2023年05月09日
「福祉」と「教育」と「まちづくり」のあいだ
「公民館のしあさって」(公民館のしあさって出版委員会 ボーダーインク)
西会津のゲストハウスでカフェをやっているナオさん激推しの1冊ということで購入。
面白かったです!
「マイパブリックとグランドレベル」の次に読むにふさわしい1冊。
おススメありがとうございます。
僕たちが目指しているのはアップデート「公民館」のようなものかもしれない、と思いました。
今日もメモを書きとめます。
まずはちょっとヤンチャな高校生が公民館の福祉活動に参加した後に
教頭先生が電話をかけてきて「なにをやったんですか?」って驚かれた話から。
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公民館では様々な人の出入りが当たり前である。出停中というレッテルを張られず、自分のやった仕事で誰かが喜び、認められる場がたくさんある。
様々な価値観や環境で育ってきた生徒たち、必ずしも学校や企業が求める人物像ではないだろう。しかし地域の包容力は大きいのだ。またそういった多様性を認める地域文化は皆で育むものだ。
地域の人の感謝の言葉や行動が、生徒の目の色を変えていくのを何度も見てきた。人がつどい、生きがいづくりの場であり地域を元気にする公民館は、互いを認め合える「ありがとう」の力に満ちている。このような身近にある公民館は地域の力が人を育むのだと実感する。
今日もどこかで地域の「ありがとう」が誰かを支えていることだろう。
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いいですね。
高校生のアイデンティティにとって、とても機能しているなあと。
そしてコーディネーターの心得としての「3人先までの噂を意識する」とか
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イベントに参加した人や取り組みに関わった人が、3人先までどのような噂話をするかまでイメージしてほしい。お家に帰って楽しかったこと、もっと知りたくなったことを人から人へ伝えたくなるような、家族間、地域間でのコミュニケーションが深まるようなきっかけとしての事業であってほしい。
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コミュニケーション・ツールとしてのイベント・活動をつくっていくこと。
これって、めちゃめちゃ経済社会においても重要なことだな。
いわゆる「口コミマーケティング」ですもんね。
そして、高校生の学びみたいなテーマでも示唆に富んだ一節が。
「消費としての学習」と「生産としての学習」というテーマ。
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地域にある公民館にとって大切なことは、消費ではなく「生産としての学習」である。そしてそれは、すぐに可視化できるものではないことが重要である。人と人、団体と団体などのつながりを作り出したり、他者からの承認を得ながら自分の存在意義を見出したりするなど関係性や価値を創造するものだからである。
しかも講師⇒受講生という一方向的に知識を与える関係からではなく、ともに学び合うなかから生まれてくるものである。何を教えてくれるのか、どのようなカリキュラムがあるのかではなく、一緒に学びたい仲間を集め自分たちでカリキュラムを作っていく。
ひとは、何かに貢献したり、役に立つことを実感することで社会的な存在となる。ター公民館では、同じ場所なのに、人によって使い方も意味も目的も役割も変わっていくことを大切にしているという。この場所に来ると自分も何か社会貢献することができるということに気づき、自分のできることを探し行動するのだと。
単なる利用者ではなく、一人ひとりが地域・社会とかかわることを大切にするこの視点は、まさに消費の場としてではなく、生産=関係創造の場として公民館を位置づけているに他ならない。このプロセスを経て、私たちは社会に影響を与えつつ初めて自分自身の意味を知り、喜びや他者の幸せへの実感をくり返し、生きがいや自己実現を我が物にしていく。
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単なる利用者ではなく、か。重い言葉だな、と。高校生を単なる教育サービスの利用者にしてしまっていないだろうか?という激しい問いが突き刺さります。
もうひとつ思ったのは、公民館の「ともに学ぶ機能」とカフェ的空間の「入り口・偶然性機能」とを合わせたような場は可能だろうか?っていう問い。その両方が必要なのだろうと。
さらに刺さったのは、「答えのない世界」というキーワードで、高崎経済大学の櫻井常矢先生のコメント。
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答えのない世界は、何よりも人びとを対等なものにする。答えさえなければ、そこには教師も生徒もない。教える側⇒学ぶ側という一方向的な関係性はなく、ともに知恵と工夫を出し合いながら学ぶことを許す。
公民館での学び方は多様であるはずだが、そこでの人びとの営みは常に対等である。最初から答えを持っていないけれど学び続ける私たちに限界もない(南さん)し、だからこそそれぞれがクリアな気持ちで、目指す方向に向かってやりたいことを実現できる(ミギードさん)こと
あらためて「答えのない世界」とは、とても心地よいものである。それぞれが対等な関係の中で、ひとつのことにこだわりをもって話し合い、悩み、実践し、前に進もうとするからだ。そこに共通にあるのは、誰かが決めた規範や豊富な知識からくる自信ではなく、こうありたいと願う社会への確かなまなざしである。
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「ともにつくる」学びってそういうことですよね、って。
もっと言えば、「ウェルビーイング」ってそういうことなんじゃないか、って。
阿賀黎明高校「地域学」と阿賀黎明探究パートナーズの関係って、そういう関係なのでは、って思う。
僕たちが創りたいのは、そんな「場」や「関係性」なのかもしれない。
「福祉」と「教育」と「まちづくり」のあいだ。「公民館のしあさって」が示すのは、公民館でそれが可能になるのではないか、という問いだ。
僕たちの町にも、僕たちの町なりの「やり方」があり、築き続ける「関係性」があるはずだ。
なぜなら、そこに答えはないのだから。
そんな「場」を高校生も含めて、ともにつくりたいのよ。
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