2018年05月07日
「本屋の青空」のある暮らし
本屋のある暮らしをつくる。
好きな本屋で本を買う。
それが、1年前の「新城劇場」のときのコンセプトだった。
(JR南武線武蔵新城駅前・7月リニューアルOPEN予定)
入ってから、出てくるまでが
楽しくなるような本屋さんに
出会うと幸せになる。
鳥取・定有堂書店の奈良さんは、
買おうと思っていた本をいつの間にか忘れ、
目的外の本をつい、買ってしまうことを、
「本屋の青空」と呼んだ。
(POPEYE「君の街から、本屋が消えたら大変だ!」より)
すてきだな、と。
そんな本屋さんのある暮らしがすてきだなと。
長崎・ひとやすみ書店には、
そんな「青空」があった。
福岡のブックスキューブリックも行くたびに
そんな青空を見せてくれる。
この前の武蔵新城ドライブで立ち寄った
荻窪の・「本屋・Title」にも青空が広がっていた。
入って3分で目に飛び込んでくる本に、
心を奪われた。
モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語(内田洋子 方丈社)
こんな本あったんだ、って。
3回手に取って、迷ったけど、購入した。
そこまで10分。
そんなドラマ。
1944円。
それが本屋で本を買うっていうことなんだろうと思う。
昨日は、
「帰ってきたツルハシブックス@ウチノ食堂藤蔵ブックカフェ」
の初日でした。
「本」の看板を置かせてもらい、
店内の左側のスペースに本を置き、
店主が淹れてくれる珈琲を味わいながら談笑し、
素敵なお客さんが来店してくれました。
閉店間際に、
野呂さんにいい問いをもらった。
「西田さんにとって、本屋をやるって、本を売るってなんですか?」
僕自身は、
本が好きというよりも、本屋が好きだ。
大好きな本屋で本を買う、というのが好きだ。
実は素人でも、本屋はできるのだ。
実は、ツルハシブックスの選書のほとんどは、
大阪の某素敵な書店に並んでいる本だった。
それを仕入れて、
自分なりのコンセプトにしたがって並べること。
それが僕が2011年の開店から3年半やってきたことだった。
僕が、茨城に行った理由の一つは、
ツルハシブックスの「場」としての可能性を見てみたかったからだ。
実際、山田マサシと井上くまもんとサムライのみんなのおかげで
2015年12月にツルハシブックスは「場」としての最高レベルに達したと思う。
つまり、ツルハシブックスは、
本屋という「場」の実験場、
本屋はどこまで「劇場」になれるか?
という可能性をさぐっていたのではないだろうか。
2016年11月の閉店から1年半。
ふたたび、「本屋とは?」という問いを目の前にして、考えてみる。
月に1度の本屋さんがあるとして、
そこで届けたいもの。
本屋の青空。
そして、手紙としての本。
東京で暗やみ本屋ハックツをやって
思ったこと。
それは、「手紙」。
本は手紙なんだな、って。
本屋っていうのは郵便屋さんみたいなもんなんだなって。
誰かから預かった手紙を届ける。
そうなんだよね。
本は売るものじゃなくて、届けるものなんだよね。
僕が本屋として、これからやりたいことは2つだ。
ひとつは、自分自身が「本を届ける人」になり、
「本屋の青空」を見せていくこと。
もうひとつは、何人かの人が「本を届ける人」となることで、
地域に「本屋の青空」が生まれていくこと。
「本屋の青空」のある暮らし。
そんな暮らし、そんなまちをつくっていきたいです。
野呂さん、素敵な問いをありがとう。
好きな本屋で本を買う。
それが、1年前の「新城劇場」のときのコンセプトだった。
(JR南武線武蔵新城駅前・7月リニューアルOPEN予定)
入ってから、出てくるまでが
楽しくなるような本屋さんに
出会うと幸せになる。
鳥取・定有堂書店の奈良さんは、
買おうと思っていた本をいつの間にか忘れ、
目的外の本をつい、買ってしまうことを、
「本屋の青空」と呼んだ。
(POPEYE「君の街から、本屋が消えたら大変だ!」より)
すてきだな、と。
そんな本屋さんのある暮らしがすてきだなと。
長崎・ひとやすみ書店には、
そんな「青空」があった。
福岡のブックスキューブリックも行くたびに
そんな青空を見せてくれる。
この前の武蔵新城ドライブで立ち寄った
荻窪の・「本屋・Title」にも青空が広がっていた。
入って3分で目に飛び込んでくる本に、
心を奪われた。
モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語(内田洋子 方丈社)
こんな本あったんだ、って。
3回手に取って、迷ったけど、購入した。
そこまで10分。
そんなドラマ。
1944円。
それが本屋で本を買うっていうことなんだろうと思う。
昨日は、
「帰ってきたツルハシブックス@ウチノ食堂藤蔵ブックカフェ」
の初日でした。
「本」の看板を置かせてもらい、
店内の左側のスペースに本を置き、
店主が淹れてくれる珈琲を味わいながら談笑し、
素敵なお客さんが来店してくれました。
閉店間際に、
野呂さんにいい問いをもらった。
「西田さんにとって、本屋をやるって、本を売るってなんですか?」
僕自身は、
本が好きというよりも、本屋が好きだ。
大好きな本屋で本を買う、というのが好きだ。
実は素人でも、本屋はできるのだ。
実は、ツルハシブックスの選書のほとんどは、
大阪の某素敵な書店に並んでいる本だった。
それを仕入れて、
自分なりのコンセプトにしたがって並べること。
それが僕が2011年の開店から3年半やってきたことだった。
僕が、茨城に行った理由の一つは、
ツルハシブックスの「場」としての可能性を見てみたかったからだ。
実際、山田マサシと井上くまもんとサムライのみんなのおかげで
2015年12月にツルハシブックスは「場」としての最高レベルに達したと思う。
つまり、ツルハシブックスは、
本屋という「場」の実験場、
本屋はどこまで「劇場」になれるか?
という可能性をさぐっていたのではないだろうか。
2016年11月の閉店から1年半。
ふたたび、「本屋とは?」という問いを目の前にして、考えてみる。
月に1度の本屋さんがあるとして、
そこで届けたいもの。
本屋の青空。
そして、手紙としての本。
東京で暗やみ本屋ハックツをやって
思ったこと。
それは、「手紙」。
本は手紙なんだな、って。
本屋っていうのは郵便屋さんみたいなもんなんだなって。
誰かから預かった手紙を届ける。
そうなんだよね。
本は売るものじゃなくて、届けるものなんだよね。
僕が本屋として、これからやりたいことは2つだ。
ひとつは、自分自身が「本を届ける人」になり、
「本屋の青空」を見せていくこと。
もうひとつは、何人かの人が「本を届ける人」となることで、
地域に「本屋の青空」が生まれていくこと。
「本屋の青空」のある暮らし。
そんな暮らし、そんなまちをつくっていきたいです。
野呂さん、素敵な問いをありがとう。
Posted by ニシダタクジ at 07:05│Comments(0)
│本
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