2023年02月03日
「福祉」から出発するアントレプレナーシップ

なぜ「偏差値50の公立高校」が世界のトップ大学から注目されるようになったのか(日野田直彦 IBCパブリッシング)
2018年刊。
湯島の「夜学バー」で知り合った大学院生の出身校である大阪府立箕面高校の話。
これは本質的で素晴らしいなと。
いい本を紹介して頂きました。
~~~以下引用とメモ
要はビッグプロダクトではなくて、ミニマムプロダクトで隣人の問題解決を「具体的にできる」こと、それだけなのです。それ以外はとりたてて必要ないのです。
今はインタラクティブな関係性をいかにつくり、ダイバーシティを理解し、共感し、変化・成長し続けることが、より重要な時代です。いうなれば双方向でありつつ、トップダウンのない、本当に対等な関係をどう築くか。
すごいですねえという拒否
英語より先にマインドセット。実験場として使ってくれ、ただしコラボレーションして、ね。
ホワイトボードだらけにするとコミュニケーションが活発になる。
そもそも今の教室のスタイルは、何の科学的根拠もありません。単に、国家予算による物理的な限界によって作成された妥協の結果です。
ワークショップマインドのためには上下を作らないことだけでなく、前後もつくらないことが重要なのか。発言者が立ったところが前になる。
ワークショップのスキルではなくてマインドをまず体得すること。プロジェクトの進行と創造は、メンバーの変容と相互作用しながら起こっていく。「つくる」と「かわる」が場によって起こり、結果自分も創られていくのだと。それがワークショップマインドなのでは。
ワークショップのマインドは、手段であると同時に目的でもある。VUCA時代を生きていくための基本的マインドセット。
~~~
とまあ、こんな感じの学校改革。「海外有名大学に多数輩出」というと、「英語に力を入れたのね」と思う感じと「総合型選抜で有名大学に多数合格」というと、「探究、プロジェクト活動に力を入れたのね」と思うのに似ている。
いやいや。そういうことじゃないんだなと。
箕面高校を変えたのは「マインドセット」なんだと。
そしてそれこそがひとりひとりの「人生への当事者意識」を変えていくのではないかと思った。
伝えるべきは、ワークショップのスキルというよりもまず、ワークショップのマインドだなあと。
場のチカラで作り上げていくものが必要なのだと。
以下、この本で一番アツかったところを引用
~~~ここから引用
なぜ会社が存在するかというと、昨日よりも明日、社会をもっと良くするためです。そのためにどういうシステムをつくったらいいのかを考えるのが「株式会社」でした。
資本主義の目的(存在意義)とは、元手を持っているが行動する方法がわからない人と元手を持っていないが行動をしたい人がマッチアップして、より効率よく、そして規模を大きくして社会を変えるためのシステムであったはずです。
教育のことを順序立てて話していくと、学歴やビジネス、ましてやお金の話には決してなりません。人類を次のステップにどうやって上げるか。私はそのために教育の現場にいるのです。そのための、日本の高校の現場なのです。
マネージャーとは、ミッションベースと、社会のマーケットベースで物事を判断し、それをどうやって合わせるかを考える仕事です。そして現場の人たちはというと、いま自分たちができる最大のポテンシャルを発揮してもらうだけでいいのです。
~~~
いいなあ。
日野田さん。カッコいいな。
ラスト、「未来の学校は宇宙につくるべきだ」と日野田さんは語る。
時間と空間の枠を超えて学べ、と。
いやあ、それですね、それ。まさにそんな時代。
「一生学び続ける」ってインプットを続けるってことじゃなくて時間と空間を超えて学ぶことだろうなと。
宮澤賢治先生的に言えば「巨きな人生劇場は時間の軸を移動して不滅の四次の芸術をなす」って感じか(農民芸術概論綱要より)
学校ってなんだ?
学びってなんだ?
と問いかけられる1冊でした。
そんな本を読んだ後での中高連携の打ち合わせを経て思ったこと。
1 そもそもどこを目指していくのか?
キャリア形成の時の定番である「やりたいことは何か?」という問いがベクトルを尋ねているような気がするので応えなければならない気がするのだけど、それを職業名などの到達点で答えているからいつまでもモヤモヤするのではないのか。
問うべきは、あなた自身の問い(テーマ)は何か?ではないだろうか。そのベクトルが生きるのに必要なのでは。
人間の本質がベクトルだとすれば、三丁目の夕日的な、社会全体にベクトル感があれば、与えられたベクトル、つまり目標があれば生きられるのだけど、社会全体がベクトル感を失ったいま、人は自らベクトルを生み出さなければならなくなっている。
そのベクトルを生み出す方法としての「問い」でもある。
ベクトルっていうのは、現代においては目標ではなく問いのことで。問いを共有することがチームの条件なわけで。問いのアップデートができる環境こそが価値。
人は、自分自身の問いを会社(学校、プロジェクト)という箱を使って表現し、問いをアップデートする存在なのかもしれない。
問いのアップデート。それこそが生きる意味なのかもしれない。だから明日も生きられるのかもしれない。
2 プロジェクト学習、ワークショップ手法を使う意味について。
自分を知る、社会を知るのベースにワークショップ(場)という手法があり、場を通して自分と社会を認識し、自分と社会のあいだにプロジェクトができる。
プロジェクト=やりたいことWANT
自分=できることCAN
社会=求められていることNEED
手法(場)=ワークショップ
のひし形かも。
「自分を知る」っていうのは、自分の形(や完成形)を知るっていうのではなくて、自分のベクトル(とか方向性)を知りたいってこと。自分を知る、社会を知るというより、自分と社会をどのように捉えるか。それも「いま」捉えるか、なのだろうな。自分も社会も常に変化していて形ではないから、それをインプットすることは原理的に不可能。
ボランティアを起業家(アントレプレナーシップ)教育の入門編に位置づける、っていうのはどうだろう。隣人のお困りごとを解決できることこそ、起業家精神を発揮する場。
ボランティアではなくフィールドワーク。それこそ参与観察だよね。
~~~とツイートまとめ
と、なんとまさか、最後に日野田先生の本の「要はビッグプロダクトではなくて、ミニマムプロダクトで隣人の問題解決を「具体的にできる」こと、それだけなのです。それ以外はとりたてて必要ないのです。」
に戻ってくるというオチ。
「福祉」から出発するアントレプレナーシップってあり得るなあと思った。
「学力向上」に必要なのは、高い目標などではなくマインドセット。
そして隣人の課題を具体的に解決することができるアントレプレナーシップ。
それはもしかしたら高齢化が進み福祉の役割が大きいこの町のもっとも得意とすることであるのかもしれない。