プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 105人
オーナーへメッセージ

2012年10月31日

サードプレイスを支配しているのは常連客である

「カフェという場のつくり方」
エッセンスがすごいな、これは。
面白すぎる。

カフェというか「場」に関心がある人は
必読の1冊だと思います。
ツルハシももっと仕入れますね。

今日はこの一節

~~~ここから引用

サードプレイスを支配しているのは常連客である。
それは人数的な意味においてではない。
常連客がほかに何人いようと、どんな場合であろうと、
常連客はそこでくつろぎ、陽気な雰囲気をつくり出す。

常連客のムードやマナーが店内での交流に強い影響力を
持っているので、はじめてお店を訪れるときには、
店主に歓迎されることはもちろん大事だが、
本当に重要なのは、常連客に受け入れられることである。

バーカウンターの反対側からいらっしゃい!と
声がかかった時に、一見客はサードプレイスの
輪の中に入ることができるのである。
(レイ・オールデンバーグ)

~~~ここまで引用

なるほど。
サードプレイスを支配しているのは常連客。
お店に新しい風、成長を与えてくれるのは、
一見客なのだ。

だから、常連客と一見客がともに
居心地よく過ごしてくれる空間づくりが大切だ。

なるほど。
ツルハシブックスも、常連が集まって話しているときに
入ってきた新しいお客さんがどう思うか、を考えると、
にぎやかに話をしているときこそ、
入ってきたお客さんに話しかけなきゃいけないなあ。

未知の空間、サードプレイスに足を踏み入れる
ってのは、とてもドキドキすることだから。
そこはやはり店主、店員の気の使いどころになるなあ。

そしてそれができる店が、
着実にお客さんを増やしていくことになるのだろう。

「カフェの話。」に登場する
「ヴィヴモン・ディモンシュ」のマスター・堀内隆志さんは
もともと、フランスのカフェをイメージして、
おしゃれで音楽をかけて、感度の高い店を目指していたが、
家族連れ、仕事の打ち合わせ、観光客などが
次々に来店するようになって、意識が変化したという。

普段話す機会のない人たちと話をすることの
楽しさに気づいたのだという。

~~~ここから引用

自分とは年齢も感性も何もかも違う人たちと話すことも、
実はこんなに楽しいんだな、と思ったんです。
それまではどちらかというと、自分にどこか近い人と
ばかり接してきたわけですけど。

そう思い始めたらなんだか肩の力が抜けたんでしょうね。
急にお客さんがたくさん来てくれるようになったんです。

~~~ここまで

それを楽しめるかどうか、
そこに成功の鍵が眠っているのだろうな。

堀内さんが言った。
「僕にとっての財産は、僕の店に来てくれる人たちだと思う。」  

Posted by ニシダタクジ at 07:33Comments(0)

2012年10月29日

まち全体がカフェになる

昨日の
「カフェという場のつくり方」に
いくつか反響があった。

喫茶店=カフェがいつの間にか
「コーヒー販売業」に特化され、
ドトールコーヒーのような格安のチェーン店、
あるいは缶コーヒーに取って代わられた。

それが
「あらゆるところで起こった」と
書き込まれたのを見て、まさにそうだと思った。

日本のあらゆるところで、その現象が起こった。

喫茶店に行くのはなぜか?
→コーヒーを飲みに行くため
→400円も出してコーヒー1杯飲むよりも、
200円でサッと飲んで、仕事に戻った方がいいだろう。

もっと行くと
→コーヒーではなくて、カフェインを摂取するため
→200円でわざわざドリップされたのを飲むより、
100円缶コーヒーでカフェインだけ注入すれば、そのほうが効率的だろう。

これだ。
これが世の中の縮図だ。

「効率化」「費用対効果」
これが工業社会、経済至上主義社会の生んだ、絶対の真理だ。

それは、三浦展著「第四の消費」に言葉を借りれば、
数値化できるものに特化したということ。

居心地がいい。とか
ゆったりできる。とか
マスターと話ができる。とか
っていう価値は数値化ができない。

これが、日本のあらゆるところで起こった。

八百屋、魚屋、肉屋、酒屋、金物屋、履物屋で
1軒ずつ買い物に行っていたら、文字通り「日が暮れてしまう」から

仕事帰りにスーパーマーケットへサッと寄って、
夕飯の支度をしてほうが効率的だ。

いや。
もっと効率的なのは、お惣菜を買ってくることだ。
いや、出前をとったほうが、
いや、ホカ弁にしたほうが、
と「効率化」と「費用対効果」の名の下に、過ごしてきた。

そして、商店街は廃れていった。
しかし、人はいつか、かならず、年を取る。
車に乗れなくなる。

そのときに、パソコンをカチカチやって
食品を手にするのか。
商店街に買い物に行くという
コミュニケーションを維持するのか。

これは、個人の生活の質(Quality of life)にとって
どちらがいいのだろうか?
という問いを持たずにひた走ってきた。

そういえば、ツルハシブックスのすぐ近くにある
純喫茶「カポネ」は、午前9時くらいになると、
近所の60歳前後の男性陣が集まっていて、世間話をするのだという。

それこそがカフェじゃないのか。

いや。
商店街というのは、もしかしたら、
巨大なカフェだったのではないか。

大学生がMAPづくりのために取材に行くと、
お茶を出してくれ、話が弾む。
そんな場が、履物屋さんやお菓子屋さんや銭湯で起こっている。

かつて、まちにはカフェがあった。

それは、コーヒーを出す喫茶店だけではなく、
銭湯も、履物屋さんも、酒屋さんも
全てがカフェ的な機能を持ち、営まれていた。

まち全体がカフェになる。

内野のまちなら、それができそうな気がする。  

Posted by ニシダタクジ at 06:48Comments(0)

2012年10月28日

カフェという場のつくり方


カフェという場のつくり方(山納洋 学芸出版社) 

まだ読み始めなのですが、これはおもしろいですね。
サブタイトルの「自分らしい起業のススメ」っていうのは、
本人じゃなくて、出版社の方がつけたんだろうなあと。

カフェという場。
僕も10年間テーマにしてきました。

地域のコミュニティにとって
カフェという場が必要なのではないか、と思っていたのです。

ではカフェとは何か。
その定義からこの本には解説されています。

第1章に引用された文に、なるほどと思いました。

~~~ここから引用「カフェ・ジェネレーションTOKYO」(永井宏)より

80年代の後半から90年代にかけて、
かつてあったような文化や意識や精神をゆるやかに共有させてくれるような喫茶店が次々と消えていってしまった。
それまで、そんなものを漠然と求めて喫茶店を利用していた多くの客が、その必要性を感じなくなってしまったのだ。

(中略)

個人的な柔らかな時間を持ち、それをじっくりと味わうということが必要のない時代だったのだ。
僕はその時代までに多くの喫茶店=カフェがなくなってしまったのだと思っている。
様々な条件が個人の意志やコミュニケーションの必要性を意識的に無効にしていってしまったのだ。

~~~ここまで

うーーん。唸るね。
1980年、ドトールコーヒーが原宿に第1号店をオープン。
現在は全国に1100店舗を超える数がある。
一方で日本の喫茶店は
1981年の155000軒をピークに減少の一途をたどっている。

そう。

このとき。
何かが変化した。

「喫茶店=コーヒーを飲む場」
となったのである。

つまり。
コーヒーを飲むことが目的であるならば、
ドトールコーヒーに行けばセルフで200円で飲めるなら、
喫茶店で400円出さなくてもいいだろう、みたいな考えになるのは
すごくわかりやすい。

喫茶店がコーヒー販売業に変わった瞬間である。

90年代の後半、ふたたび、カフェは脚光を浴びてくる。
オーナーのライフスタイルの実現としてのカフェ、
という形が出来上がってくる。

そう。
カフェを機能分解すると食事と空間と出会いの集合体であると思う。

食事とは、コーヒーだったり食べ物だったりを提供するということ
空間というのは居場所であるということ。
出会いとは、人と人が出会ったり、人と本やアートが出会ったりするということ。

このうち、目で見えるのは(数値化できるのは)
食事の部分だけだ。

この本にあるような
「文化や意識や精神をゆるやかに共有させてくれるような喫茶店」
は主に後者2つの機能のことを言う。

それが経済社会の発展とともに、
コーヒー販売業機能に特化したチェーン店が
支持されていったのだろう。

そして90年代後半になって、
ふたたび来たカフェブームは、
「空間」を重視したカフェなのではないか。

スターバックスコーヒーは
「サードプレイス」と自ら言っているように、
空間としてのカフェに重点を置いた。
それがヒットしたのだと思う。

次に来るのは
出会いの場としてのカフェ。

新しい人生の扉を開いてくれるような、
それがいつ開かれるのかわからないが、
人や本やアートとの出会いによって開かれる瞬間を楽しみにして、
人はカフェを訪れるようになる。

いや。
おそらくはすでにそのような社会は出現しているのだ。

だとすると、人々が求めているのは
カフェではなく、カフェという機能だということになる。

特に後者2つの機能は、
どんな店でも、場でも、果たすことができると僕は思う。
場合によってはチェーン店でも店長がその気になれば可能だ。

そんなカフェ的空間をいくつも作っていくこと。

これは、時代と個人をつくるキーワードに確実になっていくだろう。

ツルハシブックスもそんなカフェ的空間を目指したい。  

Posted by ニシダタクジ at 08:20Comments(0)

2012年10月27日

責任を持つということ

昨日はやしち酒店さんの代理で
こみ協の会議に出ました。
国際情報大学の越智先生の講演のあと会議ということでした。

FMポートで軽快なトークの越智先生とは、
初めてお会いします。

いやあ。
芯がある話で面白かった。

テーマは「責任を持つ」という話。

中越沖地震での
東京電力の事故対応に対しての
新潟県議たちの対応はあれでよかったのか。

どこまで責任を持つのか?

という範囲が拡大していると
越智先生は言っていた。

今回の原発事故のように
一市一町にとどまらない広域的な被害。
あるいは未来何十年にも渡って、続いていく被害。

「自分たちは新潟県だから、他の県は関係ない」

みたいな感じでは成り立たない時代。

先生もおっしゃっていたが
北陸新幹線のときの泉田知事の対応は
石川県や富山県の首長や住民への印象を
すごく悪くしたのだろう。

「新潟県にとって」

という利益を確保することが最大の価値だった。

しかし。
いまは違うだろう。

北陸新幹線の開業によって、
様々な影響があるのだろうが、

長野、新潟、富山、石川が
一緒になって、新しい北陸北信越の観光を考えていく。
それが、新潟県にとって、
長期的にメリットがあるのではないか。

「長期的に」
この視点で、考えたとき。

僕たちが「責任を持つ」ことはなんだろうか。

越智先生、素敵なお話、ありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 06:32Comments(0)日記

2012年10月26日

置き忘れてきた何か

「粟島には、あの日、置き忘れてきた何かがある。」
そう感じたのは今年の夏だった。

この何か、が大切なのではなく、
置き忘れてきた何かを考えることが大切なのかもしれない。

穂積製材所プロジェクト。

林業の盛衰は、
まさにその置き忘れてきた何か、と
時期を同じくしている。

昭和31年。
戦後復興が軌道に乗り、木材需要が急増。
日本全土にスギ、ヒノキを植林する。

こうして、日本の住宅地の周辺地は
みなスギ林となった。

しかしそれが間伐期を迎える20年後、
日本は高度経済成長を遂げ、
外国産材を買えるようになった。

人件費の高い国産材は競争力を失い、
林業は停滞を始める。

「需要がない」から間伐できない。
こうして、日本の山林は荒れ果てたスギ・ヒノキの林となった。

林業だけではない。
農業も、商店街も、地域のお祭りも。

みな経済合理性の名の下に、
砕け散るしかなかった。
自然と共に、地域とともに生きた時代は過去のものとなり、
人々はひとりひとりが自立した社会を目指した。

そして。
置き忘れてきた。

自然や地域とともにあるというつながりを。
手間をかける、という豊かさを。
そして何より、先祖に感謝する、という誇りを。

どんな学術論文でもなく、
感性がそうだと言っている。

あの日、置き忘れてきた何かを届けるプロジェクトが、
日本を、地域を、もういちど復活させる。

穂積製材所のように、
新潟でもつながりと豊かさと誇りを取り戻すプロジェクトを
始めようじゃないか。  

Posted by ニシダタクジ at 07:55Comments(0)日記

2012年10月24日

食育の入り口をつくる

伊賀の里モクモクファームに
お邪魔してきました。
「視察プラン」で
1時間ほど、モクモクの説明を聞きました。

レストラン事業部の西川さん、
とても素敵な方でした。

25年前、豚生産農家が集まってつくられたモクモク。
安く買いたたかれる現状に、なんとかしようと立ち上がった人たち。

17年前、消費者と生産者の交流を目指して作られたのが
現在の体験農場としてのモクモクファームだ。
モクモクファームには自動販売機はない。
自分たちの手で作ったものしか置きたくない、というこだわりだ。

年間50万人が訪れ、12万人が体験教室に参加する。

興味深かったのは
イチゴ狩りの話。

通常のイチゴ狩りは、
1500円ほどのお金を払って、
園内で食べ放題だ。

しかし、モクモクは違う。
時間制で1回50名限定。

まずは15分、レクチャーがある。
イチゴとはどうやって作られるのか、
イチゴの甘さはどこから来るのか、
どのイチゴが甘いのか。

そんな説明を紙芝居やクイズ、プロジェクターを使って
説明をしてからハウスの中に入る。

そこで、講師が一言。
「10粒、選んでとってみてください。」

10粒しか選べないから、甘そうなイチゴを選ぶ。
実際に食べてみて検証する。

そしてようやくその後、パックが渡されて、
そのパックに詰められるだけ詰めることができる。
こうして、未熟なイチゴを残して、
完熟イチゴを収穫してもらうということが可能になる。

何より、イチゴについて、農業について
参加者が学ぶ機会を提供している。

モクモクに宿泊すると、
朝6時半に起床し、朝の農業を手伝う。
メインは牛の乳搾り。
さっき絞った牛乳が朝食のテーブルに並ぶ。

ここでようやく牛乳は牛の乳となり、
子どもたちに認識される。

モクモクのポイントは「デザイン」だ。
農業の魅力、たいへんさを
どのように伝えるか、を大切にしている。

7人のデザイン・チームが
全ての商品、広報物のデザインをしているのだという。

モクモクは直営レストランも展開している。
野菜料理のビュッフェ方式だ。

季節によってダイコンがいっぱいとれる。
そしたら、ダイコンの料理だけで5品くらい出してもいい。。
それが旬を味わうということ。

最後に、西川さんが語ってくれた。
全国の農業を何とかしたい。
どんどんマネしてほしい。

時代は流れているから、
自分たちはどう変化、進化していくか。

農業のフロントランナー、モクモクファームの
魂に触れて、大きな刺激となりました。

  

Posted by ニシダタクジ at 07:35Comments(0)日記

2012年10月23日

手間がかかるという豊かさ

三重県・伊賀市
穂積製材所プロジェクトに
お邪魔してきました。

studio-Lの事務所が併設され、
大阪事務所と24時間スカイプで話ができるようになっています。
いまはこういう時代ですね。
粟島支店、つくれそう。

元々は
穂積製材所の社長さんから
「公園をつくってほしい」と山崎さんが依頼をうけたことがからスタート。

すべり台やブランコではなくて、
製材所を活かして、
木から家具などをつくることを
通して、「公園という機能」を実現すること。

つまり、人と人が集い、触れ合う場をつくる
ということが根底に流れている。

穂積製材所の内田さんから
話を聞くと、心が躍る話がたくさん。

木には育った環境が違うから
1本1本に個性がある。

それなのに、
いまはプレカット材(すでに規格に切られている木材)
が主流となり、使えるところだけを使い、
残りは廃棄処分となっている。

このオフィスは、
いわゆる端材をつなぎあわせて壁をつくっていた。
手間のかかる作業。
これを学生インターンを中心にやったのだという。

来年。
穂積製材所は、家具作りをスタートする。

図書館で読みのリテラシーが育つように、
製材所でDIYのリテラシーを育てる。

そうすると、
何かモノがほしかったり、壊れてしまったときに
すぐに買いに行くのではなく、
自分で作ったり、直したりすることが可能になる。

そのプロセスでたくさんの人と出会い、
年配の人に教えを乞い、
だんだんと上達していく。

これって豊かさだよなあって思った。

手間がかかる、というのは
コミュニケーションが生まれ、
そこに豊かさが生まれる。

内田さんが最後に言った。
「気合とアイデアがあれば、できるぜっていうのを見せたい」

すごくわくわくした訪問でした。
内田さん、ありがとうございます。

  

Posted by ニシダタクジ at 06:29Comments(3)学び

2012年10月22日

日本横断!ニイダヤ水産を応援します。

ニイダヤ水産が営業再開して2か月。
先週末の14日には大学生も駆け付けて、
イベントに参加。

さかのぼること
1年2か月。

2011年8月12日に、
初めていわきを訪問した新潟の大学生が
「ニイダヤ水産復活プロジェクト」を開始。

真空パックを作るための真空機を
買うための資金を集めるチャリティー企画です。

8か月かかって、
支援金を集め、2012年4月に
会津若松のNPO法人素材広場、横田さんに届けました。


そして、今年8月11日に
ニイダヤ水産復活の試食会に参加。


ニュース映像はコチラ。
http://www.youtube.com/watch?v=dOQuLfWbHD8

そして、9月には
東京・新潟・福島の大学生9名が
素材広場のインターン生として、
ニイダヤ水産の干物の販路開拓に取り組む。

粟島にも一緒に行き、
粟島といわきをつなぐプロジェクトも始動しました。

先週金曜日。
そのインターンシップの振り返りを
事務所で行いました。

東京から小野さん
福島から石塚さんも駆け付けてくれて
振り返りを行いました。

今後も、新潟でも、ニイダヤ水産を盛り上げていきたいと考えています。
同時に粟島の魚加工業の仕事づくりも応援したいと思います。

まずはツルハシブックスを営業拠点に
新潟の販路開拓に取り組みます。
来月には粟島の魚の試食会も計画中です。

つきましては、ニイダヤの、そして粟島の干物を
保管する業務用冷凍庫が必要です。

皆様からのご支援をお待ちしています。
期限はあと1週間です。

https://faavo.jp/niigata/project/11

参加は1000円から。
5000円ですと干物とニイダヤ社長の顔入りオリジナルTシャツが送られてきます。
応援よろしくお願いします!!  

Posted by ニシダタクジ at 07:47Comments(0)日記

2012年10月21日

夢のコラボカレー

夢のコラボカレー初日。
いっとうや×うめやん
のスペシャルカレー
「カツオだし薫るエッグカレー」
がいよいよ食べられることに。


ツルハシの前に看板が立ちます。

そして。
ついに。

いっとうやのカツオだしをたっぷり使った
エッグカレーです!


いっとうやのメンマと味玉が入っています。

特に!!
味玉のカレーのハーモニーはすごいです。
うなります。

食べると、こうなっちゃいます。


夢のコラボカレーは
本日21日まで11時~16時予定です。
お待ちしています。  

Posted by ニシダタクジ at 05:48Comments(0)日記

2012年10月20日

当事者意識を育てるインターンシップ

インターンシップとは
何のためにやるのだろうか?

もういちど
この問いに立ち返る必要がある。

いつのまにか。
インターンシップをやることが目的になってしまっている。

インターンシップという経験を通じて、
大学生にどんなスキルやマインドを身に付けて
もらいたいのか、
やる側の大学生はどんなスキルやマインドを身に付けたいのか?

その問いを共有してから始めることが
大切だと思う。

僕が考える
インターンシップをやる意義は
「当事者意識」を育む、ということ。

昨日。
この夏の「みちのく復興インターンシップ」に
参加した6名が個人振り返りを行った。

やっぱり、
これやってよかったと思った。

会津若松の素材広場さんに
受け入れ先となっていただいた
今回のプロジェクトは、
福島・いわきのニイダヤ水産を会津若松の旅館に
粟島産の魚を使用するということでアピールするというものだった。

素材広場の横田さんの受け入れ方針が
「自分で考える、責任を持ってやる。」
で完全に新入社員と同じような扱いをされ、
たくさんのダメだしをされて、泣いた日も何度もあったという。

そこで身に付けたものは、
仕事に対する責任、そして「当事者意識」だ。

文章を書いても、最後はチェックしてもらえる。
そんな甘えた姿勢でいい仕事はできない。
横田さんはそんな仕事を振ってくれた。

そして何より
本気の大人に出会えた。

福島をなんとかしようと奮闘する横田さん。
名刺に福島県の形を印刷し、いわき・四倉を背負って
ふたたび立ち上がった賀沢さん。
そしてそれを応援するたくさんの大人たち。

大人の本気に触れて、スイッチが入った。

新潟県立大1年の鈴木さんが言った。
「新潟に帰ってきて、いまもずっと、
ニイダヤ水産のために何ができるかを考えている」

そう。
インターンシップの期間が終わっただけで、
ニイダヤのプロジェクトはいまようやく始まったばかりだ。

いま。
新潟から、僕たちができること。
粟島といわきをつなぎ、
福島復興への一助となること。

わずか3週間でも、
明確な目標と本気の大人とていねいな振り返り、フィードバックが
あれば、大学生は大きく変化する。

そんなことを実感したみちのく復興インターンシップでした。

まだまだ、ニイダヤ水産復活プロジェクトはつづきます。

今度はツルハシブックスを
ニイダヤ水産の新潟の営業拠点にするための
ファンドが発足しました。

まだまだ頑張りますので、よろしくお願い申し上げます。
https://faavo.jp/niigata/project/report/11  

Posted by ニシダタクジ at 06:52Comments(0)日記

2012年10月19日

誇りの入り口

昨日は新潟市が行う教育ファームの
キックオフフォーラムに参加してきました。

基調講演の佐藤弘さん、
2時間にわたる長丁場の講演でしたが
まったく飽きさせない、感動の連続でした。

何度も映像で泣きそうになった。
そして、自分もやらなきゃって使命感も湧いてきた。

子どもの体温低下のデータに始まり、
特に若者の食生活の乱れとそれに伴う
子育て期の食生活の乱れ、
食生活は親から子へと連鎖していく。

先生が言っていた。
「自分の体は自分のものであって自分のものではない」

若者が、めんどうだからといって
コンビニやファストフードやお菓子を
食事としていると、
そのツケは当然子どもに回ってくる。

「価値観」と「時間軸」
が狂っていると言う。
たしかにその通りだと思う。

女子高生は15年くらいで
女子大生は10年あまりで
母になる可能性を持っている。

男子も同じく父になる可能性がある。

こうして、
佐藤弘さんは西日本新聞での連載
「食卓の向こう側」をスタートし、大反響を呼んでいる。

新潟市が教育ファームを始めるにあたって、
5つのアドバイスをいただいた。

1 弁当の日
小学校5,6年生がやる弁当の日。
「自分で作る」ということ。
これが子どもたちに劇的な変化を呼ぶという。

2 加工と結びつける
獲れた野菜を加工して食べるところまで

3 学級園の充実
日常的に野菜を育てる空間にいること

4 農業体験農園の開設
農家の指導付きの農園。農業塾、みたいなもの。

5 健康教育
なぜ米飯給食が必要なのか?を真剣に伝える。

素敵なヒントにあふれた講演会だった。
どちらかと言うと、行政や学校関係者向けに開かれたキックオフだったので、
僕らNPO的に考えると、どのようにするかについて、改めて考えてみると。
ひとつのテーマが浮かび上がる

「地域に誇りを持つ」というテーマ。

新潟は政令指定都市では屈指の農業都市である。
それを誇りに思うようなアプローチとはなんだろうか。

僕が考えるキーワードは
「暮らし」と「農家のプライド」
だと思う。

生涯学習課とコラボした農的暮らし体験は
巻の佐藤家でやったからこその空間形成と
なったと思う。

そして、この夏に制作した
こだわり農家マップはまさに人にフォーカスした
生き方、考え方の情報誌だった。

行政が広く、広範囲にやるとしたら、
僕たちは、西区西蒲区の特定の農家と
大学生のようなピンポイントで
「誇りの入り口」を作っていくことかなと思った。

古民家で昔の人の暮らしに触れる。
地域に生きる人の地域愛に触れる。

農家の人柄に触れる。
農家の思いに触れる。

このことが「誇りの入り口」なのではないだろうか。  

Posted by ニシダタクジ at 06:26Comments(0)

2012年10月18日

福祉国家と資本主義国家

かつて森嶋通夫氏は、その著書「イギリスと日本」(岩波新書 1977)の中で

資本主義国では、分配の仕方に変更を加えることを好みませんから、
国民の物質的幸福を増すには、純生産物の総額を増加せねばなりません。
これに反し福祉国家では、国民の幸福を大きくするには、
純生産物をどう分配するかを考えますから、純生産物が増加しなくても、
分配の仕方を改良して幸福を増進することができます。

福祉国家にとって経済成長率が低いことは、苦しいことではありますが、
致命的ではありません。福祉国家の成績は、それ自体の尺度で評価すべきであり、
古典的資本主義を見る目で採点してはなりません。

と言った。
金銭で表される経済価値だけを豊かさだと考えるか、
老人や障害者、自然環境をも含めてすべての人々が
生活の福祉をともに実現しようとする状態を豊かさと考えるか
――そこには豊かさに対する考え方に大きな違いがある。
(「豊かさとは何か」より)

なるほど。

福祉国家は
「どう分配するか?」がテーマなのか。

こりゃどうしようもない、と思ったかもしれない。
しかし、幸運にも日本は、これから超高齢社会へと突入していく。

どう分配するか?
を考えずには、成り立たない社会、そして時代だ。

価値観の大きな変動期に立っているのだなと強く感じた。  

Posted by ニシダタクジ at 07:18Comments(0)

2012年10月17日

豊かさとは何か



「豊かさとは何か」(暉峻淑子 岩波新書)

すごいな。
20年経った今でも色あせない1冊。

僕が大学2年生の時。(96年だと思う)
日本農学系学生ゼミナール(通称日農ゼミ)
のある分科会での課題図書になっていて
読んだ1冊。

20年経った今でも、
めちゃめちゃ問いかけてくるメッセージ。

これ。
大学1年生の必修本ですね、やっぱり。
これで自主ゼミやりたくなってきました。
ツルハシ西田ゼミ、開講します。
お楽しみに。

衝撃だったフレーズはこちら
「命にとっては、哲学よりも、モノとカネが大事であることは、
敗戦国民の、体験から生じた必然的合意であった。
なぜならば精神主義による判断はしばしば独善的な誤ちに向かって暴走するが、
モノとカネをいくら作り出したか、という金銭的価値判断は、
理屈抜きに、誰の目にも合理的な客観性を持っているからである。」

なるほど。
これは怖い。
2度とあんな思いはしたくない。
そんな合意が経済至上主義を生み出したのだと著者はいう。

そして。
たくさんのものを置き忘れてきた。

いま。
20年の時を超えて、
環境問題や大震災を経て、
たくさんの動植物や人たちの死を目前にして、
ようやく、「豊かさとは何か」と問える時代になった。

「豊かさとは何か」
個人、ひとりひとりがこの問いに挑むとき。

そこからしか未来は創造されないと僕は思う。

永塚農園で柿もぎと栗拾いをした。
美味しいお昼ご飯を食べた。
そこに、「豊かさ」が確かにあった。

新潟には、特に農村部にはたくさんの「豊かさ」があふれている。

2012.10.16 永塚農園にて柿もぎ。
  

Posted by ニシダタクジ at 08:10Comments(0)

2012年10月16日

まちゼミ



長野各地で「まちゼミ」

消費者向けに商店街の商店主が
無料講座を開く仕組み。
2002年に愛知県岡崎市で始まり、
いま、長野まで来ているのだという。

店になじんでもらうため、各店舗を会場とし
1講座の参加者は数名~20名程度
材料費以外に受講料を取らず、
商品の販売や勧誘をしないことをルールとする。

商店街では、よく大々的な
イベントが行われ、そこに人が集まることが多いが
その後の集客につながっているわけではないという課題がある。

まちの人が商店街に求めているのは、
イベントや賑やかさではなく、
人と人のつながり、あたたかさなのではないか。

商店街とは、
なんのために存在するのか?

コミュニティの拠点に、
各商店がなっているようなまちを
作るために、まちゼミというアプローチは
魅力的だと思った。

商店街が商店街の役割を果たしていく。
そんな時代がすぐそこまで来ている。  

Posted by ニシダタクジ at 07:12Comments(0)アイデア

2012年10月15日

ひとりひとりが場の構成者である

新潟市若者支援センター「オール」の
農的暮らし体験の最終回が無事に終了。
土曜日の朝10時から翌日の
朝9時半までという24時間プログラム。

のんびりしたゆったり空間を目指して、
プログラムもゆっくり。
参加者の人たちも非常にリラックスしていて、
素敵な空間ができあがっていた。

あらためて、
場の持つチカラの大切さを実感した
全7回だった。

そして、
ひとりひとりが場の構成者であることを実感した第7回。

何かが足りない。

少しの寂しさを感じたのは6回目まで皆勤賞だったNさんが
風邪のため、欠席したこと。
いつもビデオ録画をしてくれていた
Hくんがそこにいなかったこと。

あの人がいない。
それがこんなにも寂しい思いにさせたのは
久しぶりだなあと思った。

それくらい、みんなで作った、
作り上げた場だったのだろうと思う。

「ひとりひとりが場の構成者である」
そんな自覚から、パブリックは始まるのではないだろうか。

地域再生のカギをひとつ、見つけた気がした。  

Posted by ニシダタクジ at 08:29Comments(0)日記

2012年10月13日

キャリアの幻想

大学生が抱えている、
キャリアの幻想が3つある。

「天職」という幻想
「自立」という幻想
「効率」という幻想

である。

天職という職種など存在しないし、
本当の意味で自立している人などいないし、
効率を追求して、売り上げは落ちているし。

これらはすべて幻想である。
そしてこれらこそ、生きづらさの源泉であるのではないか。

時代は急速に、そして大きく変化している中で
なりたい職業をひとつに絞るというのは、
非常にリスクが高いし、

自立して、他人に迷惑をかけていないから、
何をしてもいいだろう、みたいな話ではなく、
相互に貢献しあってこそ社会の構成員となれるのだし、

工業社会からサービス業社会へと変化している中で
効率化ではなく、創造力やコミュニケーション力が求められているし。

この呪縛を解いていくことが
僕の役割なのかもしれない、と思いつつある。

天職という職種があるのではなく、
キャリアデザイン・キャリアドリフトを繰り返し、
自分の価値観を発見することがキャリアのたどりつき方であると思うし。

他者貢献できる自分を知ることで、
やっと自分が自分でいられるし、

効率化ではなく、関係性の時代であるのだから、
ひとつひとつ手間をかける、時間をかけることが
ビジネスの世界でも大切になってきているのだし。

これをどのように表現し、場をつくり、
僕だけではない大人もたくさん関わり、
キャリアを共に創造していく仲間となっていくには
どうしたらいいのか?

というテーマにいま、挑みたい。

いま。
もっとも大きい問題は、
「アイデンティティの喪失」だと思う。

自分が何者であるか?
この問いへの答えがあまりにも得られない時代や社会。

その原因は役割の喪失であり、
コミュニティの喪失であると思う。

アイデンティティの喪失は、
自分なんていなくてもいいのではないか?
という気持ちを起こさせる。

その不安を消費で埋めてきたのが
この30年だったと
「第四の消費」で三浦展氏が述べている。

対応策は
コミュニティを復活させ、
役割を復活させ、
アイデンティティを取り戻すこと。

そのためのツールとして、
「農」や「本」や「商店街」は
非常に魅力的なのだと僕は予感している。

僕たちは、キャリアの幻想を超えて、
豊かな地域社会と豊かな人生を手に入れる。  

Posted by ニシダタクジ at 07:30Comments(0)日記

2012年10月12日

福祉の未来、農業の未来

長野県小布施町のくりのみ園を再訪。
農業・農産加工を中心に据える、社会福祉法人だ。

小布施町と長野市内に
7ヘクタールの農地を持つ。

卵や野菜などをこだわりの自然農法で
生産している。
どんな人を採用しているのか?
と聞くと、意外な答えが返ってきた。

「百姓できるかどうか、土とともに根付いて生きられるかどうか」
この1点だと言う。

大学で福祉を学んだ人ではなく、
農業に生きる意志がある人が採用条件だ。

だから、求人は
「農業就職フェア」のようなところに出していく。

そして希望者には、
まずは1週間の体験実習。

その後、就職を希望する人は1年間の嘱託職員として勤務。
ここでガッツリ農業に携わり、
それでもやりたいという人だけが正職員になる。

くりのみ園は
最低賃金を保障するいわゆる「A型作業所」と
「B型作業所」を併設しており、
長野、飯山の学校からの就職希望が増えてきているという。

養鶏と農作業を通じて、働く場ができる。
スイーツ加工を通して、地域の人とつながることができる。

福祉の未来と農業の未来を
共に創造する場所、それがくりのみ園なのだと強く感じた。
農業の現場には、それだけの力がある。

おそらくはそこに教育の未来もあるのだろう。

希望をリアルに感じる場、それがくりのみ園でした。
島津理事長、お忙しい中、ありがとうございました。

  

Posted by ニシダタクジ at 07:20Comments(0)

2012年10月10日

シェア時代の本屋さん



「第四の消費」(三浦展 朝日新書)
これ、なかなか難解で、読めなかったんだけど、
昨日の朝食時に一気に読みました。

おもしろい。
切り口が素晴らしい。
さすが新潟県出身!

三浦氏によると、
2005年から第四の消費社会が始まっているのだという。

ちなみに
1912年~1941年 第一の消費社会
1945年~1974年 第二の消費社会
1975年~2004年 第三の消費社会
なのだという。

第一の消費社会は
東京・大阪の都市部に
流入した人たちによって支えられた。
「洋風化」のながれである。

第二の消費社会は
本格的な工業化の到来を迎え
電化製品や耐久消費財が飛ぶように売れた。
いわゆる「高度成長」時代である。

第三の消費社会は
オイルショック後の低成長時代に始まり、
ウォークマンに代表されるような、
一家に一台から、一人一台の時代である。

このように
「洋風化」→「家庭」→「個人」の時代へと
消費社会が流れてきた。

そして。
消費社会は行き詰った。

一人一台。
ひとり暮らし。
24時間営業。
こうして、地域と家族は分断された。

「モノを売り続ける」
ことが企業の使命であるのなら、
仕方のないことなのかもしれないが、

すでに飽和しているものを
デザインのカッコよさや、
コマーシャルの有名人で補うようになった。

加えて、人口減少時代に突入した。

もはやこれまでの延長上に、
消費が伸びていくのは考えられない。
そこで第四の消費である。

三浦氏によると、
第四の消費の時代は、
「シェア」を基本とする、つながりの時代だという。

第三の消費時代に徹底して分断されてきた社会。
それをつなぎなおしていく時代。
だからこそ、シェアハウスや
商店街の復活が求められるのだと言う。

なるほど。
ツルハシブックスは「シェア時代の本屋さん」なのかもしれない。

「コミュニティデザイン研究会」
のように、1つのテーマで1冊の本を読んで
考える人たちの集まりだったり、

地下古本コーナーHAKKUTSUは
まさに世代を超えてシェアするための場所だ。

そしてそれは
若者の最大の悩み「やりたいことがわからない。」
に対しての、ひとつのきっかけとなるのだと思う。

「やりたいことがわからない」のが問題なのではなく、
「やりたいことがわからなくて苦しい」のが問題なのだと思う。

第三の消費時代、
個性化、差別化という言葉の元、僕たちは消費を続けてきた。
コンビニの「限定」「新商品」というPOPに心躍らせてきた。

「自分らしさ」「個性」を体現するためのモノであったはずが、
いつのまにか逆転してモノが自分を表すようになった。

2005年から「第四の消費」が始まっている。
もちろん、第一の消費~第三の消費がなくなっているわけでは決してないが、
シェア型の価値観はすでに始まっている。

「幸せとは何か?」
「豊かさとは何か?」

そんな哲学的問いを、一般人がしてもよい時代、
いや、しなければ生きていけない時代に突入した。

この時代に、
本屋さんとして、責任世代として、
僕に何ができるだろうか。
そしてどんなメッセージを発していけばいいのだろうか。  

Posted by ニシダタクジ at 05:40Comments(0)

2012年10月09日

差別化という経営戦略

人と違うこと、違うことを見せびらかすこと、
違うことで自分が優位に立つと思うこと、
差別化とは、そういう価値観だからである。
(三浦展 「第四の消費」朝日新聞出版)
なかなか切れ味するどい本、第四の消費。

第2の消費社会で
冷蔵庫、洗濯機といった
生活必需品は行き渡り、
一家に一台から一人一台の時代へ
突入していく。

そして、それは個人化の流れでもある。

より「個性的」に生きる
ということを広告媒体からメッセージを受け取り、
それに動かされ、消費を続けた。

企業も同じく、
「差別化」を迫られた。
「個性」を持たなければ、生き残れない。
そんな時代が長く続いた。

アイデンティティ・クライシス。
個人が個人であることの危機。
これがやはり僕にとっては
大きな課題であると強く感じる。

やりたいことがわからない、と動けない大学生や、
自分には自信を持って胸を張れるものがないという若者たち。

これは彼らに原因があるのではなく、
「個性化」を市場のテーマとしてきた
社会の課題なのだとあらためて実感する。

企業の「差別化」戦略が
社会に生きる人の人生にも影響を及ぼしているのではないか。

経営とは人、そのものなのだ。  

Posted by ニシダタクジ at 06:23Comments(0)

2012年10月08日

30㎞のカベ

【御礼とご報告】

昨日は、
新潟シティマラソン、2度目のチャレンジでした。

たくさんのみなさまに
応援いただき、ありがとうございました。

また、裏番組で巻のだがしや楽校を
やっていただいた横尾くん、今井さん
ありがとうございました。

結果は、無念にも32㎞地点で救護所に収容され、
バスでの競技場移動となりました。

豪雨の中のレースでしたが、
最初は小田さんと1㎞7分のジョギングペースで
10㎞ポイントを1時間15分かけて通過。

ここまではまったくの余裕。
そこからペースを6分15~30秒に上げて
折り返しまでは順調。
いつも走っている内野新川大橋で豪雨。

25㎞ポイントでスタミナが心配されましたが
20㎞で食べたバナナで復活。

これで30㎞越えたらあとは根性で、
と思っていたら、

去年リタイアした関屋分水の手前で
急激に足が上がらなくなる・・・

しかし、32㎞ポイントで梨木さん西尾さんが
待っているので行かねばならぬ。

いや、そこまでいけば、
あとは気合で42㎞いける、
とがんばっていましたが、関屋分水を越えたところで
さらに足が重くなり、走るのが困難に。
いや、そのときすでに歩行困難にもなってました。

よれよれと歩きながら
32㎞ポイントへ。
そこで無念のリタイア。あと10㎞。

負け犬の悔しさと
みなさんの温かさが身に染みた
1日となりました。

本当にありがとうございました。

これでいままでの戦績は
ニシダタクジ 2戦2敗(競走中止2)となりました。
前日、オグリキャップの有馬記念ラストランを
見て、イメージトレーニングしていたのですが、
かなわずに残念でした。

ダイエット大作戦は見事5㎏減に成功し、
64.9㎏の目標体重になりました。
こちらもありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 04:09Comments(0)日記