2021年02月04日
「効率化」するチームから「対話と創造」するチームへ

「心理的安全性のつくりかた」(石井遼介 日本能率協会マネジメントセンター)
みなさんがオススメされているので。
すごく分かりやすいですね。
「はじめに」に書いてある
正解のあるこれまでの時代⇔正解のないこれからの時代
の対比から。(P9)
【人材・チーム】
優秀なチーム:早く、安く、ミスがない⇔模索・挑戦し、失敗や実践から学べる
必要な人材:言われたことがきちんとこなせる⇔変化を感じ、工夫や創造することができる
コミュニケーション:トップダウン⇔さまざまな視点からの率直な対話
【マネジメント】
目標設定の仕方:昨年対比で数%向上⇔現状の延長上にない意義あるゴール設定
予算の配分:選択と集中⇔探索と実験
努力の源泉:不安と罰を与える⇔適材適所と働く意味、そしてサポートを与える
チームへのスタンス:いま儲けろ⇔未来を作ろう
とこんな感じ。
「効率化」⇔「対話と創造」
って感じでしょうか。
この本で一番意識したいのが日本の心理的安全性の4つの因子。
(慶応SDMの前野先生っぽいまとめ方で好き)
1 話しやすさ「何を言っても大丈夫」
話す、聞く、相槌を打つ、報告する、目を見て報告を聞く、雑談する
★「報告」という行動自体を褒める
2 助け合い「困ったときはお互い様」
相談する、相談に乗る、問題を見つける、自分一人では対応できないことを認める、トラブルを楽しむ、ピンチをチャンスに変えるアイデアを出し合う、解決のためのアイデアを広く募る、個人ではなくチームの成果を考える
3 挑戦「とりあえずやってみよう」
挑戦する、機会を掴む、機会をつくる・与える、試す、実験する、模索する、仮説検証、改善する、工夫する、新しいことをする、変化を歓迎する、世の中・顧客の変化に直面する、挑戦自体を褒め歓迎する、失敗を歓迎する、現実のフィードバックを受け入れる、常識を疑う。
4 新奇歓迎「異能、どんと来い」
個性を発揮する、個性を歓迎する、強みに応じて役割を与える、常識に固執しない、ステレオタイプを避け、本人の行動を見る、月並みを拒否する、批判を一時脇に置く、自分自身のものの観方をフラットに共有する・される、違いを良い悪いではなくただ違いとして認める
心理的柔軟性の3要素(P96)
1 必要な困難に直面し、変えられないものを受け入れる
2 大切なことへ向かい、変えられるものに取り組む
3 それら変えられないものと、変えられるものをマインドフルに見分ける
1
思考=現実から抜け出す
「いま・この状況・この文脈で役に立つのであれば、その考えを採用する」
コントロールするのではなく、「受け入れる」
2
大切なことの明確化・言語化
大切なことへ向けた、具体的な行動
3
「いま、この瞬間」への気づきと集中
「物語としての私」から「観察者としての私」へ
特にこの3のところ、
「マインドフルネス」ってそういうこと、ってあらためて考えた。
~~~ここから一部引用
問題は、言語が発達した私たち人間は、あまりにも「いま、この瞬間の体験」をすることが少なく、過去と未来、言語の世界を生きてしまっているということです。同じ景色を見ていても、言語を持つ人間は、すぐ「いま・ここ」に存在しない、過去や未来について考えてしまいます。たとえ、そうすることで実際には思い悩むだけで、役に立たない時ですらそうなのです。しかし、言語を持たない動物は、ただ世界を世界のまま見つめることができるのです。
マインドフルネスのポイントは、「いま・この瞬間に注意を向け、この瞬間の体験に気づいていること」と、そのために「言語の世界から距離をとること」です。
~~~
いやあ、そうだったんですね。
やっとマインドフルネスわかりました。
ニーチェのいう
駱駝⇒獅子⇒小児
とか日本の武道などでいうところの
「守」⇒「破」⇒「離」
に近いのかもしれません。
それがもっともその人やチームのポテンシャルを引き出すのだということでしょうね。
そして、探究プロジェクトのヒントになりそうなのは次の
「物語としての私」から「観察者としての私」へのところ。
~~~ここから一部引用
「物語としての私」とは、自己紹介をしてください、と言われた時の「私」のことです。私たちはごく自然に、名前、年齢、性別、学歴、所属、職業、スキル、表彰、実績、生き方、信念など、さまざまなものにこだわりを持って自分自身と「=(イコール)」で結びます。
「物語としての私」の主要な問題点は、「自分らしさ」や「キャラ」を守るために、役に立たない行動を続けたり、チャンスでも行動を変えなかったりすることです。自分自身に紐づく、固定化した行動パターンを続けてしまうのです。
「物語としての私」に固執することは、多くの場合、「3挑戦」を阻害したり、「2助け合い」の助けてもらう行動を取ることを阻害します。
「観察者としての私」とは、自分の思考や感情、感覚や記憶を、他人の思考や感情、感覚や記憶を眺めるかのように、距離をとって観察できるということです。
~~~
という感じ。
これって、「場」で解決するんじゃないか、って。
成果を生み出すのは個人でもチームでもなく「場」である。
と定義して、そこに参加する個人は「場」に溶けているような状態。
言語化領域と非言語化領域をつなぐキーワードで話したり、
「印象に残ったこと」を質問し、付箋で出していくことで、
「物語としての自分」と今出した意見を分離し、
いま、この瞬間の大切なことを判断し、動かす。
自分と「場」を行き来すること。
これができるプロジェクトが、心理的安全性が高く、
成果を生んでいくのではないか、という仮説。