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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2023年05月10日

「しあさって」という時間的余白

「しあさって」という時間的余白
「公民館のしあさって」(公民館のしあさって出版委員会 ボーダーインク)

昨日につづき、まずは東大の牧野先生のところから。

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PDCAサイクルが前提としているのはエビデンスベースドな医療モデルなので、それ以外のところではやはり馴染みません。医療モデルはわかりやすくいえば、ワクチンを打った人と打たなかった人を比較して、結果がこうでした、と見せるもので、条件を統制して、一つの違いを見ることが基本の手法です。または製造業の製品の歩留まりを高めるために、その工程を管理するための手法でもあります。

ですから、ゼロであることが基本で、いわばマイナスからゼロにするためのするためのものなのです。行政とか教育というのは、ゼロから上をつくっていく、つまり人々の幸せを増進するためのものなので、マイナスからゼロにしていくPDCAのようなものを適用して管理しようとすると壊れてしまいますよね。

AARは、Anticipation(楽しいことを考えてわくわくする)/Action(やってみる)/Reflection(振り返って、またわくわくする)の略ですが、簡単にいうと、少し考えてちょっとやってみて、うまくいったら、振り返りしながら、俺は天才だ!と思っちゃったりして、もっとやっちゃおうということですよね。うまくいかなかったら、別のやり方でやってみようとか、変に批判しないことをベースに、やっていくと楽しくなってしまうようなのりで、続けていくのです。これを開放系の試行錯誤と呼んでいます。

目標はなくて、いまの状態を次から次へとわくわくする状況にもっていこうとして、おもしろいねえ、という形で動いていくので、拡大型の試行錯誤の循環に入っていって、それって楽しいよねとなります。面白いのはうまくまわっている公民館だと、お互いに肯定的な声を掛け合ったり、積極的な発言をしたりすることが多かったりするわけです。
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これ、小国高校でやってた「Yes,and」とかめちゃ使えるだろうなあと。
学校外のプラットフォームの役割ってまさにそこにあるのだろうなと。

つづいて、コーディネータ(本文表記のまま)について
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「触媒」であり、「言語化・可視化・組織化・橋渡し」をする人がコーディネータ。南さんみたいに雑談ばかりやっているということです。(笑)可視化も言語化も、相手がしゃべっていることに頷いているだけです。誰もが楽しい会話を通して自己発見があり、ああしよう、こうしようと思うようになるのです。コーディネータの役割はそのあたりにあるのではないでしょうか。

コーディネータは特に何かを仕掛けたりとかする必要のない仕事だと思います。もう少し進んでくると、世話焼きおばさんのように、あれやって、これやってとそこに居合わせたみんなに役割を振っていくようになるのだと思います。

まずは形式を持ち込んで強制的にやってもらって、次にそこでものをいうのが言葉です。自分が発した言葉が跳ね返ってきて、自分で気づくようになるという関係が、形式を次へ次へと動かしていくような規範になってきます。運動し続けるための駆動力としての規範です。言葉を介して形式が次へ次へと駆動されていくと、行動になってくるので、生活も変わるし、地域も変わっていきます。さらに楽しくなってくると、自律的に動いていくので、コーディネーターが手を引いても大丈夫です。だから、まあ雑談しているだけですよ。
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そうか~。そうですよね~。
コーディネーターの役割って雑談なんだよなあ。

そして本日の気づきは以下「しあさって」というタイトルについて。

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しあさって、というとちょっと余白がありますよね。明日だとすぐやらなきゃいけないですし、未来っていうとどうせ実現しないよなあと思ったりしてしまいます。しあさってって考えると少しぐらい置いておいてもいいかなと思います。忘れちゃったみたいなことが起こるかもしれないですが、それぐらいのゆるさが許されるのではないでしょうか。

雑談って議論ではないので、余白だらけです。やってもやらなくてもいいし、やってみたら面白かったという風に動けばいいのです。それがしあさってにつながるのではないでしょうか。

「しあさって」って絶妙なネーミングですよね。「公民館のあした」だとすぐにやらなければならければいけないし、「公民館の未来」だと遠すぎるし、「しあさって」っていいなと思いました。

あるべき未来を考えて、そのための現在を積み重ねる。それはなんだか良い話のような気がしますが、どうも未来のために現在を犠牲にしているニュアンスもあるように思います。人を過剰に管理対象にしないように、未来も同じように過剰に管理せず、今を最大限楽しむ結果、来るべき未来がやってくるということを感じていました。「しあさって」という未来感は、そんな気持ちも少し含んでいます。

その都度、その都度、新しい私が生まれ続けるおもしろさを身につけるみたいなことですよね。

今日でも明日でもないしあさって、遠い未来でもない「しあさって」という設定をしているので、現実的かどうかではなくて、あるいは理想を拡げるだけでもなくて、その間を行き来しながらよりよくなっていったらいいねという会話ができたらと考えています。
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わー。いいなと。「しあさって」は時間軸的な「余白」ってことなんだ、ってたぶん、生きていくのに必要なのはその「余白」なのだろうなと。

目的・目標に向かわない雑談と、面白いからやってみようかなと思ったときに、明日(または今日)かならずやる、ってことじゃなくて、「しあさって」くらいに実現できたら楽しいな、くらいの感覚でいろいろコトを起こせたらいいなと。

そして最終章 公民館のしあさってってなんだろう より
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あそこ(公民館)に行ったら、今までの自分とは違う、何かを考えるきっかけがあるのかもしれないという期待かもしれませんね。

目的があってもいいし、なくてもいいし、地域の熱量というか、今ここの旬ってなんなんだというのがありそうな予感のする場所が公民館なんではないかと思います。そういうことを若い人たちが嗅ぎつけてきているのかもしれないです。

ドラえもんに出てくる空き地ですね。偶然かつ無目的のハブ拠点が公民館。

私たちがモスクに行くのは、モスクが物理的な空間の中で持っている機能を求めてではないです。モスクに象徴されている意味やプロセスに重要な要素があって集っているんですね。宗教というフィルターはあるものの、その目的以外には、偶然に場所と時間を共有しているだけです。まさにたまたまの出会いでモスクにたくさんの人が集い、出会うと、必然的に思いがけない隣人との学びも生まれることになります。

プロセスについても同じことが言えます。課題を解決していくために何が必要か、ばかりを考えている人たちが多いのですが、それでははっきり言って公民館は動けません。プロセスそのものが、最終的には課題解決につながってくることが公民館の潜在的な魅力なんですが、それも社会の中で認められてこなかった部分なのでもったいないですね。
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これ、「公民館」を「地域にある200円で入れる日帰り温泉」に置き換えても同じかもしれないなと思い始めました。

さらにその「つくりかた」について

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公民館を利用する人たちが、公民館はサービスを一方的に受けられる場所であるという間違った認識を捨てるべきだとも考えられます。公民館を利用する人が運営する立場にもなり、公民館を運営する人が利用する人になる場合もあるというフラットな関係性が築けてこそ、間接的な社会形成という社会教育の目的が達成されますね。

居酒屋と公民館が決定的に違うのは、そこの場にちょっとだけ責任のある人がいるかどうかだと思います。それがコーディネータの存在ですね。だから、居酒屋にはその先がないけど、公民館にはその先があるということです。

「don't be customer」

公民館から帰るときに、あなたはCustomerではありませんと言うようにしています。わたしたちだけでは、地域の課題は解決できないけど、あなたと一緒だったら、解決できるかもしれないし、あなたにはできることがあるので、あなたの役割は大切ですと伝えています。

エジプトにはたくさん居場所があるけど、Costomerとしての居場所で、ター公民館はオーナーとしての居場所だという違いがあるということですね。メンタルも含めてぜんぜん違うと

喫茶店にちゃんとしたコーディネータがいれば、公民館になりますよね。その場の発言にちょっとだけ責任をもって前に進めたりする人の存在です。

公民館では社会のマスクを外してほんとうの自分を出す場所ですね、本来的には。個が確立され、その人らしさが出ることで、地域がおもしろくなって、課題や問題と思われていたことが解決していきます。
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「don't be customer」(消費者になるな)
って、これからの世の中を生きていく上で、すごく大切なことだなあと。

その地平に、いつ立てるのか?
学校が「Customer」だけを育ててこなかっただろうか?

じゃあどうやって、場のオーナーシップ、地域のオーナーシップ、社会のオーナーシップを持った人を育てていくのか?

それは、「雑談」する場を持ち、まずは話をひたすらに聞き、発言を拾い、前に進めるコーディネータの存在があり、それを実践・実現するフィールドがあり、仲間集めができる。

AARサイクル、ワクワクして、やってみて、ふりかえってまたワクワクする。そんなサイクルを回していくこと。

そこには、目的・目標を決めて直線的に進んでいくような、明日から(今日から)はじめる、という脅迫は無くて、しあさってくらいに動き出したらいいなという時間的余白もあり、ゆるやかに動きが始まっていくような。

そういう余白ある「場」をつくっていくこと。
学校にも、公営塾にも、寮にも、ブックカフェにも、温泉にもつくっていくこと。

それをやりたいなと心から思えた1冊でした。
ありがとうございました。

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Posted by ニシダタクジ at 07:20│Comments(0)日記学び
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