プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 107人
オーナーへメッセージ

2015年10月11日

問いを灯す米屋

問いを灯す米屋

ごはん道場。
7月11日から始まった
「水と土の芸術祭」の締めくくりイベント。

飯塚商店さんのご協力により、
米屋さんでの連続講座が開催された。

問いを灯す米屋
まずは米の貯蔵庫から。
「温度管理と湿度管理」
やはりこれが重要なんですね。

問いを灯す米屋
そして精米。
精米して、少し熱をもったものは
冷ましてから出荷するのだという。

問いを灯す米屋
米の研ぎ方を学んだあとは、いよいよ食べ比べ。

参加者は何を食べ比べているのかを
知らされていない。
それぞれが感想を言ったところで、発表。

問いを灯す米屋
なんと、Cのものだけが新米!
すべて魚沼コシヒカリ。(六日町産)
A=26年度産で常温保存した魚沼コシヒカリ
B=26年度産で低温保存した魚沼コシヒカリ
C=27年度産魚沼コシヒカリ(新米)

まあ、僕はCがいちばんおいしいと思ったのですけどね・・・(笑)

参加者の反応は、
AとBとCがおいしいという人がほぼ同じ数。

いや、これはすごかった。
食べ比べの新しい境地を開いたと思っている。

普通の食べ比べは、(前回もそうだったのだけど)

新潟市産、魚沼産、佐渡産、岩船産
あるいは、通常、減農薬減化学肥料、有機栽培

みたいなのを食べ比べて
どっちがおいしい?
みたいな感想を言って終わりだ。
そして、「魚沼産やっぱり美味しいよね」みたいな感想。

今回のは、何を食べ比べているのか?を言わないという
新しい境地を開いたと思っている。

そしてそれぞれが自分の味覚を語り、
その理由を知った。

問いを灯す米屋
最後に道場主からの握手。(笑)
「おいしいごはんを炊いてください」の思いを込めて。

素敵な米屋さんが新潟にはあるなあと
あらためて思った。

飯塚商店withコメタク。
そこは、コミュニケーションする米屋。

パエリアをつくりたいのだけど、
と相談すれば、それに合わせて、
米をブレンドしてくれる。
朝ごはん用にサラッと食べられるごはんを、
と言えば、それに合わせて出してきて、
どうだった?と聞いてくれる。

できれば、こだわりの米料理を出す
自由が丘あたりのオシャレなお店にお米を提供したいなあと思う。
(お知り合いの方がいらっしゃればご紹介ください)
(僕としてはお茶漬け専門店みたいなのがあったらいいなあと)

最後に飯塚さんが話をしていた。
昔は新潟コシヒカリっていうブランドだけで売れた。
しかし、これからは、みんなが自分の好きな味の米を食べる時代だ。

飯塚商店に米の相談に行く。
もっとサラッとした、とか
お茶漬けに合う米、とか。

もしかしたら、それが最大の提供価値なのかもしれない。

僕は、話を聞いていて、
キャリアの話に似ていると思った。

「新潟コシヒカリ」は
名の通った一部上場企業のようなものだ。

聞けばみんなが、
「ああ、コシヒカリおいしいよね」
と言ってくれる。

それは、本当においしいと思って言っているのではなくて、
「みんながおいしいと言っている」から
おいしいと思っているだけだ。

それは、
思考と感性を停止してはいないだろうか?

27年度産の新米よりも、
26年度の低温貯蔵したほうが、
いや、もっと言えば、家庭の台所で
常温保存しちゃった米のほうがおいしいと思うなら、
それを食べればいいのだろうと思う。

昨日の食べ比べは、
参加者の中にそんな問いを灯したと思う。

そんなことを思っていたら、
昨日のブログ「もし、僕たちが文化をつくっているとしたら」
に琉球大学の大西さんがコメントをくれた。

「私たちが文化をつくっているのは間違いないと思うのですが、
どんな文化なのかわかった時には
もうその文化は終わっているんだと思います。」

スゲー!
19歳のコメントスゲー!
と思わずドキドキしてしまった。

文化とは、問い続けること。
「僕たちはいま、何をつくっているのだろう?」と
問い続けること。

そこから生まれてくる何か。
人はそれを文化と呼ぶのかもしれない。
もしかしたら、それは「文化」を「人生」と読み替えても同じなのかも。

だから、米屋ができることは、
いや、それは本屋も同じなのだけど、

ひとりひとりの心に、問いを灯すこと。

心の中にすでにある感性に、
問いという小さな炎を灯すこと。

それが僕たちがつくる米屋と本屋の
役割なのかもしれない、と思った、10月11日の朝でした。

同じカテゴリー(日記)の記事画像
ベクトルの始点を合わせるというチューニング
アンサング・ヒーローの物語を紡ぐ
「自分とは何か?」に応えてくれる活動
演劇のような本屋、劇団のような会社、劇場のようなまち
子どもたちは「仕事」と「遊ぶという行為」を失った
「あそび」の復権
同じカテゴリー(日記)の記事
 ベクトルの始点を合わせるというチューニング (2024-04-10 09:51)
 アンサング・ヒーローの物語を紡ぐ (2024-04-08 07:16)
 SNSとアイデンティティ (2024-03-30 16:45)
 「自分とは何か?」に応えてくれる活動 (2024-03-23 10:07)
 演劇のような本屋、劇団のような会社、劇場のようなまち (2024-03-23 08:10)
 「課題から出発する」のではなく「場」から生まれる「直感」と「個性」から出発する (2024-03-20 08:38)

Posted by ニシダタクジ at 07:02│Comments(0)日記
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。