プロフィール
ニシダタクジ
ニシダタクジ
 ツルハシブックス劇団員。大学在学中、「20代サミットメーリングリスト」に出会い、東京王子「狐の木」に育てられました。豊かさとは、人生とは何か?を求め、農家めぐりの旅を続け、たどり着いたのは、「とにかく自分でやってみる。」ということでした。
 10代~20代に「問い」が生まれるコミュニケーションの場と機会を提供したいと考えています。



QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 107人
オーナーへメッセージ

2018年03月01日

価値観的サードプレイス

最近のテーマであるサードプレイス。

機能も書いたのだけど、
サードプレイスじゃなくて、
アナザー・バリュー・スペース

もうひとつの価値を持った「場」
を、人は根源的に必要としているのではないかと。

言い方を替えれば、

場所的なサードプレイスではなく、
「価値観的」なサードプレイス。

たぶんそれは古くは、
「祭」や「宴」という場であったかもしれないし、
旅先であったかもしれない。

そして最近では、「学校」「家庭」「地域」
というトライアングルで子育てをしてきた。
(だいぶ前の話ですけど)

それって、
「家庭」とか「地域」とかが「何を教えるか?」
っていうのが大切なのではなくて、

「学校」と「家庭」と「地域」
異なる価値体系から成り立っているという矛盾
にこそ価値があるのではないかと。

先生の言うことなんか聞くな!
っていうオヤジがいたり、
祭のときに休めない会社なんか辞めちまえ!
と叫ぶ地域のおっさんがいた。

たぶん、それが大切だったんだ。
異なる価値体系の元に自分を置くこと。

いつのまにか、社会全体が、
経済至上主義、学校的価値一色に染められてしまった。

それはおそらく、
「効率化」という至上命題の上のことであったと思う。

小布施町のまちなみ修景事業で、
「栗の小径」をつくるとき、栗の木チップを活用した
レンガを敷き詰めるという案が出たとき、
コストはアスファルト舗装の数倍かかる、という話がでたとき、

「そもそも黒アスファルト舗装の何倍という比較がおかしい。
黒アスファルト舗装は方法のひとつであってそれが「標準」仕上げではない。」
といって、栗の木チップを活用した「栗の木レンガ」を敷き詰めた。
(小布施まちづくりの奇跡 川向正人 新潮新書)

そうなんだよ。
すべて経済社会的学校的価値観で決められてたんじゃ、誇りを持てないんだよ。

小布施町に観光客がリピートするのは、
まさにその「価値観的サードプレイス」が
息づいているからではないだろうか。

場所的サードプレイスから、
価値観的サードプレイス。

そしてそれは場所ではなく、
プロジェクトであっても実現可能だ。

顧客はだれか?
顧客にとって価値はなにか?

という問いを共有する、そんなプロジェクトが
価値観的サードプレイスになり得るし、
それを多くの人は、根源的に必要としているのではないか
という仮説だ。

うん。
そんな感じする。  

Posted by ニシダタクジ at 08:09Comments(0)日記