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ニシダタクジ
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 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2017年02月18日

無力感という出発点

石井秀和さん。
武蔵新城プロジェクトでご一緒させてもらっている。
話をしてると、とってもいい人だなあと。
この人の周りに人が集まるのはわかるなあと。

無力感という出発点

昨日は本棚づくりの作業日でした。
終わった後、川合くんの湯ミットのリハーサル
行く予定でしたが、残念ながら金曜日は定休日。

その後、喫茶店でパフェを食べて、
そのあとで石井さんと話をしていた。

若者と接するときに、
一番大切なのって、無力感なのかもしれないなと。

人を導いたり、元気にしたりすることはできない。
すべての人を助けることはできない。
もちろんそうなってもらいたいという気持ちは
あって接しているのだけど。

そんな無力感を出発点にすると、
接するときにコミュニケーションしようとする。
いや、正確に言えば、
「コミュニケーションしかできない」のだ。

僕の出発点は、
2004年に新潟県で起きた中越地震のボランティアだった。

当時30歳。
子どもの居場所づくりというか
一緒に遊ぶボランティアを新潟大学の学生と行っていた。

あのときは、ただただ、無力だった。
無力感しかなかった。

水道もガスも止まっているという
避難生活の中で、親のストレスから離れて、
子どもと遊ぶ。
遊んでいるときは、楽しそうにしている子どもたち。

16時が近づく。
ボランティアセンターに戻る時間。

車に乗り込んで、センターに帰る僕たちを
小学生が途中まで追いかけてくる。
最後に手を振って別れる。

みな、黙り込む。
センターに着くまでのあいだ、誰も口を開かない。

ただ、無力だった。
そして、活動の効果に疑問を感じていた。

「こんな活動をして、何になるんだろう。」
「子どもたちは本当に喜んでいるのだろうか。」

そんな答えのない問いが浮かぶ。
でも、翌日、また川口に向かっている自分がいる。

あのボランティアで僕が感じていたのは
圧倒的な無力だった。
でも、それが僕の出発点になっている。

子どもはニーズを語らない。
ボランティアとは、差し出した半分のハートに
相手のハートを合わせていく行為。
そんな双方向のコミュニケーションが必要。

「一般的な正しさ」
なんて存在しないのだから。

目の前の人、ひとりずつの中に、
何があるのかをコミュニケーションしながら探り探り
接していくこと。
そこからしか始まらない。

若者はそれぞれ、自らの過去と未来を背負って生きている。

そのすべてを受け入れることはできない。
いい方向に進んでいくサポートもできない。

「いい方向」など、私たちにはわからないから。
私たちには、「機会」の提供しかできないのだから。

そんなコミュニケーションと機会提供の場を持つということ。
それが本屋をやるということ、なのではないかな。

昨日は、石井さんと、
無力感という出発点を思い出したよい夜でした。

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Posted by ニシダタクジ at 06:08│Comments(0)
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