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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2013年07月31日

お客は誰か?そしてどう届けるか?

お客は誰か?
そしてどう届けるか?

しかもそれをどのように収益化するか?

これがいつも最大の課題である。

まずはドラッカーの問い
「顧客は誰か?」というところから
始めなければならない。

教育系の活動をしている人の多くは、
顧客とは、「過去の自分自身」であることが多い。
なぜなら、それがもっともモチベーションが上がるからだ。
自然に体が動くからだ。

「中学生高校生に地域の大人と出会わせたい。」

と思ったときに、
学校に地域の大人を呼ぶか、
地域に中学生高校生が集まる場をつくり、そこに大人を呼ぶかで
大きく意味合いもアプローチも違ってくる。

後者の場合はかなり仕掛けが必要だろう。

そして、中学生高校生といっても
全てがお客であるわけではない。

大学生に例えるとすると、
「長期のインターンシップにチャレンジしよう」
と思っている大学生はよっぽど意識レベルや自信度の高い大学生だ。

じゃああまり自分に自信のない大学生が
お客だとしたら、どうアプローチしたらいいのか?

それは結構難しい。
アクションを起こしていないからだ。

本屋に偶然、立ち寄った。
そしたらそこで同じ大学の大学生に会った。
話していたら結構共通点があり、意気投合した。
そしたら学校外の活動に誘われた。

そんな流れが必要なのだろう。

お客は誰か。
どのように届けるか。
そしてそれをどのように収益化するか。

やればやるほど、
だんだん、見えてくるものってありますね。  

Posted by ニシダタクジ at 05:34Comments(0)日記

2013年07月30日

定置網にかかった人生


「非属の才能」(山田玲司 光文社新書)

いいですねえ。
読むべき1冊です。

「スラムダンク」の井上雄彦は、
小学校のクリスマス会を
「自由参加でいいですよね」と言ってサボっていた。

「孤独」と「不安」のレッスンにも
かかれていたけど、
日本社会の「同調圧力」はものすごい。

そこに適応していると、
いつの間にか「定置網にかかった人生」
が待っているのだと著者は言う。

思考停止した魚たちを
マスメディアを活用したキャンペーンで
ごそっとさらってく、これが世の中の定置網漁法だ。

定置網にかからないための方法は
「逆張り」と「直感」

「逆張り」
世間が言っているのと
180度逆をいってみる。

みんながベンツに乗っていたら、
軽トラに乗ってみる。
「車でスピードを出すのって、右足を踏み込めば誰にでもできること。
サーフィンでスピードを出せる人の方が100倍はかっこいいですね。」

なるほど。
たしかに必要以上にいい車に乗りなさい
と言っているのは、自動車メーカーの人間だ。

もうひとつ「直感」

著者の友人は言う。
「インターネットで辞書を引くような愚行は絶対にしない」
と必ず広辞苑で⁻。

その心は、
「アナログの辞書では、たとえば、獅子舞(ししまい)のとなりに、静寂(しじま)と地志米(じしまい)
という言葉が載っています。僕は辞書を引くときは両隣の言葉も同時に調べるので、一度に三語を
吸収することができるんです。」

なるほど。
熱いな、これ。

人生を変える出会いは
「なんとなく直感」で決めたときが多い。
これは著者の経験則だが、
そのとおりだと思う。

若者はもっと、自分の直感を信じてもいい。

定置網にかかった人生を卒業しよう。  

Posted by ニシダタクジ at 06:39Comments(0)

2013年07月29日

第一志望大学に合格するという価値

第一志望大学に合格することは、
どのくらい価値があるのだろうか?

そんな問いかけをしたことなんて
ないだろうけど。
ちょっと仮説を考えてみた。

企業での実践型のインターンシップや
地域での様々な活動を大学生に紹介している僕は、
そんなことをふと思う時がある。

それは
活動している大学生の多くは
「大学受験を失敗した」と思っていたからだ。

例えば、
新潟ではNo1の国立の新潟大学に
合格した人のなかでも
「勝利者」として入学した人と
「敗北者」として入学した人たちがいる。

「センター失敗しちゃって」
志望校を(偏差値的に)下げざるを得なかった、
みたいな人のことだ。

同じ大学、同じ学部に入学していても
彼らのマインドは全然違う。

自信がより強化されているか、
自信がヘシ折られているか、だ。

数年前に新設され、今年、第1期生を送り出した
公立の新潟県立大学の大学生が元気だ。
もちろんテーマが「国際」という
こともあるだろうけど。

なぜそんなに元気なのか?
を考えていたら、
学生にひとつの共通点があった。

大学受験に失敗していることだ。
いや、失敗したと思っていることだ。

「国際」系を学びたい高校生の
憧れの大学は秋田の国際教養大学
国公立の偏差値ランキングでも東京外語大の次にレベルが高い。

その第二志望として、
新潟県立大学はポジショニングされているようだ。(高校生にとっては)

大学受験に失敗する。
そのときに、こんな風に思う。

「自分は結構いけるはずだと思っていたのに、できなかった。」
「いや、でもそんなことはない。もっと努力すればいけたのだ。」

そう思ったとき。
じゃあもう一浪して、ふたたび第一志望を目指すか、
合格した新潟県立大学に入学するか。
そして入学したとして、何を大学で学ぶか。

そんなことを無意識のうちに考える。

入学大学は変えられないし、
最終学歴も、もはや変えることはできない。
だとしたら、
大学ではないところでの自分を磨くということではないか。

そんなマインドなのではないか。
だから、県立大学の学生のアンテナは高いし、
アクションを起こす。
要するに、第一志望大学に落ちた方が行動する、ということだ。

しかし、僕は単に第一志望大学には落ちた方がいいと言いたいわけではない。

やはり、問題となってくるのは
「才能思考」(固定的知能観)と「成長思考」(成長的知能観)だ。

自分の能力は生まれつき決まっている。と思っているか、
やればやるほど伸びていく、と思っているかどうかが大切だと思っているのだ。

そして、残念ながら、現在の教育システムでは、
「才能思考」の子が数多く育っていく。

先ほどの県立大学の学生で言えば、
大学受験に失敗することによって、
自己評価(他者評価の影響にも大きく影響される)
が低下した大学生がそれを取り戻そうとアクションをしているということになる。

しかし、その目的が、「他者評価(たとえば、企業の社長に褒められる)による自己評価の上昇」にあるとすれば、
それは、ある意味「不健全」なモチベーションだと言わざるを得ない。

他方、
「才能思考」と「第一志望大学合格」の相性はもっとも危ない。

「自分は結構できるんだ」というように
自己評価(他者評価による)は高いところで止まってしまうからだ。

すると、何が起こるか。

人間の本能は現状維持なので、
「他者評価を高いところで維持しようとする」

そのためにもっとも賢い選択は、
「チャレンジをしない」ことだ。

やったことがないことにチャレンジする、
というのは失敗をしに行くようなものだ。
そんなことをして、他者からの評価を下げても、
何の得もない。

それを本能的に分かってしまうから、
なかなかチャレンジできなくなるのではないか。

そんな仮説を考えてみた。

だから、取り戻すべきもっとも大切なものは
失敗すればするほど成長する「成長思考」であり、
これは、大学に合格しようが、落ちようが、
すべての大学生に必要な思考であると思う。

もし、この仮説が正しければ、
方法は2つだ。

ひとつは、
中学生、高校生の段階から「成長思考」を実感させていくこと。
これは、中学・高校の先生に共感を得ることが必要だ。

もうひとつは、
大学の初年次に、地域活動に放り込み、
「行動」⇒「失敗」⇒「仮説」⇒「挑戦」⇒「失敗」⇒「改善」⇒「成功」
という一連のプロセスを実感させること。

これが北九州市立大学眞鍋先生や聖泉大学有山先生が
取り組んでいる、初年次教育の効果なのではないか。

まずは「成長思考」を取り戻すこと。

それができるなら、
まさしく、大学受験に受かろうが落ちようが全然関係のないチャレンジブルな人生が
待っている。

現状の「才能思考」のままでは、
第一志望大学に合格するということは
価値よりもリスクのほうが高いと言わざるを得ない。

そして、地域にとっても、大学が、そして大学生が果たすべき役割は大きい
として、どんどん地域×大学の取り組みが進んでいくとしたら、
まずは初年次に「成長思考」を取り戻すことからスタートしていくことが
大切なのではないだろうか。

そのためのプログラムや機会の提供をやっていくこと。
そこにコーディネート団体の使命がきっとある。  

Posted by ニシダタクジ at 08:07Comments(0)日記

2013年07月28日

カフェのチカラ

カフェスローの吉岡さんに再会。
ステキだなあ、やっぱり。
カフェスローは
カフェではなくて、メッセージだとあらためて思った。

カフェのチカラ。

「カフェという場のつくり方」を読んで以来、
ツルハシブックスは本屋ではなく、カフェだと思った。

その場には何か力がある。
そこの場に行くと、なぜか心が開かれる。
いいなあ。
移動カフェっていうのも素敵だなあと思ったのも昨日。

いろんな場所に行って、
対話して、一期一会を大切にして、
その場の人たちをつないでいく場所が
可能かなって思った。

やっぱり「小商い」っていう
コミュニケーションをみんなが求める時代に
突入しているよなあ。  

Posted by ニシダタクジ at 06:40Comments(0)アイデア

2013年07月27日

仲間づくりとプロジェクト

「知り合い」が「仲間」
になるのはいつだろうか。

「学生時代の仲間」とは
一緒に何をしたのだろうか?
何年経っても結びつきが強いのは
一般的には体育会系の部活だと言われる。

限界を超える夏合宿。
朝から晩までつづく基礎練習。
足の裏にはマメができる。

そんなのを超えて、
人と人は「仲間」になっていく。
その小さなものを作れないだろうか?

かつてやっていた
1泊2日の「社長に挑戦セヨ」というイベントがあった。

社長が出したお題に対して、
3人1組でチームになり、
一晩かけて提案を出していく。

途中で妥協するチームも出てくるが
なんとかいい案を出そうともがくチームが
仲良くなっているのではないか。

短期間であっても、
共通の目的に対して、
チーム全員が全力で挑む。

これが仲間づくりのポイントだとすると。

仲間づくりのための研修もこのように作っていく必要がある。
(現在は多くの企業でこの要素を多分に含んでいるようだが)

しかしながら、ここで見落としがちなポイントがある。

「課題共感」である。

単なる企業や地域の課題に対して、アイデアを出せ、
と言われても、そこに心が動くことはあまりない。

したがって、そこには、「本気」が芽生えない。

「課題共感」できるお題。
これが前提条件だ。

では「課題共感」に必要なのはなにか。

・リアルな現状(現場)を見る。
・お題の設定者が本気である。
・「共感」を生むような場の設計。

この3つを押さえることが必要なのではないか。

そういう意味では、
国際協力系のNGO、NPOが実施している
スタディツアーは、かなり参考になるのかもしれない。

「課題共感」できるプロジェクトに挑むこと、
これが仲間づくりのポイントだとすれば、

離島・粟島や中山間地・栃尾はもっとも効果的な研修場所になるのではないか。  

Posted by ニシダタクジ at 05:45Comments(0)チーム

2013年07月26日

答よりもっと大事なことは


http://www.youtube.com/watch?v=JMtPy5lz258

僕が小学校2年か3年の時に町民会館(市民会館ではない)
で見た映画「キャプテン」
最後、負けてしまう展開のアニメは初めてだったので
思わず泣いてしまった記憶がある。

この主題歌「君は何かができる」

1番の歌詞はこれ。
若い日はみな 何かをめざせ
秘めた力 自分じゃわからないよ
夢を大きく持とう そうだ とびきりでかく

まあ、ありがちな少年向けアニソンっぽい。

そして、
2番になるとこうだ。
答よりもっと 大事なことは
勇気出して 自分を試すことだ
君は何かができる 誰も何かができる

これ、成長的知能観の話じゃないか。

答よりもっと大事なことは
勇気出して、自分を試すことだ。

そうそう。
答えより、試すことが大事なのだなあ。

僕が「成長的知能観」を持つことができたのは、
実は歌のおかげなのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 07:30Comments(0)日記

2013年07月25日

粟島に「ある」もの

何もない島、粟島。
僕は22歳の時、1997年。
サークル「有機農業研究会STEP」の合宿で初めて粟島に行った。

目的は「塩づくり」

農業とか環境とか言っていた僕は、
塩専売のことを知り、
地産地消で塩を作らなければっ!
と思い立ったのである。

当時、販売用に塩を作ることは、
原則として禁じられていて、
(だから「笹川流れの塩」は存在しなかった。)

それに反発した僕は、
「塩、つくるべ」

ということで、サークルのみんなを引き連れて
1回目は笹川流れに行き、海水を煮詰めた。

そして
「もっときれいな海水は?」
ということで、粟島を見つけた。

鍋と炭を背負って、粟島に到着。
西側の釜谷に宿をとり、
早速塩づくり開始。

といっても、海水を組んで鍋に入れ、煮立たせる。
それだけ。
案の定、7人のメンバーはすぐ飽きてしまった。
そして、車でどこかに行ってしまった。

ただ一人、1年生で気の弱そうだった西山くんに、
「お前は、塩づくり、やるよな」
と言って、付き合わせた。

2泊3日ひたすら海水を煮詰めて、
手のひらいっぱいの、ちょっと黒っぽい塩ができた。

これが美味かったんだ。
この塩だけで、酒が飲めるくらいの。
僕は、のんびりとただ、海水を汲んで鍋に投入する3日間を過ごした。

その7年後、の2004年ふたたび「るるぶ新潟佐渡05年版」の取材で粟島へ。
(図書館にはもしかしたらあるかも)



そしてさらに7年後の2011年、震災のニイダヤ水産復活プロジェクトで
粟島に行くことになる。
昨年は新潟青陵大学・新潟薬科大学の合同合宿を行う。

学生には劇的な効果がある。
お年寄りに優しくなって帰ってくる。
僕は粟島という「場」にチカラを感じる。
「なつかしい未来」というのは、粟島のような場のことを言うのではないかと思う。

何にもない。
だからこそ、できることがある。

しおかぜ留学の小学生を見ていると、その自信が深まっていく。

ステキな島です。
粟島。
考えるだけで胸がキュンとなります。  

Posted by ニシダタクジ at 06:35Comments(0)日記

2013年07月24日

地域で身につける3つの思考習慣

学校で身につく3つの思考習慣。

1 目的思考
なんのために、これをしているのか?と考えること。
ex なんのために勉強するの?

2 他者評価
誰かの評価を気にして行動すること。

3 才能思考
自分の才能は生まれつき決まっているから、その範囲内で生きるということ。

かつて、この3つが機能した時代があった。
工業社会だ。
効率化というゴールに向けて、改善を繰り返す。

上司に評価されるためにがんばって働く。
自分の才能を活かして、手に職をつけていく。

社会の転換点を生きる若者には、
これだけでは合わなくなってきているというのが、
若者の苦しさの原因なのではないか。

だからこの3つの力の転換が必要だ。

1 目的思考⇒機会思考
15年後に職業の65%が入れ替わっていると予言される今日、
目的・目標を見据えて行動することも大切なのだけど、
それよりも変化に対応する力が必要であると思う。
つまり、すべての機会をチャンスととらえ、そこから何かをつかもうとする力が必要だ。

2 他者評価⇒自己評価
他者に評価されて出世される時代は終わった。
市場のニーズ調査でヒット商品が生まれる時代も終わった。
自らの振る舞いを自ら振り返ることによって、新しいものが生まれてくるのだ。

3 才能思考⇒成長思考
人間の可能性は無限大で、やればやるほど、経験すればするほど、
失敗すればするほど自分は成長できるという価値観。

そういうのを持つために、
機会と自己評価と成長機会を提供することが地域の役割なのではないか。

機会思考は、
クランボルツ博士の「キャリア・ドリフト(計画された偶発性理論)」を採用する。

自己評価思考は、
シャイン博士の「キャリア・アンカー(価値観を磨く)」を採用する。
他者評価ではなく、自己評価をする。
そのためには自分の価値観と振り返りをするしかない。

そして最後。
成長思考
ドゥエック先生の固定的知能観と成長的知能観を採用する。

そうすると

本屋という場とインターンシップは、
それに最適な空間ということになる。

本屋という偶然を提供し、
インターンシップという挑戦の機会、成長の機会を
持つことで、だんだん自分の価値観が形成されるとともに、
成長思考が身についていく。

これこそがキャリアに必要なことなのではないか。

学校では、キャリア・デザイン
地域では、キャリア・ドリフト

その繰り返しによって、
自己評価するための価値観と
成長思考を手に入れていくこと。

これがこれからを生き抜くチカラになると僕は思う。  

Posted by ニシダタクジ at 06:13Comments(0)就職

2013年07月23日

転がっている出会い

出会いはそこらへんに転がっていて、
急に大きく動くこともあって、
そして自分はだんだんと自分になっていく。

本屋さんという空間は
そういうことが起こるのだなあって思った。

そう考えると、
僕が本屋さんにたどり着いたのは
決して偶然ではなくて、

夢を持て、目標を定めろ、という
「目標達成」型キャリア形成や
憧れの人をを見つけ、それになるために逆算して考えろ
というような「ロールモデル」型キャリア形成
への違和感というか、

その流れに乗れない子どもたち、大学生たち、20代社会人たちの
苦しさを目の前で感じていて、

それをいろいろ学んでいくと、
クランボルツ先生の「キャリア・ドリフト」に出会い、
そういうこともあるよなあと思いながら、
じゃあ、それを伝えるにはどうしたらいいのだろうと思っていたら、

いつの間にか、本屋にたどり着いた。

まさに「キャリア・ドリフト」そのものの人生なのだけど、
嶋浩一郎さんも言っているように
本屋とは、偶然と想定外の出会いにあふれていて、
まさに「キャリア・ドリフト」(計画された偶発性理論の
最前線にいるのではないかと思う。

本屋さんになろうと思ったのは
大棟耕介さんの「ホスピタルクラウン」を
大量に仕入れてしまったとき。

そのときの屋号は
「本屋には新しい人生が転がっている」

昨日。
たしかにそんな瞬間を目の当たりにしました。

確信を持って言えます。
本屋には、新しい人生が転がっているのです。  

Posted by ニシダタクジ at 05:48Comments(0)学び

2013年07月22日

本のチカラ



カラフル(森絵都)
いとぽんの人生を変えた1冊。

20日のイベントでいとぽんのプレゼンテーションを聞いて、
サイン入りで購入。

読み始めて、2時間くらいで読めるかな。
面白いです。
どんどん引き込まれていきます。

「修行」だと言われて、入った別人の体。
期限付きの修行だからと、やりたいように生きる。
15歳の不安と葛藤。
「生きる」を考える全ての中学生高校生に。

そんなPOPを書きたくなりました。
読んだ後、胸に残るジーンとしたアツイ何か。

ステキな本に出逢った。
15歳で出会うべき1冊。

15歳の時に出逢うべきは、
アンジェラ・アキの「手紙~拝啓15の君に」よりも
森絵都「カラフル」のほうが500倍いいだろう。

「本のチカラ」
を改めて見つめなおした1冊。

たった1冊の本が人生を変えることがあるのです。

いとぽん、熱いプレゼンテーションをありがとう!

バナナのたたき売り並みに
本を熱くプレゼンテーションする屋台がツルハシブックスにあったら
とっても面白いと思いました。  

Posted by ニシダタクジ at 06:59Comments(0)

2013年07月21日

本こそ「あなたから買いたい」

小阪裕司先生がいつも言っている。
「あなたから買いたい。」
と思われるにはどうしたらいいか?

森絵都さんの「カラフル」
をついに購入した。
ブックトークライブの交流会にて、
いとぽんの「カラフル」に思いを込めてプレゼンテーションを聞いた。

いまこそ。
この本を買う時だ。

そう思った。

いや。
いと本から買いたいと思った。

日付入りのサインを付けてもらって。


放浪書房さんは
旅の本を売っているのではなく、
「一期一会」を売っている、と思った。

いや。
そうじゃないな。
全ての本屋さんは一期一会を売っているんだ。

いま。
この瞬間の心の動きを、
本というカタチあるもので表現して、
何かが動く「機会」を提供している。

それが本屋さんなのだなあ。

「あなたから買いたい。」
これからの本屋はそうなっていくのではないか。

「おまえ、あの本、読んだ?」
「ああ、読んだよ、超熱かった。マジ泣いた。」
「その本、どこで買った?」
「え?ア〇ゾンで予約して買った。」

「ぷっ。お前、まだア〇ゾンなんかで買ってるのか?」
「え?どういうこと?」
「やっぱり本はアツイ本屋で買わないとダメでしょう。」
「なにそれ?」

「やっぱなんていうか、パワーが違うよね」
「パワー?」
「その本屋の気がプラスされているっていうかさあ」

「ああ、なんとなく分かる」
「本のパワーに本屋のパワーが重なると、よりパワフルになるでしょう」
「たしかにな。で、お前はどこで買ってるの?」
「それはお前、ツルハシブックスしかないでしょう。」

「内野の?」
「そうそう」
「だってあそこ遠くねえ。」
「いや。あそこまで行く価値あるよ。パワー違うもん」

「マジで?」
「お前にはまだ分かんないかもしれないけどな」
「何その上から目線(笑)」

そんな妄想をしてしまった。
夏の夜でした。

どうしても、ツルハシブックスで買いたい。
そんなお客さんを何人持てるかどうか?

その価値観を大切にしていこう。

「あなたから買いたい」
これから商売のすべてのジャンルでそれが起こっていく。

まずは
その瞬間。

「一期一会」を僕も売っていこう。

放浪書房さん、いと本さん、
アツイ衝撃をありがとうございます。  

Posted by ニシダタクジ at 07:57Comments(0)

2013年07月20日

「わかりやすく伝える」必要などない

「わかりやすく伝える」
ことに価値が置かれ過ぎたのかもしれない。

「なりたい職業や夢を人生の早い段階で決め、
そこに対して逆算して、いまやることを考え、実行する。」

すごく分かりやすいキャリア形成のプランである。
でも、感性がしっくりこないと言っている。

芸術系の現役学生、4年生。
就職活動と卒業研究の狭間で揺れている。

自分のやりたいことがある。
しかし、それが現在の職業カテゴリの中に存在しない。
しかし、就職しなければならない。
そして、それを他人に説明しなければならない。

しかも「わかりやすく」
これはつらいだろうと思う。

僕自身はこれに関しては完全なる負け犬で。

「人が集まってくるような農園をやりたい」

と心の底から思って、4年次の就職活動を断念したのだけど。
それを親に説明することから逃げた。

「理系は大学院くらい行っておかないと」
(もちろん、研究テーマである「不耕起栽培」には興味はあったが)
と言いながら、研究は3分の1くらいで、
あとはひたすら農家をめぐり、自分の目指すべき農園のカタチを探っていた。

そして大学院進学から1年後、まだ就職活動が始まる前に
「まきどき村」は発足。
僕は巻町の第三セクターの非常勤職員(アルバイト扱い)として
就職(?)した。

「わかりやすく伝える」
というのは難しい。

僕はまきどき村を始めてからも
その事業の魅力、意義なんかを伝えるまでに
おそらくは5年くらいかかった。

20代の時はそれでいいと思う。
自分の感性をわかりやすく伝える必要などない。

感性を信じて、そのまま突き進もう。  

Posted by ニシダタクジ at 06:56Comments(0)就職

2013年07月19日

学び合いで希望の灯を灯す

人生を変えた1冊。
というのは、人それぞれあるだろうけど、

悩み、苦しみ、どうしようもない状態の中で
読んだ本に救われることってあると思う。

僕の人生を救ってくれたのは
「小説 吉田松陰」(童門冬二 集英社文庫 1050円)だ。


29歳になったのに、
僕は、「やりたいことがわからない」と悩んでいた。

この本を読んで、
僕の夢はようやく確定した。
「吉田松陰になる」だ。

この本の野山獄のエピソードに
心を打ち抜かれた。

海外渡航の罪で死罪をまぬがれた松陰先生は
萩の野山獄へ投獄される。
そこは、ほぼ一生そこから出ることのない囚人たちが
日々の希望を失い、過ごしていた。

そこに最年少の松陰先生がやってくる。
ひたすら読書を繰り返す日々。

ふと、隣を見ると、俳句を詠んでいる。
逆の隣を見ると、書道を練習している。

そこで、松陰先生は言った。
「あなたのその俳句、みんなに教えてくれませんか?」
「みんなで書道教室、やりましょうよ。」

もちろん松陰先生も自分が学んできた孟子や
過去の自分の学んだことを語った。
牢の番人までもが一緒になって、それを聞いたと言う。

こうして獄は学び舎になった。

するとどうだろう。
獄の中の雰囲気が一変。
明るくなったのだという。

獄から出られるわけではない。
しかし、学び合い、教え合う。
自分が講師として生徒としてコミュニケーションをする。

それだけで「希望」が生み出せるのだ。

この事実に心の底から衝撃を受けた。
学び合うだけで、希望の灯が灯せるのだ。

だとしたら、
いまの日本の経済至上主義という獄の中で、
「学び合う」という希望を生み出せるのではないか。

それこそが現代の松陰先生なんじゃないか。

共に学ぼう。
その仕組みをつくること。
獄の中でできたことが自分たちの住むこのまちで
できないわけがない。

それをやろう。

こうして2004年、「吉田松陰プロジェクト」
という名称でスタートした活動は、
いつの間にか、ツルハシブックスとそして野山塾に結実しつつある。
10年まであと1年弱、気合で実現しようと思う。

現代社会という巨大な獄の中に
学び合いで希望の灯を灯す。

それが僕の出発点です。

野山獄のエピソードについて学びたい方は
松陰読本(山口県教育会 500円)もございます。
  

Posted by ニシダタクジ at 05:42Comments(0)思い

2013年07月18日

夢リテラシー

「夢がなければ人にあらず」

毎日、先生やメディアや自己啓発本から
発せられるメッセージ。

しかし。
大切なのは、「夢リテラシー」
なのではないか、と思います。

夢がないから生きてる価値がない、とか。
夢がある人がうらやましい、とか。

そういうのは
「夢リテラシー」が低いのではないでしょうか。

「夢」ってそういう風に使うのではなくて、
モチベーションを高めるための手段だったり、
キャリアを随所でデザインするためのものだったり、
そういう風に使うのが夢の使い方だと思うのです。

そういう意味では、僕が打破したいのは、
「夢がないと苦しい」
と思うことなのではないかなあと思います。

「夢がないと苦しい」の
最大の原因は、おそらくは2003年の
「13歳のハローワーク」+「世界に一つだけの花」のミリオンセラータッグにより、
「自分にもオンリーワンな天職がある」という幻想を持ってしまったことではないでしょうか。

そしてそれが
当時から続く「キャリア・デザイン」型キャリア教育の流れと
うまく、というか不幸にもマッチして、「夢を持つこと」の大切さが広く伝わったのだと思います。

当時はそれでもよかったのかもしれません。

いや、本当はそうではなかった。
当時からも兆しはあった。

2004年から日本は人口減少社会に突入して、
先の予測は立たなくなった。
「2011年にアメリカの小学校に入学した子の65%は
大学卒業時に今は存在していない職業に就くだろう」
という予言がリアルに感じられる社会に生きているのに、

学校現場ではいまだに、
早くゴールを見つけて、そこに行く最短距離を目指せ、という。

NPOの業界も
早く「ロールモデル」を見つけて、憧れの人のようになるために、
いまを主体的に生きてもらうために、たくさんのカッコイイ大人と子どもと
出逢わせる機会をつくりたいと思っている。

その2つとも、
正しくないわけではないけども、
「キャリア・デザイン」理論という多くのキャリア理論の中のひとつに過ぎない
方法論であることへの自覚があまりないように思う。

夢を早めに持ち、そこに向かって努力することが唯一の人生を豊かにする方法だとしたら、
中学高校であまり勉強してこなくて、(自分たちが思う)三流大学にしか入れなかった大学生の
人生のお先は真っ暗であるに違いない。

しかし。
周りを見渡してみると、
「早めに人生の夢・ゴールを決めて、そこに向かってコツコツと努力し、小さいころからの夢を叶えました」
というような絵にかいたような人は数えるほどしかいない。イチローに石川遼、渡辺美樹元ワタミ社長くらいではないか。

そしてそうでなかったとしても、
輝いて生きている大人たちはたくさんいる。

この矛盾。
この矛盾に苦しんでいるのではないかと思う。

多くのカッコイイと思える大人は、
人生をその場、その場で生きていて、
そこに全力投球して、たどり着いた仕事が
天職となっているのではないか。

キャリア理論で言えば「キャリア・ドリフト」的な
キャリア形成をしてきているのではないか。
まずはそこの自覚から始まるのだろうと思う。

先の見えないこの時代は
まさに「試作の時代」と呼ぶにふさわしい時代だ。
「やってみる」ことに価値があるのだ。

だからこそ地域の現場の出番だと思う。
中山間地
離島
商店街

先行きの見えないこの場所は誰も答えを持っていないのだから
試作するのにもってこいの場所だ。

そこで問題なのが自信だ。
試作するには自信がないと言う。

しかし、「試作」には自信は要らない。
失敗を前提に試作をしていくからだ。

まったく失敗しなければそれは完成版だから。
試作版でさまざまな角度からテストし、
不具合がでるから、いい完成版ができるのだ。

経験すればするほど自分は成長できる。
そのマインド(成長的知能観)でチャレンジできるようになること。

それを繰り返す中で自分なりの「夢」が見えてくる。
それは勤め先の名称や職業カテゴリではなく、
どんなふうに働きたいか、どんなふうに生きたいか。
そんな問いがあふれてくる。

そんな夢リテラシーを伝える本屋になりたいなあと思います。  

Posted by ニシダタクジ at 06:58Comments(0)思い

2013年07月17日

当事者意識



spectator #24「これからの日本について語ろう」

ツルハシブックスは
放浪書房さんとの出会いから
スペクテイターのバックナンバーを取り扱っています。
立ち読みしていたら、買っちゃいました。

粟島で、日本を考えようと思って。

こんな本が粟島の汽船乗り場に売ってても
それはそれでステキだなあと思いました。
やりたいな、移動本屋。

24号「これからの日本について語ろう」は、
菅原文太さんや高城剛さんなどが語っているのだけど、

最後には「当事者意識」という言葉に集約されていくように思う。

僕がこの言葉に出逢ったのは、
福島正伸さんの「起業家精神」だったように思うけど、

エコとか環境とか言ってた時代。
その根本原因は他者に人生を預けているところだって思った。

自分の幸せとは?
自分の人生とは?

と問うことなく、
みんなが買っているから、という理由で
テレビを買い、エアコンを買い、車を買い、家を買った。
「みんなと一緒」というのが最大の価値だった。

東京の壮大なるムラ社会の結果なのかもしれない。
まずは、自分の人生の主役になる。

他者の責任にすることなく、
自分の人生を自分で作っていく。

その当事者意識からしか始まらない。
「これからの日本について語ろう」に
出てくる人たちは「日本」に対しての当事者意識が高い。

日本をどうする?

そんな問いは自分には大きすぎるだろうか?

否。

日本はひとりひとりの集合体なのだから、
ひとりひとりが当事者意識を持って、未来を創っていく。

やはりここが僕にとっても出発点だなあとあらためて思いました。  

Posted by ニシダタクジ at 06:23Comments(0)

2013年07月16日

役に立たない本屋



面白いなあ。
「なぜ本屋に行くとアイデアが生まれるのか?」(嶋浩一郎 洋伝社新書)

ラストは内沼晋太郎さんとの対談。
下北沢で立ち上げたビールを飲める本屋B&Bについて語る。

~~~一部引用

内沼:本屋のような、あんなに狭い中に何か予期せぬ経験とか、
いろいろなものがある空間はほかにはないと思うのですね。
30坪とかしかない中に、生から死まであるというか、
世界の端から端まで、人間のすごく表面的な部分から
汚い部分まで全部あるわけですよね。
イスについてのほんもあればコーヒーについての本、
光についての本があって、コミュニケーションについての本があって・・・。
それがあんなに狭い中にあって、そこにふらっとタダで入れて、
そこをグルっと回るだけでいろいろな刺激がある、
みたいなとものはおもしろいですよね。
「面白いから来い」というだけの話でしかないかもしれないのだけど。

嶋:だんだん世の中に「役に立つ、立たない」みたいな文脈で
考える人がすごく増えている気がして、
そうでなくてもいいじゃんという、そういう場所が
日常生活にちょっとあるのはいいよね、ということだと思うんです。
もちろん役に立つものがあるかどうかで探しに来てもらってもかまわないけれど。

内沼:本当にそうですね。役に立つということは、インターネットで検索して
答えが出てくることに近い。だからリアルな本屋を目指すのは、
どちらかというと・・・・

嶋:役に立たない本屋を(笑)。

~~~ここまで引用

このあと、Qを投げればAが返ってくるのではなく、
Q自体がいっぱいある場所、
新しいクエスチョンがいっぱいある場所、
それが本屋ではないかと続いていく。

本屋というのはQにあふれている。
それが豊かなのだと二人はいう。
そういう場所が徒歩圏内にあるということは
本当に豊かだ。

なるほど。
たしかに。

大学生の時に得るべきは、
たくさんのQ、つまり「問い」だ。

そういう意味では、
大学生の時に、Qにあふれる
お気に入りの本屋を、
役に立たない本屋を見つけることは価値があると思う。

まだまだ、僕には、Qが足りないな。
もっともっと役に立たない本屋にならなくちゃ。  

Posted by ニシダタクジ at 08:17Comments(0)

2013年07月15日

書を捨てず、町へ出よう



「なぜ本屋に行くとアイデアが生まれるのか」(嶋浩一郎 洋伝社新書)

いいっすね。
これ、いい。

「キャリアドリフト」と「本屋さん」
の実践的解説書にも見えてきます。
嶋さんステキだなあ。

「検索」とは、「知りたかったことを知る」行為である。
「読書」は、「知らなかったことを知る」行為である。

出会いの偶然度(ちょっと西田改)

<街コン>⇔<飲み会>⇔<懇親会>⇔<会議>
<旅行>⇔<読書>⇔<SNS>⇔<検索>

左が偶然度が高く、
右に行くほど偶然度が低くなります。
なるほど。

読書は旅行よりも偶然とが低くて
SNSよりも偶然度が高いのか。

これは面白いなあ。

~~~ここから一部引用

検索的な思考ではなく、
「ゆだねる」ということ。

ゆだねて、新しい世界に連れて行ってもらう。
そんなことがアイデアを出すには、
必要なのだそうです。

検索的な思考では
「抹茶小倉スパゲッティ」(名古屋にあるらしい)
は生まれません。

それはそれまでのスパゲッティの世界から出ることができないからです。
読書的な思考から生まれる「クリエイティブジャンプ」だけが、それを可能にします。

だから書を捨てず、町へ出よう。
行くのはもちろん、本屋さん。
そこで生まれる新しいアイデアは、人生を楽しくしてくれるはずです。

~~~ここまで一部引用

いいっすね。
本屋さん。

クランボルツ博士の
「計画されて偶発性理論」には
必須の場所。

やっぱり本屋でよかった。
と思える本でした。  

Posted by ニシダタクジ at 09:55Comments(0)

2013年07月14日

均質化させるというリスク

均質化はリスクだ。
交換可能な部品になるということ。

「受験勉強」という分野では、
常に均質化が求められる。

英語が80点で
数学が40点だとしたら、
「数学を伸ばせ」と言われる。

たしかに、総合力が受験の成否をわけるのだから、
その観点からは正しいだろう。

しかし。
社会に出たとき。
これからの社会で求められるのは、圧倒的な英語力であり、
均質化された平均点の人材ではない。

均質化とは、
自らを交換可能にするというリスクがあるのだ。

13日、長岡造形大の福田先生の
話を聞き、その考えを新たにした。

デザインの大学、長岡造形大学。
まさに個性を伸ばしていく大学だ。

それなのに、1年次にはデッサンが必修。
西洋的な技法をまずは必修で習う。
たしかにそれは大切なことなのだろう。

「アイデアのつくり方」
のような講座をやっても、
面白いアイデアを持っている人が来るのではなく、
どうすればマニュアル化されたアイデア作成術が
身につくのか?
という姿勢。

福田先生は、
まず、発想力が大切だと言う。

そのためには、デッサンではなく、
例えば「夏」をお題にしたイラストを
描けるだけ描いてみる。
(海とかプールとかアイスとか)

その数を競うのだ。
そのうち、50個、100個と描けるようになる。

子どものころは誰でもピカソなのだ。
それを失わせる均質化。

そのリスクを、もっと知るべきだと思う。  

Posted by ニシダタクジ at 08:15Comments(0)学び

2013年07月13日

自分を生きる、現代を生きる

もし僕が大学の1年生文系の
ゼミ形式の授業を持つとしたら、
課題図書は3つ。

「孤独と不安のレッスン」(鴻上尚史)


「非属の才能」(山田玲司)


「分かりあえないことから」(平田オリザ)


学校教育の現場を生きるうちに
身についてしまった「文化」を
まずは客観視していくことが必要だと思う。

そのうえで、
自分はどう生きていくか?
を問う4年間を生きる。
いや、20代を賭ける、そんな入り口をつくりたいと思う。

中学・高校とそれなりに過ごしながら、
それでも何か不安を抱えて、
生きてきた若者にとっては、
かなり衝撃的な3冊になるだろうと思う。

これを読んで、
大学生同士で対話をして、
何かが動いていく。

そんな授業をしたいなあ。

やろうかな。
ツルハシ大学・朝ゼミ
土曜日午前7:30~9:00  

Posted by ニシダタクジ at 08:02Comments(0)

2013年07月12日

あなたにもオンリーワンな天職がある

2000年代前半、メガヒットした2作がある。

「世界に一つだけの花」
そして
「13歳のハローワーク」だ。

「世界に一つだけの花」は
2003年の3月5日にSMAPの35枚目のシングルとして発売。
200万枚以上を売り上げる空前のヒットとなった。
2003年12月の紅白歌合戦の大トリや
翌2004年の選抜高校野球の入場行進曲に選ばれるなど、
1年以上に渡って、何度も何度も耳にすることになる。

その同時期にメガヒットしたのが
「13歳のハローワーク」(村上龍 幻冬舎)である。
2003年の11月30日に発売され、130万部を売り上げ、
8000校以上の小・中・高校で採用された。(公式HPより)

この絶妙なる時期の一致。
これが、当時の小中学生に
「自分にも向いているオンリーワンな仕事(天職)がある」
と確信させた。

「世界に一つだけの花」はこのようになっている。

~~~ここから歌詞引用

花屋の店先に並んだ
いろんな花をみていた
ひとそれぞれ好みはあるけど
どれもみんなきれいだね
この中で誰が一番だなんて
争う事もしないで
バケツの中誇らしげに
しゃんと胸を張っている

それなのに僕ら人間は
どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのにその中で
一番になりたがる?

そうさ 僕らは
世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい

~~~ここまで引用

これと見事にマッチした
「13歳ハローワーク」のメッセージ。

「あなたに向いている仕事が必ずあるから、
それを見つけて、努力することこそキャリア形成の唯一の道」

こうして、
「キャリア・デザイン」(目標達成型キャリア形成)
一辺倒になっていった。
イチローや石川遼のように、
早めになりたい仕事、職業を決めて、そこに向かって全力投球する
というひとつの成功モデルが夢への唯一の道だと思わされた。

槙原敬之さんが歌詞に込めたのは、
「働いても、働かなくても、あなたはもともとオンリーワンだ」
というメッセージではなかったか。

「世界に一つだけの花」と「13歳のハローワーク」のタッグによる
自分にも向いている職種(天職)があるという幻想を
まずは壊すところから始めなければいけないのではないか。

天職という職業はない。
「この仕事が自分の天職だ」と思える瞬間があるだけだ。

そしてそれは目の前のことを積み重ねることで
ようやくたどり着く瞬間のことだ。

大棟耕介さんがそう教えてくれる。  

Posted by ニシダタクジ at 09:35Comments(0)日記