プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2018年08月31日

「自分に自信がない」の「自分」って何だ?

明日は茨城県日立市で「若松ミライ会議」の拡大版。
復習しようと。

「顧客」と「価値」の視点から過去を見つめなおす(18.7.12)
http://hero.niiblo.jp/e487733.html

「私」を外す、という美学(17.3.28)
http://hero.niiblo.jp/e484378.html

あらためて。
「日本人は何を考えて生きてきたのか(斎藤孝 洋伝社)より

西田幾多郎の言葉。
「主客があるかのように思うのは、私たちの思い込みにすぎない。実は主客未分のほうが本来の姿であり、純粋な経験である。経験の大もとを純粋な経験だとすると、純粋経験は主客未分でおこっているはずだ。本質を捉えようとするならば、私というものを前提として考えるのではなく、むしろ主客を分けることができない純粋経験こそを追求するべきだと考えたのです。」

そして、鈴木大拙もつづく。
「禅は科学、または科学の名によって行われる一切の事物とは反対である。禅は体験的であり、科学は非体験的である。非体験的なるものは抽象的であり、個人的経験に対してはあまり関心を持たぬ。体験的なるものはまったく個人に属し、その体験を背景としなくては意義を持たぬ。科学は系統化(システマゼーション)を意味し、禅はまさにその反対である。言葉は科学と哲学には要るが、禅の場合には妨げとなる。なぜであるか。言葉は代表するものであって、実体そのものではない。実体こそ、禅においてもっとも高く評価されるものなのである。」

これ、中動態を学んだ今、めっちゃよくわかるね。

自分の過去に、「顧客」と「価値」があって、
それはすごく体験的で、個人的なもので、

そもそも「自分に自信がない」というときの
「自分」ってなんだろう?

と、「やりたいことがわからない」
ことが苦しいから、「やりたいこと」を探してしまうけど、

「自分に自信がない」
ことが苦しいから、自分に自信をつけようとしてしまうけど。

そもそも、やりたいことって何か?

とか

自分に自信がない場合の「自分」って何か?
みたいなことって問わないもんね。

僕はかつて、
「自分に自信がない」と言ってきた若者に対して、
「自信がなくても始められたらいい」
と思っていた。

だから、上田信行先生に出会って、
キャロル・ドゥエック先生の本を読み、
固定的知能観と成長的知能観について学んだ。

「自信がない」は後天的に獲得した資質である(14.12.29)
http://hero.niiblo.jp/e459844.html

やればできる(かもしれない)、
つまり自信がある状態が通常で、
自信がない(からやれない)
というのは後から獲得している。

だから、始めたらいい。
と言っていたけど。

自信がどうの、っていうよりはまず「自分」というか
アイデンティティについて取り組んでいく必要がある。

そのためには、自分の過去を知ること。
過去の結果としての自分を受け入れること。
状況に身を委ねること。

「自分」を知ること
「社会」を知ること

そこから「自分」を見つめなおすこと。
明日の「ミライ会議」がそんな場になったらいい。

これから明日の予習をこの本で。

「We are lonely,but not alone」(佐渡島庸平 幻冬舎)  

Posted by ニシダタクジ at 09:38Comments(0)言葉

2018年05月23日

「予測不可能」という価値

僕が「予測不可能性」というキーワードを
意識し始めたのは、昨年5月の
法政大学長岡ゼミの「カフェゼミ」だった。
「つながるカレー」の会@日本橋。

加藤さんの、
あまったカレーの話に、シビれた。
エンターテイメントとは、予測不可能性であると思った。

http://hero.niiblo.jp/e484808.html
「予測できない」というモチベーション・デザイン
(17.5.19)

そして、7月の「アルプスブックキャンプ」で
藤本さんに出会う。
http://hero.niiblo.jp/e485488.html
「出会うたんです」(17.8.1)

彼は、予測不可能なことに出会った自分自身という
現象を記事にしていくことで、魅力的なものになると言った。
それが「魔法をかける」ということなのだと。

そして、それはコミュニケーションデザインとしても
使えるな、と思っている。

エンターテイメントの本質が
「予測不可能性」であると仮定する。

すると、
工業社会における「仕事」には、「予測不可能性」はほとんどない。
それが、「疎外」のひとつの要因だったのではないか。

人は、やっていることを楽しむために、
「予測不可能性」を必要としている。

クラフト(手作り)の楽しさは、
ていねいさ、クオリティの高さだけではなく、
「何ができるか分からない」という予測不可能性にもあるのではないか。

大量生産の工業製品(100円ショップに並んでいるようなもの)や
チェーン店の均質化された料理にワクワクしないのは、
(別にワクワクを求めているわけじゃないのかもしれないけど)
そこに予測不可能性が存在しないからではないのか。

「注文をまちがえる料理店」や
何が出てくるか分からないサービスエリアの定食は、
それを見事にエンターテイメントビジネスへと変更したのではないか。

工業社会にとって、
「予測可能」であることは絶対の価値があった。
そしてそれを可能にしたのは、「増え続ける人口」だった。

多くの人々は、
「生き延びる」という価値のために、
「予測可能」な生き方を選択した。

会社員となり、厚生年金に入り、
30年以上のローンを組み、マイホームを建て、
老後は悠々自適に過ごす。
そんなストーリーを「生き延びる」ために選択した。
(させられた、のかもしれない)

「目標を達成する。」こと。
それは予測の実現と同義である。
学校はそこにこそ「価値」があるんだと教え続けた。
その仮説は、おそらく正しかった。

そうやって我が国は世界に類を見ない
経済成長を遂げることができた。

ところが。
もう、その前提が変わってしまった。

人口は減り続け、
工業社会から作り出されるモノを
それ相応の対価を払って手に入れようと思う人は、
世界中にほとんど残っていない。

そもそも。
「予測可能」というもの自体が、
エンターテイメントと逆の感情、つまり、つまらないという感情を生むのだ。
もちろんこれは、僕の場合、なのかもしれない。

「達成動機」という話を聞いたことがある。

世の中には「達成動機」が強い、
つまり目標を達成することに対して、
特に喜びを感じる種類の人たちがいるのだという。
その人は、ビジネスで成功する確率が非常に高いのだと。
「夢に日付を」と言って、達成できる人のことだ。

しかし、自己啓発書を読む多くの人は
「自分に甘いから目標を達成できない」
と思っている。

しかし、本当はそうじゃなくて、
「達成動機が強いから達成できる」、そういう人がいるのだ。
ということなのかもしれない。
(僕が自分に甘いからこういうことを言っているのかもしれない。)

僕がツルハシブックスをやっているとき。
特に地下古本コーナーHAKKUTSUの取材を受けて、
もっとも困った質問が、

「本を発掘した若者に、どうなってほしいですか?」
だった。
つまり、このプロジェクトの目的・目標は何か?
と聞かれたのだ。

その時の僕の気持ちは、
エリカ様バリの「べつに・・・」だった。

別にどうもなってほしくない。
僕はただ、本を届けたかった。それだけだ。
僕にとってその「機会提供」が価値だ。

今なら、その先を説明できる。

僕がなぜ、それをやっていたのか?
暗闇で懐中電灯を片手に、
本の表紙に貼ってあるメッセージを頼りに、
直感を働かせて本を手に取る。
それを買う。

それの行為は、発掘した本人だけではなく、
特に「僕にとって」予測不可能性の高い行為だ。
だから僕はそれをエンターテイメントだと思ったのだ。
だからこそ、そんな活動をやっているのだ。

そして、大学の中に身を置いてみて、
その他でもいろいろ非営利活動に取り組んでみて、
僕が分かったこと。

ミーティングと振り返りを楽しむこと。
場のチカラで何かを創造すること。

そのために個人として、
「評価」ではなく「承認」が重要なのだ知ること。
「承認」が得られる「場」「チーム」を手に入れること。

たぶんそれ。
そこにも、「予測不可能性」というキーワードが入ってくる。

「最近会ったよかったこと」という「チューニング」から始まるミーティング。
「今日のミーティングの感想は」という「チューニング」で終わるミーティング。

「予測できなかった悪かったこと」(反省点)だけでなく「予測できなかったよかったこと」
という予測不可能性を楽しむための振り返りの手法。

メンバーそれぞれの過去を掘り下げるという、
「顧客」を探すビジョンセッション的ワークショップ。

そんなのを積み重ねて、
「承認」が得られる場をつくる。
そして、「学び」のある場をつくる。

「学び」という予測不可能性を感じられる場をつくる。
それが活動のモチベーションのドライブにとって、最も大切なことだと思う。

たぶんこれが、これから僕がやっていくこと。

ともに学ぼう。
その先にある、予測不可能な何かを見てみたいから。  

Posted by ニシダタクジ at 10:20Comments(0)言葉

2018年02月28日

「サードプレイス」から「アナザー・バリュー・スペース」へ

「サードプレイス」とは、本当は何なのか?
「サードプレイス」は、本当に必要なのか?

昨日の「有縁」「無縁」の話を受けて、
考えたこと。

「無縁」社会とは、「有縁」社会のように、
一人ひとりが縁を結ばず、金だけが支配している社会で、
だからこそ、そこには中央権力が定める法律も及ばないし、
世俗のしきたりも希薄である。

しかし、それが
「有縁」社会のセーフティネットになっている。
つまり、有縁社会からはじき出されても、
行く場所があるということ。死ななくてもよいということ。

有縁社会は無縁社会を必要とし、
無縁社会はまた有縁社会を必要としている。

これを、現代に当てはめるとなんだろうか。

「非日常空間」が必要だと言われる。
あるいは、「非日常体験」が観光にとって重要だと言われる。

たとえば、家族と温泉に行く。
たとえば、デートでテーマパークに行く。
あれは「非日常空間」だろうか。

たとえば、ひとりでカフェに行く。
たとえば、仲間と行きつけの居酒屋に行く。
それは、近すぎて「日常空間」だろうか。

川崎・新城劇場のミーティングで、
「居心地のいい場所」というテーマで話した時、

「カフェにいる時間」だと答えたメンバーに、
どうして?と聞いたら、
カフェに入って、飲み物を目の前にしたとき、
その瞬間、「目的・目標」から解放された、と
感じるからだという。
メモをとったり、手紙を書いたりするらしいのだけど。
あの話を思い出した。

非日常空間、あるいは、サードプレイスとは、

日常とは異なる価値観が支配する空間であり、
その場に身をおくことは、根源的に大切なことなのではないか。

上記の彼女がカフェに行くのは、
「目的・目標から解放された空間」に身を置きたいからではないか。

そういう意味では、ストレス解消のため1泊2日で温泉に行く、とか
乗り物による刺激やスリル、大量の消費をするために行くテーマパークは、

「日常の価値観(効率化や消費第一主義)」のまま、
時間を過ごしていることにならないだろうか。

もちろん、コンセプトのあるホテルや、歴史ある温泉旅館、
思いや祈りのこもったテーマパークでは、ある程度の非日常を味わえるだろう。

そうか。
「日常」と「非日常」を決めるのは、
場所そのものではなくて、
場所に込められた思いや歴史などの
「価値観」なのではないかと。

休みの日に、
団体スポーツを楽しんだり、
ひとりで山に登ったり、
酒を飲みに行ったり、
もしくはギャンブルをしたりするのは、

そこが、違う価値観が支配する空間だからじゃないのか。

本当に必要なのは、
「サードプレイス」という場所ではなく、
「アナザー・バリュー・スペース(タイム)」
とでもいうのか、

日常とは異なる価値観に
支配される場や空間、時間ではないか。

そして、その価値観は、必ずしも
明確に言語化される必要はなくて、
それをなんとなく感じられればいいのだと思う。

福島県白河市のカフェ・エマノンには、
言語化されない「ベクトル感」があり、
それを感じたくて高校生は集うのだろうと思う。

次は「ベクトル感」について書こうかな。  

Posted by ニシダタクジ at 08:12Comments(0)言葉

2018年02月18日

ソフトとしての本屋

「ツルハシブックスは、ハードとしての本屋ではなく、
ソフトとしての本屋になっていくんじゃないか?」

たしか、ツルハシブックスの閉店が決まった会議の時に
山田さんが言っていた言葉だったような。

そんな山田さんは、
「古本詩人ゆよん堂」をつくった。

ツルハシブックスとはなんだったのか。
そして、ツルハシブックスを立ち上げた自分はなんだったのか。

そもそも、偶然に導かれたことから始まった。

・インターン事業が軌道に乗りつつあり、
・学生を集めるのがたいへんになって、
・事務所を構えたいと思って、内野に来たら、
・その事務所が激しく欠陥物件で、半年で移動せざるを得ず、

・駅前で物件を探していたら、駅前一等地に「貸」が出ていて、
・新潟市の中心市街地活性化の施策もあったり、
・カフェをやりたいという宮澤くんの存在もあり、
・1階どうしよう?って話で人を集める場をつくらなきゃって思って

・人が集まると言えば駄菓子屋、で、そうなりかけたんだけど、
・そういえば、俺、ヴィレッジヴァンガード郡山アティ店で
・まちを創れる本屋に憧れていて
・本屋で人が集まる場を作れたら面白いな

って思って、
ツルハシブックスになったんだな。
すごい偶然。

あそこの正式名所は、
「ウチノ・コラボレーション・ラボラトリー」
内野地域で、協働を生む、実験場。
これがコンセプトだった。

地下古本コーナー「HAKKUTSU」が話題になって、
全国から人が集まってきていたけど、
本来の価値は、本を売ることではなく、
コラボレーションの実験が起こること、としていた。

実際にツルハシブックスから始まったものは、
・野菜ソムリエランチ
・にしかん・農家マップ制作
・フリーペーパー「内野日和」の作成
・うちのまち なじみのおみせ ものがたり(商店街でのミニゼミ)
・社長10人×新潟の学生50人「夜景企画会議」
などなど。

もっとあると思うのだけど、
そう考えるといろんなことが起こっているよな。

実際に、それは本屋じゃないくてもできるんじゃないか?
って言われたし、
ツルハシブックスに来て、本を買わないお客さんは
多かったし、本の売り上げは上がらなかったし。

なんで本屋なんですか?
本屋である必要があったのか?

って聞かれたけど。

僕は本屋だから、しかもそれが新刊書店だから
できたようなところはあると思っている。
本のある空間のチカラがあるのだ。

人と人のコミュニケーションのツール。
そして、多様性の許容。
さらに、空気感の入れ替え。

たぶんこの3つが
「場」にとってプラスの影響をもたらす本の効能だと思う。

ツルハシブックスがハードからソフトになる。
それはつまり、ツルハシブックスの実態から出てきた学びを
ほかの場に応用していくことだろう。

そういう意味では、
以上3つのポイントをどう具体的につくっていくか。
それがポイントなのだろうと思う。

本屋の先に、何を見るか。
それを語りながらつくっていきたい。

今日は多治見で本屋づくりプロジェクトのキックオフです。
  

Posted by ニシダタクジ at 09:49Comments(0)言葉

2018年01月03日

「どうぐや」になる

「夢はのりもの」

2016年、
「ゆめのはいたつにん」(教来石小織 センジュ出版)
を読んで思ったこと。

2017年末、
PCシステム屋さん、
料理道具屋さん、
そして出版社(これはセンジュ出版さんですが)

に話を聞いて、
キーワードは「どうぐ」かもしれないと思った。

そんなとき、
1月1日朝、毎日新聞のAI特集で
yoshikiがAIと音楽について語っていた。

~~~以下、一部引用

AIでヒット曲は作ることができる。
ただ同時に「曲が売れる(ヒットする)」ということに、
そんなに意味があるのかな、と僕は思ってしまうんですね。

「売れたい」つまり「お金を稼ぎたい」ということであれば、
もっといい職業ってありますよね。
わざわざ芸術家である必要はないわけです。

メロディーってなんか突然降ってくるというか、説明不可能なもの。

どうしようもない悲しみや怒りを音楽を通して表現した。
そこに没頭するだけでも自分は救われていたと思います。

音楽という芸術表現があったからこそ、
僕は今まで生きてこられたと思うんですね。

作曲は、目の前に広がる芸術という海に飛び込んでいくイメージ。

理論じゃ語れない「何か」が芸術の中にあると、そう思いたいですよね。
すべてAIにできてしまったら、自分たちの存在価値がなくなってしまうので。

AIはライバルではなくて、友。

「何のために音楽をやるか」ということに尽きると思うんです。
「音楽で売れたい」って思ったらAIが脅威になる可能性があります。
でも見方を変えれば、そういう風には思えないんじゃないかな。

これまでもデジタル技術の発達によって、
作曲の選択肢はどんどん広がっています。
デジタル化のいいところはいっぱいあって、使わない手はない。
同じようにAIも、「心の友」だと思って、共存していけばいいと思います。

~~~以上、一部引用

そうそう。
AIって道具なんですよね。
ただ、それだけ。
本と同じ。
どの乗り物に乗るのか?っていう話。

そのくらい自分を相対化というか、俯瞰化して
見れたらいいなと思う。

本も、PCも、AIも、職業も、夢も、
ぜんぶ乗り物にすぎない。
目的地ではないんだ。

夢や目標に乗って、
その先の地平を見に行くんだ。

yoshikiも言ってる。

「何のために音楽をやるか」ということに尽きると思うんです。

それだ。
WHY?
なぜ、その乗り物に乗るんだ?
っていう問い。

そんな問いから2018年を始めてみようと思う。

そして、僕の今年のテーマは
「どうぐや」なのかもしれません。

武器も、防具も、薬草も、乗り物も
売っているような、そんな「どうぐや」
になりたいなと思います。
誰かもそんなこと言っていたような気がする。  

Posted by ニシダタクジ at 06:21Comments(0)言葉

2017年07月19日

小さなゆうびんせん

小さなゆうびんせん

人はみな、ひとり乗りの小さなゆうびんせんとして、生まれてくる。
少しの手紙を携えて。

でもその手紙には、あて名が無い。
差出人の名前もこすれて消えかかっている。

学校や会社という大きな船。
たくさんの手紙を預かって、どこかに届ける。

大きな船に、小さな舟ごと、乗り込むこともできる。

そこでは、目的地に早く着くために、
船長の指示に従い、効率が求められる。

大きな船は安定していて、揺れることがあまりない。
いつのまにか、船に乗っていることも忘れてしまいそうになる。
効率を求めすぎて、目の前のことをやるのに精いっぱいになる。

その船を途中で降りることもできる。
またひとり乗りの小さな舟でこぎ出したり、
20人乗りの船に乗り換えたり、
仲間と一緒に3人乗りの船をつくってもいい。

小さい舟は不安定だ。よく揺れる。
ひとりひとりが考え、判断しなきゃいけない。

大切なのは、
このふねは、どこに向かっているのか?
誰に手紙を届けるのか?

この船旅を誰と一緒にしたいのか?
のんびり行きたいのか、はやく行きたいのか?

そんな話し合いをすることだ。

時には、港町に立ち寄り、酒を酌み交わし、
次の行先を決めるんだ。

ひとりひとりが預かっている手紙。

その手紙を待っている人がどこかにいるはずだから、
今日も、その船を漕ぎ出していこう。  

Posted by ニシダタクジ at 08:03Comments(0)言葉

2017年06月17日

「共鳴」から始まるプロジェクト

「チューニング」っていうマイブーム。

先週金沢文庫「キッチンのある本屋」プロジェクト
のミーティング前の平野さんとのメッセージのやりとりでも
自然と出てきた言葉。

初めての人もいるから、
いきなりミーティングしないで、
8時に集合して、称名寺散歩して、
ちょっとチューニングしてから行く。

って。


「チューニング」。
それはもちろんコミュニケーションだ。

1つは感情のコミュニケーション。
「最近あったよかったこと」
「今日のミーティングをやってみてどうだったか?」

そうやって、感情を言葉にする「チューニング」。

もうひとつは、非言語のコミュニケーション。
一緒にご飯を食べる。
ご飯をつくる。
散歩をする。
農作業をする。

そうやって相手を
「感覚的に」「なんとなく」
知っていくこと。
音楽で言えば「音合わせ」をしている状態。

そこには、
「共感」というよりは、「共鳴」が起こる。

「共感」っていうのは、言葉だけでもできる。
でも「共鳴」っていうのはもっと肌感覚で、
感じないとできない。

プロジェクトってそういうものなのかもしれないなと。

ハックツの宮本もコメタクの吉野も
「なんか一緒にやってみたいな」
というのから始まっている。

それは本当に「なにか」だったんだと
今は思う。

感覚的な何か。

一緒に踊りたかったのか、歌いたかったのか、
奏でたかったのか。

そういう感じ。
楽器としての自分を、引き出してくれるような、
そんな出会い。

共鳴から始まるプロジェクト。

そしてそれはチューニングを繰り返しながら進んでいく。
いま、この瞬間が、ひとつの音楽なのだ。

そんなプロジェクトの進め方。

ひとつひとつのミーティングが
楽曲であるような、そんな時間。

今日はいい音出せたかな、
とふりかえるようなミーティングをしたい。

「目的から考える。」
と口癖のようにいつも言われてきた。
それはもちろんそうなのだけど。

ひとりひとり、いやひとつひとつの楽器が
いい音出してこそ、いい音楽、いい仕事だったと
言えるのではないかな。

そのためには、目的から考える、その前に、
チューニングから、共鳴から始めたほうがよいのではないか。

僕はそんな「チューニング」をする人に
なりたいかもしれない。

チューニング・デザイナー
ってどうですか?(笑)  

Posted by ニシダタクジ at 06:30Comments(0)言葉

2017年06月13日

「チューニング」から始まる。

チューニング【tuning】

( 名 ) スル

受信機や受像機のダイヤルを回して周波数を同調させ、特定の放送局を選択すること。

楽器の音程を正確に合わせること。音合わせをすること。

(コトバンク 大辞林第三版より)

ジャズセッションのような
「場」をつくりたいと思う。

そこに居合わせた人が
歌いだしたり、踊りだしたり、
新たに楽器を持って来て、演奏を始めたり、するような場を。

それを見ているだけでも
楽しくなってしまうような場をつくりたい。

「多様性」と「偶然性」が「可能性」を生む。
とソトコトの取材の時に答えたけれど。

その「場」には
ジャズセッションのような、
五感に響く何か、が必要なのかもしれない。

6月11日(日)朝8時。
金沢文庫駅集合。

称名寺まで歩く。
素敵な風景が広がっている。


いったん駅に戻って、
パンを買って、10時過ぎにミーティング開始。

2時間。それは「チューニング」の時間。
いや、ミーティングの場も、
最初はそれぞれの思いを語ってた。

次の日程、内容などは
最後の30分だけだった気がする。

初参加の人がいるとき、
そこには「チューニング」の時間が必要になるのかもしれない。

音合わせの時間。
それぞれの楽器の音を出してみて、
音を合わせていく。

今回は高音の人が多いから
自分は低音でいこう、とか?
(音楽やったことがないのでよく分からない。笑)

プロジェクトが始まるとき。
そこにはチューニングの時間が必要だ。

一緒にご飯を食べたり、飲み会したり、
一緒にご飯を作ったり、キャンプをしたり。

「ミーティングとは感性をチューニングすること」
http://hero.niiblo.jp/e484576.html
(17.4.23)

のように、
チューニングっていうのはすごく大切なのだと思う。

自分の音、ちゃんと出せてるか、って。

そう。
もしかしたら、「場」に必要なものって
チューニングなのかもしれない。

もし、ジャズセッションのようなまちを
作りたいのだとしたら、

今回の金沢文庫でやる
シェアキッチンのある本屋プロジェクト(仮)で
つくる「場」は、キッチンは、本屋は、
ひとつの楽器になるのかもしれないなと。

そこに集まってくる人たちと、
「こいつ、どんな音を出すんだろう」って、
「こいつ、なかなかいい音出しそうだな」って、
チューニングして、音楽を生み出していく。

そんな場になるのではないか。

ジャズセッションのようなまち。

シェアキッチンのある本屋(仮)は、
その最初の音になりたい。  

Posted by ニシダタクジ at 05:45Comments(0)言葉

2017年02月28日

その点は、角か桂馬か

菊地くんと朝活。

過去の出来事を振り返って、
意味づけをして、
それが今につながっている、
って思うことがある。

たとえば、ぼくの場合は、
不登校の中学校3年生の家庭教師をしたとき。

「ああ、ぼくはこれを仕事にしたい」
と心の底から思ったのだけど、

「これ」がどれなのか?何なのか?
っていうのは今も問いかける。

その当時は、

「中学生にとっては、無職の若者(当時の僕)のような
地域の多様な大人に出会うことが必要ではないか。
とNPO法人を設立したけど。

そして、それは、10年の時を超えて、
地下古本コーナー「HAKKUTSU」として結実する。


しかし。
その後、僕は「本の処方箋」というコンテンツを手に入れる。

人の悩みを聞き、本を処方する、というもの。

これはどちらかというと、
本を処方するよりも、人の悩みを聞くほうに
重きが置かれる。

そのことを友人に話したら、
「人と向き合いたいんですね」って言われ、
いや、そうじゃないなと思った。

向き合いたくない。
人の話を聞くのも実はそんなに得意ではなかった。
でも、本のほうを向いて、なら
話を聞くことができる、ってことがわかった。

そのとき。
あのときの中学生とのエピソードが少し違って見えた。

これを仕事にしたい。
の「これ」は、中高生と地域の大人が出会う場所、ではなくて、

ともに悩みたかった
のかもしれないと思った。

未来は見えないけど、
そこに向かって、ともに悩む。
「本の処方箋」っていうのは、そういうコンテンツだ。

そうやって、過去の点の見え方が変わってくる。

「コネクティング・ドット」は、
スティーブ・ジョブズの有名なスピーチの一節だけど、

菊地くんに言わせると、
「あの時打った将棋の駒が、ここに効いてきたのか」
っていう感覚。

それ、いいね。
ジョブズより日本的だね。

人生が巨大な将棋盤だとしたら、
あの時、打った角が、いま、ここに効いてくる。

「そんなにナナメに行けるんだ!」みたいな。

予想だにしない巨大な桂馬が、
時空を飛び越えて、目の前に現れる。

あなたが今、打った点。

それがもし将棋盤の上だとしたら、
その点は、角か桂馬か。  

Posted by ニシダタクジ at 08:42Comments(0)言葉

2017年02月24日

すべては機会でしかない

大学時代に、
環境問題啓蒙系のNPOを少しかじっていた。

新潟で活動していた人たちは
歯医者さんとか大学の先生とか、
いわゆるハイソな人たちが多かった。

彼らの探究心は
環境だけにとどまらずに、
「豊かさとは何か」という根源的なところに
迫っていっていた。

「西田くんも来ない?学割でタダでいいよ」
って、講演5000円懇親会5000円(たしか)
のところに呼ばれていった。

出会ったのは、
小林正観先生でした。

ブレイクしたのはその当時から
10年くらい経ってからだと思うので、
本当にマニアックな頃。

そのときに「正しく観る」ということを、
教えてもらった。

今でも印象に残っているのは、
出来事によいことも悪いことも、
幸せも不幸せもない。
そう思う自分の心があるだけだ。

出来事はすべてニュートラルだ。

般若心経の
「色即是空 空即是色」
の話とか聞いていた。

「空」というのは
「無」ではなく、「空」なんだ。
そこに色はついていない。
それに色をつけるのは人の心だ。

出来事にプラスもマイナスもない。
そこに出来事があるだけだ。

それ以来。

何かが起こるたびに、
「これは何の機会なのだろう?」
と問いかけるようにしてきたし、
実際そうなってきたと思う。

ツルハシブックスは経営難のおかげで、
劇団員というコンセプトに出会い、
山田正史と井上有紀というスターを生んだ。
家賃フェスや灯油フェスという伝説を生んだ。

機会でしかない。

だとしたら、目の前にあるものは
どんなきっかけなんだろう。  

Posted by ニシダタクジ at 07:56Comments(0)言葉

2017年01月22日

「営み」に会いたくなる旅

旅先でも、
地元の人が行く店が好きだ。

まちの定食屋さんとか、
中華料理屋さんとか。
九州だったら、酒屋で立ち飲みする角打ちが好きだ。






北九州・小倉の平尾酒店。
北九州出身のかなさんとメッセージやりとりをしていて、

「観光の原点も営みだと思います。
その場所の営みに魅力を感じた時に
本当にまた行きたい場所になるなあ!、と
いろんな場所に行ってみて感じました。」

!!!

って。
それだ!!
って。

人に会いたくなるっていうのもあるけど、
最初に行く場所は、知っている人がいない。

だから、
「営み」のあるところに行きたくなる。

「営み」
っていい言葉だなって。
大きく言えば「暮らし」なのだけど。

なんというか、
完結していない、つながっている、
そんな感じ。

こうやって生きてきた。
っていう生を感じる。

だから、旦過市場のような場所に
人は惹かれるのだろうなと。

きっと、これからの旅は、そのようになっていく。
「営み」に出会う旅。

農業だったり、
お店だったり、
それはいろいろあるのだろうけど、
「営み」に惹かれる人はたくさんいるのだろう。

そしてその営みの中に「人」がいて、
人の「暮らし」があって、
そこに来訪者としての旅人がいる。

そしてまた、その「営み」に会いたくなるのだ。
これからの観光はそう変わっていく。

そんな予感がした1通のメッセージでした。
かなさん、ありがとう。  

Posted by ニシダタクジ at 07:45Comments(0)言葉

2016年12月31日

「学校」から「市場」へ

「学校」という仕組みは、
近代社会の成立とともに成立した。

一斉授業
集団行動
上意下達

それは、おそらく、
工場や軍隊で機能する人々を養成するためであった。

富国強兵。
それがないと、諸外国に侵略されてしまう。

そんな危機感の中、
明治維新後、我が国は急速に近代化した。

そしてそれは、一時期成功し、また失敗したかに見えた。
しかし、第二次世界大戦後。
第二次産業革命の中でふたたび花を開く。

工業社会。
人口が増え続け(人口ボーナス)
それに伴った家電製品が売れ続け、
かつ、安価な労働力が提供され続ける。

それがかみ合った結果、
空前の経済成長が起こった。
そこに「学校」あるいは「教育」は大きく機能した。

2016年11月21日 20代の宿題
http://hero.niiblo.jp/e482895.html

ところが。
時代のほうが変わってしまった。

もう、家電は売れない。
全世帯に行き渡ってしまったから。
人口は増え続けてはいないから。

日本の人件費は上昇し、
海外との価格競争に勝てない企業は、
工場を海外に移転して生き残りを図る。
売るのも当然海外の市場だ。

もう、前提が変わってしまっているのだ。

それなのに、「学校」「教育」は
構造的にはあまり変わっていない。

多くの場合、高校まで、
一斉授業、集団行動、上意下達
を叩き込まれる。

そこで、「人と違っていること」を
悪いことだと思い、個性を抑え込むことも多い。
不登校であること、マイノリティであることで、
「世間」に対して負い目を感じてしまう。

ところが大学に入った瞬間に
個性は武器となり、就職活動ではそれが問われる。

もう、「学校」ではないのかもしれない。

いや、今でも、
大きな組織に入って、働こうと思うのならば、
集団行動、上意下達は必須の条件だろう。

しかし、もし、
自分の個性を生かした
スモールビジネスを興していくことを
将来としてイメージするならば、

そのチカラは「学校」だけでは、
磨かれないのかもしれない。
いや、「学校」ではむしろ、
そのチカラが削がれていくかもしれない。

そのチカラとは、
「感性」であり、「想像力」であり、「創造力」だ。

だから、
「学校」ではなく、「市場」なのかもしれないと思った。

「店」の語源は「見世」、つまり、
誰かに見せるためのものだった。

現金をやりとりするかしないかにかかわらず、
何かを「見世」る、

そんな場をつくることが、
これからの「学び」の場になっていくのではないか、

かつてはそれを学びの場として、
人は考え、試行錯誤し、自分なりの生き方を
探していったのではないか。

「学校」から「市場」へ。

未来がそこにあるような気がした、12月29日のミーティングだった。  

Posted by ニシダタクジ at 08:04Comments(0)言葉

2016年12月04日

逢着(ほうちゃく)

ツルハシブックスは、
「偶然」という名のアートプロジェクトだった。

そしてそれは、
「居場所」になることによって、
急速に「偶然」機能を失っていく。

「居場所」は日常であるからだ。
そして「常連」は、コミュニティであるからだ。

昨日は千林商店街を
陸奥賢さんと一緒に歩いた。









寄贈本読書会の中で、
陸奥さんが放つ一言一言にちょっとドキドキした。
かつて、わが国には「歌垣」というものがあり、
そこで、男女が歌を歌いあって、求愛したという。

歌垣は、世間から離れた場であり、
そこでは、人は、この世のものではなくなった。

匿名性のある人になり、
歌を歌いあい、愛を求めた。

そんな歌垣を現代に復活させる
「歌垣風呂」という活動を陸奥さんは行っている。

銭湯で男女が
男湯女湯に分かれて歌を歌いあう。
そのフィーリングで、カップルが成立するという
「感性合コン」だ。

顔が見えない相手を、
声と雰囲気で判断し、この人よさそうだな、と決める。
そんな企画。

ああ。
もう一度、「考える」から「感じる」への
シフトが始まっているんだなと。

いや、そもそも、現在のお見合いのシステムのように、
年収いくらとか職業はなにか、とか年齢条件とか、
そんな言語化できる情報で、結婚相手を決めるなんて、
そんな「効率的」な方法で本当にいいのだろうか?

それって、この150年の「近代国民国家」、
つまり、「富国強兵」的な、効率を重視した
システムの中だけの常識なんじゃないか。

もっと人は、感性を発動させていいと思う。
いや、そのほうが圧倒的に自然というか、普通だろうと思う。

陸奥さんのやっている活動は、
「歌垣風呂」だけでなく、
「まわしよみ新聞」にしても、
「直観読みブックマーカー」にしても、

「偶然」と「必然」のあいだ
を行き来しているように思う。
そして人間の持つ「感性」をより研ぎ澄ます
ような活動であるように思う。

時代の最先端。
これからは「感じる」時代なのだ、きっと。
もしかしたら、暗やみ本屋ハックツも、
そんな場所なのかもしれない。

そんな陸奥さんに、
偶然と必然のあいだってなんていうんですか?

って聞いてみたら、
逢着(ほうちゃく)っていう言葉が返ってきた。

逢着(ほうちゃく)
[名](スル)出あうこと。出くわすこと。行きあたること。「難問に―する」
(コトバンクより)

なるほど。
意図しているのか意図していないのか、
のぎりぎりのところで出会うこと。

アクシデントではなく、
予定通りでもなく、逢着する。

同じ出来事が人によって、
偶然とも必然ともとれるのだけど、
そうそう。
それって逢着なんだね。

そういうのに出会える場所のことを
第3の場所と呼ぶのかもしれないなと思った。

僕がツルハシブックスを
「偶然」が起こる「本屋のような劇場」と名乗っていたのは、
おそらくは、その「逢着」を生みたかったのだ。

少しだけ意図しているけど、
たまたま出会う何か。
それを感じ取る感性。

それが本屋さんであるということなのかもしれない。
本屋さんが第3の場所であることなのかもしれない。

場としての緊張感、一期一会が
必要なのかもしれない。

偶然と必然のあいだ。

そこに、ひとりひとりの感性を発動させ、
つかみとり、そこから未来が始まっていくのだ、きっと。  

Posted by ニシダタクジ at 07:14Comments(0)言葉

2016年11月08日

「やりたいことは何か?」ではなく「顧客は誰か?」

問いって大事だ。
どんな問いを立てるかで人生は決まる。

その最初の問いが、
あまりにも一元化しているのではないか。

「やりたいことは何か?」

多くの人が人生をここから入ってしまう。

それは、学校教育や家庭での、
「将来、何になりたいんだ?」という問いかけと
「13歳のハローワーク」や、
マスコミによる「ひとつのことをやり続けることがカッコイイ」
的な価値観によって、半ば脅迫のように機能している。

中学生のときにぼんやりと「おれ、なにやりたいんだろ?」と問いが始まり、
ひとまず先延ばしにして受験勉強頑張って、
大学生になって、もやもやしながら3年間をすごし、
いざ、就職活動になって、たまたまツルハシブックスに来て、

「やりたいことがわからないんです」

と悩みを打ち明ける。

それ、たぶん、問いが違うんです。
出発点が違うんです。

「13歳のハローワークの呪い」
http://hero.niiblo.jp/e482630.html
(2016.11.1 20代の宿題)

に紹介したように、

職業は、ごくシンプルに、人間社会の役割分担の結果として、
社会の必要を満たすためにそこにあるものだ。
ゴミを拾うのが大好きな人間がいるからゴミが生まれているのではない。
ゴミ愛好家のために廃品回収業という職業が考案されたわけでもない。

それなんだよね。
そんなことをぼんやりと考えながら昨夜、本屋さんで見つけた本。


「ドラッカー 時代を超える言葉ー洞察力を鍛える160の英知」(上田惇夫 ダイヤモンド社)

53番目。
いつも引用しているドラッカーの5つの質問。

1 われわれのミッションは何か
2 われわれの顧客は誰か
3 顧客にとっての価値は何か
4 われわれにとって成果は何か
5 われわれの計画は何か

ツルハシブックスサムライ合宿で確認している
5つの質問。

そして54番目
「事業を決めるのはあなたではない」

事業が何かを決めるのは顧客である。
社名や定款ではない。
顧客が満足する欲求が事業を決める。
事業の目的は顧客の創造である。

さらに57番目
「事業が何かを知る第一歩が、顧客は誰かを考えることである。
次に、顧客はどこにいるか、顧客はいかに買うか、
顧客はいかに到達するかを考えることである。」

ドラッカーは「経営の神様」と呼ばれたが、
先行きの不透明なこの時代においては、
誰もが「自らの人生を経営する」という気持ちを
持つ必要がある。

つまり、キャリア=仕事を考える上で、
ドラッカーの経営の視点というのは、
非常に有意義であると言えるだろう。

ここで冒頭の問いに戻る。

「やりたいことは何か?」
という問いは、事業を立案するうえで、
重要な問いではない。

事業を決定するのは顧客であるからだ。

ツルハシブックスにとって、顧客とは、
人生に悩む中学生高校生大学生だった。

それを「本屋のような劇場」を通して、
「きっかけ」を提供していくこと。
そんなことを目指していた。

2002年、27歳の時に、
不登校の中学3年生の家庭教師をして、
僕は「顧客」に出会った。

まったく話をしてくれなかった彼が、
だんだんと笑顔になり、話をするようになった。
中学生には、「地域の多様な大人」が
必要なのだと思った。

10年の時が過ぎ、
2011年にツルハシブックスが開業。
7月には地下古本コーナー「HAKKUTSU」が誕生。
地域の大人と中高生をつなぐ方法を手に入れた。

そして実際に中高生や悩める大学生・20代の若者が
集まってきた。

そして、その次の問いに進む。
「顧客にとっての価値は何か?」

そうして、気がついたことがある。
ツルハシブックスというか、僕自身の提供価値は、
「共に悩む」なのではないかと。

「共に悩む」という提供価値
http://hero.niiblo.jp/e475287.html
(2015.12.13 20代の宿題)

その場を提供するのに、
「本屋」という空間が最適なのではないかと感じた。
もちろん、結果論なのだけれども。

そして、偶然にも、「本の処方箋」というツールを手に入れた。

それによって、お客さんの心が開き、
悩みを話してくれることを知った。

そして、その「空間」が保てなくなったからこそ、
ツルハシブックスは閉店したのではないだろうか。

大学時代、誰もが
「自分の仕事探しの旅」に出る。

その出発点で問うべきは、
「やりたいことは何か?」ではなくて、
「顧客は誰か?」だ。

そして、その仮説としての顧客に対して、
サービス提供を行い、
「顧客にとっての価値」を考え続ける。

そうやって、自らの人生を経営し始めるのではないか。

僕が伝えたいのは、きっとそういうこと。  

Posted by ニシダタクジ at 07:53Comments(0)言葉

2016年10月01日

キャリア・ダイブ

「キャリア・ドリフト」

キャリア・デザイン
(目標設定・達成型キャリア形成モデル)

とは全く違う、
キャリア・アプローチ。

「川下り型キャリア」とも言われる。

直感で判断し、やってみる、を
繰り返しながら学び、成長し、
キャリアを形作る。
たぶん僕のキャリアはそんな感じ。
昨日は久しぶりに盟友とのひととき。

「キャリア・ドリフトじゃなくて、キャリア・ダイブしたよね」

そうそう。
ダイブしたかも。
新潟から関東へのダイブ。

でも、そこには、
「勝算」というか、そういうのがあった。
野球風に言えば、「勝利の方程式」

でも、それって、ビジネス書に書いてあるような
一般論ではなくて、
その人自身が見つけなければいけないこと。
方程式は結果論なのかもしれない。

「博士の愛した数式」の話をしてた。

そう。
もしかしたら、仕事は、いや人生は、
そういう美しい数式=方程式を見つけたくて、

し続ける旅のようなものかもしれないなと。

そのプロセスの中に、
「キャリア・ダイブ」があるのかもしれない。

美しい数式が未来のどこかにあるのだ。

それは見てみたいよね。  

Posted by ニシダタクジ at 07:02Comments(0)言葉

2016年07月08日

強みに特化し、伸ばす。弱みはパートナーシップでカバーする。

センジュ出版の吉満さんから、
「あなたの強みは、発想力と巻き込み力。マネジメントは苦手」
「しっかりした誰かとペアでやったほうがいい。」
「そのほうが才能を活かしきれる。」

と助言いただく。
すごいなあ。さすが編集者だなあ。
素敵な出会いだったなあ。

先週、サンクチュアリ出版の金子さんに言われたのも、
同じような話だったのかもしれない。

「西田くんてさ、ほかのこともできると思ってるんじゃないの?」
「人を誘うことしか才能ないから。」
「そこだけを伸ばしていったらいいんじゃないの?」

たしかに。
そういえば。
言われてみれば。
人を誘うの得意だわ。

自分株式会社を経営する。
弱者の基本は、選択と集中。
強みに特化し、そこを伸ばす。
弱みはパートナーシップでカバーする。

組織とは、チームとは、パートナーシップとは、
そのためにあるのだ。

強みに集中すること。
40歳になってもできないことは、もうできないんだとあきらめること。

人生は、開花のプロセスであると同時に、
できないことを知るプロセスでもある。

選択と集中。
そういう時期を迎えているんだな。

ツルハシブックス
まきどき村
コメタク
暗やみ本屋ハックツ

素敵なパートナーたちに感謝します。
これからもよろしくお願いします。  

Posted by ニシダタクジ at 06:13Comments(0)言葉

2016年04月21日

ボールのないバレーボール

「ボールのないバレーボール」
という演劇の稽古がある。

文字通りボールなしでバレーボールをする。
ないバレーボールがそこにあることを共有する。

つまり。
「存在しないけれど共有されているもの」
こそが演劇の素材であると岸井大輔さんは言う。

演劇は、歴史的に非物質を素材としてきて、
現実には存在しないものが人に影響を与えてきた。

ああ。
なるほどな。
ツルハシブックスの合宿でやっているのって
そういうことなのかもな、と。

1泊2日の合宿をして、
顧客はだれか?価値は何か?について問いかける。
実際に言葉にはなるのだけど、
実はその言葉が大切なわけじゃなくて、

そういう未来図を共有した感じに
なることが大事なんだよね。

なんというか、
「僕たちはあのとき、ビジョンを共有したよねえ」
という感覚が大事なんだと思う。

それはボールのないバレーボールに
近いんじゃないかなあと。

おもしろい本です。
戯曲は作品である。  

Posted by ニシダタクジ at 08:29Comments(0)言葉

2016年04月18日

夢はのりもの



「ゆめのはいたつにん」出版記念イベント
千住まちマルシェ@北千住長円寺にいってきました。
僕は、書籍販売&サイン会担当でした。


「ゆめのはいたつにん」(教来石小織 センジュ出版)
センジュ出版の記念すべき第1作目。

この本には、
とっても素敵な「手紙」が詰まっています。

この本を読んでいて、
ふと思ったつぶやき。

「夢はのりもの」
夢は見るものではなく、のりものなんだって。

スゲーって。
だから、そのことを著者に伝えようと、
「ゆめのはいたつにん」をあらためて読んでみるのだけど、
全然その場所が見つからない。

見つからないままに、
イベントを迎え、サイン会の時間がやってきた。

「あそこがいちばんよかったです。夢はのりもの、のところ」
「えっ。そんなこと書いてないですよ。あれ、西田さんのオリジナルです。」
「ええええ!!ホントですか??」

とめちゃめちゃビックリ。
ということで、過去のtwitterを見直して、
ふたたび「ゆめのはいたつにん」を読み直してみる。

すると、ありました。
122ページ
「こんな私でさえ、夢はすごいところに連れていってくれました。」

これだ、きっと。
夢が教来石さんを連れてってくれた。
きっとそれって本当だろうなあと。

夢はのりもの。

目指していくものではなく。
追い続けるものでもなく。
のりもの。

そしてそこにはおそらく、
目的地が設定されていない。

でも、来たるべきときに。
そののりものは、乗換駅に、乗換港にたどり着く。
違うのりものに乗り換えるときがくる。

そしたら、乗り換えればいいんだ。

昨年9月、今井さんがツルハシブックスを卒業したときの、あの感情だ。
http://hero.niiblo.jp/e473195.html

だから、乗ってみたらいいんだ。
恐れずに。

どこに連れていかれるのか、わからないけど、
夢は自分をいろんなところに連れていってくれる。

他者の夢を応援するっていうのは、
そののりものの乗組員を志願するということ。
決して進路を指し示すことではない。

乗換駅に、あるいは乗換港に到着する日まで、
一緒にこの列車に、この船に乗らないか?

キャリアドリフト時代の「夢」は、
目指すものでも叶えるのものでもなく、
のりものなのかもしれないな。  

Posted by ニシダタクジ at 06:14Comments(0)言葉

2016年04月14日

けれど言葉と現実は残り、だからこそ解釈と表現が実現し続ける

昨年1月にツルハシブックスに来てくれた
岸井大輔さんから「戯曲は作品である」が届いた。

クラウドファンディングしたことを思い出した。


昨年6月に京都で行われた個展の個展の書籍化。



まだ何も読んでないのだけど、
すでに添え状からビビビとくる。
いま、読むべき本だということがビシバシくる。

ここに、一部を引用する。

~~~ここから引用

面白いまちづくりの現場を調べると、出発点となった
故人にいきつくことが多いです。
考えてみれば、楽しい地域や社会は個人の
不条理な思いつきから始まる以外ない。

それらの思いは、たとえば
「結婚式ではお酒を飲まない(雲南市日登)」
「まちの名士は河童の仲間になる(久留米市田主丸)」
といった、ナゾかけのような言葉とともに残っています。

そしてナゾを解釈し、あいまいでしかない言葉が
暗示する未来から、それぞれの解釈を現実にしていく
営みに引き継がれました。

多くの営みは最初の一人を忘れていくので
名は埋もれていきます。けれど言葉と現実は残り、
だからこそ解釈と表現が実現し続ける。

戯曲は、目の前の上演のためにあります。
が、遠い未来のリアライズを夢見ていなければ、
残る形態をとる必要はない。

人生より長く大きい世界を夢見て
戯曲集は編まれます。
あなたの本棚の片隅に居場所をいただけますと
幸いです。

4.6岸井大輔

~~~ここまで引用

いやあ。
カッコイイなあ、岸井さん。

本とは何か?
に対しての、大いなる提示だなあと。

わかりやすいことだけが価値ではないのだと
ナゾを残すことが価値なのかもしれないと。

そんな本を、そしてまちづくりの現場を、
つくっていけたらいいなあと思う。  

Posted by ニシダタクジ at 05:57Comments(0)言葉

2015年12月21日

ひとりひとりに使命があるように、本屋にも使命がある。


「まちの本屋~知を編み、血を継ぎ、地を耕す」(田口幹人 ポプラ社)

今年を締めくくる素晴らしい1冊に出会いました。
「ゆっくり、いそげ」に続き、
ツルハシブックスで買うべき1冊です。

誇りある書店員に出会ってしまった。
そんな感じ。

冒頭の東日本大震災後の描写に始まり、
本屋には、使命がある。と感じさせてくれる1冊。
魂を鼓舞してくれる素晴らしい1冊。
本屋であることを誇りに思え、背筋が伸びる1冊。

最大の目玉はココ。

「まちの本屋を成功させるノウハウは、もしかしたらさまざまにあるのかもしれません。
しかし、最も大事なことは、
自分たちがどんな本屋をしたいのか、
どういう店を最終的につくりたいのか、
どんなお客さまとこれから一緒に生きていきたいかを考える、
ということに尽きると思っています。

スタッフがそれを共有できていれば、
その店に店長はいらなくなります。
それこそ伊藤清彦はいらないし、僕もいらない、ということです。」
(本文より抜粋)

どんなお客さまとこれから一緒にいきていきたいか?

この問いは非常に熱い。
顧客は誰か?

のさらにもう一歩深い問い。

「どんなお客さまとこれから一緒に生きていきたいか?」

店を営む、ということはこういうことなのだろうと思います。

~~~以下本文よりメモ。

売った本の数だけ、何かが起きるかもしれないという想像力を持って仕事ができるかどうか。

売らされているのではなく、売るのだという覚悟を決めたとき、
目の前の一冊一冊の積み重ねが違う意味を持つはずです。

オレは文化なんて売ってないから。

文化をつくっているのは、そこに来てくださるお客さまであり、地域の人たちだからです。

教育と教養ではなく、今日行く、と今日用を売る。

本屋の六次産業化、本の地産地消。まちづくりへの参画。異業種との交流


本屋にとって、まちの存在は必要不可欠です。
逆に、まちにとって本屋が必要不可欠なのだという理由を、
店づくりの根底に持ち、そこに存在し続けることが、「まちの本屋」の本質でしょう。

その土地で本屋を続けていくという覚悟を持ち、地域と向き合い、
根づいている本屋すべてを、「まちの本屋」と呼びたい。

お客さんから、毎月5000円分頼む、と言われる店になる。

~~~以上本文よりメモ。

またしても感じる、圧倒的敗北感。
読書ってそういうのがいいのかもしれないですね。

自分はなにものでもない、と知る。
それが出発点になる。

2016年のテーマは、きっとこれになるなあと。
なにものでもない、を知ることから始める。
ゼロスタート。

書店としてのツルハシブックスの使命を考える。
どんなお客さまと一緒に生きていきたいか?を考える。

そうすると。
僕にとっては20歳の大学生になるのかもしれない。

というか。
昨日、読んでいた「本を読む人だけが手にするもの」(日本実業出版社)
の藤原和博さんの言葉を借りれば、

みんな一緒の時代が終わり、ひとりひとりが
自らの幸福論を構築しなければいけない時代に突入している。

だとしたら、
いわゆる「成人式」は、みんなが一斉に成人するのではなく、
ひとりひとりが「自らの成人式」を構築しなければならない。

そしてそれは、おそらく、1日ではなく、期間だ。
「成人式期間」を経て、人は大人になるのではないか。
必要な要素はおそらく、「孤独」と「敗北」と「学び」なのではないか。

それには、
コミュニティ内の人と距離を置くこと。
逆にコミュニティ外の人に出会うこと。
そして、本を読むこと。

その「成人式期間」は、
実は何歳でも、あるいは何度でもできる。
そのきっかけとなるような本や人との出会いを提供する本屋さん。
そこに書店としてのツルハシブックスの使命があるのではないか。

そしてまさにその部分だったら、
小説があまり得意ではない、本好きではない僕が
勝負できる分野なのではないか。

大学生の多くが自信を失っているように感じる。
いや、大学生ばかりではない、20代の働く人たちもそうだ。

それにはたくさんの理由が考えられるが、
・時代の先行きとこれまでの歴史がわからないこと。
・世界観が狭いというか、視野がせまくなっているから。
・自己肯定できるコミュニティとチャレンジの機会を持っていないから。

こういうところにあるのだろう。
そしてそのもっとも大きな原因が
学校(あるいは会社)という装置が自信喪失機能を果たしているから。
であると思う。

だからこそ、本屋の出番だ。
いや、ツルハシブックスの出番だ。

「みんな一緒」の幸せを追いかけれらない現代において、
ひとりひとりが、歴史を学び、未来を見通し、
世界観を広げ、共感できるコミュニティの中で小さなチャレンジをすること。

そうして自らの幸福論を構築していく行為。
それが「成人式期間」なのではないだろうか。

2016年。
僕は、20歳のために本を選ぼうと思う。
棚をつくろうと思う。

将来が不安でたまらないけど、
それでも歴史を学び、自分を見つめ、未来を展望し、
1歩を踏み出そうとするお客さまと一緒に、生きていきたい。

「自分の感性に自信を持てる」
そんな提供価値を共に悩みながらつくっていきたい。

田口さん、ポプラ社さん、
本屋魂を鼓舞される1冊を、ありがとうございました。

僕がこの本にPOPをつけるとしたら、
「君は、まちの本屋をやらずに死んでいいのか?」
になるかなあ。

本屋であることに誇りを持てる、最高の1冊でした。
ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 07:43Comments(0)言葉