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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2023年02月19日

「構想」と「実行」、そして「アイデンティティ」

徳島・神山町にようやく行ってきました。宿題をたくさん残してきた2日間となりました。夏にまたいけるといいなと。

雨乞の滝は不動滝で引き返しました。
「構想」と「実行」、そして「アイデンティティ」

詳細は現在まとめているとして、一番感じたことは、「存在承認」のデザインでした。

高校3年の千代実さん。寮の夜ごはんづくりでも手際よく鶏肉を捌いていた。寮生の頼れるお姉さん的な存在。彼女の作ったケーキが「かま屋」で販売されると聞き、お邪魔しました。

「構想」と「実行」、そして「アイデンティティ」

「構想」と「実行」、そして「アイデンティティ」

そして手に入れたのがこの新聞です。
「構想」と「実行」、そして「アイデンティティ」

高校1年の夏からアルバイトを始めて2年半。
彼女の高校生活はかまパンとともにありました。

~~~以下新聞より引用
約2年半の間で、かまパンという存在は姿を変え続けています。それでも、ずっと変わらず大好きな場所です。学校や寮、地域に居場所がなかったころ、かまパンは私の心の拠り所でした。ここだったらいてもいいんだ、と何度も思わせてくれました。密かに、勝手に、常に支えてもらいました。それはきっとかまパンの人たちが、高校生やアルバイト、あゆハウスの子といった何かの括りを通してではなく、一人の人として私を見てくれたからだと思います。そんな環境が私は心から嬉しかったのです。

やりたいことがわからなくなったとき、かまパンは常に刺激をくれる場所でした。自分の興味関心を大切にしている人ばかりで、私にはなかった視点や考え方をたくさん教えてもらえました。自分の大切な経験や好きなことを語ってくれるみんなの顔はいきいきとしていて、私も自分のことのように心を躍らせる日々でした。

一歩踏み出せない弱い自分がいるとき、かまパンは挑戦する勇気をくれる場所でした。(中略)かまパンにいたから、できない理由よりもできる方法を探せる人になりたい、と思えるようになりました。

そして、神山の土地を離れる今、かまパンはこれからもずっと関わり続けたい、何度でも遊びにきたい場所です。ここで作られるパンを食べに、ここにいる人たちに会いに、ただこの場所を訪れるために。きっと私はこの先も、かまパンを愛し続けるのだと思います。こんなふうに思える場所に出会えたことが、大きな大きな私の財産です。
~~~ここまで引用

なんかもう、泣きそうだ。アルバイトの意味ってなんだろう?って。川喜田二郎氏が言う、「創造的行為を繰り返し行い、そのいくつかの達成が累積した場所」それがふるさとなのだと。

千代実さんの場合は、まさにそれなのではないかと。
この「生きてる感」はなんだろう、って。

多くの、いやほとんどすべての高校生、大学生は、アイデンティティの不安を抱えて生きている。
自分は何者なのか。生きている意味があるのか。誰かの役に立つことができるのか。
(それをいったらほとんどの大人も同じ問いを持っているのかも)

「創造的行為」の前段階が必要なのではないか。

それは、同じく川喜田二郎氏の「野生の復興」から読み解けば
http://hero.niiblo.jp/e490083.html
(参考:「判断」の余白をつくる 19.12.9)

~~~ブログから引用
「仕事」から「判断」を奪えば、それは「仕事」ではなく「執行」になる。(川喜田二郎「野性の復興」より)

この言葉は重い。多くの人たちが「仕事」と呼んでいるものは、実は「執行」に過ぎないのではないか。それは組織の問題でもあり、規模の問題でもあり、個人の問題でもある。

「学び」もきっとそうだ。「授業」がそもそも「執行」に過ぎないのではないか?そこに「判断」があるのか?「構想計画」があるのか?

「課題が与えられ、解決策を提案する」。「観察」も「判断」も「執行」もない。そんな授業でどんな力をつけようとするのか?
~~~

千代実さんのバイト先であるかまパンには、「構想」と「判断」があったのだろう。いや、つねにその連続の中に身を置いていたのだろう。

そして、さらにその前提として、千代実さんも書いているけど、「何かの括りを通してではなく、一人の人として」存在できる場であった、ということ。

「存在の承認」それをどのように見出し、形成していくか。

それは本人にとっても大人側にとっても、非常に重要な課題であると思う。

http://hero.niiblo.jp/e291471.html
(参考:承認欲求と他者評価 13.10.24)

考えてみれば、ここ10年、ずっとこのことを考えている気がする。山竹伸二さんの言うところの親和的承認(存在承認)を得るのは、本来であれば親や祖父母をはじめとする血縁者だろうと思うが、それを家庭に期待することはすでに難しい。

だったら、地域(社会)がそれをできないだろうか。

そのひとつの手法が「アルバイト」、それも個人店、小規模事業者のアルバイトであるかもしれない。コンビニやチェーン店のような大手と違うところは、「構想と実行の分離」ではないか、と。

「構想」と「実行」が分離されているところには「やらされ感」がある。
http://hero.niiblo.jp/e491374.html
(参考:「やらされ感」の正体 21.1.21)

1 構想に同意している
2 構想づくりに参加している
3 構想づくりに参画している
4 自ら構想している
この階段を徐々に登っていくこと。「構想の階段」を登って行けば行くほど、そこには、自分がプロジェクトを動かした実感が伴ってくる。

僕はそれがアイデンティティの形成にも関係してくるのではないかと思った。

一人の人として存在を承認される。
次に場の一員として構想から実行までに参加・参画する。
その繰り返しによって何かを創造する。

「自分」と「地域(社会)」と「未来」にプロジェクトができていくと言っていたけれど。「自分づくり」と「地域づくり」と「未来づくり」は、構想から実行へというプロジェクトを通して、同時に起こっていくのだろう。

2月8日に書いた違和感
~~~
「探究的な学び」が求められる。そこでは「内発的動機付け」や「主体性」が重要視される。その出発点が「地域課題」であったりすると、ストーリーとしては魅力的だ。しかしそれは「正解」に向かっていく従来の学びと何が違うのだろうか?
~~~
http://hero.niiblo.jp/e492876.html
(参考:正解というまがいもの 23.2.8)

そこに「構想」や「判断」が本当にあるのか?逆に、自分出発の「構想」が無ければ、そこに「自分」は形成されるだろうか。

千代実さんのかまパンでのアルバイトには、そのほとんどがあった。
・ひとりの人として承認される場があった。
・「構想」と「判断」と「実行」を目の前で見れるバイト先だった
・自らもケーキを企画・制作し、販売することができた。

そのすべてが、この場所を、かまパンを、そして神山を、ふるさとへと変えていく。

日本画家の千住博さんは、「料理だって立派な芸術です。作り手が、自分のイマジネーションを広げ、『私はこれが美味しいと思う。みなさんどうでしょう』と差し出すのですから。」と言う。

参考:「混沌」を示すことが、現代を生きる芸術家の使命でもある【第1回】「芸術とは何か」についての考察(19.3.9)
https://www.foresight.ext.hitachi.co.jp/_ct/17251951

あゆハウスで行っている生徒による料理は、2時間でできる「構想と判断と実行」の実践かもしれない。「朝のあのスープ美味しかった」とフィードバックをもらい、少しだけホッとする。自分がここに存在していてもいいのだと思える。

先輩たちについて、最初はおそるおそる。でも経験を重ねれば、みんなができるようになる。
暮らしって、きっとそういうものだ。

直線的に進んでいく未来に向かって、階段を登っていくような「達成と成長」モデルではなく、ただひたすらに続いていく循環する今日を生きながら、「構想と判断と実行」を繰り返し、いつの間にかできていくもの。

それこそがアイデンティティであるのかもしれない。

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Posted by ニシダタクジ at 08:22│Comments(0)日記学び
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