2023年09月14日
「所属の欲求」が満たされない社会で「ともにつくる」こと
ニッパー型爪切りで知られる三条市・諏訪田製作所にいってきました。
https://www.suwada.co.jp/
OPEN FACTORYというテーマの元、2011年から工場見学を可能に。
2020年からは新社屋を建て、1Fが工場、2Fがショップとレストラン・カフェになっていて、社員はランチ無料なのだそう。
驚いたのは、日中もフリーで工場見学が可能で、ほぼすべての工程をガラス張りで見ることができること。
さらに驚いたのは全体的に若い職人さんが多いのと女性比率が50%を超えていること。
NO FLASHの文字が。
見られていることを前提にすることで、たくさんいいことが起こるな、と。
「OPEN FACTORY(開かれた工場)」というコンセプトは
学校にも、その他組織にも、若い人が働くうえで、かなり重要な条件な気がする。
プロセスをオープンにする、ブラックボックス化しない、ということ。
そんなわけで本日の1冊は、
「学校にプレイフルを取り戻す」(学事出版)
1年ぐらい寝かせてしまいまして、ようやく巻頭対談を読みました。
師匠、上田信行先生の今に会いたかったので。
~~~以下メモ
PDCAからFIDSへ
F feel
I imagine
D do
S share
感じる、考える、つくる、伝えるのスパイラル
自由と制約のバランスにより、創造性の発揮しやすさが変わると考えているからです。人はある程度の制約があったほうが考え始めやすいですが、制約が強すぎては自由な発想は生まれません。
コロナ禍で求められたことは
・世界中の人と協働し正解のない問いを解決する力
・新しい生活に適応し楽しむ姿勢
・試行錯誤しながらも挑戦する心
・新しい社会を創造する力
プログラミングが面白いのは、できるーできないというよりもどうやればできるのか、Howで考えることだと思っています。プログラミングは最初からうまくいくはずがない、というのが気に入ったんです。
予想外の解決策というのは、色々な人たちが試行錯誤していく中に生まれるものなんですね。
~~~
最後のプログラミングの話は、まさにIT業界で起こってきたことですね。
オープンソースでみんなで開発していくほうが解決策が見つかる、ってやつ。
あとは自由と制約のバランスっていうのはまさに、高校の総合的な探究の時間の授業におけるワークシートづくりの観点からもとても大切だなあと。
もう1冊紹介します。
「千年の読書」(三砂慶明 誠文堂新光社)より
~~~以下メモ
私たちはよく「偶然」本と出会います。しかしそれは本当に「偶然」なのでしょうか。
本屋の本棚は、世界にただ一つ、たった一人、その時、その場所をおとずれたあなただけへの招待状です。
「遊ぶように学ぶことは、人生で最高の喜び」(橋本武)
書物はもちろん読まれるたびに変容します。それは我々が経験していく出来事と同じです。偉大な書物はいつまでも生きていて、成長し、我々とともに年を取りますが、決して死にません。時とともに作品は肥沃になり、変容し、そのいっぽうで、面白みのない作品は歴史の傍らを滑りぬけ、消えてゆきます。
~~~
「本屋の本棚という招待状」とてもすてきな表現だなあと。
書物は読まれるたびに変容する。この「書物」と「人」の関係を「プロジェクト」と「人」に置き換えても同じだろうと。
「プロジェクト」と「人」は、相互作用を受けて、それぞれが変容する、変容し続ける。だからこそ、「チューニング」が必要だし「場のチカラ」を活かして、アウトプットには「魔法をかける編集」が必要なのだ。
そして、それこそが「遊び」と「学び」の境界線を溶かした「プレイフル」の源なのではないか、ということ。
この2冊とSUWADAの「OPEN FACTORY」から考えたこと。
「ともにつくる」という阿賀黎明高校魅力化プロジェクトのコンセプト。
それは、言葉を補えば、後ろには、「ともにつくられる」が入るのかもしれない。
そして、「ともにつくる」の前には「プロセス(過程)を」が入るのかもしれない。
いや、それは僕にとっての補う言葉で、「ともにつくる」という言葉は問いになっていて。「何を(ともにつくり)」「(結果)どうなるのか}というのをそれぞれの人が考え続けていくこと、なのかもしれない。
そして、「ともにつくる」が起こっているときに、人は「存在」を感じられるのかもしれないという仮説を僕は持っている。
マズローの欲求5段階説である「生理的欲求」「安全の欲求」「社会的欲求」「承認欲求」「自己実現の欲求」のうちの3段階目「社会的欲求(集団への帰属や愛情を求める欲求)」がごそっと抜け落ちてしまった社会を僕たちは生きていて。SNSや自己啓発本、教育商材ビジネスによって、「承認欲求」と「自己実現の欲求」が肥大化してしまっている。
そのピラミッドは安定が悪いから、倒れてしまう。
しかしながら、その解決策として、「帰属や愛情を求める欲求を満たす」という方向に行ける人は少数派だろうと思う。僕たちはひとりひとりもう浮遊しちゃっているから。たとえば「家族みたいな会社」に入れる人は少なく、またその環境に適応できる人ばかりでもないだろう。
僕の仮説は「ともにつくる」ことによるアイデンティティ形成だ。
場にフォーカスし、場のチカラを高め、場を主語にして、何かを生み出していく(つくる)。
そのときに大切なのが「構想」と「実行」を分離させないこと。意志決定、プロトタイプ(試作)づくりといった、プロセスに参加・参画していくこと。
その「つくっている」プロセスの瞬間瞬間に、ひとりひとりが「存在」を感じられるし、生み出した成果(つくったもの)に自分も参加(貢献)できたという自覚が、自分自身の「存在」を許すのではないかと思っている。
「緑泉寮ハウスマスター」は、高校生の暮らしを支える3年間限定の仕事。
暮らしにはゴールが無い。
夜が来れば朝が来る。冬が終われば春が来る。
そんな「循環する時間」を「ともにつくる」3年間。
ゴールが無ければ、唯一の答えがない。
ひとりひとりの様子を見て、関係性を感じて、その場がつくっていく時間。
「所属の欲求」が満たされない社会で「ともにつくる」こと。
「暮らしをつくる」とともに「自分自身をつくる」こと。
そんな場を育んでいきたいと思っています。
令和6年度から緑泉寮を「ともにつくる」仲間を募集しています。
https://shigoto100.com/2023/09/kawaminato.html
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