2024年07月27日
「違和感」の置き場所
社会教育主事講習メモ
生涯学習支援論 第2回
~~~以下講義メモ
well-being:選択肢があること、自己決定すること
自己決定・選択・修正できる余白があること
自分「が」「で」を手放す
脱・「自前主義」「正解主義」「予定調和」
先生だけで正解を達成するための予定調和な授業、を手放す
「指導の個別化」「個に応じた指導」:先生側から見た教育
「学習の個性化」「個別最適な学び」:生徒側から見た学習
成功体験を手放す=「アン・ラーニング」することが大切
世界観をアップデートするためにアンラーンする
右肩上がりの世界観:組織は効率化・分業化・トップダウン⇒個人は正解・正確性・知識・経験
右肩下がりの世界観:組織は協働・共創・ボトムアップ⇒個人は手放す・試行/振り返り・越境・ひらく・まぜる
変化の激しい社会において
今までの方法論(個人のやり方/当たり前)と今までの組織(機能分化/閉鎖性)
の間に「アジャイル(施行する)」「リフレクション(内省する)」「ネットワーキング(ひらく/まぜる/越境する」をつくり
アンラーン(手放す)し、自身と組織を変化させていく
捨てられないのは「過去への執着」か「未来への不安」
アンラーン:学びの否定ではなく、これまでに学んだ知識や身につけた技術を振り返り、さらなる学びや成長につながる形に整理し直すプロセス。
これまで身につけた思考のクセを取り除くこと(思考のクセ:環境に適応してパターン化した思考)
アンラーンがほんとうに必要なのは、何かの学びを得ていて、それなりに成功体験を持っている人です。
結果が出ない⇒能力の問題ではなく、前の世界の学習を引きずり過ぎていたことが原因だった
学習し続けるという発想でいると、どうしても新しい環境で行き詰ってしまう。
アンラーンできればどんな新しい環境であっても人は適応していける
アンラーンのイメージ:「剪定(せんてい)」
1本の樹木。幹も太く、枝ぶりも立派。葉も生い茂っている=今の自分
この樹を今からどう育てていく?
肥料と水をたっぷり与え、太陽の光を当てることもいいでしょう
でも、もっと大きく、より自由にそして豊かに育っていくことを考えるなら「剪定」が必要な場合もある。
ある程度育ってしまって成長が鈍化している樹木でも剪定次第では再び成長速度を上げることができる
アンラーンとはこうした工程です。
日々小さなアンラーンを実践するための方法
キーワード:「ゆるむ」「ほぐす」「俯瞰する」「越境する」「問うてもらう」「実験する」「当たり前を疑う」「違和感を大切にする」「全部を捨てない」
〇絶対にゆずりたくないもの、大切にしたい価値観(=自分のコア)を意識する
・今の仕事に就こうと思った理由は?
〇安心感のある非日常な環境に身を置く
・人との関係/役割で自己が規定されている
〇俯瞰する/客観的視点を持つ
・専門外・業界外の人と話す
・多様な人、異質な人と接する
・自分がどう見えているか、どうなったらよいと思うかを、周囲の人にインタビューする
〇小さな実験をする
・価値観対立を乗り越えるための実験をする
~~~ここまで講義メモ
ブレイクアウトセッションは、
まるオフィスのそのさんとエマノンのさえさんでした。チーム東北。
この組み合わせ、なかなかよかったですね。
エマノンとは何か、考えさせられた。
3人で話して思ったのは、
「違和感」を違和感のまま(言語化せずに)置いておける場所が
アンラーンには必要なのではないか、ということ。
エドガー・シャイン先生も
「不安」を抱えて進むことが重要だと言っているらしいですし
そのために「心理的安全性」が必要なのだともいっている。
いわば「不安」のマネジメントなんだと。
「場」の役割は、そういうところにあるのかもしれない、と思った。
「不安」や「違和感」の置き場所。
それをそのまま置いておける「余白」
「答え(正しさ)」や「言語化」を急かされない場。
ただ不安であったり、違和感があったり、もやもやしたり、ができる場所。
しかもそれはひとりではなく、複数名で、その余白に違和感を入れておけること。
いつか、試行を重ねる中で、その違和感は個人あるいは場によって言語化される。
その言語化こそが「世界観の更新(アップデート)」につながる。
たぶん、アンラーンが起こるってそういうことだな、と感覚的にわかった。
「場」によるアンラーン機会の提供としての「違和感の置き場所になる」ということ。
「居場所」に必要なのってもしかしたらそういうことなんじゃないの?
みんなが学びたい(あるいはアンラーンしたい)と思っているとしたら。
そんな「場」が必要なんだ、切実に。
生涯学習支援論 第2回
~~~以下講義メモ
well-being:選択肢があること、自己決定すること
自己決定・選択・修正できる余白があること
自分「が」「で」を手放す
脱・「自前主義」「正解主義」「予定調和」
先生だけで正解を達成するための予定調和な授業、を手放す
「指導の個別化」「個に応じた指導」:先生側から見た教育
「学習の個性化」「個別最適な学び」:生徒側から見た学習
成功体験を手放す=「アン・ラーニング」することが大切
世界観をアップデートするためにアンラーンする
右肩上がりの世界観:組織は効率化・分業化・トップダウン⇒個人は正解・正確性・知識・経験
右肩下がりの世界観:組織は協働・共創・ボトムアップ⇒個人は手放す・試行/振り返り・越境・ひらく・まぜる
変化の激しい社会において
今までの方法論(個人のやり方/当たり前)と今までの組織(機能分化/閉鎖性)
の間に「アジャイル(施行する)」「リフレクション(内省する)」「ネットワーキング(ひらく/まぜる/越境する」をつくり
アンラーン(手放す)し、自身と組織を変化させていく
捨てられないのは「過去への執着」か「未来への不安」
アンラーン:学びの否定ではなく、これまでに学んだ知識や身につけた技術を振り返り、さらなる学びや成長につながる形に整理し直すプロセス。
これまで身につけた思考のクセを取り除くこと(思考のクセ:環境に適応してパターン化した思考)
アンラーンがほんとうに必要なのは、何かの学びを得ていて、それなりに成功体験を持っている人です。
結果が出ない⇒能力の問題ではなく、前の世界の学習を引きずり過ぎていたことが原因だった
学習し続けるという発想でいると、どうしても新しい環境で行き詰ってしまう。
アンラーンできればどんな新しい環境であっても人は適応していける
アンラーンのイメージ:「剪定(せんてい)」
1本の樹木。幹も太く、枝ぶりも立派。葉も生い茂っている=今の自分
この樹を今からどう育てていく?
肥料と水をたっぷり与え、太陽の光を当てることもいいでしょう
でも、もっと大きく、より自由にそして豊かに育っていくことを考えるなら「剪定」が必要な場合もある。
ある程度育ってしまって成長が鈍化している樹木でも剪定次第では再び成長速度を上げることができる
アンラーンとはこうした工程です。
日々小さなアンラーンを実践するための方法
キーワード:「ゆるむ」「ほぐす」「俯瞰する」「越境する」「問うてもらう」「実験する」「当たり前を疑う」「違和感を大切にする」「全部を捨てない」
〇絶対にゆずりたくないもの、大切にしたい価値観(=自分のコア)を意識する
・今の仕事に就こうと思った理由は?
〇安心感のある非日常な環境に身を置く
・人との関係/役割で自己が規定されている
〇俯瞰する/客観的視点を持つ
・専門外・業界外の人と話す
・多様な人、異質な人と接する
・自分がどう見えているか、どうなったらよいと思うかを、周囲の人にインタビューする
〇小さな実験をする
・価値観対立を乗り越えるための実験をする
~~~ここまで講義メモ
ブレイクアウトセッションは、
まるオフィスのそのさんとエマノンのさえさんでした。チーム東北。
この組み合わせ、なかなかよかったですね。
エマノンとは何か、考えさせられた。
3人で話して思ったのは、
「違和感」を違和感のまま(言語化せずに)置いておける場所が
アンラーンには必要なのではないか、ということ。
エドガー・シャイン先生も
「不安」を抱えて進むことが重要だと言っているらしいですし
そのために「心理的安全性」が必要なのだともいっている。
いわば「不安」のマネジメントなんだと。
「場」の役割は、そういうところにあるのかもしれない、と思った。
「不安」や「違和感」の置き場所。
それをそのまま置いておける「余白」
「答え(正しさ)」や「言語化」を急かされない場。
ただ不安であったり、違和感があったり、もやもやしたり、ができる場所。
しかもそれはひとりではなく、複数名で、その余白に違和感を入れておけること。
いつか、試行を重ねる中で、その違和感は個人あるいは場によって言語化される。
その言語化こそが「世界観の更新(アップデート)」につながる。
たぶん、アンラーンが起こるってそういうことだな、と感覚的にわかった。
「場」によるアンラーン機会の提供としての「違和感の置き場所になる」ということ。
「居場所」に必要なのってもしかしたらそういうことなんじゃないの?
みんなが学びたい(あるいはアンラーンしたい)と思っているとしたら。
そんな「場」が必要なんだ、切実に。
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