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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2014年11月30日

伝えるのではなく、届けるのがプレゼン

新潟青陵大学公開講座
川嶋直さんによる「KP法」@4大学メディアキャンパス


大学時代にNEC森の人づくり講座で
山梨・清里のキープ協会に5泊6日して以来の
川嶋直さん(通称 ちょくさん)

いやあ。
激烈に面白かったです、KP法。
KPとは、紙芝居プレゼンテーション手法のこと。



KP法というか直さんのプレゼンが
面白かった。
これもKP法のなせるワザなんだなあと。

以下、メモ代わりに。

プレゼンがなぜ伝わらないのか?

1 情報量が多い。
2 要点が分からない。
3 記憶に残る形にパッケージされてない。
4 自分の言葉になってない。
5 関係性ができてない。

なるほど。

プレゼンの極意はKISS
KISS!
keep it SIMPLE and SHARP and STUPID and SHORT

いいですね。
どこまでもシンプルに。

「環境教育の目的は個人の主体性を引き出すこと。」

僕の原点を思い出すような言葉です。

で、もっともよかったのはこちら。
なぜ、KP(紙芝居プレゼンテーション)なのか?

1 シンプルだから記憶に残る。
2 手書きだから熱が伝わる。
3 目が合うからコミュニケーションできる。
4 剥がしている間に息を吐ける。

ここです。

もし、プレゼンが「コミュニケーション」だとしたら、
断然KPですね。

ファシリテーショングラフィックとか
超ニガテな僕でもできそうな、
そしていいかげんな人に向いてそうな、
僕にぴったりのプレゼンテーション、見つけちゃいました。
って感じです。

場数を踏んで、できるようになります。  

Posted by ニシダタクジ at 12:12Comments(0)学び

2014年11月29日

思考と感性を止めないこと。

新潟日報11月28日付の
月乃光司さんのコラムが
その通り過ぎて、うなった。

「無関心な人は、もしかしたら子どもの頃に
思考停止に成功できてしまった人なのではないか。」

もうすぐ衆議院議員選挙がある。

「どこに入れても変わらないから。」
「政治家なんて信用できない。」

と言いながら、
投票しない人たちがいる。

いや、それ以前に
そもそも関心がない、という人だっている。

それは教育の賜物ではないか、
と光司さんは訴える。

「躓くのは疑問を感じるからである。」

「教育課程で詰め込まれてきたのは、考えるな、という強烈なメッセージ。」

「今は何も考えずに勉強して志望校に受かるのだと言うばかりだった。
あの時、私は周りのすべての人間から思考停止を求められていた。」

「今、この瞬間の大切な何かを見失っている気がした。」

「今思うと、子どもに考えるな、と勧めるなんて、とても恐ろしいことだと思う。」

と胸をつく言葉がつづく。

その教育で生み出されて来るのは、
効率的に生きるために思考停止をする若者たちだ。

テレビ・新聞をはじめとする大手メディアの
言うことで、なんとなく世の中をわかったような気になって、
「政治になんて関心がない。」と言う人たちだ。

しかし。
しかしである。

それで幸せになるのかい?
ということだ。

自分が住んでいるのとは違う世界で、
勝手に何かが決められて、
未来へと動いていってしまう。
本当にそれで幸せなのだろうか。

思考停止。
もっと言えば感性の停止。

もしかしたら、僕たちは
そんな訓練を受け続けてきたのかもしれない。

ぎゅうぎゅうの満員電車でも通勤ができるような
強靭な肉体と精神力。
それは感性をある程度停止しなければ乗り越えられない。

理不尽な教師や上司に言われても、
修行だと思って言われたとおりにやること。

かつて、
それに価値があった時代があった、と僕は思う。

それは
「作れば売れた」時代だった。

より早く、より大量に。
そんな時代が30年間~40年間だけ続いた。

明治の工業化から考えれば、
130年~140年程度続いた。

それは「過去の成功体験」というよりも、
「幻の成功体験」「奇跡の成功体験」だと言えるだろう。

もはや、つくっても売れない。

ということは、
教師や上司の言うことをただ聞いて従っているだけでは
価値は生めないということだ。

教師や上司や政治家が誰であれ、
思考し続けること。
感性を止めないこと。
行動すること。

未来を創造する、というのはきっと、そういうことだ。
小さな、小さな一歩だ。

だから、みんな、選挙へいこう。  

Posted by ニシダタクジ at 07:33Comments(0)学び

2014年11月28日

ささやかな未来と知り合える本屋

「予感」

予感がした。
何かが起こる予感。
誰かが来る予感。

昨日の夕方。
HAKKUTSUに入っていったひとり。
南魚沼から来たという。

遠くまで帰らなきゃ、
と言って帰って行ったと思ったら、
しばらくして戻ってきた。

せっかく来たから。
と「コンセプトライフ」(柴田陽子 サンクチュアリ出版)を購入。
あ、いい本ですよ、その本。

しばらく話していたら、
来年から実家に戻ることになるのだという。

その先の話を少しだけした。
なんか、ワクワクした。
劇団員に誘った。

実家に戻っても、
劇団員として何か一緒にできたらいいなあと思う。

人生を変える本に出会わなくても、
運命の人に出会わなくても、
ささやかな未来と知り合える本屋になりたいね。  

Posted by ニシダタクジ at 07:17Comments(0)日記

2014年11月27日

「言ったら伝わる」は伝える側の傲慢


「KP法 シンプルに伝える紙芝居プレゼンテーション」(川嶋直 みくに出版)

キープ協会。
僕が環境教育を学んでいた
98年~2000年ころにお世話になった川嶋直さんの著作。
ああ、超なつかしい。

ブログタイトルにもしましたが、
「言ったら伝わる」は伝える側の傲慢、なんですね。
まずはこの動画から。
https://www.youtube.com/watch?v=6ROgvpY4x6U

KP法=紙芝居プレゼンテーション法
は、A4の用紙に大きめの文字を書いたもの10枚程度を
ホワイトボードに貼りながら説明をするプレゼンテーション方法である。

ほら、伝わらないでしょう?

この本、
人に説明するシーンがある人。

特に、
たまに中学生とか高校生に
プレゼンする、とかいう人は、
必読のような。

そして、
絵を描くのがニガテ(僕のような)な人とか。
ファシリテーショングラフィックとか難しいなあと
思っている人とか。

いいかもしれない!KP法。

っていうことで29日は
KP法の講習会に出てきます。
企画いただいた4大学メディアキャンパスさんありがとう。

一番心を動かされたのは、
「一方向⇒双方向⇒全方向のコミュニケーション」

KP法が特に使えるな、
と思ったのは、

ワークショップの後の発表。

この前の夜景企画会議でもそうだったのだけど、
チームで話し合って、最後にまとめを発表する、というスタイルが多い。

その時に、
自分は話に参加していないほかのチームの話ってわかりますか??

これ、ほとんどの人がわからないと思うのですよね。

たとえば、
KJ法でひたすら付箋が張り付けられている
模造紙を丸で囲んで
「こういう意見が出ました」
っていう発表がよくありますね。

あれ、「ああ、そういう意見が出たんだ。」
っていうくらいで、
他チームの発表をメモって
「これは使える!!」みたいにしている人ってあんまり見たことがないですよね。

ってことは、
発表者の発表したいことは聞いている人には伝わっていない
ということですね。

そこでKP法の出番なのかもしれません。

こういう話が出て、
こういう考えにいたり、
結果、こういうことになりました。

みたいなのをそれぞれA4シート1枚に
まとめられていたら、ほかのチームの人も
どんな議論展開だったのかがよくわかる。
まあ、寸劇をやるとかの自由度が下がってしまうっていうデメリットもあるけど。

全方向コミュニケーション。
これワークショップにおいてすごく重要なことだと思います。

KP法。
土曜日に学んできます。  

Posted by ニシダタクジ at 07:47Comments(0)

2014年11月25日

「棚をつくる」という次のステージ

昨日は野山塾おにぎり屋台の日でした。


三連休ということで
なかなかお客さんが入らずに
苦戦しましたがほぼ完売。

隣のおじさんから
生の鮭をいただいて、
チャンチャン焼きとちゃんこ鍋を
つくりました。

ツルハシブックスは「居場所」として、
それなりのステージまで来ていると思います。

「新刊書店」であることは、
新しい本と人の流入を促し、
常連さんによって空気が固定化するのを防ぎます。
そして、何も買わなくても、その場所にいてもいい、
という安心感を提供します。

「屋台」があることは、
お客さんにとって驚きであると同時に、
中学生高校生大学生にとっては、
社会との接点であり、また自営業経験をする機会としては貴重です。

「商店街」に位置していることは、
ほかのお店を巡ることで、
街とコミュニケーションができます。
そこは、「ふるさと」を感じられる空間です。

次のステージは、
「本屋としての魅力」、そして、
「劇団員の主体的かかわり」
ではないでしょうか。

僕自身は、
その本屋としての魅力(純粋に本のラインナップや並べ方)
に注力していくことが役割なのではないかなと思います。

「棚をつくる。」
もちろん自分自身だけがやるのではなく、
たくさんの人たちと一緒に作り上げていく本棚。

次のステージへ行くときが
近づいています。  

Posted by ニシダタクジ at 07:33Comments(0)日記

2014年11月24日

続けることと始めること



ツルハシブックス連休中日の
昨日は中2のメイちゃんと中1のモエちゃんの
お菓子屋台でした。

連休の中日は
結構お客さんが少ないので苦戦しましたが、
寒い中、外で販売した甲斐もあり、なんとか売れたようです。

売れたもの、
売れなかったもの、
いろいろ考えて、
また再チャレンジしてほしいなあと思いました。

2人は同じ部活に入っていて、
2人とも途中で辞めたそうです。

この「途中でやめる」ことに対して、
日本社会はすごく冷たいような気がします。

「継続は力なり」
と言われ、
「石の上にも3年」
と言われ、

会社に入ったのなら少なくとも3年は続けろ、
と言われます。


「HAB新潟」のいとぽんとの対談にも収録されていますが、

続けることのメリットとデメリットを
冷静に考えると、
現在の社会で生きていくには、
必ずしも続けたほうがいいというわけではないと僕は思います。

HABに書いてあるのは、
「感性は自覚なく死んでいく」ということ。

つらい思いをしながら
継続していくというのは、
同時に感性の死を意味します。

なぜなら、感性を発動を抑えなければ、
自分が壊れてしまうからです。

もちろん、
「甘いこと言ってんな、今の若い者はガマンできないからダメなんだ。」
「俺たちの若いころは軍隊みたいな会社でそれでも耐えて頑張っていたんだ。」
という声もあるでしょう。

それもある意味、一理あるでしょう。

しかしながら、僕はそれに対しては、
時代が違うと思います。
「ガマンして勤め上げれば、幸せな暮らしが待っている。」
これは、昭和の高度経済成長期の話です。

モノを作れば売れた、
だからより早く、より大量に商品を生むことに価値があった。
個人は自分の感性を発動させることなく、
言われたことを忠実にやることに価値があった。

なぜなら明確な答えがあったからです。
「効率化」です。

より早く、より大量に。
「効率化」は絶対の価値でした。
その瞬間、感性の発動は不要です。

しかしながら、今。
「付加価値の時代」「感性の時代」が到来していると言われます。

モノはすでに行き渡り、
人がほしいのはモノではなくて、
「生活を豊かにする何か」です。

会議室に答えはなく、
現場に答えのヒントが落ちているのです。
だから、そのヒントを感じ取れる感性が
求められる時代になっているのです。

では、そのためには、
中学生時代に何をしたらいいのか?

もちろん現場に出ることです。
お客さんを観察し、何が求められるか?
考え、商品を提供してみることです。
学園祭でモノを売るのもよいでしょう。

自分の感性を発動させて、
求められている商品は何か?
どういう人が買ってくれるのか?
どうやったら売れるのか?

を考え、試しにやってみること。
その繰り返しでしか、
センスは身につかないと僕は思います。

つらいけどガマンして部活をするのも、
決して悪いことではないと思います。
しかし、感性は自覚なく死んでいきます。

僕はもっとも大きな問題は
「続けなければならない」という無言のプレッシャーが
大きくのしかかっていることだと思います。

途中でやめることは逃げなのではないか?
と誰もが感じてしまいます。

「逃げ」ではありません。「選択」です。
と僕は言いたい。

人生は選択の連続です。
その選択を自らの責任で行うこと。
それこそが勇気の必要なことだと僕は思います。

そして
「途中でやめることは逃げ」という空気は、
人々にチャレンジをためらわせます。

「始めること」に怖れを抱いてしまいます。
途中でやめたら、ほかの人に迷惑がかかる。
途中でやめたら、根性のないやつと思われてしまう。

逃げたのではありません。
単なる選択です。
限りある人生をどのように使うか?
という視点に立った時に、ひとつの選択をしただけです。

始めなければ、何も始まりません。
新しい発見はありません。

一歩踏み出せば、
そこには昨日とは全く違う景色が広がっています。

お菓子屋台デビューをした中学生二人に、
心からエールを送ります。

いってらっしゃい。
新しい人生へ。  

Posted by ニシダタクジ at 08:26Comments(0)日記

2014年11月23日

答えよりもっと大事なことは・・・



三条市立第一中学校の企画
地域国際文化交流会に出てきました。

電話2,3回の打ち合わせだけで
決まったので、
ついてみてビックリしたのが、
僕だけ講座タイトルが「生き方」講座になっていたこと。

他は
おりがみとか、お茶とか、そば打ちとか、編み物とか、
そういう体や手を使うものばっかりだったんですね~。
そして講師も推定60歳以上の人たちばかり。

そんな中になぜか
「生き方講座~小さな本屋さんに学ぶワクワクする人生の歩き方」
があるわけです。
そして最年少ですよ、きっと。

僕はてっきり
いろんな職業人の大人が30人くらい来て、
(梨本次郎さんとか、会えると思ってた。)
いろんな生き方講座をやるのかと思ってました。
(むしろその方が中学生にとってはいいだろうと思う。)

そんなんで選ぶ人いるのかな~と思ったのですが、
なんと7人の中学生(1年生~3年生まで)
が「生き方講座」を選んでくれたわけです。

ということで、
昨日のブログに書いたようなお話をしてきました。

リアクションが心配だったので、
途中で模造紙とペンを用意してもらって、
メモを取りながら聞いてもらうようにしたら
距離も縮まって、いい空気感になりました。

ただ、横に先生が座っていて、
ちょっと緊張感・・・

前半は本屋さんの紹介と
僕の「キャリアドリフト」的なお話をしました。
後半は、ブログに書いたような話。

大人たちから
「やりたいこと、夢は何か?聞かれたら聞き返す」こと
才能思考に陥らずに成長思考を取り戻すために、
「やってみる」こと。

この「やってみる」をどのように実践するか、
なんだよね。

中学生に伝わったのかどうかわからないけど、
講座を終えて、小山さんのいる
「燕三条トライク」まで歩く。

そのあとも電車に乗って、
燕経由で途中下車をしながら戻る。

ふと、振り返って、
気がついたこと。

なんでも「やってみる」ことが
天職につながっていく、と思っていたが、

それはそうじゃなかったのではないか。
出会うのは、天職ではなくて、お客さん。

心から自分が喜ばせたいお客さんに
出会える。

僕だったら、
2002年に出会った、不登校の中学生
シンタロウくんだった。

それをお客さんだと気づくには
少し時間が必要だったけど、
人生に悩む中学生高校生大学生が
地域の大人と出会い、新しい一歩を踏み出すような
機会を提供することが僕の人生のミッションになった。

「やってみる」しかない。

得意なこと、好きなこと、
やってみないとわからない。

アニメ化された名作マンガ「キャプテン」の主題歌の2番の歌詞はこんな感じだ。

答えよりもっと大事なことは
勇気出して自分を試すことだ。
君は何かができる 誰も何かができる。

学校教育でいつの間にか
身に付けさせられてしまった
「どーせ自分には才能ないからできない」という
才能思考を打破し、

なんでも「やってみる」というマインドを取り戻すこと。
そのためには小さなことから「やってみる」を始めるしかない。
ひとりでは不安ならふたりで三人でやってみるしかない。

やってみれば、
いつの日か、「お客」に出会う。

心から幸せにしたい「お客」に出会う。

「お客」が決まれば、生き方が決まる。

ドラッカーの質問
お客は誰か?
お客にとっての価値は何か?
が決まれば、

あとは時間の問題だ。
気が付いたら、天職を生きていると思える瞬間にたどり着いている。

そして、
それは職業を変えようとも、ブレることはない。

仕事の「安定」とは、
そういうことなんじゃないのか?

中学生7人の中に、
素敵な問いが残ったらいいなあと思いました。

素晴らしい気づきの時間をありがとうございました。


五十嵐川にきれいな夕日がかかっていました。  

Posted by ニシダタクジ at 07:51Comments(0)学び

2014年11月22日

中学生が夢を持たなくてもいい3つの理由

本日は三条市第一中学校の
「地域国際文化交流会」の講師をしてきます。

中学生8人に
「生き方」の講座をするみたいです。
僕はやっぱり
「キャリアドリフト」の話をしてこようと思っています。

やりたいこと、夢を見つけるよりも、
いろいろ経験して、
その中で得意なこと、好きなことを
発見し続けていくこと。

その結果が
やりたいことや天職につながっているのではないかなと思います。

夢をもたなくてもいい3つの理由

1 時代の変化が速すぎる
⇒いま素敵だと思える仕事も10年後にはなくなっているかもしれない。

2 自分の得意なことがまだ自分で分からない。
⇒さまざまな経験を積んでいくことで自分の得意なことが見えてくる。

3 カッコいい大人は中学生のときに進路を決めてない
⇒いま、周りの大人でカッコよく仕事をしている人がそれを目指したのは、
中学生の時ではない。

夢がないと苦しい3つの理由
1 アイデンティティの構成要素のうち、夢が占める割合が大きい
コミュニティに属していることがアイデンティティ
だったのが夢をもたなければならない。

2 コミュニティがない。
学校でも家庭でもない第3の場所がない。
評価を離れて心休まる場がない。

3 成長思考⇒才能思考になってしまっている
子どものころにもっていた「やればできる」
を成績評価を受け続けると、どうせ自分はできない、
というマインドになってしまう。

夢がなくてもしなやかに生きていく3つの方法

1 大人に「将来やりたいこと、夢はなんだ?」と聞かれたら、そのまま聞き返す。
あなたは将来何をやりたいですか?夢はなんですか?

2 失敗すること、途中でやめることを恐れずに「やってみる」
うまくいかない方法を1000通り見つける。

3 ひとりではなく、チームでやってみる。
みんなで役割を分担して屋台をやってみる。

「キーワード」
・受験勉強で測れるのは暗記力と情報処理能力
・夢があったほうが評価しやすい
・相手を理解するために夢を聞く

とまあ、こんな感じでしょうか。
とりあえず生の中学生とぶつかってきます。  

Posted by ニシダタクジ at 08:57Comments(0)日記

2014年11月21日

第三の大人と役を演じる場所

「スターバックスはコーヒーを売っているのではない。」は、
2013年、僕にもっとも衝撃を与えた一言だった。

スターバックスコーヒージャパンの岩田さんの本
「ミッション」(アスコム)の一言。

スターバックスが売っているのは、
コーヒーではなく、空間。

職場でも家庭でもない、「第三の空間」。
そこにおけるコーヒーを飲んでリラックスする
ひと時を売っている。

2013年6月。
北九州・小倉のスターバックスで
この一言に出会ってから、

ツルハシブックスは何を売っているのだろう?
という問いが始まった。

昨日、本屋さんで立ち読みしていたら、
それは「中核価値」と呼ばれるものだった。

マーケティングの神様、コトラーによると、
商品の価値は、

「中核価値」
「実体」
「付随機能」
と分けられるという。

そして中核価値によって、
実体と付随機能は変化していくとも言っている。

スターバックスはコーヒーを売っているのではなく、
第三の空間を売っている、というのは、
まさに実体はコーヒーであるが、
中核価値が第三の場所であるとしている。

つまり。
会社と家庭の往復で疲れている(疲れていないかもしれないが)人々が
ほっと非日常だったり、俯瞰してみたりできる場所、
それがスターバックスコーヒーだと言うのだ。

なるほど。
そういうことか。

ツルハシブックスが売っているのは、
「劇場空間」と「第三の大人」

その瞬間。
自分が何かの役を演じられる場所。
そして第三の大人との出会い。

現時点ではこれがツルハシブックスの中核価値ではないかと思う。

それはきっと。
ひとつは2002年に出会った不登校だった中学生のシンタロウとの出会い、
そして、もうひとつは、1998年に自然農に出会ってから自分の中でずっとある
「ダイコンがダイコンを全うするように、私は私を全うする」という
自然農的な価値観を生きたいとずっと思ってきたことに根っこがあるのだろうと思う。

第三の大人。
学校の先生でも親でもない、
第三の大人の存在を中学生高校生大学生は必要としていると
僕は思う。

僕自身が、中学生高校生大学生のときに
第三の大人を必要としていた。

フラットな関係、あるいはナナメの関係、
もしくは師匠と弟子という心で結ばれた関係となるような
第三の大人がいるかいないかで
中学生高校生大学生の日常生活は大きく変わっていくだろうと思う。

きっとそういう場所をつくりたかったし、
これからもつくりたいのだと思う。

第三の大人とともに、役を演じられる空間。
それが劇場ツルハシブックスです。  

Posted by ニシダタクジ at 08:36Comments(0)日記

2014年11月20日

愛とは、お互いに見つめあうことではなく、


四たび登場。
「知的資本論」(増田宗昭 CCCメディアハウス)

すっかりツタヤのファンになってしまいました。
「代官山 蔦屋書店」と武雄市図書館。
それは見事な蔦屋の精神の体現でした。

最終章で増田さんは
組織の形態について言及する。

ヒューマンスケールの会社の重要性。
そこで求められる「ヒューマン」とは?

~~~ここから一部引用

組織は直列型であるのではなく、
ひとりひとりが並列に結びつき、
それぞれの力を集めて機能を高めていくという、
クラウドの発想に基づく組織。

そこで大切なのは「自由であること」だ。

自由であるためには使命感が必要だ。
やりたくないことはしない、というのは自由でも何でもない。
やらなければならないことをやる、それが自由だ。

本当は人間にしたって、管理されているほうがラクダ。
そこでは自由である必要がない。
自由という困難を引き受ける必要がない。
上司に命じられたことをすればいい。
そしてホウ・レン・ソウをしていればいい。

しかしヒューマンスケールの組織、
クラウド型の並列の組織の中では、
上司‐部下という直列のラインの中に身を隠すことはできない。

会社の知的資本であるデータベースを用いて、
自由に企画を立てる。
それしかないのだ。

そしてもう一つ、必要とされる資質があるとするならば、それは愛だろう。

いいなあ。
増田さんのストレートな表現。

「星の王子さま」を書いたサン=テクジュペリの言葉

愛とは、お互いに見つめ合うことではなく、
同じ方向を見つめることだ。

直列のラインの中では、
往々にして見つめあいが起こる。
部下は上司を見る。上司は部下を見る。
それだけで完結してしまっている限りは、
そこに本当の意味での信頼も共感も生まれない。
だからその閉じたラインからは自由な発想も生まれはしない。

ヒューマンスケールの会社で
スタッフは並列の関係に置かれている。
そこにいるのは上司と部下ではなく、
基本的には「仲間」だ。

仲間だから並列の位置から同じ方向を見るのだ。
どの方向を?

もちろん顧客のほうを、だ。
視線の先には常に顧客がいる。
その同じ方向を見ながら、
顧客価値を高めるにはどうしたらいいか、
それぞれの自由な発想をクラウド的につなぎ、
そして企画を実現していく。

そうしたことを通して芽生える
仲間への共感と信頼が、
この組織を構成する一人ひとりを結びつけ、
組織に形を与えるのだ。

~~~ここまで一部引用

熱いなあ、ツタヤの思想。
さすが最先端を走る企業は違うなあと思った。

まさにこんな組織が世の中に、
そして若者に求められているんだろうと思う。  

Posted by ニシダタクジ at 05:20Comments(0)

2014年11月19日

「バー」と「仕事」のあいだ

リトルトーキョーの
「しごとバー」でマスターをしてきました。
本屋と編集者ナイト。

いやあ。
あの空間のチカラ。
すごいなあって。

一緒にやってくれた大島さんの
編集したいものは、
やっぱり働き方というか、
仕事観というか、そういうものだったのですね。

世の中には多様な仕事があって、
その伝え方がまだまでできていなくって、

R社に代表される就職サイトには
乗っかってこない情報が実はたくさん存在していて、
その中にも誇りを持って働いている人は
たくさんいて、それを知る方法が世の中にはないんだなあと。

・年功序列
・終身雇用
・新卒一括採用

これら「3種の神器」によって、
企業という「ムラ」を生み出した
クリエイティビティ(?)はすごいなあと思うけど、

ジョブウェブの佐藤孝治さんも
「就活廃止論」で書かれていたけど、
上の二つが賞味期限切れを起こしているのに
新卒一括採用だけが残っているのが不自然なのだなあと。

そこで、特に東京では、
「働き方」というのが大学生や20代の
テーマとして大きくなってきているように思う。

「しごとバー」はまさに
「働き方」というテーマをコンテンツとして提供し、
人と人のつながりを生んでいる。

それがバー形式をとることで、
本来のバーとしての機能というか
人と人がつながる場として機能しているのだと思う。

イベントは、テーマや目的を明確にして、
対象となる人を集める。
他方、バーは、
飲食を目的として、多様な人を集める。

その中間地点に
「しごとバー」は位置する。

「働くこと」をコンテンツとして提供することで、
ある程度テーマ性を持った人たちが集まる。
だから、話が弾む。

「弱いつながり」が
仕事につながっていく。
そんなことがここでは次々に起こっていくのだろう。

「しごとバー」デビュー、面白かったです。
ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 08:48Comments(0)就職

2014年11月18日

書店は本を売っているから、ダメなのだ


「知的資本論」(増田宗昭 CCCメディアハウス)

三たびこの本が登場。

いやあ、いいですね。
「僕たちはこれから何をつくっていくのだろう」以来の衝撃。
CCC(ツタヤ本部)のビジネスのやり方はともかく、
思想としてはめちゃめちゃ共感するなあと。

ということで、
おとといの続き。

~~~ここから一部引用

プラットフォームがあふれているサードステージに
おいては、人々は「提案」を求めている。

そして本や雑誌というのは、
その一冊一冊がまだに提案のカタマリとも
いうべき存在なのだ。
それが売れないというのは、売り方のほうに問題があるのではないか。

それを考えるうちに増田さんがたどり着いた答え

「書店は本を売っているからダメなのだ。」

顧客にとって価値があるのは、
本という物体ではなく、そこに盛り込まれている提案のほうなのだ。
そう、売るべきはその本に書かれている提案だ。

それなのに、そうした点に無自覚なまま、
本そのものを売ろうとするから、
書店の危機などといわれる事態を招いてしまっているのではなかろうか?

ジャンル分けされた書店の売り場は、
顧客のためを第一に考えて構成されたものではないのだ。
雑誌、単行本、文庫本などといった分類はあくまで流通側からのもの。

そうした分類をそのまま売り場に持ち込んでしまうのは、
顧客ニーズを顧みていないからだと思わずにはいられない。

CCCが運営する「代官山蔦屋書店」では、

「提案内容による分類で書店空間を再構築した」

旅、食・料理、デザイン・アートなど、
などでゾーニングされ、
単行本、文庫本、雑誌の枠を飛び越えて配置されている。

~~~ここまで一部引用。

「なーんだ、そんなことか。」と思われたかもしれない。
それは例えば、千駄木の「往来堂書店」で行われてきた
「文脈棚」のようなもの。
それを大規模にやっているのが代官山蔦屋書店だ。

後追いで、それをマネして、
書店員ではなく、コンシェルジュと呼ぶなどしているが、
実際はものすごい単純なことなのかもしれない。

しかしそれを徹底してやり、
圧倒的にお客さんの支持を得ている。
これは事実である。

そしてこれは、
書店、本屋だけの話ではまったくない。

すべての小売業が向き合うべきテーマである。

顧客は、「モノ」を必要としてない。
生活を豊かにする「提案」を必要としている。

その「提案」に心動かされたとき、
その「共感」は「モノを買う」という行為によって、
表現されるのだ。

これは本屋に限らず、
米屋もお菓子屋も魚屋も洋服屋も、
もっと言えば家電量販店も(CCCは家電業界に踏み込むらしい)

みんなが問うべき問いである。

自分たちはどんなライフスタイルを提案するのか?

そんな問いから小売店は出発しなければならない。

ツルハシブックス、まだまだですね。
ライバルは代官山蔦屋書店です。(笑)  

Posted by ニシダタクジ at 08:23Comments(0)

2014年11月17日

「夢至上主義」が行動力を失わせる

日本経済新聞の撮っておきphotoに
ツルハシブックスが掲載されています。

http://www.nikkei.com/article/DGXMZO79506970Q4A111C1000000/

昨日は某情報誌の取材。
モデル気取りの写真を数枚撮ってもらいました。
さすがプロ。気分がいい。
ということで調子こいた写真が近日公開されますので
激しいバッシングをお待ちしています。

その後、インタビュー取材。
思いのほか、熱くなってしまった。

これからの目標は何か?
ツルハシブックスとして、
そして、個人として。

ツルハシブックスとしては、
「劇団員がつくる本屋」になるということ。
ひとりひとりが当事者意識を持って、
その場をつくっていく。

初めてのお客さんにあいさつし、
輪の中に入れていく。

個人としては、
やはり、「夢」至上主義的な
世の中の空気感を変えていきたいと思う。

「夢が無ければいけない」
「夢を持ってそこに進んでいく人生こそ最高の人生」

ではなくて、

「夢はないよりもあったほうがいい。(それくらいのレベル感)」
「夢が無くても、行動できる人生が楽しいよ。」
ということをいかに文化として定着させていくかどうか。

「夢」至上主義は、個人の行動力を鈍らせる。

「夢がないから、行動する理由がない。モチベーションが上がらない」
という人を多数生んでいる。

「なんのためにそれをやるのか?」
「それをやってどんなメリットがあるのか?」
という質問に答えている場合ではない。

その質問者は
「ただ、自分がその行為を理解したい」
だけだ。
その人のために言っているとは到底思えない。

24歳で「まきどき村」を始めたとき、
たくさんの大人に聞かれた。

「なんのためにやっているんだ?」
「それでどうやって生活していくのか?」

僕は初めて
「メシを食う」っていうのと
「生きていく」っていうのは、意味が違うことを知った。

「生きていく」ために僕は、まきどき村が必要だった。
それがないと生きていけないと思った。
「どうやってメシを食っていくか?」
は重要度としては2番目だった。

その質問を考えることはいいと思うが、
その質問に真摯に向き合う必要はないと思う。
言語化できるまでに時間がかかるかもしれないからだ。

世の中は予測不可能な時代に突入している。
それは誰の目にも明らかだと思う。

にもかかわらず、
「夢」至上主義が世の中を覆っているのはなぜだろう?

10年後の夢を設定しても、
その前提条件が10年後にはまったく変わっているのに、
いま、明確な夢を持つことにどれほどの意味があるのだろう?

これは決して、「夢を持つこと」を
否定しているわけではない。

僕が言いたいのは、
「夢を持つこと」がもっとも大切なことではない、ということだ。

ないよりもあったほうがいい、
それくらいの緩い感じ、それが「夢」だと思ったほうがいい。

なぜなら、
「夢」至上主義は行動力を失わせるからだ。

「夢があって、そこに向かって邁進する一部の若者を生む一方で、
「夢がないから、行動できない」若者を多数輩出しているからだ。

ツルハシブックスでそんな若者を
山ほど見てきた。

そして、行動しないと出会いもなく、
チャレンジのきっかけを失うので、
結果、自信を失い、さらに行動しなくなる。

「夢や自信がなくても行動する」
そんな人たちを育てていくことが必要なんじゃないか。

予測不可能な世の中で、
もっとも大切なのは、試作することだ。
「やってみる」ということだ。

人生も同じだ。
「やってみる」ことをしないということは
自分の能力の開花のチャンスを創らないということだ。

夢を持たなくても、やってみる。
「やってみる」を繰り返すうちに、
夢への扉が開かれてくる。

いや、別に開かれなくてもいいのだ。

いま。
この瞬間。
自分の役を演じきる。
その後、その芝居を振り返ってみる。

その繰り返しをすることでいつか、
自分が舞台の脚本を書けるようになり、
その舞台で主役を演じる日が来るはずだ。

中学生たちよ、夢が無くても大丈夫。

いま、この瞬間感じたことを大切に、
行動してみることだ。
その一歩がそのうち道になる。

いつか分からないけど、
その道を歩き続けていれば、
道の先が見える時がきっとくる。  

Posted by ニシダタクジ at 06:44Comments(0)日記

2014年11月16日

消費社会のサードステージ



「知的資本論」(増田宗昭 CCCメディアハウス)

ツタヤをFC運営する
CCCの経営者の本。

「場づくり」を考える人は、
ツタヤとはいったいなんだったのか?
を改めて問い直す必要があると感じた。

ツタヤ。
DVD、CDレンタル複合型の本屋さん。
急成長し、
いまや書籍の売上高はチェーン店総合で1位。

そのツタヤとはいったいなんだったのか。

それを読み解く必要があると思う。
なぜなら、人はそこに足を運んだからだ。

街の小さな書店よりも、
ツタヤに魅力を感じ、そこに足を運び、
本を買ったからだ。

ここで、本書の中に
興味深い視点が登場する。
消費社会のステージの話。
これをツタヤが重視している顧客価値という観点から見る。

~~~ここから一部引用

本書によると
消費社会の最初の段階
「ファーストステージ」としては
モノが不足している時代。

ここではモノそのものが価値を持つ。
つまり、モノでありさえすれば売れる。
戦後から高度成長期までがこれにあたるだろう。

しかしインフラが整備され、
生産力が伸びれば、
やがてはモノがあふれる時代がやってくる。
そこはモノであれば何でも売れるという牧歌的な時代ではない。

価値の軸はモノそのものから
それを選ぶための場、すなわちプラットフォームへと移行する。

この「セカンドステージ」においては
だから顧客にとってより有効なプラットフォームを
提供できたものがより大きな顧客価値を創出した者となる。

思えばツタヤもまた一つのプラットフォームだったはずだ。

そして現在の消費社会は、さらに進んでいる。
今度はプラットフォームがあふれている時代。

ネット上にも無数のプラットフォームが存在し、
人々は時間にも場所にも縛られることなく消費活動を展開している。

単なるプラットフォームの提供だけでは
顧客価値の増大には寄与しなくなってしまった。

ではこの「サードステージ」において
顧客価値を生み出すものはなんだろう?

増田さんはそれを「提案力」だと言う。
だからこそ「デザイン」なのだと言う。

デザインとは可視化するということ。
つまり、デザインと提案は同義語なのだ。

~~~ここまで引用

だから、デザインを「付加価値」だと言っているようでは
ダメだ、と。

いいですね、ツタヤの思想から学ぶべきものはたくさんあります。
明日に続きます。  

Posted by ニシダタクジ at 06:28Comments(0)

2014年11月15日

デザイナーの時代


「知的資本論」(増田宗昭 CCCメディアハウス)

あらためて、蔦屋から学ぶことって大きいなと。

~~~ここから一部引用

モノとは、二つの要素からできている。
一つは機能、そしてもう一つはデザインだ。

デザインを「付加価値」だと捉えている点でもうダメだろう。

企画の価値とは、
その企画は顧客価値を大きくするものであるかどうか。

~~~ここまで一部引用

これは面白い。
また読み進めて、書きます。  

Posted by ニシダタクジ at 09:03Comments(0)

2014年11月14日

考え続けるという希望


「街場の戦争論」(内田樹 ミシマ社)
「弱いつながり~検索ワードを探す旅」(東浩紀 幻冬舎)

おとといのブログの続き。

内田樹さんの本は
毎回引き込まれるように読んでしまうけど、
今回のもものすごい引力だった。

ミシマ社の「一冊入魂」という
キャッチフレーズそのものの本。
これは熱い。

が、
内容は暗い、というか重い、
というかとてつもなく絶望が詰まっている。

現在の日本は国家ではなく、
株式会社みたいな国家を目指している。
簡単に言えば、
「倒産してもいいから、現在の利益を最大化しよう。」としている。

というように、内田さんの論調が続く。

正しいとか間違っているとかではなくて、
僕はこれを読んで
「知るべき絶望」だと思った。

でも。
読めば読むほど絶望しかない。

って本屋で言っていたら、
「絶望するなら、読みたくない」
っていう人が出てきた。
そりゃそうだな、と思った。

しかし。
昨日の夜、加藤くんと話していて、
ふと僕は思った。

本当の「絶望」というのは、
もうダメだと、「思考停止」することだ、と。

「希望」とは考え続けることだと。

この本は、「考え続ける」ことを僕たちに
授けてくれている。
だから、絶望であると同時に、希望を生んでいるのだと。

だからそこでこそ、
「弱いつながり」なのだと思う。

東さんによれば、
旅とは、新しい検索ワードを得るということ、
つまり、「考え続ける」ネタを得るということ。

SNSでは、狭いつながりがどんどん強化されていく。
それでは思考停止してしまう、というか人生が広がっていかない。
だから、リアルに旅に出て、
いろんなものに出会わなければならない。

そう。
考え続けるために。

世の一部の悪徳権力者たち(一部政治家や経営者や教育者)は、
「思考停止」させることを望む。

なぜならそれが「効率的」だからだ。

「なんのために勉強するのか?」
「そんなこと言っている暇があったら勉強しろ。」

この会話を端的に言えば、
「思考停止して、効率的に生きろ。」
と言っているようなものだ。

それが通用したのは、
(同意しているかしていないかは別にして)
「日本を経済成長させる。その結果自分たちも豊かになる」という
物語が共有され、なおかつ実感できつつあるときだけだ。

そんな物語はもはやない。
ひとりひとりが自分の豊かさについて考え、実践し、
「いま、それを達成しつつある。」
という実感を持てることを始めなければならない。

世の中は絶望的だ。

しかし、本当の絶望は思考停止と共にある。

絶望的な世の中で、考え続けることをやめないこと。

それこそが希望なのではないか。

だからこそ、世の中に本屋という空間が必要なのだと、
僕は強く強く思います。

本屋という空間は、偶然にも居合わせた
「絶望」を語る本の中に、
「考え続ける」という希望の種が眠っているのです。

内田さん、ミシマ社さん、東さん、幻冬舎さん

大いなる希望をありがとう。  

Posted by ニシダタクジ at 07:34Comments(0)

2014年11月13日

お見合いから料理コン

ししおどしがカッコーンとなる。
和服を着た年頃の女性にたずねる。
「ご趣味は?」
「お花を少々」

みたいな「お見合い」
って絶滅したのだろうか。

いや。
絶滅していない。

就職活動においては、
お見合いみたいなことがいまだに行われている。

「志望動機は?」
「御社の自由な社風に惹かれて」

って入ったこともないのに言わなきゃいけない。
就職活動はいまだにお見合い結婚を余儀なくされている。


2週にわたって行われた「夜景企画会議~経営者×学生のトークセッション」は、
すごい盛り上がりを見せた。

元はと言えば、
今年2月。
新潟大学の3年生女子が
「就職活動のシステムについていけない」と
相談に来たのがきっかけだ。

たしかに、ベルトコンベアーで運ばれながら
面接を繰り返していくような就活は
ちょっと疲弊してしまうだろう。

中小企業も考えたいけど
そんな情報はどこにも出ていない。

新しい就活を創らなきゃいけないなと思ってたところ
素敵な話が舞い込んできた。

実行委員会9名が
作り上げた夜景を見ながら各社の企画を考える会議。

イベント終了後の
参加学生や社長さんたちの顔を見ていると、
ああ、いい空間だったなあと思えた。

カギとなったのは、
各社の社長の人柄を紹介する紙芝居だった。

あれでみんなそれぞれのパーソナルな物語が
披露されて、
そこにいるのは「社長」というナゾの生き物ではなくて、
ひとりの人間がいるだけだった。

それが結果としてあの空気感につながったのだろうと思う。

言うなれば、
「お見合い」から「料理コン」のように、
一緒に作業をすることで、
お互いを知り、就職につながったらいいなあと思いました。

いい時間でした。
関係者の皆様、本当にありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 08:28Comments(0)就職

2014年11月12日

知るべき絶望と観光客のすすめ



僕の趣味は電車の中で本を読みながら、
メモ代わりにツイートすることなのですが、
昨日はツイートしたくなることの多い本に2冊出会いました。

「街場の戦争論」(内田樹 ミシマ社)
「弱いつながり~検索ワードを探す旅」(東浩紀 幻冬舎)

「街場の戦争論」は、ミシマ社渾身の一冊。
出版社の役割の醍醐味を感じさせます。

僕も不思議だったんです。

憲法改正、9条を変える、
と言っていたはずなのに、
いつの間にか、解釈改憲という謎の手法に替わっていた。
その謎を解く鍵のヒントががこの本には詰まってます。

それにしてもスルドすぎて、凹みますよ。
そこにはただ、絶望しかない。

内田さんの本はいっつもそうなんですが、
うんうん、そうだよね。
って思うのだけど、
その後の方法論を自分が持っていないと、
ただ凹むだけで終わってしまうなあと。

じゃあ、自分はどうするのか?
考え、行動できる人じゃないと、
受け止めるのがつらいんじゃないかな。
マクロの流れにはもう逆らえないんじゃないかと感じてしまう1冊でした。

ただ、絶望のどん底から希望は生まれてくると
僕も信じていますので、何かが始まる前触れなのでしょう。

「弱いつながり」は世界や日本の流れではなくて
個人の人生のゆくえみたいなものが描かれていて、

ネットは
広く浅いつながりをつくると思われているけれど、
本当は強い絆をどんどん強くするメディアとなっている。

フェイスブックやミクシーでは、
既存の友人関係を維持するために、
さまざまな「作業」(いいね!を押す、オフ会を開くなど)
が発生していて、狭い絆をどんどん強化してしまう。

しかし、
アメリカの社会学者であるマーク・グラノヴェターが
1970年代に提唱した「弱い絆(ウィークタイ)」によると、
ボストン郊外に住む300人弱の男性ホワイトカラーを
調査すると、

多くの人がひととひとの繋がりを用いて職を見つけている、
しかも高い満足度を得ているのは、
職場の上司とか親戚とかではなく、
「たまたまパーティーで知り合った」といった
「弱い絆」をきっかけに転職したひとのほうだという。

つまり、自分が転職を考えているとして、
友人や同僚はみなあなたの現職を知っているし、
性格や能力を知っている。
だとすればどうしても予測可能な転職先しか紹介しない。

それに対して「パーティーでたまたま知り合った人」は
あなたのことは何も知らない。
知らないからこそ
まったく未知の転職先を紹介してくれる可能性がある。

だから、
人生の充実のためには強い絆と弱い絆が必要なのだ。

そして著者は、
「弱い絆」を得るために旅に出る。
それは、検索ワードを探す旅なんだと言います。

旅は自分ではなく、検索ワードを変える。
だから新しいものと出会い、
結果、人生が動き出していくのだと。

そして、「観光客」として生きていくことを提案しています。

観光客の5つの心得

1 無責任を怖れない
所属するコミュニティに縛られずに
観光客=お客さんになってそれを楽しむ。

2 偶然に身をゆだねる。
情報の固定化をふせぐために
旅をしたときには普段なら絶対にしないことをする、買わないものを買ってみる

3 成功とか失敗とか考えない
人生は一度きりだから今ある場所でベストを尽くす。

4 ネットには接続しておく
旅先で新しい検索ワードを得たときにすぐに検索し、行動する。

5 しかし無視する
ネットには接続すべきだが日本の人間関係は無視する。
ツイッターやフェイスブックスはOFFにしておく。

と。
村人ではなく、観光客としての生き方を語っている
非常に面白い一冊でした。

マクロとミクロの2冊。

読んでみて、じゃあ、私はどう生きるか?
そんな問いが生まれてくる本たちでした。  

Posted by ニシダタクジ at 07:38Comments(0)

2014年11月11日

移住と二拠点居住

人口減少社会。
特に地方の生産人口年齢は
減少し続けている。

「地域おこし協力隊」など、
たくさんの政策が、都会から地方へ
の人の流れをつくろうとしている。

「好きな地域で仕事をつくる」をテーマに、
農業の六次産業化や
観光ビジネスを盛り上げようという動きが盛んだ。

そもそも。
地方から都会へという人の流れは
どのようにして起こったのか?

端的に言えば、
それは仕事を求めて、
ということになるのだろう。

地方にいるよりも、
街に出て行ったほうが、
仕事がある。

そして何よりも
現代でいえば、
地方より東京のほうが
「情報」があるということだろう。

「インターネットで24時間」
などと言っても、生身の人間とふれ、
空気感を味わうことは、
それとはまったく違う経験となる。

これらのことを考えると
都会から地方へ移住して、
かつ仕事をつくる、というのは、
かなり難しいことだと思う。

そして何よりも
「仕事」という定義を

「月に〇〇万稼ぐ」
みたいな定義にしてしまうと、
すごく難しくなるだろうと思う。

地方には、「市場」がない。お客さんが少ない。
では地方で作ったものを
都会に売るのか?
というとそれはそれでスキルやネットワークが必要である。

そこで、
伊藤洋志さんらが提唱する「ナリワイ」の登場だ。
ひとつひとつの「ナリワイ」を組み合わせて、
暮らしを組み立てていくという考え方。

ナリワイを作っていくことを考えると
移住するよりも
伊藤さんのように、熊野と東京の二拠点居住
(詳しくは著書「フルサトをつくる」で)
をしたほうがナリワイはつくりやすい。

生産の現場とお客さんの元を
いったりきたりできるし、
何より東京の生身の情報をビジネスに応用できるからだ。

定住ではなく、二拠点居住。
居住しなかったとしても、
そこに通い続ける「第二のふるさと」作戦が有効で
それを繰り返すことで、
地方は元気になっていくのではないだろうか。  

Posted by ニシダタクジ at 04:39Comments(0)日記

2014年11月10日

カテゴライズする無意味

下北沢に
「B&B」という小さな本屋がある。

いや。
「本屋」ではない。

本はたしかに置いてあるのだが、
その空間はもはや、「本屋ではない」

11月9日付の日経MJによると、
B&Bの特徴は、

1 店内でビールが飲める。
2 店内の本棚や椅子は「販売用」である。
3 ほぼ毎日、イベントが開催されている。


僕も7月3日にイベントに出てきました。

これを、
「複数の収益の柱を持つ」本屋
だと思うのか、
本屋とは違う、別のお店だと思うのか?

は議論が分かれるところである。

僕としては、どっちでもいいのだけど、
お客さんにとっては、
「居心地がいいほうがいい。」
ということに結論されるだろう。

ここで、B&Bを本屋だとカテゴリーすることは
無意味だと僕は思う。

そしてそれこそが、
いわゆる「町の本屋」がなくなっていっている原因の
ひとつだろうと思う。

町の本屋は、かつて、
多くの場合、雑誌売り上げを収益の柱としていた。
毎日入ってくる発売日の雑誌を店頭に並べて、
余った雑誌を返本していればある程度の利益は確保できた。

本も取次(卸売)の言うがままに
売れ筋の商品を並べていれば、
売り上げが計算できた。

しかし。
雑誌が売れなくなってしまった。
雑誌を買う世代の人口減少に加えて、
ネットなどの普及で、雑誌のニーズそのものが減少した。
だから、本屋という業態が厳しくなってしまったのだ。

その代わりに伸びてきた本屋は、
ツタヤのような「レンタル複合型書店」

本好きの人は、だいたいこういう発言をしたことがあるだろう。(僕もしたことがないわけではない)
「ツタヤなんて本屋じゃないよ。売れ筋の本しか置いてないんだもの。」

これはある意味、当たっているだろう。
ツタヤは全国チェーンのデータを活かした品揃えで
お客様のニーズにこたえるために
「売れ筋の本を確実に」置いてあるからだ。

ここで、ある事実がひとつある。

ツタヤチェーンの書籍売上は、
一昨年から紀伊国屋を抜いてチェーン店1位となっている。
つまり、人はツタヤで本を買っているのだ。

もちろん、ツタヤによって、
地元の中小書店が無くなり、
近所に本屋といえばそこしかなくなってしまったこともあるだろう。

しかし、それ以前に、
ツタヤができたとき、
地域の人たちはみな、ツタヤに通い、ツタヤで本を買ったのである。

先の本好きの人のコメントを引用するならば、
みな、本屋じゃないところで本を買っているのだ。

これに関して、
ツタヤの本部であるCCCの増田社長は言っている。
「ツタヤは本を売っていない。ライフスタイルを提案しているだけだ。」

これはひとつのキーワードとなるだろうと僕は思っている。

本を売っていないツタヤが
書籍売上1位になっているという事実。

そう。
「人は本が欲しいわけではない。」
ということ。

いや、もちろん、世の中には
一定数の「本好き」の人たちがいて、
「この小説家のこの文章がいいんだ。」とか
「この本の装丁が素晴らしいから家の書棚に飾っているんだ」
とか、そういう人もいるだろう。

しかし、多くの人たちは、
本好きであるわけでないが、
本を買っている、そしてそれはツタヤであるということだ。

レンタルのついでに、
あるいは暇つぶしに雑誌を立ち読みしに来たのかもしれない。

しかし。
そのついでに、
新刊書話題書コーナーをみてしまうと
目の前に飛び込んでくる本を思わず買ってしまうのだ。

それは、まさに、雑貨屋さんで、
「これ、かわいい」と言って、
部屋に置くための2000円くらいのオレンジのライトやクッションを
衝動買いしてしまう女の子のようだ。

買っているものは雑貨と本の違いは
あるかもしれない。

しかし、買った本人は
「これが自分の生活を豊かにする」
と感じて、それを購入しているのだ。

そういう意味では、
ツタヤと雑貨屋に差はないと僕は思う。

つまり。
「本屋である」とカテゴライズすることは無意味だ。

そこに本があれば、
古着屋さんに古本を並べていたってそこは本屋だし、
個人のクルマに小さなトランクを積んでいても、そこはまぎれもなく本屋だ。

だから「複合型書店」とか、
「収益の柱が複数ある」とかが重要なのではなくて、

そこが「本のある空間」であり、
本との出会いをどう演出するか?
ということが大切なのであると思う。

僕は、
ツタヤの例を出すまでもなく、
お客さんの立場、特に若い子の場合は、
本屋と雑貨屋の境目は無くなっていくだろうと思う。

どのように本と出会うのか。
そんな出会いの場をプロデュースできる人を、
人は「本屋」と呼ぶのではないだろうか。

ナリワイとしての本屋の時代が
始まろうとしていると思う。  

Posted by ニシダタクジ at 05:46Comments(0)学び