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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2013年05月31日

にいがた未来考房が新潟日報に掲載されました



本日付の新潟日報11面に
新潟日報メディアシップ6F「6大学メディアキャンパス」で
15日、29日と行ったワークショップ
「にいがた未来考房」が掲載されました。

未来考房の考房は
工房(ワークショップ)から来ています。
⇔工場(ファクトリー)ではなく、
ひとりひとりが手作業で新しいプロダクトを生んでいく場所。

仕事がなければ生活していけないけれど、
仕事をしていくだけでは生きられない。

そんな時代を僕らは生きているのだろうと思います。

ファクトリーではなく、ワークショップで
匿名ではなく、個人の人生を生きていく。

にいがたの未来は、
僕たちひとりひとりの未来とイコールです。

共に学び、共に創ろう。  

Posted by ニシダタクジ at 05:44Comments(0)日記

2013年05月30日

資源しかない

デザイナーにとって、世の中には資源しかない。

そんなことを思った「にいがた未来考房2013」
ゲストスピーカーの伊藤さんの話が
場にワクワクを与えてくれた。

高齢者=要支援者ではない。
彼らを資源化することで、
彼らの見守りにもなるし、
地域も元気になっていく。

最終局面は
壁にホワイトボードで書いていくという
メディアキャンパスナレッジルームならではの時間。



この空気感がすごくよかった。
アイデアをもらった野島さん、ありがとうございます。

デザイナーには
世の中はすべて資源というか素材に見えてくるのかもしれない。

流木アートのような、
目の前に来た素材(世間から見たら不要物)
からそんなデザインができるような人材を生んでいく必要がある。

だから、学校や大学は、
もっと地域の資源(素材)を使わなきゃならないでしょう。

高齢者は力強い資源なのです。
彼らに、出番を。  

Posted by ニシダタクジ at 06:24Comments(0)日記

2013年05月29日

降りていってから、褒める

褒めるという行為は危険な行為だ。

人を評価者と被評価者に分けてしまう。
評価されるために頑張る、というようなことが起こってしまう。

その危険を回避するためには、
被評価者のところまで降りていって褒める、ということが必要だ。

これはつまり、
共感と評価が同時に起こるということを意味する。

まず被評価者の立場になる。
そうすれば、その子がこれまでどうであり、
どんな悩みを抱えていて、
それをどのように越えていけるかというチャレンジをしていることを知っていて、
あるいは感じていて、それで今の状態の対象を見たときに、自然と口をついて出る「褒める言葉」
だけが有効なのだと思う。

他方、自分が優位(上位)に立った状態で(いわゆる上から目線で)
相手を褒めると、場に与える影響が大きい。

そうか。
それだったのか。
あのときの違和感は。

つい最近、とある振り返りの場で、
あまりに不自然な褒める行為の連続に、
僕は席に座っていられなかった。

もし、褒めたいのなら、
そこまで降りていって褒めなくてはならない。

そうしないと場の空気が分断され、
新しいものが生まれなくなる。  

Posted by ニシダタクジ at 05:10Comments(0)学び

2013年05月28日

野山塾、説明会初日

昨日、野山塾の説明会初日でした。
もっとも面白かったのは、やはり名前の由来。

「野山塾は、吉田松陰先生が入れられていた獄の名なんです。
獄の名が名前の由来となっていますので、地獄のように勉強します。」⇒笑。

幕末の時代、長州藩(現在の山口県)萩に吉田松陰先生が生まれます。
松陰先生は、松下村塾という塾をやったことで有名です、
維新の立役者、高杉晋作、久坂玄端をはじめ、のちの初代総理大臣伊藤博文など、
のちの日本を作っていく顔ぶれをわずか2年で輩出しました。

その松下村塾の原点が実は野山獄にあったのです。
黒船に乗ろうとして、捕まってしまった松陰先生は、萩の野山獄に入れられます。
そこで驚くべき行動に出ます。野山獄というのは、基本的には入れられてしまうともう一生出られない。

当然、松陰先生もそうなんですけど、そこで松陰先生はひたすら本を読んでいるばかりではなく、
隣の囚人を見て、俳句をやり取りしているのを見ると、その俳句を皆に教えてください。
書を書いている人がいると、その書を教えてください。

とみるみる学び場にしていった。すると囚人たちがみるみる元気になっていった。
この事実に僕は衝撃を受けました。
「学びによって、どんな場所でも、希望は作れるのだ」

それが僕の原点となり、
まちの中に学び合う場を作れないか?
というのが問いとなりました。

2004年。
29歳のときの話です。

直後、僕は萩に飛び、(飛行機ではなく、電車でいきましたが)
吉田松陰先生の墓前に手を合わせ、
「あとは俺に任せろ」と宣言してタスキを受け取ってきたのです。

あれから9年。
ついに、野山獄の冠をお借りして、野山塾をスタートします。
高校生1年生がさっそく勉強していきました。

場のチカラで勉強するようになる。
なんだか、未来を感じる船出となりました。  

Posted by ニシダタクジ at 08:21Comments(0)日記

2013年05月27日

できないから、できることがある

場のチカラ。
これが僕のテーマになったのはいつだったか。

「種をまく人」を読んで、
畑には、「場」をつくる力がある、と思った。

そしてそれをやってみたいと思った。
就職よりも、そっちのほうのワクワクが勝ってしまった。
まきどき村。
畑のある公園づくりと名付けられた「場」

そこは、当時、県内ナンバーワンの日帰り温泉だった
「じょんのび館」のすぐそばにあり、
温泉のついでに農作業でも、というような環境を作りたかった。

集まる人たちは、みな、素人。
畑などやったことがない。
だから、教えてもらうしかない。

そこでは、畑の先生を中心にして、
みながフラットな場が出来上がった。
とてもいい空間がそこにはできていた。

「できないから、できることがある。」
これが僕の基本理念なのかも、と最近思った。

「日本でいちばん大切にしたい会社」に登場する
日本理化学工業株式会社。チョークを製造する会社だ。

ある日、特別支援学校の先生がやってきて、
「働く体験をさせてくれないか?」と頼まれる。
社長は「そんなことはできない」と断り続けるが
最後には熱意に負けて、2週間受け入れることになる。

不器用だが一生懸命な子どもたちに、従業員たちが感銘を受ける。
最終日の昼休み、従業員が社長(当時専務)の元に詰め寄る。
「彼らを辞めさせないでください」
「2人くらい、なんとかなるでしょう。私たちがフォローするから彼らと一緒に働かせてください」

http://www.youtube.com/watch?v=eFkGqVkVeKI

これ。
これです。
できないからこそ、できることがある。
それは「場」に対して、好影響を与えることができる、ということ。

みんな、なんのために働いているのか。
僕は、心地よい「場」に居続けるため。
なのではないかと思う。

その「場」を形成するのは、
ひとりひとりのチームメンバーたちだ。
できないからこそ、「場」に対して、できることがある。

そんな学校や会社や地域になっていければいいと思う。  

Posted by ニシダタクジ at 07:27Comments(0)思い

2013年05月26日

プラットフォームとしての本屋の可能性

僕はいわゆる「本好き」ではない。
小中学校のころ、読んだ本はほぼ皆無。

児童文学の傑作は
残念ながら1冊も読んでいない。
いや、ズッコケ三人組くらいは読んだかな。

僕が読書の道に入ったのは
高校3年生の図書館だ。
進路選択に悩む僕の前にあった膨大な本。

たまたま手に取った
鳥取大学農学部遠山先生の本。

その本を手に取るには
少年マガジン掲載のマンガ「SHOGUN」があり、
そして人生が決まった。

だから。
本屋取材を受けていたりすると
ちょっぴり恥ずかしくなる。

昔からの本が好きなわけではない。

だから、だからこそ。
「偶然」本と出会える場を目指していきたい。

そのひとつが地下古本コーナー「HAKKUTSU」となるのだろう。
暗闇の中だから、軽い気持ちで本を手に取り、買う。
図書館の本ではなく、本を買うという行為が、
その人の中の何かを変える、かもしれない。

また、その本を買ったとき、大人に出会うかもしれない。
それはステキな大人かもしれないし、
こんなふうにはなりたくないな、と思うような大人かもしれない。

でも。
そこで出会う機会を得るのだ。

僕は大学を卒業して
農業から教育への興味がシフトし、
教育の中でも場づくりがキーなのではないかと思ってきた。

そのタイミングで、
商店街に出るとしたら、
どんなお店をやりたいか?
本屋で人が集まるような場をしたい。

前向きになれる本が並んでいる本屋さん。
人と人が出会える本屋さん。

そう。問いが違ったのかもしれない。
どんな魅力的な本屋をつくるか?

ではなく、
中学生高校生大学生に
どんな魅力的な「本と出会う機会」をつくるか?

という問いだったのかもしれない。
まだまだ、この問いへのチャレンジは始まったばかり。

可能性、広げていこう。
お客さんやサムライたちと一緒に。  

Posted by ニシダタクジ at 05:19Comments(0)思い

2013年05月25日

「分ける」ことが場のチカラを失わせる

場のチカラ。
新しいことを始める時。
クリエイティブな力を呼び覚ましたい時。
コラボレーションを生みたい時。

そこには、「場のチカラ」が必要だ。

社会人なら一度は聞いたことがある
ブレーンストーミングのルール

1 他人の意見を否定・評価しない

2 ユニークなアイデアを歓迎する

3 質より量

4 組み合わせて発展させる

この中で特に重要なのは1だ。
自分が出したアイデアに対して、
「いやあ、それは現実的には無理だよ」
とか
「おまえ、遊んでるんじゃないのか?」
とか厳しい部長に言われちゃったときには、
若手社員は言葉を失い、発言しなくなるだろう。

こうして、2、3と出なくなっていくから
当然4が可能となるはずもない。

これが現在陥っている会議の負のスパイラルだ。

この行為は何を意味するか。
「否定・評価」によって、
その場にいる人を
「評価者」と「被評価者」に分けるのだ。

おそらくこの「分ける」という行為が
場のチカラを圧倒的に失わせる。

リーダーと、その他大勢。
社会人と学生。
「おれはまだ、下っ端だから」という意識。

外面的にも精神的にも、
「分ける」という行為が場に与える影響は大きい。
先生と生徒。
それは評価者と被評価者である。

吉田松陰先生はかつて言った。
「ともに、学ぼう」

場のチカラを最大限にするため、
ひとりひとりは、先生と生徒ではなく、
共に学ぶ同志なのだと。
野山塾はそういう場にしていきたい。

会社にいても、上司と部下は
「同志」なのではないか。

分けるのではなく、
評価する、されるのではなく
共に学ぼう。

その姿勢がイノベーションを引き起こす。

そんな気がしています。  

Posted by ニシダタクジ at 04:42Comments(0)日記

2013年05月24日

assh掲載

新潟日報のオシャレフリーペーパー
asshの表紙に掲載されました。





オシャレ本屋さん、できました。って感じ。いいなあ。
http://www.assh.ne.jp/backnumber/

本日、野山塾&イロハニ堂のチラシ折り込みです。  

Posted by ニシダタクジ at 06:12Comments(0)足跡

2013年05月23日

課題共感がいつ起こるか、起こすか。

「共感する」
これがプロジェクトの出発点だ。

しかしそれには、2種類ある。

1 未来への共感(ワクワクの源泉)
2 課題に対する共感(モチベーションの源泉)

これをどのようにデザインするか、
これがコーディネーター、ファシリテーターのチカラだ。

今まで
2が先に来ないとダメだと思っていた。
1だけだと、だれも当事者を作らないで、
プロジェクトが実行されない、という場面を何度も見てきた。

しかし。
今回のにいがた未来考房は、
1と2を同時に起こそうという実験だ。

前回の15日は1に偏り過ぎたので、
今回の29日は、2と1のバランスをとって、
当事者を生んでいく。

studio-L風に行くのなら、
本来は、参加者同士のヒアリングをきちんとして、
問題意識を発掘していくことも大切なのかもしれない。

それをファシリテーターが引き出せるかどうか。
場のチカラが当事者を生んでいけるかどうか。

新しいものを創っている感覚、心地よいですね。
ファシリテーターのみなさま、よろしくお願いします。  

Posted by ニシダタクジ at 06:34Comments(0)日記

2013年05月22日

ソーシャルデザインの時代

「今はこうして、毎週通える場所があることがうれしいです。」
浦和にあるBABA・ラボの登録第1号スタッフ、山下さん(73歳)は言った。
(「日本をソーシャルデザインする」グリーンズ 朝日出版社 

おばあちゃんに、役割を
というテーマで立ち上がった、おばあちゃんが
抱っこふとんや靴下、買い物バッグなど
子育ての経験を活かしたグッズをつくる工房だ。

おばあちゃんたちに生きがいを。
と思って活動を始めたのだが、
スタッフを募集すると、意外にも20代30代のママが集まる。

ひとりで育児を抱えるのではなく、
ここで働きながら、時間を過ごしながら、
子育ての大先輩に話を聞ける。

ママに連れられて子どもも来るので、
工房はとても活気づきます。

そうそう。
こうやって都会でも、できるんだよね。

新潟でもきっといろいろできるはずです。
ソーシャルデザインの時代。

ひとりひとりの個人がいきいきと生きられる地域社会。
それは若者のチカラによって可能になるはずです。
そしてそれが若者の役割だったりもします。  

Posted by ニシダタクジ at 06:32Comments(0)日記

2013年05月21日

「匿名」を超えて

聖泉大学有山先生が紹介していたブログ。
http://www.kochikoma.net/blog/2013/05/post-92ad.html

「駒澤大学から電通に就職することは極めて難しいのか?」

うーん。
これ。
これまで生きてきた20年間が象徴されるような言葉だ。
属性によって、人は判断される。

有名校
有名大学
有名企業

そこの肩書きがあれば、社会人として認められる。

そんな時代はおそらくは終わりつつあるというのに、
高校入って即、「大学受験に向けて」とかスピーチされるような
世の中で生きていると、そういうほうが大切なのかな、って思っちゃうかも。

「属性」を手に入れる、ということは、
坂口恭平さん風に言えば、
「匿名化」された自分を手に入れる、ということ。

自分そのものではなく、〇〇大学の××です。
「匿名化」はすなわち、
自らを交換可能な部品にするということだ。

ここに就職活動の大きなダブルバインドが存在している。

自分の価値を上げるために、
簿記やら、パソコンスキルやらを身に付ける。
あるいは名の通った大学に進学する。

しかし、仮に資格や属性によって採用されたとすると、
それは同じ資格や属性を持っている人と交換可能であるということだ。

だから、資格や属性だけを身に付けるのではなく、
自分を「価値」化する必要がある。

そのための問いが、
糸井重里さんに言わせれば、(「はたらきたい/ほぼ日」より)

「大切にしてきたことは何ですか?」
「大切にしていることはなんですか?」

この質問によって、
「こいつと働きたい」と思えるかどうか。
これが採用のポイントになってくるのだ。

もちろん、スキルが不要というわけでは決してない。

しかし、スキルだけではなく、経験から出てくる人間性を磨くこと。
ここも大切にしていく必要がある。

学校だけではなく、地域でアクションを起こすこと。
これが大学生にとっては必要だろうと心から思うのです。

「匿名」を超えて、自分自身の人生を生きるために。

サンクチュアリ出版のシビれる1冊、
「常識を疑うことから始めよう」(ひすいこたろう)
から、一言、贈ります。

「人生とは、自分探しではない。自分を創造することだ。」
(バーナード・ショー)

熱い。
熱いっす。

ツルハシブックスでもお取り扱いします。  

Posted by ニシダタクジ at 07:47Comments(0)就職

2013年05月20日

「変える」から「つくる」へ。


「日本をソーシャルデザインする」(グリーンズ 朝日出版社)

「他人ごと」から「自分ごと」へ。
「独占」から「共有」へ。
「お金」から「いのち」へ。
そして、「変える」から「つくる」へ。

いいキーワードを頂きました。

「変える」から「つくる」へ。

なんとかミクスな世の中になっちゃって、
すごく無力感を感じていました。
ちっぽけな存在を実感していました。
希望ではなくて、絶望ばかりがありました。

でも。
小さな希望は、自ら「つくる」ことができるんですよね。
僕は「変える」にはあまりにも無力だ。

でも「つくる」ことはできると
坂口恭平さんも言っていたっけ。

「変える」と気負うのではなく、
小さな「つくる」を重ねていこう。

人生はそういう瞬間の積み重ねなのだと、
僕は、まきどき村からずっと学んできたはずだ。


小さな「つくる」を重ねていこう。  

Posted by ニシダタクジ at 07:29Comments(0)

2013年05月19日

ちっぽけな俺たち

3月11日のUXニュースを見ながら
ニイダヤの干物を食べる。
賀沢さんの頑張りに頭が下がる。

まだまだ
復活なんて言えるような状態じゃない。
わざわざいわきで干物つくることなんて
ないじゃないか、っていう声もある。

それでも、賀沢さんは干物を作りつづける。
名刺には、福島県のマークが入っている。

政権が変わって、
大きなグローバル経済の流れに
飲みこまれそうになっている俺たち。

そんな中、小さな本屋や塾ができること
が何かあるだろうか。
あまりにも無力だ。

5月12日。
頼んでもいないのに、お店をお手伝いしてくれた
小学生の女子がいたという。

彼女たちが
大人になったときに、
「ああ、子どもの時、ここで、頼まれてもいないのにお手伝いしたなあ」って
思えるように。

あと15年。
続けなきゃね。

ねえ、賀沢さん。  

Posted by ニシダタクジ at 05:24Comments(0)日記

2013年05月18日

野山塾、6月3日開塾



教えない塾「野山塾」
のチラシが出来上がってきました。
今井さん、ありがとう。

いよいよ、というか。
やっぱりというか。
ここの戻ってきたと思います。

大学1年次、塾講師のバイトがしたい。
と募集もしていないのに、
個別指導学習塾に押しかけて、
強引に採用を勝ち取り、
夏期講習からガッチリコミットしていった。
(そういえば、僕はバイトの面接さえ、まともにしたことがない)

その後、卒業。
不登校の子の家庭教師を経て、
自宅で主に勉強を苦手とする子たちの塾
「寺子屋 途輝(とき)」を開校。
2008年の春までやっていた。

その後、事業は大きく大学生にシフトしていったので、
しばらくの間、おやすみ。

でも大学生と接する中で、
中学生・高校生の時にやっといたほうがいいんじゃないか
という気持ちが再び芽生えて、
またしても塾に戻ってきた。

田坂広志さんの言うように、
一段高くなって戻ってきた、だといいのだけど。

「できない」を「できる」に変えるのではなく、
「つまらない」を「楽しい」に変えていく。

もっとも大切なのは、
成長的知能観、しなやかマインドセットだ。

どんなところへ行っても、
どんな経験をしても、
どんな挫折をしても、
それは、あなたがダメだと決定づけるものでは決してなく、
自分を成長させてくれるチャンスだ。

そんなふうに思えるかどうか。
それが一番大切でしょう。

成長的知能観。
自己評価、仲間との相互評価。

これを身につける仕組み、
一緒に考えてくれる塾生と親を募集します。

これ、親子3代(もしくは4代)で入塾できますね。
熱いな、こりゃ。  

Posted by ニシダタクジ at 06:19Comments(0)日記

2013年05月17日

チャレンジしないという危険

チャレンジしないことは危険だ。と思う。
世界が広がっていかないからだ。
自分に変化を生んでいけないからだ。
しかし、世の中はどんどん変化していくからだ。

固定的知能観。
他者評価依存。
そして、とどめは第一志望大学への入学。

これで、
チャレンジしない大学生が誕生する。

自分の能力は変わらない。
そしてそれは他者によって評価される。
第一志望大学に合格した自分は、
その評価に応えられる自分であり、自分には能力がある。

だとすると、
評価を下げないためには、
身の丈に合わない挑戦はしないことだ。

他者評価を下げることになり、結果、自己評価も下がる。
それは恐ろしいことだ。

しかし。
その日はいつかやってくる。

就職試験。
あるいは就職後。

チャレンジの機会のない職場はほとんどない。
かならず、あなたの能力以上の力を求められる。

失敗する。
そのとき。
どう思うか。

「やっぱり自分はできないのかもしれない」
と思ってしまうのか。
「成長のチャンスが与えられたのだ」
と奮起するのか。

その違い。

だから。
打破すべきは、まず、固定的知能観だ。

人間の能力は生まれつき決まっている。
そんなことはない。

いや。
仮にあるにしても、
いまの社会はチーム戦であるのだから、能力がないことで、できることがある。
それは「日本で一番大切にしたい会社」(坂本光司著 あさ出版)
を見れば明らかだ。

だから、自分にはまさに無限の可能性があるのだ。
そう思えるかどうか。
まさにマインドセットの問題だ。

失敗することが、大いなるチャンスを与えてくれているのだ。
チャレンジしないことは危険だ。

第一志望大学に合格して、ウキウキしている1年生に、心から伝えたい。  

Posted by ニシダタクジ at 06:35Comments(2)日記

2013年05月16日

根っこと未来のあいだで

根っこと未来を同時に考えていくこと。
課題共感とワクワクを同時に満たしていく場。

これがフューチャーセンターなのかもしれない、
と思った。

今までの僕は
「課題共感」からしか始まらない。
と思っていた。

でも。
会議を重ねていくうちに、
「ワクワク」からも始まると思った。

ワクワクだけでは終わらない。
共感の仕組み、そして場があれば、
ワクワクからもアクションは起こると思った。



にいがた未来考房2013春
「アクションの起こる会議」を目指して、思考錯誤中。
久しぶりに(という初めてじゃないかな)司会進行をした
デビュー戦でした。

場の雰囲気 85点
アクションへのつながり感 60点
司会の力量 20点

といったところか。
まあ、まだまだデビュー戦。
思考錯誤していきましょう。  

Posted by ニシダタクジ at 06:42Comments(0)学び

2013年05月15日

10年を整理する

10年を整理する。
そしてふたたび学習塾やまちゼミに戻るのではないか。
そんな気がしている。

2002年1月。
会社を辞めた直後に、
不登校の中学校3年生、シンタロウに出会う。
それが僕にとっては運命の出会いだった。

僕のような会社を辞めたいいかげんなプータローが
15歳の人生をポジティブに動かしていくことがある。
その経験はあまりにも強烈だった。

そして、学校の先生だけではなく、
地域のたくさんの様々な大人が関わることが、
子どもにとって必要なのではないか。
学校に講演に来るような立派な人だけではダメなのではないか。

そう思って、2002年の3月にNPO法人「虹のおと」を設立。
虹のような色の違う7色の大人が音が聞こえるような躍動感を持って、
子どもに関わるような地域社会をノートに刻んでいくのだ、という思いを込めた。

まず、自宅での寺子屋を始めた。
神社を舞台にした地域のじいちゃんばあちゃんとの遊び場づくりをした。
1999年にスタートした畑を舞台にした交流の場「まきどき村」は継続していた。

しかし、何かが足りない。
そう。
関わる大人が圧倒的に少なかった。

どうすればいいのか。
思考錯誤していた僕は、すでに29歳になっていた。

未来が見えない。
そんななかで、「小説・吉田松陰」に出会う。

投獄されていた「野山獄」でのエピソード。
獄中にいるひとりひとりを学びの先生として、
俳句や書道など、様々な講座を開催する。
すると、ひとりひとりに希望があふれてくるのだ。

これだ!
って思った。

学び合い、心が触れ合う対話によって、
たとえ獄中であっても希望を生むことができるのだ。
なんということだ。
これこそ僕がやりたいことだ。

シンタロウとの出会いから11年。
そして、吉田松陰先生とは8年。

いま、目の前にあるのは、
「まちゼミ」と「野山塾」だ。

商店街をフィールドとした学びの場を
大学生・高校生・中学生がプロデュースするような仕組み。

そして、「場のチカラ」を活用した、
お互いに成長し合える空間づくり。

この2つを実行することで、
学びの場をつくりながら、
若者と地域との接点が生まれ、
お互いに成長していける場が誕生する。

若者は「貢献する」という心地よさを知るだろう。
「はたらく」という本当の意味を感じるかもしれない。

そんな地域社会が、このまちで可能となる。
誰かがそう信じて、スタートするしかない。  

Posted by ニシダタクジ at 05:58Comments(0)足跡

2013年05月14日

固定的知能観×他者評価依存

生きづらさ、働きづらさの正体。

それは、
固定的知能観×他者評価依存
から来るのではないか。

新大生よりも県大生が元気なように見えるのは、
受験時に他者評価されなかった「幸運」が効いているのではないか。

自己評価と他者評価のギャップを埋めるには、行動するしかない。
学内活動、学外活動に積極的に取り組み、下がってしまった自己評価を
取り戻していく。

いっぽう
第一志望大学に合格するということは、
自己評価も他者評価も最高レベルの状態にある。

人間の本能は、狩猟採取の時代のおかげで「現状維持」であるのだから、
その自己評価、他者評価を維持しようとする。

それがチャレンジをさせないのだ。
挑戦には失敗が伴う。
そういえば、中谷彰宏さんが言っていたっけ。
「何も失敗しなかった1日は、何もチャレンジしなかった1日だ」

これに固定的知能観「人間の能力は生まれつき決まっていて、変化しない」
が加わったら、だいぶキツい。

目の前に来る課題を
「できるかできないか」で判断してしまい、
「できない」と判断したものは、やらないようになる。

これこそが課題なのではないか。
と僕は考える。

しかもそれは、高校までの12年間の教育の中で
徐々に育まれてきた価値観であり、考え方だ。

これがもし、企業社会に入っても通用するのであれば、
このままで良いだろうと思う。
いや、かつてそれが通用した時代が、社会があったのだ。

一度入社したら終身雇用、一会社員を全うしていく。
顧客に、あるいは上司に評価されるにはどうしたらいいのか?
を考え、それを実行する。
だんだんと序列が上がっていき、幸せな人生が待っている。

これは、会社が50年、100年と続いた時代のストーリーだ。
今は、どうか。
「今年入学した小学生のうち65%は、現在存在していない仕事に就くだろう」
と2011年にアメリカの研究機関が言っているような時代だ。

どんな仕事に就くか、わからないのだから、
まずはその固定的知能観を打破しなければならない。

自分には無限の可能性があり、
それは、たくさんの経験をすることによって徐々に開花していく。
これが成長的知能観だ。

これを持って、しかも自らの価値観を磨くことで、
他者評価に依存しない、自分自身の人生を生きられるようになる。

就職活動をしていて、
2社受かったとして、どちらを選ぶか。
自分の感性を信じるか、世間的にいい会社と言われている、あるいは名が売れている会社
にするか、ということだ。

いや。
他者評価だかではなく、自己評価の軸を持っていて、
かつ、成長的知能観を備えていれば、
全ての仕事は、たとえ、就職活動で1つも合格せずに
フリーターになったとしても、いや、もしくはニート、引きこもりになったとしても、

そこに向き合い、それを成長の機会にしていけばいいだけだ。

それでは、
固定的知能観×他者評価依存の壁を超えていく手法とはなんだろうか?

ひとつの方法は「貢献マインドの醸成」
にあるのではないかと思う。

自己効力感から、チーム効力感。
自分ひとりではできないけど、チームならできるかもしれない、と思うこと。
そして、チームでできるのなら、そのチームに貢献したいと思うこと。

この2つで貢献マインドを育てていくことが
僕らの考える方法論なのかもしれない。

そう考えると、
田舎での田植えとか田植えのあとの「さなぶり」は、
自然と貢献マインドを生んでいたのだろうと想像される。
経済社会とは違い、農村には農村の価値観がある。
そんな世界を知ることも、今の子どもたちにとっては
すごく大切なのだろうと思う。

固定的知能観×他者評価依存

成長的知能観×自己評価
へと変えていくこと。ここが攻めるべき本丸なのではないか、と思うようになってきた春の1日。  

Posted by ニシダタクジ at 06:43Comments(0)日記

2013年05月13日

機会提供という価値

だんだんと、だんだんと。

理論のカタチに昇華されつつある。
これがワークショップの3段活用なんですね、上田先生。

「機会提供に価値がある」
とずっと思ってきた。

畑での農作業体験。
古民家での囲炉裏を囲んだ朝ごはん体験。
地元のじいちゃんたちと語らう地域活動体験。

しかし、教育関係者であれば、
それをこのように問うだろう。

「何のために、その体験や活動はあるのですか?」

僕は、その問いは大切なのだが、活動する際に、
それを問う必要はないのではないか。と思う。

目的や
自分の人生の中の位置づけを決めないと行動しない。
そんなのって面白いだろうか。

「おもしろそう」
「なにが起こるんだろう」
「こっちにいったらどうなるんだろう」
そんな好奇心に応えるだけで十分ではないか。

そんなふうに思ってはいたのだけど、
上田信行先生とキャロル・S・ドゥエック先生の著作を読んで、
その感覚に自信が持てるようになった。

「機会提供」それは、
「しなやかマインドセット」に通じる考え方だ。

人間の能力は固定的ではなく、成長し続けることができる。
それは体験するあらゆる機会を成長のチャンスに変えることができるということだ。

しなやかマインドセットの人にとって、
全ての機会は成長のチャンスなのだ。

だから、何のために?
と問われたら、
しなやかマインドセットを得るためのチャンスを与えるため。

と答えるのはどうだろうか。
機会提供に価値がある。

もうすこしで理論化できそうです。  

Posted by ニシダタクジ at 06:00Comments(0)日記

2013年05月12日

母の日

昨日は、
「母の日のプレゼントを」
という近所の小学生が、
小さなアクセサリーを買っていきました。

小学生が母の日のプレゼントを買えるお店。

ステキですね。  

Posted by ニシダタクジ at 05:12Comments(0)日記