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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2015年02月16日

目的から考えるという出発点

「西田さん、目的から考えてください。
子どものサッカーやってるんじゃないんですから。」
中村憲和さんがいつも言ってくれた。
7年前のことだ。

目的と手段は逆転する。
特に行政施策となったときにおこりやすい。

新潟市では、平成26年度からすべての小中学校に
「地域教育コーディネーター」を配備している。
数年前、その報告会に参加。
衝撃だった。

「わたしの学校では何回の行事をやり、
児童の参加人数は延べ何名でした。」

えっ。
そこ?

そう。いつの間にか、視点が
「子どもがどう変わったか?」ではなくて、
「地域の人が何回学校に来て、どのくらいの子どもが参加したか?」
に替わっている。

これが、目的と手段の逆転現象だ。
特に施策になると、「評価」、あるいは
「成果の見える化」が必要とされる。
しかも短期間(主に単年度)にだ。

客観的(第三者的)評価
をされるような成果を報告しないといけない。
すると、それはおのずから数値化されることになる。

すると、「子どもがどう変わったか?」を
数値化するのが難しいので、
事業を実施した回数や参加人数が指標となる。

すると今度は、
「回数や人数」が目的に替わってしまうのである。
これが目的と手段の逆転のメカニズムである。

「夢・目標を持て」と言うのも、
まったく同じことが言える。

本来は子どもが幸せになるために、
いい仕事に出会えることが必要で、
そのためには、夢・目標を持って進んでいったほうがいい。

だから、子どもたちよ、夢を持とう。
という論理だったと思う。

目的から考えるという出発点
「第四の消費」(三浦展 朝日新書)を読むと、
そうではなくて、「家電を売るため」に夢を持てと
社会の要請として夢を持たされ、
ひとり暮らしをさせられたような気がするけど、
まあ、建前は子どもが幸せになるために、夢を、だ。

しかし、さっきの話と
同じメカニズムで、教育となった瞬間に
そこには「評価」が前提となる。

つまり、
夢・目標を持つことそのものが目的となり、
そこに向かって、今何をしているのか?
という行動が評価対象になるのだ。

「目的から考える」とは、
いや、そもそも、
何のために夢・目標が必要だったんだっけ?

と問うこと。
夢・目標を持つことは目的ではなく、
子どもたちが幸せに生きるための手段だった。

いま。
子どもたちが「夢・目標を持て」と言われて、
幸せになっている子どもや大人と
幸せになっていない子どもや大人は
どちらのほうが多いだろうか?

「夢・目標を持て」という教育は、
多くの敗北者(だと思い込んでいる)子どもや大人を
生んでいるだけだと思う。

大多数の人の夢・目標は達成されない。
そのときに、「自分は能力がないんだ」と
あきらめてしまうこと。
あるいはそれ以前に
「夢・目標の明確じゃない自分は何者なのだろう?」と不安になる。

そのことにいったいどんな意義や価値があるというのだろうか?

もちろん、
夢・目標が達成されないことは敗北ではない。
それは人生における機会に過ぎない。

しかし。
そもそもの前提が時代に合わなくなってきているのではないか?

夢・目標を持つことは、
人口が増え続け、世の中が成長を続ける場合にのみ
「多くの人が幸せになるための有効な方法論」だったのではないか?

そんな前提を疑ってみる。
そして、そもそも、子どもたちが幸せになるために、
夢・目標は本当に必要なのか?
を考える。

目的から考えること。
そこが出発点だなあと思う。

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Posted by ニシダタクジ at 04:39│Comments(0)学び
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