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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



新潟市西区内野町431-2
TEL 025-261-3188

平日12:00~19:00
土曜 7:00~21:00
日祝10:00~19:00
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2016年02月29日

「遊び」の中に文化は始まる。


「遊ぶ」が勝ち~『ホモ・ルーデンス』で、君も跳べ!(為末大 中公新書ラクレ)

こういう出会いがあるので、
古本屋さんめぐりは楽しい。
ご存じ、侍ハードラー、為末大さんの著書。

「ホモ・ルーデンス」(ホイジンガ 中公文庫)
からの抜粋と、為末さんの解説。

これが意外にいろいろ通じるものがあって楽しい。

いきなり冒頭からこれだ。

「われわれ人間はつねにより高いものを追い求める存在で、
それが現世の名誉や優越であろうと、
または地上的なものを超越した勝利であろうと、
とにかくわれわれはそういうものを追求する本性をそなえている。
・・・そしてそういう努力を実現するために、人間に先天的に与えられている機能、
それが遊びなのだ」(ホモ・ルーデンス167頁)

為末さんはこの本を20代半ばのころに読み、
衝撃を受けた。
これってスポーツそのものじゃないか、と。

結構な名言だらけです。この本。

・悩みというものの多くは視点が固定されていることから生まれる。
・明確に決めなくても、仮置き、仮決めがあっていい。
・何かのために走ってはいけない
・遊びの「面白さ」は、どんな分析も、どんな論理的解釈も受けつけない。

などなど。

そしてもっともシビれたのはココ。

「文化は遊びとして始まるのでもなく、
遊びから始まるのでもない。
遊びのなかに始まるのだ。」

そして
「遊びと真面目の対比を一つの絶対的なものと
見なす習慣がこびりついているのだ」

「遊びは真面目に転換し、真面目は遊びに変化する」

すべてホイジンガの言葉だ。

為末さんの為末大学の取り組みに興味を持った。
http://toyokeizai.net/articles/-/11613

為末大が学ぶから「為末大学」らしい。(笑)
議論をする日本人を育てるということ。
欧米式のディスカッションをただ真似するのではなく、
日本式のディスカッションの良さを組み上げていく。

AとBという意見に分かれたとき、
欧米ならば、自分の正しさを何らかの方法で証明し、
最終的にひとつの結果を出す。

それは日本人にはフィットしないのではないか。
AはAとしてBはBとして、
お互いを確認しあい、それぞれが自分の答えに近づいていく、
そんな議論ができたらいい。

「為末大学」で大事にしていること。

1歩を2歩へ。
これまでとは別のやり方で考える。
別領域の人と出会って、対話する。
とりあえず、仮置きで始める。
予定調和にならない。

いいね。
そうそう。
なんか、フューチャーセンター的だなあと。
ツルハシブックスもそんな場になりたい。

遊びの中に文化は始まるのだ。  

Posted by ニシダタクジ at 07:23Comments(0)

2016年02月28日

自由と平等は両立できるか?

面白いなあ、佐藤くんのおススメ本。

「社会科学入門~新しい国民の見方考え方」(高島善哉 岩波新書)

「いまこそ、読むべき1冊ですよ。」
という彼の言葉どおり、うなるところばかり。

高校生のときに、
大学生のはじめの時に、読むべき1冊。

「おれは理系だから」という謎の信仰によって、
日本史、世界史、倫理政経は「非効率的」で
無関係で、センター対策としての地理があるだけだと
思い込んでいた(思い込まされていた)。

ほんとにちゃんと世界史とかやったほうがいいと。

モンテスキューの三権分立の
年号と言葉を覚えるのではなく、意味を知らないと。
と41歳で学んだ僕が言います。(笑)

今回はここ。
封建主義から絶対主義を経て
市民社会へ移行していく18世紀。
それは、資本主義社会の成立と同時であった。

~~~ここから一部引用

そこにある市民社会の矛盾。
著者によると3つの矛盾があるのだが、
今日は1つめだけ。

市民社会は人間の自由にして平等、しかも友愛に満ちた社会であるという
根本原理である。
いうまでもなく「フランス革命」の合言葉である。

しかし、自由と平等ははたしていつまで両立できるのか?と著者は問う。
自由とは、優勝劣敗、弱肉強食の世界であり、
市民社会が財産関係を基礎として成り立っている社会であるから、

私有財産は、人間の生命、身体にたいする所有権と
同じように絶対的なものだと考えれた。

それでは、すべての市民が同等の財産を持つことができ、
また持ち続けることができるのだろうか。
決してそうではない。

第1に市民社会の出発点をなした財産は、
歴史上は封建体制の胎内で一部の権力者や一部の市民層によって
合法的非合法的に蓄積されたものであり、
第2にこのはじめから公平でない競争は、
競争が自由であればあるほどますます不公平な結果を導きざるをえない。

つまり、市民社会は、
階級と階級との大きな差別をその中にはらんでいたのである。

~~~ここまで一部引用

な、なるほど。
ピケティってそういうことを理論的に
言っているんだなあと。

この本はなかなか深いですね。
60年前の本とは思えない。

読み進めます。  

Posted by ニシダタクジ at 06:35Comments(0)

2016年02月27日

アウトプットの時代

昨日は、午前がインターンシップフォーラム、午後がCOCプラス結団式でした。

午前のインターンシップフォーラムでのメモ
~~~ここからメモ
(短期)
・茨城キリスト教大:早期に企業との接点を持つことが重要
・インターンで変われた。
・ネガティブという言葉に逃げていた
・インターンシップというより多様な大人との出会い

・仕事の内容というよりも働き方・仕事観・価値観を学べた
⇒インタビュープログラムがいいのでは?

(中期)
・自ら問いを立て、それを解決する力をつける
・プロジェクト設計/募集・マッチング・フォロー
・社会的意義を伝えていく
・安心感⇒刺激⇒覚悟⇒主体性
・試す⇒振り返る⇒改善する/日報:返信・フィードバックする。
・何を大切にしたいのか、考えるようになった。
・やり方を教えてない。30個売るという結果目標だけを伝える

(PBL型)
・自分で考えることをプログラミングする。
・成果物をどう残すか。

結団式では、
(株)カスミの小濵会長の話に感銘を受けた。
小売業の最前線でトップはどのように時代をとらえているのか。

~~~以下講演および講演資料よりメモ
リーマンショック以来、
地方・地域にシフトしてきた。

私たちはいまどのような時代にいるのか

地域再生に役立つ教育の仕組みづくりの時代
企業も生活者サイドの創意工夫が必要な時代
創発・協働の認識

共感・社会性が必要な時代
つながり力育成(協創型の貢献・つながる)

知識「入」よりも「出」の時代
学ぶ⇔実践・実学
(専門型の貢献・技を活かす)

実践的交流体験の必要な時代
参画と交流の「場」づくり
(多様性型の貢献・支えあう)

ティーチング&コーチング
教(知識技術習得型)⇔育(成長促進型)

社会貢献活動=社員教育として
⇒離職率が下がる=仲間ができるから。

ソーシャル・シフト
本部で統制・命令・マニュアル
⇒機能しない⇒ひとりひとりに考えてもらう

~~~ここまでメモ

本当にびっくりした。
効率化の塊のような小売業のチェーンストア
の経営者が

本部で統制・命令・マニュアルは
もはや機能しないと。
ひとりひとりが考える時代なんだと。

これ、書店チェーンも、考えなきゃいけないよね。
本部で統制して各店舗で注文できなくなったら、
面白くなくなっちゃうもんね。

ひとりひとりが考え、試作し、ふりかえり、改善し、ふたたび試作する。
そのための協働の場づくりが必要なのだろうと思う。

次のアイデアを出すのはトップの仕事ではなく、
会議のチカラだ。
その「場」に貢献できる人材を輩出していくこと
それが高等教育機関の使命ではないだろうか。

午前中のえぽっく若松さんが言っていたように
アウトプットの時代のいま、
試作⇒振り返り⇒改善のサイクルを回していくこと。
まず、そこから人生は始まっていく。
  

Posted by ニシダタクジ at 06:10Comments(0)学び

2016年02月26日

キャリアドリフト時代におけるカフェ的空間の役割


「一歩踏み出せば昨日と違う自分になれる!」
(ジョン・クランボルツ/ライアン・バビノー 日本文芸社)

キャリアを考える上で、
クランボルツ理論を知ることは、
大きな1歩になるだろうと思う。

http://hero.niiblo.jp/e471194.html
参考:好奇心の芽を摘む7つの自問
「20代の宿題(2015.7.31)」

キャリアドリフト。
川下り型キャリア。
「偶然」をいかにつかむか。

一般的にやられているキャリアデザイン。
山登り型キャリアとは、
異なるキャリア理論だ。

予測不可能な時代に生きている僕たちにとって、
キャリアの考え方そのものを変えていかなければならないだろうと感じる。

前提条件が違う。
・人口増加による長期的な経済成長
・正社員で入社して一生勤める
・身につけたスキルが長期間使える

という前提であれば、
「目標」を設定し、それを短期間目標に分解して、
今、何をやるかを決定し、そこに集中する。

1つのことを極める。
石の上にも3年。
みたいな価値観が通用した時代。

その前提条件は明らかに崩れ去っている。
・人口減少によるモノ需要の減少
・1つの会社にとどまらない
・身につけたスキルはすぐに陳腐化する

そんな時代を生きていくには、
キャリアドリフト的な思考は必要になってくる。

・「偶然」をつかみ、「偶然」を生かす
・好奇心を持ってなんでもやってみる
・なんとかなると楽観視する
とそんなようなことが必要である。

そして何より、
「未来は社長の頭の中にではなく、対話の中にある」
のだと僕は思っている。

では、そんな「偶然」を起こしたり
「好奇心」を刺激する「対話」はどこにあるのか?
それがカフェ的空間なのかもしれないなと。

http://hero.niiblo.jp/e306473.html
参考:「もやもやに挑む」
(20代の宿題2013.11.25)

「カフェという場のつくり方」にあるような、
「文化や意識や精神をゆるやかに共有させてくれるような喫茶店」

そんな場所は、本来生きるのに必要だったはずなのだけど、
いつのまにか、食事・空間・対話
のうち目に見える「食事」だけがフォーカスされ、
200円でコーヒーが飲める場を「カフェ」と呼ぶようになった。
(いまやコンビニで100円で買えるコーヒーをカフェと称されている)

前述したここ50年60年の「特殊な時代」に、
いつのまにか少なくなってしまった喫茶店。

それはふたたび、見直されてきている。
生き方としてのカフェ、というのもあるだろう。

しかし、僕としては、
キャリアドリフト時代におけるカフェ的空間の重要性を
もう一度考えてみたい。

カフェとは、
「偶然」があふれている空間だ。
人やモノとの出会い。

特にブックカフェ、あるいは本屋併設のカフェなら
なおさらだろう。

「偶然」とは、「目的」を持たずに、
あるいは「なにか面白いことないかなあ」
と思ったときにたまたま出会うものだ。

そこに好奇心を発動させ、
聞いてみる、話してみる、やってみる、
そんなことが起こる場なのだろうと思う。

そういう意味では、
ツルハシブックスは「本屋」ではなく、「カフェ」なのだと思う。

昨年卒業した店員サムライの野島さんが
サムライになる前に言っていた。
「ツルハシブックスにいけば、誰かに会えるから」

「誰か」や「何か」に会いたくて、
人はカフェ的空間に足を運ぶ。

そこで思ってもいなかった出会いがあり、
行動が起こる。

キャリアドリフト時代には、
そんな場所が必要なのではないかと思う。

「それが必要だ」と思ってはいないけど、
「あってよかった」、そんな場をこれからもつくっていく。  

Posted by ニシダタクジ at 08:36Comments(0)学び

2016年02月25日

松下村塾をつくる

あらためて、僕は松下村塾をつくりたいのだなあと。

昨日、佐藤くんから、
「この本、読んだほういいです」とおすすめされたのがこちら。


「社会科学入門~新しい国民の見方考え方」(高島善哉 岩波新書)

いいですね。
そういうの。
本を薦め合う。
松下村塾っぽい。

1954年の本を手に取ることなんてないだろうし、
まさか買わないだろうから、いい機会をいただいた。

いきなりここ、よかった。
「社会科学においては、顕微鏡も試薬も役に立たない。
ここでは抽象力が唯一の武器である。」

いいねえ。
抽象力、大事だ。

面白かったのは、第三章 社会科学の歩み

~~~ここから一部引用

社会科学はいつ科学として成立したのか?
どこで生まれたか?
そしてどうして科学として成立発展したか。

17世紀~18世紀および18世紀~19世紀。
まずイギリスで、そしてフランスおよびドイツで。
そして最後の問いは、
「資本主義体制の生成と発展」に深い関係がある。
と筆者は言う。

社会科学が科学として成立するには、2つの条件が必要である。
第一には人間が物事を考え、自分自身の行動や生活の基準を
立てるのに、何よりも自分自身のたしかな経験によろうとする態度である。
これは自然科学と同じく、人間が人間以上の力に対して
その主体性を確立しようとすることである。

第二の条件としては、社会そのものの側における大きな変化である。
社会に大した動きもなく、習慣や風俗や考え方にあまり変化が起こらないときは
人々はそれにただ順応するだけだが、社会が変化し、古い秩序や制度の枠で
もはや処理することができないような出来事がつぎつぎに起こるようになると、
人々はその対策を講ずるために自分自身でその原因を研究し、自分自身の運命を
切り開きたいと思うようになる。

なるほど。
つまり、社会科学が科学としての成立をみるためには、
第一には人間自身の側における変化(人間の主体性の自覚)と
第二には社会そのものの側における変化(社会生活の動態化)とが
まず同時に起こらなければならない。
この二つの変化は、たんに変化というにとどまらず、一つの変革であり、
革命である。

主体である人間の側と、その客体である社会の側との双方に
革命的な変化が起こらなければならなかった。
そしてこれらの変化は相互に結びついて行われ、
相互に促進しながら進んでいった。

資本主義末期の現代を考えるうえで、
このことは非常に示唆に富んでいる。
(って1954年に言ってるのか、高島さんは)

本文では、このあと、西ヨーロッパの中世から近代への
移り変わりを説明する。

「ルネッサンス」と「宗教改革」である。
文化史の上でこの転換期を表す2つの大きな目印である。

ルネッサンスとは、ギリシャの精神にかえることであり、
宗教改革とは、直接キリストの言葉にかえることである。
ギリシャの精神とは、人間中心の考え方であり、いわゆるヒューマニズムの精神である。
キリストの言葉とは、聖書のことである。

なぜ人々はギリシャの人間中心の考え方に復帰し、
あるいは直接聖書の言葉に立ちかえることを求めたのであろうか。

いいなあ、このなぜ?
こういうのを歴史でやらなきゃですよ。

それはほかでもない。
それと反対の非人道的な考え方、
神の心を疎外するような掟が当時の人々の生活や心を抑圧したからである。

ルネッサンスと宗教改革とはともに
元へ戻るという復古的な形を
とってはいるけれども、その本質は抑圧された人々の抑圧する人々に
対する抗議の運動であり、抵抗の運動であった。

それではこの場合、抑圧する人々とはだれか。
それは領主と僧侶であった。
抑圧された人々とはだれか。
それは農民と商工階級の人々であった。
つまり、一方においては、領主と僧侶。
他方においては農民と商工階級。

これらの諸階級がいわゆる封建社会の
骨組みを作り上げていた。
そして、これらの諸階級の支配と被支配の
関係が、世襲的な、動かすことができない身分関係として
固定されたのが封建社会の基本的な特色であった。

僧侶と教会は祈りを、領主と武士は戦いを、
そして農工商の人々は労働を受けもたされた。

とくに農民は、この社会の経済的物質的な基礎をなすものであったが、
土地に縛りつけられて、実質農奴に近い状態にあった。

中世から近代への転換は、
このような身分関係を解体し、またこのような支配と被支配の関係を
打ち破ることによって行われたのである。
そしてルネッサンスと宗教改革は、この転換運動の最初の二大烽火となったものである。

~~~ここまで一部引用

うわ~。
そういうことか~。
ルネッサンスと宗教改革、こんなふうに説明してよ~。
いや、説明していたような気がするな、高校のとき。

そして封建社会の体制が崩れ始めたのは、
貨幣経済の発達、および交通および取引の発達、なのだという。

封建体制は、経済的には土地と農民を基盤としている。
それを支配していたのが僧侶と領主である。
つまり封建社会は現物経済の上に立つものであった。

そこに商人があらわれ、力をつけていくことによって、
封建体制はゆるぎ始めるのである。

となるほど。
この本はたしかに面白いわ。

佐藤くん、おもしろい本の紹介をありがとうございました。
こうやって松下村塾は徐々にできていきます。  

Posted by ニシダタクジ at 08:52Comments(0)

2016年02月24日

就職をお見合いから恋愛に変えるインターン採用


カタリバいばらきのミーティングで
ふたたびユニキャスト&コクリエへ。

地域貢献型シェアハウス「コクリエ」
https://co-crea.jp/

三ツ堀社長のビジョンにふたたび胸が熱くなる。
20年、30年先を見ているのだなあと。

日立で行われている立志塾で
若手経営者たちと活動している。
経営者×大学生の取り組みをもっと増やしていきたい、と。

そのための「コクリエ」でもある。
「企業」と「シェアハウス」のシェアハウスだ。

その原点には、
茨城大学工学部時代の寮生活があった。
部屋についたら隣のやつが寝ていた、
なんてことは日常茶飯事だった。

そんな日常からいまでも
東京行くから飲もうか、と言っただけで
全国から仲間が集う。

インターネット時代になって、
全国どこでも回線があれば仕事ができる、
みたいなことが言われているけど、
そこには大切な視点が抜けている。

「仲間」の存在だ。
いい仲間がいないと、いいものは生み出せない。

まさに「コクリエ」の由来である
co-creationだ。

学生が「やりがい搾取」されるような
地域プロジェクトではなく、
地域に価値を生んでいく事業には
ちゃんとお金が回っていく仕組みをつくりたい、と三ツ堀さんは言う。

コクリエがそのためのプラットフォーム
になるのだと。

もうひとつ、
ユニキャストに特徴的なのが、
インターン採用だ。

現在も20名ほどのインターンがユニキャストで働いている。
その中から採用するのだという。
通常のナビサイトには登録しない。

これに関しても三ツ堀さんの考えは熱い。
ナビサイトに数百万数千万出すコストを考えるなら、
インターンを雇ったり手間をかけたりすることにコストをかけたい。
就職をお見合い結婚から恋愛結婚にするのだと。

それって、地域にとって価値があるな、と思った。

インターン生が会社にいるということ。
それは会社のある地域に若者が増えるということ。
そこから何かが生まれてくるかもしれない。

三ツ堀さんは文化創造の場をつくっているなあと。

経営者と大学生が一緒にプロジェクトをやる。
そんな仕組みが作れたら、すごく面白いと思う。  

Posted by ニシダタクジ at 06:00Comments(0)

2016年02月23日

ツルハシブックスという「ワークショップ」

2月20日の「ワークショップ3.0」の中のミニ講座
「そもそもワークショップって何ですか?」
は、何度も噛み直したくなるような、素敵な時間だった。

昨日も書いたけど、ふたたび考え直してみる。

~~~ここからプレゼン書き起こし

・ワークショップとは、「講義などの一方的な知識伝達のスタイルではなく、
参加者が自ら参加・体験して共同で何かを学び合ったり、創り出したりする
学びと創造のスタイル」(中野民夫『ワークショップ』2001年)

・参加体験学習とワークショップは切り離して議論したほうが建設的であろう。
本書ではワークショップを『創ることで学ぶ活動を主軸にしたノンフォーマルな
経験学習の様式』と定義し、学校教育で行われる問題解決型学習や、
日常生活の中での経験的学習とは異なる、『一定の構造を持ちながらも
自主的に展開されている経験学習プログラム』として議論を進めていく
(山内祐平、森玲奈、安斎勇樹『ワークショップデザイン論』2013年)

それを踏まえて、
荒木先生の再定義。

ワークショップを、「一方的な講義形式ではなく、
社会的存在としての自己が他社との関わりの中で、
所与の目的を達成するために参加体験的な活動を通じて
協働的・創造的にアプローチし、『生』を豊かにするプロセス」と再定義。

・ワークショップの源流は、アメリカの教育学者デューイの思想に基づいている。
・もっとも古い記録によれば、1905年の演劇ワークショップ
・その後「まちづくり」「アート系」「社会変革系」などと分類

★デューイ

・教育(の営み)とは、経験の絶えざる(連続的な)再構成、再構築である
=成長=人間と環境との相互作用
・単なる活動は経験を意味しない!意味付けられて「経験」となる
・経験から学ぶ=こうすればこうなるという予想から、意図を持って働きかけていくこと。
経験の意味を増し、未来への働きかけを行うこと。過去の経験を分析し、未来の経験へ向かっていくこと
・そのために必要な熟慮(リフレクション)

★生産的失敗

・Manu Kapur(「生産的失敗 productive failure」の提唱者)
・私達が間違いから学ぶことがあるのであれば、
失敗を引き起こすような意図的に失敗をつくりだす授業のデザインができないか
・複雑な課題を提示し、生徒による生成と探索(第一段階)
・教師による知識の定着と構築を目指す(第二段階)

★ワークショップを展開するにあたって

・ワークショップは、ある意味つくられた、準備された「場」であるので、
参加する人にとっては、多くの失敗が「公式に」許される「場」でなければならない。
失敗したことを含めて、現実の世界でどのようにそれを活かしていくかを視野に入れることが大事。

・参加者にはプランナーとしてプロトタイプをどんどん出して、試してバージョンを上げていく
=「ワークショップの再構成」を試みてほしいです。
・現実の「生」を豊かにするという視点が大切

・Uの谷を降りて上がってくる。

★ワークショップの三要素

・まなび(learning):
認知的要素、意味の付与、深い理解、
不均衡、発見、リフレクション、メタ認知

・活動(activity):
モノ、他者、自分との関わり、対話、ものづくり、協働

・関与(engagement)
情意的要素、フロー、没入、楽しさ(プレイフル)

★工学的アプローチと羅生門的アプローチ

  工学的アプローチ      羅生門的アプローチ

一般的目標         一般的目標
↓                ↓
行動的目標        創造的教授・学習活動
↓                ↓
教材              記述 
↓                ↓
教授・学習課程    一般的目標に照らした診断評価

行動的目標に照らした評価


目標   行動的目標を          非行動的目標を
      特殊的であれ          一般的であれ
 
教材   教材のプールからサンプルし、教授学習過程の中で 
      計画的に配置せよ        教材の価値を発見せよ

教授学習過程 既定のコースをたどる 即興を重視する

強調点 教材の精選、配列      教員育成

・学びの手段としてのワークショップ・・・
つまり何かしらの課題解決をするために
ワークショップが用いられる場合(明示的カリキュラム)

・ワークショップそのものが学びとして存在する、
目的としてのワークショップ・・・
コンテンツはひとまずおいておいて、
ワークショップに参加すること自体が、
結果的に創造力やコミュニケーション力、批判力などの
能力を育成する場合(隠れたカリキュラム)

★問題解決学習における「問題」の意味

・狭義の「問題」・・・
教育内容を予め固定しないで、子どもの社会的な
経験の組織を編成の基本的な枠組みとするもの
→問題の発見から解決まで

・広義の「問題」・・・
あらゆる教科の基本的な知識を学んでいく際の、
問題把握→問題追求→問題解決という学習過程のこと
→問題の解決のみ
(清水毅四郎 1995)

★ワークショップ1.0
・到達目標が予め決定しており、その到達点に
参加者が至るべく、ファシリテーターが具体的な
ワークショップスケジュールを準備できるもの。
最初に何をやって、次に何をやるか、構造化されているワークショップ

・明示的なカリキュラム
・伝えたいことと、結果として参加者が学ぶことの相違が比較的少ない

例:
・世界がもし100人の村だったら(開発教育協会)
・ひょうたん島問題(藤原孝章)

利点と問題点:
・ワークショップが構造化されているので、
あまりファシリテーションに慣れていない人でも、
進めることが可能である。

・体験的に活動しながら、具体的なことを学ぶことができる。

・比較的短時間で行うことができる。

・到達目標が決まっているために、参加者に応じて
途中で流れを組み替えることが難しく、参加者の自由な
発想が活かしにくい。

★ワークショップ2.0
・一般的な目標は、決まっているものの、結果として
具体的に何が生じてくるのかは予想出来にくく、
参加者がその場で「答え」となるもんを紡ぎ出していくワークショップ。

・全体の流れは明示的であるが、結果として
現れてくる成果は、ワークショップが始まった段階ではわからない。

例:
・ワールドカフェ
・演劇系ワークショップ

利点と問題点:
・何についてのワークショップを行うのか、何について語る(行為する)のか、
どういう手順で進めていくのかがある程度はっきりしているので、参加者が見取りをしやすい。
・その場で、ある程度の即興性や創造性が求められる。
・ワールドカフェの場合、提示したテーマと参加者のニーズが
あっていない場合は、対話(会話)が成り立ちにくい。
・結果として何を学ぶか、参加者に委ねられている(学びの保証が難しい)
・何かについて知識を得ることと、創造的な活動をするバランスをとることが難しい。

★ワークショップ
・参加者の興味や関心に応じて、その場で何をするか決定し(文脈に応じた目標設定)、
比較的長時間かけて目標の達成を図ろうとするもの。
・OSTの場合、問いの真正性(リアルさ)があり、当事者としての参加者が課題解決に向かう。
・ファシリテーター側の予想以外の学びが生じる場合が多い(隠れたカリキュラム)
・参加者とファシリテーター双方に、即興性と創造性が重要視され、求められる。

例:
・OST(オープンスペーステクノロジー)
・完全即興型のワークショップ

利点と問題点:
・強制されることがない(その場から離れることも許される)
・その場で関心が出てきたことや新たな価値について取り上げることが可能。
・参加者がワークショップに慣れていることが大前提。
・何が起きるかわからないので、何が起こってもいいようなモノの準備が必要になる。
・ワークショップを展開するにあたって、参加者にはある程度の前提知識があることが望ましい場合がある。
・ファシリテーターは、参加者が何を要求しているのか、何が必要になってくるのか、
鑑識眼を持たなければならない。

この三類型に基づけば
・学校教育で、特に教科教育の枠組みで展開されるものは、ワークショップ1.0と位置づけることが可能
・「まちづくり」のワークショップにおいても、参加者レベルに応じて、
1.0~3.0の中で組み立てることが可能になる。
・総合的な学習の時間で、導入においては興味関心を引き出すために、
そして一定の知識を伝えるために1.0でおこない、個人のテーマを決定していく際には、
ワールドカフェでアイデア出しをおこない、まとめが終わった後の振り返りとしてOSTを行うなど。

・ファシリテーションは、(おそらく)誰でもできます!
・ただし練習(実践を積む)さえすればですが。
・でも、上手下手はありますし(プロサッカー選手でもそうですもんね)、
好みもあります(R&Bが好きな人もいれば、ロックが好きな人もいます)
・前に出るファシリが好きな人もいれば、存在を消したがるファシリもいます
(FW型、ボランチ型、監督型と呼んでいます)

・ビバ「失敗」!
・ワークショップの三要素とUの谷
・1.0、2.0、3.0のどれに当てはまるのがいいのか(あるいは組み合わせるがいいのか)
・活動の「意味」を捉えてみましょう

~~~ここまで書き起こし。

なるほどなあ。
ワークショップ3.0か。

これを日常化するのは、
もしかしたら本屋なのかもしれないなあと。

気づかずにチャレンジしている。
気が付いたらチャレンジしていた。
そんな状況を生み出すのは、
本屋なのかもしれないと、

しかも、ツルハシブックスのような
コミュニケーションする本屋さんなのではないかと。

ツルハシブックスという「ワークショップ」
があの空間ではつねに開催されているのかもしれない。

店員サムライはファシリテーターなのかもしれないなあ。

うーむ。
これを文章化していかないと。  

Posted by ニシダタクジ at 07:48Comments(0)学び

2016年02月22日

我々は宇宙飛行士ではないし、ここは宇宙ではない

ワークショップ3.0~ひらめきを可視化する
@立命館大学大阪いばらきキャンパス
に行ってきました。

3年前に著書「プレイフル・ラーニング」を読んでから
ファンになってしまった上田信行先生。

今回は大阪行きのタイミングで
素敵な機会に恵まれました。


新潟のみらいずworksにインターンに来ていた
石橋くんの登場にびっくり。

~~~以下メモ

★上田先生
ゼミ=バンドのようなもの
PLAY⇒ROCK⇒揺り動かす
playful Rock'n'Roll!楽しさの中に学びがある

メディアリテラシーとは、
クリティカルシンキングだけでなく、
クリエイティブシンキングである。

アプリ「プロフェッショナル」をどう
クリエイティブに使うか?

ステージに立つ、ということ。
ワンセンテンスで、言い切る。

大きなPと小さなP
すべての人はなんらかのプロフェッショナル
自己紹介をしてその気になり、テンションが上がる。

10分でつくる
教育しても根性はなかなか変わらない。
内面的アプローチをする。
メタ的に見る⇒行動が変わる

★荒木先生
ワークショップ温泉:居心地のいい場所で終わっていいのか?

ワークショップ:ノンフォーマルな場であること、自発的参加であること。

ワークショップを、一方的な講義形式ではなく、
社会的存在としての自己が他者との関わりの中で、
所与の目的を達成するために
「参加体験的」な活動を通じて、「協働的・創造的」にアプローチし、
「生を豊かにするプロセス」であると再定義する

デューイ
経験から学ぶ:こうすればこうなる
リフレクション(振り返り)して意味づける。

単なる活動は経験ではない。
意味づけられてこそ経験:リフレクションの大切さ。

生産的失敗:
今まで学びが大きかったこと⇒すごい失敗をしたとき。
失敗=学びに直結している

ワークショップ:失敗が許される場所
我々は宇宙飛行士ではないし、ここは宇宙ではない。
=失敗が許される環境

Uの谷を降りて上がってくる=どこまで深められるか。
時間をかけるOR1つの問いで深まる。

ワークショップの3要素(三角形)
・まなび(learning):認知的要素、意味の付与、深い理解、不均衡、発見、リフレクション、メタ認知
・活動(activity):モノ、他者、自分との関わり、対話、ものづくり、協働
・関与(engagement):情意的要素、フロー、没入、楽しさ(プレイフル)

ワークショップ1.0
・到達目標があらかじめ決まっている
・最初にこれをやって次にこれをやって、と決まっている。
・明示的なカリキュラムでゴールがある

・初心者でもやりやすい。
・比較的短時間でできる。
・自由な発想が生かしにくい。

ワークショップ2.0
・一般的な目標は決まっているけど
その場で答えとなるものを紡ぎだしていく
・流れはあるが、成果は予測できない。

・方向性は決まっているのでイメージしやすい
・ある程度の創造性や即興性が求められる

・テーマとニーズがあっていないと対話が成り立ちにくい
・結果について何を学ぶかは参加者にゆだねられている。
・知識を得ることと創造的な活動をするバランスをとるのが難しい

ワークショップ3.0
・参加者の興味や関心に応じて、
その場で何をするか決定し、比較的長時間をかけて目標の達成を図ろうとするもの
・ファシリテーターが予想以外の学びを得る場合が多い
・参加者とファシリテーター双方に即興性と創造性が重要視され求められる。

・その場で関心が出たことを話すことが可能
・何が起きるかわからないのでモノの準備が必要
・ある程度の前提知識が必要

これらのワークショップ1.0~3.0を組み合わせることができる。
ビバ「失敗」!

ファシリテーションにはタイプがある
フォワード型、ボランチ型、監督型

~~~ここまでメモ

この後はワークショップ3.0を実践。


僕たちのチームは、「贈り物ワークショップ」を発案。
人生において大切なテーマを問うためのワークショップ。
子どものほうが純粋にテーマに向かっていけるのではないか?と

「だれとやるか?」「だれのために?」
が人生において重要。
未来はひとりひとりの未来がつくる。
これ、コメタクで使えるかも。

そのあとの体験は、
箱入り息子、箱入り娘ワークショップに参加
キューブを使った他己紹介ワークショップをした。

今回は振り返りも平面ではなくてキューブ状のものを
使っていたので新しかった。
6面あるというのは面白いかもしれない。

~~~ここからふりかえりメモ

・大学での学び=多様じゃない
・本気で楽しもうとしていること、面白くしないとダメ。仲良くなるだけじゃない何か
・プロトタイム・リファインはサイクルが短いほど楽しい
・参加者からのリフレクションを構造化するモデル⇒アクティビティーを抽象化⇒実践を繰り返す

・3つの視点 1 おもしろく 2 抽象化 3 お客さんが喜ぶ
・アプリ「プロフェッショナル」:面白い
・アイスブレイクCUPS:突然始まる。アイスブレイクと言ってない

・Engagement⇒Activity⇒Learning
理由を後付するトレーニング

・おもしろいということはエッセンスが詰まっているということ
それをどう引き出すか?
・レゴの高積み=人・目的によって説明が違う
・テーマとアクティビティが行ったり来たりする

・いつも伝えたいメッセージがある
・面白い、と思ったものを大切にして、使えるんじゃないか?と考える。

・ワークショップのカタチを知っておく。そしてそこから自由になる
・参加者の顔を見たときに予定・準備をすべてを捨てられるか?

・深まらないときは体を動かす
・ファシリテーターがノセていけるか?
・共感的にかかわっていくこと、共感的対話の状況をつくること。

~~~ここまでふたたびメモ

ということで、
気づかないうちにチャレンジしていた、
みたいな状況がやっぱり理想だなあと

それには共感的対話の場をつくるということ
そういう意味では、
本屋ツルハシブックスという場は
非常に魅力的な場になっていくのではないかなと思った。

本屋のような劇場「ツルハシブックス」には、
実はワークショップ3.0要素がたくさん詰まっているのではないか、
店員サムライとは、ワークショップファシリテーターなのではないか、
と改めて感じた学びの場でした。

これ、またメンバーと話をしたいテーマです。
上田先生、荒木先生、石橋くん、素敵な機会をありがとうございました。  

Posted by ニシダタクジ at 08:06Comments(0)学び

2016年02月20日

あの人と一緒だったらできるかも


「プレイフル・シンキング」(上田信行 宣伝会議)
3年前に出会い、すぐに会いに行ってしまった、上田先生の本。

あらためて読み直すと、
エッセンスがすごい。
いいタイミングでの再読。

あらためて、
「自信」について考える時間となった。

まず、あらためて考えなければいけないのが、
マインドセットの話。

フィックストマインドセットと
グロウスマインドセット

日本語にすれば、
「固定的知能観」と「成長的知能観」。

まずはこれをおさらいする。

1 「よく見せたい」VS「よくなりたい」
自己を評価するのは、他人なのか、自分なのか。

固定的知能観の人にとって、
自分を評価するのは他人であり、他者からどう思われるかが気になる。
「よく見せたい」よりも「よくなりたい」と
思う気持ちが、あなたを成長させる。

2 「失敗は過ち」VS「失敗は自己投資」

固定的知能観の人にとって、
失敗とは、自分の評価を落としてしまう過ちである。

成長的知能観の人にとっては、
失敗は当然であり、むしろ気づきや発見の多い失敗は
自分への投資である。

3 自己防衛VS課題挑戦

固定的知能観の人にとって、
仕事を遂行することよりも「他者から評価される自分」を気にする。
そして、自分にできそうな仕事を繰り返すことになる。
いわゆる「自己防衛型」である。

成長的知能観の人にとっては、注意は常に課題に向けられていて、
どうすれば課題を解決できるかと仕事を遂行するための
道筋や方法を考えている「課題挑戦型」である。

~~~以上、本書より抜粋

このようなマインドセットの違いはいつ生まれてくるのか?
上田先生は、赤ちゃんのころは、みんながグロウスマインドセットをもち、
プレイフルな存在だったという。

なるほど。
あと二つ、心に残ったのは、

「憧れの最近接領域」

「省察から即興へ」

というところ。
誰かと一緒ならできるかも。
っていうのが自信の根源にあるのかもしれない。
スラムダンク理論だね。

もうひとつは
省察とアウトプットを同時にやることで
それは即興になるっていうこと。
これ、まさに劇団員の精神だなあと。

学校教育は、
人生を固定的知能観と個人戦にしてきたのではないか。

取り戻すべきは、
成長的知能観とチーム戦であるという自覚。

大学生の自信がない問題は、ここに鍵があると強く感じた1冊だった。  

Posted by ニシダタクジ at 08:25Comments(0)

2016年02月18日

15の君へ

15歳が自分と住んでいる地域を好きになり、
自分と社会の未来創造へ歩き出している地域社会の実現。

僕が2002年のNPO法人虹のおと(現在のツルハシブックス)
設立の時に掲げたミッション。

2002年1月。
僕は不登校の中学校3年生、Hくんに出会った。
お母さんから家庭教師を頼まれたのだ。

最初はほとんど話をしない子で、
コミュニケーションがとれるか、不安だった。

仕事を辞めたばかりで、
プータローだった僕は、時間があったので
毎日、彼の勉強を見ていた。
不登校だった彼の勉強は遅れに遅れていた。

合宿をしよう、と提案した。
2泊3日の初日の朝。
彼が持ってきたリュックの中には、
プレステが入っていた。

一緒にご飯をつくった。
キムチ入りのすき焼きだった。

すき焼きを食べているあの瞬間。
僕は思った。

「これを仕事にしたい」と。

「これ」が何なのか、当時はわからなかった。
でも、最初は話をしなかった彼が、
だんだんと笑顔になっていく様子を見て、
不思議だなあと思った。

なぜなら、僕はプータローだったからだ。

まわりにたくさん立派な大人がいたはずなのに、
彼はプータローである僕に出会い、心を開いた。

「もしかしたら、学校と家庭だけじゃない、
地域の大人に出会う場や仕組みが必要なのではないか?」

最初に取り組んだのは、学習塾だった。
寺子屋「途輝(とき)」
中学生高校生4人が生徒だった。
新潟に旅行にくる友人たちに、講師になってもらい、話をしてもらった。
しかし、子どもの最大人数は4人。これでは広がらない。


次に取り組んだのは、小学生の遊び場。
「虹のひろば~遊びと学びの寺子屋」
小学生と地域のおじいちゃんおばあちゃんが遊ぶ、というもの。
これは子どもが集まった。
しかし、もうからなかった。

その次は、大学生の地域企業での研修。
「ヒーローズファーム」と団体名称を変え、事業を「起業家留学」と名付けた。
これは地域企業からも大学生からも喜ばれた。

でも、何かが違った。
「自信のある大学生」に自分が何かをしなくてもいいのではないかと思った。

そして、本屋になった。
自信のない大学生がフラッと立ち寄り、
悩みを相談できる場所にしようと思った。

地下室があいていたので、何かできないか、と思った。
一箱古本市での隣のおじちゃんが
100円で新しい本を大量に売っていた。
「みんな読まないだろうな」と思った。

僕は100円で読まない人に古本を売らなくてもいい。
100円の古本を読む人はだれか?
25歳くらいまでの若者だ。
いっそ立ち入り禁止にした。

こうして地下古本コーナー「HAKKUTSU」が誕生。
話題となった。

取材が来た。
質問された。
「どうして、このような古本コーナーをやろうと思ったのか?」

何度も聞かれて、
ようやく思い出した。

「そういえば、10年ほど前に不登校の中学生の家庭教師をしたとき、
地域の多様な大人に出会える仕組みをつくりたいと思っていました。」

スティーズジョブズみたいにカッコよくはないけれど、
10年の時を経て、ちゃんとつながった。

そして、もうひとつ。
出会うだけじゃなかった。
中学生高校生にとっての価値はもうひとつあった。
「共に悩み、共に考え、共に行動するちょっと上の先輩の存在」

2002年に「これ」を仕事にしたいと思った
「これ」とは共に悩むことだったのかもしれない。
そんな場をつくることだったのかもしれない。

いま、ぼくはもう、41歳になった。
40歳を境に、ともに悩むプレーヤーとしての一線を退き、
それを論理的に説明することを行っていこうと思い、
活動拠点を茨城に移した。

そしてもうひとつ。
大学生・20代と中高生との接点づくりの仕組みをつくっている。
そのひとつが上石神井のハックツ。

仕事とは、手紙のようなものだと思う。

誰かのために、何かを送る。
それが届いたとき、その仕事をしていてよかったと思える。
それを表現していく場をこれからもつくっていきたい。
あなたも一緒につくりませんか?  

Posted by ニシダタクジ at 06:49Comments(0)思い

2016年02月17日

チャレンジするということ

チャレンジするということは、
失敗するということ。

チャレンジするということは、
途中でやめるということ。

http://toyokeizai.net/articles/-/82967
「大失敗した社員には、大失敗賞を与えよう」

これ、面白いですね。
利益を全部無くしてしまうような、
写真を表彰する。
そういうこと、大事。

稲作の遺伝子。
2000年前に稲作の民が日本を席巻したことで、
日本は、稲作の文化が根付いた。

稲作の文化、それは、
コツコツ、ていねいに、継続していくこと。
つまり、「継続は力なり」だ。

そして、米は、主食だ。
しかも、税だった。
今年の米が収穫できなければ、
その集落は、厳しい状況に陥る。
だから、失敗は許されない。

こうやって、
「失敗しないこと」「継続すること」
に価値があるような文化が形成されてきた。

そしていま。
突然、チャレンジしろ。
と言われる。

チャレンジ歓迎だと。

しかし。
2000年間培っていた稲作文化が、

「チャレンジしろ、でも失敗するな」
「チャレンジしろ、でも継続しろ」
と言う。

このダブルバインドを解消しなければ、
若者はずっとチャレンジしない。

やっぱり歴史を学び、
それを仮説だと意識すること。

そこから始まるのかもしれない。  

Posted by ニシダタクジ at 07:33Comments(0)日記

2016年02月16日

人を育てるシェアハウス




日立市大みか町にある株式会社ユニキャスト。
http://www.unicast.ne.jp/
ご縁をいただき、お邪魔してきました。
なんと、会社の建物の半分がシェアハウスになっています。

地域貢献型シェアハウス「コクリエ」
https://co-crea.jp/
大学生と地域がコラボし、
新しい事業を生み出していく拠点として整備されたもの。
三ツ堀社長の熱い思いを感じました。

四つの柱のお話をされていて、
NPOのファンドレイジングの四つの柱モデル
を思い出しました。

・クライアント事業(システム開発等)
・サーバ運営・管理事業
・ソフトウェア事業(自社事業)
・地域貢献事業(コクリエ)

この4本の柱をどう作っていくか。
とっても素敵な会社に出会ってしまいました。

IT企業は、人がすべて。
だから人を育てる事業をする。
そのためのシェアハウスだと三ツ堀社長は
力強く言います。

経済社会とのコミュニケーションを
2016年のテーマにする自分にとって、
大きな学びの場になりそうです。

ありがとうございました。
またお邪魔します。  

Posted by ニシダタクジ at 05:56Comments(0)日記

2016年02月15日

大切なものを大切に



茨城大学修士2年の小野田明さんの
ドキュメンタリー映画「ある町」の上映会とトークセッション。

会場を埋め尽くす人。
双葉町の方も数多く来ていました。

福島県双葉郡双葉町。
5年前の東日本大震災と福島第一原発の事故により、
地元で暮らすことができない生活を余儀なくされている。
そんな人たちの思いを綴った映画「ある町」

ふるさと。
暮らし。
いろいろなことを考えさせてくれた。
問いがたくさん生まれた。

大切なものを大切に。
目の前の人と対話を。

ひとりの動きが、だれかに伝わり、
また誰かが動く。

そんな日々を僕もつくっていきます。  

Posted by ニシダタクジ at 07:06Comments(0)日記

2016年02月14日

贈り物

コメタク会議。

キーワードは、贈り物。

贈り物を贈ったとき、
届いたほうも、届けたほうも、うれしい。

それって、もしかしたら
ハックツもそうなのかもしれないと。

ハックツは、本を通じて、「手紙」を
届けているのだけど、
その「手紙」の中身も本も、
まさに「贈り物」そのものなんだ。

コメタクは、贈り物を渡すという機会を売っていく。

贈った時に自分がうれしい。
そんな贈り物をつくっていくこと。

これから僕たちは何をつくっていくのだろう。
そんな問いから再びスタートするとき。

いよいよ、ですね。

バレンタインデーから始まる贈り物の物語、おたのしみに。  

Posted by ニシダタクジ at 10:23Comments(0)日記

2016年02月10日

その選択によって起こる結果を最終的に引き受けるのは誰か?

貨幣とは、鋳造された自由である
(ドストエフスキー)

と、ドキッとする一言がちりばめられている1冊。


嫌われる勇気
(岸見一郎 古賀史健 ダイヤモンド社)

http://hero.niiblo.jp/e438912.html
(ブログ20代の宿題 2014.6.27)

をふたたび古本屋さんで買い、読み直す。
アドラー心理学。

これはいいなあ。
人生とは何か?
という成人式期間にぴったりの本。

「認められたいの正体」(山竹伸二 講談社現代新書)
http://hero.niiblo.jp/e291010.html
(ブログ20代の宿題 2013.10.22)

「私とは何か?」(平野啓一郎 講談社現代新書)
http://hero.niiblo.jp/e405926.html
(ブログ20代の宿題 2014.4.16)

と合わせて読みたい1冊です。

他者の承認を得ることを目的にしない。
そうすると他者の人生を生きることになる。

これ、優等生と言われる多くの大学生に
当てはまるのではないかな。

アドラーは、
課題を分離することだといいます。

~~~以下一部引用

自分の課題と他者の課題を分けること。

誰の課題かを見分ける方法はシンプルです。
「その選択によってもたらされる結末を、
最終的に引き受けるのはだれか?

子どもに勉強しなさいと言う親がいたとして、
子どもがもし「勉強しない」という選択をしたとき、
最終的に結末を引き受けるのは親ではなく子ども自身です。

つまり、他者の課題と自分の課題を切り離すことが大切なのです。
自らの生について、あなたにできるのは、
「自分の信じる最善の道を選ぶこと」それだけです。

その選択について他者がどのような評価を下すのか。
これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。

~~~ここまで一部引用

なるほどなあ。
もしかしたら、ツルハシブックス、というか本屋は、
課題の分離ができやすい場なのかもしれないな、と。
本の処方箋が支持される理由がそこにあるのかも。

つづけて、
アドラーはこの章の本題である
「自由」と「承認欲求」について語ります。

「自由とは、他者から嫌われることである。」
と。

自由を行使するには、
同時に他者からの承認欲求を満たさないことを意味します。
「嫌われる勇気」を持てるかどうか?

こういう問い、大切だよなあと。
僕としては、上記の3冊を

1 「認められたい」の正体
で承認欲求の実態を知る。

次にこの
2 「嫌われる勇気」
を読んで、承認欲求を相対化する。

3 「私とは何か」
を読んで、分人として、演じながら生きる。

このプロセスで
だいぶ自由に生きられるようになる気がします。

「自由とは何か?」

これは大学時代に問うべき問いだと思います。
いや、一生ですけどね。  

Posted by ニシダタクジ at 06:17Comments(0)

2016年02月09日

寄贈本を選ぶ、その瞬間、人生が試される

茅ヶ崎・リベンデル。
http://rivendel.jp/

昨年12月に並河進さんの企画で初めて足を踏み入れた
時から不思議な魅力に一目ぼれ。
現在ハックツとのコラボ企画を検討中。
オーナーの熊澤さんの感性がすごい。

コミュニケーション・メディア。

ハックツは本をコミュニケーション・メディアとして
おもに10代と大人を、そして大人同士をつないでいる。

しかし、
リベンデルの今回の企画は、

ハックツそのものを
コミュニケーション・メディアとして、

地域の素敵な大人と10代を、
そして大人同士をつないでいる。

本に想いを載せて届ける。

誰にでもできる。
しかし、寄贈する本を選ぶその瞬間。
人生が試される。

それを地域でやったら、地域に何かが起こる。
そんなことが茅ヶ崎で始まっている。

4月。
ハックツは新たな可能性を拓きます。  

Posted by ニシダタクジ at 07:22Comments(0)学び

2016年02月07日

コストパフォーマンスだけでいいのか?


ミシマ社の雑誌「ちゃぶ台」。

それと、昨日の新宿ベルクでの丸山さんとの話。
やっぱりリンクしてくるよね、タイミングってある。

ちゃぶ台の中の
働き方研究家 西村佳哲さんの「今までにない就活」。

徳島県の神山の話から始まって、起業の話、
「人づきあい」と「自分づきあい」の話、
などなど、が続く。

僕が響いたのは、
やはり、社会の「お買い物」化について。

結婚も仕事も買い物的すぎる、と。

「交換に値するものがないと、誰かに会えない」
と考える子が増えているのだという。
まだ準備ができていないから、っていう思考パターンって
要するに「まだお金持ってないから」っていうのと同じ

すべてのものに定価が付いていて、
そのお金を持っていないと、手に入れられない。

「就職」とか「結婚」とかは、「お買いもの」ではないから。

その瞬間のコストパフォーマンスだけでいいのか?
と問いかける。
等価交換でいいのか?って。

曳舟で伊藤洋志さんが「長期的視野」を語っていて、
新宿のベルクで丸山俊一さんが
「人間が消費財になっている」と警鐘を鳴らして
いたのがつながってくる。

西村さんは、このコラムを
「清算ぐせをなくす」と締めくくる。

もらったから何かお返ししなきゃ、
というのではなくて、
機会ができたら、それをお返しする。

きっとそれのほうがお買いもの化社会よりも
人間らしい社会なのだろうと。

お借りしているものを、少しずつ返していくような人生がいいなあとあらためて思う。  

Posted by ニシダタクジ at 08:18Comments(0)

2016年02月06日

15年後



ヤッチャバ松浦さんのお誘いで
集まった人たち。
なんだかとってもエキサイティングな時間でした。

「未来」ってそっちにあるなあって。

山下陽光さんと伊藤洋志さんと松浦伸也さん。
やっぱり彼ら、最先端ですよ。
ほんと、そう思う。

本の話題でいえば、
スマホが使えない環境で字に触れさせる
というのが大切だと。

http://books-onsen.com/
城崎温泉の本と温泉。

とか。
サウナで読むとか、こういうの。

15年後がなんとなく見えてきた、楽しい会となりました。
またやりましょう。  

Posted by ニシダタクジ at 08:15Comments(0)アイデア

2016年02月04日

その商品で、社会はどう変わるのか?

迫田司さん
四万十市在住のデザイナー。
僕は2014年8月に出会った。
「つくらないデザイン」という概念に衝撃を受けた。

全部作っちゃダメなんだ。
そう感じた。
僕はその時に、ツルハシブックスから離れる
決意をひそかにしていたのかもしれない。

http://colocal.jp/topics/lifestyle/people/20120831_10262.html

迫田さんの記事
(2012年8月31日 COLOCALより)

「タイトルや色など細かいデザインも大事ですが、まず考えたほうがいいのは、
皆さんがこの商品を世に送りだして、社会をどうしたいかということ。
誰をどんな風に喜ばせたいのか。
商品そのものより、その周囲を考えることにヒントがある。
それを一緒にかたちにしてくれるのがデザイナーです」

「商品開発」
ってよく言われるけど。

大切なのは、ほんとココ。
いい商品を作る前に、

その商品で社会がどう変わるのか?
っていう根源的問い。
その商品で誰をどんな風に喜ばせたいのか?
それを一緒にかたちにしてくれるのがデザイナーです。

そっか。
これ、就活における本屋さんの役割に似ているな。

商品=大学生自身。

あなたという商品で、「会社」は、「社会」は、
どう変わるのか?

あなたという商品を世に送り出して、
誰をどんな風に喜ばせたいのか?

これを考えてから、就職をデザインすること。
きっと本屋さんの役割はそういうことなのだろうと思う。

その本屋があることで、
その米屋があることで、
社会はどう変わるのか?

この根源的な問いを常にもっていこうと。  

Posted by ニシダタクジ at 06:34Comments(0)

2016年02月03日

非日常への入り口、「きっかけ」が転がっている日常をつくる

やってみる。
そこから始まる。

茨城学登壇者の1年生が口々にプレゼンする。
やってみた。
人にしか言えない言葉だなあと。

「やってみる。」
をどう作っていくか。
たぶんこれが今のミッションだろう。

本屋さんっていうのは、
若者の「やってみる」を起こすのに
最適な空間だと思う。
本屋さんよりも「屋台のある本屋さん」だともっとふさわしいな。

え。
屋台やってみればいいじゃん。
それ。
それそれ。

そういうときに何かが動く。

人はなかなか、自分から動けないし、
自分ひとりでは動けない。

ドラクエだってそうだ。

気がついたら(ゲームが始まったら)
「よくぞ来た、勇者〇〇よ。」
といきなり王様に言われて、
旅に出なければならないのだから。

えっ?
オレ?

みたいな。

実はそんなのがきっかけなのだろうと思う。

たまたま、友達に誘われた。
そこに出会った人が面白そうに話していた。
そんな「きっかけ」をつかみ、アクションが起こる。

人生はきっとその繰り返しだ。
佐藤くんの言葉を借りれば、「非日常が日常をつくる」

そんな非日常への「きっかけ」をつかむこと。
そして「やってみる。」こと。

そこから、やっぱり違ったとか、
やっぱり楽しかったとか、
「自らの感性を検証すること」が大切だと思う。

自信を持つ、とは
スキルではなく、感性に自信を持てること、だと思うから。

そんな「きっかけ」がたくさん転がっているような
日常をつくる、それが若者向けプラットフォームの役割なのではないだろうか。  

Posted by ニシダタクジ at 06:18Comments(0)日記