2023年06月29日
「自分」と「場」をともに「いとなむ」
ソーシャルバーPORTOの嶋田匠さんとご一緒してきました。
嶋田さんの取り組みについてはこちらから
https://note.com/takumi_shimada/n/nec142082f73c
なんというか、言葉のセンスがすごくて、ドキドキします。
以下、僕のサイトを見たメモ
~~~
「居場所」
よりどころ・・・「存在価値」を認められる場所
やくどころ・・・「提供価値」を認められる場所
よりどころ⇒PORTO:日替わり店長のバー
人が場を持つことのハードルを下げる
やくどころ⇒コアキナイ
会社員のやくどころ:外部に依存した不安定なものとなっている
「1社に属してはたらく」⇒安定しない
らしさ=「志向(判断基準)」「嗜好(好き/嫌い)」「資質(強み/弱み)」
本業とは別に個人のらしさを活かしたスモールビジネス「コアキナイ」をつくる
「コアキナイ」
1 小さな(無理のない大きさの)商売という意味での「小商」
2 個性(らしさ)を活かした商いという意味での「個商」
コアキナイ:個人の「らしさ」を活かした無理のない大きさの価値交換
起業⇒コアキナイへのシフト
1 個商:マーケットイン⇒パーソナリティアウト
2 小商:不特定多数⇒特定少数⇒中数
自分をそのまま社会に差し出してみる
それを無理のない大きさでやってみる
そんな自然なやくどころがコアキナイ
「木」と「森」
「木」:それぞれのコアキナイ
「森」:コアキナイの集合体
ゼミで木を生み、コミュニティで森を育てる
⇒「森」の時間と「木」の時間をつくる
⇒林よりも森みたいな
~~~
嶋田さんは大学時代に原宿で「無料相談屋」というボードを持って、道行く人たちの相談を受け付けていた。そんなところからリクルートキャリアに就職し、売れない日々の中で「よりどころ」と「やくどころ」という感覚に気づき、PORTOをスタートします。
現在はコアキナイビルで、ソーシャルバーの他、シェアハウスなど様々な事業を展開しています。
https://ko-akinai.com/overview/
↑「アウトプットするガレージ」っていいな。
そんな嶋田さんと今回は
「らしさ」を見せる〇〇ということで
20代半ばのみなさんとトークしました。
~~~以下メモ
「真の贅沢というものは、ただ一つしかない、それは人間関係という贅沢だ。」
サン=テグジュペリ『人間の土地』(新潮社文庫)
ヨリドコロとヤクドコロ:どちらかだけではダメで両方必要
「ヨリドコロ」SNSの友人が1000人いて見えるようで、点線でつながっているだけ。
⇒ヨリドコロをたしかめるための「バー借りるけど一緒にやらない?」と声をかけられる場としてのPORTO。
存在承認とヤクドコロ
アイデンティティは事後的にできる
居場所⇒アトリエ:「〇〇する」を許されている「場」
「身体性」というキーワード
PORTOに立つ(店長をやる)ということ。
=「存在」を体感すること
=ヨリドコロとヤクドコロを行き来すること
=他者の存在(目撃者と証人)があるということ
=リアルメディアとしてのPORTOだしコアキナイだしガレージ
そこには固定された役割ではなくて、生成的に役割が生まれてきて、それを育むことで「ヤクドコロ」が発生し、それが他の人にとっても自分にとっても「ヨリドコロ」になり得る。
みんなで育てていく「営み」として:「林よりも森みたいな」
林=生やすを語源としていると言われている:人工的に植えて、木を生やした状態のこと
森=盛りを語源としていると言われている:盛り上がった土に気が生えている状態のこと
「待つ」こと:機が熟すのを待つ。
ヨリドコロとヤクドコロは複数名のあいだで同時に起こり、境界がなくなる。
それを行き来するような「場」があるのではないか。
存在価値⇔影響価値⇔提供価値
共有地⇒共営地へ
この営みがつづいていくことを心から願ったときに場と自分とのあいだに役割が生成されていく。
⇒ブリコラージュってそういうこと?:この場をともにしてくれてありがとうございます。
~~~以上メモ
「生成される役割(=ヤクドコロ)」これが「存在承認」へのキーワードかなあと。
僕がつくりたい「場」もそういうものかと思ったし、高校生にこそそんな「場」があったらいいなと思う。
ひとりひとりという木と、それが集まった森と。
それが相互作用し、育む「場」。
そんな「営み」をつくっていきたいと思う。
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