2024年06月01日
経験に対する開放性

『インフォーマル・パブリック・ライフ』(飯田美樹 ミラツク)
この本、売りますね。僕から買いたい人はご一報ください。
本日は第2章から
キーワードは「経験に対する開放性」
以下メモ
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『新・クリエイティブ資本論』を著したリチャード・フロリダは、「芸術家や科学者、起業家に見られる高度なクリエイティビティと、新しい経験に対する好奇心旺盛で開放的な性格との間に強い相関関係があることは、多くの文献も明らかにしている」と語る。
経験への開放性とは、自分の属してきた世界の価値観とは異なる新しい経験をしたときに、「そんなんありか!」と肯定的に捉える、または少なくとも否定的に捉えないということである。
メディアを通じて異なる価値観と出会った時、私たちは「それは想像上の世界」「特殊な成功例」としてシャットアウトする傾向がある。一方で自分の意思にかかわらずシャットアウトできないものが、肌感覚での経験だ。目の前で自分の想像を超える出来事が起こったとき、それを五感を通じて全身で知ってしまったとき、それを否定することは体験した自分自身を否定することになってしまう。
自分の属してきた世界の経験と全く異なる世界があると理解したとき、「ありえへん」「許さない」と思う人もいれば、「面白い」「どうしたら私にもできるだろう」と思う人もいる。フロリダの言葉を借りれば、後者がクリエイティブな人間であり、クリエイティブな人は経験に対する開放性を強く求めているのである。
経験に対する開放性が低い場所というのは、同質性を求められ、同調圧力が強く、閉鎖的になる。まさに「出る杭は打たれる」わけで、少しでも違っていたら「ありえへん」という扱いをされてしまう。
経験に対する開放性は、同調圧力を圧力と感じない者にとっては必要ないかもしれないが、同調圧力の中で死にかけている者にとっては生死を分けるほど重要である。
クリエイティブな人間や天才的才能をもった者には、豊富な材料や広いアトリエさえあればよいのではなく、自分のことを理解し、共感し、支え、応援し、切磋琢磨できる人たちと日常的に出会えることが非常に大切である。こうした場所があれば、彼らの才能は伸びていき、単なる夢見がちな若者ではなく、現実に何かを生み出す人となっていくだろう。
こうした場での出会いやカフェでの会話は五感を通じて肌感覚で行うため、情報の伝達スピードや理解の速度がオンラインに比べて大幅に速くなる。また、何気ない会話がヒントとなり、そこから予期せぬ対話やアイデアが生まれていく。これこそが、人が実際に集まり、出会うことの醍醐味である。一+一は五にもなり、凝縮した出会いが継続的に行われるほど、爆発的なスピードが生まれ、現実になっていく。
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「経験に対する開放性」
まさにこのキーワード。
これこそが地方(都市)の移住者受け入れ数を決めているのだと思う。
予測不可能な未来を前提として、そこに開かれていられるかどうか。
それがクリエイティブな若者を受け入れ、彼らのクリエイティビティを発揮できる状態にするポイントなのだろうと思う。
その「場」は、プラットフォームは。地方の小さな家でもつくれるのだろうか?
そんな問いがある。
でも、それをつくってみないことには始まらないな、という気もする。
そうやって未来を拓く方法もあるのでは。
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