プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2014年07月31日

「サードプレイス」の構成要素

「サードプレイス」。
言わずと知れた
スターバックスコーヒーのコンセプト。

今、話題となっている「ブルーボトルコーヒー」
http://sirabee.com/2014/07/19/1165/

元・スターバックスコーヒー・ジャパンのバックスタッフで、
現・ブルーボトルコーヒージャパンの石渡康嗣さんも言っている。
「例えば、世界中で浸透しているスターバックスが提供しているものは素晴らしいものです。
彼らはサードプレイスという、最高の空間を提供した。」

そう。
スターバックスはコーヒーを売っているのではなく、
サードプレイスという空間を売っているのだ。

会社でも家でもない「第三の空間」。

それを人は必要としているし、
それは、コーヒーがある空間で、
ゆったりとしたソファがあればなお素晴らしい
ということだろう。

おそらく、世の中の多くを占める(しかも購買力のある)、会社員にとってはそうだろう。

しかし、「サードプレイス」を
必要としているのは、会社員だけだろうか?

小学生、中学生、高校生、大学生、あるいは高齢者、子育て中のママは必要としていないだろうか?

そう考えると、多くの人は、
「サードプレイス」(言い換えれば居場所)
を必要としているのだろうとイメージできる。

かつて駄菓子屋は
小学生中学生にとってのサードプレイスだった。
かつて高校の正門前にあった、コンビニのような個人商店は
高校生にとってのサードプレイスだった。

まちの角にある喫茶店は、
ミュージシャンや大学生、背伸びした高校生たちの
サードプレイスだった。

商店街にあるお店のダルマストーブの周りは、
おばあちゃんたちの井戸端会議の場だった。

きっと。
多くの人は、サードプレイスを必要としている。
人は、ひとつの顔だけでは生きられないからかもしれない。


平野啓一郎さんは、
著書「私とは何か~個人から分人へ~」で
場面場面で違う顔を演じるすべてが自分である、という。

そう思えることと、
そう演じられる場があること
ってとても大切なことなのだろうなと思う。

おそらくは、
会社で働いている自分もそこそこ好きで、
自宅でも、それなりに楽しんでいる。

そういう人には、
コーヒーを飲んでくつろいだり、
少し勉強したり、友人と話したり、
そういう意味で、「スターバックスコーヒー」は
「最高の空間」を提供しているのだろうと思う。

さて。
「サードプレイス」を必要としているのが、
もし、中学生高校生大学生だとしたら、
あるいは、仕事に悩んでいる社会人だったとしたら、
どんな場所が必要なんだろうか?

きっと。
・普段の自分とは違う顔を出せる
・将来へのヒントが見つかる
・新しい世界を拓いてくれる誰かに出会える

そんな「サードプレイス」が必要なのではないかな。

つくりましょう、みなさん。  

Posted by ニシダタクジ at 08:43Comments(0)

2014年07月30日

物語の続きを、アフリカで


エブリィの渡部さんと久しぶりに再会。

アフリカをはじめ、全世界に日本の中古車を販売している。
http://www.every-kaitori.com/
http://www.every-trade.com/

やっぱりお会いして話をすると、
中古車を売るならエブリィに
売りたいということになる。
渡部さん、魅力的だからなあ。


応接室にあるこの写真。

世界地図に
これまでに販売したことのある
国が塗りつぶされている。

そして、購入者の顔写真と
メッセージが添えてある。
「お金を振り込んでも、本当に車が来るか不安でした。
でも、ちゃんと届いた。」
なんてのもあります。

海外との中古車取引は詐欺も多く、
お金を振り込んでも届かない、なんてことも少なくないそうなのです。

エブリィは
日本車とジャパンブランドを背負って、
アフリカに車を売っています。これは、熱い。

そしてこの動画。
https://www.youtube.com/watch?v=TmAPIDXHcHk#t=15

トヨタ・イストが次のオーナーに渡るまで
が描かれています。

いいなあ。
こういうの。

僕だったら、
買った人の写真とメッセージが
フラッシュする動画を作りたいなあと思います。

タイトルは
「物語のつづきを、アフリカで」

相棒。
8年もの時を一緒に過ごした相棒。

山奥に星を見に行ったあの夜も、

照りつける太陽の下で泳いだあの夏も、

いつも、隣には、君がいた。

いままで、たくさんの物語をありがとう。

物語のつづきを、アフリカで。

「中古車買取ならエブリィへ。」

みたいな。
30秒動画を作れたら楽しいなあと。

そういうのを企画する3週間インターンシップだったら、
やりたい大学生はたくさんいるのではないだろうか。

3週間インターンシップの後、
いい企画を出して、
アルバイトに採用されるとか、
あり得るかもしれない。

そういうほうが、学生、企業双方にとって、
メリットが大きいのかもしれないなあ。  

Posted by ニシダタクジ at 05:23Comments(0)日記

2014年07月29日

構造的思考


田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」(渡辺格 講談社)

昨年話題になった本。
いいタイミングで目の前に現れてくれます。
まだ途中なのですが、
「社会を構造的に見る」ってすごく大切だなあと
思わせてくれる1冊です。

マルクスの資本論をパン屋の実例を挙げながら
分かりやすく解説していく序盤に引き込まれます。

「商品」とは?
「価格」とは?
「労働力」とは?

みたいなことに、
わかりやすく切り込んで行きます。

経済学部必読、というよりも、
これから社会に出ていく人は読んだほうがいいなあと思います。
「あそこはブラック企業だから」
などと言っているだけでは、働き方は見つかりません。

ブラック企業の「構造」を知ること。
これはすごく大切だなあと思いました。

本書よりすこし抜粋。

「商品」の条件

1 使用価値があること
2 「労働」によってつくりだされていること
3 「交換」されること

そして、
「価格」は「労働時間」の長さを基準にして、
「交換価値」としての「価格」が決まる。

「労働力」という商品の特徴

1 買い手は資本家(経営者)に限られる
2 交換価値は給料

「労働力の再生産」とは、
毎日働いて、家に帰ってご飯を食べて休むことができるということ。
これを可能にする給料が設定される。
途上国の給料が安いのは、生活費が安いから。

医者や弁護士のような職業の給料が高いのは
そのために身につける知識や技術の習得がたいへんだから
そのコストが後払いで付加されている。

「利潤」を出そうとすれば、
「労働時間」を長くするのが手っ取り早い。
世にいうブラック企業の誕生だ。

もしくは、「労働効率」を上げる、という方法がある。
「技術革新」で生産性が向上すると、労働時間を延ばすことなく、
資本家は多くの利潤を手にすることができる。

労働者側からすれば、
増えた分の利潤を分けてくれ、と言いたくなるが、
150年前から格段に技術は進歩しているが、
労働者の休みは増えず、当然、給与もそんなに上がっていない。

技術革新が進むと、
資本主義社会の「競争」によって、
価格が下がる。
(1個あたりのコストが下がっているので、値下げすることができる)

そうすると、
まわりまわって、労働者の給与も下がってしまう。
結局最後に笑うのは資本家なのだ。

そして、技術革新によって、
労働が単純化する(誰でもできる仕事が増える)

すると、
「誰でも替えがきく」仕事が増える。

昔であれば、天然酵母をじっくりと発酵させる職人芸だったパンが
イースト(工業生産された、均一化された酵母)の
登場によって、だれでもマニュアル通りにすれば、
同じパンができるようになった。

なるほど。
パンから学ぶマルクス経済学、
すごくわかりやすくて面白いなあ。

こうやって
「構造的に見る、考える」
っていうのがすごく大切なことのように思います。

「腐る経済」。
ドキドキする1冊です。  

Posted by ニシダタクジ at 08:46Comments(0)

2014年07月28日

「価値とは何か?」に向き合う

「価値観の多様化」などと言われる。
「答えのない時代」とも言われる。

何が売れるのか?
は、
何に価値があるのか?
と同じ意味になっていく。

だからこそ、早い段階で
「価値とは何か?」という問いに向き合うしかない。

これからの商売は、
「価値観」と「価値観」のコミュニケーション
の結果、モノが売れたり、サービスが交換されるだろう。

「商店街活性化」「地域活性化」「まちづくり」
という一般言語ではなくて、

「価値とは何か?」
「何に価値があるのか?」

に向き合っていくこと。

「地域活性化とは、〇〇である。」
と表現して、それによってコミュニケーションしていくこと。

ビジネスそのものがコミュニケーション・ツール
となっていくとしたら、
ビジネスはどんどんアートに近づいていく。

「アート」とは価値観を表現し、コミュニケーションすることだ。

ビジネスを、アートを生きよう。  

Posted by ニシダタクジ at 06:03Comments(0)学び

2014年07月27日

「時給」発想から脱却する

サービス業化された
日本社会では、最初にやる仕事は、
アルバイトであることが多い。
高校生か大学生か、そのあたりで
アルバイトを経験する。

そこで問題になってくるのは「時給」だ。

「時給が高い」「700円だと安すぎる」
などの会話が飛び交う。
僕はその「時給」発想から始まってしまうのは
怖いことだと思う。

仕事とは、
「時間を過ごすこと」ではなく、
「価値を生み出すこと」だからだ。

ただ、座っているだけで、
あるいはお客さんを右から左へ流しているだけで
価値が生まれるわけではない。

お客さんに喜んでもらい、
なんらかの価値を生み出して、
はじめて、そこに対価が生まれるのだ。

その実感をするには、
自営業体験をするしかない。

野山塾のおにぎり屋さん。



野山塾恒例の焼き肉パーティーを
やるための資金稼ぎとして
おにぎり屋さんを自分たちで企画しました。

朝9時から準備、15時まで3人でやって、
4500円ほどの利益が出ました。
3人で割れば、時給300円ほどの換算になってしまうのですが、
楽しそうにやっていました。

「時給」ではなく、自ら価値を生み出すということ。
そんな経験が大切になってくると僕は思います。

ちゃんと学びを振り返って、
次につなげたいと思います。


終了後は夜店祭りに参加して
ちょっとした打ち上げな感じになりました。

またやりましょう。

☆野山塾では、塾生を募集しています。
対象は中学生・高校生です。
月額8,000円です。

毎週月曜日・木曜日16:00~21:00で
基本自習+質問タイムを行っています。
希望者には簡単な講義も行います。
現在は高校3年生向けに英文読解講座もやっています。

そのほか、屋台体験などを企画し、
さまざまなチカラを育んでいきます。

興味のある方はツルハシブックス西田まで。  

Posted by ニシダタクジ at 06:44Comments(1)日記

2014年07月26日

本のある空間

僕は本好きではないけれど、
本のある空間が好きだ。

ガンジーが言ってた言葉
「私の人生そのものが私からのメッセージだ。」

そういうのがきっと本からは出ている。
本のある空間には、
だからチカラがあるんじゃないか、と思う。

届けるメッセージと受け取るメッセージ。
そんなものが本屋にはあるんじゃないか。

きっと地下古本コーナー「HAKKUTSU~発掘」は
それを見える化したから、
支持されているのかもしれない。

しかし。
もっと感性をとがらせて、
目の前の本や本のある空間と対峙し、
本からのメッセージを受け取る場所。

本屋とは、そういう場所なのかもしれませんね。  

Posted by ニシダタクジ at 06:37Comments(0)

2014年07月25日

人間はプロである前に人間である


「アマチュア論」(勢古浩爾 ミシマ社)

「プロとは何か?」と問い直した1冊。
こういうの好きです。
さすがミシマ社。

まずこの本に引用されている
波頭亮氏のプロフェッショナル原論(ちくま新書)
から。

~~~
今の日本では、
金で買えないモノがないのではなくて、
金で買えないモノに対して、人々が興味をなくしてしまっているのである。

高潔な人格や深い教養、
慈しみの気持ちや清廉な人生
といった金では買えないモノが意識から欠落してしまっているために、
金で買えないモノがないように思ってしまうのである。

金では買えないモノが思いつかないような
意識の人々で構成される社会においては、
その社会の仕組みやルールは、
経済合理性のみを軸にして組み立てられることになる。

そして経済的な軸だけで組み上げられた社会の中で、
政府も企業も、大人も子供も、経営者もサラリーマンも、
教師も住職も、そしてプロフェッショナルも、
単なる経済的行為としての仕事と日常生活を営むのである。

~~~

なんと衝撃的な一節だろう。
そうだったのか。
感性が敗北してるってこういうことか、という印象。

筆者は、
「アマチュア精神にプロは宿る」
と続ける。

1 人間はプロである前に人間である

プロであるか否かにかかわらず、
人間であるからには、倫理観や責任感や誠実さは
当然持つべきである。

2 アマチュアは「自分」自身を価値の頂点に置かない。

プロは結果がすべて、であるが、
アマチュアは動機もプロセスも振る舞いもすべて大切である。

3 全生活時間におけるプロなど存在しない

誰もがみな、人間としてはアマチュアである。

4 職業においても大半の者は「アマチュア」である

プロではなく、良きアマチュアであることが大切である。
自分がプロだと思い込んでいる人のほうがタチが悪い。

と続いていく。

なるほど。
プロ礼賛の時代に、このアマチュア論はなかなか楽しく視野を広げてくれます。  

Posted by ニシダタクジ at 07:45Comments(0)

2014年07月24日

文明開化より文化深化

リトルプレス+ギャラリー+カフェの
松本の素敵空間「栞日」さんで購入した
「NORAH」


国連大学前のファーマーズマーケットから始まったリトルプレス(小出版)は4号目。

いきなり冒頭の
文化と文明はどう違うのだろうか?
にヒットして購入。

文明とは、都市型で、
たくさんの市民が近代的に暮らしていくことを
成り立たせるためのもの。

文化とは
「耕す:cultivate」から発生した概念。
土をていねいに耕作することから、
物事を掘り下げて、そこからの叡智を汲み上げ、
収穫するということ。

今必要なことは文明開化よりも文化深化。
いろいろな植物を育てるためには、
よい土を作ること。

なるほど。

文明開化から文化深化へ。
その途上に僕たちはいるのです。  

Posted by ニシダタクジ at 07:23Comments(0)学び

2014年07月23日

コミュニケーションする本棚



信州大学の有路先生らが
やっている「となりの、」プロジェクトに
ライブラリー「BOOK MUSEUM」ができた(まだ未完成)
ということで、ゲストに呼んでいただきました。




あらためて。
マイクロライブラリーとはなんだろうか?
と考える機会になりました。

となりの、BOOK MUSEUMは、
もともとは各人が自分のヒストリーを本で表現する、
というようなコンセプトで立ち上がりました。

そして昨日、
主催者のひとりである湯本さんが
そこに置く本のセレクトの動機づけは
「誰かと共感したい」だったそうです。

この「共感したい」
に僕はすべてが凝縮されているなあと思いました。

つまり、「コミュニケーションする本棚」ということです。

昨年8月のマイクロライブラリーサミット@大阪で
20代の3人のプレゼンから感じたことは、
「人と人をつなげるのに、ライブラリー(本棚)は最適だ」
ということでした。

そういえば、昨日の昼間にいった
塩尻図書館でも、


高校生のための部活別おススメ本


年配の方向けの朗読CDのついた本のとなりにある孫と行ける近隣の観光案内


ここ1か月に入荷した本の背表紙

などなどのコミュニケーションの工夫がありました。

「コミュニケーション」は効率化に反する行為です。

「目的を最高速で合理的に達成する」ためには、
コミュニケーションは少ないほうがいいです。
コンビニのレジでかけられる言葉は、
合計金額とお弁当を温めるかどうかだけです。

ライブラリーに話を戻すと、
特に若者が仕掛ける「マイクロライブラリー」は
コミュニケーションのためのライブラリーです。

そこには
「共感したい」という根源的欲求があります。
そして「共感の瞬間」に何とも言えない喜びを感じるのです。

これまでの世の中が
コミュニケーションを排除してきたのは、
もちろん「効率化」のためでしたが、

しかしそこには、おそらく、その代わりに、
日本全体に流れる「共感」があったのではないか、
と僕は思うのです。

欧米に追い付け、追い越せ。
世界第2位のGNP。
先進国の仲間入り。

いいか悪いか別にして、
みたいな価値観になんとなくの「共感」が
あったように思うのです。

しかし。
そこへの共感はもはやありません。

個人と個人が、あるいは自治体が、コーディネーターが、
「共感の舞台」を作りながら、参加しながら、
少しずつ共感を紡いでいくしかありません。

マイクロライブラリーとは、
そういう場所なんじゃないか、と思いました。
本自体、そもそも、コミュニケーション・ツール(伝達手段)です。

これからは、小さなライブラリーや本屋や図書館そのものが
「コミュニケーション・ツール」になっていくのではないでしょうか。

素敵な発見をもらいました。
となりの、のみなさん、
主催してくれた湯本さん、田内さん、ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 06:39Comments(0)

2014年07月22日

共感は主張以上に人と人を繋げていくものだから。


ウォーキング・ウィズ・クラフト(NPO法人松本クラフト推進協会)

上田のことば屋さんで
おススメの1冊を買いました。

「クラフトフェアまつもと」
今では日本を代表するクラフト(手作り)
のイベントになったものを書籍化。

心に響く言葉がたくさん載ってます。

文化っていうのは、
こうやって創られてきたのだなあと。
これからはこうやって創られていくのだなあと。

そんな風に思える1冊でした。

僕の心をクリーンヒットしたのは、
木工デザイナーの三谷龍二さんの言葉。

高校生のころに現代美術に出会った
三谷さんは福井から大阪に引っ越してから、
劇団にかかわるようになった。

当時の演劇は
お客さんが安楽に椅子に座っていることを許さないような
強い表現が多かったのだという。

その後、田舎暮らしをしながら、
かつ勤めないで生きていくという方向性の中で、
必然的に物をつくるしかないということにたどり着いたのだという。

~~~ここから引用

そもそもクラフトというのは、工業化の中で生まれてきた概念で、
機械と人間がどうつながっていくか、
あるいは自然と人間がどうつながっていくか、
その幸福なつながり方とはどういうものかを考えるところから始まっているから。
自転車はモーターは積んではいないけど、人に近い機械であるから、
とてもいいクラフトのかたちに思えたんだよ。

(中略)

どうしてもこの世界というのは、
手仕事の方に重点がいってしまいがちなんだよね。
ただ、僕としては手で作ることを神格化してしまうのは、
どうしても狭くしてしまうと思う。

僕は生活と道具が近くなればっていうのがあるから、
工芸もやるし、デザインもやる。
そういう別分野の共通項を考えないと狭くなっちゃう
感じがするよね。

(中略)

手仕事は、工房でひとりでやるかたちだけではなくて、
たとえば3人から5人くらいの規模で行う中量生産という
方式もあり得る。
ものづくりのスタイルも多様なのだから、
そのことも視野に入れて、クラフトフェアもシフトチェンジしていくべきなんじゃないかな。

(中略)

クラフトフェアは最初の頃は本当にのんびりやっていて、
羊を連れてくる人がいたりして、会場で毛刈りしていた。
餅つきをやったりもしたな。
今はそういう遊びの要素が少なくなってしまって、
売ることばかり考えている人が多いようにも見えるよね。

実際作家にとっては物が売れるだろうから、
それは仕方ないことなんだけど。
でも遊ぶことももっと考えてほしい。

(中略)

クラフトフェアというのは、
共感が広がっていくような在り方の先駆けではあるんだよね。

(中略)

何もない器のような場所を提供して、
あとは来た人に作ってもらうというかたち。
旗を振らずに、中心を作らずに、
それでも場ができて、人が集まって、ひとつの力になる。
この中心にカリスマは必要ないと思う。

共感というものは主張以上に人と人を繋いでいくものだから。

(中略)

クラフトフェアの存在は大切なんだよ。
町にあれだけ物を作る人たちが現われて、
その人たちは自由そうに面白く生きている。
その姿を見せることはすごく意義があることだと思う。
一度見てみると、ああいう世界があるという選択肢が増えるじゃない。
裾野を広げるというのはそういう意味で大切なんだよ。

~~~ここまで引用

これは、素敵だなあ。
この三谷さんのところだけで、
この本を買ってよかったと思えました。

手仕事か、工業製品か
0か100か
ではなくて、
その間をコミュニケーションすること。
もっと遊ぶこと。

そして共感で人と人をつないでいくこと。
そういうのを人は「文化」と呼ぶのかもしれない。

「場をつくる」という意味において、
とても示唆に富んだコトバをいただきました。

ありがとうございます。  

Posted by ニシダタクジ at 06:53Comments(0)言葉

2014年07月21日

屋台のある図書館



HABの松井さんとの初コラボ。
塩尻図書館の「本の寺子屋」に出演してきました。
図書館の入っている「えんぱーく」という建物は
いわゆる行政機能の複合施設なのですが、
図書館スペース以外の2F、3Fのフロアは「飲食自由」

ということで、
市民のみなさんが思い思いに勉強したり、
お話したりしています。

いま勉強しているのは大学生たち。
聞けば、茅野から30分かけて塩尻のこの図書館に来ているのだという。
そこに交じって、高校生が話をしている。

彼女たちはもう夏休みを待つばかりで、
今日は「友達と話にきた」のだという。
テーブルには食べかけのお菓子が広がっていた。

「ここは、図書館ですか?」と思わず聞いてしまった。
返答は、「話をしに来るところ。」だと言っていた。
中学の頃からここで話をしているのだという。

ああ。
これがいわゆる居場所なんだな、って思った。

そして、この場所を居場所として認識している
高校生や大学生が多数いるということは、
ものすごい可能性を感じさせた。

えんぱーくの2階の一角には、
市民交流センターなるものがあり、
市内のNPOの貸会議室やロッカーがある。

そして、昨日は漆塗りのワークショップも
オープンスペースで開催されていた。
こんなにも「偶然」が起こる可能性にあふれている場所があるだろうか?
とめちゃめちゃワクワクした。

~~~ここからフィクション

あの日。
たまたま友達と2人でえんぱーくに行った。

そしたら、
「今から漆塗りの体験やるけど、やっていかない?」
と誘われた。
やることもなかったので、やってみることにした。

あれから東京の大学に進学したが、
おととし、就職で帰ってきた。
いま。
私は漆塗りの魅力を伝える仕事をしている。

~~~ここまでフィクション

あの日。
あのとき。
図書館に行かなかったら。

そんな偶然が起こる図書館があるなんて、
とても素敵なことだなあと思った。

僕の提案は「屋台のある図書館」だ。
地元の農家さんから仕入れた野菜を売ったり、
誰かが作っているお菓子を売ったり、
自分たちで何か商売を考えて実践する場だ。

それを大人たちがやってもいいし、
もし可能なら地元の中学生高校生が
屋台を出すこともできる。

いや、そもそも屋台を手作りするところから
始めてもいいのかもしれない。
夏休みのアクティビティとしては
かなり面白い。

地元のトマト農家からトマトを仕入れて、
手しぼりトマトジューススタンドが
ぷらっと立ち寄った図書館でやっていたら
こんなにワクワクすることはないなあと。

なんだか、講演しに行ったのか、
自分がワクワクしに行ったのか、
分からない素敵な舞台でした。

塩尻図書館の矢澤さん、北澤さん、
誘ってくれたHABの松井さん、
本当にありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 07:58Comments(0)アイデア

2014年07月20日

好きなまちで仕事をつくる



サンクチュアリ出版で一緒に営業をしていた、
北原くんに会いに行ってきました。
塩尻18:58発 飯田21:46着

飯田線の旅は超ローカルで、
女子高校生が電車の中で3人で踊っていました。
自由です。

念願の飯田へ!

JR東海です!
長野県広いぞ。

先週の丸の内で朝活で知り合った
土屋さんがまさかの飯田の出身で、
ちょうどこの週末に実家にいるということで、
なんと、お母さんに送っていただきました。超感謝。


北原と再会。
飯田でラーメン、から揚げ、ダイニングバーを経営する社長。
かっこいい。


店内にあるサンクチュアリ出版コーナー。


そして、ついに、飯田に帰ってきた北原の魂のこもった
とろ豚骨の「定番」です。
クリーミーなとんこつが美味い。

「29歳で飯田に帰る」とずっと言っていて、
サンクチュアリ出版でもめちゃめちゃ絶頂期に
スパッと辞めて、飯田に帰った。

その一番の理由は「暮らし方」だという。
東京でずっと満員電車に揺られて仕事していくイメージがわかなかったのだという。

「地元帰っても仕事ないから」
と言い訳してていいのか?
とすごく思った夏の夜でした。

そして、めちゃめちゃ刺激をもらった1杯のラーメンでした。
北原、ありがとう。

飯田を愛する北原の会社「岳」のページ。
http://gaku-iida.jp/  

Posted by ニシダタクジ at 23:38Comments(0)日記

2014年07月19日

「やってみる」「試してみる」の価値を高めること

「やってみなはれ。やらなわからしまへんで」
サントリー創業者の鳥井信治郎が残した名言である。

朝4時、中原農園。
トウモロコシもぎ。
毎日やっているのは
教育学部の2年生。

朝4時~7時
ほぼ毎日、3時に起きて、
寝ぼけながらも、たどり着いて
ひたすらトウモロコシをもぐ。



昨日はそんな2人が
焼きトウモロコシをやってくれました。
教育学部が農家バイトっていいなあって。

「やってみる」「試してみる」
って大切だよなあって改めて思いました。

焼きトウモロコシ、おいしかったです。
  

Posted by ニシダタクジ at 16:31Comments(0)日記

2014年07月18日

なりたい職業よりもワークスタイル

16日(水)に開催した
「これからの働き方の話をしよう」@働き方研究所(新潟中央自動車学校2F)
の雰囲気がよかった。

やはり答えのない問いを語るというのは
すごく大切なことだと思った。

そして、大学生のうちにこそ、
「働き方」=ワークスタイル、ライフスタイル
について考えることがとても大切だということを
あらためて感じた。

「なりたい職業、職種よりもワークスタイル。」

ワークスタイル、ライフスタイルが前提にあって、
それを実現する「職業」「職種」があるのだろう。

そんな問いに対して、
時間をとって考えていくような
「働き方ゼミ」を構想中です。

月に1回ずつ
働き方研究所の夜活と
ツルハシブックスの土曜朝活で
やっていくイメージです。

キーワードや関連する本などを
題材にして、発表者がいて、
それを参加者で語り合うゼミ形式の企画です。

僕がこれまで関心があったテーマや
大学生たちがいま関心のあるキーワードについて
話ができればと思います。

自動車学校ならではの大学の壁を超えた
場ができるといいなあと思います。

話したいキーワード(順不同)
「キャリアデザインとキャリアドリフト」(クランボルツ博士の「計画された偶発性理論」)
「パラレルキャリアとナリワイをつくる」
「第四の消費」(三浦展氏の同名の書籍を題材に)
「承認欲求について」(「認められたいの正体」(山竹伸二)を題材に)
「孤独と不安のレッスン」(鴻上尚史氏の同名の書籍を題材に)
「ビジネスとコミュニケーション」(小阪裕司氏の書籍を題材に)
「偶然を売る本屋」(偶然はどうやって生まれるか?)
「世界は複層になっている」(坂口恭平「独立国家のつくり方」より)
「アドラー心理学入門」(「嫌われる勇気」を題材に)
「イノベーションの起こし方」(新人が場に与える影響)

などなど。
きっといっぱいまだまだ出てきますね。
こういう感じで月2回、始めてみようと思います。  

Posted by ニシダタクジ at 06:32Comments(0)日記

2014年07月17日

感性で就職を考える

自分が何をやりたいのか、
どんなところに就職したいのか、わからない。

その解決策は、
「やりたいことがわかる」
「志望する企業がわかる」
だろうか。

そうだとしたら、
そこへのアプローチはどんな方法があるのだろうか?

・給料
・休日
・勤務体制
・上司との関係
などの条件を合わせていくことだろうか。

たしかにこれらの条件を合わせていけば、
絞り込んでいくことはできる。

しかしながら、
入ってみてから人間関係で苦労する。
これはどこの会社でも同じだ。

昨日は新潟中央自動車学校の
働き方研究所で「これからの働き方の話をしよう」を開催。
もやもやしながら終わってしまったけど
ああいう機会は非常に重要だと感じた。

もともと「働き方」自体が答えのない問いである上に、
「ナリワイをつくる」や「ワークデザイン」
「シゴトとヒトの間を考える」などの本を読むと、


働き方が多様化していることが実感できる。
いや、「会社員になる」ことさえも、
本当にそうなのか?
と問われている時代だ。

自分の感性を磨き、その感性を頼りに就職する。
究極、それしか答えはないのだと思う。
失敗など存在しない。
そこに経験があるだけだ。

イチローもエジソンも言っているが、
うまくいかない方法を発見しただけだ。

キャリアドリフトをしながら
だんだんと見えてきた何かに対して
キャリアデザインをしてみる。
そういうサイクルのほうが今の時代にピッタリくるように思う。

感性で就職を考える。

そんなアドバイスがあってもいい。  

Posted by ニシダタクジ at 05:46Comments(0)学び

2014年07月16日

「自信をつける」のではなく

社会に出る前に必要なことは、
「自信をつける」「自己効力感を高める」
ではなくて、

1 「成長思考」を取り戻す。
2 他者評価依存から脱却する。

この2つが大切なのだと思う。
しかもそれは、
1日のセミナーでズバッと変わってしまうものではなく、
徐々に、徐々に、リハビリのように、
だんだんと取り戻して行くものなのだろう。

「やればできる」と生まれた時には思っていた。
子どものころまではなんでもできると思っていた。
高校生までは「世界は変えられる」と本気で思っていた。

いつのまにか。
人は獲得する。
「自分の才能には限界があり、できないことがある。」
そして
「与えられた才能の範囲内で生きていくしかない」
ということを。

そして、まさにそのタイミングで
キャリア・デザイン思考を学ぶ。
「限られた才能の範囲内で、あなたにも天職がある」
という無茶苦茶な理論だ。

しかもその授業さえ、
「他者評価」の対象となっていて、

自分がキャリアデザインした目標に対して、
いま何をやっているか?
を評価されることになる。

「才能思考」かつ「他者評価依存」
をしたままで「自信を持つ」ことは危険だ。

自分自身には限界があると感じつつ自信をつけるのだ。
しかもそれは他者評価が存在し続けなければならない。

その自信がポキッと折れてしまったとき、
リカバリー不能だ。
いままで何人もそんな若者を目前にしてきた。

「何歳になっても、やればやるほど自分は成長できる。
失敗すればするほど、挑戦すればするほど、自分の可能性は開花するばかりだ」
という成長思考と

「他者評価」も確かに大切だけど、
それが100%ではないということ。
自分自身の評価は自分で決めるということ。

この2つの前提があって、初めて
「自信をつける」ことが機能するのではないかと思う。

「自信をつける」前に
「成長思考」と「自己評価」を身につけること。

そのはじめの一歩を大学生のうちに
踏み出しておかなければならないと僕は考える。  

Posted by ニシダタクジ at 09:00Comments(0)学び

2014年07月15日

働くとは、個人と社会のコミュニケーション

「働き方」というのは、
いまの時代の若者をとらえるキーワードのようだ。

それは、単に
「勤めるか」「フリーランスか」「起業か」
みたいな話ではないだろう。

働くとは、
社会や他人とどうコミュニケーションしていくか?
というような考え方になるとすっきりくるような気がする。

そして、
「働き方」に悩むということは、
個人と社会の
コミュニケーション不全が起きているということになるのかもしれない。

社会の転換期であると言われる。
人口が減少し、モノが売れなくなってきている。

「なにか欲しいものある?」
と聞かれても、「別に」と
すでに欲しいものはすべて持っているような感覚がある。
そこに需要を喚起するのはすごくたいへんなことだと思う。

そんな時代に、
企業が欲しい人材は、
「新しく仕事が作れる人」

そのためには、
「コミュニケーション力」と「自分で考えて行動する力」
が必要になってくる。

お客さんと対話し、
あるいは一緒に仕事をつくる同僚やパートナー企業と対話できる人が
必要になってくる。

しかしながら、
世の中の教育システム、地域システムは
そのような人を養成するように設計されてはいない。

「いかに最小限の努力で最大の効率を上げていくか?」
を基本ベースに設計されている。

人口が増加していく時代、
会社が長期に渡って伸びていく時代に、
そのような人材が必要だった。
大切なのは「素直さ」と「やり続ける力」であった。

「効率化」「合理性」こそが価値であった。

いま。
「コミュニケーション力」とか「自分で考えて行動する力」
などは、ある意味では、
「効率性」「合理性」と相反していることである。

言われたことに対して、
いちいち「何のためにやるのか?」とか
「もっとこうしたほうがいいんだじゃないか?」と考えていたら、
いつまでたっても製品が完成しない。

もうすでに商品を待っている人が山のようにいるのだから、
屁理屈こいてないで、最高速でもっともたくさんそれを作るほうが正しい。

「コミュニケーション」は「効率化」の敵である。
コンビニで並んでいるときに、
自分の前のお客がバイトの兄ちゃんの大学の同級生かなんかで
話が弾んでいたら、イラッとするでしょう。あれです。

「効率化」が絶対の正義だった時代に、
コミュニケーション機会は劇的に減った。

そんな地域システムを作っておいて
いまさら「就職にはコミュニケーション力が必要です。」
とは、あまりにも厳しい。

もちろん、
「唯一生き残るのは変化できるものである」
というダーウィンの名言を引用するまでもなく、
社会に合わせて、変化し続けなければならないのではあるが、
そのようなマクロ視点をまず持つことを出発点にしてはどうだろうか。

「働くとは、個人と社会のコミュニケーションである。」
と僕は思う。

「働き方」とは、そのコミュニケーションの方法を考えるということだ。
それはきっと終わりのない旅だ。

あなたはどうやって社会とコミュニケーションしますか?  

Posted by ニシダタクジ at 08:09Comments(0)日記

2014年07月14日

東京初開催!ガチャ本読書会

東京駅そばKITTE内の素敵な本屋
マルノウチリーディングスタイルでの
ガチャ本読書会が開催されました。

ツルハシ号に積み込まれる
ガチャ+HAKKUTSUのガチャ本。
中学生高校生に読ませたい本をテーマに
持ち寄っていただきました。


持ってきた本をプレゼンして、
なぜ中高生にオススメかを語り、


プレゼンしたことを手紙に書いて、


最後に集合写真を撮ります。

あっという間の2時間でした。

みなさんも
お近くで、ガチャ本読書会をやって、
ツルハシ号で中高生に届けませんか?

昨日、参加してくれた宮村さんが言っていたけど、
昨日は全員が初対面で、
緊張感があったのだけど、
中学生高校生への思いを語るうちに
なんだかホッとしたのと共感したので、だんだんと空気が変わっていきました。

そんな空気の変化、僕も感じました。
あらためて人をつなぐ本のチカラを感じました。

皆様、ありがとうございます。

全国からHAKKUTSU、そしてガチャ本への
寄贈をお待ちしています。

メッセージを添えて、
〒950-2112 新潟市西区内野町431番地2
ツルハシブックスまで送付ください。  

Posted by ニシダタクジ at 04:23Comments(0)イベント

2014年07月13日

自己肯定感と商店街

大学生の自己肯定感が低いと言われる。

自己肯定感の低さは、
「自信がないから行動できない」
という行動力の低下を引き起こし、

学生時代に「何かやった」という経験が得られないために、
就職活動でもアピールすることがなく、苦労することになる。

では、自己肯定感をどのように引き上げていくことが
できるのだろうか。

よく言われるのが「成功体験」の少なさ
だから、「成功体験」を積ませることだ、と言われる。

しかし、
そもそも、自己肯定感の低い学生は
挑戦がなかなか起こらないのだから、
「成功体験」を積ませることは非常に難しい。

では、元に戻って、
そもそも自己肯定感の低さは何に起因しているのだろうか。

「成功体験の少なさ」は
もちろんそうなのだろうが、それ以前に、
「承認欲求が満たされていない。」
というところにあるのだと思う。

家庭環境や地域環境、
さらには学校での学習環境上、
「ありのままの自分を受け入れてもらう」ということが難しく、
また、勉強があまり得意でない場合、
現在の中学校高等学校では、「承認」を得る機会は非常に少ない。

友人関係も、特に女子の場合、
「世間」のチカラが強く、
集団の中での役割を果たすことで
ようやく承認を得ることができる。

しかしそれは「集団的承認」であり、
ベースとなるような「親和的承認」(ありのままのじぶんを受け入れてもらう)
というものではない。

だからこそ。
商店街の出番だ。

高齢者ばかりの商店街だから、
若者が寄るようなお店をつくって、若者も来るようなまちを。
というのがよく行われることだが、
それって、パルコやイオンの魅力を上回る価値を継続して作れるのだろうか?

そうではなくて、「高齢者ばかりが歩いている」。
キャリア形成上の商店街の魅力は、実はまさにそこにあるのではないか。

つまり。
昨年、フレッシュ本町商店街での3週間のインターンシップの運営中、
近所のお店の方々からたくさんの差し入れを頂いた。
そして報告会ではみな口々に、
「大学生が歩いているだけで活気が出た」と言ってくれた。

つまり、商店街の方々は、ニコニコしながら活動を見守っていることになる。

僕はここに「親和的承認」の体感が可能なのではないか、と思う。
「自分は若いだけで価値があるのだ。」と思える。
それは言葉で言ってもらうわけではないのだけど、
商店街で活動しているうちに徐々に体得されていく。

そして、次に行動意欲。
日々、声をかけてもらったり、差し入れをもらったり、関係性が徐々にできていく。
そして、店主のお人柄に共感し、好きになり、応援したくなる。

すると、行動が起こる。
「自己肯定感」を高めるために、ではなく、
自らの中から出てきた「貢献欲求」を満たすために、
行動するようになる。

「承認」⇒「共感」⇒「貢献欲求」⇒「行動」

というようなプロセスを経て、行動が起こるのではないか、
ということだ。
行動が起これば、あとは成功体験を積み重ねるだけだ。

これは「キャリアドリフト」的な行動動機づけと呼べるのかもしれない。
キャリアデザイン的な行動動機づけは、
「目標・夢」⇒「長期計画」⇒「短期計画」⇒「行動」
というパターンになっているかと思う。

しかし、残念ながら、この場合、
「目標・夢」が強いものではないと、
行動の動機づけも弱くなってしまう。

商店街のあたたかいオヤジたちに出会い、世の中の広さを知り、
なんか、いい人たちだから役に立てることないかな、と思い、
何か行動したくなる。

そんな動機づけから始まる行動が、
自己肯定感を向上させ、
自らのキャリアの出発点になっていくのではないか、と思う。



「うちのまち なじみのお店 ものがたり」はきっと、そういう企画だし、
「たまたま、本屋に行ったら誘われた」
というような入り方が、とても面白いなとあらためて感じた。  

Posted by ニシダタクジ at 05:16Comments(0)就職

2014年07月12日

本屋のススメ

「本」は絶好のコミュニケーション・ツールだ。

僕はそれを
昨年8月のマイクロライブラリーサミット@大阪府立大で
確信した。

あそこに登壇していた20代の3人のプレゼンが
そろいもそろって、
「本は人と人をつなぐツールだ」
と言い切っていたからだ。

だから、マイクロライブラリーやブックカフェや小さな本屋
の出番だ。

ブックカフェの魅力は、
店主のセレクトする本に共感できること。
マイクロライブラリーの館主(?)や
小さな本屋の店主も同じだ。

そう。
人は、共感したいし、してもらいたい生き物なのだと思う。
僕はいわゆる本好きではなくて、
どちらかと言えば本屋好きなのかもしれない。

子どものころの読書経験があまりないために、
小説の世界に入り込んでいけない。

僕が本屋さんをやったのは、
ヴィレッジヴァンガードの店長の
「郡山にカフェをつくろうと思ってるんです」
の一言が大きかったと思う。

本屋の棚に思いを込めることで、
まちを創っていくことができる。

なんというのかな、
そこに、「美しきメディアの予感」
みたいなのを感じたのだ。

POPを書いて、
「これオススメです!」とするのではなくて、
棚全体から伝わってくるメッセージで
思わず買ってしまうような本屋さんをやりたいなと思った。

一方で、
NPOの出発点でもある、
若者と地域の大人をつなぐ接点としての「場」を
つくりたいという思いがあった。

そして、
「商店街」という場は、
若者のキャリア形成支援の現場として、
非常に魅力的に思えた。

世の中は、経済合理性一色だ。
高度経済成長からのこの50年は、
いや、もしかしたら産業革命以降の200年は、それでもよかった。

しかし。
もはや合理性でモノは売れなくなった。
「薄利多売」モデルは、人口増(消費者増)を
前提として成り立っていたからだ。

いま、それができるとすれば、
それは、他社の売り上げを奪い取ることができる
本屋で言えばアマゾンのような巨大企業だけだ。

これからの会社は、
「合理性ではない何か?」を求められる。
お客さんがそれを欲しているからだ。

その何かとは何か?
これを世の商売人たちは問われているのだと思う。

合理性を追求し過ぎた結果がそうなっているとしたら、
合理性の逆を行くことなのかもしれない。
合理的ではないところの豊かさを求めていくことなのかもしれない。

そういった意味で、
「商店街」という場は魅力的だ。

理由のある少し高めの値段がつけられていて、
合理的ではないコミュニケーションがあふれている。
商店街のある暮らしとない暮らしでは、
生活の豊かさ(QOL)が全然違うように思う。

そんな現場で、
学生たちは感性を磨く。

クランボルツ博士の言う「キャリアドリフト」
に一番大切なのは、「感性」だ。
お客さんの姿や発言から何かを感じ取り、
自分で考えて、行動するときの根拠となる「勘」だ。
これからの企業は間違いなくそんな人材を求めている。

だからこそ「本屋のススメ」だ。

1 本によって人と人がつながりやすい。
2 非合理的な空間を形成しやすい。
3 商店街の人たちとコラボレーションしやすい。  

Posted by ニシダタクジ at 09:55Comments(0)