2016年08月21日
「ナリワイ」という作品をつくる
長岡市(旧川口町)の
木沢集落でのイナカレッジインターンの
「百姓百貨店」にお邪魔しました。
夕ご飯の支度をしていたら、
近所のばあちゃんが
棒ダラ煮とわらびを持ってきてくれました。
豊かだ。
今回の百姓百貨店のお題は、
地域資源を活用して100のナリワイ(伊藤洋志著「ナリワイをつくる」参考)、
つまり月に1万円~3万円程度のスモールビジネスを4週間で立ち上げる、
というもの。
スタートして6日目の20日。
まずはこれまでのアイデアを発表してもらい、
午後からは、
「そもそも、ナリワイとは何か?」
というお題で話をすることになった。
そこで参考にしたのがこの2冊。
「ぼくはお金を使わずに生きることにした」(マーク・ボイル 紀伊國屋書店)
「エンデの遺言~根源からお金を問うこと」(河邑厚徳+グループ現代 NHK出版)
いまさら?
と言われてしまいそうだけど、
僕は世間より結構タイミングが遅いんですよね。
この前、茨城大学で聞いた、
お金と金融の話から触発されて、
そもそもお金ってなんだろう?って思ったところから
今回のナリワイづくりについて考えられたら、と思った。
そしてら思っていた以上に、
この2冊から受けた衝撃が大きく。。。
~~~以下メモ
人生は困難なものである。いったん人生が困難なものであると
理解して受け入れるならば、人生はもはや困難ではない。
人生はいつだってなるようにしかならない、完全に不完全なものなのだ。
ぼくがカネなし生活からまっさきに学んだ最大の教訓は、
人生を信じることであった。
みずから与える精神をもって日々を生きれば、
必要なものは必要なときにきっと与えられる。僕はそう確信している。
これを理性で説明しようといえ努力は、とっくの昔に放棄した。
感性と経験から導かれた確信である。
お金は一つの方法に過ぎない。
お金に何が書かれているか。
お金とはそういったメディアなのです。
アメリカの地域通貨イサカアワーにはこう書かれています。
イサカアワーは私たちの技能、体力、道具、森林、野原、
そして川などの本来の資本によって支えられています。
日本の紙幣にどんな言葉が印刷されているか知っていますか。
そこに何の言葉も書かれていないなら、ヴィジョンを書き込むのはあなたです。
史上存在した国家は、二つの権力グループに集約することができると思います。
祭壇と王座がそれです。歴史上の国家にはつねに祭司階級があり、王の階級がありました。
精神世界の管理者が祭司で、軍事力を基盤にした貴族階級が現世の支配者でした。
この200年で、従来のこの二つの要素とは性質がまるで異なる、
もう一つの要素が加わってのです。それが経済生活です。
工業化が始まってから、初めて第三の権力が加わったのです。
この権力は祭壇や王座とはまったく異なった原理をもっています。
毎年3%の拡大を前提に成立する、いわば成長の強制は、
以前の2つの権力グループには存在しない原理ですから。
シュタイナーは社会という有機体を三分節化する社会三層論を立てています。
社会全体を精神と法と経済の3つの機能に分けます。
そのうえで、精神生活は自由が、法生活では平等が、経済では
助け合いの力が基本理念であるべきだと考えるべきだというものです。
経済社会は競争ではなく、友愛をもって運営されるべきだ。
今日の政治や社会が抱える大きな問題は、
この三つがいっしょにされ、別のレベルの理想が混乱して語られていることです。
国家の使命は理想を三つとも実現することではありません。
国は、法律をつくり適用しなければいけない組織です。
したがって、平等の理想、それも法のもとでの平等を実現することが求められています。
国家は精神や経済のレベルに手を出すべきではないのです。
マルクスは個々の資本家を、国家という唯一の資本家でとって代えれば、
資本主義が克服できると考えたのです。
マルクスの最大の誤りは資本主義を変えようとしなかったことです。
マルクスがしようとしたのは、資本主義を国家に委託することでした。
つまり私たちが過去の70年間、双子のようにもっていたのは、
民間資本主義と国家資本主義であり、どちらも資本主義であって、
それ以外のシステムではなかったのです。
社会主義が崩壊した原因はここにあるのでしょう。
~~~以上メモ
なるほどな~。
いいタイミングでいい本に出会うなあと。
「評価経済社会」で書かれているような、
パラダイムシフトがいま起こっているのだなあと。
それは名づけるとすれば、
「評価経済」というより「関係性経済」と呼ぶべきものであるのではないか。
工業社会においては、
おそらく「資本主義」「貨幣経済」というのが最適だったのだろう。
かくして、資本家と労働者は生まれ、
先進国と途上国が生まれ、
階級が分かれ、富める者はますます富み、
貧しい者はますます貧しくなるという仕組みを作り出してしまった。
これを資本主義の暴走といってもいいのだけど、
まあそんな分析だけしてても仕方ないし、
そんな時代は、いま転換しつつあるはずだ。
そんな時代に、自分たちは何をするのか?
木沢のような田舎で、顔の見える、小さなビジネスを生み出していく。
そんな甘いことで変革できるのかい?
外資系証券会社やメガバンクの人に笑われてしまいそうだけど、
田舎で小さなビジネスをつくる。
そのリアリティ。
それを大学生のときに、経験しているか、していないのかは、
これからの人生を大きく左右すると僕は考えている。
そして世界の構成員はひとりひとりの人であるから、
その積み重ねが世界を変えていくと思う。
経済社会とコミュニケーションするために
小さなビジネスをつくる。
何よりも、この瞬間。
木沢での4週間の一瞬一瞬を楽しみ、感じること。
「ナリワイづくり」とは、一期一会のライブだと思った。
いまこの瞬間、このメンバーと、この地域の人としか
生み出せないナリワイがある。
そんな、作品と呼べるような小さなビジネスが生まれるような、
そんなインターンプログラムになるといい。