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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2018年08月06日

「消費財化」という思考停止の罠

「働き方」から「暮らし方」へのシフトが起こっている。
大げさに言えば、「あり方」へのシフトが始まっている。

西村佳哲さんは著書「自分をいかして生きる」の中で
こう語っている。

以下参考ブログ
http://hero.niiblo.jp/e484009.html
(17.2.13東洋的キャリアのつくり方)
http://hero.niiblo.jp/e484019.html
(17.2.14対話型キャリア形成)
http://hero.niiblo.jp/e484047.html
(17.2.17発酵しながら生きる)

~~~あらためて引用

でも本人の実感以外のところから、まるで倫理や徳や常識のように語られる
「働くことは喜びである」といった言い切りには同意しきれない。

それが〈自分の仕事〉ならむろん働くことは喜びになると思うが、
そう思い込まされるようなファシリテーションが社会に施されているとしたら?

そもそもこの、働くことはよいことであるという考え方は、
人類史の途中から姿をあらわしたものだ。
その時々の為政者や権力によって人々に与えられてきた痕跡も見受けられる。
これは労働文化史の領域では決して斬新な視点ではない。

働くことをよしとする価値観は、近世のヨーロッパで生まれ、
キリスト教と産業革命を足がかりに世界へ広がった。

労働や働くことをよしとする考え方は、
共産主義においても資本主義においても機能した。
それは都市化・数量化・産業化の流れに沿って広がった
近代以降の価値観であって、それ以前の社会には、実はあまり見られないという。

人は、より生きているという実感に喜びをおぼえる。
仕事はその感覚を得やすい媒体のひとつである、というだけのことだ。

ただ働くことだけが、わたしたちの生を充足させるわけじゃない。
価値観の形成過程に誘導性も感じられるので、
このことについては、むしろ慎重でいたい。

~~~ここまで引用

そう。
仕事はその感覚を得やすい媒体のひとつである、
ということだけなのだ。

その上で西村さんは
目に見えている仕事を島にたとえ、
そこの目に見えない部分には、

それを支える知識・技術
さらにその下の考え方、価値観
さらにその下にあり方、存在があると説明した。

そう。
西村さんが言っていた「働き方」は
「あり方、存在」を問いかけるようなものだった。

今や、「働き方」が消費財となってしまった感がある。

というか、この社会は、
あらゆるものを消費財としてしまう。

ノマドワーカー。
コワーキング。
パラレルキャリア。

いまや、「働き方」そのものがビジネスとなっている。

そんな中。
イナカレッジインターンが問いかけるもの。
それは「暮らし」であり、「暮らし方」だ。

まあ、「暮らし方」に関しても、
うっかりしていると、「ていねいな暮らし」みたいな
キーワードで消費財化してしまう。

消費財化が別に悪いわけではないのだけど、
その答えを自分の中に求めずに、
他者の考えを取り入れたり、何かを購入することによって
達成できると思うような思考になってしまうことは、
長期的に見れば、本質的には不安なままである。

http://hero.niiblo.jp/e487798.html
「働き方」と「暮らし方」(18.7.23)

イナカレッジの説明会に来た大学生に響いた
キーワードは「暮らし方」だった。

そう、「働き方」は「暮らし方」に包括されている。
そして、暮らしをまず見つめたいということだった。

そういえば、「イナカレッジ」は、2004年10月
新潟県中越地震の復興を目的とした団体が母体だ。

団体がやってきたことは、
よそ者がデザインした計画を押し付けるのではなく、
中山間地の暮らしに寄り添いながら、
「復興」そして「地域の未来」そのものを共に考え、
共に汗を流すことだった。

そこに共通するような「答え」は存在しない。

対話を通して、活動実践を通して、
仮説をつくり、実践して、検証を行い、
また新たな仮説を立てる。
その繰り返ししかない。

たぶん「暮らし」ってそういうものだ。
そもそも不確定要素が多すぎるし。

おそらくは
「働き方」っていうのも同じなんだよね。

ところが、これまで、
というか西村さんも上に書いてあるように

「働くことは美徳である」的な価値観を、
教育によって植えつけられている自分たちは、
「働き方」にさえ「答え」があるような気がして、
「正解」を探してしまう。

それはたぶん思考停止の罠だ。

「暮らし」には正解がない。
「仮説」を立てるには、「感性」を発動させて、
自然の声、住民の声を聴かなければならない。
考え続けて、仮説を検証し続けなきゃならない。

それは終わりのない道だ。

でも、たぶん終わりなんてないんだ。
「価値」とは何か?を問い、
それを「誰に」届けるべきか?
それが仕事であり、
暮らしは「価値」を自分や家族にとどけることだ。

そんな答えのない旅への第1歩となるのが
「暮らし方」インターンなのかもしれない。
なんか、いいネーミングないかなあ。

http://hero.niiblo.jp/e487730.html
これまでの「物語」をつなぎ、これからの「物語」を始めていく(18.7.11)

「保田小魂」に匹敵するような
キーコンセプトを必要としている。  

Posted by ニシダタクジ at 08:35Comments(0)アイデア