2013年05月03日
贈与経済という関係性の豊かさ
昭和39年、新潟地震。
震源域に近かった粟島は
そのとき、1.5mほど隆起、井戸水が枯れ、
稲作が不可能な土地となった。
以来、粟島では米をつくっていない。
つまり、粟島では、自給自足はできないのだ。
だから、米を本土から買っているか、
あるいは送ってもらっているか。
この送ってもらっているの相手が
親戚であるとは限らない。
海産物を送り、
そして米が送られてくる、ということがあるそうだ。
それはまさに贈与経済だ。
物々交換ではない。
なぜなら、送られてきた海産物と
お米が、等価であるかどうか、分からないからだ。
島の中ではなんともできないから、
島外との関係性でなんとかする。
そこには関係性の豊かさが生まれる。
何かあったとき、心配する気持ちが生まれる。
うれしいことがあったとき、共に喜び合える。
「何かができない」ということは、
関係性をつくるチャンスを
神様から与えてもらっているのかもしれない、と思った粟島2日目でした。
震源域に近かった粟島は
そのとき、1.5mほど隆起、井戸水が枯れ、
稲作が不可能な土地となった。
以来、粟島では米をつくっていない。
つまり、粟島では、自給自足はできないのだ。
だから、米を本土から買っているか、
あるいは送ってもらっているか。
この送ってもらっているの相手が
親戚であるとは限らない。
海産物を送り、
そして米が送られてくる、ということがあるそうだ。
それはまさに贈与経済だ。
物々交換ではない。
なぜなら、送られてきた海産物と
お米が、等価であるかどうか、分からないからだ。
島の中ではなんともできないから、
島外との関係性でなんとかする。
そこには関係性の豊かさが生まれる。
何かあったとき、心配する気持ちが生まれる。
うれしいことがあったとき、共に喜び合える。
「何かができない」ということは、
関係性をつくるチャンスを
神様から与えてもらっているのかもしれない、と思った粟島2日目でした。