするように、私は私を全うする」
目の前の人、自然、状況とのコミュニケーション。

仮説を立て、実践し、自ら仮説を超えていく。

日々、自分が問われているし、
日々、世界に何を問うのか。

僕はまだ、何物でもない。

仮説と虚像を超えて、僕が僕になっていく。
そんな1年にしたい。  

Posted by ニシダタクジ at 05:55Comments(0)日記

2016年08月03日

何を問うか

日々、自らが問われているし、
自らが世界に何を問うか?
が仕事なのかもしれない。

仕事って答えじゃなくて、問い。
どれだけの問いを発しているか、
どれだけの問いを残したか。

自然農の沖津さんも
タルマーリーの渡辺さんも
木工房ようびの大島さんも
問いの真っただ中にいるし、
問いを発し続けている。

仕事は手紙だし、
そして仕事は問いの中にあって、
問いを生み出していくものなのだと思う。

目の前から、何を学ぶか。
そして何を問うのか。

いつも、そんな原点に返っていきたい。  

Posted by ニシダタクジ at 05:40Comments(0)日記

2016年08月02日

一期一会と仮説超えと遊びゴコロ



「一期一会」
「瞬間瞬間、自分を全うする」
自然農の教え。
その草を残すべきか刈るべきか自然とわかるようになる。
ナカムラクニオさんのいう場づくりに通じる。






「仮説超え」
「自分でつくった仮説を自ら打ち破っていく」
「毎年ひとりずつ雇用を増やす」

タルマーリーと木工房ようび。
ド田舎と呼ばれるフィールドで活躍するプレイヤーから学び。
日々更新。
生まれ変わっている。





「遊びゴコロ」

神戸のビヨンドコーヒーロースターズ。
なんていうか楽しんじゃってるなあって。

トレードマークのヒゲでロゴをつくり、
手ぬぐいやバッグ、カップを作っている。
アイスコーヒーのいれものもガラス瓶。

この3日間で学んだこと。
一期一会、仮説超え、遊びゴコロ。

これで、僕は、生きていく。
そんなふうに思った。  

Posted by ニシダタクジ at 07:05Comments(0)学び