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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2021年02月09日

「過程」としての学びと「手段」としての学び

なぜ人は本を読むのだろうか。
なぜ人は本を読まなくなったのだろうか。
なぜ人は本屋に行くのだろうか。
なぜ人は本屋に行かなくなったのだろうか。

そんな問い。
マイプロ関東summitで知り合った高校生のからの一言で、何か見えた

「確かに、本は学びの目的ではなく、過程という感じがしますね。本を開くまで何が書いてあるかは分からないですし、読むこと以上に、本からその人が何を考えて、得るのかが大切な気がします。」

それか!!

「過程」なんだなあ。
本屋に行くことも、本棚を眺めることも、本を読んでいる行為も。

目的ではなくて過程だ。
「〇〇のために」する読書は楽しくない。
「過程」であるからこそ、いま、ここ、この瞬間を楽しめるのかもしれない。

って思っていたところに

「結局「学び」の定義ってどこまで入るのでしょうか?私は、人生の経験そのものが学びのような気がします。辛くてもそこから得たものは学びなのかなと。そうすると瞬間だけを切り取れば必ずしも楽しいだけではないかもしれません。」

そうか!!

「一生学び続けるには?」と問うのではなくて、
「人生の経験=学びの舞台」にするためには?
と問わないといけないのか。

って。
そんな対話。

「過程」というキーワード。
それは、「営み」にも通じる。
そして、「機会として学ぶ」にも。

いわゆる「勉強」のつまらなさは端的に言うと、
(自ら設定したわけではない)目標に向かっての手段として勉強している(させられている)からであると言える。

マイプロジェクトをやっている高校生のプロジェクトという「まなび」の楽しさは、
自己の在り方生き方と一体的で不可分のテーマで(自ら設定した)目標(しかもその目標には到達点がない)に向かい、瞬間的には「機会」として、長期的には「過程」としてプロジェクトに取り組んでいる「まなび」にあるのではないか。

それは、その人の人生そのものであると言えるだろう。
だって、「過程」なのだから。

人生も学びも「営み」であり、「プロジェクト」はその過程の小さな点に過ぎない。
(「プロジェクト」:独自の価値を生むための期限のある業務)

目標のある「プロジェクト」として見れば、いまやっていることは、「手段」に過ぎない。
しかし、人生という「営み」からすれば、全てのやっていることは「過程」となる。

そして「過程」という感覚は、
「いま、ここ、この瞬間」というマインドフルネスと矛盾しない。

「過程」である今を生きる。

そしていまという「場」を動的に捉える。
いま、ここ、この瞬間をチューニングする。
「いつ、どこで、誰と」を確認しながら合わせていく。

そんな「過程」としての学び。

そんな学びを実現できる地域協働を創っていけないだろうか。

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Posted by ニシダタクジ at 08:34│Comments(0)日記学び言葉
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