2014年07月25日
人間はプロである前に人間である

「アマチュア論」(勢古浩爾 ミシマ社)
「プロとは何か?」と問い直した1冊。
こういうの好きです。
さすがミシマ社。
まずこの本に引用されている
波頭亮氏のプロフェッショナル原論(ちくま新書)
から。
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今の日本では、
金で買えないモノがないのではなくて、
金で買えないモノに対して、人々が興味をなくしてしまっているのである。
高潔な人格や深い教養、
慈しみの気持ちや清廉な人生
といった金では買えないモノが意識から欠落してしまっているために、
金で買えないモノがないように思ってしまうのである。
金では買えないモノが思いつかないような
意識の人々で構成される社会においては、
その社会の仕組みやルールは、
経済合理性のみを軸にして組み立てられることになる。
そして経済的な軸だけで組み上げられた社会の中で、
政府も企業も、大人も子供も、経営者もサラリーマンも、
教師も住職も、そしてプロフェッショナルも、
単なる経済的行為としての仕事と日常生活を営むのである。
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なんと衝撃的な一節だろう。
そうだったのか。
感性が敗北してるってこういうことか、という印象。
筆者は、
「アマチュア精神にプロは宿る」
と続ける。
1 人間はプロである前に人間である
プロであるか否かにかかわらず、
人間であるからには、倫理観や責任感や誠実さは
当然持つべきである。
2 アマチュアは「自分」自身を価値の頂点に置かない。
プロは結果がすべて、であるが、
アマチュアは動機もプロセスも振る舞いもすべて大切である。
3 全生活時間におけるプロなど存在しない
誰もがみな、人間としてはアマチュアである。
4 職業においても大半の者は「アマチュア」である
プロではなく、良きアマチュアであることが大切である。
自分がプロだと思い込んでいる人のほうがタチが悪い。
と続いていく。
なるほど。
プロ礼賛の時代に、このアマチュア論はなかなか楽しく視野を広げてくれます。
Posted by ニシダタクジ at 07:45│Comments(0)
│本
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