2022年04月08日
「労働的価値」と「存在の承認」
「手づくりのアジール-土着の知が生まれるところ」(青木真兵 晶文社)
読み進めています。
今日は「就活の違和感」に直結する箇所があったので、
メモにいれておきます。
~~~P72より抜粋
現代社会では働く=対価としてお金をもらう労働とされ、自らを、労働力を提供する商品として売りに出すことが「働く」ことだと考えられています。そう考えると就職活動は自分を労働力へと変換していく作業に他ならず、社会に出る、社会人になるとは、労働力、商品として市場に出ていくことを指すことになる。商品は売れなければ意味がありませんから、経済とは自分が売れる商品かどうかを評価される場になります。これはやっぱりしんどいですよ。「働いていない」という状況=自分は売れ残り商品だと思うのはつらすぎます。
一方ぼくは「働く」=「労働」とか「社会」=「市場」とは考えていません。人間には労働力としての側面もありますが、商品化されない感性の部分もある。商品化の波に飲み込まれないようにどうやって自分を守っていくかが楽しく生きていくための大きなポイントだと感じます。僕にとって「働く」とは、他者や社会に働きかけることです。社会は私たちが働きかけることによって成り立っているのであり、お金を生み出す労働だけで成り立っているわけではない。
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就活の違和感の正体のひとつがこれかなと。
「自らを商品化すること」
つまり、労働力としての自分を価値づけようとするあまりに、自分を失ってしまうことへの恐怖。こういうのを直感的に感じてしまっているのではないかと。
言い換えれば「商品としての価値」を「自分の存在価値」とイコールにしてしまうことで、自ら「存在の承認」を失いにいっているのではないかという不安。それが、就活に対する不安そのものなのではないかと僕は思います。
「そんな甘いことを言ってたら就職できない。」
もちろんそうでしょう。それにはそれ相応のリスクがあります。
じゃあ、どうするのか?
僕は遠回りかもしれないけど、青木さんの言う後段の「他者や社会に働きかける」という「働く」を実感することなのではないかと思っています。それも、高校生のうちに。
総合的な探究の時間やプロジェクト学習がキャリア形成に意味があるとすれば、そこだろうなと思ってます。
社会は、お金を生み出す労働だけで成り立っているのではない。
労働力としての価値=あなた個人の価値ではない。
感性を発揮して、他者や社会に働きかけ、何かを創造していくこと。そこにこそ「まなび」があると僕は思うし、最大の課題である(と僕が思う)「存在の承認」問題をクリアしていくカギがあると思っています。
阿賀黎明高校「地域学」から始まった津川商店街の空き店舗改装プロジェクト
「自分たちの居場所は自分たちで創る」は、高校生たちが巻き込まれながら作っていく創造の物語です。
https://camp-fire.jp/projects/view/552815
僕にとっては、大学生の「やりたいことがわからない」「自分に自信がない」という悩みから出発した「存在の承認」問題への有効なアプローチ方法だと思っています。
あと9日、みなさまの応援よろしくお願いします。