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ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



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2017年03月19日

アーティストと作品の関係

アーティストは最初、作品によって見出される。

いい作品を何作か続けると、
そのアーティストの名前が売れる。

すると、そのアーティストの
名前で、作品を鑑賞したくなる人が増えてくる。

本で言えば、
有名著者の作品は発売前に
たくさんの予約が入る。

一方で、
一作品しかヒット作を生み出せなかった人は、
「一発屋」と称される。

その人の名前は、
すぐに消えてなくなる。

でも、作品は残る。
記憶にも残る。

アーティストの名前が売れてくると、
極端な話、作品の良さに関わらず売れる、という現象がおきる。

その人の作品だから買おう、ということが起こる。

著名な画家の無名時代の作品に、
何億円もの値段がつくような現象だ。

それは作品というよりは、
ネームバリュー、つまり世間的価値を
買おうということなのだろう。

アーティスト<作品
だったのが
だんだんとアーティスト=作品
になり、いつのまにかアーティスト>作品となるのだ。

しかし、それは、
アーティストの本望なのだろうか?

岡本太郎は、
「今日の芸術」(光文社知恵の森文庫)の中で、
芸術はわかろうとするものではないと説く。

そして、今日の芸術は、
うまくあってはならない。
きれいであってはならない。
ここちよくあってはならない。

と言う。
目の前の作品と対峙せよ。
対峙し、感じること。
そこから芸術鑑賞は始まるのだと。

「わからなさ」と向き合い、
自分なりの答えを出していくこと。
そんなことを説いた。

岡本太郎からすれば、おそらくは、
作品ではなく、名前が注目されることは、
あまり好ましいことではない。

アーティストであるならば、
作品を見て、作品を味わってほしいと思うはずだ。
そこに「作家の名前」は邪魔になる。

しかし。
作家にも「承認欲求」がある。
いい作品を書いたら、それを承認されたいし、賞賛されたい。

それは個人に向かってくるものであるから、
そこに、ジレンマがある。

作品を純粋に見てほしい。
でも、作家としての自分を認めてほしい。

その壁を作家自身が超えられるかどうか。
あるいは、世間が作家の名前を超えて、
作品を見ることができるか。

そんなことをふと考えたいい時間をもらった。  

Posted by ニシダタクジ at 06:55Comments(0)日記