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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2023年11月15日

生徒に「学び」を委ねているか

生徒に「学び」を委ねているか
「新潟の未来をSaGaSuプロジェクト」最終事業報告会でした。

午前中の基調講演は、「堀川高校の奇跡」の荒瀬克己先生でした。
いやあ、こんなアツい方が上にいるなんて、日本の教育も悪くないんじゃないかって思える講演でした。ありがとうございました。
文字だけのパワーポイントの行間から伝わる熱意に、心震えました。

まずは、2023年8月31日の「高等学校教育の在り方ワーキンググループの中間まとめ」より
~~~
「『令和の日本型教育』の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す、個別最適な学びと、協働的な学びの実現~」(令和3年1月中教審答申)においては、これからの高等学校教育の目指すべき姿として、社会の形成に主体的に参画するために必要な資質・能力を身に付けられるよう、初等中等教育段階最後の教育機関として
・高等教育機関や実社会との接続機能を果たしていること
・生徒が自立した学習者として自己の将来のイメージを持ち、高い学習意欲を持って学びに向かっていること
・多様な生徒一人一人に応じた探究的な学びが実現されるとともに、STEAM教育などの実社会での課題解決に生かしていくための教科等横断的な学びが提供されていること
などが掲げられ、スクールミッションの再定義やスクールポリシーの策定等が提言された。

・産業構造や社会システムの「非連続的」とも言えるほどの急激な変化

・高等学校教育の在り方を「多様性」と「共通性」の観点から検討
・少子化が加速する地域における高等学校教育の在り方
・社会に開かれた教育課程の実現、探究・文理横断・実践的な学びの推進
~~~

このうちの「多様性」と「共通性」の順番について、荒瀬さんが言及していたのは、これまでは「共通性」と「多様性」の順序で書かれていたのだけど、それが「多様性」⇒「共通性」という順番に変わった。

さらに、締めくくられる言葉がアツい。

~~~
すべての生徒について、その可能性を引き出し、生徒の高等学校生活の満足度と充実度の向上、卒業後の豊かな人生や、生徒個人と社会全体の幸福度の高い状態(well-being)を実現していくべきである。

全ての関係者が連携・協働しながら「生徒を主語にした」高等学校教育の真の実現に向けた取組が進められていくことが期待される。
~~~

「生徒を主語にした」ってホントにその通りだと思うのだけど、「探究」以前のデザインっていうのが大切だと思うんですよね。昨日のパネルディスカッションでうまく答えられなかったのだけど、このあとに出てくる「自立した学習者」っていうのともリンクしてくる。

地域との連携・協働の意味はそこにあるのかもしれない。

学校側にとっての意味:「生徒を主語にした」高等学校教育の実現のためのひとりひとりに最適化された学び
地域側にとっての意味:「生徒を主語にした」高等学校教育のための、探究以前の「場」づくりのプロセスによって地域自身が育つ

学校にとって「地域」は「生徒を主語にした」学びのパートナーであり、地域にとって「学校」は住民主体の参加・参画型まちづくりのパートナーではないか。

だからこそ。
荒瀬先生も言っていた「探究=地域のこと」を学ぶのではないこと。
「市役所にいって、各課に町の課題について聞いてこい」とか
「商店街にいって、各商店に、何か商品開発しませんか?」とか
そういう話ではなくて、生徒自らがその問いを発しているかどうか?
課題意識を持つような状況をつくれるか?というのがポイントなのだと。
探究=世界の広さと深さと遠さを知っていくプロセスなのだと。

次に、どんな学び手に?のところから。
キーワードは「自立した学習者」
~~~
・多様な子供一人一人が自立した学習者として学び続けていけるようになっているか
・多様な機関と連携・協働することによって地域・社会の抱える課題の解決に向けた学びが学校内外で行われ、生徒が自立した学習者として自己の将来イメージを持ち、高い学習意欲を持って学びに向かっている。

「自立した学習者」
・自分で考えて、判断して、行動できる、しようとする能力・意思を持つ
・・・自己決定ができる
・・・他者と協働できる

・「個別最適な学び」と「協働的な学び」とを一体的に充実する
・「指導の個別化」と「学習の個性化」の両方が必要

★学習の個性化
基礎的・基本的な知識・技能等や、言語能力、情報活用能力、問題発見・解決能力等の学習の基盤となる資質・能力等を土台として、幼児期からの様々な場を通じての体験活動から得た子供の興味・関心・キャリア形成の方向性等に応じ、探究において課題の設定、情報の収集、整理分析、まとめ・表現を行う等、教師が子供ひとりひとりに応じた学習活動や学習課題に取り組む機会を提供することで、子供自身が学習が最適となるよう調整する「学習の個性化」も必要である。

「主体的・対話的で深い学び」:アクティブラーニング
1 学ぶことに興味や関心を持ち、自己のキャリア形成の方向性と関連づけながら、見通しを持って粘り強く取り組み、自己の学習活動を振り返って、次につなげる「主体的な学び」が実現できているかという視点
2 子供同士の協働、教職員や地域の人との対話、先哲の考え方を手掛かりに考えること等を通じ、自己の考えを広げ深める「対話的な学び」が実現できているかという視点
3 習得・活用・探究という学びの過程の中で、各教科等の特質に応じた「見方・考え方」を働かせながら、知識を相互に関連付けてより深く理解したり、情報を精査して、考えを形成したり、問題を見出して解決策を考えたり、思いや考えを基に創造したりすることに向かう「深い学び」が実現できているかという視点

「主体的・対話的で深い学び」
学び方を身に付け、自ら学び続けることのできる人に。
自ら考え、判断して、行動できる人に。
「自立した学習者」に。
~~~

この冒頭の「学ぶことに興味や関心を持ち」っていうところが一番むずかしいし、そこにアプローチしたいなと思うのです。そのためには「まなぶこと」そのもののアンラーニングと新しいOSの再インストールが必要になると思います。まなびの再定義ですね。

キーワードは「遊び」ではないかと僕は思っています。
「探究的な学び」を遊びから始めていくこと。
そしてその主語を「場」にしていくことなのかな、と。

「個別最適化」の説明としての「学習の個性化」というキーワードも大きいな、と。

荒瀬先生が言っていた
1人1人がどのような学びをつくっていくのか?
⇒自分の学びをどのように構築しているのか?
⇒これからどう生きていくのか?と同義だと。

「学ぶ」=「学校に行く」ではない時代・社会において、1人1人に応じた探究的な学びが必要で、1人1人は「自立した学習者」として学びの場に立っていること。それが「多様性」なのだと。

ではその時に、「学校」は、「(一斉)授業」は、どんな意味があるのだろう?と思った。
特に上に出てくる主体的な学び、において。

そんな時にヒントとなったのは荒瀬先生が紹介した
愛知県春日井市立高森台中学校の例
参考:https://www.mext.go.jp/studxstyle/special/46.html
参考:http://swa.kasugai.ed.jp/weblog/index.php?id=kasugai10&type=2&date=20191209&category_id=298&no=3

「真似していい。」これも衝撃的だった。
主体的とは、関係性によって育まれるのではないか、と。

そういう意味では、学校と地域というのは、関係性の広がりをもたらす。
自分と他者、自分と地域。
地域や地域の大人に出会ったときのフィードバック。
そのひとつひとつの「機会」に、学びの意欲は眠っていると思った。

昨日書いた「能力は場に宿る」
参考:http://hero.niiblo.jp/e493332.html
のようなことが起こっていくのではないか。

そのあとに振り返ること。「場」と「個」を往還すること。
僕は心を揺さぶる感情は、「レスポンシビリティ」だと思う。
社会に貢献する第1歩として反応があり、反応する能力=責任が芽生える。

地域・社会における実践で具体的に何を感じたか?
そこから存在が立ち上がってくるのだと思った。

シンポジウム午後の部の遠隔事業の書道の小川先生の実践に、胸が熱くなった。
ひとりひとりの文字から見える個性を、ひとつひとつていねいに指摘していく。
ササっと書いて文字がかすれている生徒も、慎重に慎重に一筆ずつ書いた生徒にも
その芸術的な意味を指摘していく。

ああ、芸術の授業は、遠隔事業でも可能なのか、と思った。芸術には正解がないから、むしろいいのかもしれない。
むしろ、遠隔事業だからこそ、みんなが聞いている中で自分の書をほめられる。なんだか、照れくさい。
でも、対面授業だったら、もっと恥ずかしくて、教室から出ていってしまいたくなる。
素直に聞けない。これまでに何かをほめられたことなんてほとんどないから。

そんな風にお互いに「反応」し、それを表現することから「存在」の承認は始まっていくのだと思うし、それは「学びの意欲」の前提にあるものだろうと思う。

荒瀬先生のラスト「おわりに」はさらに熱くなった。

~~~
高等学校学習指導要領の前文では、これからの学校について「一人一人の生徒が、自分のよさや可能性を認識するとともに、あらゆる他者を価値のある存在として尊重し、多様な人々と協働しながら様々な社会的変化を乗り越え、豊かな人生を切り拓き、持続可能な社会の創り手となることができるようにすることが求められる。」とある。

各高等学校が、教育活動を通じてこの理念を体現していくことができるよう、今後どのような取り組みを進めていくべきか、引きつづき議論を進めていくことが必要である。

・生徒の多様な学習ニーズに応えるための遠隔授業配信センターの体制等の在り方について
・いずれの高等学校においても、全ての生徒の可能性を引き出し、生徒が、社会の一員となるための多様な資質・能力を身に付けた上で次のステップに移行することが可能となる教育システムを一層構築するために、必要な取組とその支援の在り方について
・「総合的な探究の時間」を教育課程の基軸に据えながら各教科等における学びを充実させるとともに、文理横断的な学びや実践的な学びを一層進める上で必要な体制・環境について
・次期高等学校学習指導要領に関して、内容をおおむね堅持しながら学校現場への浸透に時間をかけていくべきとの意見や、「総合的な探究の時間」を教育課程の基軸に据えながら、各教科・科目等の相互の関連を図る中で、高等学校生活全体での学びの充実を図ることを徹底していくべきとの意見、一人一人の「よさを徹底して伸ばす」在り方としていくべきとの意見、全ての通信制の高等学校において人間関係を構築しながら、自分のよさや可能性を認識し、多様な人々と協働する上で望ましい在り方としていくべきとの意見等も踏まえた、今後の望ましい在り方について
・高等学校がやるべきことの整理・明確化、学校における働き方改革の推進や、教職員の配置を含む高等学校の指導体制の充実のための方策について

その際、国、高等学校、教育委員会・学校法人等の高等学校の設置者、家庭、地元自治体、産業界、生徒への各種支援機関など、それぞれの関係機関が実施すべきことを明確化するとともに必要となるリソースの確保を含め、施策の実現に向けた見通しを立てることに留意しながら、検討を進めるべきである、

また、一つの学校の中だけで教育活動や期待される機能、役割のすべてを果たそうとする閉ざされた考え方からの脱却を図るととともに、各高等学校において展開可能な教育活動には、学校長の判断の下に多くの可能性があるとの認識を持ち、今後、高等学校教育を真に社会に開かれたものにしていくことが期待される。
~~~

さて。めっちゃ写経。笑
なんか素晴らしいですね。理念は。
これをどのように実装・実践していくかっていうこと。

パネルディスカッションでもありましたけど、どのように「学び」を委ねていくかっていうのがキーポイントのような気がします。

必要なのは、僕は「場」の力だと思っていて、生徒に「学び」を委ねるのではなく、生徒も地域も含む「場に学びを委ねる」ということが大切なのではないか。その場(環境)づくりにこそ、学校と地域が連携・協働する意味があるのではないか、と。

学びの意欲は、他者や地域、社会との関係性の中に生まれてくる。
だからまずはその関係性をつくる機会を提供する。
あるいはジェネレーター的な地域の大人が巻き込んでいくこと。
「場」を主語にして、いろいろとやってみること。

そこで「ふりかえる」こと
「個」として感じたことを言語化すること。
まわりの生徒や地域の大人からフィードバックをもらうこと。

「発見」すること。
「発見」を「問い」へと変換すること。

「プロジェクト」をつくること。
「役」を演じること

変わっていく周り(環境)を体感すること。
景色が変わること。

その繰り返しで、切実な「問い」に出会うこと。
これを解かなければ生きられないという問いに出会うこと。

そこから、ようやく「探究」は始まっていくのかもしれません。

探究の入り口に立つこと。
僕自身はそこに立っているのだろうか、と問われたシンポジウムとなりました。
関係者の皆様、素敵な機会をありがとうございました。

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Posted by ニシダタクジ at 16:43│Comments(0)日記学びイベント
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